江古田教室のspinetです。
とは言っても現在は椎名町の事務所に置いてあります。
東京での演奏会で演奏した時の、426cycleのpitchに、現在も調律されています。

spinetについて

こんにちでは、オーケストラや弦楽オーケストラを持っている教室や小学校などはさほど珍しくないかもしれません。
しかし学校にチェンバロを持っている学校や、音楽教室ともなるとそうざらにはないでしょうね。

CembaloはこんにちのPianoの前身としてのsoloの楽器としては勿論なのですが、弦楽器を学ぶ子どもたちが、Vivaldi等の弦楽orchestraを学ぶようになった時に、必要なbasso continuo(通奏低音)の楽器として、あるいは当然のことながら専科ピアノの生徒達のbaroque音楽のsoloとか、室内楽のpartとして、教室では生徒達にチェンバロを指導しています。
チェンバロはピアノと良く似た楽器ですが、ハンマーで鉄のワイヤをたたくというピアノと違って、鳥の羽根から作った爪で細い糸のような金属の弦を引っかいて音を出すという、−とても繊細な楽器です。そういった美しい楽器でしたが、音楽が貴族階級から一般の人たちも楽しむようになり、大きなホールなどで演奏されるようになり、音量的な優位性を持つピアノに取って代わられる事になってしまいました。

しかし、それでも、まだ古典派の時代には、モーツァルトの幼少期はCembaloが主流でしたし、また、大人になった後でも、オペラのレスタティーボと呼ばれる(語りの)部分では、Cembaloが活躍していましたが、ロマン派に入ってからは、まったく忘れ去られてしまいました。

次の譜面は、皆様よくご存知のHandelのOperaの中の「オンブラ・マイ・フ」(Ombra mai fu)です。または速度標語をそのままタイトルにして「ラルゴ」(Largo)と呼ばれる事も多いようです。この曲はヘンデルの作曲したオペラ『セルセ』(Serse, Xerxes)第1幕第1場の中のアリアです。劇中のペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)によって歌われます。





最初のPageが、recitativo(朗唱)と呼ばれ、通常はCembaloが和音を鳴らして、その和音の中で、お喋りをします。そのお喋り(recitativo)が終わるとaria(詠唱=所謂、歌)が始まります。
こういったrecitativoとAriaがくっついている形式を、「recitativo Aria」と呼び、Operaやcantata等の重要な形式でした。

ロマン派の時代には、完全に忘れ去られてしまったCembaloなのですが、今から100年ほど前にワンダ ランドフスカという女流ピアニスト(チェンバリスト)が出て
「チェンバロの衰退した原因は、クレッシェンドやデクレッシェンドが出来ないこと、音量が弱いこと、フォルテピアノが出来ないこと」という風に考えて、有名なピアノの製作会社であったプレイエルピアノと共同作業で、クレッシェンドやデクレッシェンドができて、強い音量を出す機械アクションを使用したモンスターチェンバロ「ランドフスカチェンバロ」を作り上げました。
ランドフスカの多大の貢献で、それ以降ノイペルトやアンマーなどの大手のチェンバロ会社ができて、再びチェンバロのブームを引き起こしました。

しかし1970年代後半から、古楽器を復刻、再生するということが世界中行われるようになりました。
その結果、こんにちでは、すっかり忘れられてしまっていた、バロック時代のチェンバロの音やバロックヴァイオリンなどの音、正しい奏法などもだいぶ分かるようになりました。

そしてバロック音楽を古い時代のそのままの様式で演奏するというperiod奏法という演奏のstyleが1990年ごろから再び、行われるようになりました。
丁度、同時期に、芦塚先生も、教室の先生達をlectureして、
Fiori musicali baroque ensembleとしてデビューさせた頃の話なのです。
・・・と言うわけで、私たちのチェンバロもルッカース モデルの復刻版です。鍵盤のすぐ側に張られている竜の落とし子のマークは、ルッカース一族のマークです。
ちなみに表板の周りに縁取りされている四角い金のモールは、正倉院等の美術品に使われている金箔と同じ金箔を貼ったもので、その金箔の部分だけで20万円以上もします。

 

