芦塚先生のFacebook(そのⅤ)抜粋


FacebookⅠへ 2014年9月4日より、2015年12月31日まで

FacebookⅡへ 2016年1月1日より、2016年12月31日まで

FacebookⅢへ 2017年1月1日より、2017年12月31日まで

FacebookⅣへ 2018年1月1日より、2018年12月31日まで

FacebookⅥへ 2020年1月1日より、2020年12月31日まで

FacebookⅦへ 2021年1月1日から、2021年12月31日まで

FacebookⅧへ 2022年1月1日より、2022年12月31日まで

FacebookⅨへ  2023年1月1日より、2023年12月31日まで


FacebookⅩへ  2024年1月1日より、2024年12月31日まで






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1月  2月  3月   4月   5月   6月  


7月  8月  9月   10月   11月   12月

Händel-Ashizuka sarabande(passacaglia) orchestra-version



上の写真をclickすると、外部siteのYou Tubeへlinkします。


1月      

1月1日皆々様、新年おめでとうございます

1月1日今日は寒い!

「2019年1月1日pm1時11分」

1月2日amとpmの

1月2日飛び散ったヨーグルトで

1月4日排尿痛が・・

1月4日不立文字

1月4日爆発したヨーグルト

1月5日出来たチーズ

1月5日もう一つのチーズ

1月6日超寒い!

1月6日初めてのwebでのオケ練習

1月7日摂眠障害が

1月8日超現実的な夢

1月9日Händelのpassacagliaのrenewal-version

1月9日右足の爪が

1月10日今日はもう1月も

1月12日今日は今年、初めて椎名町迄

1月12日日本の演奏家の3拍子の

1月12日宮崎駿さんの

1月19日homepageが壊れて

1月22日やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった

1月23日本当の本物とそうでない物を区別する事

1月25日今日こそは、ドルプリっ歩に

1月28日無理をしてオケ室内楽の練習に

1月28日ペースメーカーのお話村田さんからのlink

1月29日思いっきり、突き指をした

1月29日携帯用の心電図計です。

1月29日ますます鬱が酷くなって来た

1月30日理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ

1月30日Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった


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2月

今日は一日意識朦朧と・・
2月1日

今日は夜から、不定愁訴と言うか
2月3日

昨日はお蕎麦を食べて
2月3日

今日のオケ練習は、インフルや受験やら
2月3日

昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
2月9日

「AI時代を生き抜く教育とは・・」
2月9日

「昨日は、音人の会でした
2月11日

またまた、書き上げる直前の文章が
2月11日

「TafelMusicについて」
2月12日

世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で
2月13日

突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
2月13日

「ame-logのお話」
2月13日

ガスストーブを焚きっ放しにしているのに
2月15日

baroque-dance
2月16日

流石に今日は、鬱と意識混濁が
2月16日

テレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikです。
2月16日

体重は、精神的な物らしい
2月19日

VivaldiのCello-concerto G Durの音
2月20日

春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど
2月20日

足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日

努力はしても、工夫はしない。
2月22日

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日

ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日

「放下著」
2月24日

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日

禅の基本的な概念は、
2月24日

Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日

「Veracini Ciacona 続き」
2月26日

「今日のドジ」
2月28日

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日


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3月


3月1日今日は千葉で月1のone lessonと

3月2日

3月4日今日はお雛様です。

3月4日今日は欝が久し振に

3月5日period-baroque

3月6日prideとcomplex

3月7日寺田寅彦調で書いてみました。

3月8日ロマネ・コンティの思い出

3月9日花粉症になった??

3月11日Capuzziの練習で

3月13日昨日,今日と連ちゃんで病院に

3月13日ひかりヶ丘の病院で

3月14日Facebookがおかしくなったと

3月16日 「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」

3月16日 「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」補遺「見切りについて」

3月17日

3月18日

3月19日

3月20日 「指揮と弾き振りについて」

3月22日

3月23日 糖質diet電気釜·

3月23日 ·

3月24日「美味しいものは脂肪と糖で出来ている」

3月25日「最後のオケ練習」

3月31日



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4月

4月1日「今日は19年の4月1日です。」 ·

4月6日 ·

4月13日 ·

4月14日 · 今日は椎名町のお泊りが3人になりました。

4月14日 ·

4月15日またまたFacebookが開かなくなって ·

4月15日 Marin Maraisの秀逸な演奏

4月16日 ·

4月16日相変わらずFacebookと格闘している

4月17日「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」

4月17日Providerのお引越し

4月19日Jcomの解約 ·

4月19日「絶対音感のお話」続き ·

4月19日鬱と血尿が ·

4月20日食わなきゃ痩せる

4月20日発表会直前の代講lesson

4月22日発表会直前での最後の練習 ·

4月22日発表会直前の練習passacaglia ·

4月23日またまたFacebookが

4月23日VivaldiのOp.ⅣNr.2

4月23日 Vivaldi Cello concerto·

4月24日「音叉とtuningのお話・2」 ·

4月26日「平成最後のone lessonの後で・・」 ·

4月27日「period(ペリオード)について」 ·

4月28日「有名な人=凄い人ではない」 ·

4月28日「進行表について」 ·




4月30日 「発表会から一夜明けて・・」

4月30日 videocameraのangleが・・・·



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5月


5月1日「編集作業の悲喜交交」

5月2日パソコンでのvideoの編集が ·

5月6日発表会から1週間後になりますが ·

5月6日 今日は発表会から・・・の文章の続きです。·

5月7日 「昨日(5月6日(月))の話の続きです。」·

5月7日 5月6日から、一夜開けて、 ·

5月9日You Tubeが開かなくなった

5月10日今日の月齢は??

5月10日SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、 ·

5月11日明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉

5月12日今日は5月の12日日曜日上弦の月である。

5月12日SoftBankとのtroubleの続き

5月13日顔合わせの初見大会から、一夜明けて、13日の月曜日です。 ·

5月14日13日の月曜日の続き・・と言うか ·

5月16日今日は五月の15日でした。 ·

5月18日順調に今日は17日の金曜日でした。 ·

5月18日車が傷を付けられていた

5月19日近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、

5月19日音楽教室を開設するにあたって、 ·

5月20日今日は満月でした。 ·

5月20日昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は ·

5月21日昨日(5月20日の月曜日)の続きです。

5月23日今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、 ·

5月24日昨日はcinderella-timeの30分前には、 ·

5月24日今日(5月24日の金曜日)も朝から

5月24日今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日に ·

5月25日今日は土曜日です。 ·

5月26日「似て非なるもの」 ·

5月26日仏教の寓話 ·

5月26日今日は五月26日の日曜日です。 ·

5月27日 今日は5月27日の月曜日です。·

5月27日病院への愚痴

5月28日windows10のcleanup ·

5月28日今日は28日の火曜日の夕方の

5月29日一昨日の夜に続いて、 ·

5月29日「似て非なるもの:追記」 ·



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6月

6月1日violaの弓の交換に出掛けた

6月1日SoftBankとのtroubleが未だ延々と ·

6月2日 今日は6月2日の日曜日です。·

6月4日 ·

6月4日摂眠障害が治らない

6月5日6月5日の朝のお話です。

6月6日6月6日の6時を過ぎた所です。 ·

6月6日深夜におばあちゃんの声が

6月8日ブラインドが壊れて

6月8日写真のuploadが

6月8日水のお話

6月9日 暖房が入った

6月9日霧雨の中をポンチョも着ないで

6月10日音楽は感性であり、才能である???

6月10日VivaldiのConcertoの和声のtrick

6月10日interpretationのお話

6月11日レインスーツ ·

6月12日パソコンの調子が

6月13日「高齢ドライバーの急加速・急発進による事故」

6月13日東京には空しかない

6月13日糖質dietご飯

6月15日電波時計 ·

6月15日梅茶漬け ·

6月15日金華学園の台風

6月16日碎啄について ·

6月16日「日本人の持つ独特の価値観」 ·

6月16日「闇雲練習について」 ·

6月17日ストロベリームーン

6月19日「深謀遠慮=Vivaldi-methode」 ·

6月19日川崎の病院

6月20日Facebookはよく文章がぶっ飛んでしまう

6月22日フラワー公園のみかんの子供 ·

6月23日眠い

6月24日「不毛の教育」 ·

6月25日netが繋がらない

6月27日今日は千葉に行く日です。。 ·

6月28日「勉強しない勉強法」 ·

6月30日睡眠時無呼吸症候群

6月30日「人生へのブレ」 ·


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7月

7月1日大根の葉

7月1日なんと、ふと気が付いたら、 ·

7月2日教育の理念について

7月3日ひかりヶ丘の糖尿病外来

7月3日『もう一つの闇雲練習』 ·

7月4日体調不良 ·

7月6日7月6日の深夜です。3時過ぎです。

7月6日『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと

7月7日今日はひょっとしたら、七夕さんでは

7月8日教育の違い

7月8日教育について

7月8日月曜日のroutine ·

7月9日DvorakのPiano-quintetto ·

7月10日引き籠りday ·

7月13日「人生の究極の目標」 ·

7月15日今日は7月15日の月曜日です。

7月21日「摂眠障害」

7月21日「巷の音楽教室の先生という立場の私への評価」

7月22日夏休みの前の最後のオケ練習です。 ·

7月23日前のFBの続きになります。

7月25日finaleの入力

7月25Il favoritoの即興演奏譜

7月26日今日は首都高が閉鎖されていて

7月28日夏のおさらい会の日です。

7月29日「人生の選択」 ·

7月29日鬱が再発した

7月30日写真を貰ったのだけど全部同じ写真

7月30日合宿明けの火曜日なのです。

7月31日なんと今日は34°もある

7月31日焼肉屋のお話


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8月

8月4日ユーカリが丘教室の草刈

8月5日『Wohl um die Elfe! 』の続きです。

8月10日虫と体内時計

8月14日先生達の帰省と台風と

8月17日クーラーが効かない

8月19日夏休み開けの練習

8月24日電子レンジ依存性

8月27日欝と動画

8月29日秋だけが入っていない

8月29日baroque-styleのcsárdás

8月30日ハイツの朝焼け

8月31日Händelのsarabandeのお話



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9月

9月2日近況報告

9月3日PichlのKontrabass・Concertoなのですが、

9月4日楽器とは、巡り合わせです。

9月4日『学ぶ』と言う事

9月6日未だ朝の6時というのに ·

9月6日『gift』

9月7日4時55分(土曜日)の朝焼け ·

9月9日「ゆとりの薦め」

9月9日『油断も・・隙きも・・ストリーズも・・・』

9月10日台風一過の次の日です。 ·

9月10日「Aus meinem Tagebuch」 ·

9月11日baroque-guitar

9月12日updateのお話

9月12日「Aus meinem Tagebuch」

9月13日の金曜日、仏滅でJason の日です。 ·

9月14日中秋の名月 ·

9月14日 videoを焼くのに

9月17日giraffe piano

9月18日 辞世の歌·

9月18日川崎の駅ビル

9月19日倍音のお話

9月19日「Giftedの危うさについて」

9月21日憂き世

9月24日「夢とまどろみの中で・・」 ·

9月25日privacy確認の携帯

9月25日多胎児家庭

9月25日今日のドルプリっ歩は

9月26日欝が酷いと電話に出るのが

9月27日論文を書くsoftが

9月28日椎名町のゴーヤ

9月28日写真の修正

9月28日享受と与える側の考え方

9月29日pitchのお話

9月30日今日は9月最後の日

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10月

10月1日久しぶりに摂眠障害です

10月2日トトロのマグカップが

10月2日このトトロは既に使用中のマグだぞ??

10月2日私と作曲

10月3日またまた、windows10の悪口なのだけど、

10月5日写真を取り込んで

10月5日なんと素晴らしい雲一つ無い秋の空・・

10月6日「Václav Pichlのscoreの改定について」 ·

10月6日Václav Pichlのお話の続きです。

10月6日南部鉄器のパン焼き器

10月8日寒いのか?暑いのか??

10月8日「lineのmailがぶっ飛んだ❢❢」

10月8日「10億円のStradivariのViolinと100万円のViolin」 ·

10月9日「10月9日の2時半の夢」

10月9日 江古田のau-Shopが撤退して、その跡が

10月10日 腹の膨満感で吐き気がして·

10月11日なんと❢しっかりと、1㌔も肥っていたのですよ??

10月12日羽毛布団のお話

10月12日台風と酒盛り

·10月12日台風の思い出

10月12日練馬区にも大雨特別警報が初めて発令された

10月12日高速道路も、全面閉鎖

10月14日 台風当日の発表会

10月14日 『video撮影に関してのお話です』

10月14日『子供が練習を全くしない』

10月14日発表会のvideoの編集

10月15日真っ赤ッカのhard-diskのお引越し

10月15日酸っぱくって食べれない青いみかん

10月16日hard-diskのお引越しが終わった

10月16日bugの修正作業

10月19日「出来る」と「分かる」

10月19日テレビでは、『また直ぐに25℃を越す暑い天気になる』と言っているので

10月20日明日は千葉での「発表会の反省会」・・という

10月20日忘れ去られた日本の

10月21日合同での「打ち上げ」

10月21日人にやらせるよりも、自分でやった方が確実で早い

10月21日いつもの月曜日

10月22日なんと、今日は『国民の休日』で、lessonはお休みだってよ⁉

10月23日の水曜日、光が丘の病院の日です。

10月24日今日は気が付いたら誕生日だったのだよな?? ·

10月25日蕎麦day・Christmas会の曲決め・WeberのviolaConcerto

10月26日素晴らしいお天気のように思えます。。

10月28日下準備が

10月28日『学業との板挟み』と『芦塚methode』

10月29日 tunerのお話・楽譜のdataのお話・Albinoniのお話・等々

10月30日大量の仕事と体調不良で・・・

10月31日finaleに入力しようと思ったら、パソコンが ·

10月31日芦塚先生のfinale教室



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11月

11月2日finaleの入力について

11月2日の土曜日です。(の続きです。)

11月4日右の奥歯が砕けてしまいました。

11月5日黒曜石で作られたナイフです。

11月5日体重と血圧の測定

11月6日砕けた歯は義歯ですよ

11月7日『お久し振りで楽器屋さんまで、お出かけをしたお話』

11月8日今日で腹部大動脈瘤の手術からちょうど1年になる

11月8日proを育てたのは

11月10日「時短」の意味が分かっていない。

11月11日bikeが突然エンストした

11月11日『学びについて』

11月12日実際には1日遅れで書いています

11月13日今日の火曜日は満月でした

11月14日やっぱ、鬱の曲は良いよな~ぁ??

11月14日『病院疲れ』というか、『diet疲れ』と言うか??

11月14日天高く·

11月15日Christmas会の曲決め

11月17日食物がなくて

11月18日 TorelliのWeihnachts-ConcertoとMünchen時代の思い出

11月18日紅玉が2,3個腐り始めていたので、

11月19日麻酔で焼いた歯茎が腫れ上がって痛いので

11月19日『学問の勉強の仕方』

11月19日音楽への思い出

11月20日 糖尿病で歯からの出血が止まらない

11月21日鼻詰まりと歯が痛いので

11月22日の金曜日です。

11月22日ハイツからのからのview

11月22日Facebookの不具合 ·

11月24日ドイツビールとソーセージのお店に行った

11月25日TorelliのWeihnachts-Concerto

11月25日『本当の意味での教育とは』

11月26日『行きは良い良い、帰りは怖い』

11月27日Giuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoについて ·

11月27日暑いのか、寒いのか

11月27日games依存について、始めて政府の調査が入って

11月28日『腰痛が起きた❢❢』 ·

11月28日『キャラバン生活』

11月29日『出来る・・という意味』

11月29日摂眠障害で朝昼逆転の生活をしているので、



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12月

12月2日今はcinderella-timeの0時半

12月3日Christmas会に向けての最後の練習の後で ·

12月3日『子供の教育に於けるstandardとglobalstandard』

12月4日惰眠day

12月6日Facebookの自己紹介の文字数制限

12月6日『淘汰の原理』は適応という事が基本で

12月6日腰痛と坐骨神経痛

12月8日腰痛が起きてから、今日で丁度10日目になります。

12月10日の火曜日のcinderella-time(0時を過ぎた所)になった所です。

12月11日『可もなく、不可もなく』

12月12日『練習風景を公開する事へのpolicy』

12月13日『ゴミ屋敷』

12月14日『ネズミのお話』 ·

12月15日『manual世代』

12月15日今日はChristmas会の前の最後のオケ練習の日です。

12月16日『学ぶという事への意識について』

12月17日芦塚methodeを実践証明するための公開lessonや、

12月18日今日も、寝はぐれてしまって、

12月19日『basso continuoのTetrachordについて』ー『2段階終止について』ー『保続音(orgelpunkt)について』

12月19日独居老人の生存証明

12月19日『double-bookingのお話』

12月21日Christmas会の前日です。

12月21日なんと、教室関係の写真のfolderがブッ飛んで無くなっていた

12月23日またまた、卵かけご飯~❗、で、

12月23日Christmas会の次の日です

12月24日『不運の始まり』

12月25日Christmas会の動画が手に入らないので

12月25日12月25日の早朝の続きです。

12月25日Christmas会の大トリは ·

12月25日音飛びが ·

12月25日Christmas会の写真が·

12月26日千葉は合宿の2日目ですよね??

12月28日いよいよJcomとのtroubleが・・・

12月29日仕事のできない人の仕事は『先ずは仕事が汚い。』 ·

12月30日『お正月は無くなった❢という話』

12月31日世間一般では大晦日です。




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1月

ベッドで寝たままに、Facebookを読んでいたら、いつの間にか、年を越してしまいました。

皆々様、新年おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。

普段のジルベスターならば、椎名町の事務所で先生達とテレビのカウントダウン・コンサートでも見ながら、年越し蕎麦を食べながら、迎えているはずなのですが、腰痛が酷くて、先生達やプリドルとは別に、江古田の自宅の寝室のベッドでぼっちで、安静にしています。
ベッド・サイドででも見れるように、ワンセグやフルセグの映るテレビを折角買った所までは良かったのですが、動けないので、そのテレビの設定(配線)をする事が出来ないので、結局、テレビは見れないままなのですよ
これじゃあ、なんのためにテレビを買ったのか分からんわな

居間兼食堂兼パソコンルームのパソコンの椅子で・・ならば、テレビは見れるのですが、長時間、椅子に座っているだけで、疲れてしまいますので、今の状態では無理です。
・・・という事で、一日中、横になって寝ているベッドの中では、これ以上は眠る事自体、無理難題なので、退屈凌ぎに、ベッドに寝ていても唯一いじることの出来る携帯で、Facebookを読んだり、書いたりする事が、mainになってしまいます。
(寝室にnet環境がないという事は、ある意味致命的だよなぁパソコンがないという事は、ベッドでは仕事をする事は、無理だという事が、確定しているしね)

という事で、本年は、正月も新年もない、うれしくも楽しくもない、寝正月です。(とは言っても、毎年、大晦日から、正月休みの間は、高熱を出して寝込んでいたよな冬休みは毎年、病気で唸っている時期なのだよな今年に限っては、冬休みの期間が、11月からになっただけなのだよな)
まあ、そう、考えると、毎年の恒例の事なのだとも思えるのかもね

体調が整って、せめて部屋の中だけでも歩けるようにならないと、正月所ではないのでね




明けましておめでとうございます。
ジルベスター、15秒ほど早く終わり最後の音をのばすといういつものドキドキがなかったです。
今日、届きました
ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


それは見てみたかったな今日届いたのはDVDの話しですか

DVDと楽譜です。

ロカテリは、エチュードなみに難しいので、まだ、もう少し技術が上達するまで、保留で良いと思います。ヴィヴァルディは、技術的には、簡単かも知れませんが、音楽的には、とても高い水準の曲です。
これまで、紗來ちゃんと瑞希ちゃんが演奏していますが、今回、美音ちゃんのチャレンジは、三人目のチャレンジになります譜づらを見てください簡単だと思わないように、課題をしっかりと把握してください
DVDは子供には、文章も言葉も難しいので、説明をしなければなりません。紗來ちゃん達の課題も、出来ても出来なくても、それだけの課題があるのだ、という事が分かれば良いという考え方です。


先生!
明けましておめでとうございます!
先生!
ご健康年の幕開け❣️
最高のお正月をお過ごしです!


先生 ありがとうございます本年もよろしくお願いいたします。いっそうのご活躍を楽しみに致しております。


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今日は寒い!
1月1日 5:09

何故だかは、分からないが今日は寝ていても兎に角、超寒い
以前は、先生に羽毛の布団を押入れから出して貰って、それで寝ていたのだが、暑すぎて寝れなかったので、何時ものイトーヨーカ堂で緊急に買って来た毛布に戻したのだけど、それでも暑いので、部屋の温度設定を1℃低くして、何とか布団の温度が安定しているのだが、今日はどういう分けかは分からないのだが、兎に角寒い

ベランダ側のカーテンを見ると、2か所少しカーテンがずれて開いているのだが、ベランダ側の窓ガラスが室内から見えていると、超、寒いのだよ❢❢
それを直しに行くのは、体力的に無理なので、今回はエアコンの温度の設定を変更するだけで、辛坊する事にした...
練馬区の気温を見てみると、やはり0℃と、東京にしては低い。
まあ、それもあって寒いのだろうが、だからといって、またまた羽毛の布団を出すだけの気力はない

そこまでするのならば、毛布にしがみついて、震えていた方がましだ
体力気力がそこまでない・・という話だよ❢❢


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1月1日 13:08

「2019年1月1日pm1時11分」
ベッドの中でのFacebookの見たり書いたり・・は程々にして、兎にも角にも、寝ようと試みたのだけど、どうしても眠れなくて3時ぐらいになってしまった。それから、何とか熟睡出来て、朝、目が覚めたのだが、時計を見てみると何と未だ朝の6時半である。これは大変だ❢❢と思って取り敢えずトイレに行ってそのまま寝直したのだが、今度も熟睡出来たと思ったら、未だ9時頃だ。
一体、どうなっているのだ??と不思議に思いながら、また入眠に挑戦する❢❢ 絶対に今度は夕方の6時ぐらいだ❢❢と思いながら時計を確認すると、またまた、11時ちょい過ぎぐらいである。
その寝ている間、妙に現実的な夢を見て、どちらの世界が現実の世界であるのか・・分からなくなってしまう。部屋にある物を見て、現実界との確認をする始末である。夢の世界では、私が持っているはずのないものが身の回りにあるので、直ぐに判断出来るのだが、夢の中でも現実の部屋の小物になってしまったら、私が戻って来る場所が分からなくなってしまう。それは困った事だな??
夢の中の世界を現世と思った時がこの世に帰れなくなる時か⁉⁉


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amとpmの
1月2日 6:33

何とか爆睡出来て起きた所なのだが、6時という事で、はたと困った❢❢
Facebookでは、これまでも同じ話題で、よく書いている事なのだが、6時という時間は、朝なのか、夜なのかが、目覚めたばかりでは、時計を見ても分からないのだよな❢❢

つまり、2日の朝なのか? 2日の夜なのか? はたまた、3日の朝なのか、3日の夜なのかが、全く分からないのだよ❢❢
私の回りにある時計の数々を見ても、24時間表記の時計はないし、テレビをつけても、6時だという事はあっても、午前か午後かの、その話だけは出ないのだよな??つまり、それまで起きている人にとっては自明の事であるからだよ

6時という時間が、朝か夜かが分からないという人は、その時間に起きた人にかぎられるからだ
しかも、長時間寝れる可能性のある人に限られる
世の中は、そういった極めて稀な人には、対応する事はない
困った事だ❢❢

・・とは言っても、迷っているのはホンの2,30分に過ぎない。
6時半ともなると、空が明るくなってきて、朝焼けが始まる。
(もっとも、雨の日には、明るくならない事があって、それこそ9時10時になっても、朝か夜かが分からない事もあって、そうなると、体感的に時間が狂ってしまって、悲惨な事になるのだが・・)

今日は、絶好の正月日和らしく、6時半には空が朝焼けの空になって来た。「写真を・・・」と思ったのだが、いつもいつも、同じ窓からの同じ朝焼けの風景の写真では、あまりにも芸がなさすぎるので、写真を撮るのはやめにした。



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作っておいたヨーグルト3本の内の1本が爆発して、飛び散ったヨーグルトで周りが大変な事になっていた。
仕方がないので、そのままチーズでも作るか??
それにしても、濾し布がないぞ?これは困った

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排尿痛が・・
1月4日 0:11

たった今、12時を過ぎて4日になった所です。
病院の指示する術後3週間目の安静期をやっと過ぎた所なのですが、私の場合には、バイアスピリン等の血液サラサラの薬を飲んでいるので、血尿や腰痛が未だ収まりそうにありません。

勿論、それは担当の先生から予め言われていた事なので、然程は気にしてはいないのですが、今日(というか、昨日の3日の事なのですが・・・)はどういう分けか朝から頻尿になって、30分起き20分起きぐらいにトイレに行かなければならなかったのですが、足腰が痛くて、トイレまで歩く事が困難なので困ってしまいました。

勿論、それまでも、トイレに行く度に激痛を感じていたのですが、一時間以上は開いていたので、何とか堪えられていたのですが、同じ痛みでも、20分起きともなると、我慢の限界になってしまいます。

排尿痛も相変わらずです。...
でも、「術後直ぐの痛みを10にすると」・・という質問を良く受けるのですが、確かに、血尿、腰痛も術後直後からすると幾分は改善はしているようなので、気長に体調の回復を待つしかありません。
歳を取ると、治るのに時間が掛かるのは、自明の理ですからね。
時の過ぎ行くのは早いもので、休み中にやらなければやらなかった事が、全く出来ないままに、教室の休みがあけてしまいます。
死活問題なのに、何も出来ないでは、困った事です。




ベッドに入って、アンカにしがみついていても寒くて叶いません。勿論、エアコンはつけっぱなしなのに、寒いのですよ
何故だろうと思って、スマホを開いて気温を見て驚いたねなんと、練馬は-2℃だって
気力と体力があれば、毛布と羽毛布団を交換したのだけど、ベッドから起き出す気力がないのでね


4日になったのに、尿道の瘡蓋が剥がれて、真っ赤な血尿と一緒に大きな皮膚片の塊が出た。これは1,2週間目に何度となくでなければならないものなので、3週間目が終わった今頃出るのは、とても治りが遅いという意味でもある。まあ、ある意味、気長に解釈すると、「治って来ている」という意味でもあるのだがね??



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不立文字
1月4日 9:59

不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
言葉にした途端に意味が変わってしまう・・というか、言葉で表す事の出来ない・・という意味でもある。
人間が自分の経験の中で知っている知識に、教わる事を無理矢理当てはめようとすると、教わる事は経験の外にある分けなのだから、当然、意味が変わってしまう。
そういった学び方をする生徒は、100回同じ事を指導して、何とかそれなりに格好をつけても、暫くすると、また元の木阿弥の自分の思い込んでいるstyleに戻ってしまう。
世界的に数人の優れた指導者がいると言われているのだが、そういった先生に師事している生徒の数は何千人という膨大な数である。
その中のたった一人、二人が優れた演奏家として育つ分けなのだけど、逆の言い方をすると、そのたった二人の生徒はどの指導者に師事したとしても、優れた演奏家になるのだよ。つまり、優れた指導者ではなく、優れた学び上手の生徒がいるのだよ。...
逆の言い方をすると、どの様な優れた指導者に師事しようと、学び方が出来ていない生徒が、優れた演奏家になる事はないのだよ。

どの様なclassであったとしても、その中でも1を聴いて10を知る事の出来る生徒は、どのようなclassでも、どの様な境遇にあったとしても、必ず頭角を表す事が出来る。
つまり、そのような生徒は、優れた指導者に師事出来なかったとしても、目標に到達するという事には、関係はないのだ。
道に至るは易く、道より出るは難しい。
しかも、家元制度の中では、道より出る事は、認められないのだよ
破門になってしまうのだよ。
ひたすら、その枠組みの中で、井の中の蛙になる事が良しとされるのだ。


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濾し布を持って来て貰って、さっそくチーズを作ります。



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出来たチーズ
1月5日 3:12

1回目のチーズが出来上がりました。
お気に入りのヨーグルトを種にして、空のヨーグルトのボトルに5分の1程入れて、成分無調整の牛乳に結構大量のオリゴ糖をボトルの9割り程、入れて、常温で、二日間ほど保存します。
完全にいっぱいに入れると、発酵したら溢れてしまいます。
蓋を締めても、開ける時に爆発します。
そこだけ気を付けると良いと思います。

そうすると、2、3日後には、美味しいヨーグルトが完成します。
大量のオリゴ糖は、乳酸菌のエサになるので、甘くはなる事はありません。
普通のさっぱりしたヨーグルトになります。

しかし、私の場合には、同時に3本も作るので、本当は残りの2本は冷蔵庫に保存して、出来上がりのタイミングをずらさなければならないのですが、冷蔵庫には朝昼晩と次の日の食料も入っているので、予備のヨーグルトを入れるスペースはありません。
作るタイミングをずらせば良いのですが、それも面倒くさいので、同じタイミングでヨーグルトが大量に出来てしまいます。
今、ヨーグルトを大量に作っているのは、リハビリに必要なある重要な目的があるからの必然的な理由で、趣味で作っているの...ではありません。
極度の便秘で、どうしても、toiletでいきんでしまうからです。
病院からも、便秘の薬を貰ったり、色々な市販の薬を試したりしたのですが、どうしても、上手く行きません。
という事で、苦肉の策でのヨーグルト作りです。

リハビリがある程度終わって体調が回復したら、ヨーグルト作りは終わりにします。
普段に食べるヨーグルトの量ならば、スーパーで買って来るボトルで充分だからです。
今は腸内の環境を整えるために、大量のヨーグルトを薬と一緒に、食べています。
2回目のチーズは、美味しいヨーグルトの状態から作る事にします。
1回目のチーズもそれなりに美味しいのですが、発酵し過ぎて、少し酸味が強めなので、2個目のチーズは、甘めのカマンベールのような味を目指します。


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もう一つのチーズ
1月5日 3:18

2つ目のヨーグルトから作ったチーズのもとです。
このヨーグルトはまだ酢が立っていないので、普通に食べても美味しいヨーグルトです。だから、チーズとして熟成させると、少しもの足りなくなるかも知れません。ここの帯襷(塩梅)は超難しいです。
ちなみに、横に写っているバナナは全く何の関係もありません。片付けるのが面倒くさかっただけです。



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超寒い!
1月6日 6:50

今日は6日の日曜日です。
昨夜から、真面目に布団に潜り込んではいるのですが、足の指先から膝まが冷て寒くて全く眠れません。
勿論、アンカに足を絡めて、しがみついているのに関わらず・・・です。

それに、エアコンもフル稼働しているのにも関わらず・・寒いのですよ?

またまた、練馬の気温が0℃になってしまったのかなと思って調べて見ると、2℃はあるようです。
勿論、外の温度で、室温ではないのですが、エアコンをフル稼働させているので、室温としては、寒い分けはないのですがね(部屋の温度が何度と言わないのは、部屋のあちこちに温度計を置いているのですが、その全ての温度計が、バラバラな数字を示して、どれひとつとして信用おけないのですよ。

試しに同じ場所に温度計を3つ、4つ置いて、試して見たのですが、結果は、アナログ式のメトロノームのように、酷いものでした。

今の所は、車の室内と車外の温度計が一番正確なのだけど、あれは、netのデータだよな)...
困ってしまいます。

それはそうと、今日の日曜日は、オケ練習の初練習です。
腰が痛くて、まだトイレまでも歩けないのですが、無理をしてでも、千葉まで練習に行くつもりでしたが、牧野先生から、「weblessonでも良いのでは?」というadviceを貰って、それに甘える事にしました。

まだ、一度も、椎名町の事務所までも、行けていないので、いきなり千葉までという事は、冒険になってしまうからです。
今年、初のオケ練習での、初のweblessonになるので、どうなるのか?まあ、乞うご期待! ですよね?

でも、ビデオlesson自体は、βの時代からやって来た分けなので、パソコン上でのlessonは、慣れているので、問題はありません。
問題となるのはwebの電波の状態だけですかね



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今日(6日)は初めてのweblessonでした。
weblesson自体は問題はないのだけど、音声がブチブチ切れて意味不明になってしまうのは、困ってしまいました。
パソコンの音声出力からスピーカーまでの配線の問題か、net環境の問題なのだろうけれど、事前のcheckをする事が出来ないので、時間ばかりロスをして困ってしまいました。
lesson内容自体は、曲を渡してから演奏上の解説の確認に留まりました。
weblessonでは、出来る事に限りがあるからです。...
結局、クリスマス会までは、発表会の曲は、ザッとしか見ていなかったので、それまでに、私が注意をして来た事を、ちゃんと理解出来たか否か、とかの確認のはずだったのですが、3回オケに新しく入って来たgroupは、私の注意を書き留める事もしていなかったし、注意や、練習のpointの説明を記憶すらしていなかったのは、初めてでは致し方がないのかも知れませんが、そういった「学ぶ」という基本的な事を、学校では教えないのかね
学び方のハウツーを教えれば、指導するのは、極めて楽になるのだけどねえ

私の教育の基本方針では、「学んだ事を、ちゃんと記憶して、応用する事が出来れば、メモは取る必要はない」と教えます。
でも、覚える事が出来ない人は、メモをちゃんと取らなければならないのですが、そのメモの取り方は、「メモが必要な時に、そのメモが出て来ない」という書き方なのですよ。
つまり、メモをちゃんと書いても、そのメモが役に立たないから、メモを取らなくなるのです。
この事は、「ニワトリと卵」かも知れませんがね
一般的な子供達の勉強法はそういった無駄な勉強(努力)の積み重ねなのですよ
全ての勉強は、必要な時に、その知識が活かせるものでなければなりません。その方法論は、優れた子供の場合には、自然に身に付く場合もあります。でもその方法論を学んで、身に付けると、全ての分野に応用が効いて、その子供の人生が極めて楽になるのです。
しかし、私がそういった方法論を、惜し気もなく子供達に指導しているにも関わらず、中々、子供達の身に付かないのは、その方法論が一般的な勉強法と真逆の勉強法で、儒教社会である日本では、儒教の勉強法が一般の通念(常識)として、通用しているからなのです。




それにしても、12月の24日のChristmas会以来、一度もハイツの部屋から外に出ていません。
というか、12月の18日の川崎の病院からの退院以来、24日の外出が唯一の外出で、ハイツの部屋から一歩も外に出ていないのです。
そろそろ我慢の限界です。歩く練習をしないと、筋肉も段々落ちて、rehabilitationが大変になります。
しかし、リハビリはやり過ぎの判断が難しい。

去年の暮から部屋に閉じ込もったままという事だったのですが、そう言えば年賀状もたまにはハイツ宛に来るので、郵便受けのcheckをしなければならないのですが、部屋から一歩も出ていないので、食事を運んで来る時に郵便受けのcheckをしてくれるように頼んだのですが、忙しいので、中々、その場で思いついてくれないようです。年賀状をハイツ宛に送った人達は、ごめんなさい!!



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摂眠障害が
1月7日 5:57

今日はもう既に月曜日の朝になった所ですが、土曜日の夜から、久しぶりに、摂眠障害が起こって上手に睡眠を取る事が出来ません。この二日間、全く眠れないのですよ
それに、江古田周辺では、な、な、な、なんと今日の朝の気温は-2℃だそうです
それは大変 今日こそは、頑張って羽毛の布団を掛けようか?・・とも悩んでいたのですが、やっぱり、体調不良を優先して、アンカにしがみついて辛抱する事にしました。
エアコンも入っているので、私が体験した一番の寒さである、ミュンヒェンでの時のような、-27℃の肌がそのまま凍ってしまうような寒さ、・・・ではないからです。
ミュンヒェン時代は、駅の寒暖計が-7℃だと、「今日は暖かいな~あ!」という感じで、寒さには、すっかりと体も慣れてしまっていたから、-27℃と言っても、今思う程の寒さではありませんでした。...
しかし、歳を取ってしまってからは、すっかり、暑さ、寒さに弱くなってしまいました
たかが、氷点下2℃で、ウダウダと騒いでいます。
・・・などと、言いながら、それにしても、あまりにも寒いので、室温を見ると20℃は越しています。それにしては、なぜだか超寒い

ふと、湿度計を見て驚いてしまいました。
なんと、湿度が30%を切っていますこれでは寒いはずだ
という事で、慌てて、物置きから極超音波加湿器を出して来ました。
水分の粒子が細かいので、吹き出し口にガラスを当てても、水分が付かない加湿器です。
部屋が湿気っぽくならない優れものなのですが、同じtypeの大型の加湿器は出せなかったので、小さな方の加湿器を出しました。
だから、部屋の温度が上がるには、だいぶ時間が掛かるとは思いますが、これで、布団の中でも、少しは暖かくなるはずです。

やっと少しうとうととする事が出来たのですが、なんと、私が幽霊になった夢を見てしまった。それにしても、若い無分別な少年になって、無意味な行動を繰り返しているのですよ。唯、何処かへ、行こうと焦って歩き回っている。次から次に出て来る見も知らぬ光景と見知らぬ人達
何処へ行こうとしているのだろうか?ひたすら無駄に歩いている
この夢には、いったいどういう意味があるのだろうか?
夢判断は通用しそうにない
随分昔にも、人っ子一人いない超大都会を訪れた夢を見た事があったが、今日の夢では、普通の住宅街なのだが、やはりなにかが違う孤独で無機質なのだ人が登場する事があっても、人形か、ロボットのように、実存感がないのだ
たしかに、子供の姿の見えない住宅街は、人気もなく寂しい
限界集落から始まって、シャッター街と、人気の途絶えた住宅街と続けば、次には、人影の見えない建物だけの大都会と続く。
まもなくそれは現実の問題になって来る。


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超現実的な夢
1月8日 5:18

今日は8日の朝4時過ぎです。チョッとだけ仮眠が出来て、トイレに起きた所ですが、なんとも不思議な、超現実的な夢を見ていたのですよ。

・・・とは言っても、今回だけのお話ではなく、いつも夢を見る時には、超現実的な夢を見るのは、いつものお話なのですがね?

超現実的・・・という意味は、surréalisme(シュールレアリスム)という意味で使用した分けではありません。...
登場人物もその場所も、一度も会った事も行った事もないのですが、妙にrealisticなので、超現実的と言っているのですよ。所謂、de ja vuとでも言うのかな??

今日の夢に登場した姪の女の子も、一度も見た事のない超可愛い人なのですが、誰なのか、私には分からなかったのですよ。
私・・とおぼしき青年も、どこから見ても私の若い頃には似てはいない。
それなのに、私と思われるのは、夢の中の主人公だからに過ぎません。
夢がその青年を中心に流れて行くからに過ぎないのです。

夢の中のお話では、海の見える林の中のひと部屋だけの一軒家を、突然に追い出されて、引っ越す事になって、一人で色々と荷物を纏めていると、姪が突然訪ねて来たのだけど、初めて見る顔なので、誰なのかが分からなかったので、誰なのかを知るために、「私が、ここに住んでいる事は誰に聞いたの?」と聞くと、「真おじさんに・・」という答えだったので、内心、『ああ、あの小さかった**ちゃんが、そこまで成長したのか??』と分かったのだけど、勿論、それは現実の話しではありません。但し、真おじさん・・の姪っ子の**ちゃんは、実在の人物ではありません。私の従兄には、息子はいるのだけど、娘はいないからです。
従兄に隠し子がいて、本当に娘が存在したとしても、彼女ならば、当然、年齢が合わないし、顔立ちも従兄とは、全く違います。
勿論、私の年齢も随分若いし、そのおじさんという従兄は、もう30年近くも前に、自宅で突然死をしているので、この夢の世界は、現実の今からは、30年以上も前の話しになってしまいます。 

私の何時も見る夢の中では、私は何時も30歳程は若返っているので、その時代が私の心の居場所だったのかも知れません。
しかし、当時の私は、19世紀の若者達のように、Cosmopolitanな生活をしていました。(※1.)
夢だけではなく、現実的にもフワフワと居場所の安定しない生活をしていました。
(Cosmopolitanという言葉には、世界市民とかいう良い意味と、住所不定とか、無政府主義者とかいう悪い意味の両方があります。)
一応、江古田の住まいを本拠地(ベース基地)にして、群馬の大学や、千葉に教室を作ったり、大阪や長崎等と、日本各地に活動範囲を拡げていました。
毎日、飲みに行くお店も、帰国したばかりの頃は、渋谷で、大学の先生をやっていた頃は、新宿に行きつけのスナックがあって、出版業界の人達と毎日のように飲んでいました。やがて、行動範囲が池袋駅周辺にになって、江古田から一歩も出なくなって、今は自宅に閉じ籠もっています。アハッ!

人間、歳を取ると、動ける範囲が狭くなって来てしまいます。
歳を取っても、世界をまたに、活動を続けている人達もたくさんいますが、本当に羨ましい限りです
私も、早く、自分の出来る限り、出来る事をしたいと思っていますが、全く歩けない日にちを重ねていると、気力が湧いて来ないのですよ
とどのつまり、元気な頃の昔を懐かしんでいるだけなのかな
それならば、実につまらん




今は朝の8時半を過ぎた所です。天気は快晴らしいのですが、まだ0℃のままです。昨年のクリスマスから、一度も雨が降っていないそうで、これも、記録的な事だそうです。湿度がないので、インフルエンザの大流行が始まっているのだそうです。そろそろ、あちこちの学校で学級閉鎖が始まっているそうです。東京、千葉は大丈夫かな

千葉も年末からインフルエンザになったと聞くようになりました。

学校で貰って来ないように注意しないとね

髪の毛が黒い!!

「Bachの珈琲cantata」の演奏風景です。  大学1年生の頃!!



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Händelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日 6:24 ·


全く眠れない日々が2,3日続くと、今度は惰眠のように、起き出してパソコンの椅子に座った途端に、意識が飛んでしまう日々がまたまた2,3日続く・・という、困ったroutineを繰り返して、病気療養のbalanceが全く取れません。
昨日、今日は眠れないroutineで、療養中という事で、仕事が全く手に付かないので、激しい自責の念(つまり鬱という事ですかね?)に襲われてしまって、何とか「療養中なのだから・・」と自分自身に言い聞かせてはいるのですが、夢の中で迄、自分自身が、苛まれてしまいます。

仕事をする気力が出ないのなら、せめての事で、気力、体力を使わない軽作業という事で、16年の1月の14日にarrangeをした Händel-Ashizuka-versionのpassacagliaという曲なのですが、パソコンの音源として16年の1月にYou Tubeにuploadしましたが、1年後の、17年の4月の発表会で、やっと教室の生徒達の手によって、演奏をする事が出来ましたが、パソコンの音源の音とは違って、曲の後半部で擬古典のstyleになった所から、オケが分厚く成り過ぎてsolo(soli)の旋律が活かされていなかったので、2台のfluteと、continuoのcelloとcembaloのversionに、今日、眠れぬままに、深夜にオケバックのpartを簡明に訂正をし直して、そのままYou Tubeに新しくupしました。

但し、使用している写真は、以前、パソコン音源としてYou Tubeにuploadした長崎への旅行の時の写真をそのままに使用しています。
つまり、音声だけの変更です。

しかし、まあ、それにしても、baroqueのpassacagliaはなんと、patheticなのでしょうか??
パソコンの音源と分かっていても、ついつい心打たれてしまいます。
fluteを弾いてくれる人が二人いるのなら、音人の会で演奏したいのだがね⁉
後は、弦5部とcembaloの6人が居れば室内楽として演奏可能だけどね⁉

更に、1月9日と11日に改定renewalしました。

https://www.youtube.com/watch?v=jDHMuxT1t9w&fbclid=IwAR2XtlJg3Z9eSl-rgDoT92Qo70josUOMH7D6d_JkMP0s1mHUMuVCx6UzECo

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右足の爪が
1月9日 10:57 ·

手術前後の4ヵ月以上も、体を曲げる事が全く出来なかったので、自分の足の状態、特に爪の状態を見る事が出来ないままであった❗
何とか、足や、足の爪の状態をcheckするために、デジカメで写真を撮ってみたり、大きく拡大されて見える手鏡で見たりしたのだけど、上手くはいかなかったので、観察出来ないままだったのですよ‼

やっと、昨日くらいから、足腰が痛い事は、痛いままだけど、足の指の状態をcheckする事が出来るくらいまで、体を曲げる事が出来るようになって、改めて、爪を見て驚いてしまったのですよ❗

なんと、右足の爪が、全て、爪の半分以上が死んでいたのだよ❗
親指の爪は上の半分が死んでいて、白濁していて、やっと下の半分が何とか生きていた。
中指は上の半分くらいが、欠落していて、傷の所が瘤になっている。
小指の爪に至っては、紫色になっていた。

左足の爪は、見る限りでは全部正常だと思われたのたが、右足の爪は、全部の爪が、何かしら怪我をした状態だったのだよ。

以前、足の中指を常にぶつけて、何度も、爪を剥がしていたので、それを防ぐために、部屋の中でも、必ずスリッパを履くようにしてからは、爪を剥がす事は無くなったはずなのだが、これはいったいどうした事だろうか⁉
全く、理由や、その原因が分からない❗
否、爪を傷付けた覚えすらないのだよ⁉
糖尿病では、足の指先の感覚が無くなって、怪我をしても気づかずに、足先を腐らせて、足の切断という事になる・・という事があるので、かなり神経質に、注意をしていた積もりだったのだが、全く身に覚えがないのだよ⁉
これは、全く困った😨😥



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今日はもう1月も
1月10日 9:33 ·

今日はなんと、もう一月も、10日だそうです。
やっと、お正月になったと思っていたら、いつの間にか一月も中旬になってしまっていました。
今日の練馬の朝の6時の気温は、なんと、-2℃だったそうです。
すっかりと明るくなった今も、練馬に限定したら、netでは-1℃なのだそうです。
尤も、色々なproviderによって、常に練馬の気温は、2~3℃は温度が違うようですがね⁉

今日も、昨日から全く一睡も出来ていません。
ベッドから起きて、パソコンの作業をしたり、またまた、ベッドに潜り込んで、うだうだしたりしているのですが、どうしても、眠れないのですよ❗
困った事です❗

しかし、まあ、段々と椅子に座れるようには、なって来たので、眠れない夜には、少しずつではありますが、仕事が捗るようになって来ました。
・・・という事で、大分、仕事が出来るという事で、精神的には落ち着いて来ているはずなのですが、・・・という事は、少しは眠れるようになって来るはずなのですが・・・、そうは、とんやが卸さないのよね❓

摂眠障害は、要因が分からない、理由が不明のままです。
心療内科も、逆に上手くいかなかったしね😭


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今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日 4:59 ·

今日は1月の11日でした。今日は、3週間振りに・・・、というか、今年は初めて椎名町まで、夜のご飯を食べに椎名町まで出掛けました。
・・・・というか、行く事が出来ました❗

残念ながら、歩くとやはり足腰が痛むので、ドルプリっ歩まではまだ無理で、もう少し練習をしてからで、今日は兎に角、椎名町の事務所までバイクで行く所まで・・、という所で辛抱します。

・・焦らないで、少しづつ、少しずつ・・、一歩一歩・・です。

以前(とは言っても13年も前の事になりますが・・)の冠動脈の手術の後でのリハビリでは、主治医の「頑張って、リハビリに励んでください。」という言葉を間に受けて、頑張って元気な時のノンとジーグっ歩に付き合って歩いていたら、逆にover‐workになって、リハビリを失敗してしまいました。

結局、逆に、3ヶ月も治りが遅れてしまったので、その轍を二度と踏まないように、今回はover-workに気をつける事にします。

病院の示唆している一般の患者さん用のリハビリのrotationよりも、私の場合には、治りが1,2週間遅いリハビリの進行情況なのですが、治りが遅いという事は、勿論、私が高齢者という事もありますが、現在服用中の血液サラサラの薬の性もあるので、病院のrotation通りに行かないのは、致し方はありません。

前回(先週)のオケ練習には、私の予後の状態は、足腰の痛みも酷く、血尿も全く治ってはいなかったので、バイクと車の乗り継ぎをして、千葉の教室までの移動は、とても体調的に無理だったので、パソコンのwebを使用して、自宅でオケ練習の指導をしたのですが、いざ、練習が始まって、生徒達が楽器を弾き始めると、誰もパソコンに映っている私の事を見てくれなくなるし、幾ら私が、注意事項を叫んでもパソコンの音量では皆に聞こえる分けはないので、speakerに接続をしてみたりもしてみたのですが、接続が上手くいかず、教室が静かな学習系のclassならばwebでlessonをする事も可能ですが、オケの練習ではとても無理だという事が今回よく分かりました。

という事で、明後日の日曜日こそは、頑張って、千葉の教室まで、オケ練習に行きたい・・と思っているので、先ずはバイクに乗って椎名町まで行く練習からの、初挑戦になります。
何事もstep by stepです。
焦らずに、一歩一歩・・・です❗

写真は、椎名町のlesson室のアップライトピアノの上のノンちゃんとぬいぐるみです。分かるかな~💕


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日本の演奏家の3拍子の
1月12日 20:23 ·

日本人の演奏家達の3拍子の演奏の歯切れの悪さには辟易させられるものがありますが、まあ、それは日本の伝承音楽には歴史的に、3拍子というものが存在しない・・・という事に理由があるので、どうしても3拍子の弾き方が変になるのは、致し方はありませんがね。

特にfoliaの場合には、2拍目に強拍が来るので、日本人の演奏の場合には、例えperiodの演奏団体であっても、2拍目の強拍がコブシのような後押しになってしまいます。
今現在、音大の学生である生徒に、その日本のプロの古楽器の演奏の話しをしていたら、「その[後押し]の中で勉強しているので、そのimageはよく分かります。」と言っていました。
ヨーロッパの人達の演奏する[膨らまし]と、日本人の演奏の[コブシ]は似て非なるもので、その違いは非常に大きくはっきりとしているのに、日本人には、その違いがよく分からないらしいのですよ?
私がヨーロッパに留学していた頃は、顔を見ると、何処の国の人なのか分かったものなのですが、日本に帰って来ると、ヨーロッパの人達は皆、同じ顔に見えてしまいます。
ヨーロッパの人達の場合、伸ばす音は、残響のように、段々と消えて行くのが、主流ですが、日本の場合には、段々と押して行くのが、普通のようです。
日曜日の深夜のNHKのアニメのテーマ・ソングを聞いていたら、音の一個一個を[押し]て歌っていたので、気持ち悪くなってしまいました。
つまり、船酔い状態です。
でも、日本人には、心地好く聞こえるようですね⁉
困ったものです。

classicの場合には、その違いが一番よく表れるのが、la foliaのthemaなのですが、その、ゆっくりしたla foliaと、早いla foliaの両方を堪能出来る演奏をYouTubeからselectしました。
la foliaに関しては、私の一押しの Savall さんの即興演奏です。
sessionの一人の、とても美しいハープのお嬢さんは、Savallさんの娘さんです。
ヨーロッパでは、家族でsessionを組んでいる団体がとても多いのですよ❗


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宮崎駿さんの
1月12日 20:48 ·

今日は生徒達が椎名町に来て仕事をしているので、早めに椎名町に行く予定で準備を初めていたら、なんと、今度は右腰側ではなくて、左足首が痛くて、椅子から立てなくなってしまいました。日頃、右足腰を庇って歩いているせいです。
椅子から離れる事が出来ない・・と言う事で、椎名町に行く準備が全く出来ないので、暫く休んで様子を見ている所です。

YouTubeのlinkは、Marin Maraisのla foliaのperiod instrumentsの演奏です。
ガンバの優しい音色をお聴きください。

そう言えば、昨夜は宮崎作品の「みみをすませば」とかというアニメを、テレビで放映していたようですが、少年がヴァイオリンを弾いて、主役の女の子が歌を歌うシーンで、伴奏していたお爺さん達の楽器はガンバとコルネットでしたよね?
ギターのような楽器は、リュートだったのかな?
仕事をしながら、ちょこっと見ただけなので、よく見えなかったので、確認出来ませんでしたが・・・・⁉
古式豊かな古楽器アンサンブルでしたよね?
こんな所にも宮崎さんは、凝っているのだなと驚いてしまいました。


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homepageが壊れて
1月19日 5:14 ·

19年の1月の19日の朝の4時です。
toiletに起きたついでに、随分、お久し振りに芦塚音楽研究所のhomepageのtop-Pageを開いて見たら、なんと、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageが開いてしまうのですよ。
有り得へんわサ❢❢

Pageが殆ど壊れてしまっていて、何処を開いても、惨憺たる事になっていました。 超、shock❢❢です。

windows10以降のパソコンの不具合は、もう仕事にならんよな??
パソコンで仕事をする・・という想定自体が大体ないからな??

朝の7時になりました。取り敢えずは、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageも「芦塚音楽研究所」のtop-Pageも開くように、パソコンのbugを修正しておきました。19年の4月の発表会までのオケ室内楽の予定等は今日中に出来たら良いな??



つい先日は開けましたけどね。予定見ましたし💦
なんででしょ?


ああ、それなら、椎名町でホームページを操作したのですかね⁉
ダブルブッキングしたという事ですかね⁉
それだけは、やるな😡と言っていたのだけど❗
ホームページを改定したら、必ずその旨、連絡をするように言っていたのですがね⁉


スマホでちょこっと見てみましたが『芦塚先生のお部屋』見れるページと見れないページがありましたね…


「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで赤字で書いてあるのは、壊れたままのPageです。
次ページというのは、ぶっ飛んで無くなってしまったPageです。
古いdataでも、dataが残っているのは、再入力をしました。
紙のdataとして、残っているPageもあるので、次にはそのPageを手入力する予定ですが、手術やリハビリが難しくて、そこまで手が回りません。
ましてや、芦塚音楽研究所のhomepageは、私が直接教室の指導に携わっていないので、難しいので、昔のPageを再入力するぐらいしか出来ません。


芦塚先生のお部屋の山芋のページとベラチーニのパッサカリアのページを少し補修を始めました。
エンドレスなので、完全に復旧する事はないのだけど、出来る所までは、何とかやらないとね⁉


LINKが飛んでいて、文章そのものがない場合には、その文章を探すのは(文章が無くなっているのを知る事は)至難の業です。


やはり、教室のhomepageのオケ・室内楽の練習の日程は昨年度分でした。
後半期分はuploadしておきました。



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やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった
1月22日 14:57 ·

19年1月22日の3時なのだが、CapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった。まあ、なんと、間違いだらけの譜面なのだろうか??
俺が・・、じゃないよ!!
原譜がなのだが、取り敢えずは、一箇所を除いたら楽譜通りに入力したよ。
どうしても許せない箇所が一箇所あったのだけど、・・でも、今回は訂正譜は作らないように頑張ろう!!
この譜面は限がなさそうなのでね??
それにしても、今日は鬱が酷い❢❢



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本当の本物とそうでない物を区別する事
1月23日 17:59 ·

今日(23日)は、昨日に引き続いて、鬱が酷くて落ち込んでいます。そういう時に限って、周りからは、良い話は聞こえて来ません。
・・という事で、耳に栓をして、朝からCapuzziの3楽章のorchestraのpartの入力をして、午後はFacebookⅣをhomepageにtransposeする作業を途中までやり、ついでに今年の19年のFacebookを新たに新設しました。

兎に角、鬱が酷い時には、何もやる気が起こらないのだよな??外に出掛ける気力も無くなってしまって、ただ引き籠もりの毎日を徒に過ごしています。

音楽を究める事や職人の優れた業を学ぶ事は、本当の本物と、そうでない物の区別を知る事がとても大切で、その目を育てる事が音楽教育の目的だと思っています。
言い方を変えると、本当の本物が分からないとimitationを本物と勘違いしてしまうからです。

楽器とは言えない教育楽器や、世界の何処でも使用されていないジャーマン式リコーダー、ドイツではジャーマン式リコーダーと言っても誰も知らないし、そのリコーダーを作った張本人であるドルメッチが、自らジャーマン式のfingeringは間違いであった・・と言っているのにも関わらず、その誤りを認めようとしない小学校のRecorder教育とか、福祉の活動も3Kを省いた状態で体験学習させて、実際の福祉の現場に言って、あまりにも過酷である・・と挫折する学生の多い事!!
全く、綺麗事の過保護社会の学校教育なのだよね??

子供達が小、中学生であったとしても、そういった社会の厳しさを知る事は、とても大切な事だと思うのだが、日本の社会では、「子供だから・・」という事で、過保護に守る事が教育だと思われているのですよ。
「子供だから・・・」という事は、「proの世界には無い!!」と口を酸っぱくして言っても、一般の人達には、その事は、分かって貰えないのだよな??
腹が立つよな!!
ほんと、鬱になってしまうわサ!!
とは言っても、別に、日本の子供の教育が、私の鬱の原因ではありません。
昔、私が、子供の教育について、悩んでいた時に、ある人から、「その教育に対しての(親の)意識を含めて、その子供の才能というのだよ❗」と、諭された事があって、それ以降は、子供の才能とは、親の意識を含んだものである、と認識しているからです。
私達の時代は、子供の夢を親がbackupする事が、無かったとしても、阻害する事は無かった、という放任主義の時代だったので、自分の人生を歩む事は、楽でした。つまり、自分に、夢があれば、自分自身で歩んで行けば良かったからです。
だから、私の鬱の原因は、そう言った風な、私の活動そのものではなく、私自身がこの世の中に、居場所を見いだせないという事なのです。
あと、30年もすれば、私の主義主張は、当たり前の極々普通の事になってしまいます。その時には、一般の人達からは、「何を、そんな当たり前の事を言っているの⁉」としか、評価はされないのですよ❗
しかし、今の時代では、「何をそんな馬鹿な事を言っているの⁉」と、誰からも認められる事はないのですよ❗つまり、どっち道、社会から認められる事はないのですよ。損な選択ですよね⁉
それでも、体力気力がある時には、周りの誰一人として、自分を認めてくれなかったとしても、自分を信じて生きて行く事が出来たのですが、体調不良で、気力が上がらない時には、鬱が自分を支配してしまうのですよ❗


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今日こそは、ドルプリっ歩に
1月25日 22:12 ·

今日こそは、頑張ってドルプリっ歩に付き合おう・・と思って、椎名町までバイクで出掛けたのだが、杖にすがりながら、玄関を出たのだが、痛くて、20歩ぐらいしか歩けなかった。
ドルは怒っていたぞなもし!「なんで帰るんだよ!!」てか!


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無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日 5:34 ·

この所、腰痛が酷くて、ドルプリっ歩にも行けない日々が続いているので、木曜日は千葉でのlessonを延期してしまいました。

今回、昨日のオケ練習も参加出来るか難しい状況だったのですが、午前中の室内楽の練習で、MozartのPiano-QuartettのⅡ楽章があるので、無理をしてでも、出掛ける事にしました。この曲は演奏がとても難しいのですが、古典派のMozartやHaydnの作品の常として、(Sonate-album等の演奏を見ても分かるように・・・)演奏の技術的には然程、難しくないので、一般的には、(古典派の作品は、)雑に下手に弾かれる傾向があります。

Mozartの室内楽を勉強するにあたって、一度も、そういった演奏上の留意点(point)を説明、lectureしていないので、室内楽の練習は原則、月一のlecture-lessonなので、自主練習が基本なので、生徒達が、ちゃんと、練習のpointを理解した上で練習をするのと、そうでなく子供達が感性だけで、闇雲に自主練習をするのでは、全く練習のNiveau(水準)が変わってしまうので、一度も私がlectureをしないままでの練習では、とても心配なので、常日頃、「練習のcheckをしに行きたい!」とは思っていたのですが、Mozartの室内楽のlecture-lessonは、本来の私のlessonでは無く、自主練習が建前なのと、練習が朝からの時間なので、私の体力がオケ練習の最後まで、持つか・・という事を先生達が心配してくれて、折衷案として、先週の室内楽の練習なのですが、・・生徒達に、室内楽の自主練習の様子をvideoに撮影させて、それをcheckして、私がone point-lessonでのadviceをするように、しようという事になりました。

監督出来る先生がいないので、生徒達の準備の様子もcheckをしたいので、生徒達には、楽器の準備から練習を開始するまでの状況も含めて、videoを流し撮りをするように、条件を付けてのvideo撮影でした。

videoの撮影が終わって、SDcardがハイツに届いて、練習の状態をcheckして見たのですが、やはり、Mozartの室内楽の難しさは尋常ではなく、「どうしても、一回は演奏のpointのlectureが必要だな?」と逆に痛感してしまいました。

という事で、昨日のオケ・室内楽の練習は、私が朝早く出掛けて、練習のcheck-pointをlectureする事を日延する事は、徒に時間を無駄にする事で、結果的に発表会での発表でも満足する結果を得る事が出来なくなってしまいます。
・・・という事で、先生達は私の体力が、椎名町に帰るまで持つか??を心配してくれていたのですが、今回は無理をしてでも、timelimitという事で、敢えて挑戦する事にしました。
まあ、それにしても、Mozartは難しい❢❢の一言に尽きます❢❢

オケ練習の最後までは、とても、体力的には持たない・・という想定で、lectureをしていたので、練習の時間割りをちゃんと見ていなくて、終わりの時間をいつも通りに、定型の7時半終了と思い込んで練習をしていたので、最後のVeraciniのpassacagliaの時間が「15分くらいしかない❢❢」と思い込んで、梨紗も月一ぐらいしか練習に参加出来ないし、愛ちゃんも風邪でお休みだったので、兎に角、一回だけは、時間的に目一杯でも、取り敢えず「通し練習」をして、今日の練習を終わる事にしました。
半ギリギリに曲の「通し」が終わって、「今日はここ迄だよな?」と言ったら、誰かが「今日は8時までですよ❢」と言いました。
「え~っ❗早く言ってよ~❢」
でも、もう流石に、それから練習を続けるには、幾ら何でも、気力が戻らないので、定型の7時半を持ってオケ練習を終わりにしてしまいました。
普段ならば、大ブーイングの所なのですが、流石に、Veraciniの後では、子供達もエネルギーを使い果たしているので、おとなしく練習の終わりの挨拶をしていました。アハッ!

それでも、私達は、それから、後片付け、後始末が有るので、コンバスの花園への移動や、花園教室の後片付け等々を済ませたら、東京に戻るのは9時直前になってしまいました。

東京に到着しても、夜の食料の準備が全く出来ていないし、食材の準備も出来ていないので、半年振りに外に食べに行く事にして、私はハイツに戻って、斉藤先生はドルプリっ歩に出掛けたのですが、な、な、な、なんと、練馬は0℃です。超、寒いし、自宅に到着した途端に、やっぱり疲れがドッと出てしまって、半年振りの外食も、ハイツの保存食を食べるのも諦めて、持ち帰った荷物や脱ぎ捨てた服の全てを散らかしっ放しのそのままにして、爆睡してしまいました。
アハッ!



またまた、入力出来なくなってしまったので、暫く、書きかけの状態で放置する事にします。


体調をおしてみてくださり、ありがとうございます!
子供達にこの情熱が伝わるといいんですけど……😭


文章がおかしくなって以降の書いたコメントがぶっ飛んで無くなっていました。
編集履歴に一つだけ残っていたので、bugる前の文章の最後にコピペしておきました。
まあ、なんだろうね~え??  Facebookは・・・???


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1月28日21:38

親ゆずりの無法者が あきら:45
 夕暮れの風景:今の気持ちのような空
心臓エコーでは心臓自体にはやはり異常はなかったが、24時間ホルダーで、徐脈、頻脈の双方が・・・前者は悪化して死につながる危険もあるので、ぺースメーカーを、後者はカテーテルアブレーションで・・・回生病院では双方やる方がいいとのことで、でも前者はここで行ってるが後者はやってないからと、桜橋渡辺病院への予約をされて、2月7日に紹介状と今までのカルテ、データーをもって行くようになった。そこでの判断になるだろうけど、双方やる必要があるなら一度の入院中にやってもらえるように・・・そして合唱、声楽活動に影響が出ない日程で手術するつもり・・・成功したら不安ながらに練習に参加しなくても良くなるから・・・迷ったがこの際、やると決めた


私の場合には、3回程、不整脈が出た事があります。最初は、環動脈のバイパス手術の後、退院しても、不整脈が取れなくて、主治医に相談したら、「心臓は1回でも止まるとそれで終わりだから・・・」と言われて、「即ペースメーカーの手術を」と言われてしまい、すっかりめげてしまいました。
同じ病院の中なのですが、心外の先生から、循環器の先生に代わって、薬のcheckをして貰って、処方された薬を、半分に割って呑むようにしたら、不整脈は治まってしまいました。
その次は、鬱が酷く、不整脈が出ると、鬱になるのか、鬱になると不整脈になるのか、という事で、自宅のすぐそばに出来たばかりの心療内科に行って、薬を処方して貰ったのですが、最初に、処方して貰った薬はとても良くて、日常生活も随分と楽になったのですが、医者に薬の効き具合を尋ねられた時に、「一週間の間に、2回だけ、軽い鬱状態にはなったのだけど、とても楽でした。」と答えたのですが、医者は、その2回程度が、よほど気に食わなかったらしく、より強い薬に変更されて、逆に鬱が酷くなってしまい、「前の薬の方が・・」と何度も言ったのですが、毎回より強い薬が処方されて、等々、毎日、ベッドから起きれなくなってしまいました。調剤薬局に相談をすると、「処方された薬は、老人等で寝たきりでも良い人にしか処方されない薬で、芦塚さんのように、日常働いている人には処方しない薬だ!」という事で、処方された薬の量を減らしてみたのですが、やはり、無理があるようで、それで、その心療内科に通院するのはやめてしまいました。
病状の説明も、やたら難しい専門用語を連発して説明するので、難解で困ってしまったのですよ。
その事を調剤薬局に話たら、「商売敵のように専門家に思われたのではないのかな?」と言っていました。
「私は音楽教室の先生で、子供達を相手にしている職業だ」という事は、初診の時に説明をして、カルテにはちゃんと書いてある筈なのですがね??

またまた、入力出来なくなってしまいました

クスリでの治療は回生病院の医師はあまり進めない感じでした

病院によって、考え方の違いもあるのでしょうが、心臓は一度でも止まるとそれで終わり!」という考え方がきほんなのでしょうね??
私の場合には、「また手術??」という事と、日常生活や、その後の病院での検査等で、色々と制約を受けるというのが、second opinionの理由でした。
術後5年間は、体調は安定しなかったのですが、、不整脈はそれで一応収まりました。
その後も度々ひどい不整脈に襲われることがあったのですが心臓のバイパスで入院している時に買った携帯用の心電図の機械で即医者に駆けつけるべきや否やの状況を判断できるしまた全く晋三とは関係ない随分遠い箇所でのトラブルが始まると結果として不整脈も治ってしまうのでペースメーカーを預けないままで14年間を過ごしています今回の大きな手術の前にもそれが発覚する以前の8月9月ぐらいにも少し不整脈が出たたのですが血尿で色々な重篤な病気が見つかって体調不良の原因が特定されてからは 脈は出ていませんこの14年間その繰り返しです体は自分を守るためにいろんな信号を出しますが現在の医療ではその状況でしか判断をしないので心臓の調子が悪いと心臓のチェックしかしません血尿と膀胱癌が見つかったと言うのですがその結果より緊急性のあるサイレントキラーの腹部大動脈瘤が見つかったのは私はラッキーだと思っています



前回のペースメーカーの時にも、同じ病院でのsecond opinionだったのですが、薬の処方を変更した医者は、ペースメーカーの事については、何も言いませんでした。
腹部大動脈瘤の手術も、最初の病院では、「動脈の形状からステント治療は絶対に無理で、開腹手術になる」と言われて、「どこの病院にsecond opinionに行っても同じですよ❢」と言われたのですが、手術件数の多い順番に病院を探して、ちょっと遠いのだけど、川崎の腹部大動脈瘤の専門病院に行きました。
そういった病院では、難しい患者しか来ないので、私程度の症状では、「そんなに難しくない」「充分、ステント治療で対応出来る!」・・という事でした。
これは手術の経験値の違いだと思います。
それに、前の病院ではriskの話ばかりしていて、consultingを聞けば聞く程、不安感が増長されていくのですが、川崎の病院の先生の話では、言葉に安心感があって、信頼に足る先生だ、と思いました。
病院に通う上で最大に必要なものは、先生に対しての安心感だとつくづく思い知らされました。


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思いっきり、突き指をした
1月29日 5:31 ·

椎名町から、帰って来て、寝る準備のために、テーブルの上に置いた明日の食料品を冷蔵庫に片付けている時に、茶筒を落としたのですが、無意識に掴んでしまったのは良いのですが、思いっ切りテーブルの縁に指先をぶつけてしまいました❗うん十年振りの突き指です‼超、痛かった❗多分、骨にヒビが入ったのだよな⁉
いや、これで暫しパソコンが打てなくなってしまう❗これは困った❗
また、仕事が滞ってしまうよな⁉




今日は右手薬指の第2関節が少し腫れ上がって超痛くてパソコンを打てません。
昨夜は第一関節だったのにね??


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携帯用の心電図計です。
1月29日 10:53 ·

携帯用の心電図です。
心拍と心電図を10個程、保存が出来、ABCDと4段階で、緊急性の判断をしてくれます。

勿論、パソコンと連動させて、パソコンに記憶させる事も出来るし、私は不安な時には、これを医者に直接見せて、波形の判断を仰ぎます。

14年前に、冠動脈バイパス手術の時に、大和成和病院の売店で買ったものです。

今では、もう少し良いものが売られているのではないでしょうかね??



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ますます鬱が酷くなって来た
1月29日 17:08 ·

またまた、鬱が酷くなって来た。
それなりに仕事を片付けながらの、自宅静養だったはずなのだが、突然、仕事をするだけの気力が失くなってしまった。
音楽教室は先生達に任せて、海の傍の丘の上に引き籠もろうかな??と、マジに思ってしまう。

「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」
Beethovenが自分の作品(Missa solemnisミサ・ソレムニス)の楽譜に書き込んでいたその作品に祈りを込めた言葉です。
天下のBeethovenが自分の作品で、人々に願いを込めていた事が分かりますが、果たして・・・

日本の伝統芸能は歌舞伎や能、話芸等の落語の世界では、物語り性や、人を感動させる事が究極の目的とされます。

しかし、Classic音楽に限っては、そういった人を泣かせるような演奏を忌み嫌う傾向があり、コンクール等で、テクニックを競いあう、styleの方が一般的です。つまり、秒やテクニックを競いあう、アスリートの世界に近いものがあります。

私の主義主張では、大人の人達を泣かせるには、メカニカルな技術は不必要で、真摯な心からの語りかけのテクニックがあれば、小さな子供達であっても、人を泣かせる演奏をする事は出来ると思います。
それは音楽を追求する姿勢の問題だと思います。

数億円のヴァイオリンで演奏していても、その本来の楽器の持っている美しい優しい音を追求しないのならば、数万円のヴァイオリンで弾いた音でも、変わり映えはしない・・という事なのですよ。

だけど、プロの音楽家達には、素人には、本当の本物の音楽は分からないのだ・・という自負(自惚れ)があります。

その自負とprideだけで、一般の人達が音の違いが分からない・・と言ったり、演奏の違いが分からない・・という事を、「自分はこれだけ、一途に音楽を極めようとしているのだから・・?」というprideで乗り切っています。

確かに、Classicの音楽は、或る程度の慣れが必要かも知れません。
でも、本当の音楽の良さ、楽しさ、美しさ、感動を教えるのも、プロの役目ではないでしょうかね?
「音楽は、限られた特別な人達のもので、私の努力を分かってくれる人達だけのものだ❢」という事で、一般の人達に感動を与える努力をしないのならば、「音楽は、芸術だから、一般の人達が分からないのは当たり前なのだ❢」という姿勢ならば、音楽は、より限られたmaniacな特別な少数の人達だけの音楽になってしまいます。

明治維新が始まって、ヨーロッパの社会に追いつけ、追い越せ・・という運動の一環として、廃仏毀釈運動の一つとして、日本の伝統芸能も位置は低いものと定義付けられて、ヨーロッパからのClassicは上流階級のstatusとして入って来たのです。

その時代のお金持ちの上流階級のお稽古事としての延長としての意識が未だに日本の音楽に残っていて、statusとしてのClassicという意識が、未だに一般の人達への音楽への理解を妨げているのです。
そのうちClassic音楽のフアンは一人もいなくなったりして・・


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理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日 9:29 ·

テレビを見ていたら、(勿論、仕事をしながら、付けっ放しをしていたら・・という意味ですが・・・)「教育とは、子供達に『理不尽』を教える・・という事だ」という話をしていました。
「子供の教育とは大人社会の理不尽を学び、妥協する事を学ぶ、という事だ❢」という論旨で、異を唱えるコメンテーターもいなくて、盛り上がっていました。
コメンテーター達が言っている「理不尽」という意味は、「対社会的な妥協」という意味のように思えました。
テレビのコメンテーターたちは、「子供達が、社会的に成長して大人になるという事は、妥協する事を覚えるという事だ❗」と、「随分、大人の理論として勝手な事を言うナ??」と半ば呆れて、聞いていました。

世間の一般通念で、自分の志を曲げる事を学ぶ・・、それが大人になる事だ・・・そんな大人社会の理不尽さを、子供達の教育に持ち込まれては、子供達が大人達に反抗して、言う事を聞かなくなる、・・・大人達の指導に付いて来なくなる・・という事は、当たり前の話です。

何故??思春期の子供達がギャング・エイジの子供達に憧れるのか?何故、子供達は、大人に相談する事もなく自殺してしまうのか??
それが、理不尽な要求を突き付ける大人への不信感である・・という事を理解しようとしないのですよ。

音楽教室では(別に音楽教室でなくても全ての教育機関であれば同じですが・・・)、clientは親になります。
教育に熱心な先生は、親からの将来の希望や、家庭での子供の状態を聞いて、それを子供の教育に活かそうとするのですが、子供の側の希望や意見は、「未成熟な考え」として、聞こうとはしません。
子供の話しを聞くことを、信条としている先生達でも、子供の話しを聞いて、その未熟な論理性の弱点を突いて、説伏しているに過ぎません。所詮は、ポーズだけの理不尽な大人に過ぎないのだけど、一般的には、それだけでも、非常に優れた教師として、評価される事が多いようです。
つまり、ポーズだけだとしても、子供側の話しを聞くという事をする大人は、非常に希であるということなのです。

そして、子供がSNBP(負の転換点)として、社会に反抗した時に、言い換えると、子供が社会の理不尽さに、耐えられなくなった時に、初めて、理不尽を要求する大人達は自分達の教育の誤りに気づくのですが、残念ながら、もうそこに「後」の手段はありません。
「何か??」が出来るのは、「前」だけだからです。

しかし、私が常に、前へ、前へとそのターニングpointのadviceをしても、「前のadvice」では誰も私の忠告を聞こうとはしません。

何故なら、そこには、まだ何かが出来る余地があるので、今まで出来なかった指導説伏が、後、一歩で、何とか出来るかも知れない・・という願望があるからです。今までダメだったけど、後、一歩で、何とかなるかもしれない❗
でも、その余力の一歩で、駄目だった時には、そのSNBPに対して、大人達が出来る事、子供に対して成すべき事はもうないのです。

死者は生き返る事はないのですよ。(生物学的な死にしても、心の死にしても・・です。)

親と指導者は、教育上の観点が全く違わなければなりません。
子供の夢に合わせて、子供の将来の長期的な教育のprojectを組むのは教育者です。
それを、親に説明するのも、教育者の役割です。
「将来、このようになりたければ、今、現時点で、これをこうしなければならない。」という説明です。
親が、今現在しか見えないのは、当たり前の事で、教育上はそれで良いのです。
将来を見るためには、経験と客観性が必要だからです。
親が教育者になってはいけません。
子供と一緒に一喜一憂する事が大切だからです。
小、中学校の先生である親が、子供の教育に失敗するのは、子供を生徒と同様に、客観的に見てしまうからです。

ここまでが、Facebookの限界のようで、そろそろ入力出来なくなってきました。
残念ですが、この文章はここで終了します。




あら~続きが読みたいです‼


「芦塚先生のお部屋」から、一般教育論文のindexのPageが一番該当して、特に「摩訶不思議な日本の教育」というPageが一番該当する文章だったのですが、この教育論文のPageの殆どのPageがぶっ飛んだままなので、「摩訶不思議・・」のPageは、膨大な論文なので、print outされた紙の原稿すら残っていません。
先ずは、どのPageが、ぶっ飛んでいるのか?をcheckする所から・・の作業なので、assistantが必要なのですよね??
冒頭のindexと、それぞれのindexのTitleを赤字にする事で、読めるPageか否かのPageにするという、単純作業なのですが、これがやはり、一手間なのですよ。
indexをcheckしてみたら、紙の原稿は残っているのだそうですが、文字のフォントが小さ過ぎて、OCRが出来ないので、保留になっているようです。あまりにも長い文章なので・・・??


パソコンを弄っていたら、昔々、downloadした、古いOCRのsoftが出て来ました。
「それならば‼」と、超小さな文字でprintoutされた原稿をスキャンして見たら、なんと、なんと、なんと、OCRが出来たのですよ‼
プリンターのsoftでは、全く無理だったのにね⁉

勿論、誤変換や、解読不能な箇所も多々ありはするのだけど、27pageのOCRの変換は、3、4時間で終わって、homepageにup出来たのですよ❗
後は、indexを付けて、誤変換を訂正すれば良いので、なんとか、recovery出来そうです❗
indexを付ける作業も、30日の内に終わりました。後は、ご変換だけです。


このFacebookのPageの最後の部分の文章がまたぶっ飛んでいました。
編集履歴からコピペしてrecoveryしました。
なんだろうね~え?   Facebookは・・・
人様(client)に対しての敬意がないのだよな?? 
勝手に削除する・・とは無礼極まりないだろうが❢❢


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Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
1月30日 11:56 ·

「教育は理不尽」のPageで、斉藤先生が、「続きが読みたい!」と書いていたのだけど、色々とあって、超、面倒くさくなってしまって、続きを書く気が失くなってしまったので、「『芦塚先生のお部屋』から、続きを書いている(欠落していない満足な・・)Pageが無いのかな??」と、パソコンのPageやdataをcheckしていたら、Vivaldiの a moll Op.3Nr.6の解説のPageが、printoutするためにwordに変換して保存されていたのを見つけたのだよ!!
Bravo!
Recovery出来たぞよ!!
Pageが1分で戻った!!
喜!喜!喜!!

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2月


今日は一日意識朦朧と・・
2月1日 23:30 ·

10時過ぎに食事だったのだが、その直前から意識混濁になってベッドの中で、「動けない!」とか「食べに行けない!」とか事務所のlineに送ったはずなのに、今、toiletに起きたついでにlineを見てみると、一切メールが送られた形跡がない。
どうやら、「送った❢」と思ったのは、夢の中だったらしい❢❢
しかし、夢の中で「書いた」「送った」というのは、実に頻繁によくある事なのだがね❢❢
という事で、今日はまるまる、一日中、意識朦朧としていて、何も出来なかった。仕方がないので、videoの編集と纏め・・だけをした。
videoの編集で、trimmingや色々なangleの調整とかしないで、単純に動画を幾つか結び付けるだけの作業では、実際の編集作業は2,30分程度で、routineの作業なので、意識朦朧状態でもなんとかこなす事が出来るし、後は、パソコンが独りで勝手に5時間、6時間掛かって、仕事をしてくれるので、パソコンがbusyで、他の仕事が出来ない時には、頗る良いのだよね??
こういった、やる気が起きない時や、意識混濁で、仕事にならない時に、videoの編集作業のように、computerが勝手に仕事をしてくれる作業は、逆に「時短」になって、全体から見ると、仕事効率が良いのだよ❢❢
「時短」とは、千**子さんが言うように、「急ぐ」事ではない。教室ではそれはタブーの勉強(仕事)法なのだよ!!
「慌てる乞食は貰いが少ない」のだよ!!
効率を良くして、ノルマを上げる事を「時短」というのだよ。
日本人は兎角、「考える時間があったら、先に仕事をしろ!」という傾向がある。
何処かのviolin-methodeの先生が何時も言っている「1時間でダメなら10時間、10時間でダメなら100時間」という努力に対しては、世間一般は評価をして、その努力を認めるのだが、逆に、頭を使って1時間でする事を10分で済ませる・・という要領の良さに関しては、絶対に評価をしない。
昔、大人の生徒で、経理の会社をやっている人が、会社のためにより良い社員を集めたいと相談があった。
「取り敢えず、バイトで学生を集めて、その中から会社に正社員として雇用する生徒を探す」という事のようだった。
私がadviceをしたのは、ノルマ制のバイト代である。
仕事がちゃんと出来るのならば、1時間を10分で終わっても、同じ給与ならば、実力のある生徒にとっては美味しいバイトになる。と言う事で良い学生だけが集まって来る。
出来の悪い生徒はノルマが終わらないから給与の枠も減ってしまうからだ。
社会とはそんなものだよ!!
昔々の(未だ音楽教室を立ち上げる前の)お話しなのだが、小学校の4年生を担当する事になった学生から「4年生のクラス対抗で、漢字のテストがあって、何時も学年主任の先生がtopで、若い先生達のクラスの生徒達は中々漢字が覚えられないので・・」と、相談があった。
ルールは、毎週新しく出た漢字のテストをして、クラスの全員の成績で評価を出すのだそうな。
・・と言う事で、子供達が書いていた漢字の練習帳を見せて貰った。
宿題は「一つの漢字を20個書いて覚える」と言う事なのだが、最初の2つ、3っつは丁寧に書いてあるのだが、数が増えれば増える程、雑に、乱暴になっていく。
「芦塚メトードの記憶法の良い実証機会だ」、と言う事で、生徒達には、漢字を書く宿題を「覚えるだけ書く事」「書かなくても覚えられるのならば、書かなくても良い」という宿題に変えた。
次の週からは、その若い先生のクラスだけ断突に成績が上がって、一月も経った頃からは、全員100点満点を取るようになった。
芦塚メトードとそうでない一般の教育法との区別を付けるために、若い先生には、「その指導法を他の先生にはlectureしてはいけない!」という条件を付けたので、学年主任の先生は、ムキになって、一つの漢字を100回書くように宿題を出した。
子供だけでは、宿題をこなすのはとても無理なので、両親が漢字帳で毎週100個の漢字を書く羽目になって、そのテストは終了してしまった!
(当然、保護者のclaimによって・・だが)
この学習法は、教室を立ち上げた後に、更に改善されて、オセロ練習法として、ゲーム化されているのだけど、見た目は楽しく遊んでいるようにしか見えない練習法なのだが、実はproの演奏家でも、非常に難しい練習法なのだ。でも、子供の内から、その練習法に親しんでいると、その難しさは然程ではない。
日常生活を、より効率化するために、学校から帰ってから音楽の練習に専念するために、「学校の宿題を学校の休み時間に済ませて、宿題の時間を練習に当てたら・・??」とadviceしたら、学校の先生が「学校で宿題を済ませるのならば、別の宿題を追加で出す!」とか怒り捲っていたそうだ。(これは、一つの特定の学校での話しではなくって、色々な学校でのお話です。今は、宿題は必ず家でやらなければならないのだそうです。)
それじゃあ、会社に勤めるとかいう実社会生活では社会適応は出来ないよな??



またまた文章が、(今度は文章の80%以上がぶっ飛んでしまっていた。
編集履歴から・・多分これだ❢❢と思われる文章をコピペしたのだが、最終稿が分からないので、どれが最終履歴かは、当てずっぽうである。
長文でも文章の飛ばない、homepageにでも、戻したい所なのだが、homepageは、homepageでそれなりに色々と問題があるのだよな?
要は、こういったnetでは、essayのようなものは書けないのだよな?



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今日は夜から、不定愁訴と言うか

2月3日

今日は夜から、不定愁訴と言うか、心悸亢進というか、鬱になりそうな感じで、携帯心電図計で心臓の調子を見たのだが、「気になるようならば、医師に相談をしろ」という不整脈迄は行かない、微妙な判定だ。

健康な時ならば、行きつけの寿司屋で日本酒の熱燗を飲んで憂さ晴らしをするか、心の置き場所を臍下、丹田まで下げて、心臓を落ち着かせる所なのだが、心が捕まらなくて、どうも上手く行かない。

鼻詰まりも少しあるので、呼吸の性もあるようだ。...
胃も、少し胃酸過多気味だ❢❢
それに、心臓も不整脈気味である
まあ、結論的にいうと、自律神経失調症、所謂、不定愁訴である

要するに、心と体のbalanceが崩れているようだな??
困った❢❢ 
さてどうするか・・???

明日、オケ練習がなくて、自宅に閉じ籠る事が出来るのなら、鬱々の曲を聴きながらwineでも飲んで、この鬱々の時間を味わうのだが・・・・

出発の時間のtimelimitがあるので、それも出来ない
wine-timeでは、飲酒運転に、引っ掛かってしまうのだよな?
alcoholが完全に抜けるのには、7時間以上は掛かるからだ

あの手この手の、「無い無い尽くし」である
鬱に堪えながら、ベッドで横になるしかあるまいて?



4時近くまで、ベッドと椅子を往復していたのだが、4時頃には、無事に入眠する事が出来た
普段の土曜日でも、timelimitのpressureから、中々入眠が出来なくって、3、4時間も眠れたら良い方なので、鬱々なのに、無事に眠れたのは、luckyと言う他はあるまいtoilet-timeで、7時頃に起きたのだけど、3時間は、しっかりと眠れたのだから、良しとしよう

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昨日は夕方の4時から5時の間に、お蕎麦を食べて、lessonをして8時近くにハイツの自宅に帰ったのだが、それから、すぐに鬱に襲われて、寝たので、持って帰った夜食は食べないまま出会った。12時過ぎにtoiletteに起きて、3時間程鬱々として、また寝たので、痩せたはずなのだが、そうは行かない❢❢
しっかりと、前日比で0.5㌔、痩せた時からは、約1㌔リバウンドしてしまった。鬱によってホルモンバランスが崩れたせいだ。
オケ練習の後は、必ず1,2㌔は肥るので、都合、3㌔程のリバウンドが予想される。オケ練習で肥るのは当然予想されているので、一度は何も食べないでお茶だけ飲んでいたのだが、関係なくやはり肥っていたよ❢❢
オケ練習が人生のpressure(精神的なpressure)になる分けはないのだから、単なる日常のbalanceの崩れ・・という理由のハズなのだから、月曜日から日常のrotationが戻ってくれば、体重も戻るはずなのだが、そうは行かない❢❢
困ったものだ❢❢





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今日のオケ練習は、インフルや受験やらご不幸とか、何とかかんとかで、お休みが多かったので、オケ練習は出来ないのかな?という状態だったので、逆に分奏をっかりとし勉強する事にして、私はお休みにしようかな??と思ったのだけど、後半の専科オケの練習では、曲が大変難しいので、逆に分奏になると、抜き出し箇所のpointや分奏にしても、その練習の方法が非常に難しくなるので、「ここ一番」は私がいないと仕方がないので、頑張って千葉まで、車を飛ばして、オケ練習に出掛ける事にしました。
いやあ、なんと真面目な先生だろうか??
・・・・と、思ったら、大学、高校入試の終わった人達や、お姉さん達が、練習に来てくれたので、逆に普段の練習よりも、人数が多くなって、partも充実して、練習が楽になりました。
・・という事で、年齢層が高かったので、普段の練習よりも、一層集中力のある緻密で無駄のない練習が出来たので、lectureもとても楽でした アハッ!



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昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日

昨日辺りからまた、不整脈が出て鬱が酷い❢
鬱が酷くなったから、不整脈が出ているようだな?
鬱が酷いと、横隔膜が上がって来て、丹田呼吸が出来なくなってしまうからだ。
一番、必要な時に、呼吸法が出来ないと言う事は、意味がない・・というか、問題だよな??
一つ一つ鬱の根本的な原因を取り除いて行かないと、段々とより不整脈が酷くなって、control出来なくなってしまう。...
なんとかcontrol出来ている間に、何とかしないと・・ナ??


取り敢えずは、寝る事にした。多分、起きたら元の木阿弥だろうが、何も出来ない時には、安静にしておくには、越した事はないのでね



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今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
どうしよう??

鬱の対策には、「仕事をしない」・・のが、一番だと思われるので、溜まりに溜まったシンクの洗い物を洗ったのだが、勿論、足腰が痛いので、普通に、シンクの前に立って洗う事が出来ないので、何時もやっているように、椅子に座ったままで洗うのだが、手の肘まで洗っている水が伝わって濡れて来るのだよ❢❢
手より肘の位置が高いと何の問題もないのだが、椅子に座ったままでは、致し方はない❢❢...
洗い終わったら、腕全体を乾いたタオルで拭く他はないのだよな??
弁当箱のタッパー類は、食器洗いの棚に入り切れないので、机の上に置いて、椎名町に持って行けるように直接準備をします。
ハイツの食器類は入れ場所が決まっているので、取り敢えずは「水切り」に置いて、体調を見ながら暫時仕舞って行きます。
仕舞うにしても、椅子から立ち上がって水屋に仕舞うのが難しいので・・・

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TBSの報道特集で、「AI時代を生き抜く教育とは・・」、という、私が40年前に提唱したcurriculumの授業をやっていた。
それは、今でも、毎回のオケ練習でも、結構な時間を使ってやっているよ!!
ただ、私の場合には、目的は音楽を理解させるためなので、半分遊びのように・・、冗談のようにやっているに過ぎないのだけどね??
だって、読解力や、読み解く力を身に付けさせるのが目的ではないからね??
指導者は、子供達が何処まで理解出来たか??・・、を正しく把握して、どういう風に説明すれば、理解するのか??を判断出来れば良いだけなのだからね??...
目的は、音楽に対する理解なのだから・・、そんなくだらない事に時間を浪費出来ないからね??
相変わらず、コメンテーターは、「情報が多すぎるからだ!」、とか、素っ頓狂な事を言っている。
困った事だ!!

番組に触発されて、云十年も前に書いた教育論文にlinkを張ろうと思って、ホームページを開いて見たのだが、殆どのページがブッ飛んでいるので、紙原稿からスキャンして取り込まなければならない。
(殆どと、いうのは、ブッ飛んでいないページもあるから、先ずはそのcheckからなのだがね)
教育論文は、音楽論文よりも、後回しになってしまっているのだが、ブッ飛んでいるページをpickUPして、それから、取り敢えずは、紙原稿を探す所から始めるのだが、その作業を、全部を一人でやるのは、結構辛いものがあるよな
assistantでも雇うか
今は、経済的にも、技術的にも、それは無理だよな
まあ、気長にやるか
今日は、やる気がなかったので、料理教室のページを大分、復元したけれどね



またまた大幅に文章がcutされているなんだろうねFacebookは腹が立つ


編集履歴から復元しようと思ったのだが、その編集履歴に追加した文章が無かった!!これは如何ともし難い!!為す術がない!


結論的にいうと、このテレビを見ていて感じた事は、「主人公であるの指導者指導者という立場の人自体が、日本の権威主義的な体質から抜け出せてはいない」・・という事です。
英語等の語学(そもそも、語学という言葉自体(言葉という表現)が私は嫌いです。「学」が付くから・・アハッ!)は、「人と意思を通じ合うための、communication-toolsに過ぎない!」と思っています。
だから、教室の生徒達には、塾ではなくて、会話教室を勧めています。

自慢ではないけど、私は英語を学校で学んで大学を卒業する迄に、10年近くも英語の勉強したのにも関わらず、片言の英語も話せないのですよ
よその国では、学校と呼べるものすら無く、土の上に、直接座って勉強している学校後進国の小学校四年生の子供達が3ヶ月も経たない内に、ネイティブの人達と、片言の英語で、会話を始めるのにね
その違いなのですよ。


ぶっ飛んでしまった、元の文章を記憶を伝手に書き戻します。
テレビを拝見していると、要は、難しい数学の言葉の定義を、小学生の子供達に説明する事に必死になっているのだけど、一生涯に一度も使わないような数学の言葉を学ぶよりは、物事を筋道を立てて考える力を養うべきが数学の数学たる所以ではないでしょうかね??
難しい言葉(所謂、専門用語というのは、大学に入ってその道を仕事(生業)とするようになった時に、それから覚えても良いのではないか?と私は思うのですがね。
それよりも、何をどのように考えればその事を正しく理解出来るか??というのが数学や物理を学ぶ意味だと思うのですがね??
いつまでも、お魚さんに説教をする聖フランシスではしょうがないのでは??Mahlerは素晴らしい!!私の先生の先生だって、知っていた??会った事はないけれど??
私はMahler先生とHindemith先生の孫弟子になるのですよ!!格好良くない??アハッ!



昨日のオケ練習で、試験前の中学生の生徒が「算数が分からない」と言っていたので、一級上の同じ中学生の生徒に説明をさせたら、その指導が上手くて驚いてしまいました。その生徒は塾には行っていないそうで、その時に、テレビでのAIの話を思い出して、「『定義と定理と公理』の違いは分かっているのかな?『abcとxyzとn'の意味は説明出来るのかな?」と質問したら、全く分かっていないそうで、塾に行っていないその生徒は「あ~あ!」と言って私の言う事をよく理解出来ているようでした。(何が欠落しているのか・・の意味を・・)つまり、自分で学習するから、何が理解に必要なのか?をよく分かっているのですよ!
教えられた事は身には付きません。成績が上がったとしても、受験が終わった途端に、全て忘れてしまいます。それではなんの意味もないのだよ!!そこの所がどうしても、一般の人達には分かって貰えないのです。良い大学に入学出来れば、将来が保証されたのは、私達の次の世代、所謂、団塊の世代の人達の話なのです。
global社会では、その終身雇用制度は、もう既に崩壊しているのですがね??そのために、安倍さん達が必死になっているでしょう??学校の教育改革とか言って・・・
それでAIのテレビの話につながるのですがね??

その前提で、一般の先生達が幾ら頑張って努力をしても、それなりの効率、効果は出ないはずですよね??
私のオケ練習でも、言葉の定義に(子供達の理解の範疇である言葉で説明をする事に)、非常に多くの時間を費やしています。でも、それがい一般の聴講生にとっては、無駄話にしか見えないのよね??
私や、教室の先生達を聴講に来た学生や、他の音楽教室の先生達が、「芦塚メトードと言うけれど、普通のlessonを普通にしているだけなのですよね??」という感想を戴きました。「見えていなければ、見えないのよね??」
当たり前の事を・・って??
違うんだよな~ぁ??
「違いが分かるには、それなりのNiveauが必要だ」・・という事なのだよ!! 自分のlessonを自信を持って教えている先生には、理解は出来ない!!という意味なのだよ。



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「昨日は、音人の会でした
・・・という文章を書いていたはずだったのですが、朝起きて、追記の文章を深夜書いた文章に書き込もうと思ったら、どうした事か、元の文章がありません。
確かに、ベッドの中で文章を書いていると、勝手に文章が居なくなったりして、再起動を何度もかけたりしたので、その間に文章がブッ飛んだのかもしれません。
書いた文章を私の記憶に依ると、・・・先生達に負担の掛かり過ぎる音人の会を、新しくshapeUPして、renewalして企画し直すつもりで、食事付きの「TafelMusic」よりも、alcoholの出ない「おさらい会」に近い形にして、大学生達が参加しやすいような会にして、積極的で、若々しい雰囲気にするつもりだったのだけど、牧野先生が、頑張ってお料理を作っていて、恒例のTafelMusicになっていたので、驚いてしまいました。
先生達のお料理の準備が、ちょつと、大変なのと、私もalcoholを控えなければならなくなったので、sandwich位のMatineeとして企画する予定にしていて、飲み会だと呼ぶのに躊躇していた大学生達を今回か...ら積極的に参加させるようにしていたので・・・、等々のお話です。

二つ目のcommentは、「音人の会」が終わって、やっとこ、ハイツに帰りついてからのお話ですが、(これも、色々とhappening続きで、お話が尽きないのですが、それは割愛して・・・)何とか・・かんとか、ハイツの自宅に辿り着いて、バテバテなので、直ぐに眠ろうとしたのですが、昨夜は余りにも部屋の中が超寒くて、一晩中眠れなくって、寒さと格闘していた・・というお話です。
寝室が余りにも寒くって、寝室のエアコンと加湿器では、部屋が温まらなくって、布団に潜り込んでいても、寒くて仕方がないので、居間兼パソコン室兼食堂のガスストーブをつけたままで、サーキュレーターで、温かい空気を寝室に流し込んで、しかも、電気アンカにもしがみついて、何とか、やっと眠る事が出来たのですが、目が覚めると、小一時間しか、寝ていない事に気がついて、驚いてしまいました。
ガタガタ震えながら、toiletに行って、またまた寝直しましたが、何時もの、小一時間の頻尿timeの繰り返しになってしまいました。
・・・てな事を、そこはかとなく書き綴ったはずなのですが、何処にも見当たりません。
「母さん、あの文章は何処に行ったのでしょうかね?」
「Facebookは・・・」と、いうよりも、携帯自体が、私には向いていない感じがします。
しょっちゅうブッ飛ぶしね
幾ら、老人の暇潰しにしても、不安定で、故障が多すぎる
これが飛行機だったら、catastropheものだよ


それはそうと、音人の会の雰囲気を伝える写真が欲しかったのだけど、私はデジカメの入ったバックを事務所に忘れて来たし、ビデオも撮っていなかったようなので、影像がありません誰かUP用の写真をください


またまた、文章がブッ飛んでしまった

  
    


私が撮ったのはこれしかなく


了解しました!有難う!!


昨日はありがとうございました。東京に戻られたんですね。雪、一昨日より積もってるように感じます(車の通る道はぜんぜんですが)お気をつけて。


帰ったのは、何時もの通りに私だけで、牧野先生と斉藤先生は後片付けのために、花園に残りました。東京は雪が降っていないので、千葉の様子が分かりません。でも、車を出すのはお昼からなので、多分、雪の影響はないと思うのですがね??
昨日は、遅くまで珠実ちゃんと友花ちゃんが残って片付けを手伝ってくれたのでとても助かりました。感謝!!感謝!!



珠実ちゃんは、明日のオケ練習から、発表会後まで、永のお休みです。明日からは、多分Aborigineになっていると思いますよ?? いや、冗談!!


そう言えば、大学生達の集合写真が一枚もなかったよな??

デジカメで撮った分を先生にお渡ししないと、と思っていましたが、次の日はオケ練習でバタバタとしているうちに忘れています。皆さんもう少しお待ちください~

そちらからupしてください。私はもう終了しましたので・・


発表会の報告とか、オケ練習の公開とかは、timelyなもので、生物のようなものだから、日にちが経つと腐ってしまうよ!!もうそろそろ、臭い初めている頃じゃないの??


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またまた、書き上げる直前の文章が、書いている最中に、ぶっ飛んで、跡形もなく失くなってしまいました。
つまり、他の人がFacebookに文章をuploadした途端に、私の入力中の文章がぶっ飛んでしまうのですよ。
勿論、一度も保存されていない状態なので、編集履歴にも全く残りません。
私の、この1時間の努力は一体何だったのだろう!!Facebookに弁償して貰いたい感じなのだけど・・
長年の努力の結晶が、一瞬でぶっ飛んでしまった「芦塚先生のお部屋」と言い、パソコンはどうも、いただけないよな??...
パソコンの不安定さは、Facebook等で昨年や、一昨年と、見て行っても、毎年同じ事を書いているし、そんなに不安定で、どうして仕事として成り立つのだろうか??と不思議でしょうがないのだけど・・・よく、皆さん、辛抱しているよね??
私は、パソコンは、どうしても、好きにはなれないけれど、だからと言っても、なければ無いで、仕事にならないし・・・、全く困ったものだよ!!




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Tafel=テーブルと言う事で、食卓の音楽と和訳されているようですが、演奏styleのgenreの一つであり、且つ、Telemannの有名な曲のTitleでもあります。
古の作曲家達はbaroque時代から、貴族か教会に属し、音楽を作曲して来ました。
教会の場合には、毎週の日曜日毎のGottesdienstや、宗教行事のために作曲をしましたが、貴族の場合には、食事の時や、partyの時のBGMとして作曲される事が殆どで、当然、会食の雑談のBGMとして使用されて来ました。
ロマン派の時代に至って、音楽家の地位が向上して来た時には、かの有名なFranz LisztやClara Schumann等の名pianist達の努力によって、音楽とpartyに於ける雑談はしっかりと分けられるようになって、「音楽を真摯に聴く」という状況、姿勢が作り上げられて来ました。

...

しかし、日本では、ちょうどその頃の時代に、文明開化の一つの方策として明治政府の手によって「音楽事始め」として、西洋音楽が富国強兵政策の一環として導入されたので、音楽は貴族階級の物、若しくは軍隊教育を目指して、「畏み畏まって聴く」という状況のみが導入されて来て、音楽の原点であったBGMとしてのClassic、娯楽としての音楽は日本には入って来ませんでした。

そのために、BGMとしての音楽はClassicではなく、あくまでもeasy listeningの音楽としては、popularの音楽がその地位を占めたのです。
つまり、popular音楽の場合には、生演奏、生バンドとして、Tafelmusicとしての、形式のpartyが開催される事は、日本でもよくあったのです。

日本のclassic界でもparty形式で演奏会がなされる事は多いのですが、その場合には、先ず最初に演奏会があって、その演奏中は「畏み畏まって」演奏を拝聴して、その後の使役の対価報酬として、tableに軽食が運ばれて来て、お食事timeになる事が殆どで、お食事を食べながらのBGMとしてのclassicの演奏会は日本ではこれまでも開催された事はありません。

私が日本に帰国した時に、この「TafelMusicとしてのpartyを是非企画したい」と言う願望があって、帰国当時は音楽大学生以上の大人の生徒達しか私の生徒達は居なかったので、当時行きつけで、私がお店のインテリアを企画したスナックで徹夜の飲み会と同時に演奏会を企画したのが最初です。その後、音楽教室を主催するようになってからも、40年間「音人の会」として、その企画が継続し、存続しています。

そして、その企画や音楽会の趣旨をご説明するために、冒頭にTelemannの「TafelMusic」の冒頭の曲をalto2本とtenor、Baßrecorderによる演奏をして、「この演奏会が『TafelMusic』としての企画であり、趣旨である」・・という事を宣言していました。(いつの頃からか、TelemannのTafelMusicの演奏は無くなってしまいましたが)

元来は、音大生の発表会(Probe)としての意味合いが、mainの趣旨なので、「自分のrepertory(持ち曲)を人の前で弾き続ける」と言う事が本来の意味なので、ご招待のお客様達もproの人達が多くいて、対抗して演奏をするので、当然、一日中弾き続ける事になって、音楽の途切れる事のない演奏会だったので、alcoholを飲みながらの発表会なので、お喋りをしながら・・の無礼講の実に楽しい音楽partyでした。

勿論、当時はお食事やスナックは、Restaurant等のお店が担当していたので、先生達がpartyのお食事の準備をする事は、全くありませんで、音楽の演奏の準備だけでしたが、会場を提供出来るRestaurantが無くなってしまったのと、Restaurantでの会場費が少し高額になってしまったので、学生達からは、「会場費が、経済的に無理がある」・・というclaimを受けたので、或る時から、「お食事を持ち寄って、partyをする」・・という現在の形に改められました。
お食事や軽食を安く請け負ってくれるというRestaurantが見つからなくなったせいであります。

このBGMとしての音楽であるparty‐styleは、日本では未だに私達の教室の「音人の会」だけで開催されていて、一般的ではないので、このTafelMusicの形式に慣れさせる・・という事は、日本では、そのような演奏会を見る事は無い・・と言う事で、若い生徒達に、このTafelMusicの形式の演奏会に慣れ親しませる・・という事には、無意味に思えて、音楽を学ぶ学生にこのTafelMusicの形式を学ばせる事に対しては、二の足を踏んでいます。

自分のrepertoryを弾き続ける・・というrepertoryを持った生徒も数少なくなって来て、alcoholを飲みながらのコンサート・・という事も、歳を取って、難しくなって来たので、私のこれまでの意図であった「本来的なTafelMusicは終わりにしよう!」とこの2,3年言い続けているのですが、なんとなく、今回も継続してしまいました。
毎年、来年は、Matineeとして、軽食で、alcoholは抜きで、乾杯も無しで・・と言っているので、来年こそは、「Matinee形式で「音人の会」を企画する事にします。」・・・と、毎回言っています。アハッ!



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何時も愚痴っている事なので、繰り返しに過ぎない事ではありますが・・・、世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で、自分の子供のNiveauを判断します。
子供達は、それを逆手に取って、教科書の下にゲーム機等を置いて、教科書を見ているフリをして、ゲームに余念がありません。しかし、それでも、机に向かっている姿を見て、親は安心するのですよ。

つまり、親が、子供の努力をする姿を見る事がなければ、子供のNiveau(この場合は意識かな??)は低いものである・・と、判断をするのです。

...

だから、親にとって、良い音楽教室である条件、良い学習塾である・・という事は、「子供に努力を促す」塾であり、教室なのです。
逆の観点から言うと、努力をしているフリ、勉強をしているフリをすれば良いだけなのだから、子供にとってはこれ程楽な事はありません。成績は、塾の先生が頑張って何とかしてくれるからです。

そういった人達が、良い大学に入学して、公務員になって、言います。「私達は一生懸命に何が出来るのか?を、探して努力しているのですがね!」と・・・
でも、その努力をしている間に、どんどんと子供達は死んで行きます。探しているのではなく、今出来る事をやらねば、なんの助けにもならないのですよ。

交通事故で血を流している人を、見ながら、私は医療関係者ではないから、医療行為をすると処罰されるから・・、といって、死んでいく人を見守る事が正道になってしまっているのですよ。警察がよく言う言葉は、家庭内の暴力については、警察は不介入だから・・・なのですよ。

教室で2時間しか練習が出来ない生徒が、一般の人達から「それでは大学の入試に合格出来ない」と意見をされて、音楽大学の教授を紹介されて、師事をしたのですが、「その日の内から、毎日7時間も練習が出来るようになった」・・という事を、親は「流石に、大学の先生は違うよな?」と感激していました。
その後、一月も経たないで、その先生の生徒達の発表会を見た生徒が、「教室から代わって行ったその生徒が一月も経たないにに驚く程下手になった!」とビックリしていました。勿論、親にはその音楽のレベルの事は理解出来ないので、上手くなったか下手になったかは理解出来ないのですがね。

つまり、練習で、自分の音を聞く事もなく、練習の方法を何も考える事もないままに、ただ闇雲に練習をすれば、どんな人でも、何時間も練習出来るようには、なるはずなのですよ。それを勉強が出来るようになった!!と思い込むのは、単なる無知蒙昧の世界なのですよ。

私が、いつも、主張している日本型の無駄な練習の典型的な勉強法が、テレビでは、超一流になるためには、そこまでの努力をしなければならない・・と言う趣旨で放映されていたので、それなりに超Shockで、専科の生徒達に、番組を見て、その感想を尋ねたのですが、orchestraに参加している教室の生徒達は、毎週、日常的に私から注意喚起をされていたはずなのに、「誰もその批判が出来なかった」・・という事は、私の教育不行き届きで、私のsystemも、色々と問題点が多いようですね?と、自己反省させられました。

生徒のみならず、親も教育に対して、成績を上げる事のみの教育ではなく、AIに対しても、負けない考える事の出来る、(判断を正しくする事の出来る)教育を受けないと(学ばないと)、2045年のAIの問題には対処出来ませんよね??
しかしながら、公開授業を見ている限りでは、無駄な定義の問題に多くの時間を裂いて、子供達の興味ややる気を阻害しているような気がしてなりません。
まあ、そこが私との立ち位置の違いかな??

それが、私の日本の教育界に対しての最大の批判です。

日本音楽のClassicの世界は兎も角としても、一般の社会では、唯、単に、時間だけ掛かって、効率を上げる事が出来ない仕事は、「お役所仕事」でしか成り立たないのですよ。
私達が仕事に対して、望むのは、「速い、丁寧、より良い」所謂、効率に対しての三原則です。
「児相」のように、「遅い、雑、逃げ(保身)」・・では、社会では、仕事としては成り立たないのですよ!
それでも首にならないのだから、日本のお役所仕事は、生涯教育として素晴らしい!!
日本の音楽教育とよく似ていますよね??



つい先日も、テレビで「イタリアで靴のマイスターに付いて学んで来た」・・という人が、そのマイスターから、「私は彼を指導した覚えはない!」と否定されているという放送がされていましたが、それは「詐称した」と言う事ではなく、お国柄のお勉強のstyleの違いだと思います。(・・思いたいですよね?)
別にその人に対して、好意を持っている分けではありません。それを認めると、日本の音楽家の多くの人達が、震え上がってしまうからです。

日本では学校教育で学べば、「その先生に直接師事した事になる」・・ようなのですが、マイスターの国では、直接師匠の所に弟子入りをして、寝食を共にしないと、弟子とは認められないのですよ。
これは、所謂、マイスター(master)制・ギルド(Guild)制であって、日本では職人さん達がこのやり方でんでいます。
私はこの違いを説明するのに、よく料理教室のお話を例に出して、説明します。
料理教室では、多くの人達が一緒くたに同じ食材を使用して、同じレシピで料理を作りますが、驚く程人に拠って出来栄えも味も・・曰く、その全てが異なってしまいます。
音楽も靴を作る事も同じで、その作り方は学校ででも学ぶ事は出来るのでしょうが、それは所詮はamateurの趣味の領域に過ぎません。
行列の出来る料理店を目指す料理人は多いと思いますが、本当に美味しいと言われるお店は、一見のお客様は、紹介がなければ入る事も出来ませんし、一般的には知られてもいません。つまり、店でもないのですよ。有名
有名料理人が経営する料理教室で学んで100点満点で卒業出来たとしても、その先生から「のれん分け」をして貰う事の出来る人はいません。その先生から「暖簾分け」を許して貰える人は、その料理教室の生徒ではなく、やはり弟子なのですよ。
つまり、生徒は学校で学ぶ人を指し、弟子は師匠と寝食を共にして、その師匠の料理に対しての考え方や心の落とし所を学んで行くのです。
Brandの美と、本当の美の区別が付かない人には、masterになる資格はないのです。
今回の靴職人を目指す**さんのお話は、学校教育を是とする日本人と、マイスターから認められる事を命として努力をするギルドの国の人達との考え方(心の落とし所)とのギャップだと思いました。(と言うよりも、思いたい・・ですよね??)

私が音楽教室を開いて以降は、音楽大学に進学する事を目指す数多くの生徒さん達が、音楽大学の先生の所に教室から代わって行きました。
そういった生徒さんの一人で、教室のtopの生徒が、某国立の音楽大学の教授の所に代わって行ったので、その生徒の将来の動向が興味があるので、その先生の発表会での生徒のdataを取ろうと思って、毎年、(今の先生達が未だ高校生ぐらいの時ですが、)その生徒が教授の元をやめる・・というか音楽そのものをやめるまでの5年間ぐらいの間をcheckし、調査したのですが、毎年、その先生と奥さんの生徒が発表会の度に、総替えになるのには、驚いてしまいました。
毎年、その先生達の生徒20名以上が新しくなって、古い生徒は一人もいなくなるのですよ!
しかも、驚く事に、常にいなくなった20名が補填されているのですよ。これは一般の音楽教室では有り得ない事ですよね??毎年20名の生徒がやめたら、教室は一瞬で潰れてしまいますよ!!
毎年その先生の元から数名の生徒がその先生の生徒として、某国立音楽大学に入学するのですが、発表会で演奏した生徒は当然、一人もいません。
大学の入試に合格するその生徒達は、入試直前に、1、2回lessonで教授に見て貰った生徒達に過ぎないのです。
つまり、音楽大学に入学出来れば、その教授の門下生として音楽大学に入学出来るし、入らなければ、一回こっきりのlessonを見ただけのご縁なのですよ。
では、「なんのために、たった、1,2回でもその教授に師事させるの?」と先生に質問したら、安心のためで、直接は意味はないそうです。
でも、音楽大学では、公平を期するために、私立、公立を問わず、弟子(生徒)の試験の評価は出来ないのですよ。
それでも、「私立だったら、先生の引きもあるか?」と思ったのですが、学校の入試担当の先生からは「絶対に無い!」と怒られてしまいました。
ならば、なんのために・・でしょうね??
concoursならば、審査に便宜を図って貰える事は普通なのですが、入試では、有り得へんわな??
何度書き直しても、途中でぶっ飛んでしまうので、裏技を使ってFacebookに掲載しています。



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突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
12時のCinderella‐timeに、ドルプリっ歩の前に、千葉でのlessonが終わって、椎名町に帰って来た牧野先生が、椎名町から夜食を運んで来てくれて、それから、遅い食事を食べたのまでは、記憶の範疇(時間の認識)の中にあるのだが、それから、突然、何故にこの時間(深夜の3時過ぎ)になってしまったのかが、よく理解出来ないし、突然、鬱になってしまったのだけど、何故、鬱になってしまったのかの原因も、自分自身では、よく分からない!!

そう言えば、その時間の間に、動画の編集をしていて、その練習風景を見ながら、ある会話に動揺して、その愚痴をFacebookに書いたような記憶もあるのだがね?

それにしても、ガスストーブを焚きっ放しにしているのに、どんどんと部屋が寒くなって行くのはどういう事だ??...
外界の気温が冷えて来ているせいなのかな??
それとも、心が冷え切ったせいなのかな?
鬱が酷くなる前に眠らないと、明日は川崎まで、足腰の痛みを我慢しながらの難行苦行が待っているのだからな



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普段は、私のFacebookやhomepageでは、私が、一方的に、自分自身の自己主張をぶちあげるだけで、他の音楽の指導者の人達の主張を聞くことはありません。
それは、基本となる立ち位置が違うと、その主張が平行線になってしまい、発展的な意見交換ではなく、相容れない物になってしまうからです。
不毛な会話をする程の体力は、私にはもう残っていないから、極力そういったtroubleを避けるのが目的です。

...

今回、珍しくも、石川先生のblogを見て、音楽指導者の人達のお悩みや、その解決法のお話に興味を抱いて、ameba-blogを閲覧したのですが、やはり、先生達のお悩みは、「音楽を指導する上での、立ち位置の問題かな?」と思いました。
私は、音楽を始める時に、一度も音楽の基礎、基本から始めていません。いきなり、高校生の時から音大受験の勉強を始めて、いきなりドイツ人の先生に師事したので、日本人の先生に音楽を学んだ経験は音大時代以前の1,2年だけで、経験がないからです。つまり、音楽大学に入学する1,2年前までは、なんの音楽経験もない一般人だったのですよ。

と言う事で、殆どここから先は、その音楽のお話ではなくて、「ameba-blogのお話」です。

昔々の私の古い生徒が演奏活動をしていて、その活動の一環として「ameba-blogをやっている」という話を聞いたので、そのサイトを閲覧するために、私もameba-blogに入会して、昔の生徒とchatをした記憶があります。

その生徒は、古い生徒で私が、始めて子供達を指導した時の生徒だったので、私はとても懐かしかったのですが、活躍中の演奏家だったので、「ちょつと、私の生徒である事が、迷惑だったかな?」という事でアメーバブログは、さっさと退会してしまいました。一フアンとしての立場だったら、良かったのですが、後の祭りでした。

その後、別の生徒の話しになりますが、「ame-logに、私の悪口が書いてある・」・・・という事を聞いて、・是非とも読んで見たい」、と思って、ふたたび、ameba-blogに入会しました。

その悪口のblogを読んだのですが、逆説的に大変なお褒めの言葉がしたためられていて、生徒のいう悪口は全く書かれていませんでした。
その生徒にとっては、逆説的表現の理解が未だ難しかったようです。

そのお話も、今となっては、随分、昔々のお話で・・・、ameba-blogは、私にとっては使い手が難しく、そのまま一度も使わないままに、ameba-blogを持っている事さえも忘れていました。

ということで、今回、昨日も少し弄って見たのですが、全く理解不能で、機能が分かりませんでした。
どうも、ame-logとは、相性が良くないようです。
今回も、何も生かされないままに、そのままになってしまいそうです。それでも、退会して
・・・・・これ以降の文章がぶっ飛んで、編集履歴にも残っていません。如何ともし難い事です。



またまた、入力が出来なくなってしまいました。愚や愚や汝、如何せん!!


・・・・いないのは、複数の教室関係者の方がこのamebablogに登録されていらっしゃって、昔懐かしくその人達のcommentを閲覧する事もあるのかな??・・という軽い気持ちがあったからなのですが、10年以上も一度も開く事無く、放置したままだったので、マジに退会をしても良いのかな??と思っている矢先に、石川先生がame-logにblogを掲載されている事を知って、新たに、開き直しました。





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朝起きてガスストーブを焚きっ放しにしているのに、20℃から部屋の温度が上がらないので、netで練馬区の気温を見たら、なんと1℃で体感温度は-1℃でした。湿度が30%なので、部屋の中でも体感的には超寒いのですよ!!
加湿器の大を未だ出せないので、応急処置でおやかんでお湯を沸かして、加湿しています。部屋の温度を急激に上げるには、やかんが一番です。

一昨日は、お久しぶりで、外出して、1日、川崎まで電車で出掛けました。次の日はすっかり疲れで寝込む予定だったのですが、なんと、股擦れで椅子に座っていても痛いのですよ。
たまに歩くから、そうなる・・・、ドルプリっ歩をサボっていた報いです。...
体力の衰えだけは、防がないとね??



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baroque-dance
2月16日

periodの演奏と歌とdanceでLullyのBühnenwerkです。baroque時代の服で、リコーダー等の古楽器の演奏で、baroque-danceです。舞曲のrhythmというか、stepを学ぶ事が出来ます


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今日は鬱が酷くつて、意識混濁で、ベッドから起き出す事が出来ない
困った
しかし、まあ、考えて見ると、音人の会にCscheduleに、一日がかりの川崎の病院と、今週は、何かとhardだったのだよな
一日、二日は寝込む予定だったのだけど、それにしては、元気だったのだけど、流石に今日は・・・という事なのだよなぁ?




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テレビを付けっ放しでのFacebookへの入力です。
5channelテレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikのapproachです。
manualを作る側が「『何が出来るか?』と言う事で、作っているのに・・」と口籠っていたのだけど、2次世界大戦の時の大本営の弁解のように聞こえてしまいました。

「何が出来るのか?」と言う事は、自分自身が大上段に居て、安全な所から、バタバタと死んでいく戦士達に対して「何が出来るか?」という事をんびりとの考えているように見えてしまいます。...
本当に、子供達のためを考えるのならば、真逆の発想をしなければなりません。
「何が出来るか?」ではなく、「今、子供達が何を望んでいるのか?」の聞き取りや、それに対しての取り組みです。
病院でさえも、先ずは患者の痛みを取る所から始めます。
その被害者が子供ならば、痛みに対する抵抗力はないはずです。
だから、「何から出来るのか?」というような時間的なゆとりは無いはずです。だから、「今でしょう!!」というはずなのですが、「だから、今、考えているでしょう??(考えている・・という事をやっているでしょう?)」と言う人は、もう、その時点で、子供の痛みに対して、他人事なのですが、そこの所(自分が子供に対して、他人事である・・という事)が分からない人達に何をさせても、子供達への対応が出来る分けはありません。
つまり、いま子供に対して出来る事は考える事しか出来ない・・という弁解なのですからね??

本当に必要な事は、「今、出来る事をする」・・という事なのですよ。
そんな当たり前の簡単な事をしようとしないのは、子供の痛みを体感として感じられないからで、自分の保身しか考えないからなのですよ。

今の「第三者委員会」は、あくまでもtop-downの中央集権的な構造になってしまっているのです。
音楽教育も同じです。
それが日本人の儒教的な体質なのですよね??

この40年間、全く同じ事を延々と、喋っているので、もうすっかり、疲れてしまいました。




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いやあ、超、鬱が酷くなって来た。鬱がどんどん膨れ上がって来るのがよく分かる。今にも心臓に来そうな雰囲気だよな??参った!参った!!
鬱には基本的に心臓が張り裂けそうになるHennry PurcellのChaconne gのような爆発性の鬱と、丹田から落ち込んで行くようなPachelbelのChaconneのような鬱がある。
一応は、doctor-stopが掛かっているので、alcoholは呑まないようには、していたのだが、今日は諦めて呑むことにした勿論、おつまみは、パーセルとパッヘルベルのシャコンヌからだが
それでも、不思議な事に、しっかりと、肥るのだがや?!
体重は、精神的な物らしい



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前回のオケ練習でscoreとpart譜の音符の違いを調べました。「い」の2、25小節目の2拍目の8分音符ですが、Vivaldiのfacsimileでは4分音符になっているようです。part譜の方が正しいと言う事で、前回のオケ練習での訂正が正しいという事です。scoreを訂正しておいてください。







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春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど、今日は一日意識混濁状態で、何度も何度も、椅子の上に座ったままで、眠ってしまった。
テレビでは、「暖かくてとても良い天気だった!」と、梅の花の情報等を放送していたが、私にとっては、体がもうついていかないのだよな?
これでは、仕事にならないよな~ぁ??
いやあ、困った事だよな?