チェンバロのことをご存知の方は鍵盤の色が白黒が逆であると御理解してらっしゃる方が多いと思います。

しかし、本来的にはルーカス一族のチェンバロも、鍵盤の色は現代のピアノと全く同じで、白鍵は白です。
今日のように白鍵と黒鍵が逆になったのは、チェンバロがフランスに入ってそこで製作されるようになった時代からです。
ですから、白黒が逆というimageには、少し時代的にずれがあります。

チェンバロは大変高価な楽器だったので、チェンバロの白鍵の材料には象牙を、黒鍵の材料には黒檀を使用しました。

木材で作られた帆船でインドまで航海をしたり、積荷をラクダに積んで砂漠を渡ったり、黒檀も当時としては大変高価だったのですが、象牙に至っては天文学的な価値で、白鍵を全部象牙で作るということはとても贅沢なことだったのです。貴族にとっては、白鍵を全部象牙で作るという事は、自分の富をひけらかすステータスでもあったのです。
お金のなかったフランスの貴族にとっては、女性の白い指を引き立たせるには、白鍵は黒い黒檀の方が良い・・と言うフラン人特有の弁解で、チェンバロの白鍵は黒い色になったのです。
こんにちでは、象牙は使用する事が禁止されているので、象牙はイミテーションの象牙です。ですから、私達としては、どちらでもよかったのですが、もし、白鍵を白鍵のままにしておくと、演奏会の度に、その理由をいちいちお客様に説明するのはめんどくさいので、ルーカスには悪いですが、あえて一般に知られている古楽器のように白鍵と黒鍵を逆にしました。
でも、あくまでも、「敢えて」の話なのですよ。

下の写真は、猫脚の椅子です。通常の大型のCembaloには、少し低すぎるので、spinetの専用になっています。千葉に車で行く途中の目白駅の近くに小洒落たインテリアショップが、あって、芦塚先生が発作を起こして、途中停車をして、色々と見つけて来た中の一品で、当時はしょっちゅう対外出演(と言うか、営業と言うか)の活動をしていたので、Cembaloの椅子が余りにも貧弱だったので、芦塚先生が、発作的に購入しました。
しかし、ほんの一、二回の演奏だけ、この猫脚の椅子は使用されただけで、その後の演奏会では、spinetではなく、ルーカスの一段を持って行く事が殆どだったので、 Lucas modelのCembaloの場合には、この猫脚は少し座高が低過ぎるので、今現在では、芦塚先生の自宅のハイツのお部屋でお倉入りをしています。
ちなみに、その芦塚先生お気に入りの、その小洒落たインテリア・ショップは、トックの昔に潰れてしまって、今はありません。
お気に入りの店が片っ端から、潰れて行くのも、芦塚先生の欝の一つの要因になっています。
とは、言ってもね〜ぇ??
潰れるのは、お店の都合だからね〜〜ぇ??
左上の写真の楽器は、教室(芦塚先生所有の)スピネット(小型のスクエアー型のチェンバロ)です。
現在スピネットは花園教室と江古田教室にそれぞれ一台ずつ置いてあります。
2台のspinetは、全く同じように見えるかもしれませんが、少し大きさと鍵盤数が違います。
この左側の写真のスピネットは、江古田教室に置いているもので見た目にはあまり分かりませんが、花園教室のスピネットより少し大きめで鍵盤数も何鍵か多いのです。
花園に置いてあるspinetは、通常、花園教室でのorchestraの練習で、子供達が使用していますので、練習用のCembaloという風に、勘違いされてしまっています。
しかし、それは、全くの誤解です。
その話は、後回しにして、もう一台の江古田教室に置いてある、少し大きめのspinetの話を先にします。