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足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日 ·



足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなった頃から、特に牧野先生のインフルで斉藤先生が一人でドルプリの散歩に行かなければならなくなったので、少しでも時短を計るために、この所、夜食を弁当にして、ハイツに持ち帰って自宅で一人で食べる事にしている。たったそれだけの事でも、3,40分の時短にはなるからだ。しかし、椎名町に行って弁当箱に食料を詰めて貰って、自宅に戻って来ると、積年の慣習とでも言うのだろうか、それで食べた気になって、空腹感が失くなってしまうから、不思議なものだ。

深夜になって、いよいよと寝る準備を始める頃になると、寝る準備よりも、バテが先行して椅子の上で仮眠を始めたりして、意識混濁状態で体が動かなくなって、椅子から立ち上がれなくなってしまう事がよくある。

昨夜は、それに加えて、なんとなくなのだが、所謂、弱欝状態になって、意識混濁状態と摂眠障害が同時に起きてしまった。まあ、なんと、複雑な事・・・!

特に、次の日に予定が入っていない場合には、この所、鬱には逆らわない事にして、wineでも呑みながら、弱欝状態を耐えている。
昨夜も、それで、やっと眠る事が出来たのだが、睡眠中に突然、胃酸が逆流して気管に入りそうになって、飛び起きてしまった。
咳き込んでしまって、超、苦しかった。
・・・と言う事で、体を休めるために起き出してこの文章を書いている所だ。


大丈夫ですか?
無理しないでくださいね。


有り難うございます。今日は一日丸々寝込んでしまいました。
鬱が酷いので、このまま引き籠もる予定です。

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努力はしても、工夫はしない。
2月22日 ·

日本はとても、儒教的な国である。コツコツと努力をする事は推奨され賛美されるのだが、工夫が評価される事は余りない。
教育に関してのhow-toは、なるべく書きたくなのだが、それは教育問題とは一つの根本的な解決があるのではなく、その子供の状態や、将来の目的やそれぞれの家庭環境に対しての全く異なった、それぞれの回答があるからなのだ。※1)
つまり、論文としては、case by caseで、その人に対してのadviceしかなく、論文全体としては、常に矛盾した事を言わなければならなくなってしまうからなのだ。

その最たる物が、子供の教育とは「その子供が将来何を目標とするのか?」で、「現在、その子供が、何を学ばなければならないのか?」を判断しなければなりません。
しかし、教室が親に与えるadviceが、その親が望むadviceである事はとても希で、親がそのadviceを聞き入れるという事は希で、逆に反感を持たれる事の方が多いのですよ。
一般的には、adviceを求める人は、自分の求める答えを言ってくれる人に対して、adviceを求めに行くのですよ。自分が求める答えと反対のadviceを聞きに行く事はありません。
私ならば、子供が求める夢を達成している人にadviceを求めようとするでしょうが、そういう人は希です。
しかも、親と子供の目標が同じである事は稀なのですよ。それに、親は男性と女性がいます。
この場合には、親と子供が同じ目標を夢見る場合という想定です。

しかし、私達はadviceをする時に、その真逆の事を言う事もある。
「将来、という事は、現在の積み重ねなのだから、現在が幸せでなければ、将来幸せになる事はない」という論旨を展開する事もある。
つまり、真逆の事をadviceする事もあるのだよ。

自分の将来が自分自身のために・・であっても、それがathleteのように、将来の目標があって、それに到達するためには、克己心が必要なものであれば、また、未来に自分がtopに立てる事を目指すものであれば、その日一日の現実とは、克服すべき課題となってしまう。

その日一日がhappyならば、それで良い・・という考え方の人達の方が、社会には、現実的には圧倒的に多いと思われるのだが、それは夢を挫折させる・・という前提・・、つまり、日本流の「夢は叶わぬものであるから夢なのだ」という儒教的な発想になってしまうのだよ。

一般的には、余り知られていない事なのだが、学校教育において最も大切な科目は、なんと!!部活なのだ!!
学校教育の本来の目的には成績を上げる事は含まれていないのだよ。
それを学校の先生達自身も勘違いをしている。
子供達が大人になって、社会で生きて行くためには、人間関係が最も大切な勉強になるのだ。私立の学校では、学校の教育方針を打ち上げてその中で生徒をpickupして選別して、対人関係の均一化を図ろうとする学校も多い。
しかし、公立ではその選別は許されていないので、ひとclassの中に、成績や正確のありとあらゆる子供達が同室するのだよ。
学校教育場合には、学校をやめると言う事は、義務教育なので有り得ないので、もしも、それを望むのなら、転校という手段しかない。
そこには絶対的な強制力がある。

今は昔、教室を作る前の40年以上も前の話になるのだが、初めて子供達を教え始めて、自分の子供の事を信用しない親を見て、超、驚いてしまった。「私の子供だから、才能等ある分けがない!」とかで、私が「それはあなたが、より良いmethodeで学ばなかったからだけで、あなたのせいではないのですよ。」と何度説明しても、分からなかった。
同様に、「子供が可愛そうだから・・」と、子供の一生懸命な姿を否定する親がいる。それを親は愛情だと思っているようだが、私に言わせると、子供を信じていないに過ぎない。
子供が行き詰まりを感じるのならば、先生と親が解決法を大人の知識で指導してあげて、子供の夢を叶えるべきであり、

※1)教育問題に関するhow-toを書きたくない理由にはもう一つの決定的な理由がある。
私が書いている教育論文は一般の保護者に向けての論文なので、結構、綺麗事で終わっているのだ。
教育問題には、絶対的に書けない、教育者が立ち入る事の出来ない根本的な理由が別にあるからなのだ。
それは、余りにも厳しい事なので、教室で指導をする先生達にしか、その理論と問題点は指導lectureはしていない。
今現在、社会問題になっているイジメの問題や家庭内の暴力に関する問題もその原因と解明については、通り一遍の綺麗事の話しかテレビや講演には出ないのだが、深層心理学的に追求すると、人間の深い心の闇の解決しなければならない問題は一目瞭然となる。
それは決して、甘いものではない。

子供は、未だその心の闇が育っていない・・だから、教育をする事は簡単である。


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「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日 ·

今日も術後の足腰は痛い事は痛いのだけど、それでも珍しくドルプリっ歩に付き合う事が出来ました。頑張って歩行訓練をしなければ、歩けなくなったら一巻の終わりだからね??
牧野先生もインフルから立ち戻って、食事とドルプリっ歩を一緒にする事が出来ました。

「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
定型のドルプリっ歩が終わって、明日の朝、昼のお弁当を持って、深夜の独居老人の一人部屋であるハイツに戻ったら、当然のように、鬱が始まって来ました。
この2,3日のroutineになっています。

よく人からは、「一人暮らしで寂しくなるので、鬱になるのでは・・?」と言われるのですが、よくよく考えて見ると、私の回りの近親縁者も含めて、友人達も皆独居老人なので、私が一人暮らしである事自体は、決して珍しい事ではないし、他の人達を見ても、独居老人を楽しんでいる人達ばかりなので、一人暮らしの孤独が、鬱の原因になる・・という事は、今の所は考えられません。

深夜の一人暮らしは、仕事が捗るので、私的には結構、気に入っているので、例外的に、病気で寝込んでいて、気力が弱っている時でもない限り、一人暮らしが鬱の直接の原因になる事はない・・と思っています。


病気で気力が弱って、人生を儚く思える時には、例え・・傍にラミ(メイクイーンの)が居ようと、ドルが甘えて来ようと、如何せん、自分の理性的なcontrolが利かないのですよ。
まあ、そういった外因性の鬱の場合を除いて、心因性の鬱の場合には、基本的には、テレビでNHKの環境videoを見ながら、パソコンに向かって、何か作業をするのですが、それでも、もっと鬱が酷くって、仕事も手に付かないような時には、仕事をする事は諦めて、自分の指揮をした鬱々の曲を聴きながら、wineを飲む時間は、とても鬱々として、至福の充実した時間です。

ただ同じ鬱でも、鬱の原因がはっきりしていて、それが如何ともし難いものである時には、魂が怒りを覚えた鬱状態になるので、精神的に余り良いものではありません。
所謂、stress性の鬱とでも言うのかな??
40年間、啓蒙活動をして来たのに、社会は何一つ変わっていないのだから、自分の人生が無意味だったように思えて来て、困ったものです。
まあ、「芦塚先生のお部屋」のdataが全部ぶっ飛んでしまったのも、そういった意味合いもあるのかな??
つまり、私の人生が無意味だった・・私の仕事は私と一緒に、あの世に持って行け!!・というような、神様の意地悪だったりして・・・アハッ!



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ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日 ·

私は、鬱が酷い時には、wineを呑みながら、You Tubeで鬱々の曲を聴く・・というお話をしました。
しかし、この所の鬱には、いつも鬱の時によく聴いている「Hennry PurcellのChaconne g」も、「PachelbelのChaconne f」も、私の鬱のimageに曲が合わないで困ってしまっていたのですよ。
つまり、「wineを呑みながら、おつまみに聴く鬱々の曲」が見当たらない・・という事だったのですよ。
これまでの鬱だったら、発狂しそうな爆発性の鬱の時には、PurcellのChaconne gがよく合うし、落ち込んで、消えて逝きそうな鬱の時にはPachelbelのChaconne fがよく合いましたが・・

過日、『音人の会』で美伶ちゃんがBruchのKol Nidreiの曲を弾いていたのだけど、「大学のオケをbackにCelloのsoloをするので、lessonをして欲しい!」と言う事で、急遽、ハイツでlessonをする事になりました。(因みに、この渋い曲を選曲したのは美伶ちゃん自身だそうです。演奏会のチケットは既にsold outだそうです。)

lessonの前日の深夜に、牧野先生に楽譜を急遽copyして貰ったので、曲のimageを確認するために、You Tubeで5,6人の名演奏家達の演奏を聴いて見たのだけど、驚いた事にJacqueline du Préが一番良かったよ!!
つまり、この曲が、私のこの所の鬱々の気分にjust・fitしたのだよ。
マイスキーよりも、カザルスよりも、du Préが良かったのだよな?
私の心琴に・・というか、私の鬱々に、ピタッと嵌ったのだよ!
つまり、celloの神様であるCasals先生の演奏では、私の鬱々にはfitしないのだよね?

でも、不思議な事にlessonでは、幾らdu Préの演奏に感激しても、その影響は全く出ないのだよ!
lessonは、私のoriginalのinterpretationでのlessonなのだよ??
聴いて感動するのと、私が演奏したり指導するのは、別次元の話なのだよ。普通は、自分が一番感動をした演奏に自分のimageも似て来るものなのだけど、私の場合は全く別の話になってしまうのですよ。
これも、普通とは変わっていて・・・、面白いでしょう??

美伶ちゃんのlessonの時の写真は、lessonのvideoから起こしたものです。
今、ハイツに置いてあるvideo-cameraは、超安い小型のpocket-cameraなのですが、昔のβのcameraやVHSのvideo-cameraと違って、動画から写真を起こしても、これだけの画質があります。
文明の発達は驚くべきものですよね??

この2,3年の間は(ヒョッとしたら、10年以上も・・)、ハイツで私がlessonをしたり、人が私を尋ねて来る事はないので、この写真はハイツのlesson室を撮影した超、貴重なレアな写真です。
但し、Cembaloの部屋ではありません。

以前もlesson室にした事があって、今回も生徒さんの都合で、斉藤先生に頼まれて、急遽、整理をしたviolinのlesson室です。

ハイツには、二段鍵盤の大型のCembaloが置いてあります。
一応は、Cembaloのlesson室になっているのですが、しかし、その部屋も今は倉庫状態になっていて、lessonをするのは不可能になってしまっています。

お袋が死んで、長崎の家を畳んで、荷物が一杯になったのに、突然、江古田教室を追い出されて、そこの楽譜や荷物もハイツに来たので、荷物だらけの部屋が更に荷物で溢れ返ってしまいました。
そうこうしている間に、病気になってしまったので、ハイツの部屋は、楽譜や資料類が山と積まれたままで、体力的にも片付けられなくってしまいました。
・・という事で、体調不良で片付けるのが難しい・・という事もあるにはあるけれども、もう、何かを捨てない限り、部屋には何も入らないのですよ。(・・か、倉庫として、Pianoのlesson室でも、別に借りない限りですが・・。)
後ろのdesk に楽譜や資料が山と積まれたまま・・・
というのが見て取れます。


悲しいね!の意味は、物が多すぎて、体調不良で部屋が片付けられないままに、2,3年経ってしまっている・・という事について・・です。ハイ!


先ずは、机の上の楽譜類と資料のnoteを片付けて、ウサギちゃんが座っている揺り椅子を、寝室に移動させて・・、なのですが、その前に寝室の大量の本類を捨てないと、その移動が出来ないのですよね??

今、出来るnormaとして、1日一個は何かを片付けて(移動させて)います。出来る限り断捨離も・・

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毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日 ·

毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると、人は「ああ、またか??」と思うだけで、誰も同情も金をくれる事もない!(昔々、流行った安達祐実の名セリフ)
今夜もまた、stress性の鬱で、「何とか眠ろう!」とバタ狂って、すっかりとヌルくなってしまっていた風呂に入ったりしていたら、それでも何とか2時間程は眠れた。
しかし、toiletteに起きて、そのまま、またまた眠れなくなってしまったのだよ。
Komm, du süße Todesstunde!

明日はオケ練習で、千葉までの移動があるので、wineに逃げる事も出来ない!
布団で眠れないままにいると、そこはかとなく心に浮かぶ世迷い言が私を苛んで来る。

と言う事で、またまた愚痴を書きなぐっているのだが、「『ああ、またか??』と思う人は、私のtweetを読まなければ良いのだ!」と、開き直って、Facebookに、心の丈を書き綴る事にしたのだよ!
勿論、鬱の根本的原因を、人に吐露する事は絶対にないのだけどね??



とうとう、朝になって、眠れないままに起きる時間になった。でも、これも毎週の事なのかな??先週はどうだっけ??
忘れた!
艱難辛苦をなめてきた老人にとっては、忘却は最大の癒しだそうな?
善い事も悪い事も、全てが痴呆の彼方へと消えて逝く・・・、それも神からの贈り物だそうな?
(・・・・これは、私の考えではありませんよ?ある宗教の教典に書かれていたものです。)


延々と書いていたcommentがまた、ぶっ飛んでしまった!!始めからのの文章なので、書き始めのsentenceも残っていない。頭さ来るな~ぁ??


何とか2時間弱は眠れたのだが、千葉へ移動の時間になったので、頻尿を避けるために、ハイツを出る時にtoiletteに行って、椎名町を出発する時にも、toiletteに行った。途中箱崎の渋滞を回避するために、湾岸まわりに進路を変更したのだが、途中で、尿意をもようして、検見川教室まではとても無理だという事になったので、イトーヨーカ堂に緊急避難をしてtoiletteに駆け込んで、ビックリしたのだが、なんと、お久し振りの血尿が出たのだよ。
検見川教室に辿り着いて、すぐにtoiletteに行ったら、今度は鮮血が出た。
「病気が再発したのか??」と思って、超、Shockだったよな??
血尿は、基本的にはコーヒー色の場合が膀胱からの出血で、鮮血の場合は尿道からの出血と考えられる。勿論、専門的にはもっと細分化されるのだが、一番簡単な解釈の場合という前提での素人判断では・・、である。
まあ、医者からは、「時折、手術痕の血餅(かさぶた=瘡蓋という言葉が中々出て来なくて、何時も血餅という聞き慣れない言葉しか出て来ないのだよな??)が剥がれ落ちて、血尿が出る事がある」とは、言われていて、「それは心配する事ではない」とadviceは受けているので、落ち着いて見れば、なんの問題もないのではあるのだが、突然血尿が出ると、そのShockで、これまでの超鬱の原因がぶっ飛んでしまった。人間より大きな心配事があると、それ以前の心配事が消えてしまうのだよ。
血尿が出て、鬱が飛んでしまったので、私としてはluckyなのかも知れない。
突然の血尿・・という事で、常日頃の持続性の鬱がぶっ飛んだのだから
これが、『外に出る』と言う事なのだよな??


てな、事を書いていた文章が全部ぶっ飛んでしまったのだよ!
結構、メゲルよな??



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「放下著」
2月24日 ·

昔々から、よく繰返し言っている事があります。
その一つは、もし、竹林山の七賢人が本当の意味で隠遁生活を送っていたのならば、これ程の有名人にはならなかっただろうという事です。
元来、隠遁とは、人に知られる事なく、生活をする事であるからです。

禅宗では、人間本来無一物と言って、物や心に執着をする事を忌み嫌いますが、その割には、高僧と言われた人達は、書や絵の名人であったり、優れた彫刻を残したりしていますが、それは美に対しての(完璧に対しての)執着がないと出来る事ではありません。
それでは、放下著とは言えないのではないでしょうかね⁉

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「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日 ·

「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら、またまた教育を口にしてしまうのは、私の性(さが)・・という分けではなく、そういう職業だから致し方はないのだよ。

人は、「どうでもよい事」をやたらと大騒ぎするのだが、本当に大切な事に対しては、誰もが無頓着である。
「どうしてそうなのか??」というその理由と意味は、「どうでもよい事」は、今、その場の「今、直面している現実」であり、「今の現在の痛み」であるからなのだよ。

しかし、それは、「今の痛み」であるだけで、一生を左右するものではない。
その場を乗り切れば、何とかなるものなのだよ。
本当に大切なその人の将来を決定し、左右する痛みについては、人は気にする事はない。
何故ならば、その事が、今現在の痛みではなく、今の現実を左右する事ではなく、まだ見ぬ将来に起こる事なのだから、痛みは未だに起こらないのだよ。
人は将来起こるであろう痛みには、その痛みが一生の人生を左右するものであったとしても、結構無頓着なものなのだよ。

つまり、その人が将来を見据えた上で、今、現在を生きるtypeの人でない限り、今現在に起こる事の価値を推し量る事は出来ないのだよ。

このお話の元の論文は、「芦塚先生のお部屋」の中の教育論文の項目の、「対処と治療」という話として書かれている。

そのお話を、子供達にも、分かり易く説明するために、私はよく虫歯に例えて説明をする。
人は虫歯になって、痛くて堪らない時に、痛み止めを飲んだりするが、痛みが無くなると、虫歯の事を忘れてしまいがちになる。
痛みが止まったとしても、虫歯そのものは治る事はないのだから、痛みが抑えられている間にも、虫歯そのものは、進行して行って、必ずもっと酷い痛みが襲って来るのだよな。
だから、痛みが収まったからと言っても、その痛みの根本的な治療が必要である事は、誰にしても明白な事実として、認識、理解している。
例え、病院に行くのが、嫌であったとしても、その必要性を疑う人はいない❗

虫歯の痛みは、日常的なありふれたものだから、このお話はよくも悪くも、誰にとっても、理解しやすい話なのだが、そのお話が、教育の話に姿を変えた途端に、同じお話だとしても、理解し難い話に形を変えてしまうのだよ⁉
不思議な事に・・・だよ⁉



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禅の基本的な概念は、
2月24日 ·

禅の基本的な概念は、勿論、「束縛から離れる」という事なのだが、そこから、学べる事は、「外から見る=客観的に見る」という事に他ならない。

その中に居ては見えない事も、外から見ればよく見える。
そのstageをclearした人が、階段を登って、次のstageで、自分が経験して来た前のstageの中で苦しむ人達の事をよく見れるのは、一つ上の場所から全体を見るから、よく見る事が出来るからなのだよ‼

言い方を変えると、上からは下がよく見えて、下からは上は見えないのは、当たり前の道理なのだよ。

しかし、その中に居る人達は、その当たり前の事を認めようとはしないのだよ。
今、どのように頑張っても、それが(解決法が)見える事はないのだから、それなのに、「見える人がいる」という事は、とても認められないからなのだよ‼ 

上に居る人は、「あと一歩だけ階段を上がればよいのに・・・❗」と思うのだが、下からは、その階段の高さは、見えないのだよ‼
そこがdilemmaなのだよな⁉

まあ、しかし、大人達と違って、正しく教育された子供達は、「その階段を、何回も登る」という自らの経験を通して、「階段を登りさえすれば、そこから全てが見えるようになる」・・・という事を、経験として覚えて行く。
そこも慣れで、階段を登る事を、段々と恐れなくなって、階段を登る事が楽になる事だ・・という事を覚えるのだよ‼

しかし、そのたった一度の体験すら得る事がなく、堂々巡りを何年もしている人達がいる事も事実である。
多くの場合の例としては、その人達の着眼点が微妙にズレている場合が多い。
本人は、正しくやっているつもりなのだが、微妙にpointがズレているのだよ。
そのズレの原因は、何度となく繰返してadviceをしている、「自分のcapacityの中の語彙に翻訳する」事に起因する事が非常に多い。
本人は、先生の言っている通りにやっているつもりなのだが、何時の間にか、自分のやり方でやっているのだよ。そして、酷い場合には、「先生の言う通りにやっているのに、出来ない❗」と言う事になってしまう。
先生は、「何時まで経っても、俺の言う通りにやってくれない❗」と、怒り出す❗
百々のつまり、平行線の堂々巡りなのだよ。
無駄の積み重ねなのだよ‼

このお話も、一番の解決法は「外から見る」と言う事に尽きるのだよ。
行き詰まったら、一度、その束縛から離れて、外から見る事を学べば良いのだよ。
人は、外から見る事を、非常に難しい事として、捉えている。
そのために、禅meditation等という、難しいcurriculum等も、ある。しかし、外から見る事自体は、そんなに難しい事ではない。ほんのチョットだけ、その環境から逃げ出して見ると良いだけなのだよ。
お菓子を食べるのも良し、散歩をするのも良し❗ 自分を違う環境に置いて、そこから、悩んでいる自分を見つめ直してみると良いのだよ。
意外と簡単に、自分のチョッとした間違いに気づく事が出来る❗



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Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日 ·

今回の発表会のprogramのオケ・トリの曲であるVeraciniのpassacagliaなのだが、その曲に初めて巡り会ったのは、私がまだ若かりし頃、25,6歳のドイツ留学中の頃に、Münchenの中心の聖マリア教会の傍の楽譜屋で古いLupi=ルピ版の弦楽オケの楽譜を見つけた時に・・・である。
楽譜を見て、その曲を気に入って購入したのだが、その時には楽譜は既にもう充分古く、既に楽譜の紙は黒く変色し始めていた。
その楽譜は、曲としてもstoicで、演奏も難しいので、私の蔵書の中で、45年近くも、一度も陽の目を見る事もなく、休眠したままになっていた。
その長い眠りの間には、その曲のoriginalの曲(元曲)である「violinと通奏低音」の楽譜も手に入れたのだが、余りにも重厚な曲であるために、その曲を演奏するのは、発表会は勿論の事としても、periodのbaroqueの演奏会としてのrepertoryとしても、演目に載る事はなかった。

私が、超、super、ultra重厚な鬱々の・・「この曲を演奏してみよう❗」という気になったのは、私の生徒の一人が、このVeraciniのoriginalのPassacariaの曲を彼女の「好きな曲」として、教えてくれたからである。
「そうか?この曲の良さが、中学生でも分かるのか?」と、生徒に後押しされて、早速、楽譜棚の肥やしになっていたLupi版のオケの曲を、発表会で演奏する事にした。

Lupi版は、Veraciniの原曲の1/3の長さにcutされていて、発表会という舞台であっても、堪えられる長さになっているので、それも、この曲の選曲の後押しをしたのだ。

生徒達に楽譜を配って、練習に入った段階では、「曲が暗い!」とか「かったるい!」とか、非難ゴウゴウであったのだが、練習が進むにつれて、曲の良さが分かって来て、曲に対しての評価はすこぶる良いものになって来た。

そこまでは良しとしても、実際にLupi版のpassacagliaの練習を始めて見ると、余りにも楽譜の間違いが多い事に辟易させられてしまった。

擬古典にするために、わざと不自然に鋭い音にしているのか?・・それとも、単なる楽譜の間違いなのか、それも出版社の間違いなのか?編曲者の間違いなのか??・・悩まされる事が余りにも多く、この手の楽譜の常として、訂正に次ぐ訂正の連続になってしまって、ついに、全面改訂版を作成せざるを得なくなってしまったのだよ。

生徒達の頑張りで、何とかLupi-芦塚versionとして、1年後の16年の4月3日の千葉の文化センター・アートホールの発表会で、演奏を果たしたのだが、Lupi版の編曲に納得が行かなくなった事!
original版の出版されている曲の楽譜が、全てcembaloと通奏低音の編成で、基本的にsolo-violinと通奏低音のCelloの二声部に、和音が書き加えられただけの書法なので、曲のimageに対して、音楽の厚みが薄っペラいので(・・でも、それが通奏低音の書き方なのだけど・・・??)出版されている楽譜のCembaloのpartの作曲に納得が行かなくて(・・いや、それが通奏低音でしょう!!)、それとは、別の・・全く関係のない理由なのだけど、・・私のoriginalのpipeorganが、何時までも使用される事が無く、一般の人達の目に触れる機会がないので、Veraciniのpassacagliaを、pipe-organの伴奏で書く事を思いついた。

最初に斉藤先生に、そのideaを話た時には、斉藤先生からは、「violinとpipeorganの音量的に無理❗」との反対があったのだが、positive-organの意味を説明して、折衷案として、baroque-violinではなく「modern-violinで演奏をする」という事で納得して貰った。

このOrgan-versionの一番originalに近いと自負しているpassacagliaの公演は、発表会等での公開演奏としての企画では、曲がstoicで、重過ぎて、一般の聴衆を対象にする演奏会しては、ととても舞台に乗せるのは無理なので、検見川教室の私のpositive-organで、萩元先生の伴奏で、YouTubeにupする事で、演奏会の代わりにする事にしました。

私のこのpassacagliaのorgel-versionは、原曲のままの全曲版なので、四部に渡る大変長い曲になります。

録画録音の時のvideo-cameraの位置と、organとviolinの音量の兼ね合いが非常に難しく、violinの音量をmainに録音すると、Organの音が割れてしまって(videoの映像では音割れはないのだが・・)、mp4に変換した段階で、どうしても音割れしてしまうのだよ。


2回のvideo撮影にも関わらず、Micの位置の設定等に失敗してしまって、もう再度の撮り直し(3回目)が出来ないままになっている。まあ、部屋が狭いので、録音が困難なのは当たり前なのだけどね??



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「Veracini Ciacona 続き」
2月26日 ·

originalの曲であるviolinとOrganの曲の、positive-pipe-organのorganのpartを書きながら、ほぼ、同時進行的に、弦楽orchestra用のscoreを書き始めた
曲の全体的な構造は変わらないから同時に曲を作曲する事は、同じ手間なのだからである。

「演奏形態について」
一番悩んだのは演奏形態で、愛ちゃんが「オケsoloの曲が欲しい」というrequestがあったので、そこはちゃんと押さえた上で、「soloと弦楽オケ」や、「Concerto Grosso」のstyleや、幾つもの、演奏形体を試行錯誤し、書き直した。


結果的には、Quartett+弦5部という演奏形態の形式になったのだが、baroque時代には無かったstyleの音楽の演奏形態の形だったのだが、ViolaをCello(gamba)の代わりにcontinuoにする・・というのは、古典派の時代にはよくやられていたので、Vivaldiのa mollのdoppel-concertoの時にも、Violaをcontinuoに据えてやった事は、何度かあるのだが、流石に、「Quartettをsoliに置く」という演奏のstyleのversionはbaroque時代には、存在する事は無かったので、一度は躊躇した演奏形式だったのだが、これまで、とても良い状態で子供達のQuartettのgroupが育って行っているので、baroque時代としては有り得ない形式なのだが、それを無視して(承知の上で、教育的な意味合いを込めて)、quartet+弦五部という演奏形態にする事にしたのだが・・・、まあ、それはそれで、致し方ないか?

「音楽形式について」
baroque時代の当時の楽曲形式としては、originalのviolin・soloと通奏低音という音楽形式では、kammersonata(室内ソナタ)とkirchensonta(教会ソナタ)の二つの音楽形式がbaroque時代にはある。
kammersonataは、民衆の(と言うか、貴族階級の民衆という意味なのだが)音楽の形式なので、舞曲を中心として急緩急緩のtempoの設定で、それぞれの曲が組み合わされる。

それに対して、kirchensontaは、壯重な緩徐楽章から始まり、それぞれのpartが独立してmelodyを演奏する複音楽=polyphonyの音楽として演奏される。
当然このpassacagliaは、polyphonyのkirchensontaの形式の音楽である。

「Veraciniのblack-humorについて」
ただ、この曲の中間部(第二曲目)には、突然、民衆の音楽であるはずの、hurdy gurdyかbagpipeの伴奏で演奏されるような民族音楽の様式が突然、挿入されて、あるべきはずの音楽ではない音楽が顔を出して来る。
多分、Veracini先生の趣味=jokeなのだろうが、当時の人達はどういう顔をしてそのpassageを聴いたのだろうか??
笑える!!
「笑える!」と、いう意味は、kirchensonataであるこの曲が演奏される場所は、神聖な教会の中であるはずなのだからだ。
つまり、その音楽にとっては、教会で演奏するという事は、非常に不適切な場所であるからなのだ。
教会の神父さん達が、苦虫を噛み潰したような顔をするのが目に浮かぶ。
今では、・・と言うか、キリスト教の歴史の浅い日本では、このBlack-humorの重さは分からない!
・・・というか、当時からとすると、下手をすると十字架の刑(はりつけ)になって、命を失なったかも知れないBlack-humorなのである。

「練習について」
いつもの事で、悩んでも詮無い事ではあるのだが、練習の度にmemberが違って、前回や前々回に注意した約束毎を繰り返してlectureしなければならないので、非常にresponseが悪い。
前回のオケ練習(2月24日)では、この難しい曲のあらすじが、やっと、何とか曲(それぞれのpart)が聴こえるようになって来たのだが、未だそれぞれのpartの「入り」は、まだ少し不安ではある。
勿論、member不足という事だけではなく、曲そのものが非常に難しいからでもあるのだが・・。

尤も、今回の練習でも、練習に参加するのが、受験を終えて初参加の生徒や、member変更のために、今回突然に、secondからviolaに、楽器を変更してくれた美音ちゃんのように、楽譜を見る事が初めての生徒が多くいるからでもある。

やっと、「次回からは、それぞれのpartの音楽表現に入れるのかな?」と期待している所である。
しかし、未だ、全員揃った練習は一度もない事も事実ではあるのだが・・・


2016年の4月3日の芦塚音楽研究所千葉教室の発表会での演奏です。
上の発表会の動画はLupi版を改定したものですが、下の練習中のVeraciniは、originalの元曲から、私が作曲作成したものです。Lupi版は1/3をcutしたものなので、当然、曲的には3倍の長さがあるので、練習も大変です。しても、しても、終わらないのですよ。アハッ!
https://www.youtube.com/watch?v=JiGe-5oMwpI

またまた、書き終えた文章が全部ぶっ飛んでしまった。ほんとFacebookの不安定さは腹が立つよな??


hurdy gurdy=ハーディ・ガーディと言ってもどんな楽器か分からない・・と言われたので、写真を載せて起きます。空を飛ぶdroneではないのですが、持続する音(drone)の上にmelodieを演奏するのは、bagpipeも同じです。Bachのイギリス組曲の第Ⅲ番のト短調(g moll)のgavotteⅡや、第Ⅵ番のニ短調(d moll)のgavotteⅡにも、左手にdroneのpassageが出て来ます。第Ⅲ番のgavotteⅡには、ou la Musetteと書いてありますが、Musette de cour 若しくはbaroque-Musetteとはbagpipeの事です。「農民の楽器」として知られています。


この楽器の場合には、右下の2本の弦がdrone弦で、上の鍵盤でmelodieを弾きます。真ん中の駒の後ろの大きな円盤はhandleで回転して持続した音を出します。
https://www.youtube.com/watch?v=Mpe8YQVkdYE


このhurdy gurdyという楽器は、Schubertの冬の旅のLeiermann(ライエルマン)という曲や、Beethovenの歌曲の中の「モルモット使い」という曲のLeiermannにも登場します。
hurdy gurdyを持って旅をする辻音楽師の歌です。
左手の保続する音はhurdy gurdyのimageです。
https://www.youtube.com/watch?v=sIIS-UgixGE


そういえば、梨紗さんのお友達(か先輩か単なる知り合いかよくわかりませんが)が、古楽器にはまって、ハーディガーディを演奏しまくっているようですよ。生の演奏は聞いたことが無いので、是非演奏会があるなら聞きに行きたいですね。

hurdy gurdyを演奏会場で聴く・・って??そりゃあ、有りえへんわ・・??


なんでんかんでん、芸術になるのは、どうもいただけんのやんねん!


確かに、そこら辺の道端でストリートパフォーマーとしてとか、お祭りでパレードしながらとかの方がしっくり来ますよね。

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「今日のドジ」
2月28日 ·

買い物をするのに、池袋まで行くのが億劫になって、次には自宅近くの駅の周りのお店に行く事も体調的に難しくなって、チョッとした買い物でも、netの通販に頼るようになってしまった。

そこでの「ドジ話し」なのだが、今回初めてではなくって、前にも同じような経験をした事がある。
今回は伊藤園の「お~い、お茶」の濃茶の粉茶を注文に出したのだが、間違えて「粉茶」ではなく「普通の葉っぱのお茶」を注文してしまったのだよ。

パッケージの色も、粉茶と全く同じで、届いた商品を何度見返しても、「粉茶」という表示が無いだけで、全く同じなのだよ!!
普通のお茶と同じであっても、粉茶だとすぐに分かるようにして欲しいと思うのは、ドジな俺だけなのだろうか??(後で、よくよく確認して見たら、確かに、気がつくと、違いはあったよな⁉)

そもそも、このドジの以前の原因は、検索エンジンにある、と思っている。
以前の「ドジ」では、肩掛けのショルダーバッグをして外出中に、突然腰痛が起こって、歩けなくなってしまって、直ぐに、ショルダーが原因だと気がついたので、直ぐにリュック・タイプのバッグをnetで探したのだが、検索にリュック・タイプと入れていたはずなのに、商品を探す段階で、いつの間にか、片掛けの肩がけのショルダーバッグも同時に検索されていたのだよ。


勿論、パソコンのプロバイダーの検索エンジンでは、曖昧検索は外しているのだが、商品の検索に入ると、条件の設定は見当たらない。
てっきり、商品のバッグが届くまで、自分は「リュックを注文した」と思い込んでいたので、まあ、こちらのミスでもあるので、「その内、使う事もあるだろう」と諦めてタンスの肥やしになっている。

今回も、「お~い、お茶」の濃茶の粉末を検索をしていたのだが、料金の比較をする段階で、32㌘以外のパックで、100㌘パックが比較計算上、非常に安いので、1㌔も大量注文してしまった。
パックの装丁が全く同じなので、「粉茶」と信じて疑わなかったのだよ!!
何処で検索条件から「粉末」が外れてしまったのだろう⁉
パックは未だ開けていないので、封を開けて気づいた分けではない。
最初に「粉茶」ではないと気づいたのは、牧野先生なのだが、それも「パックの装丁を見て❗」からではなく、値段が安すぎるから、「「粉茶」では有り得ないのでは??」と疑問を持った・・・というのが理由なのだよ。

ここでは、伊藤園の濃茶のパックの装丁を非難すべきなのだろうか?
それとも、粉茶と条件を設定しているのにも関わらず、その条件が外れてしまう通販の検索サイトを批判すべきなのか、はたまた、単純に俺のドジを責めるべきなのか??
まあまあ、いずれにしても、メゲてしまうわナ??

これでまたまた弟子達に「返品すると良い」と言われそうなのだけど、「返品」となると、「その一手間が・・」超、面倒くさいのよね~ぇ??
鬱で対人恐怖症の私としては・・・なのだがね⁉

(写真はskype用のパソコンのcameraです。)



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今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日 ·

今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。(本当は先週の予定だったのですが、私の体調不良で延期して貰いました。)
・・で、昨晩から、本降りの雨です。
自宅から、バイクでの事務所迄の行程は、レインコート等を着込まないといけないので、何かと準備が大変です。
楽譜の準備は昨夜の内に済ませておいたので、準備と言っても、服を着るだけなのですが、レインコートを着ると、厚みで、普段のコートが着れなくなってしまうので、衣装の総替えになってしまいます‼



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3月





2019年3月1日 ·



「今日は月一の千葉でのonelessonの日」のお話の続き・・・なのですが、
それと、今日は月に一度の蕎麦の日でもありました。
牧野先生は私が事務所に着くのと入れ違いに、ユーカリの教室にlessonに出掛けてしまったので、私は、斉藤先生と千葉に行く前に、取り敢えずお蕎麦で腹ごしらえして出掛ける事にしたのですが、牧野先生が花園で頂いた伊勢芋(写真)が椎名町にあったので、早速トロロ蕎麦用にすってみました。
伊勢芋は、私は初めて食べたので、トロロの蕎麦汁は、お芋の味が分かるように卵や胡麻は入れないで、昆布味のお汁だけを薄味にして、お芋本来の味が出るようにしました。
伊勢芋は、元々とても粘りは強いのですが、味は癖のない淡泊なお芋なので、薄味にしたてたトロロでも、とても美味しかったですよ。
トロロ以外の蕎麦汁のラインナップは、いつもの蕎麦汁のsetで、京ネギとワサビの蕎麦つゆと、大根おろし、なのですが、ワサビは生の本ワサビを、買いに行く時間もなかったので、普通のチューブのワサビです。
折角の蕎麦dayなのに、それは残念でした。
でも、普段も本ワサビは超高いので、比較的に安い本ワサビがあった時にしか、買いません。
普段も、チューブのワサビでお茶を濁す事の方が多いのかな? ・・・?
大根も辛み大根ではなく、普通の大根なのですが、少し酸化させると充分に辛くなります。
という事で、いつもの蕎麦dayと代わり映えはしないのですが、「今日のお蕎麦」の写真を撮ってみました❗













2019年3月2日 ·



夜のcinderella-timeを過ぎて、3月の2日になったばかりなのですが、「な、な、な、なんと!」・・突然、久しぶりの鬱に襲われてしまいました。
ここの所、1週間程、毎日問題なく日常をすごしていて、安心していた後の「突然の鬱!」です。
しかしまあ、鬱々になるのは、私の心の問題なので、それで良いとしても、それが原因で眠れなくなってしまうのは、仕事に直接関係してくるので、被害が大きく、困ったものです。
いつもならば鬱が起こった時には、心身のcontrolのために、音楽を聴いたり、テレビのドラマを見たりして、鬱に心を捕らわれるのを避けるのですが、今日の鬱は音楽に逃げる事を拒否していて、音楽を聴きたくない・・とか、テレビを観たくないと、心が逃げようとする事を拒絶する「面倒くさがりや」の「ズボラtype」の鬱です。

・・・普段ならば、鬱のつまみに「鬱々とした音楽」を聴きながら、wineを飲んで、憂さ晴らしをしながら、鬱に浸っているのですが、今日の鬱は、音楽を聴く事で、鬱を外から見る事を心が拒絶しているのですよ。
テレビも観る気にならない、という事は、alcoholにでも逃げて、酔ってしまえば良い、と思うのですが、でも、鬱が酷い時には、alcoholを飲んでも、酔わないのよね??(You wanna 酔わない・・・とか、言わないよ!)
という事で、仕事もしたくないし、何もしたくないままに、ぼんやりと時間だけを費やしています。
全く、非経済的で、人生の無駄な時間だなや??
鬱になって困る事は、時間の無駄という事よりも、驚く事に、実は「体重のリバウンド」なのだよ。
鬱になると、極端に食欲が失せてしまうので、自分としては、「痩せたのではないか?」と思ってしまうのだが、体重計に乗ってみるとしっかりと肥っているのだよ。
昨日も、朝と昼に、パンを二切れづつ食べただけなので、夜食の時には、嚥下不良になって、食べ物が食道に詰まって大変苦しかったくらいに体が食べ物を受け付けていなかったのに、体重はしっかりと増えていたのだよ。
嚥下不良は、食物が食道の中を通って、食道が開いて来ると、何でもなく普通に食べれるようになるのだけどね⁉
体が「食べる」という事を、忘れて食道が小さくなってしまうのだよなあ⁉
それなのに、「痩せない」って、なんか、凄くない⁉




2019年3月4日 ·



今日は3月3日のお雛さまです。
いつもの通りに、前日、土曜日の深夜は眠れなくってバタ狂っていたのですが、それでも何とか、3時過ぎ、4時過ぎ頃には、3時間程度は眠れて、朝の7時に目が覚めました。
オケ練習は検見川教室にお昼2時からのinなので、少し早めに千葉に向けて出発して、「溜りに溜まった買い物」を途中で済ませようと、超、大雨の中を、早めに椎名町に移動しました。
この所、千葉までの車での移動では、椎名町で車に乗る前に、必ずをtoilette済ませてから運転するように、気を付けているのですが、それでも車の移動中にtoiletteが間に合わなくなってしまうので、コースをいつもの京葉道路周りから、湾岸周りに変更をして、途中のイトーヨーカ堂の駐車場に車を止めて、toiletteに寄ってから、教室に行っているので・・・。
今日は、外での買い物をなんて思いつく程、比較的に元気な状態で椎名町の事務所に行ったのですが、車への荷物の積み込み中に、なんと、バイクの鍵を紛失してしまい、必死に探したのですが、ついに出て来なくて、すっかりメゲて、精神的にもバテてしまいました。
今日は大雨なのですが、それでも首都高の出口、出口は東京マラソンのために閉鎖されていたので、大渋滞になるはずでしたが、大雨が降ったので、車の大渋滞は避けられたようです。
頑張って車を走らせて、池袋で買い物をする予定の、多雑な買い物を、千葉のヨーカ堂で済ませたのですが、それでも、予定よりもかなり早い時間に、検見川教室に辿り着く事が出来ました。
しかし、検見川の教室に入った途端に、超、バテて、疲れと鬱で、生徒達の前に立って指揮、指導をする事が出来なくなってしまいました。
まあ、普通ならば、そこで、自分で指導する事を諦めて、斉藤先生にでも代役を任せる所なのでしょうが、転んでも・・、鬱でも・・、疲れても・・、ただでは起きない所が私の良い所で・・・!!!
・・と言う事で、コンマスの生徒達を一人づつ、私の指導する場所に立たせて、「弾き振り」をさせる事にしました。
子供達は、指揮棒を用いての指揮は、未だに経験をさせた事が殆どないので、今、それをさせても、ぎこちないし、無駄なので、先に指揮振りや指導に慣らすためです。
指揮棒を持っての指揮は、次の段階で良いからです。
体調不良の時には、指揮の位置には立たず、オケの後ろの方で、お茶を飲みながら、楽譜をcheckして、生徒達のlectureをします。
生徒の前での指導とは違って、かなり体調的には、楽になるのですが、演奏表現を生徒達に伝達するには、やはり、距離感が出てしまいます。
だから、指揮指導をコンマスの生徒に代講させるのですが、先生の代わりに、演奏指導をする事は、自分の立ち位置で演奏するのとは違って、pressureがあるので、以前は、「出来ない!」という気持ちが先行してしまって、気持ちが引いてしまって、全く演奏しようとしなかったのですが、今回は皆、頑張って積極的に演奏表現の代役を熟していました。
まあ、私が「疲れた!」「眠ていない!!」と言っているから、「仕方がない!」という気持ちなのでしょうが、それでも、大きな進歩です。
ほんと、step by step、日進月歩ですよね。
一回毎に・・、少しづつではありますが、進歩が見受けられます。
先週は、violinの先輩でしたが、今週はCelloの先輩が助っ人に来てくれました。
流石に、幾ら疲れていたとしても、la foliaとpassacagliaは、私が指導、lectureしないと無理なので、(老体に鞭打って・・)皆の前に立って、指揮とlectureをしました。
la foliaはCelloのsoloが、殆どviolin-soloと対等に動くので、初見ではとても大変なのですが、珠加ちゃん、頑張って演奏してくれました。
私のimageでは、八千代のcorelliの演奏の時には、(ワキだとしても、)珠加ちゃんも舞台に出ていたような気になっていたのですが、8年も前の事なので、珠加ちゃんはその頃は、未だ10歳ぐらいすよね?
と言う事は、la foliaの演奏には出演していなかったのだよね??
corelliを前回演奏したのが、そんな前の昔の話だったとは、すっかり驚いてしまいました。
corelliの演奏も、演奏表現の伝達は、随分出来て来て、後は個人の技術練習だけになって来ましたが、passacagliaの方も、随分、曲のimageが出来て来たようで、melodieの移り変わりの所のtempoの揺らしも、大分大きく変化が付けられるようになって来たようです。
頑張りましょう!
(追伸:失くしたバイクのkeyは、検見川教室行きの袋の中に落っこちていました。オケ練習の最中に荷物をcheckしていたら、keyが出て来ました。アハッ! ・・と言う事で、帰りは恙なくバイクで帰る事が出来ました。大雨の中、・・レインコートを着込んで・・、ですが・・)



2019年3月4日今日は欝がお久しぶりに·



今日は4日の月曜日です。
朝、目が覚めてからも、鬱が再発しそうな感じなのだけど、朝からこういった状態ならば、夜は100%、超、鬱になる事が決まっている・・のだよな??
勿論、鬱が起こりそうな状態の時には体調も良くはない。
体も、思うように動かないのだよ!
起きていても仕事にならない時には、パソコン作業等の軽作業で、前に書いた原稿を推敲するのが一番楽で良いのだよな?
・・なんだか徒に時間を浪費しているような気もするのだが、推敲をする事は、それなりに重要な作業なので、体調不良で部屋で引き籠もりを余儀なくされる時には一番良い作業なのだよな?
鬱が酷くて体調不良の時には、「ドルプリっ歩を断念する」事は当然なのだけど、それだけではなく、部屋で寝込んでしまう事の方が多いのだよ。
それでも、椎名町から食事の時間の連絡があれば、無理をしてでも、椎名町までバイクを飛ばして出掛けるのだが、今日はドルプリっ歩の時間の連絡はあったのだが、食事の時間の連絡は無かったので、(鬱が酷いし、超冷たい雨も降っているので、)連絡の無い事にかこつけて、食事のために椎名町まで行く事をやめてしまった。
「食事を抜いてしまうのでは、お腹が減るのでは??」と、思われるかもしれませんが、鬱が酷いと、同時に食欲も失くなってしまうので、体調の無理をしてまで、食事に行く気も起こらないのだよな?




2019年3月5日 ·



昨夜、4日は、余りにも鬱が酷かったので、部屋に引き籠って、出来る仕事として、「昔、You Tubeにuploadした曲で、解説があまり書かれていなかった曲」に解説を新たに書き加えました。
You Tubeにuploadした曲は、ある程度期間が経つと、access数が極端に減ってしまうので、Titleを変えたり、内容が分かり易いように、コメントをrenewalして、新しい人がaccessし易いように、新しい人やrepeaterをもう一度、呼べるように工夫をします。
たまに、そういった一手間が上手く行く事があって、access数が幾らか増える場合もあります。
昔々にuploadした曲は、そういった工夫をしなければ、You Tubeのfileの肥やしになってしまうのですが、そういった作業は体力や気力を必要としない、単純な作業なので、仕事が出来ない鬱の酷い時に、コツコツとする事にしています。
元気な時には、もっと別の作業が一杯あるのでね?!
特に、baroqueのperiodの演奏は、Classic音楽の中でも、特にmaniacなgenreなので、元々、基本的にaccess数が極端に、少ない分野なので、そういった地道な努力の積み重ねが必要なのですよ。
こう言った努力を、隠匿・・(冗談です。)??・・・とでも言うのかね??アハッ!
私が、こういった地道な努力を、コツコツと、普段の仕事が出来ない鬱の時に、しているという事は、斉藤先生達も知りません。
だから、隠匿・・影でコソコソとする・・隠匿なのですよ!
陰徳ではありませんよ!!
Hennry purcellのtriosonate g moll chaconne 15年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、第4部1番baroque楽器による演奏(period instrumentsと奏法)です。 periodに関する演奏法とinterpretation、ornament指導は芦塚陽...



芦塚 陽二 2006年の9月23日の東京大泉学園ゆめりあホールでの演奏です。このホールは音の響きが室内楽的でbaroqueの演奏も可能なホールです。ホール取りがダブってしまって、このホールはキャンセルをする事が出来ないので、折角なので、ちょうど良い機会だということで、先生達のbaroqueの演奏会を企画、開催しました。
勿論、無料公演です。
その後は、東京の教室は基本的に畳んでしまったので、このホールでの発表会や演奏会はしていません。
現在はrenewalしているので「ホールの音響は現在どうなのか??」とかの具体的な状況は分かりませんが、この時の録音では、ホールの空調の音がうるさくて、演奏の録音が上手く行かなかったのが残念でした。折角、ホールのacousticはとても良かったのにね??

https://www.youtube.com/watch?v=mP-ZVPWoE1w




2016年の11月23日の千葉市美術館さや堂ホールでのbaroque-Konzertでの、BiberのRosary Sonate Nr,9のbaroque-violinでの演奏です。
このホールは、昭和2年に川崎銀行千葉支店として建てられた歴史的建造物なのですが、演奏会のホールとしても、使用されています。石造りの建物なので、残響が非常に大きく、baroqueの曲を演奏するにしても、演奏が難しいホールです。
演奏会は、私の擬古典の曲や、Trio-sonataや無伴奏の曲等色々と演奏しましたが、勿論、biberのrosary-sonataも、斉藤先生のlife-workの曲なので、当然、演奏をしました。勿論、baroque-violinとbaroque-cello、cembaloのperiod-instrumentで、scordaturaとbaroque-pitchのoriginal-baroqueでの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=AYrHHc52Oj4




だいぶ古い演奏になってしまいましたが、06年の7月25日の珈琲館「ブナ」での演奏です。
カウンターの横が客席になっていて、30名限界の喫茶店です。
絵や色々な展示を常設していて、音大生達やproの人達も演奏会をしたりしています。
江古田に住んでいた頃は、行きつけの珈琲店だったので、私も「企画演奏をしても良いのかな?」と言ったら、「無料奉仕だけど、それでも良かったら、好きな曲を演奏しても良い!」て事を言っていたので、「それならば先生達の研究発表の場に・・』という事で、超maniacで、stoicな演奏会をする事にしました。
「お客様は0で良い!」と言う事だったのですが、演奏の日にちが決まってprogramを作る前に日にちだけの報告に行ったら、その日の夕方には、もうsold outで、私の座る場所も無かったのですよ。
千葉教室の保護者の人達が、「先生の演奏を聴きたいのに・・」と怒っていました。
それから、年2回程の予定で演奏活動を続けて行きましたが、毎回、時間で予約が埋まってしまうのですよ。
曲は超maniacで、面白くないと思うのですが、不思議だ!!

passacaglia d Heinrich Ignaz Franz von Biber Rosenkranz-Sonaten、珈琲館「ぶな」コンサートより抜粋の1曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=JYmS-EYKXiY




斉藤先生の演奏、素晴らしいです!!素敵な曲ですね〜。タイムトリップした気分になりました。バッハのシャコンヌみたいなところもありますね。難しそうですが簡単そうに弾かれていてすごいです。


嘘か真かは兎も角として、一般的には、Bachがこの曲を参考に勉強して無伴奏を書いた・・と言われています。でも、baroque時代には、genreとして無伴奏の領域があったので、がBachこの曲を勉強したのか否かは定かではありません。Bachの無伴奏の作品だけが有名だけど、教室ではBachの無伴奏に入る前に、Telemannの12のfantasiaという曲で無伴奏独特の演奏法の勉強をさせています。いきなりBachだと、「難しい!」というimageが先行してしまうので、そういったgenreの演奏法がある・・という事を知っておくと、導入は楽ですからね。
参考までに:Telemannの12のfantasiaよりNo.1の演奏です。
斉藤先生、18歳(高3)の時の演奏だそうです。
年齢を書き加えるついでに、教室のconcept等をYou Tubeのコメント欄に書き加えて起きました。

https://www.youtube.com/watch?v=G8csyetu0SU




やっぱり!!エキサイティングです。斉藤先生のテレマンも素晴らしかったです。実はこのテレマンの曲、私も、まさにバッハの無伴奏の前段階で生徒に教えたことがあるのですが、この中にも、バッハの作品にそっくりな部分があって、作曲年を調べるとバッハより先だったから、「もしかして?!」と生徒と話していたのです。先生のお話でリアルになり、またこの曲を勉強したくなりました。質問なのですが、無伴奏の重音の部分の暗譜が苦手です。やはり和声学の勉強ですかね・・。


勿論、和声学も手助けにはなります。でも、和声学をまだ習っていない子供達には、声部の動きをmelodie-lineとして教えます。「この音はこの音に掛かって・・・」という風に声部毎の流れを説明して、それぞれの声部を歌えるようにします。横の動きが把握出来れば、多声部の暗譜は簡単です。生徒達には、縦の和音ではなく、横の流れを・・と指導します。


ありがとうございます😊





拝見しました。素晴らしい!❣ヴィデオの下の詳しいご解説も大変勉強になりました。装飾音、難しいです。今ヴィヴァルディの「冬」を生徒とやっていますが、最後の長めの音にトリルがついているのの解釈がわかりません。どう弾けばいいのでしょうか?例えば2楽章のソロの最後の長い音符とか。


Ⅱ楽章のsoloの最後の長い音符というのは、私のオケ譜には無いので、分かりません。16小節目の2拍目のtrillの事でしょうか?その後の2小節半の伸ばしっ放しの音がoriginalでは伸ばしになっていて、trillは掛かっていません。violinの1stと2ndがpizzicatoでdecrescendoをしながら静かに消えて行くように終わるので、trillが入るとうるさいと思うのですが、長い伸ばしっ放しの音符は一つの伸ばしのように弾くのは、結構難しいので、trillで伸ばしっ放しを誤魔化しているのかな?
多分石川先生が千葉教室のオケ練習を見学に見えられた時に、ちょうど私が弓の上死点下死点のお話を生徒達にしていたと思いますが、この長いdecrescendoも弓が足りなくなるので、教室では円回転を使って、一つの伸ばしに聴こえるように演奏します。だからtrillが必要ないのです。
trillをすると上死点下死点が聴こえないからですよね??
このお話の答えでよかったのかな??それとも、場所や意味を取り違えてしまっていたのかな??
間違えたのならご免なさい!!


うわあ!解決です。ありがとうございます。オリジナルにはないのですね。それで全て納得です。疑問に思ったらオリジナルを調べるのが大事ですね。1楽章も調べてみます。


一般的には装飾音は、感覚的に付けるとされていますが、CembaloやpipeOrganのように、baroque楽器では音に強弱が付けられない楽器が多いので、以前にもお話したように、学校で教えているように、「拍頭が強拍になる」・・という事は、音楽の表現ではない事の方が多いのです。という事で、拍節法によって、弱拍であるはずの音符が強拍になったり、終止で弱拍になったり、という表現が、cembalo等の楽器では、音の強弱で表現出来ません。それで、articulationの表現のために、ornamentが発達したのですよ。
和声のdominanteの法則に合わせて、強拍と弱拍を装飾音で表現すると、音楽のmelodyが、活きて来て、自動的にbaroqueらしい音楽表現になります。
そのmelodyのarticulationによる表現の例は、装飾音に関してのpageの、Couperinの修道尼モニカの解説のPageに詳しく、articulationの表現の違いが詳しく書かれています。あれっ?ひょっとして、pageはまだ壊れたままだったかな??



originalは日本版のポケットscoreを買うと一応は充分です。Peters版やRicordi版とも殆ど変わらないので



子供達に、装飾音を最初に教える時には、強拍を表す装飾音と弱拍を表す装飾音から、演奏の違いを説明します。


なるほど。これまでに教わったことのない素晴らしい視点です!そういう物差しをいただくと演奏法が見えてきますね。いやあ、改めて、先生ところの子供達はラッキーです。


生徒がそう思ってくれれば、私もラッキーなのですが⁉誰もそう思っていないのよね⁉


そう言えば、物差しで思い出したのだけど、つい先日、ピアノの生徒に、melodyのどの部分からだとしても、scaleになるpassageは、そのscaleの指使いになる・・・と説明したのですが、scaleは物差しだという意味が中々分かって貰えなかったのですよ❗つまり、scaleの指使いと、melodyに出てくる指使いは、別物として、一々考えるのよね⁉人生の無駄だから❗って言うのだけどね⁉




2019年3月6日 ·



「Prideとcomplex」
prideと増上慢(うぬぼれ)とを勘違いする事があります。
人(他人)は兎も角としても、自分にとっては、complex(劣等感)よりはprideの方が、より積極性があって、マシではありますが、prideは兎も角として、増上慢(うぬぼれ)では、自分の成長を疎外し、止めてしまいます。
物事を学ぶ上では、謙虚さはとても大切で、人(他人)を理解する事は成長に繫がって行きます。
しかし、謙虚さはよくcomplexと勘違いされてしまい、prideは自惚れと誤解されてしまう事があります。
「jealousy(=嫉妬)とrival(=ライバル)」
また、成長をしようと、努力を続けている人にとっての、最も気をつけなければならない事は、jealousyです。
jealousyの最も気をつけなければならない事は、jealousyとは、自分を人と比較して、人よりも劣っている所を羨むだけであり、そこの所を努力して克服しよう・・という姿勢がないという事です。
jealousyが、もっと悪く表れた場合には、自分の周りの友人達の自分よりも優れた面を、自分のlevelにまで下げるために、並々ならぬ努力をする事さえあります。
「その努力を自分のために使えば・・・」、と、思われるかも知れませんが、その場合、自分の技術を下げるための努力をするのは相手であり、自分ではないからです。
jealousyを起こす人は、所詮、怠け者なのですよ。
日本の女の子が、よく口にする・・と言われている言葉ですが、「今のままの私を好きになって・・・❗」という言葉をよく耳にします。
有り難い事に、現実の世界で私が耳にした事は一度もなく、あくまでもテレビ等のdrama(=ドラマ)の中の世界の話ですが、その言葉の潜在的な意味は、「私はあなたのためには、何も努力もしたくはない❗」と言っているという事と、同じ意味なのです。
それを「可愛い❤」と言う人がいる・・という事は、私には信じ難い事です。
まあ、いずれにせよ、それは人様の勝手なので、私には関係の無い事ではありすが、私の場合でしたら、仮にその子が、どんなに可愛いかったとしても、そんな女の子と私が、直接、接する事はありません。
そのタイプの女の子は、何時かは必ず周りの人を不幸にするタイプの人だからです。
日本の社会ではでは「jealousy」は、結構、いろんな場所で、幅を利かせていて、社会的にも或る程度は、その存在を認められているので、「jealousy」を忌み嫌っている私としては、困ってしまいます。
athlete(=アスリート)に限らず、努力を続ける若者に一番必要な人は、ライバルです。
ライバルとjealousyが根本的に違っている所は、ライバルとは、相手の自分よりも優れている所を認めて、それを学び越えようと努力をするという所にあります。
優れたアスリートは、必ず優れたライバルがいて、その人を目標にして頑張ります。
ライバルは、時としては、歴史的なlegend(=レジェンド)である偉人の場合もあります。
Genzmer先生のclassで学んで、最初に教わったRat(=助言、忠告、座右の銘)は、「作曲を学ぶ者は、全ての作曲家に対して、謙虚でなければならない❗」という事でした。
つまり、作曲を学ぶ者は「作曲家に対しては、好き嫌いを持ってはいけない」という事です。
このGenzmer先生の言葉は、私が教室を開いて、音楽を学ぶ生徒達に「Genzmer先生の忠言として」、必ず教えているRatです。
私がイタリアの国際コンクールで1位入賞をして、Genzmer先生が私に対して、一人前の作曲家として対等に接して来たので、私は驚いて、先生のその態度の意味を尋ねたのですが、先生は「あなたが国際コンクールで1位になったという事は、社会で作曲家として認められたという事なので、私もライバルの作曲家として、あなたから学ばなければならないのですよ❗」と言われました。
流石は、世界のreader(=リーダー)の言葉は違います。
師匠のその謙虚な姿勢は、私達が本当に学ばなければならない姿勢であります。
ライバルを持つ人には、jealousyはありません。
jealousyがあれば、ライバルを持つ事は出来ないからです。
それはそうと、今日の(・・・というか、もう昨日の事になってしまいましたが)朝は、初めてドルちゃんがハイツにやって来ました。
全く知らない初めての部屋に、私が居たので、驚いていました。「え~っ?何でここにいるの⁉」てな感じかな⁉
ドルちゃんは、結構ジェラシックな女の子なのだけど、それでも可愛い❤



素晴らしい文章で、大変共感いたしました。公開設定にされていないので「シェア」できなくて残念😌


お褒め頂いて心いります。鬱日記的な文章が多いので、友達公開にしているのですが、この文章に限って(文章毎に)公開というのは出来るのですかね?


各投稿の右上の…マークをタップし、「プライヴァシー設定」から個別に設定可能です。




2019年3月7日 ·



3月7日の早朝です。
まだ眠れぬ深夜です。
椎名町から大雨の中をバイクで帰って来て、弁当を冷蔵庫に入れようと思ったら、ケースの中のお味噌汁の洪水で、ケースを洗って、濡れたレインコートを玄関のコート掛にかけて、パソコンに動画のデータを取り込みながら、ベッドで悶々としていたら、誰もいないはずの台所の方から、ガサゴソと人のたてるような音が聞こえて来ました。
「泥棒でも入ったのかな?」と思ったのだが、ベッドから起き上がるのも、かったるいので、泥棒ならば、そのうちに寝室にも、入って来るだろうし・・・と、そのままベッドで悶々としていたら、今度は、反対側のベランダからガサゴソと音が聞こえて来ました。
「ああ、なんだ?これは雨音ではないだろうか?」と思ったのだけど、やっぱりそれをcheckするために、布団から出るのが、面倒なのですよ。
雨音だろうが、泥棒だろうが、コートが落ちる音だろうが、パソコンの作業が終わった音だろうが、まあ、いずれにしても、寝室に誰かが入って来ない限り、何の問題もないのだから、どうでもよいのだよな!
・・・と、うだうだとするのだが、やっぱり眠れない❗
さっきは一瞬だけ、椅子の上で、ウトウトしている瞬間があったのだが、その時にベッドに行けば、なんとか眠れたと思うのだが、お味噌汁の洪水で、ケースを洗っている間に、その瞬間を逃してしまったのだよ❗
そろそろ、ベッドで寝ているのも疲れて来たので、起きようかな⁉
もうすぐ朝の5時です。
寺田寅彦調で書いてみました。




2019年3月8日 ·



3月8日(金曜日)の早朝というか、3月7日(木曜日)の深夜というか・・というと何時もの書き出しなのだが、まあ、定形句のroutineとでも思って貰えば良いのかな⁉

昨夜は遅い食事に出掛けて、帰ってから出発直前までやっていた作業を纏めながら、弁当を冷蔵庫にしまったりしていたら、どうしようもなく睡魔に襲われて来たので、大急ぎで、ベッドに入ったら、ベッドの冷たさで、眠気がブッ飛んでしまった。
さて、どうしようと思ったのだが、いつものように「wine逃げよう!」と思ったのだが、もうをmy-wineは飲んでしまって、注文中なのだが、注文してだいぶ経つのにmy-wineはまだ届かないので困ってしまう。
本当の事を言うと、高いwineは、数本あるにはあるのだが、普段の鬱に飲んでもしょうがないからね⁉

まあ、いつもの摂眠障害の分析をすると、膝から下が、・・特に踝から指先が氷のように冷たい❗
いくら、アンカで温めても、このpatternでは体は温まらないので追いつかない❗

昔、お袋が「足が冷たい」と言っていたので、電気の足温器を買ってpresentしたのだが、多分、一度も使わないままに、押入れに置いたままであったので、家を処分する時に、ユーカリに持って帰ったのだが、ユーカリは誰もお泊まりをしないので、そこでも押入れの肥やしになってしまっている。
足の冷えには、足湯はとても有効なのだが、準備や後片付けが大変なので、電気の足湯ならば簡単だと思ったのだが、お袋には、使って貰えなかった。新しいものには、苦手なので、使用法を説明するのだが、中々覚えて貰えないからね?

持って帰って来た電気の足温器は、私が自宅のハイツで、足が冷えて眠れない時に、使えば良いのだが、ハイツは部屋が狭くて、物が散乱しているので、何一つ置くことが出来ないのだよ❗
それにしても足だけを温めるのは、結構難しい課題だ。
寝室のアンカは、直ぐに準備出来るようになっているのだが、温まるまでには、結構、時間が掛かるし、それから足が温まるまでにはまた、時間が掛かるのだよ❗
しかし、鬱の時には、不思議な事なのだが、冷たい布団に入って、しばらくして、体は温まって来ても、足先だけは何時まで経っても温まらないのだよ❗
それこそ、一晩中でも、体は温まっても、足だけは冷えたままで冷たいままなのだよ‼
勿論、それでは眠れる事はない❗
と言う事で、摂眠を良くするためには、強制的にでも足を温める事しか方法はないのだよ‼


それはそうと、今日も超、鬱が酷くなって来て、心のcontrolが利かなくなって来た。
仕方がないので、高いwineしかないのだけど、諦めて飲むか??
と言う事で、Franken=フランケンのbottleをselectして、wineを開けようとしたら、なんとコルクが割れて、ボトルの中に入ってしまった。
コルクのクズが入らないように気をつけながら、wineglassにwineを注いだら、白wineなのに、なんと黒酢のような色をしていた。
「え~っ??」とビックリして、ラベルを見たら何と、1983年の、40年物のwineだったのだよ。
そりゃあ、美味しいわさね~ぇ??
今日のくだらない鬱のつまみにするには、超贅沢なwineだよ!!
まるで、味は濃くて、Brandyになる前のwineだなや??
日本酒のように、というよりも、もっとチビチビと、1滴づつ舐めるようにすると美味しいのだが、普通にwineのようにゴクンと口に入れると味が濃すぎる。
勿体ないおばけが出るかもね??


コルクを落とした・・・といえば、昔々、郷里の長崎に帰省していた時に、日フィルの三角氏に連れられて、ちいさなwineセラに斉藤先生を連れて行ったのだが、三角氏がmyーwineという事で、ロマネ・コンティの80年物を自宅のセラから持って来た。お店のソムリエ見習いの若い女の子にbottleを開けさせたのだが、女の子が緊張で、手が震えて、コルクを割ってしまった。残ったコルクの欠片が、どうしても取れない。100万以上するwineに、ソムリエの師匠は真っ青な顔で、見習いの女の子も半泣きだったのだけど、三角氏は「いいよ❗いいよ❗」とこともなげにコルクを瓶の中に落とさせた。「コルクがグラスに入らないように、気をつけて注いでね?」

オークションで落とした80年物のwineのコルクは、もうボロボロに腐っていたのだよな⁉
そういう事も、よくあるのだそうな⁉
私は、基本、赤は飲まないので、グラス一杯だけ、味見にお相伴して、後は白のwineを一人で飲んでいたのだけど、斉藤先生達は「美味しい❗」と言って、感激しながら飲んでいたよ。

アッシには、カビ臭かったけどねぇ?
どうも、赤の味は分からん⁉




2019年3月9日 ·



木、金と、24時間以上も全く眠れない日が続いた話しは、もう、しましたが、その間、産まれて初めての、花粉症のような鼻水ポタポタの状態が寝ても起きても続いてしまって、参ってしまいました。
「とうとう、この歳になって、花粉症になってしまったのかな?」という事です。
私達、回虫世代は、基本、花粉症にはならないと、たかをくくっていたのですが、病院では、「歳を取っても体が変わるので、アレルギーになることは、よくあるのですよ。」と先生に言われていたのでね⁉
布団の中でも、鼻水が出続けるので、全く困ってしまいました。

何とか、3、4時間眠れて、トイレに起きたら、何と、鼻水はすっかり止まってしまいました。
「何だったのだろうか⁉」 いつもの、鼻づまりの状態に戻ってしまいました。

明日は、通常の千葉でのオケ練習ですが、来週は病院weekで、川崎での、術後3ヶ月の膀胱鏡での検査と光が丘の糖尿外来が続けてあります。毎日では、体力的に厳しいのですが、病院の都合なので、二つの病院の予定が上手くかまないので、しかたありません。私の都合は、聞いて貰えないので・・・


大正生まれの私の祖父も、70歳を過ぎてから花粉症を発症しました。
「ワシも若いんだなぁ〜♫」と、本人は満更でも無い様子(?)でしたが・・💦




2019年3月11日 ·



3月11日の月曜日です。
昨夜、日曜日のオケ練習の帰りに高速に乗ってから雨が振り始め、ハイツに戻る頃には、とうとう本降りになってしまいました。
今日の朝になっても、延々と同じペースで降っています。
予報では明日は晴れる事になっているけれど、明日は術後3ヶ月検査で川崎まで電車とお迎えのバスを乗り継いで行かなければならないので、晴れてくれないと困るのだよな?
明後日の水曜日は、ひかりヶ丘の糖尿病外来だしな??
2日連チャンの病院通いは流石にきついし、川崎の病院の術後検査は麻酔を掛けての検査なので、帰りの電車が何かと心配なのだよな!
まあ、明日の事は明日悩むとして、昨日のオケ練習では、突然、大阪から碧人君が大学の春休みで、オケ練習の検見川教室に来て、VeraciniのpassacagliaのOrgan-partを初見で弾いてくれたよ!!
Organ-part担当のひかりちゃんが、練習の途中で熱が出て、早退させたのでね!
「Foliaとpassacagliaは、年齢層が上がった」と紗來ちゃんが言っていた。
確かに、Stamitzからは、大学生達の総出演で、グンと年齢が上がるよな?
毎週日曜日の、オケ練習のrotationでは、memberの入れ替えを休憩時間にするように組んであるので、休憩を挟んで3曲ずつのgroupingをします。
2回オケのgroupの3曲の練習時間は、それぞれ曲の練習時間が30分づつで、total1時間半で、問題はないのですが、私が指導する3回オケの前半のgroupの1時間半は、人は一応3人なのですが、曲が難しく、また1曲辺りの演奏時間が長くなったのと、曲が桃迦ちゃんのVivaldiのcello-concerto G を除くと、後の美音ちゃんのVivaldiのe mollのⅠ、Ⅱ楽章と綾乃ちゃんのCapuzziのⅡ、Ⅲ楽章で、実質的には、合計5曲になるのですが、練習時間は、仕込み(楽器の持ち替えやtuningの時間、楽譜の準備も含めて、なんと、2回オケと同じ、1時間半なのです。)
つまり、1曲あたりの持ち時間は、準備の時間も併せて18分しかないのです。当然、通しで、8分は掛かるので、もし、真面目に時間を守って練習をするとすれば、one point-lessonでもきついかも知れません。
という事で、桃迦ちゃんのlessonを通常のオケ練習のように指導をすると、次の、美音ちゃんのVivaldiのⅠⅡ楽章だけで、練習時間が終わってしまって、最後の綾乃ちゃんのCapuzziのconcertoのⅡⅢ楽章の練習時間は全く無くなってしまいます。
つまり、Capuzziの練習時間が、前の曲の練習のシワ寄せを受けて、ざっと、一度通しただけで終わってしまいます。
今回は、桃迦ちゃんが学校の試験でお休みだったので、順番をひっくり返して、Capuzziからオケ練習を始めました。
cello-concertoのオケのpartは、練習箇所は出尽くして、練習の箇所は、毎回同じroutineになってしまっているし、桃迦ちゃんの練習箇所も、抜き出しで牧野先生の個人lessonで、充分だからです。
と言う事で、今回のCapuzziの練習をuploadする事にしました。
最後のgroupは、StamitzのViola-concertoのⅠ楽章と、Corelli=Geminianiのla foliaと、Veracini=Ashizukaversionのpassacagliaの大曲3曲です。
出演のmemberの関係で、Stamitzだけは、最初に練習をしなければならないので、この3曲も順番の入れ替えは出来ません一番大変な膨大な長さの、体力勝負のpassacagliaがオケの最後に来るのは、とても大変なのですが、これも、致し方はありません。


https://www.youtube.com/watch?v=z07qAEy7cSs&fbclid=IwAR1BgK-3OVKozOXSBiK5_9BcFrFJCi
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芦塚音楽研究所千葉音楽教室、Antonio Capuzzi Kontrabass-concerto D Dur ⅡⅢ楽章、検見川教室の練習風景です。川島綾乃(中2)Kontrabass-solo、指導芦塚陽二先生 毎週日曜日のオケ練習では、午前中は小さな子供達の室内楽や全体合.....



てな事を書いていたら、今日はまた、血尿が出てしまった。
昨日は少し頑張り過ぎて無理をしたのかな??
それとも明日の検査へのpressureが原因・・・?? 
それにしても、今日は、未だ疲れが取れない!!



2019年3月13日 ·



川崎の3ヶ月点検に12時前に出掛けてから、検査を終えて、7時過ぎに何とかハイツに辿り着きました。病院の後片付けをしたり、火曜日の予定の注射をしたり、色々と雑用をして、次いでに、午前中に作っておいた、vivaldiのa mollの1楽章の分析譜を、homepageにupして・・・と、雑用を始めたのですが、超、バテてきたので、9時前に寝てしまいました。
2時間後の11時には、routineのtoilette-timeで起きたのだけど、それから何時ものように、眠れなくなってしまいました。
明日は朝9時からひかりヶ丘の糖尿外来の診察日なので、その30分前までには血液検査を済ませておかなければならないので、遅くても8時半にはひかりヶ丘の病院に着いていなければなりません。
・・と言う事は、8時にはハイツを出発しなければならないので、7時には起きて準備を開始しなければなりません。
と言う事は、今はもう3時なので、寝ておかなければならないのですが、pressureで眠れないのですよ。
昨日は、注文していたwineが着いたので、wineでも飲んで寝たい所なのだけど、血液検査があるので、alcoholは飲む事が出来ません。
困った事だよな??



2019年3月13日 ·



朝の7時45分には、ひかりヶ丘の病院に出発して、9時前には病院の検査を済ませて、9時の予約時間から、1時間以上待たされて、5分で診察を終わってしまった。それから、またまた、手続きで延々と待たされて、病院を出たのは、なんと11時過ぎだった。たった5分の為の4時間という、この途方もない時間の無駄は、もう、我慢の限界かも知れない。
診察の結果は、「腎臓の機能が半分くらいに低下しているので、問題だ」、と言っていたよ。
昨日の泌尿器科の検査の時には、腎臓の機能が衰える張本の科なので、先生はそれについては、何も言わなかったのだがね⁉
・・・で、糖尿の先生は、「痩せろ❗」としか、言わないし、「食べるから肥る」・・が、どうやら持論らしい事が判明した。
「このひと月近く、stressが続いていて・・・」と、話しても、それに対しての興味は全く無くて、聞く耳もないようだった。
あれだけ「食わなきゃ痩せる」という通念に苦しんで来た事を、毎回話して来たのに、今はもう、興味はないようだ。
病院を11時過ぎに出て、小一時間掛かって、12時過ぎにハイツに帰って来て、超、疲れが出たので、何もかにもそのままの状態で爆睡してしまって、公園の子供達の遊び声で目が覚めて、暫くの間は、次の日の「木曜日の朝だ!」と思い込んでいたのだが、時計を見て、未だ水曜日の夕方だと気がついた。
「時間を儲けたのかな?」と思って、パソコンを開くと、何時もの通りに、またまた、鬱な報告が・・。
まあ、これも仕事の一分なので、仕方がないのだが、でも、勘違いをされて、困るのは、「教室が何をしてやれるか?」ではなくて、「教室に何を望むか?」なのだよ。
もし、教室に何かを求めれば、それを与える事は出来る。
しかし、教室に望まなければ、教室が幾ら頑張って、とても大切な物を与えたとしても、その与えられた物には、何の価値もないのだよ。
その原理を知らないと、指導者は消耗してしまうよ⁉



2019年3月14日 ·



今日も、Facebookは使い物にならない‼upload出来ない❗
あれれのれ??
error-messageが出ているのにupload出来ているぞ??
不思議だ!
今度はuploadをしている文章が、uploadの保留中になっている・・とシェアを求めて来た。同じ文章が2つ出来てしまったので、求めて来たシェアの分は削除した。元の文章も削除されるかな?と危惧したのだが、それは無かった!!
何、やっとるんじゃ??Facebookは・・??
何と、テレビで今日はFacebookがおかしくなった・・という放送をやっている。
でも、今日に限らず、普段からじゃん!!何を今更・・・



2019年3月16日 ·
「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」


「出来る」から始める人と「出来ない」から始める人がいる。
それはその人の、仕事対しての姿勢に限らず、その人の人生そのものをも示している。
「出来ない」から始める人は、『もし、出来なかったら、どうするの?』と必ず聞いて来るのだが、「出来ない」で始めていなかったとしたらどっち道「出来ていない」のだから、それが「ダメ」で「失敗した」としてもequal=egalにしかならないのだよ❗
つまり、それ「以上の失敗」は無いのだよ。
「出来ない」という前提からは、何も「始まらない」のだが、「出来る」という前提からは、それを「成功させる」ためのprojectを作る事が出来る。
その過程で失敗があったとしても、失敗は、「その方法論では上手く行かなかった」という事を証明したに過ぎない。
つまり、その後には、必ず、別の方法論、つまり、別の道への可能性が幾らでも作れる・・と言う事なのだよ。
「ダメ元」という前提も、「出来る」かも知れない・・という前提に立っている。
つまり、「出来ない」という人達にとっての最良とは、現状維持の事であり、その現状維持が成り立たなくなっている・・としても、その現状維持を保とうと努力をする。
「現状維持」は、「取り巻く周りの環境が同じ場合・・」という極めて稀な不確定要素に満ちた前提条件の元にしか成り立たない。
儒教的な発想は、「何も変えない」「何も変わらない」という前提の元にしか、成り立たないのだが、それを「安定」と勘違いする人達がいる。
でも、この「正しい安定」を維持するためには、常に安定させるための「改革」、「工夫」と言った「努力」が必要であるという事を知っておかなければならない。
「安定」を得るための、「何もしない」という事は、必然的に衰退を招き、滅亡への道を歩む。
諸行無常、社会は時代と共に、常に変わって行くものであるから、「何もしない」という事は、「時代に取り残されて行く」・・という意味になるのだよ。
これが世の常である。
教育者である事を忌み嫌う私(余計な前提だが・・)が作り上げたmethodeは、子供は『正しく導けば全てが出来る』という前提で構成されている。
出来るようにするために、curriculumが組まれているのだよ。指導者が、その立ち位置さえ変えれば、子供達への可能性は無限になる。
最初から、子供だから「出来ない」という前提では、「何も出来ない」のだよ。
また、これは宗教ではないのだから、「出来る」と信じれば、「出来るようになる」という筋合いのものでもない。
「出来るようにする」ためには、「出来るようになる」ためのcurriculumが必要になるのだよ。
「子供だから出来る」という前提も、基本的には間違えている。
そこに「正しいcurriculumと正しい信念を持てば」・・という条件が付けば・・という事である。
たった、それだけの事が、40年以上も主張し、実証しているのに、未だに世の中に理解されない。
不思議な事だ!
子供達を指導して、子供達の可能性を作りあげても、親を指導する分けではなく、社会を改革する分けでもない。
子供達を取り巻く環境は、旧態然として、何も変わらないのだよ。親や世間の人達は自分の環境を変える事を良しとはしない。
だから、幾ら、良さげな箴言があったとしても、それは聖フランシスの魚達への説教に過ぎない。
見ても見えず、聞けど聴こえずなのだよな??
まあ、人間の人生なんて、そんなもんだ‼
タバコはもうやめたから、「人生はマッチ箱のようなもんだ‼」なんて酔狂な事は私は言わないよ‼
コメント
芦塚 陽二
補遺も書いたのですが、目下非公開にしています。文章がキツいので、もう少し、優しく一般的な文章になったら、友達公開にします。



3月16日 ·
「pessimism=悲観主義」と「optimism=楽観主義」補遺「見切りについて」
この話しは、教育の話に限った話しではなく、一般的な全てに通じる話しであるという事で、教育ではない他の例をあげるとすれば、大人社会で、ある程度の地位を持った人の場合、特に会社経営等に携わる人達に多く見受けられるのだが、「出来ない」というtypeの人が、人生に英断をして、会社というprojectを始めて、或る程度の成功を収めた場合、そのprojectが時流に立ち遅れて、赤字経営に陥った場合でも、必死にそのproject(経営style)を守ろうとあがいているのをよく見受ける。
会社経営の場合には、赤字に転落した段階で、それが立て直し可能か否かの「見切り」が大切になる。
不動産や固定資産を全部処分したとして、赤字の補填に充てたとして、それで0円になれば、それは「見切り」が正しく行われた事になる。支払う事の出来ない負債が残ったとすれば、それは信用の失墜だけでは済まなくなる。何とかすれば、何とかなるでは、それは妄執に過ぎない❗
教育の問題として、この話しを言い換えるとすれば、教育が幾ら上手く行っていたとしても、親の判断が間違えていたとすれば、子供が幾ら正しい道を歩んでいて、それ相応の成果をあげていたとしても、親が教室の指導に不本意ならば、教室としては、それ以上の教育をしてはならないのだよ。
親が教室の指導方針に反対の立場を取るのならば、将来的に、必ず子供は行き詰まってしまうのだよ。
それは徒に、子供の挫折感を煽る結果となるだけではなく、指導者にとっても、砂地獄のような不毛は努力の甲斐のない教育をする事に他ならないからである。
それならば、親を積極的に指導して、親の教育に対しての考え方を変えさせれば良いのでは?と思う人達も多いと思われるのだが、大人はハウツーは変わることはあっても、産まれてからの本質は、変わることはないのだよ❗
日常的な生活を幾ら変えても、心の奥底にある本質が変わらないと、子供の将来が変わることはないのだからだ❗
「必ず、将来的に挫折をする」という子育を嫌という程見て来て、指導者の子供への教育の限界を正しく把握する事が、指導者自身だけでなく、教室にいる他の生徒達を守る事にも繫がって来るのだよ。



3月17日 ·
金曜日の夜のドルプリっ歩の時にこ、右足のふくらはぎの筋肉を痛めたのだが、土曜日の夜の散歩の時には、足の筋が断裂したように痛くて、全く歩けなくなってしまった。
まあ、歳取るとよくよく色んな事があるよな~ぁ??
歩けないと、バイクの移動と、ニャンコ号(※)への楽器の積み込み、積み下ろしが大変だよな~ぁ??
取り敢えずは、荷物の積み降ろしは子供達にさせるとして、それよりも、私自身が、駐車場から教室まで歩けるか?だよな⁉
(※)教室の車をニャンコ号と言っています。「何故、ニャンコ号と言うのか?」と言うと、初代のニャンコ号と2台目のニャンコ号の扉には、目立つように、教室のマスコットキャラクターであるニャンコが描かれていたからです。3代目の車もニャンコ号と呼んではいますが、今の所、車にロゴを入れる気はありません。ニャンコ号、廃名しないとな??

コメント
純子斉藤
あらあ・・・初代にゃんこ号懐かしい‼よく写真有りましたね?初代のときは業者が描いたものでしたが、よくこんなそっくりに描けるなあ、と、関心してました。今の時代だと磁気シートにプリントとかして作れるはずなんだけど、今のところそういう車対応の印刷をしてくれる業者は見つかりません。

1年前
芦塚 陽二
幾らでもあります。
1年前
千野 由実
純子斉藤
マグネットシートに直接印刷はできませんが、ラミネートシールに印刷してマグネットシートに貼って、車に、、てのは可能かと。
でも貼り付けていると車に跡が残っちゃうんですよねー。。。初心者マーク🔰貼り付けてる一年だけでも、だいぶ日焼けで跡がつきました。

1年前
芦塚 陽二
そう言えば、そうでしたよね⁉シルバー・マーク、しらばっくれて貼っていないので、忘れていました❗
1年前
芦塚 陽二
シルバー・マークや🔰マークは、小さいので、貼る場所を少しずつ変えていけば良いのでしょうが、ニャンコのイラストぐらいになると、大きいので場所が決まってしまうので、それは問題だよな⁉
1年前
千野 由実
芦塚 陽二 じゃぁ、ガラスに貼りましょうか😜
あとは、、、電光表示板のような!?




3月18日 ·
昨日(3月17日)のオケ練習は、(「この所、毎週」・・てな感じもありますが・・)練習の途中でEnergieが切れてしまって、牧野先生、斉藤先生に任せて、聴くだけにしてしまいました。
昨日は行きも帰りも事故渋滞で、普段よりも、疲れが更に酷くなってしてしまったし、金曜日からの脹ら脛(ふくらはぎ)の切れたような痛みでまともに歩けないので、ドル・プリっ歩は省略して、食事が終わってサッサと帰ろうとしていたら、「なんで、帰るの!」「帰るな!!」「散歩に付き合え!」とプリが怒って吠えていたのですが、吠えるプリを尻目にサッサとハイツに戻ってしまいました。
可愛そうだったけれど、私もそれどころではなかったしね・・??
深夜だったので、ハイツの部屋の中も結構冷えていたので、お弁当類も、冷蔵庫に入れる、そのひと手間を惜しんで、着ている物も、楽譜類も、何もかにも放ったらかしにしたままで、布団に潜り込んでしまいました。
通常ならば、その日、外出中に来ていたmailやFacebookのcheckをして、緊急の連絡やお返事等を済ませてから、寝るのですが、パソコンの電源を入れてしまったら、一巻の終わりなので、(その雑用に、小一時間以上は掛かってしまうので、)パソコンのような物は部屋にないものとして、(見ない事にして)、電源を入れる事無しに、寝てしまいました。
これは楽でいい!!
何時ものように、2回程、途中でtoiletteに起きたのですが、toiletの後も、そのまま眠る事が出来たので、熟睡が出来て、珍しくとても楽しい夢を見ました。
どこかは分からないのだけど、まるで大きな公会堂のような大ホールのあるヨーロッパの大きな教会で、その土地の民族舞踊や物語を題材にした子供達の華やかな演奏と舞台に招待されて鑑賞している風景で、子供達の踊りや歌、orchestraが素晴らしかったのよね??
すっかり、happyな気分になりました。
朝も、定時に目が覚めたのですが、定型の体重体脂肪、血圧の測定を済ませたら、またまた寝てしまいました.。
熟睡してタップリ寝たので、ほんの少しなのだけど、体重が減っていたのだよね??
日曜日の次の日は、必ず肥る・・というジンクスに逆らって・・・・なのだよね⁉
良い睡眠は体に良い・・という事だよな?
お昼の直前の11時半くらいに、起きたので、前日の夜から12時間程、寝た事になって、それから起き出したのですが、それでも惰眠を貪った分けでなく、toilette-timeや朝の体重測定の時間を除いたら、何とか通常の7,8時間程度の合計睡眠時間になるので、ちょうど良い睡眠時間になります。
私の場合には、普通は4時間ぐらいしか、眠れないので、本当に久しぶりの熟睡になります。
昨夜は未だ歩けなかった右足なのですが、今日は爆睡したおかげで(痛みは少し残っているのだけれど)、部屋の中では普通に歩く事が出来るようになりました。
勿論、未だ、ドルプリっ歩は無理だとは思いますがね??
YouTubeは、昨日の練習風景で、ぶっ潰れる前のStamitzのViola-concertoのlecture風景です。
まだ、この曲を含めて、後何曲かは、なんとか元気なのかな??
パッサカリア当りからは、もう限界だったよな⁉



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3月19日 ·

日曜日はover‐workになって、ベッドに倒れ込んで、そのまま、爆睡してしまいましたが、その御蔭で、良質の睡眠を取る事が出来て、何年振りかで鬱のない穏やかな一日を送る事が出来ました。
火曜日の今日(3月19日)も、そのままの体調、精神状態で、dietも血圧も非常に良い状態が続いていましたが、夕方の4時頃になったら、突然、意識混濁が始まって、「これはマズい!ベッドに行って寝なければ・・!」と思ったのですが、パソコンの前の仕事用の椅子の上で、体が動かなくなってしまいました。(まあ、それを意識混濁状態というのですがネ??)
小1時間程、椅子で意識朦朧としていたのですが、なんとかかんとか、5時過ぎ頃になって、椅子から立ち上がって、ベッドに潜り込む事が出来ました。
今は、夜の9時を過ぎた所ですが、なんとか、4時間近く睡眠を取る事が出来て、routineのtoilette-timeに起き出して、ついでに、今日の分のmailのcheckを、パソコンでやり始めた所です。
今日は、一日仕事にならんかったな~ぁ??



学生時代、自分が怠け者である事を常にcomplexを感じていた私がGenzmer先生に「どうしたら先生のように勤勉になれますか?」と質問したら、先生はPianoの前で、20分以上考え込んでしまって、やがて一言・・・「Hindemith先生は、 画家マチス(=Mathis der Maler)のpart譜を1月で書き上げる程、勤勉だったのだよ!」と述懐して、一言つぶやいただけでした。
そんなもんだよな??










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3月20日 ·

「指揮と弾き振りについて」

指揮の歴史のような専門的なお話は、そういった音楽の書物を参考にして貰う事にして、この文章はあくまでも、私的なお話です。
指揮棒を使って指揮をしたのは、一般的にはMendelssohnだとも言われていますが、それは通説(legend=レジェンド=通説)なので、詳しくは、専門的な書物を参考にしてください。
baroque時代や古典派の時代では、「弾き振り」と錫杖(しゃくじょう)による指揮が通例でした。
絵のJean-Baptiste [de] Lullyが手にしているのが指揮用の錫杖です。
床にトントンと打ち付けてrhythmを取りますが、ある時にLullyは自分の足の甲に杖を打ち付けて、それが化膿して死んでしまいます。
franceの超かったるい映画であるMarin Maraisの恋を描いた「巡り合う朝」にもMarin Maraisが錫杖で指揮をしているシーンが出て来ます。
baroque時代には、現代のような指揮棒は無かったので、通常は、作曲者がsoloのViolinを弾きながら、指揮をする「弾き振り」が一般的でした。
或いは、soloの楽器を弟子に任せて、自分はCelloのpartに、覚書の和音の数字を書いて、それを見ながら即興で、Cembaloのpartを弾きながら指揮をするという2つの指揮の方法が一般的でした。





つまり、和声学とは、baroque時代の作曲家達にとっては、即興演奏をするための速記法だったのですよ。
bezifferten Baß(=数字付きBaß)を見ながら、即興でCembaloの右手のpartを作りながら、指揮をするという「弾き振り」が一般的でした。楽譜はcorelliのla foliaの直筆譜です。
つまり、錫杖を用いての指揮は、余程大きなorchestraの場合だけ、だったのです。
baroqueや古典派の中期ぐらい迄の時代では、作曲者が弾き振りで演奏をするのが一般的だったのです。




コメント
石川 ちすみ
巡り会う朝!昔見た気がしますがもう一度探してみます。
Lully のエピソード、驚きました。杖の名前はなんと読みますか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二

この杖の事は、日本では混乱してごちゃ混ぜになって、解説されているようなので、説明をしておきますが、Lullyが持っている指揮の杖は聖職者が持つ杖と同じものなので、錫杖(しゃくじょう)と訳されているようです。通常の長い杖(つえ)を持っている場合が多いので、その場合には単に杖(つえ)と書いて区別している場合もあります。
鼓笛隊や軍楽隊の指揮者が持つつえは少し短くなるので、英語でbaton、ドイツ語ではTaktstock(指揮棒)と読んでいて、これが現在の指揮棒のrootsになっています。短いので、床に打ち付ける事は出来ないので、振るだけの視覚で指揮をします。
錫杖は托鉢僧が鈴や金の輪っかを通して、地面に打ち付ける度に、シャラン・シャランととても良い音が鳴ります。
打楽器でrhythmを取るような感覚です。
錫杖を用いない場合には床を足で踏み鳴らす・・という指揮の場合もあったとされますが、石造りの床では音は余り鳴らないし、非音楽的だったので、orchestra等を指揮する場合には現実的ではなかったと思います。
錫杖は床に打ち付ける音ではなく、床に打ち付けた振動で、錫の輪っかが絡み合って鳴る音だからとても綺麗な音がします。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
なるほど〜。大変勉強になりました。
· 返信する · 1年前



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2019年3月21日 ·
プライバシー設定: 公開
「指揮と弾き振りについてⅡ」
「指揮者のtype」
指揮法について、説明する前に、指揮者になる人にはその人の専門で、色々なtypeの指揮者が居ます。
(ここで言うtypeとは、その指揮者の性格ではなく、学んで来た専門の分野について・・です。)
一般的には、指揮者は、指揮を専門に勉強して来た人が、指揮者になる・・と思われているようですが、そうばかりでもありません。
主にその指揮者のrootsというか、専門は3っつあります。
その一つは、orchestraの団員から指揮者になる場合です。
歴史的に有名なlegendな指揮者はトスカニーニですが、日本でも岩城さんも元はNHK交響楽団で打楽器を担当するオケの団員でした。
蛇足ですが、私の大好きなWilhelm Furtwänglerの演奏するBeethovenの「運命」は同じlegendであるイタリアのArturo Toscaniniよりも10分も長いのだそうです。Furtwänglerの演奏timeは74分だそうです。有名な話ですがね・・・
二つ目としては、作曲家が自作の曲を指揮をする事は、当然良くありますよね?
StravinskyやRavel等のlegendな作曲家は当然有名ですが、それ以上に、指揮者としても一流で活躍した人もいます。Pringsheim先生の師匠でもあるGustav Mahlerも、指揮者としても活躍していました。
指揮者として勉強して来た指揮者は、当然、指揮(baton-Technik)は非常に上手なのですが、オケ畑から指揮者になった人は、オケの気持ちが良く分かるので、オケとの一体感が優れています。
それらに対して、作曲家の指揮は曲の事を良く理解して指揮をするので、曲に対してのsymbthyがとても良いようです。
それぞれに、指揮者の出身の専門性で、指揮に大きな違いがあって面白いです。
「指揮の指導に対して」
「指揮を学びたい」という話は良く聞きますが、私も大学で色々な先生の元で指揮の勉強をしてきましたが、先生によって、指導する内容も、how-toも全く違うので、「指揮の勉強とはなんぞや?」と、悩んでしまいます。
私がPringsheim先生やGenzmer先生の元を去ってから、早、既に半世紀以上にもなってしまいましたが、多くのpianistやviolinist、cellistを育てて来ましたが、自慢では無いけれど、一人も作曲家は育てていません。
・・というか作曲の弟子だけは教えていないのですよ。(勿論、指揮者もですが・・)
作曲の勉強というのは、先生から勉強として学ぶべき事は少なく、本人の実際の経験からしか学ぶ事は出来ないような気がするからです。
実は、指揮も同じように、基本的な単純な動きをmasterしたら、それ以上のbaton-Technikは、自分自身で経験で学んで行く他は無いような気がします。
勿論、作曲にしても、指揮にしても、proの人達からone pointで、advice料を貰ってadviceをした事は、何度もあります。でも、それは単なるadviceであって、弟子を育てる・・という事にはなりませんから、私は勿論、相手も「私の弟子になった」とは思っていないはずです。それに、Proとして、私よりも何倍も有名で稼ぎ巻くっている相手からふんだくるのは当然の事なのですからね・・??
「legendな指揮者の練習風景を見ると」
指揮者は、orchestraを統率して、とても格好良いのですが、でも、普段の練習の時から、格好良い指揮をする分けではありません。
カラヤンのような、素晴らしい格好の良い指揮をする指揮者でも、普段の練習の時には、単純な1拍取りの指揮しかしないのです。
私の趣味として作曲家の自作自演の動画や、作曲家の自筆の楽譜のfacsimileの収集の他に、多くのlegendな(歴史的に有名な)指揮者の練習風景のvideoを持っていますが、そのvideoで普段の練習の時の指揮を見ると、legend達の指揮は、1拍取りの実につまらない単純な指揮です。
それが、本番では、全く違う見せるための指揮に変わるので、笑ってしまいます。外用と内用の違いです。
Karl Böhmさんの練習風景のvideoを頂きました。(なんかの景品だったのかな?)BöhmさんのWagnerかなんかの練習風景だったのですが、Böhmさんが管の人を怒鳴りつけている風景でした。(「私はここで哀れなtrombaにeinsatzを出さなければならないのだよ!!どうして、君にeinsatzを出す事が出来るのだ!!」とBöhm先生は怒り捲っていました。管が音を取るtimingを間違えたからです。でも、「音を取るtimingを感じろ!」とは、無理難題だと思うのですけれどね??まあ、同じような話はKarajanにもあったしね??2本の腕と目線だけでは、orchestraを総て支配するのは無理難題だ・・という事だよな??)
「指揮をする上での留意点」
指揮を学ぶ上で一番気をつけなければならない事は、拍頭のpointを正確に作る事です。
練習にしても、本番での指揮にしても、基本となるのは、1拍目のpointです。
そのpointは必ず同じ空間上の同じ場所(point)でなければなりません。
pointの位置が少しでも上下に流れたり、ズレたりするようでは、オケの指揮は成り立ちません。
2拍目や3拍目が、ズレても、先程、練習に支障はないのですが、1拍目だけは、正確に指示をしなければならないのです。
弾き振りで最も難しいのは、演奏をする事に神経が注がれてしまうので、その1拍目のpointがズレてしまったり、einsatz(指示)がabout(曖昧)になってしまう事です。
音楽表現に関しては、特にproではない子供達を指導する場合には、演奏表現をoverにしないと、音楽の表現が伝わりません。
proの場合には、「なあなあ、やあやあ・・・」で伝わる表現でも、子供に対しては、かなりoverな表現でなければならないので、指揮の場合には、然程、難しくはないのですが、弾き振りでは、当然、自分も演奏をしているので、その表現がとても難しくなってしまいます。
「orchestraのresponseについて」
舞台では、耳で聴いて合わせようとすると、それぞれの楽器の間で、time lagが出て音楽がズレてしまう・・というお話はしました。
それとは違って、演奏する団員達が正確に指揮のpointに合わせても、実際に出て来る音のズレのtime lagのお話です。
orchestraの楽器では、大きな楽器(Kontrabassやtuba)のような大型の楽器になると、音を出す瞬間と実際に音が出るtimingでは、結構大きなズレが出てしまいます。
このズレのtimingは、舞台の大きさに比例します。
つまり、舞台が大きくなればなる程、ズレは大きくなっていくのです。
orchestraで低弦や低音楽器が遅れて発音して来るこのズレを「格好良い!」という人達も結構いますが(※)、これは所詮、下手なorchestraである・・という意味に他なりません。
訓練された上手な低音楽器の演奏家達はそのズレを計算して、指揮のpointよりも先行して弾き始めるのです。
ちなみに、pipeorganの奏者もorchestraや歌の伴奏をする時には、かなり早くに先行して演奏をしています。
今回のStamitzのViola-concertoの子供達の練習風景にも、Kontrabassに「tempoが遅れないように!」とeinsatz(指示)を出していますが、それはKontrabassは指揮のpointではなく、指揮のdownのmotionの時に、弓を動かし始めるための練習です。Kontrabass担当の生徒達は音が出始めるのを聞いて、演奏をしています。(他の楽器とは弾き始めのtimingが違います。)
(※)私も中学生の頃、始めて日本のproのorchestraを聴く事が出来て、MozartのSymphonieやBeethovenの第九の演奏を聴いたのですが、orchestraがズンと入って来るのではなく、ズ~ズ~ズン!と入って来るのを、「凄い!」と思って感激したものです。純真な中学生頃の子供にとっては、巨大なorchestraが「ずずずずっ~」と入って来るのは、超驚きだったからです。(今では、そんな純真な感動はなく、「なんと下手な・・・!」としか思わなくなってしまっているのだからね?)
コメント
石川 ちすみ
「弾き振りで最も難しいのは、演奏をする事に神経が注がれてしまうので、その1拍目のpointがズレてしまったり、einsatz(指示)がabout(曖昧)になってしまう事です。
音楽表現に関しては、特にproではない子供達を指導する場合には、(中略)かなりoverな表現でなければならないので、指揮の場合には、然程、難しくはないのですが、弾き振りでは、当然、自分も演奏をしているので、その表現がとても難しくなってしまいます。」
私のことを御覧になっているようです😆アインザッツが遅れるどころかスルーして弾いてしまっている箇所多々もあり・・・。

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3月21日 ·

和声の数字のfont(フォント)なのですが、今だに、10年以上も昔から持っているfontしか発売されていないようです。
たった一つの和音の数字を打ち込むのにも、実に面倒くさくて、使い手が余りにも良くないので、使えないままに、放ったらかしになっていたのですが、今回、昔よりは少しパソコンの使い方も上達したので、ショートカットの方法でも探して見ようかな??と思って、もう一度、使って見ようかな?と思ったのですが、やっぱり超、使いづらかったのですよ。
和声の数字を単語登録して、普段のmail等に使えるように出来るかな?と思ったのですが、やっぱり出来ませんでした。
縦に数字を積み上げる・・という単純な事がパソコンには出来ないようです。
Vivaldiの冬のCembaloのcontinuoのpartです。所々に数字が書かれていますが、和音の忘備録です。

コメント
石川 ちすみ
プリントアウトして勉強します。ア~でもまだ習っていない和音が・・。
頑張ります。

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3月22日 ·

3月22日の木曜日ですが、昨夜と今夜の間が、満月だったのですよね??
今日は実に変な1日でした。(・・とは言ってもお天気の話ですが・・)
お昼頃というか・・、日中は5月の陽気でとても暖かく・・と言うか、暑いぐらいの爽やかな天気でしたが、日の入りとともに北風が吹く超寒い天気になって、夜は雹が混じった強い雨が降ったりやんだりの目まぐるしい天気になりました。ドルプリっ歩のお迎えっ歩(夜のお散歩は、先生のお迎えを兼ねてのお散歩です。)は、予備の傘を持っての、霙か雹の中での大変な散歩になってしまいました。でも、Gott sei Dank!(有り難い事には・・)just timing(和製英語)で、バイクでの時だけは、雨が降らなかったのですよ。
それにしても、お昼のとても暖かい良い天気とは逆に、日中は私の弱鬱が酷くて、それに加えて突然、血尿まで出てしまいました。
病院の先生からは膀胱鏡検査の結果として、カサブタや死んだ皮膚偏が剥がれる時に血尿が出る事がある・・と注意はされていて、しかも、自分でも膀胱内部の画像をreal-timeで見ているので、血尿の状態は分かってはいるのだけど、それでも、出た時にはドキッとして、結構shockを受けてしまいます。2,3回もtoiletteに行けば収まる・・という事も分かっているのだけどね・・・??
夕方から夜にかけては、急激に温度が下がって来て、風も強くなって来たのですが、慢性的な体調不良が起こって来ると共に、不思議な事に鬱が治って来ました。これと言った理由もないのだけど・・
やはり、鬱と体調は全く関係ないようです。(今回は・・、と言う事にしておこう。)それにしても、毎回、自律神経のcontrolが利かないのだよな??
テレビでも、気温差について言っていました。東京は金曜日と土曜日の気温差が12℃になったと、言っていたのだよな❗
夜の10時を過ぎたら、なんと6度だってよ⁉更に深夜になると4度になるってさ⁉
という事は、気温差20度という事だよな⁉そりゃないよな⁉
ちゃう、ちゃう、4℃ではなく、3℃だってさ❗更に更新されたぞよ‼布団に入っていても、超寒い‼
体がついていくわけはないよな⁉
な、な、な、なんと、朝の7時過ぎなのに、気温が1℃になってしまった❗こりゃどうした事だ⁉
コメント
石川 ちすみ
お辛いですね・・。交感神経と副交感神経の切り替えが関係しているのでしょうか。私は産後の鬱を経験しましたが、ホルモンバランスや自律神経系はしんどいですね。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
外的要因なら簡単に問題を解決する事が出来るので、鬱は克服出来るのですが、外的要因とは無関係に鬱になってしまいます。では、体調不良が原因かな?とも思ってみたのですが、体調とは関係無く鬱になってしまうので、鬱のcontrolが出来なくなってしまいました。
という事で、最後の頼みとして心療内科を受診して、投薬での治癒を期待したのですが、投薬が上手く行かず、逆に鬱も体調不良も酷くなってしまいました。alcoholに逃げるにしても、医者に止められているので、如何せん・・どうしようもありません。ジッと、耐えているだけです。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
向精神薬の副作用は怖いですね。必要に直面して調べた時、薬の副作用の説明に、「自殺願望に陥る」と平気で書かれていて、それではなんのために飲むのかと思いました・・。
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
それで、結局薬は飲まずに、カウンセリングの力のあるクリニックに通って、良くなりました。自分のことではないのですがね。幸運でした。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私の場合には、意識が朦朧として、体が動かなくなってしまって、仕事にならなくなってしまったので、薬局に相談したら、老人で働かなくても良い、寝た切りの人に処方する程の強い薬で、私のように、常時働いている人間には処方してはダメな薬だったそうです。それを先生に相談したのですが、聞く耳が無かったので、病院に行く事はやめてしまいました。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
2年前の今日のFacebookという事で、読んでいたら、偶然、鬱についての話を詳しくしているPageでした。私の場合には、総てが上手く行っていても、鬱になるし、stressで死にそうな時にでも、元気な時があるので、私自身が私に対して理解不能です。
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
ああ・・その種の薬は山ほどあるようですね。お気をつけください!
ちゃんと話しを聞いてくださる、先生と人品の釣り合うお医者さんに出会われるよう願います。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
勿論、心療内科に行く前には、もう10年、20年も前からカウンセリングは色々な病院で受けた事はあるのですが、ちょっと話をすると、「あなたにはカウンセリングは必要ない」と言われてしまいます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
近場に心療内科がなく、やっと出来た病院で、期待していたのですがね??


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3月23日 ·

随分前に買った糖質50%dietの電器釜なのですが、扱いが超面倒くさくて、1、2度使用しただけで椎名町のドルプリの部屋の粗大ゴミになっていたので、ハイツに戻してしまいました。
まあ、美味しい所は脂肪と糖で出来ているのだよね??
下の白い部分が、炊き込んだ糖質の水分を捨てる所です。
折角の美味しい所を捨てるのだから、中々使ってくれないのだよな⁉
という事で、ハイツで、自分用に炊く事にします。折角、高いのに使わないと勿体無いからね⁉
コメント
千野 由実
面倒なんですね?
カレーの時に使わせていただいた時は普通の炊飯器と一緒なんだなぁと思った気がししたのですが、、、使い方合ってたのかな😰
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
炊くのは難しくないようなのですが、後片付けを上手くしないと、排水口が詰まるらしいのです。色々と難しい事が書いてあったけれど、慣れればそうでもないのかな??routineなので・・・
· 返信する · 1年前

芦塚 陽二
武石で買ったいすみ米、一合の袋があったので、試しに炊いて見ましたが、斉藤先生の作った状態と全く同じベチャベチャになってしまいました。
コメはハイツには後は無洗米しかないので、椎名町でコメをめぐんで貰ってからもう一度だけchallengeして見ます。
目詰まりしそうな所は、何度も洗って確認をしたのですが、操作に関してはもう一度だけ確認をして見て、それで上手く行かなければ、claimですかね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 なんででしょーね!?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
教室に残っていた白い米を持っていって、テストをしたら、今度は何とか上手く行きました❗やっぱり、操作ミスなのかな⁉何度も、繰り返し洗ったので、それで出来たのかな⁉しかし、かためで炊いたのだけど、やっぱり、少し柔らか目だったので、米と水分量が難しいようです❗


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3月23日 ·

3月23日の土曜日です。毎日、毎日、同じ事の繰り返しになってしまっているのだけど、今日も鬱が超酷くて、上手く精神状態のcontrolが出来ません。
しかし、まあ、鬱が酷いのに、仕事は待ってはくれない❗
三つ、四つの仕事が重なって忙しい!
てんてこ舞いだよな?
・・とは言っても、一つ一つの仕事は大した事はないのだけど、三つ、四つ重なると、結構忙しくって、鬱っている暇が無くなってしまうのだよな⁉
ドルっ歩の時間になって、突然疲れている事に気がついて、散歩どころではない事に気がついて、散歩は斉藤先生に押し付けて、大急ぎで超寒い中を、バイクを走らせて、ハイツに戻った❗
明日の準備もしないままに、布団に潜り込んだ所です。
折角、10時台に布団に潜り込んだのに、寒くて体が温まらなくって、中々眠れませんでした。
部屋を暖めたり、何度も、試行錯誤して、なんとか、1時前には眠る事が出来たのですが、4時過ぎにはいつものroutineのtoilette-timeで起きてしまったので、ついでにオケ練習に持って行く楽譜の準備をしました。それは5時までには、なんとか終わったので、また、出来れば仮眠を取りたいと思っています。
それはそうと、オケの準備に1時間も掛かった分けではなく、ついでに、所謂、キリンさんの教則本のfinale入力の下準備を済ませて、templateを作る所まで済ませた所です。
ついでのついでに、昨晩、やっていなかったmailのcheckや、Facebookへの書き込み等々のパソコン作業も・一緒に済ませてしまいました・・!!
キリンさんの教則本のtemplateを作った次いでに、sampleとして、譜例を二題(生徒の譜面と先生の譜面のsetなので、都合は4曲になるのだが・・・)作ったのだが、fileが添付で椎名町に送れなかったのだよな⁉
譜例まで下げると送れるのだが、fileとしては、送れない・・という事がわかった‼
でも本当はtemplateを送りたかったのだがね⁉
コメント
千野 由実
猛烈なお仕事っぷり❗️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
いや、単なる鬱のはけ口です。
仕事に熱中している瞬間は鬱の事を忘れているので・・
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
絢美ちゃんに味が良く染みて美味しかったよ!ってお伝えください。
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二 お口にあって良かったです!
出汁もちゃんととってつくったので、手はかかってます❗️


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2019年3月24日「美味しいものは脂肪と糖で出来ている」 ·
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「美味しいものは、脂肪と糖で出来ている❗
脂肪と糖は健康被害の元凶のように言われています。
しかし、自分に振り返って見てみると、全く同じものを食べて、同じような生活をしていたにもかかわらず、34,5歳を過ぎた辺りから、徐々に加速しながら肥り始めます。
「何故なのか?」というと、世間一般で言われているように、過食という理由ではなく、実は内蔵の老化なのです。
つまり、その人が或る時期を過ぎると内臓が急激に老化して、食物を食べなくても良いエコ体質になるのです。
部族の中で食べる事が必要な人間は、子孫を残す若者達だけだからです。
ひと昔前までは、歳を取った老人は社会的に不必要な存在として、姨捨が普通だったのですよ。これは150年前の時代でも色々な地方に存在したお話なのです。
「何故、歳を取ると、内蔵が老化するのか?」という事は、そこには、生物学的なrule(法則)が存在します。
人間は生物学的には基本的には動物に過ぎません。動物の一番大切なruleは子孫を残す事です。しかも、優秀な遺伝子を残すためには、若い或る特定の時期がとても大切なのです。
それは、時代や文化によって変わりますが、基本的には、男性として、女性として子孫を残すという健康で若々しい時期が必要なのです。また、優れた教養を有する女性が、どうしようもない、頭が空っぽで、肉体だけの男性に惹かれてしまうのも、libidoによって無意識のlevelで惹かれてしまうのです。それも生物的な本能の欲求に依るものなのです。
思春期症候群の一つに、娘が思春期に差し掛かると、父親や大人の男性に嫌悪感を抱く事がありますが、それも自然の摂理の一つで、遺伝子で、近親相姦を防ぐための自然な行動なのです。
人間は、そういった時期が終わってしまうと、生物学的なneedsは終わってしまうので、後は、その存在が必要最低限な量だけで、生存をするのです。近代文明で医学がこんにちのように発達しなければ、こんにちの日本社会の老人問題はありません。
自然の病気や老化でドンドンと死んで逝くからなのです。
そのお話を更に詳しくお話しすると、人生に絶望する人達が沢山出てくるので、これ以上はお話はしない事にします。
お医者さまでも草津の湯でも・・・、所詮は治せぬ、生理学上の悲劇とでもいうのかな⁉
しかし、ここでは音楽上の話しをしている分けではなく、一般的な全ての事柄についての話しとして、お話を進めているのです。
つまり、ここでのお話は、肥満の話ではなく、人は人生についても、全く同じ事が言えるという事なのですが、その意味は、人間は、自分に「得難い事」があると、それを、より「困難な事だ」として、自分に対して納得してしまうという事なのです。
つまり、人は、何かに向き合う時には、「困難だから自分にとって得難いのだ」と思うようにしてしまうのです。
私の考え方では、得難い困難ものとして、万難を排して(克服して)それを得たとしても、それは、似非的なものであって、本当の本物ではないのです。
「楽しく得れるもの」だけが、真に偉大な歴史に残るものと成り得るのです。
また、偉大な・・・といえる大家達は皆、人生を、否、自分の仕事を楽しんだはずです。
だから、あれだけの仕事をこなしたのですよ。
辛く厳しいものであるとすれば、あれだけの偉大な作品をこの世に残す事はなかったはずです。
大家に近づくために同じような努力を続けようとすると、そこに達していない人達にとっては、とても辛い厳しい事になってしまいます。だから、人々は、「大家達も、この辛さ、厳しさに耐えているのだ・・」と思い込んでしまいます。
しかし、それは大きな間違いです。
大家に取っては、その辛さ、厳しさは、難しい事への挑戦に過ぎず、至高の快楽になるのです。
つまり、プラモデルの工作が好きな人は、より難しい工作にchallengeする事を至高の快楽とします。逆の言い方をすると、単純な簡単な作業をさせられる事は、寧ろ、苦痛になってしまうのですよ。より難しいから楽しいのですよ。
そこの所が、大家と一般の人達の違いになるのです。
その人が、何に興味を持ち、それに人生を掛けているのか?・・その自分の人生に書けるものへの違いが、すなわち「落とし所の違い」となるのです。
一般の人達にとっては、それは至難の技への、挑戦になってしまうのですよ。でも、その人が同じ場所にいたとしても、心の落とし所を変えるだけで、至難の技への挑戦は、至高の快楽になるはずなのですがね??
そこは、楽しい・・という事への履き違えがあるのです。
楽しい・・という事を享楽と履き違えるのですよ。
享楽が楽しいのは、ほんの短い期間に過ぎません。
享楽は長く続けようとすると、苦痛を伴うようになってしまいます。
Piacer d'amor più che un dì sol non dura・・・なんて事は言いませんがね??
本当の本物の喜びには、幾ら長期間に続けたとしても、その喜びが衰える事はないのですよ。
しかし、人々は、より高い事を、厳しさや、苦痛に耐えて到達した証だと考えます。
それは、楽しい、嬉しい・・・・という事を、享楽と勘違いしている事に、気がつかないからなのです。
一般の人達は、真の喜びとは、享楽とは似て非なるものだ、という事が理解出来ないのですよ。
それが儒教的な考え方です。 
でも、儒教的な考え方には、その時代のneedsに合わせた、れっきとした目的があります。
儒教は当時の不安定な時代を安定させるための、国を纏める方策だったからです。指導者、為政者に一般大衆を服従させるためのtop-downの思想書なのだからです。だから、安定した世襲の治世をもたらそうとした徳川家康の眼鏡に適ったのですよ。当然、明治時代からの富国強兵策や、大企業の終身雇用制度にも適ったのです。
それが、現代のglobalな社会になって、突然、体制が変化してしまったのですからね


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3月25日 ·
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私も年に1回ぐらい突然、こういったインスタント麺が食べたくなる時があります。
但し、食べてからいつも後悔しますがね・・・??
私に取ってもしょっぱいので、基本的には大きい麺は半分に割ってか、小さな袋の方で作ります。
ティッシュ・ケースは長崎のドンキーで偶然見つけて買って帰ったのですが、しばらく検見川教室に置いていたのですが、誰も興味を示さなかったので、今は自宅に置いています。
どんぶりは、近所のセブンで、景品の売れ残りを纏めて数個買ったものです。
保温性のために肉厚でヒヨコが可愛いので、結構気に入っています。勿論、インスタントには使わなくて、スープ等の普段使いにしているのですが・・・ネ?
・・と言う事で、両方共、チキンラーメンの景品ではありません。
まあ、私は、景品に当たる程には、インスタント類は食べないので・・
コメント
千野 由実
どんぶり可愛いですね😍




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3月25日「最後のオケ練習」 ·
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今日は3月25日の月曜日ですが、お話は昨日、24日の最後のオケ練習のお話からです。
発表会は4月29日の月曜日なので、まだ一月はあるのですが、次回の日曜日からはソロ・リハ、オケ・リハと総合練習の1,2と続くので、実際のオケ練習は、昨日の24日の練習で終わりになります。・・・という事で、「最後のオケ練習」となります。
「鬱と千葉への移動」
昨日の日曜日は、私は、体調不良と鬱が強烈に酷くて、この10年来、一度か、二度くらいしか、休んだ事はないはずなのですが、とうとう、先生達に「練習をサボっても良いのか?」と確認のmailを送った程でした。
しかし、その返事が着くのが遅くて、もう車が出発した後だったので、車をUターンさせて、事務所に戻る事もかんがえたのですが、それも面倒くさいので、鬱を押して千葉まで出掛けて、練習を強行する事にしました。
日曜日は、椎名町の事務所を出発して、北池袋の高速に乗るまでに、2つ,3つ、事故があって、高速でも、周りの車の運転が不安定で、超、注意をしながらの運転が必要な「事故の日」でした。
「オケの指導風景」

Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習 - YouTube

体調不良の時には、私は、急がないで良いように、早めに出発する事にしているので、途中で事故渋滞もあったのだけど、それでも検見川教室には、早めに到着して、普段は見る事のない2回オケもcheckをする事が出来ました。
勿論、発表会では私は指揮はしないので、オケの後ろから、注意を色々とするだけでしたが・・。
3回オケでも、前半部は注意だけで指揮はしなかったのですが、流石に、後半の専科オケのgroupになると、注意をして弾き直させるだけでは、全く様にならなかったので、仕方なしに、体調に無理をして、指揮をしながらの指導をする事にしました。
videoの前半のtime取りは、指揮無しの通しですが、今までの諸注意が、ちゃんと表現出来ていないので、後半は私が譜面台の前に出て、止めながらの通し練習をしています。
鬱の時には、自分の精神状態や体調に逆らって、これだけのpowerを出すのはとても辛いのだけどね・・??
「オケ練習が終わって・・」
Stamitz、corelliとVeraciniと大曲が続いて、体力が持たなくなったので、私としては少しでも早めに切り上げたかったのですが、最後の練習なので、そうも行かず、まあ、時間通りまで頑張って、超寒い中を、東京まで帰ろうと、何時もの武石の入り口に向かったのですが、またまた、事故渋滞で、5㌔を35分って表示されていたので、急遽、湾岸周りから、箱崎へのコースに変更しました。
椎名町に戻って、それから、散歩よりも、食事を先にして、後で「ドルプリっ歩に付き合おうかな?」と思ったのですが、食事中から居眠りが始まったので、ドルプリっ歩は省略して(勿論、私だけですが・・)大急ぎで自宅にバイクで戻ったのだけど、その寒い事、寒い事・・!!
部屋に戻って、後片付けもしないままに、取るものも取りあえず、布団に潜り込んで、眠ろうとしたのですが、冷たくて中々寝付けなかったのだけど、・・・そこらはいつものroutineだよな?
そこまでが日曜日の一日になります。
Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習
YOUTUBE.COM
Viola-concertoDⅠ楽章Stamitz19年3月24日芦塚音楽教室最後の練習
2019年3月24日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会に向けての最後の練習風景です。曲はStamitzのViola-concerto D DurⅠ楽章、soloは千野瑞希まだ小6です。(まだ・・という意味は、8日後には中学生になるという意味です。) ...
コメント
芦塚 陽二
それにしても、今日(月曜日)は鬱が酷い!!
買い置きの漢方でも飲むか??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
漢方薬は、封も切っていないのに、5年も前に期限切れで、飲めなかった!
残念!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み

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3月31日 ·


「今日の日曜日(3月の31日)はsolo-rehearsal の日です。」
・・・というお話をcinderella-timeに書いているので、実はまだ日にち的には土曜日なのですがね??
という事で、今日・・というか、昨日というか、・・の土曜日は、美音ママのRakhmaninovのPiano-concertoのone lessonをするために、池袋のStudioまで出かけました。
爽やかな桜、満開の日和で暖かく、Studioでも、concertoのorchestra-partを弾きながらのlesson... もっと見る
コメント
石川 ちすみ
斉藤先生、頑張ってください!






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4月

4月1日「今日は19年の4月1日です。」 ·
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所謂、19年の新年度になります。
新しい年度になると、生活用品の一斉値上げとか、新しい元号の発表とか・・とか、年度が変わるのを切っ掛けにして、便乗なのか、色々と変わるようです。
その色々な年度の変化に伴った事で、教室に取っては非常に迷惑な事なのですが、yahoo-geocitiesが「Provider事業を終了させる」との連絡が一方的にあって、「芦塚音楽研究所」のhomepageと「芦塚先生のお部屋」のhomepageが、今日、4月1日を持って、開かなくなってしまいました。
発表会等の日にちや場所、時間の連絡なども、一般へのprogramやチラシの公開は、homepage上で公開していたので、今回の「春の発表会の連絡」も公開出来なくなってしまいました。困った事です。
勿論、yahooのhomepageの「Provider事業からの撤退の連絡」は半年以上前から連絡はあったのですが、昨年の後半期中は、・・・特に9月以降に関しては、緊急の入院手術等が必要な状態に陥って、今年の1、2月くらいまでの半年間は、私は、病気の手術と治療に専念しなければならず、術後の痛みと苦痛で、homepageの作業だけではなく、通常の仕事についても、満足な仕事を熟す事が出来ない状態でした。
また、不幸の連鎖とでも言うのか、・・時を同じくして、昨年の9月には、「芦塚先生のお部屋」の論文のページが、homepagebuilderの不具合で、全てぶっ飛んでしまって、その膨大な復刻作業も、しなければならない羽目になってしまいました。
dataが膨大であるが故に、dataのback・upが全くなく、30年来の研究や、音楽論文や教育論文の私の長年の仕事の蓄積の復旧の見込みも立たなくなってしまい、30年来の苦労が水の泡になってしまった・・という人生の悲哀を噛み締めている現在なのです。
また、教室のhomepageや、私の「芦塚先生のお部屋」の論文のhomepageの作業が、基本的には、椎名町のパソコンでの作業になる上に、2020年で、windows7が終了になるので、パソコンの状態が非常に不安定で、先生達のnotePCや椎名町のmainのパソコンが壊れて、修理不能な状態になってしまいました。
江古田ハイツの自宅のcomputerはDellの本社作業で事なきを得たのですが、椎名町のパソコンは業者を雇っても修理が出来ず、已む無く私が或る程度、仕事が出来る状態までは戻しました。
先生達のnotePCは業者から修理を断られてしまいましたが、それはwindows10に移行させるためのMicrosoftの謀略です。
常日頃私が口にしている事なのですが、windows10は、パソコンと呼べる代物ではなく、単なるTabletに過ぎません。windows10でパソコンとしての作業をするのは、とても面倒くさいのですよ。それに、パソコンの作業はパソコンそのものの機能でやるのではなく、softでやるのですが、パソコンの業者はパソコンが修理出来たら、softでやった作業はどうでも良い・・という意識しかありません。
パソコンの業者は、windows10にsoftが入らなくても関係ないのですよ。
パソコンはwindowsのXPから7で事実上は終わっていて、それ以降はパソコンの体をなしていません。
誰も、「windows10にversionupしろ!」なんて言っていないのに、勝手にやっているのだから、困ったものです。
(江古田ハイツのパソコンは、mainの仕事用のパソコンは勿論、windows7なのですが、subのパソコンは已む無くwindows10を使っています。まあ、その使い難い事・・、遊びのためのTabletにしか過ぎないのだよな??
パソコンはsoftを使って作業をするものだ・・という発想自体が無いのだよな??
昨年の9月に血尿が出て、慌てて、病院に行って、重篤な病気が幾つか発覚したのですが、実は、その2ヶ月前の7月に鬱が酷くなって、初めて心療内科を訪ねたのも、自分自身に対してのself-controlが出来なくなったのが原因なので、どうも色々な病気への体の悲鳴が鬱状態に表れたのかも知れない・・と思っています。
20年以上も前の冠動脈の時も、私が「冠動脈の調子が悪い」と言ったので、かかりつけの病院では、大事を取って、循環器科の先生に変わって、診て貰ったのですが、それから5年間も異常が見つからず、医者は「素人が何をいうのだ!」という目で見られてしまいました。
それで、やっと、心電図に病気の状態が発覚して、大学病院でカテーテル検査をしたら、何と逆に「5年前に死んでいた」と言われてしまいました。
だから、5年前に「冠動脈が・・」と言ったのに、誰も信じなかったじゃん!!
私は、大病の前には、必ず予兆を感じるので・・・
それはそうと、homepageの作業なのですが、江古田から椎名町への、移動しての作業が、私の病気に依る体調不良と殆ど寝た切りの状態が続いて、私がhomepageのお引越しの作業をする事が現実的に出来なくなってしまったので、冬休みから、斉藤先生に一任する事にしたのですが、それまで、先生達は、homepageを弄った事が無かったので、その操作の説明から・・という事で、homepageのお引越しの手続き等の作業が、とても難しくって、とうとう4月1日までに、間に合わなくなってしまったので、もう暫く、homepageの閲覧はお待ちください。
ひょっとしたらhomepageを再び開く事が出来るようになるかも、知れませんので、気長にお待ちください。
・・・・というか、やる気が出ないのよね~ぇ??
これも何かの予兆だったりして・・・

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4月6日 ·
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とても変な夢を見て、目が覚めたら、眠れなくなってしまった。
戸締まりの出来ない引き戸の、古い家の寒い部屋で留守番をしているのだが、トイレに行くと日本式のトイレで、古ぼけていてお化けが出そうな感じである。
夢の中で、💩をしようとしても出ないので、目が覚めたのだが、断片的な夢で脈絡がありそうでない夢だ。
夢が寒い!
トイレに起きて行ったのだが、勿論、💩が出る分けではない。
この2日間便秘状態なので、気になっているので、そんな夢を見たに過ぎない。
普通では、2日間の便秘は大した事はない・・と思われるかも知れないのだが、便秘が大変な分けではなく、一日開くと、糞詰りで💩が超固くなって、幾ら力んでも、肛門が切れるだけで、出て来ないで、体が鬱血して、心臓に来てしまうからなのだよ。
毎日、規則正しく排便をすると、何とか良い💩が出るのだが、1日、2日、食事制限のために食べる量を極端に減らしているので、当然、💩の量が少なくて、排便をしなくなると、💩が超、硬くなってしまって、それ以降の💩が出なくなってしまう・・という悪循環になるのだよ。
それが、排便に対してのpressureなのだよ。
不定愁訴を宥めるために、You Tubeで古い曲を探したら、periodの曲の演奏で、とても良い曲が見つかって、すぐに楽譜をdown loadしたのだが、今度は「トナーがなくなるので、準備をするように!」と、messageが出てしまった。直ぐにプリンターのトナーをnetで探したのだが、純正品のトナーが見つからないので困ってしまった。
リサイクル品はインクの持ちが悪いらしく、「保存を前提としない場合・・」という条件らしい。
ハイツのプリンターは、楽譜とか、資料とか、結構、長期保存しなければならない物をprint outしているのだから、「それは困る!!」という事で、一応純性品を注文した。
ほんとかね??
睡眠時間があまりにも少な過ぎて、昨日のドルプリっ歩は、腰に来てしまった。寝が足りないと、腰痛になりやすくなるのだよ。
と言う事で、・・・腰痛寸前である。
という事で、強制的に寝てしまいたいので、糖質0の如何にも体に悪るそうなビールを飲んだ。
こういう時のために買って来たビールだ。
糖質0でもAlcohol度数は6%もある。
見るからに、体に悪そうな対処の仕方だよな?


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4月13日 ·
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こういうお話をすると、「私の事を批判している!」と言われて被害者意識を持たれる方達がいますが、同じお話を40年前から延々と、お話しているのです。
つまり、毎年、同じ話を不特定多数の保護者の方たちにしているのです。netはない時代では論文と言う形や、公開講座を何度も企画して啓蒙活動をしたのですが、40年経っても、何も変わらない・・という事で、自分の人生の悲哀を噛み締めて、部屋で引き籠っていたのですが、またぞろ、同じお話をする事にしました。
子供の能力や才能は、子供達の一途さ、ひたむきさによってもたらされます。
子供の一途さ、ひたむきさは、子供達に驚く程の能力の成長を促(うなが)します。
本来的には、子供達の一途さ、ひたむきさは、驚く程、脆(もろ)く危ういものなのです。
だから、親や周りの人達は、子供のそういった行動に対して、細心の注意を持って接し、育(はぐ)んでいかなければなりません。
しかし、日本人の多くの大人達は、子供が一つの事にひたむきである事に対して、恐怖を感じます。
人と・・・否、自分達と違う事に恐怖感すら感じて、親は自分の子供に、世間的な一般的な常識的な日常の生活を要求します。
「一途さ」、「ひたむきさ」は「努力」と「継続」という言葉に置き換えられて、時短や効率を失なってしまいます。
個性を大切にするヨーロッパの家庭ですら、子供の個性を育てる事が難しいのに、更に、日本の人と違う事を極端に嫌う、横並びの風潮と、常に他人と同じである事を要求する風潮の日本社会では、子供達のそういった折角の優れた能力でも、一瞬にして、潰してしまいます。
そして、親は自分達が子供の能力を潰した事は認めようとはせず、自分達や、他の子供達と同じ土俵で、努力をさせて、それが達成出来ない事に、安堵感を覚えるのです。
「ああ、やはり自分の子供は普通の子供であった」・・・・と❗
これ以上書くと、またまた、鬱が再発するので、今日はここまでにします。homepageがまた開く事があれば、多分、これと同じ趣旨の論文は幾つも掲載されているので、気が向いたら読んでください。。




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4月14日 ·
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今日(4月の13日の土曜日)は超珍しく椎名町のお泊りが3人になりました。




江古田教室の時には、6畳3間の3部屋(2階の全室を教室で借りていたので・・)だったので、何人でもお泊り可だったのですが、椎名町教室は超狭い上に、以前、assistantが住んでいたお部屋が物置状態になってそこで寝泊まり出来なくなっているので、一々、2階から布団を運んでlesson室でのお泊りなので、「今回の3人はちょっとギリギリの人数かな??」という感じでした。私の願望としては、部屋に溢れかえっている資料類をちゃんと片付けて、部屋として機能するようにしたい・・と常日頃思っているのですが、教室の休日でも、実際上は先生達は休日にはならないので、後送りになってしまっていつまでも片付ける事が出来ません。
「椎名町詣」とは言っても、わざわざ椎名町まで来てお泊りをしたとしても、・・だからといって、何らかのmeritがあるわけではありません。
特別にlessonをして貰う分けでもなく、普段のオケ練習の時以上に、何かしらのadviceが貰える分けでもなく、単に、教室の作業を覚えて、パソコンの操作やfinaleの入力の仕方を覚えて行くだけなので、一般的には、逆にその時間は楽器の練習が出来なくなるので、「練習も出来なくなるので、下手になるのでは・・?」と思われるのですが、不思議と「江古田詣」や「椎名町詣」をすると、突然、上手になるので、お母様達だけではなく、指導をしている先生達も不思議がっています。
その理由が分かっているのは私だけなのかな??
写真1枚目はお食事前の風景ですが、牧野先生は花園教室で次の日曜日のオケ練習の準備なので、土曜日は帰って来ません。
2枚目は普段は全員で食事の後片付けやお皿洗いの風景なのですが、お姉さん達は2階の部屋で、進行表のパソコンの入力中なので、今回はお皿洗いは美音ちゃんと斉藤先生の二人です。
順番にお風呂に入って、誰かがお風呂に入っている間は、パソコンの入力をしていて、お風呂が終わったら交代します。全員がお風呂に入り終わったら、就寝時間です。
今日は9時半の就寝かな??
「早い!」と思われるかも知れませんが、明日の朝は、朝食を食べて、練習開始の時間に間に合うように出発するためには、6時には起きないといけないので、子供達にとってはギリギリの時間です。
先生達は、ドルプリっ歩を済ませて、それから次の日のオケ練習の準備と発表会の準備をすると、殆ど寝る時間がない、所謂、ブラック企業です。アハッ!
コメント
千野 由実
ゴールデンウィークは住み込みで椎名町の片付けに徹する、という方法もありますね〜みずきさんッ❤️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
お願いしたいのは山々なのだけど、結構、先生達に取っても、大変な作業なので、未だ年齢的に無理な作業かもね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 では、あしづかせんせいの手と足に!?余計難しいですね💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
作業自体は単純作業なので簡単なのですが、その分、面白くないので、つまらないのですよ❗パソコンも、2台、3台あるので、大学生くらいになって、つまらない作業に耐えられるようになったら、なのですが、会社なんて、そのつまらない作業だけの繰り返しなのだけどね⁉中学生になったばかりでは、ちょっと辛いかもね⁉
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
引っ越し作業は体力勝負だし❗
· 返信する · 1年前
返信する...

萩元 美紀
お皿、ちゃんと洗えてましたか?😬ゴールデンウィークも予定が合えばよろしくお願いします。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
普段の曜日の中で、もっとお喋りの出来る時間が出来ると良いのだけどね??軌道に乗ってしまえば、そんな時間を無理をして作る必要はないのだけどね??私は時間はあるのだけど、距離がね??


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4月14日 ·
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昨夜、椎名町から帰って来て、超急いで、寝るために、日曜日のオケ練習の準備をしたり、(やり残した仕事・・という事ではなく、)色々な突然に舞い込んで来た仕事を、片付けている時に、B6版のmemo帳を取り出す時に、何処にぶつけたのか分からないけれど、思いっ切り右手の肘を何処かにぶつけてしまった。
腕を持ち上げようとすると、目線の位置まで持ち上げると、肘が痛くてそれ以上は動かせない。
これでは、指揮が出来ないぞ???
困った!!
本番直前の練習で、指揮が出来ないと言う事は、超、困ったぞ??


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4月15日 ·
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またまた、Facebookが開かなくなって、他の人達のblogが読めなくなった!次へをclickすると、知らない人達が無数に出て来て、その人達をselectしても、また、この画面に戻ってしまう。当然、ニュースフィードのどちらをselectしても同じ画面になってしまう。
Facebookはもう、使わないで・・・というmessageなのかな??
コメント
芦塚 陽二
丸々1日経って、やっとFacebookが開くようになりました。ホント、迷惑だよな??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二



・・と思ったのだが、2日、3日経っても、やっぱり一つのコメントしか開かない!
携帯では見る事が出来るのだが、パソコンでは見れないのだよ!腹立つな~ぁ??


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4月15日 Marin Maraisの秀逸な演奏·
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Marin Maraisの超有名な曲です。
演奏は勿論、名手中の名手であるJordi Savall大先生です。フランス映画「めぐりあう朝」でviola da gambaの吹き替えの演奏をした人で、日本ではgamba自体があまり知られていないので有名ではありませんが、ヨーロッパや中近東では神様のようなチケットを取るのが難しい超有名な演奏家です。
この扇情的な曲を素晴らしく演奏しています。
foliaの演奏も多数ありますが、la foliaのoriginalの即興も多いので、必ずしも、Marin Maraisのla foliaだけの演奏ではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=5Frq7rjEGzs
何度かupした記憶がありますが、Jordi Savallのla foliaです。チラッと出て来るハープの美しい女性はSavall先生のお嬢さんで今では、アメリカではgamba奏者としてSavall先生よりも有名な演奏家です。


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4月16日 ·
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一人の人間に与えられた全寿命と言うか、・・・全人生というか、・・なのだが、それは時間軸に対して、均等な価値を持っている分けではない。
私にとっては、たった4年間の青年期の時代に過ぎないのだけど、Münchenに留学して勉学に励んでいた、そのたった4年間の時期が私にとっては、人生の価値の重さの大半を占める、非常に心の満たされて安定した充実した時期であったのだよな??
そのたった4年間の時期が、私のこれまでの70有余年間の全人生の中で、半分以上を占めるような重要な時期であり、価値のある時期だったのだよ?
人生とは、イタヅラに時間を費やす事ではない。
如何に、充実した時月を過ごす事が出来るのか??
それは年齢によるものではなく、人生に対して、「いつ」、「何を」・・掛けるか、に拠るのだよな??
私の幼年時代や小学生の時代、中学生の時代に至るまでの人生は、目標もなく、夢も希望も見出す事の出来ない無駄と思える時間の連続だった。
つまり、私の幼年期や少年期の15年間の人生には、ただの情景としての記憶しか無いのだよ。
音楽教室を開設して、小さな子供達と接するようになって、その充実した人生に感動を覚える事がある。つくづく、人生の充実感は年齢ではなく、ひたむきさに拠るものである・・と実感する。
私は一体何をやりたいのだろう??
信念を持ってやって来たはずの事が段々と自信が無くなって来てしまう。
つまり、私にとっては、留学から帰国した後の、この40年間も同じに、無意味、無価値に過ぎないのだ!と、言いたいのだよな??
・・・きっと??  多分、・・・??
コメント
石川 ちすみ
おっしゃる通りに思います。




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4月16日相変わらずFacebookと格闘している ·
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何とか、開くようになった・・と思ったら、ひとコメントしか、開かない!他の人達のコメントが開かないのだよ!困ったものだ!
何にも見れね~ぇ??
スマホでは開くようなので、パソコンだけの話なのだが・・



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4月17日「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」 ·
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「orchestraは軍隊よりも、統率が厳しい!」と、言われているのだが、それは或る意味、一般的には正しい。
しかし、proの音楽家達は、個性の強い集団なので、学校教育での集団活動や、軍隊としての集団行動とは意味が全く違っていて、集団であって、集団の体をなしてはいない。
それぞれの個性的な人間が個性的な自己主張をした上で、conductorの指示を忠実に守ると言う事なのだよ。
proとしての絶対的な条件は、『言われた事を「出来る」ようにするのが当たり前であり、出来なくても、「出来る」ように練習して来る事がproとしての常識になる』つまり、「出来なければ、orchestraから、首になるだけ・・・」の事なのだよ。
proのorchestraともなれば、集団の共同作業なんてものは有り得ない!
つまり、自分がorchestraのpartsとして、歯車の一部として与えられた課題を果たせば良いのだ。
協調的な作業なんて何処にもない、個性のぶつかり合いで、それがorchestraの一子乱れぬ協調的な演奏を産み出して行くのだ。不思議な世界であるぞなもし。
聴く側は兎も角・・としても、演奏する側にとっては、或る意味、つまんないよな??
その集団の中での技術の向上はあったとしても、所詮は人間性に欠けた単純労働者に過ぎないからだよな⁉
でもまあ、それが一人ひとりが技術を持った職人の世界なのだよな??
学校の部活のorchestraは、根本的に目的が違う。
音楽的な技術の向上を目指すのは、本来の目標ではない。
あくまでも、集団活動と協調性を学ぶ事が課題であり、目標である。
(勿論、思いやりや、いたわりの心を学校の部活働の中で学ぶ事は、学校教育も所詮は競争社会のMiniature版なので、子供達を競争させる事で勉強させているのだから、そういったいたわりや思いやりの心を学ぶ事は、理想であり、夢のまた夢に過ぎない事になってしまう。)
しかし、学校教育が子供達の成績を上げる事だけが目的ならば、学校に行く必要はない。
自宅でパソコンに向かって、netで学習すれば、寧ろ効率良く学習効果を上げる事が出来るし、教育という事に特化しない塾も、成績を上げる事だけが目的、目標なので、学校よりもよっぽど効果的に指導出来る。
私が、よくhomepageや、このFacebookの中でも、繰り返し書いている事なのだが、学校とは、子供達が将来、大人になって、社会の中で、生きて行く事が出来るようになるための集団の中で生活をするための訓練をする事が学校教育の本来の目的であり、教育の基本である。
しかし、多くの学校教育者達は、大人に向けての集団社会での役割や、活動をする事を教育する・・という本来の目的を忘れてしまって、徒に、成績を上げる事のみを考えて指導教育している。
その結果が、neet(Not in Education, Employment, or Trainingの略)であり、引き籠もりで、若年者の自殺なのだ。
日本人の自殺者の数は、交通事故の死者数よりも多く、戦争で亡くなった人達の数を遥かに上回っている。
親の期待に応えて、有名大学を卒業して、有名な企業に就職しても、結局脱落して、neetになるか引き籠もるか、果ては自殺するかでは、社会対応が出来るような大人になったと言う事は出来ません。
集団の中で生活をする事が出来ないままに(過保護という日常の中で、社会生活をする機会が全く与えられないままに)大人になったのだから、私達の目から見ると大人になったからと言っても、社会適応が出来ないのは、当たり前で当然の事なのに、一般では親の教育の性、学校教育の性ではなく、「大人になっても、それが出来ないのは・・・・」と、本人の性にされてしまいます。
幾ら大人になったとしても、その訓練の機会を与えられなかったとしたら、出来ないのは当たり前だよねえ?
子供にとっては踏んだり蹴ったり・・ですよね??
学校の先生達も、文科省の指導要録のcurriculumを熟(こな)すだけに始終しているのですが、学校の先生達に言わせると、子供達に与えなければならない課題が多過ぎて、curriculumを全部は熟せないのが現状で、とても、集団の社会性を指導するための教育が出来る状態ではない・・と言っています。
それも現実なのでしょうがね?
でも、そのために教員養成の大学で技術を学ぶのであって、その技術が身に付いたからの教員免状ではないのかな~ぁ??
私が思うには、小、中学校が義務教育であるのは、子供達が青年になって、社会に旅立って、自分の家庭を持つために、周りの人達と協調して生活出来るように、社会的なruleを学び、育てるための学校教育なのだと思うのですがね??
その教育の一つとしての部活なのだから、音楽の真髄を学び、音楽の技術の水準を達成するための部活動ではないのだよ。どうして、そんな簡単な事が理解出来ないのか、私には理解出来ない。
今の時代の子供達は子供が働き手であった時代とは違って、一人で産まれて来て、親や兄弟から「蝶よ!花よ!」と大切に育てられる。家庭の中でも中心に過ぎない。家族で助け合って生活をするというのは、第三国の話なのだろうね??
日本社会では、そこに他人との譲り合いや、協調をするという概念はない。
子供同士の喧嘩や虐め合いは、そういった思いやりの心を学ぶ時期や、いたわりの概念を形成する前の段階なのだから、際限がなく・・、とても厳しい。
自分が人から厳しく痛められて、虐められる事で、初めて何処までが、やって良い事か、いけない事か??を学んで行く。
私も小学生の頃から、高校生に至るまで、よく喧嘩をして、血を出しながら、自宅に帰って来たのだが、当時の親でそれを問題にする親は一人もいなかった。
私が高校生の時に、喧嘩をして歯を折って自宅に帰って来た時に、母は笑いながら、「あら、あんたも喧嘩するのね?」と喜んでいたよ!!
中学校の卒業式の時には、同級生をぶん殴って、卒業したのだが、相手の男の子が自分の卒業証書を破ってしまったので、担当の先生が「この忙しい時に、全く・・」と愚痴りながら、卒業証書を書き直していたよ。
勿論、それで先生から叱られる事も、全く無かったのだがね??
当時は、男の子の喧嘩は当たり前だったし、それに目くじらを立てる保護者も先生もいなかったのだし・・ね??
私は教育は大嫌いだ!
音楽大学の学生時代には、音楽大学の受験生である生徒達を指導していても彼女等に対して、教育上の問題で悩む事は全く無かった。
親にしても子供にしても、将来の目標が定まっていて、それがブレる事は無かったから、私が指導するのは技術だけで良かったからである。
体調不良で体が弱っていると、ちょっとした事でも、鬱の要因になってしまう。
自分はこんなにも弱い人間だったのか?と驚いてしまう事もよくあるのだが、それも加齢でもあるのかな??


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4月17日Providerのお引越し ·
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ハイツのProviderをJ-comからSoftBankに乗り換える作業をしなければならなかったのだけど、業者がやってくれなかったので、自分でやらなければならなかったのだけど、やる気が全く無いので、それっきり、放ったらかしにしているのだけど、イタヅラに時間だけが過ぎて行って、それぞれの仕事のtimelimitが迫って来る!!
困ったものだ!
椎名町は椎名町で、homepageのProviderの変更も中々出来ないし・・・
超、面倒くさい!!
コメント
芦塚 陽二
大分、日にちが経ったのだけど、思い切って、意を決して・・朝の4時からJ-comからSoftBankへのRouterの変更をした。次に朝の営業時間になったら、J-comを解約するための電話をしなければならない。
Routerは仮のWi-Fiの無線と有線のRouterなので、5月の10日に正式のRouterを持って来る予定だ。
そうすると私の唯一のパソコンのmailaddressであるa42ka-402heiz@jcom.zaq.ne.jpが死んでしまうので、新たにパソコン用のmailaddressを作らなければならない。
あ~あ、面倒くさい!
なんで、こんな無駄な作業をしなければならないのだ!
J-comのRouterを外す作業だけでも、Cembaloの部屋の荷物を片付けて、大型の花瓶や鉢を割らないように気をつけながら、ラックを移動させて・・と、大変なのだよ!
老人のやる作業じゃあないよな??
腰に来るよな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
石川 ちすみ
私はxserver(エックスサーバーいと言うサーバーでサイトやっています。ドメインも一緒に管理してくれるので、楽チンです。独自ドメインになるし、@ashizuka.comなどのメールアドレスいくつでも発行できますし、まずもう2度と引っ越さなくて良いと思うのですが、いかがでしょう。ご参考までです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
yahoo
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
が呈示した5つのレンタルサーバーの内のbestchoiceがXserverで、教室もレンタルサーバーはそれにしたのですが、何度upしても上手くいかないので、電話をしたら、やり方は合っているのだけど、ホームページが重すぎてuploadできないらしく、1ページづつupするように言われてしまって、休み中の宿題にしました。今、ホームページが必要な生徒が多いのですが、仕方がないので、printoutして渡そうかなと思っています。


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4月19日Jcomの解約 ·
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朝の4時過ぎから、J-comのRouterを外して、SoftBankの無線Routerにwiredでパソコンを接続する作業を、部屋の大荷物をどけながらやって、早朝の作業を終わって、仮眠を取り直して、やっと、営業時間内になったので、起き出して、J-comに解約の電話をしたのだが、電話が混んでいて、先方から今日中に電話が掛かって来る事になってしまった。その次の作業がまた止まってしまった。
結局の所、5月の10日がSoftBankの最終工事日なのだから、それまでは、何だかんだ・・と雑用をしなければならないのだよな??
それはそうと、何日ぶりだろうか??今日も突然血尿が出てしまった。デブリ(=debris)の性だとは、分かっているのだが、気分の良いものではない。




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4月19日「絶対音感のお話」続き ·
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絶対音感は音楽家の2万人に一人の割り合いで神が与え給うたGiftだと、CNNテレビで言っていました。
しかし、教室では、そういった勉強や訓練をしていないのに、教室で学んでいる殆どの生徒達が絶対音感を持っている事には驚ろかされてしまいます。
とは言っても、一般と同じ教育指導をしていては、この絶対音感の水準になる分けはないので、当然、生徒達に絶対音感が身に付くだけの指導上のtrick(curriculum)はあるのですよ。
私が留学を果たして、日本に帰って来た時には、やはり絶対音感は一つの壁であり、また憧れでもあったので、私の個人的な研究の一つとして「絶対音訓練」という教則本を、日本女子大のsupercomputerを使用して、作りあげようと試みました。
しかし、supercomputerを1時間も回しても、回答が得れなかったので、お金が莫大になるので、cancelをして、代わりにダイヤモンド・ゲームのようなゲームを作って、一月程弟子達と遊んで、そのゲームで絶対音感を導き出すための和音のpatternを作りました。
出来あがったpatternの和音の列を、実際に、芸大の作曲科の教授について作曲を学んでいる生徒で、絶対音感の持ち主である小学生の子供に、その教材を使って、絶対音のテストをしたのですが、絶対音を持っているのにも関わらず、1個の音も当てられなくなってしまう・・という不思議な結果を得る事が出来ました。
そうして、「絶対音感訓練」という絶対音感を育てるための教則本が出来上がりました。
しかし、折角、作りあげたのに、残念ながら一度も子供達に使用する事もなく、ライティング・ビューローのdisplayになってしまっています。
芦塚メトードとは、必ずしも、音楽教育のために作りあげたmethodeではありません。
汎用的に色々な分野で使用出来るように、色々な能力開発のための、methodeとして作りあげたものの一部なのです。
コロンブスの卵という事をよく言いますが、私の考え方では、着眼点を変えて、別の角度から物事を見れば、色々なものが見えて来ます。
そういった方法論の一つに、私の記憶法の骨子でもありますが、子供達が20数曲の曲を楽譜無しで暗譜で弾けるようにするためには、「忘れる」というMechanismを研究すれば良い・・という風に着眼点を変えるという事なのですよ。
ちょっとでも、あやふやな絶対音感ならば、容易にその音感を崩してしまう・・という事は、より確固とした絶対音感を身に付ける事が出来るという意味になります。
世の中には、色々な記憶法がありますが、その逆・・つまり、忘れる方法というのは無いのですよ。
芦塚メトードでは、何度書いて覚えようとしても、口で唱えて覚えようとしても・・、幾ら努力をしても、覚えられないものは、覚えられない・・と定義します。
つまり、覚える環境を整えれば、何の努力もなく、覚える事が出来るのですよ。
ただ、この芦塚メトードによる記憶法は、一般の学校教育とは根本から真逆のやり方なので、生徒達も中々、取り入れてくれません。
昔の生徒は私が説明しただけで、小学4年生から、大学受験まで、一度も勉強をしないで、topを通した生徒が何人もいたのだけど、今は、カサンドラ王女でも、イエス様ではないけれど、誰も私の事を信じてくれないのよね~ぇ??
日頃のオケ練習でも言い続けているのですが、「勉強して1番になるのは当たり前・・、勉強を全くしないで、1番になるのが格好良いのだよ!」・・と毎回言っているのだけどね~ぇ?

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4月19日鬱と血尿が ·
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気分が良く無い・・とか、言っていたら、今度は、鬱が超酷くなって来た。
精神的でけではなく、体が寒気がして来た。
血尿も続いている。
これは、困った!
さて、どうしようかな~??
どう、逃げるか??
コメント
石川 ちすみ
マフラーやストールなど、首元を温められのはどうでしょうか?足元も。足指の関節にカイロを貼るのと、レッグウォーマーはお持ちですか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ご心配いただき、有難うございます。今日は東京はとても良い天気で、練馬の気温は24℃、自宅の部屋の中の気温は26℃で蒸れて暑いぐらいなので、寒気・・というのは、温感ではなく、皮膚の感覚で、所謂、鳥肌が立つという意味です。鬱に対しては、一つひとつの原因を丁寧に手直しして行かなければならないと思いますので、先ずは、息苦しい鼻詰まりを解消するために、薬を飲む所から始めて、次には、体を少し動かしてみようと思っています。
本当ならば、外に散歩にでも出かける事が出来れば、気分転換にもなって、一番良いのですが、そこまでは体力がないので、今日は、出来る事を探しながら・・一つひとつでしょうかね??
それはそうと、今日はピンク・ムーンの満月だそうです。
ちょっと春霞で、青空ではないので、満月が見えるか心配です。

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4月20日食わなきゃ痩せる ·
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とうとう、昨夜は動けないままに、何も食べないで寝てしまった😵💧とは言っても、チョコチョコとtoiletには起きるので、熟睡にはならないのだけど・・・・
朝起きて、体重を計ったら、半日で2.5㌔も痩せていた。
少し、やったぞ‼
てな事を言っても、勿論、なにか食べた途端に元に戻るのだけど・・・

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4月20日発表会直前の代講lesson ·
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今日(4月20日の土曜日)は、前日に引き続き体調不良で、体が全く動かないのだけど、長い事、放ったらかしているnetのProviderがそろそろtimelimitなので、代わりのmail-addressをg-mailで作ったのと、発表会直前の最後の東京でのlesson日になるので、無理をして椎名町まで出掛けて、生徒達にlessonをしたのだが、体がドンドンと落ち込んで更に調子が悪く鳴って行くので、・・どうやら、ひょっとしたら、風邪を引いているのかも知れない・・・、と言う事で、大急ぎでハイツに戻って、口の乾きと胃の荒れが酷いので、梅湯を飲んで胃を養生している所です。
多分、今日の夕食には、昨夜同様に、食べには行けないのかも知れないと思われます。
夜食を食べる・・よりも、今日はこれから絶対安静にして、明日のオケ練習に備えないとなりません。
明日は発表会直前の最後のオケ練習のlecture-lessonだからな??
幾ら何でも、明日は、休めないよな??
困った!困った!
コメント
萩元 美紀
お大事にしてください。
息子も木曜日夜から発熱して元気なんですが熱がなかなか下がりません…
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
息子君もお大事に!!4月の風邪は長引くからね??
私は熱はあがらなかったようなので、風邪か何かは分かりませんが、幾つか原因が重なったようで、不定愁訴とでも言うのかな??寝て、熟睡出来れば治るのかな??利尿回数が減っているのがちょっと心配ですが・・

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4月22日発表会直前での最後の練習 ·
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4月21日の日曜日は花園の自治会館での発表会迄の最後の総合練習で、・・基本的には全体合奏の曲と、未だ発表会には慣れていない初歩組のsoloのrehearsal がありました。
残った時間を使って、(・・とは言っても、とてもとても、練習をするだけの時間はないので・・)orchestraと室内楽の曲を、一回通して弾いて、one pointのadviceをするだけの練習をしました。
それでも、曲が膨大なので、自治会館の借りている終了時間の予定時間ギリギリまででした??

la folia Corelli=Geminiani19年4月21日芦塚音楽教室春の発表会最後の練習 - YouTube

発表会のrehearsal は、曲のrehearsal だけではなく、進行のcheckや、video-camera、merit5の使い方、楽器のcheck等々、大変な大道具を一つに纏めて、発表会の会場に持って行くための準備をしたので、花園を出発したのは、11時直前ぐらいの時間になってしまいました。・・とは言っても、これは発表会の前は何時もの事なのですがね??
何とかcinderella-time直前に椎名町に戻ってから、遅い夜食を取って、そして、一夜明けて・・の、今は月曜日なのですが、朝から体調不良と鬱が酷くて、臥せっています。
今日の月曜日は仕事にならない予定です。



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4月22日発表会直前の練習passacaglia ·
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今日(22日の月曜日)は、丸々一日、寝込んでしまいました。
金曜日の夜から、少し体調不良と鬱になって、土曜日から日曜日、月曜日の午前中に掛けては殆ど排尿が出来ず、このままでは、透析になるのでは・・??と心配していたのですが、月曜日になってからは、まるまる一日、体調不良と鬱が酷くて、殆ど何も仕事が出来ないままに、寝込んでいたのですが、そうしたら、段々と排尿感も戻って来て、延々とtoiletteに通う事になって来たのですが、そうしたら、気分も少し戻って来ました。
それに、月曜日は、まるまる一日寝込んでいて、何も食べれなかったので、今年になって最高に体重が減りました。
このまま、体重が減って行くと、良いのだけど、そうは行かないよな??
火曜日の食朝を食べたら、多分、元の体重に戻るよな??
Passacaglia Veracini=Ashizuka 19年4月21日発表会の直前の練習風景 - YouTube

石川 ちすみ
ああ、良かったです!




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2019年4月23日またまたFacebookが ·
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スマホで写真を撮って、Facebookにupしているのに、2回もupしたのに、up出来ない!!
どうしたのだよ??
コメント
芦塚 陽二
やっぱり出来ない!!3回目もoutだ!!



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2019年4月23日VivaldiのOp.ⅣNr.2 ·
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今日(4月23日火曜日)は5月中旬の気温で、今年始めて窓を全開にして部屋の中に空気を入れています。
曇り空で、地平線がはっきりとしないのだけど、久し振りの良い天気なので、写真を撮ってFacebookにupしようと思って、3回もuploadしたのだけど、up出来ませんでした。
デジカメではなく、携帯の写真だったので、大した画素数ではなく、これまでは問題なくup出来ていたのだけどね~ぇ??
今日のYou Tubeの動画は、日曜日の総合練習のrehearsal の様子です。
最後のオケ合わせなのだけど、練習時間がないので、one point adviceだけで、lectureと練習は出来ませんでした。
と言う事で、発表会は、まあ、今回はこんなもんかな??
今回はⅡ楽章を先に演奏して、Ⅰ楽章は後で演奏します。
Ⅰ楽章の後で、Ⅱ楽章を演奏すると、どうしてもⅢ楽章が必要になるからです。
Ⅱ楽章のsoloの部分のsoliのgroupは本来ならば、senza vibratoで膨らましで、演奏するはずなのですが、今回はsenza vibratoはやめにして、vibrato有りで演奏をしています。和音を膨らましで演奏するので、拍頭がズレて聴こえるので、soloが先行して弾かなければならないので、結構難しい課題です。
Violin-concerto in e ⅡⅠ楽章Op.4Nr.2Vivaldi 19年4月21日芦塚音楽教室発表会への最後のリハ - YouTube


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4月23日 Vivaldi Cello concerto·
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4月21日の発表会に向けての最後の総合練習の風景です。練習と言っても実際にはlectureの時間が全くないので、1回通すだけのrehearsal です。
You TubeにuploadしているVivaldiのcello-concertoのG DurのⅠ楽章のお話ですが、VivaldiのCello-concertoの低弦のpartは、非常に早い速度で、scaleを弾かなければならない・・という、時々Vivaldiがcello虐めをするための、celloにとっては超絶難度の曲で、しかも、celloと同じpartを補強して弾くKontrabassにとっては、マジ演奏不可能になってしまいます。
と言う事で、一般に出版されている世界的に権威のある版のKontrabassのpart譜は、Kontrabassのpartは拍頭だけを弾く事になっています。

Cello-concerto G RV413Ⅰ楽章19年4月21日最後の練習 - YouTube

教室ではKontrabassの生徒達もVivaldi先生と同様に甘やかす事なく、Celloさん達と一緒にscaleのfigurationを演奏させていますが、通常はproのオケでも、KontrabassはCelloと一緒にpassageを弾く事はありません。periodの場合には、Kontrabass奏者が一人なので、超絶難度にもかかわらず演奏している場合も多いのですが、それはKontrabass奏者がsolisteであって、超絶技巧の持ち主だからです。
・・・と言う事で、Kontrabassにとっては、無理難題のpassageを教室の子供達が演奏しています。アハッ!
確か、始めて3回オケに挑戦するんだっけ??そりゃあ可愛そうだよね??


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2019年4月24日 ·
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「音叉とtuningのお話」
私が音楽大学に在籍していた頃や留学していた時代には、まだ電子機器といったものは存在していなくて、小型の原始的なKeyboardがあるぐらいで、弦楽器のtuningには音大生達は全員、音叉かPianoの音からtuningをしていました。
pitchもA=442の演奏会高度の音叉は珍しく、普段に手に入る音叉はA=440の標準高度のみでした。

つまり、正しいpitchに合わせてtuningするためには音叉に頼らざるを得なかったのですよ。
ましてや、音楽大学の練習室のPianoは前世紀に調律したと思える程、pitchが狂っていて、合わせるには忍びなかったし、Pianoの音から、Violinへの調律は結構難しく、微妙な音が狂ったまま・・というのはザラだったからね??


Münchenの留学から帰って来ても、暫くの間は、弦楽器のtuningのみならず、Pianoの調律やCembaloの調律も音叉でtuningをしていました。



電子式Metronomが発売されたのは何時の頃かはすっかり失念してしまいましたが、教室を開設した辺りからは、もうMetronomでtuningをしていたので、40年程前から、発売されていたのでは??・・と思っています。
現在では、今腕時計やスマホでもtuningが出来るので、「音叉は過去の遺物になったのかな??」と、思っていたのですが、今でも、音叉は軽いので、楽器caseに忍ばせる事が出来る・・という事で、持ち歩いている人は多いようですね。
「音叉とpitchのお話」


元来、音叉が作られた時には、まだ古い時代(1859年)だったので、435cycle(コンチネンタル・ピッチ)としてフランス政府が定めました。
しかし、所謂、ベルサイユ・ピッチと呼ばれる392cycleや、所謂、鍵盤を半音スライドさせる事で(A=G#にする事で、便宜上のbaroque・pitchにするというスライド・鍵盤用のpitch)で得られる415Hzや、多数のpitchがありました。



そこで、標準音を世界で統一しようという運動が起こって、1939年のロンドン会議で、標準音を440Hzと定めました。
このpitchの利点は440という数が単純な数なので、倍音の計算がしやすいという利点があります。
と言う事で、学校等ではpitchは440Hzとして教えられますが、しかし、多くの演奏会場では独自のpitchが今でも取られていて、通常は演奏会pitchとして442cycleとされて、学校教育用の440cycleに対して、演奏会用のpitchとして、442cycleの音叉や管楽器等が一般に販売されています。
つまり、音楽大学では、pitchは442cycleで、教育大学では440cycleのpitchで生徒達を指導しています。
また、Recordのような古楽器は、学校教育用の440cycleの楽器に対して、古楽器としてのpitchである435cycleの楽器が一般的に販売されています。
私の所有するrecorderも、手作りの木製のrecorderは、435cycleのものです。
また、今回私が購入したtraverso(originalは黒檀や象牙製なのですが、とても高価になるので、ベークライト製ですが、それでも5万はします。)も、baroque・pitchの415cycleです。
また、海外のorchestraも、ベルリン・フィルは444cycleの場合が多いし、もっと高いpitchのorchestraもあります。
日本では、演奏会pitchは442cycleと言われていますが、日本の多くの演奏会場のPianoは443cycleで調律される事が多いので(極、稀に444cycleの場合もありますが・・)教室では、どのホールに行っても問題がなく、演奏が出来るように、443Hzで生徒達の家庭でのPianoにも、tuningをお願いしています。
音叉で調律をする調律師の人は443cycleの音叉がないので、その注文をすると困ってしまう人がいるのですが、教室でお願いしている調律師の人達は443cycleの音叉も持っている人もいます。市販はされていない・・と思ったのですがね??
家のPianoが440でtuningされていては、発表会の時に演奏が♭になってしまいますのでね??
正しい絶対音感を育てるためには、家庭のPianoのpitchと教室のpitchが整合が取れていなければならないからです。
日本でも、教育会館のような文科省直属の会場は440の標準音を取っています。
生徒達にとっては、444のような高いcycleに対しては、然程の嫌悪感はないようなのですが、低いpitchに対しては極端に嫌がります。まあ、当然の事ですが・・・
音叉はそれ自体では音がならないので共鳴させなければなりませんが、Violin本体に付けて音を出すのは楽器を傷つける事があるので、私は推奨していません。
云~千万クラスの高価な楽器を使用している人達は、原則的にそういう事はしません。
音叉で音を聴きたければ、意外と頭骨に音叉の丸い部分をくっつけるだけで、楽器に音叉をくっつけるよりも、余程、音はよく聴こえます。
音叉を使用するのならば、共鳴箱の付いた音叉が望ましいのですが、7千円程度はすると思いますので、初心者の子供達が購入するとなるとちょっと高い買い物かもね??
教室では、早い時期にMetronomの使い方を指導・lectureするのですが、市販の電子Metronomには、tunerが付いていて、baroque・pitchから448ぐらい迄のpitchを鳴らす事が出来るし、また、針でpitchの狂いを示唆するtypeのMetronomもありますので、とても便利です。
音叉と違って両手が完全に開くので、教室では電子tunerが発売された時から、色々なメーカーから使いやすいtypeのMetronomをselectして生徒に購入させています。
Metronomについては、「音楽性を育てる教育の邪魔になる」・・と言って毛嫌いする先生達も多いのですが、それはMetronomの使用の仕方に工夫がないからです。
proの人達は絶対tempoに対して、非常に大切にするので、Metronomは欠かせない道具になります。.
Metronomもパソコンも所詮は道具にしか、過ぎないので、如何に使い熟すかは、使う側の力量になるのです。
Metronomの歴史や使用方法についての解説は、詳しく冊子を作っていて、homepageにも同じ文章を掲載していたのですが、今、homepageは、お引越しの最中で見る事が出来ませんし、冊子も45Pageを超す本になっていますので、今の所、販売はしていません。本にするのが超面倒くさいので・・
写真1枚目の音叉は、442Hzと440Hzと435Hzの3つの種類の音叉を持っています。とは言っても、今現在は使用していないので、何処に置いたのか分かりません。
写真2枚目は、12本setのchromaticの音叉です。でも、PianoやCembaloの調律には音叉は使用しないので、使った事はありません。物珍しく購入しただけのdisplayです。

写真の、analog式のMetronomはドイツ・ウィットナー社のとても素晴らしいMetronomです。
日本のものとは違って音も性能もとても良いのですが、置き場所がちょっとでも水平を欠いていたら、正確なrhythmは取れないし、ensembleには音が小さ過ぎるので、電子式のMetronomに変えてしまって、今はハイツの自宅でのdisplayになってしまいました。電子式のMetronomならば、CDPlayer等で増幅して音を出す事も出来るしね??
写真のKeyboardは、検見川教室のオケ練習用のharmony‐Directorという古典調律や純正調、純正和音を出す事の出来るKeyboardで、Metronomも持っています。教室のオケ練習では、このヤマハのharmony‐DirectorでMetronomの音や、pitchの音を出すので、小型の携帯用の個人用のMetronomを使う事はあまりありません。
追加の写真のMetronomは、小型と言うには少し大きすぎますが、結構大きな音が出るので、lesson室で、生徒達がlessonの前のtuningに使用しています。
(文章が長くなったので、次のコメントに書きます。)

コメント

















石川 ちすみ
電子式メトロノームをCDプレイヤーに繋いで音を増幅できるんですか!?それなら室内楽ぐらいなら聞こえますね😉
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
石川 ちすみ 先生モニターのメトロノームのヘッドフォンの端子から、line-inに接続すれば、CDプレーヤーや、スピーカー、或いは、キーボードのスピーカーも使う事が出来ます。音量は自由自在なので、両方のボリュームを最大にすると、オケ練習でも大丈夫です。というか、うるさいくらいになります。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
コツは、両方の接続の端子の変換コードを電機の量販店で買って揃えておく事です。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
キーボードやスピーカーの端子は標準プラグが多いので、標準からミニプラグへの変換コードが必要です。長さも色々あって自由に選べます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
キーボードやCDプレーヤーにはinの端子だけでも、色々とありますが、出力側と受ける側のインピーダンスと言いますが、電気の容量が合わないと、音が出なかつたり、音が割れたりします。インピーダンスが分からない時には、色々な端子を試して、一番合う端子を探すと良いでしょう。


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4月24日「音叉とtuningのお話・2」 ·
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tuningのAについては、Aの音に弦楽器のAの開放弦を合わせれば良い・・と思われるかも知れませんが、実はそんなに単純なものではなく、色々と難しい点があります。
tuningのAは電子計器の針を見ても分からない程度の、上のpitchで合わせるか、Aの下のpitchで合わせるかで、かなりのズレがあります。







Violinのように高音域の楽器の場合には、そのズレは少ないのですが、Kontrabassのような低音域の楽器の場合には、ちょっとした狂いがちょっとの狂いではなくなります。
pianoの調律の時には、turning-hammerを1,2㌢ズラして調律するくらいのズレでも、cembaloの場合には、turning-hammerに力を掛けるだけで、全く動かさなくても、同じくらいにpitchが動いてしまいます。
tunerの針で計測しても、出ない範囲のお話ですが、実際に純性の和音を出したりする時には、現実的にかすかなnoiseが出て雑味の音になってしまいます。
そういった意味でも、みがかれた人間の感性は計器類よりも遥かに素晴らしいものがあります。
教室でオケ練習の時のように、生徒各自がtuningをして、それを一気に確認する場合には、開放弦のGの音を一斉に鳴らさせます。
ViolinやViolaやCelloのようにAから下にGの音を取る楽器と、Kontrabassのように、逆にAから上にpitchを取る楽器の場合には、少しでも、5度の音のintervalがズレていると、そのズレは、増幅されて行きます。
開放弦のGが完全に音が揃っていたら、正確なAでtuningされている・・という意味なので、一人でもズレていたら、直ぐに誰がズレているのかが分かります。
多くの音大生や音楽家達がよく起こすミスなのですが、完全5度を完全に協和させてtuningすると、平均律とは大きなズレが出来てしまいます。
その一例として、Mendelssohnの彼の有名なViolin-concertoのⅠ楽章の中間部で出て来る開放弦のGの音ですが、orchestra伴奏ならば、或る程度のpitchの調整は出来るので、問題はないのですが、Pianoの伴奏の時には、学生達が(仮にAのpitchを正確に合わせたとしても)完全5度の調弦を完全5度に調弦してしまうと、PianoのGと合わなくなって、大変な音がしてしまいます。
つまり、Aからのtuningを狭めに5度を取って行かないと、大きくGの音が狂ってしまうからです。
これが、上のAと下のAのpitchを取る・・という意味になります。
純性の和音で演奏する場合にも、とても重要な意味になります。
(今日はここまでにします。また改めて・・・)
1枚目はCembaloのtuningのlecture練習風景、2枚目の写真は分割鍵盤、3枚目の写真は教室のPipeorganの調律風景です。


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4月26日「平成最後のone lessonの後で・・」 ·
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昨日(19年4月25日の木曜日)は平成最後の花園教室での平成最後の発表会に向けてのone lessonでした。
(・・テレビ等でも、「なんでも平成最後の・・」という文言が入って来たので・・私も、便乗して・・・)
発表会の直前と言う事もあって、long-runを覚悟して、プリドルも椎名町でのお留守番ではなく、千葉まで同伴してのlessonでした。
発表会直前のlesson・・という事で、最後の伴奏合わせになるので、「伴奏合わせ」を中心にしたlessonになり、結構、lesson内容としては、煮詰まって来ていて、ViolinとPianoの掛け合いのcommunicationのlectureが面白いlesson風景だったと思えるのですが、オケ室内楽の練習とは違って、「二人での伴奏合わせ」とは言っても、基本的にはViolin-soloの個人のlessonなので、You Tube等の公開はしません。
子供達へのlessonが終わっても、斉藤先生が、そのまま花園教室で、発表会の下準備をしたりして、結構、遅い時間に千葉を後にして、東京の事務所に帰って来たので、半分眠りながら・・というか、殆ど眠ったままの状態で意識朦朧と、ご飯を食べて、(lessonで使用した楽譜や、lesson道具の入っているruckやレインコートも持ち帰る気にもならないので、そのまま椎名町に置いたままにして、)大急ぎで霧雨の降る中を、バイクで江古田の自宅まで戻って、パソコンの電源を入れて、今日一日の舞い込んで来た仕事は絶対にしないように注意して、そのまま寝てしまいました。
ついでに、携帯も椎名町に忘れて来たのだけど、多分、携帯を忘れるのは、「携帯に束縛されたくない」・・という、願望が混じっているのかな??
・・携帯だけはいつも、必ず忘れるよな??
一夜明けての今日は、暖かい・・と言うか、暑いぐらいの5月中旬の気温の昨日から、一転して気温も10℃以上も下がって、強い雨が降っている※)、結構、寒い朝になりました。
練馬区の外の気温は、何と12℃だそうです。
昨日は26℃ぐらいの夏日だったので、その寒暖差はちょっと異常ですよねぇ~??
※)自宅の窓から外を見ると、雨に手が届きそうなぐらいですが、雨が強いのか?降っているのか??ですら、5階の窓からは、よく分かりません。
という事で、雨や気温をcheckする時には、玄関のドアを開けて、外の学園の木々を通して外界の状況を判断します。
それでも、「降っていないのかな?」と思われるような小降りの雨の時には、駐輪場兼ゴミ捨て場の出口から外に出ると、結構小雨が強かったり(?)して、部屋までもう一度雨具を取りに戻る事もよくあります。
霧雨ぐらいの小降りの雨でも、バイクでは結構びしょ濡れになってしまうからです。
この写真では、「雨が降っているのは分かるかな??」「云~??」
この写真をよく見ると、マンションの壁が少し湾曲していますが、昨夜は、私のデジカメも楽譜類と一緒に椎名町の事務所に置いたまま帰って来たので、スペアーの5千円ぐらいの安いワイド専用のデジカメで撮影した写真です。
解像度もホワイトバランスの調整もしないままに、何年も使用しています。
通常のデジカメではangle的に入らない画面を撮影するためのワイド専用のカメラです。(とは言っても、5千円じゃあ、ピントも解像度も、たかが知れているけれどね・・??だからと言っても、本物のニコンのコンデジには、ちゃんとしたwideから魚眼まで持ってはいるのだけど、面倒くさくて、とても出す気がないので・・)



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4月27日「period(ペリオード)について」 ·
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今日は2019年4月27日、まあ、平成最後の土曜日です。(そろそろ、「平成最後・・・」も、耳に付いて来たかな?)
発表会の直前なのですが、period奏法と言う事で、「period」についての説明をします。
periodとは英語ではピリオード、所謂、句読点を意味します。
音楽用語として使用する場合には、時代区分としての意味になりますので、本来は、baroqueや古典派の時代という意味はありません。
つまり、現代のcontemporaryの音楽でも、periodという言葉を使う事が出来るのですよ。
また、通常一般的には、period instrumentsというと、baroque時代よりも、寧ろ、Renaissanceの時代のViolin属よりも前の時代の、gamba属等の楽器を指す事の方が一般的だと思います。
ヨーロッパでは、一つの国に一つぐらいの国立のancient-Musikalische -institute(古楽研究所)があって、Renaissanceの音楽やbaroqueの音楽の研究をやっています。
勿論、音楽大学とは別の独立した研究所としてなので、学生達の年齢はマチマチです。
日本には当然ながら、まだそういった研究所はありませんし、音楽大学でもそういった古楽を専門的に研究している大学はありません。
(・・てな事を言うと、「私の大学には古楽研究クラブがある」と言われそうですが、私が言っているのは趣味としての古楽ではなく、あくまでも研究所としての意味です。)
何時も、私が口にしている事なのですが、「古楽器を使用して古い時代の曲を演奏する」という事だけでは、必ずしも、period奏法の研究にはならない・・という事です。
日本の古楽器の演奏は、period instrumentsを使用して古い曲を演奏したとしても、現代の奏法で現代の音楽解釈で演奏しているのに過ぎないので、それを持ってperiodの演奏とは言えないのですよ。
つまり、periodのinstrumentsを使用して、periodのinterpretationでperiodの演奏技術で演奏したものをperiodの音楽と呼ぶのです。
この分野では日本は、立ち遅れているのではなく、全く立ち上がってもいません。
折角period instrumentsを手に入れて演奏会を開いても、modern-楽器と同じ演奏をしていては、それをperiodとは言えないのでね??
私達の教室では、period奏法というのは、baroque時代から古典派迄の時代区分を言っています。
Violinが始めて作られたのは15百年代の後半、ガスパロ・ダ・サロが作ったと言われていますが、これは諸説紛々で、所謂、同時期にシンクロニシティとして色々な楽器製作者が作ったと思った方が正解でしょう。
だから、Violinの音楽はbaroque時代(1600年)から始まるのですよ。
Violinの奏法が、現代の演奏styleに変わるのは、 François TourteとSpohrの二人が新しいmodern-bowを作ってからです。
弓だけが、強い張りを出すようになっては、楽器は耐えられないので、当然、Violinやcelloの本体も強い張力に耐えられるように改造されました。つまり、Stradivariの楽器でも、後世の楽器工房の人達が現代のViolinに改造したものなのです。
Violinの竿(ネック)も長くなり、強い張力に耐え得るように内部に力木を入れて強い張力に耐えられるようになって、当然、Violinの演奏法や曲の演奏styleが変わって行きました。
シンクロニシティと言えば、弦楽器だけではなく、ほぼ、同時期にPianoもforte-pianoというsingle actionのforte-pianoから、現代のdouble actionのPianoに変わったので、touchや演奏styleも現代風に変わってしまいました。
私達は、そういった楽器の改造を改良と学んで来ましたが、実は音を強くするために、失った楽器の素晴らしさや音楽の表現があまりにも多くて、そういったbaroqueや古典派の時代の本当の表現を惜しむ人達も段々と増えて来て、世界基準ではperiod奏法の演奏も非常に増えて来て、優れた演奏をする団体も増えて来ました。


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4月28日「有名な人=凄い人ではない」 ·
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「有名な人」とは企業やマスコミが作りあげた人である場合が殆どで、「凄い人」は日本では当然としても、ヨーロッパでも無名な人の場合が多いのだよ。
それどころか、ヨーロッパでは超凄い演奏家が、全く無名である場合もよくあるのだ。特に、genreがmaniacな場合には、そう言った人が多いのも事実である。
有名店、所謂、行列の出来る飲食店には、原則として私は行かない。(これまでも、頑張って長時間待って、やっとこ食べても、普通の味しかしない事が殆どだったからだ。)
行列の出来るお店が、車の駐車の問題や近隣との問題で、お店を移転した後で、行列が出来ているのを見た事は無い。
「一見のお客様お断りの店」に、一見で入った事が何度もあるのだが、私がお店に入ると板さん達がいつもざわついて大騒ぎをしていたよ。
誰かと勘違いしていたのかな??
地方の寿司屋なのだけど、野球選手やスターが飛行機に乗って食べに行く程の有名店に、連れられて食べに行った事がある。私はお寿司を食べる時に、指先をしょっちゅう拭いたり、唇を拭く癖があるのだが、その寿司屋ではcounterの席の前に、指を洗うための水道があって、唇を拭く小さなタオルが出て来た。まるで私の好みのための寿司屋のようだった。
お店のご主人が出て来て、「今日は寿司ネタがないので、お店を閉めようと思っていたのですが、近場の雑魚ネタしか無いのですけど?」と言って来たので、「私は、雑魚の方が好きなのですけど・・」と言ってお店に入れて貰った。一列食べるだけで数万円を要求されると言う事で有名なお店なのだけど、余りにも美味しいので2列以上も食べたのだけど、超、安かった!!一人1万ぐらいで済んだよ!!
ほとんど、お醤油を使わなくて食べれたのが、超好みだった。
2年後にもう一度行った時にも、店長のおじいさんが私の好み等をちゃんと覚えていたので、「流石!」と関心したよな??
私はお店では、私の名前すら教えていなかったのにね??
こういうお店をproの店と呼ぶんじゃあないのかな~ぁ??
今日は4月28日というか、まだ27日の土曜日の深夜である。
発表会の前々日と言う事もあって、「超!」、「super!!」、「ultra!!!」、久し振りに、日本酒を4合も飲んでしまった。
何年振りであろうか??
発表会直前に鬱に苛まれて、conditionを崩すのを避けたかった・・という意味も有るのかな?
私の・・というか、私の場合だけではなく、一般的にも、鬱の根本原因は対人関係であろうか。
つまり、私の場合、自分に対しての鬱の原因は、体調の管理を含めても全く無い。
自分は自分に過ぎないのだから、生きるにしても、死ぬにしても、自分だから、その悩みは存在しないのだよ。
鬱の原因が人に有る事は、人が判断する価値を誤っているからに過ぎない。
人の価値など、無視をして、自分は自分を押し通せば、それで人生は安泰なのだが、それは、私が教育という事に携わった事が一生の誤りであるぞなもし。
日本人の価値は、「あなた任せ」である事が殆どである。
人は有名な人を、立派な仕事を成し遂げた人と勘違いする事が多い。
日本人のブランド嗜好は有名であるが、ブランドの意味は、「価値の判断を企業に保証して貰う」・・という意味なので、「寄らば大樹の陰」とか、「親方日の丸」とかと大して変わらない他人任せの判断基準に過ぎない。
しかし、昔々は、その親方日の丸の日本国政府が発行した、債権が無に帰して、ただの紙切れになった事が多々ある。
その紙切れを記念に祖母から貰ったのだが、今の貨幣価値では1千万ぐらいにはなる・・と聞いた時には、笑いが止まらなかったよな?ただの印刷された紙切れにしか見えないのだよ。
それも粗末な紙なのだよ。
赤い印だけが無意味に偉そうに見えるのだよ。
「こんな紙切れが1千万・・?」笑ってしまう程、お粗末な紙幣なのだよ。それぐらい、国の財政が切迫していたのだろうけれど・・・。 
その債券を銀行に持って行けば、お金には換えて貰えると聞いたのだが、その金額を聞いて笑いこけたよな?
お国のために、なけなしの財産を使い果たした国民に対しての責務は何処にもないのだよな⁉
私が産まれたばかりの頃は、5厘硬貨がまだあって、それを持って駄菓子を買いに行った覚えがある。
子供心にも小さな小さな硬貨だった。その次は、1銭硬貨で、その次は50銭硬貨だった。
つまり、あっという間のインフレなのだよ!
貨幣の価値が一日、一日で変わってしまって、お金がお金としての価値がなく、大昔の物々交換でしか、米を買う事も出来ない・・という時代のお話だよ!
昭和の戦後の時代というのは、映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、nostalgicな時代では無かったのだよ。
あっという間に、百円札が出来て、五百円札ができた。
それから更に、千円札の到来だよ。超、インフレで、何も無い時代だったのだよ。まあ、一部の金持ちは別として・・・だけどね??
私が駄菓子屋に持って行った五厘の硬貨は、つい先日まで、記念に持っていたはずなのだが、探してみたら見つからない!!
昔の硬貨を色々と持っているのだが、同じ金額の硬貨を並べて見ると、色々な時期で出来ている大材質や硬貨の大きさが全く違っているのを見るのは面白い。
その時代の経済の状態が分かるよな??
親方日の丸なんて、こんなもんだよな??・・と言う事がよく理解出来る。
大学への進学も、就職も、その総てが他人任せ・・では、その人の一生なんて、たかが知れている。
学校の勉強の本来の目的は、社会性を身に付ける事と、将来、自分が生きて行く上での夢を探す事では無かったのかいな??
教育の本質というのは、学力を身に付ける事ではない。
人生を・・或いは人間を、否、社会の本質を見極める目を養う事である。
人を見極める事の出来ない人間が、社会の役に立つ人間になれる事は無い。
音楽にしても然りである。
音楽の本当の意味、それを見極める事も出来ない音楽というものは、所詮は亜流の音楽であるぞなもし‼
・・とは言っても、文字にも、チラシ有り、探偵小説あり、哲学書もあるし、聖書すらあるように、音楽でも、BGMから、popularや、所謂、Classicと呼ばれるgenreの音楽があるのは分かり切った事で、それ等がそれ相応の価値と位置付けを持って存在しているのは、当然の事だし、それを否定する気はサラサラ無い。
幾ら引き籠もりで、隠遁生活をしていたとしても、そこまで、非社会的な人間ではないからね?
あくまでも、教育上に於ける「育てる」という意味合いに於いてのお話なのだから・・
私自身は産まれながらのpessimistであり、引き籠もりであるので、「人の上に立つ」・・とか、「有名になる」・・とか言う願望は全く持って無い。
私の夢は静かに穏やかに暮す事なので、一静庵なのだよ!
海に接した断崖の上にある小さな森の中に庵を組んで、余生を過ごすのが夢だ。
ただ、社会に一石を投じると言う事は、自分の足跡を遺すという意味での教育だったはずなのだが、そこに手違いがあったのかな?
技術を指導する事は簡単に指導出来るのだが、心を伝える事は超、難しい!
久し振りの酒に溺れて、ついつい愚痴ってしまった。
反省、反省!!
反省ならば、猿にでも出来るか???
否~ぁ? それにしても、今夜は寒い‼
なんと、7℃だってよ!!
26.5℃から7℃は、幾ら何でも無いよな!!


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4月28日「進行表について」 ·
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私達の発表会では子供達が自主的に発表会の進行をします。
初めて、発表会で子供達が自主的に進行をした時に、当時の浦安のホールでは、会場のスタッフが「先生達が子供達に進行を手伝わせて、手抜きをしている」と思って冷ややかな目を私達にしてきました。しかし、子供達の進行を見て発表会も中程になると、スタッフの人達が子供達に進行をさせる意味合いを理解してきて、とても協力的に温かい目で子供達へのadvice等を積極的にして頂きました。
その後は、発表会の進行表を事前にホールだけではなく、「会場の進行のスタッフにも欲しい」・・という要望があり、その後は、新しい会場スタッフの指導のテキスト教材になっていました。その後は、どこの会場に行っても、ホール・スタッフの温かい協力を頂いています。
発表会を子供達の自主運営の場(自主性と協調の教育の場)にしようと思いついたのは、教室を開設した時期とほぼ同時でした。
子供達が自分達が自主的に動くためには、子供達が動くためのmanual=一人ひとりの動きを表した、発表会の「進行表」が必要だ・・という事で、進行表を作るための参考に、proオケの団員で同時に進行を担当している友人の所に行って気軽に「進行表を見せてくれない?」と申込みました。
彼の答えは意外なもので、「芦塚さんの頼みならば、どんな無理難題でも聞くけれど、進行表だけは勘弁して!」と拝まれてしまいました。
仕方がないので、NHKのtopの人の所へ行って進行表を見せてくれるように頼みました。
役員の人に紹介されて、進行表を貰ったのですが、(超、shockだったのは、)その進行表が東京都の電話帳よりも分厚くて、細かい文字で上下3段に別れて書かれていて、向こう3年分くらいの予定が毎日の秒単位で書かれていて、服の生地の発注からstageのsetや、演技をする人達の行動に至るまで、秒単位で書かれていたのですよ。
「これは、参考にするにも、とても無理!!」・・という事で、なければ、作る・・という信念に従って、子供達向けの進行表は自分で作る事にしました。
教室を開設した当時に、教室のinstructor希望の高校生達に、進行表の作り方を指導して、当時、まだ発売されたばかりのワープロで進行表を作りあげました。(それが斉藤先生達です。)
高校生の生徒が出来上がった進行表を外部の人達に見せると、あちこちから引き抜きが掛かって来て、「高校生でも良いから今直ぐに就職しに来て欲しい!」との申し込みが多数ありました。
「教員採用のお話」
その当時の一例として、当時は超、就職難の時代で、教員採用試験に合格しても、中、高校の学校の先生として就職出来るには、通常5年待ちでした。
「5年待ち」・・とは言っても、その間、別の職業に着くと、教員採用は取り消されてしまうので、家事手伝いぐらいしか出来ない状態で、所謂、ニートを5年間続けなければならなかったのですよ。
ちょうどその頃、大学受験の浪人生で、「受験ノイローゼになりそうなので、高校の部活で少し学んだ、Violinを9月頃の受験の追い込みの時期までの限定で、勉強もしたい」・・という浪人生が来ていて、教室でViolinを学びながら、受験のtechnikも指導して、大学の受験にViolinとviolaを持って、受験の試験会場に行って、試験が終わったらそのまま、本番に駆けつけるという変速的な受験をしました。その姿を見ていた回りの人達から、私は非常に厳しいブーイングを受けたのですが、本来的な意味は、受験浪人生である彼の受験のpressureを防ぐ意味と、日常のrotationを規則正しく守らせる・・という意味もあります。
という事とで、無事に希望の大学に入学して、恙無く卒業出来たのですが、卒業年次の時に、教育実習に行った時に、一クラス35名ぐらいのクラスに、3名程の問題児がいて、彼が「35名中ならば、3名ぐらいの落ちこぼれは仕方ないですよね?」と言って来たので、私が烈火の如く怒って、「大学院に行ったつもりで、特殊の学校に行きなさい!」と命じて、2年間の上智大学の特殊の教育を受けさせませた。
この2年間で、特殊教育を受ける事で、色々な問題児の扱いに慣れて、経験を積んで、無事特殊を卒業する事が出来て、郷里の超就職難の県の教員採用試験を受けたのですが、彼の友人達や先輩達を差し置いて、彼はストレートで採用されました。
つまり、特殊が出来る先生は5年待ちの先輩達を差し置いて、ストレートで就職出来ました。
つまり、現場の学校にとっては、特殊の出来る先生が欲しくて、ベテランの先生達を学校から出向させて勉強をさせるぐらいだったので、彼が特殊を勉強して来たという事は、就職に関しては優先度がかなり高かったのですよ。
学校に就職して、直ぐに、その年の学校の運動会や文化祭の企画進行を任される事になりました。
勿論、進行表が作れるから、veteranの先生達を差し置いての抜擢です。学校では、新任の先生であるにも関わらず、子供達の扱いに長けたVeteranの先生として認められて行きました。教室にいる時には、進行表の有難味は良くは分からなかったのですが、後日にはとても感謝されました。教育の現場に行った生徒達からはいつもその感謝を受けています。
教室が現場主義なので、一般的にはなかなか理解されないのですが、子供達からは、結構感謝されます。
「子供達のお話に戻って・・」
この進行表の作成のお話は良いお話の例なのですが、悪い例もあります。
教室の生徒達はオケ練習等や発表会等の自主活動で、集団の統率の訓練をされています。
だから、小学校等でもどうしても教室のまとめ役になってしまいます。
そこまでは良いのですが、classに問題児がいても、先生達がその問題児に対応が出来ないので、子供に問題児の指導と扱いを任せてしまう事が多いのです。
親にとっても、それはお友達に尽くす事なので、とても良い事のように思えし、子供も先生や親から高く認められて評価されるので、満更でもないのですが、実は、その事が、子供の教育上、とても問題なのです。
そのお話を子供に分かるようにするために、「田吾作さんのお話」としてhomepageに掲載しています。
他人のために何かをする事はとても良い事なのですが、それは自分がちゃんと人の上に立てるようになれるように、自分を確立しておく・・という前提があります。
勉強途中の子供が自分の勉強を差し置いて、他の子供の手助けをする事は、自分の夢や成長を犠牲にする事になるのです。
子供は「目先の良い事」と思われる事に出会った場合、それが本当の意味で、自分にプラスになるか否かの判断が出来ません。子供は、そういった社会的な意味に於いて、自分の個を守る事が出来ないのですよ。
もっと酷い例は、子供達がワープロを打てるので、先生が自分の仕事の手伝いを生徒にやらせていた事です。
その当時はまだワープロが発売されて間もない頃なので、学校の先生達はワープロを使い熟す事が出来無かった・・時代なのです。
その生徒からの「学校の先生の手伝いが大変で、自分の練習が出来ない!」というhelp=苦情を私が聞いて、直ぐに学校に対処を要求しましたがね??
(勿論、先生は反省をして、事を荒立てる事無しに、事なきを得ましたが・・)
「思いやり教育と伴奏のお話」
上級生達が年下の初歩の子供達の面倒を見る・・という事は発表会だけではなく、普段のlessonの時の、Pianoの伴奏でも先生が伴奏しないで、先輩の子供が伴奏をする・・という事でも協調性や思いやりの心が育ちます。勿論、それだけではなく、音楽は伴奏を込みで初めて音楽として確立するので、Violin等のmelodieだけでは、音楽とは呼べないし、音楽を理解する事も出来ません。
自分のViolinのmelodieにどういう和音が付けられているのか?どういうPianoのmelodieが付けられているのか?を理解する事無しに音楽を理解出来る事はないのです。
一般のViolinやVc.の教室の場合には、発表会の直前に、Pianoの先生がやって来て、一人、1,2分の伴奏合わせをして、本番に臨む・・という形になります。
しかし、それではViolinの生徒達も、音楽そのものを理解する事は出来ませんし、伴奏する生徒も、「伴奏合わせ」という特殊な技術をマスターする事が出来ません。
一般では、Pianoの伴奏者はPianoが楽譜通りに弾ければよい・・と思われているのですが、伴奏者の技術でコンクールでも入賞出来たり、落選したりするのです。
小、中学生や、高校・大学の弦楽器のコンクールの伴奏が出来る人は東京には、二人しかいないのです。
コンクールに入賞をする生徒達の伴奏は総てその先生が伴奏しているのです。勿論、そのお名前は出しませんがコンクールの伴奏者の欄を見れば一目瞭然です。
ViolinやCelloの演奏家や歌の演奏家の人達にとっては、優れた伴奏者を見つける事は、生命線になるのです。恋人はいつでも見つける事は出来るけれど、優れた伴奏者に巡り会う事は、人生の中で、非常に稀な事で、それこそ死に物狂いで探します。
教室のお姉さん達は、非常に伴奏が上手で、時折、外部から伴奏を頼まれて、軽い気持ちで伴奏(バイト)に出掛ける事があります。とても感謝されても、教室では当たり前なので(子供時代から伴奏をやって来ているので)、「まあ、私って、伴奏が上手いのね?」ぐらいの、簡単な感じです。技術として、価値としての伴奏のTechnikと思った事はないのです。
まあ、それはそれで、良いと思うけれど、少なくとも、コンビニのバイトとは比べようがないぐらいのお金が貰えるので、大学生には、「バイトに行きたかったら、伴奏をすれば?」と声を掛けているのですがね~ぇ?
しかし、一般の音楽教室のように、「先生に子供のPianoの伴奏をして貰いたい」と思われる保護者の人も時折はいますし、その場合にはそのように配慮しています。
但し、先生が伴奏する場合には、通常の伴奏の条件と同じになりますので、伴奏1回、2,3分の、本番直前のcheckのみになります。これは音楽教室の伴奏合わせだけではなく、プロの場合でも同じです。
基本的には初歩の間は、お母様、お父様が子供と一緒に伴奏で舞台に乗れるようにしています。子供とのensembleの思い出は貴重な思い出になるので・・ね??
また、子供同士のcommunicationが出来ない生徒の場合は勿論、率先して先生が伴奏をしますが、先生の伴奏の場合には、伴奏の勉強として、子供達同士で一緒に練習をすると言う事は時間的に出来ません。とても無理です。
生徒の曲の演奏が出来上がった状態での練習1回本番・・という感じになって、一般の音楽教室と同じになります。


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更新しました。
2019年4月28日 ·
高校時代住んでいた長崎の公営団地の直ぐ上の十字架山での自撮りの写真です。夕陽に薄の穂がキラキラとしてお気に入りの写真です。体重はこの当時から36~7歳から突然肥り始める迄、全く変わりません。




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2019年4月29日 ·
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明日の朝の出発まで、6時間を切ってしまった。これではwineを飲むことも出来ない!これは困った!!
と言うか、起きるまでには、4時間しか無い。そりゃあ、無いよな??
困ったぞ、時間が止まってくれない!!勝手に進んで行くぞ・・!!
さて、何から、何をすれば良いのだ??困った!困った!!
コメント
萩元 美紀
早く寝て下さーい!!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 さん 寝る準備が手間取っているのだよ😭飯も食わんとやっとるのにな~ぁ😥
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
芦塚 陽二 明日の準備に追われてるのかと思いました😅
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 さん それは12時前にさっさと終わらせたのだけど・・・
今度は、ベッドに入っても目が冴えて寝つかれない
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 あまりお休みになれなかったようですね…
今日はよろしくお願いします
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 全く眠れなかった‼突然眠たくなってきた‼
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
· 返信する · 1年前


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4月30日 「発表会から一夜明けて・・」
·
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発表会から一夜明けて、なんと、今日は大雨で超寒い一日です。
一般の音楽教室の発表会では、先生達が身軽に自分の楽器だけを手にして出かけます。しかし、orchestraや室内楽を企画する私達の教室では、所謂、通常のorchestra同様に、大型のtruckが必要なぐらいの大道具や大型の楽器の搬入搬出をしなければなりません。(trackではなくtruckです。)
先生達が未だ、若い頃はCembaloも二人で持って、発表会や演奏活動をするために、Cembaloの2階上げやKontrabassの運搬等々もしたのですが、体力の限界、という事で、このところは大学生達に搬入搬出を手伝って貰っています。
コメント
萩元 美紀
昨日はお疲れ様でした。
久しぶりにCembaloを持ちましたが15年前は余裕で持ててたのにすごく重く感じました💦
昨日もあまり寝ていないようですがもうお仕事されてるんですね。子どもたちはまだ起きてきません(笑)
· 返信する · 1年前
純子斉藤
あれ?発表会の日にチェンバロ運び手伝ってくれたのですか?いつ?
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
純子斉藤 舞台から車に運ぶところです
· 返信する · 1年前
返信する...

本田 梨紗
朝は春暉くん玄くんと、夜は春暉くん碧人くんとcembaloなどの荷物積み下ろしでした!
写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
2人でとは流石👏
階段の下の方はかなり重たいですよね…
お疲れ様でした!
· 返信する · 1年前
藤本 香
芦塚先生
昨日はお邪魔いたしました。
何曲もコンチェルトを弾いている生徒さんや、ピアノや他の楽器も弾きこなす生徒さんがいて、すごいと思いました。
舞台から緊張が伝わってこず、リラックスして弾いているのが伝わってきて、音楽に集中出来ました。
貴重な体験させていただきありがとうございました。

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4月30日 videocameraのangleが・・・·
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今日は1日videoのパソコンへの取り込み作業をしている所です。videoの編集をするための下準備の作業ですが、これが1日ではなく、2日、3日掛かりの作業になります。
先にパソコン上で保存先のfolderを作ります。作業がしやすいように、camera別に4Kcameraと黒カメ、赤カメ、白カメの4台のfolderを作ります。それぞれのfolderに、cameraからのdataを保存します。cameraに保存されたdataは、cameraの性質上、10分から15分ぐらいに勝手に分断されて保存されます。だから、曲の途中で勝手に切れてしまうので、それを繋ぎ合わせなければなりません。「**の途中から、++の途中まで・・」という具合です。
てな事を書きながら、videoのSDcardのcheckをしたら、とんでもない事になっていました。黒カメの全景のangleが両端を決めていたはずなのに、とんでもなく広いangleに変わっていただけではなく、画面が斜めに曲がっていました。撮影の位置も私の決めた位置から少し上手よりにズレていました。
それにmainの4Kcameraをsolisteのupになるように、ViolinのsoloとCelloのcontinuoの位置にangleを決めていたのだけど、cameraの位置がズレていて、Violinのsoloが写っていなかったのだよ!!これは朝一で私がangleを決めて、楽屋に戻った後で、ホールの人達が消防法がetc.で動かして、その後のangleが狂ったままになったのだ。今日の朝まで、全く気が付かなかったのだよ!!これは、超shockだ!!
水平は編集で何とか直せるのだけど、soloのupが出来なくなってしまった。黒カメは全体を撮るために結構後ろに置いていたので、upをすると画質がボケてしまうし、4Kは元々wide画面なので、ワザワザと最前列に持って行ったのに、逆にangleが狭くなってしまっている。三脚の棒に触れても動かないように、しっかりと締めたつもりだったのに・・動いてしまっている!
いや~あ、悲劇である。miserable!!




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5月


5月1日「編集作業の悲喜交交」 ·
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video-cameraのdataをパソコンに取り込むと、映像dataが10分起きぐらいに分割分断されて取り込まれて来る。前のFacebookのPageにupした写真の2枚目、3枚目の写真である。これはパソコンで編集の作業をする時の問題であって、video-deckでの編集では、何の問題も起こらないのだが、パソコンで編集softを使って編集する時には、この繋ぎ目が結構、悪さをする。
私のパソコンの編集softであるpowerdirecterを使って、それぞれのvideo-cameraの映像音声を同期させるのに、分割されて細々になった動画も、小さいながら、それぞれのtrackを使用するので、cameraが4台でもtrackは5つ、6つのtrackを使用するのだが、そうするとパソコンの作業が重すぎて同期に時間が掛かるし、最悪の場合には作業が出来なくなってしまうので、効率を上げるために、4台のcameraの分割されたdataを.、それぞれにmp4で一つに纏めて、4台、4本のmp4の動画にして、trackに取り込んだのだが、同じ演奏を撮影しているのに、後半になると、音声や映像がズレてしまって、編集が出来なくなってしまった。
 2回程、映像や音声の同期に挑戦して見たのだが、見事、挫折してしまった。
 今まで、powerdirecterを使って来て、今回のtroubleは、始めてのtroubleなのだが、こりゃ、どうした事なのだ?
仕事が進まなくなってしまったぞイ??
多分、編集を2段階、3段階と、続けてはダメなのだよな??・・・キッと??
デジタル録音・録画でも、映像と音声に誤差が出てしまうのだよな⁉
「やって見て、『ダメだ!』と言う事が分かるのも、進歩だ!」・・という事を、誰かが言っていたようなのだけど、やっぱり、「ダメなものはダメだよ!」って言いたくなってしまうよな‼
どう考えても、単なる時間の無駄だよな??
いやあ、それから、根性で、加工していない大元のdataを全部のtrackに放り込んで、最初から手抜き無しで、やり直して、再度checkをしたら、何とか音声と映像が同期出来ていたよ。
手抜きの作業が出来ないとなると、それは時間が掛かってしまって、てぇへんだよな~ぁ??



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5月2日パソコンでのvideoの編集が ·
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Corelli=Geminianiのla foliaの動画のお話なのですが、発表会のvideoの編集作業が、video-cameraからパソコンに取り込む時に、分断分割された動画のdataが、沢山のtrackに分断されて入るために、多くのtrackを使用する手間が、時間が掛かって、あまりにも大変で面土くさいので、試しに4台のcameraの動画の分断分割されたdataを、先に1台づつ、mp4に変換して、1本のdataにする事で、編集のtrackを4本に少なくして、編集の作業工程を簡略化したのですが、その結果、音声と映像がズレてしまって、またまたそれぞれの音声同士もズレてしまったのだけど、「まあ、古い映画を見るようで、それも良いか??」と開き直って、そのままYou Tubeにuploadしたのですが、改めて、wineを飲みながら、聞き直して見ると、「音声のズレはまあ、許せるとしても、音が籠ってしまって、言葉や多声部のmelodyや和音が聴き取り難くなってしまっているという事は、とても許せない」・・という事で、YouTubeにupしたのは、たった1日だけなのだけど、大急ぎで、新たに編集し直しました。
それぞれのTrackを1本化してから作業をする・・という事が上手く行くと、「時短」になるのだけど、今回のように、失敗すると、「手抜き」になってしまいます。
つまり、「手抜き」と「時短」の違いは、上手く行くか、行かないか?の違いという事なのだよな~ぁ??
・・と言う事で、これまでupしていたYouTubeのfoliaは削除して、新しくrenewalしたfoliaをYou Tubeにupし直します。

La Folia Corelli=Geminiani 指揮芦塚陽二Violin-solo古川紗來12歳芦塚音楽千葉教室発表会19年4月29日 - YouTube

パソコンの椅子に座って音質のcheckをしていたら、久し振りに椅子に座ったまま熟睡していた!!急いでベッドに潜り込まないと・・!!




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5月6日発表会から1週間後になりますが ·
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今日は発表会から、ちょうど一週間後の月曜日になります。発表会でstaffをやった生徒達の反省会と打ち上げ会を兼ねて、また、ゴールデン・ウィークのために発表会でstaffをやって頂いた、保護者の方達の慰労会を、子供達と一緒にお食事会として自治会館で開催する予定です。
私は午前中は自宅のnetのProviderの引っ越しの作業で、J-comがnet機器の取り外しに来るので、午前中は自宅待機で、午後に千葉に移動する予定で、部屋に引き籠もり中です。
J-comの工事とは言っても、J-comとのnetの契約は既に切れていて、回線は使われていなくて、Softbankから既にrouterが送られて来ていて、J-comのrouterは取り外しているので、「工事に来た」と言っても、routerの回収と書類に署名するだけです。玄関で済むのだけどな~ぁ??
しかし、朝からJ-comからの時間の変更の連絡の電話等があったり、昨日は携帯を忘れたままで椎名町に出かけていたので、mail等の返事を書いたり、等々・・・、「引き籠もり中」とは言っても、「部屋でのんびりと朝食でも・・・」、という事が出来ないのが、玉にキズですかね?? 
歳を取ると、結構、雑用が多くなるのでね・・??
明後日からは、またまたお久し振りの病院dayの一週間になります。(それが終わると、5月いっぱいは何もない・・月になるのですが・・)


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5月6日 今日は発表会から・・・の文章の続きです。·
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今日は発表会から一週間後の・・・の、文章の続きです。 ・・・という事で・・・・、
 それはそうと、この文章は、5月の1日にFacebookに投稿した写真とcommentが、今日になっても未だ転送中のままで、同じ投稿の文章が複数の転送中のdataになって携帯に残ったままになっていました。
 携帯で撮った写真を、Facebookに送ったのですが、その写真のdataが、Facebookに送れないままになってしまっていて、再送をする度に、前の転送中のdataに+されてしまって、どんどん転送中のdataが増えて行ってしまったようです。
 私達が携帯の写真を送る場合のdataは、そういった映像の記録としての写真以外にも、時間割の表の写真とか、連絡のmemoとしての紙を撮影した写真のように、色々な重要なdataやmemo類とか、仕事の連絡等にも使っているので、写真がlineやmailに転送出来ない、という事は仕事にならない、という事で・・大問題です!
近頃は、携帯が重くなってしまったのか、写真をFacebookに送ると、常に、loopをするようです。
 これは普通に使用する携帯としては、大問題だし、それ以上に、携帯電話の機能性としては異常だよな??
 そろそろ真面目に買い替えなければ・・・!!
 次の仕事になるのだよな??大変だ❗
 という事で、Facebookに直接uploadする事を諦めて、転送中のdataを全部削除して、携帯で撮った写真を、一度、パソコンにSDcard-readerを使って取り込んで、それから、改めてFacebookにuploadしました。
 つまり、パソコンからなら、何の問題もなく、upload出来るのでね・・??
 この写真のjasmineの花は、ドルプリっ歩の時の夜のお散歩の時に、真っ暗な中、携帯で撮った写真なのだけど、それにしては良く撮れていると思うよな??


 それと、upされている右側の写真のjasmineは椎名町の事務所の玄関の門扉に咲いているjasmineです。
 最初は、眠れなくて困っている時に、睡眠導入剤の代用品として、ハイツのパソコンの部屋のテーブルの上に鉢植えのjasmineを買って来て、その香りを楽しんでいたのですが、鉢植えなので、結構直ぐに枯れてしまったので、そのまま捨てるのに忍びなく、可哀そうだったので、椎名町の玄関の門扉の傍の土の所に、ハイツから土ごと持って来て、まいたのですが、なんと、次の年から自生して蔓延ってしまって、隣の家まで勢力を伸ばしそうなので、迷惑にならないように何度か刈り込んだのだけど・・・、それでも毎年、律儀に咲いています。


 玄関を入ろうとすると、jasmineの香りがして来て、なにかホッとします・・!
 それにしても、最初に携帯からFacebookにuploadして、写真と一緒に削除されてしまった文章についてなのですが、私としては、写真だけが削除されて、文章は残る・・と思っていたのですが、写真のuploadの丸いグルグルを削除したら、元の文章も失われてしまったので、今更、Facebookで、何を書いたのかは思い出すよすがもないのだが、多分、・・・
『5月に入った途端に、江古田から椎名町への道のあちらこちらから、jasmineの香りが漂って来て、木々の精の妖艶な香りもしてくる。雨が降るような気配の中でツツジは爛漫と咲き誇り、季節は、この天候不順と言うか、天候異変というか・・・にも関わらず、確実に初夏の兆しが見えて来るのだ。』
・・てなessay風な事を書いていたような気がするのだが・・??
 愛しむべきjasmineのために、一言座右の名言を・・・、とも思ったのだが、残念ながら、 Goetheのmignonには可憐なjasmineの花は出て来ない。
「君知るや、南の国・・」・・・
Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn,
Im dunkeln Laub die Gold-Orangen glühn,
 レモンの花とオレンジの花が・・と歌われているけれど、jasmineの花も香りも、どこにも出て来ないのだよな~ぁ??
可哀想な律儀なjasmine・・・
私はここにいるよ⁉




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5月7日 「昨日(5月6日(月))の話の続きです。」·
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 J-comが帰ってから、大急ぎで朝ごはんも食べないままで、そのまま千葉行きの準備を済ませて、それから椎名町の駐車場に移動して、それからそれから・・・、大渋滞を覚悟でプリドルを積んで、千葉に向けて出発しました。
 ところが不思議な事に一箇所も渋滞に合わないで、smoothに千葉に着く事が出来ました。
 こりゃあ、奇跡だわサ!!
今回の反省会はお手伝い頂いた保護者の方も一緒に自治会館を借りて合同でやりました。

 但し、1時からは2つのgroupの楽典のお勉強が残っていて、それが終わってからの反省会です。
 実に久し振りに楽典のlessonを見たのだけど、初級は教室で作った楽典の課題を回答しているので、問題はないのだが、上級組にsolfege課題は、市販の教本を使っていて、これは超問題だ・・と思った!!
これでは効率も時短も無い!!
教室のオケ組の生徒達は全員絶対音感が有るのだから、「絶対音感は無い」という想定の問題集では何に意味もない!!
絶対音感を持っているのだから、pitchは取れるし、rhythm-cardも出来る分けなのだから、出来ないのは、それを音符に書き表すという作業が出来ないだけなのだよ。

先ずは、文科省が定めている100名曲のthemaを更々と書くという事が出来なければならない。
例えばBeethovenの田園のthemaを、調を貰わなくても、その調で書く・・という風に・・だよ!!
音楽の勉強は、学校の勉強ではなく、現実的なhow-toでなければならないのだよ。
英語だって、会話が出来るのが目的であって、英検を取っても、自己主張が出来なければ、なんの意味もないのだよ。


 反省会の始まりは、中々遠慮して皆が、喋り始める事が出来なかったので、芦塚先生が先にvideoの課題や、総合的な反省のpointをお話して、それから、大学生の智子さんが「きつい~い!」・・でも、とても有意義なcommentを発表してくれました。

先生が言うと、萎縮してしまうような厳しい事を、先輩が言ってくれるのは、大変有り難い事です。
 
それから生徒達、各自の発表になったのですが、皆、積極的にとても良い反省改善のpointをたくさん述べてくれました。

 反省会に参加出来なかった人達はlineで全員commentをよこしてくれたので、斉藤先生がそのcommentを読み上げて発表しました。
commentの内容は箇条書きでwhite-bordにぎっしり・・という感じですよね。
 紗來ちゃんが書記係をして、瑞希ちゃんがパソコンの入力を担当しました。
 先生達からの感想なのですが、反省会はとても上手に発表出来るようになりました。
善哉!善哉!


 それから、お楽しみのお食事会なのですが、今回は大人の人達も合同なので、いつものmenuとはちょっと変わって、とても豪華なお食事会になりました。
 とは言っても、大人の食事の半分以上は、普段のpartyのような肉系ではなく、芦塚先生用のdiet食なので、さっぱり系の野菜料理中心なのだけどね??
 お食事会の準備も後片付けも全員でやったのだけど、ずいぶんと手際が良くなって、時間も掛からないで早めに自治会館を後にする事が出来ました。
(尤も、、花園教室では、その後が大変で・・、ドルプリの散歩やお食事会の後片付けで、先生達が、花園教室を出発したのは、12時頃だったのだけどね??)

いずれにしても、有意義で楽しい反省会とお食事会になったよね⁉



芦塚先生が手にしているのは、イチゴのヨーグルトです。


コメント
芦塚 陽二
朝のJ-comの工事から千葉に移動して楽典と反省会のlong-runと言う事で、ハイツに戻れたのは深夜の2時頃になってしまいました。という事で、一日寝込んでしまいました。
疲れ切って寝込んでいたので、超、surréalismeな・・と言うか、超Realisticな鬱々な夢を見てしまって、toiletteに起きた時に暫し、夢が現実のように思えて、落ち込んでしまいました。 困った事です。
・・・とは言っても、明日は朝8時半から糖尿病外来でひかりヶ丘の病院まで出かけなければなりません。1日開けて金曜日には今度はSoftbankの工事がハイツにやって来ます。日曜日の予定は未だ、ハイツには届いてはいないのですが、多分「曲決め」の初見大会があるはずです。そしてその次の日、つまり、来週の月曜日は、な、な、な、なんと!腹部大動脈瘤の術後半年の検査で川崎まで、電車を乗り継いで1日掛かりで行かなければなりません。な、な、な、なんと忙しいのだよ???



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5月7日 5月6日から、一夜開けて、 ·
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5月6日から、一夜開けて、疲れが取れないままだったのと、変に妙にrealな夢を見て、その夢見が悪かったので、すっかりと一日中鬱が酷かったのです。
起きてから暫くの間は、それが現実の話しのような気がして、人生を悩んでしまいました。
昨日も今日も変わらない日常なのにねぇ??
それで、憂さ晴らしを兼ねて、「たまには寿司屋で一杯飲むか??」と思ったのだが、なんと明日は糖尿病の外来の日で、朝8時半には病院に着くように、ひかりヶ丘までバイクで行かなければならない。
今から、飲みに行くとなると、明日の血液検査の数値が悪くなるよな~ぁ?? 困った!困った!!
どうすんべ~ぇ??
とか、思っていたら、牧野先生から「部屋の鍵を忘れた‼」とmailがあって、「それは大変‼」という事で、慌てて椎名町に行く準備をしていたら、「自転車で取りに来る❗」というmailがあったので、そのまま待つ事にしました。
なんだかんだで、夜の食事timeを逃してしまったので、諦めてそのまま寝て、明日の検査に備える事にしました。
それにしても、腹が減ったよな~ぁ⁉
コメント
芦塚 陽二
結局、悩んでいて時間が経ってしまったのと、牧野先生の鍵のドタバタがあって、飲まない・・どころか、何も食べないままに寝てしまった。目が覚めて超絶に空腹を感じているのだが、検査直前には何か食べる事は出来ないよな~ぁ??
今からひかりヶ丘に行って、病院の診察が終わって、なにか食べれる用になるまでには、お昼までは掛かるよな~ぁ??
腹減った!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
12時直前なのだけど、大急ぎで病院から自宅に戻って来たのだけど、冷蔵庫を開けて見たけれど、月曜日からすっからかんのままだ!
しゃけの食べ残しが残っていたので、糖質cutご飯の残りで、お茶漬けの元でお茶漬けを何とか1杯だけ作れた。まあ、それで良しとするか??


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5月9日You Tubeが開かなくなった ·
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今日(5月の9日木曜日)は、突然、You Tubeがerrorで開かなくなってしまいました。
フムフム~、と言う事で、windows10で開くと問題もなく開く・・、と言う事はパソコン側の問題と言う事だよな??
再起動してみたけれど、ダメ! 
logoutしてloginし直してもダメ!!
ならば、やりたくは無いのだけど、仕方なく、Chromeでloginしたら、やはり問題なく再生出来た。
要するに、もうwindows7に対応しなくなっているのだよな~ぁ??
まあ、windows7も、今年一杯・・という事らしいので、仕方ないのかね??
windows10は嫌いなのだけどね~ぇ⁉
選択権はないのかね~ぇ⁉
長いものには巻かれろの話だよな??
明日はお昼からSoftbankがnetの工事に来る予定です。
まあ、部屋でおとなしく待っていれば良いだけなのだけど・・・??



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5月10日今日の月齢は?? ·
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・・・とは言っても、写真は5月の9日の10時頃、月齢も、4.5日ぐらいでしょうか?
椎名町にドルプリっ歩と食事に行くために、玄関を開けたら、むせ返るような木の精の匂いがして驚いてしまいました。
驚いてしまった・・・という事は、バイクで走るには手が悴んでしまいそうに寒いのに・・、という意味なのですが、それでも、確実に初夏が近づいている感じがします。
練馬区の気温は14℃なのですが、体感としてはもっと寒い感じがします。
今は、椎名町から帰って来て、日にちが変わって、次の日の10日の午前1時過ぎになりましたが、月齢は4.7だそうです。行きと帰りは手足が寒くて悴みそうだったのですが、バイクのライトに蛾が飛び出して来て、驚いてしまいました。
寒くないのかね??やはり、季節は代わりつつあるのだよね??
でも、寒いのは今日だけで、明日は28℃まで一気にあがるそうです。
朝は15℃からお昼頃には28℃の夏日になるそうで、半日の間の寒暖差が15℃も変化する予定だそうです。
そりゃあ、ないよな~ぁ??
体が持たないよ!!


今月の新月は5月の5日の日曜日、子供の日だったそうですが、今週は、日曜日ではなく、月曜日に千葉の反省会だったので、日曜日は特になにもないお休みのハズなのだけど、何をしていたのかは、記憶にないな~ぁ??
ひたすら、videoの編集をやっていた頃だよな?だから、曜日の感覚がないのだよな~ぁ??
今日の写真のお月様はデジカメで撮影したものです。
勿論、flashは届かないので、真っ暗な中を自然光で撮影するので、cameraがブレないように、何かにcameraを固定して持って撮影する事が大切です。ハイツでは廊下の手すりを利用して撮影しています。廊下の明かりがcameraに入らないように気をつけながら・・・ね??
でも、今回、使用したcameraには、暗い所を普通に速いシャッターで撮って、後でdigital補正をして、普通に写り込むようにする機能もあるようなのだけど、取説を見ないと使い方が分からないので、宝の持ち腐れになっています。アハッ!

それだと、真っ暗な中でもブレないで普通に撮影出来るのだけどね??しかし、夜や明け方の暗いimageが出ないので、あまり使ってはいません。

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5月10日SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、 ·
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SoftBank光の工事が来たのは良いのだが、なんと、Mansionが古くて電話の配管が詰まっていて、光fiberのcordが通らない・・という事で、工事そのものがCancelになってしまった。
その旨の連絡のために、SoftBankに電話しても、電話が混んでいて、10分程待たされてしまった。
やっと電話が通じたのは良いのだが、「工事業者からの伝表が付いてからの解約手続きになるので、その間、3,4日snsのshort-mailを待ってからの手続きになる」と言う事だそうな??
まあ、超、面倒くさい!!
今から、工事で汚れた部屋の跡の後片付けだよ!!
なんで、俺が・・・


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5月11日明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉ ·
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明日の日曜日は上弦の月(月齢7.2)だそうな⁉


それにしても、今日は久し振りに超、鬱が酷い❗
これはwineでも飲まなきゃ、やっていけない‼
寝が足りないせいか、慢性的な疲れのせいか?
はたまた、・・・


という事で、wineのコルクを開けた‼

何度入れ直してもwineの写真が入って来ない❗

これはwineを飲んでいる事を無しにするという事か??

コメント
芦塚 陽二
飲んで・・、飲んで・・、酔い潰れて寝るつもりだったのだが、体調が良くなく、この一杯しか飲めなかった!!
まあ、それでも、良く眠れたので、良しとするか??
· 返信する · 1年前


千野 由実
芦塚 陽二 経済的っ❗️良かったですね❗️にしても、写真アップするだけなのにすごい経由です。。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
写真と撮ってFacebookにupするだけなのに、すっかり出来なくなってしまっているのです。
携帯の写真を携帯のFacebookにupしているのに・・・
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二
FBをバージョンアップするか再ダウンロードするとか、ケータイを再起動してみる、ぐらいしか思いつかないですね。。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
それは全部やったけどFBのバージョンアップも出来ないし、リロードも出来ないので、新機種に買い直ししかないと思っています‼なにせ、もう古いのでね⁉


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5月12日今日は5月の12日日曜日上弦の月である。 ·
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子供達にとっては、待ち兼ねた「室内楽とorchestraの曲決め」と「楽譜渡し」と「初見大会」の日である。※)
 orchestra・室内楽の「曲決め」は、先ず生徒達の室内楽とorchestraへの参加申し込みが出てから、その参加者を見てからorchestraや室内楽のgroupを作ってから、曲決めをする。
それから楽譜を準備するので、楽譜を渡す前日の土曜日は、copy作業で一日中大変な作業をしなければならない。
今回の土曜日には梨紗さんがお手伝いに駆けつけてくれたので、何とか深夜までに、copy作業を終わらせる事が出来た。
※)初見大会という聞き慣れない言葉なのだが、貰った楽譜を子供達に、CD等で聴かせるのではなく、ensembleの先輩達が、初見の演奏で後輩の子供達に聴かせる・・というeventである。
演奏をしない先輩は、子供に楽譜を見せながら、指で音符を追って、曲のimageを作らせる・・・という事をする。
CD等の缶詰めの音楽と違って、先輩達が生で聴かせてくれるのだから、子供達にとってのインパクトは頗る良い‼
梨紗と夜の食事をしている時に、「作曲のlessonは何をどう教えるのか?」と聞かれて、答えに窮してしまった。
「私が作曲の生徒をどう教えたか?」・・どころではなく、Pringsheim先生やGenzmer先生から作曲を「授業として、何をどう学んだのか?」・・が、全く思い出せなかったからである。
作曲のlessonとは言っても、先生の出した課題(=楽器編成と時間)に沿って曲を作るだけで、後は、作曲上の問題点を先生を交えてDiskussion(討論)するだけなのだから、とても、lessonと呼べたものではない。
私は、PianoやViolin、Celloの生徒達や和声学の生徒達を多数指導して来たのだが、作曲の生徒を指導した事は一度もない。
唯一の例外は、日本に帰国したばかりの頃に、popularの作曲家のorchestrationや曲の構成等の指導をした事はあるのだが、彼はスイスの音楽大学の作曲科の卒業生で、多くの作品を書いて世界に名を売っているproの作曲家なので、弟子とはとても呼べないしね・・・??
まあ、その話しは、桐朋の作曲科のclass-maitか、作曲の先生にでも聞いとくれよ⁉
また、梨紗と食事をしているその時に、私のarrangeをした「PachelbelのChaconne」の話が出て、梨紗が「何故、原曲のf mollではなく、e mollにしたのか?」という質問をされたのだが、勿論、それに対しての答えは、「baroque-pitchで演奏すると、f mollの曲はe mollのpitchになるからである」と言う事なのだが、困った事に、弦楽器の場合には、f mollで書かれた譜面とe mollで書かれた譜面では、konsonanzが違うので、spielbar(弾き心地)が全く違う。
また、同じpitchであったっとしても、f mollでbaroque-pitchで演奏されたChaconneと、e mollでmodern-pitchで演奏されたChaconneでは、曲の雰囲気(image)がガラリと変わってしまうのだよ。
pitchの混在は、orchestraは当然の事ながら、originalの楽譜を演奏するPipeorganでの演奏でも、この2つのpitchが混在している事は驚きである。(つまり、教会によってはbaroque-pitchのPipeorganとmodern-pitchのPipeorganの教会があるからなのだよ。)
勿論、Pachelbelの教会のpipeorganは、当然ながら、baroque-pitchなので、ほぼe mollになるのだよ。
梨紗としては「e mollの華やいだ雰囲気よりも、f mollの暗く悲劇的な鬱々な雰囲気が欲しい」という事なのだが、それは私としても、鬱鬱の方が好きなので、同じf mollの方が良いので、梨紗の好みも、良く理解出来るのだが、それにしても、同じpitchで演奏しているのに、e mollの調で演奏しているのと、f mollの調で演奏しているのでは、imageが全く変わってしまうのは、不思議な話なのだよな??
(尤も、PachelbelのChaconneの楽譜をe mollからf mollにtransposeする事は、編曲をfinaleのパソコンsoft上でarrangeをしているので、曲のtranspose自体は、パソコン上で、one clickで済む簡単な事なのだがね??)
PachelbelのChaconneは、最初は、出版されている楽譜のMueller-Hartmann版の楽譜で演奏する予定だったのだが、練習に入って、Mueller-Hartmannの版は、originalのPipeorganの3声の楽譜をそのまま、弦楽器に置き換えたものに過ぎないし、Mueller-Hartmannのarrangeした楽譜のOrganのpartもoriginalのOrganのpartをそのままに演奏しているだけで、とても、聴くに耐え得る・・ものではない・・と言う事が分かった。
そもそもPipeorganと言う楽器は、それぞれのpipeが重厚で音の厚みもあり、3声部の書法でも、充分に聞くに耐え得る重量感を持つ。Pipeorganには、Bachの得意とする「triosonate」という両手と足が、それぞれ1声部づつの独立した声部を弾くという演奏形式すらあるのだから・・。
しかし、それを、そのまま弦3部に置き換えると、例え弦3部のorchestraで演奏したとしても、薄っぺらな軽い音楽になってしまうのだよ。
ということで、Pachelbelのchaconneのmueller-hartmannのversionなのだが、オケ練習の過程で、聞くに堪え難くなってしまって、練習をしながら、少しづつ改編改良をして来たのだが、八千代の演奏会が終わってから、ついに、その暫定的な改編に堪えきれなくなって、Baßと上2声部に対して、もう一声部を加えて、上3声部とBaßという結構、分厚い編成に作り直した。
また、盛り上げた頂点から最初のthemaのmelodieに戻るのが、Pipeorganでは、然程でもないのだが、弦楽orchestraでは唐突に終止のthemaに、なってしまうので、繋ぎのpassageを、更に2回程繰り返す事により、時間を稼いで、自然にthemaのmelodieに戻れるようにした。
八千代からは、1年を経たずしての改編改定になったのだが、それから次の発表会に向けて、練習を積み上げて、発表会の舞台で演奏をするには、曲のimageが、子供達主役の発表会という舞台には相応しくないという事で、発表会での演奏をする事を却下されて、なまの音を聴く可能性がなかったので、arrangeが終わって3週間後のChristmas会で12名の先生生徒達と一緒に、Probeとしてvortragをした。
12名とは言っても、Organ(Keyboard)1名とKontrabass1名と、Cello2名、Viola2名、1st、2ndそれぞれ3名ずつの編成の超conpactな、室内orchestraなのだけどね??流石に迫力はあるよね⁉
おおよそ、鬱鬱で、楽しいChristmas会らしからぬ雰囲気の曲なのだけど、お客さんの事は無視、無視・・・
私は、自分のarrangeした音が聴ければ良いのだから・・・・

Chaconne Pachelbel=Ashizuka second-version 芦塚陽二2013年12月Christmas会 - YouTube
Chaconne Pachelbel=Ashizuka 2013年12月 芦塚音楽教室Christmas会
YOUTUBE.COM

コメント
芦塚 陽二
参考までに、八千代でのChaconneの演奏です。
mueller-hartmann版によらないoriginalの楽譜からの大幅改編をする前の演奏で、まだMueller-Hartmannのarrangeに近い演奏だけど、演奏している人達が次のChristmas会での演奏よりも、昔の弟子達が多いので、年齢層が高くパワフルなのですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=7H0J7wq7evI
Chaconne Pachelbel=Ashizuka2012年11月八千代市生涯学習プラザ主催芦塚弦楽合奏団
YOUTUBE.COM

千野 由実
芦塚 陽二 これですね、シャコンヌって曲いっぱいあるんですね!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Chaconneというと、VitaliのChaconneが有名でViolinを勉強する子供達の憧れの曲になりますが、proのviolinistの憧れの曲はBachの無伴奏のChaconneです。
Chaconneの曲のthemaは、その曲のmelodieではなく、Baß(低弦)のmelodieがthemaになります。
cantus firmus in Baßと言うのですが・・??
la foliaや、Purcell等のイギリスの作曲家達のGroundも同様にBaßのmelodieがthemaになります。
丁度、canonのように、繰り返されるBaßのmelodieの上に、変奏を繰り返して行きます。



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5月12日SoftBankとのtroubleの続き ·
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これから千葉に移動して、新曲渡しと模範演奏の初見大会と、3回オケの新曲の初見練習をしなければならない・・という、朝の超忙しい時間にSoftBankからの光ケーブルの話しが来て、「解約するのならば、直ぐにAIRのrouterを送り返せ」と言って来て、頭に来てしまった‼
「配管の工事をして、申し込みをして、再度、光ケーブルを入れれば、契約時の料金になる」という話なのだけど、工事はこちらの責任だから、費用の負担は自分になるという話なのだが、解約をしてAIRにするのならば、金額が、Jcomの時よりも多くなると言って事だ‼
それで、「SoftBankを解約して、J-comに戻すのならば、エアのrouterを直ぐに送り返せ!」と言っているのだよ。
「J-comが開くまでの間、netが出来なくなるのではないか?」と、言っているのに、聞く耳を持たない!!
その都度、電話を回されて、その間、待たなければならない。
こちらの落ち度ではないのに、踏んだり蹴ったりの酷い話だ‼
コメント
芦塚 陽二
まだまだ、SoftBank光とのtroubleが尽きない!!
電話が来る度に同じ事を延々と説明して、それからまた別の人に回されて・・と、電話を延々と待たされるのだよ。
時間の無駄だよな?
根負けするよな!・・というか、相手はその都度、人が変わって、同じ事を聴いて来るのだけど、俺は一人で同じ話をしなければならないので、超、面倒くさいのだよな?



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5月13日顔合わせの初見大会から、一夜明けて、13日の月曜日です。 ·
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今日のmain-eventは、またまた、大動脈の術後の半年検診で、川崎まで電車で出かけます。
川崎の駅に着いたら、病院からの送迎バスがあるので、それに乗って病院に行きます。なんだかんだで、二時間半の行程です。
・・・と思ったら、電車の乗り換えの連絡がsmoothに出来て、なんと川崎まで一時間15分で到着して、しかも、検査時間を診察時間と勘違いしての、2時15分の予定と思っていたのが、実は3時30分の予定時間で、二時間近くも余ってしまった😵💧
・・・とは言っても、血液検査やCTがその前に入るので、そんなに長時間待ちくたびれる分けではなかったのだけど、血液検査の受付中に光が丘病院での検査のdataがある旨を申告したら、採血がcancelになってしまったので、CTの単純撮影だけになった。
検査の結果は、良くも悪くもなっていないということで、半年後にまた経過観察をする・・と言う事で落ち着いた。それで、診察は終わったのだが、帰りの送迎バスに、同じクリニックの送迎バスが、バックをして来て擦ってしまった‼
実は、昨日の顔合わせで、車を走らせて、花園の駐車場で始めて気が付いたのだが、ニャンコ号の右後輪のタイヤハウスの所を結構、思いっ切りぶつけた跡があって、擦った傷が、もう、サビが来ていた。
「え~っ??」「何時」、「何処で」、「どういう風に??」という感じなのだが、椎名町の駐車場は、ブロック塀に右側ギリギリに停めているので、歩く事が出来ないので、全く気が付かなかったのだよ!!
う~ん、分気・・・悪い!!
血液検査がある予定だったので、朝から何も食べていないので、川崎の駅ビルの中で帰りがけついでに、なにか食べてから江古田に帰ろうと思ったのだが、ビルの中を探しても、食べれるものが何もないので、そのまま帰る事にした。
急行の高崎行きが来て、乗ったのだが、混んでいて座れずに、上野の駅で池袋行きの電車に乗り換えたのだが、山手線のホームに行くのに、エレベータもエスカレータもないので、階段の登り降りになってしまった。体調も随分良くなって来て、歩くのも楽になって来たのだが、流石に、帰りはキツくて、歩くのも立っているのもしんどくなってしまったのだが、山手線は混んでいて、座れなかったのだが、つり革に捕まっていたら、同じ年配の老人が席を譲ってくれたのは、luckyというよりも、超、shockである。
よっぽどショボくれて見えたのかね⁉
流石に、池袋では、荷物を持っている指が震えてしまった‼
overworkになったのかね・・・⁉
7時15分に、ハイツの自宅に辿り着いて、直ぐに仮眠をする準備をしたのは良いのだが、横になっても眠れない‼
どうやら、精神的にイライラしているらしい‼
なにかを考えている分けでもないのだが、だからといって、テレビを見る気にも‼音楽を聴く気にもならないし、心臓の調子も、良くない‼
帰ってから直ぐに、救心を飲んだのだが、効果なしだよな~ぁ⁉
さても、困った‼
風呂に入って、体を休めて、なにをするとはなく、身を任せる・・・、出来る事はそれくらいかな⁉
コメント
石川 ちすみ
今期は皆さんどんな曲をされるのでしょうか...またYoutube 楽しみにしています!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
前々から分かっていた事ではありましたが、今回は、オケの参加者が壊滅的に少なくなってしまい、しかも、今回私が楽しみにしていたrevengeの曲が次回(次次回)送りになってしまったので、3回オケはなんと5曲になってしまいました。
6時には終わるのかな⁉・・という感じで、memberも室内楽の人数しかいないので、オケとしての練習になるのかな⁉・・・・という感じです。
 トリのMarin Maraisが、次回か、次次回送りになったので、紗來ちゃんのvivaldiの秋の全楽章が昇格して今回のトリになりました。
曲の技術的には難しくないので、歌い込みで、絵画的に演奏する・・という課題を設定しました。八千代での千夏ちゃんの時のinterpretationと同じ解釈なので、難しくはないです。
瑞希ちゃんのStamitzのⅡⅢ楽章は古典派の奏法の課題なので、もう、そんなには、難しくないと思います。ここまで古典派のconcertoを詰めれば、Mozartの4番、5番のconcertoも楽に弾けるか、飛ばしても良いでしょう。
美音ちゃんのvivaldiのOp.11Nr.2e moll「il favorito」のⅡⅢ楽章です。Ⅰ楽章は昔、美音ちゃんが発表会で演奏しているので、今回はⅡⅢ楽章へ挑戦ですが、前回のe mollのⅠⅡ楽章とほぼ同じ課題なのですが、技術的にや、表現としては遥かに難しくなっています。
桃迦ちゃんのvivaldiも同様に指の回しの課題です。
綾乃ちゃんのKontrabass-concertoはPichlというボヘミアの作曲家の作品でscoreもpart譜もないので、さてどうしよう??という感じです。scordaturaは、調弦が2度高く調律されるので、演奏の音と実際の音は違うのだけど、練習ではそれは問題なかったよな??
2回オケはChristian Bachと、StamitzのPianoーconcertoと、Antonio VivaldiのViolinーconcertoの課題です。Pianoーconcertoは2曲とも、長大で当然難易度も高くなります。特にStamitzはtempoの設定がMetronomで2個分遅くなっただけでも、長ったらしいつまらない曲になるので、tempo設定に技術的に付いて行けるかが課題になります。
オケ練習と言っても、超、こじんまりとしてしまいましたが、その分丁寧に出来るのかな⁉・・・~ン、???
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
そうですね。
曲が少ないよぉっ‼️て、訴えてきましたが、私がどうこうできるわけもなく。。。
瑞希はオケソロほぼ暗譜したみたいなこと言ってました笑 こりゃ仕上がり楽しみです‼️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
「曲が少ない!」・・って、皆、言うけれど、実は、前回の『VeraciniのPassacaglia』の分に相当する『Marin Maraisのla folia』が抜けただけで、曲数は、前回の発表会と全く同じ・・なのですよ!
「曲が少ない⁉」
 それだけ技術が上がったという事なのだよな??
では、代わりに、PachelbelのChaconneでも入れるか??
梨紗の言う『f moll version』での・・⁉
自治会館コンサートでのChristmas会で演奏をした『e mollーversion』を『f moll』にtransposeするだけで、演奏は非常に難しくなるからな??
やる・・?? 
やりたい・・⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
千野 由実
芦塚 陽二 やりたいか分かりませんが、聴きたいです!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私もChristmas会の出来・・と言うか、追加の小節の所を大きく間違えて演奏しているので、私的にはrevengeしたいのだけどね??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
綾乃ちゃんのKontrabassのconcertoのPichlだけど、名前の読み方はドイツ語読みのピヒルという読み方と、ウェンツェル・ピフル (Wenzel Pichl)というボヘミアの読み方があるらしい。
楽譜は、Piano伴奏譜が出版されているようだけど、orchestraのscoreやpart譜は全く出版されていないので、originalの手書き譜で演奏しなければなりません。
問題は管のpartだよな?? 
さて、どう作るか?? だよな~ぁ??
Kontrabassはscordaturaで、下からFis、H,E,Aの2度上の(4度)調弦なのだけど、綾乃ちゃんが問題なく弾いていたのは、素晴らしい!
2度高い調弦なので、Kontrabassの楽器が痛むな~ぁ?
空きのKontrabassで、専用のpitchの楽器を作っておけば良いのだが、教室の全部のKontrabassは、既に誰かが弾いて塞がっているよな??
困ったナ??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
純子斉藤
あれ?ピアノコンチェルトは2曲ともクリスチャンバッハですよ?シュターミッツではないですよ~?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
あら、そう??今回の初顔合わせでは、練習のprogramさえなかったからね??曲の確認が未だ、出来ていないのだよな?
楽譜、持っているか、ハイツでscoreの棚を探して見ます。


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5月14日13日の月曜日の続き・・と言うか ·
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13日の月曜日の続き・・と言うか、深夜なのですが、風呂に入ってベッドで横になっていても、眠れなくて苛つくだけなので、だいぶ頑張ったのですが、ついに諦めて、wineを飲む事にしました。
この所、体調不良で、wineも飲めない(alcoholににも、逃げる事の出来ない・・・)日々が続いていたので、久々に、鬱々のBGMをパソコンで流しながらの、鬱々timeで、朝まで呑んだくれていました。ひとビン空にしてしまいましたよな⁉
昨日の食事は炭水化物食だったのだけど、overworkだったので、全く体重が増えていません。
適度なoverworkの運動だったのがdietには良かったのかね??
PachelbelのChaconneを次回の発表会で演奏するか否かは別として、八千代での演奏と8小節程増えた自治会館のChristmas会での演奏timeを出したのだけど、小節数が増えたにも関わらず、timeが変わっていないのはどういう事だ??
Christmas会の演奏の方が八千代の演奏よりも、30秒程、縮めている・・という事だよな??
corelliのla foliaは八千代と今回の発表会では、演奏時間を比較すると、八千代の時が約14分で、今回の発表会では16分弱の演奏時間だ。
今回の演奏時間は八千代に比べて、1分半以上も遅いtempoになっているのだよな。
要するに、今回のla foliaは全体的に遅いのだよな??
それって、単に、しっとりとじっくりと、というinterpretationのせい??
それとも、歳を取って、powerが無くなったからのせい??
・・てな事を考えながら、悩みながら、呑んだくれていたのだよ・・!!アハッ!
コメント
芦塚 陽二
・・・てな感じで、とうとう一晩中、呑んだくれてしまって、酔っ払って、なんとか寝込んでしまったのだけど、朝を迎えて、起き出して、そのまま、finaleで、PachelbelのChaconneの曲を見ている。
それにしても、「PachelbelのChaconneを、今回の発表会でRevengeするにしても、しないにしても、梨紗の言うfmollの versionを作っておこう!」と、朝、起き出してから八千代と自治会館のChristmas会で演奏をしたe mollのversionのChaconneを、finaleで、fの調にtransposeをしたので、細部のpassageを変更をしなければならなくなったので、そのための改定作業をしていたら、な、な、な、なんと!・・・お昼過ぎになってしまった。
そろそろ、お腹も空いて来たので、お弁当を取りに行くために、バイクで椎名町に出かけたのだけど、ボツボツと小雨が降って来たので、慌てて戻ろうとしたら、超、珍しい事に、ドルちゃんが玄関まで、見送りに来て「エッツ??もう帰っちゃうの??」という風に見つめられてしまった。 きゃわいい・・!!
写真??
お弁当を取りに来ただけなので、写真はないよ!!