東京の教室では、子供のensembleは現在はやっていないので、このspinetは、子供達の練習用に使用される事はありませんので、先生達のbaroque音楽演奏の専用に使用されているので、pitchが、バロック・ピッチの426ぐらいに調律されています。
この426cycleというpitchは、baroqueを勉強する音楽家達に採っては、とても重要な意味を持っています。
それは、現在、baroquepitchと称される415cycleのpitchは、Aを標準のpitchである440cycleに取った時の、半音低いAsの音のpitchなのです。
つまり、鍵盤をスライドさせる事によって、440に調律したまま、半音下の鍵盤を弾くようにして、baroquepitchとしたのです。
しかし、baroquepitchが415cycleであるという事は、管楽器にとっても、弦楽器にとっても、良い事は一つもありません。弦楽器にとっても、管楽器にとっても、音がブヨブヨになってしまって、張りが無くなってしまうからです。
ヨーロッパ使用のrecorderを購入すると、現在でも、435cycleで作られています。recorderのbaroqueのpitchは、435cycleが一般的なのです。弦楽器も、435cycleから425cycleぐらいが、弦の張りの限界です。それよりも低いと、音がべちょべちょしてしまいます。(勿論、弦の種類で調整はしているのですがね。)一般的にbaroque時代には、pitchが未だ決まっていませんでした。その日の天候や、弦のconditionで、最良のpitchをその場で決めるのが普通だったのです。


今は、ルーカスモデルの大型の一段のCembaloを発表会で使用しているので、spinetは、教室では、普段の練習用楽器として虐げられているのですが、大型のCembaloを購入する以前は、このspinetを用いて、色々な会場で多くの演奏会を開きました。

また、大型のCembaloを、購入した以後も、会場の都合で(階段の踊り場が狭くて、Cembaloが回転出来ない場合とか、演奏のスペースが狭くてensembleの人達が演奏出来ない場合とかの例ですが)、そういった、大型のルーカスモデルの一段のCembaloでも、運び込めないような狭い演奏会場では、それ以後も、spinetが活躍しました。

下の写真は、江古田に事務所を置いていた頃に、年に2、3回程度のローテーションで、定期的にbaroqueの音楽の演奏をしていた珈琲屋さんです。
お店はこの写真の看板の下にあります。
内装は、木造りの素敵なお店です。
以前は、You Tubeに当日の演奏(私達はブナ・コンと呼んでいましたが・・)をupしていたのですが、録音状態があまり良くないので、You Tubeから削除しました。

このお店は、音楽以外でも、書や、絵画等の色々な展示をしていて、音楽大学の卒業生の人達も、よく演奏をしていました。
通常は、音楽家の人達は、集客を狙って、一般受けのする有名な曲をベースにして、宮崎駿のようなpopularな曲もprogramに入れて、演奏をしているのですが、やはりClassicでは、集客率は悪く、僅か、30席強の席ですら、10人集まれば良いという感じでしたかね??

私の場合には、どうせ、何の曲をやった所で、所詮Classicでは、お客さまは集まらないのだから、それならば・・・という事で、聴衆の好みを一切、無視して、選曲は殆ど知られていない・・実に、超、maniacなbaroqueのtriosonateや、violinのsoloの曲をperiod奏法(baroque楽器を使用して、当時のままの演奏のstyleで演奏するという奏法です。)で、baroqueviolinと通奏低音のbaroquecelloとspinetで演奏しました。
でも、別に破れかぶれになった分けではないですよ。
どっちみち、集客が望めないのなら、聴きたい人達だけに来て貰おうという魂胆でした。

不思議なことに、私達がポスターを作る前の、ブナのオーナーと一緒に、演奏会をやる日を決めると、
その日の内に30席の全ての席が全て予約されてしまって、東京や千葉の父兄の方達の席ではなく、私自身の居場所も無くなって困ってしまいました。
仕方がないので、一番後ろの立ち見で、videoの撮影を担当させてもらいました。写真は、実際の演奏会の時の光景ですが、昔の写真なので、何時の時の演奏かは、分かりません。

通称、ブナコンは、数年間、開催してきましたが、その都度、満員御礼で、空席が出る事はたった一度もなく、千葉のご父兄の方達から、「先生!事前に席を取っておいてください。」と、叱られてしまいました。
ただ、ブナ・コンは珈琲屋さんの中のコンサートなので、珈琲を入れている時の湿度が凄いので、結構、弦が伸びて音が狂い安く、Cembalo等も、30分程で直ぐに狂ってしまって、調律をし直さなければならなかったので、それもあって、良いvideoの動画が保存されていないのです。
という事で、以前の動画よりは、少し音が良いものをuploadしようと思ったのですが、余分な所をカットしても40分掛かるので、ホームページビルダーのwebartstudioでは、そんな長時間は無理なので、仕方ないので、You Tubeにuploadする事にしました。上の写真をクリックして頂ければ、You Tubeへlinkします。


勿論、spinetは、ブナコンだけではなく、大型のCembaloが、無理なく搬入出来るホールでの演奏会を除いてたら、色々な場所で活躍しました。

音量は、寧ろ、大型のCembaloに比べても、撥弦の関係で、遜色をとりません。驚く程、音は強いのです。

下の写真はブナ・コンサートよりも以前の演奏風景です。
銀座の画廊で、数回、演奏をした時の一枚です。
そういった資料の写真を、度重なる引越し等々で、何処にしまったのか、分からないので、取り敢えず、手元にあった写真をupしました。



spinetの活躍は、これ以外にも、多数あるのですが、資料があちこちに分散していて、探すのに手間が掛かるので、homepageに何か一つをupしようとしても、斉藤先生や牧野先生達を巻き込んでの、資料探しになってしまいます。
困ったもんです。
こちらの写真は、父兄主催の花園教室の傍での、シェーケンというフランス料理店での演奏会です。









この企画は、ご父兄の方達が、「先生達に演奏の場を・・」という、思いやりで企画されたみたいなのですが、実際には、私達が演奏した場所では、必ず、「先生、もう一度お願いします。」とrepeatが掛かるので、現実的には、演奏をするための場所的には不足していませんでした。
ただ、芦塚先生の方針として、
「演奏活動のために本業が疎かになるような活動をしてはいけない!」という、厳しいお達しがあるので、lessonに差し障らないように、セーブをしていたのと、活動の場所がどうしても、東京地区に限定されていたので、父兄の方からすると、演奏活動をしていないように・・・、或いは、その場所が無いように、見えてしまったのかもしれませんね。
千葉地区でも、もう少し活動をすべきであったとは、反省しています。
いずれにしても、baroque音楽というジャンルは、一般的なジャンルではないので、演奏会の度に、baroqueviolinの説明やCembaloの役割、そういった諸々の説明をするのですが、最初の間は、その説明は芦塚先生にしていただきましたが、芦塚先生の指導の元に、自分達でも演奏をしながら説明が出来るようにしました。

     
spinetの説明と、modernviolinとbaroqueviolinの違いを楽器を比較しながら説明しています。


























以下も同じ千葉での、クリスマス会への賛助出演の様子です。



以上、演奏活動は、lessonの合間を縫って、数限りなくやってまいりましたので、今回はspinetを使用した演奏活動に限ってお話をしてみました。
とは、言っても、これ以外にも、まだまだ写真を探し出せばspinetと共に活動した演奏会は限りなくあります。

また、同じCembaloでも、Lucasmodelを使用しての演奏活動は、またの機会に譲りたいと思います。















チェンバロと調律




                                  topへ












上の写真の鍵盤の上の模様は、ルーカス家に代々伝わるタツノオトシゴの模様です。これがルーカス・モデルである事の証明でもあります。通常はCembaloは、鍵盤の白鍵と黒鍵の色がPianoとは、逆である・・と言われていますが、ルーカスのCembaloは当時も非常に高価な楽器だったので、鍵盤の色も、象牙をふんだんにに使用して、現代の白鍵と同じように白鍵は白だったのですが、演奏会の度に、それをいちいち説明するのがめんどくさいので、今日のCembaloの常識に合わせて白黒逆にしてあります。
下のCembaloは、ルーカス・モデル一段鍵盤のチェンバロです。Fiori musicaliの演奏活動のときに通奏低音を受け持ちます。二列は8、4ではなく8,8です。
練馬区小竹町の芦塚先生のお部屋のグジョン・モデルの2段鍵盤のCembaloです。
芦塚先生所有のグジョン・モデルの二段鍵盤のコンサート・チェンバロです。来日した有名な演奏家達(特にイ・ムジチ)と供に日本中を旅し数多くのTV出演等も果たし、二代目に席を譲って今は芦塚先生の自宅で余生を過ごしています。Cembaloのlessonの時(proを対象としたlessonのみの限定ですが)だけに、使用されています。
所有楽器紹介
チェンバロ