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5月16日今日は五月の15日でした。 ·
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なにを狂ったのか、この二日間、Pachelbelのchaconneを、f mollにtransposeする作業と、それから更に改訂renewalする事に熱中してしまいました。
今回の発表会で演奏するか否かは決まっていないのに、お疲れさんの事ですね~ぇ??
唯のtransposeというよりも、冒頭のthemaのmelodyに対するcontrapunkt(=対旋律)も大幅の変更をしました。それぞれのpartを大変更です。
変更に関しての作曲学的な問題は全くないのですが、後はspielbar※)の課題が残っているので、part譜をprintoutして、実際に楽器を使用してspielbarのcheckをします。
※)spielbarに対しての日本語訳はないので、いつも困ってしまうのですが、ヨーロッパの作曲家達は楽器の「弾き心地」をとても大切にします。この楽器への「弾き心地」が所謂、spielbarと言う言葉で言い表されます。
それはそうと、私は、この20年来は曲をarrangeする時も、作曲をする時も、全く五線紙に音符を書く事は無くなってしまいました。というか、作曲をする時に、Pianoを弾く事も無くなったので、ハイツでは、Pianoの音が聴こえて来る事はありません。
音楽と言えば、テレビやパソコンで音楽を聴いている時に、音が流れて来る事だけが唯一なのです。
とても、音楽家とは言えないよね??
PachelbelのChaconneのarrangeも、いきなりパソコンに入力をして終わりなので、下書きすら無いのです。
自分の曲を作曲する時も、直接、パソコンに入力していますので、買い置きの五線紙がこの20年、全くそのままになっています。

買えば結構な値段なので、捨てるにも捨てられないからね??(但し、B5判やA5判のような楽典や和声用の五線紙は、lessonで今でも使用していますが・・・)

そういえば、昔から文字を書く事が苦手なので、memo書きをする事が苦手で、手紙や長い文章を書く事が非常に苦手だったのですが、文字の汚さもさる事ながら、楽譜でも文章でも、推敲をするtypeだったので、推敲する時に、同じ文章や音符を何度でも書かなければならない・・と言う事が、苦痛で、それが理由で文章や作曲をする事が億劫になってしまっていました。




それがパソコンの普及に伴って、one-clickで推敲が出来るようになって、私本来の、楽譜や文章を何度でも推敲に推敲を重ねて行くという事が出来るようになりました。
推敲をする事自体は全く嫌では無いので、推敲をしない・・元の文章を書かなければならない・・という無駄な作業が嫌いだったのだ・・という事が良く分かりました。
まあ、世の中は、何かと便利になった事・・・!!
写真のKeyboardは37鍵のパソコンのfinale専用の入力用の鍵盤式のKeyboardです。
左手前の白いポッチを押すと、octaveづつ鍵盤のpitchが代わります。上に3octave、下に3octave変化します。
コメント
千野 由実
ところで、無知でアレなんですけど(どれでしょうか)
Chaconneと書いてカノンと読むんですか?どうもシャコンヌと読んでしまうのはシロウトだからでしょうか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Pachelbelは、弦楽orchestraのCanon(カノン)が超有名ですが、Chaconne(シャコンヌ)は、原曲はPipeorganの曲なのですが、とても美しく、悲劇的でpowerfulな曲です。Canonがニ長調という明るい美しい曲であるのに対して、Chaconneはヘ短調という暗い陰鬱なimageの曲です。
私はMünchen時代に、Mueller-HartmannがChaconneを弦楽orchestraに編曲した楽譜を購入・所持していたので、その楽譜で八千代の演奏会で演奏しようと思ったのですが、実際に練習を開始してみると、譜面上では問題は無かったのですが、実際の演奏では、色々と問題が出て来て、私が練習の指導をしながら、改定しなければならなくなってしまいました。
八千代での演奏の時には、Mueller-Hartmannの編曲の楽譜を、私が暫定的に、校訂訂正した曲で演奏をしたのですが、取り敢えずの・・暫定的なarrangeに納得行かなくって、1年後のChristmas会の3週間前に、突然、一晩掛かって、wineを飲みながら、PachelbelのOrganの原曲から、新たに編曲をして、3週間後のChristmas会で子供達に演奏して貰いました。
本番までに、練習が3回しか無く、そのまま本番だったのだけど、受験や学校行事等で、全員が揃って演奏出来たのは、唯一、Christmas会本番だけだったので、演奏はpowerfulで、それなりに良かったのですが、初見同様だったので、単純な譜読みの間違いがあったりして、模範演奏としては、不本意なままに終わっているので、何時かはrevengeをしたい・・と思っていました。
今回、Marin Maraisのla foliaがポシャったので、orchestraの曲として、Chaconneのrevengeでも良いのかな?・・と、先生達に言っているのですが、返事はまだ貰っていません。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
またまた、Facebookでの文章の入力が出来ません!
Facebookがすっかりと変になったままで、文章が入力出来ません!
・・・という事で、一度、uploadしてから、編集をし直したら、入力出来るようになりました。毎度、一度uploadしなければ、正常に入力出来ないので、超、面倒くさい!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
Facebookの5月12日のPageにlinkを貼っている自治会館のChristmas会でのPachelbelのChaconneのお話です。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
作曲家の名前や曲名に関しての、原語表記とカタカナ表記についてのお話は、Facebookやhomepageにもそのconceptを度々書いていますが、基本的には室内楽やorchestraの曲の場合には、日本版の楽譜は出版されていない場合が殆どで、楽器店でも楽譜を探したり、You Tube等で演奏を探したりする場合には、カタカナ表記で探す事は困難で、見つからない場合が多いのです。
また、カタカナ表記では書き表せない人名や曲名が多くて、子供達にも、なるべく早く、原語表記に慣れて貰う事が大切だと思っています。教育上や利便性を考えて、私の場合には基本的に原語表記にしています。
· 返信する · 1年前
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芦塚 陽二
今日(5月18日)にPachelbelのChaconneのf moll-versionのscoreをlayoutとcopyと、製本を梨紗にして貰った次いでに、「前回の自治会館のChristmas会の時の演奏(13年の12月)は梨紗は何年生の時だったのか??を聞いたら、なんと「中3の時!」だってさ!!
今年・・というか、来年は、桐朋をもう卒業するのだよな??
なんと時間の経つのは速いのだろうか??
そう、じゃあ~ね~っ??(Janet's law)


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5月18日順調に今日は17日の金曜日でした。 ·
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順調に今日は17日の金曜日でした。(どうやら、日曜日は満月らしい。)「・・でした。」「どうやら・・」というのは、この文章を書いているのが、もう既に18日の土曜日だから・・です。
「Václav Pichlのオケ譜作成のこもごも」
まあ、それは兎も角として、綾乃ちゃんのCapuzzi(カプチ)の次のKontrabassの課題のconcertoは、牧野先生の選曲でVáclav Pichl(ピフル)のconcertoに決まったので、楽譜屋さんの在庫のカタログで、orchestraの楽譜(scoreやpart譜等)を探して見たのだけど、海外注文分も合わせて、とうとう楽譜が見つかりませんでした。
通常はオケの曲を決める時には、楽譜を先に見つけて購入してから、曲決めになるのだけどね? 今回も「次の課題」・・という事で、数曲をdown loadしてprint outして、曲のlistupをして、楽譜を牧野先生に渡しておいて、その中から選曲するように、と頼んでいたのだけどね??
・・「楽譜を貰った覚えがない」という事だとさ!! 
超、shockだよな?? 斉藤先生に「楽譜棚のKontrabassの所から、楽譜を探しておいて!」と言っておいたのだけどな?? 探して貰えなかったのか、探しても見つからなかったのか??その報告もないままに、Pichlの選曲のままになってしまっていたので、急遽、scoreを作る事になってしまいました。結構、大変な作業なのだけどね??
愚痴を言っていても仕方がないので、netで探して見たら、Schweria公文書館の所有するPichlのoriginalの手書きの楽譜(facsimile譜)を見つけたので、早速down loadして、print outしたのだけど、長休符、大休符の休みの小節数が書いてないので、とても困ってしまいました。(concerto等のpart譜では、20小節以上の休みはザラなので、長休符、大休符では書き表わせないのですよ?=写真参照:)前回のオケ練習では、その手書きの楽譜で初見の合わせをやってみたのだけど、私達と違って、手書きの譜面で演奏をした経験がないので、惨憺たる結果になってしまいました。(今の子供達は「最低でもfinaleでprint outした楽譜」しか見た事がない・・のでね??)
長休符や大休符は、楽譜上の休符を読んで(参考写真の丸で囲った部分ですが・・)計算しても、数が正確に記されている分けではないので、牧野先生の持っているHoffmeister-verlag版の「PichlのPiano伴奏譜」をcopyして、ハイツに持って帰って、それを手書きのpart譜と比較対照させながら、次のpassageの音符の入りの小節を探して、手書きの楽譜上に書き込む・・という超面倒くさい作業をしたのだけど、長休符の小節数の計算に時間と手間が掛かってしまって、結局、今日1日中というか、14,5時間もorchestraのscoreの入力作業をしてしまいました。
その過程で、手書き譜の「間違い」・・単純な書き間違いと、結構、深刻な作曲者の間違いを数箇所見つけました。
勿論、単純な間違いはその場で訂正したのだけど、深刻な間違いの方は、Hoffmeister版のPiano-scoreでその訂正箇所を確認して、原譜を訂正しています。
こういった作業は、只の単純作業なので、ただ、ひたすらの忍耐力でした。
私にとっては、こういった手作業は慣れ切った作業の一つに過ぎなくって、単なる楽譜作成上のroutine作業にしかならないのですが、もしも、教室で音楽の勉強をしている生徒の中で、「将来、音楽を職業としたい」という希望・願望がある生徒ならば、この作業は、単に「finaleに音符を入力する」・・という事以上に、(つまり、単純なcomputer作業である・・という事以上に)、「曲の構成を学ぶ」・・とか、「作曲の手順や分析を学ぶ」・・とか、色々な多くの事を、その作業を通じて学ぶ事が出来る・・という、結構重要な勉強になるのです。
昔の生徒達は、自ら申し出て、競い合って奪い合って勉強しようとしていたのだけど、今の子供達はそんな七面倒臭い事はしようとしないのだよな??
時代が変わるに従って、何かを覚えようという姿勢は無くなって来ているように、easy-going的な姿勢・・、「先ずは自分の生活を中心に・・」というlife-styleが優先しているように見えてしまうのだよな??
昔々は、私も子供達と直にlessonやオケ・室内楽等で、接する機会が多かったので、「音楽の勉強にとっては、何が必要で、何を優先すべきか??」という事を身近に教える機会もあったのだが、今は3回オケの生徒達と日曜日に接する時間が唯一になってしまったので、こう言った作業の重要性を指導出来る機会は無くなってしまった。
そういった事を口で伝えても、「年老いた爺さんのお説教がましい話」になってしまって、「直接、心に届く事はないのだよな~ぁ??」
こういった事は話を聴いて学ぶ事ではなく、師匠の背中を見て学ぶものだからね??
・・と言う事で、こういった事を敢えて説明する・・という事が、どうしても億劫になってしまって、ついつい、子供達に、その仕事をする事を誘うよりも、自分で済ませた方が、面倒くさくなくて、速く終わってしまうので、ついつい、自分で済ませてしまう方が良くなってしまうのだよ。
だからと言っても、こういった作業は私にとっては、単純作業に過ぎないので、私の勉強(something)になる事は全くないのだけどね??
大休符と長休符を足して、何小節休みか計算して見てください。

全く文章が入力出来ない!!
どうなっているのだ??
· 返信する · 1年前

芦塚 陽二
Pichl のconcertoは、調弦がscordaturaで、4弦共に長2度高くtuningする。Kontrabassは2分の1sizeで、前回のCapuzziの時に2分の1の専用のとても良い弦を買って張り替えたのと、今回のscordaturaで長2度高くtuningしたことで、普通のKontrabassのようなモゴモゴした音ではなくって、baroque-Kontrabassのような美しいKontrabassの高音域の音が出ている。
Kontrabassは元々scordaturaで演奏する場合が多い楽器なのだけど、2度高くtuningする事で、如何にも古典派の美しい音が聞けて良い!!



· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
水曜日から順調に肥っている! どうして???

コメント
千野 由実
口酸っぱくして、可能な限りお教室に通わせていただいたら?と言うのですが、、、なかなか、、、
思考が無いですよねって、人のことあんまり言えませんけど、私は^^;
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
Olympic-yearである2020年には世界中の人達が日本にやって来るので、日本の教育制度に関して、globalstandardで恥をかかなくても良いように、日本の政府は教育の改革をせめて見かけだけでも、ヨーロッパなみの水準まで改革を試みようとしてはいるのですが、残念ながら、幾ら頑張っても、所詮は、張りぼての虎であって、manualや指導が出来る人材の育成は全く出来ていないままなのですよ。
日本社会の人口減少の問題と同じで、場違いの所を幾ら改善しても、本質的な所へのapproachがなければ、なんら改善される事は無いのですよ。
間違えた教育を受けた場合には、それと同じ年数、正しい教育をしても、それで0になるだけなのです。音楽の教育でも近場のone coinで間に合わせて、もしも、才能の片鱗でも有るようならその時に・・と、思っても、最初、間違えたmethodeで入った場合には、そこから才能の片鱗が見れる事は無いのですよ。それに、間違えたmethodeを訂正するのに、学んだと同じ年月が掛かるのならば、音楽大学で生徒達を指導するよりも、音楽教室を作って0からの生徒を教えた方が早いからね・・??
間違えた事を学んでしまうと、それを学んだのと同じ年月をそれを0にする事に掛けて、それから、更に教育を積み重ねて・・初めて、教育の内容が加算されるのです。
その教育の方法論は芦塚メトードのオセロ練習法と同じ方法論であり、考え方なのです。つまり、100回練習して出来なければ、1000回練習すれば良い・・、1000回練習してダメならば、一万回練習すれば良い・・??
Czernyの練習曲をちゃんと、concours-versionで弾けるようにするには、半年間の練習が必要です。だったら、Czerny30番から50番とcramerのEtudeをちゃんと終わらせるには50年間は必要になる計算ですよね。阿呆らし!!


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5月18日車が傷を付けられていた ·
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多分、2,3週間前にはなるのだろうが、何時、ぶつけられたのかは全く分からないままなのだけど、車の右側の後輪のタイヤハウスの辺りに、バックでぶつけられた形跡があって、もう、サビも出始めていた。
こういった修理を業者に頼むと、その費用は決して安いものではない。
paintの作業は業者の場合には、車体のパーツ毎にやるので、安くても10万以上掛かる。叩き出しを入れると下手をすると、30万近く掛かる場合もある。(勿論、極端に安いコンビニ的な所もあるが、その分、サビ止め等の下処理等の手抜きも多くて、仕事も雑である。)
昨年の暮に、タッチアップ用のPaintをトヨタに作って貰っていたので、先ずは、サビ落としとサビ止めをして、それからtouchup用のPaintで厚めに塗って、完全に乾くのを待ってから、水研ぎ用のsandpaperの1000番程度で水研ぎをして研磨する。自分の車専用のPaintも1000番のsandpaperも椎名町には準備してあるので、何時でも修理可能にはなっている。
・・と言う事で、昨日の金曜日に斉藤先生がtouchupをした。
touchuppaintもsandpaperも、だいぶ前に準備していた物だから、今回の費用は0円である。(・・・と、思ったら・・どうして・・・??)
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芦塚 陽二
18日の土曜日から、丁度、19日の日曜日の満月になった所なのだけど、夜食が終わって、ドルプリっ歩の途中から、突然、鬱に襲われて、困ってしまった。ハイツに戻って、明日のscoreの準備をしながら、当然、寝る準備もしなければならないのだけど、なんか、鬱が酷くなって来て眠れそうな雰囲気ではなくなって来たぞなもし!!
今からwineってな雰囲気でもないのだが、眠れそうになくて、困るのならば、未だwine-timeは可能ではあるのだが・・?
・・で、何を悩んでいるのか??って???
よう俺にも分からん!! でも、それが鬱って言うものだよ!鬱に理由はいるもんか??理屈抜きに鬱なのが鬱というものなのだよ!
まあ、良く良く考えると、鬱の要因になったような事はあるにはある。しかし、だからと言っても、それを鬱の原因とする事は出来ない。日常的なくだらない事だからだ。
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芦塚 陽二




5月19日近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、 ·
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近頃は、Facebookは、何度入力してもEnter-keyを押した途端に、文章が消えてしまう現象が起こって、中々、改善されない。
windows7だからと言う分けではなくwindows10でも同じ現象が起こったままだ。
この不具合は、日記の代用にFacebookを使っている立場としては、日々の入力が出来ないと、その日その日のmemoryが出来ないので、頗る困るのである。
色々と試している時に、コピペをすると、文章がそのまま入力出来る事に気が付いて、だいぶ前からの話なのだが、入力出来ない時には、WordPad等に予め入力をして、その文章をそのままコピペする事にしている。
時々、「Facebookに文章が入力出来なくなった」とcommentが入るのは、そういった理由で、wordpadからコピペをしたからである。
本来ならば、「入力出来なくなった文章を入力する事は出来ない」から、矛盾した話しなのだが、言っている事は正しいのである。
後のFacebookの困ったちゃんは、文章を入力すると、下に余白がどんどん増えて行く現象も起きて困っている。構わず打ち続けて、ある程度、余白が広がったら、delete-keyを押しっ放しにして、一気に余白を消す。そしてまた入力をすると、また余白が出来て行く・・、という犬の卒倒one pattern状態である。
3つ目は、カーソルが文字を打っている最中に突然、どこかへ飛んでしまう現象が多々見受けられる。
返信のcommentを打っている時等には、隣のcomment欄に勝手に飛んで、2つのcomment欄が開きっ放しになる事がよくある。文章の入力欄が2つも開いたまま、という事は、有り得ないので、これも困った事である。一つの欄を終了させても、もう一つの欄が終了しないままに、どのkeyでも終了出来ない事が起きてしまうからである。
Facebookのメンテの連中は一体何をメンテしているのかね??
それで、よく給料を貰えるよな??



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5月19日音楽教室を開設するにあたって、 ·
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音楽教室を開設するにあたって、この40年間ホームページやFacebook、或いは冊子等でもいい続けている事があります。
その事は、40年間言い続けているのにも関わらず、どうしても、一般的には理解・納得して貰えないのですが、それは、一般的な通念では、「子供をお稽古事に連れて行く場合には、嫌がる子供の手を強引に引っ張ってlessonに連れて行くのが普通」であって、それとは逆に、「子供達が楽しんでlessonに通う教室は、子供達の好きなアニメのソングやテレビで流れる少女達の歌う曲や、classicの曲だとしても、お稽古事用に簡単に弾けるようにアレンジされた曲を習うだけの子供に迎合した教室だ」・・という事なのです。
「正統的にclassicの音楽を指導する先生や音楽教室では、scaleや練習曲や、超難しく面白くもないBach等を叱られながら、親子して泣きながらlessonに通うというpatternが普通である」とされています。
Classicの音楽はスコラ哲学の様に教義的で面白くない・・つまらないもので、難しいものとされています。
教室で講師を募集した時に、若い女性の先生に「教室としては、子供達に音楽の楽しさや美しさを指導して欲しい❗」と言ったら、「音楽は楽しいものではありません❗」と烈火の如く怒り捲られてしまいました。
「私達の教室は、巷の音楽教室に過ぎないので・・・」と、やんわりと面接をお断りしたのですが、多かれ少なかれ音大生の音楽に対しての考え方は、そんなものです。
音大生のprideとは、音楽に対しての尊厳や芸術性ではなく、自分自身が、厳しいlessonに耐えて、ひたすらの辛抱と、言うも得ない忍耐と、人生の全ての楽しみを楽器に捧げる事で、やっと手に入れる事が出来た「音大生という地位」なのだからです。※)
音楽を勉強して行く上で、「楽しい」なんて思う事は、一度もなかったし、自分のprideのために全てを捧げて来たのだから・・楽しい音楽なんてある分けは無いのですよ。
教室から「楽しい音楽という事を指導して欲しい」と言う事は、つまり、自分の尊厳を否定して、子供に迎合するような、自分を貶める事を要求される・・という意味になってしまうのですよ。彼女等にとっては、教室の子供達がClassicの音楽を楽しんで、練習を、lessonを楽しみにしている・・という事は、考えられない・・現実の世界では起こり得ないん・・mysteryなのですよ。
※)儒教的な思想では、「自分(その人)の価値(pride)とは、その努力と忍耐に比する」・・と書かれています。厳しいlessonに耐えて来たのは事実で、落ちこぼれないで、音楽大学に入学出来たのも事実なので、そのprideは、実に確信的なものがあります。
また、自分に価値付けをするために、虎の皮を着た(師匠に依存した家元制で、家に価値を付けた)狐のように、他者に依存をします。
「何故、それが正しいの?」「だって、私の先生がそう言ったから・・」と言われてもね~え??
教室の生徒達の場合には、この40年間、一人の生徒も4時間、5時間の練習を続けて来た生徒はいません。だから、自分に対しての自信が希薄です。自分よりも遥かに劣った生徒に対しても、練習時間が自分の2倍、3倍以上毎日練習をする・・という事に恐れをなして、complexを抱いてしまう事があります。
私が口を酸っぱくして、「練習の効果とは量や時間ではなく、質なのだよ!」と何度言っても、世間の信頼度の方が、信頼性があるのですよ。
世間一般の通念や社会常識よりも、私の信念を心から認めて、私を信頼してくれる生徒や保護者の人達は極端に少ないのですよ。
つまり、classicの音楽という事に妥協をしないで、classicの音楽の素晴らしさや、楽しさを指導するためには、指導者には、一般の音楽に対する常識への180度の意識の変革と、そういった楽しい音楽を指導出来るようになるための、大変な勉強と指導法の習得へのたゆまない努力が必要とされるのです。
子供達はアンサンブルが好きだからといって、子供達に教室の課題曲を与えたら、子供同士の喧嘩になって収拾が付かなくなって、大変な事になってしまった教室もあります。
子供達が楽しんでアンサンブルを勉強できるようにするためには、緻密なカリキュラムとマニュアルが必要な事は当然の事ですが、それ以上に子供達の心の成長に配慮が必要になります。子供達は、共同の勉強を通じて、社会性を学んで行きます。子供が虐めと感じたら、それは虐めである。というもっともらしい考え方では、子供達の社会性は育ちません。「何処までが虐めで、何処からは虐めではないのか?」は、子供自身の心のcapacityになるのです。その軋轢に耐え得る事が出来ればそれは虐めではないし、耐えられなければ虐めになるのですよ。
でも、子供達は、何処からが虐めになって、何処までが虐めでは無いのか?はまだ、理解出来ません。「これぐらい」とは、その相手の子供の体調や成長によって決まるからなのですよ。それも、経験で学んで行く事なのです。
子供を過保護に育ててしまっては、相手の心の痛みの分からない、社会性のない大人に育ってしまいます。つまり、温室で育った花は自然界では生きて行けないのですよ。
それが、引きこもりや、自殺、反社会的な人格を産んでしまうのですが、人はそんな将来の事迄は認めようとはしません。60歳になった引き籠もりの息子に対しての公の助けの手さえ否定してしまうのだから・・ね??自分の息子が死ぬまで、自分が生きて面倒を見る事が出来る・・と思い込んでいる。
でも、私達の育った昔の時代には、過保護という言葉さえ、なかったのですよ。
「生きる」・・という事が、それ程楽では無かった時代なのでね⁉「学ぶ」と言う事は、簡単な事ではないのだから、ましてや、教える・・という事は・・・❗
コメント
中尾正義
さすがです。大賛成!楽しくなければ、創造などあり得ません。


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5月20日今日は満月でした。 ·
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真っ黒な夜空に満月だけが、明るく3っつ、4っつ、ダブって見えていました。
土曜日の昨夜は曇天(どんてん)で、お久し振りの日曜日の満月を見る事が出来るか否かを心配していました。
満月を心待ちにしていた割りに、一枚の写真も撮っていないのですが、それは写真に修めると、不思議な事に、何時の満月の写真も、同じに見えてしまうからです。尤も、写真に撮ると、月は一つなのだけどね??
土曜日は、夜遅くから突然の鬱に苦しめられたのだけど、無理をしないで、早々とwine-timeに逃げてしまいました。
という事で4時間程の鬱々コンサートで、朝の4時頃には、無事に寝る事が出来たのだけど、8時にはtoilette-timeに起き出して、出発迄には未だ時間があるので二度寝を試みたのだけど、どうしても眠る事が出来なくて、3時間半睡眠のままに、千葉の移動とオケ練習に入りました。
つまり、オケ練習の最後まで・・或いは椎名町までの運転で・・、体力が保つかどうか・・が心配でした。
今日、日曜日のオケ練習の時間になって、PachelbelのChaconneの曲の「楽譜渡し」をしたのですが、この曲は、・・子供達からの「mainの曲がない!」と、言う事で、急遽、今日になってから、「楽譜渡し」をしながらの・・初見の初練習なのだけど、相変わらず・・scoreの製本ミス(print outのミス)があって、後半のPageが印刷されていなかったので、仕方なく古い(前回、校訂した)e moll-versionのscoreを斉藤先生が持っていたので、それを借りて、指揮・指導をしたのだけど、それでは、今回の改定をする前のscoreとは調が違っていたり、音符も大幅に変更されているので、記憶による指導になってしまって、子供達の指導をするのが超、大変で、困難を極めてしまいました。
それでもオケ練習の定刻の終了時間である7時半には、何とか時間通りに練習を終わらせる事が出来て、後片付けや花園教室への荷物の移動のroutineの作業を済ませて、千葉の教室を後にして、東京に出発・・、10時頃までには何とか椎名町に辿り着いて、食事の後のドルプリっ歩にも付き合ったので、cinderella-timeの12時の定刻頃までには、ハイツに辿り着く事が出来て、・・パソコンの電源を入れないように頑張って、何もしないで、(腐りやすい冷蔵庫に入れなければならないものだけを冷蔵庫に入れて・・後は何もしないままに、そのまま入眠しました。
その後、定時の深夜3時に、またroutineで、toilette-timeに起き出したのだけど、中々寝付けないので、窓という窓を全開にして、お茶をガブ飲みして、ビタミン剤を飲んで、bedに入ったら、何とか無事に寝付く事が出来ました。
以上が、今日、日曜日のroutineです。ハイ!
地球の次元が崩壊して、人類が絶滅するという大変面白いsfの夢を見ていたのだけど、まあ、それはmemoを取るまでもないか・・??
・・・てな事を3時のtoilette-timeの後で、眠れないままに、携帯のFacebookに打ち込んだような気がするのだけど、起きて見たら、やっぱり夢で、Facebookには入力されていないままだったのだけど、内容は正確に覚えているので、パソコンを開いてそのまま打ち込めば、携帯とは違って入力の作業はほんの一瞬で終わってしまいます。
・・・という事で、昨日の日曜日のオケ練習の風景は、これからパソコンに取り込む所です。
コメント
芦塚 陽二
Facebookの後半の文章もこのcommentも入力をしてEnter-keyを押すと、消えて無くなってしまいます。という事で、wordpadに一度書き込んでコピペをするという面倒くさいDouble工程の作業をしています。ホント、バカFacebookだよな?


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5月20日昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は ·
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昨日の5月19日(日曜日)のオケ練習は、事実上の初練習になるので、「これから発表会までの練習のpoint、所謂、conceptを纏めてlectureしておこう」・・という事で、練習風景のvideoをpoint毎に編集して、説明、確認のテロップ・・を入れておこう・・と思ったのだけど、videoの編集作業に入って見て、驚いてしまった!!
・・・な、な、な、なんと!
・・美音ちゃんのVivaldiのⅡ楽章のvideoや、PachelbelのChaconneの練習のvideoが全く撮れていなかったのだよ。
video-cameraの撮影開始のswitchを押すのを忘れたり、timingが遅かったりしたのだけど、役割分担が未だ理解出来ていなかったり、オケ練習のroutineを忘れてしまったり・・と、久し振りの話だったからね??
しかし、この2曲に色々と新しいbaroque-奏法の課題が出て来るし、事前にその奏法を、ちゃんと理解出来ていないと、練習が滞ってしまって、中々上手く行かないので、それだけは、ちゃんと欲しかったのだけどね??
後の曲・・・今回の課題曲は、・・・(桃迦ちゃんのVivaldiの曲やPichlのKontrabassのconcerto等は、)・・基本的な古典派の技法なので、これまでのオケ練習で学んで来たbaroque奏法の演奏の技術表現の復習になるので、弾けるか否かは、兎も角としても、その練習で勉強すべき内容は、当然、良く理解出来ていて、練習のpointも分かっているはずなのだからね。
・・で、今回の2曲の課題は、・・超、難しくて、新しく学ぶ事が多いので、その技法の説明と解説をするために、曲のvideoを見ながら、説明をすると良いと思っていたのだが、美音ちゃんのVivaldiとPachelbelの曲のvideoが無い・・というのは、練習pointの説明、lectureが出来ないので、超、Shockであるぞよ⁉
果てさて、超、困ってしまった‼


それはそうと、Pachelbelに関しては、scoreの後半部が飛んでいて、Pageが無かったので、練習が上手く行かなかったし・・・、どうも新曲に関しては、何時も何時もcopyやprint outの作業が上手く行かないようだよな??
美音ちゃんのVivaldiはscoreしか無いので、今回part譜を作るか否か・・は、別の問題だとしても、Pachelbelはfinaleの最終稿の問題で常に揉めているのだけど、仕事を始める時のroutineとしては、起きたら、必ず、先ず第一に仕事を始める前に「mailのcheck」から一日を始めなければならない・・と言う事を口を酸っぱくして言い続けているのに、その「mailを見る」というroutineが、ドルプリっ歩や、教室の作業の後の、出掛ける時になっていて、何時も「順番が逆だ!」と怒っているのに、直さないのだよな?
1日のroutineとして、mailを見て、その日一日の動きと時間を決めるのだよ。Influenza等で、お休みが多い時には、lessonの開始の時間さえ変更しなければならない時が良くあるのだけど、その変更が「時間切れになって、変更出来ない」という自体さえ起こりうるのだがね??
その日、一日の動きは、mail-checkで決まるのに・・・どうしてそういった基本的な事が出来ないのだろうかね??
今回も、またまた、同じミスをしている。
ミスのroutineだよな??



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5月21日昨日(5月20日の月曜日)の続きです。 ·
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昼間はとても良い天気でしたが、夜のドルプリっ歩にバイクで出かける時には、ほんの少し雨が降って来たのだけど、レインコートを着るまでもないかな??という事でそのままバイクで出発しました。
椎名町に近づくに連れて、少し雨が酷くなって来たのだけど、私は傘をささないままに、ドルプリっ歩に出発しました。ドルは、未だそんな酷い雨にもなっていないのに、「濡れるのが嫌だ!」と言って、サッサと家に帰ってしまいました。
食事を終えて、私がハイツに戻る頃には、雨の音がパラパラと聞こえるような感じになったのだけど、最初からレインコートを着て来なかったので、椎名町に置きッパのレインコートやポンチョ等は着ないで、濡れるに任せてハイツに戻りました。濡れるには濡れたけれど、まあ、許容範囲の中だったのかな??
江古田の自宅に着いて、部屋に入ったと同時ぐらいに、突然大雨になった。
ほんの一瞬の差だったよな??
取り敢えずはluckyと言う事かな??
写真は次の日、・・・今日(火曜日)の土砂降りの雨の風景です。

写真では、大雨・・という事は分からんよな??
動画が良かったかな??


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5月23日今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、 ·
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今日(・・・というのは22日の水曜日の話しです。)は、ちゃんと真面目に食事とドルプリっ歩を済ませて、テレビのヒストリアも見たのに、超、珍しくcinderella-timeの前の11時半にはハイツに戻って来る事が出来ました。
しかし、今日はお腹の調子が一日中悪くて、胃は痛くは無いのだけど、膨満感があって、お腹がパンパンに腫れています。何かを食べ過ぎた覚えは無いのだけど、何かいっぱい食べたみたいにお腹が膨れ上がってしまっています。
仕方がないので、胃の薬を飲んで様子を見ているのだけど、今の所、胃の状態は改善はしていません。
だんだん、お茶も飲めない感じになって来たので、梅湯を作って飲んでいます❗


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5月24日昨日はcinderella-timeの30分前には、 ·
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昨日はcinderella-timeの30分前には、江古田ハイツに戻って来れたのだけど、今日(23日の木曜日)は、何と、深夜の1時半になってしまった❗
今夜は早く帰れたはずなのに、なぜ??どうして??何処で、遅くなってしまったのだ・・・??
おおかた、lineで連絡のあった約束の時間には、flower公園までドル・プリを迎えに、ちゃんと行ったのにも関わらず、ドル・プリとも会えなかったし、それで椎名町に直接、戻って夜食を食べ終えて、それだけで、1時過ぎになってしまったので、急いで自宅にバイクを走らせて、やっとこさっとこ、ハイツに辿り着いたのは、まあまあ、それなりに良いのだが、どうした分けか、バイクで移動中に、突然、鬱になってしまった。
これは困ったぞ・・・!!

それとは全く別の話になるのだが、またまた、このFacebookに文章を入力をしても、Enterを押した途端に文章が消えてしまう現象が始まって困ってしまった。
他のsoftには出ない、Facebookにだけ、現れる現象なのだが、全く、困った事だ!!
折角の鬱なのに、Facebookに、鬱の状態を書く事が、唯一の鬱対策になっているのだが、Facebookに直接入力出来ないと言う事は、その欝対策も出来なくなってしまった!
一昨日からの、お腹が腫れて胃の調子が悪い・・という状態が、まだ改善出来ていないので、alcoholに逃げて、You Tubeでの鬱々コンサートに入る事も出来ない‼
風呂に入って、のんびりと気分を変える・・という手段も考えたのだが、風呂に入れるようにするには、先ず、溜まり水を捨てて、風呂桶を洗う所からしなければならないので、鬱で体調不良の時には、体力的に無理なのだよ‼
こういう時が「為す術がなくて」一番困ってしまうのだよな。


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5月24日今日(5月24日の金曜日)も朝から ·
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今日(5月24日の金曜日)も朝から日本国中、超、良い天気だ‼
冬にお世話になった羽毛の布団をベランダで、天日に干して、仕舞い込みたいのだが、それには、物干し棹を雑巾で拭く所からの作業になってしまうので、泣く泣く諦めてしまった😵💧
そこ迄の体力と気力はないのでね⁉
折角の天気なのに、勿体無い話しなのだが、体の事なので、いかんともし難い❗
10年前ならば、そういった「雑用をする体力がない」・・・なんて話しはあり得なかった事なのだよな⁉
老いは確実にやって来る❗
この所、体調管理は非常に巧く行っていたのだが、この二日、三日間の不調は、どうした事だろうか⁉
暴飲暴食の覚えもないのに、胃が腫れて膨満感がある・・・、これも、突然の原因不明の体調不良なのだよな⁉
原因が見当たらない・・、という事はstressなのだろうか?
体調管理が上手く行っている時には、体重も順調に減っているのだが、体調不良になると、食事の量・・・ではなくて、体調で、食事を取る事すら出来なくても、体重が増加してしまう。
体重の増減は、食事の量ではなく、精神状態に強く影響を受けているのだよな⁉
それは私にとっては常識の話なのだが、一般的には非常識の話だよな??
特に「食わなきゃ、痩せる」・・の人達にとっては・・、多分理解不能な話しだろうよな⁉



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5月24日今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日に ·
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今日(5月24日金曜日)は今年最初の真夏日になったそうで、31℃だったそうです。もうすぐ夕方の5時になるのだ・・・というのに、温度が全く下がらず、仕方がないので、窓を全開にして、外の風を部屋に取り込んでいます。それでも、空気自体が暑いので、部屋の温度は下がりません。
「五月にクーラーもないよな~ぁ」、という事で、悩んでいます。
まあ、湿度は低いので、凌ぎやすくはあるのでね⁉
コメント
萩元 美紀
今日から真夏日が続くそうですね…明日は小学校の運動会です💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
明日はトランプが来るので、明後日の千葉行きは、王寺小菅回りか、地下道回りで移動しなければいけないのだけど、首都高が使えない・・という事は、結構渋滞するのかな??
30℃超えの外の活動は、子供には結構負担で無理ではないのかな??
・・・超暑いのも、トランプのせいかもネ??早く、京都議定書に調印して欲しいな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 あまり暑かったら午前中だけで終わるかもしれないという話も出てます💦
なるほど、トランプの来日のせいでしたか(笑)
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
順延ではなく・・??
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
芦塚 陽二 今日も練習中に具合が悪くなった子がいたとか。
延期という連絡は今のところないです…
各自、保冷バッグに保冷剤など冷やすもの、水筒以外にペットボトルOKの連絡があったのは初めてです。
· 返信する · 1年前
返信する...

芦塚 陽二
明日から・・というか、もう日にちが変わって、今日(土曜日の午前の5時)になったのだけど、今日明日は、32℃の予定だそうです。でも、まだ、五月だよね⁉それじゃあ、八月だろうがね⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 真夏日になるかも、ですもんね…運動会は30分繰り上げでスタートになりました。これからお弁当作りです💦💦
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
萩元 美紀 繰り上げ❗ですか⁉それは、それは・・・てえへんだ❗


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5月25日今日は土曜日です。 ·
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今日は土曜日です。定刻の6時半ぐらいに起きて、雑用を片付けていたのですが、朝の10時頃になったら、どうしようもなく眠たくなってしまったので、ベッドに戻って寝直しました。
夢を見たのですが、山奥の駐車場に車を停めるのだけど、自分が借りていた駐車場を忘れてしまって、「多分、ここだった!」という所に、車を停めて戻ってくると、車が無くなっていました。車を取り戻すために、駐車場の地主の家に行って、レッカー業者の電話を聞こう、と思ったのですが、腹が立つので、考え込んでいたら、目が覚めました。
東京でも千葉でも駐車場には悩まされて何度もトラブった経験があるので、トラウマになっているのですョネ!
不動産屋なんてものは、土地の利権者の言いなり・・なので・・・、借り手側に立ってくれた事は一度もありませんよ??
そうれはそうと、スリッパに爪が引っ掛かるので、よく見ると、左足の中指の爪が欠けていました。欠けた部分を爪切りで切り取ろうと思ったら、内側に欠けていて、無理でした。
ガラスのヤスリで爪を磨いて、引っ掛かりを取って、お茶を濁す事にしました。


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5月26日「似て非なるもの」 ·
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日本の学校教育では、より有名な大学を受験して、より有名な企業に就職するためには、幅広く勉強をして、全ての教科の成績を上げる事が要求される。つまり、日本の学校教育では、全ての教科について、オールマイティーである事が、良しとされるのです。
しかし、この事は、非常に矛盾した事になるのだが、知識が広いだけでは、専門家にはなれないのだよ‼
つまり、学校の教科書を作っている学者の人達は、より専門性の高い勉強をして来た人達なのだよ。
より専門性の高い勉強法は、深い知識と洞察力が求められるのだよ。広く浅く・・では、専門性は得れないのだよ。結局の所は、学校の教科書は専門家によって作られているのだよ。昔、この話しを小学校の先生達にしたのだが、全く理解して貰えなかった。学校の教科書は、小学校の先生達が集まって作った、と思い込んでいたのだよ。阿呆らしい❗
より専門性の高い勉強法は、職人の世界で見受ける事が出来る。
しかし、職人的学び方の問題点は、そこで、優れた技術力を身に付けたとしても、応用力や発想の転換に、欠けてしまうのだよ。経験で学んだ事は、応用力や発想の転換力に乏しい、という原則論がある。
伝統的な芸術や技術の伝承には、職人的な勉強法はとても優れているのだが、globalな社会では、もはや、そういった職人的な技術は、その技術を伝承する人材が見つからなくて、その存続すら危ぶまれているのだよ。
封建制の社会では、自分の直系の子孫に財産や技術を残すために、中央集権的な家元制度が考案されて、ヨーロッパでは、価値の規準をbrand(企業)が支配・決定するようになった。
そういった社会では、学業(勉強)に対しての考え方も、物事を追求するのではなく、与えられた課題を果たせば、それで良い、という安直な考え方になってしまっているのだよ。
それが、現代の学校教育の学び方の規準になってしまっているのだ。
音楽を学ぶ生徒達の多くは、練習の目標を、学校の学び方の規準のように、先生から与えられた課題を、先生の言う通りに、「こなせばそれで良い」という風に、捉えてしまっているのだよ。恰かも、学校でのテストや宿題と同じように、音楽の勉強さえも、学ぶための目標が、先生の与えた課題になってしまっているのだよ。それでは、音楽大学に入る事は出来ても、Proを目指す事は出来ない。(但し、それはProの定義による話しであって、人の前で演奏する事をProと呼ぶのであるのならば、別に音楽大学に行く必要もない。)
「このpassageは、こういう風に弾きたい❗」とか「練習をする事が、楽しくて仕方がない❗」とかいった、音楽に対しての価値や気持ちが希薄で、「ちゃんとやればそれでいいんでしょ」という、一般的なコンクール型の優等生の勉強法を見ているようで、音楽の表現を学んでいる、とか、自分を磨くとかではなくて、勉強に限りを見ているようで、そのような練習では、見ていても非常につまらない。
ものを学ぶコツについては、料理教室を例にして説明すれば分かり易くて、良いのかな⁉
料理は、同じ材料で、同じレシピで作っても、作った人によって、全員の味が変わってしまう。
例え、料理教室で如何に上手に学んだとしても、プロの料理人にはなれないのはどうしてなのか、分かるのかな⁉
子供達に言い続けている事がある。
それは、下手でも良い❗心を打っ演奏をする事だ。
上手でも、魂のない演奏よりは、遥かに良い❗
上手なamateurよりも、下手でもProの演奏を人は好むのだよ。
いずれにしても、人の役に立つ・・・という事は、人の出来ない事をするのか、人が面倒くさがる事をするか・・・なのだから⁉⁉
藍は藍より出て・・・とか、形に入るのは易く形より出るは難し、とか古人は言っているのだが、学校の勉強も然りで、「古」を学ぶ事は、単なる知識にしか、過ぎない。
つまり、学校の評価は、知識の記憶を問うているに過ぎない。本当に人間に必要な能力は、分析力であり、判断力であり、ひらめきや、構成力等である。学校で学ぶ知識は、現代の社会では、パソコンが人間の限界を越えた膨大な知識を提供してくれる。
公文式の計算能力ですら、大学受験には、必要はない。
大学の数学の受験では、設問から、解答の手順を書くだけで、計算が合っている必要はないからだ。
コメント
芦塚 陽二
書いた文章が見事に消えてしまっている!なんと腹立たしいのだろう!!編集履歴も出て来ない!もうFacebookは諦めた方が良いのかも知れない。何度打ち直しても、消えてしまう。これではもうFacebookは二度と使えない!!netで調べて見たら、スマホでは、その不具合は出ないようなので、スマホで入力するように❗というadviceであった❗
どうしようもないよな‼全く❗
· 返信する · 1年前 · 編集済み
純子斉藤
ええ~続きを読みたかったです❗
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
まあ、いつも言っている愚痴だけど~ね??



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5月26日仏教の寓話 ·
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私が高校の一年生の頃、郷里の長崎の本屋で、仏教の寓話集という上下2冊の本を見つけて買った。
その2冊の本は、高校時代には勿論、長崎のアパートに・・・、音大時代には東京の6畳一間の住まいに・・・・、留学時代にはドイツのシェア・ハウスに・・・と、いつも私のそばにある私の座右の本として、常に、ともすれば道を踏み外しそうな、私を導いてくれた。
その中の一文なのだが、悟りに入った釈迦にバラモンが尋ねた。「悟りに入って、魂の平穏を得られたのか?」
釈迦は答えて、「衆じょうに悟りを導く事に、より苦しんでいる」と・・・
つまり、悟りを得ても、魂の平穏を得る事はなかったのだよ。
不思議に思われるかも知れないが、魂の平穏を得るという事は、人と一切関わらないという事だからだよ。
音楽と言っても、色々なjanreの音楽がある。
私のように、鬱で苦しんでいる時に、魂に語りかけてくる音楽を至上の音楽とする人間もいる。
落ち込んでいる時に、自分を高揚させ鼓舞させる音楽もある。
勿論、音楽とは、classicから、popularや、民族音楽に至る迄の多種多様な音楽があるのだよ。
音楽を学ぶという事は、一様ではない。
愉しく学べる音楽もあれば、厳しく辛い孤鋒のような近寄り難い音楽もあるのだよ。
人は自分の望むような音楽に登るように、学べば良い。
登山の装備すら必要のない山は多いのだよ。
ただ、人の前で演奏活動をするだけが目的ならば、その夢を叶える事は、そんなに難しい事ではない。
しかし、その演奏で、人を涙させるとなると、これはヒマラヤに登るようなものだ。
自分自身が、音楽に対して真摯に、死に物狂いで向き合わないと、自分の言葉に涙する人はいないのだよ。
音楽はOlympicではないのだよ。
完璧に演技が出来たとしても、そこにsamethingがないと、誰一人、泣いてはくれないのだよ。
自分の技術をひけらかすための音楽ならば、凄いと思う人はいても、そこで涙する人はいないと思うのだがね⁉
自分で音楽を演奏して、自分自身が涙する人は幸せである。
自己満足と思われるかも知れないが、それでも、他の人には分からなくても、少なくとも作曲家とはシンパテイを得る事が出来たのだから。
要は、自分が何に満足をするか?という話しなのだよ。



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5月26日今日は五月26日の日曜日です。 ·
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今日は五月26日の日曜日です。トランプ-dayで、首都高のreal-timeの道路地図上では、真っ赤っかと黒のバッテンだらけです。
次いでに、私も、昨夜から超、鬱が酷くって、一睡もしていません❗
出来れば、今日のlessonとオケ練習は、自習練習にして、サボりたい所です。
いつから毎週私が練習に付き合う事になったのかな⁉
そりゃあ、聞いてないけどな⁉
今回の第2回目のオケ練習は、瑞希ちゃんと紗來ちゃんのvivaldiの「秋」とStamitzのviola-concertの、二曲を除いたら、soloの部分を割愛して、オケの部分だけを中心に練習しました。
soloを弾く生徒達には、もう少し時間の猶予を与えてから、soloがintempoで演奏出来るようになってから、練習をします。
前回と前々回の発表会では、曲の練習のpointが、曲を弾く事に始終していたので、今日の練習では、久さびさに、violinの基礎的な基本の練習をしました。
弾く事だけに、意識が行ってしまって、大切な音に対しての、approachが希薄になってしまったので、基本的な音出しに戻って、lectureをしました。
基本、基礎の勉強は、練習をしていても、心の逃げ場がないので、久し振りに、ちょっと、泣きの入った厳しいlessonだったのかな・・・⁉
Pachelbelのchaconneは、技術的に難しくて、弾けていない小節のcheckと、指揮を見て、tempoを揺らす復習をしたのだけど、今回の練習では、まだ出来ない箇所が幾つかありましたけど、時間切れで、次回送りになりました。
個人個人で、しっかりと練習をして来てください。
専科オケの「初めて組」の生徒達にとっては、こういった密度の高い練習は、体力的にも精神的にも、練習に付いて行くだけで、目一杯・精一杯だと思うけど、よく最後まで頑張りました❗中々の根性だと思うよ⁉
私も、徹夜明けで、何とか練習をこなして、トランプ-規制を避けて、遠回りをして、なんとか椎名町まで戻って来て、半分眠りながら食事だけを済ませて、ドルプリっ歩はすっぽかして、何とかcinderella-timeの前には、ハイツに戻って来ました。
オケ練習では、クーラーが「暑い」と言う生徒と、「寒い❗」と言う生徒がいるので、室温のcontrolが儘ならなくて、大変で、大汗をかいてしまったので、そのまま寝るには、気持ちが悪いので、大急ぎで、シャワーを浴びて、髪を洗って寝たのだけど、1時半には、routineのtoilette-timeに起きたら、今度は、鼻詰まりが酷くって、眠れなくなってしまった。
困った❗困った‼
これじゃあ、睡眠時間が・・・足りないよな~っ??
頑張って、寝なければ・・・・



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5月27日 今日は5月27日の月曜日です。·
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今日は5月27日の月曜日です。
今日は下弦の月だそうです。
今日もとても良い天気で、窓をいつものとおりに全開にして、風を取り込んでいたのですが、ついに諦めてクーラーをエコ設定(28℃)で入れてしまいました。
久し振りに、熟睡出来たと思ったのだけど、クーラーを入れっぱなしで寝ていたら、体調が悪くなってしまって、すっかり後悔しました。
そう・・、私はクーラーが苦手だったのだよな⁉
クーラーのせいかどうかは知らないけれど、一日すっかり、半分寝込んでしまいました。
・・・とは言っても、月曜日に仕事にならないのは、routineなのでね⁉
近頃は、すっかり最初から諦めています。
長年だまし、だまし、使っていた台所兼、仕事部屋用の窓のブラインドが、とうとう修理不能な所まで、壊れて使い物にならなくなってしまいました。
ブラインドは買うと、結構高いので、修理をしながら使っていたのだけど、流石に、諦めざるを得ない所まで来たので、約半額の激安ショップを見つけたので、即、注文しました。
安いだけならば、プラスチックのもっと安いブラインドもあったのですが、安かろう、悪かろうでも困るからね⁉
それはそうと、Facebookの入力が、相変わらずパソコンでは出来ないので、大いなる忍耐力を持って、携帯のFacebookで入力をしています。
パソコンで入力するのならば、ほんの一瞬で入力出来るのに、超、面倒くさい入力をしなければなりません。
時間が掛かってしょうがないのだけどね~ぇ⁉
夜はだいたいいつもの時間の1時半頃に帰って来て、そのまま眠る気にもならないので、wineを飲む事にしたのは良いとして、部屋が蒸れて息苦しいので、クーラーを快適温度の28℃で入れたのだけど、やはり、クーラーは苦手で、ふと思いついて、何年も放ったらかしになっているベランダでwineを飲む事にしました。
先ず、サンダルが無いので、外用のサンダルをベランダに運んで、さて椅子が無いので、そこらの有り合わせの折りたたみ椅子を適当に選んで、wineをグラスに入れて真っ暗なベランダで飲みました。
折角の下弦の月というのに、薄雲に隠れて影しか見えません。


それに、部屋の中は、蒸し蒸ししているのに、外の寒い事・・、気分は最高だったのだけど、寒くてギブアップしました。
しかし、久し振りの深夜のベランダは、ちょっと乙なもので、気に入りました。
昔々、ベランダで、beerを、cheeseをツマミにして、一人で飲んでいたことがありました。(当時はbeerだったのですよ❗)
キャンプで使う灯油のランタンをベランダの天井から吊るして、灯りをとって、その薄暗い灯りが、中々乙なもので、気に入っていたのですが、病気になって、一人beerは、やめてしまったので、実に久し振り(10年以上・・・)のベランダです。
これなら、少しベランダを少し、清掃して、wineぐらいは何時でも飲めるようにしても良いのかな??
飲めなくなってから、ベランダには植木を置いていたのだけど、母の介護で、毎年の長崎への帰省で、植木は全て枯らしてしまったのだけど、一度も水をやらないのに、断固として枯れない木があって、生きているものを、捨てるに忍びなくって、今も、捨てられなくて、困っています。
断固として死なない植木は諦めて、必要のない庭いじりの道具だけでも捨てれば、ベランダの印象は大分変わるかな・・・・??
・・・という事を考えています。
とは言っても、やっぱり、ベランダの片付けは、一人では無理なのかなぁ⁉


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5月27日病院への愚痴 ·
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私の場合には、高校の1年生の頃ですが、近場の大学病院に入院した時に、インターンの学生がミスをして、その後、その対応のミスが続いて、半年後には、腎臓を1個摘出せざるを得なくなっていました。勿論、医療過誤のお話なので、一般には知られる事はない事件なのでしたが、家の養父の知り合いという事で、入院をしたので、医者同士という事とで、その医療過誤は報告という事で知らされていました。まあ、その結果、その後、大学を卒業するまでの、7.8年間は、電気メスによる潰瘍の焼く手術を、毎年、休みの度に繰り返したのですが、腎臓摘出の全身麻酔の後では、局部麻酔は全く効かないで、殆ど、麻酔無しの状態で、電気メスで膀胱や尿道の潰瘍を焼く手術を、数十回も繰り返しました。
医者は冗談で「あんたも、もう、手術のVeteranだから、慣れたろう!」とか言っていたけれど、麻酔無しの手術に慣れる・・という事は、絶対にありません。
高校生の頃は、私の死んだ父親の生徒達が大学病院の教授だったので、下にも置かない、その代わりにベッドに置いておく・・という高待遇だったのですが、その関係で入院をする度に、病院のミスも教えてくれるので、医療不信がつのってしまいました。
少なくとも、純朴な高校生に話す事ではないよね??
高校生の時からの作曲家の職業病とされて来た胃潰瘍は、約30年後の、50代の時に、近所の病院でピロリ菌の治療をしてからは、再発はしていませんが、その同じ病院での、冠動脈に関しての訴えは、「素人が何を言う!」という事で取り上げて貰えなかったのだけど、私が「冠動脈が・・」と言っていた頃に、ステントの手術をすると、バイパスの手術は必要無かったのだそうで、「5年前に来ていたら・・」とsecond opinionの更にsecondの先生に言われたので、「5年まえには『心臓が・・』と言って、胃腸科から、循環器に代わって、循環器の先生達に『冠動脈が・・』と言っていたのですが、全く相手にされなかったのですよ。」と文句を言ったら、同業者相憐れむ・・からか、「心臓の血管の詰まりの病状の判断は難しいのですよ。」と言われてしまいました。
冠動脈のステントの手術は絶対に無理という事で、バイパスの手術になったのですが、練馬の大学病院の心臓外科では、3本の血管の内、脳に行っている血管だけしか助ける事が出来ない・・と言う事で、手術をしても、その後は寝たきりになってしまう・・という事でした。
心臓を止めて人工心肺で血液を送るので、手術時間が最大でも1時間しか取れなかったからです。
netで探した結果、その当時には、最先端の手術であった「拍動下のバイパス手術」という事で、心臓を動かしたまま、手術をするので、時間に制約されないという事で3本の血管を全て助ける事が出来るというその手術が出来る当時は、非常に稀な手技を持った先生に直接アポイントを取る事が出来て、なんとか、手術も成功して、無事に、社会に復帰する事が出来ました。
でもその後、2,3年を経ずして、そんな手術をする事は無くなって、左足のグラフト血管を採取する手術はもう現在は過去の手術として、血管がもろくなって、再び詰まるという症状が起こるような手術は無くなってしまったそうです。動脈の詰まるのが、後2,3年遅かったら、体調不良はもう少し改善出来ていたかもしれません。
今回の腹部大動脈瘤の発見も、血尿が出て膀胱の検査でCTの検査をして見つかったのですが、その病院の泌尿器科ではステントは無理で、開腹の手術になる・・と言われてしまい、悩んで、それこそnetで病院を探して、症例をcheckしていて、今回の川崎の病院に辿り着きました。流石に、症例が多いので、難しい位置にあって、確かにステントは難しいのだそうですが、不可能ではない・・という事でお願いしました。
まあ、インフォームド・コンセントで説明を受ける時の安心感のようなものが、やはり、経験豊かだと全く違います。1年に数例・・と1週間で数例では、手術の経験数がお話にならないのですからね??
パソコンから文章が入力出来るかのテストです。
コメント
芦塚 陽二
commentが打てない!友達の返信欄に入力出来ない!!windows10でも、文章の追加修正も出来ない!!


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5月28日windows10のcleanup ·
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朝起きて、windows10のドライブCのクリーンアップをしたら、5時から9時になっても未だ終わらない。windows7の方は常に、updateしているので、一瞬で終わるのだが、windows10は滅多にしないから、時間が掛かるとは思ったのだけど、これまで掛かるとは思っていなかった!
ゴミが溜まり巻くっていたのだよな⁉




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5月28日今日は28日の火曜日の夕方の ·
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今日は28日の火曜日の夕方の5時頃です。
夕方になって、急に寒くなって来たので、「クーラーを止めなければ・・!」と思ってリモコンを取って、よく見たら・・、なんと、クーラーはつけていなかったのですよ。
自然の風だけの寒さだったのです。
昨日までとの、この温度差は驚愕です。
窓を開けて仕事をしていたので、寝室のベッドや畳が湿気っぽく、ジメジメしていました。
慌てて、窓を締めて、除湿でも・・と思ったのだけど、除湿をかけると、超、寒くなるし・・、コンビニ・クーラーを出すのも一騒動しなければならないので、かったるいし・・、と優柔不断に諦めてしまいました。(つまり、なにもしなかった・・という事・・です。)
コメント
芦塚 陽二
windows7では、全く文章の修正が出来ない!wordに貼り付けて、windows10に持って来て、windows10のFacebookを開いて、そこに修正のcommentを貼り付ける・・という超、面倒くさい作業をして、やっと修正した。頭に来るよな~ぁ??



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5月29日一昨日の夜に続いて、 ·
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一昨日の夜に続いて、今夜も寝逸れてしまったので、少し明るくなって来たベランダで、「外の風を浴びながら、wineでも飲むか?」という事で、wineをGlassに入れて、雨のそぼ降るベランダに出たのは良いのだが、超、寒くて5分も外に居れなかった!!
雨がベランダに降り込んで来るので、椅子を出して座る事も出来ない‼
雨の降り込む中を、glass片手に、風流を気取るのは難しい!!
暑さ、寒さに対しての、それ相応のやせ我慢力が必要だなヤ!!
いや、昔の風流人達は偉かったぞぃ❗
雨のベランダを、携帯で写真を撮ってそのままupしようと思ったのだが、この所、携帯で撮った写真がFacebookにダイレクトでupされた事は一度も無い。


仕方がないので、lineに写真を送って、一度パソコンで保存して、それからFacebookに開くとパソコンからならup出来るのだよ。
要するに、携帯が古いから「ギガがネぇ~❗」という事で、「もう、買い直せ!!」という事か??と思っていたのだけど、lineならば問題なく写真が送れるという事は、やっぱり、これもFacebookのせいらしいよな⁉
いつになったら、ちゃんと直るのかね⁉Facebookは・・・・






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5月29日「似て非なるもの:追記」 ·
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肝心要の「似て非なるもの」のテーマに入る前に、文章が入力出来なくなって、中座してしまったので、新たに「追記」をする事にした。
本来、書くべき論旨の骨子は、「日本の教育では、一芸を究める教育は、一般の人達から否定される傾向にある」・・と言う事なのだ。
勿論、その理由は、「一芸を追求しようとする人は、一般的な知識が皆無であり、人間的に(人格的に)問題とされる」からなのだが、その通念は、正しくはない。
しかし、一概に「それが誤解である」と言えないのは、実際には、そういった例をよく見受ける事があるからなのだ。
しかし、その問題は、(後で述べるように)「一芸の求め方」自体に問題がある場合なのだ。
実際の場合には、一芸を極めようとする人達は、結構、一般的な知識も広く深いものがある。(先に書いたように、これには、「但し・・」書きが入るのだがね・・・)
実際の例を上げるとすれば、確かに、一芸以外は無知蒙昧な人も多く見受けるのだが、それは全てのgenreで、そういったtypeの人達が見受けられる分けなので、それは当たり前の事になる。
但し、「逆、必ずしも真ならず」であって、幅広く学んだ人がdilettanteの域を超える事はない。
また、一芸に秀でた人が、幅広い知識を持っている事は、結構ザラなのだが、その知識は一般的な専門家の人達と肩を並べるくらいのlevelであるのだが、その場合には、その人の持つ一芸が、人よりも遥かに抜きん出ている・・・という事も必然的な条件・・なのだよ‼
そこをよく一般の人達は、安直に考えて判断する事で、勘違いをしてしまって、自分や自分の子供達に「一芸を求める事を要求し」ながら、一芸が、まだ道に至っていないのにも関わらず※)、更に広く勉強をさせようとする人達がいるので、問題なのだよ‼
※)「一芸が道に至る」とは、とんでもない高邁な話なのだが、この場合には、そんな横行な話ではなく、『一芸を追求する姿勢が自分の身になっている場合』と言った、生活習慣的な軽い意味の話です。
一芸を極めようとすると、それを理解し、追求しようとするだけで、姿勢が職人的で無くとも、充分に、必然的に多くの知識を必要とするようになるのだよ❗
但し、そのNiveau(水準)の問題はある。
何かを追求する・・という事は、「学校の中での一番ぐらい」や、その「小さな町ぐらいの一番」では、所詮は水準的には、趣味の域を出ないのだよ‼
親は、自分の子供に対しては、欲目があり、その欲目で自分の子供を評価して、全てを人よりも勝ったものにしようとする傾向がある。
子供の通う学校で一番を取った事が「proの域に達した」・・と思う事は、欲目による勘違いに過ぎず、その勘違いで、子供に対して過剰期待をする事になって、その子供自身を潰してしまう事がよくあるのだよ‼
親の過剰期待から、困った事(つまり、自分のcapacityを越してしまって・・)になって、肝心要の自分のmeritである(本来の)一芸さえも見失なってしまう生徒を、私達は、これまでも、数多く見て来たのだよ‼
『立てば這え、這えば歩け!の親心』は、子供の教育に取っては微笑ましい事ではなく、子供を徒に潰してしまう結果を招いてしまう。
「一芸を極める」・・という話は、日本の音楽社会では、逆に、「演奏家は自分の楽器の技術の向上だけを目指せば良い❗」という日本独自の風潮があり、昔々、私が音楽を学ぼうとしていた学生時代にも、音楽に対して幅広くapproachをしようとする私の姿勢は、「それは素人の姿勢だ❗」と多くの音楽の専門家や、音楽の関係者から批判され、否定されてしまった。
だからといって、人の話しをおいそれと受け入れるような私ではなかったので、そのRat(忠告)は無視してしまったのだけどね~⁉
しかし、その後、私が日本の音楽大学を卒業して、Münchenの音楽大学に留学をした時には、私の広く深く勉強をして行くというstyleは、ヨーロッパの音楽家達にとっては、至極普通の当たり前の、普通の勉強の方法に過ぎなかったのだよ‼
つまり、「日本の常識、ヨーロッパの非常識」・・・と言う諺、通りにね⁉
ヨーロッパの演奏家達は複数の楽器をソロ活動出来る水準で演奏出来るのが、当たり前だし、そこらの演奏家でも、交響曲やオペラを作曲出来るぐらいの音楽技術を持っているのが、当たり前なのだ。
私の師匠であったGenzmer先生が大学を卒業したばかりの若い頃には、生活のために、日曜日は教会のorganistをして、オペラ座で2ndViolinの奏者をして日銭を稼いでいたそうで、Hindemithのclarinet-concertoを初演した事もあるそうで、現在の地位を得る切っ掛けになったのは、Hindemithの歌曲である Das Marienleben (マリアの生涯)op.27という曲を伴奏するpianistが病気になって、演奏会の前日の夜に、「伴奏出来ないか?」と電話が掛かって来て、楽譜を暗譜しているか否か?を20分で確認してOKの返事をしてから、Münchenの教授の仕事が舞い込んで来たのだそうナ?
proとして生活出来るぐらいに、Pipeorganが演奏出来て、Violinが弾けて、伴奏pianistも出来るし、Hindemithのclarinet-concertoをorchestraで初演したという事は、世界一のclarinet奏者である・・という意味だよね??
超、凄くない??
自分の楽器を弾くだけで、interpretationも出来ない日本の音楽家達とはえらい違いだよな⁉
しかし、この幅が広く奥の深い勉強法は、「広く浅く」・・の学習法では、習得する事は出来ない。
富士山の裾野が、高く広く広がるように、一芸を深く究める事によって、もたらされる知識力なのだからである❗
私は、この事を『性格付け』と呼んでいる。つまり、一つの事を、追求する癖が付いている人達には、分からない事、出来ない事があったら、トコトン出来るまで、分かるまで、追求する癖があるからである。
当然、その事は日常の全ての事に及ぶのだよ。
学校教育のように、最初から追求する範囲を広げては、物事を深く掘り下げて行く事は、絶対に出来ないのだよ❗
広く浅くのdilettante的な性格では、物事を極めるという事は有り得ないからであるよ。
一芸に秀でた人が幅広い知識を持つ事と、学校教育のように、最初から幅広く学習する事は、全く「似て非なる」別の次元の話しなのだよ‼
コメント
純子斉藤
ん?「一般を極めることによって」ではなくて「一芸を極めることによって」なのでは?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ンだ!!訂正しました。


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6月



6月1日violaの弓の交換に出掛けた ·
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昨日の5月31日は、連日、夜に眠れなくなるので、少し無理をしてでも、体を動かす事にして、長年の懸案であったviolaの弓の交換に、楽器店に出掛けました。体内時計を歩く事で正常に戻す事が目的です。土曜日の夜はちゃんと寝れないと、日曜日のオケ練習に差し支えるからです。
また、31日の金曜日は唯一斉藤先生が、毛替えに出掛けられる日でも、あるからです。
副都心線に乗ったのはよいけれど、なんと、代官山には停まらないので、渋谷乗り換えになってしまいました。何度行っても、渋谷駅の乗り換えは、病人や老人には、とても無理です。
通常ならば、江古田から練馬に逆行してから、代官山の直通に乗ると、一電車で乗り換えがなく楽器店まで行く事が出来るのですが、そうすると、斉藤先生とは、目的地の楽器店での待ち合わせになるので、今回は、池袋回りにしました。電車の中では、色々と打ち合わせもあるし、池袋待ち合わせの方が色々と便利だったからです⁉
まあ、なんとか辿り着いて、楽器店では、社長から、色々と国際的な情報を貰って、今の日本の経済力が、かなり危うい所まで来ているという話を聞いて、(楽器というのは、日本国内ではなく、世界のディーラーと直接取り引きをするからです。)かなり深刻なshockを受けました。昔々economy-animalと世界から批判された日本ですが、楽器の値段も、stradivariusのような大変な高価な楽器ではないはずの、弟子のまた弟子の楽器ですら、ウン千万の値段に吊り上げられて、oldの掘り出し物の楽器が、全くなくなってしまったのだそうです。
それで日本でも、本当の良い楽器がなくなって、imitationの楽器が本物として通用するようになって、私達だったら絶対に買わないような楽器が、とても高価な楽器として通用する事になってしまって、困った現状になっているのだそうです。
今回、私が楽器店に行ったのは、斉藤先生の弓の毛替えと、私のviolaの弓の交換するためです。
violaの弓は、気に入った弓が見つかるまでの、暫定的に使用していた弓なのですが、普通のviolaの弓よりも、ちょっと少しだけ高価なので、その値段の弓は、探すのが難しくて、中々交換出来なくていました。
それ以上に、日本では、「violaの高い弓は全く売れない」・・・という事で、お店も、200本ぐらいの高価な弓を持っていたのですが、全く売れないままに、倉庫の肥やしになっていたので、100万以上の赤字で業者相手に処分したばかりだそうです。
という事で、お店の在庫としては、売れる可能性のある安い弓しか置いてなくて、仕方がないので、そのお店が、Proのviola奏者の人に、貸し出している弓を、急遽、返却して貰って、私の弓と交換してくれる事になりました。
Proのviolaの奏者が、誰かは、いつもの通りに言いませんけど、「気に入って、演奏会で弾いている弓ならば、自分で買えよ‼」と言いたいよな‼ 
だから、返却させられるのだよ‼ あたしゃ、助かったけどね❤💕
私の弓の好みは、ちょいと小うるさくて、「柳腰で、吸い付きが良くて、粘りのある軽めの締まりのある細目の弓」です。
「そういう弓で、安いのがあったら教えて・・・❗」と常日頃、言っていたのだけど、中々見つからないようなので、諦めて今回、交換に行った分けです。アハッ❗
・・・・これは、冗談です‼
今時、そんな弓があったら、軽く一千万は越えますぞよ。
あたしゃ、Proのviola奏者ではないので🎵そんな高価な弓は必要はありません。
私には、「柳腰で、吸い付きが良くて、・・・・・・」の、安物の弓で充分なのでね⁉
斉藤先生の弓の毛替えの間、時間があったので、超、珍しく、社長と色々な話が出来て、面白かったのですよ❗
ちなみに、今回、毛替えした斉藤先生の弓は、本当は私の弓で、斉藤先生の弓は私が普段、弾いている弓です。
私のcelloの弓は、牧野先生が弾いているボアランという名作の弓で、私のcelloの弓はありません‼私はスペアーの超安い弓でいつも弾いています。
という事で、いつもオケ練習で弾いているviolaの弓は、値段的には、結構、高価なのですが、買いに行った時に、気に入った弓がなかったので、暫定的に仕方なく持って帰った弓なので、最初から「気に入った弓が出て来たら交換する」という約束をしている弓なのです。
今回の外出の基本は、私が、歩くのが目的だったので、渋谷駅だけではなく、池袋駅も西武線から副都心線までの超遠距離を歩いて、次いでに、オリエンテーリング用の方位磁石をデパートで探したのは良いのだけど、オリエンテーリング用の方位磁石・・・というのが、幾ら店員に説明も分からないのだよな❗
諦めて、自分で探したのだけど、子供のおもちゃに毛の生えた程度のしか、なくて、諦めて帰りました。
今の子供達は方位磁石なんてものは使わないのかな⁉山や海では、携帯は役には立たないのだけどな?
一度ハイツに戻って少し休んでから、更にドルプリっ歩も行きました。
これだけ、歩いたら絶対に安眠出来る・・・と思ったのだけど❗・・・そうは問屋が卸さないのだよな~ぁ⁉
運動不足と、睡眠は関係なかったのだよな~ぁ⁉
超、shock‼

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6月1日SoftBankとのtroubleが未だ延々と ·
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売り込みがあって、※※光と契約すると、月の契約料金が2千円台で済むので、月々の金額が半分程になるので、喜んで契約をしたのだが、「ハイツの光の配管(電話の配管)が錆びてケーブルが通らない!」という事で、工事が中断して、「管理組合に頼んで配管の工事をしろ!」とかで、毎日のように電話が来るのは、仕方がない・・としても、その電話を20分近く待たされて、状況を説明すると、電話を担当の人に回されて、その間10分程待たされて、また、同じ話をして、それから更に10分程、待たされて・・という事があって、延々と待たされて仕事にならないのが、何回か続いたので、とうとう癇癪を起こしてしまった。
・・・とは言っても、オペレーターの女の子を怒鳴り飛ばしたりは、していないで、自分がイライラしただけなのだよ❗
工事業者が「配管の工事をしろ!」・・と言って来ても、「何処を工事すれば良いのかさえ分からない」し、どこにオーダーすれば良いのかさえ分からないのだから、管理組合も困ってしまうし、私としても、面倒くさいので、Softbank光は一応キャンセルする事にして、元のJcomに契約を戻す作業をして・・・と、今日は朝から2時まで、延々とネットの会社に電話で終わってしまった。
私は、こういう雑用が一番嫌いなのだがね??
後はrouterを梱包して送り返せば完全に終わりだが、その前に次のrouterが来ないと、送れないのだ!
まだまだ面倒くさいのが続く・・!
でも、まあ、オペレーターと話さなくても良いので、楽か⁉
コメント
芦塚 陽二
という事を、めんめんと書いていたら、日曜日の午前6時頃に突然、routerの回線を切られてしまって、netが全く繋がらなくなってしまいました。火曜日の午後にJcomがrouterを持って来るので、それまではrouterを切らないように言っていたのですが、またまた部所が違うという事なのだろうけど、結果、今は携帯だけしか、繋がりません。悪しからず


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6月2日 今日は6月2日の日曜日です。·
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昨日は、「今年も半分過ぎた!」と思っていたのだけど、半分は7月1日だったよね??まだまだ、後一月は前半期です。
明日の月曜日は新月になります。月曜日、火曜日と、お月様は見えないのだよね⁉
今日も、今は、まだ5時です。
今日も、いつものように、ハイツに戻って来て、直ぐに寝たのは良いのだけど、2時・・、4時と、小刻みにtoilette-timeに目が覚めて、ついに4時には、ベッドに戻っても、すっかり眠れなくなってしまいました。
寝付けないと、ウダウダとよしなし事が思い浮かんで来て、鬱が段々と酷くなってきます。
このまま、オケ練習に行くと、結構キツいのよね⁉
昨夜は、ドルプリっ歩の最中の時から、すでに鬱になる兆候があったのですが、目が覚める度に、鬱が酷くなって来て、鬱が酷くなった時には、これまでの人生が全て無駄に思えてしまいます。
何もない人生は、それなりに幸せなのですが、人は何もなければ、より多くの幸せを求めて不幸せを招いてしまいます。
より大きな幸せを求める事で、今の幸せさえも犠牲にしてしまうのですよ⁉
人間とは、不思議な生き物なのですよね??
仏教ではそれを「足りるを知れ」という言い方をします。
コメント
芦塚 陽二
朝の6時半ぐらいですが、パソコンでFacebookを書いている最中にSoftBankのnet回線を切られしまい、文章がupload出来なくなってしまいました。
Jcomがrouterを持って来る火曜日のお昼まで、Facebookを始めとして、携帯を除く全てのnetへのuploadや、mailでの会話が出来なくなって、communicationがstopしてしまいます。
私のせいではないので、悪しからず‼
ちょうど、新月で、お月様もお隠れになって、見えないし、だから、netも通じない・・・という事で良いのかな⁉
良い事にしておきましょう❗



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6月4日 ·
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相も変わらず、携帯から写真をuploadしようとすると、グルグル回って写真が送れない!!質問をしても返って来ない。幾つもの写真とmessageが一緒にぐるぐると回っていて、削除も出来ない❗何度かは、出来たのだが、どうしても、その画面に辿り着けない‼

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6月4日摂眠障害が治らない ·
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6月に入ってもう4日になるのに、摂眠障害が治らない・・というか、体調不良が治らない!!
仕方ないのかな??
加齢という事とで諦めるか・・??
それにしても、月曜日、火曜日と、ベッドから起き出しても、昔のように直ぐには、仕事にならないのだよな??



少しでも体調を良くするために(腸内環境を整えるために・・)、ヨーグルトを買って来て飲んでいるのだが、焼け石に水・・て所かな??
ヨーグルトは結構高いので、成分無調整の牛乳と、甜菜オリゴ糖を加えて、飲んだ分のヨーグルトを作っているのだが、いつものように、ヨーグルトを作っていたら、爆発して、絨毯にも散ってしまって、染み込んでしまっていて、後片付けが大変であった!
溢れないように、少しゆとりを持たせるのと、栓をしないように、気をつけてはいたのだが、どうやら、うっかりと、栓をしたらしい。
今日、火曜日はJ-comが工事に来るのだが、朝一で来てくれるのは良いのだが、そのために、pressureで、とうとう昨夜は眠る事が出来なかった。
このまま寝ると、朝の9時前に、J-comが来ても起きれないので、そのまま、起きて部屋の掃除機掛けと洗濯機を回して、練習風景の動画をYou Tubeにuploadした。
約束の時間を指定されると、それがpressureで眠れなくなってしまうのは私の癖で、いつもの事なのだが、それにしても、困った事だよな~あ??
毎週、日曜日のオケ練習の前日の土曜日に眠れないのも、次の日の出発の時間のpressureのせいである事は分かっているのだがね??
起きたばかりの時には、意識が朦朧として、日本食堂の朝食すら、口には入らない。(ご飯一膳と、生卵、納豆、と味付け海苔に味噌汁一杯、梅干し一つ・・てな感じかな?小さな開きが付く事も有る。)
せいぜい私が朝食として食べれるのは、紅茶にパンぐらいが関の山だな。
お昼になって、やっとお茶漬けや冷たい蕎麦ぐらいは食べれるのかな?
・・という事で、前日の夜のお刺身を持って帰って、鯛茶漬けを作る予定だったのだが、白いご飯はハイツで、糖質offのご飯が炊けるので、「自分で炊くように!」と、言われて持って帰らなかったのだが、無洗米では炊けないので、普通の米を研ぐ所からなのだが、その作業が、寝起きで体が動かない時には、とてもかったるいのだよな??



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6月5日6月5日の朝のお話です。 ·
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このところ、体内時計が狂ったままに一日が終わる事が多くて、今日も、眠れぬままに一日中寝込んでいて、一日中雑用を片付けている・・という、一日の始まりも終わりも分からない日々を続けているのだが、今日も、その一日の終わり・・というか、眠れぬままに朝になってしまって、その朝に不思議な夢を見た。
旅行をしている先で、突然、泊まる予定の場所に泊まる事が出来なくなって、仕方なく、知り合いのhotelに行って見たのだが、「予約がない」という事で、にべもなく宿泊を断られて、ロビーのソファーに座ったまま、時間切れで、接客係が帰ってしまい、ロビーに誰も居なくなってしまって、何処へ行くあてもなく、途方にくれていると、従業員の人達が無数に出て来て、大騒ぎをしている。
どうやら、従業員の誰かが居なくなったのか・・、自殺をしたらしいのだが、私には、関係のない事なので、大騒ぎをしている話しの内容が分からない。
ただただ大変な事になっているらしいのだが、私には無縁無関係という事で疎外感に苛まれているという、そこまでの夢である❗
いったい、なんのこっちゃ⁉
夢の意味がよう分からん‼
まあ、そこの所が夢なのだろうけどね⁉
鬱と、たった一人で、何処にいるのかさえ分からないという孤独感と寂寥感に心が溺れて、息苦しくなって、そこで目が覚めてしまった。
なんと、「眠れない、眠れない❗」と思っていたのに、いつの間にか、外は白んでいるのだよな❗
「外は白んでいる❗」・・・というのは、これは夢の中の話しではなくて、現実の話しだよ。
「眠れない」・・と思っていたのだが、なんとなくは、仮眠はしていたのだよな・・⁉
・・だからの「夢現(うつつ)」なのだよな⁉
現実でも、あまりにも息苦しいので、窓を開けて空気を取り込んで見たのだが、ふと、「息苦しいのは、空気が重たいせいでは」・・と、気が付いて、netで練馬区の湿度を調べて見たら、夜の3時でも湿度は83%もあったそうで、現在の、朝の7時から8時でも79%以上もあるらしい。
私は暑さ寒さは結構平気なのだけど、昔から湿度だけは弱いのだよなぁ。
アレルギー性とでもいうのか、湿度で肌が真っ赤に腫れ上がって、ケロイド状態になる事もよくある程なのだから・・・!!
特に、東京の梅雨の時期は、ベタベタ感が強くて、超、苦手なのだよな??
九州の梅雨はもっと優しい。
さらっとしていて、爽やかで、ベタベタ感がないのだが、今現在では、温暖化で、超高温多湿の気候になっているらしいので、今ならば、もう、耐えられないのかも知れない❗
私が長崎に居た頃は、クーラーなんて高価なものはなかった❗
東京の梅雨の時期はベタベタとしていて、しかも寒い❗
クーラーは、除湿を掛けると部屋の温度が下がってしまう。
高性能のクーラーならば、部屋の温度を下げないで、湿度だけ下げるタイプもあるようなのだが、ハイツの部屋のクーラーは、古いタイプのクーラーなので、そんなに高性能ではないので、除湿をすると寒くてかなわない!
・・・・と言う事で、コンビニ・クーラーのお出ましになる。
部屋の湿度を取りながら、排気で逆に部屋を温めてしまうので、結果、温度はそんなには下がらない。
安かろう!悪かろう!が、逆に良い結果を産み出しているのだよな⁉
コロコロで部屋をあちこち移動出来るので、それも便利だ。
それにしても、今日は寒い❗
腰から下が悴んでいる❗
コメント
芦塚 陽二
体調不良を梅雨のせいにしかけて、ふと、気がついたのだが、昨日までは実に爽やかな天気だったのだよな⁉
やっぱり、鬱を天気のせいには出来ないらしいのだよな⁉それは残念!!アハッ❗


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6月6日6月6日の6時を過ぎた所です。 ·
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6月に入って、体内時計が狂い巻くって、体調も思うようには行かず、鬱も酷いし、よく眠れないので、当然、仕事の効率も落ちています。
「どれか、一つだけでも上手く行くと、随分、楽になるのでは・・・・」と、思っているのですが、中々上手くは行かないので、苦労しています。
まあ、散歩だけはサボらないで続けてはいるのですがね・・??
鬱や、体調不良も、基本的には、糖尿病がその根本的な原因で、私の場合には、父方、母方の双方が、当然、糖尿病の家系です。
糖尿病を治す基本は、当然、dietなのでしょうが、私も、これまでに、今回と同じ体重までは、落とした事が、3回も、あります。しかし、3回共、この壁を乗り越える事に失敗していて、reboundして、挫折しています。
今回も、昨年の暮れから、半年以上も延々と、同じ体重の付近を上下するだけで、1㌘さえも、この壁から越える事は出来ないので、悩んでいるのですよ‼
今回は、3年前のdietの時とは違って、立て続けに大病をして入院、手術をしたので、先生達に手伝って貰って、超、食事制限の糖質制限dietをしています。
食事の献立を野菜系にして、肉は・・等々の料理を作る側にとっては中々難しいdietです。
しかし、やっぱり、同じ体重まで痩せると、ピタッと止まってしまいます。
丁度、1年前の7月から、病院を変えました。
それまでは循環器の専門の先生の所で糖尿の薬も処方して貰っていたのですが、循環器内科はやめて、糖尿の専門の外来に行く事にしました。
最後のdietの時の話しですが、郷里の母親の家の整理や処分ですっかりと体調を崩したので、それを契機に一年がかりで、体重を落としたのですが、血糖値の値がどうしても下がらず、血圧やその他の薬を変えたのですが、それで体重がすっかりとreboundしてしまって、それを再三に渡って、先生に言っていたのですが、気に掛けて貰えなくって、すっかりreboundして、元の体重に戻ってしまったからです。
今かかっている主治医は、練馬区では結構有名な、糖尿病に関する著書が何冊もある権威のある先生なのですが、困った事に、adviceとしては、「痩せろ!」としか言っては貰えません。つまり、「どうすれば痩せるか?」という問いには、答えて貰う事はなく、相も変わらず、「食わなきゃ痩せる」の20年、30年前から、一歩も進歩してはいないのですよ。
・・という事で、最新のベストセラーのdietの本や、糖尿病の本を、牧野先生に買い込んで来て貰っているのですが、超、困った事に、それぞれの本が、全く相手のdiet法を否定して、「自分のやり方だけが正解で正しい!!」・・と豪語する事なのです。
糖尿病とdietブームなのでしょうか、テレビでも最新の方法論を毎日のように放送していて、全く何が正しくて何が誤っているのか・・ちんぷんかんぷんな状態です。食べて良いものや、食べたら毒になるもの、が毎日変わってしまうのですよ。朝、ダメだと言われて注意していた事が夜は、それが最良だと変わる事すら、しょっちゅう、あるのですよ。
肥満に対するadviceは、食事制限と運動なのでしょうが、運動は私の場合には心臓のbypass手術以降は、止められています。bypass手術の後で、先生に運動をするように言われて、ジーグとカノンの散歩に付き合って体調を崩して、ひとつき寝込んでしまいました。先生の言う通りに、普通に運動したつもりだったのですが、怒られてしまいました。
つまり、日常で出来る軽い運動しか、やってはいけないのだったのですよ。
コメント
芦塚 陽二
それにしても、昨日とはうって変わった絶好の洗濯日和だよな⁉湿度もなく、超良い天気だ❗
しかし、この気候の激変に体がついて行かないのだよなぁ⁉
まあ、洗濯でもするか⁉
洗濯器で2度洗い、3度洗いになっているものもあるし、・・・な😜


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6月6日深夜におばあちゃんの声が ·
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どうしても、眠れないので、諦めて「仕事modeに切り替えるか??」と、寝室を出ようとしたら、「**~??」と、お婆ちゃんの声が聴こえた!!
「これは幻聴か??」・・それとも、独居老人の孤独で、「とうとう認知症になったのかな??」と言う事で、寝室に戻って、doorの所まで歩いて行って、音の場所を確かめたら、doorの縁の所で、畳がキシキシとして、丁度、お婆ちゃんの声のようなキシミ音がした。
「幻聴の原因はこれか??」と安心した。
つい、先日も、玄関のdoorのキ~キ~音がまるで、あばら家の戸のように、酷かったので、「近所迷惑だよな?」と言う事で、CRC556 で音止めをした。
畳からの音は、近所迷惑にはならない・・とは思うのだが、あまり、良い気分ではないので、キシミ止めのsprayでもするか??
勿論、CRCではなくって、家具用の家具を滑らせるためのsprayなのだけどね??
それはそうと、昨夜は斉藤先生の誕生日だったので、夕食は誕生日の打ち上げを兼ねて、飲みに椎名町の駅周りまで、出掛けました。








・・と言う事で、今日用のお弁当の持ち帰りは無いので、帰りにスーパーに寄って、アサリを買って帰りました。
なんとなくアサリの酒蒸しが食べたかったからで、根拠はありません。
普段とは違って、レンジでチンの(私のレシピではない、)netのレシピで作って見ました。
たまには違った味で作って見たかったのだけど、お酒の他に、みりんやニンニク、生姜に醤油まで入れるので、「エ~ッ??」とは思ったのだけど、「たまには私以外の味も良いのかな?」と思って作って見たけれど、「やっぱ、俺の味じゃあ、無いわサな~ぁ??」無理矢理に作った味で、アサリ本来の味がしないし、アサリのスープでお澄ましを作ったり、雑炊を作ったり・・という事が出来なくなっているのだよ!スープの色はお醤油で黒くなっているしね~ぇ??
超、勿体ないよな~ぁ??
私の場合は、超simpleでお酒だけの味付けで、お酒はアサリをふっくらさせるだけで、味には関係ないし、スーパーに売ってあればカニを入れて味を出すぐらいなので、そのまま雑炊やお吸い物が作れるのだよ!(最後のタッパーの写真)
勿論、スープの色は白濁しているけれど、それがアサリ本来のスープの色だよな??
今の人達には、私のお酒だけの味は、薄味過ぎて、美味しくないのかな??
でも、教室の子供達は、結構、教室の薄味の料理は好きで、薄味の料理も「美味しい!」と言ってくれるのだけどね~ぇ??
コメント
芦塚 陽二
書いた文章がまたまた、全部ぶっ飛んでとんでもない事になっていたので、編集履歴から最後の一つ前の文章をコピペして、それから最後の文章の手直しの部分をコピーしました。ああ、超、面倒くさい!!これで、なんとか元の文章に戻ったのかな??・・かな??・・・かな???


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6月8日写真のuploadが ·
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以前は、携帯で撮影した映像を、そのまま直接、携帯のfacebookや、lineにuploadしていたのですが、それが、たった一つの写真でさえも、直接は、uploadする事が出来なくなってしまいました。
それで、一度、写真のdataをパソコンに持って行ってから、Facebookやlineにuploadをしていたのですが、それはとっても面土くさくって、なんとか、携帯の写真を、直接Facebookやlineにupload出来ないのかを、携帯の設定を色々と変えて、試みて見たのですが、何をどう、変更しても上手く行きませんでした。
以前は、駅のすぐそばに、auのshopがあって、色々と携帯の不具合の相談に乗って貰う事が出来たのですが、とっても混雑しているお店だったのですが、経営の合理化なのか、お店がなくなってしまいました。
という事で、仕方なく、netで、質問を掲載して、かたっぱしから試して見て、少しは携帯の動作が改善したので、そのテスト用の写真のuploadの写真です。

   





写真は、椎名町の家の前の駐車場周りに、勝手に自生してくるドクダミで、毎年、何度も、根っ子から引っこ抜いても、次の年には必ずこのような状態になります。曼珠沙華のような美しい花は、間違えて切ってしまうと二度と咲いてくれないのに、ドクダミは、兎に角強い!!
20年、30年前ぐらいまでは、ドクダミやスギナを干してお茶を作っていたのですが、昔、ドクダミ・アレルギーの生徒がいたので、作らなくなってしまったのですが、それ以来、この20年以上、一度も作っていません。


作らなくなってしまったら、もう一度作り始めるのはかったるいのでね??
テストの結果は、やっぱり、Galleryからは、lineやFacebookには写真が送れなかったので、逆にlineを開いて、lineから写真を取り込んだら、上手く取り込めました。
それにしても、いずれにしても超面倒くさいので、現実的ではありません。
写真の端しっ子に写っている有田焼きの火鉢は、お茶で母が使っていたものですが、(茶室には、囲炉裏があるのに、何故・・・?)私はお茶はしないので、何に使っていたのかは、分かりません。
東京に、わざわざと持って帰って来たのですが、それにしても、火鉢を置くスペースもないので、椎名町の玄関で金魚の水鉢になっています。


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6月8日ブラインドが壊れて ·
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6月も、とうとう最初の1週間が終わってしまいました。
後、3週間で今年も半年が終わる・・という事です。
いつもならば、摂眠障害で悩んでいるのですが、今週は、一日中起きれなくて、ウダウダと惰眠に蝕まれていて、仕事にならない1週間でした。
朝は窓のブラインドを開いて、朝の光りを浴びるように気を付けてはいるのですが、体内時計のリセットには、なんの効果も見られないようです。
眠れないのも辛いのですが、起きれないのも結構辛いのですよ。
特に、仕事が捗らないのは、結構、痛い❗
それはそうと、随分前にブラインドを注文を出したのに、まだ着きません‼
江古田ハイツの窓のブラインドは、まだ壊れたままのブラインドで、窓を全開に開ける事が出来ません。
早く着いて欲しいのだけど・・・⁉



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6月8日水のお話 ·
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今日、土曜日の今現在は朝の10時ですが、練馬の気温は20℃、湿度80%の鬱陶しい天気です。
湿度80%は、私にとっては体に湿疹が出来る湿度で、除湿機を入れなければならない気温なのですが、まだまだ、ベッドの上で鬱っています。
湿度が高いと、鼻詰まりが酷くなって、寝ていても、呼吸が出来なくなってしまい、疲労感が取れず、なにか動く事もままならなくなってしまいます。
寝ていると、息が出来なくなって、ベッドから飛び起きる事がよくあるので、私が一番嫌な事は、「海で溺れる事」かも知れません。
尤も、私は「潜り」は得意で、素潜りで10㍍ぐらいは潜れました。(高校生、大学生の時代の話ですがね??)素潜りで、一番危険な事は、海の中では、超冷えた水の固まりがある事です。うっかりと、その中に入ってしまうと、心臓麻痺になったりします。
ドイツに留学したばかりの頃、よく湖で游いでいたのですが、すぐ傍で游いでいた若者が、ボートが横を通って、水を掻き回してしまったので、心臓麻痺で、死んでしまいました。
湖は、水が動かないので、人が泳げる温度は水面から30㌢くらいまでしかありません。
海でも、全く流れない所は結構危険なのです。
海で潜りをする子供達は、下着を着て、ズボンを着たまま潜ります。下着一枚でも、冷たい水が直接体に触れないから、心臓麻痺の予防にはなります。
私の子供の頃の時代には、学校にはプールはまだなく、学校で水泳を学んだ分けではないので、私の泳ぎ方は、正式な泳ぎ方ではなく、近所の海で、漁をしながら覚えた泳ぎです。
ですから、クロールのようなかっこいい泳ぎは私は出来ません。
兄弟縁者達は、毎週ホテルで泳ぐ事を日課としていたようですが、私はセレブでは無かったので、私が泳ぐと言ったら、海や川で魚か貝を調達して来て、晩の食事に当てる事でしたからね??
私の鼻詰まりは、中学生の頃からで、大学病院や原爆病院で、何度も診察を受けているのですが、点鼻薬を貰うぐらいの処方しかして貰えなかったので、今は市販の点鼻薬を買って間に合わせています。
寝ていても、息苦しいので、気は心で、医療とは関係はありませんが、stick状の水素発生器を買って来て、ペットボトルに浄水を3/4程度入れて、ボトルの中の空気を完全に抜き切るまでボトルを潰して、栓をして、冷蔵庫に1,2週間入れて置くと、水素水が出来上がります。
水素水はスーパーやドラッグストアで買うと結構高いので、自分で作ると安くて良いです。
それを息苦しい時には、お茶の代わりに飲んで見ると、結構、呼吸が楽になります。
全くの根拠はありませんが、「**の**も、**から」という諺もあるようだしね~??
(※※は、結構色々な言葉が当て嵌まって、どれでも良いようだったので、敢えて、伏せ字にしました。洒落です。洒落‼)

コメント
芦塚 陽二
天気予報では、大雨になる・・・と言っていたのにもかかわらず、どんよりとした鬱陶しい雲のままに、寒い・・だけど、湿度の高いままに、一日が終わりました。梨紗も今日はコンサートと教育実習を一日でこなす毎日がやっと終わって、季節の変わり目からなのか、珍しく(・・もないか?)体調不良を訴えていたので、「季節について行かないのは、私だけではないのかな?」と、少しホッとしました。
体調不良も季節のせいに出きれば、気分も楽になるからね⁉
それはそうと、深夜になって(夜の3時過ぎになって・・)、大雨になってきました。明日のオケ練習が・・・???


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6月9日 暖房が入った·
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6月の9日、朝の9時半です。

定型の千葉教室へのオケ練習に出掛けるための準備をしている所です。
昨夜の大雨はなんとか収まったようなのですが、相変わらずのどんよりとした天気で、それにしても、湿度が高いので、部屋のクーラーを「おまかせ」で入れたら、なんと暖房が入ってしまいました。

慌てて、練馬区の気温を調べると、なんと、最低気温が16℃です。
びっくりして「おまかせ」から「除湿」に切り替えました。


体調はこの天気のようにどんよりとして鬱が起きる寸前の感じです。
この十日間、体調管理が上手く行っていなくって、今日の練習は、最後まで体力が持つか心配です。


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6月9日霧雨の中をポンチョも着ないで ·
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6月9日のオケ練習後の椎名町からの帰りは霧雨が降っていたのですが、着替えるのが、面土くさかったので、そのままの格好でバイクで帰ったのですが、実際にはポンチョかレインコートを着なければ、無理な霧雨でした。
走っている間に、下着にまですっかりと雨が浸透して、びしょびしょになってしまいました。
超、寒くて、バイクを運転する手が悴んでしまった事に、すっかり驚いてしまいました。
これまでの暑さは何だったのだろうか⁉
その温度差に驚かされるばかりです。
部屋に、やっとこさっとこ、なんとか辿り着いて、練馬区の気温を調べて見ると、気温は16℃で、湿度は94%だそうな??
ほぼ、100%だなゃ⁉
ベッドや畳が湿気を吸って、じめじめしてくる湿度です。
部屋に入って一番に、コンビニ・除湿機のスイッチを入れました。寝る準備をしている間に、ベッドを乾燥させるためです。
それにしても、今日は一日中、湿度との戦いであったような気がします。
朝、起きて、体調不良のままで、体が良くなっていない事と、鬱が起こりそうなので、予定よりも一時間早い時間で行動を開始しました。
体調不良や鬱が酷い時には、無意識に時間が飛んで、予定時間を過ぎてしまう事がよくあるからです。
歳を取ってからは、一生懸命動いていても、体が全く動かない・・・という事がよくあるからです。
でも、高速は空いていたので、予定通りに一時間早く千葉の教室に到着したので、時間を潰しがてら、近所の行き付けの蕎麦屋に行ったのですが、相変わらず行列が出来ていて、諦めて花園教室に帰りました。
今の所、蕎麦屋で食べる勝率は2割って所かな⁉
花園教室から検見川教室に移動して、オケ練習を開始したのですが、前回のオケ練習の時、同様に、私一人だけ汗をかいていて、頭がくらくらするので、熱中症のような感じです。
soloをしている子供だけが、私と同様に「暑い❗暑い‼」と、言いますが、他の生徒達や先生達も「寒い❗」を連発しているので困ってしまいます。
クーラーを、除湿にしても「寒い!」と言うので、とうとう暖房にしてしまいました。(6月だよ‼)
まじ、この時期は空調のcontrolが上手く行かなくて、困ってしまいます。
オケ練習の最中の、私の体調管理も上手く行かなかったので、諦めて、オケ練習は予定よりも、30分早く終わらせました。
しかし、だからといっても、私達が早く東京に帰えれる分けではありません。
子供達のお迎えの時間は、決まっていて、それは変わらないので (・・・練習の時間変更が決まってからは、保護者の人達に急いで連絡しても、お迎えに来る時間までには、間に合わない・・からです。)、練習の最後のprogramである、室内楽の「死と乙女」は、逆に、お迎えの時間までたっぷりと、練習時間を延長して練習をしました。良かったよね⁉
その間、私は、前回同様に、椅子に座ったままで、意識薄濁混濁朦朧状態になっていましたが、椅子に座った状態だったので、体中が痛んで大変でした。
頑張って、車を運転して、東京に帰って、食事が終わるまでは、なんとか頑張ったのですが、流石に、ドルプリっ歩に行くのは、「体力の限界」という事で、パスをしたのだけど、プリやドル達は、「何故、一緒に行かないの⁉」と言う怪訝そうな顔をして見つめていたので、その視線が、結構、痛かった❗・・・のですよ⁉
先週は、今回と同じ、日曜日の超、hardなroutineでも、散歩には、付き合ったからね⁉




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6月10日音楽は感性であり、才能である???
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「音楽は感性であり、才能である」・・という把握が一般的であろう。
しかし、そういった考え方が、音楽の勉強と進歩発展を阻害している事は、誰も気づかない。
まあ、こういった感覚的な学びの方法論は、日本のtraditionalな傾向であり、それが世界、所謂、global-standardに立ち遅れている原因にもなっている根本的な原因にもなっているのだから・・・。
或る時に、音楽家の人から、「人間はどれくらいの音符まで判別可能なのですか?」という類の質問を受けた。
何分の1秒の音符を聴き取る事が出来る・・という質問に答える事は、正しくは無い。
それは、聴音で、訓練された学生と、一般的な音楽だけを学んで来た人達では、その能力は雲泥の差があるからなのだよ。
つまり、判別をする対象になる人を「pro」と定義するのか、「amateur」と定義するか?で、全く違った答えが返って来るからである。
この質問に一般的な回答をするのは、簡単である。
それはMetronomに拠る、tempoの定義で、一般化、普遍化する事が出来るからなのだ。
Metronom=60とは、1分間に60個のbeatを打つ分けなので、言い換えると、1秒間に1個のbeatを打つ。
Metronomで脈を計る事も出来るのだよ!アハッ!
音楽初心者の教材であるBeyer教則本の卒業課題では、16分音符が4分音符=120程度で弾かれるように指定されている。
Metronom=120とは、1/2なので、16分音符が演奏の単位ならば、その速度は8分の1秒・・、つまり、1秒間に16分音符が8個入る事になるのだよ。
Beyer教則本の86番からの課題は指回しの課題である。或る程度の速度で演奏出来るようにしておかなければ、次のBurgmüllerやCzernyの課題に進む事が出来なくなってしまう。100番代では、120が無理でも100のtempoでは、弾けるようにしておかないと、次のstepには進めないのだよ。
Beyer教則本の次の教材であるCzerny30番の教則本では、36分音符が出て来る。
単純に計算すると、1秒間に36個の音のcontrolをしなければならない。
でも、これでも、「音楽をお稽古事として学んでいる子供達」の課題に過ぎない。
同じ小学生、中学生であったとしても、音楽を専科として学んでいる子供達の水準は、とても比べられるものでは無い。
私が音楽の初歩の子供達にPianoを指導する時には、子供達の負担を軽くするために、Czerny30番を2回lectureする。
一回目は、ミス無く、安定して弾ける所までが課題である。
二回目では、Czerny30番で教則本に指定されているMetronomのtempoで演奏をさせる。勿論、2回目なので、暗譜は出来ているし、ミスも無く弾ける分けなので、課題はtempoだけなので、難しくは無い。
Czernyの指定したMetronom-tempoで演奏が出来るようになれば、40番や50番の課題は必要ない。いきなり、Lisztやchopin、Rakhmaninovの曲に飛ぶ事が出来る。
Czerny40番や50番は課題自体は同じであり、曲の長さが長いだけなのだから・・・である。
と言う事で、もしproを豪語するのならば、1000分の1秒の音ですら、問題なく聴き分ける能力がなければならないのは自明の理である。
人間の能力は素晴らしいものがある。
開発された能力を見ると、奇跡としか見えないのかも知れないが、そうなると、世界は奇跡に満ちているのだよ。
ほんと、どれ一つを採っても奇跡だよな??
でも、努力がなければ、奇跡は存在しないのだよ。
努力の無い所に存在するものは、奇跡に見える・・偶然なのだよな?
「奇跡と偶然はどう違うのか??」って??
そりゃあ、当たり前の事だよ!!
偶然は一度しか起きないけれど、奇跡は、何度も繰り返し、起こす事が出来るのだよ!!
コメント
芦塚 陽二
またまた、パソコンで、文章が入力出来なくなってしまいました。windows10を閉じて、windows7を開いて入力をし直しています。
文章を入力する度に、下に空白の段が出来るので、超、面倒くさいのだけど、まあ、入力出来るだけでもマシか??


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6月10日VivaldiのConcertoの和声のtrick ·
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昨夜は、SDcardをハイツに持ち帰りするのを忘れたので、昨日のオケ練習の動画を作る事が出来ず、今日は朝から延々とウダウダと雨の中をSDcardを取りに椎名町まで行くのを、悩んでいたのですが、翌々考えて見ると、普段でも、月曜日、火曜日は寝込んでいて、いつも仕事にならないので、今日は潔よく、SDcardを取りに行く事は諦める事にして、代わりに昨日のオケ練習で説明した、vivaldiの超!大胆な和声法を五線譜(大譜表=Piano譜)に書き直す作業を先にする事にして、お茶を濁す事にしました❗
Vivaldi Cello-concerto in Sol Maggiore RV415(F.ⅢNo.22)Ⅰ楽章(4小節目から8小節目の頭まで・・と、27小節目から31小節目まで)
1段目と3段目の所謂、violaを省いた形では、とても美しいbaroque風の均整の取れた響きがします。
1段目と2段めのviolaを加えた形は基本的に同じharmonyです。
当然、通常ならば、ritornello形式なので、4小節目からのpassageと、27小節目からのpassageは、全く同じpassageであるはずなのですが、(3段目のviolaを省いた形では、そのようにbaroque風に単純に繰り返されています。)
しかし、Vivaldiは、27小節目から31小節目までの繰り返しのpassageの和声法では、violaのpartを新たに、新しい7度harmonyの要素を加えた現代風の和声法を使用しています。
そこでは、当然、とんでもない現代的な響きがします。
どうして現代的な響きがするのか、分かり易いように、5段目にviolaのpartを上のpartに、一緒に書き込んだ簡略譜を作って、使用されている和声が分かり易いように書き直して起きました。
それぞれのレイヤーの音符の動きが、色音符になると、もっと分かり易くなると思うのですが、色音符はfinaleでは出来ないのかな??
上2声部の典型的なbaroque風の繋留音のSequenzに対して、Baßは3度下がって2度上がる・・というSequenzです。更にそれらに対してviolaは5度下がって4度上がるという典型的な5度サークル(quint-Zyklus)のSequenz進行をしています。
そのbaroque的なone-patternの和声進行が、とんでもない現代的な響きを作っている所が、流石は「viva!! Vivaldi!!」です。
(和声の勉強をしている人達へのadviceです。)
非和声音を含めると和声が成り立たないので、和声を考える時には、非和声音を省いて和音を見ると良いのです。
3段目のviolaを省いた簡略化された譜面を見ると、良く分かりますが、単純な3度の中に、繋留された音が紛れ込んで、ミ、ファ、ソと隣り合った音が同時に鳴ってとんでもない響きがします。
それが次の和音で3和音に解決をすると、突然、前の和音の緊張感が崩れてしまいます。
つまり、3段目の譜面は、緊張感の持続という事では、実際には、正しい回答にはならないのです。
Hindemithの現代harmony法では、和音の緊張感を持続させる事が基本とされます。
300年近い昔に作曲された、このVivaldiの和声法でも、Hindemithのharmonyと同様に、非和声音に拠る強い響きの後に、7度のharmonyを持って来る事に拠って和音の緊張感という比重を均等にするように配慮しています。
つまり、3和音なのに、非和声音で鋭い響きがするようになった和音のpassageを、次に、7度の和音を持って来る事に拠って、3度の和音と和音同士の比重が同じになるように計算されているのです。
分かり易いように5段目に和音進行を書き直しておいたので、良く見てください。
Vivaldiの単純だけど、非常に優れた和声法を見てとる事が出来ます。
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6月10日interpretationのお話
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教室を作るず(づ)~と前の昔々の話しになるのだが、その頃、小さな子供の頃から芸大の先生に師事していた女の子で、私の所には楽典や音楽理論を学びに来ていた生徒なのだが、彼女のたっての頼みで、BeethovenのSonateの下見をする事になって、lecture-lessonをしていたのだが、その生徒が或る時に、息を弾ませて私の所にやって来て、「先生と全く同じinterpretationのpianistを見つけました。」と言って、recordを持って来た! (何と、当時は未だrecordの時代だったのだよ!)
二人でrecordを聴きながら、「次の小節はPianoにして!」とか、「次はfeintを掛けて!」とか言いながら、そのようにその演奏家が弾いているのを聴いて、二人して、ケタケタと笑っていたのだよ!!
しかも、その演奏家は、「情緒的・感情的に演奏する」・・という事で、悪評のあるArtur Schnabelという名演奏家なのだ。Schnabel版という彼の校訂した版があるくらいの、Beethoven弾きとして有名な演奏家である。
「笑った!」というのは、その悪評の「情緒的、感情的な演奏」が、私のinterpretationと全く同じで、まるで私のlessonを、copyをしたように、解釈が一緒だった・・と言う事なのだが、視点を変えて解釈すると、・・「それが同一の解釈になる」・・と言う事は、Schnabelの演奏が、一般の人達(この場合の一般の人達というのは、海外の音楽界の著名な評論家を含めて・・という話なのだが・・)が言うように、「Schnabelの演奏は、感情的で、情緒的で刹那的な演奏である」とすると、よその国の歳も違う私の解釈と全く同じになる分けはないのだよ。
つまり、・・・だから、実際には、Schnabelは、「あたかも、情緒的で感情的なように表現して、演奏しているのに過ぎない」のであって、曲に対しての解釈自体は、論理的で、理性的、理知的な分析に拠る、演奏表現・情緒的な表現にである・・と言う事なのだよ。
※)舞台での演奏表現については、別項目で述べる事にする。
Artur Schnabelに関しては、今、現在でも、情緒過多の表現をする感情型の演奏家として、把握され、理解されていて、頗る論理性に欠けた、情緒的・感情的な演奏家とされているのが、日本だけではなく、海外でも今でも一般通念である。
私がBeethovenのSonateを作曲家としての立場から、論理的に分析し、そのBeethovenの作曲技法から、このSonateはかくように弾くべきである・・と主張する演奏法の解釈と、Schnabelの解釈がcopyをしたように、同じである・・と言う事は、Schnabelが決して、情緒的・感情的な表現に溺れる演奏家でない事は、自明の理なのだが、相も変わらず、未だに、Schnabelがそういう評価を受けている事は、私に取っては、理解不能である。
何度も繰り返しになるのだけど、感情過多の表現が、他の人のinterpretationと共通の認識になる事は有りえ無い事だからである。
そのお話を何度も繰り返した意味は、古楽の研究をするようになって、こんにちに至って、非常に優れた古楽器奏者が出て来るようになって、喜ばしい反面、非常に困る事があるからなのだよ。
それは、You Tube等で聴く優れた古楽奏者の演奏が、私のinterpretationと全く同じ解釈・・という演奏を多く見受ける・・と言う事なのだ。
古楽の演奏の世界は、1990年頃からの、未だ、未発達の若い分野なのだが、古楽器の研究者は、未だにtraditionalではなく、時代の最先端の研究家であり、そのために、古楽器の演奏家は、同時に古楽の音楽の優れた理論家である場合が多いからなのだ。
それは、古楽器の演奏自体がtraditionalではなく、未だに最先端の研究に属しているからなのである。
つまり、古楽器奏者が、情緒的・感情的に演奏しようとも、古楽器の演奏法自体が、論理的なinterpretationに拠って、導き出されたものであるから、当然、どのように、情緒的・感情的な解釈を加えたとしても、根本的な基礎の部分では、理論的に導かれた上での音楽的な解釈である分けなので、一見すると情緒的な演奏に見える演奏であったとしても、interpretation自体は、古楽器を研究する我々と共通の認識になる事の方が多いのだよ。
つまり、古楽器奏者の音楽の解釈の場合には、その奏者の個性や情緒に拠るものではなく、論理性に拠るからなのだ。
Vivaldiを生徒達に指導していて、模範演奏を探していると、時折、困ったぐらいに同じ演奏をして来る団体を見る事が出来る。
しかし、未だ有り難い事に、非常に優れた演奏団体であったとしても、曲のinterpretationは、包括的には確立されてはおらず、未だに、一曲毎のinterpretationであるので、同じ演奏団体であったとしても、一律に曲のinterpretationの水準がキープされている分けではないので、「Vivaldiの演奏、解釈ならば、**の演奏団体がbest-choiceである」・・と言う風に、演奏団体が特定される事は、未だにないので、教室の生徒達の演奏の価値も未だにあるには有るのだが・・??
しかし、それが一般的になって、独自性や、価値が無くなってしまったら、私のinterpretationの必要性は、全くなくなってしまったりして・・・アハッ
それも、困ってしまうよな~?
コメント
芦塚 陽二
今回の「秋の発表会」の演奏では、子供達は、Vivaldiのe moll(Il favorito)や、Vivaldiの四季の「秋」の演奏では、紗來ちゃんが、soloのViolinを即興風に演奏をする事に挑戦する。
「秋」の場合には、basso continuoのCelloとCembaloも、一緒にtempoを揺らすのでensembleとしてのgroupとしての練習が必要なのだが、美音ちゃんのVivaldiのViolin-concertoの「Il favorito」の2楽章の場合には、ostinatoの「ViolinⅠとⅡとviola」のsoliが、tempoを揺らす事無く淡々と4beatで演奏する中での、即興風のつぶやきのようなtempoの揺らしを演奏して行くので、その演奏は非常に難しい。soloが適当にmelodieを揺らして演奏して行って、Violinとviolaがそれに併せて伴奏する・・という分けではないからだ。
ostinatoは、tempoをgiusto(正確)に演奏しなければならないからである。
また、Stamitzのviola-concertoでは、瑞希ちゃんが初めてのeingang(episode)の即興に挑戦する。
教室として、いや私が出した課題ではなく、本人が、「自分でepisodeを作りたい」との希望だからである。(kadenzではなく、eingangだよ!!)
綾乃ちゃんのKontrabassのconcertoもscordaturaで、tuningをしていたら、智子先輩が「え~っ、scordaturaなの??」って、目を丸くしていたよ。soloの譜面の音符と実際に出て来る音が一致しないからだよな??
いずれにせよ、皆さん、難しい事に挑戦なのだよな??
羨ましい限りである。
私も子供時代にそういう風に学びたかったのだが・・ね???
私の子供時代には、私をそういう風に指導してくれる先生である私がいなかったのだよ!!


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6月11日レインスーツ ·
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10日の月曜日の夜であるが、土砂降りの雨の中を椎名町にバイクで行くために、玄関を開けて、雨の降り具合と気温のcheckをしたのだが、超、寒い事!寒い事!!
慌てて、夏用の薄手のレインスーツから、折角、仕舞い込んでいた合いの厚手のレインスーツを引っ張り出して来て、着て出掛けたのだが、首が隠れないので、超寒いのと、防水の手袋がただのビニールの手袋なので、雨で冷たくて困った。
毛糸の首巻きはバイクの座席の中に常備しているのだが、雨が強く降っているので、バイクを止めて、シートを開けて首巻きを取り出すだけの勇気がなくって、それよりも一気に・・という事で、凍えながら椎名町までバイクを走らせた。
帰りも似たようなものではあったのだけど、首は毛糸の首巻きをしたし、濡れたレインスーツは先生が洗濯機で衣服乾燥してくれていたので、暖かくって結構助かった!!
雨も、途中から、霧雨になって来たので、行きとは違って、大分、楽であった。
しかし、気温は、ハイツに着いて、netで確認してみると、なんと練馬区の温度は15℃だそうだよ!!
東京では4月中旬の気候に該当するそうな??

今は、6月も中旬に入ったのだから、気候が2ヶ月も逆戻りした感じなのだよ??
これじゃあ、体調不良になるのも当たり前だよな??



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6月12日パソコンの調子が·
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今日は朝から、(というか、昨夜からの事なのだが、)段々と、鬱が酷くなって行くようなので、パソコンの作業を頑張ってやって気分を紛らわしています。
(windows10では、文字を入力する事が全く出来ず、Facebookに入力が出来ないので、今は7で書いています。携帯も余り調子が良くないので・・・??)
外の天気のように、部屋の中も、どんよりとして、パソコンの作業をしていると、段々と息苦しくなって来て、呼吸する事が難しくなって来たので、部屋の窓を開けて、玄関の扉を全開にして、部屋の空気を入れ替えています。
風も強いので、部屋の空気は一瞬で替わったのだけど、湿度が高いので、鼻詰まりが取れないので、息苦しさはあまり、変わりません。
鬱の対策を兼ねて、子供達のorchestraの弾けない箇所の、抜き出し練習と、練習法の色々なvariationの譜面をfinaleで作成して、前回の練習風景のvideoにfinaleの譜面やcheck・point等のlectureの譜面を今日一日中、作っていたのですが、もう少しで、後、もう1曲終わるかな??・・という段階に差し掛かった所で、「こんなに、丁寧にlectureをしていても、子供達にはその価値は分からない・・のだよな?~というか、子供達自身がそれを望んでもいないのだよな~??」と、ふと虚しくなってしまって、鬱に取り憑かれて、今日、1日の作業が、全く無駄な一日であって、私の人生そのものを、無駄にしたような気分になってしまいました。
気力が萎えてしまったら、次いでに、体が硬直して、全く動かなくなってしまいました。
仕方がないので、風呂に入って体を温めて、体をほぐしてから、「少しでもベッドに入って、休もうかな??」と思っている所です。
いや~あ、これは、鬱が超、酷いのだよな??
コメント
芦塚 陽二
喉が乾いて、幾らお茶を飲んでも、乾きが止まらないのだけど、糖尿病が悪化しているのかな??「乾き」を止める方法を色々と考えて試みているのだけど、胃に来て、ろくな事はないので、困っていたのだが、ふと、思いついて、梅湯を飲む事にしたのだが、超、酸っぱい昔ながらの梅干しを開けて、もう古い梅が無くなっている事に気が付いた。これでは胃に優しい梅湯は無理だよな~あ??困った事だ!!
· 返信する · 1年前
石川 ちすみ
それはお辛いですね・・。OS1などの経口補水液はどうでしょうか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
以前は冷蔵庫に常備していたのですが、まだ梅雨の時期なので、買っていません。すぐ近くのドラッグストアには、売ってはいるのですがねぇ⁉


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6月13日「高齢ドライバーの急加速・急発進による事故」 ·
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急発進、急加速を自動的に抑制する装置を付けた車のみを高齢者が運転するようにとの、公的な見解は、ある程度は理解出来る。
ただ、運転をしていると、急加速、急発進でなければ、安全運転(危機回避)が出来ない状況は、そんなに珍しい事ではない。
例えば側線から高速道路に進入する場合には、高速の車の流れに合わせて、急加速して高速に進入しなければならないのだが、極々、稀に、それが怖くて、じわ~と入って来る車がいて、非常に危険な思いがする事がある。
しかし、・・・という事は、これからは高齢ドライバーの車は高速道路に入る場合には、かなり危険な思いをする事になる・・という事だよな??
車のbackの自動停止装置もそうだが、椎名町の駐車場に車を入れるためには、車と塀の間が結構、㌢単位のギリギリにしないと、車が駐車場には入れ無いのだよ。だから、勝手にbackで車が止まるという事は、狭い駐車場では車は入れられない・・という事だよな??
車をbackさせる時に、体を捻じって後方確認をする・・というのも、非常に危険な事だよ。pedalの踏み間違いだけではなく、体を捻じる事によって、車の反対側の確認が全く出来ないからだ!!私の場合には、体を正面にして、左右のミラーと、真ん中のミラーで確認をしながらbackをするので、体の捻じれは起こらないので、当然踏み間違いもない。ましてや、新しい車には、video-cameraがsetされていて、夜でも、視界が非常に良好で、肉眼で確認をするのとは、雲泥の差がある。しかし、そんな事を教習所でやったら、点を貰えないので、その時だけは、教科書通りに、体を捻って「危ないな~ぁ??」と思いながらやっている。間違えた不合理なルールであっても、それが教習所のルールならば、致し方は無いのだよ。教習所の先生達が、規則を決める分けでは無いからね?? アハッ!
今回、教習所で注意された事は、backの車庫入れの時に、accelは踏まないで、離したままでbackするように注意されたのだが、実際の椎名町の駐車場は道路と駐車場に段差が1,2㌢あって、この段差でpedalを離したままでは乗り越えられないのだよ!!だから、最初に話をした、右足でaccel・pedalを踏んで、左足でBrake・pedalに足を乗せて置く必要があるのだよ。瞬間に、accel・pedalからBrake・pedalに右足を移動させるのは、結構至難の業なのだよな???
小池さん、あんた、車運転出来るのかな??
それ以前に、私が数年前に、Facebookに書いた事があるのだが、この50年間運転して来た車から、今回新車を購入した時に驚いた事が2つある。
その一つは、左足でBrake・pedalを操作出来ないように、間仕切りが入った事である。Brakeを踏みながら、accelを調整するといった、運転の技術が出来なくなった事だ。
まあ、右足でaccel・pedalを踏みながら、Brake・pedalをそ踏む事をする人は滅多にいないだろうから、間仕切りに関しては、それは良いとしても、Brake・pedalとaccel・pedalの感触が全く違って、踏んだ時の感触の違いが無くなった事と、踏み変える時の位置の高さが全く無くなって、足の感覚でBrake・pedalとaccel・pedalの違いが分からなくなった事だ。
昔の車には、そう言った事が全くなかった。accel・pedalとBrake・pedalの形状と位置、足の踏んだ時の感触は、古い車では、明らかに違っていたのだよ。
自分の車ともなると、半年ぐらいも運転を続けると、accel・pedalとBrake・pedalの感触は足が触っただけでも、充分に分かったのだが、その違和感が余りにも大き過ぎたので、Facebookででも、車の会社にも、claimを何度かしたのだが、瞬時にaccel・pedalからBrake・pedalに移動出来るように、改善されたのだ・・という説明を受けて、私の苦言は無視されてしまった。
高齢ドライバーは昔も多くいたはずなのだけど、昔は然程、問題にならなかったのは、そう言った事故が(人数に対しての事故の割合と年齢の比較が)、車のBrake・pedalとaccel・pedalの形状と位置の変化に対して、dataが出されていなくて、あくまでも、人為的な事故として、押し切ろうという企業や公的な姿勢では無いのか??と再び、苦言を呈する所である。つまり、車を作る技術者達は車を運転する経験値を理解しようとはしないで、事故は単なる運転未熟か高齢によるもので、車は常に改良改善されている・・という思い込みがあるのでは無いのかな?もし、Brake・pedalとaccel・pedalの位置や大きさの変更が難しければ、pedalの板の模様を変えるだけでも、足の感覚でBrakeかaccelかの違いを感じ取る事が出来る。そういった配慮はとても大切な事だと思うのだがね?
一高齢ドライバーとしての、長年の経験上の見解である。



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2019年6月13日東京には空しかない ·
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6月13日夕方の5時現在の練馬区の気温であるが、なんと、昨日とはうって変わって、気温25℃、湿度20%の快晴である。
絶好の洗濯日和なので、洗濯機を回したのは良いのだが、干す所までは、体力・気力が残っていなかった。残念!!(相変わらず、パソコンには文字を入力すると、確定させた段階で消滅して、文字入力が全く出来ない。というわけで今はワード・パッドに書き込んで、それをFacebook上にコピペしている。不思議な事にそれならば、upload出来るのだよ?Facebookは相も変わらず、ダメsoftなのだよな~あ??)


写真は食堂の窓の手すりを3脚代わりに使った定点観測写真になる。(天候を除いたangle的には、いつも同じangleの写真だよな~あ??)
「東京には、空がない!」とか、誰かが言っていたようだが、私に言わせると、「東京には空しか無い!!」



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6月13日糖質dietご飯 ·
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この所、米がハイツにないので、おかずだけの食事になってしまっていたので、今日は朝から頑張ってご飯を2合焚いた!
勿論、糖質カットご飯であるぞよ。




コメント
芦塚 陽二
小いなお弁当箱にゴム性の容器が小6個に大4個と分かれていて、多種多様なおかずを小分けして入れる事が出来て、夜食の残りを、詰めてお弁当にして持ち帰ります。でも、食欲が無い時には、この小さな容器の2,3個だけをチンして食べて、食事が終わった事にして、お茶を濁します。だから、今回も、折角、糖質制限ご飯を炊いたのに、体調不良が続いて、ご飯は、冷蔵庫でそのままになっていました。今日(14日)のお昼になって、やっと、鯛茶漬けで、ご飯を頂きました。アハッ!・・・・それでも、痩せない・・!!不思議だ!!



写真の説明はありません。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
今年になって、始めて携帯で撮影した写真をdirectにFacebookに持って来る事が出来ました。でも、写真のArchivからFacebookへ・・ではなく、携帯でFacebookを開いて、そのFacebookの写真の取り込みのカメラ・マークをclickしたら、出来ました。・・でも多分、もう一度、同じ事をやっても、もう、出来くなっていると思いますがね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
やっぱり、出来なかった!!またまた、line経由で一度パソコンに保存してからのFacebookにupだよな??超、面倒くさい!!



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6月15日電波時計 ·
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今日は6月15日(土曜日の13夜)の早朝(5時~6時)である。昨夜から雨は、益々酷くなって、結構、ザアザア降りになっている。
いつものように部屋は空気が籠って生暖かいので、「取り敢えずは外の空気を入れて部屋の換気をするか?」と言う事で、窓と玄関の扉を全開にした。netでの練馬区の気温は19度で湿度は89%なのだけど、窓に置いてあるwebーの時計に依ると、なんと、温度は17℃である。(netの24時間の予報が変わって、現在の気温は遂に、15℃になってしまった。)・・・部屋の中にいても、超、寒い!!
本来ならば、doorや窓を閉めて、クーラーにすれば良いのだが、クーラーは苦手なのだよ。
(写真の時計の数字は、9時近くになってからの数字です。大部、温度が上がって来たのだけど、未だ、右側は17℃で、左側は20℃です。同じように見えるけれど、左側の時計は携帯用のvoice時計です。真っ暗な寝室等で時間を確認するための時計です。窓に置いているのは、web-clockなので、電波の良い場所に置いている・・という意味です。)
コメント
芦塚 陽二
netでの気温、湿度が16℃90%になってしまって、ますます、下がりつつあります。
温度計が右側が18.9℃、左側が19.9℃になっているのは、部屋の中で窓を閉めていたからです。右側の時計は窓の側に、左側の時計は部屋の中央にあったので、1℃の差が出ています。これは当然かな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
一昨日の事なのだけど、携帯のストラップの紐を締めている輪っかが抜けて、ストラップが落ちてしまったので、昨晩は、紐を糸で縫って貰おうと牧野先生に頼んだのだけど、糸通しの段階で挫折してしまいました。糸通しの小さな道具が見つからなかったので、肉眼的には無理だったので・・
と言う事で朝起きて一番で、ストラップの紐を縫い込みました。ハイツには、超小型の携帯用の裁縫setがあるので・・
でも、私が手縫いをする・・なんて事は奇跡に近い事なので、結構、時間が掛かって、目も殆ど見えていないので、感を頼りに・・しているので、時間が掛かったよな??でも、自分でやる方が一番早い!!


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6月15日梅茶漬け ·
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今日のお茶漬けは、梅干しを入れて、梅茶漬けにしました。
というか、相変わらず、携帯からの写真の転送が出来ません。
またまた、文字入力が出来なくなってしまいました。

超、面倒くさいので、今日はこれまで・・・かな??




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6月15日金華学園の台風
·
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明日(16日)の日曜日は、7月の上旬の気温だってよ!
今日の15日は、4月の下旬の気温だってサ! なんじゃあ、そりゃあ?? 体が付いて行かんわサ!!
パソコン上では、全く文字の入力が出来なくなってしまいました。
已む無く、超面土くさいけれど、携帯から入力しています。
練馬区の気温は遂に17℃になったのだけど、湿度は100%になったのだよ‼
体調不良というか?鬱というか?その原因の一つは間違いなく、湿度だよな⁉
ハイツから見た金華学園と浅間神社の森の雨に、台風性の雨を足して動画を編集したのだけど、BGMの曲をYou Tubeからの曲にしていたので、自作の曲に変更しました。発表会の時の生音でも良かったのだけど、動画がYou Tube経由ではないので、一応パソコンの音源にしました。(これは著作権の関係です。)


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6月16日碎啄について ·
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「這えば立て!立てば歩めの親心=碎啄について」
親にとっては、子供が産まれたばかりの頃には、「五体満足に育ってくれさえすれば・・・」と願う人達が殆どだろうかな?と思います。
しかし、子供が成長すると共に、親は、何時の頃からか、「這えば立て、立てば歩め・・の親心」と子供の成長を期待する心を持ってしまうようです。
古い昔々からある言葉で、既に江戸時代の頃には一般に流布している諺であって、何時の頃からあるのか??・・さえ分からないこの諺は、「我が子の成長を心待ちにしている親の愛情を言い表した言葉」だ・・とされていますが、・・仏教的には「親の業」、「親の欲目」を表した言葉でもある・・ともされているのです。
「子育て」そのものについては、私は門外漢なので、何かを言う立場にはありませんが、学校教育や音楽教育等の教育については、私は日本に帰国した28歳の頃から、大学で学生達を指導し、且つまた、教育上の多くの論文を書いていました。
また、学校の先生を養成するという立場から、この言い古るされて来た諺に潜む、多くの問題点に付いて論じて来ました。
私が以前からhomepageや大学の教育論文等に掲載しているthemaである、「碎啄同機」や「学校教育と音楽教育の両立は可能か」とか、「木の上に立って見ている人」とかの、色々な教育論文がありますが、それは全て、同じ教育に対する基本的な原理を色々な視点から言い換えて論じているだけの事なのでした。
日本人の独自に持つ教育への概念は、日本人の歴史的に培われて来た独特の慣習があって、そのtraditionalな慣習に、問題提起をする私の40年間に及ぶ教育のmethodeや、芦塚メトードとしての実践活動、教育に対する啓蒙活動は、江戸時代からの日本の断固としたtraditionalな社会習慣に対して、波風一つ立てる事の出来ない、無駄な努力と、無駄な活動として、いよいよ終わりを迎える事になりました。
私の箴言集である「ヨージーの法則」にも書いているように、「人生は無駄の集まりに過ぎない」・・という言葉通りに、最後の力を振り絞って、またまた、人生の終わりの無駄話として、同じ話をする事としました。
「這えば立て・」
本文
「這えば立て、・・・」の諺は、「美しい愛すべき親の心根を歌ったものだ」とされていますが、それは傍目(はため)に過ぎません。
つまり、「碎啄同機」の諺や「親という文字」の成り立ちにすら、教育の基本となる、親の取るべき姿勢が語られているのです。
実は、視点を変えて、江戸時代の落語に扱われている「這えば立て、・・」の諺は、親の子供の成長を望むあまりに、子供の教育を見忘れてしまう、親の業を語って、アイロニカルに捉えている小噺が殆どなので、この諺に親の愛・・という意味のapproachはないのですよ。
落語は当事者同士が欲や業で振り回される姿を揶揄する、第三者の立場で見る・・のが落語なのでね??
実は、ここまでも、「枕」に過ぎないのですよ。
音楽用語で言うと、「introduction」ですよね??
昔々の事ですが、生徒の父親から「発表会に向けて厳しく指導して欲しい」という注文がありました。
私が「なぜに?」と尋ねると、「辛く厳しい勉強を克服して達成感を味わって欲しい。」という事でした。
或る意味、教育の専門家でもあるその父親は、私の理論でcurriculumでもある「厳しさを喜びと感じる事が出来るようになるまでには、当然、それまでに、長いstepが必要で、それを学び体得する事無くしては、逆に、挫折を教える事になるのだ。厳しさだけを追求すれば、達成感を得れる事はあったとしても、それが子供達の学習への興味や意欲を齎す事はない」・・という私の説明には耳を貸しませんでした。
両親共に、教育に自信を持っている専門家でもあったのでね。儒教教育が、教育の理想であったのでね??
勿論、当然、その生徒(=子供)は挫折して、親の元を去って行きましたがね??(「親の元を去る」・・という意味は、「家を飛び出して、未成年なのに、彼氏の元に行ってしまった」という意味です。)勿論、それから、二度と親の元に戻って来る事も、挨拶に来る事もありませんでしたがね。
但し、そう言った辛く厳しい教育でも、短期教育の場合には、・・つまり、学校の勉強や部活や、趣味の世界での、辛い厳しいapproachは不可能ではありません。
それは、その辛抱が比較的に短期的な場合に限られます。(勿論、短期という概念は人によって違うので、それが一月、二月の場合や、5年、十年の場合もあります。)
学校の勉強でも、目標が高校や大学の入試・・程度の、短いstanceならば、「勉強の辛さ、厳しさに耐え抜く」 事は可能です。
しかし、そういった付け焼刃的な器用貧乏的な学習法では、その勉強の内容が身に付く事はありませんし、そう言った学習のstyleでは、人生の目標のような、長いstanceの目標は、達成する事は出来ないのです。
という事で、そう言った短期的な学習法は、人生に何も目標がなく、唯単に、有名高校や有名な大学に進学をして、将来の夢は、遠い将来に考えて見る・・という人達には、有効な手段かも知れません。
つまり、学校教育の基本は、将来の夢が未だ見つかっていない一般の子供達の教育を対象にしているのに、過ぎないのですよ。
ですから、人生を何かの『一芸に捧げる』事を目標にしている人達には、この勉強法は当て嵌まらないのです。
難しいのは、athleteや野球選手に憧れる高校球児達です。
athlete達も、憧れのOlympicに、(もしまかり間違って出場出来た!・・としても、)その後の人生にその技術が生かされて、その仕事に従事出来る人は極めて稀なluckyな人になります。
ましてや、野球の球児達も憧れの甲子園でplay出来たとしても、或いは、その後、proの野球選手になったとしても、生涯をその仕事で生きて行くのは難しい・・と言わなければなりません。
つまり、「憧れの甲子園でplay出来た!」とか、「憧れの音楽大学に入学出来た」という事で、「夢を達成出来た!!」と、しなければなりません。
でも、それで「夢が達成出来た!」としても、それ以降の人生の方が、とてもとても長いのですよ。「夢が達成出来た!」という記憶とprideだけを後生大事にして、その記憶に頼って生きて行く・・という事は、私にとっては、或る意味、それも挫折と思うのですがね。
つまり、その記憶があったとしても、それは過去の栄光であり、より現在を知って惨めになるだけの事なのです。
その人の夢が、真摯なものであれば、もっと長いstance、つまり、一生を掛けて、その夢に取り組まなければいけません。
コツコツと脇目も振らず、ひたすら歩んで行かなければ、何一つ、得る事は出来ないのですよ。
一つのことを一生続ける事が出来なければ、それはproとは言えないのです。
「這えば立て・・・」と、「辛く厳しい勉強のさせ方」を、あなたは子供に一生続けさせるのですか?
それは、単なる、虐めか、拷問か虐待かもしれませんよ?
音楽も学業も・・、趣味も、全ての快楽も、「辛く厳しい勉強を克服して・・・」という方法では、何も得る事は出来ないのですよ。
一流のproの人たちは口をそろえてこう言います。
「私は自分の好きなことを夢中でやってきただけです。」
(しかし、2流3流の自称proの芸能人並みに名前だけは有名な人たちは、「辛く厳しい勉強」を我慢してやってきたか、或いはそれで挫折して芸能人的な道に踏み外れたかです。そういう人たちが「日本を代表する○○ニスト」とか紹介されているのを見ると、日本の教育レベルの低さに、憤然としてしまいますがね。)
一つの曲を40年間、練習する事が出来なければ、proには成れないのは当たり前です。
proとは、人が出来ない事をやるのがproであって、誰でも出来る事をやるのは、amateurに過ぎません。
音楽を愉しみたければ、amateurで良いのです。
amateurでも、proよりも上手なamateurが幾らでもいます。
自分なりに、企画して、結構、素晴らしい演奏会を開いているamateurの演奏家の人達も居ます。
しかし、幾ら上手でも、amateurはamateurに過ぎないのです。
では、amateurとprofessionalとの違いは何処にあるのでしょうか??
それは、その人が抱く自分の芸術に対する価値観の位置付けなのです。
女性は結婚すると、家庭、つまり、子供や旦那の生活が一番になってしまいます。
その人達は必ず、こう言います。「私は音楽に向かっている時には、真摯に直向きに音楽に接しています。」
昔、NHKが汎ゆる世代と職業の人達を集めて、討論会をやっていました。
一般の会社の社長が、女性だけで会社の機械のmaintenanceをする会社と立ち上げている女性社長に向かって質問をしていました。「自分達の会社のlineが故障をした時に、深夜でも駆けつけてくれますか?」それに対して、女性社長は「私達はそうはならないように一生懸命に真摯に仕事をしています。」初老の企業の社長が「それでも、深夜にlineが故障した時には駆けつけてくれますか?」と再度訊ねても、答えは同じで、「故障のないように、一生懸命に仕事をしています。」との答えで平行線のままでした。
女性には家庭があるので、仕事を終えて家に帰ったら、主婦や親の立場があるから・・その理由は分かります。
しかし、故障でlineが止まったら、それこそ、その会社は存続の問題になってしまいます。
私が小学校の面倒を見ていた頃に、夏休みに、小学4年生の男の子がいなくなる・・という事件が起こって、深夜の2時に連絡が来ました。小学校の先生達や保護者会の人達が、それぞれの駅に飛び出て子供を探しました。女性の若い先生でも、子供のいる母親の先生でも、子供が行方不明になったりしたら、深夜何時であったとしても、即、探しに出なければなりません。それが教職員としての責任です。この時は、保護者会の人が池袋で遊んでいる子供を見つけて、なんとか問題が収まったのですが、先生達は次の日の授業は徹夜だよね??
どんな、仕事であっても、仕事というからには、それだけの責任はあるのですよ。
それが嫌ならば、社会人にはならない事です。
どうすんの??・・って??
そんな事、自分で考えてよ!!


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6月16日「日本人の持つ独特の価値観」 ·
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「日本人の持つ独特の価値観」
社会では、人や物に対する価値観をマスコミが作ったり、販売戦略として企業が作ったりする。
勿論、それは世界中で同じ事なのだが、それに付け加えて、日本人の場合には、家元制度等の権威主義や、親方日の丸等の寄らば大樹的な発想が強い傾向にある。
それは、日本人独特の、事なかれ主義で、自分が、「それが誤りの考え方である。」と知っていたとしても、世間一般がそれを「正しい」とするならば、それを「可し」とするという日本人独特の不思議な傾向である。
別の論文でも儒教的な社会は、徳川家康が、自分の子供達への治世を確立するために作り上げた思想なのだが、その社会の中では、凡庸な子供を為政者として守り抜くための世襲制度であり、家元制度でもあるのだよ。
物事に対する価値感を自分で判断するのではなく、マスコミによる人気の高さであったり、Blandが決めた金額による評価であり、価値でもある。
所謂、「行列の出来る料理店」とか、concours等での入賞歴等々、自分に対する評価を、そうった看板に委託するのだ。
という事で、日本の場合には、「一流の大学を卒業しているのか?」或いは「大企業に努めているのか?」という事で、その人間性自身が評価がされる事が多いのだよ。
「あの人は、**大学を卒業して、**の課長をやっているから、人間的に信頼出来る」・・という風にね??
でも、それは評価する側の人間の判断ではない。
同様に、芸術であるべきはずの、音楽(Classic)の世界でも、日本の有名演奏家と呼ばれている人達の多くはマスコミが作り上げた人達が多いのだよ。
しかし、Bland品に対しての価値を信じているのは、あながち日本人だけではなく、世界的な傾向でもある。
価値を金銭で評価する意味は、concours等で1位、2位と賞で比較する事によく似ている。
MünchenでGenzmer先生に忠告された事は、「proとしては、歴史に名を残す作曲家のより好みをしてはいけない。歴史に名を残すのには、それなりに、価値を持っているからなのだから、全ての作曲家から学ばなければならない。」と言う事であった。
音楽家というのは、一般人ではなく、芸術家でなければならないのだから、見る事、聴く事に対する評価は自分の審美眼を持たなければならない・・、という意味でもあるのだよ。
Blandやconcoursの評価でなく、権威主義的な音楽大学でも、超有名音楽家でもなく、自分自身の目を養う事が、芸術家であるための必要最低条件であるはずなのだが・・



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6月16日「闇雲練習について」 ·
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音楽はOlympicではないし、pianistはathleteでもありません。だから、指がどんなに早く回ったとしても、その一粒一粒の音が意識的にcontrolされてなければ何の意味もありません。
唯々、一心不乱に毎日7時間、8時間の練習をする事自体は、とても素晴らしい事ですが、唯、無心に弾くだけで、何の考えや目的も無く練習する事はを時間の無駄に過ぎません。そういった練習の事を、私は『闇雲練習』と言って愚別しています。
闇雲練習で練習する事は、一粒一粒の音に心を込めてcontrolして行く・・という大切な練習を、放棄した状態で練習をしている・・という事なのです。
ましてや、最高の音楽を表現するために、何度も繰り返し練習している分けではありません。
音の粒々も聴かず、音楽を表現する事もなく、練習時間だけが7時間、8時間と練習する事は、時間の浪費に過ぎません。
音楽で最も大切な事は、その音楽を「どのように表現するか??」という事に尽きます。
言い方を変えると音楽の技術は、その音楽をどの様に表現したら良いのか?というhow-toに対しての技術になるのです。
幾ら、演奏する技術を磨いたとしても、その表現をするものがなければ、その技術は無用の長物に過ぎません。
日本では、自分が弾きたい情緒表現をする事は、感情的に演奏をする事だ・・というimageで捉えられます。
しかし、それは大きな間違いです。
音楽の演奏表現をinterpretationする事は、それは、情緒的なものでも、感情的なものでもなく、時代の様式やその作曲家の語法を学ぶ事であり、その表現に従って表現する事なのです。
日本のClassic音楽は、分けの分からない家元制度によって、成り立っています。その音楽の解釈も、音楽事始めの時に、日本に音楽を持ち込んだ人の誤った150年も前の解釈が未だに、academismの主流として君臨しているのです。
私の兄貴は定年になる前は、オランダ大使館の文化部で、オランダに留学する学生達のtape審査をして、留学の合否を出す役目もしていました。そのために、毎日、数時間を留学希望者のtapeを聴く・・という作業をしていました。
(今は後期高齢者になったので、分かりませんが、大学生の頃の兄貴の特技は、Recordで最初の一発目の和音を聴いただけで、どこのorchestraで指揮者は誰で・・etc.一発で当てる特技がありました。流石に私はそれは出来ませんがね?)
その兄貴が、未だ現職の時に、私に愚痴っていた事があります。
留学の審査で毎日曲を聴くのだけど、同じChopinの曲を別の大学、別の教授に師事しているはずの生徒の演奏を聴いているはずなのに、誰の演奏を聴いても全く同じ音で同じ演奏をする。」とボヤいていました。
cameraの撮影が得意で、飛んでる鳥をピッタリとfocusを合わせる素晴らしい技術の持ち主なので、発表会の写真の撮影をお願いしました。
angleもpintoも申し分無いのだけど、好き嫌いが出て、好きな生徒の写真はとても多くて、素晴らしいのだけど、余り好きくない生徒には定形の写真分しか撮って貰えませんでした。
その当時は、私も10名近いPianoの生徒を指導していたのですが、その一人一人が、まるで、違う先生に師事しているように別々の弾き方をして、Pianoの音までも違う・・と喜んでいました。
同じ事は、Cembaloをtuningに来てくださった古典楽器センターの佐藤さんにも同様に評価を受けて、彼も、自分のフアンを作っていました。
私は生徒に対して、好き嫌いは出さない事にしているので、同じ曲には10年前の生徒であっても、全く同じ内容の指導をするのですが、結構、厳しく音楽をcontrolしているはずなのですが、不思議な事に、それぞれの演奏は全く異なった演奏のstyleをします。
そこが音楽の非常に面白い所です。
日本人は儒教の国民なので、『勉強しないで、勉強をする』というと、「怠けている」・・・と解釈して、罪悪感に苛まれるようです。
でも、私に言わせると、曲を分析する事も、演奏の目標を作る事もなく、唯、闇雲に時間だけを掛けて、練習をする事に対しては、私は非常に人間としての、不真面目さを感じてしまいます。
つまり、闇雲に7時間、8時間練習する事は、単なる自己満足的世界で、真摯に音楽に取り組む姿勢のない、それこそ『考える事を拒絶した怠け者の練習法である』と確信しています。
だから、よく、「私は毎日最低でも、7時間は練習します。」という生徒が私の所に来た時には、その生徒の日頃の練習をさせて、その練習の態度をcheckして、「ほら、意識が逃げたよ!」とか、「ここはこういう風に表現しないとダメでしょう?」と、練習で求めるべき事を要求します。その曲の、追求すべき課題を、checkをすると、小一時間のlectureもしない内に、「もう、限界です。」と生徒から泣きが入ります。
つまり、家では、7時間、8時間、平気で練習が出来たはずの生徒が、意識をしっかりと持って一粒、一粒の音をcontrolして、また、音楽表現を意識して、練習をしようとすると、たった一時間の練習にも耐えられないのですよ。アハッ!
それ以上に私達お生徒達が、驚く事は、間違えた箇所に対して「なぜ間違えたのか?」いう質問をすると、それに対して誰一人答えられる生徒がいないのですよ。
「間違いの理由」や、「どういう練習をすれば、間違えなくなるようになるのか??」という事を考える事もなく、ただ意味もなく練習を7時間、8時間とするのですよ。
それで上手くなる分けはないでしょう??
それを私は「闇雲練習」と名付けて軽蔑しています。
昔、私の所から、有名な大学の教授の所に変わって行った生徒がいました。
教室にいる時には、その生徒は毎日、1時間、2時間くらいしか練習が出来なかったのですが、その先生に代わった途端に、7時間、8時間の練習が出来るようになりました。
親は「やっぱり、有名大学の教授に師事すると違う!」と感心していたようですが、発表会を聴きに行った教室のお友達は、彼女が余りにも下手になっているのに驚いてしまいました。
勿論、本人は自分が下手になった事には気が付いていないのですがね。
(中には、その大学の教授の元で、勉強をして、下手になっている事をヒシヒシと感じている生徒もいます。その場合には、或る意味、悲劇であり、可愛そうでなりません。)
「何を学べば、音楽が上達するのか??」と言う事を知っている生徒は少ないし、それを知った上で指導している先生も皆無なのです。
教室の近所の子供達で、趣味で音楽を勉強しているのに過ぎない子供達が、(たった1時間ぐらいの練習さえして来ない、)精々5分の練習しかしない生徒達でさえ、音大生が「ひ~こら!ひ~こら!!」と、言って毎日7時間練習していて弾けない曲を、たった5分間の練習で、サラサラと弾いているのは、その5分間の練習に、7時間分の練習の密度を集約しているからに過ぎないのですよ。
言い方を変えると、「だから、5分間しか練習が出来ない」のですよ。
このお話は、「時間=練習の積み上げ」だと思っている学生には、理解出来ない事かも知れないけれどね?
そこが分からなければ、音楽家にはなれないよ!!
・・・と言うか、音楽家でも分かっていなかったりして・・・??アハッ!




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6月17日ストロベリームーン ·
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今夜(6月17日)はストロベリー・ムーンだそうです。
昨日のオケ練習は、子供達も、やっと曲に慣れて来て、曲のimageが出来て来て、練習のpointが定まって来ました。
これからは、少し、練習がし易くなると思います。
練習前の予定では、遅れ気味のPachelbelのchaconneを、Vivaldiの「秋」やStamitzのViola-concertoの前に練習をして、少し、煮詰めて遅れを取り戻す予定だったのですが、実際に練習を始めて見ると、逆に、詩ちゃんのJ・C・BachのSforte-piano-concertoとPichlのKontrabassconcertoと、StamitzとVivaldiの「秋」に時間が取られてしまって、Pachelbelの練習はcancelになってしまいました。Pachelbelは、オケの曲なので、soloがいないので、省いたのだけど、出来としては、一番難しいので、本当ならば、一日掛かっても、練習したいところなのですがね⁉
オケ練習では、指揮をしている場所が、クーラーが当たりにくい場所なので、このところ、毎回、熱中症気味になってしまいます。soloをしている人の場所はクーラーの風が良く当たるので、問題はないのだけど、クーラーの風が当たりにくいところは大変です。次回からは熱中症対策をして、冷え冷え首巻きでもして、練習に臨まないとな・・??
・・それはそうと、汗と言ったら、StamitzのⅡ楽章の練習中に、突然、瑞希ちゃんが大汗を吹き出して、斉藤先生がビックリしていました。
瑞希ちゃんも初めての経験なのだろうけれど、proの音楽家にはよくある事です。N饗の有名な指揮者である岩城宏之さんは汗かきで超、有名で、「彼が指揮をする周りは洪水になる」という冗談まで飛び出す事もありました。燕尾が一回の公演で塩を噴いて真っ白になってしまうので、海外の公演では、燕尾一着を、次の公演会場に送って、着た燕尾は洗濯をしてその次の会場に送る或る時に、手違いで、もう一つ先の公演会場に送られてしまって、2日に渡って、同じ服を着て指揮をしなければならなくなって、困ってしまったそうです。
映画で、ブルース・リーが「ハア~!」と気合を入れて身構えた途端に、体中から汗が吹き出すsceneがあって、「あれは、映画的な表現で特撮だ!」と思っている人達も多いようなのですが、あれは本当の事なのです。
pianistでも、Pianoに向かった途端に汗が吹き出す演奏家は多いのです。(実は、私も・・)でも、気持ちが音楽以外に向かっていて、中々、集中出来ない時には、汗をかく事はありません。集中が完全に出来た時だけ、汗が吹き出す事があるのです。(proの人達は、毎回集中出来ないとProとは言えないのですがね??)それぐらい、集中をする・・という意味です。
こう言った汗は、集中を表している汗なので、とても良い汗なのですが、但し、今回瑞希ちゃんが大汗をかいたから・・と言っても、次の練習でも同じように汗がかける分けではありません。
最初の内は10回に1回汗が出れば良い方で、それが10回に2回になり、10回に4回になる・・と言う風に、徐々にconstantに出来るようになって来ます。
たった一つの事に、集中出来るようになる・・それまでは長い長い道のりが掛かるのですよ。一年、二年とね⁉
これは別に音楽のお話ではなく、全ての道がそうなっているのです。
曲のimageを伝えるのに、ついついover-actionになって、over-workになってしまったので、すっかりバテてしまったのと、帰りの高速は久し振りの超絶好の行楽日よりだったので・・の行楽渋滞と、日曜日の定形の工事とが重なって、渋滞が酷くて、何時もの通りのノロノロ運転なのですが、睡魔と格闘しながらの運転で、椎名町に着いてからの食事は、半分以上寝ながらの食事で、途中で食べるのを諦めて、ハイツに戻って、ベッドに直行しました。
ただ、折角、入眠出来ても、相変わらず、2時間程度で、toiletに起きてしまうのは、毎度の事です。
という事で、当然の事なのですが、今日は朝から、体が動かないのと、仕事の持続が出来ないのだけど、それは、毎週の事だから、最初から諦める事にして、パソコンの作業で、パソコンが仕事をしている間に、ベッドに戻って、体を休めて、体調が戻って来るのを待っているところです。(videoの編集作業では、一作業毎に、小一時間や、2、3時間の空きが出来てしまうからです。)
明日は、膀胱癌の術後半年目の定期検査で、川崎まで、電車で行ってきます。まるまる一日がかりの検診なのですが、長いのは、待ち合わせと移動の時間だけです。
問題は、明日までに、体調を何処まで回復させる事が出来るか、なのですが、6月に入ってからは、疲労が全く取れないので、またまた別の所に別の原因でもあるのかな⁉とか、糖尿病の悪化とか、腎機能の悪化とか、まあ、色々と思い当たる事が多いので、困った事なのですが、明日は、ある程度の検査はして貰えるので、少しは、体調不良の状況が見えるかも(原因が分かるかも)知れません。




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6月19日「深謀遠慮=Vivaldi-methode」 ·
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vivaldiの生涯については、よく知られている事なので、敢えて、ここで言うまでの事もありませんが、Vivaldiの本職は作曲家ではなく、神父でした。髪の毛が赤いので「赤毛の司祭」と言われていたそうで、当時の捨て子を保護する女子修道院(ピエタ慈善院=Ospedale della Pietà)で、子供達に音楽の指導をしていたそうです。Pietàとは「悲しみの聖母」と訳されているようですが、私は宗教の事はよく分かりませんので、触れない事にして起きます。(音楽上の宗教音楽については別ですが・・)
Vivaldiの作品は、和声と創意の試み(Il cimento dell'armonia e dell'invenzione)作品8。この作品8の内の、第1番から第4番までが、所謂、四季(Le quattro stagioni)です。
「Violinの初心者が必ず弾く」・・という噂のあるOp.3Nr.6のイ短調のViolin-concertoも、この調和の霊感(L'estro armonico)作品3の中に入っています。
日本名はありませんが、ストラヴァガンツァ(La stravaganza)作品4や、チェトラというViolin-concertoもあります。
勿論、Vivaldiの慈善院では、生徒達の演奏で院の運営の足しにしていて、ヨーロッパの各地方から生徒達の演奏を聴くために集まって来たそうです。
当然、Vivaldiは、その曲集を生徒達の演奏のためだけではなく、教育のためにも書いているので、その音楽演奏上の技術のlevelは、その曲集毎に決まっています。
調和の霊感(L'estro armonico)作品3がVivaldiの作品の中では、一番の導入の曲になります。
曲の中には1st-positionだけで、弾ける曲もあります。
Beyer教則本にしても、Chopinのmethodeにしても、そのmethodeのcurriculumが残されている分けではないので、こんにちでは、作曲家の作品に書かれているmethodeやcurriculumを知る事は、それは作曲家の作品をAnalyseする事によってしか出来ません。
なにせ、宮本武蔵の五輪の書でも、肝心要の所になると、「以下、口伝」となってしまうのですから・・
実は、Vivaldiが自分の作品を教育目的としての使い方を考えた上で編集をしている・・という事に気付いたのは、Münchenに在学している時でした。
面白い事に、Beyer教則本の指導manual(Beyer-methode)を発見する10年近くも前の話でした。
「Vivaldiが自分の作品を教育上の目的に使用した」・・という事は明白な事実なのに、未だに、世界的にも知られていません。
それは一般の多くの人達が教育用の作品を、非常に低いlevelの曲であるように見る傾向があるからなのです。
つまり、「こんなに優れた曲なのだから、教育用の作品である筈がない!」という前提が一般的にあるからなのです。
「教育と芸術の両立はあるはずがない」・・というのが一般の前提なのですからね!!
BeethovenやChopin等の大作曲家が、作曲家自らが、教育用の作品を作曲するという無謀な挑戦をした・・という事は、不思議な事に意外と知られていません。
また、そこでも「教育音楽と芸術音楽は両立する分けはない。」という前提の元になっているからなのです。
半面、SchumannやBartokのように、その重要な作品が子供用の教育作品である作曲家もいるのです。
子供の音楽教育に対しての作品を作曲する事は、その曲の演奏の技術を平易にする事やlevelに従って曲を作る事・・以上に、作曲家を悩ませる問題は、「子供がどこまで、音楽の心を理解出来るであろうか?」という演奏表現上、或いは、精神的な音楽への理解力・・という課題もあります。
Vivaldiは、教会の司祭という立場から、「realに、子供の教育に直接携わった」・・という、特別の立場にあります。
Vivaldiの音楽教育上の立場は、音楽の歴史上の奇跡かも知れません。
そういう特別の立場にあったVivaldiが、その立場を利用しない分けはありません。
冒頭に述べたように、Vivaldiの職業は、作曲家ではなく、司祭という職業で、子供達の教育を教会から任された立場であるのです。
Vivaldiの曲に教育的な配慮がある事は、逆の言い方をすると、彼の日常の生活から、当たり前の事だったのです。
そう言った事を考えると、Vivaldiの作品には教育的な配慮と意味がある事は明白な事実となります。勿論、globalstandardで、その事を認めている音楽家はいません。誰一人として、そこに思い至る事はないのです。
しかし、もしも「子供達が弦楽orchestraを学ぶ事で、ViolinやCello、Viola、Kontrabassの技術を習得出来る」・・とすれば、それは教育上の革命になります。
世界中では、子供達の教育のためにorchestraを指導する音楽家が多数存在し、多くの子供達がorchestraで音楽を演奏する事を楽しみにしています。
しかし、残念な事に、curriculumとしては、orchestraで音楽技術の向上を試みる事は出来ません。
randomにorchestraの曲を練習して、演奏するだけなのです。
一般的には、orchestraの作品で、curriculumを作ると言う事は有り得ないのですよ!!
その不可能を可能にしたのが、Vivaldiであると思います。
しかし、残念な事に、Vivaldiは自分のcurriculumを残した分けではないのです。
「Beyer教則本を使用する先生は時代遅れの指導者だ!」とする人達が多くいます。
でも、そのBeyer教則本を批判する人達が推薦する教材は、大したcurriculumを持っている教材ではなく、そのために、ある程度のlevelに達すると、技術不足で行き詰まってしまいます。
Beyer教則本はとても優れた教則本なのですが、それ故に、そのmethodeの習得、curriculumを理解し、指導する事は難しいのです。当に「良薬は、口に苦し」なのですよ。
orchestraのcurriculumだけで、子供達の音楽教育を可能にしている、というのは、私のmethodeが始めてだと、自負しています。
尤も、(但し)私の場合には、Vivaldiのorchestra-curriculumと同時に、室内楽のmethode(curriculum)や、Hohmann教則本からの、duoのmethodeや、Cembaloのmethodeも同時期に作っているので、私自身はorchestraにのみ拘っている分けではないのですがね???
Pianoの生徒達への室内楽・・所謂、Pianotrioでのcurriculumでは、非常に優れたPianoを含む室内楽として、Julius Klengelというcellistで、小澤征爾氏の先生である桐朋の創設者でもある齋藤秀雄先生を育てた優れた指導者でもある、Klengelは、初歩のPianotrioの教材という事で、「Kindertrio」というPianotrioのgenreを作った。
しかし、子供用の教材として書かれたPianotrio、所謂、Kindertrioであっても、室内楽というからには、それ相応の技術が必要で、教則本に当て嵌めると、Czerny30番を卒業するぐらいの技術は必要なのである。
教室では、先生達の要望から、Beyerの後半、90番代、Burgmüllerの段階から演奏可能な、「子供の歌変奏曲」seriesとして、数曲のKindertrioを作曲して、Pianoを学ぶ子供達への室内楽の課題としている。。
いずれにしても、「音楽を学ぶには、個人の先生からlessonを受けて、無味乾燥なEtude(教則本)をコツコツと勉強して行くしかない!」と思っているのは、別に日本人だけの話ではありません。
それはglobalstandardな音楽の教育の話しなのです。
その最たる理由は、子供を指導する教育者が一つの楽器しか演奏出来ないからです。Violinの先生は、Violinしか指導出来ない、Celloの先生はCelloしか指導出来ない、それ以上にPianoの先生は弦楽器の事は全く分からない・・というのが、一般的なのです。それでは室内楽の指導は出来ないのが、当たり前になってしまいます。
Beyer教則本やBurgmüller教則本、sonatine-albumをcurriculumに取り入れている私達の教室では、Czerny30番以降の教則本はcurriculumには入っていません。
そういった技術の指導を中心にした教則本は、無味乾燥な技術のためだけの訓練が必要なので、音楽大学に進学する事を目標にする生徒だけで充分であって、音楽を演奏する技術を向上させるだけが目的だとすれば、そう言った教則本的な指導書は必要ないからなのです。そんな物を使用しなくても、音楽大学に進学しようと頑張って勉強している生徒達と遜色を取らないぐらいの技術をmasterする事は幾らでも可能だからです。
私達が音楽を学ぶ上で最も大切な事は、演奏の技術は音楽の表現のためにある・・という事なのです。音楽の表現は情緒的、感情的なものではありません。ちゃんと、音楽の理論を学び、時代やその作曲家の要求に答える事が音楽表現の骨子なのです。
しかし、残念な事に、音楽大学を目指して、音楽の世界に進もうとするPianoを学ぶ子供達が必須教材としてBachのinventionとSinfoniaを勉強していますが、時々、必死に音大進学のために勉強している生徒の演奏を聴く事があるのですが、一度として、一人として、正しくinventionやSinfoniaを、学んでいる生徒を見た事はありません。
それではbaroque時代の音楽を勉強する事は出来ません。困った事です。それは、sonatine-albumに対するforte-pianoの奏法に於いても同じなのです。古典派の様式を知らずして、古典派の音楽を弾ける事はないはずなのですが、それを勉強しているpianistやPianoの指導者の人はいるのかな??
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でも、Vivaldi-methodeを知れば、個人lessonによらなくても、近現代の曲まで演奏する事が出来るようになります。近現代の曲は、baroque時代の音楽の上に成り立っているからなのです。
(未稿)
Violin-concerto a moll Op.3Nr.6 Vivaldi Ashizuka-Knabenkammer period-style17年11月八千代 - YouTube
コメント
芦塚 陽二
上の演奏の8ヶ月前の花園自治会館主催の演奏会でのOp.3の曲の演奏です。Hallではないので、ニャンティstyleでの演奏です。backのorchestraはお姉さん達です。この時には、愛ちゃんが未だ5年生で、他の生徒達は4年生だったのだよね~ぇ?ひょっとしてこの時が、対外出演初débutだったのかな??
Vivaldi Op.3Nr.8 a moll doppelviolin‐concerto指揮芦塚陽二17年3月12日春待ちコンサート - YouTube



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6月19日川崎の病院 ·
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今日はもう6月の19日の水曜日なのだけど、未だ深夜の2時半を過ぎた所なので、18日火曜日の深夜・・と言った方が良いのかな??
朝は定刻の6時半には起き出して、川崎への出発の時間まで、オケ練習のvideoの編集をしていたのだけど、出発時間の2時間前になって、突然、疲れと睡魔が襲って来て意識混濁状態になりました。
・・とは言っても、そこでベッドに戻って休んでしまうと、出発の時間迄に起きるのはとても無理なので、予定よりも1時間以上も早いけれど、川崎の病院に向けて出発する事にしました。早く到着するのは覚悟で、時間まで待合室の椅子で仮眠をするためです。
川崎に着いて、受付と検査は事前に時間に関係なく済ませる事が出来るので、先に終わらせて、後は膀胱鏡の検査だけなのですが、診察は何時も通りに1時間遅れになっているので、都合、2時間のintervalが出来ました。
椅子で仮眠・・とは言っても、病院の待合室の長椅子なので、寝るには向かないのだけど、中には横になって、マジに寝ている豪傑もいましたが、流石に、私は、お行儀良く、椅子に座って目を閉じて、薄らぼんやりとしていました。
以前は、待ち時間用に、本を持って行ったのですが、目を開けていると、安静に出来ないので、結局の所、何も読まない、何も聴かない方が、時間を潰すのには、楽です。
音大時代にも、膀胱鏡での手術は電気メスで潰瘍を焼き切る手術を、麻酔が全く効かない状態で20回近くしましたが、麻酔が効かない状態での手術だったので、その痛みに、病院中に聞こえるような咆哮を立てながらの手術だったのですが、今回の半年検査では、color-monitorを見ながら、Doctorの説明を聴きながらなので、楽な事は楽でした。
検査の結果は再発の兆候は見受けられず、次回の予約を取って終わりました。今年、一杯の術後1年間は3ヶ月毎の検査なので、次回は9月の予定です。
病院を後にして、朝から何も食べていないので、駅で、もう、夕方なのだけど、「朝食の代わりに何か食べて帰ろうか?」と、思ったのですが、川崎の駅ビルの食堂街は、若者の街みたいで、私の食べれる食事を出すお店がありません。と、言っても、毎回蕎麦屋でもね~ぇ
諦めて、ハイツに戻る事にしました。
なんとか、6時半には江古田のハイツに辿り着いたのですが、疲れ切ったのは良しとしても、眠れないのですよ!!
どうして・・?? 不思議だ!! 何故?? 分からん‼
いずれにしても、火曜日は江古田ハイツに引き籠もりdayなので、仕事も出来ない・・眠れない・・テレビも面白くない・・、という無い無い尽くしで、漫然と夜を過ごしました。ああ、時間が勿体無い!!
そんなに、無駄な時間があるのならば、頑張って仕事でも、したら良いのにねぇ⁉飲みに行くのも良いし、巷を徘徊するのも、乙なものなのだが、疲れていて、何もする気にならないのだよな~ぁ。




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6月20日Facebookはよく文章がぶっ飛んでしまう·
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今日は朝早くから、今にも雨が降り始めそうな、どんよりとした天気です。練馬区の湿度は90%近くで、窓を開けて寝ていたのですが、布団がベタベタして来たので、慌てて窓を閉めたところなのです。
(・・・・と、ここまでの文章がぶっ飛んで無くなってしまいました。編集履歴に少し文章が残っていたので、コピペして復元しました。Facebookでは文章がぶっ飛ぶ事は、しょっちゅうなのですが、必ずしも文章の最初の方がぶっ飛ぶ分けではないので、気がつかない事もよく有って、文章をよく読み直している時に気が付いたりします。その時には、編集履歴にでも残っていれば、コピペ出来るのですがね・・。それすら不確定なのですよ。困った事だ!!)以下・・・
クーラーは苦手なので、湿気で窓を開けられないのは、ちょっと、困ってしまいます。
朝の4時半からは、昨日から延々と作業を続けている、Vivaldiの「秋」の練習風景のvideoにlessonの時の確認と説明を、編集作業の続きをしました。videoの編集作業をしながら、昨夜椎名町から帰って寝るまでの間に、意識朦朧状態で出来なかった「後片付け」の作業をしている所です。
(ながらの並行作業なのですが、特に、videoの編集作業の場合には、パソコンがその編集の仕事が終わるまでの時間が、結構、10分、20分とintervalの時間が掛かってしまいます。
そのlag-timeに、パソコンを見つめていても仕方がないので、そのlagの時間を使っての「後片付け」の作業です。
どうした事か、動画を編集する段階で、音声と画像がズレてしまって、テロップや写真等々がバラバラになってしまって、「もう一度最初からやり直した方が良いのか?」、それとも「このまま全部のpartsをコピペして位置をズラして、編集し直した方が良いのか??」と、暫し、悩んでしまいました。
結局の所は、コツコツと1個、1個のpartsをドラッグ&ペーストして、全体の練習風景の手直しをしたのだけど、単純作業なのに、ただただ時間が掛かって大変だったのだよ!
それにしても、今日は、朝から原因不明の鬱状態です。
「頑張って、気分転換を兼ねて、買い物にでも出掛けるか??」それとも、体調をおもんぱかって安静にして、「ひたすら寝るか??」悩んでしまいます。
果てさて困った事です!!
鬱の時には、決断力も低下するのでね??
「・・・で、『どうしたか??』って??」
答えは、何時もの通りに、・・・出掛ける事もなく、寝る事もなく、何をするでもなく、無駄に無為無策に過ごしてしまいました。アハッ!



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6月22日フラワー公園のみかんの子供 ·
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牧野先生のお迎え兼ドルプリっ歩にフラワー公園まで行った時に、拾ったミカンの子供です。
私は、朝の散歩には、付き合わないのだけど、斉藤先生との朝っ歩の時には、ミカンの子供は、もっと沢山落ちていたのだけど、近所の人が「子供のオママゴトに使うので・・」と、一生懸命拾っていたそうで、もう、殆ど落ちていなかったのだけど、それでも綺麗な実の所を手に持って帰れる分だけ拾って帰りました??




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6月23日眠い ·
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いや~あ、朝、定型で起きて、finaleで、構造分析の譜面を作っていたのは良いのだが、睡眠時間が足りないので、「このままでは、夜まで持たない」と思ったので、時間ギリギリまで寝ようと試みたのだけど、布団の中に潜り込んだまま、中々眠れないのだよな~あ⁉
浅い仮眠の中で、夢を見ていて、今日は、発表会に行く日で、行きつけの床屋で、髪を茶髪に染められている夢を見ていた。
勿論、現実では、行きつけの床屋なんて無いのだけどね⁉自分で髪を切るから、床屋には行かないのでね⁉
それにしても、出発までの時間は、ないのだが、今日は珍しく、超、眠たい‼
小一時間程、ベッドで横になっただけなのだけど、そろそろ、もう時間切れだよなぁ⁉
諦めて、シャワーで、髪の毛でも洗うとするか⁉
「土曜日に弓が帰って来るから・・・」と、言われて、もう、2週間が経ったのだが、昨日の土曜日に「弓が帰って来た」旨の電話があった。どうやら、土曜日と言うのは、2週間後の土曜日の事だったらしい‼
(・・・と、言うのは冗談なのだがね⁉)


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6月24日「不毛の教育」 ·
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globalstandardな時代になって、「日本の教育は50年、100年遅れている」・・と一般でも認識されるようになった。
昔から「詰め込み型」とか、「ロボット教育」とか言われて、その学習する内容の意味を理解する事のない、記憶偏重の闇雲な学習法に対しては、政府の教育関係者でさえも、その危険性を危惧し、教育の改革を試みてはいるのだが、なにせ、その解決策を持たないままの、言葉だけの改革に留まっていて、既に、数十年の長きが経過してしまっている。
今の学校教育が子供達の夢を育て叶えていないのは、明白な事実であっても、未だに、寄らば大樹の陰的な権威主義的な志向や、有名大学や大手企業への信仰とも言える偏重は、教育を経営と見る塾の経営戦略とも相まって、日本の大多数のstandardな考え方となってしまって、久しい。その教育に対しての一般的な傾向は、100年、200年経っても変わらない。(その理由は日本の教育の歴史として、何度も論文に書いているので、ここでは繰り返さない。)
日本独自の、そういった「不毛な教育」の中で、「少しでも、教育界や音楽界に波風でも立てられたら」・・と、私なりにも、30数余年、頑張っては来たのだけど、100年200年と続いて来た社会の常識は変わらないのだよな??
同じ事を30年以上言い続けて、結果、ある程度まで、上達して、その成果が見受けられるようになると、有名な教授や権威主義的な大学の所に行って、それまでに学んだ事は、一瞬で失われてしまう。
幾ら苦労を重ねて指導をしても、結局の所、生徒達には何も変わらないのだよ??
トドのつまり、求めている究極の目標が、私の夢とは違っているからなのだよな??
流石に30数年、同じ不毛の教育を続けていると、流石に、加齢による体調不良と精神的なpressureによる鬱が原因で、私も、そろそろ疲れて来たのだよな??
30、6,7歳になって、音楽教育関係の仕事に従事するようになって、私の後半の人生を全く無駄に使って来たように思えて、私の努力の全てが徒労に終わったような思いで、悩んでしまうのだよ。
私の元で音楽への道を見出して、音楽の世界に進んだとしても、それで、一度も感謝された事はないのだからね~ぇ??
だから、毎日、毎日が鬱になってしまうのだよ。
「ならば、直接子供達に接する事をやめて、音楽の理論に専念すれば良い」・・、なんて事を言って来る人達もいるのだけど、人によっては、proのorchestraを指導、育成すれば・・とか、音楽大学で音大生達を指導すれば・・とも言って来るのだけど、もうそういった年齢でもないしね~ぇ??
・・・中には、「いやあ~ぁ、それは加齢から来るのだよ!!」なんて事を言って来る人達も居たりして・・ね?? 
でも、まあ、加齢と病気に抗って、 未だに、諦めないで、頑張ってはいるのだから・・、結構偉かったりして・・・・、アハッ!


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6月25日netが繋がらない ·
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今日(6月25日の午前)は、朝起きて、パソコンをつけたら、なんと!netが全く繋がりません‼
朝は、携帯のnetも繋がり難かったのだけど、今は、携帯だけは繋がっているようです❗
パソコン2台とも同じように繋がらないので、パソコン側の故障ではないと思われるので、Routerをcheckしてみたら、やはり、Routerのランプが切れて表示されていました。
routerの再設定を2、3回して見たのですが、どうしても繋がりません❗
Jcomのhomepageも開いて見たのですが、「工事や不具合はない」という事だったので、このmansionだけのtroubleの話し・・・なのかな⁉
取り敢えず、お昼までは、netやパソコンの作業は何もしないで、パソコンを閉じたままにして起きます。
一応、lineとかFacebookは携帯で通じるので、仕事上の連絡等には支障はない・・と思います。
朝起きて、routineの血圧と体重測定をやってみたら、日曜日のオケ練習の時から体重が増え始めて、この半年の最高まで増えてしまいました。
でも・・・(とは言っても)、3㌔くらいの話しの間の話しなのですがね⁉
それにしても、火曜日に仕事をしていると、突然、意識混濁になってしまうのは、定型になってしまいました。
日曜日の疲れが、月曜日、一日頑張って休んでも、一日だけでは疲れが取れないからのようです。困った事です❗
椅子の上で、手足が動かなくなってしまったので、今日も(何時ものように、)慌ててベッドに潜り込んで、取り敢えずは横になって、眠れないままに・・夢を見ています。
覚醒していて、夢を見ている・・という意識があるのに、「夢を見ている」のです。(今日はとても素敵な夢を見たはずなのですが、夢の内容をmemoっていなかったので、時間が経っにつれて忘れてしまって、どうしても思い出せません。別に夢の話ではなくても、つまり、日常の場合でも、・・・隣の部屋に、物を探しに行って、ドアを開けて、部屋の中に入った途端に何を探しに来たのか忘れてしまう事がよくあるので、芋づる式記憶法のように、末端の枝の「何かしら」をmemoっておかないと思い出せないのですよ。)
pmの3時半過ぎになって、Routerの電源をまた入れ直したら、やっとRouterが生きて、netが復活しました。
あ~あ、これまで、何度Routerを再起動させたのだろう!!
4,5回??  6,7回?? やっと、緑色のランプが青色になりました。何時間掛かったのかな⁉
でもまあ、再起動出来たから、まあ良しとするか??
認知症、もう一発の話ですが、・・今日が火曜日という事は、認識出来ていて、火曜日の今routineである皮下注射等はちゃんと済ませているのに、今日が引き籠りdayなのに、それだけが自覚出来ません。
この所、食欲が無かったので、冷蔵庫のなかで、お弁当を腐らせる事が、1,2度あったので、お弁当のお持ち帰りをしていません。持って帰っても食べれないので、持ち帰らなかったのです。
と言う事で、今日は朝から、冷蔵庫の中には食料品が全く入っていないので、「お腹が空いたら、外食に出掛けなければならないのだ」・・・という事を、何度、自分に確認しても、全く意識的に、情緒的に感情的には認識出来ないのです。
何度も、「今日は火曜日で、外に食べに行く日だ!」と確認するのですが、いつの間にか、椎名町に食べに行く準備を始めています。
そうこうしているうちに、外食に出掛ける気力がなくなってしまいました。
今、寝てしまうと、寿司屋にも行けなくなってしまうのは自明の理だけど、だからといっても、「無理をしてまで、食べに行く。」というのも、しんどいのですよ‼
今日は、いつもと比べると、鬱という程は、鬱ではないのだけど、体調は差ほど良くないので、ユンケルでも飲みたいところなのだけどね⁉
そのビタミン剤を飲む事さえ、超、めんどくさいのですよ‼その辺が、充分鬱なのかも知れないよね⁉
それで、食べに行くのを諦めて、ベッドに横たわっているのですが、横になっていると、どんどんと疲れが体中に押し寄せて来るのですよ‼
鼻も詰まって息苦しいのです。
・・・とうとう横になって寝ているのは諦めて、体のmaintenanceのために、起きる事にしました。
先ずは、息が出来るように鼻のメンテとビタミン剤を飲む事から始めようと思います。




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6月27日今日は千葉に行く日です。。 ·
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今日は6月の27日の木曜日、千葉にlessonに行く日です。
朝の定時(5時前)に起きて、少しだけパソコンで作業をして、そのまま起きたままでは、lessonが終わるまで体力が持たないので、パソコンの作業を必要最小限に留めて、大急ぎで寝直しました。
ちゃんと予定の時間に起きれるか不安だったのだけど、ハイツを出発する時間の前に、起きれたのは良いのだけど、ベッドから起き出して、パソコンの前に座ったら、そのまま全く体が動かなくなってしまったのだよな??
風呂場でせめて、朝シャンをして髪の毛を洗いたいのだが、風呂場に移動するまでの、powerが全く無い。
体が全く動かないのだよな??
これは困った!!
果てさて・・どうしよう??困った!!



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2019年6月27日 ·
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「messa di voce=メッサディボーチェの成り立ち」
「messa di voce」とは元来は、声楽の発声の練習に関する技術(練習法)を指す言葉であります。
弦楽器でも同様の奏法があって、その奏法を、声楽の発声法の言い方に倣って、メッサディボーチェの奏法と呼ぶようになりました。※(それと良く似た言葉に、Voicingという言葉があります。Pianoの調律師がPianoの音を調整をしたり、fluteの職人が楽器の音を調整する時に使う言葉ですが、楽譜を書く時に符鈎の位置を調整したり、ギターの奏法の事だったり・・と範囲が広すぎるのと、意味が違うので、やはり、正しくmessa di voceという言葉を使った方が正解です。)それは、Renaissanceの時代は(チェロが未だ出来る前の時代だったので・・・)gamba属の楽器が主流でしたが、当時は、音を出して、その音を楽器の共鳴箱にkonsonanz(共鳴)をさせて、音を増幅させて演奏しました。(France映画で、邦名が※「めぐり逢う朝」というTitleの映画で、古楽器奏者のSavallさんのviola da gambaの演奏でも、messa di voceの奏法を見る(聴く)事が出来ます。)
konsonanzは、楽器が大きくなればなる程、konsonanzの幅が大きく出ます。
逆にViolinのような、(或いは、viola da braccioのような)小型の弦楽器では、大きなkonsonanzの響きはしません。
勿論、konsonanzを響かせる事は出来るのですが、大型の弦楽器に比べては、大して際立つものではありません。
所謂、先程のVoicingとしての、楽器を鳴らすための(楽器に対しての)訓練は、それこそ、無味乾燥な練習で、結構、練習に辛いものがあります。
勿論、それに成功して、楽器がよく響くようになったとしても、所詮は、gambaやCelloには敵うべくもありません。
whole consort(ヴィオール・コンソール)や他の楽器とのensembleをする時に、低音楽器であるBaß-gambaの増幅には、viole属のような小型の楽器のkonsonanzの増幅ではとてもついていけません。
ですから、Violin族のような小型の弦楽器では、一応はkonsonanzの音を弾きながらですが、それ以上の大きなkonsonanz(共鳴音)は意識的にkonsonanzの音の増幅の音を模倣して弾きます。
ensembleで、Baß-gambaやCello等との、音量のbalanceを取るためです。
現代では、伴奏付きのsoloであっても、ensembleの必要性はありませんが、当時の時代の音楽では、(無伴奏の曲を除く、全ての曲では)basso continuo(通奏低音)の楽器が入って来たので、常にensembleになってしまいます。
・・と言う理由から、messa di voceの奏法は、periodの世界では常識の奏法となっていたのです。
messa di voceの奏法は、教室の演奏では、八千代市主催の「Vivaldiの二台のviolinのためのコンチェルト、Op.3Nr.11」で子供達の演奏を聴く事が出来ます。
唯し、messa di voceの奏法は、日本では、一歩間違うと、日本固有の民謡や演歌で使用される、所謂、コブシの弾き方と誤解される事があります。
コブシの歌い方、これは全く別の演奏法なのですが、高温多湿の木と紙の国で、音を遠くへ飛ばす方法として、喉を締めて、力で押し出して歌う「歌い方」・「弾き方」なのです。
どこかの国の国立の音楽大学の教授が、音を繋げる(legato奏法の)ために、コブシの弾き方を生徒達に教えた事で、日本中の演奏家や学生達がそう言った誤った弾き方が日本の弦楽器の奏法の主流になってしまいました。
しかし、ヨーロッパでは、乾燥性の気候で、石造りの家が基本なので、そういった「後押し奏法」をとても、忌み嫌います。
ベルリン・フィルのconcertmasterであるSchwalbéさんが、日本に「公開lesson」に訪れる度に、その奏法について学生達に厳しく注意をするのですが、何年も、何十年も、注意しても治らないので、遂に、癇癪を起こして、その誤った奏法の事を「エイズ奏法」と呼んで、日本人の不治の病としました。
Schwalbé先生の公開lessonの時に、カザルスホールの最前列に、件の先生も座って聴講されているのですが、自分の生徒が注意されているのに、その事を自分が注意されているとは、お首にも思っていないようで、他の教授達と笑いながら談笑していたのは、驚ろいてしまいました。
私達はその奏法の事を「後押し奏法」と呼んでいました。
後押し奏法は、日本の土着の民謡や演歌、或いは浪花節の歌い方なのですが、ViolinやCelloの先生達の指導を見ていると、彼等の理想とする音、求める音、が二胡や馬頭琴のようなacousticの全く無い場所で演奏する楽器の奏法の音を追求されているようで、ヨーロッパの、乾燥した石造りの家に住んでいるヨーロッパの人達が求めている音とは、根本的に考え方が違います。国民性とでもいうのでしょうかね??
この奏法は未だに、日本の音楽家達の主流の弾き方で、私達は「芸大弾き」と言って揶揄しているのですが、勿論、ヨーロッパではそういう奏法をする人は皆無なので、ヨーロッパの人達からは当然、笑い者にされているのですが、それが正しいと信じてやまない日本人は、笑われている事すら理解していません。無知とは怖いものです。
困った事です。
また、ヨーロッパの音楽の歴史(所謂、Classicの音楽の歴史)の中でも、Violin族が出来て来たbaroque時代から、古典派迄の時代と、ロマン派から近現代までの弦楽器の音の出し方は、根本的に違います。全くの別物と呼んでも良いのかも知れません。
古典派までの時代とロマン派からの時代の分かれ目は、音楽の歴史学者によって、大きく分かれていて、その時代区分は色々と違いがあります。(SchubertやWeberはロマン派か古典派か?とはいつも問題になっているのですよ)と言う事で、分かりやすく1800年という年を境にすると、その時代は貴族社会が衰退して、petitブルの時代(所謂、Biedermeierの時代)になります。
だから、音楽の聴衆は貴族の宮廷の小さなHallから、より多くのpetitブルの大衆を集める事が出来る「大Hall」になり、音楽はより多くの人々のための音楽として、大きな音量が要求されて来るようになるのです。
そのために、baroqueや古典派で使われた弦楽器は改造されて、こんにちのmodern-楽器に改造されて、弓もTourteとSpohrの手によって、全く新しい張りの強い、力強い音を出す事が出来る現代のbowに代えられてしまいました。
それは弦楽器だけのお話ではなく、Pianoの歴史も同じで、HaydnやMozartの時代のforte-pianoも、single actionからdouble actionに代わって、大音量の現代のPianoが出来上がります。
そうして、baroqueや古典派の時代のkonsonanzの奏法は、古の奏法として、失われて行くのです。
messa di voceの歌唱法の妙技です。
曲はCacciniの「Amarilli, mia bella」です。
baroque唱法の妙技をご覧ください。Phoebe Jevtovic Rosquistのsopranoですが、椅子に座ったままで、高音域まで、無理なく楽に自然に歌っています。

Caccini: Amarilli mia bella; Phoebe Jevtovic Rosquist, soprano; David Tayler, archlute - YouTube
コメント
芦塚 陽二
Philippe Jaroussky, countertenorです。所謂、歌の女形です。当時は、女性のpartは男性が歌う事の方が普通だったのです。現代の歌唱法であるBel Cantoの発声法との違いが分かると思います。
Amarilli mia bella - YouTube




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6月28日「勉強しない勉強法」 ·
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この文章は、次のお話・・「人生へのブレ」と、内容的には全く同じ文章なのですが、approachが違っているので、別文章に見えてしまいます。
私が常日頃、口を酸っぱくして「勉強をしないでも、成績をupさせる事が出来る」という話を、オケ練習やlessonの時等の機会を捉えてよく子供達にするのだが、子供達のみならず子供達の親達からも信じて貰えない。
「勉強しないでも、成績の良い生徒は、特別の生徒なのか??」
実際に教室にも、勉強しないでも常に成績が良い生徒が結構いるので、「その生徒達の事について、どう思うのか?」を、他の一般の生徒達に質問すると、「勉強しなくても成績の良い生徒達は、頭が良い特別の生徒達なのだから、勉強しなくても、成績が良いのだ・・」と解釈しています。
一所懸命勉強をしていても、中々成績の上がらない生徒達とは、逆の立場の生徒達に・・・・、(所謂、子供の頃から、教室で私のmethodeで学んでいて、実際に、漢字を覚えたり、英単語を覚えるのに、一度も、鉛筆で書いて覚えたりと、した事さえ、ないのに、国立の大学に行っている先輩達に)「あなた達の机に向かわない学習法の方法論や利便性を後輩達に説明して、その意味を教えるように・・」と言うと、「でも、普通な事を、普通にやって来ただけだから・・」と言うのですよ。
つまり、机に向かわない学習法の「どこが普通でないのか??」が、本人達にも、全く分かっていないのですよ。
・・・「だから、あなたのやっている勉強法が、普通じゃあないのだよ!」と言っても、全くその事が、理解出来ないのだよな❗
それが「芦塚メトード」によってもたらされたものだ・・という事すら、全く、分かっていないのだよ。
大手の有名な塾や企業が芦塚メトードの中の記憶法を欲しがったのは、それが実に珍しいsystemだからである。
塾型の指導法を塾がするのは、それなりの理由がある・・、それは良しにつけ悪しきにつけて、塾の経営上の必要悪であるからなのだ。しかし、ここで塾の批判を展開しても、無意味である。勿論、ここでのお話は、「芦塚メトードについて」のお話なので、mainの音楽の勉強の仕方へのお話を主軸にしてお話をして行きます。
「喉元過ぎれば・・」
私達の教室に途中から入会して来た、他所の教室で音楽の学習(勉強)に行き詰まって、挫折しそうになって、教室に来た生徒達は・・・、最初の頃は、教室でのメトードの、その勉強の方法や、勉強の内容が、・・・、つまり、習う事、習う事の全てが、驚きの連続であった筈なのに、2年、3年と、教室の中で勉強を続けていると、周りの生徒達も、同じ学習法で勉強をしていて、同じ水準なので、いつの間にか、それが、音楽の勉強では、当たり前のように思えるようになってしまって、日本中の音楽教育の社会全体が・・・、或いは音楽を指導する指導者の先生達が、私達の、音楽教室と同じようなmethodeで、教育し、音楽の指導をして、生徒達が教室の生徒達と同じように楽しく音楽の勉強をしているように思い込んでしまいます。 (慣れとは本当に怖いものです。)
それで、周りの音楽の世界の事を全く知らない、無知蒙昧な無責任な薄学の知識しかない素人の「音楽に進むのならば、芸大の教授に師事しないとダメよ!」とか、「proになるのならば、テレビで活躍しているような有名な演奏家につかないとダメよ!!」という、世間一般のど素人考えの、温かい忠告に心を動かされて、教室をやめて、権威のある教授や有名な演奏家に師事して・・、lessonに行った途端に、(その先生の元で学び始めた途端に、)改めて「・・そうだった❗一般の音楽指導は、こうだった!!」という事に、改めて気づくのだが、それはもう、後の祭りに過ぎない。
気付いた時に、再び教室に戻って来れば良いと思うかも知れないし、世間の無責任な人達もそう忠告するのだけど、それで、実際に戻って来た人はいないのだよな??
間違えた道に堕ちるのは、一瞬でも、元の道に戻って来るのは、至難の業だからなのだよ❗
実際にこれまでも、高校生になる時に、芸大の教授の教室を去った生徒で、教室に戻って来た生徒は、非常に少ない❗
勿論、それは、どの世界のどの分野でも同じで、一番よく聞くお話は、結婚についてのお話だろう・・・。「一月も一緒に暮せば、アバタもエクボで、慣れて来て良くなって来るのよ!」という忠告を聞いて、後悔していたとしても、そこで戻れる人は超、少ないのだし、その時に、紹介者は、何の力にも、なってはくれない。ましてや、proの世界に「アバタもエクボ」なんてものが、ある分けは無いのだから!!
忠告に負けて、そんな当たり前の事も見えなくなってしまうのだよな??
「教室のmethodeは教室にしかないのだから・・、orchestraのcurriculumや室内楽のmethodeは、世界のどこにもないのだよ。」と口を酸っぱくして言っても、所詮、理解出来ない人達には、理解出来ないし、分かろうともしない❗
「掛かった時間が努力の時間」
世間の一般通念では、努力の時間の長さが、能力のlevelになる。
つまり、「この曲をこれぐらい演奏出来る」という事は、「これぐらいの時間、練習している」という事になるし、逆の言い方をすると、「それぐらいの時間しか練習していない人は、どんな曲を、どのように弾きこなしていたとしても、上手い分けはない❗」とされる。それが、その生徒の演奏を聞いたとしても、その演奏のlevel・・水準を理解出来る事はないのだよ❗
その人達の理解力では「proを目指す人達は、有名な演奏家や権威のある大学教授に師事して、辛い無味乾燥な練習を長時間して、その苦難苦行に耐え抜いた人だけに与えられるのがプロの世界である」と考えているのだよな❗「権威に頼る事もなく、練習を楽しんでいる人達は、所詮、趣味の世界で音楽を学んでいる人達なのだ❗」という解釈になってしまうのだよ。
つまり、「努力をしない」という事は、世間では、「出来ない」と言う意味になるのだよ。でも、ノーベル賞を受賞した日本の学者先生方は、全員口を揃えて「私達は楽しんでやって来たに過ぎません❗」というのだけど、その言葉さえも「特別な人達の言った、特別な言葉」としか、理解しないのだよな⁉
「仕事の出来と、時間」についてのお話なのだが、
私は教育関係者に対して、・・・ではなく、企業の関係者に対しての説明をする時には、仕事の出来と掛かった時間について、4マスで説明をする。
会社の新人研修の時によく説明する事は、「仕事が『速い⇔遅い』、『丁寧⇔雑』を4マスにした時に、企業が求める人材はどれか?」という質問である。
当然、best oneの回答は、『速くて、丁寧』である。2番目は、『遅くて、丁寧』であろうか。仕事に雑な仕事は有り得ないからである。
しかし、仕事でダメな人間、所謂、社会から落ちこぼれて行く人達は「私はこれだけ、時間を掛けて努力をしたのだ」と弁解、弁明して来て、それを認めようとはしない社会を批判して来る。
それは、学校教育の思いやり教育では、『生徒が努力をした場合には、その成果が伴わなくても、或いは、成果、目的が達成出来ていなくてもその努力は報われるべきであり、認められるべきである。』とされる事が多い。
当然、親もそういう評価を求めるのだが、学校は兎も角としても、社会に出てしまうと、そんな世界はどこにもないのだよ!!学校ではクライアントは生徒であり、保護者自身なのだからだよ❗
私の経験談を話すと、中学・高校生の頃の私は、否・・・、大学生になっても、ブキッチョで、仕事も遅く、丁寧さも皆無であって、しかも、トドメには、勤勉性の欠片もなかった。
つまり、音楽家としての職人性に全く欠ける・・というか、社会人としての資質にも欠ける怠け者に過ぎなかった。
その事が、私の、大きなcomplexであった。中、高生の頃は授業で先生が黒板(当時は、黒板だったのだよ)に書いた文章を、自分のnoteに書き写す事すら出来なかったのだよ。それぐらい筆記の速度が遅かった。それは40代になってから、ワープロやパソコンで、文章を入力する事が出来るようになった時でも、私の弟子達は、私が喋る速度で入力が出来たのに、私は、全くの金釘流で、箸にも棒にも・・という感じだったのだ。
memoの取り方が遅くて、学校の授業について行けなかった私は、memoの取り方の方法と、文章を速記する方法を編み出して、高校時代には私独自の速記法を作り上げた。その当時には、新聞社や国会には速記の専門家がいて、活躍していたので、その速記法を勉強しようとして見たのだけど、余りの難しかったさに、一瞬で断念してしまったのだよ❗
という事で、私の編み出した速記法の他に、単語を省略して書く・・方法は、ワープロやパソコンの単語登録の方法として、現在も使用している。
弟子達のパソコンの入力速度に遠く及ばなかった私だが、今では、どの弟子よりも速く文章を入力する事が出来る。尤も、音声入力を使うとそれよりも速く入力する事が出来るので、私の速記法も過去の物になりつつはあるのだが・・・。
私の生徒達や親達でさえ、私のmethodeの価値が理解出来ず、個人の能力と思い込んでいる。だから、幾ら私が声を上げても、methodeへの価値や有難味は所詮、理解出来ないし、分からないのだよ。
小さい子供の内から、最初から教室で音楽を勉強して、小学校に進学した生徒達の多くは、学校教育上の問題点(時間=評価)を身に付ける前に教室のmethodeを身に付けてしまったluckyな子供がいる。何の努力もなしに、学校の成績も音楽の演奏技術も高いlevelのままに、大学まで行ってしまう。
つまり、芦塚メトードを身に付けた覚えすらないのだよ。
これは、happyというか、悲劇というか?だよな??
日本型の教育は、単なる記憶力を評価するだけの教育である。それが大学受験までの評価となるのだ。
当然、教室の記憶法には、簡単に確実に記憶出来るようになるmethodeがあるのだが、それは一般的には知られてはいない。大手の有名な塾や企業が芦塚メトードの中から、記憶法だけを欲しがったのは、それが実に珍しいsystemだからである。(企業は音楽のmethodeや、子供の教育のmethode等は必要ないからね??)
しかしながら、現在、学生達を評価する基準になっている記憶力による学習成果による評価は、学生達の勤勉性と忍耐力を評価する事に過ぎないのだよ。
記憶による学習は単なる知識に過ぎないのだよ。
単に過去の経験を学び、それを現在に当て嵌める・・という事に過ぎない。
言い換えると、そこからは現代の社会に対応出来る革新的な発想は産み出されては来ないのだよ。
globalstandardな時代になって、日本社会も、やっとそこに気付かされる事になって来たのだよ。
勉強しないでも良い勉強の方法は、学校で先生の指導内容から重要なpointを聞き分けて、それをその場で覚えてしまう事なのだ。
塾型の教育には、当然、その理由がある。その、重要なpointを先生達が学び、そのpointを指導するから、塾に行っている生徒の成績をupさせる事が出来るのだよ。
どこの大学がどういう問題を出しているかは、塾ではパソコンを駆使して調べ、確立を出している。でも、そのresearch法は、生徒達には絶対に明さない。塾は企業なのだから、それは企業秘密なのだよ。それが分かれば、塾に行く必要はなくなるからね。
音楽は趣味で、一般大学へ進学をする予定だった、男の子が高校3年の秋口に入って、突然、「新設された芸大を受験したい」と言い出した。「2,3ヶ月しかないのだから、それはとても無理だ・・」と言ったのだけど、男の子なので意志は固いようだった。と言う事で、芸大の過去問を取り寄せて、課題別に、問題を分析した。・・・つまり、回答をしたのではなく、その先生の出題の傾向の分析をしたのだよ。その先生が出題をする限り、次の年度で出る課題の傾向は分かるのだよ。4,5回、lectureをしたら、後は「以下同文」・・という事で私のlecture-lessonを受ける事も無くなったのだけど、ちゃんと、次の年には合格していたよ。アハッ!
つまり、彼は子供の頃から、教室のmethodeで育っているので、練習しないでも、PianoやViolinを見よう見まねだけで、弾きこなしていたのだよ。
だから、受験勉強も同様に、私のlecture-lessonからpointだけを学んで、自分一人で、自分のrotationで勉強したのだよ。周りの人達は呆れていたけれど、教室としては至極当然の結果なのだがね??
まあ、彼一人の話ではないのだけど、prideが傷つくといけないので、他の生徒の話はしない。
・・・ねッ??
コメント
芦塚 陽二
またまた、文章の入力が出来なくなってしまっているので、推敲が出来ない。毎日毎回Facebookがおかしい!!と何年も言い続けているのだけど、未だに解決はしないのだよな??
それに、このcommentは非公開で書いていたはずなのだが、いつの間にか、公開になっている・・・それは問題だよ!!


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6月30日睡眠時無呼吸症候群 ·
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四日市のしおんちゃんが自分で企画した演奏会の本番に出演するために、今日の夜の「web-lesson」はお休みでした。
と言う事で、その時間分の食事の時間とドルプリっ歩が早くなって、・・・(まあ、食事の時間は、兎も角としても、それからのドルプリっ歩が、ウダウダと小一時間近く続くはずだったのだけど、霧雨が結構、酷かったので、)ドルがご機嫌斜めで、途中で「帰る!」とゴネ出して、サッサと事務所に帰って来てしまったのですよ。
・・と言う事で、(何と!!)10時にはハイツに戻っていました。
しかし、通常の事務所からの荷物を片付けている途中に、だもう、意識朦朧として来たので、明日のオケ練習の準備はしない事にして、大急ぎで、11時半頃には、もうベッドで休んでいました。
うつつな夢を見ながら、息苦しくなって、「そろそろ朝の準備をしなきゃぁ~ねぇ・・??」と、起き出して、時計を見て驚いてしまいました。
なんと、未だ、1時だったのですよ。
左の小鼻の鼻詰まりで、息が出来なくなったので、目が覚めてしまったのです。
多分、睡眠時無呼吸syndrome(症候群)になっていたはずです。
だから、目が覚めたのは正解・・・!!
toiletteに行って、鼻詰まりのcareをしている所です。
詰まっている小鼻に点鼻薬をさしている所なのですが、一回目では、鼻詰まりのために、薬が鼻の奥に届きません。
パソコンの椅子に座って、点鼻薬の薬が効いて来るのを待って、鼻の奥に届くように、2回目、3回目の点鼻薬をさします。それから、頑張ってもう一回寝る事にしました。多分、2時半か、3時頃でしょうかね??
次に起きたのは、4時です。
toilette-timeで起きたのですが、意識混濁状態なので、パソコンの椅子で休んでいたら、全く、ほんの少し休んだと思ったのに、6時を過ぎていました。2時間も時間が飛んでしまっていたのです。
無理矢理、動かない体に鞭を打って、ベッドまで動いて行って、兎に角、寝ました。
次に起きたのは7時過ぎです。
実際には、小一時間ぐらいしか寝ていないのに、体感的には、11時を過ぎて起きた感じがして、「起きる時間が遅れてしまった!」と、慌てていたのですが、時計を見たら、未だ7時を15分程過ぎたばかりの所でした。
うつつの夢を、・・(現実的な夢を)見ていた記憶があるのだけど、なんの夢だったかは忘れてしまいました。半分というよりも、ほんの糸口だけを覚えているのだけど、それが何だったのかが、思い出せないので、奥歯に物の挟まったような感じで、気持ちが悪いのですよ。
今日のroutineの体重血圧の測定や、髪の毛を洗ったり・・と、千葉に出掛ける前のroutine作業があるのだけど、それよりも、本来ならば、昨夜の内に、終わっておかなければならない楽譜の準備が、未だに、準備出来ていないので、それが最優先かな??
今日のtime-tableの時間割が間違えていたので、昨夜、lineで伝達して於いた返事が着いていたので、出発の時間が決まったので、準備のroutineの時間も分かりました。通常の1時半検見川教室着よりも、30分早い、1時に花園着なので、11時半には、椎名町の事務所を出発しなければなりません。・・と言う事は、11時には、江古田ハイツを出発しなければならないので、朝のroutineを済ませるのは、結構ギリギリなのかな??
て、勿論、体調が良い時には、1時間もあれば済ませられる準備作業なのだけど、体調不良な時には、一つ一つの作業が、倍も、3,4倍も・・時間が掛かってしまうのだよ!
特に、こんなに意識が混濁していると、準備したはずの物が、物忘れが酷くなるのだよ。それを防ぐ唯一の方法は、頭に浮かんだ時、目に見えた時に、間髪を入れず、それを準備の場所に置いて置く事なのだ。少しでも、後回しにしようとすると、二度と思い出せなくなってしまうのだよ!!そこが、老人性痴呆との境目かな?ほんのチョットした工夫で、でも、痴呆は防げるのだよ!!



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6月30日「人生へのブレ」 ·
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(またまた、文章がぶっ飛んでしまったのだけど、編集履歴を見ても残っていません。書き始めが文章の途中からになってしまっています。ほんと、Facebookは、超、腹立つな~あ??何時になったら、この不具合は、治るのだよ?! というか、最初から直す気がないのだよな⁉)
「本文」
●集中力の指導
子供達への教育で最も大切な事、それは、「集中力とその持続性」なのです。
元々、学生時代の私は、どうしようもない怠け者で、勤勉性の欠片もなく、勉強も全くしなかったので、一つとして人に自慢出来る物はありませんでした。
ただ唯一の私の自慢は、中学生の頃、高校生の頃を通じて、一旦、本等を読み出すと、4時間、5時間は寝食を忘れて熱中して読み耽る・・という・・・興味のある事に付いてだけは、熱中する事が出来る、という集中力なのです。(「なに⁉そんなのは、誰でも、持っている」・・・って??? それは、分かっているよ‼)でも、私は、自分の集中力を、大切にして来たのだよ‼
だから、芦塚メトードによる教育の基本を、保護者にlectureする時にも、「子供が集中している時には、それを次の予定で妨げてはならない。」「子供が集中を切らす、瞬間まで、それを邪魔してはならない。」という芦塚メトードの中で最も大切にしている基本の骨子があるのです。
オケ練習でも室内楽の練習でも、子供達への指導の骨子は、集中力であり、集中力を培うものであります。
勿論、lessonでも、「如何に子供達を音楽の集中の中に引き込むか?」という事が芦塚メトードによるlessonの基本なのです。
・・と言う事で、集中力を育てる事が、オケの指導、室内楽指導の基本であり、そこが芦塚メトードの教育の基本中の基本ともなるのです。
しかし、子供達が教室に入会して来る頃には、生まれついて持っていたはずの集中力は、もうすっかり失なわれています。
だから、子供達に音楽を指導する時には、0から教え直さなければなりません。
子供達は様々な条件によって、先生が幾ら努力をしても、集中が出来ないときがあります。私は、そんな時のlessonやオケ練習では、lesson時間よりも、集中力を大切にして、lesson(練習)そのものを早く切り上げさせる事がよくあります。
その代りに子供がとても良く集中している時には、lessonの時間を延長する事もよくあります。
lesson時間を時間で区切る教育は、所詮、誤った教育への理解に基づいた教育に過ぎません。
たった、5分ぐらいの時間を切り上げただけで、「lesson時間が少なかった!」と大騒ぎをする保護者がいる・・という話も時々ありますが、もし、集中しないままにlessonをしてしまうと、それがたった5分間に過ぎなかったとしても、その5分が子供にとって、害になる・・という事がそういった保護者の方は分かっていないからなのです。
そういう場合は、その5分を使って、集中の重要さを保護者に説明をすると良いと思います。
教室では、lessonで子供が3分しか集中出来ないような時には、その3分を、色々と別のcurriculumを混ぜる事によって、持続させようとしますが、それでも、15分、30分の時間を保たせる事が出来ない場合もあります。
そういう時には、保護者への教育のlectureに充てて、保護者が自信を持って子供達への教育にあたれるように、adviceの時間にするように先生達には指導しています。ここで、同じ話をしているのは、保護者に対して、教育に関してのlectureをする先生は、一般的にはいないからです。これも芦塚メトードの特徴なのですよ。
ところが、それだけ、本当に、コツコツと、苦労をして、長い(時間ではなく)年月を掛けて、努力を重ねて培って来て、やっと身に付いた集中力だとしても、たった一言の親の言葉で、ほんの一瞬でそれを失ってしまうことがあります。
たった、その一言だけで、子供達が培って来た長年の努力の結晶である集中力が失われて無に帰してしまうのです。
子供達は、自分達が受ける周りの人達からの色々な言動で、自分自身の信念を惑わされて、自分がそれまでに努力して培って来た能力を失ってしまうのですが、親は、その能力を「子供本来的に備わっているもの・・」と、勘違いをして、子供自身が他の事に意識を向けても、子供がこれまでに身に付ける事の出来たその能力は失われないものだと、誤った認識をしてしまいます。
その最たる物が学校の勉強(=成績)でしょうかね??
●学校教育と専門的な勉強
子供が集中力をmaster出来るまでには、一つ事にしか専念する事が出来ません。
子供の学ぶべきpointを、2つ、3つと複数の目標にすると、子供達が勉強をしている全ての水準が下がってしまいます。
まあ、それでも、要領の良い子供の場合には、学校内での試験ぐらいならば、all100点と言う事も有り得るでしょうが、音楽の世界、athleteの世界になると、そうは行きません。
そこでは、全くの専門的な別の世界なのですよ。
実際に、教室では、all100点を取るような、成績の良い生徒も何人も来てlessonをうけていたのですが、それは器用貧乏に過ぎないのです。
・・事、音楽の教育にだけに限定すると、音楽専科の生徒には、その専門性で、一般の音楽の教育の延長上のlevelでは、立ち打ちは出来ないのですよ。
所詮、学校教育は一般人を対象にした一般教育に過ぎないのだから、そこに専門性は無いのですからね??
そこで、私達の教室が生徒達に指導している、専門的な音楽教育に対抗する事は出来ないのです。
たまに教室で音楽を専門的に習っている生徒が、学校の成績の良い生徒を羨ましがって「〇〇ちゃんは頭がよくていいな。うらやましい。」などと言っているのを耳にしますが、それは完全なお門違いなのです。一般教育がall100点の器用貧乏な生徒は、何一つ専門的な能力は身に着けることは出来ていないのだからね・・・・
教育の基本はブレない事なのです。
いつも私が言っているように、この怠け者で、超ブキッチョの私ですら、「音楽の道に進む」と決めた時から、一度も、その「音楽への道」に付いてだけは、ブレた事はありません。
その事は、私だけの事ではありません。
私が、未だ、音大の学生であった頃にバイトとして指導していた「音楽大学への受験生達」でも、「音楽への夢と希望」だけはブレた事は全く一度としても、ないのです。
勿論、親達も子供の夢を邪魔する親は皆無でした。
そこは今現在の、巷の音楽教室と、音楽大学の教授先生達の考え方は根本的に違っていて、生徒の意識が、少しでも学校の成績等や部活等に生徒の意識が傾けば、即、その先生の元を破門とされてしまいます。
音楽大学に進学する生徒達を指導する大学の先生達は、「学業と音楽の両立」は、認めてはいません。
それは、「学業と音楽の両立」が可能か否か・・ではなくて、指導者としてのprideが許さないからなのですよ。
・・と言う事で、音楽大学への受験生を指導する場合には、例え、私の学生時代のバイトであったとしても、心のcareは必要ないので、指導者としては、超、楽で・・、鬱になる理由はないのですよ。
「ブレない子供」を育てるために、最も大切な事は、「音楽を好きになる」という事であり、「好きになる」という事が「音楽への夢」を育てると言う事です。また、その「音楽への夢」のNiveau(水準)が、その子供の心の水準を育てる事になって来ます。
つまり、step by step、一歩一歩なのですよ。
●記憶力と興味の関係
「学校教育は記憶力によるものである。」と私はよく言っていますが、子供達は、自分に興味のある事に対しては、素晴らしい能力(記憶力)を見せます。
女の子が年頃になると、彼氏の誕生日や血液型や・・、アイドルの名前等々・・、(私達に取ってはどうでも良い事で、肝心要の事は少しも覚えようとはしない癖に)・・どうでも良い事は本当によく知っています。
それが彼女等にとっての興味の中心なのですよ。
私はテレビに登場する超、美人で可愛い女性達の名前を覚える事が全く出来ません。
テレビにその女の子が登場する度に、毎週その子の名前を聞いても、2年経っても、3年経っても、覚える事が出来ません。
勿論、顔は覚えているのだけどね~??
そのクセ、作曲家の事になると、ほんの一瞬で覚えてしまうし、lessonで子供達に注意した事の全ては、以降10年間は覚えておくようにしています。
5年前、10年前のlessonで注意した事はちゃんと覚えておくと、lessonに困らないからです。
今、この所では、オケ練習で前回(一週間前に)した私の注意事項を、曲別に私の代わりに確認する(言わせる)作業を子供達にさせています。
その出来は、取りも直さず、その子供にとっての、オケ練習への価値、・・と言うか、私のlectureに対して抱いている価値感を意味します。
つまり、先週のオケ練習で、私が生徒達にlectureしたlessonの内容が覚えられていない・・という事は、私のオケの指導が面白くない・・興味がない・・と言う意味でもあるのですよ。
「先週、私がした注意を発表してごらん?」と生徒達に尋ねても、「出来ません。」「忘れました!」という生徒は、私のlectureに興味が無いのですよ。
もしそういう事ならば、私が、幾ら頑張って子供達を指導しても、上手になる分けはないでしょう??
●親は盲目?!
子供達が、音楽に立ち向かう真摯な姿勢が出来上がったら、本当はそこから初めてproになるための教育が出来るstart-lineに立ったに過ぎないのですが、親はそれを「そこまで行ったらもう大丈夫だ!」と次の他の事(学校で成績を上げる事等)に専念させようとします。
そうすると、折角、その子供が努力を重ねて得る事が出来た、集中力や記憶力等の大切な子供の能力が、ほんの一瞬で失われてしまい、それを取り戻すのは、その能力を得るのに費やした時間と同じ時間か、それ以上の時間や努力が必要となってしまうのですよ。
現実的には、後でその能力を取り戻すのは不可能に近いもので、子供の挫折を招くことになってしまうのです。
恐ろしいことです。
しかしそれは親の立場になると全く分からないのです。
それは「貞子以上に」超、怖い事なのですがね~ぇ??
そこの所は、「親は盲目」というか、親の欲・・というか、業というか、どうしても分からんのよね~ぇ?? 
かわいそうにねえ~・・・・
(またまた、書いた文章が全部ぶっ飛んで、編集履歴にも残っていない!!Facebookは超腹が立つよな~あ!!)
●おかしな脅し
私が一番腹が立つ事は、保護者の人達がよく子供達を勉強させるために、言う言葉で、「成績を上げないと、オケ練習に行かせないよ!」と子供を脅かす事です。
ちょっと待ってよ?
それって、超おかしな脅しではないですか?
確かに、その脅しは、最初の1回か、2回は、効果もあるのかも知れませんが、もし、それで子供が、「じゃあ、オケ練習、行かなくても良いよ!」と言って来たらどうするの??
実際に、教室の経験では、それで教室をやめた生徒達も数多くいるのだけどね。
だって、逆に、子供の立場から考えて見ると、厳しいオケ練習を必死に耐えて、音楽の練習を毎日しなくてもよくって、勉強もしなくて良いならば、子供達は、友達と遊ぶ事を優先するに決まっているでしょう??
「わ~い!思い切り、遊べるぞ!!」・・という分けなので、子供達にとっては、こんなに都合の良い、楽な条件はないのだよ??
・・という事に、どうして親は気づかないのかね??
「音楽が楽しい!」・・・なんて、誰が言ったの??
普通は、「音楽は辛くて、厳しい」ものなのだよ!!!
それを、教室の先生達が、苦労と細心の注意を払って、「辛く、厳しくないように・・」「楽しいように(!!!!)」lessonの方法と、無理なく上達出来るようにcurriculumを作って、指導しているのに、過ぎないのだから・・ね!!
そこが理解出来ないのは、不思議だ!!
その事に付いて、もう少し掘り下げて見よう!
●楽しいと勉強ではなくなる!?
保護者の人達の誤解・・・それは、とどのつまり、「子供達が楽しんで音楽を勉強しているのだから、音楽は遊びの延長であって、学校の勉強のような、所謂、『勉強』ではない。」という、超、間違えた考え方に基づく前提があるのですよ。
ノーベル賞をとった学者先生達が、必ず言う事があります。
それは、「勉強はつまらなかったので、やらなかったけれど、自分の好きだった研究は楽しくて、一度も辛かった事はない!」という事です。
つまり、ノーベル賞を取るような先生達にとっては、学問や研究は遊びに過ぎなかったのですよ。
誰も自分の研究を、勉強と思って研究をしていては、ノーベル賞を取れる分けはないのですよ。
そこが、学校の勉強との一番の違いになるのですよ。
そこは、音楽だって、同じなのですよ。
有名音楽大学の卒業生から、教室の先生を募集して一番困る事があります。
私達が面接をする時に、講師希望者の学生達に、「教室では音楽の楽しさを子供達に教えて欲しい。」と教室のconceptを言うと、必ず、帰って来る答えがあるのです。
その答えは、「音楽は楽しいものではありません。」「辛く厳しいもので、それに耐えた人だけが音楽の道に進む事が出来るのです。」と、烈火の如く怒られてしまいます。
彼女達にとっては、「楽しい音楽」を指導する・・という意味は、テレビで流れているアニメ・ソングや子供の曲を指導する事を意味するのですよ。勿論、大手の音楽教室等では、それをmainにして、生徒達を集めています。
そう言った商業主義的な音楽教育ではなく、子供達への真摯な音楽指導の場合のお話しです。
音楽に対して、真面目に(真摯に)取り組んでいる 彼女達の音楽を学ぶ上での前提に、「Classicの音楽が楽しい」・・という事は絶対に有り得ないのですよ。
日本の音楽家達の音楽が、楽しくなくって、つまらないのは、そう言ったacademismの教育の上に、Classicの音楽の世界が成り立っているからなのです。
教室が言う、「音楽の楽しさ」・・というのは、Classicの音楽が、しかめっ面のつまらない音楽ではなくって、本当は、とても楽しくて、美しくて、心を打つ、素晴らしいものである・・という意味なのですが、日本の音楽家には、そこの所は、絶対に、理解して貰えないのですよ。
音楽大学の教授先生の前で、心を込めて、音楽の表現をしようとすると、教授達は、それこそ、烈火の如く怒り出します。
Sibeliusのあの美しいViolin-concertoにしても、或いは、Kreislerの小粋な小品でも、体を固定して、絶対に揺らす事なく、譜面に忠実に、一つの感情の乱れも無く、機械のように、computerのように、演奏しなければならないのですよ。(・・と言ったらcomputerが気を悪くするかもね?今のcomputerは情緒表現は得意だからね??)
でも、まあ、音楽大学で学ぶ音楽・・、それが音楽かね??
困ったもんだ!!
「では、彼等が望む音楽家のstatusはなんなの?」と言う事なのですが、それはathleteのように、自分の技術をひけらかす事なのですよ。
曰く、「これだけ、難しい曲を、一つの誤りも無く演奏する事が出来ますよ!」と言う事なのですよ。
You Tubeで、超絶技巧をひけらかすamateurの人達を時折、・・というか、この所、よく見かけますが、彼等、彼女等が芸術家である事は、決してないのですよ。
だって、そういう音楽を聴いても感心はするかもしれないけど、決して感動することはないでしょう?
そんな当たり前の事が、どうして、教授連中には、分からんのかね~ぇ??
●学校の成績の責任は?
それに、学校の勉強が楽しいか否かは、学校の先生の役割であり、責任なのだから、学校の勉強が楽しく出来るか否かは、学校の先生の問題だろうよ!!
ましてや、子供達の成績に関しては、塾の先生でもなく、学校の先生の役割ではないのかね~ぇ??
学校の先生達が、子供達の勉強に対する興味を引き出して、楽しく勉強できる教育をしてくれないとおかしいでしょ?
今の子供たちの勉強の仕方を見ていると、まあ、酷いこと酷いこと・・・そんな勉強の仕方じゃあ、勉強がつまらないのもよくわかる。
余りにも酷いので、見るに見かねて牧野先生がオケ練習の合間に、数学や英語を教えたりしています。
ちょっと待ってよ!
なんで音楽教室の先生達が学校の勉強にまで責任を負わなければならないのだよ!! 
その話は学校の先生にしてくれよ!!
それじゃあ、毎日のようにテレビを賑わしている「児相の先生達」と変わらんじゃん!!
●芦塚メトードの実践のために
つまり、保護者が子供達に「成績を上げないと、オケ練習に行かせないよ!」と言う事に対して、私が烈火の如く怒り捲くるのは、私達が、子供達に集中する事を教えて、音楽に対しての技術を身に付けさせて、そこまで音楽表現を上達させるのに、どれだけの時間と努力、と多くの苦労を費やしているのか、ということを全くわかってくれていない、ありがたくも思ってくれていないということを痛感させられるからなのです。
教育とはお金さえ払えば、当たり前に子供達に提供してもらえる・・というものではありません。
私たちの教室はお金儲けや「タツキの糧」を目的に教育をしているのではないのです。
つまり、音楽教室は、私の教育の理念のために、私が私財を投じて開いている、ある意味、趣味的な「持ち出しの世界」なのだよ。
稼ぎを優先するのなら、オケの指導なんかせずにその為の楽器を全部売り払い、オケ練習のための部屋も解約し、私が長年かけて買い集めた楽譜類などは一切使わせずに、生徒自身に楽譜店で買わせ、生徒のために編曲をする度に通常の編曲料をがっぽりと頂いて・・・・・と、限がありません。
つまり、芦塚メトードの実践のためには、お金と時間と労力が莫大にかかるのですよ。
公共的な児童orchestraが存在するのは、個人ではお金が掛かり過ぎて無理だからです。
だけど、官や公がやるとすれば、芦塚メトードは使えないからね??(公が一人の指導者におんぶする事は出来ないのだからね?!)
だから私が私財を投資する事になってしまうのだよ。
子供達一人ひとりに私が幾ら出費をし、タダで手間暇をかけているのか、わからないだろうな~?
「音楽の勉強は、先生達が何も努力や苦労をしなくても、楽しいものだ」・・と思うのならば、・・否、「音楽は遊びの延長に過ぎないので、学校の勉強の対価としての価値しかない」・・と思うのならば、「音楽の先生はそれを指導するのが当たり前」と思うのならば、あなたはもう子供を挫折の道へ引きずりおろしかけていますよ!!?
そういう方は、子供に下手に夢をもたせてはかわいそうです。
何も教育はせず、何も夢や興味を与えず、ただ弾き方だけを教えてくれる大手の音楽教室にでも行った方がましかもしれませんね。
・・・・まあ、愚痴はこれぐらいにして、・・今日は、さて!・・オケ練習にでも、出掛けるとするか??




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7月



7月1日大根の葉 ·
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今日は、定型の日曜日の千葉のオケ練習へ行く途中で、花園教室に到着する時間を連絡するために、武石のパッサージュに寄りました。
そこで、葉っぱのついている大根を見つけて、買って来たました。

私は、大根葉の塩漬けが大好きなので・・!!
でも、大根が大きく成長し過ぎていて、葉っぱが黄色に厚くなっていて、半分以上が枯れていて、虫食いも酷かったので、半分以上、捨ててしまいました。

私としては、葉っぱが青々として、まだ柔らかい時期の大根を買いたいのだけど、お店としては、葉っぱを売っている分けではないので、中々綺麗な葉っぱの大根は、売っていません。

大根の葉っぱは、「ただの観てくれ!」として、売っているのですが、大根の葉っぱは、大根の本体のみずみずしさを、吸い出してしまうので、大根の葉っぱを食べるのでなければ、葉っぱの付いた大根は買うべきではありません。
もし、大根の葉っぱを食用にするために・・・という意味で、付けたままで売っているのならば、葉っぱが厚くなる前の、柔らかい青くみずみずしい時の大根を収穫すべきなのですが、ここまで大きく育ててしまっては、大根も、葉っぱも両方とも、美味しくはありませんけどね?
でも、葉っぱの付いた大根は、東京では、中々売ってはいないので、なんとか、食べれそうな所を選んで、荒みじんに切って、塩もみまでした所です。
これから冷蔵庫でまる1日程、養生させて、水洗いをして塩抜きをしたら、出来上がりです。
「そうだ・・! この所、鯛茶漬けばかり食べていたので、ご飯がありません。
・・・コメも炊かなくっちゃ!!」
ハイツでは、まだ、ご飯は、(いつもの通りに、シツコク、・・・)糖質制限の炊飯器で炊いています。
(またまた、冒頭の4行が、uploadした途端に消えて無くなってしまいました。今回は、なんとか編集履歴に残っていたので、コピペして事なきを得たのですが、Facebookで、文章がぶっ飛ぶのは、ほんと、毎回の事だよな??)

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7月1日なんと、ふと気が付いたら、 ·
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なんと、ふと気が付いたら、私に断りもなく、7月の1日になっていました。
明日の2日と明後日の3日の間が新月で「朔」です。
今日の1日は暁月の27,7日です。
・・・という事で、気が付いたら、もう一年の半分が終わってしまっていて、後、半年になっています。
一年の過ぎ去るのが、なんと早い事なのでしょうかねぇ??
・・・てな、事をうだうだと考えているこんにちなのですが、今日は月曜日、つまり、日曜日の次の日であり、ようは、オケ練習の次の日なので、定型のroutineでは、一日中仕事にならない、寝込んでしまって、鬱々として、意識混濁になっているはずの日であります。
という事で、疲れが酷くって、日曜日の深夜から、もう既に、小一時間のintervalで、寝たり起きたり・・を繰り返して、心も、夢か、うつつか、よく分からない意識混濁の状態のままで、月曜日を迎えているのです。
という事で、仕事という仕事も出来ないままに、あっという間に、月曜日という一日が終わってしまいます。光陰が矢の如く終わったのではなく、その日一日が丸々存在しなかったのですよ‼
コメント
芦塚 陽二
改めて文章を読んで見ると、うだうだと意味不明の事を延々と書いているので、無駄なので、「文章自体を削除しようかな?」とも、思っていました。その原因は、夜になって・・とか、その次の日になって、改めてFacebookに、一日の感想を書き込む時に、Facebookの絶不調で文章を書き込む事(文章の入力)が出来なかったり、体調の不良が重なって、文章自体は思い浮かべているのに、体調不良で・・書く事が出来ず、timingを逃してしまって、書きたい事をすっかり忘れてしまって、・・・それでも、普段の体調ならば、ゆっくり考えると書きたい事を思い出せるはずなのに、心が乱れて、思い出す事に気持ちを集中させる事が出来なかったからなのです。「心、千々に乱れける」のですよ❗


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7月2日教育の理念について ·
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このお話もhomepageには、よく書いてupしてはいるのですが、今年の4月1日から今現在に至るまで、私のhomepage「芦塚先生のお部屋」が全く開かないので、已む無く、このFacebook上にも、教育論文と同じ内容の文章を書く事にしました。
私が、子供達の教育法についての「保護者へのadvice」を書く時には、私は音楽教室の先生としての立場で、「音楽を学ぶ上での教育」として、説明をする事が多いので、私が「子供達を音楽の道に誘(いざな)うためのみの教育」、音楽に進むための教育として、adviceをしようとしているように勘違いされる事が度々あります。
私の立場については、これまでも、誤解の無いように、多くの論文等にも掲載して来てはいるのですが、保護者の方達と接する機会が音楽教室の先生という立場である事が殆どなので、どうしても音楽教室の指導者と言う事で、音楽至上主義的立場に立っているように、見受けられる事の方が多いようで、私の主義主張が「音楽の道を歩む特別な生徒達を対象にしている」・・と思われている事は残念でなりません。
そもそも、私が文部省関係や教育関係の人達に委託されて、芦塚メトードの実証の為のmodel教室を立ち上げた時は、依頼して来た人達は政府の教育関係者や、民間の教育関係者であり、音楽とはまるで無関係の人達だけだったので、私としては、小学校で学業を完全に理解させるための学習塾に近い形態の教室を想定していたのです。
ただ、教育関係者の人達から要求された条件は、芦塚メトードが普遍的なmethodeであるための条件として、私が子供達を、直接指導するのではなく、私のmethodを使用すれば、どの先生が指導したとしても、生徒の成績が向上しなければ、methodとしての、普遍性はないので、それは一般の教室(学習塾)と何ら変わることのない教室になってしまうので、意味がありません。
つまり、私が育てるのは指導をする先生達であり、その先生達が優れた生徒達を育成出来るようになった時に、始めて私のmethodeが優れたmethodeである事を、証明出来る・・という意味なのです。
つまり、その当時、私が必要としていた弟子は、私の教育のmethodeを勉強してくれて、実践してくれる生徒だったのですよ。
私の教育大学の生徒や、音楽大学の生徒で、私のmethodを勉強して、model教室で子供達を指導するためには、私の生徒達は、勤めている学校を退職しなければならないというriskがあり、私としても、中々その事を、生徒達に頼む事は、辛いものがありました。
中々誰にも頼めなくって、悩んでいる時に、私のmethodeを「勉強しても良い」と言ってくれたのが、昔の私の生徒で、音楽の演奏家をしていた人だったので、結果として、音楽教室になってしまったのですよ。
しかし、音楽の教室と言えど、その音楽との関わり方には、多種多様な音楽があって、その形態も、勉強方も、色々なjanreがあるのです。
私個人としての場合には、同じclassicをなりわいにしている音楽家の人達の中でも、その多くの人達と私は、「音楽に対しての考え方」、「人生に対しての生き方」が根本的に違っているので、他の音楽家の人達に、私の音楽に対する態度と同じ姿勢を要求する事は絶対にありません。
プロの音楽家に対しても然りなので、ましてや、一般の子供達の教育の問題で、私の音楽に対する考え方、人生に対する生き方を、人様に対して、或いは、子供達に対して、要求する事は絶対にありませんし、全ての子供達に対して、音楽の道に進むように育てた事もありません。
いつも、私がお話ししているように、人と音楽との関わりには、千差万別の関わり方があるのです。
私の音楽に対しての関わり方は、極々、限られた人達だけの、超、狭い芸術至上主義的、・・音楽至上主義的な関わり方に過ぎないからで、それを、音楽教室の子供達に要求しては、全ての子供達が潰れて挫折をしてしまいます。
だから、私がいつも私のadviceとして、生徒達、保護者の方達に、お話ししている事の内容、或いは意味は、「夢と現実を一致させる」という事のみに過ぎないので、その「夢」の定義の中に「音楽」という限定的な意味はありません。
ただ、どんな夢であったとしても、夢を夢のままではなく、夢を現実に叶えるためには、そこで幾つかの条件が発生してしまうのです。
先ずは、夢を叶える事の条件の第一歩としては、「子供と親の夢」が一致していなければならない・・と言う事があります。
子供の教育の現場で、まだ社会性の必要性が少ない時期、所謂、小学生の中学年ぐらい迄の時期では、親も、子供と同じ夢を見る事が出来ます。
しかし、中学校、高校と子供が成長して行くに従って、受験や、大学進学という社会的な現実が眼の前に飛び込んで来ます。
そうすると、それまで大切にして来た子供の夢よりも、より身近な学校の問題が現実問題になって来てしまいます。
音楽の道に限らず、athleteを目指す子供達や、balletや音楽以外の芸術を目指す子供達は、そこで学業との二者択一を強いられる事になるのです。当然、athleteや、音楽等のProを目指す子供達や家庭では、そこに選択権はありません。
でも、それは子供達各個人と家庭内での問題であり、夢に突き進むのか、一般的な音楽を趣味として、学業に専念するのか?の択一の問題であって、音楽教室や私達が関わるお話ではありません。
その立場は、昔から今まで、一度も変わっていません。ただ、親がこの現実を直視しようとしないだけです。
私が、口を酸っぱくして何度もhomepageやFacebookに、この事を取り上げているのは、「夢を叶える」ためには、その「夢」の水準と、学業の両立には、相関性がある・・という事なのです。
でも、このお話は、私の意見ではなく、音楽関係者に取っては、常識であり、音楽大学の教授の先生達が書いた先生達や保護者に向けてのadviceの本が沢山出版されています。
この事は、音楽の教育に携わる者としては、実に一般的な意見なのですが、その例を具体的に上げると、
①「芸大(桐朋)を受験するには、小学校に入学する以前から、ちゃんと大学の教授の元で音楽の勉強に専念しなければならない。」
②「上記2校以外の有名音楽大学に受験を希望する生徒は、小学5,6年生迄に、受験体制に入らなければならない。」
③「中、高の受験のために、塾に行く事を希望する生徒は音楽大学の受験を諦めた生徒と見做して音楽への夢を見せてはいけない。」
④「小学生の内から、1年、365日音楽の練習を休んでは行けない。」
これらの事は、音楽の友社や全音楽譜出版社からの、Pianoの指導者に向けて、或いは、Violinの指導者に向けての指導者へのadviceの本として、芸大や有名なpianist達、violinist達の先生方が書いていて、沢山の本が出版されていて、音楽指導者達にとってのBibleにもなっています。
勿論、大きな本屋、楽譜屋であれば、何処でも手に入れる事が出来るbest-sellerなのですから、何時でも読む事が出来ます。
小学生5,6年生(或いは、中学生の時)から、塾に行って、中学受験、高校受験をして、それから音楽大学に進学をする・・という事は、原則として、有り得ない事なのですよ。
音楽はballetやathleteと同じ、職人的な世界なのですから、中、高校生になってから、自分で判断出来るようになってから、「音楽に進むか否か」を決める事が可能な世界では、(何度も繰り返し言っているように)、絶対に有り得ないのです。
「でも、教室では、何人もの生徒さん達が、高校生の時に音楽大学への進学を決めて、実際に音楽大学に入学しているのでは・・???」
それは、「100%助からない」・・と言われている癌患者が、奇跡的に助かったのに過ぎないのですよ。
それが教室では、100%の確立であったとしても、それは一般的には、誰一人として信じない、超、super、ultraな例外、所謂奇跡に過ぎないのです。
現に、その事を、教室以外の人達の誰に言っても、信じる人はいない・・でしょう??
一般的に有り得ない事は、有り得ないのですよ。
指導者は、常に子供と密接に、接しているので、「子供が自分の夢に、ひた向きに向かう」・・・という事を育てる事は、そんなに難しい事ではありません。でも、それは、私達の教室だけの例外中の例外なのですよ。
一般の教育では、音楽大学を受験する目的で音楽の勉強をする場合、音楽の楽しさを学べる事は、絶対にありません。
子供達は、苦痛と罵詈雑言に耐えて、親と子供がlessonの度に、絶望して泣きながら、挫折に耐えて、音楽大学に進学出来るのは、それでも、ほんの一握りに過ぎないのです。
巷の音楽大学を卒業して来た人達は、そう言った苦労に耐えて来たelite達なのです。
私はそう言った教育に対して、批判的である事は事実です。
しかし、だからと言っても、父兄の望む物、学業もProとしての音楽も、所謂、その両方、全てを与える事は無理なのですよ。



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7月3日ひかりヶ丘の糖尿病外来 ·
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2日の夜です。
明日7月の3日は、朝一で光が丘の病院の糖尿病外来に行きます。
糖尿病では、兎に角、痩せる事、体重を減らす事しか、言われないのですが、実際には、昨年の12月から、全く体重が変わっていないのですが、不思議な事に、病院の先生も、回りの人達も、「少し痩せた‼」といいます。
しかし、この半年の間は、体重の変化は全くありません。
明日の病院も、単に薬を貰いに行くだけなので、病院で長時間、待っている事が、少しマンネリ化していて、無意味な事のように思われます。ならば、以前の巷の個人病院と全く変わらないように思われてしまうのですよ。
毎回、検査は血液検査だけなので、その結果も全く変わらないし、なにか新しい検査等は、なにもないので、話す事も、聞くことも毎回同じになってしまいました。
3日の病院の日です。
兎に角待たされる事に苛立って、secondオピニヨンを考えている病院の検査なのです。採血の時に、血管が見当たらないと言う事で、手の甲の血管から血を抜かれました。手の甲の血管は良く見えるのだけど、細い上に良く逃げるので、皆挑戦するのですが、挫折してしまいます。でも、今回のひかりヶ丘の採血の人は、とても上手で細い血管を細心の注意を払って、無事に採血しました。(写真は川崎の採血の時の私の腕です。アハッ!)
病院の検査と診察が一通り終わったら、ついでに、色々な買い物を、光が丘でして帰るつもりだったのですが、余り、前日の夜に寝ていないので、病院での検査と診察が終わった時点ですっかり疲れ果ててしまいました。
だから、光が丘では、何処にも寄らないで、大急ぎで、ハイツに戻りました。
すぐに寝よう・・・と思っていたのですが、前日の夜に、Facebookの論文のcheckを斉藤先生に頼んでいたのですが、赤入れが終わって、mailに添付書類として、着いていたので、パソコンで、それを更に手直ししていたら、なんといつの間にか、夕方になってしまっていました。
突然なのですが、いつもの時間になって、意識混濁の睡魔が襲って来たので、ベッドで寝た所までは良かったのだけど、目が覚めたら、ドルプリのお迎えっ歩の時間を過ぎていました。
慌てて準備をして、出掛けたのだけど、椎名町の玄関には誰もいないので、霧雨の中を、フラワー公園までトボトボと、歩いて行ったのだけど、courseを変えてしまったのか、巡り合えなかったのです。
すっかり疲れ果ててしまったので、公園のいつものベンチで休んでいたら、お巡りさんが二人もチャリでやって来て、職質を受けてしまいました。
雨の公園のベンチで一人でポツンと座っていたので、痴呆徘徊の老人と間違われたようです。それとも、不審者かな⁉

お巡りさんが、「雨の中をベンチに座って・・」とか、言っていたので、「ここは木々が重なっているので、雨には濡れないのですよ❗」とか、「ワンちゃんを迎えに来たのだけど、会えなかったので、疲れてしまったので・・・❗」とか、説明したら、徘徊ではない事は、分かって貰えて、無事解放されました。


暗い誰もいない雨のぼっち公園を、楽しんでいたのだけどね⁉(写真は別の日の夜の公園です。雨が降っている分けではないので、これよりも状況は暗いのかな?)
これ以上近所の人に不審者と間違われて、通報されても、仕方がないので、急いで、椎名町に戻ったのだけど、実は、ドルプリのお迎えっ歩は既に終わっていて、部屋にいたのだけど、ドアを締め切っていたので、私が事務所に着いたのが、分からなかったようです。
いつもならば、私が着いたら、ドル達のお迎えがあるのですが、ドアが締まっていたので、お迎えに出れなかったようです。
霧雨の中を無駄に散歩したので、椎名町に着いたら、微熱が出てしまいました。
微熱で疲れが更に増して、ハイツに戻る準備が手間取っていたので、何度も催促したのだけど、持ち帰りお弁当の準備が遅くって、とうとうぶち切れてしまいました。待っている事が、とても辛かったからです。
大急ぎでハイツに戻って、体温計で測り直したら、更に熱が上がっていて、微熱ではなくなって、しっかりとした熱になっていました。
慌てて風邪薬を飲んだ所です。


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7月3日『もう一つの闇雲練習』 ·
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闇雲練習について、批判的である私ですが、一度も闇雲練習を体験しなかった分けではありません。
私が「音楽の道に進む」と高校2年生の時に、心に決めて、・・というか、腎臓の病気で左腎臓の摘出手術をしたので、周りの人達が、私が医大の受験には耐えられない・・と私の医大進学を諦めてくれたので、「音楽のような女の子の趣味的なgenreの大学でも良いか?」と言う事になって、音楽を学ぶ事が許されたのです。
Pianoの練習を始めたばかりの頃は、高校の授業が4時半に終わってから、超急いでアパートに戻って、5時から9時までの4時間、Pianoの練習を「scale、Etude、Bach、曲」と毎日、練習しました。
勿論、当然、日曜日のお休みの日は、朝の9時から夜の9時まで、寝食を忘れて練習三昧の日々でした。
それでも、「私が高校生になってから音楽の勉強を始めた」ので、そのcomplexは酷く、追い立てられるような練習を毎日やって来ました。





音楽大学の受験の課題曲は7月に発表になります。
東京から遠く離れた地方の街では音楽の勉強はままなりません。
・・と言う事で、担任の先生と、大学病院の先生、勿論、音楽の先生に相談をして、classの友人達には誰一人にも内緒で、学校の出席日数の限界である休みを計算して、12月の前には、大学病院の先生に絶対安静という診断書を書いて貰って、友人達に見つからないように、その日の内に東京に出発しました。
私は、高校1年生の冬から高校を休学しているので、復学して、そのまま留年しました。と言う事で、私の同級生達は、もう既に、受験が終わって、大学生だったので、同じ音楽部の同級生で、1年前に東大に入学している友人と一緒に東大の学生部に掲載されている下宿(一般の不動産業者の物件とは違って、東大専用なので、極めつけに安いからです。)を探し回って、久我山に間借りで、居を定めて、それから、東京で学生をやっている従兄弟の紹介で、離れにPianoのある独居老人の家のPianoを借りて、受験の日まで、毎日朝の9時から夜の9時までの12時間の練習を3ヶ月間毎日続けました。
この12時間の意味は、toiletteにも行かないで、勿論、食事も食べないで・・の、絶対的な12時間なのですが、それはtoiletteに行くためには、その独居老人の部屋を通らないと行けないので、そうすると、再び、離れのPianoの部屋に入りづらくなるからです。
1年と半に渡り、4時間練習と12時間練習を続けた分けなのですが、大学に入学した後は、再び4時間練習、12時間練習を続ける事は2度とありませんでした。
つまり、大学受験という短期目標があったから出来たに過ぎなかったのですが、「やろうと思えば、12時間練習も出来る!」という自信にはなったとは思います。
「もし、それ以降も音楽大学で12時間練習を続けていたら、proの演奏家に成れたのかな??」
「仮定の質問には答える事が出来ない・・??」「否、仮定の質問でも、答える事は出来ますよ!」
その答えは、「不可能です!」と言う事なのです。
私も、Rheumatismus※)で手が固くなって、指が回らなくなるまでは、伴奏pianistとして、公開の舞台に立って演奏をしていました。(動画が無いのは、βやVHSのvideo-cameraが発売される前の時代だったからです。Pianoは余り上手では無かったのだけど、幾ら優れたpianistでも、伴奏の技術は難しいので、結構『伴奏はうまい!』という音楽家の仲間内の評判で、あちこちでよく弾かされたのですがね??)
※)Rheumaは、国の難病に指定されている、血液の病気で、未だに不治の病です。
私が音楽の勉強を始めた頃、腎臓の手術を受けた過程の血液検査で、Rheumaの因子が発見されて、「60歳頃には、指や手が痛んで、苦しむだろう!」と言う事で、音大生の頃には痛み止めを処方されました。(尤も、その頃はその痛みは一度も飲んだ事はありません。今現在でも一度も飲んではいません。)
確かに、40代に入ってから、指の筋肉に柿渋が入ったように、渋くなって動かなくなってしまいました。その頃は、お湯に手を浸けて、温めてから解すとなんとかPianoを弾く事が出来ました。しかし、その内にそれも無理になってしまって、Pianoの演奏の現場からは全く離れてしまいました。
Rheumaは風邪と同じように、指の硬直や手に痛みに一般的に言われる事がありますが、それは全く別の病気で、Rheumaとは関係がないので、誤解のないように、注意してください。
Rheumaの診断には、定義が難しく、多くのcheck項目を経て認定される・・という、医者の間でも、簡易定義が認められる程に、未だに診断が難しい難病なのですからね。
「闇雲練習」は、何も考えないで闇雲に練習をする事なのですが、よく勘違いされる事は、無意識に練習をする事と混同されてしまいます。(「無意識練習」という事は、無意識を作り出す事は至難の技なので、無意識練習が出来る人はもう既にpro中のproなのです。)
athleteは勿論の事、武道でも、1万回の練習を経て、無意識に体が完璧に動くようになる事はとても大切な事です。
咄嗟の状況に反応する事は、無意識の反応だからです。
そのために、何万回も繰り返し練習して、無意識下でも完全に行動が再現出来るように体に教え込む事なのです。
私も、練習を重ねて行く過程で、自分が弾いている演奏が、Recordを聞いているように、BGMとして聴こえて来る事が、極めて稀にありましたが、そういった演奏を理想として、練習を重ねて行ったのですが、中々出来るものではありません。練習で出来たとしても、演奏会の舞台で出来ないとなんの意味もないからです。
闇雲練習を私がやめてしまったのは、それが余りにも非効率で生産性の無い練習であったからです。
BGMのように聴こえて来る事だけを目標にするのならば、Pianoを使って練習をする必要もなく、椅子に座ったままでも、歩きながらでも、そういった訓練は出来るからです。
その練習には場所や時間は必要はないからなのです。
オケ練習の時に、toiletteの事を「音入れ」という意味でもあります。アハッ!
大学生の頃は、自分の「ブキッチョさ」を直すために、日常生活の全ての改革を行っていました。
その中の一つの重要課題として、闇雲練習の改革を真っ先にしたのですよ。
それでも、こんにちになっても、弊害だらけの、音楽の道に進みたいという願望のある子供達を阻む大きなneckになっている「闇雲練習」が、失くならないのは、「塾に於いても」、「音楽大学の指導に於いても」、完璧にcopyさせる事は、見せかけだけでも、生徒達を「上手になった!」・・と、勘違いさせるには充分で、最大の方策だからなのです。
芸事が世襲として、自分の子供達に伝わって行くようにするためには、必ずしも、自分の子供が天賦の才に溢れて生まれて来る・・という願望は捨てなければなりません。
無知で、無能な自分の子供であったとしても、その子供が人々の上に立てるように、「見てくれ」だけでも完璧する必要があったのです。
戦国時代の多くの武将達は、本人達が幾ら冷徹な観察力を持っていたとしても、親の欲目を捨て去る事は出来ませんでした。
殆どの優れた武将達が、凡庸な子供に後を継がせようとして、国を滅ぼしてしまいました。
しかし、徳川家康だけは、自分の子供達に対しても、過剰な期待は全くしませんでした。
つまり、自分の子供達が平々凡々なお坊ちゃんだったとしても、ちゃんと為政者として君臨出来るように、思想を統一して、世襲制度の社会を確立したのです。
それが儒教の思想であって、忠君愛国の思想であり、また家元制度なのです。
その儒教の思想は、こんにちでも、学校教育や会社主義、家庭の中にでも、男尊女卑として、立派に息づいて、堂々と君臨しています。
学校や塾の教え方も、その内容を理解させる事は、塾のmanualに過ぎません。
clientである子供達には、問題の意味を理解させ、解き方の意味を理解させてしまうと、塾は必要なくなるからね??
・・という事で、塾でも、(現に今教室に来ている生徒達でも、・・)算数の意味が分かって、問題を解いている分けではありません。
教えられたから、そのように解いているのに、過ぎないのです。(問題を解くだけならば、猿でも出来る・・てか??)
小学生でも学ぶ代数ですら、中、高生になっても、「xyzの意味は?」「abcの意味は?」と聞いても答えられる生徒はいないのです。
「では、n`の意味は・・」そりゃあ、xyzも答えられないのに、無理に決まっているでしょう??
その理解力の、余りの酷さに、ほんの僅かのオケ練習の休み時間に、牧野先生が数学の意味や解き方を指導していました。
学校でも、塾でも、成績を上げるために、「問題の解き方」は教えるけれど、その公式の導き出し方や、公式の意味、定義とは何か?・・を教えてはくれないのですよ。
親は子供の頭の良さを学校の成績で判断しようとします。
それで、闇雲に子供の成績を上げる事に、専念しようとします。
でも、「闇雲練習」では、「頭を良くしようとすれば、する程、馬鹿になる」・・という事迄は、中々、理解出来ないのですよ。
頭の良し悪しは、「頭の使い方」を知らないだけの事なのですがね~ぇ??
それを親に言っても、子供に言っても、理解して貰えません。
教室のそれが理解出来ている生徒達は「何故、理解出来ないのか?」それ、さえ分からないのだけどね??
定年を迎えた、ある女の先生が、杉並区で、「落ちこぼれの生徒達を集めて、数学の意味を説明するための塾」を開きました。
その事を聞き付けて、東京中の、中、高生達が集まって来ました。
でも、その生徒達は落ちこぼれの生徒達ではなく、都立西とか、開成とか・・、その他の名門校の生徒達だったのですよ。
つまり、「公式の意味」を知りたかったのは、「落ちこぼれの生徒達」ではなく、有名、中、高の生徒達だったのですよ。(まあ、当たり前といえば、当たり前だけどね??)
大学の教授連中や一流の演奏家達が生徒を指導する時には、自分の思っている通りに演奏してくれる生徒が理想の生徒なのですよ。
だから、日本の女性達のように、従順に先生の言う通りに、従ってくれる生徒が理想の生徒なのです。
私のように、「どうして、そのように演奏しなければならないのですか?」と聞いて来る生徒に、教えるのは、先生としては、至難の技でしょう??
でも、私はそういう生徒を教えるのは大好きですけれどね??
だって、そういう子って、虐めがいがあるじゃないの??
一般大学を卒業して、音楽大学の院に入る事を希望する生徒がやって来ました。
2,3ヶ月指導した後での話なのですが、私が論文の課題を出しました。
1月程経って、その男の子が烈火の如く怒り捲くって、教室にやって来ました。
Q:「先生!国会図書館まで行って、先生の課題の答えを探したのに、その答えが見つかりませんでした!!」
A:「だって、書物や資料をcopyするだけの勉強ならば、高校までの勉強でしょう??院の勉強は研究・・という事なのだけど、それは、答えが無い・・所に、答えを類推して行くのが研究というのだよ。」「探偵小説みたいで、スリリングで面白いだろう??」
その生徒は怒ったままで、二度と私のlessonに来る事はありませでした。
でも、そう言ったthemaの課題は、私の昔の生徒達ならば、中学生の女の子達でも、ちゃんと解けた問題なのですよ。
その男の子は大学を卒業するまで、一度もコピペ以外の勉強はした事がない・・という意味なのですよね??
それでは、院に入れても、研究者になる事は不可能ですよね?
じゃあ、院に行く必要はあるのかな??



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7月4日体調不良 ·
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7月3日の夜の1:44分に書いた「2日の夜です。」のcommentの続きです。
次の日(7月の4日)になったのですが、朝早くの4時台からtoiletteに目が覚めるのはいつもの事なので、それは良い・・としても、今度はbedから起きれなくなってしまいました。
朝の6時を過ぎたので、普段の定刻の時間・・という事でパソコンの前に座って、作業を始めようとしたのだけど、意識が朦朧としてきて、諦めてbedに戻りました。
次は10時頃の話だけど、定例の体重測定と血圧を計ったら、なんと、これまでで、最高にreboundしていたよ。3㌔以上も体重が増えていた。これは非常事態だよな~あ??
本当は絶食が一番体調管理には良いのだけど、胃の調子も悪いし・・微熱もあるし・・、困ったな~ぁ??
・・という事で、パソコンで入力している今現在はお昼の12時を回った所です。
意識朦朧状態で朝一から全く仕事にならないので、パソコンが勝手に仕事をしてくれる作業をする事にしました。
作業の設定だけならば、簡単なはずなのですが、朦朧としているので、手元が狂ったりして、別のkeyに触れてしまったりと、まあ、色々です。
ベッドから起きてtoiletに行く度に、その都度・・・、通常の編集作業なのだけど、パソコンがvideoの編集の作業のために、1時間以上もbusyになって、使えなくなってしまうので、そういった時間の掛かるvideoの編集作業を、toilette-timeで起きる度に、その都度、setしました。
私がbedで寝込んでいても、パソコンが私の代わりに作業を継続してくれているから、楽で良いのですが、朝の6時から始めた作業が、6時間経ってお昼になっても、未だに継続中です。
それでもなんとか、後、20分ぐらいで、videoを曲毎にまとめる作業は終わります。
まあ、なんと、時間の掛かる事??
やっとこ、さっとこの世界だなや‼





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7月6日7月6日の深夜です。3時過ぎです。 ·
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真っ暗なままの部屋には、椎名町から持って来たクチナシの香りが漂っています。
部屋を真っ暗なままにしているのは、灯りをつけると公園から部屋が丸見えになるからです。
「あの部屋の住人は丑三つ刻でも起きていて、一体何をしているのだろう?」と、公園にたむろしている徘徊者達に思われたくないからです。でも、今日は小雨・・公園には徘徊者はいないのだけどね??





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7月6日『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと ·
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長らくお待たせしました!!
『㈲芦塚音楽研究所のhomepage』が、やっと再開出来ました。
検索エンジンで「㈲芦塚音楽研究所」と、検索して、お探しの方は、未だ、古いyahooのgeocitiesのaddressが残っていて、それをclickすると、『yahoo-geocitiesは終了しました!!』と出てしまうので、「芦塚音楽研究所」の下のURLが「ashizuka-ongaku-kenkyujo.com」になっているのを、確認してください。
日本語で検索をする場合には、「芦塚音楽研究所」ではなく、「㈲芦塚音楽研究所」と区別した方がヒットしやすいようです。
もう使われていない、古い、yahoo geocitiesのURLは、accessされなくなったら、自動的に消滅して行くらしいので、放っておいてください。
yahooの側では、削除は済ませてあるのだけど、既に「拡散してしまったaddressはどうしようもない」・・との事だったので・・!!
serverから、「芦塚先生のお部屋」のaddressと芦塚陽二の病床記のaddressも、貰う予定なので、論文系のhomepageは、もう少しお待ちください。
また、「㈲芦塚音楽研究所のhomepage」から、linkの張られている「芦塚先生のお部屋」のPageは、まだmail-addressを取得していないので、開きません。
それも、geocitiesの『yahoo-geocitiesは終了しました』のmessageが出てしまいますので・・。
お約束のhomepageを見やすくするための「layoutのrenewal作業」は、もう少し、お待ちください。
先にlinkの切れてしまったPageを復活して行きたいので・・
なにせ、homepage関係は、やる事が多過ぎるので・・、up、upしているので・・・超、大変です。アハッ!
2月、3月からの教室の報告のPageを作る作業も、全くやっていないので、その仕事もやらなければな~ぁ??いや~ぁ、てえへんだ!!

「新しく更新しました」と書いてあるのに2017年とかの更新だったりで、ホームページをサボっていたのがバレバレで、かなり恥ずかしい状態ですが、とりあえず復活させるところまでだけ出来た、ということで、ご理解いただければ幸いです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
18年は私は入院と手術で、homepageどころではなかったので・・!!
ご理解あれ・・・


コメント
風戸 星那
お疲れ様です(^^)
スマホからですとashizuka-ongaku-kenkyujo.comまでアドレスが確認しにくいので、
新しいホームページのアドレスをフルで載せていただけると助かります!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
URLはhttp://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/のはずなのですが、私の携帯でaccessすると、見つからない・・と出てしまって、URLを確認すると、www.ashizuak-kennkyujo.comになってしまっていて、URLが入らないのですが・・検索には芦塚音楽研究所と出ていて、commentも表示されているのですがね??それがどうして開かないのかは、今の所不明です。原因を探している所です。どうしても、yahooのgeocitiesが邪魔をしてaccess出来ないので、access出来たらまた書きます。
· 返信する · 1年前 · 編集済み
風戸 星那
芦塚 陽二 了解しました‼️ホームページなかなか大変ですね💦楽しみにしてます!
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
教室のhomepageをそのまま、スマホ用に変換しようと思ったら、メモリー不足と出てしまいました。果てさて!次の一手が思いつかない!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
スマホの芦塚音楽研究所.comから、homeをclickしたら、なんと教室のhomepageに入れたので、そのページを携帯のtopに持って来て、そこから、clickしたら、なんと‼やっぱり、見つからない・・というmessageが表示されて、開きませんでした❗芦塚.comのスマホのページからは開いたのにねぇ⁉分からん😭
· 返信する · 1年前
風戸 星那
芦塚 陽二 なかなか一筋縄ではいかないですね😅
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
address(ドメイン)を貰ってから・・、uploadしてから・・それぞれ半日以上時間が掛かるようです。諦めて放っておいたら、開いたりして・・。よう、分からん??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
星那ちゃん、放ったらかし、している分けではありません。先生達が使っている携帯も同じ携帯なので、checkが出来ないのです。誰かにスマホを借りてからcheckしなければならないので・・・。
http://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/
芦塚音楽研究所
ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
芦塚音楽研究所
芦塚音楽研究所
· 返信する · プレビューを削除 · 1年前
芦塚 陽二
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/ashi...
芦塚先生のお部屋
ASHIZUKA-S-OHEYA.ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
芦塚先生のお部屋
芦塚先生のお部屋
· 返信する · プレビューを削除 · 1年前
芦塚 陽二
このPageは携帯では開きませんか??それぞれのtop-Pageなのですが・・??芦塚先生の闘病記は、開くようには、なったのですが、未だ手付かずの状態です。完全な個人的なblogなので、チョッとupするのは恥ずかしいので、開かなくても良いのかな??とも思っていたので・・・
· 返信する · 1年前

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7月7日今日はひょっとしたら、七夕さんでは ·
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今日はひょっとしたら、七夕さんではなかったのかな⁉
昔々は、オケ練習の時に、笹に願い事を書いて、オケが終わって帰る時に、花見川に流したのだけど、近頃は、川に流す事も、燃やす事も出来なくなってしまったので、笹に願い事を書いて吊るすのは、遠い昔の行事になってしまいました。
牧野先生には、それに代わるような、環境に優しい七夕の行事はなかったのかな?と尋ねては、いるのだけどね⁉


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7月8日教育の違い·
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今は、随分改善されて来ましたが、私達の代では、中、高6年間と大学の2年間の8年間もの長い間、学校で英語を学んで来ましたが、それで全く話せるようにはなりませんでした。勿論、・・読めるようにも・・です。
しかし、交換留学生で、私達の高校にやって来たAmerica人の高校生が、「日本の高校の英語は、超難しい❗」といって、彼が40点、50点しか、解けない英語の試験を、同級生達が60、80点をとっているのは、私に取っては、超、驚きでした。
テレビを見ていると、アジアの奥地の床もない・・土の上に座って勉強をしている小学生の子供達が、たった2,3ヶ月で、片言でもお喋りが出来るようになっているのは、超、驚きでした。
日本ではクーラーさえ入っている美しい教室で、大学を出た先生達が教えているのに、8年経っても、片言も話す事が出来ないのですからね??箱物には、お金は掛けても、塾に超、お金を掛けても、その学習内容の中身は、お粗末そのものですよね~ぇ??
これで、2020年のOlympicなんかの「おもてなし」なんて、出来るのかね~ぇ??
超、昔々の、私達の時代では、英語は遠い国の異国の言葉であり、占領軍の言葉でもありましたが、globalな時代である現代社会では、英語が話せる事は、必須の課題ですよね⁉
子供の内から海外に遊びに行っている子供達に取っては、もはや英語は身近な言葉であり、遠い異国の言葉ではありませんよね⁉
しかし、学校教育だけで、学ぼうとすると、今でも、多くの子供達にとっては、昔々の私達と同様に、英語は異国の言葉に過ぎないのですよ❗
私にとっては、英語は単なるcommunicationの手段に過ぎないと思っています。つまり、話をしようという必要性がない所には、英語の価値観は産み出されません。
私達が子供達と接する時は、音楽教室の先生として・・です。
子供達に音楽家の伝記や音楽様式について、調べさせようとして、netのWikipedia等で調べると、実に間違いだらけの、oberflächlich(表面的な)解説しか出て来ません。
しかし、ヨーロッパでは音楽はお国の文化であり、歴史があります。
だから、私達も、より詳しく深く調べたい時には、approachを原語でsearchします。
そうすると、かなり専門的な事をnetで調べても、超、詳しい説明が何Pageにも渡って出て来ます。(勿論、原語か英語ですが・・)音楽の勉強をする時にも、曲のAnalyse等は、日本のWikipediaには、出て来ません。
あくまでも、ヨーロッパの文化の中の音楽であって、日本では、一流の音楽家であったとしても、未だに、異国の(fremd=未知の)音楽に過ぎないからなのです。
私達の時代には、videoはまだなかったので、私も留学前には、同じ国の映画を見る事で、少しでも、その国の言葉に慣れるようにしました。でも、私が留学を望んでいるドイツの映画は東京中の映画館を探しても、中々上映していないのですよ。仕方がないので有楽町の怪しげな映画館で上映していた映画を、パスポートの申請の間の待ち時間に見ていたのですが、何とMünchenの駅前の風景が出ていて、実にtimelyでした。・・内容は兎も角として・・
今はnet社会ですよね⁉
それに、七夕
文章が入力出来なくなってしまいました。以下の入力は諦めます。




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7月8日教育について ·
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そう言えば、私は大学時代から、人に教育を施すのは、(自分自身の鬱々のcontrolさえ出来ないのに・・・)とても烏滸がましい限りなので、人様を教育する事は嫌いで、教育の事について何かを述べる事は、なるべく可能な限り、避けようと心掛けているはずなのですが、いつの間にか、教育についての問題提起や、批判ばかりの論文やessayばかりを書いています。まあ、必要に迫られて、ではあるのですがね。
つい先日、テレビで、脳科学者で美人の女の人が、日本人とヨーロッパ人の違いについて、話しをしていましたが、ヨーロッパの人達は自分自身の考え方や個性をとても大切にするので、人の意見に流される事はないのだけど、日本人は、「それが間違いだ」と気づいていたとしても、人々の流れが、「それを正しい」とするのならば、その流れに敢えて追随するのが日本人の特性だそうです。
日本人の中にも、minorityではあるけれども、自分の考え方や自己主張の強いtypeの人達がいて、ヨーロッパ社会の中では住みやすくても、日本では色々と軋轢があって、住みにくいのだそうです。
私も、留学が終わってから、Genzmer先生の好意で、Münchenの音楽大学の口を、二つ程、紹介されたのですが、その時に、私の心に過ったのは、この異国の地に墓を設ける事です。
若い間は良いとしても、歳を取って、老人になった時に、この街に住んでいる多くの日本人の人達の、孤独と望郷の念が、ひしひしと私の心に伝わって来たのですよ❗
人は、若い時には、冒険にさえ憧れるものです。しかし、歳老いて、力尽きて、夢破れた時には、Peer Gynt(ペールギュント)のように、自分を故郷で待ってくれる人がいる事は、現実的には、ないのですよ。
浦島太郎のお話は、海外で暮らす人達にとっては、実に身近な現実のお話なのですよ❗
それが、Genzmer先生のご好意を、お断りした本当の理由です。
普段言っている、Münchenには美味しい寿司屋がないから・・・というのは、単なるjokeです。
Genzmer先生には、まだ祖母が存命だから・・と、謝って起きました。まさか、「Peer Gyntには、なりたくはない」・・とは、言えないのでね⁉
私自身も、日本人typeではないので、余り、社会に角をたてないように注意して、少しでも波風をたてないように、自己反省をして行きたいと思っているので、日本独特の教育の問題からは、なるべく、距離を持って接して行きたいと思っているこの頃です。例え、子供達が、自分の一番好きな分野で、一番得意な分野で社会に勝負する分けではなく、一番苦手な、一番劣っている、才能のない分野で、社会に挑戦しようとしていたとしても、それが、その家庭の目標であるとすれば、私の言う事はありません。
でも、私自身も、自己主張の強い、付和雷同型の、日本人typeではないので、Münchenに住んでいる時には、国民性が似ているので、気を使わないで良いので、とても楽でした。
帰国して、日本に住んでいる以上、あまり社会に、波風をたてないように注意して、少しでも角をたてないように、気をつけてはいます。
常に、「社会に軋轢をたてないように、自己反省をして行きたい」と思っているので、私の理念とは相容れない、日本独特の教育の問題からは、なるべく、距離を持って接して行きたい・・と思っている今日この頃です。
私とすれば、その子供が一番好きな事を人生の目標にして行く事が、その子の人生を豊かにして、幸せを掴む最大の可能性である・・と思うのですが、日本では、一般に追随する事が、安全で安定している・・とされます。また、追従型の子供達にとっては、その方が楽で幸せなのでしょうが、何かを追求する楽しみを持った子供達にとっては、意に反する事に人生を掛けるのは苦痛でしかありません。そこからは、何も産み出さないのですよ。
その子供の、一番苦手な、一番劣っている、才能のない分野で、社会に挑戦しようとしているとしても、それが、その家庭のpolicyであるとすれば、そこには、私の口を挟む事はもうありません。
私とすれば、その子供が一番好きな事を人生の目標にして行く事が、その子の人生を豊かにして、幸せを掴む最大の可能性である・・と思うのですが、日本では、一般に追随する事が、安全で安定している・・とされます。また、追従型の子供達にとっては、その方が楽で幸せなのでしょうが、何かを追求する楽しみを持った子供達にとっては、意に反する事に人生を掛けるのは苦痛でしかありません。そこからは、何も産み出さないのですよ。
美人の脳科学者の女性が言っているように、今現在、もう既に、今の子供達は、globalな世界に生きているので、今更の日本型の教育は、政府の省庁の中で一番遅れていると言われている文科省ですら、現行の教育の姿には、否定的で、個性の教育や、優れている一面を伸ばし育てる事を、何とか頑張って、教育の制度の中に取り入れようとしているのですがねぇ⁉
2020年になって、Olympic-yearになって、世界中の人達が日本を訪れた時に、日本の教育が恥をかかなくて済む所までは、なんとか体制を作りたいのだからね??
methodeは無かったとしても、形(入れ物)だけは・・ねぇ??
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芦塚 陽二
相も変わらず、書いた文章がぶっ飛んで、編集履歴からコピペしようと思ったのだけど、それぞれの文章でぶっ飛んだ文章が余りにも多くて、とうとう挫折してしまいました。WordPadかに文章を書いてコピペすると良いのだろうけれど、それでは推敲は出来ないからね??



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7月8日月曜日のroutine ·
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今日は7月8日の月曜日、・・routineといえばそれまでなのですが、朝はいつもの通りに、4時頃に目が覚めて、toiletteに行って、ウダウダしてまた寝て、起きて・・といつもと全く同じpatternを繰り返しました。ウダウダは良いのだけど、意識が朦朧として仕事にならないので、それもいつもの通りに、videoの編集作業をして、パソコンだけが働いて、私はbedとパソコンの椅子を往復していて、まあ、一日中がウダウダになっているのだけど、それが月曜日のroutineなので、諦めています。
土曜日には瑞希ちゃんに8分音符と16分音符の3連音のfinale入力の仕方を聴かれたのですが、そこがfinaleのamateurっぽい所で、取説の通りに入力しても、どうしても上手く行きません。・・と言う事で土曜日は、保留になってしまいましたが、日曜日の朝、千葉に出発する前に、大急ぎで、裏技でそういう風に見えるように入力をしてみました。
日曜日の夜には、東京に帰って来てからは、もう、体力的に使い物にはならないからです。
日曜日の練習は、Vivaldiの秋やPachelbelの難曲も、中々上手に演奏が出来ていたと思って褒めていたのですが、良く良く考えて見ると、超、珍しく、お姉さん達が5人も来てくれて、演奏を助けて来れたからだよな??
まぁだ、お姉さん達に依存しているのだよな~ぁ?




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7月9日DvorakのPiano-quintetto ·
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折角、You Tubeにupload出来た、と思った「DvorakのPiano-quintetto」の作曲家の名前が「Brahms」になっていたと、梨紗から連絡があって、慌てて、You Tubeの動画を削除して、動画を最初から編集し直しました。

Pianoquintetto Dvorak Op.81A Dur 第Ⅰ楽章芦塚音楽教室 第1回目初回のlesson - YouTube
Titleの作曲家の名前の書き換えの編集だけなのですが、dataとしては、どっちみち、全部やり直しをしなければならないので・・
・・・という事で、「編集のやり直し」と、「YouTubeにuploadする」だけで、今日の半日を、丸々費やしてしまいました。
とは言っても、パソコンが、今日一日busyで、塞がっていただけで、私が忙しかった分けではないのだけどね⁉





7月10日引き籠りday ·
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今日は(まだ)7月7日の火曜日です。
今日、火曜日は、唯一の自宅に「引き籠りday」で、ドルプリっ歩も、先生達との食事も無い日なのですが、この所、何時もと同様に、冷蔵庫の中身は、午前とお昼に食べ尽くしてしまったので、夜の食事の分の食べ物は、全く何もありません。
という事で、夕方から、寿司屋に呑みに繰り出すか否かで、悩んでいたのだけど、この所の火曜日は、一日の半分を寝込んでいるので、飲みに出掛けるだけの、勇気がありません。今日は、意さえ決したら、飲みに出掛けるだけの、体力はなんとか、残っていたのだけど、気力の方がなかったようです。
ダラダラしていたら、Cinderella-timeになってしまいました。 
仕事の方も、今日は、五重奏のtitleの間違いの訂正をしただけで、後は、あちこちの仕事の手を付けただけ・・・という事で、「仕事の下準備の下準備をした」・・・という風に、自分自身を納得させて、お茶を濁してしまいました。
まあ、この所の月曜日と火曜日は、毎週毎週、こんな風な感じだよな⁉
善哉、善哉❗

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7月13日「人生の究極の目標」 ·
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(この文章は、とても長い日本人の持っている「人生の目標」についての、批判的な論文の一節です。Facebookには、とても入り切れない長文なので、その一部分の抜粋です。)
人生の目標ではなく、人生の究極の目標(=目標を叶えた後のその後の目標という意味です。)というと、一般の人達は何を求めているのだろうか?
若い頃は、一生懸命働いて、定年を迎えて、老後を年金で、悠々自適に過ごすとか、大企業に就職して、安定した生活を目指して、老後は趣味三昧で過ごすとか・・曰く、何も建設的な事はしないで、ただ生きて過ごす事を老後の目標にして、今現在を生活しているように思えるのだがね。
しかし、老後に悠々自適を目指すのならば、若くて元気な時に、愉しく過ごせば、その楽しさは倍加すると思うのだが、歳老いて悠々自適になったとても、もう、そこで出来る事は限られてしまうのだろうから、実につまらないと思うのだがね⁉
老後に出来る事は、旅行にしても、趣味にしても、何にしても、もう、体力も気力も限られて来るのだから、若い頃のようには、然程は期待出来ないのだよねぇ⁉
それに、老後に、旅行や、趣味を楽しんでだ・・としても、人生100年の時代に、金銭的な問題もあるのだよ。
仮に、二千万の貯蓄があったとしても、政府にむしりとられていては、それ位の貯蓄では、悠々自適には、殆ど遠かろうしねぇ?
体力も気力も失せて、人生の残りを、慎ましく生きたとしても、その老後は、生きるだけの、人生ならば、その生きている意味は老醜となってしまうのではないのかな?
若い時に、自分の夢を犠牲にして、一生懸命働くという事は、何の意味があるのだろうか?
若くて元気で、美しい青春の時期を、何の目標を持って、努力して、勉学をするのだろうか?
そして、老いて、体力も気力も失せた後に、老後をどう生きて行くのか、という事を悩んだとしても、時既に遅いのだよな?
今の若者達には、どのような老後の生活が待っているのだろうか?
政府や、子供や孫達が、養ってくれるのかな?
それはいいな?
もし、そうならばいいよなぁ・・・・?????

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7月15日今日は7月15日の月曜日です。 ·
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今日は7月15日の月曜日です。
つまり、7月も半分過ぎて、もうすぐ夏の合宿と夏休みのおさらい会が始まります。
しかし、その前に、今日はいつものroutineの月曜日と火曜日のウダウダで、体が反応をしてくれなくてbedとパソコンの往復をしていて、やっと、夕方の5時になって、風呂に入って髪の毛を洗う事が出来るようになった所です。
でも、未だに体調は復活していません。
兎に角、「月曜日と火曜日は、仕事は出来ない・・と、諦めるように・・!!」と自分に言い聞かせているのだけど、根っからの貧乏性なのかね??


先週の7日はDvorakの五重奏があったので、お姉さん達が集まってくれて、オケ練習も盛況だったのだけど、昨日は、梨紗さんが練習に来てくれて、Schubertの死と乙女まで、付き合ってくれました。
お姉さん達が来てくれると、子供達は楽しそうだよな??


コメント
千野 由実
そんなお姉さんになれると良いですね〜、瑞希も✨
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
よそ見をしなければ、普通に成れますよ!!普通に・・・
· 返信する · 1年前
千野 由実
よそ見をしたくなる年頃ですよねぇーーーー(^_^;)
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私が帰国して来たばかりの頃、長崎放送のテレビから10日間の密着取材の申し込みがありました。勿論、当時は子供達の指導はしていないし、大学で教えてもいません。生活をするための職業は、未だ考えてもいませんでした。留学でので体調を直すために、大学病院での検査と作曲三昧の日常だったので、テレビのproducerに、「作曲家の日常は、起きたら机に向かって、唸り声をあげながら書いたり、楽譜を破ったりだけの日常で、全くおもしろく無いのですよ。」と言うと「そこは編集でなんとかします。」という事だったのだけど、余りにもつまらないので、断ってしまいました。violinistの人生も単純で単調なものなのですよ。よそ見もする事も無いし・・
傍から見ていると、単調にしか見えない事が、実に面白いのですよ。アハッ!



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7月21日「摂眠障害」 ·
プライバシー設定: 公開

深夜の2時に寝て、二時間も眠っていないのに、toilet-timeに目が覚めて、起き出してしまった❗
部屋の温度が合わないし、鼻づまりと意識混濁状態で、体が動かないし、空気が重たいので、お風呂に入って、首を温めて、髪の毛を洗った!
クーラーは切っているのだが、なんとか、熱中症にもならないで、堪えているのかな??
「私の作品が紛失した。」
一昨日、金曜日の夜は、事務所のArchivに、私のViolinのduo集の導入の1,2巻や、他の作品が見当たらなくって、自宅のハイツの本棚の私のcornerを引っくり返して探す事になってしまった。
Violinのduoは演奏会用の難しい第4巻は見つかったので、今回のおさらい会には間に合いそうなのだけど、finaleに入力する前の時代のパソコンが無かった頃の作品なので、全部、手書き譜なので、間違って売ってしまったのか・・、単純に江古田からのお引越作業の時に紛失したのか・・、いずれにしても、俺の作品が段々と失われて逝くのは、慚愧の念に堪えない!
「homepageの再構築」
homepageはRental-serverで、芦塚音楽研究所のhome-Pageや、「芦塚陽二の闘病記」は、dataは欠損する事なく残っているので、後は、単純にlinkの落ちている所を復活させるだけの作業なのだが、「闘病記」は相も変わらず、serverに何度も設定を変えて送っているのだが、未だに公開されないし、「芦塚先生のお部屋」は論文は、結構、paperのdataが残っていたので、OCRの作業さえすれば、かなりのPageは戻って来ると思われる。
しかし、問題は、肝心要の「楽曲の解説と分析」のPage、所謂、interpretationのPageが殆ど全部がぶっ飛んでしまっている事だ!
こう言った論文的なものは、思い出しながら書く・・と言う程には単純ではない。
「VeraciniのPassacagliaの動画の編集作業と改訂版についての歩み」
昨日は、丸々一日掛かりで、VeraciniのPassacagliaの動画の編集をして、You Tubeにupする所迄やった。
VeraciniのPassacagliaは、MünchenでLupi版の楽譜を手に入れてから、なんとか初演をしたかったのだが、2016年の4月の3日の教室の春の発表会で演奏をした。しかし、Lupi版は原曲の1/3程にcutされたものだし、そのarrangeも酷いものだったので、originalの出版されている楽譜を探して見たのだが、少しはマシな、通奏低音の楽譜でも、所詮はCembaloとcontinuoを想定して書かれているので、imageが合わない。
教室には折角私が作った(この場合の作った・・という意味はideaを提供した・・という意味ですが)本物のpipeのorgelがあるのだから、そのOrganのための楽譜を作ろう・・と思いついた。音量のbalanceの点で、先生からは反対されたのだが、 positiv organではViolinのsoloの伴奏も可能である・・という事で、作曲を強行した。
本来的には、音響の優れたHallやfloorで演奏すべきなのだが、Organを移動させる苦力もいないし、・・という事で検見川教室で録音をした。
Organの伴奏譜を作成する時に、 bezifferten Baßは同じなので、愛ちゃんが「自分もsoloの曲が欲しい」と言うので、愛ちゃん用に、室内楽の伴奏とorchestraの伴奏のConcerto Grossoよりも、もう一つ大きな形式で作曲をする事にした。
愛ちゃんにconcerto-soloの曲を決めなかったのは、当時は、まだ、入退院を繰り返していた時期だったので、発表会の当日に彼女が演奏が出来るか否かが不確定で、分からなかったからです。
勿論、soloの演奏の場合には、まあ、彼女が病気で発表会に出席出来なくなったとしても、それによって、被害を受けるのは伴奏者だけなので、soloの場合には、当日のドタキャンも可能出。発表会の進行にはなんの支障もないのですが、オケや室内楽では、一人欠けても、曲全体が演奏出来ない事になって、他の生徒達に多大の迷惑を掛けてしまいます。
オケや室内楽は集団活動の場なのですよ。ましてや、音楽の世界では、通常は、ドタキャンは絶対的に、有り得ないのですよ。
でも、「病気で発表会に出れない」と言う事は、本人のせいではないし、一番、可愛そうなのは本人です。
私達の音楽教室は、proの教室ではなく、巷の音楽教室に過ぎないので、「子供達の幸せを優先させる」・・という事で、「solisteが、本番に病気で出れなければ、当然、お姉さん達の誰かが代奏すれば良い」・・というおおらかな気持ちで、VeraciniのPassacagliaの上演を強行する事にしました。
楽曲を制作するに当っては、一般のPeters版にはよらず、非常に珍しい、originalのfacsimile版を底本にしています。
Peters版はUrtextなのだけど、それでも、Veraciniのcontinuoの数字の付け方が曖昧なので、間違えて和音を書いてある場所が数箇所あるからです。
originalのViolinと通奏低音のCello(gamba)とCembaloの曲からのtransposeは、中々上手に出来た・・と自負しております。
(写真はVeraciniのPassacagliaのoriginalのfacsimile譜です。)




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7月21日「巷の音楽教室の先生という立場の私への評価」 ·
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作曲家として、否、音楽家として、自分のprivate-orchestraを持つ事は、大きな夢です。
Haydnや、Vivaldiの時代、所謂、baroqueや古典派の時代には、貴族や教会が音楽家を雇っていたので、雇われ楽長としての厳しい「縛り=制約」はあったものの、自分のorchestraで自分流に演奏する事は可能だったのです。私自身も、私のarrangeした作品を私自身の指揮と指導によって、演奏する事は至高の楽しみではあります。(勿論、ちゃんと、間違えないで演奏してくれたら・・??という条件は入りますけれどね??)
私はまだ若い時代、日本の音楽大学の学生であった頃から、periodによるbaroqueや古典派の演奏を考えていて、実際に学生時代にも、毎年、自分のprivateでorchestraを個人的に集めて、学校での演奏をしていました。(写真は大学生時代の時の、私のprivate-orchestraの演奏風景です。)
私が日本に帰って来てから、母校への就職は一番安直な可能性だったのですが、問題は、大学生を指導しても、大学に合格するまでに付いた悪い癖を取って、正しいmethodeを指導するには、4年間、6年間の授業では、不可能だという事で、教育の現場には立ち入らないように距離を保つ事に留意をしながら、十年以上の長きに渡って作曲や演奏の現場で働いていました。
大学での夢だけを見て、何の意識のない大学生達への指導だけは、したくない・・という事や、それ以上に、テレビやイベント等のマスコミの世界が大嫌いな私は、マジに音楽関係以外の職業に従事する事も考慮中でした。
と言う事で、私の自分で決めたtime-limitの33歳という年齢なのですが、そのtime-limitの意味は、「音楽だけで、生活を立てる事が出来なければ・・??」という意味だったので、実際には音楽で稼ぎ捲っていたので、その目的は果たせていたのです。
しかし、例えClassicの世界での「金を稼ぐ事」であったとしても、それが「仕事への意義」を見いだせなくなってしまうと、2年間も私に合った天職を探していたmoratoriumの時期の、当時の私の心の隙間に、「絶対に私がそれを仕事にすることはない」と思っていた教育の世界に身を投じる事になった事は、私に取っては信じられない事であって、37歳になった頃、ある教育関係者と会って熱烈な教育への話しを聞く迄は、考えた事もありませんでした。
ましてや、一般の子供達を対象にした音楽教室を作るという事は、考えてもいませんでした。マジに「何のために、この私が・・・」ですよ。
では、何が私に取っての「悪魔の誘惑」だったのか?というと、一つは当然、「私の教育のmethodeを実践してみたい。」と言う事と、「本当の音楽の基礎の指導をしなければならない。」という義務感、それに、弦楽器のrootsの演奏法に拠るorchestraは、日本の間違えた奏法を学ぶ前の時期にしか習得出来ないので、世界でも非常に珍しい本当の意味でのperiod奏法によるorchestraが作れる・・という誘惑でした。
そう言った演奏の出来る子供達を育てるのに、30年近くも掛かってしまったのですが、それは、period奏法が、音楽大学や、proの活動をした演奏家でなければ、そう言った演奏法は出来ないという、音楽界の人達からのadviceを真に受けて、誤った考えを私自身も持ってしまった事にも、その原因があります。
八千代での初回の演奏は、昔の生徒達のlevelから遥かに技術が低下していた生徒達を公開の演奏をさせるのは無理だ!!と先生達や周りの人達からのキツいバッシングがありました。(では、何故、昔の生徒達がlevelが高かったのか?という疑問を持たれるかも知れませんよね??私が若くて、やる気があったから??・・う~ん、ちょっと、違います。理由は、私の「日本の教育に対してのantitheseに興味を持った人達」が集まったからです。日本の教育制度に批判的な意識を持っている人達が集まったのが最大の理由なのです。)
しかし、子供達や親の意識が出来る迄、いつまでも、子供達の意識のlevelが向上するのを待っていては、永遠にそのchanceは訪れない・・というのが私のpolicyなので、「八千代で演奏する事は公開の演奏なので、学校や個人の予定よりも優先する」と言う条項を設けて、署名捺印を保護者の人にさせて、練習を強行しました。
そういった厳しい制約があるので、そのprogramの曲の中にperiod奏法による演奏のstyleを忍び込ませたのですが、驚いた事に、「音大生やproの演奏家でも出来ないperiodの技術を、子供は何の困難もなく出来る」と言う事を改めて知る事になりました。
ならば、回り道をする事はなく、最初から、正しい音楽の技術を習得させれば、もっと上手になるはずです。
と言う事で、一般のオケ練習の場でも、periodの教育を積極的に指導するようにしました。
但し、だからと言っても、音楽教室の開設に当って、私が最初から「子供達への教育指導をする」事を受け入れた分けではありません。
そもそも成り行きで、私が音楽教室を作る事になった時の経緯であり、条件も、私自身が子供達を直接指導して、子供達に成果が幾ら出たとしても、それは私の能力なので、当然であり、何の意味もないので、「私自身が子供達の指導をする」という事は、私自身も、周りの人達も、誰一人として、考えもしない事でした。
教育の関係者からのofferは、私が数人の先生達を指導して、私のmethodeをlectureする所迄が、私が教育機関から与えられた課題であったからなのです。
当初の目的、目標は、お約束の5年で達成出来たので、教室をその先生達に渡して、私は教育の現場からは、お暇する予定だったのですが、その時に先生達から指導を受けた生徒達から、「この教室のような所は、何処にもないので、この教室で働きたい」との申し出があって、では、教室を会社にして、就職出来るようにしよう・・と思ったのが、「間違いの始まり」でした。
音楽教室を立ち上げる迄(開設する迄)は、色々な音楽大学から多くの行き詰まった生徒達が私の所に、習いに来ていたのですが、音楽教室を開設した途端に、私が育てた生徒達の殆どが、中学生、高校生に進学するのを契機として、音大の教授の元に逃げて行きました。
それまでは、逆patternだったので、世の中の人間達は、実に面白い傾向があるのだよな??という事が、非常によく理解出来る現象ですよね⁉
それは、今現在でも全く変わっていません。
有名な権威のある教授や、テレビ等で活躍する音楽家達を見ると、その人達の生徒達の方が、levelが上で、技術力も優れている・・と思ってしまうのです。
子供達は私の指導を直接受けているので、見る目は育っているので、外面的な事ばかりには目は行きません。しかし、親や周りの人達は、評価の基準を技術や音楽そのもので見る分けではないのです。
と言う事で、ある時には、親の啓蒙活動のために、子供達と保護者の人達を大学の演奏会に聴きに行くように勧めて、後日、評価を聴きました。答えは「流石は大学生で上手ですよねぇ~??」と言う事でした。子供達に聴くと、小学生の子供達であったとしても、「超、酷かった!」と小節毎や、曲毎に演奏の批判を展開します。
それは、事前の刷り込まれたimageや、「大学生が演奏している」という目から来る視覚的な要素なのです。
だから、親には、「自分の子供の演奏と大学生の演奏を目を瞑った状態で聴いて見てください。」と、adviceをしました。親は、ビックリしていたよ??
本当の本物を見る目を養う事は難しいのですよ。
ましてや、そういった現場にいない場合でも・・ですよ。
それはproの音楽家でも同じなのです。子供達の演奏を聴いて驚いたとしても、子供達が自分達よりも優れた演奏をする・・という事だけは認めないのです。
(尤も、世界的に活躍している人達は、それが出来るようなのだけどね?orchestraをpromotionして、世界中を演奏している人が、昔、教室のオケ練習を《staff一同引き連れて》見学に見えられました。練習を聴いて一言、内緒話で、「この子達、私達のorchestraよりも上手何じゃない??」・・つまり、分かる人達には大人も子供も無いのですよ。上手か?下手か?の違いしかないのです。)
正しい判断にはそこまでのNiveauが必要なのですよね??
アハッ!そりゃ、無理だ・・・





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7月22日夏休みの前の最後のオケ練習です。 ·
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今日は7月21日の日曜日、夏休みの前の最後のオケ練習です。
オケ練習の練習のprogramは、曲数が少ない事もあって、早めに終わるように、時間が割り振られているので、曲数が少ないのにも関わらず、結構、時間ギリギリにlecture指導しなければならないので、私が子供達に雑談をしてしまうと、その日の次のオケの曲のprogram(time-table)が大変な事になってしまいます。
・・と言う事で、この所、何年にも渡って、子供達にとっては、一番大切なお勉強になる雑談(お説教-time)の時間が中々に取れないままに、lessonを繰り返して来たので、その皺寄せが、この所のオケ練習に出てしまいました。
・・という事で、何年か振りの、お久し振りに、大説教をしてしまいました。
本当に子供達が音楽の演奏が上手になるためには、日常の物事(接する、目にする)への姿勢が、とても大切です。日常の生活のNiveauを上げる事が、技術の向上や、人生の夢を叶えるための、本当の意味での重要な要素なのですが、そのお話をオケ練習の片手間に、ほんの少し口にするだけでは、理解出来る分けでもないし、雑談を雑談としてしか、聴けなくなってしまっているのです。学校の授業でも、先生のお話から、試験に出るpointや受験に必要な知識を得る事は、一生懸命に先生のお話を聴いたとしても、それが子供達の身に付く分けではありません。必要な事は先生のお話の中から、何をselectしなければならないのか?の判断が瞬時に出来る事なのです。だから、雑談が子供達の意識を集めるための面白話の部分から、子供達の勉強の上で必要な枕の部分に至る時に、それを理解する能力は、雑談に慣れる事なのですがね??
・・と言う事で、先生のお話を聞こうともしない(訓練されていない)今の子供達に取っては、私の超、お説教は、初めての経験だったので、結構、驚いたのかも知れませんが、しかし、それは、Des Antonius von Padua Fischpredigt(魚にお説教をするパドヴァの聖アントニウス)なのですよ。日本では「**の耳に念仏」・・というのかな??
まあ、それでも、失われた時間を、なんとか、出来の良い曲を端折って、時間通りにはオケ練習を終わって、室内楽の練習も済ませて、Kontrabassの移動も済ませて、椎名町の事務所には、なんとか予定の時間迄には戻れたので、ドルプリっ歩と食事を済ませても、まあ、なんとか、普段のroutineとしては早めの時間の、12時のcinderella-timeの直前には、ハイツに辿り着いたのですが、いつもの「帰って来た後片付け」をしていたら、またまた、パソコンの椅子で2時間程、寝てしまっていました。
「これは大変」と、慌ててbedに潜り込んだのだけど、椅子では熟睡出来ていたはずなのに、bedの中に入ってしまうと、今度は中々寝つけないのです。
横になると、「鼻詰り」が起こるからなのです。座っていると、血が下がるので、「鼻詰り」はしません。カウチベッドならば、良いのでしょうがね??
蒸しムシしている部屋を、頑張って、部屋の温度調節で寒くもなく熱くもない温度設定にして、なんとか寝たのだけど、またまた、2時間程寝たら、「鼻詰まり」と「toilette-time」で起き出してしまいました。
今回の「鼻詰まり」は、とてもシツコクて強烈で、酷くて、幾ら、点鼻薬を注入しても、鼻は通るようにはならなかったので、諦めて、熱めのお風呂に入って、首を温める事で、鼻をなんとか通しました。
それで、やっとまた眠れたのだけど、またまた、2時間程でtoilette-timeで起き出して・・以下同文の繰り返しになってしまいました。
つまり、言ってしまえば、土曜日と同じroutineになってしまいました。と言うか、何時も同じ状態で摂眠に苦しめられています。




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7月23日前のFBの続きになります。 ·
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今日は7月22日の月曜日です。
つまり、前のFBの続きになります。
朝が、来たので、仕方がないので、椅子で休む所を、今日の仕事の作業に切り替えて、生き返った「芦塚先生のお部屋」のPageの中の、途中でぶっ飛んでしまっているPageのrenewal作業、特にVivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 Stravaganzaの論文の欠落した部分の修正やlinkを再構築する作業、今までは、開かなかったhomepageの「闘病記」の設定の作業や、lessonの動画をBlu-rayに焼いたり、まあ、思いつくだけの入力作業を片っ端からやって、その次いでにfinaleの入力の作業や、生徒が入力をしたfinaleの修正、訂正をする・・・等々、朝から実に多彩な作業をこなしてしまいました。
それに、有線「光」のprovider契約が切れてから、開かなくなっていた私の個人的なblogである「闘病記」を新しいrental-serverに乗り換える事を、Xserverからのmanual通りに、何度uploadを試みたのですが、どうしても、一度もuploadが出来なかったのですが、ふと、「Xserverから、貰ったmanual通りではなく、全く新たに、新規に作り直したら良いのではないのかな?」と思って、自分勝手に、新規のpageをuploadして見ました。
勿論、結果は、真っ白な画面がhomepagebuilder上に、upされるだけで、それから先は、「ニッチもさっちも」・・・なのですが、その白紙の画面に、元々のupload出来なかったhomepageのindexのPageであるtop-pageをコピペすると、「なんということでしょう~⁉」開かなかった、「闘病記」のpageが、見事開いたのですよ‼
いや~ぁ?やったね‼
長い日月を、延々と、悩んでいたhomepageのuploadの作業がやっと、終わったのだよな⁉
後は、三つのhomepage「(㈲芦塚音楽研究所」のPageと、「芦塚先生のお部屋」のPageと「芦塚先生の闘病記」の、Pageのlinkの不具合等々を、見つけた時に、その都度、修正して行けば良いだけなのだよな⁉




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7月25日finaleの入力 ·
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今日は7月の24日水曜日の深夜なのだが、教室が夏休みに入って、先生達が合宿の準備で、rotationがめちゃめちゃになったので、私は、日曜日を除いたら、先生達とはrotationのsynchronicityはしていないはずなのだが、どういう分けか、私も、月曜日から昼夜の分からないbedとパソコンの往復で、VivaldiのIl favoritoのⅢ楽章のCembaloのpartやViolin、continuo-Celloのarticulationをfinaleで入力している。
大変な作業で、もう既に2日掛かりの作業になってしまっている。勿論、月曜日と火曜日の夕方迄は、homepageの復刻作業と論文のPageのrecoveryの作業も平行してやってはいるのだがね。homepagebuilderのwebvideoStudioの作業を始めた途端にパソコンが、freezeしてしまって、何度も強制終了でやり直したのだが、今回は全く出来ない・・という事が分かった。
パソコンがfreezeするsoftは、You Tubeのuploadの時と、homepagebuilderの幾つかの作業、finaleの音声の再生作業の時が、主である。
「finaleの入力」
finaleの入力作業には、私の決めた手順があるのだが、私の「時短」の法則というのは、必ずしも、時間の短縮だけをするためではない。寧ろ、ミスを事前に防ぐという意味合いが大きいのだよ。
芦塚メトードによるfinaleの入力法は、先ずは、templateを作る所から始まる。しかし、市販のRicordi版等のscoreは、小節番号が「通し」、つまり、Ⅰ楽章からⅢ楽章迄を通算で数えているのだ。finaleにも、開始の小節番号を任意に指定は出来るのだが、それは上級編なので、寧ろ、下準備として、Ⅱ楽章やⅢ楽章の場合には、自分のscoreに小節番号を書く作業をする。
その時に、全体のthemaのlayoutを同時にcheckしておいて、themaがどの様に、後半に使われているのかを知る事がその後の入力の速度を決めるpointになるのだよ。つまり、全体の構成を予め知っておく事が大切なのだよ。
そこまでの下準備が出来たら、入力の作業は先ず、themaだけを入力して行く。
Vivaldiやbaroqueの曲は、ritornello形式なので、コピペで次のritornelloにcopyをする。楽譜に書き込んだPage番号とfinaleのtemplateのPage番号を合わせて、どんどん入力をして行くのだ。虫食い楽譜が出来上がる。
勿論、themaをcopyをして、その調へ転調をさせて、その後、音の微調整をする。
その作業が終わると、その作業だけで、入力作業の半分は出来上がっているのだよ。
芦塚メトードでのarticulationは、感情的に演奏の都合の良いように作る分けではありません。themaに必要なarticulationは時代様式で定められているので、bowingに関しては、個人の自由や私の感性は必要はありません。
これまでも、延々と古典派の様式によるbowingや、baroqueの様式によるarticulationを説明して来たのだけど、同じ時代の作曲家であれば、同じ様式になるのだけど、未だに、オケ練習の度に、毎回、同じ事を説明しているのだよ。
それでは、私の言う「勉強をしないで、成績を上げる事」等は出来はしないよな??
先ずは、最低でも、それくらいはmasterして欲しいよな??
今の子供達は「1を聴いて10を知る」と言う事は、許されていないのだよ。そんな事をすると、「勝手な事はするな!」と先生に怒られてしまうからね??
自分勝手な事をされると、私でも怒るかも知れないけれど、theory通りに、先読みをするのは、勝手な事をする事とは、根本的に意味が違うのだよ。
(反故)

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7月25Il favoritoの即興演奏譜 ·
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なんと、今(午前11時)の練馬区の気温は体感温度39℃だってさ!
湿度73%だって!!
実際の温度は31℃で30℃超えだってよ。たまんね~よな??
・・・てな事を言っていたら、気温が更に32℃に上がっていた!!
確か・・クーラーを入れたままに横になって寝ていたはずなのだが、仮眠をしていて、余りの寝苦しさに、toilette-timeに起き出した次いでに、パソコンを付けて(部屋の窓の温度ではなく、外の・・)練馬区の温度を確認してみたら、なんと、温度は32℃迄、1℃だけ上がっていた。
・・・って事で、室温と体感温度は39℃のままなのだけど、1℃上がっただけでも、体感的には、熱く感じるよな??
今日はVivaldiのIl favorito のCembalopartが余りにも酷いのでいつもの通りに、continuo-CelloとCembaloのpartを作り上げて、私が前に指導してfinaleで演奏法を入力したViolinの弾き方がscoreに反映されていなかったので、basso continuo組と言う事で、soloのViolinのpartに細かく書き込みました。
homepageにIl favoritoのPageを探したのですが、見つからなかったので、この曲は今回の発表会の曲なので、練習も夏休み明けに、後1回で終わりなので、気長に探す事は出来ないので、timelyという事のために、Pageを新設する事にしました。本当は、練習風景の動画は、uploadの予定はなかったのですが、論文の曲の解説上の都合で急遽、uploadする事にしました。
一般的には、教育の現場では、全てのjanreの勉強の水準というのは、そのgroup自体の水準ではなく、その指導者が与えるlectureの内容のNiveauで、そのgroupの水準の高さが決まります。
つまり、指導される側の生徒達の水準や勉強の達成能力は、その生徒達の持っているmotivationの水準で決まるのです。
少年少女のorchestraでは、何処のorchestraでも、auditionで出演者のlevelを統一して、生徒達のlevelやmotivationを統一してからなの練習を開始します。そうしないと、集団の指導は出来ないからなのです❗
まあ、音楽大学の受験も或る意味では、auditionでもある・・と言えるかも知れません。音楽に進む生徒のlevelを統一する事で、先生達の指導が容易になるからです。
教室のorchestraの公開演奏を聴いた人達の多くが、orchestraを演奏している生徒達が、auditionでselectされた(選び抜かれた)生徒達である・・と思い込んでいるようなのですが、教室では周知の事実なのですが、実際には、音楽教室の生徒が少ないので、orchestraに参加したい人達が、各自任意で、申し込んで、orchestraに参加しているのですが、その事を、見学に見えられた人達に説明すると、「どうして、そんな任意に参加した子供達に、同じ水準のlectureが出来るのですか?」と質問される事がよくあります。
それは簡単です。
指導するlectureの内容を、一人ひとりの子供達の水準に合わせてlessonをして、それぞれの子供の技術的なNiveauを上げれば良いだけなのですよ。
アハッ!
と言う事で、Il favoritoのⅡ楽章は、ad libitumな即興風に演奏をしなければならないのですが、「自由に歌う」と言う事は、「自由なrhythmで歌う」という事ではないのですよ。
単調に淡々と演奏して行く伴奏の和音に乗って、自由に歌い込んで行かなければならないのですが、拍頭には必ず合わないといけません。
自由に狂わせたrhythmを、正確に拍頭に合わせるという事、それが至難の技なのですよね。
・・・と言う事で、昨日は、千葉に行く前に、ad libitumに歌うviolinの「歌い込みのrhythmを、音符に書き取って、print outしておきました。
即興風の演奏を譜面に置き換えると、逆に難しくなってしまったのかな??




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7月26日今日は首都高が閉鎖されていて ·
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今日(7月26日)は夏の合宿の下準備のために、千葉への移動だったのですが、何と北池袋の入口が、Olympicの渋滞のsimulationのために、首都高速の入口を閉鎖して、わざと一般道の大渋滞を引き起こして、警察官の渋滞の規制のtrainingをするという事なので、開いている入口まで、回り道をさせられてしまったのだが、幾ら、Olympicが国家的なprojectであったとしても、私達にも生活や仕事があるのだから、警察国家の統制の訓練のような事は、幾ら非常事態対応の練習だとしても、あまりやって欲しくはないよな‼
それこそfascio(ファッショ)国家になってしまうよ‼
Summitにしても、Olympicにしても、大都市圏ではなく、風光明媚な自然の中の方が、金も掛からないし、一般の人達の迷惑にもならないし、本人達の能力も上がると思うのだがね
遠回りなのだけど、規制に引っかからないように湾岸線回りで千葉に移動したのだけど、千葉はなんと33℃なので、炎天下に駐車をして、プリドルがホットドッグにならないように、先に花園教室のクーラーのある部屋にプリドルを降ろして、もう一度ポストコ・・もとい、コストコに行きました。
途中の幕張本郷駅でlesson帰りの牧野先生を拾って、コストコに向かいました。
コストコの屋内駐車場は2.1㍍の高さ制限があるので、教室の車は屋内には入りません。タイヤ交換の駐車場に停めさせて貰いました。イトーヨーカ堂の屋内駐車場は2,2㍍なので、私の車も入る事が出来ます。
買い物を済ませて、時間ギリギリに花園に到着して、欄外のlessonをして、食事は後回しにして、私だけ、東京へ帰りましたが、東京に入った辺りから、雨が降り出して、椎名町の駐車場に着いた時には、超、土砂降りになってしまいました。(台風の影響です。)土砂降りの中を必死に荷降ろしをして、ハイツに戻るために、レインスーツを着込んだら、その途端に、雨が上がってしまいました。超、shock!!
それにしても、荷降ろしの時だけの一瞬の事だったのだけど、結構、びしょ濡れになったので、直ぐにでも寝たかったのを、チョッと無理をして、先に風呂に入って、体を温めてから寝ました。
まあ、それからは、いつものtoilet-timeのroutineが始まるのだけど・・、それは省略しておきます。




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7月28日夏のおさらい会の日です。 ·
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今日は7月28日日曜日の夏のおさらい会の日です。3時からのおさらい会に行くために、ハイツで移動の準備中なのですが、部屋の温度が籠っていて暑かったので、練馬区の現在の温度を見たら、なんと33℃で体感温度は41℃だそうです。慌ててクーラーを入れた所です。
今日の朝は、「芦塚先生のお部屋」から、sonate albumのPageと、PachelbelのChaconneのPageをrecoveryしました。一度、完全にぶっ飛んだPageをrecoveryする事は容易な事ではないのですが、本当にコツコツと少しづつ・・・の忍耐の作業です。
昔は、私の作業を手伝ってくれる生徒もいたので、今よりは少しは楽だったのですが、パソコンの作業なので、単純作業に見えていても、結構、難しいので、子供達には無理なのよね??
車の移動のために椎名町に行ったら、何と豊島区の外の気温は36℃だってさ‼
そりゃないわさ😥
コメント
芦塚 陽二
夜は、花園教室で合宿中の子供達と食事を一緒にして、(今回は最初で最後の子供達とのお食事timeなのだけどね?)10時頃に花園を出てガソリンを入れて、いつもの京葉道路の幕張インターから高速に乗りました❗
ところが、いつもの北池袋方面、5号線に入る分岐点から、道路閉鎖で、入れません。そのまま「新宿線中央道」に向かう他はなかったのだけど、5号線が工事で、閉鎖されているので、その余波で大渋滞です。どうしようもないので、超、辛抱して、なんとか新宿の出口で、高速を降りました。
後は、見知らぬ道を、ナビに案内させて、ひたすら事務所に向かいました。
車を駐車場に入れて、バイクに乗り換えて、ハイツに着いたのは、何と12時を過ぎていました。2時間も掛かってしまったのですよ‼
部屋に入ると、汗が噴き出して来ました❗
超、バテたのだけど、頑張って、シャワーを浴びて、髪を洗って、なんとか就寝の準備をしながら、平行作業と言う事で、SDcardをパソコンに取り込んで、ビデオデッキにも、取り込む所までは、やりました。
取り込みの作業は時間が掛かるのですが、パソコンが勝手に仕事をするので、パソコンを動かしたまま、寝てしまう事が出来るので、そこまで、やっておくと、後が楽だからです。
流石に、今日は熟睡出来たようです。
しかし、明日の合宿の最後の練習は、普段のA、Bオケと同じscheduleだという事なので、ハイツを遅くとも11時半には出発しなければなりません。ゆっくりと寝て、ゆっくりと準備するだけの時間的なゆとりは「全く無い!」という事だよね?
それは結構大変なのだよね?!
まあ、後1日と言う事で、根性で乗り切るしかないか・・・??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
昨夜は車からメガネcaseを降ろしたのは良いのだけど、普段用のメガネに交換しないままに、ハイツに戻って来てしまいました。運転用のメガネでは、パソコンの画面を見るのはとても辛いので、古いボツになったメガネを引っ張り出して来て、代わりに掛けています。保護膜が剥げて来ているだけなので、度は変わっていないからです。
昨晩から、まあ、不本意な事があって、またまた、胃が痛くなって来ました。神経性胃炎だな??事前に分かり切った事でも、実際に直面すると、神経性胃炎になるのは、私の肝が細くて、何時までもくよくよする性格は、昔々からそうなので、今更、如何せん致し方ない事なのですがね?
そのために、心療内科にも行って見たのだけどね~ぇ??
テレビで薬でも効かない鬱は、脳の一部に電子レンジを当てると劇的に改善する事がある・・という番組をやっていたのだけど※)、保険適用が出来るそうだけど、未だその電子レンジを持っている大学病院が少ないのだそうな??週に4回ぐらいを、約3ヶ月程繰り返すのだそうな??1,2回で治るのならば、頑張って、受けてみたいと思うけれど、そんなに掛かるのならば、・・・そりゃあ、時間的に無理だわさ!!
※)電子レンジはないわな??マイクロ波を照射する器械の話です。


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7月29日「人生の選択」 ·
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非常に優れたsenseや技能を持っていたとしても、それを一般社会に迎合するために、好きでもない分野で仕事として行くという事は、或意味、不幸せな人生と言わざるを得ない‼
ましてや、それが人よりも劣った能力であり、才能とも呼べない場合には、自分が最も苦手とする分野で勝負する事は、或意味、その人にとっては、悲劇と言わざるを得ない‼
日本という国は、不思議な国である。
人よりも勝れた才能や能力を持ちながら、人と同じ土俵でしか、闘う事を許されない・・・・、人と同じ土俵でしか、人生の価値観を見出だせない・・・という事は、不思議である・・と言わざるを得ない‼
人が誰でもが、同じ土俵で勝負するという事は、一番、競争率の激しい所で、勝負するという事に他ならない。仮にそこで、涙ぐましい努力の結果として、「一番を得る事が出来た」としても、常にrivalの存在に怯えて生きて行かなければならないのだがね⁉
非常に優れたsenseや技能は、それ自体、その人の持つ勝れたidentityと呼ぶ事が出来る。
そこでの苦労や辛さは、迎合した場所での苦労や辛さとは、比較にならない、寧ろ、幸せの辛さであり、苦労であるのだよ。
そう言った幸せの苦労を味わった事のない人達には、その辛さ、厳しさの甘い痛みは理解出来ないのだよ。
苦労には楽しい苦労がある・・という事を理解出来ないのだよ。
子供がそれをの




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7月29日鬱が再発した ·
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今日、7月29日は久し振り(6月の2日以来・・)に鬱が再発してしまった。今日の鬱は、いつもの原因不明の体調から来る鬱ではなく、はっきりと原因の分かっている・・どうしようもない鬱なのだよ。



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7月30日写真を貰ったのだけど全部同じ写真 ·
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夏の合宿の写真が送くられて来ました。3,4人の人が写真を送ってくれたのだけど、よく見てみると、全部同じ写真でした。同じ写真を、回しっ子したのだよね??
相変わらず、食べているところと、遊んでいるところの写真しかないのだけど、それは当たり前なのですよね??練習している時には、写真を撮る人がいないのだから・・・??
コメント
芦塚 陽二
You Tubeにはupしないで、直接、私の曲を演奏している動画を貼り付けて見ました。この曲のために私がlecture-lessonをした分けではないのだけど、随分大人っぽい曲も演奏出来るようになりました。中々大したものです。




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7月30日合宿明けの火曜日なのです。 ·
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今日は7月30日、合宿明けの火曜日なのです。
どうでもいい事なのだけど、明後日は8月の1日で、なんと、新月です。なんで、どうでもいいのか?というと、ついたちと新月がダブるという事は、とても月齢を計算しやすいからです。
今は7月30日の朝6時現在で、写真は目が覚めた時のテレビの画面です。つまり、昨晩寝る前に合宿の動画を教室の保存のためにBlu-rayに焼いていて、それが朝、目が覚めたら終了していた・・という画面です。
1枚目の写真の写真も、同様に、朝、起きた時のパソコンの画面なのですが、こちらも、なにかの作業をやりっ放しの状態で寝てしまったのだけど、寝ている間にパソコンの作業は終了して、待機画面の状態で朝を迎えていました。
昨晩の私は、兎に角、ハイツに到着した時点で、既に、死んでいた状態だったので、意識朦朧とした状態で寝る準備をしながら、次の日の作業の下準備だけでもして寝たのはご立派です。
今日(7月30日)は朝早くから、とても陽射しが強いようで、今、7時の状態でも、室内は33℃になっています。
練馬区の今日の天気の予報では33℃になる予定なのだけど、そりゃあ、無いよね??
今、既に、私の部屋の中ででも、33℃なのだから、多分、もっと上がると思うよ??
慌てて、クーラーを入れた所です。
これから、朝のroutineである体重測定と血圧測定をします。
それはそうと、昨日のオケ練習は予定よりも、なんと!!20分も前に切り上げたのですが、合宿最後の日なので、荷物の移動や後の整理(・・なにせ、次に検見川教室に来るのは来月の月末になるのだからね??)に時間を掛けなければならないのと、私が暑さでバテてしまったからです。
オケの練習が終わって、花園教室への楽器類の移動を済ませて、車で、椎名町に帰る前に、パソコンと携帯で交通情報をDouble-checkで確認をして、渋滞が無いのを確認して❢❢ 8時半頃には高速に乗ったのですが、途中の錦糸町⇒箱崎で大渋滞に巻き込まれたので、ふと、「これは昨日の夜の帰宅の二の舞ではないかな?」と思い立って、助手席の斉藤先生に首都高の渋滞情報をその場で調べて貰ったのですが、相変わらず、netには、何も表示されていません。
「昨晩も何度も調べてもそうだった・・」と言う事で、大渋滞の箱崎の分岐に、亀歩きのようなノロノロ走りで、差し掛かったら、規制を書いた車が端にいて、「5号線北池袋方面交通止」の電光掲示板が、目に入って来ました・・・!!
慌てて、反対周りに車を返して(とは言っても逆走ではないよ!外廻りに・・という事だよ!)中央道、新宿方面に逃げると、これまた昨晩と同様に、中央道に入る分岐が大渋滞なのだよな・・?? これでは、昨夜と全く同じではないか??
それにしても、何故、ナビに工事が表示されないのだ??
既に、規制が始まっているのに、首都高のreal-time交通情報には何故表示されていないのだろう??
昨日に次いで、今日もパソコンと携帯の両方で調べて、それ以上に、ナビも付けて情報をcheckしながら、走っているのに、道路の閉鎖が表示されない・・という事は、わざと渋滞を作っているようにしか思えないのだがね!
5号線の閉鎖ともなる重要な工事ならば、テレビで公報しなければ嘘だろうよ!!
東名の工事の時には、テレビであれだけ大々的に報じていたのに、5号線は全く・・では無いか??
なんでも、Olympicに託つけると許されるとでも、思っているのかね??
・・てな事をウダウダと書いていても、未だ、Blu-rayに昨日の練習の動画を焼く作業が終わらないのだよな~ぁ??
後、30分も掛かるそうだ!!
朝食でも食うか??
ああ、体調管理の作業が未だだった!
そちらが優先かな??



コメント
芦塚 陽二
未だ、朝の10時50分なのに、最高温度が変更されて35℃になっているよ!!あ、ひゃ~あ!!
· 返信する · 1年前 · 編集済み
萩元 美紀
芦塚 陽二 エアコンなしでは室内にいれませんね…
この暑さの中、公園に遊びに行く息子。水鉄砲🔫で遊ぶみたいだから少しは涼しいかなぁ。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
昨日もオケ練習の間に、「どうしても外に遊びに行きたい」って言って、裏っ側の道路で遊んでましたよ!!凄いpowerだよね!
· 返信する · 1年前



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7月31日なんと今日は34°もある ·
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homepageを新しいRental-serverにrenewal復活させて、改めて長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の30年以上の長きに渡って書き留めて来た研究論文が、魔の2018年の9月の29日にserver上の不要fileを削除したら、論文のlayoutだけでなく、文章の大半が失われてしまい、事の大きさに失意の驚きを(改めて)感じているこの頃である。
2018年の後半期は、この一大catastropheであるhomepageのぶっ飛んでしまったというtroubleがあったのだが、そのtroubleを悩む暇もなく、同時期に血尿から、膀胱癌と腹部大動脈瘤の手術等々、12月のクリスマス会まで、大変な病院の入退院を強いられてしまい、膀胱癌は結構広範囲を焼く事になったので、病後の傷の治りは遅い予定ではあったのだけど、それでも、糖尿病の性で、傷の治りが極端に遅く、通常ならば、遅くとも10日程で、止まるはずの血尿が3ヶ月、4ヶ月経っても止まらない・・という症状が続いて、それに追い打ちを掛けるように、yahooの方からの「yahooのhomepageのserverを3月の31日で打ち切る」という一方的な連絡があって、病気療養中であるにも関わらず、Rental-serverを探すのにも、またそのhomepageのお引越し作業にも、膨大な時間を費やしてしまいました。
このお話は、これまでも繰り返しお話している事なので、よくご存知の方も多いとは思いますが、今現在、教室も夏休みに入って、少しhomepageの整理整頓をしようと思って、改めてhomepageの「芦塚先生のお部屋」を開いて見ると、教育論文系の文章は、結構紙原稿が残っているのでrecovery出来るのに対して、曲の解説やAnalyseに関しては、dataはおろか、紙原稿の一つさえ、残っていないので、なんともしようがないのだよ。
特に、理論系の曲のAnalyseに至っては壊滅状態である。
手術の病後の状態が少し改善して、やっと夏休みで、homepageに専念出来るか・・と思ったのだが、sonatine albumの曲目解説のPageの補修作業をしようと思ったのだが、Pageを開いただけで、挫折してしまった。
取り敢えず・・という事で、Facebookから関連したPageをpasteしようと思ったのだが、やっぱりそれは論文にはそぐわないのだよな~ぁ?
困った❢❢ 困った❢❢
突然、やる気が萎えてしまった❣❣ (・・・ん??なんでハート??)私はビックリマークをclickしたのだが・・??
文章を書きながら、「チョッと暑くなって来たな~ぁ?」と思って室内に置いてある電子時計の温度計を見たら、なんと、34℃もある❢❢これは大変だ❢❢と慌てて、クーラーを付けた。危ない、危ない❢❢
しかし、未だ、朝の9時だよ??routineの体重測定も未だしていないのに・・??




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7月31日焼肉屋のお話 ·
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合宿の次の日の、7月30日(火曜日)の夕 方は、牧野先生が千葉のlessonから9時頃に、帰って来るのに合わせて、夏休み開始の『打ち上げ』に行く予定に急遽決まったので、飲みに行く時間の都合上、ドルプリっ歩を超、早めの、夕方の7時半頃から行く予定にしたのですが、外の空気が、まるでmyst-saunaに入ったようにモワ~として、身体中がベタベタして、気持ちが悪くなって、お散歩の前から、腰痛が起こって、歩け無くなってしまいました。
と言う事で、昨夜に引き続き、ドルプリっ歩はパスになってしまいました。
打ち上げは、以前も何度か行った事のある、東京では結構有名な焼肉屋に行ったのは良いのだけど、まあ、出て来たお肉が、超、酷かったよな??
若い女の子の店員の無愛想な事・・、それに引き換え、若い男の子の愛想良い事・・❢❢
牧野先生は、「男の子には、生活が掛かっているからね~ぇ??」とか言っていたけれど、女の子には生活は掛からないのかな?
まあ、お肉の酷さ・・は、「上中下から中を選んだからじゃあないの?」と牧野先生が言っていたので、「そんじゃあ・・」と言う事で、一番高いお肉を頼んで見たのだけど・・やっぱ、大した事はなかったよな?
以前に、梨紗達を連れて、この店に来た時には、お肉は、ちゃんとしていて、それなりに美味しかったのだけど、閉店の時間が少し早かったので、今まで来れなかっただけなのだよ。
1,2年、来なかった間に、これだけlevel-downした・・という事は、このお店が椎名町にあるのも、もう長くはないよな??
それにしても、歩くのもしんどい❢
この湿度はなんだろうね~ぇ??
合宿の写真とおさらい会の写真のdataを、中々、ハイツに持って帰れなかったので、合宿とおさらい会の写真をupするのが、後回しになってしまいました。おさらい会の次の日は3回組のオケ練習をしたので、私がハイツに籠もる事が出来なかったからです。
と言う事で、おさらい会の写真のupは夏休みに入ってからのupになりました。
写真はおさらい会の写真と合宿、お食事の写真です。

          

  


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8月


8月4日ユーカリが丘教室の草刈 ·
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今日は「多分4日(日曜日)頃ではないのかな⁉」と思っています‼
多分、昨日は、ユーカリヶ丘の教室に車で行ったような気がしています。
ひょっとしたら、夢だったのかも知れませんが・・・
ユーカリが丘の教室への移動は、ドルプリのお散歩をユーカリが丘で行くと言う事なので、「朝の6時に到着してから、ドルプリっ歩に行く」・・という事で、椎名町からの出発時間が朝4時になってしまいました。
しかし、前日もなにかと忙しくって、椎名町から、ハイツに辿り着いたのは、深夜1時過ぎになったので、超、急いで寝たのだけど、それでも、次の日の出掛ける準備が終わってから寝たので、睡眠時間は僅か1時間半でした。(それでも、1時間半眠れたのは、奇跡に近い事ですよ。)
合宿が終わったのは、30日の事なのだけど、次の日にもlessonが入っていたのと、合宿の後始末をしなければならないのと・・で、それだけでも、てんやわんやなのに、夏休みに入って直ぐに、椎名町の部屋は模様替えが始まったので、食事も出来ない程、部屋の中が大変な有様になっています。
足の踏み場もない・・という事なので、当然、食事をする場所も、作るスペースも無い・・という事なので、私の椎名町での食事は、2,3日続けて、無くなってしまいました。(「合宿後の打ち上げ」はそういった意味もあります。)
折角の夏休みなのですが、私の方は、やっとhomepageを立ち上げる事が出来たので、以前、ぶっ飛んだhomepageのそれぞれのpageの復旧作業に全力を注いでいるのですが、dataが見つからないので、復旧復活作業が遅々として進まないのですよ。
つまり、Pageの修復が出来ないので、そのpageをどうすれば修復の作業が出来るのかを、考えながらの作業なので、全く持って作業が進まないのですよ‼
折角の休みというのに、溜まりに溜まった仕事を片付けるのが超、忙しすぎて、それに連日の猛暑日で、気温が暑すぎて、中々睡眠が取れないままに、ユーカリが丘に移動をしたりしたので、疲れが溜まってしまって、腰痛気味になってしまい、ドルプリっ歩をサボる回数が増えてしまいました。
それに加えて、部屋中が大荷物だらけで、食事を作るスペースがないので、この2,3日、外食になってしまったので、体重がリバウンド気味で、困っています‼ 
食事を作る事が出来るようになったら、リバウンドも直って、元の状態になる・・とは思うのだけどね??
本来的には、ユーカリヶ丘の草むしりを保護者の方達に手伝って頂いたので、そのお礼と報告を先にすべきなのでしょうが、「写真を送って❗」・・と椎名町に再三頼んでいるのですが、何の音沙汰も、ありませんので、報告をするにしても、dataがないのですよ‼
つまり、部屋の中が散乱しているので、dataを見つける事が出来ないからなのです。
本当に暑い中、ありがとうございました。ご近所の手前、教室だけが、草茫々では、心苦しかったのですが、これでなんとか、なったと思います。
夏休みとは言えども、普段はlessonで忙しくて出来なかった仕事を、少しは、片付けなければならないので、そういった仕事を優先されなければならないはずなのですが、事務所としての、機能が無くなってしまうぐらいの、大改造らしいので、全てがstopしているようです❗
4日の夜は・・と言っても、今夜の話になるのですが、今夜は定型通りに、食事とドルプリっ歩に行きました。
ドルプリっ歩から帰って来て、食事timeになった時に、避難させていた陶器の上にMagic-handが落ちて来て、朱泥のお急須が見事に割れてしまいました。超、shockです。長崎から持って来た、本物の朱泥だったので・・・
朱泥は、もう土が無くなってしまったので、陶器の歴史的にも、最後の一つだったのですがね??
物は壊れて、人は死ぬ・・諸行無常・・と言う事で、何事も諦める事が肝心です。
・・・次いでに、写真のdataを探して貰って来ました。
多分、教室のcameraで撮った分なのかな??
枚数が少ないようでしたが、保護者の方達からも写真が送って来ているので、もう少し写真はあると思うけれど・・・??
5日の朝ですが、椎名町から、lineで写真が送って来ました。lineはwindows10にしか入っていないので、10から7へ移す作業をしました。
lineは、普段作業をしている7には入らないのです。(7用のlineは全く新しくlineを開かないといけないので、今までのdataが全て消えてしまうから、それは無理なので、7にはlineは入れていないのですよ。)3台の大型パソコン同士はrunで結ばれているので、run経由でdataを共有出来るのですが、それでも、dataを送るのは、結構、一手間、二手間が掛かって、面倒くさいのですよ。
・・という事で、写真を追加しておきます。
写真の中の、紗來ちゃんのlesson風景の写真は、おさらい会後のPianoの曲の楽譜渡しと「曲の演奏法の説明」です。
楽譜を渡すのが、すっかり遅くなってしまったのですが、教室の楽譜や私の楽譜には、細かい書き込みがあって、そのまま、copy出来なかったからです。
春秋社版は同じ版であっても、出版の年月日で色々と変更がされているので、「春秋社版を買っておいて❢」とは言えないのですよ。外版等は100年以上も全く変更は無いのだけどね??
slurや音符に至る迄、版が違うだけで、変更があるので、lessonで使用すると、結構混乱するのですよ??
楽譜渡しとlecture-lessonを同じ時間にする・・という事は、教室では当たり前の事なのだけど、世間一般では、超、珍しい事なので、一応説明をしておきます。
こう言った難しい曲を練習する場合には、生徒が練習をして来る前に、(時間の短縮のために)練習のpointを説明する事が良くあります。
曲がcurriculumの通りに軌道に乗っている場合には、生徒が自分の判断で、曲の練習のpoint等を研究する事が出来ますが、こう言った前回、前々回の曲と、極端にlevel差があったり、曲の方向性が全く違う場合には、生徒がpointを見つける事が難しい事が良くあります。
だからそう言った場合には、先に私が練習のpointを説明する所からlessonを始めます。
通常はこの楽曲の説明をするlessonを、私は「lecture-lesson」と言っていますがね??
オケの練習の時でも、通常は生徒達に曲を練習させますが、曲の演奏上のpointや練習のpointを中心にして説明する時には、説明、所謂、「lecture」の方が中心になって来るので、私は、オケ練習とは呼ばなくって、lecture-lessonと言って区別をしています。
勿論、私の造語ですが・・・


             

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8月5日『Wohl um die Elfe! 』の続きです。 ·
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それにしても暑い‼
酔っ払って、熟睡していたはずなのに、暑くて目が覚めてしまいました。
・・・と言う事で真っ暗な中、時計を見ると『11時』です。
当然、朝の11時ならば、こんなに「真っ暗」では無いはずだから、「未だ5日の夜の11時だ・・❢」という事だよな?
まさか??・・・その次の日の夜の11時という事は無いだろうからね??
それならば爆睡どころではなく、小一時間くらいしか寝ていない事になるのだよな~ぁ⁉
それでは、明日が持つかどうかが心配だよな~ぁ⁉
『Wohl um die Elfe!』
・・と、いうのは、Eduard Mörike(=メーリケ)というドイツ・ロマン派の詩人の童話のような詩の一節で、夜警の人が「11時だぞ~❗=elf❗」と呼び掛けたのを、寝ぼけていて、自分(Elfe=妖精)が呼ばれたと勘違いをして、ふらふらと起き出して、頭をぶつけている妖精をからかっている・・というMärchenチックなお話しで、大学生の頃には、その小洒落たAtonalität(=無調的)な曲のimageが、Arnold Schönberg(=シェーンベルク)の月に憑かれたピエロ(Pierrot lunaire)のimageにも似て、大好きだったHugo Wolf(=フーゴー・ボルフ)の歌の曲の一節です。
um elf(11時)とElfe(妖精)を掛けての可愛らしいお話です。
とても素敵な曲なので、You Tubeからの歌のsample動画でも・・と思ったのですが、余り気に入った歌い手の歌がなかったので、linkは諦めました。Liedというのは、もっと詩のimageを優先しないとね??皆、歌い過ぎるのですよ❢❢


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8月10日虫と体内時計 ·
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今は8月10日の夕方の6時半を過ぎた所です。
なじかは知らねど、突然クーラーが利かなくなって超暑くなってきました。
クーラーが利かなくなった・・という意味は、クーラーはガンガン回っているのに、温度が下がらなくなった・・という意味です。
練馬区の温度をnetで確認してみると、なんと夕方の6時半過ぎというのに、31℃超えです。そりゃ~あ、暑いわさね??
クーラーの設定温度を25℃まで下げて、扇風機をガンガンに回しているのですが、部屋の空気が芯から暑い❢❢・・のですよ。
こりゃあ、助からわんわさね~ぇ??
それにしても、一昨日の8月の8日は『立秋』だそうです。
その次の日の9日の夜には、律儀にも、秋の虫たちが鳴き始めました。
こんなにも、暑いのに、何処で、秋の訪れを見分けるのかな?
虫にも体内時計があるのかな??
虫の体の中の何処に・・???


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8月14日先生達の帰省と台風と ·
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今日は8月14日の水曜日です。
明日の15日はなんと満月です。
今月は8月の1日が新月だったので、日にちと月齢が一致しています。
でも、明日の15日は月遅れのお盆なので、帰省の帰りのラッシュと台風がダブって大変な事になる予定だそうです。
新幹線は早々と運休を決めているようですから、帰省ラッシュが高速に集中するのかな?? それとも、高速も通行止めになるのかな?? 
今日は斉藤先生、明日は牧野先生が帰省して椎名町のプリドルはお留守番です。
それはそうと、昨日の13日には、斉藤先生がハイツに来て、久し振りでhomepagebilderを使う予定なので、その使い方をlectureしました。
homepageは、教室のhomepageである芦塚音楽研究所のhomepageと、私の論文や教室のconcept等が中心の「芦塚先生のお部屋」は、私しか入力の作業はしないのですが、芦塚音楽研究所のhomepageは、元来は、教室で先生達が入力をしなければならないのですが、先生達がとても忙しくて、その書き込みの作業が全く出来ないので、この数年というか、数十年の間、私が代行をして、発表会の報告のPageや行事の連絡等々をupしていました。
しかし、私自身の論文のpageである「芦塚先生のお部屋」や、私個人の私生活の日記の代わりである「芦塚陽二の闘病記」と、教室の三つのhomepageを、平行で書いて行くのは、負担が大き過ぎるという事と、私が生徒達を直接指導していたり、教室の行事や発表会等の企画運営をしている分けではないので、教室のご紹介や、発表会のcommentがどうしても、教室の先生達からの又聞きになってしまって、どうしてもRealityがありません。
それに、斉藤先生が、教室のtop・Pageのニャンコの背景がうるさいという事で、toppageから、なんとか変更をしたいという事で、芦塚音楽研究所のhomepage全体を、椎名町で斉藤先生や、生徒達が入力出来るように、昨日の8月13日に、椎名町のパソコンに「芦塚音楽研究所」のhomepageの設定をしておきました。
また、事務所のepsonのprinterの配線を業者の人が変に配線してあって、パソコンからepsonのprinterへの接続が、全く使えない状態だったので、間違えていた配線を元の状態に戻して、使えるようにしました‼業者の人は、数台のパソコンとprinterの機器をRouterで分配する配線が難しくて、何らかの都合で、配線を弄ったけれど、元に戻せなかったのですよ❢❢
ビデオとdeckの配線も、数台分の接続と、パソコンへの接続もあるので、元に戻せた業者はいません❗
家庭用の機器の配線しかやった事のない業者には、難し過ぎるようです❗
homepageの、2万ぐらいのdataをserverから椎名町のパソコンにdown loadをして、以前、斉藤先生が業者に習ってその通りに設定して、動かないhomepageの設定を、正しくdownlordや、upload出来るように、訂正して、椎名町でもhomepageが入力出来るようにして起きました。
その設定のためのuploadの間には、結構、時間が出来るので、その間にドルプリっ歩を済ませて、「芦塚先生のお部屋」の古いdataを探して、深夜は1時半にやっとこ、ハイツに辿り着きました。
それで、直ぐにバテ切って眠れれば良いのだけど、そうも行かないので、暫くの間、漫然とテレビを見ながら、パソコンの修正をして、やっと、寝ました。(これが、時間の無駄なのだよな~ぁ??)
6時間睡眠をしたとして、2時間睡眠を3回繰り返すと、結構、眠れた事になり、元気です❗勿論、3時間睡眠の2回ならば、理想的なのですが、今は、現実的ではありません。1時間半の睡眠が、4回では、次の日は、疲れが酷くて、仕事にならないのです。その場合には、時間があって、仕事に追われていない時には、2、3時間を眠れるようになるまで、寝ると、体調はなんとかなります‼
そういう時間が取れる時は稀なのですがね⁉


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8月17日クーラーが効かない ·
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8月17日の土曜日・・、夏休みの最後の日ですが、なんと、練馬区の気温が35℃に達しました。体感温度は42℃です。クーラーが利かない❢ 
超、暑い❢❢
パソコンの作業で動画がYou Tubeに12時間以上掛かっても、upload出来なかったので、最初からやり直している所なのですが、突然、意識が混濁して来て、慌ててbedに直行したのだけど、やっぱり、眠れないのだけど、動くに動けないのだが、昨日、無理をして歩いたせいか、それとも、今日の酷暑のせいか、単に体調不良のせいか?・・全く分からないのだが、何れにせよ、パソコンの椅子に座ったまま、意識が混濁しています。
おっとっと・・❢❢
・・ついに練馬区は36.9℃に達したそうです。
クーラーが利かないのは、当たり前か???
ウダウダしているのは、やっぱり、気候のせいかな??
う~ん??・・そういう事にしておこう❢❢
それはそうと、髪の毛が伸び過ぎていたので、風呂場で髪の毛を切りました。
上手いもんだ❢❢
刈り上げ君です。アハッ!
次いでに、部屋に掃除機を掛けた・・とは言ってもパソコンの部屋だけなのだがね??
この超、暑い中での掃除機を掛ける作業は、結構てえへんだよ❢❢
後は、洗濯機を回すのと・・、う~ん??何処迄やれば、良いのだろうね~ぇ??
勿論、掃除機を掛けながら、パソコンは、勝手に一人でしっかりと作業をしています。明日の朝迄、48時間近く掛かるのだよな~ぁ??(勿論、パソコンを回したまま、平行で寝てはいるのだけどね??)
部屋の掃除は、その並行作業なのだよな~❢❢
写真は、この文章とは全く無関係の長崎の軍艦島の写真です。


それはそうと、椎名町に行く途中の道で、17夜のお月様が実に見事でした。お月様に向かって、バイクを走らせているようで、家並みの上に浮かぶ月は、よく見ると、ほんの少し右端が欠けているように見えましたが、それはそれで、なかなか風情があって良かったのだよな~ぁ?
コメント
村田 晟
熱中症に注意してくださ~い‼
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ありがとうございます。マジ、熱中症になりそうです。


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8月19日夏休み開けの練習 ·
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今日は8月18日の日曜日、夏休み明けのオケ練習の日です。
この所、摂眠障害で、眠れない日々が続いているのですが、土曜日の夜も眠れなくって、バタ狂っていたのだけど、パソコンで仕事をしながら、気を紛らわしていたら、朝はなんとか7時頃になって、やっとこ、睡魔が襲って来て、これ幸いと眠りにつく事が出来ました。
それでも4時間くらいしか眠れないので、出発時間のtime-limitギリギリ迄の12時まで布団に入って、大急ぎで椎名町経由千葉のオケ練習に出掛けました。
お盆明けの最後の日曜日だったのですが、大した渋滞もなく、千葉まで車の移動が出来て、夏休み明けの最初のオケ練習が出来ました。
練習の出来具合なのですが、夏休み前の最後の練習の時には、中々の出来具合で感心していたのですが、今回の出来は、「超、猛暑のせいか??」それとも「夏休み明けでボケたせいか?」・・・すっかりと練習の成果が、崩れてしまっていて、已む無く『お説教』中心のlessonになってしまいました。※)
それにしても、オケ練習の乗りの悪い事、・・悪い事❢❢
それに未だ夏休み中という事もあって、生徒達の集まりも悪かったしね・・??
最初から絶対的に人数が少ないのだから、お休みが多いと、練習が壊滅状態になってしまうのだよ。
それに、後・・、8月の25日と9月の1日の2回のオケ練習で、オケの曲の出来具合を、元の状態に戻さないと、今回の発表会の出来が思いやられるのだよ。
アハッ!
・・・でも、毎年、毎回、夏休み明けのオケ練習は、こんなもんだよな~ぁ?? 
それがこの所、常態化してしまっているのだよな??
※)私の『お説教』という意味は、一般的な『お説教』とは意味が違うので、時折、その違いを説明をしているのですが、仏教的には『お説教』という意味は、『講話』という意味や、単に『お話』を意味します。
だから、私の昔の普段のlessonでは、Pianoの前に座ってlessonをしたり、Violinを持ってlessonをする時だけではなく、lessonなのに、全く一度も音楽のお話をしないままにlessonが終わる事もよくあって、生徒達も私の雑談がとても好きな生徒が多かったのですよ。
しかし、今の生徒達のように、私のlecture-lessonが、月一のlessonでは、個人的なman-to-manのlessonであったとしても、お話だけで終わるlessonは出来ないし、オケ練習等でも集団のlectureなので、私の「お話を聴く」という事は少ないので、今の生徒達は、私からの『お話』を聴く事を慣れていません。
『お説教time』には、聴く側の『慣れ』という訓練も必要なのです。
今回の『お説教』のお題目は、「芦塚メトードでの勉強の仕方」と、「学校や塾での勉強の仕方」の根本的な違いについてのお話を、(珍しく『問答形式=対話形式』で)説明しました。
音楽というgenreの中では、先生達に練習の仕方、方法論を常に習っているので、無意識にせよ、「芦塚メトードのsystemでの勉強法、練習法」が出来ているのだけど、それが学校の勉強になった途端に、その勉強法の応用が出来ないのですよ❢❢
つまり、「塾の先生が言った問題点は?」と生徒に質問をすると、そのpointを的確に指摘は出来るのだけど、では、具体的に自分の勉強に応用をするとなると、そこの所が全く出来ないのです❢❢
幾ら、芦塚メトードを理解し、知っていたとしても、それでは、なんの意味もありません。
だから、大学に入学する迄の学校の勉強を、芦塚メトードでこなしてきた先輩諸氏に「後輩達に、学校での勉強の仕方を説明して・・」と言うと、「普通の事を普通にやれば良いのですよ❢❢」としか言いません。彼等、彼女等に取っては、それが普通の勉強のpatternなのですから・・・、一般の人達がどのように無駄な勉強の仕方をしているのかは、理解出来ないのですよ❢❢
それが、「普通の人達が、普通に使いこなす事の出来ない、極めて難しいmethodeである」・・という事が理解出来ないのですよ❢❢
オケの演奏を見て、「凄い❢」と言って入会して来た生徒保護者が、オケ練習のペースに乗って練習出来るようになった時には、不思議な事に、それが一般的にも普通の事で、何処でも同じ事をやっているように思えて来るのだそうです。
ふと、或る時に、我に返って、「ああ、これは教室の独自のmethodeで、世界の何処でもやっていないcurriculumなのだよな~ぁ??」と気付く事があるのだそうです。
いや~ぁ、それも、困った事だよな~ぁ??
受験や夏休み等で、長期に教室のmethodeから離れて、再び、オケ練習等で、教室の学習法に戻った時には、その勉強の方法のgapに苦しむ事がよくあります。元々が塾型の勉強の仕方をしている生徒に取っては、教室のsystemに戻る事は結構至難の業になってしまいます。
今回の『お説教-time』は、そういった夏休みをお勉強に頑張った生徒達への、迅速に教室のmethodeに戻れるようにするためのsuggestでした。
「夏休み明けの最初の練習」と言う事で、猛暑でバテ切ってしまっている「私自身の体調」としては、朝の7時からにしても、なんとか睡眠を取る事が出来たので、まあまあ元気で良かったのですが、問題は利尿作用のお話で、・・椎名町に移動する前の、自宅で出発の準備をしていたお昼の12時頃に、一度、toiletteに行ってから、夜の10時頃迄の、(再び椎名町の教室に戻るまでの)約10時間のあいだ、全く一度もtoiletteに行かなかったのだよな?
猛暑だけど、汗はそんなに出なかったので、「体調不良で利尿作用が衰えてしまったのか?」・・と、心配になってしまいました。
10時間、12時間という長時間のcaseは無いのだけど、まあ、利尿作用が疲れで、衰えて、その日一日中はあまりtoiletteには行かない・・という事は比較的によくある事なので、今までの経験では、多分、深夜、ハイツに戻ってから、1時間半ぐらいのinterval(=間隔)で、一晩中、bedとtoiletteのあいだを往復するのだろうな??
そうなると、日曜日の疲れは取れなくなってしまうのだが、それでも、利尿作用が見られるあいだは、まだ腎臓が機能しているので、結果的には、次の日や、その次の日には、元気になるので、それはそれで、良い事なのだけど・・な??
まあ、月曜日から火曜日までのあいだは体の復調に掛ける事にして、安静を心掛けておこう❢❢
それにしても、練馬の郵便局に荷物を取りに行かなければならないのは、はずせないのかな?
重要な書類らしいので・・・ね??
でも、どうやら、無理らしい・・❢❢
この体調ではね~ぇ??
(・・という事で火曜日のお昼に、雨の間隙を見て、練馬の郵便局にバイクで出掛けて、cardを貰って来ました。なんと、ETCcardだったよ❢ 教室での移動ではなく、私個人や、先生達と遊びに行く時に、使用する私名義のcardでした。)



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8月24日電子レンジ依存性 ·
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今日は8月の24日の土曜日です。
夕方の5時過ぎになって、遅い朝食を食べようと思ったら、食材の加熱が半分程、終わった所で、突然、電子レンジが壊れて、凄い音を立てて、加熱出来なくなってしまいました。
・・・と言う事で、レンジで加熱をしながら食事をしていたのですが、途中まで食べた段階で、調理出来なくなって、食べれなくなってしまいました。お~う、Shock❢
でも、後、1時間半もすれば、夕食なのだよな?
取りあえず、辛抱するか?
ま、良いか??
お茶碗に、ご飯が食べ残って、余っちゃったよな??
どうしようかね?
(糖質カットのご飯を、お茶碗の半分ぐらいについで、野菜を中心のおかずをメインにした食事をしているので、「殆ど、ご飯に手を付けていないままに」・・・、と言う意味なのですがね??)
それはそうと、ハイツでは料理は作らないので、冷蔵庫には食料品の材料は皆無で、非常食用のインスタント食品しかありません。何時までの期限のインスタントなのかは、分からないのだけどね~ぇ??
「電子レンジがないと、何一つ生活が出来ない」と言う事に、今気づいた❢❢
なんと、電子レンジ依存症だったのか??


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8月27日欝と動画 ·
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今夜は、久し振りに鬱が酷い❢
理由は分かっているのだけど、まあ、それは言わぬが花として・・・
あいも変わらずの繰り返しになってしまうのだが、今夜も、摂眠障害が続いている。
・・というか、一週間以上も続いているのだがね??
今日は一日、天気予報では雨だったのだが、とうとう、降りそうで降らないままに夜を迎えた。
先日までの、猛暑が嘘のように、肌寒い。
クーラーは電気代が勿体ないし、また、冷え方が嫌いなので、今夜も、窓を全開に開いて空気を取り込んでいるのだが、今にも雨の降りそうな天気で、部屋の中の湿度を除けば、肌に感じる温度は、実に心地よい寒さではある。
今日の鬱の気分は、「投げやりの何もしたくないtypeの鬱」なので、いつものように、wine片手にして、You Tubeで自分が指揮をしたPachelbelのChaconneの曲やHennry PurcellのChaconneを聴きながら、鬱に浸るには、今の気分は、チョッと重た過ぎて、聴くに耐えれないようだ。
ましてや、alcoholの力を借りるために、「Beerをガブ飲みする」という気には、気力的・・というよりも、体力的に少し無理っぽく、その気分にはとてもならないのだよ。
この所のroutineになってしまっているのだが、朝の散歩というのか、夜が白みかけたTwilightの空の下を、江古田ハイツの回りを歩いて、朝の空気を満喫して来た。
勿論、途中で7にも、寄ったのだけど、何時もの通りに、朝の早い時間には、棚には何も置いていない。
まあ、しかし、「折角寄ったのだから、」・・という事でコップ酒を1個買って帰って来たのだが、・・・買っただけで、飲む気にはなれないのだよな??
「じゃあ、なんで買ったのか?」って??
「熱燗にして、飲んで寝るか??」・・って、思うには思ったのだが、体調の加減で、思い通りには行かなかったのだよ。
鬱でも、気分がもうチョッとだけ、元気だったのならば、PachelbelのChaconneでも、おつまみにして、一杯飲んだ所なのだろうが、今日は、気持ちが疲れていて、そういう気分にはとてもならないのだよな??
このcomment欄に、「8月の25日のPachelbelのChaconneのオケ練習風景の動画」を貼り付けたのだけど、今回はいつものようにYou Tubeへuploadしてから、URLを貼り付けるという事は、この動画ではYou Tubeの経由はしていません。
ものは試しで、Facebookに動画を直接、貼り付けて見ました。※)
今回の練習風景は、たかだか10分程度なのだけど、uploadに掛かる時間や手間暇はYou Tubeとくらい掛かるのかな??
今回のオケ練習では、最初のgroupと、その次のgroupの練習に、練習時間を使い切ってしまったので、最後の3曲(Stamitzのviola-concertoと、Vivaldiの秋と、PachelbelのChaconneの練習時間が全く無くなってしまいました。
曲は3曲なのですが、演奏する楽章の数で数えると、通算、6曲になって、それを60分で練習しなければならなくなりました。
つまり、1曲、10分しか練習時間がありません。
それだけだと、一回、通すだけで、練習が終わってしまいます。
まあ、今までの練習のpointを忘れないようにするためだけならば、通しを1回やるだけでも、練習は出来なかったとしても、feedbackは出来るハズなのですがね??
本当は、これまで練習のpointの説明は充分にしているので、それだけでも充分なハズなのですけれど・・ね??(自主的にちゃんと自分達で練習をするのならば・・・という条件ならば・・ですが・・・??)
・・・これまでが昨夜からのcommentなのですが、やっとこ、いつものroutineで眠れたのは良いのだけど、それから今度は逆に起きれなくなってしまっています。無理をして起きたのだけど、今度は椅子の上で2,3時間そのまま寝込んでしまっていました。
普段は月曜日に寝た切りになるのだけれど、今回は火曜日のpatternかな??
・・それにしても、月曜日から延々と「雨が降る」という予報が続いているのだけど、江古田は、未だに降って来ないのだけど、いったいどうなっているのかな??
夕方の6時になったのだけど、やっと雨が微かに降って来たのだが、未だ路面は濡れてはいないのだが・・・?
今日は椎名町はプリドルのお留守番の日で、夕食迄には誰も帰って来ないので、一人外食でもする予定なのだけど、それにしては、起きて、食事や買い物等に、動き回るには、体調が戻って来ないのだよな~ぁ?
一日中、ウダウダと寝込んでしまっていて、起きてパソコンの作業もままならない❗
それに今日はリュウマチが酷くて、指先が痛くて手を握る事が出来ないし、糖尿の注射の日なのだが、病院に行くための準備をしている段階で、挫折をしてしまった‼
手を握り締める事が出来ない・・という事は被害甚大だ❢❢
夕方にも、再チャレンジをしたのだが、2回目もやはり同じように挫折してしまった😵💧
明日は超朝早くから、光ヶ丘の病院なのだが、バイクのガソリンがすっからかんなので、今日の夜にでも、給油に行かなければならないのだよな~ぁ?明日朝の光ヶ丘までのコースには、スタンドはないからだし、その時間もないからです。
※)卯先生のcomment欄に「動画が5分程しか出来ない」と書いてあったのですが、確かに昔は、5分程度という時間制限があったのですが、今は、改善されて2時間程度は可能だ!・・と解説に書いてあったので・・、いつかは、Facebookに直接、動画を貼り付ける事を、試して見よう・・と思っていたので・・
You Tubeも以前は、15分がtime-limitだったのですが、今は無制限のようです。Vivaldiのcello-concerto全曲というuploadもあったので・・
思い付いて、VivaldiのCello-concertoの全曲のYou Tubeの演奏時間を調べてみたら、なんと、4時間でした。つまり、4時間はupしている人がいる・・という事だよね??私のパソコンならば、1日、2日は、パソコンが死ぬ・・って事だよな~ぁ??


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8月29日秋だけが入っていない ·
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periodではあるけれど、とても良いVivaldiの四季の演奏を見つけたので、是非、参考に・・と思ったのだけど、なんと、秋だけupされていない❢❢
どぉ~して??
Cynthia Freivogel & Voices of Music という名前のbaroqueの演奏団体ですよ❢❢


弦はsoloのおばちゃんと、Violinとviolaで、計5人と、Cello2人とKontrabassと、CembaloとOrganとtiorbaの各1人づつだけど、四季でも季節が変わる毎に、時々、memberの中の誰かが変わっているのだけど、それはどうしてかな??
常設memberではないのかな??
TitleをコピペしてYou Tubeに貼り付けると四季が出ます。
「秋」だったら、オケ練習の参考に、直接このPageに貼り付けようと思ったのだけど、「秋」が見つからなかったので、solisteと団体名だけ書いて起きます。
それとも、この団体名も、洒落なのかな??
よう分からん??
「自由の鳥」って本名なのかな??
Feuervogelだったら、もっと格好良かったかも、・・だけど、実名だったら、ごめんなさい❢だよな~ぁ??
まあ、作曲家にも、美山さんや小川さんもいるからね??(SchönbergとかBachとか)


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8月29日baroque-styleのcsárdás ·
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今日は8月29日の木曜日です。
今はなんと、32℃の湿度59%だそうです。(netによると・・)その後、更に33℃に更新されたようですがね⁉
今年の立秋は8月の8日だったそうですよね??もう、残暑のはずざんしょ??
昨日、徹夜のままで、病院詣をした所為か、体調管理が出来ていない為なのか、rotationが壊れてしまったようで、1日明けた今日は朝から寝込んでしまっていて、仕事になりません。
もう、既に夕方の5時を過ぎた所なのですが、昨日は注射のせいでお風呂に入れなかったので、頑張ってshowerを浴びて、髪を洗った所です。次いでに並行して洗濯も・・・
この湿度だと、1日、体を流さなでいると気持ちが悪いのですよ。
それにしても、この所、仕事にならない日々が続いているのだけど、それは本当に困った事だよな~ぁ??
暑さの所為か、それとも体調不良のせいか??
加齢なんては、言わないでよね??
Voices of Musicが、なんと、こんなのも弾いていたよ❢❢
periodのはずなのにな~ぁ??
不思議だ??
baroque-styleのcsárdásだってさ??

Czardas (Csárdás) - Vittorio Monti - Voices of Music, Alana Youssefian, baroque violin 4K - YouTube
笑える❢❢



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8月30日ハイツの朝焼け ·
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8月30日の金曜日、朝の5時前です。勿論、眠れないままでの、ハイツの窓からのmorgenrot(朝焼け)です。



江古田周りのpetit散歩に出掛けて、また、routineで7にも寄ったのですが、相変わらず何も買わないで帰って来ました。
それはそうと、今日30日は新月だそうです。
コメント
塩澤 一範
わらをすがる思いで、メールをしました。お久ぶりです。その後体調はいかがでしょうか?実は通信で、プログラミングを始めました。言語は、phpです。ソースコードにエラーの記述が発生致しました。詳しい方が、いらっしゃいましたら、教えてくださいませ。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ごめんなさい❢私の回りにも、パソコンの詳しい人がいないので、仕方なく私がパソコンの作業をやっているぐらいです。パソコンの詳しい人がいたら、私もとても助かるのですがね??しょっちゅう、行き詰まって、なんとかするのに、時間が掛かってしまうのですが・・・
· 返信する · 1年前
塩澤 一範
ありがとうございます。なんとしてみます。



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8月31日Händelのsarabandeのお話 ·
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なんと明日は九月の一日、今日は8月の最後の日です。



9月というと、なんとなく秋めいて聞こえますよね??
オケ練習も明日が最後の14回目の練習になります。※)
※)・・・「明日が最後のオケ練習」と思っていたのですが、生徒達から「オケ練習は9月の8日にもう1回ある」と注意されてしまいました❗
間違いのないように、椎名町から貰った紙のオケ練習のdataのオケのscheduleに「顔合わせ+Cschedule」を、「曲決め」の前の初見練習なので、練習にはならないので、それを「0回」として、オケ練習の日程表に練習の回数を書き込んだのですが、不思議な事に、それでは9月8日のBscheduleが14回目のオケ練習になっています。
と言う事なので、私は「今回はオケ練習は14回しかない」・・と思い込んでいたのですが・・ね??
それとは何の関係もありませんが、下の写真は「Händelのsarabande」のthemaで、私が作曲した曲なのですが、最初は教室の生徒達に演奏して貰う予定で、Celloのversionで作曲しました。

しかし、受験のために、Celloの生徒もPianoの生徒も二人とも、発表会で演奏出来ない事になってしまったので、演奏してくれる人がいなくなってしまったので、誰か弾いてくれる人を探していたのですが、梨紗さんから、「演奏しても良い❢」という許諾を頂いたので、2016年の春と秋の発表会のいずれかに演奏して貰うように作曲していたsarabandeを、Celloからviola用に編曲をして、更に擬古典的なpassageをrenewal追加して、作曲をしました。
2016年の春と秋に引き続き、2017年の春と秋の発表会でも、曲の雰囲気が発表会に合わないと言う事と、発表会では、子供達達の演奏のprogramで、時間的に割り込めなかったのですが、2017年の秋の発表会の後の、11月の23日に、八千代市の生涯学習プラザ主催の秋のコンサートで、梨紗さんと美紀さんが初演をしてくれて、やっと、sarabandeが日の目を見る事が出来ました。
しかし、一般の音楽界では、violaのsoloの曲が演奏される機会は中々ないので、私の曲を演奏して貰える可能性は皆無に近いので、折角、梨紗さんのために「Celloのperiod-version」から「violaの擬古典-version」へarrangeをしたsarabandeなのですが、その後、更に「Violinのversion」も、並行して作っておきました。
transposeとは言っても、それぞれの楽器の特性から、同じ弦楽器であっても、そのままfinaleで一括変換で移調をすれば良い・・という分けには行きません。
Celloの大元のversionからviolaへのtransposeにしても、violaからViolin-versionのtransposeにしても、音域や楽器的な特性に応じて、少しずつ細かい色々な箇所を変更しなければならないのです。
Violin-versionの作成にあたっても、色々とkleinigkeitの変更をしなければなりませんでした。
それと、大元のsarabandeの曲であるCelloのversionの作曲は、2016年の11月の23日のさや堂Hallによる「baroque-コンサート」を想定していたので・・・一応periodのstyleの作曲なので、普通のコンサートには、派手さに欠けて地味なimageになってしまうかも知れません。少し派手にするためには、擬古典的な要素が少ないので、新しくrenewalする必要がありました。
・・と言う事で、梨紗さんが演奏した「viola-versionのsarabande」は、Cello-versionの作曲から2年後の、2017年の11月の23日の八千代のコンサートの、一般のお客様を対象にしているので、後半の部分では、結構、派手な擬古典のstyleで作曲しています。
Violinのversionも、violaのversionを出来る限りに、そのまま踏襲しているので、曲としては同一曲であると思っても良いのですが、冒頭の和音から既に違っているので、violaのversionとは、かなり印象が違うかも知れません。
近頃は鬱っぽい日々が続いているのですが、有り難い事に、鬱ではなく鬱っぽい日々なので、体調的にはかなり楽なのですが、鬱っぽいといっても、鬱は鬱なのですが、重たいズシーンと来るようなこれまでの鬱らしい鬱ではなく、「なにもしたくない・・」「なにも考えたくない・・」と言った風な
実に「怠けっぽい鬱」です。
だから、鬱の気分も、今、教室で、生徒達と練習をしている私のarrangeのPachelbelのChaconneのような重い超鬱っぽいimageの曲ではなく、Händelのsarabandeのような不安でも何処か楽しいoptimisticな不安と期待の入り混じった「voyage(=旅)」のような気分の鬱です。
Bon voyage !・・です❢❢

この間、Facebookに「誰か、Violin-versionのsarabandeを演奏してくれないかな~ぁ?」と書いていたら、斉藤先生が「私が弾いても良いよ❢」と申し出てくれました。
斉藤先生は今、David-versionの曲を連続演奏しているので、「私の曲は弾く余裕はないのかな??」と思っていたのですが、斉藤先生からの申し出で、「David-versionの演奏は大体一段落したので、sarabandeも弾けるよ❢」と言ってくれたので、これで作曲してから実に2年振り、3年振りで、生音でsarabandeを聴く機会が出来るので、結構、喜んでいます。
やっぱ、computer音源では、みっともないし、つまらないのでね~ぇ?


「暑い時のBeer」と、「鬱の時の音源」はやっぱり「生」に限るよね~ぇ?
それにしても、「鬱は鬱」なのですがね~ぇ??


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9月




9月2日近況報告 ·
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今日は9月2日、月曜日です。
9月というと、なんとなく秋をimageするのですが、今日も練馬区は(netでは)34℃の予定です。(・・予定というのは、摂眠障害で、丁度、その最高温度の時間の1時頃になった時には、クーラーの利いた部屋で、寝込んでしまっていたからです。・・つまり、一番暑い時間帯の時の記憶が御座いません。起きた時には、もう少し涼しくなって来ていました。)
8月の末日になって来て、この所、一方的にハイツに郵便物が送られて来て、不在で局に戻ってしまったのですが、中々取りに行けないままだったので、今日は、日も影って来て、少し涼しくなって来たので、頑張って、郵便局まで取りに行って来た所です。
私が住んでいるマンションの呼び鈴は昔のtypeの呼び鈴なので、鳴らされても、部屋で仕事をしていても、全く聞こえません❗ ・・と言うことで、昔、電気屋にリニューアル工事を頼んだのですが、「電話がないと配線が出来ない」という事で、断られてしまいました。
仕方がないので、「ドアを強くノックするように」と、書いてはいるのですが、玄関の隣の部屋で仕事をしていても、ノックの音が聞こえません。
民間の配送業者の場合には、荷物の配送がある事を事前に連絡が来るので、配送の時間が或る程度は事前に分かるので、ドアをノックしても聞こえない場合には、携帯に電話するように、電話番号をその都度マグネット・シートに書いてドアに貼り付けているのですが、郵便物の場合には、いつも突然来るので、「ドアを強めにノックしてください。」と書いて貼ってはあるのですが、郵便配達の人達はノックはしてくれません。
と言う事で、必ず、不在通知が入ってしまって、(いつも、中にいて仕事をしているのにも関わらず・・)局に帰ってしまうので、体調の良い時を見計らってバイクで郵便局まで取りに行かなければなりません。
2つ、3つ郵便物が溜まってしまったので、頑張って郵便局に出掛けたのですが、荷物を受け取る窓口の前には、部屋の中に人が入り切らない程、荷物を受け取りに来た人達が並んでいました。
私が荷物を受け取る時にも、私の後ろには、またまた、人が入り切らないように並んでいて、出るのにも困ってしまいました。
郵便物を受け取って、バイクでマンションに戻ったら、そのまま、日用品を近所のスーパーに買いに行く予定だったのだけど、気分が乗らなくなってしまったので、そのまま部屋に戻ってしまいました。
明日の3日の火曜日は川崎の病院での膀胱鏡の検査です。エッチラオッチラ電車で川崎まで出掛けます。色々と大変なのだけど、省略します。


コメント
千野 由実
郵便局ですか?
https://www.post.japanpost.jp/.../shitei_kodate/okihai.html
こんなサービスも一応はありますねー
置き配バッグ「OKIPPA」設置による指定場所配達依頼 - 日本郵便
POST.JAPANPOST.JP

芦塚 陽二
原則として郵便の配送は受け付けていませんが、銀行のクレジットカードや保険証等は一方的に郵便で送って来るようです。事前の報告があれば良いのですが、郵便の場合には突然一方的に来ます。

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9月3日PichlのKontrabass・Concertoなのですが、 ·
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Václav PichlのKontrabass・Concertoなのですが、あまりにも、Pichlのorchestrationがヘボいので、練習次いでに音の訂正をしながらのlessonだったのですが、余りにも、間違いの箇所が多いので、ついにhysterics(和製英語)を起こして、全面改訂してしまいました❗
それと、今回の9月1日のオケ練習では、Pichlはの練習では、当然なのですが、Vivaldiの「秋」やStamitzのviola-concertoに至るまで、8分音符の刻みの長さ、弾き方を中心にして、そのpassage毎、melody毎に、その8分音符の弾き方を、正確に弾き分けて、演奏するようにlectureしました❗
日本では、melodyの弾き方は色々と工夫はするようですが、baroque音楽のcontinuoのpartや、orchestraの伴奏のpartに関しては、かなりぞんざいに扱われる事の方が多いようです。solisteとして活躍しているcellistですら、basso continuoの演奏法を知らないで弾いているので、呆れてしまいます。
同じようにorchestraでも、同じ8分音符の刻みの伴奏があると、「8分音符だから・・!」と言って、単調に単純に弾いてしまいます。
伴奏の8分音符の「刻み」が続いた・・としても、同じように弾くのではなく、melodyの表情に合わせて、その音符を弾き分ける事がとても大切なのです。
その場のmelodieの性格に合わせて、「刻み」を正確に弾き分ける事が弦楽器の演奏上では、とても大切になります。
・・てな事を、9月1日のオケ練習のvideoをBlu-rayに焼きながら書いていますが、その結果、今日も寝逸れてしまいました。
川崎への移動が怖い❢❢
本当は、眠れない時のroutineのように、Beerかwineでも飲んで、心地よく寝たかったのですが、明日は色々と検査があるので、alcoholを飲むのは禁止なので・・‼
もし、「眠れなかった」としても、「意識の中に心を潜り込ませる事」が出来たら、寝ているのと同じ効果をもたらす事が出来るのだけど、それは出来る時と出来ない時があるので、今日は心が千々に乱れて集中出来ない日になります。
何かしらテレビで恐ろしい事を言っているぞ・・??
今日はお昼から関東は雷雨だってよ❢❢
傘を持って行け❢❢・・ってよ❢
それにしても、全然眠れないので、出発の準備を全部片付けたのだけど、まだ眠れる可能性はあるので、逆に、起きれないと困るので、alarmを15分起きにsetした❗
それから更に2時間程経って、とうとう起きる時間になってしまった❗
仕方ないので、出発の準備をして、早いけれど、早め早めに出掛けるか⁉ 徹夜をしていると、体の動きが遅くなって、予定よりも遅くなってしまうからです。
予定の時刻よりも1時間早く出発する事にしました。



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2019年9月4日 ·
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今日は9月の4日水曜日の未だ丑三つ時です。
疲れが酷いと、逆に眠れない事がよくあります。
これはとても困ります。
昨日は川崎の3ヶ月検診で、病院の来院の手続きと採尿採血を滞りなく済ませる所まではスムーズに出来たのですが、膀胱鏡検査とその後の診察はいつものように、超、待たされてしまいました。
毎回同じ時間まで待つので、それがroutineのようです。
膀胱鏡検査の後で、検査結果の報告と、感染を防ぐための抗生剤の処方を貰って、いざ帰ろう・・と思ったのだけど、細かいお金がないので、仕方がないので、近場のコンビニに寄って、高いユンケルを買って飲んで、タクシー代を作りました。近頃はスーパーの買い物でも現金を使う事が無くなったので、お金を持ち歩くのは、病院行きの時ぐらいしかないのですよ。
帰りは送迎バスはもう終わっているので、タクシー代は事前に準備しておかなければならなかったのですがね⁉
帰りの電車は、田端まではなんとか運良く座れたのですが、田端のホームで、山手線に乗り換える時に、ホームに降りた途端に、立ち眩みがして、ホームに倒れそうになってしまいました。
ホームの柱に捉まって、なんとか持ち堪えたのだけど、意識が戻って歩けるようになるまでには、しばらく柱にしがみついていたよな~??
人が見ていたら、変に見えたかもね??
お腹も空いたし、今日の夜は一人で食べる日なので、夜食を兼ねて、池袋のデパ地下で軽く蕎麦でも食べて帰るつもりだったのだけど、それどころではなくなってしまって、慌てて江古田の自宅に戻りました。
今回の体調不良は、「徹夜なので、その所為もあるのかな??」と言う事で、「直ぐに寝よう」と思ったのですが、頭が熱中症のように火照ってしまって、とても眠れる状態ではなかったので、椅子に座って、ただ只管、安静に努めました。
その間、テレビも見れない・・、音楽も聞けない・・、マジ何も出来ない状態でした。
部屋のクーラーを付けっ放しにして、部屋の温度を下げて、体を冷やしていたのですが、全く効果はありませんでした。
「水風呂にでも入るかな?」と言う事で、風呂の水を抜く所から始めたのですが、水が抜けるまでの短時間でも、待っている事が出来ず、それも挫折してしまいました。
cinderella-timeの直前迄の数時間はその状態のままだったのですが、日が変わる頃になって、やっと、頭の火照りも落ち着いて来て、bedに入る事が出来て、横になって休む事が出来ました。
病院から部屋に辿り着いて、それから4時間以上も掛かった・・という事だよな~ぁ??
でも、折角眠れたのですが、2時半頃には、目が覚めてしまいました。
短時間で目が覚めたので、体調は戻ってはいない・・とは思うのだけど、気分は良くなったので、外のsevenまでpetit散歩に出掛けました。
外界の気温は、肌寒いくらいで、とても気持ちが良いので、部屋を全開にして、空気を入れ替えて起きました。
sevenから帰って来て、未だ4時半の朝が明ける前なのですが、どうやら、これでいつものroutineに戻れたようです。
いや~ぁ、今日は、大変な1日だった❢❢
外は、超、寒いのだけど、明けやらぬ厚ぼったい雲の間から、なんと、ひぐらしの声が・・・、いや~ぁ、詩だよな~ぁ??
朝の9時です。
超寒くって全開になっている窓を閉めました。
練馬区の現在の気温は23℃湿度83%です。
お昼過ぎには、90%を超してしまう予定です❗

コメント
塩澤 一範
お身体大丈夫ですか?
この間の質問無事にできました。
今日の朝方の5時くらいに完成しました。たまたま本日仕事休みだったので、サイトにあげるとかは、しないので、どんな感じに仕上がるのかとか、体を使って触ってと言った感じです。ありがとうございました。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
いや、なんのお力にもなりませんで、申し訳無かったです。パソコンは苦手なので・・・
· 返信する · 1年前
塩澤 一範
久々に連絡取れて嬉しかったです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
お元気そうで、何よりです。



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9月4日楽器とは、巡り合わせです。 ·
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幾らお金を積み上げても、良い気に入った楽器が無い時には如何せんどうしようもありません。
気に入った楽器に巡り会えるchanceは10年や20年に一回程度のものかも知れません。
しかしながら、その時に巡り合った楽器が購入出来る金額の楽器である・・という保証は何処にもないのです。※)
しかしまあ、私は演奏家ではないので、そんなに高価な楽器は必要はないし、それだけ楽器にお金を掛けるゆとりもないのですが、それでも、それなりに気に入った楽器を購入する事は出来ました。
『楽器とは巡り逢い』なので、常にアンテナを広げていた所為かもね??
私が、分不相応な「高価な楽器を持つ」という事は、私は演奏家ではないので必要がない・・、と言うよりも、高価な楽器にとっては、私が楽器を持つと言う事は、可愛そうなのだけど、今、私が所有しているViolinやviolaは、そんな高価な楽器ではないし、Proの演奏家なら間違えても、買いそうにはない変形の楽器なのだけど(※写真参照)、それなりに気にはいっているので・・、まぁ、それはそれで、良いのかもな~ぁ?? 
でも、Celloはまともな、ちゃんとした楽器ですよ❢❢
楽器には、当然、弓が必要なのですが、楽器以上に探し求めるのが難しいのは、実は弓の方なのです。
良い弓を持つ事は、演奏が非常に楽になって、表現が豊かになるので、私が生徒達にお薦めする場合には、Violinと弓の値段を対等にしています。(勿論、生徒が購入する時に余力がある場合ではあるのですがね?)
つまり、良い弓の場合には、あまり良い楽器で無かったとしても良い演奏が出来るからなのです。勿論、それは私の独断的な意見であって、一般的な考え方ではないので、ほとんどの場合には、私の主張を説明するだけで、実際には、楽器本体を2に対して弓は1の割合ぐらいにしています。
しかし、そういった一般的な割合で、楽器を購入する時には、こんにちでは、より良い楽器を探す以上に、優れた弓を探す方が難しくなって来ました。
私の場合にはViolinとCelloは、運良く良い弓を見つける事が出来たのですが、violaだけは、どうしても気にいった、良い弓が見つからなくって、長期間探しあぐねていたのですが、近年もまた、violaの弓を何本か試して書い直して見たのですが、どうしても気に入った弓が見当たらなくって、困っていました。
それは、violaを演奏する人達に取っての、共通の悩みで、violaの弓に関しては、随分昔から、「良い弓がなくなってしまって、探すのは難しい」・・という事は一般的に言われている事なのです。

と言う事で、この所は、violaの弓を探す事は、半ば諦めていたのですが、ある時に、ふと「Violinの弓で重めの・・violaにも対応出来る弓があるのでは・・??」と思い付いて、社長に相談をして、探して貰った結果、一本だけ私の意に沿った弓が見つかったのですが、値段もそれなりにして、下取りの弓の2倍以上(・・という事は元の弓の3倍の値段の弓になります。)、お金を補填しなければならないのでチョッと大変だったのだけど、「楽器との出会いは、その機会を失うと、もう二度と巡り合う事ない」・・と言う事で、清水の舞台から飛び降りるような決断して、(今日は、川崎の次の日で、お昼間に外出するのはチョッと厳しかったのですが)無理をして銀行まで行って、お金を引き下ろして来ました。


日、斉藤先生に払って来て貰って、晴れて私の弓になります。勿論、弓は、もう2週間も前から私のもとにいますがね⁉ \(^o^)/
violaの弓はこれ迄も、weak pointだったので、仕方なく、baroque-bowで弾いていたので、ちゃんとした弓が手に入って、非常に嬉しいのですよ🎵
※)ここで言っている『良い楽器』という意味は、あくまでも「私が気に入った楽器」と言う意味で、『良い弓』というのも、「私の好みの弓」・・・という事なので、悪しからず・・・
こう言ったものは、「個人的な嗜好」になってしまうのでね⁉



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9月4日『学ぶ』と言う事 ·
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毎度お馴染みの、
『学ぶ』と言う事についてのお話なのですが、古来から日本の武道で、師匠から認められて、一家をなす事を許される事を『免許皆伝』と言います。認可とも言うのかな??
ヨーロッパでも、中世から、色々な職業に従事するには、多くの師匠(master)の元を訪れて、その師匠の元で、masterの資格を貰う・・という事が一般的でした。
ドイツではmaster・classという一般的な授業のもう一つ上のclassもあります。ヨーロッパの留学でもmaster・classに留学ならば、格好良いのですが・・ね??
日本の職人の世界では、「暖簾分け」という言葉もありますよね??
本来は芸術の世界は一子相伝、若しくはmasterの認可を得る事で、その先生の元を卒業出来たはずなのです。
しかし、そういった勉強法は、極めて優れた一人の生徒を育てるには有効なのですが、多くの生徒達を育てるには、頗る「効率が悪い」と言う事で、学校教育のような、集団でcurriculumを熟す・・という勉強法が一般的になって来ました。
つまり、学問や技術の量産化という事です。
勿論、それでは、技術に対するNiveauを維持する事は困難になってしまいます。
そこで、『免許』という制度が出来上がりました。勿論、『免許皆伝』から来た言葉ですが・・。
但し、ここで気をつけなければならない事は、『卒業をする』と言う意味と、『免許を取得する』という意味は根幹から違うと言う事なのです。
「卒業」という意味は「curriculumを受講した」、という意味であり、免許を取るという事は、「その技術を習得した」、という意味になるのです。
つまり、学校教育では、curriculumに従って、教育が施されて、出来ても、理解出来なくても、その期間が終われば、gradeが上がって行来ます。
つまり、学年が上がるのですよ。
言い方を変えると、そのcurriculumのlectureが終了すると、そのcurriculumが全く理解出来ていない生徒達でも、次のgradeに上がって行ってしまうし、またcurriculumで教わった内容を正しく認識出来ていなかったとしても、試験に合格さえすれば、理解出来ているものとして、次のstepに進んでしまいます。
つまり、高校受験や大学受験に合格出来たとしても、その学力が身に付いた分けではないのです。
その点では、athleteや音楽家達の勉強法は職人のそれに近いものがあるのですが、それでもtopに登り詰めるのは、また、一つ、別の世界「 another world 」なのですよ。
その世界でのauthorityになるという事は、その世界でのgroupから一つ抜け出す・・という事なのですよ。
10数年前に私が冠動脈で大学病院に入院した時には、「人工心臓で心臓を止めて手術するしか方法がないので、3本の冠動脈の内、1本しか助けられない」と言われてしまいました。
それでは寝た切りになって仕事が出来なくなってしまいます。
そこで必死にsecond opinionを求めて、その当時では最先端の技術(On-pump)の持ち主で超有名な心臓外科の先生の元にhelpを求めて、神奈川県の病院まで行きました。
その先生は心臓を動かしたまま手術をするので、時間の束縛が無く、準備した輸血用のmy血液さえも使わないで、4本もBypassを作ってくれました。輸血用の血液は勿体ないので、体に戻したのですがね??
それから、3年も経たない内に新しい術式が出来て、その先生の術式は、古い特別なgeniusを持った人だけの術式になってしまいました。
日本の世阿弥さんが言った言葉に「道に至るは易く、道より出るは難し」という言葉があります。
抜きん出た技術を持つ人達は、中々、academismのでは認められないものなのです。
尤も、今はその先生は、その先生が一番嫌いだった、心臓外科学会の重鎮になっていますがね??アハッ!
日本の大学とヨーロッパの大学では根本的に大きな違いがあります。
つまり、日本の場合には、権威主義的な志向なので、名の売れた有名大学を目指して受験をします。
自分を直接指導してくれる教授の名前を知っていて受験する生徒は殆どいないと思います。これは不思議な事です。
私の場合には、日本の音楽大学では、作曲科の教授は一人しかいなかったので、どの先生に師事出来るかは受験前に分かっていたのですがね??
しかし、ヨーロッパの場合には、大学をselectするよりも、どの教授に師事するか・・で、どの大学を受けるかが決まるのです。
自分が師事した先生にmailをして、video等で演奏を聴いて貰います。
そして、通常では、お試しの1,2回のlessonを受けて、それで許可が出れば、大学の空きを待ちます。
ヨーロッパでも、高名は先生では5年待ち、7年待ちぐらいは普通なのですよ。
その間、演奏活動をしながら、先生の元で修行が出来るのを待ちます。
日本の大学では、ヨーロッパとは逆に、先生は選べません。
芸大等で教えている先生が、自分の愛弟子の生徒が他の先生に回されるのが嫌なので、一般大学を受験させたりする事がよくある・・という不思議な世界なのです。
日本とヨーロッパの、根本的な教育制度の違いです。


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9月6日未だ朝の6時というのに ·
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今日は、9月の6日の朝の6時です。
未だ、6時というのに、もう気温は25℃、湿度はなんと90%に達しています。
風がないので、窓を全開にしているのだけど、直射日光が部屋に注ぎ込んで、陽にあたった所が熱いのですよ❢❢
今日は32℃まで上がる予定だそうな??
今日は、なんとなんと、三日振りにやっと眠る事が出来ました。
とは言っても、四時間五時間続けて眠れた分けではなく、二時間、三時間の睡眠を続けて取るが出来ただけなのですが、それでも、ちゃんと、睡眠を取ることが出来ました。
善哉❗善哉❗
今はお昼に丁度なった所ですが、もう練馬区は30℃、湿度は70%です。今日は32℃まで上がる予定だそうです。
ん・・ならば、洗濯でも、スッか??




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9月6日『gift』 ·
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Gifty's talent(=Gifted)という言葉をthemaにテレビで特集をやっていました。
Gifted・・所謂、IQの特に高い人達は、日本の社会では認められない、育ちにくい・・という事を脳科学者の人達が話し合っていました。
個性を大切にするヨーロッパ社会やアメリカのような社会と違っていて、日本の社会は、横並びの社会なので、「枠に入らない」、一般の人達と同じ「規格に合わない人達」を排除する傾向が特に強いのだそうです。『どんぐりの背くらべ』のようにね??
同じ脳科学者の女性の人が、以前もテレビで、『日本人は、自分がそれが間違いである・・という事を認識していたとしても、一般の社会的な意見に従属する』という傾向が強いというお話をしていました。globalstandardな国際的な企業では、日本の「横並び」の経営をしていては、世界のmarketで負けてしまうので、国際的な感覚で社員の教育をしますが、日本の教育界は特に保守的で、大学の就職課の行動を見ていても、そういった大手の企業の社員を募集する状況、条件さえ認めないようです。ましてや、社会の就職活動や、社会活動により遠い高校や中学校に至っては、globalstandardという概念すら持っていないのが、現状です。だって指導する側は、直接は就職とは関係ないものね??
番組に登場したEinsteinよりも高いIQを持つ青年が中学、高校では厳しいいじめにあって、大人になっても就職する事さえ出来ない・・という現状を、淡々と話していました。
この事は、Giftedの人達の共通する悩みのようですよね??
私はGifted(この場合には、Gifty's talentかな?)の社会対応の問題は、必ずしも、IQの高い特別に優れたGiftedの人達だけのものではない・・と思っています。それは、日本の社会では学力が優れた人達には、幾ら、社会の枠からハミ出したとしても、学校でtopであるならば、認めざるを得ない風潮があるからです。
そこで、横並びの日本の社会では、特に排除されるのが、『一芸にだけ』秀でた人達なのです。
そういった人達は、仮に数学に天才的なgenieを持っていたとしても、学校での数学の成績は大した事ではないので、格好のいじめの標的(Target)になってしまい、自分の持つ最高の才能(talent)を失って、社会に、或いは人生に挫折させられてしまいます。
こうして、社会から脱落していく人達のなんと多い事か??
日本の社会は、折角の神からの贈り物であるgenieの人達を数多く失って行くのですよ。それが現代の日本が世界に立ち遅れる原因になっている事も知らないで・・・
一芸にだけ秀でた人は、学校の勉強はからきしダメだけど、絵を描かせれば天才的な人や、目の見えないOrganの奏者が世界一の演奏家である場合もザラなのだからです。Einsteinでも、靴下を左右間違えて履いたりして、大家のおばあさんを困らせていたそうですよ。(「気にしない」、か、「気がつかない」のかは、定かではないのですがね??)
心理学的には過剰補償という言葉もあるそうですがね。
ヨーロッパやアメリカでは、なにか一つ、その過剰補償された人よりも優れたものを持っている人は、社会からとても評価され、且つ大切にされているのですが、日本では、そういった枠からハミ出した異能を毛嫌いする傾向にあって、有名大学に行って、一流企業に就職した人、つまり、一般の人達が理解出来る範囲の優れた人材しか、社会的には認めようとはしないのですよ。
つまりは、Giftedな人達に対しては、評価の対象にはならないのですよ。
つまり、評価には、常にその評価を証明する箔(所謂、鑑定書)が必要なのですよ。価値を評価し、その価値を確定させるには、鑑定士という不思議な職業の人が必要なのですよ。でも、その鑑定士が鑑定した事が正しい・・という事は誰が鑑定するのでしょうかね??
箔(鑑定書)と言えば、私は楽器を購入する時には、高価な楽器に付いて来る鑑定書に書かれている鑑定の結果は、全く信じていません。
これまででも、世界で最高の鑑定士によるスイス政府公認の鑑定書でも、その鑑定で、Stradivariと認められたViolinの多くから、後の時代に偽物であった・・という事を証明された事件が多くあったからです。
天下のStradivariのような、歴代の所有者が明確に分かっているはずの履歴書の付いた楽器であっても、その履歴書が正しいのかを鑑定をする事は難しいのです。
ましてや、一般の人達が知らない楽器製作者の楽器のrootsを知る事は、はっきり言って、不可能とも言えます。
弦楽器の楽器の中に貼られているLabel程、いい加減なものはないのですよ。
100年、200年の間に、何十回、何百回貼り替えられたかは、分かったものではありません。
それに輪を掛けて、事を複雑怪奇にしているのは、当時の大量生産の技術の問題です。
Violinの名工と言われる人達の殆どが、弟子を数十人から、数千人抱えていて、楽器を量産していたのですよ。
天下のStradivariですら、本人が一人で制作した楽器はほんの数台と言われています。
Stradivari工房にはStradivariと共に楽器を制作する人達が6千人は居たとされています。
それ等は、一応Stradivari工房の制作の楽器です。
①Stradivariが一人で作った楽器、②Stradivariと愛弟子が一緒に作った楽器、③Stradivari工房で、Stradivariの門下生達が作った楽器、④後世の人達がStradivariを模倣して作った楽器・・つまり、Stradivariという楽器でも、これだけの種類があるのです。
私の場合には、楽器を購入したとしても、鑑定書が付いている事すら忘れている場合の方が多いのです。
つまり、楽器というのは、良い音でちゃんと響く事が出来ればそれ以外はどうでも良いからです。
この楽器のお話を長々としたのは、勿論、「人間も同じ」だからなのです。
どの大学を卒業してようと、どのconcoursに入賞していようと、人を感動をさせる演奏を出来ない人は大した演奏家ではないからです。
でも多くの音楽愛好家の人達は、演奏する若手の履歴書を見て、感動するか否かを判断します。私は感動をする・・という事は履歴書によるものではなく、その人が如何に演奏するか??に掛かっているのではないだろうか??と思っているのですが、それは一般論ではないようなのでね??
私はお蕎麦とうなぎが大好きなので、東京中の江戸時代から続く老舗のお蕎麦屋やうなぎ屋に行って、食べ歩いて見たのですが、「老舗に美味しいお店はない」・・という結論に達しています。
私にとっては近所の何気ない蕎麦屋や鰻屋の方が美味しいと思えてしまうのですよ。事務所のある東長崎の駅の近くにも、トヨタの会長さんの来るうなぎの名店があるのですが、兎に角、高くてね??2,3度は足を運んでみたのですが、それからは、もう少し安いお店にいています。
・・アハッ!・・・これは好みですから、悪しからず・・❢❢
giftと言えば、CNN・TVの特集によれば、音楽の世界では『絶対音感を持つ』・・という事は、音楽を学ぶ人達の2万人に1人の割合で、それこそ『神から与えられたgift』を持っているのだそうです。正しく異能ですよね??
絶対音感を手に入れる事は、音楽を学ぶ人達の憧れでもあって、日本では『絶対音感の取得」をする事に特化している音楽教室があって、全国から生徒達を集めている教室がある程です。東京の事務所の近くにその特化した教室があります。
中々、大きな教室ですよ。
しかし、困った事に、教室では、近所の趣味で音楽を学んでいる子供達を集めて、lessonしているだけなので、特別に・・『音楽専科を目指す生徒達への特別の訓練』のようなものは、(『絶対音感の訓練』のようなものは、)特にやっていないのですが、それでも、オケ練習に参加している生徒達の殆ど全員が絶対音感を持っていて、私達が「絶対音感が神からのgiftである」と、幾ら言っても、親も生徒達も、誰も信じてくれません。
だって、オケに参加している生徒達皆が絶対音感を持っているのだから、『絶対音感がある事』なんか・・絶対にGiftedではなく、教室では普通の事なのですよ。
そんな、『絶対音感』が、神から与えられた『gift』である・・なんて事は、教室の誰一人としても信じてはくれません。
つまり、日本の社会では、Giftedは『神から、その人個人❢に対してあたえられた恵み❢』であって、絶対に、『一般の子供達』所謂、一般の『近所の子供達に与えられるもの』ではないからなのです。
前の文章で「つまり、日本の社会では」・・という事を言っているのは、『Gift』と言われる異能は、私にとっては、『教育する事で誰でもが得る能力である』・・という事を、30年、40年言い続けているのですが、未だに誰一人として、その私の主張を聴く人はいないのです。
つまり、『日本の社会』と言う事は、ヨーロッパやアメリカ等の国際的な社会では、国を上げて、このGiftedを国家の財産として養育するsystemが確立している・・からなのです。
日本の社会だけが、未だに、このGiftedの人達を排除しようとしているのです。
私はこの30年、40年間に渡って、この異能を認めて育てるように啓蒙して来たはずなのですが、そろそろ私も加齢になって、そういったenergyが無くなって来てしまいました。
私に言わせれば、『誰にでも異能を与える事の出来る能力』これこそが本当の『異能』なのですがね~ぇ??
それを『誰でもが、習得する事が出来る』と言っているのに、誰一人として私の話を信じないのですよ。
そのために、啓蒙活動の一貫として、教室の演奏活動をYou Tubeにuploadしたり、lesson風景をupしているのにも関わらず、見えど見えず、聞けど聞こえず・・なのですよ。
まあ、そんな事を言うと、自画自賛のように捉えられて、それまた馬鹿にされてしまいますが、実は、この『Gift』である『絶対音感=absolute pitch』は、それ自体が、教室では、結構困りものなのです。
先ずは、色々なorchestraは、それぞれorchestraが独自のpitchを持っています。Wien・PhilのpitchやBerlin・Philのpitch等です。
また、指揮者自身の好みでorchestraのpitchを変更する事もあります。(さしずめ、私ならば、443cycleのpitchで演奏させます。)
つまり、日本のorchestraのpitchは、(演奏会高度の)442cycleが一般的なのですが、Berlin・Philでは444cycleのpitchで演奏しています。私はその中間と言う事でしょうかね??
日本のHallの殆どのPianoが、通常は443cycleで調律されているので、教室のpitchも443cycleで生徒達も家のPianoを調律するようにお願いしています。※)
日本の学校、教育関係のHallに限っては、440cycleの標準pitchと、pitchが低くて使う事が出来なくって困ってしまいます。学校と言っても音楽大学では、442cycleが標準なのですが、教育大学は440なのですよ❢❢これは困った事です。
このお話は440cycleよりもpitchが高い場合のお話なのですが、反対に低く調律しなければならない場合もあります。
baroque音楽でも、periodで演奏しようと思ったら、435cycleや、415cycleのpitchで弾かなければなりません。
※)440cycleと441cycleでは1cycle違うので、1秒間に1回唸りが出る・・という意味です。
このお話は、基準となるAのpitchのお話でしたが、それ以外にも、個々の音のpitchを修正しなければならない場合が多々あります。
それは私達の教室のように、orchestraで、平均律ではなく、純正調を基準として演奏する場合には、同じ一つの音を、純正の音とか、導音の音とか、更には平均律のpitchに至る迄、弾き分けなければならない時があるからなのです。
これは、絶対音感があっても、調性感がないと、如何せんどうしようもありません。
優れた絶対音感を持ちながら、この調性感が育っていない生徒が、稀にいて、オケ練習の時に、困ってしまう事があります。一人だけ別のpitchに行ってしまうからです。
つまり、調性感のpitchは、絶対音感のpitchよりも優先しなければならないからです。
それに、趣味で練習もたいしてしない子供達が、小学生でもWieniawskiや Paganini等の曲を弾いて、StamitzやMozartのConcertoをorchestraと演奏する事が出来る・・と言っても誰も信じてくれません。
「練習しないで、弾ける」・・という事は日本の社会では有り得ない事なのです。
それに、練習しなくても、演奏出来る分けなので、自分の才能、能力に価値を見出している生徒はいません。
自分が練習しなくても、弾けるのだから、自分はたいした事はないし、音楽に進む事を希望している人達は、7時間、8時間の練習が普通なのだから、自分がそうなれる分けはない・・という理屈です。
そこにはnivouで、物事を比較するという考え方がありません。
練習量(勉強の時間)だけで勉強を比較する、無意味な比較です。
社会では、同じ水準ならば、少ない時間を優先するのですが、学校教育では、掛かった時間を努力に要した時間として評価する傾向があるからです。
まあ、生徒達や保護者の人達が、そう思うのならば、それはそれでも良いけれどね??
Giftの価値が分からなければ、それはそれで、或る意味・・その人の能力なのでしょうからね??
(chanceを自分のものに出来る・・という事も一つの才能《Genie》なのですよ。)
(・・と言う事を書いていたら、子供達が文句を言って来ました。「練習しない分けではない。毎日、5分か10分はちゃんと練習をしている」・・と言う事だそうです。「フン、フン❢毎日、ちゃんと練習しているの・・ね??」アハッ!でも、曲のlevel(Niveau)と練習の量は或る程度は整合しないとね??)
私の悩みは、折角オケ練習で練習のpointを説明しているのに、次のオケ練習まで、楽譜を忘れても気が付かない・・という事です。
(誰とは言わないけれど、弓を忘れても気が付かない生徒もいたよな?以前はcaseだけを持って帰って、楽器を忘れて行った生徒も居たよな?? その時には、流石に驚いて、保護者の人に電話をしていたのだけど、今はもう面倒くさいので、本人が気づくまで連絡をするのはやめました。勿論、小学低学年迄の生徒達は、この限りではありませんが・・・❢❢)
talentやGiftのようなものは教育でどのようにでもなりますが、日本の横並びの社会では、そこからprofessionalに育つのは難しいようです。
つまり、その理由は、professionalと呼べる程の異能(=Niveau)は、一般的な常識を翻した所にあるからです。
「常識の世界の延長上に異能がある分けはない」・・という簡単な摂理がどうして一般の人達には分からないのかな~??
不思議だ❢❢
皆と同じ事をしていたら、皆と同じようにしか、ならない・・というのは自然界の法則なのだけどね??
それにしても、「私は教育者だけにはなりたくはない」ので、「芦塚メトードなんて、どうでも良いmethode」は早く誰かに譲って、「教育の世界からは楽隠居したい」のだけどね??



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9月7日4時55分(土曜日)の朝焼け ·
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台風15号が明日のオケ練習を直撃するようです。オケ練習が中止になるようでは、マジに困ってしまいます。お姉さん達の助っ人が練習に未だ来ていないからです。ぶっつけ本番になってしまいますので・・・。
起きて直ぐに写真を撮りました。
結構、厚い雲が低く垂れ込めていて、ビルの間から朝焼けが覗いている・・という不思議な(ありそうで滅多にない)光景になっています。
写真を撮る直前迄は、上方の空が暗かったので、本当にビルの間から覗いていて、一点だけ明るい朝焼けだったのですが、写真を準備している間に、一気に上方の空が明るくなって来ました。
今日も暑そうな空の様子ですよね??

netの練馬区の天気予報では、気温は26℃、湿度95%なのですが、部屋の中の温度計は33℃超を指しています。
これ以上は、とても無理・・という事で、外の空気を取り込む事を諦めて、窓を締めて、クーラーにしました。

てもさても、未だ、5時前というのに、強烈な鼻詰まりで息が出来無くなって、喉が痛くて、目が覚めてしまいました。
でも、一応は、toilette-timeなので、起きる事・・自体は何の問題無いのですが、鼻詰まりは何とかしないと、無呼吸症候群になってしまいます。
今使用している点鼻薬は市販の常備薬なのですが、病院から処方して貰った薬よりも、良く効くのですが、常用すると、効能が減って来るので、常用はしたくないのだけど、この際は仕方ないよね??
点鼻薬を注して、眠り直しをしようと思っています。
それはそうと、私の携帯なのですが、これまでは写真がFacebookに送れなくって困っていたのですが、調べて見ると、「adobe Flashを入れ直さなければならない」・・というmessengerが出て、それで何回もinstallを試みて、それが出来なくって、困まり果てていたのですが、ふと思い付いて、au携帯のupdateをしてみたら、なんとか、1,2枚の写真ならば、Facebookにもupload出来るようになりました。
versionが古くなったので、写真が送れなくなってしまっていたようです。
・・・と言う事で、今日の写真も、携帯から直接Facebookにuploadしました。(これは楽ちんで良いや❢❢)
夕方からはlessonがあったので、椎名町に出掛けました。食事をしてドルプリっ歩の時間になったのだけど、今日は、それだけで目一杯な感じで、とてもお散歩迄は、無理な感じになってしまったので、お散歩をパスして急遽家に帰って寝る事にしたのだけど、玄関を出たら、ドルプリの二匹から、目を丸くして『えっ??お散歩行かないの??』と見つめられてしまいました。超、可愛かったけれど、無理なものは無理です。
川崎の病院辺りから、お散歩がサボり気味になってしまっています。
今の所、お散歩パスの方が多いよな??
困ってしまうよな??
体調管理が全く出来ていないのだよな??
コメント
萩元 美紀
明日はオケ練習時間帯には影響なさそうかな!?
21時頃から雨が酷くなりそうなので先生方が帰られる時間が心配です。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
21時ならば、ドルプリっ歩の時間ですよね??ドルが「行かない❢」てゴネそうだよな??


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9月9日「ゆとりの薦め」 ·
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「ゆとり」とは、辞書によると、「余裕があり、窮屈でない状態や物事のこと」を指すのだそうです。
私は、子供達に「ゆとり」を説明する時には、よく『余力のある状態』と説明します。
気を付けなければ行けない事は、『余裕』と『余力』では全く「意味合いが違う」・・という事です。
今の子供達は、学校の勉強、受験勉強等々で、学校のみならず、塾等で大人達よりも忙しいのですよ。
それだけ一生懸命に勉強しているからと言っても、「大学に行くための明確な目標」がある分けではありません。
未だ、人生の目標さえない、たかが通過点に過ぎない大学受験のための勉強に、超時間に追われてキツキツの毎日を過ごしています。
大学に行くためだけの目標のために、受験勉強を必死にするのは、日本人とお隣の国ぐらいだと思うのだけど、私には理解出来ない事ですよね~ぇ??
こういうお話をすると、「日本人の(特に親という立場の人達)は、不思議に思われる方も多いのでは??」・・と思いますので、蛇足の説明をすると、日本以外の殆どの国の子供達は、人生の、或いは将来の目標が先にあって、それに向かって行くために、勉強をして、大学を受験するのですよ。
つまり、「医者になって村に恩返しがしたい」とか、「政治家になって、国を豊かにしたい」とかいう希望が先にあるのです。
特に、ドイツでは、特に大学で勉強をして、将来、学者になる事を望む人達だけがGymnasiumに進学します。
だから、普通の技術職(生活職とでも言うのかな??)を望む子供達は、(美容師やパン屋、お魚屋さんになりたい人達)は、小学校3年生の時から、Handel-Schuleという職業を専門に教える学校に行きます。
つまり、小学校を6年間、続けて勉強する子供達は、Gymnasium進学を目標として、将来、大学に進学して、将来学者の道を歩む子供達だけなのです。
ドイツの全ての職業は(パン屋でも、お魚屋さんでも、pianistでもviolinistでも❢❢)全部、国家試験があって、国家資格がないと、職業にする事が出来ないからです。
(国家試験に合格しないとpianistにもなれないのですよ。大学を卒業したら、自称pianistという国の音楽家達とは大分意味合いが違いますよね??)
私が、ドイツ人のお父さんに、「小学校の3,4年生の子供に自分の一生を決める事が出来るのか?」と、質問したら、「ドイツの子供達は充分出来るのだよ!」と怒られてしまいました。
日本の場合には、大学生の女の子が就職をするのに、親に相談しているのを見て、お隣の国の女の子が驚いて、「自分の仕事の事で、自分の将来の事なのに、なぜ、親に相談するの?」と聴いていましたが、日本人の女の子は、「だって、親は人生の経験が豊富なので、親に相談をすれば間違いがないじゃあないの??」と答えていたので、日本に留学しているお隣の国の女の子は、すっかりと呆れ果てていました。
お隣の国の方が、日本の社会よりも、儒教の国・・という気がするのだけど、子供の自立・・という意味では、日本は随分劣っているのだよね~ぇ??
「自分の人生を親に委ねる」・・という事は、日本以外の国では有り得ない事なのだけどね~??
「自分の人生さえ持っていない」・・「自分の将来すら見えていない」その子供達に「ゆとり」の大切さを説明する事、教える事は、殆ど意味のない事に思えて来ます。
そういったゆとり(自立心、i dentity、夢)のない子供達の本来あるべき教育をなんとかしようと文科省が始めた「ゆとり教育」は、その目的とは掛け離れて、単に塾の競争教育をエスカレートさせるだけの結果を産んでしまいました。
子供達の親や学校の先生達に、「ゆとり」に対する意識が育っていない状態のままに、上からの目線で「ゆとり教育」を始めた結果になってしまいました。
athlete達にとっても、Olympicで金メダルを獲得するには、ゆとりのある演技が大切です。
それは音楽のconcoursに限らず、色々なgenreのconcoursにおいても同じです。
音楽を学ぶ上でも、キチキチの演奏では、人に感動を与える事は出来ません。
演奏に余力が出て、初めてそこで人に感動を与える余力が出来て来ます。
発表会でやっとこ、さっとこ、曲を弾いて「間違えなくって弾けた❢」と喜んでいるlevelでは、proの世界は程遠いものがあるのですが、日本では自称pro・・というのも成り立つので、それでも良いのかな~?
今の日本社会は趣味社会であって、professionalの人達には住み難い社会なのだよね??



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9月9日『油断も・・隙きも・・ストリーズも・・・』 ·
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私が、文章を書く時には、普段は、箇条書き状態の寄せ集めのメモとか、未だにメモ書きのままの状態の文章は『自分のみ』として、或る程度、文章になるまでは、非公開のままに、自分だけが見るようにして、推敲しているのですが、今回もいつものように、「ゆとりの薦め」の文章を書く時に、下書きの状態の文章を、ニュースフィードの設定を『自分のみ』に設定して公開のcheckを外したら、なんと自動的にストリーズにcheckが入ってしまって、ストリーズに表示されてしまいました。意識してストリーズにcheckを入れた覚えがないので、後々迄、全く気が付きませんでした‼
後で、気が付いて、そのストリーズのcheckが入った文章を削除しようとしたのですが、中々文章を削除する事が出来無くって、困ってしまいましたが、写真を削除というのがあったので、「ものは試しに❢」・・と削除したら、(写真は1枚も入っていないのに・・)文章もちゃんと削除されたようです。(ホントかな??)
どうもFacebookは、分かり難くて、無駄な動きが多くて困ります。
ご迷惑をおかけしますが、「ゆとりの薦め」の文章は、未だ、未完成なので、もうしばらくお待ちください。
それにしても、今日は朝から鬱が酷い❢❢ (というか、昨夜の千葉からの帰りからの事なのですが、ネ?😭)
・・勿論、鬱の原因は、人生が上手く行っていないと言う事に尽きる分けなので・・その理由は、分かっているのですがね??
如何せんどうしようもない事です❢❢
どうにか、出来る事ならば、最初から鬱にはならないのでね⁉
それはそうと、またまた久し振りに、「自分のみ」の設定で、uploadした「ゆとりの薦め」の推敲中の文章の半分以上が、削除されていました。
普段ならば、編集履歴の文章から、元の文章に戻す・・・という作業をするのですが、鬱が酷いと中々その作業が出来ません。
文章を見ていても、言葉の意味が頭の中に入って行かないのです。
アラベスクの象形文字列を見ているようで‼
仕方がないので、文字数の一番多い履歴の文章を、コピペしました❗
今の精神の状態では、それぐらいが限界なのでね⁉


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9月10日台風一過の次の日です。 ·
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今日は9月の10日、台風一過の次の日です。
今日は、未だ朝の6時だというのに、練馬区の気温はもう既に27℃で湿度は90%もあります。部屋の窓を全開にして室内の空気を入れ替えていたのですが、もうそろそろ限界なので、窓を閉めて、クーラーにする予定です。
それにしても、今日は36℃まで上がる予定です。今は未だ8時なのですが、既に29℃で、9時には31℃、10時には、33℃の予定です。お昼の2時には36℃に達する予定になっています。
いったいどうなっているのかね~ぇ??
9月も半ばになったというのに・・??
台風は昨日の午前中には、関東を通り過ぎたので、何事も無く、日常の生活が・・と思っていたら、千葉の方では、停電や電車が不通で、とうとう、先生達が教室に辿り着く事が出来ませんでした。
千葉直撃とは言っていたのだけど、千葉は、そんなに被害が大きかったのかね??
私の故郷である長崎では、年に数十回は台風が来るので、台風の被害はあまり聞きません。夏の終わりから秋に掛けて台風が頻繁に来るのは当たり前の事なので、家の何処の箇所が壊れるか?どこの川が汎濫するのか?何処の崖が崩落するのか?は、毎年、分かり切っていて、改めて、そのための準備をしなくても、普段の日常の恒例になっているからです。
今回は、気象の歴史的にも稀な小型で速度の速い、被害甚大な台風であったようなのですが、それにしても、関東を直撃するのは、今回が初めてではないので、事前の停電等に対するインフラの対応が遅すぎますよね??混雑混乱を招かないように、早めに鉄道の休止を発表した所までは、まあ、良いとしても、その結果が、混乱混雑を避ける事には繋がっていない・・というか、逆に混乱を招いているという事は、事前の対応の意味を履き違えているのでは・・??
これでは安倍さんが、幾ら再軍備計画を練ったとしても、戦争の準備には程遠いようですよね??
だって、発電所が一箇所、壊れただけで、北海道中がBlack-outをするのならば、敵国にとっては、ミサイル1本で充分なのだから、超、安上がりにいつでも攻撃出来ますよね⁉
首都高速でも、東京電力でも、何処がdownしても、Energieを分けあえるようなBypass網を作れば、安上がりで済むのにね??
何が何でも中央集権的に、都心に集めるから、全てがdownしてしまうのだよ❢❢
そのインフラにすら対応出来ていない・・という事は、所詮、安倍さんの考える再軍備計画は机上の空論であって、所詮、幾ら再軍備にお金や人材を掛けても、無理だよな~ぁ??
Olympicの渋滞のsimulationって、Olympicを東京でやる事自体が無理があるのだよね??
再軍備構想ならば、都心で国を制御するのを、止めればよいだけなのだけどね??
アメリカのように、山の中に軍の中枢を置けば、都心がdownしたとしても、国としては安全なのだけどね??
火山が無くて、人がいない場所ならば、幾らでも重要な施設が作れると思うけれど・・・??
私は政治と宗教に関しては、一切、commentは差し控える事にしているので、これは安倍さんの再軍備に対しての批判ではなく、単なる、災害時の対応についてのお話です。
「地震や台風は、国防と同じ事でしょう??」という意味ですよ。
「地震」は兎も角としても、「台風」は事前に来る事は分かっているはずなのに、これだけゴタゴタしているようでは、突然、飛んで来るミサイルへの国防は、全くおぼつかない・・・というか、全く無意味だよね??・・・という話ですよ。
前回は、memoの箇条書き状態の『下書き』を作成する時に、newsfeedのcheck項目が自分のみになっている事を確認してstoriesにはcheckが入っていない事を確認してuploadしたはずなのですが、しかし、前回はそれがuploadした途端に、storiesにcheckが移動してしまったので、今回は、Facebookの動きを、かなり気をつけてupしなければなりませんでした。
・・・と言う事で、memo書きをする前のtestの投稿です。
シンクの洗い物をしていたら、フォークを指に刺してしまった。フォークの先端で、指先を刺しただけなので、大した事はないと思っていたのだが、血が止まらないので困ってしまった。
「そうだ??」「血を固まらなくする薬を飲んでいたのだっけ??」
しゃ~ないか??


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2019年9月10日 ·
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『通奏低音の思い出』
①Cembaloという楽器との出会い(=音楽大学時代)
Cembaloという楽器との出会いは、私が未だ若かりし頃の音楽大学に入学したばかりの頃の話になる。(それはもう、50有余年も前のお話になってしまいます。その当時は、未だ、Cembaloという楽器が日本❢に数台しかなく、私が入学したばかりの音楽大学にも、 NeupertのConcerto-Cembalo※)が一台あって、Eta Harich-Schneiderの門下生であるCembaloの先生が大学に一人だけ、Wienから帰って来て、大学にやっと、就職したばかりの頃で、未だ、どこの音楽大学にも、Cembalo科という科が存在していなかった頃のお話になります。
音楽大学に入学したばかりの夏休みに、BachのKaffee-cantataを演奏する事を思い付いて、私財を叩いて、orchestraのscoreとpart譜を購入して、演奏の参加者を募集しました。当時は、日本にはCembaloが未だ数台しか無かった頃なので、cantataの演奏は日本初演のはずですが、公開ではなく、学内演奏なので、残念ながら、日本初演にはならないようですね??
通奏低音のCelloや、Cembaloは、orchestraで演奏活動をしている先生達や講師の先生達が練習に参加してくださいました。
当時、cantataだけではなく、HändelのConcerto Grossoやその他のbaroqueの曲を在学中には数多く演奏する事が出来ました。(勿論、私個人の自主公演なのですが・・)
baroque音楽には勿論、Cembaloが必要なのですが、未だ極めて珍しい楽器であった頃のお話なので、先ず、ただ一人のCembaloの講師の先生を口説いて、Cembalo科を作って、Piano科の生徒達の副科楽器として募集をしました。baroqueの音楽に対して、どれぐらいの興味を持っているのか??と言う事で、試験問題は私が作成して、合否も私が判断しました。勿論、副科Cembaloの生徒の1号は私でした。当たり前だけどね・・・??
②通奏低音の思い出(=留学から帰国して・・)
自由気ままに好き勝手をやっていた音楽大学時代から、Münchenに留学をして、Genzmer門下生としてドイツ留学を果たして、それから帰国して、日本に帰りついてからは、たつきの糧をどうするのか??・・マスコミで仕事をするのか?・・音楽大学で学生達を指導するのか?・・と言う事を色々と悩んで、1,2年間をmoratoriumで過ごしました。
ただ単にmoratoriumをしていても仕方がないので、昔取った杵柄・・という事で、歌の弟子にcantataの唱法を指導して、弦の弟子達を引き連れて教会巡りで、solo-cantataを数曲repertoryとして演奏をして回りました。結構、小遣い稼ぎにはなったのだよね??なにせ、教会はお金回りが良いのでね??(毎年、お金が支給されてくる・・という話を初めて知りました。へ~ぇ??)
ちょうど、その頃、ある音楽大学の学長先生から、日本に未だ無い通奏低音科を作って欲しい・・・という依頼を受けました。母校の音楽大学とは違う音楽大学なので、その音楽大学の学長先生と私は一面識も無かったのですが、学長先生が言うには、『日本で、通奏低音が演奏出来るのは、ある有名なCembalistの**先生と、私の二人だけ・・』・と言う事で、私の元に、学長先生からdirectに依頼が来たのです。
私が通奏低音に興味を持っていて、多くの通奏低音の著書を所有している事は事実なのですが、それは私の回りの殆どの人達は知らない事なので、「誰が私を推薦をしたのか??」は、学長先生と直接お会い出来る機会が全く無いままになってしまったので・・謎のままになってしまいました。
もう一つの音楽大学の就職先の予定は、当然、師匠であるPringsheim先生の推薦で、母校に就職をする予定だったのですが、《極めて、怖~いお話なのですが・・》その2つの音楽大学の面接の前日(❢)に、私に通奏低音科を作ってくれるはずの音楽大学の学長先生と、私の母校の恩師であるPringsheim先生が、死んでしまったのですよ。
日本で初めての通奏低音科のお話は、学長先生が一人で考えていた構想らしく、当日、学長先生が前日の夜に死んだ事を知らないままに私が面接に行ったら、学長先生の変わりに面接に応じた先生から、一般の講師募集にやって来た人達と同じに待遇されてしまって、しかも、「通奏低音科の話等は、聴いた事もない❢」言われてしまったので、私は憮然として、面接は受けないで、そのまま帰って来てしまいました。
その音楽大学での、一般の講師としての就職は考えていなかったのでね??
(それならば、近場の母校への就職の可能性も、考えていたのでね)
母校では内定を貰うために、Pringsheim先生と一緒に学長の所に挨拶に行く事になっていたのですが、その挨拶に行く前日の夜にまたまた先生がお亡くなりになってしまって、一般の講師の面接に来るように言われて、就職の確約は貰ったのですが、私自身が日本の音楽大学の教育systemに異論を唱える立場だったので、私の回りの先生達の音楽大学に就職する事への反対もあって、面接に行く事自体を辞退して、音楽大学への就職はやめてしまいました。私としては、たつきの糧に音楽大学の講師という事もありか??とは思っていたのですが、そうすると、私の教育理論とは色々と問題が起こってしまうので、弟子達が異論を言って来たのでね・・??
・・とは言っても、2,3の音楽大学や教育大学には、生活のために、(何時でも辞めるつもりで、)非常勤では、通ってはいたのですがね??
なにせ、とてつもなく、給料が良くって、非常勤の講師という立場なのに、大学が「教授のC」の金額を払ってくれていたのですよ??
当時の時給で7000円~8000円ぐらいですよ。
それも、5年間勤め上げたのを契機に、全部の学校を辞めてしまいました。
「支払う給料が高いから、常勤になってくれ❢」と学校に言われてしまったのでね??
給料になると、教授でも月20万ぐらい迄で、後は、肩書料が雀の涙分出るだけなので、単位時間計算の非常勤の方が圧倒的に高額な給料を貰えるのですよ。
常勤は月額の給料制なので、大学に取っては、非常に安く済むのでね??
ここで出て来る「通奏低音科」とは、音楽大学のCembalo科の生徒達に、basso continuoの技術を教えるための教科です。今は知りませんが、40年前の時代では、ヨーロッパでさえ、この通奏低音科は、何処の音楽大学にも存在はしていなくて、もし、その音楽大学に通奏低音科が出来れば、多分、世界初の通奏低音科になったと思います。
しかし、今では、ヨーロッパならば、どこの国でも音楽大学とは別に、国立のRenaissanceやbaroque音楽のinstituteが出来ているようですが、残念ながら日本には未だありません。
というか、指導出来る先生がいないのよね??アハッ!
通奏低音の教則本は(2019年の現在では、)Hermann Kellerのbasso continuo入門というTextが邦訳としては、全音楽譜出版社から出版されていますが、このお話は、その教則本が出版されるだいぶ前(40年程前)の時代のお話になるし、先ずその前に、Hermann Kellerのbasso continuoの教則本は、かなり、高度な教則本であって、和声の知識の疎い日本の音大生に使えるような初歩のlevelの通奏低音の教則本ではありません。私が生徒達に指導している和声学の教則本をPianoで見ながら弾いて解ける所迄、使い熟せないと、basso continuoが弾けるようにはなりません。完璧な和声学の知識が必要だからです。
先ずは、Cembalo科の音大生でも、使えるような初歩の教則本を作りあげる所からの私への依頼のお話なのです。
でも、そのつもりで、curriculumを作成する事は、未だ世界で誰もやっていない事なので、面白いし、楽しい事なので、喜んで引き受けました。
資料を準備して、万全の企画をして、面接に臨んだので、面接の前日の深夜に、学長先生がみまかられたのは、私にとっては少し・・いや、超、Shockでした。
だって、コツコツと集めたbasso continuoの資料のお金が、全部、パーになって、無駄になってしまったのですよ。
ちなみに、私が、このお話を学長先生から受けた時期は、私がBeyer教則本の指導manualを作りあげる時期や、Violin教則本、Cello教則本を作りあげる時期よりも、随分、前の頃のお話になります。
生活のために、高額で雇ってくれる教育大学で教職の免許を取らせるための条件は、弾き歌いです。
Pianoを触った事さえ無い生徒達に、たった、2年間でBeyerを卒業させて、Burgmüllerやsonatineを弾けるlevel迄にしなければならないのです。
私は、その大学の生徒達がBeyer教則本を弾く時の弾けない箇所やその原因の統計を取りました。そこで、難しい箇所、行き詰まる箇所の理由と解決を導き出し、それを集成したのがBeyer教則本の原本になります。それを音楽を学ぶ生徒用に、より高度に専門的にしたのが、Beyer教則本manualになります。
次に作ったのがなんとCello教則本なのですが、日本ではCelloの促成教育のauthorityであった現陛下のCelloの師でもあり、音楽大学の教授でもあった先生に飲み屋で知り合って、実際に師匠にCelloの促成法で習って見ました。2,3年程通って見たのですが、私ならば、同じlectureは1月で指導出来ると言う事で、作り上げたのがCello教則本です。
但し、Beyer教則本は、子供も大人も使用可能なのですが、Celloの教則本は一月という短期決戦のために、大人のみの教則本なので、子供用に、子供のためのCello教則本というのを、ほぼ並行で作りあげました。
また、Celloのい教則本とほぼ並行でViolinの教則本も作りあげました。
お話は前後してしまいますが、教則本のお話は、音楽大学への就職を断念した後のお話になるので、通奏低音科を作る時のお話迄、お話を戻すと、
私が帰国して、通奏低音科のお話を受けていた頃には、色々な音楽大学でもCembaloを設立する事が一つのstatusになっていました。Pianoの先生がCembalo科を兼任してCembalo科の先生となって、生徒達を指導していました。
しかし、非常に残念な事に、Pianoを弾く弾き方でCembaloをそのままに指導しているだけで、何処にもCembalo独特の奏法は見受ける事が出来ませんでした。
日本に帰国したばかりの頃のお話なのですが、その当時にある音楽学校の先生をしていて、「子供科の落ちこぼれの生徒達を子供科の主任の給与で指導して欲しい」という学長からの断っての頼みがあり、問題を抱えている生徒達10数名を預かる事になりました。約半数が家庭に問題を抱えている子供達で、残りの半数が、指導に問題を抱えている生徒達でした。(この詳しいお話はhomepageに掲載しているので、割愛します。)その子供達にBachの12の小前奏曲を使用して、12曲それぞれに、色々なCembalo奏法を1曲毎に指導したのですが、それを纏めたものが「Bachの12の小preludeによるCembalo奏法」として作り上げています。
先ずは、通奏低音よりも前に、Cembalo奏法が分かっていないと、何も始まらないのでね??
ここまでの通奏低音と言う事は、Cembaloに対してのお話で、右手の和音を即興で付けて演奏する・・というお話や、必要欠くべからざる箇所へのornamentの付ける原則と原理、baroque演奏で必要な即興演奏への技術のapproach・・等のお話なのですが、通奏低音と言えば、continuoの低音楽器(通常はcontinuo-Cello)の演奏法も指します。
その通奏低音Celloへの演奏法は、教室ではVivaldi等のConcertoを指導する時に、continuo-Celloの子供達に直接指導していますが、残念ながら、教則本としての本は作成していません。
それは「演奏法」なので、「言葉で書い表すのは困難だから」・・です。
また、basso continuoを演奏する時の楽器自体の問題なのですが、soloのViolinにcontinuoとして対抗するには、modern-Celloでは楽器が大き過ぎて、音量が強過ぎるために、soloの楽器や、Cembaloとの音量のbalanceが良くはありません。(まあ、そのために、 Neupert等の楽器制作の会社は、modern-Cembaloを作ったのですが、音量を大きくするために、baroqueの美しい音色を失ってしまったので、今ではmodern-Cembaloを弾く人達は少数派になっています。)
通奏低音を演奏するCelloは、実際のbaroque-Celloで演奏する場合には、Celloのsizeが3/4,若しくは、1/2のsizeである事が多いので、baroque-Celloを使用する場合には、soloのViolinやCembaloの音量を邪魔する事は無かったのですが、現代の一般的な日本のコンサートでは、通奏低音のpartを通常のmodernなCelloで演奏する事の方が多いので、soloやCembaloとのbalanceは崩れていしまっています。
勿論、教室では(と言うか、私個人の出費なのですが)通奏低音用のgambaも購入していますし、3/4と1/2の中間sizeのCelloに柔らかい弦を張って、通奏低音用の楽器にしています。通常のFrance製の有名なCelloの製作者のfullsizeのCelloと、通奏低音用に買った分数のCelloです。比較が容易なようにgrandpianoの上に置いて写真を撮っています。
それ以上に問題になる事は、通奏低音のmelodieが、何のarticulation(表現)も無しに、演奏される事です。
私の場合には、continuo-Celloに対しては、soloと同じぐらいに、演奏の表現を要求しますが、これもbaroqueの通奏低音の定型の演奏のstyleによります。通奏低音が活き活きとした演奏表現をするのならば、soloの演奏は驚くほど表情豊かになります。
補足説明なのですが、一般的なperiodの演奏では、basso continuoのgroupは、Cembaloとcontinuo-Cello(gamba)だけではなく、それ等に更にtheorboやguitarのような楽器を加える事も多いようです。
流石に、tiorbaの奏者を探すのは無理なので、その編成は諦めているのですが、私はbaroque-guitarは持っているので、これをRentalすれば、通奏低音のsessionは豊かな表現になります。(勿論、私の個人的な趣味なのですが、baroqueのguitarを持っています。)
③教室を開設して、教室での子供達の演奏として
37歳になって音楽教室を開設した経緯はFacebookやhomepage等によく書いているので、そちらを参考にしてください。そろそろ面倒くさくなって来たので・・



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9月10日「Aus meinem Tagebuch」 ·
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今日は9月の10日の火曜日の夜です。
昨日(❢)は鬱が酷かったので、「夜食は事務所には食べに行かないで、ハイツに引き篭もっていようかな??」と思っていたのですが、台風で先生達がlessonが出来なくなって、途中で引き換えして来たので、早い時間に食事をする事が出来るようになったので、外に食べに行く事になりました。
「『鬱が酷くて、事務所に食事に行けない』・・という事なのに、・・『台風で先生達の帰りが早くなったので、飲みに行く』・・」とは、分かり難い話ですが、先ず、先生達が早く帰って来たのは、花園教室やユーカリが丘の教室が停電でlessonが出来なくなった・・という事と、・・それ以前に、電車が走っていなくって、教室迄辿り着く事が出来なくなってしまったので、教室に移動する途中から、急遽、引き返して・・なんとか東京迄戻って来る事が出来た先生達が、「鬱が酷くて食べれないのならば、今から飲みに行こうか?」と、誘ってくれたから・・という事です。
そこで、冒頭のお話に戻って、・・・今日は(❢)鬱が酷かったので、「夜食は・・」というお話に、続きます。
折角の先生達からの誘いだし、時間も未だ早いので、鬱を押して(我慢して・・)、急遽、電車で椎名町の焼き肉屋に生Beerを飲みに行く事になりました。
『悪文の典型は、目的となるthemaがあちこちに飛ぶ事なのですが、この文章も、「飲みに行く」というthemaから、突然、「冷蔵庫には何も入っていないので、食べ物が無い!」というお話に飛んでしまいます。』
・・と言う事で、今日は椎名町からの「お持ち帰りのお弁当」は全く無いので、冷蔵庫の中には、ご飯のお供になるようなものは全く何もありません。
昨日の月曜日には椎名町に置いておく糖質制限のご飯を炊いたので、今日は、またまた再び、ハイツ用の糖質制限のご飯を炊きました。
その、朝炊いたご飯の入ったオヒツだけが、冷蔵庫の中に入っています。
『次の目的となるthemaは、「焼肉屋で払ったお金が高かったので、文句を言われたので、鬱が再発してしまった。」というお話に変わってしまいます。』
・・と言う事で、焼き肉屋で生Beerを飲んで、支払いは先生達が割り勘にしてくれたのは良かったのだけど、一言、割り勘が「高い❢」と言われて、頭に来てしまいました。
鬱が酷いから、飲みに来たはずなのに、文句は言うなよな❢❢
それならば、割り勘ではなく、俺がお金を出している時に「割り勘❢」と言わなければ良かったのではないのだろうか??
結局、その一言で、「鬱」がぶり返してしまったよ❢❢❢
折角、無理をして「お出かけ」をして迄、生を飲みに行った意味が無くなってしまったよな~??
そんな事ならば、最初の予定通りに、独りで引き篭もっていた方が良かったよな??
・・という事で、鬱が酷くなると、心臓の拍動もおかしくなります。
・・という事で、いつも言っている事なのだけど、「心臓が不整脈になるから鬱になるのか?」「鬱になったから心臓が不整脈になるのか?」鶏か卵かは分からんけれど、鬱が酷くなると、必ず、心臓の不整脈も起きてしまいます。
昔ならば、「不整脈になったからと言っても、鬱になる事は無かった」し、「鬱になったからと言っても不整脈になる事も無かった」のだけどね~ぇ??
歳を取って、加齢を迎えると、情緒と体調が連動するようになるのかね??
『次の悪文の例は、ここから日にちが飛んで、次の日のお話になってしまいます。』
・・と言う事で、時間が飛んで、次の日の夕方(火曜日の夕方)・・・になります。
本来ならば、今日(❢)の火曜日は、いつもは「ボッチ夜食」なので、行き付けの寿司屋に飲みに出掛けているはずの日なのですが、2日続けての「連チャンの外食」では・・というと、体調的にも鬱が直った分けではないので、外食をするのはやめる事にしました。
外食をすると、どうしても人と顔を合わせる事になるで、鬱が酷い時には、それは結構辛いのです。
外食はやめて、お弁当を買いに出掛ける事にしたのですが、今日は9月も10日というのに、秋の気配は無く、36℃の気温が一日中続いているので、かなり、危険な暑さなので、外に出かける事が可能な気温になるのを気長に待ってから、お弁当等の食料品を買いに出掛ける事にしました。
とは言っても、夕方の6時になっても、未だ31℃超の温度をkeepしていました。
それでも結構、凄い気温ですよね~ぇ??
やっと夜の9時頃になって、気温が下がって来たので、「駅近のスーパーに出掛けて、お弁当でも買って来ようかな??」と、頑張って出掛けて見たのですが、スーパーの中に入って見ると、お弁当の棚はスッカラカンで何もありませんでした。
・・そう言えば、このスーパーでは、9時以降になってお弁当類が売り切れてしまうと、それ以降は補充はしないのですよ。
夜食になるお弁当類が全く無かったので、仕方なくスーパーの直ぐ傍に新しく出来たsevenに行って、お弁当を買って来たのですが、コンビニのお弁当は、基本的に若者向けなので肉類の唐揚げ類しかないので、私が食べたくなるようなお弁当を選ぶだけの選択肢が全くありませんでした。
スーパーに出掛けるのを、もう少し前の時間に行けば良かったのだけど、「いつもの寿司屋に行くか?」「それ以外のお店に行って外食をするか??」・・を悩んで、パソコンで、netで駅近の食べ物屋を探していたのですよ。
それに、中々気温も下がらなくて、外に出掛ける勇気も無かったしね~ぇ??
千川通りにも、老人向けの高級スーパーがあって、そこのお弁当は、肉系魚系ではない老人向けのお弁当も売っているのだけど、今は歩きでは、チョッと遠いのでね??
「今は歩きでは・・」の意味は、「私が若い頃ならば、普通に歩けた距離」のスーパーだったのですが、「今は、すっかりと、遠くなってしまった。」という意味です。
日常の行動半径も歳と共に、少しずつ狭くなって来ます。特に、歩きの場合には・・。
それはそうと、そうこうパソコンに向かって徒然なるままに入力していて、ふと気が付くと、もう夜も11時過ぎになったのだけど、外の世界は『雷雨』のようです。
雨の降りしきる音が、ザーザーとしています。
時折、漆黒の闇が時折、光っています。
・・という事で、・・・元に戻って再び・・・
「今日も鬱です。」
「鬱だと、心臓の調子もおかしくなります。」
endlessの様相を呈して来たよな??
今日の愚痴はここまで・・・




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9月11日baroque-guitar ·
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昔々(とは言ってもどれぐらい昔か分かりませんよね??・・と言う事で、だいたいの年数なのですが、40年程前のお話になるのですが・・)、北九州の飲み屋街をふらついていた時に、偶然にディスカウントショップに展示されているbaroque-guitarを見つけて、一緒に飲み歩いていた人達に、「どうやって東京まで持って帰るの⁉」と反対されたのですが、強引に買って、持って帰った私のbaroque-guitarです。
つまり、裸でcaseも付いていなかったので、お店の人にプニョプニョの木琴用の厚紙の箱に入れて貰って、東京まで手持ちで、抱いて持って帰りました。
guitarの中には、手作りである事の証明である製作者名と、ロット番号が書いてあったはずなのですが、lot numberと作者名の書いてある紙が、いつの間にか剥がれて無くなってしまっていました。記憶では日本人の製作者の名前と、lot numberは76番ぐらいだったのですが・・今は調べるよしもありません❗ 
この40年間、一度も日本人の作ったbaroque-guitarでの演奏は、見た事はないのだけど、その人はいったい、何本ぐらい作ったのかな~?
それとも、単に私の位置しているgenreが違うので、見る機会が無いだけなのかな~ぁ??
40年前は、未だperiodという言葉すら無かった時代なので、幾ら何でも、この日本で、baroque-guitarを作るのは、早すぎたのかも知れませんよね??
折角のguitarなのですが、baroque-guitarとしての認識が一般にないままに、変形guitarとして払われてしまって、誰も買い手が付かなかったのかも知れませんよね??
私のオバQのViolinも楽器屋さんがViolinとしては売れなかったので、violinistではない私に売って来たのだけど、それと一緒で、guitarの演奏家には買って貰えなかったのかもね??(オバQはbaroque-Violinと言う事ではなく、ただの変形Violinと変形のviolaなのだけどね??Chanot型のViolinと言う人もいますが、私のViolinやviolaはChanotさんよりも、もっと古い時代の楽器になります。もっと、頑迷で無知なViolinの人は、変形のViolinと言う事で、「これはfiddleでViolinではない❢」と言って譲らない人もいて困ってしまった事もあります。無知は鞭よりも怖い❢❢話は脱線してしまうので、これはここ迄❢❢)
このguitarは、とても柔らかい優しい音がするのだけど、私はguitarで、baroqueの音楽を演奏するだけの演奏技術がないので、まだ一度も、陽の目を浴びていない可哀想な私のギタラちゃんです❗
gut stringはボロボロだけど、楽器自体は未使用でとても美しいguitarです。
勿論、公開する時には、gut stringは新しくしますがね??
それはそうと、普通のmodern-guitarとは、大きさや型がどれぐらい違うのか分かりませんよね??
・・と言う事で、急遽、私の持っている普通のguitarと並べて写真を撮って見ました。
「参考までに」・・ですがね??









コメント
芦塚 陽二
https://youtu.be/wyHBbg_uFkw
Lute Duo - BAROQUE INSIGHT 2
YOUTUBE.COM
Lute Duo - BAROQUE INSIGHT 2




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9月12日updateのお話 ·
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これは今日のお話ではなくって、さかのぼる事、1、2週間前のお話になるのだけど、携帯の不具合のお話なのだけど、もう一年程前から、撮影した写真が、Facebookにupload出来なくなってしまった。
netで、調べて見ると、「Adobe Flashのversionが古くなっているので、新しくするように❗」と、出て来たので、AdobeFlashをinstallしようと試みるのだが、どうしても、途中で挫折してしまうのだよ❗
しばらくして、何週間か後に、またまた試みて見るのだが、やはり、また同じように挫折してしまう。
不用なfileを片っ端から削除して、携帯を軽くしてみても、結果は同じだ‼ これを1年程繰り返していたのだけど、とうとう万策尽きて、「やはり、携帯の買い直ししか、方策はないのかな⁉」と思うに至ったのだが、ある日、ふと、「netのupdateが出来ないのならば、auのupdateをしたら、どうだろう❗」と思いついて、自動的に設定されているupdateではなく、強制的に手動でupdateをしてみた‼
なんとなんと、その結果、2、3枚の写真ならば、問題なく、Facebookに写真が送れるようになったのだよ❗
AdobeFlashは、携帯のupdateをしたら、自動的に、versionupされてしまったのだよな⁉
auの自動のupdateでは、AdobeFlashのversionupは出来なかったのだよな⁉
そういった携帯の不具合は素人の私には分からないのだけど、元々、江古田の駅の近くにはauーshopがあったので、携帯の不具合があると、いつでもShopの人に相談が出来たのだが、今はお店が無くなってしまったので、不具合の相談は池袋まで行かなければならなくなってしまったのだよ‼
そんなちょつとしたadviceが出来ないと、携帯は、やはりチョクチョク不具合が起こって、何かと、辛いものがあるよな⁉
しかし、携帯の機種変更は携帯の不具合が理由ではなく、携帯の使用料金の話なので、いずれにせよ、買い換える予定ではあるのだけど、先生達も同じ携帯を使用しているので、私個人が買い換えれば良いと言う事ではないので、手間取っているのだよね~ぇ??



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9月12日「Aus meinem Tagebuch」 ·
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今日は9月の12日木曜日です。
昨日の11日の水曜日は、1日中、寝込んでしまって、椎名町に食事や散歩にすら行けなくってしまいました。
・・とは言っても、自分では「そんなに体調が悪い」とは思えなかったのだけど、兎に角、起きて仕事をする事が出来なかったのです。
・・と言う事ならば、「深夜は目が冴えて眠れなくなってしまうのかな~??」と思っていたのだけど、それが結構関係もなく熟睡出来たのだよな~ぁ?
トドのつまり、惰眠dayだった分けだ・・❢❢
オケ練習の集まりが悪く、全員が集まる事が一回も無かったので、J・C・BachのPiano-Concertoが管のpartがある事を、皆さん忘れていたようで、急遽、ひかりちゃんが管のpartを弾く事になったのだけど、2管編成の管partが1本づつのsolo譜で書いてあるので、管partはoboeの2partと、horn in Dの2partで読まなければならないのだけど、それくらいならば、ひかりちゃん達ならば、scoreを見て初見で弾けるはずなのだけど、先生から「菅のpartを弾くことは結構、pressureがある」・・というclaimがあったので、急遽、管のpartを2声部に纏めてscoreに作りました。
小一時間ではなく、小二時間ぐらいで作ったよ❢❢
まあ、我ながら・・なんと早い事・・❢❢
朝、「管のpartを作って❢」と頼まれて、お昼頃にはもう、出来上がっていたのだよね??
これこそ、finale様様の為せる業でざんすよ❢❢
ハイツに戻って大急ぎでfinaleの入力の作業を終えて、bebeに(風呂場の棚が腐って壊れてしまったので、)新しい棚を買いに出掛けたのだけど、風呂場の棚自体が全く売っていなかったので、そのまま帰って来てしまいました。
風呂場の棚は、netでの注文になってしまうのかな~?
netと言えば久し振りに、microsoftを装ったvirus-mailが、突然ハイツのパソコンを占拠してしまって、電話を掛けてsoftを購入しないとパソコンが動かない・・というmessageが出て、全く画面が変わらないだけではなく、「電話のアイコンをclickしろ!」と、叫んでいる・・という・・最悪の状態になってしまった。
勿論、一度、clickして、そのsiteに行くと、金をふんだくられるので、その画面から何とか逃れようとしたのだけど、パソコンが乗っ取られて全く動かない状態になったので、仕方がないので、パソコンを強制終了をして・・ctrl+alto+Deleteで再起動を掛けて、何とか逃げる事が出来た。
直ぐに、virus-Securityのcheckをしたけれど、パソコン自体には、異常は無かったよ❢❢
と言う事で、急遽パソコンの「virus-check」をしたのだが、その時間中は、パソコンが使用出来なくなるので、結構、時間が掛かるパソコンが勝手に動いているだけの状態なので、その無駄な時間を利用して、bebeに買い物に行く事にしました。
そう言えば、一昨日は、椎名町教室のパソコンのmailを整理していたら、adult動画の請求が「ウン十万払え❢」とか来ていて、「法的手段に出る」・・とか脅かしのmailが来ていたのだけど、椎名町教室のパソコンは、仕事用のパソコンなので、net等は通常しないので、そりゃあ、また、ありえへん話なので、早々に削除したのだけど、・・・またまた、変なmailやvirusが徘徊しているようだな??
そういった不審なmailが来ている場合には、絶対に開かないで削除する事ですよ❢
画面がfreezeして削除出来ない時もあるので、そう言った時には、ctrl+alto+Deleteで、パソコンを再起動すれば良いのだけど、しかし、稀には、ctrl+alto+Deleteのパソコンの再起動すら出来ない場合もあるので、その時にはパソコン本体の電源を長押しして強制終了をしてください。
しばらくしてから、もう一度立ち上げると、「不正終了したので、セーフティモードで立ち上げるか、それとも・・・云々・・と、どうするか??」と問い合わせが出るので、「通常に立ち上げる」をselectしてください。
以上で二度とそのvirus-siteは入って来ません。
そこらはパソコンを普段使っておられる方達は当然ご存知の事なのですが、スマホが発達してパソコンが不必要な人達が増えてしまっているので、単なる老婆心です。ハイ!


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9月13日の金曜日、仏滅でJason の日です。 ·
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今日は9月の13日の金曜日、仏滅でJason の日です。
ちなみに、明日の14日は満月です。
今は気温は23℃で寒いぐらいですが、結構、湿度が高い。
netでは、74%ですが、室内の温度計では44%の部屋と54%の部屋があって、数字的には凌ぎやすいはずなのですが、実際には、畳が湿気ったり・・etc.etc.な感じで、体調的には、あまり気持ちの良い天気ではありません。
体感的には湿度80%超ぐらいの感じで、結構空気が気持ち悪いのですが~ネ??
温度は適温なので、窓を閉めて除湿にするか・・考慮中です。

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9月14日中秋の名月 ·
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19年9月13日の深夜江古田ハイツのベランダからの中秋の名月の写真です。
深夜の撮影なので、携帯のcameraではなく、デジカメでの撮影です❢❢
流石に、満月なので、directにAutoで撮影すると、真っ暗な夜空に煌々としたお月さまがハレーションを起こして、真っ白に潰れて写ってしまうので、2枚目の写真は、露出を絞って補正して撮影したのですが、今度はクレーターが写り込んで、まるで天体観測用の写真のようになってしまいました。
だから、やっぱ、1枚目がお月さんらしくて、良いよな~ぁ??とは、思ったのだけど、それにしても、ひかりが強すぎて兎さんが写らない❢❢



超、難しいけれど、兎さんが写るように、manual撮影で撮り直して見ました。




何とか、兎さんの影が写っているの・・・かな??
・・・・かな???
・・・・・かな????
・・・・・・かな?????







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9月14日 videoを焼くのに·
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今日の江古田ハイツのlesson-videoをBlu-rayに焼くのに6回も試したのだけど、なんとなんと、discの用量不足と出てしまって、焼けなかった❢
勿論、画質を落として用量を減らしても無理だった??
高々、2時間半ぐらいの動画なのに、なぜ出来ないのかな??
お昼から少しづつ色々と設定を変えながら、12時間近く焼いているのに、どうしてもBlu-rayに落とせない❢
不思議だ??
仕方がないので、普通のBlu-rayのdiscを諦めて、50Gのdisc を使うか??
・・・という事で、50Gのdisc を使ったら、事無きを得て、なんとかBlu-rayのdiscに焼く事が出来て、Digaで再生の確認をして問題はなかった。
つまり、re-sizeをする事が出来なかったという事だよな⁉
元のdataも、video-cameraからdirectに元dataとしてBlu-rayに焼く事は出来なかったので、video-cameraからのdataを一度mp4に変換してから、焼いているのだけど・・
それでも、1枚焼くのに4時間掛かるってサ??
え~っ??
violin2本のduoにPianoの伴奏なので、3枚と教室のback・upに1枚で4枚という事は、え~っ、16時間??それに、失敗した時間の12時間を足したら、なんと合計28時間も掛かる・・て、事かいな??
まあ、確かに、パソコンが勝手に作業をしているのだから、人間がその時間付きっ切りではないのだけれど、それにしても、その時間中はパソコンが使えない(もう一台のwindows10のパソコンにはfinale等が入っていないので・・)ので、結構出来る仕事内容が限定されるのだよな??
まあ、愚痴っても仕方ない事だけどね❔❔
コメント
塩澤 一範
プログラミング言語をしていると、自分もそうですけど、localhostにアクセスして、画面やら画像が反映されてない、文字コードを打地間違えてないかを確認したりすると、費やす時間は、4日。人が、パソコンに指令を出さなくては、パソコンも動かず。ソースコードが間違えっていれば、画面から絵が消えていたこともありました。パソコンは、何が起きるのかが怖いはらはらしなかまら、楽しみながらやってます。


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9月17日giraffe piano ·
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椎名町の事務所の玄関には、私が長崎で買って来たItaly製のreliefが飾ってあります。
(写真は青み掛かってあまり良くありませんが、携帯のcameraで撮影したので、そのうちにデジカメの写真に変更する予定です。)
reliefには、変な形のgrandpianoを縦にdéformerした安っぽいlayoutのreliefのようなものが形作られていますが、実はこの型のPianoは、déformerではなく、実際にあるpianoなのです。
このreliefに描かれているこの型のPianoは、giraffe piano(=ジラフ・ピアノ)と言う名前のピアノで、首の長いキリンのように見える所からジラフ・ピアノと名前の付いたピアノなのです。
1800年、19世紀の始め頃から、それまでのgrandpianoのように、場所を取らないから・・という理由で19世紀にはヨーロッパで流行していたPianoです。勿論、uprightpiano(アップライトピアノ)の前身としてのPianoになります。
長崎のantiqueのお店に展示されていたのを見つけて、お店の人もこういったPianoが在る事を知らないので、下手な安っぽいreliefとしか見ていなかったので、Italy製の古いantiqueなreliefだったのだけど、結構、見た目から安い値段が付いていたので、これ幸いに・・と購入してきました。



2枚目の写真はnetからdown loadした写真ですが、giraffe pianoの本物の楽器の写真として参考までに掲載しました。
giraffe pianoには、harpのように弦が見えているtypeと箱型になっていて、弦が全く見えないtypeの楽器があり、共鳴箱がある方が音は良いので、当然、弦が見えない箱形の方が一般的なのですが、私のItaly製のreliefが弦の見えるtypeなので、このtypeのピアノの写真を参考に掲載しました。
・・と思ったのですが、箱形のtypeのpianoの方が一般的なので、次いでに、箱型typeのジラフ・ピアノの写真も掲載する事にしました。





今回は、文章がまたまた、勝手に削除されたり、写真も消えたりして、何回か、編集履歴からコピペをして元の文章にしたりしましたが、どんどんと変わって行くので腹立たしい限りです。Facebookの不安定さには堪忍の限界ですが、長文が打てるblogが中々見つからないので、致し方なく日記代わりにupしています。












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9月18日 辞世の歌·
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鬱が超酷くなったので、行き付けの寿司屋に飲みに行きたかったのだけど、それだけの気力と体力がなかったので、alcoholの代わりに、部屋でおとなしくBrahmsの「4つの厳粛なる歌=Vier ernste Gesänge」と、Richard Straussの「4つの最後の歌=Vier letzte Lieder」を聴いた。
やはりBrahmsの諦観とその孤独は、私にはチョッと重すぎて鬱の慰めにはならないので※)、Straussの「4つの最後の歌」を聴き直した。
いつものように、Straussの「夕映えに=Im Abendrot」が、明るさも少しは残っているので、私の気持ちにはピッタリと収まるようだ。「これが死というものではないだろうか?=Ist dies etwa der Tod? 」という一節の和音の進行は、死への坂道を一歩一歩と死に向かって歩いて逝くように音色が変わって行くのは、自分が死に引き込まれて逝くようで、魂が引き締まって来る。
この曲は、多くの歌手達が歌っていて、色々な演奏や解釈があるのだが、私にとっては、慣れ親しんでいる(=Gewohntな)伸びやかなtempoの設定が好きで、大学時代から聴いているElisabeth Schwarzkopf の歌で Szellの指揮が、聴き慣れているので一番心が落ち着く❢❢
一通り「辞世の歌」を聴いて、「さてwineでも飲むか?」と思ってwineのコルクを開けたのだが、冷蔵庫の中の飲み残しのwineは、ほんの一口しか残ってなかったので、冷えていないwineを開けて飲んでみたのだが、冷えていないwineは、なんとも締まらないので、やっぱり不味かった‼
鬱を収めるために、深夜のテレビの、なんとも馬鹿げたドラマを付けっ放しで見るとはなしに見ていて、ふと思い付いて「イライラして中々眠れないのはクーラーのせいなのではないか?」と、いつものように窓という窓を全開に開けたら、外はなんと、超(❢)寒いのだよな??
これ幸いに・・寒さに震えながら寝ていると、眠りについたのだよ❢❢
(尤も、4時間程寝た段階で、寒くて足が痙ってしまって目が覚めてしまうのだが・・・ね??)
鬱の時には、4時間も眠れると言う事はそれなりに嬉しい❢❢
※)Brahmsの諦観と孤独のお話なのですが、


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9月18日川崎の駅ビル ·
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川崎の病院に通い始めて、そろそろ1年以上にもなります。
とは言っても、今日のお話は、「病院のお話し」ではなくって、「駅ビルのお話し」です。
川崎の駅ビルもとても新しくて綺麗で、それなりに楽しいのだけど、年齢が若者向きで、衣装や、小物も、肝心の食べもの等も、若い人達向けのrestaurantしかないので、川崎に出掛ける時には、病院に行く分けなので、・・朝から何も食べないで川崎の病院に行きます。
病院の検査や診察が終わって、夕方の5時過ぎになって、やっと病院を後にして、なにか食べものを探す事が出来るのですが、病院の傍には、食事の出来るお店は一軒もないので、結局、川崎駅のビルまで帰って、駅ビルの中で、なにか食べれる食材を探して歩き回る事になるのですが、結局は私のような老人には、若者過ぎる油ギトギトのこってり系の食べ物ばかりで、何も食べれないままに、池袋まで電車に乗って帰って来てしまいます。
・・という事で、田端の乗り換えの時に、ホームに降りた時に、Energie切れで意識が無くなり掛けたのですよ。多分、低血糖発作だと思うけれど、3日程体調が戻らなくって困ったよな~ぁ??
・・でも、池袋駅地下の混雑で、歩くだけで、疲れ切ってしまって、それでも未だ食べるだけの体力や気力が残っていれば、トロロ蕎麦を一杯だけ食べて、ハイツに戻るのだけど、殆どの場合には、その一杯の蕎麦さえも食べる体力、気力が残っていない時の方が多くて、ハイツに戻った後でも、そのまま1日・・何も食べないままに寝てしまいます。
そうすると、次の日は不思議な事に、確実に体重が増加しているのですよ❢❢❢ 
何故????
池袋のデパ地下には、少しお値段が高め・・なのだけど、老人用のお弁当が結構売っています。勿論、病院からの帰り道では、とても、買い物をする事は無理なのだけど、ハイツの近場のコンビニのsevenやファミマには、若者向けの揚げ物のお弁当か、ラーメンか、油ギトギトのサラダしか売っていないので、普段から食料品の買い物をする事は難しいのですよ。
その点、江古田駅前のスーパー〇〇には、揚げ物の入っていないサッパリ系のお弁当も売っているのですが、6時にはすっかり、サッパリ売り切れてしまうので、中々、買いに行く事が出来ません。もうチョッと歩いて、千川通りまで出掛けて、高級スーパーに行くと、それこそ老人向けのお弁当が売っているのだけど、わざわざそこまでは歩くのは辛いのでね??
一応、駅の傍のスーパーは11時までは開いているはずなのだけど、6時、7時には、すっかり何も無くなってしまいます。それが「売り」なのかな??
この所、お昼でも寒くなって来たので、早い時間でも買い物にも行ける可能性は出て来たのだけど、普段は、持ち帰りのお弁当なので、買い物の必要はありません。
と言う事で、中々相性が悪いのかな~?


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9月19日倍音のお話 ·
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こう言ったら驚かれるかも知れませんが、「電子pianoには倍音がありません。」
これが電子Pianoとacoustic-Pianoの一番大きな違いになります。
曰く、pianoの音やviolin等弦楽器の音が豊かに響くのは倍音のなせる技なのです。※)
※)「倍音が聞き取れない」という生徒に対しては、ドソドと右手で音を出さないで、鍵盤を押さえ込ませて、octaveか2octave下の音を強く短くsforzandoで弾かせます。
そうすると共鳴でドソドの音が倍音で残ります。
それで、倍音の音を耳で確認させて、今度は単音で低いドの音を弾いて、その中にoctave上のドソドがあるのを耳で聞き取らせる練習をします。
しかし、電子Pianoでは同じ事をしても、上の鍵盤の音は鳴りません。つまり、octave上の音が、共鳴がする事はないのです。
私は日本人の弾くPianoの音や弦楽器の音が大嫌いなのですが、それは高温多湿の国の民である日本人には、元々からkonsonanz(共鳴)という概念がないからです。
高温多湿の国で、同時に海の国民である日本人には、遠くに音を飛ばすためには、喉を閉める(空気の流れを強く鋭くする)事で遠くに音を飛ばすのです。日本人がキンキンとした音を好むのはそういった国民性にも拠ります。
(同様に日本人には3拍子の感覚もありません。
日本音楽の歴史、所謂、民族音楽の歴史の中に3拍子の曲が全くないからです。)
但し、乾燥した石の国の民であるヨーロッパの人達も、不思議な事に、現代に近づくに連れて、強い刺激を求めて、konsonanzの音よりも、より打撃的な音(打楽器的な音)を好むようになってきました。
Pianoの奏法でも、指を真っすぐに伸ばして、指全体を鍵盤に打ち付けるような、所謂、jazz奏法が一般的になって来ました。この弾き方は音を打楽器のように、金属的な音にするための特殊な弾き方なのですが、日本の高名なPianoの教授も指を丸くして弾くtraditionalな奏法ではなく、Franceの教授の推奨するこの弾き方を生徒達に指導しています。
でも、BartokやProkofiev等の現代の作曲家達は、とても美しい音で自分のPianoの作品を弾いているのですが、聴いた事はないのかね??
You Tubeで何時でも聴けるのにね??
古典派からロマン派の時代に移行する時に、forte-pianoのsingle actionから、modern‐Pianoのdouble actionに変わって、強い音量が出せるようになった事と、弦楽器もTourteの弓で強い圧力が出せるようになって、楽器本体も力木や、necを長くして強い張力を出すように、弦自体も改良されて来て、その全てが強い音量を求めて、音楽の表現の技術もそれに応えるように、強い演奏表現をするようになってきたからです。
音楽家が力で音を出す時には、konsonanzの音を聴き取る事はありません。
つまり、音の出る瞬間の衝撃音だけを聞き取れば良いからなのです。
だから、何処の音楽大学の生徒達でも、Pianoを弾く時にはキンキン・ジャラジャラとした強い音を出して演奏しています。2,3分も聴いていると、耳が疲れて頭が痛くなってしまいます。
それは弦楽器の人達も同じで、弓を弦に押さえつけて、力で音を出すようにする事だけが「音量である」・・と勘違いをして、konsonanzを聞き取ろうとしない、否、konsonanzが聴けない演奏家の人達が多くなって来て、困ってしまいます。
たまに、往年の名演奏家の音を聴くと、録音状態が悪いのにも関わらず、美しい音に酔いしれてしまいます。
Stradivariのような名器で演奏したとしても、楽器が鳴るように弾くのではなく、楽器を鳴らすように弾けば、その楽器は死んでしまいます。
楽器も人も鳴るものではなく、鳴らすものなのですがね??



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9月19日「Giftedの危うさについて」 ·
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もう、昨日の事になってしまいましたが、テレビをつけたまま仕事をしていたら、Giftedの可愛い女の子の華麗なこれまでのdocumentをやっていました。
この所、よくGiftedの人達の事がテレビで取り上げられるようになって来ているようですが(・・・ひょっとして、同じ番組??)、Giftedの人達の場合には、全く世間に理解されない非常に不幸せな人のcaseと、今回のように、社会的に非常に認められて上り詰めて行くhappyなcaseがある・・という事は、多少なりとも驚いています。
この幸せな可愛い女の子のGiftedの例は、寧ろ、両親の教育で「Giftedに育てあげられた」・・というべき事が、その人生をhappyに招いた・・と言う事が言えるでしょうかね??
つまり、最も身近な存在の人達がGiftedの理解者でありGiftedを創造した人達だったからです。
しかし、こういった羨むべき存在の人達を見るにつけて、或る危惧を感じえません。
それは、近頃よく取り上げられるGiftedの人達が追求している「美の極致」に「魂の叫び」がない・・という事なのです。
勝れた演奏家の人達は、より完璧な演奏を求め、完璧は技術を追求します。
でも、それがより美しくなって行くに従って、その完璧さは、空虚な蜃気楼のようなまぼろしのようになっていきます。
Olympicの新体操(今はなんと言うのか知りませんが・・)の完璧な技術を見て、commentatorの人が「芸術で感動をします。」と言っていましたが、Olympicで追求されるのは技術であって、芸術ではない・・と思うのですがね??
つまり、音楽の世界でも、多くの演奏家の人達が技術のみを追求して、魂を追求する事を怠っているように見えるのですが、テレビで見たGiftedの彼女も、色々な曲をとても美しく素敵に演奏していたのですが、そのinterviewerとの会話の中で、一言も音楽そのものへのapproachや、作曲家への憧憬や、人間性への探求・・と言った姿勢が全く見受けられなく、とても幸せな人生を謳歌しているように見えてしまいます。
勿論、videoの編集の段階で一般の人達に分かるように、そういった難しいapproachを避けたのかも知れませんが、私には演奏を聴いただけでも、ただ美しいだけの演奏にしか聴こえないのですがね・・??
「歳を取ると・・・」と言う事ではなく、私の場合には、音楽の世界に足を踏み入れた時から、求めているものが今の日本・・というか、世界の人達とは、少し違っているように思えるのです。
でも、You Tube等で、多くの人達の演奏を聴くと、稀ではあるのですが、優れた演奏家の人達が、人間を求めて深遠な芸術の世界を彷徨っているのを、見受ける事が出来るのですがね??
まあ、この文章はGiftedがあくまでも、芸術家であった場合のお話であって、Giftedが学者、技術者の場合には、当て嵌まらないお話なのですがね??




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2019年9月21日 ·
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Cembaloの部屋が、物置か、倉庫状態になって久しい。
幾ら頑張って整理しても、別の一部屋を物置にするか、倉庫でも借りない限り、元のような状態に戻る事はない・・という事は分かり切ってはいるのではあるが、少しでも荷物が入るように、Cembaloの部屋のepsonのprinter2台を縦に積み上げるようにして部屋の整理をした。
printerを縦に積み上げる・・という事を思いついたのは、だいぶ前の事なので、ルミノスのラック自体は、既に購入済み、搬入済み・・で、玄関に置きっ放しのゴミ状態になっていたのだけど、今日の金曜日は、思い切って、Cembaloの部屋の後片付けをして、・・作業をする場所を作って・・ラックを組み立ててprinterの整理をした。
・・というか、これもだいぶ前に、お風呂の突っ張り棚が突然折れて、shampoo類が散乱したままなので、同じ種類の突っ張り棚をnetで購入して、それも玄関に出しっ放しになっていたのだけど、そちらは主に斉藤先生に手伝って貰って組み立てたのだが、斉藤先生は作業途中で時間切れになって、椎名町のlessonの準備で急いで帰ってしまったので、スチールラックの組み立てまでは、手伝って貰えなかった・・からである。
実は、昨日の木曜日の事であるが、お久し振りに千葉教室まで、lessonに出掛けたのだけど、流石に、発表会が近づくと、練習が間に合わなくなって来て、lessonが長引いてしまい、帰りが遅くなってしまったので、椎名町の事務所に辿り着いたのが、もう既に、12時を大幅に過ぎてしまい、それから食事途中で体力の限界で食事を打ち切って、ハイツに戻って来たのは、なんと深夜の2時半過ぎになってしまったのだよ。
それから、必死に取り敢えず、食べ物だけど冷蔵庫に入れて、lesson用の道具はそのまま放っておいたのだけど、それでもなんとかbedに入れたのは、4時頃になってしまった。
あまり良く眠れなかったので、仕事を少ししては、bedに入って、またパソコンの作業をしてbedに入って・・を繰り返して、夕方になったので、長年(長日)の懸案であったラックを組み立てた。(1枚目の写真)
問題は作業をする場所を作りながらの作業なので、二重手間なのだよ。それにラックを組み立ててしまうと、ドアから入らなくなってしまうので、ポールにcasterを付ける作業だけを広い台所でして、組み立ての作業は、一台づつ、scannerの扉が開く事や、chord類がちゃんと届く事を確認しながら、1階ごとにprinterを設置しながらの作業になったのだが、A3のprinterとA4のprinterを一人で移動させるのは、不自然な体勢で設置しなければならなかったので、「傷が開いてしまうのでは??」と心配になってしまった。 だが、何とか設置出来たぞよ❢❢アハッ!

2枚目の写真は、なんとかラックが組み上がった状態で、作業をしていた場所もだいぶ、スッキリとしてきたようだが、荷物を整理するのは、気長に後日の挑戦にする事にした。
3枚目の写真は、普段、「ハイツの部屋が倉庫状態で、汚いのは、生徒が減って教室の整理をしなければならなかったのだ・・とか、お袋の家の整理でお袋の荷物の整理で長崎の荷物が全部ハイツに来てしまったからだ・・」・・てな事を言っていたら、『最初から部屋が狭くて、lessonが出来なかったのでは??」とか、「元の部屋の状態が分からないから・・」と言われてしまったので、未だハイツの部屋でCembaloのlessonや、ensembleの練習をやっていた時代の写真を参考までに写真をupしておきました。

未だ、髪も黒いし、ヒゲがあるよな??それに未だ、痩せている頃かな?? ウン??



コメント
純子斉藤
あれ~ほんとだ‼チェンバロルームはこんなに物がなくてスッキリしてたんですね。
·
返信する · 1年前
芦塚 陽二
だから😅荷物が多いのは俺のせいではないってば👀




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9月21日憂き世 ·
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なにか問題が起きると、自分に火の粉が降り掛からないように、さも、「自分は頑張って、やっている❗」
という素振りだけを見せる人達のなんと多い事か⁉
それを、更に、Target(ターゲット)として、米粒程の荒を見つけて、日本国中の全部のマスコミが追及していく❗
常に、たった一つのscapegoat(スケープゴード)を探し出して、擁護するのも、追い込むのも、全てマスコミの総力を上げて、騒ぎ巻くって、反対の立場を取るテレビ局や番組、或いはたった一人の個人でさえも一人もいないし、一つもない❗
まるで戦争をする直前の全体主義的な国家のようだ‼
何処かの国の総理大臣や、何処かの国の大統領のようだ‼
責任を逃れるために、catastrophe(カタストローフェ)に対しても、さもやっている振りだけをするお役所仕事・・という言葉まであるそうだ❢❢
如何に信じられていないかの表れだよな??
お隣同士の世話好きも、昔の隣近所の善意のお仕着せは、根本は思い遣りから来ていたのだけど、こんにちのお仕着せは、善意の人の振りをしているだけで、相手に対しての思い遣りの心が全くないのだよな⁉
虚ろな善意❗とでも言うのだろうか❔
その、言葉を聞いていても、虚しくなってきてしまう❗
嫌な時代になったものだ‼


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9月24日「夢とまどろみの中で・・」 ·
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9月24日の午前6時50分です。
まだよく眠れないままに、toiletーtimeに起き出した所なのですが、そのよく眠れない理由は夢と現実を取り違えていた事にあります。
夢は、現実の断片を使って造られる事がよくあります。
だから、それが恰かも現実であるかのように、思えてしまうのです。
昨夜の夢は、どうしても、次の日に必要なsecurityのsoftを、24時間開いているパソコンのお店まで、買いに行かなければならないということで、先生を起こして、車を出そうとしている所の夢でした。
その夢の中で、有り得ないのは、見たこともない薄汚れた狭い畳の部屋と、何故その部屋なのかさえよく分からない在りもしないその部屋のある場所と、それにその部屋の場所から近い大きな片側4車線の道路で、実は先生というのも誰なのかよく分からない・・定かではない人なのです。
有り得るのは、だいぶ前から、牧野先生のnoteパソコンのhardーdiskが壊れてパソコンが動かなくなってしまっていたので、壊れたhardーdiskの交換をして、その次いでにSevenからtenにosをversionーupをして貰ったのですが、windowsが壊れた時に、mailaddressやpasswordやID等も同時に分からなくなってしまったので、netからのrecoveryが全く出来なくなって、mail‐addressやSecurity‐softをdown loadする事が出来なくなってしまったので、急遽、一昨日の日曜日のrehearsalの前に、次いでにパソコンのお店でsecurityーsoftを買って来た所です。
・・と言う事は、大きな片側4車線の道路に面した大型のパソコンのお店も合っていますが、その傍には寝泊まりしている部屋はありません。
パソコンがFirewall(ファイャーウォール)で、全てのnet関連の作業を邪魔しているので、夜のドルプリっ歩の後の、お食事の次いでに、横にパソコンを置いて、食べながら・・・の作業では、とても無理なので、昨夜の夜についに挫折してしまって、諦めてハイツに戻ったのだけど、意を決して今日はお昼頃には、牧野先生のnoteパソコンを椎名町からハイツに持って来て、2、3日掛けてnotePCをお預かりして、「腰を据えて作業をしよう❢」と思っていたので、その事実と夢が錯綜したのでしょうかね⁉
bedから起き出す前の微睡みの中では、本当に今居る場所さえも定かではないのですよ。
今居る場所がハイツの自宅である・・と言う事を理解出来るまでには小一時間も掛かったのでしょうかね??
その間、toiletteにも行かないでbedに腰を掛けたままでいた・・という事だよな~ぁ??
傍から見たら、やっぱりただの痴呆症だよな~ぁ???
昨夜は大急ぎで椎名町から戻って来て寝たので、お持ち帰りのお弁当が未だ冷蔵庫に入れないままの出しっ放しだ❢❢
これはマズい❢❢
やっぱ、ボケとるわ??
溜めが足りんわな??もうチョッと溜めたいよな??


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9月25日privacy確認の携帯·
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今日は9月の24日の火曜日の所謂、引き篭もりdayです。
今日は予定通りにお昼の2時頃にパソコンを取りに椎名町に出掛けました。
なんと、途中で大粒の雨が「練馬区の天気予報通りに」降って来ました。
大急ぎで牧野先生のパソコンをcaseに入れてリュックに濃茶2Lを3本背負って、パソコンを肩に掛けて、バイクに乗ったのですが、荷物が超、重くて首が絞まるのを堪えながら、大粒の雨の中をハイツに帰りました。
先ずは、パソコンに入っている、生きているmailと死んでいるmailの仕分けのための、mail‐checkとpassのcheckのための一覧表をExcel で作る所から始めました。
無数にあるmail‐addressを死んでいるを捨てて、パソコンを整理するための作業です。
これも断捨離かいな??
windows7迄のパソコンは、誰のパソコンでも、どのパソコンでも、・・私(パソコンの所有者でなくても・・)がcheckして、修理をしたり、整理をしたりする事が出来たのです。
windows7迄のパソコンは、傍に本人が居なくても、本人確認を要求される事はあまり無く、まんズ一人でパソコンを預かって作業をしても、なんの問題も無かったのだけど、windows10は、何かの作業を一つする度に、(mailのaddressを一つ送る毎に・・、何かのアイコンを一つ開く度に・・、)いちいち携帯の電話に本人確認のmailが行って、本人確認の認証コードを打ち込まないと先に進めないので、携帯が傍になければ(・・という事は、傍に本人がいなければ・・)、ニッチもサッチも・・作業が進まないのですよ。
仕方がないので、私がGuestという立場でパソコンに入って、私の携帯の番号に、本人の認証確認のmailを送るようにして設定したのだけど、今度は開く度に「誰の携帯か??」と疑って来ます。
携帯の番号を牧野先生の番号に書き換えれば良いのですっが、そうすると、「また、開く度に・・」と堂々巡りです。
windows10になってから、パソコンは、Tabletの端末と同じになってしまって、超、七面倒臭いのですよね~ぇ??
勿論、新品の10ならば、こう言う事はないのかも知れないけれどね。
しかし、パソコンへの考え方が、仕事のために複数の人達が使う・・という発想そのものがなく、携帯と同じで、個人の所有物・・という考え方になってしまっているので、複数の人達が共同で使う・・という仕事への道具・・という発想自体が無くなって来てしまっています。
・・と言う事で、牧野先生もlessonで千葉だし、何かを設定する度に、牧野先生の携帯からの認証コードを、notePCに入れない限り、その先には進めないので、「私が一人で出来る事はもう終わった」・・という事で・・一日、notePCに関わって来た・・『憂さ晴らし』に、超❢超❢久し振りに行き付けの寿司屋に「ボッチ飲み」に出掛けました。
普段は、鬱が酷いと、酔っ払ってハイツに帰るのが大変で、体力的にも心配なので、「ボッチ飲み」は、超、長い事行っていませんでした。。
勿論、先生達と飲みに行く事は、月一回は・・あるのかも知れないけれど、事務所が椎名町にお引越ししてからは、移動がバイクになるので、お酒を飲む事は、極端に減ってしまいました。それまでは、毎日、晩酌をしていたのだけどね・・??


行き付けの寿司屋でいつも座る位置は決まっていて、入った直ぐの所のカウターとレジの間の二席しかない引っ込んだ籠もり場所です。
イジケ場所で、一人静かに飲むには最高のpositionです。
寿司屋の全体を見渡せる場所でもあります。
昔は、夜遅く飲みに来ると、私同様にボッチ飲みをしている若者や老人が数人はいたのですが、今日は、ボッチ飲みは私一人だけでした。
そういう所にも、何か時の流れを感じてしまいます。
昔は、一日の終わりには、行き付けの飲み屋で静かに飲む人達が結構いたのですが、近頃はトンと見かけなくなってしまいました。
そういった落ち着いた場所が無くなって来たのか、金銭的に苦しくなって来たのか、それとも、そういった人達の居場所が段々と無くなって来たのかも知れないね??




老人大国になると、働かない金食い虫の老人達が自分のお金をタンス預金でkeepするようになると、何かと経済的にも社会的にもお荷物になって、お金を放出させるようにしなければならないのでネ??













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9月25日多胎児家庭 ·
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私は基本的には、時事の社会的な問題や政治、宗教上のcommentはしない事にしている。
但し、今回の「虐待死」のテレビの報道についてのapproachに関しては、私自身がpetit教育界的社会に属している立場であり、音楽教室という商売柄で多くの家庭と接している立場の人間としては、これまでも、或る程度の教育に関してのadviceをする立場の私なので、子供達の教育上の問題については、立場上、或る程度は私の教育に関しての考え方を表明せざるを得ない立場なので、いやいやながら、敢えて、このcommentを書くに至った。
つまり、いつものようにテレビの報道に対しての、批判なのだよな??
昨日は、牧野先生のnoteパソコンの修復をしながら、テレビを付けっ放しをしていて、見るとは無しに見ていた番組は「多胎児家庭」のdocumentの番組なのだが、テレビ番組の切り込みは、9月の17日の三つ子の「虐待死」の判決のnewsに対しての問題であった。
私は、このテレビで初めて「多胎児家庭」という言葉を知った。
私達にも若い時代があって、私達の子育ての時代では、兄弟姉妹が居る事は当たり前の時代であって、一度の出産でも、双子の出産ぐらいでは報道にもならない時代だったのだよ。新聞でも、五つ子の話題はあったのだけど、地方の社会では、親の子育ては寧ろ「ジジババの介入から母親が子供をどう守るか??」という話が主であったようなので、今回のような子育て中の母親が孤立してしまう事によって引き起こされる事件のようなcaseは、少なかったと思われるのだけどね??
私が教室を開設したばかりの頃も、本家と自分達の家庭での子育ての時に、本家のジジババとの子供の取り合い(教育方針について・・という意味なのだけど・・)で、「旦那が本家の味方をして、自分の味方をしてくれない」・・とか言っている相談を受けたりもしていた。
そもそも、「虐待」でも「苛め」でも、「引き篭もり」でも、「ニート」でも・・・、(アハッ!neetは意味が違うか・・??)子供本人や、子育て中の親や、児相が、子供達を指導教育する場合には、子供の将来・・つまり子供の未来の生活を考えて、今、現在の教育する場合には、そう言った問題は絶対に起こらないのだよ。
学校等でclassの苛めに合った子供や、社会で会社等で上司や同僚にいびられて自殺をした若者を、斎場等で数多く見て来た親がいて、私達の教室での教育の方向性の重要性を保護者の立場から賛同していたのだが、一般のん達からは、困った事に、教室の「教育について」の考え方は一般的ではない。
マスコミ等では、学校で「苛め」があると、犯人探しをして、その人達を糾弾し制裁する事で、問題が解決したような気になって、優越感に浸るのだが、それ自体がもう既に「苛め」であり、社会的制圧で暴力である事を理解しようとはしない。
あくまでも、「自分達は正義の味方であるのだよ。』という事でmediaを使っての公開処刑をするのだよな??
scapegoatを求める社会は、HitlerのNazismusそのものの社会であり、且つ又、自国至上主義の**firstのトランプの世界なのだよ❢❢
HitlerのNazismusの意味は、「Nationalsozialismus」の略で、国家社会主義ドイツ労働者党という意味なのだよね??
つまり、基本的には、**firstという意味になるのだよ❢❢
その社会で、国民を煽動するには、scapegoatが必要になって来るのだよ❢❢
つまり、マスコミは、この煽動を、更に煽っているに過ぎないのだよな~ぁ??
心理学的には、「過保護」というのは、子供を愛する気持ちではなく、「自己愛」に過ぎない。
自己愛は子供を育てるのではなく、子供を自分自身のterritoryの中に囲う事なのだよ。
「親バトが自分の胸の中に子供を入れて育てる」・・・親の愛情にも見えて、微笑ましいのだが、現実的には、子供の自立、成長を妨げているのだから、子供にとっては、被害甚大であり、決して微笑ましい事は無いのだよ。
人間には、それが分からない。
自然界、動物界では、子供に社会性、自立を与えるために、生活のための訓練を終了すると、親の元からの巣立ちをさせるのだよ。
動物達の子供を突き放す行動を見ていると、真の愛情のあり方と、自己愛にしがみついている人間の愚かさを改めて思い知らされる。
子供を自立させる事こそが、親の真の愛情ではなかろうか??
少なくとも、チョッと前の時代までは、親はそう思っていたはずなのだがね??
以前もテレビの番組で見たのだけど、60歳を過ぎた引き篭もりの子供(・・60歳を過ぎて「子供」と言うのかね???不思議だ??)に対して、行政が、彼への社会的な自立の手助けをしようとすると、80歳を過ぎた親が「子供をこういう風に育てたのは親の責任だから、私達が死ぬまでちゃんと面倒を見ます❢」と答えて、行政の手助けを断っていたよ。
おい❢おい❢❢ 子供が自分達よりも先に死ぬとでも思っているのかい?? 親が先に死んだ後は、その子供はどうするのだよ??
それこそが、親の無責任の極わみではないのかな~?
私達の教室では、多くの苛められっ子を苛めから救って来た。
教室は学校ではないのだから、虐める側を糾弾する事はしない・・と言うか「出来ない❢❢」のだよ❢❢ 
当たり前の事だけどね?
でも、イジメの前提は、苛められる側が、虐める側に対して、求めるものが多い(虐める側に依存している・・)から苛められるのだよ❢❢
虐めると虐められた側が反応を示すから、イジメは楽しいのだよ❢❢
子供が自分自身に自信を持つ事が出来て、虐められても、それに対して意に介する事がなければ、苛めは一瞬で無くなってしまう。
暖簾に腕押し、糠に釘で、反応がなければ、虐める側は面白く無いのだよ。虐められている子供は、そのイジメから抜け出す事が出来るのだが、当然、他の弱い子供にイジメのTargetが向いてしまうだけなのだよ。
つまり、イジメ自体は無くなった分けでは無い。つまり、イジメはなくならないのだよ❢❢
日本社会全体が、常にイジメで出来ているのだよ。
苛めた側を糾弾する事は、より強い立ち場の集団が弱い集団を虐める事に過ぎないのだよ❢❢
学校教育上に於いては、虐める側を糾弾する事は、集団教育を否定し、個を認めてしまう事になってしまうので、教員の立場としては、とても困ってしまうのだよな??
学校教育の基本は、成績を上げる事ではない。
成績を上げる事を望むのならば、塾で充分なのだよ。
学校なんて必要は無いのだよ。
学校が義務教育になっている理由は、子供達に対して社会性を持たせる(集団の中で生きて行くすべを学ぶための)場なのだがね??
チョッと、社会的な立場のある人が、弱い所を見せると、マスコミがハイエナのように群がって来て、その弱い部分を徹底的に攻撃して、その人がそれまでに果たしてきた功績までも、否定してしまう。
自分達自身がその人の功績の恩恵にどのように預かって来たとしても・・である。
忘恩の極みであるぞなもし❢❢
テレビでまことしやかに、或る教育学者が「子供が、それを苛めと感じたら、それはもう苛めである。」と言っていた。
だから、常に苛めた側を糾弾するのだよ。
それは非常に短絡的な発想に過ぎない。
それでは、子供への社会性に対しての教育は出来ない。
私ならば、子供がそれをイジメと感じたのならば、イジメに感じないように育てれば良いだけなのだよ。
分かり切った事なのだが、小学生の子供達は、未だ集団の社会での生活のruleを学び始めている状態なのだよ。
・・と言う事で、虐める側も、苛められる側も、「何処からが苛めで、何処までがイジメにならないのか?」は未だ判断出来ないのだよ。
それを集団で活動する事を通じて、ここまでが「遊び」で、ここからは「イジメ」になる・・と言う事を学ぶのだよ。
マスコミ社会からは、虐める側を弾劾するだけなのだけど、学校教育にとって重要な事は、苛められる立場の側も、「ここまでは遊びや叱咤激励であり、ここからが苛めになる」と言う事を自己判断が出来るようにならないと、社会では生きては行けないのだよ。
そこを過保護にして、子供を庇護するだけを親の愛情と勘違いをしてしまうと、社会適応が出来なくなってしまい、引き篭もりや、最悪の場合には家庭内暴力、所謂、SNBP(負の転換点)を招いてしまうのだよ❢❢
マスコミのcommentator等が「とても良い子供だったのに、何故だか分からない?」と言っているのをよく聞くのだけど、良い子を演技していて、親の無理解が限界に達した時に暴発する事を心理学的にはSNBPというのだよ❢❢
ひ弱な子供がイジメを受けたとして、それを苛めた側への苛めで返そうとしても無駄なのだよ。
体力的に弱い子供は、体力的に強くなれば、苛められない・・という発想もある。
だから、寄らば大樹の陰で、トランプに寄り添うアベのような構造が成り立つ。
私は小学生の低学年の時から、大人に混じって古武道をやっていたので、体力的、体調的には、ひ弱で腺病質な子供だったのだけど、精神的には、その時には負けたとしても、次の勝負では必ず勝ったのでね?? 暴力をふるう子供に対しては、知力で勝負すれば良いのだよ。
(敵に勝ちたければ、五輪の書でも読めば良い!)
学校等での一番の暴力は、教室全体でシカトする事(昔はそれを「村八分」と言ったのだよ。なんで八分かというと、後の二分は冠婚葬祭なのだ。)なのだが、シカトは、シカトを受ける側が、そのgroupに居る事に興味がなければ、成り立たない事なのだよ。つまり、学校での生活に対して、興味を持たなければ、虐められた・・としても、それは苛めにはならないのだよ。
昔、或る時に、教室の生徒が中学校でclass生徒全員からシカトされた時に、彼女は、これ幸いに、学校から私達の音楽教室に駆けつけて、教室の先生の子供達への指導の手伝いをしていたよ。
そうしたら、学校の生徒達はイジメても暖簾に腕押し糠に釘で、つまらなくなって、Targetを変えて、それまで一緒にイジメていた友達を今度は虐めるようになってしまったとさ❢❢ 
昔の時代には、成り立った「村八分」であっても、今の時代では、誰ともcommunicationを取りたくない人達にとっては、とても住みやすい環境になるのだよ。
めでたし❢❢ めでたし❢❢❢ 善哉❢ 善哉❢
あ~あ?? しかし、まあ、つまらない世の中になったよな~ぁ??・・マジ❢❢
コメント
純子斉藤
私たちはいつも芦塚先生からそういう話を聞いたり意見を交わしたりしているので、その考え方がごく普通の当たり前の正しい考え方だと思っていましたが、よく見てみると一般的に芦塚先生のようなご意見の人は見たことがないし、net上でもそのような虐めに対しての切り込み方をしている意見は見たことがありません。やはり物凄く先を行った最先端の考え方なんだと思います。


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9月25日今日のドルプリっ歩は ·
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今日は9月の25日水曜日で、昨日今日は絶好の洗濯日和です。
汚れ物を洗濯するのは、洗濯機の役目なので、問題は洗濯物を干す・・という作業なのですが、今日は朝起きた時に、腰が立たなくてtoiletteに行くのが困難だったのですが、お昼頃には、東京では超珍しく、湿度が50%を切って、爽やかな秋空だったので、頑張って洗濯物を干しました。
ベランダに干す元気まではないので、室内干しなのだけど、窓は全開で、風通しは抜群だったので・・ね??
洗濯物を干す作業の時には、たいした事はなかったのだけど、暫くして、夕方になった頃から腰が痛くなって歩けなくなってしまいました。

という事で、今日のドルプリっ歩は、お休みします。



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9月26日欝が酷いと電話に出るのが ·
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今日は朝、起きた時から、何と無く体調が優れなかったのだけど、歳を取ると、それは日常茶飯事の事なのでbedでウダウダするのを諦めて、起き出してパソコンの作業をしていたのだが、夕方頃からは流石に椅子に座っているのも、辛くなって来たので、それ以上の作業は頑張らない事にして、直ぐにbedに潜り込みました。
そこまでは良かったのだけど、寝て安静にしていても、ますます鬱が酷くなって来てしまった。体調不良の鬱ではなくって、精神的な落ち込みの鬱です❗
普段、ハイツの部屋に閉じ籠っていると、電話のような、・・外界からのaccessは殆どないのだけど、今日一日は非常に珍しく、アチコチから電話が掛かって来たのだけど、鬱が酷くなっていたので、電話に出るのも億劫になってしまっていて、電話を取る事はしませんでした。
鬱が酷いと、人と会話するのが辛いから・・という理由なのだけど、いずれにしても、携帯には掛けた人の名前が表示されるので、掛かって来た電話の内容は、事前に分かるからね??勿論、元気になったら、こちらから連絡します。(・・等と言いながら、その仕事を人に丸投げしてしまいました。)
当然、体調不良で鬱な時には、他にも色々な症状が表れるのだけど、今日は膝腰が痛くて、歩けないので、今夜もトリプルっ歩はパスをしようと思っていたのだけど、第1に、この所は、毎回の散歩のおサボりで気が退けてしまうし、第2には、空気が乾燥して肌寒いくらいの季候で、結構爽やかだったので、体調とは関係なく、心は思いの外、元気だったので、急遽、ドルプリっ歩に付き合う事にしました。
夜食も終えて、帰りのバイクは結構、肌寒かったのだよな🎵
この毎日の温度差はなんだろうね~ぇ?
テレビでは、「明日の朝は20℃で寒くって、お昼は夏日になって30℃になるので、体調が付いていかないので、服で調整をするように・・・・」と言っていた。
一日の温度差が、10度を超すと、流石に普通の人達でも、体の調節だけでは難しい・・という事らしいので、体調不良の私としては、明日が思いやられるのだよな⁉




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9月27日論文を書くsoftが ·
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homepageのような公開ではなく、論文に動画と譜例や図を入れて論文を書きたいのだけど、どうしてもsoftと言うか、アプリというか・・が見つから無い。
それにアプリは使えそうなものは全て有料だったしね?
line-noteも自由さがいまいちだし、You Tubeの動画を非公開に設定したら、blogに持って来る事も出来ない。誰か良いsoftを知らないかな??
教室の生徒達はPawerpointを使っているようだけど、Sevenのofficeはversionが古すぎてpowerpointは入っていないし、windows10にはpowerpointは入っているのだけど、powerpointには、templateに制限されて、layoutの自由さがないような気がするのだが?いずれにしても、動画を入れる方法が分からない❢❢


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9月28日椎名町のゴーヤ ·
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今年は椎名町教室のゴーヤが大豊作で、毎日取り忘れたゴーヤを見つけてしまいます。




椎名町の事務所のご近所さんの家々でも豊作で、手の届かない所のゴーヤは茶色く既に枯れてしまっています。
毎日、自家製のゴーヤを食べ飽きる程食べているのだけど、少し料理方を変えないと流石に飽きてしまいます。
写真は玄関の入り口を塞いでいるゴーヤです❗(順番が逆さまに掲示されていますよね??どって??)
次の写真は、柿が初めてスーパーに売っていたので、牧野先生が買って来た今年の柿です。(食べごろには未だ未だかな??)
梨はそろそろ終わりなのかな?
次の写真(というかⅠ枚目の写真になってしまいましたが・・)私が木の根っこに座っている写真なのですが、プリドルの大好きな(ポッポちゃん達にいつも誂われている)お散歩コースのフラワー公園なのですが、この前の台風で、大きな木が折れてしまったので、とてもちょうど手頃な椅子が出来たのですよ⁉
ベンチのように深く座り込まなくても高さが高くてちょうどよいので、とても楽に座れる椅子・・・もとい、切り株です❗
とは言っても、つい先日までは、たくさんの枝に囲まれて、立ち入り禁止になっていたのですが、ちゃんと片付けてあって、椅子に出来たのは、今回が始めてです❗



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9月28日写真の修正 ·
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今日の写真は、9月28日の・朝と夜の混在する風景の写真です。
右側はもうすっかり朝なのですが、左側は未だ暗くて夜の時間のままです。
今は未だ朝の5時でなのですが、Morgendämmerungの色彩が余りにも美しいのでデジカメで撮影して見ました。
しかし、近頃の携帯のcameraやデジカメは、修正力、補正力が凄いので、このような自然界の光景でも、Autoで撮影すると、普通の日常的な写真のように勝手に修正してしまうのですよね~ぇ??
自然のままの、肉眼的に見えたままの写真を撮るのは逆に難しいのだよな~ぁ??
と言う事で、デジタルの修正無しのManualで撮影しているのですよ。

風景写真は基本的には、manualの無修正のデジタル撮影なのだよ。
満月の写真もネ??


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9月28日享受と与える側の考え方 ·
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人間は、人生を京楽、享受する事を良しとする立場の人達と、人生に目的を持って邁進する人達の二種類がいます。
つまり、享受する側と与える側の立場の二種類の人達なのです。
人生を享楽、享受する立場の人達、所謂、「人生を楽しんで生きて行く」・・という立場の人達は、「ありのままの自分を認めて・・」という立場なので、その人達への人生に対する意見やadvice、Rat等は必要はありません。 それこそ、「余計なお世話」なのですよ。
この文章は、人生を生きて行く上での立場上のお話なので、「どちらがより価値のある優れた人生なのか??」という優劣を競う論文でもなく、人生を生きて行くうえでの啓蒙のお話でもありません。
私が歳を取った人間としての経験値から、adviceをする人達は、あくまでも「努力し、向上する事」を目標とする人達のみであって、その人達が夢を叶えるための成功への道の秘訣なのですよ。
日本社会(儒教社会)では、「成功は努力次第」・・というか、「努力の『量』次第」で決まるように言われています。
しかし、現実的には、「努力すれば夢が叶う」程、社会は甘くはないのです。
つまり、「夢を『必ず❢』叶える」には、2つの条件が必要になります。
その一つは、その「夢の目標(=Niveau)」が人よりも、周りの人達よりも優れている・・という事です。
2つ目の条件は、その夢を叶えるための現実的なprogrammingです。
「夢を叶えるための現実的なprogramming」という意味は、日本の教育界でよく見受けられるような一般的な教育に対してのantitheseであって、一般の音楽教室のlessonでも、よく見られるような・・・生徒に対して「ちゃんと出来る迄、練習しておいて❢」なんて、演奏が出来るようになるための責任を、相手に丸投げするようなlessonをする事ではありません。
「夢を叶えるための現実的なprogramming」とは、誰でもが、芦塚メトードというsystemに乗って、ちゃんと真面目に練習をすれば、無意味な練習量や意味の無い練習法ではなく、100%誰でも演奏出来るようになるためのprogrammingなのです。
「夢を具現化する」には、必ず、夢を叶える事が実現出来るようなprogrammingが必要なのは、分かり切った事なのですが、その方法論が一般に理解出来ないのは、私が生徒達に与える練習法は、余りにもsimpleで、簡単で、楽で、時間や多くの努力も必要としないので、「私の提唱するmethodeを守ると、夢が必ず叶う」という事を信じる人がいないのです。
つまり、一般の人達の概念では、「夢を叶える方法論」は、多くの苦労❢と長年の忍耐❢と、莫大な教育費❢と超有名人による超怖いlessonに耐える事❢が絶対条件だから・・です。
日本人の根底にある儒教的な考え方では、「簡単に得れるものには何の価値もない」・・という事なのですよ。
日本人には「寄らば大樹の陰」「親方日の丸」という儒教的な発想があって、将来の安定と幸せは有名大学に進学して、一流の企業に就職する事だ・・という100年も前の旧態然とした発想で、必死に受験勉強をしている人達が、未だにいるのですよね~ぇ??
勿論、他に取り柄のない学生達ならば、一番有象無象(=うぞうむぞう)が集まる超効率の悪い所で競争をするのは、仕方がないのかも知れませんが、好きな分野で、得意な分野がある子供ならば、自分の一番やりたい事で、社会と勝負するのが、一番の効率であって、人生の成功の秘訣と思うのですがね~ぇ??
それは日本だけの傾向であり、EuropaやAmericaでは子供の個性をとても大切にして教育をするので、そういった問題はあまり起こりません。
でも、日本人が日本の社会で活動するのだから、日本的な教育で育てるのは当然の事・・と思われる人がいたら、それは100年前の旧態然とした、考え方で、子供達が頑張って努力をして、大手の超有名企業を目指す・・というのは、馬鹿げた考え方なのですよ。
現代の日本社会でも、大手の企業という条件であるとすれば、『企業が大手になる』・・という事は『globalstandardな社会で活動をする』・・という事なので、当然、globalstandardな会社になってしまうのですよ。
それは当然の事でしょう??
実際の就職試験を見ていても、日本の超有名大学を卒業していても、世界中の無名な大学の卒業生で、劣等生であったとしても、発想が個性的な学生を優先的に雇う企業が増えていて、超、有名で日本人大学生の憧れの企業であったとしても、この3,4年間、日本人の有名大学の卒業生が一人も就職出来ない企業も数多く見受けられるのが現実なのですよ。
そういった社会の現実を高校の先生受験担当の先生や、受験年次の子供を持つ親は、知ろうとはしません。
「それは何故???」・・だって、それを認める事は、自分達親の世代が、育って来た「今までの人生」、所謂「
i dentity」を否定される事になるのだからね??
最初に述べた「夢が人よりも、優れている」という条件なのですが、日本の大学受験のように、人が群がる所に、押しかけて勝負をする事は、大学受験も勝負なのだから、一番、損な選択肢です。
戦国時代の武将で、一番防御の硬い所に勝負を掛ける武将はいないはずなのですからね??
戦略は一番弱い部分を叩く事ですよね~ぇ??
音楽に限らず、Olympicを目指すathleteであっても、Ballerinaを目指す人でもあっても、pro野球の選手を目指す男の子達であっても、小学校の修学年次以前から、優れた先生に師事して努力を積み重ねて行かなければなりません。
しかし、不幸にして、低い年齢の時期に自分の人生の目標を見出す事が出来なかった子供達や、私のように、時代的な背景や、家庭環境上の問題で、子供の頃に学びたくても学ぶ事さえ出来なかった子供達にとっては、小学生の高学年になってからや、中学生になってから、演奏家としてstartする事は、一般的には不可能とされます。
但し、一部の例外の人は、16歳ぐらいで世界の、否、音楽の歴史の頂点に立った人もいます。
Paganiniも然り、Casals然りなのですが、でも、この人達はやっぱり、Giftedですよね~ぇ??
一般人が16歳ぐらいに音楽を始めて、この水準に達する事は有り得ないでしょうね??
でも、そういった最悪の状態、逆境を背負ったとしても、チョッとだけ視点を変えれば、夢を叶えて世界一になる事は出来るのです。
それは人のやらない事をやれば良いのですよ。
例えば、pianistに成りたい人達は、ChopinやLiszt、Rakhmaninovの作品で勝負をしようとします。
でも、その場所は、無数のpianistが群がって、同じ曲を演奏しているので、そこでtopに立つ事は不可能なのです。
つまり、有名大学を受験する学生と同じくらい無謀な事なのですよ。
斉藤先生も中学校の頃から音楽への道を志したので、一般の音大生からは随分、遅れを取ってしまっていたのですが、遅れた技術をコツコツと取り戻しながら、日本のviolinistが勉強出来ない課題を、コツコツと勉強してコンサートを重ねて行きました。その日本人の演奏出来ない曲の課題は、Heinrich Ignaz Franz von BiberのViolinの曲で、その曲を時間を掛けて研究して連続演奏をしました。
このBiberの曲が日本人に取って、難しいのは調弦が曲毎に変わって、書かれている音符と、出て来る音が全く異がった音が出るので、楽譜を見ただけではどういう音が出るのか??分からないという事で、そういった理由で、世界でも演奏出来る人は稀なのです。
Biberの曲として、よく演奏される曲は、Bachの無伴奏の模範となった・・と言われている無伴奏のPassacagliaがありますが、この曲は珍しく通常の調弦なので、この曲だけは、一般的にもよく弾かれています。
勿論、Biberの曲だけを勉強している分けではなく、並行して色々な曲にapproachしているのですが、今、挑戦している曲集は、Ferdinand Davidの「Die Hohe Schule des Volinspiels」Werke beruhmter Meister des 17.u,18,Jahrhuderts 「17,18世紀の有名な巨匠達の作品からの、「高度なViolin奏法教本」という曲集からの連続演奏なのですが、困った事に、この曲集は絶版で出版されていません。今の子供達や学生達は手に入れる事が出来ないのですよ。
私は絶版の本やfacsimileの作曲家の手書き譜等の貴重書を集めるのが趣味なのでね??
Ferdinand Davidのその曲集には、Ferdinand Davidのoriginalの作品であるVitaliのChaconneの曲が取り入れられています。
Davidが底本にした音楽のLibhaber(愛好家)の手に拠る写本は、originalの楽譜としてperiodの演奏でも使用されているのですが、音楽の素人の手に拠る写本なので、間違いだらけで、その間違いを訂正するだけで、大変な時間が掛かってしまいました。私が校訂した楽譜に斉藤先生がornamentを加えて、千葉のbaroque-Koncertで演奏しています。
勿論、子供達が演奏しているVivaldiのConcerto等々もその間違いの校訂には作曲家自身の手書き譜のfacsimile譜を使用して校訂しているのですよ。
まあ、音楽は金食い虫です。
梨紗さんが、日本の有名な演奏家達を集めたコンサートで、Vivaldiの四季の全楽章の演奏に参加したそうですが、日本では高名なcellistがVivaldiの四季の通奏低音を演奏しているのに、誰も古楽器の奏法を知らないので、単調に弾いていてつまらなかった・・という感想を聴きました。
日本のcellistで通奏低音の弾き方を学んでいる人は居ないのですよね??
教室では子供の時から、うるさく学んでいるのにね??
まあ、教えてくれる人がいなければ、弾ける人もいないのは当然なのだけどね??
でも、誰も俺の所には、習いには来ないよ❢❢ 
アハッ❢ハッ❢ハッ❢❢
basso continuoの弾き方を勉強するだけでも、日本では第一人者になれるのにね??
basso continuoの技術って、そんなに難しい事ではないので、四季と、VivaldiやLocatelli の数曲を習うだけでも、覚えられるのにね??
誰も、その簡単な事をやろうとはしないのですよ。
何故って??
それは私が聞きたいよ❢❢


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2019年9月29日 ·
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今日、9月の28日の土曜日は一日、心臓がパクパクして調子が悪かったので、夜には、心の平安と、鬱の平癒のために、超、珍しく1週間の間に2回も魚河岸に飲みに出掛けました。
・・とは言っても、椎名町に行く途中で、スーパーに寄ってお弁当を買って、瑞希やプリドル達と愉しい食事を済ませてから、ドルとプリの、超、お互いが行きたい場所が違っていて、お互いが全く譲らない状態でのダラダラお散歩にヒスティリーを起こす寸前になりながら付き合って、お散歩が終わってからは、大急ぎでハイツに戻って、SibeliusのViolin-ConcertoのPiano伴奏譜のcutの場所を決めて、cinderella-timeギリギリに寿司屋にinしての「alcohol-time」です。
いつもの角の席に座ると、新しい初めて見る板前さんが居て※)、「端っこの席ではなく、counterの中央の席へ」と勧められたのだけど、「私のStammtischだから!」と言っていつもの席に断固として座りました。
一人だから私が遠慮して端っこの席に座った・・と思ったのだろうね・・??
※)魚河岸はチェーン店なので、板前さんが時々入れ替わるのです。昔の店長さんは私の好みを覚えていてくれたので、その日その日で、面白い寿司ネタを食べれたのですが、その後は、それはありません。
朝のドタバタは、別のsite(前のPage・・?)に書いたので、譲るとして、・・・今日のお昼間からのお話を書きます。
今日は何十年ぶりかの梨紗のlessonで(・・てな事は無いのだけど・・、お久し振りを、冗談で少々overに言っただけなのですが・・)Telemannのviola-Concertoの初lessonだったけれど、土曜日は、椎名町の教室だと、斉藤先生のlesson時間とdouble-bookingする可能性があるので、それを避けるために、前回の星那ちゃん達のMoszkowskiのlessonからは、ハイツのlessonの部屋を片付けて、大人の人達もハイツでlessonをするようにしました。
・・と言う事で、梨紗も大学受験の時には、これまでは椎名町のlesson室でlessonをしていたのだけど、これからは、もっと狭いハイツのlesson室でも、lessonをする事になったという事です。
lessonの準備万端整って、lesson時間になって、時間通りに梨紗が来て、Pianoの伴奏譜を貰って、「さて伴奏しながらlessonしよう!」と思ったら、なんと今回のTelemannのConcertoはbaroque-versionで演奏するのだそうで、415cycleのpitchでのbaroque-violaでの演奏だそうです。
415cycleと言う事は、通常ならば、G Durが半音低いGs Dur(Fis Dur)になるだけなので、Keyboardをそのままtransposeして弾けば良いだけなのですが※)、困った事にハイツのClavinovaは、超古い電子Pianoなので、transposeが出来るのは分かっているのだけど、どうすればtransposeが出来るのか?そのやり方が分からないのですよ。
※)baroque-pitchのお話は、何度も取り上げて書いていますが、今回も次のPageに少しだけ、追記しています。
勿論、Clavinovaの「取説」さえあれば問題はないのですが、その「取説」が何処に行ったのか??ぱっとその場では出て来ないのですよ。(・・よ~く、私の行動パターンを考えて、取説入れの場所に無い時には、本体の傍にある・・という原則で、Clavinovaの横にある連弾用の椅子を開いたら、ちゃんと、そこに置いてあったのだよ❢❢ユーカリが丘にも同じ楽器があるので、重要な所をcopyしてユーカリが丘行きにして、元の場所に戻したよ❢❢)
でも、その話は、lessonが終わった後の話なので、・・と言う事で、Clavinovaでのlessonを諦めて、私は、通常、人を入れた事の無い(・・台所兼・・パソコンroom兼・・仕事部屋兼・・居間の、)超狭い部屋で、lectureをする事になりました。
梨紗は、唯一、ハイツの私の引き篭もりの仕事部屋に入った事のある生徒なのですが、それは、梨紗が小学4,5年生の頃だと思うので、今年は梨紗も卒業年次なので、もう10年以上は経っているのかな??(5枚目の写真です。)
webでのlessonが可能かどうかのcheckを、今は亡き江古田教室とハイツをwebで繋いで、梨紗のViolinのlessonを江古田教室にいる斉藤先生とwebで試したのです。
しかし、当時は、回線が超ヘボかったので、そのままweb・lessonが継続される事はなく、videoでのとてつもない時間の掛かるlessonが継続される事になりました。
web・lessonが開かれるのは、回線の速度が改善されるまでの、このtestからはだいぶ後のお話になります。
7枚目の写真は、video-lessonをCembaloの部屋で撮影した・・という大変珍しい写真です。
当時は未だCembaloの部屋でも、人が演奏可能なスペースがあった・・という事ですよね~ぇ??アハッ!
台所の窓の所に置いてあるKeyboardのCasioの「privia」は、普段原稿を書く時に、チョッと音を出したい時に使う普段使いのKeyboardなので、使い慣れているのでtransposeも簡単に出来るからです。
しかし、残念ながら公開には耐えれない汚い部屋なので、lesson風景をYou Tubeにupすると、私の尊厳が・・・❢❢
この曲は突然言われてのlessonだし、scoreやPiano伴奏譜を貰ったのもlessonの直前なので、事前に楽譜を調べる事もなく、完璧に初見の伴奏でlecture-lessonをしています。
勿論、曲を何度か聴いた事があって、少しでも曲を覚えていれば、初見で演奏する事も平気なのだけど、このTelemannのviola-Concertoは、教室のorchestraのrepertory・・としては、超、簡単過ぎるし、periodの演奏としてのinterpretationの勉強としては、結構、難し過ぎるので、これまで一度も発表会等の公開の場では、演奏をした事はありません。
楽譜だけはオケ譜もscoreも、Piano譜さえも、持ってはいるのですがね??
超、昔々の、教室を作るズ~~と以前の事・・なのですが、私の生徒達を集めて対外出演をしていたのですが、その中の一つに、相模原の女子高校に演奏出演をした事が多々あります。
高校生の部の音楽鑑賞としてのコンサートなのですが、この写真のTelemannのviola-Concertoを含めた数曲を持って、演奏に行った事があります。
その時の写真なのですが4枚目の写真のviolaのsoloを演奏している女の子は、東京都響のviolaのtopの奏者です。(もう、半世紀も前の出来事なので、今は彼女が何をしているのかは、知りませんが・・??流石に今でも現役という事は・・あるのかな??・・ああ。梨紗が知っているか??)
勿論、soloを弾いているviolaのsoloの女の子を除いたら、全員私の生徒で、私もviolaを弾いているのだけど・・、分かるかな?アハッ!
私は、まだ30になったばかりの頃ではないのかな??
ひょっとすると、牧野先生が産まれたばかりの頃かもよ??
当然、rheumaが発症するだいぶ前なので、結構、Pianoの演奏だけではなく、弦楽器の演奏でも、積極的にオケや室内楽の演奏にも参加しています。





未だ、videoが無い時代なので、有り難い事に、演奏している音声はありません。
演奏している所の写真だけはありますが。
7枚目の写真は、相模原から少し後の写真なのですが、教室を開設する少し前の時代の写真です。江古田でほんの少人数の子供達を教え始めた頃の最初の生徒の演奏で、音大生を集めて作った弦オケの伴奏での演奏です。私はちょうど子供の後ろになって、よく見えませんが、数名の私の生徒達も一緒に演奏しています。
と言う事で、私の演奏している証明に、蛇足ながら8枚目の写真です。
左から1枚目は、寿司屋の土瓶蒸しです。
2枚目、3枚目はTelemannのlesson風景、4枚目は相模原の女子高でのTelemannのviola-Concertoの演奏風景の写真です。
5枚目は、web・lessonのお試しの風景です。
6枚目はvideo-lessonの撮影風景でハイツのCembaloの部屋での撮影風景です。
Facebookでは写真はupした順番にしか羅列されません。
私としては、wordのように文章の間に挿入出来る方が、説明が楽に出来て、良いと思うのですがね??
写真の順番を変える事も出来ないのも、面倒くさい事です。



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9月29日pitchのお話 ·
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28日の土曜日の梨紗のlessonの話からの続きで・・・
pitchの話はこれまでも、homepageやFacebook等で、頻繁にお話して来たので、耳タコなので、同じ話をするのは、チョッと気が引けてしまうのだが、Cembaloにslide鍵盤が出来てから、415cycleのpitchがbaroque-pitchとして、存在意義を持ち出したのは、どうも合点がいかないのだよな??
そもそも、baroque時代や古典派の時代には、modern-pitch等というものは無かったしね??
随分昔の事になるのだけど、日本でもbaroque専門として演奏活動を続けている演奏団体の演奏を偶然聴く機会があったのだけど、baroque専門の演奏団体にも関わらず、Cembaloのpitchを415cycleにしていて、チョッと不満に感じて、その時にもpitchについての文章を書いてhomepageに掲載したはずなのだけどね??
415cycleのpitchの基準は、440cycleを標準pitchとした上での、20世紀になってからのCembaloの改良で、slide鍵盤が発明された事による利便性によるpitchであって、period的な根拠は全くない・・という事だよな~ぁ❢❢
modernのorchestraで演奏しているのならば、問題はないのだけど、period instrumentsを**しているのならば、そこの時代考証はしっかりとして欲しい・・という事だよ。
それに、Europa(ヨーロッパ)のrecorderのpitchは、その殆どの楽器が435cycleだし、431cycleから326cycleぐらいまでが、弦楽器にとっても、ちょうど良い弦の張り具合に鳴るのだよな??
415cycleでは、Violinやgamba属のような弦楽器属には、少し張りが弱過ぎて、弦の響きがいまいち・・なのだからね??
教室のように、子供達を指導する関係で、普段のオケ練習では、VivaldiやStamitz等のbaroqueや古典派の作曲家の曲を演奏する場合でも、生徒達にまさかbaroque楽器を購入させる分けにはいかないので、当然、modern楽器で演奏するので、443cycleのmodern-pitchで、baroqueや古典派の作曲家の曲を演奏する事になります。
音楽教室としては、やむを得ない事なので、先生達がbaroqueの曲をperiod instrumentsで演奏する場合には、曲の前後関係でやむを得ないので、slide鍵盤で、baroque-pitchにして演奏する事になります。(・・その場合には、pitchは(slideしたら)418cycleになります。)




baroqueを専門にしている演奏団体は、modern-pitchを使用する事はないと思えるので、Cembaloのslide鍵盤を必要とはしていないのならば、Cembaloのpitchを415cycleにしている・・というのは、どうもいただけない。
弦楽器の指導者としては納得がいかないのだよ・・ネ??
まあ、今回、購入したアウルスのtraversoも、baroque-pitchの楽器を購入したのだけど、baroque-pitchとは言ってもslide鍵盤の415cycleのpitchなので、Europaのrecorderのpitchである435cycleではないので、現実問題としては、日本のアウルス製のtraversoでは、「Telemannのtraversoとrecorderのdoppel-Concerto」のperiod-styleの演奏が出来なくって困っているのだよな??
Telemannのdoppel-Concertoのために、逆転の発想で415のrecorderって、売っているのかな??
これまでは私は聞いた事が無かったのだけど・・、何でも、変わるからね??
「時代は変わる」・・てな事でね??

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9月30日今日は9月最後の日 ·
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今日は9月最後の日の30日です。
相変わらず秋晴れの素晴らしい天気が続いていて、朝晩は肌寒いくらいです。
勿論、窓を全開にして風を目一杯部屋に取り込んで、秋を堪能しています。
朝からは、爽やかな結構乾燥した空気なので、比較的に元気に仕事を始めたのですが、前日のdataが来ないので、途中迄しか出来ない作業が多過ぎて、少々頭に来てしまったので、自分だけで出来るvideoの編集作業を先に始める事にして、以前の練習のvideoを編集したり、lesson風景のvideoをBlu-rayに焼いたり、昨日のsimulationの練習風景を、分割編集したりして、順調に作業をしていたのだけど、夕方になって、突然、体調不良になって体や心が動かなくなってしまいました。
とは言っても、今日の月曜日は最初から、日曜日のオケ練習の安息日なので、本来的には、bedに籠もって寝込んでいればよい日と決め手いるので、「体調不良」自体はなんの問題もないのですが、団塊の世代の人間としては、仕事を途中で放ったらかして休む事は、気が引けるのですよね~ぇ??
もう歳なのだから、そろそろ慣れないとね~ぇ??
それはそうと、夜の8時頃になってからは、不整脈も起こって来ました。と言う事はそろそろ、鬱が起こる頃なのかな??
体調の具合を見ながら、暫く放ったらかしにしていた動画の編集をしています。
音楽と言うか、芸術というのは、communication能力だと言う事が出来ます。上手になる事を目指すのではなく、情緒であり感情をお客様に伝達する事を目的として練習を重ねて行くのです。
Beethoven曰く「心より出でて、心に至らん事を」という言葉が、音楽の全てを語っています。
勿論、曲を幾ら練習を積み重ねて、技術を究めたとしても、それで道に至る事はありません。
曲の心情の極みを追究したとしても、心に至る事はありません。
まるで「逃げ水」のように、そこに辿り着くと、また、遠くの方で、私を手招きしているのですよ。
この辿り着く事のない永遠の道程がなんとも素晴らしいのです。
音楽の道を選んで、歩いて来た事で、自分の人生を悔いた事はこれまでも、一度もありません。
しかし、音楽を人に教える事については・・・・悔いの連続かもね⁉


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10月



10月1日久しぶりに摂眠障害です ·
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今日は10月1日の朝の5時です。
今日はMorgendämmerung(朝焼け)の赤みが段々と増してくる美しい朝なのですが、実は、未だ、眠れない夜を迎えてしまったのですよ。
それにしても、クーラーの要らない爽やかな秋の早朝です。窓を開けていると、ほんとうに寒いのですよ🎵
・・それなのに、眠れない❢❢
久し振りの摂眠障害なのです。
(深夜にチョッと大量の仕事をしてしまったのかな??)仕方がないので、不本意ではあるけれど、alcohol-timeにします。
飲んで・・・飲んで・・・、酔い潰れて・・ではなくって、気持ちを拡散させるのが目的なので、珈琲のコップに一杯だけのbeerです。アハッ!
のんびりと飲んではみたけれど、やっぱり、全くダメだよな?
眠れないし、ただの水代わりにもならないのだよな❢❢
仕方ない❢❢
昨日のsimulationで没にする予定だったvivaldiを代奏で演奏をする事が決まったので、その時の演奏のvideoのcheckでもするか??練習が後1回しかないので、練習の時にcheck事項を連絡指導しては、本番には、間に合わないから、videoで指導しないといけないからネ?
という事で、頑張ってcheck事項をvideoに書き込んでいたら、それなりに眠たくなって来たので、朝の9時頃から、お昼の2時頃までは何とか眠る事が出来ました。
という事は、5時間も眠れた、という事なので、今日の睡眠は合格です。
2時頃には起き出して、それから、教室の仕事の相談のmailの発表会の進行企画への対応をして、教育関係の相談に答えて、慌ただしくて、食事をする事を忘れていたので、遅い朝食!を夕方の4時に食べました。
ちょうど、その時間になった辺りから、突然部屋の温度が上がって来たので、netで調べたら、練馬区の気温は27℃で、体感温度は28℃になっていました。
「絶対にそんな事はない」・・という事で、室内の温度計を見てみたら、室内の温度計では、なんと30℃になっていたので、慌てて、窓を閉めてクーラーに切り替えました。
深夜のテレビでも放送されていたのですが、今日の東京の気温は30℃を超えたそうで、皆さん、体調管理が大変だったそうです。
そう言えばもう一つの今日の大事件なのですが、今日から消費税が10%に変わりました。
私も、12時を過ぎた頃に、sevenと食堂に行って金を使って来たぞ❢❢
8%から10%に変わっていたのかな?
レシートで確認しなくっちゃ??
あれ??
そのレシートが見つからないぞ❢❢
まっ、いいか??
記念に取っておく気はないしネ?


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10月2日トトロのマグカップが ·
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超、shock‼
長年連れ添ったトトロのマグカップがtableから落っこッて粉々に割れた❢❢(享年2019年、干支は 亥(いのしし)の歳、10月2日のamの1時45分である。)
私の側に来てからは、軽く2~30年にはなるのかな??
江古田教室の時代から連れ添って来たマグだち・・なのでね❢?
こんなに粉々に割れてしまっては、金継ぎをしても、コップとしてはもう無理だよな~ぁ??(1枚目の写真)



2枚目の写真は、色々なコップの縁が欠けたコップを集めて、金継ぎで修理中の途中の下塗りを乾かしている所の写真です。
トトロのマグカップ2個と赤絵のお湯飲みと子供用のお湯のみを纏めて金継ぎの修理をしている所の写真です。



次の3枚目の写真は、縁の欠けた所のupの写真です。
・・つまり、この粉々に割れたトトロのマグの欠けた部分を金継ぎをする前の写真です。金継ぎをしたばかりの頃は、縁の厚さもしっかりとしていたのですが、使っている間に金継ぎが取れて来て、金の色も褪せて来てしまいましたが、愛着もあって、長年使いこなして来たのですがね?




形有るものは、必ず壊れるのですよね?
諦めて、次の新しいトトロのマグを出すか??
(次Pageへ~)



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10月2日このトトロは既に使用中のマグだぞ?? ·
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(前のPageの続きです。)
スペアで保存していたトトロのマグカップです。
さて、どれを使うか・・・な??
あれ~??
このトトロは既に使用中のマグだぞ??
花園教室か、検見川教室で使っていたマグだよな~ぁ??
・・じゃあ、それから使う事にするか??
縁の金継ぎが無くなって、新品のようになったぞな??
・・で、何代目なんだ?
全く同じトトロのうちの一つは、縁だけではなく、取っ手が取れてしまって、コップとしては再起不能になっているマグなのだが、今は玄関の入り口の前で「鉛筆立て」になっているのもある。



何故そんなにたくさんのトトロがあるのかな?と思われるかも知れないのだけど、昔、未だ、各教室に教えに行っていた頃には、各教室に私専用のトトロのマグを置いていたのだけど(先生達がそれぞれに自分専用のティーコップを置いています。)、洗った時に、上にお椀類を重ねて置かれるので、重さで、全部のトトロが縁が欠けてしまって、その後は暫時、割れてたりして、処分されてしまったのだが、余りにもしょっちゅうコップの縁が欠けてしまうので、そのまま捨てるは忍びないので、壊れて修理不能になったマグの底に穴を開けて、植木鉢にしているトトロや、この写真の鉛筆立てのように、コップとしては使用不能になったとしての、別の用途になって、穏やかに余生を送っているコップもあるのだよ❢❢


(植木鉢になっているトトロは椎名町に置いてあります。小さな路傍の花を植えて食卓の上に置いていたのだけど、雑草とは言えどもよく枯らすのでネ?)
勿論、その他のトトロで、再起不能で捨ててしまったトトロのあるのだけどね~ぇ??
そう言った事を徒然と書いていて深夜の3時を迎えた頃から、突然、寒い風が部屋の中に吹き込んで来ました。
これは、まじ寒いぞ❢❢
どうした事だろう??
突然、晩秋になったような感じだよな~ぁ??
今日は、alcoholを未だ飲んでいないのに、顔が火照って酔っ払った感じなのだが、それもどうしたのだろう??
この寒いのに、熱中症でもないとは思うのだけど・・??
不思議だよな~ぁ??


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10月2日私と作曲 ·
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今は19年10月2日の深夜なのですが、日にちは今日のお話には全く関係のないお話です。
今日のお話は、時折、質問をされる「折角、Münchenに留学してまで作曲の勉強をしたのに、今は作曲はどうしているのか?」というご質問に対しての話です。
ちょうど、timingよく高校時代の友人のFacebookに「2018年9月29日の思い出」として私が作曲をしなくなった事への疑問が書かれていたので、ちょうど、ジャストタイミングでこのお話を書く切っ掛けとなった分けです。
Münchenから帰って来て、暫くは、細々とでも作曲をしていたのですが、帰国後、1年程経ってからは、作曲を全くしなくなってしまいました。
・・と言う事で、色々なgenreの人達から「何故、作曲をしなくなったのか??」と尋ねられる事に対して、そのばでは、「うにゃむにゃ」とお茶を濁していい加減に答えていたのですが、子供達からも尋ねられる事が折々あって、暫し考え込んでしまいました。(子供に対しては、大人対応の「うにゃむにゃ・・」ではマズいのでね?)
・・という事で、時折、私に「何故、作曲する事をしなくなったのか?」と、聴いて来る子供達に対して、マジに正面から向き合って答えるとしたら・・と考えて、その答えをお話する事にしました。
私が作曲をしなくなった本当の理由は、大きく2つの理由があります。
その一つの理由は、München時代にGenzmer先生の元で、コンサートでの発表を目的として、演奏会用の曲を多く作って来たのですが、その場合には、最初から演奏の会場や場所等と、どの演奏家達に演奏をお願いするのか?と言う事を想定してから、「曲を作る」事になります。
そうすると、段々と、作曲の目的が演奏効果を狙う、所謂、ウケ狙いの曲になって来てしまうのですよ。
そういった曲は、職業的作曲家、所謂、baroqueの作曲家達や、古典派の作曲家のように、定型の作曲技法で曲を量産する事が出来ます。
それは、taxiの運転手が、客の目的に応じて、車を走らせる事と、大差はありません。Veteranになれば、より良いCourseで走る事が出来たとしても、大差は無いのです。
・・と言う事で、professionalの作曲家としての作曲法は、職業としての作曲であり、私の作りたい曲とはだいぶその目標が違って来たからなのです。
・・だからと言って、私が注文も無いのに、私の作りたい曲・・、書きたい曲を作曲しても、演奏をする場所が無いのだよな??
美帆ちゃんや、昔々、私の最初の生徒である久美子ちゃんが弾いてくれた「遊び唄」は、日本に帰国したのちに、演奏会用の「聴衆」を対象にして作曲したPiano曲集で、演奏会の会場で演奏しても問題のない数少ない曲の一つです。
それに対して、殆どの曲が未発表のままの、弦楽器のduoの曲集は完全に二人だけで演奏する、「四畳半の襖の下張り」調の曲集なのですよ。
つまり、「聴いてくれるお客様を想定しない」という前提で作曲された曲なのですよ。
しかし、「自分の趣味で、自分に対してのみの作曲をする」・・という考え方は、とどのつまり・・、人に聴かせる必要がない・・という事なので、弁証法的に言うと、「曰く、作曲をする必要もない」曲になってしまうのですよ。
・・と言う事で、楽譜上に音符で書き表す必要もない・・曲なのですよ。(楽譜に書く、或いは、演奏家に演奏して貰う・・という事は、人に対して曲を作ると言う事になるからです。)
・・という事を結論付けると、「人に聴かせる必要の無い曲を作曲する・・と言う事は、楽譜に曲を書き表す必要もなく、誰かに演奏して貰う必要もないので、自分の頭の中だけで聴いていれば良いという音楽になります。
その状況を説明すると、次のような状況になるのかな??
・・「今はもう朝の4時です。もう少しすると恒例のMorgendämmerungの時間です。
部屋中の電気を消して、真っ暗な中でwineを飲みながら目を瞑ると、頭の中に曲が浮かんで来ます。
その頭の中で流れて来る曲に身を任せて、その音の洪水の中に溺れる事は、暫し全てを忘れる事の出来る至福の時間なのですよ。」
・・また、鬱が超酷くて、心に浮かぶmelodyさえ聴こえて来ない時には、自分が指揮をした鬱々の曲をパソコンで流しながら、鬱に浸って、人生の不幸を堪能するという事は、それなりに、至福の時間なのですよね~ぇ??
「あ~あ、生きていると言う事は、なんと辛いのだろう??」・・・ってね?
あれ?そろそろ、wineを注文しないと、stockのwineが無くなってしまう時期なのかな?
そう言えば、今日は、消費税が10%に上がっためでたい日なのだよな~ぁ??
何処がめでたい・・・?? 
まあ、いいか??
一つ目の作曲をしなくなった理由は、自分が作曲をする立場としてのお話でしたが、二つ目の作曲をしなくなった理由は、作った曲を演奏して貰う事についてのお話になります。
私が、作曲をしてその曲を是非に演奏して貰いたいという演奏家の人への想定が出来なくなった・・という事が二つ目の原因になるのです。
ドイツの演奏家の人達は、お国柄の所為なのか・・「演奏する」と言う事、・・態度に対して気負いのようなものがありません。
しかし、日本の演奏家の場合にはやたらと演奏家である事を威張っています。
まるで、虎の皮を着た狐か、張子の虎のようです。
私が日本に帰国したばかりの頃に売出し中の中堅のとても美人のpianistがいました。或るpartyで、席をご一緒する機会があって、是非、お話をしたいと思ったのでが、取り巻きの男性達がしっかりとguardして、近づく事さえ出来ませんでした。「ありゃあ、なんじゃよ??」「彼女の親衛隊だよ❢❢」
それじゃあ、まるでIdolだろうよ❢❢
Classicの音楽の世界だよ??なにを勘違いしているのだ??
国外の演奏家達は、自分に対しても、人に対しても姿勢がとても謙虚です。
音楽家という人種に対して、好感が持てるのですよ。
日本に帰って来たばかりの頃のもう一つの思い出なのですが、・・「ロシアの若手のpianistが演奏会をやる」・・というので、招待券を貰って、御茶ノ水の出来たばかりのコンサート・ホールに初めて行ったのですが、入り口でたむろしていると、音楽大学の学生達とおぼしき美しい若い女の子達が華やかに着飾って、颯爽と歩いて来ました。
来る人達、皆が、若くて美しい華やかな衣装に身を纏った女の子達で、その雰囲気と匂いには、すっかりと圧倒されてしまって、「ここは俺の居る場所ではないぞ❢❢」と思って、早々に逃げ出してしまいました。
今回も、招待券だったのでね??
商売柄、私はticketを買った事が無いのですよ。
・・そう言えば、私が音楽大学に入学して、初めて音楽大学に入った時に、大学の中に充満している女の匂いに圧倒されてむせ返ってしまいました。
その時にも「ここは俺にいる場所ではないぞ❢」と驚き、感じたものです。
ドイツの音楽大学を始めて行った時には、学生と覚しき人達が皆、おっさん達で、若い美しい女の子が全くいないのに、驚いてしまいました。教職を専攻する学生は別の大学なのだそうで、学生の全員がproを目指す人達だからだったのでね??
私は日本の音楽大学を卒業してから入学したので、当然、「多分、私が最年長だろう??」と思って授業に臨んだのですが、回りの学生達に年齢を片っ端から尋ねたら、最長は34歳で(聴講生は50代の人達もいますが、学生限定では・・という事ですが)、なんと私が最年少だったのですよ。
もっとも、3年生の頃には、Karl Richter教授の元に、14歳の超、美しい少女が特待生として入学して来ましたが・・ネ??
日本の工科大のようにムサ苦しいMünchenの音楽大学を卒業して、再び、日本に帰って来て、初めて若い男性のpianistの演奏会に行った時に、私が日本の音楽大学で初めに経験した、音楽大学は(・・というか「大学は・・」と言うべきなのかな??※))女の匂いで充満している・・という事の再来でした。
その時に、先ず私が思った事は、「俺はお前達のために曲を作っているのでは無いぞ❢❢」と言う憤慨でした。
※)昭和平成が終わって、令和を迎えて、日本の人口も減少する中で、女性の活躍も今では目まぐるしいものがあります。女子大亡国論も、今はありとあらゆる分野での女性の活躍で杞憂に終わったようです。でも、音楽の世界では、未だstatus的なBrand的な音楽が続いていて、真摯に音楽に立ち向かう人達は未だ未だ少数派のようですね。
ドイツに居た頃には、音楽会に行っても、美しい若い女の子は極めて少数派であって、若くて美しい女の子が演奏会に来たとしても、大概は彼氏同伴だったのですよ。
つまり、ドイツやイタリアの音楽会場では、あらゆる世代の人達が満遍なくstatusでもBrandとして・・でもなく、音楽そのものを聴きに会場に来ていたので、なんの違和感も持たなかったのですが、日本ではなんだか音楽は、若い女の子達が手に持っているpouchかnecklaceのような飾りの一部のような気がして、音楽を蔑まれたような、嫌~な感じがしたので、その若手のpianistの演奏を聴くのは止めて(その会場に居るのをやめて・・・)、サッサと会場を後にして、wineでも飲みに出掛けてしまいました。
どっち道、招待券なので、懐は痛まないので・・ね??
そう言えばMünchen時代も、マルタ・アルゲリッチのコンサートの時に、若いcoupleがticketを探していたので、見知らぬ人達だったのだけど、私のticketをただでpresentして、Beerを飲みに行ってしまったのだよな??
相手のカップルは「売ってくれ!」って言っていたよな??
私としては、気分で演奏会をすっぽかすような人の演奏は聴きたく無かったのだよ❢
自分の心のcontrolも出来ないような演奏家の演奏では、聴くには値しないよな??・・と思ったのです。
私にとっては、「有名な演奏家である」・・という事はどうでも良い事なのですからね??
あたしゃあ、腹部大動脈瘤のStent graftの手術の2日後には、ちゃんと指揮をしたよ❢❢
命がけでネ??
ちょっとでも、腹部に力が入ると、手術の後から大量出血するので、救急車を呼んでも間に合わない・・・つまり、即死だってさ❢❢
勿論、当日の指揮は、医者の反対を押し切っての指揮なのでね❢??
相手は、たかが「趣味」の子供達のorchestraなのに、私も、よくやるよネ❢❢

遊び唄集より抜粋 芦塚陽二作曲Spiel Lied遠藤美帆13歳中3八千代市主催春のコンサート - YouTube

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10月3日またまた、windows10の悪口なのだけど、 ·
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またまた、windows10の悪口なのだけど、教室としては、パソコンはwindows95から98、2000、Meと、パソコンの発売当時から購入して使用していた。
windowsXPからwindows7にversionupする時に、それまでXPで使用していた機器やsoftが全部対応出来なくなって、仕事で使用していた結構高価なsoft類や電子機器類を買い直さざるを得なかった。
XPはパソコンとしては完成形なので、仕事としてパソコンを使用する人達や会社が全く買い直しをしないで、長期に使用していたので、Microsoftが新しいパソコンを売るためにwindows7を作ったのだよ。
まあ、XPでsoft類を新しくしたとしても、windows7のconcept自体はパソコンなので、仕事に支障を来す事は無かったのだが、今度は、windows7でも安定的に長期間に使用するという問題が起こって来て、その次の機種であるVistaやwindows8や8.1等々のパソコンを矢継ぎ早に作ったのだが、7から買い換える人達は少なかった。
兎に角、windows7以降のパソコンは、パソコンとしての機能が弱く、携帯のTabletとしての機能が中心で、仕事をするためのパソコンとしては、極めて使い手が悪いからなのだよ❢
椎名町の事務所ではパソコンの部屋は2階なので、毎週のオケ練習のscheduleは、牧野先生が手書きで紙に書いて、それを写真に撮影してmailに添付して送って来るのだが、それをprint outすると、画面が真っ黒になって、頗る見ずらいし、トナー代も馬鹿にならない。勿論、写真では細かい文字までは判読不能である。
・・と言う事で、再三再四パソコンで書くか、scannerでscanして、pdfのfileかなんかで送ってくれると、画面は白いままなので見やすいし、copyしたとしてもトナー代も助かるのだが、二階まで上がってscanするのが面倒くさいのか、何度注意しても、写真でlineとかに添付されてしまう。
母が存命中は、夏休みには郷里の長崎に介護に帰省をしなければならなかったのだが、長期間帰省するので、教室の仕事に穴を開けないように、長崎の商店街の電気屋でmobile・scannerを買って、東京と長崎で仕事のdataの連絡をしたのだが、長崎への帰省が無くなって、その後は、scannerの無い千葉の教室に置いていたのだけど、結局、置いてあるだけで誰も使わないので、「使わない機器はゴミだ❢❢」とヒステリーを起こしてハイツに持って帰って来た。
そして、ハイツの私のnoteパソコンにscannerのdriverをdown loadしたのは良いのだけど、パソコンで動作させる事が全く出来ません。
「ああ、notePCはwindows10なので、versionupしなければ、動作しないのだよな~ぁ??」と思って、driverのupversion版を探して見たら、超、Shockなのだけど、私が長崎で買って来たブラザーのmobile・scannerは、versionupはしていなかったのだよな??
同じブラザーのscannerでも、他の高めのscannerは全部versionup版が出ているのに、「このscannerは買い直せ❢❢」ってか??
牧野先生のnotePCも、windows7からwindows10にOSをversionupしたら、パソコン本体に入っているinternetのsoftであるWiMaxも「10には対応していない❢」とmessageが出て、10対応のWiMaxに買い直さないと行けないし、Securityも「10用に買い直せ❢」とmessageが出てしまって、仕方なくnetで購入してdown loadしたのだよ。
windows10にする事で、softだけではなく、何かと、色々なアプリ自体が買い直しを要求して来る。
金額的にも馬鹿にならないので、結局は、新しい10のnotePCを買わされる羽目になるのだよな??
まあ、10にversionを上げた理由は、金銭的な理由なのは、当たり前の事なのだけどね。
それでも、より良い・・使いやすいパソコンになるのならば、辛抱も出来るのだが、10はconceptが携帯の画面の大きなTabletであり、とてもパソコンと呼べるものではないのだよ。
そう言った10になった事で生じてしまった不具合の箇所を、50箇所以上の問題点を、Microsoftからアンケートが来た時に書いて送っておいたよ❢❢
勿論、Microsoftからは、なんの返事もないけれど・・ね??


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10月5日写真を取り込んで ·
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たった今、椎名町から帰って来た所です。今は、10月の4日から5日になって、もう2時間半も経った所になります。
それにしても、今日は10月も4日だというのに、暑かったよね??
練馬は31℃だったそうで、明日5日は32℃の予定だそうです。
牧野先生のお迎えかたがた、ドルプリっ歩に行って来たのですが、外は寒いのに、部屋の中は蒸れていて、頭が火照ってしまい、熱中症のようになってしまって、体調管理が出来ません。
お散歩をしていても、目眩がして来たので、椎名町に戻ってからは、慌てて保冷剤の首巻を首に巻いて、頭の上にも保冷剤で頭を冷やして・・何とか凌いでいます。


1枚目の写真はフラワー公園で拾ったみかんなのですが、青くて硬いので、誰も拾っていなかったので、持って帰って来ました。
そのまま、みかんとして食べると酸っぱくって、食べれたものではないのですが、レモン絞りで絞って、かぼすの代わりにすると、お汁が大量なので、とても良い香り付けになります。
フラワー公園には、銀杏もたくさん落ちているらしいのですが、超、臭いのと、触れると被れるので、誰も拾わないので、斉藤先生が一杯拾って来てくれました。これは朝だけのお話のようです。
取って来た銀杏は、バケツで実をよく腐らせて、洗って実を捨てて、タネだけを、よく乾かすと、美味しい銀杏が出来上がります。
銀杏割りで割れ目を入れてからオーブンで焼くと、エメラルド・グリーンの実がとても美味しいのです。古くなると、銀杏の色はエメラルド・グリーンから普通の黄色になります。
クロロフィルの残量・・という事らしいのですが、難しい事を言うのはやめましょうね??
新鮮なので、クロロフィルも大量なので、お塩を振り掛ける必要もありません。
今年は椎名町の教室では、ゴーヤが大豊作で、未だまだ、可愛い小さなゴーヤがたくさん実を付けています。
牧野先生がゴーヤだけを摘んで食べるので、ゴーヤチャンプルの具材が残ったままなので、ゴーヤだけを追加して食べています。
今日のmain-eventは、積年、寝室に置いたままになって、粗大ゴミ化していたroom-runnerを、マジに粗大ゴミに出しました。
lesson室で、これ又、粗大ゴミ化していた揺り椅子を寝室に移動して、眠れない夜に揺り篭代わりに出来るようにしました。
勿論、誰も揺らしてはくれないので、そこはselfで揺らさないと・・いけませんよネ??
Abendrot(夕暮れ)の空の色が余りにも美しいので、manualで撮ったのですが、それでもやっぱり自動的に補正されてしまい、明るくなってしまいました。
photoshopで色を補正しなければ、自然の色にはならないようなのですが、そこまでは体力がないので、やりません。勿論、camera側でも、絞り等の調整で自然光に近づける事は出来るはずなのですが、今は、それだけの元気はありません。
Facebookのお話なのですが、写真をFacebookに一括送信したら、写真を撮影した時の時系列が反対にupされてしまうので、書いている文章の時系列も逆さまになっています。
写真を1枚ずつ送れば良いのでしょうが、超面倒くさいので、ご勘弁を・・・お願いします。
ただの徒然なるままの世迷い言に過ぎないので、時系列なんて物騒なものは関知しない事にしておきます。




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10月5日なんと素晴らしい雲一つ無い秋の空・・ ·
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10月5日の朝の8時50分に成りました。朝、8時半に目が覚めるのはどうやらこの所は定形※)になっているようです。
(※)定型か定形かで引っ掛かってしまいました。これが難しい・・❢❢日常生活で行動がpattern化するのは、定型が正解のようです。郵便物は定形が正解だそうです。)
「なんと素晴らしい雲一つ無い秋の空・・」と書こうとして、ふと「ホントかな??」とMansionのVeranda側の西側と玄関の北側も確認したのですが、全く雲一つない秋空でした。



・・とは言っても、今日は関東は32℃まで気温が上がる予定なので、爽やかな凌ぎやすい・・とは言えないようですがね・・???
昨日は粗大ゴミのroom-runnerを部屋から出すという大作業で腰を痛めてしまって、今日はすっかりバテてしまって一日、安静dayになってしまったのですが、それ以上に・・寝ていて夢に悩まされていました。
疲れてしまって、bedに入って仮眠を取る所迄は良いのですが、直ぐに夢を見て、その夢が頗る面白くないのです。
やたらとréalitéに溢れた夢で、現実の日常生活の延長そのままの夢なのですよ。
夢の世界にまで、現実の世界の問題を処理しなけれならないのでは、夢を見る事が疲れを増長してしまって眠る・・という意味が無くなってしまうのだよな?
そしてその夢が、「あの事と・・」「この事と・・」「その事・・」になると、眠る事が体を休める事にはならなくなって、精神的に追い詰められてしまいます。
夢の中では、現在進行中の当事者なので、起きた後で「あの夢は、もう過去の過ぎ去った出来事なのだから・・」とか、「この夢はもう解決済みなのだから・・」とか、いちいち自分の心に納得させないと行けないのは、超かったるい面倒くさい事なのですよ。
あ~あ、『心』というものは、とことん面倒くさいものです。
『忘却』・・というのは、或る意味では魂の平安のためにあるのかも知れませんよね??
・・でも、痴呆には、怒りをぶつけて来る痴呆もあるし、自分の世界に閉じ籠もってしまって出て来ようとしなくなる痴呆もあるので、忘却も一概には良いとは言えないのかもね??
室内のデジタル温度計では、もう29.5℃で湿度はなんと28%です。
netのyahooの練馬区の天気予報では27℃の48%なのですが、部屋での体感温度は、もう30℃超えなのかもね??
東芝のデジタル扇風機の温度計が、いつも一番体感温度に近い数字を出すので、部屋のクーラーの温度を設定する時には、扇風機の温度を基準にするのですが、そのデジタル扇風機の温度計では、部屋の温度は、今はもう既に30℃になっています。
それにしても、クーラーにするのは、もったいないので、窓からの自然の風を優先にしています。


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10月6日「Václav Pichlのscoreの改定について」 ·
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今は、10月の6日の午前3時を回った所です。
明日は、秋の発表会に向けての、最後の練習があります。
・・と言う事で、明日の練習に関してのお話になるのですが、・・・
『非常に優れた演奏家が非常に優れた作曲家であるとは限らない。』と言う事は、自明の理として知られています。
勿論、Fritz KreislerやWieniawski等の演奏家は優れた作曲技法の持ち主であって、曰く優れた作曲家でもある・・と言える。
(勿論、その逆も成り立っていて、非常に優れた作曲家が非常に優れた演奏家である場合も多々ある。
ロマン派のLisztやChopinは当然の事として、近現代の作曲家達、所謂、Saint-SaënsやRakhmaninovやProkofiev等等も優れた演奏家であり、その演奏はYou Tube等で聴く事が出来る。
(You Tubeで聴く事の出来る一番古い作曲家はJohannes Brahms出そうな??)
古典派の作曲家であるStamitzやDittersdorf、勿論、HaydnやMozartは超優れた作曲家であるので、問題はないのだけど、演奏家としては優れた技術を持っていて、その優れた技術で自分の得意とする楽器のorchestrationをする場合には、そのorchestrationが必ずしも上手である・・とは言えないcaseがままある。
特にKontrabassの名曲として知られる、Antonio Capuzziの作品や、今回のオケで演奏をするVáclav PichlのConcerto等である。
作曲学上の音の間違いや、orchestrationの下手さ加減には辟易して、毎回練習の度に少しずつ、訂正を重ねて来て、何度と無く全面改訂も試みたのではあるのだが、あと1週間後が本番で明日が最終練習になるのだが、2ndのpartとViolaのpartに全面的に改定を加えた。
今回の改定のconceptは、基本的な和声学上の間違いに加えて、声部が2声部から、突然unisonになって、音痩せを起こす箇所や、伴奏のpartがfullの編成から突然1声部になってしまう・・と言った素人的なorchestrationのbalanceをkritikと訂正をした。
本番直前の楽譜の訂正なのだけど、・・どっち道、練習には全く来ないで本番しか出ない生徒達や、オケ練習を除いたら、楽譜を家で見る事もない生徒達の集団なのだから、今更、譜面を全面変更して演奏していても、誰も気付かないだろうよ❢❢
2ndとViolaに関しては、変更箇所が多いので、口頭で伝達するよりも、partをprint outして、明日、練習の時に譜面を渡す事にした。口頭で説明していては、それだけで練習の時間が終わってしまうからね???
CapuzziにしてもPichlにしてもViolaのpartが殆ど書かれていないので※)、Violaにとってはつまらない曲なのだけど、Violaを補填しておいたので、殆ど休みなく演奏する事になったので、Violaとしても満足だろうよ❢❢
善哉❢ 善哉❢❢
※)古典派の時代までは、Violaはorchestraでは未だ活躍の場がありませんでした。Vivaldi等ではViolaのpartが無いConcertoも多数あります。(彼の有名なPachelbelのcanonも、Violin3partですよね~ぇ??)
だから、tuttiの部分ではViolaのpartが入っていたとしても、obbligatoの(所謂、soloの伴奏のpartでは、)Violin2本とcontinuo-Celloが伴奏する場合が多く、Violaが活躍する場合は稀でした。
極々稀に、Vivaldi先生がcontinuo-celloの代わりにViolaでcontinuoを弾かせる事がありましたが、VivaldiのorchestraではVivaldiの番頭さんの女の子がViolaの名手だったからの例外です。



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10月6日Václav Pichlのお話の続きです。 ·
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10月6日の最後のオケ練習の前日の深夜の4時頃です。
Václav Pichlのお話の続きです。
・・・何処がPichlの話だよな~ぁ???
『Giftedという言葉があります。』
日本語に訳すと、「天から与えられた才能=所謂、天才」という事になるのかな?
音楽で言えば、よく取り沙汰される「絶対音感」もGiftedとされます。(AmericaのCNNの放送によると、音楽を専門に勉強している人達の2万人に一人の割合が絶対音感を持つ事が出来るのだそうで、それこそ音楽をする人達の憧れのgenieであり、天からのGiftedなのだそうです。)
日本でも(と言うか、私達が引っ越して来たこの椎名町にも)絶対音感を身に付けるための訓練を特化している教室があって、日本全国から「絶対音感を身に付けたい」と希望している生徒達が集まって来ています。
絶対音感は、音楽を勉強する人達にとっては、キッと憧れのgenieなのでしょうね??
しかし、私達の音楽教室では、orchestraに参加しているmemberの殆どが絶対音感を持っているのですが、勿論、私達は、絶対音感のための特別な訓練のような事は絶対にしてはいません。
・・と言う事で、自然に身に付いた絶対音感※)なので、「絶対音感がGiftedである」・・という事を信じている親も、自分が稀有な能力を持っているのだ・・と思っている子供も一人もいません。
つまり、「音楽を普通に学業の片手間にやれば、絶対音感なんて、普通に身に付くものだ」・・としか思っていないのです。
※)まあ、「絶対音感が自然に身に付く」なんて事はある分けはないのですが、そのためのcurriculumを一般の人達が知る事はないし、音楽を指導する多くの人達が子供達のorchestraの指導の見学に来ても、何処にそのtrickがあるのか?を知る事は、難しいのですよ。
絶対音感を付けるためのcurriculumというかconceptというかが書かれている本を購入して、チョッとだけ目を通して見た※)のですが、その本によるcurriculumでは、子供達側にとっても、そのcurriculumを熟す事は容易ではないように見えるし、教室でもPianoやViolinの指導の他に、そういった絶対音感を付けるためのcurriculumを導入する事は、時間的にも、親の経済的な負担の面からも無理だという事が分かりました。
※)加齢で目が悪くなってからは、本を読む事が億劫になってしまい、読まなければならない本が山積みしてしまっています。だから、どうしても、優先度が出てしまい、読む本が限られてしまうのですよ。
絶対音感のブームのようなものに伴って、絶対音感を付けるための涙ぐましいcurriculumや努力をしている生徒達を見る度に、「そんな大変な思いをしなくても、何もしなくても絶対音感なんてものは普通に身に付くのに・・??」と私は、思ってしまうのですがね~ぇ??
ここで絶対音感を取り上げてお話を進めたのは、絶対音感に対して、一物持っている分けではなく、あくまでもGiftedのお話の一つの、分かり易い例として・・の事なのです。
『Giftedは努力をして得れるものならば、所詮はGiftedには成り得ないから』・・なのです。
教室では私が芦塚メトードというmethodeを提唱して※)、私が37歳の時に、騙されて、説伏されて、音楽教室を立ち上げて、以来、30有余年の間、私のmethodeを子供達や先生達に指導して来たのですが、この35年も経ても、私のmethodeを信じてくれる人達が全くいません。
※)よく「『芦塚メトード』とは音楽の教育のsystemだ」と勘違いされる事があるのですが、芦塚メトードと音楽教育は全く関係のない事です。曰く、芦塚メトードで音楽教育をやっているに過ぎないのであって、芦塚メトード自体は別に音楽の分野でなくても、良いのです。ですから、芦塚メトードの教育法がmethode化されたのは、音楽の教室を開設する7,8年も前の大学講師をしていた時代なのです。その当時は私の生徒達も全員大学生であり、子供達を指導する事はありませんでした。唯一の例外は、とある音楽大学で指導していた時に、その大学の音楽教室での問題の生徒を10人程預かって、指導した事です。この指導法には芦塚メトードは関係ありません。
ヨーロッパやアメリカ等の諸外国では、Giftedの子供達を国家の特別のcurriculumで育てる事が一般的なのですが、日本では、Giftedそのものが否定される傾向にあります。
日本の社会では、所謂、儒教的な・・「努力で掴み取る」ものだけが価値があって、鼻歌混じりに得たもの・・作り上げられたもの・・には価値がない・・というのが日本の社会の通念であり、日本の儒教型の教育の根源だからなのです。
『Gifted』とは、努力しないでも、楽に得られる才能の事を言うのだから・・根本的に儒教型の考え方とは整合しないのですよ。
『Gifted』は誰でもが手にする事が出来る・・という事は、単なる「発想の転換」にしか過ぎません。
繰り返しになってしまいますが、「誰でも、何の努力もしないでも得れる能力」の事を「Gifted」と言うのですよ。
勿論、儒教型の人達からは、『そんな事がある分けがない!!』・・という事で完全否定されてしまいます。
・・と言う事で、私の提唱するmethodeはこの35年の間、誰にも理解されないままになっています。
芦塚音楽研究所と芦塚音楽教室を立ち上げた当初の目的は、芦塚メトードの論文を読んだ教育理論家の人達から、「『そう言ったcurriculumは夢物語に過ぎない』と思われるから、そのmethodeが机上の空論ではなく、実際に可能な教育なのだ・・という事を実証して欲しい❢❢」・・という事で、花園に教室を開設して、そういった実績を積み上げて来ました。
それから、早、35年❢❢・・もうそろそろ子供達への教育にも飽きて来たぞ~ぃ❢❢
幾ら、methodeの事を説明しても、結局は儒教の世界の人達は、私のmethodeを誰も信じてくれないのだから~な?
現実的に殆どの子供達が絶対音感を持っているのに・・、練習も全くしなで教室に来ているだけなので、お金を出すのが勿体ない・・とか言われても、現に、毎日4時間も、7時間も練習する子供達よりも遥かに高い音楽技術を持って演奏しているのに・・、しかも、趣味の子供達がconcoursで全国で入賞しても、また、その演奏技術をYou Tubeに公開しても、・・それだけ、openに教室の成果をappealしているのにも関わらず、また、そう言った教育のための私のmethodeが書かれている論文を一般公開しているのにも関わらず、・・誰一人として、私の教育論を信じては貰えないのだよな??
論文を読んでもくれないのだよな?
嗚呼、miserable~❢❢・・でやんすよ❢❢
もう、人生疲れたぞナィ??
ちなみに、教室を立ち上げるもっと前の事ですが、つまり、40年以上も前になりますが、超、大手の企業や超大手の塾が私のmethodeを買いに来た事があります。
「お金は何億払っても良いから」・・という事で、私は2つ返事で承諾しよう・・と思ったのですが、間に入っていたAgentが「『芦塚メトード』というTitleだけは譲れない・・」と言う事で多くの企業からの申し出を片っ端から断ってしまった・・という経緯があります。
多分、そのAgentと喧嘩別れした今でも、そこは譲れない一線なのかな??
「芦塚メトード」から「芦塚」を省くと、買いたい企業は多いのですよ❢❢
でも、しかし、そろそろ私も楽に成りたいのでね・・・??



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10月6日南部鉄器のパン焼き器 ·
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今日は未だ10月の6日の午前5時頃です。
Beerを飲みながらテレビを見ていたら、南部鉄器のパン焼き器の特集をやっていた。
私が3,4歳くらいの幼い頃に、(まだ田舎の本家の家に住んでいた頃の話になるのだが、)長崎のABCC(アメリカの原子爆弾調査委員会)に働きに行っていた母親が、ある時に、南部鉄器のパン焼き器を買って来て、多分、パウンドケーキのようなものを作ってくれた。


「とても美味しかった」・・のと、そのパン焼き器の形状の面白さで幼い心にもよく記憶しているのだけど、一度、作ってくれた以降は、それからその鉄器でパンを作る事は二度となく、母親の手作りのパウンドケーキのようなものを食べる事も二度となかったのだが、その理由を聴く事もなく、母親とは死別してしまった。当時はまだガスの時代でもなく、台所の大窯で、薪を焚べて食材を調理していた頃の時代なのだよ。
話は前後するのだが、私がドイツの留学を終えて、東京で音楽教室を開くようになった頃なのだが、(その頃は未だ母は健在だった頃の話なのだが)南部鉄器を見ていたら、どうしてもそのパン焼き器で作ったパウンドケーキを食べたくなって、同時は、まだ高価だったけれど、そのパン焼き器を思い切って購入した。


勿論、私がそのパン焼き器でパウンドケーキを作る分けもなく、また、教室の先生達に作って貰った記憶もないのだが、不思議な事に、買った所までは覚えているのだが、そのパン焼き器が何処にあるのか??・・それ以降は、二度とパン焼き器を見る事もなかった。
今日は久し振りに、テレビの画面を通してなのだけっど、そのパン焼き器を見て、またぞろ、欲しくなってしまったのだけど、今は電気オーブンなので、そんなに大きなパン焼き器は入らないよな~ぁ??
電気のオーブンにも入る小さいtypeはあるのかな??
ガスレンジだったら、焦げてしまうのかな~~ぁ??
(改めて、確認をしてみたら、ガスでも大丈夫とは書かれていたけれど、多くの人達からのcommentで「作るのが難しい!」と書かれていた。

どういう事なのだろうか?
発酵の過程が難しいと言う事なのか?
ケーキを作る行程が難しいと言う事なのかな?
それとも焼き加減が難しいと言う事なのかな??)
私の中では、この南部鉄器のパン焼き器は、忘却の中のお鍋なので、形状は覚えていても、それを使った事は覚えていないのだけどね??
・・・それも不思議な話だ??


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10月7日 ·
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今日は10月7日の月曜日です。
昨日の日曜日のオケ練習は、発表会に向けての最後のオケ練習でした。
なので、当然、通常ならば「練習時間のtime-limitギリギリまで頑張ったのだけど・・云々」と書かなければならなかったのだけど、今日の月曜日は、すっかりとバテてしまって、一日中寝込んでしまって、日曜日の練習の総括するどころではなくって、やっとこさっとこ、前日の練習の課題であった・・室内楽のcontinuo-cembaloの右手のpartを、発表会に間に合うように、簡単なversionに書き直す作業だけを、(今日中の緊急だったので、)して、あとは、一日何もしないで、いや~あ、まったく完全な休養dayにしてしまいました。

ちなみに、写真上の楽譜の譜例は、出版されている使用元の楽譜の写真です。
当然※)、Cembalo譜なので、右手のpartもちゃんと書かれていますが、実は[Triosonataを演奏する人達はProの人達が対象とされるので、出版するにあたっては、Cembaloの右手のpartはpro仕様という事になっているので、結構、難しく書かれている事が多いのです。
当然という言葉の後に※)を付けましたが、実は、Cembalo譜を省略した譜面や、お義理程度に簡略化された右手の譜面が付いているCembalo譜さえあって、しっかりと右手の譜面を作曲してある譜面は、演奏頻度が高い曲に限られて来るのです。
たまに、maniacな珍しい曲でも演奏しようとすると、楽譜は出版されていたとしても、Cembalo譜に関しては悲惨な譜面しか付いていない事がよくあります。
ヨーロッパの音楽界では、Cembalistになるための最低条件はこのCembaloのpartを、[basso continuoのままで即興で演奏する事が出来る]・・という条件が必須になります。
・・baroqueの音楽は、未だに普通に演奏されている曲は数少ないので、基本的にはproのbaroque奏者が演奏する・・という前提で楽譜が出版されている場合が多いのです。
特に、Urtext-edition(原典版)の場合には、Cembaloのpartが書かれていない版さえ多く見受けられるし、多くの版では、「あくまでも参考までに」という事で簡単な簡略譜が書かれている事も多いのです。それは、演奏をするCembalistが、数字譜を見て、自分で即興を作って演奏するから、必要がないので、[参考程度」としてしか作られていないからです。
baroque時代の一番多い曲の演奏形態であるtriosonateという形式も、「『trio』-Sonateなのに、Violinの1stと2ndと通奏低音のCelloとCembaloの4人で演奏するのは何故か?」という質問をよく受ける事がありますが、出版されているscoreではなくって、作曲されているscoreは、1st、2nd、continuo-Celloの3partしかありません。つまり、CelloとCembaloは同じ楽譜の同じpartを演奏しているので、trioなのです。
残念ながら、日本の音楽界の場合には、Cembalistと自称している結構有名な人達でも、この「 bezifferten Baß」を演奏出来る人は殆どいません。
また、Cembaloには、Pianoとは違った色々な古楽器特有の奏法があるのですが、Cembalo科の生徒達に尋ねても、その奏法を学んだ上で、BachやCouperin等のCembaloの名曲を演奏している分けではないようです。
そこは、やっぱり、見様見真似で西洋音楽を必死に日本に取り込んだ音楽事始めの時代から、既に百年以上も経っているのに、家元制度が基本となる日本の音楽界は、一歩も先には進んでいないようですよネ❢❢
古の昔、ある音楽大学の学長先生※)に頼まれて bezifferten Baßのclassを音楽大学に作って指導するように委託された事があ理ます。その科を作るための打ち合わせと、その音楽大学の講師になるための面接予定日・・、その学長先生の元を訪問する前日の夜にその学長先生が急死してしまわれ、その事を大学を訪問して初めて知りました。
という事で、日本初の「basso continuo-class=通奏低音教室」は作られないままになってしまいました。
※)学長先生・・では、敬称がダブっていますが、勿論、ワザとです。あしからず❢❢
日本の古楽器の世界でbasso continuoやornamentの技術が中々入って来ないのは、音楽大学では和声学の授業がお座なりにされているからです。和声学は指導者が、学生の答案を毎回の授業でcheckして採点、説明をしなければならないので、1時間の授業の中では、せいぜい、5,6名ぐらいの少人数のclassしか無理です。理想的には4名程度が丁寧にcheck出来て良いと思います。完璧なKeyboard-harmony(=鍵盤和声学)が出来てから、初めてgeneralbassの教則本に進む事が出来ます。
baroque時代の巨匠達も弟子達に教則本を作りました。中でも著名な教則本はTelemannの通奏低音の練習と言う作品でしょう??日本版でもシンフォニアという出版社から出版されているのですが、残念な事に、既に回答が問題に書かれていて、教科書にはならないのです。歌のpartとcontinuoのpartだけの問題集として出版されているのならば、教科書として使う事は可能だったのですがね。
後、有名なgeneralbassの教則本はKeller先生のgeneralbassの教則本なのですが、一応は教則本としては書かれているのですが、譜例が少なすぎるのと、模範的な進行だけを集めているので、教則本としては、使えません。実例が少な過ぎるからです。
と言う事で、洋の東西を問わず調べて見たのですが、生徒達により良いgeneralbassの教則本は無いという事なのです。
まあ、私が作れば良いのでしょうが、今の所は和声を指導している生徒は、illustrator志望の生徒と、音楽のproを目指す特別な生徒だけなので、教則本を作るだけのneedsがありません。
繰り返しになってしまいますが、basso continuoというのは、所謂、和声の技術の応用なのです。
Cello等のBaßのpartに和声の数字が付いているのを見ながら、即興で右手を演奏する・・というのがbasso continuoなのですが、勿論、それだけには留まらないのです。その先が非常に難しいのです。
一般的には、「basso continuo」というのは、orchestraのCembalo-partやtriosonate等の室内楽で和声を補填するために使われているように思われているようなのですが、実は、basso continuoの技術、所謂、「 bezifferten Baß=数字付き低音」の技術は、室内楽やorchestraのCembalo-partに右手のpartに付いて書かれているだけではなく、Cembaloやpipeorganのsoloの曲を即興演奏する上でも重要な技術になります。
HändelやBachのHarpsichord組曲では、和音をsuggestするだけで、演奏はCembalistに任されていたり、また、HändelのOrgan-ConcertoのⅡ楽章等では、最後の和音が2つだけ書かれていて、その和声に至る迄の間は即興演奏をする事を義務付けられている曲も数多くあります。
また、Händelの組曲のintroductionでも、大きく大全音符が書かれているだけで、あとはCembalo奏者が即興で演奏する事をsuggestする・・という風な曲も数多く見受けられます。
つまり、「baroque時代は即興の時代だった」・・という事が出来るのです。
・・という事で、数字付き低音を数字を見ながら即興で演奏出来る事はCembalistの最低条件になるのです。
勿論、幾ら芦塚音楽研究所の生徒であったとしても、小学生の女の子には、数字付き低音を即興で演奏するのは無理な話なので※)、下の楽譜のpartは私が今朝新しく簡単に書き直した楽譜です。


※)高校生からの専科の生徒達はornamentや即興は自分で作らなければなりませんが、小学生、中学生の子供達も、簡単なkadenzは(今回のStamitz等でも)自分で作曲をしています。
今回の簡単versionのcontinuoなのですが、音量の点を除外視すれば、和声的には全く問題はありません。
基本的には2声部書法なので、音量の点ではチョッと劣ってしまいますが、まあ、仕方はありませんよね??
勿論、basso continuo(通奏低音)なので、右手のpartの変更はありません。
下に書かれた数字に拠って付けられた和声である事には代わりはありませんのでね??
作曲者であるCorelli先生はbasso continuoのCello(かもしくはviola da gamba)のpartに和音を示す数字を書きます。
右手の和音は、本来はcembalo奏者が即興で指定された和音を演奏します。
ドイツ語では数字付き低音の事を bezifferten Baßといいます。
ちなみに、basso continuoとは日本語では通奏低音と訳されています。休み無く、連続して演奏される低音・・という意味です。basso continuoに bezifferten Baßという意味は無いので、注意が必要です。ヨーロッパの古楽器奏者でも、時折混乱して使用している場合をよく見受けるので・・・❢❢❢




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10月8日寒いのか?暑いのか?? ·
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今日は10月の8日火曜日の、まだ明けやらぬ早朝の3時半頃です。
窓を開けたままで、外の空気を取り込んで寝ていたのですが、余りにも寒いので、全部の窓という窓を閉めて回って来て、寝直している所です。
netの練馬区の現在の気温は19℃ですが、体感的には、もっと寒い感じです。
テレビでは18*℃と言っていましたがネ?
しかし、今日の予報では、朝の7時頃からは雨も上がって、天気も良くなって来て、気温も上昇して、お昼の1時頃からは、カンカン照りで30℃を越す予定だそうです。
一日の気温差が10℃以上という温度差では、完全に体が付いて行かないよね??
※)今は2時半を過ぎた所なのですが、相変わらず雲が厚く、どんよりとしていて、霧雨混じりの湿度は90%で、温度も23℃で、部屋の中でも寒いです。この所、天気予報は当たった例はないのだよな??❔
そう言えば、月曜日は、facebookで日曜日のオケ練習の日の事を、結構色々と書いたのですが、当日の気温に関しては、一言も触れていませんでしたよね⁉
日曜日は、一日中、外の気温は20℃だったので、長袖のYシャツの重ね着をしていても、寒いくらいでしたが、オケの練習の最中は、部屋を閉め切って練習するので、部屋の中は結構蒸れていて、汗をかいてしまいました。
私としては、クーラーを入れたかったのですが、「寒い」という人がいたのでネ?
オケ練習では、必ず「寒い❢」という子と「暑い❢」という子がいて、空調に困ってしまいます。一応は「寒い❢」という子には、服を重ね着させるのですが、それでも「寒い❢」というのでネ❢❢
今はまだ火曜日の早朝です。
昨夜からの雨も降り続いています。
相変わらず寒いです。
そろそろ、晩秋の準備でも・・とは、いつも思うのだけど、そう思った途端に、30℃超えの夏日になってしまうので・・
服や布団の準備が未だ出来ません。困ってしまいます❢❢
今日は天気予報では、30℃超えの予定だったのですが、とうとう、全く22℃から上がらないままで、部屋の中でも超寒いのですよね~ぇ??
いったい、どうなっているの??




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10月8日「lineのmailがぶっ飛んだ❢❢」 ·
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昨夜(10月7日の夜)の事なのだけど、lineを開いたら、私「陽二芦塚」のアイコンが無くなっていました。
道を歩いている時に、思い付いた事を携帯にmemoをしたり、忘備録として、何かをチョッとmemoったりする時に、一々携帯のmemo帳を開くのはgünstig(=日本語ではなんと言うのかな・・??「手頃」かな??良い訳語が無いな??)ではないので、音声入力も出来るlineに「陽二芦塚」のmail-addressを作って、携帯からlineに入力する事で、パソコンでも一括して仕事の管理が出来るようにしていました。
それが、「陽二芦塚」のmail-addressだけが、突然、ぶっ飛んで無くなってしまったのです。
設定⇒友達⇒非表示リストに私がいたので、それから、lineに戻したのですが、戻ったのはアイコンだけで、やはり、書かれていたdataは完全にぶっ飛んで無くなっていました。
outlookの時代から、他の人達との仕事上の重要なmailやlineのやり取りは、落としが絶対に無いように、wordに変換して保存をしているのですが、lineの私の名前のaddressには、ただの日常の忘備録として使っているだけなので、保存するには値しない日常の一般的な事だけだったので、保存しなかったのですが、買い物リストや、原稿の忘備録や、calendarに移す必要のない個人的な予定等のリストが全部無くなってしまい、逆にチョッと困ってしまいました。

一昔前迄ならば、細々した日常のチョッとした出来事でも、全部のdataを頭の中に覚えていたのですが、齢い70を過ぎた辺りからは、物忘れが酷くなって、この所、忘備録の重要性を感じていた所なのですがね??
一応、超、Shock❢❢です。


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10月8日「10億円のStradivariのViolinと100万円のViolin」 ·
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超疲れが取れないので、風呂に入っていたら、「*****チェック」という番組をやっていて、「10億円のStradivariのViolinと100万円のViolin」の聴き分けをやっていました。
このお話は、今までも、何度も書いた事があるので、「何を今更??」とも思って無視しようと思ったのだけど、番組の企画自体が全く勘違いをしているので、やっぱり、ついつい同じ話なのですが、またまた書く事にしてしまいました。
いきなり楽器の話をすると、超専門的になって、理解が難しくなってしまいます。
と言う事で、もっと身近な(とは言ってもporscheが身近だとは思わないのだけど、)車に例えてお話を進めます。
車では、一般大衆車である乗用車typeの車と、porscheのCarreraに代表されるようなsports-car typeの車がありますが、sports-carは馬力に対しての車重の比率が極端に軽いので、加速でタイヤ滑りを引き起こしたり、カーブを曲がり切れずにコースアウトをしたりして、よく事故を起こします。
つまり、性能が良い分だけ、その性能を引き出すのが難しいのですよ❢❢
運転未熟の若者が、格好良さだけで、sports-carを買って、事故を起こしているのを良く見受けますけれどネ??
特にporscheのCarreraは、「じゃじゃ馬」との別名がある程、Power-to-Weight Ratio(=車重とパワーの比率)が小さいので、controlが難しいのですよ。
しかし、それでもporscheのCarreraはsports-carではあっても、勿論、一般の車両です。
レースの専門家しか乗る事のないレーシングカーともなると、その運転技術の難しさは、一般の車の比ではない事は自明の理です。
つまり、専門の人達のみが乗る事を許される(公道を走る事の出来ない)・・speedに特化した車なのです。
特にF1のレーシングカーはハンドル一つで、一般の車が2台買える程で、車全体では、値段は憶測する他はありません。推定で数十億という事なので、まあ、Stradivariとほぼ同じくらいの金額になるのかな??
より超高価な車が運転が非常に難しいように、それは楽器でも全く同じ事が言えるのです。
高価なStradivariのような楽器は、誰でも素晴らしい音を出す事が出来るように、勘違いされていますが、それは全く逆で、楽器は高価な楽器になればなる程、その楽器の性能を引き出す力量、技術力が必要になります。
つまり、どんな銘器を持ったとしても、その性能を引き出す力量がなければ、10万円のViolinでも同じ音になってしまうのです。
つまり、10億円のViolinと100万円のViolinの違いを弾き分けられないようでは、根本的に楽器に対しての考え方が間違えています。
それで比較番組を作るのならば、10億円と10万円でも一般の人達には分からなかった・・と思いますよ。
(現に以前の番組ではStradivariと10万円のViolinで比較して、一般の出演者、所謂、タレントの人達には、その楽器の違いが分からなかったようですがね??)
楽器屋に行って、楽器をLabelや鑑定書で購入しているようでは、楽器の本当の価値は分かりません。
つまり、Stradivariよりもより良い楽器がもっと安く手に入る場合もよくあります。
それを「掘り出し物」・・というのだけどね??
高価な楽器になればなる程、「楽器を力で鳴らす」・・という発想では、楽器が鳴らなくなってしまいます。
日本の音楽家達の場合には、楽器を鳴らす・・という発想自体がありません。
あくまでも、楽器は鳴らすもので、自分の要求に答える事の出来る楽器がより良い楽器になるのです。
日本人の音楽家の場合には、「楽器は自分で力で鳴らして、自分が出したい音を出す物である」という発想が主流なのです。力でねじ伏せても、鳴るような楽器が良い楽器とされます。何処かの国の児童教育や子育てのような考え方ですよね??
私達の教室のように、「楽器が鳴るように演奏する※)」・・という演奏法は、日本では例外的な演奏法なのですよ。
※)「楽器が鳴るように演奏する」と言う意味では、分かり難いですよね~ぇ??楽器本体がよく鳴るように、楽器が鳴りたいように鳴るために、どう弾けば良いのか・・という技術なのです。楽器に敬意を払って、楽器本来の響きを引き出すように奏く事が、私達の教室での大切な楽器を奏くための技術なのです。そこが根本的に日本の音楽界の考え方とは違います。
2問目は、steinwayの2300万のPianoと、日本製の中古のgrand-Pianoだったけれど、まあ、Pianoは或る意味では機械なので、Pianoの音は、調律師の作音の技術でもあるので、pianistの技術によらなくても、素人にもよく分かるよな??
steinwayのPianoの良い所はそのtouchです。
演奏者の微妙なtouchの違いを実に正確に表現してくれるので、作曲家にとっては、弦楽器の音や管楽器の音、木管楽器の音の奏き分けを正確に表現してくれます。
BösendorferやÉrard-Pianoは個性が強いので、自分を認めて従ってくれる人には最高の音質を提供しますが、演奏する人達が自分の音を要求する人に対しては、言う事を聞かないただの「じゃじゃ馬娘」にしか過ぎません。
特にBösendorferのPianoは、チョッとでも力んでしまうと、音割れをしてしまいます。
だからNHKの新人演奏家のオーディションの試験は一次がtape審査になっていて、音割れのcheckをします。tape録音では音割れを直ぐに見つける事が出来るので・・。
次の実際の演奏での試験でも、使用楽器はBösendorferのPianoを使用しています。(今現在のNHKのオーディションの形態は知りませんが・・)
次にプラスチック製のfluteと1200万の村松fluteを吹いているのを聴いていて、ふと思い直して、「これは総ての楽器が同じに鳴るように、番組のために、非常に高度な演奏技術を駆使して、鳴る楽器は鳴らないように、鳴らない楽器は恰も鳴るように・・演奏しているのかな??」・・と思い至りました。
そうならば、それまでの演奏家達は、凄い演奏技術の妙技を披露したのですよね~ぇ??
素晴らしい技術力を持った演奏家達ですよね~ぇ??
すっかりと、刮目して・・見直してしまいました。
Bravo❢❢ 
très bien❢❢
コメント
純子斉藤
ぷっ😅💨
· 返信する · 1年前
芦塚 隆
今の日本人には難しすぎる感性ですよ。
日本人って誰もが上手く弾けたり、ドライブできたりするのが優秀な車だと思い込んでいるから。
ヨーロッパの(特に一部のイタ車なんかの私のいいとこが分からないなら他へ行ってみたいな)じゃじゃ馬は日本では評価されない。
相手の癖に合わせてドライブするってのが楽しいのにね~
悪女が好まれるゆえんですよ。
あのテレビ、ヴァイオリンのパートだけ見ましたけど、あれで面白かったのは「遠鳴りする楽器」って言ってたとこ。(わざと?)遠鳴りしないような演奏をしてたのにね~ 
ヨーロッパの小さなオケのコンマスをしている友人がストラリバリを持ってますけど、数年たって「やっと癖が飲み込めた」って言ってました。私には最初の頃の音だってすごいと思ったんですけどね。
でも、数年たったころの彼のオケの音もなんだか違って聞こえた。
余談ですけど、彼の先生がオリジナルピッチのまま(改装してない)ストラリバリを持っているそうです。それは本当に聞いてみたかったけど、、、
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
未改造のstradivariusですか⁉それはbaroque専門の音楽家にとっては垂涎の楽器ですよね⁉古楽器専門の演奏家にとっては夢の楽器です。つい2,3年前にエルミタージュで未改造のstradivariusが発見された・・・という報道があって、超驚いた記憶があります。音を聴いて見たいのですがネ?
· 返信する · 1年前
芦塚 隆
オリジナルのは友人の先生ので、私も見たことがありませんし、音を聞いたこともありません。なんとしても聞いてみたかった。なんせ、物がないですからね~ 当時は彼はオリジナルのはこれ一台だけかもしれないって言ってましたけど、エルミタージュにもあるんですかね。
このクラスの物の場合、弓を合わせるのはどうやるんでしょうね~ なんて、このクラスを求める人は情報やネットワークは十分に持っているんでしょうけど、、、
もっとも、私は、1万円のバイオリンと弾き比べられても分からないでしょうから、、気にしても無駄ですね。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
弓の場合は楽器本体と違って耐久年数が全く無いので、現物は楽器博物館等で残っていたとしても、演奏は出来ません。弓の寿命は一世代ぐらいしかありません。しかし、baroque時代当時の木材の材質やしなり具合等はかなり詳しく研究されていて、復刻modelもかなり具合の良いbowが作られているので、演奏上の弓自体には問題無いのですが、所謂、当時の論文の曲解で、Europaの有名な古楽器奏者達や団体等でも、eccentricな乱暴な演奏が主流である事はperiodの復活の過渡期の時代だとしても、残念な事です。当時、使用されていたgut stringは、そう言った現代の演奏者の乱暴な演奏styleには耐えられないで、直ぐに切れてしまったと思われるし、また、当時の演奏は貴族や宗教階級の音楽であって、もっと上品な演奏であったと思います。Hallも現代のコンサート・ホールのように巨大ではなかったので、それだけの音量は必要なかったので、hysterics‐Cembaloでも充分の音量であったはずなのです。古楽器奏者達はもう少し、当時の時代考証を研究すべきだと思います。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
最後が合唱で、日本人の世界的proの合唱団とそこそこの合唱団の聴き比べをしていたのだけど、タレントの青年が「自分はドイツに居た事があって、ドイツ語が正当だから、こちらの方が・・」と言っていたのだけど、私はどちらが世界的合唱団・・か、全く区別がつかなかったので、チョッとShockを受けて、You Tubeでドイツのproの合唱団の演奏を聴いて見ました。安心したよ❢❢ やっぱり、全く歌い方が違っていた。ついでに、SchumannのZigeunerleben(日本語訳では「流浪の民」かな??Tölzer Knabenchor で聴いたけれど、やっぱり、発声が全く違うのだよな?? 日本人独特の発声法は好きになれないのだよな~ぁ??


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10月9日「10月9日の2時半の夢」 ·
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久し振りで、超、怖い夢を見て目が覚めた。
高速の分岐の入り口で車が渋滞で止まってしまって、多くの人達が車を降りていたので、車を降りて前方の方へ歩いて行くと、分岐と思われる反対側には多くの人達が立ちすくんでいる。
縁のない平坦な高架の端には、頭が端にめり込んだ人達がたくさんぶら下がっていて、路面には蝿のように潰れて血だらけになった死体があちこちに転がっている。
制服を来た国鉄の職員と思しき人達が整列をして、腰を低くかがめて敬礼している。
死者への黙祷なのだろうか??
speakerからは「閉じ込められた人達には毒団子を配布する事に国が決めた」と流れて来ている。
「こんな所で、死んでなるものか❢」と歩き始めるのだが、縁のないツルツルとした路面は、捕まる物が何もなく、今にも縁から真下に落下しそうで、少し歩くのも怖いのだ❢
遠くの方を見ても、何処にも下に降りれる階段のような箇所がなくて、遠くの方まで延々と高架が続いているのだ。
その道のあちこちにも、下に落ちた人達の残した必死の血の跡が縁に見受けられるのだ。
いったい、何が起こったのだ??
それさえ分からないで立ちすくむ人々
これは、事故のようなものではない・・天変地異なのか??
それにしても、寒い
・・・余りにも寒くて目が覚めてしまった。
窓という窓を閉めて回る事にした。
風呂を温めて、体を温める事にするか??
今は10月9日の早朝の2時から3時になろうとする所だよ。
練馬区の天気予報によると、朝の6時頃には18℃の予想だそうな??
否、体感的には、今現在もう既に18℃の感覚だよな~ぁ??
それにしても、超、寒い❢❢
SF調の怖い夢を見た。
私がこの恐ろしい映像を絵に描ければ良いのだが・・??


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10月9日 江古田のau-Shopが撤退して、その跡が·
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10月の9日水曜日の朝の3時です。
寒くて目が覚めた所からの続きです。
江古田のau-Shopが撤退して、その跡が馬刺しの赤提灯に変わっていました。
熊本の馬刺しは興味があるので、今日は、毎週火曜日の「ボッチ食事day」なので、偵察を兼ねて馬刺しを食べに行きました。
云~々??椎名町の馬刺し屋よりは少しはマシかな~ぁ??
今は亡き渋谷の八賀よりは大分rankが下がるわナ~ぁ??
発表会後の打ち上げに皆で来る程の店でもないワな~ァ??
生を一杯と有料の緑茶を飲んで、少しほろ酔い気分だったので、総てをそのままにして、取り敢えずは寝てしまいました。
・・で、超、夢見が悪くて目が覚めたのだけど、気分が悪いので、(酔っ払って・・ではなくて、夢見が悪くて・・ですが・・)風呂の沸くのを、テレビも付けないで、ダラダラと待っている所です。
曲も聴きたくないし、パソコンの仕事もしたくない・・・、何もやる気がない・・・・、無気力な鬱状態なので・・ネ???
風呂に入って、なんとか体は温まったのだけど、鬱が全く取れないので、寝るのは諦めて、気分転換にseven回りの散歩に出掛ける事にしました。少しでも、体を動かすと、体調が良くなるような気がしたからです。
今日はテレビでは、一日中、絶好の洗濯日和と言っていたのだけど、玄関のドアが全く開かないぐらいの、超、大風が吹き荒れています。
何??・・台風がもうやって来たのかな??
風が唸り声を上げています。
寒い❢❢
テレビでは18℃、19℃ぐらいと言っています。
体感的にも18℃くらいかな??
部屋の中は窓を締め切ってしまったので、蒸れて蒸し蒸ししていますが、ドアを開けると超寒いです。
今はお昼の12時を過ぎた所ですが、22℃とまだ結構寒いです。
お昼の3時4時を過ぎた頃には、少しはお天気も良くなって来たのですが、すぐに夕方の6時を過ぎた頃には、また21℃になってしまいました。兎に角寒いのですが、流石にストーブでは、オーバーだしね⁉
明日の朝は16℃の予報だそうです。
それはマジ寒いぞ⁉


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10月10日 腹の膨満感で吐き気がして·
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今は10月10日の朝の7時である。
今日は発表会直前の最後のlessonなので、お昼には千葉の教室まで、移動する日なのだが、朝早くに、目が覚めたのは良いのだが、腹の膨満感で吐き気がして、頗る気分が悪い❗
取り敢えず、常備薬を飲もうと思ったのだが、胃の消化不良で胃酸が出て膨満感、若しくは消化不良で気分が悪いのか、神経性胃炎で胃酸が出て気分が悪いのか、はたまた、鼻水と頭痛もあるので、胃風邪なのか、全く判断が出来なくなって困ってしまった😵💧
その原因で、飲む薬が全く変わって来るからだ。
私は、消化不良ならば、昔からの古い薬であるガロールを飲む事にしている。神経性胃炎の時には、色々な薬を試したのだが、太田漢方の神経性胃炎の薬が一番合う。胃が荒れて痛む場合には、病院からの薬を飲んでいる。胃荒れを補修する薬は、市販の薬では、弱いからである。
胃風邪は、病院に行かないと対処のしようがないので、病院に行くまでの間には、せいぜい胃の痛みを取る薬を飲みたい所だが、病院で出す薬との、競合もあるので、出来る限り、薬は飲まないようにしている。
夏風邪の可能性は、真夏用の肌掛け布団では、今の時期(この所)は寒いとは思っていたのではあるのだが、押し入れから、合いの布団を出すのが、億劫で面倒くさいので、出さなかったので、自業自得なのだよ。
普段は、胃の調子が悪い時には、結構明確に症状が出るので、こんな判断に困る事は珍しく、今回のようなcaseは稀だ❗
しかも、その胃の症状によって、飲む置いてある常備薬の種類も全く変わるので、そこが判断出来ないと、常備薬すらも飲めなくなってしまって本当に困ってしまう❗
兎に角、今、なんとかしないと、気分が悪くて吐いてしまいそうなのだが、はてさて、どう判断したものか❔
それにしても、鼻水等で全く眠れなくなってしまったのには参ってしまった‼
取り敢えずは、胃酸を鎮めるために、梅湯を強めにして飲む事にした。梅湯を飲んで、休んでいたら、膨満感が取れて来て、胃酸のムカつきが少し楽になったら、胃のキリキリ痛みを感じるようになって来ました。という事は、神経性ではなく、胃荒れによる胃炎だったようです。




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10月11日なんと❢しっかりと、1㌔も肥っていたのですよ?? ·
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昨日の10月10日は秋の発表会の直前の最後の私のlessonでした。
・・というお話ではなく、その前日の深夜から腹痛が起きて、lessonの当日には1日中何も食べる事が出来ませんでした。
東京から千葉に移動する時についでにコンビニに寄って、場繋ぎ程度に、レトルトの梅粥を一袋買って、教室で食べて、lessonに臨みました。
・・で、今日起きた時の体重測定なのですが、なんと❢しっかりと、1㌔も肥っていたのですよ??
どうなって、いるのだ??
不思議だ???分からん❢❢
lessonのvideoや、オケ練習のvideoが長時間録画された場合には、videoが時折、読み込めなくなったり、SDcardがvideo-recoderに読み込めなくって、Panasonicのvideo-RecorderのDigaで、いつもはBlu-rayの50Gに焼いていたのですが、それが出来なくって困っていました。
パソコンのpowerdirecter16でBlu-rayの50Gに焼こうとすると、50Gに対して僅か1メガしか空き容量がないために、作業領域不足のために、何度焼いても焼く事が出来なかったのです。
昨夜もlessonのvideoのSDcardを、超急いで、発表会用に開けなければならないので、powerdirecterで、Blu-rayに焼こうと思ったのですが、容量がその状態になってしまい、焼く事を断念したまま寝てしまいました。千葉でのlessonが終わって、椎名町の事務所に辿り着いたのが、cinderella-timeの12時過ぎになってしまって、ハイツに帰り着いたのが
2時を過ぎてしまっていたので、さっさと諦めてしまったのですよ。今朝は、videoの編集softであるCyberlinkを開く前に、netで「何故焼けないのか?」を調べる事に専念をしました。
何事もチャレンジしてみるもので、検索を何度も、色々と言葉を変えてして見た結果、なんと、その原因が見つかったのですよ。
Blu-ray-disc を焼く時の、Encode形式を二者択一の内の「H.264を選択する」・・と良かったのです。
「たったそれだけ・・??」まあ、computerは、そんなもんですよね~ぇ??
これで、少し仕事が捗るかな??


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10月12日羽毛布団のお話 ·
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過日の9日の水曜日の夜辺りから、超、暑かった夏に、タオルケットの代わりに、已む無くジャパネットの通販で買った超薄い夏用の肌掛けで寝ていたのだけど、流石に、秋も深くなって来て、寒くなって、押入れの中を合いの布団をさがしたのだけど、合いの布団では寒過ぎる時用に、イトーヨーカ堂で買ったふかふかの毛布や、膝掛け毛布しか出て来なくて、後は、冬用の厚手の羽毛や、綿の布団だけでした。
「毎年・・というか、今年の春も着ていた・・合いの羽毛布団は何処に消えたのか??」と斉藤先生に尋ねたら、なんとコインランドリーで洗濯するために、椎名町に、私の合いの布団が全部行っていたのです。(椎名町には、毛布や布団が洗濯出来る大型の洗濯機が置いてあるコインランドリーがあったので・・・、そこに運んで洗濯するつもりだったのですが・・)


・・と言う事で、洗濯するつもり・・のままに半年間も過ぎて、またまた、合いの季節になってしまいました。

今日は台風が来ているので、「流石に、大雨の中を布団を持って帰るのは難しいので、」・・と思ったのだけど、もう既に寒くて風邪気味になっているので、これ以上夏の肌掛けでは無理・・という事で、リュックに入れて背負って、頑張って、バイクで雨の中を帰って来ました。
しかし、コインランドリーで洗濯するつもりで半年間そのままになっていたので、兎に角、臭いし、ダニもたくさん生息していそうなので、先ずは、テレビのコマーシャルのように、布団を吊るして、ファブリーズを何度もして、それから、レイコップで殺菌消毒を丁寧に何度もしました。(写真1と2)
夏用の超薄手の羽毛布団(写真3)はハイツで丸洗い洗濯をする事にします。アハッ!
どうせ、コインランドリーに持って行くために、椎名町に持って行っても、また、半年経って、肌掛けの季節になってしまうのでね・・??



今日中に寝れるようには、・・出来るかな???
体力が無いので、少しづつしか出来ないのでね??




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10月12日台風と酒盛り ·
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今日は10月12日の土曜日、台風が近づいて、雨や風が段々酷くなって来ている時間なのです。部屋の中は、少し蒸れて来ているので、ベランダに折り畳みの椅子と、beerを持って来て、雨風をつまみに、酒盛りを始めた所です。風が冷たくて頗る気持ちが良いのです。


コメント
千野 由実
こんな日に酒盛りなんて!思いつかなかったです!!
今日の湿度は、大丈夫なんですか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
湿度は最悪なのだけど、外は超、寒いので、部屋の中の方が湿気っぽいので、ベランダの方がましです。段々、雨が強くなって来て、流石にベランダに椅子を出したまま飲んでいては濡れてしまうので、折りたたみの椅子を部屋の中のベランダの出口に置いて、体は部屋の中に移動して飲んでいます。勿論、パソコンは勝手に編集作業をしています。珍しくBeerを3缶もお代わりしたのに、未だ、眠くならないので困っています。台風よりも、睡眠不足のrotationの崩れが、明日の指揮で心配です。・・てな所かな??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
超、部屋の中の絨毯が湿気って気持ち悪くなって来ました。クーラーを除湿にすると、寒くて困るので、除湿機を出して来て寝室と居間を同時に乾燥させている所です。部屋が寒くならないので楽で良い❢5時半で台風は大分近づいているはずなのだけど、雨風は朝と余り変わりません。9時頃・・という事は後、3時間半後ですか??


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·10月12日台風の思い出
プライバシー設定: 公
未だ、東京に台風が近づいて来るには時間がありますが、雨はだいぶ、降って来ました。風は未だのようで、今日の夜の9時以降なので、台風が本当に近づいて来るまでには、未だ12時間以上はあるようですが、雨のベランダで、缶ビールを飲んでいる次いでのデジカメの動画をupしました。(動画はありません。)
小学6年生の時に諫早の大水害の時(1時間に750㍉の降雨量だったのかな?記憶は定かではありませんが・・)には、当時私が住んでいた祖母の家は小山の高台で問題は無かったのですが、市街地は眼鏡橋の氾濫で大洪水で私の小学校のclassの優等生の美人の副級長の女の子が亡くなってしまいました。しっかりとした女の子なので、人生をたっぷりと生きて来たように思ったのだけど、よくよく考えると干支分しか生きていなかったのだよな??これからの人生だったのだろうけれど・・?? 
ドイツから帰って来て、大学の講師をやっていた頃には、長崎の大洪水で、長崎の家が床下浸水をした・・との事で、東京から車を飛ばして駆けつけたのですが、街に入る道路を全て自衛隊が封鎖していたので、自衛隊のいない山道を探して、ナビも何もない時代でしたが、農道の山越えの・・(車がギリギリの農道を、)山越えをして街に入りました。勿論、農道は荒れて道とは言えなかったのですが、マツダのサバンナというラリー・カーだったので、道なき道を問題なく走る事が出来ました。当時は未だ4駆は余りなかったので、当然、2駆だったので、それなりに大変だったのだけどね・・❢❢ 一般の民家は当然の事なのですが、大きな小学校や河川の堤防自体も崩壊していて、惨憺たる様子を見ながらの帰省でした。家に到着するとすぐに、休む暇もなく、畳を全部上げて床下の土をスコップで掻き出したりで大変だったのですよ。お袋さん、家が臭くなる・・って、待ち兼ねていたのでね・・??
人間齢いを経ると、まだまだ色々と経験はあるけれど、まあ、それはまたの機会にしましょう??今日は台風は未だで、直撃はこれからなので・・ね??



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10月12日練馬区にも大雨特別警報が初めて発令された ·
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練馬区にも大雨特別警報が初めて発令されたと大騒ぎをしています。
風や雨の様子を動画に撮影しようと思ったけれど、真っ暗で映像は全く撮れませんでした。
音声だけ・・と思ってください。(動画はありません。)
勿論、ハイツの部屋からの撮影で、撮影に関しての危険は全くありません。
それはそうと、大雨大風の場合には行政の放送は風雨に打ち消されて全く聴こえません。
このように、声は聴こえても何を喋っているのかは、全く分からないのですよ。西日本豪雨の時にも同じ報道があったはずなのですがね??
停電になった時のトイレの水の話とか、飲水の話とか、結構大騒ぎになっているようなのですが、私が若い頃は停電や、断水は日常、当たり前の事だったので、何の問題もなかったのですよ。
それにMansionの場合には、水のタンクは屋上にあるので、電気が無くても、自然落下で、1日2日は持つのですよ。バルブを閉めての工事ではないのでね??
日本中が大騒ぎをしたトイレットペーパーの騒動の時も、普通に買ってあったトイレットペーパーのストックだけで、トイレットペーパーを買いに行く事はありませんでした。一月も経たない内に、普通に売っていたよな~ぁ??
今回の車のガソリンも、千葉の発表会の会場までは充分に持つ予定なので、発表会が終わっても東京までは、なんとかギリギリ、セーフで帰れるのだよ❢❢
そのためにわざわざスタンドに給油には行かないよな??
東京に戻ったら、次の車の使用は2週間後なので、それまでにはガソリンスタンドも正常になっているはずなのでね??
私の若い頃には、飲料用の浄水から下水にするのは常識だったのだけど、今は豊富に水がノブを捻れば出るので、大騒ぎだよね?
ハイツのガスボンベは1本だけを残して、残りの2本は椎名町に寄付しました。
必要はない・・とは思うのだけど、忙しくなって料理が出来なくなってしまうと、調理の手間の省ける「鍋物」になる可能性があるのでね??

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コメント
萩元 美紀
雨は都内の方が酷いようですね。こちらは風がすごいです。
明日の千葉への移動、お気をつけください。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
有り難う❢❢練馬区では10時半を過ぎた頃から、ピタリと風の音も雨の音もしなくなってしまいました。ドアを開けて、外に出て確認をしたのですが、通常の強い雨で、台風性の雨風ではありませんでした。このまま、かな??それとも、台風の目・・とか??
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
芦塚 陽二 台風は春日部のほうだったのであそのまま弱まるかもですね。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
明日は朝が超早いので、発表会の準備を開始しないと、徹夜になってしまうのだよな~ぁ??先ずは風呂に入って髪の毛を洗う所からかな??準備の順番を出さなければ❢❢


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10月12日高速道路も、全面閉鎖 ·
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まあまあ、高速道路も、全面閉鎖というのは大変だよな??
明日の朝6時からは、走れるのかな??
走れないとすれば、一般道なので、時間計算が大変なのだよな~ぁ??千葉までは、一般道路では、2時間以上掛かるよな??積み込みや、開始時間に間に合わなくなってしまうよな⁉
3時過ぎになって、台風一過で、雨風もすっかりやんで、超静かになったけれど、首都高の地図は相変わらず真っ赤っかのままです‼
詳しく調べたら、次の地図の更新は、朝の6時だってサ⁉
6時は、もう千葉への出発の時間なのだよ‼
閉鎖自体は確認が取れた所から解除するらしいのだけど、道路の地図も閉鎖が解除された所から、暫時、更新しろよな~ぁ⁉
予定がたたないのだよ‼
「道路は国の血液」という発想はないのかね⁉
コメント
芦塚 陽二
余りにも静かなので、外のドアを開けて見たら、秋の虫が鳴いていたよ🎵秋深し🎵だってサ⁉



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10月14日 台風当日の発表会·
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今日は発表会の次の日の朝・・・と言いたい所なのですが、まだ、深夜の3時頃です。
体調不良というか、胃のムカつきと吐き気が酷いので、今日は発表会で大汗をかいたのだけど、取り敢えずは、風呂にも入らないで、videoの取り込みもしないで、取り敢えずは、寝る事にしました。
死んだように5時間近く眠って、未だまだ深夜の3時頃なのですが、toiletーtimeで起きた所なのです。(toilette-timeは、加齢でtoiletteが近くなった分けではなく、度重なる造影剤での手術で腎臓の機能が低下しているので、お薬によって利尿作用を上げているからなのです。)
昨日の発表会は、台風のために、高速道路が閉鎖されてしまったので、予定の6時の必発timeよりも30分も早く出発出来るように、早めに椎名町にハイツから移動したのですが、積み込みに手間取って、必発timeよりも、逆に15分も遅れての出発になってしまいました。
15分の遅れなのですが、「6時までには高速道路の閉鎖が解除されるかな?」と期待していたのですが、どの入り口も閉鎖されてしまったままで、已む無く一般道を走って千葉に向かいました。
でも、検見川教室着が、必着時間から15分遅れだけの遅刻で済んだのは、奇跡かな⁉
台風一過の雲一つない超爽やかな秋晴れとは真逆の、運転中から、体調不良と胃のムカつきが酷くなってしまって、到着してすぐのcameraのsettingの時や、リハーサルで指揮をしている時にも、超大汗をかいて、舞台から落ちそうに、ふらついてしまったのですが、美紀さん達は「台風の気圧のせいもあるのかな⁉」とも言っていました。
すっかり気分が悪くなったので、発表会の本番中は楽屋で、指揮をする以外の時間は、臥せっていたのですが、第4部のPachelbelのChaconneからStamitzのviola-concerto、それからPichlのKontrabass-concertoの指揮は、とても体力的に無理だったので、順番を変えて貰って演奏しました。
Pachelbelを最後に持って来れば、安心して燃え尽きる事が出来るからです。アハッ!
先生達が「胃のムカつきは、台風のベランダでのbeerの飲み過ぎのせいだ‼」と言っていたのですが、ベランダでの、ボッチ飲みは土曜日の夕方の未だ早い時間の話しなのですよ。
土曜日の夜遅くまで飲んでいたのならば、出発は早朝の6時なので、それでは飲酒運転になってしまうので、絶対に夜までは飲む事はありません❗
飲酒運転にならない絶対時間は、7時間以上を必ず開けなければなりません。
土曜日のベランダのボッチ飲みからは、半日ぐらいの時間(12時間)が経っているので、飲酒による胃のムカつきではありませんよ❗
それから、私個人では、「今回の発表会は、出演者の生徒達が、驚く殆ど、上手に演奏出来た❗」と、喜んでいたのですが、先生達の感想では、発表会直前に台風がやって来たので、外に遊びに行く事も出来ないし、学校も休みになったので、家に閉じ込められて、練習しか出来なかったので、驚く殆どの演奏が出来たのだそうです。アハッ‼👀
まあ、普段の練習でダメだった所は、律儀に本番もやっぱり、ダメだったのだけどネ?
そこをネチネチ言うと、老人の世迷い言と言われてしまうのでね??
軽く行きましょう??leggierrissimoでね??
コメント
千野 由実
朝早くからお疲れ様でした。
毎度ありがとうございます。
外出できないからといって、然程やってなかったですけどね?!笑
· 返信する · 1年前
萩元 美紀
昨日はお疲れ様でした。
午前中のリハが良かったのでは?舞台慣れしたとか…
交通機関も乱れていた中予定通り開催出来たこと、すごいです‼️


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10月14日 『video撮影に関してのお話です』·
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今日は10月の14日の月曜日(発表会から一夜明けて)の朝の5時を過ぎた所です。
昨夜は発表会で、指揮をして、超汗をかいてしまって※)、すっかりとバテ切って、気分も超悪くて、息も絶え絶えに、ハイツに辿り着いて、何も出来ないままに、倒れ込んでしまいました。
※)指揮をすると大汗をかくのは、いつもの事なのですが、汗には良い汗と悪い汗があって、昨日の発表会での指揮の時の汗は体調不良による「超悪い」・・汗でした。
・・と言う事で、昨晩は入る事が出来なかった湯船に入って、少しreluxをして、髪の毛を洗って、なんとかサッパリしました❗
・・一晩寝て風呂にも入ったら、体調的、気分的には、だいぶ楽にはなったのだけど、元来の体調不良の原因の「胃のムカつき」が取れた分けではないので、梅湯を朝起きた時からガブ飲みしています。
つまり※)、朝、と言うか、深夜というか、夜の2時半過ぎ頃に、起き出してからは、後片付け等の雑用や風呂にも入ったし、等々で、もう9時を過ぎてしまって、もう既に、7時間以上も経っているのにも関わらず、未だ全く何も食べれない状態です。
・・でも、痩せないのだよな?不思議だ❢❢
・・※以降の文章なのですが、詳しくは・・)『・・・それから、昨夜の脱ぎっパの服や、出しっパの荷物を整理しながら、並行して、videoをパソコンに取り込む作業を開始しました。』
・・・とは言っても、この「取り込みの作業」だけで、今日の一日のパソコン作業が終わってしまうのではないのかな??
それ程でもないのかな??
『video撮影に関してのお話です』
「solisteや指揮者のupのangle」の撮影には、4Kのvideo-cameraで撮影します。
勿論、映像の写りが良いからなのですが、でも、4K・・・とは言っても、実際には、4Kの画質で撮影はしてはいません。
その理由は、・・仮に「4K」で撮影したとしても、そのdataを保存する事も、再生する事も出来ないからです‼
4Kで保存するには、それなりの保存先が必要になるのですが、勿論、発表会のvideoであったとしても、そのdataを、Blu-rayのdisc に保存する事は出来ません。
今回の発表会は、4台のvideo-cameraで撮影しましたが、そのdataの合計量は600Gになります。
勿論、そんな量を保存出来るBlu-rayのdiscはないので、hard-diskに保存する事になります‼
教室では教室用の保存のためには、50GのBlu-ray‐disc を使用していますが、それ以上の100Gのdisc には、今のBlu-ray‐recorderでは、100Gの再生は出来ないものが多いので、それには、専用のBlu-ray‐recorderを購入する必要があります。
勿論、パソコンの場合も同様で、殆どのパソコンでは50G迄しか対応は出来ないのではないでしょうかね(2019年10月現在のお話です。)
と言う事で、4Kで録画出来ないのは、・・先ずは保存するhard-diskの問題や、4Kのテレビを持っている人の人数の問題です。
残念ながら教室の事務所やハイツに自宅には、4Kのテレビは未だ一台も買っていません。
教室でのvideoの撮影や、You Tubeでの音楽の鑑賞には、4Kは遠い未来の話だからです。NHK のサッカー鑑賞は全くしないし、名画の鑑賞もhi-vision‐テレビで充分だからです。(勿論、お金と場所の問題ですがね??)
hi-visionの画質ではあるのですが、実は毎回のオケ練習や、室内楽の練習をvideoで保存しています。
勉強の為が、主な理由なのですが、勿論、それだけの事ではなく、後々のvideoの編集の時や、生徒の指導の時にも、古い発表会の練習風景のvideoをcheckする事がよくあるのですよ。昔は、保存がvideo‐tapeだったので、劣化が酷くて、編集が終わった段階で、資料は廃棄していました。
勿論、hard-diskで残すのは経済的にとても無理だったからなのです。
時折、練習のpoint等の質問を受ける事があるのですが、lessonのvideo‐tapeが残っていたら、You Tubeにでもupしておいて、「lessonを見て於いてください。」と事前にlectureを済ませておく事が出来ます。
lessonvideoは、camera1台だし、時間も1時間なので、保存する事は可能かも知れません。
しかし、「発表会までのone‐coolの練習風景の総て」と、「発表会当日のvideoのdata全体」では、軽く1Tを越してしまいます‼
たった、それだけの保存でも、hard-diskの領域になってしまうのだよな~ぁ?
勿論、Blu-rayのdiskに保存出来れば、それは未だ「安上がり」なのですが、そんな500Gや600Ḡを保存するdiskはないので、どうしても、tera‐class(テラ・クラス=一兆クラス)のhard-diskに保存をする事になります。
勿論、4テラのHDDを買ったとしても、2年分のオケ練習と発表会の動画の映像を保存出来るかは難しい所なのです。
保存という観点では、未だ動画の保存は難しいのですよね??hard-diskの寿命も、2年という人もいるぐらいですからね??
『videoの編集作業のお話』
編集作業のお話なのですが、先ずは、撮影したvideo-cameraの画像をパソコンのhard-diskにcamera別に「4Kーcamera」、「赤カメ」、「白カメ」「黒カメ」等々に分けたfolderに、別々に取り込んで、それぞれの動画を保存をします。
【今回は、生徒数が減ったので、運良く。゚(゚´Д`゚)゚。時間が作れたのと、発表会当日だけのorchestraのトラの参加者が多くて、初めて例外的の例外で、午前中にrehearsal をしました。】
そのrehearsal のvideoからの撮影なので、それぞれのcameraで、リハーサルのfileも作らなければなりませんでした。
video-cameraでは、実は、撮影開始から終了迄を一つのdataとして保存している分けではありません。
videoのdataはvideo-cameraの中では、10分起きくらいに、断片的に小間切れに保存されているのです。
videoのrecorderでは、自動的に、それが一つの画像として復元されて取り込まれますが、パソコンの場合には、dataをvideo-cameraが保存したそのままの状態で取り込んでしまいます。
dataが細かく分断されて取り込まれる事自体は、別に何の問題もないのですが、困った事には、その断片の小間切れの動画のdataは、(編集前のvideoでは、)数字でしか、分類されていないので、そのdataの始めと終わりの演奏の曲名のtitle等を書き込んで行かなければなりません。
それぞれのvideoの断片化された動画を編集する時に、直ぐにそのdataがどの断片化されたdataなのかが分かるようにするためです。
この七面倒臭い作業を予め済ませておくと、次の編集作業がかなりspeedyになって行くのです。
しかし、そのdataに名前を付けて行く作業は、昔のように、発表会のprogramが超多い場合には、曲数が100あるとすると、その数倍にもなってしまって、殆どendless状態の作業になってしまうので、「曲を編集する作業」の時に、その次いで・・次いでにやる事にしています。
ああ、そうだ❢❢ ・・このdisc を保存するのに要するdata量の数字は、あくまでも計算値なので、実際には、撮影した時間でそのdata量が決まります。
126GのSDcardでも半分しか使用していなければ、容量や掛かる時間も半分になります。
当たり前の事だけどね??
勿論、それぞれのSDcardの使用量を調べる事は簡単なのだけど、それをやる意味はないので、ここでは絶対値のお話しか出来ません。
126GのSDcardは、hi-visionの画質では、11時間程は録画出来るので、多分、1枚当りのSDcardの使用量は、発表会では半分程しか使用しないのでしょうかね??
とだけしかお話出来ません。
計算する場合には、常に最大値の計算でやるのでね??
コメント
芦塚 陽二
あれれ??朝の11時迄にはパソコンへの取り込みが終わったぞ??
次はrehearsal のvideoのfile作りだなや??今日はそこまでで良いか??体調も未だ未だだしな??
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
白カメのrehearsalの動画がないぞ‼これは困った😭
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
夕方の・・というか、もう夜の8時に何々とするのに、未だそれぞれのvideo-cameraの動画を1本化する作業を延々とやっている。未だ、編集作業の前の下準備作業中なのだよ~ナ??編集作業の前の下準備作業だけで1日終わりそうだな~ゃ??発表会開けの月曜日はこの作業だけで1日が終わるのか??それも、嫌だな??



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10月14日『子供が練習を全くしない』 ·
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10月13日の日曜日の発表会の楽屋での私を尋ねて来た人達とのお話の内容は、もう100回もお話してきた『芦塚音楽教室としての教育の基本的なconcept』のお話でした。
しかし、体調不良のままで、楽屋で、「寝ながらでも、お話をする姿勢」は、流石は、中々のものですよネ~ぇ??
我ながら、感心❢ 感心❢❢・・の自画自賛❢❢❢です。
今回の保護者の人達の悩みは、共通していて、『子供が練習を全くしない』・・という事でした。
保護者にとっては、子供が『勉強をしている姿勢』だけは見せて欲しくて、それで、自分が『頑張って「稼いでいる」事への充足感』が欲しいのだろうけれどね??
そうは、問屋がおろさないのだよな??
私の、methode上のconceptから言えば、「雑な内容の伴わない練習や勉強ならば、子供達の弊害にこそなれ、役に立つ事はない」・・というのが私の「基本的な考え方」なので、雑な練習をして下手になるのなら、練習をしない方が未だマシで、本当ならば、『集中した短時間の練習』で効果的、効率的な練習をする事の方が、本当に良い練習と言えるのだと思うのだけど・・ネ??
今回の発表会で、『子供達の演奏を聴いて』子供達の音楽の演奏が変わった・・、姿勢が変わった・・(勿論、・・良く変わった・・という意味ですよ??)という人が、何人か居ました。
その人達から、「何故?」「どうして?」「どうすれば??」と質問をされてしまって答えに窮してしまいました。
残念ながら、私はその問には答える事が出来ません。
何故なら、私は『子供達が自らに自信を持てるように』褒めて来ただけだからであって、何か特別な『子供達が自信を持つ事』が出来るような教育を施した分けではないからなのです。
・・だって、旧態然とした教育を受けて来た私にとっては、「全く練習しないで、あれだけ上手に弾けるのならば、わざわざ、無駄な練習をして、下手になる必要はないのではないか??」・・としか思えないのですが、何故、皆さん達は、子供達が、わざわざと、「下手になる事」を望むのでしょうかね??
いや~~あ??不思議だ?? 
・・という事で、私のオケ練習や、one lesson等には、何のtrickも無い・・と言う事を、公開しているのですがネ?
「lessonでは、隠し事は全くしていないので、良く見てね??」と言う事です。
一度も、怒鳴らなくても、上手くなるのは不思議でしょう??それがtrickだったりして・・・??
・・・てな事を言っていたら、「無駄でない練習を・・更に、何時間もすれば、もっと上手になるのでは・・??」と言う事を、逆襲されてしまいました。
この答えについても、・・私達にとっては、『耳タコが出来る殆ど繰り返して来たお返事』になってしまうのだけど、答え方の方法論には、「+からの答え」と 「-からの答え」方があって、内容は「ヤヌスの鏡」※)とは真逆の発想で、表裏一体、入り口が違うだけの同じ物なのだけど・・・
『毎日、受験のために最低7時間の練習を、物心ついた頃から続けて来た学生』に、練習の目的とその意味と方法と、その内容を説明して、練習の仕方を丁寧に教えて・・・と、無駄のない練習をするための方法論をlectureをしたら、1時間も練習しない内に、「とてもこんな練習は出来ません。」とネを上げてしまいました。
※)ヤヌスの鏡の場合には、同じ物に見えて、中身が正反対の場合なので、私の言っている事とは、真逆の意味になりますよネ❢❢
勿論、その逆もよくあって、教室では、1,2時間しか練習出来ない生徒が有名教授の元に行ってlessonを受けるようになったら、(ようするに、引っこ抜きにあって・・先生を変わった・・のだけど・・・)その先生に変わった次の日から、『毎日7時間の練習』が出来るようになって、御両親が「やっぱり国立の先生は違うよね??」と喜んでいましたよ。
でも、ご両親とは・・意見が異なって、教室のお友達は、その生徒が、みるみる下手になったのを見て少なからず、shockを受けていたのですが、「その生徒が、先生を変わった事で、目覚ましい技術の向上が見受けられた場合には、自分達も先生を変わろうか??」と、思っていたのかな??
知らんけど・・
親も子供(生徒)も、自分の判断で、私よりも優れた先生だったら、喜び勇んで先生を変われば良かったので、それについては、私は、怒りも、悲しみもしません。
何故ならば、私が指導するよりも上手く成れるのならば、私が、私の生徒を丸投げしたいからなのですよ。
私よりもマシな先生がいたら、私が指導しないで、任せたいのでね??
だって、私はPianoの先生でもViolinの先生でも、ましてや、Celloの先生でも無いし、子供達を指導する事で私のタツキの糧を得ている分けではないので、ネ??
私は教育は道楽でやっているだけなので、経済的には、子供達を指導しない方が生活は楽なのですからね??
しかし、相手の先生の力量も判断する事もなく、親方日の丸と言う事で、先生を変わってしまっては、下手になっても、致し方ないのだけど、相手の力量を図る力も、それ自体も才能、能力の一つなので、それはそれで、淘汰なので、仕方がないのだよ‼
社会には、professionalとなる人達は、無数には必要は無いので、当然、淘汰されるのですよ。
しかし、著名な人達に師事出来た事だけを、人生の誉れとしても、私的には、全く支障はありません。
音楽界もNiveauで出来ているので、それぞれの階層では競合はしないのですよ❢❢
それに、気付かなければ、それなりに、人生は、幸せなのでネ???
まあ、そう言った大上段の世界の話は兎も角として、元の教育のお話に戻ったとして・・・、
つまり、意識をcontrolして練習の目的をしっかりと持って、きちんと練習をするのならば、とても、今の小学生や、中学生で30分以上も練習出来る生徒は、一人もいないはずなのですよ。
内容のある練習を7時間以上出来る人は世界的なProの演奏家でも、数人しかいないのですがね??
それが理解出来ますか??
私が「何も考えないで無意識にでも、その動作が咄嗟に出るまで無意識の練習を繰り返すのは、スポーツと武道だけだ‼」と吹聴していたら、超有名な武道家の人から、「武道の世界で、『無意識で動く』というのは、LEGENDと言われた人達の世界のお話しだけです。」と、怒られてしまいました。
「克己心」との戦いは、音楽も武道も共通なのだそうです。
無意識の練習は、武道にとっても、「時間の無駄」だ❢❢と言っているのですよ。
ひたすら計算問題を解く・・とか、漢字を何度も繰り返して書く・・とか、兎に角、学校は無駄で満たされています❗
教室に来る生徒の中には、自宅では全く楽器を触ろうともしないで、lessonにだけ来ている不思議な生徒が結構います。
勿論、親の悩みは「一度も楽器を触った事を見た事がないのだから、お金の無駄だからやめさせたい❢」という事なのです。
しかし、「好きなのか??」「嫌いなのか??」教室をやめようとしないで、極稀には、どういう吹き回しか、「発表会に出よう」とする生徒もいます。
しかし、不思議な事には、一般の発表会に来た保護者の人達は、その生徒が「全く持って練習しない」子である事を、誰も気が付かないのですよ。
何故なら、そこらの巷の音楽教室に通う真面目なちゃんと練習を毎日している子供達よりも上手だからなのです。
でも、何故??
答えは簡単で明白なのです。
「練習を一度もしなくても良いから教室にいらっしゃい??」というお誘いは、先生と一緒に練習をすると言う事なのですよ。先生と一緒に練習をする・・という事は全くもって、無駄な練習をしない❢❢・・という事なのです。
無駄な練習が全く無い20分、30分のlessonならば、それを週に1回だけ続けたとしても、無駄な練習を積み重ねる生徒達よりも効率が良いのです。
上級生の生徒達には私は仕事の4択を教えます。縦軸が時間で、横軸が出来上がりの精度です。4択で一番社会に認められるのは、速くて間違いの無い丁寧な仕事です。
社会はとても冷たくって教育的ではないので、本当は2番目の選択は無いのですが、敢えて、安ければ・・??という前提で、遅くても仕事が丁寧で正確ならば・・という選択も有り・・かも知れません。でも、あくまでも『かも・・』が付く選択です。
社会では、間違えた仕事は仕事としては成り立ちません。幾ら速くても、雑な仕事をしていたら、客は全員逃げてしまいます。ましてや、仕事が遅くて、間違いだらけでは・・幾ら「努力をした❢❢」と主張しても、その努力を認める人はいないはずです。
もし、いたとしたら、それは学校の先生ぐらいかな??
学校の先生達は、「出来なかったとしても、子供の努力を認めるべきだ❢❢」と主張される先生達が多いようです。
しかし、社会では、遊びながら作ったとしても、完成度の高い物の方が認められて、その努力が認められる事は無いのですよ。
Giftedの人達も、一般人の苦労等は全く分からないままに、素晴らしい作品を、何の苦労もなく作り上げます。
私達はそのgenieにホトホト困惑して、感嘆するだけなのです。
たかが『努力』で、食える程、社会は甘くはありませんよ。
高校生、大学生の時から、親から勘当されて、自立して生活してきて来た人間の述懐ですよ。
コメント
純子斉藤
全く練習しなくて楽しく上手になるのと、強制されてイヤイヤ練習して下手になるのと、どっちがいいのでしょうね?ほとんどの親御さんは後者を選びます。実に不思議なことです。


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10月14日発表会のvideoの編集 ·
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今日の日常❢❢
10月の14日の月曜日は、只管(ひたすら)発表会のvideoのパソコンへの取り込みで1日が始終してしまいました。
つまり、未だ編集までは行っていないのだよ❢❢
『怖❢❢』
先生達から「発表会の打ち上げ」のお誘いがあったのだけど、椎名町の焼肉屋は、安い所は超マズいし、高い所は、高い割には美味しくは無いし、・・と言う事で、「江古田の駅近の焼肉屋は美味しいけれど、超高いので、どうするか??」と、尋ねたら、「美味しい物を少量で❢❢」と、言う返事を貰ったので、江古田の駅近の焼肉屋に行きました。
久し振りに美味しい焼き肉を、少量だけど、食べて頗る満足したのだけど、やっぱ、量を減らしても一人6000円と、それなりに高かったよな??
まあ、味には、充分満足出来たから・・それで満足しないとね❢❢

Devil`s Trill悪魔のトリル Tartini=Kreisler Vl.古川紗來(13歳)七星ひかり(14歳)芦塚音楽千葉教室19年10月13日 - YouTube

今日は、朝早くから、videoのパソコンへの取り込みの作業をしていたのだけど、焼肉屋に行くチョッと前から、やっと、それぞれのcamera(mainの4Kcameraと黒カメ、赤カメ、白カメ)の編集の段階に入って、やっと、第4部のオケ・室内楽の部の一括編集の段階に入った所で、打ち上げに行って帰って来てから、更に・・2時間半程度の編集の作業をやった頃※)に、突然、4台のcameraの音声が後半では、全く整合していない事に気が付いた❢❢
※)この時点で、もう既に丸々1日半作業をしていた状態ですよ。
「これは何処からか、bugが入って来たのだよな❢❢」という事で、powerdirecterを編集の作業を延々と後戻りさせたのだが、幾ら後戻りしても、bugの箇所が見つからない❢❢
「それでは~~??」と言う事で、思い切って、videoを取り込んだ状態迄、遡ってcheckをしたら、なんと、最初のpowerdirecterに、取り込んだ状態の時に、既にvideoの後半がbugっていて、それぞれのvideo-cameraの音声がcamera同士で整合しなくなってしまったのだよ。
勿論、音声と映像も合っていないのだよ❢❢
これはShockだ❢❢ 超、参ったぞィ❢❢
それぞれのvideo-cameraで音声を録音する時の数字が違っていたのかな??
でも、video-camera自体には、音声を設定する所が無いぞ❢❢
何処でズレたのだ??
しかし、Stamitzの2楽章までは普通に編集は出来ていたのだよな~ぁ??
原因は分からないのだが、Ⅲ楽章の途中から突然ズレてしまったのだよ❢❢
多分、編集のsoftの性なのだろうかな??
頭も痛くなって来た所だし、今日は諦めて寝るか????
いや~あ❢❢私に限っては、出来ない事を諦めるのは、性格的に無理だろうな??
諦めようと諦めた。・・諦めきれずに諦めた❢❢・・てな歌があったよな??
仕方がないので、CyberLinkのcheckに、オケの曲ではなく、soloの曲を編集して見た。
・・・時間は膨大に掛かったけれど、何の問題もなく、出来たぞなもし??
じゃあ、なんで・・、何度もやっても出来ないのだ???
分からん❢❢
椎名町に返却してしまったSDcardを、もう一度、貰って来て、パソコンに取り込む所から、やらなくっちゃね~ぇ??
ああ、面倒くさ❢❢
取り敢えず、行程がsimpleなsoloの曲で、CyberLinkのtestに編集をしてみました。
結局、徹夜になって、そのまま、SDcardを取りに椎名町迄行って、プリドルのお散歩に付き合わされて、お昼を椎名町で食べて・・・
何かしら、endlessの作業になっているぞ・・❢❢
このまま、videoの編集だけで発表会休みが終わってしまいそうな雰囲気だよな~~❢❢


コメント
芦塚 陽二
いつもvideo-cameraの使い方と設置場所の問題が起こるのだけど、今回は、mainの4Kcameraが、斜めっていたのと、上手の赤カメのangleが、低くてsoloのViolinの生徒の頭が切れてしまいました。赤カメはConcertoのbasso continuoを弾いている位置を狙っていたので、soloになったら、angleを少し上げなければならなかったのだよな~ぁ??
やっぱり、cameraのangle決めは難しいのだよな~ぁ??
普段の自治会館のオケ練習やrehearsal の時にlecture練習が出来ると良いのだけどな~ぁ??私がオケや室内楽の指導しながら、camera‐angleのlectureをするのは、千手観音でもないと無理だぞよナ??



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10月15日真っ赤ッカのhard-diskのお引越し ·
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今日は10月の15日、火曜日の・・(な、な、な、なんと!)もう夜の9時です。
月曜日の夜は殆ど徹夜で発表会のvideoのパソコンへの取り込みと、牧野先生のnotePCのskypeとlineの復活の作業をしていたので、丸々一日がぶっ飛んでしまったので、火曜日のお昼を過ぎた頃から、熟睡してしまったのです。
・・と言う事で、(な、な、な、なんと!・・)に繋がります。
昨日の月曜日には、ハイツのmainのパソコンの外付けhard-disk用の「4Tのhard-disk」が椎名町に配送されて来ました。
・・と言う事で、この写真の真っ赤っかのhard-diskからのお引越し作業を始めています。
赤のhard-diskから、今年の半年分の発表会の動画を、新hard-diskにお引越しさせたら、全部のhard-diskが青色に変わって、総てが正常になるのだけど、引っ越し作業には、2、3日は掛かるのかな??
(実際にhard-diskのお引越し作業を始めてみたら、お引越しに掛かる時間は、「12時間超・・」と出て、明日のお昼までには、お引越し作業は終わりそうな予定です。)
・・明日、朝一杯と言う事かいな??
昨年度後期の(今年の)4月の発表会が終わってから、本年度の新しい(秋の)発表会へのオケ室内楽の練習風景の動画だけでも、1Tを超してしまうからね??
発表会の動画だけでも、video‐cameraが4台もあるので、合計すると600Gあるのだよ❢❢
『凄い❢❢』・・ゾナもし??
と言う事で、お引越しの作業の説明なのですが、それぞれの写真を開くと、その画面の説明を書いて起きました。
興味があったら、見てください。
一晩経ったけれど、未だ「後、5時間」の表示がされています。
コメント

塩澤 一範
これは負荷かかりそうな



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10月15日酸っぱくって食べれない青いみかん ·
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ミカンの季節になって来ましたよね?
食べるのには未だ酸っぱくって無理なのですが、もうすっかりと大きくなった青いミカンは、柚子やカボス、レモン等と同じように、柑橘系の調味料として、使用する事が出来ます。




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10月16日hard-diskのお引越しが終わった ·
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今日は10月の16日水曜日です。
今は、お昼の12時直前ですが、やっと、hard-diskのお引越しが終わりました。
やっぱ、半日掛かりですよね~ぇ??
では、次には欠落したdataを一つ一つSDcardから、取り込み直しのチマチマ作業を半日掛かってする事にします。ここ迄が今回の修復作業になるのかな??


あれれ??同時に2つは開かないぞ??

これは困った❢❢超面倒くさくなってしまったぞ❢❢
それでも、SDcardを全部再取り込みするよりも数倍は早いのだが、手作業になるので、面倒くさいのだ❢❢
やっと、取り込みが終わったので、次には編集作業なのだけど、その前に、パソコンのお掃除をします。
・・とは言っても、掃除機でKeyboardを掃除する分けではなく、デフラグをして、videoの編集作業が円滑に動くように、下準備をするのです。
大きなパソコンの作業をする前にはいつもやるroutineの作業です。
コメント
千野 由実
テラ❗️
ウチでは見ない単位です❗️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
テラになるのは、ビデオだけです。発表会だけで、600G使うので
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
ああ、肝心要のテラを忘れていました❗私は全くしないので、記憶になかったのだけど、ゲームがテラを使うよな⁉
· 返信する · 1年前
返信する...

塩澤 一範
最近では、テラ知られてきてます。ここ2、3年から、来てます。実際のところ見たことはありませんが、ギガの上の単位テラバイトですね。プログラミングの効果を上げる為に現在のプログラミングや、プロバイダーさんが、使い始めている話は聞いています。2進数で、計算する為1025バイトで1ギガでしたかっけ?


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10月16日bugの修正作業 ·
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2019年10月16日水曜日です。
今日は、丸々一日、パソコンへのvideoの取り込み直しと、前回bugってしまって、パソコンのdataの取り込みからやり直す原因になってしまった、4部のorchestraの曲を、やっぱり、真面目に1曲づつ、編集をし直しする事にしました。
手抜きをしようとすると、何処かで必ずbugってしまうので・・、面倒くさいのだけど、正攻法で勝負する事にします。powerdirecterの許容範囲の無さが問題なのだけどね?
・・と言う事で、今日一日は、超問題の演奏(大きな演奏のミスが何箇所かあった)であったPachelbel=AshizukaのChaconneの編集の作業に取り掛りました。
この曲は、演奏上の問題が多かったので、編集の作業は、私の根性の勝負ですよね~ぇ??
今は、もう夜の8時です。
マジに今日一日パソコンとvideoと格闘していたのだよな~ぁ??
疲れた・・❢❢
Chaconne in f Pachelbel=Ashizuka third-version 芦塚陽二 2019年10月13日 - YouTube
Pachelbel=Ashizuka Chaconne in f 第3稿

コメント
芦塚 陽二
原曲のimageが分からないと何をどの様に編曲をしたのか??・・は分かりませんよね??
・・という事で、originalのbaroque楽器での演奏を探して見ました。
曲の演奏で、Variationの間で曲が一々止まって、演奏の間が開いてしまうのは、音色を変えるためのregisterの操作が、現代のOrganのように、演奏しながらは出来ないからです。
古いbaroqueの楽器の悲しさなので、そこは問題にしないように・・歌舞伎の黒子のように思ってください。
この演奏は非常に秀逸な古典の知識と理解のある良い演奏です。
現代のmodern-Organでの、現代的な演奏とは一線を画していますが、こちらの演奏の方が正統なのです。

J. Pachelbel - Chaconne in F minor - Hauptwerk - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=WsqUlyn0qzI
芦塚 陽二
この演奏は、盲目のオルガニストであり、Organの神様と言われているWalchaの演奏です。
流石に素晴らしい。でもmodern‐Organの演奏です。

Johann Pachelbel (1653-1706) Chaconne in F minor - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=APPMsTpHhaY



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2019年10月18日 ·
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今日、10月18日金曜日の朝の7時半ですが、練馬の現在の気温は14℃だそうです。
お昼に掛けても、温度は上がらないようです。
折角出した薄手の合いの羽毛布団では、寒くて目が覚めてしまいます。
押し入れには、直ぐに出せる所に、もう少し厚手の羽毛布団があるのですが、それを出すのが億劫で、中々それまで行きません❗
寒くても、面倒臭い事をするよりも、なにもしない方がマシということなのかな⁉
「一日不作、一日不食」
・・・てな事は私に限ってはありません。
『Bachのcantataについて』
全体合奏の曲はお兄さんお姉さん達の伴奏で楽器を始めたばかりの生徒達が一緒に演奏をする・・というconceptで、最初は、『BachのChoralをViolinの初心者に演奏させる』・・という技術の違う上級生の生徒達と、初心者の生徒を一同に演奏させる・・というとんでもない発案、発想から、始められたものです。
同じBachのChoralである『Jesus bleibet meine Freude』という曲も、教室の全体合奏の曲として使っています。
今回演奏している、この曲は、一般的には『Christmas‐cantata』と呼ばれる曲で原題は「Uns ist ein Kind geboren(=我らに一人の御子産まれたり)」と訳されていますが、実際にはBachの作品ではなくJohann Kuhnau(sonatine albumでも有名な)の作品だとも言われています。(私もそう思います。作曲技法がBachとは少し違うので・・ネ)

Bach cantata 第142番『一人の御子われらに生まれたり」より『コラール』 - YouTube
Bach cantata 第142番『一人の御子われらに生まれたり」より『コラール』

コメント
芦塚 陽二
参考までに:originalのBachのcantataの演奏です。
Bach - Cantate BWV 142 - Uns ist ein Kind geboren - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oL_vXaeiP8Y
Bach - Cantate BWV 142 - Uns ist ein Kind geboren




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10月19日「出来る」と「分かる」 ·
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今日は10月19日金曜日です。
今日のお話しは日本の教育の問題点でもある「出来る」と「分かる」のお話しです。
テレビをつけっ放しにしたままで、仕事をしていると、一般的な「世論の問題点」を改めて考えさせられる事がよくあります。
昨日の夜のテレビ番組で、普段は絶対に見ない「お色気音楽番組」(一応Classicの番組のようなのですがね)・・で、超色っぽいviolin奏者が、Chopinのcis mollのwaltzの曲を、violinとCelloとpianoにarrangeして演奏をしていたので、(仕事に移動する前で、時間が無くて、ほんの1、2分しか聴けなかったのだけど、)聞いてしまいました。
最初の2小節の和声をviolinが重音で弾くのは、別に構わないのですが、次の3小節目からのskipするrhythmが、全く楽譜通りで、swingしていないのですよ‼
「ああ、日本人は、この曲のこのskipをこういう風に弾くのだったよな⁉」と思い出して、久し振りに、精神的に少なからずcultureーchockを受けてしまいました❗
教室の生徒達には、絶対にその曲のそのpassageは、楽譜に書かれた通りには弾かせないので、それが定着してしまっていたので、すっかりと日本人特有のその楽譜通りの小節の弾き方を忘れていました❗※)
※)以前、やはりテレビの番組で、若い男性のpianistが、「日本人はChopinのnocturneをこのように弾きます❗」と言って、楽譜に書かれたrhythmに忠実に演奏していて、やはりcultureshockを受けました。
長年、そのように奏く演奏を聞いた事がなかったので、すっかりと彼の迷演奏に感激してしまいました❗(この場合の迷演奏の「迷」はマジに褒めているのですよ??)
「そうだった❗日本のpianoの発表会では、子供達はChopinのnocturneをそういう風に弾くのだった❗」と、改めて、思い出してしまいました❗
『譜面通り・・、楽譜通りに弾く事を良しとする傾向』は、勿論、日本だけの傾向ではありませんが、それでも、音楽が表現の芸術である限り、楽譜通りに演奏する事は、求める物が少し違っているように見受けられます。
ましてや、舞曲等では、その国の舞曲特有のrhythmを守って演奏しなければなりません。
日本人の女流pianistが、ある時に、Chopinの waltzはPianoのために書かれた作品なのだから、waltzのrhythmで弾いては行けない❢❢と言っていたのを聴いて、「じゃあ、なんでwaltzというTitleにしたの??」と思ってしまいました。
私がPianoの公開lesson等で、『そこの所はMenuetなのだから、Menuetのtempoで弾いてよね?』というと、その生徒のPianoの先生と思しき人が「Menuetのtempoってどのtempoなのですか?」と逆ギレされました。
彼女達の主張は、「Recordが無いのだから、当時のtempo等は分かる分けは無い!」というのが、主張のようです。
確かに、baroqueや古典派の時代には、Recordはありませんでしたが、かなり正確なchoreographyが残っていて、実際のbaroqueのdanceや古典派のdanceを現代でも見る事が出来ます。
そうして、そのdanceを踊るためには、そのtempoは自ずから規定のtempoでなければならないのです。踊りの仕草が決まれば、自動的にtempoやrhythmは決定するのですよ。
PolonaiseをPolonaise以外のtempoで演奏したら、Polonaiseが踊れる分けはないでしょう??そんな当たり前の事がどうして日本人には通じないのかな??
でも、その抗争は、Franceでも、同じように起きていて、Chopinが弾いたMazurkaを聴いた有名なpianist兼作曲家の人が「Mazurkaのtempoが、譜面に書かれているtempoとは違う」・・という事を言い出して、険悪なムードになった事が書かれています。
Chopinは絶対的に相手の主張が許せなかったようですが、これは国民性の違いで、Mazurkaの無い国の人にMazurkaを説明する事は容易ではありません。
そのMazurkaのrhythmを勉強したければ、Mazurkaを踊れれば良いのでしょうが、運動オンチの私では、それは出来ません。
だから、proのdancerが踊っている動画を何度も見て、そのrhythmを体感すれば良いだけなのです。
私は、音大時代から、その国の人達の演奏するRecordを聴くように心がけていました。
だって、wien-philの奏くWiener Walzerを、どの国のorchestraが真似をしても、Wiener Walzerにはならないでしょう?
ならば、Wiener Walzerはwien-philで聴くに限るでしょう??
やはり、classicという音楽は日本人にとっては、異国の文化なのでしょうかネ?
・・・「音符通り」をそのまま「なぞって弾く」というのは、音楽の歴史認識のない日本人だけの傾向のようにも思えるのですがネ??
oberflächlich(=表面的)な「・・弾ければ良い」という、日本人の傾向は、別に「音楽というgenreをapproachする時だけ」の問題ではありません。
つまり、子供達を取り巻く学習環境ですら、「問題が解ければ良い」「試験で良い成績が上がれば良い」「高校に入れば良い」「有名大学に入学出来れば良い」という風潮が席巻しているのですよ。
そこに、私がとても大切にしている「出来る」と「分かる」と言う教育法の違いがあるのですが、そこには誰も着目してはくれません。
日本の教育界では、基本的に子供達を「出来る」ように指導します。
成績が上がれば、それを良しとする風潮があるからなのです。
成績を上げるのが、目的ならば、その方法論は、然程、難しくはありません。
成績を上げるだけが目的ならば、机にしがみつく必要も、勉強を一生懸命にする必要もないのですよ。
成績を上げるための方法論が必要なのは、指導をする先生の側にあって、子供達、生徒側に必要な物は、単に記憶力が求められるに過ぎないからなのです。
しかも、「分かる」事のない記憶力については、長期間、心の中に留まる事はありません。
テストが終わると、綺麗サッパリと忘れてしまいます。
「分かる」に必要な能力は、先ず「理解力」であり、その「理解」に必要な能力は「分析力」になります。
「分析力」は、その膨大なdataの中から自分に必要なdataを選び出す事が出来るようにしてくれるでしょうし、(「判断力」と言います。)膨大なdataを瞬時に探し出すのに必要なprogrammingも出来るようになります。
此れ等の総ての能力は企業し、人を統率するための必要条件となります。
幾ら、学習をして、記憶として膨大な知識を持っていたとしても、その知識を活かす術を知らなければ、その勉強はなんの意味も為さない無用の長物となってしまいます。
私がいつも先生達に「道具は使い熟さないと、ただの部屋のゴミになるのだよ❢❢」と口を酸っぱく・・・、あれれ??? それは関係無いか??アハッ!
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10月19日テレビでは、『また直ぐに25℃を越す暑い天気になる』と言っているので ·
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今日は10月19日の朝の7時57分です。
昨晩から今日に掛けても、延々と小雨が降り続いていて、肌寒いのではなく、結構マジに寒いのですょ💧
今日の練馬区の気温は、今現在も15℃のままで、中々上がりそうにもありません。
毎日、毎夜、「布団を変えなければ」と思って、過日、思い切って、頑張ってやっと布団を変えたばかりなのですが、それから直ぐなのにもう既に寒くなってしまって、もう一度、「もう少し厚手の羽毛の布団を出さなければ❗」と思っているのですが、またまた怠け癖と言う超「面倒臭いお化け」が出て来たのと、テレビでは、『また直ぐに25℃を越す暑い天気になる』と言っているので、今日も寒いままに、布団は変えていないのです。
「布団を押し入れから出すのが面倒臭い」ので、「それならば、部屋の温度を上げれば良い」と言う事は分かってはいるのですが、エアコンは電気代がかさむので、今までは我慢していたのですが、流石に諦めて、昨日の深夜からは、今年始めてエアコンの暖房を入れました。
食堂兼居間兼仕事部屋の最新式のエアコンはまだ兎も角としても、寝室のエアコンは古いtypeのエアコンなので、エアコンで暖房をすると、電気代が高くなるので、新しく買った最新式の乾燥機で部屋を温めています。
その方が、小雨が降り続いていて、湿度も結構あるので、とても部屋の中が爽やかになって心地良いのです。

Stamitz ViolaConcerto Op.1D DurⅡⅢ楽章 千野瑞希(13歳)芦塚音楽千葉教室19年10月13日 - YouTube


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2019年10月19日 ·
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「見ず知らずの方のコメントにお友だちにもなっていないのに、勝手に返信するのは、大変失礼だ!」と以前、注意された事があったので、自分のページに、その方への「お返事として」ではなく、「自分自身のessay」として、そのコメントを参考にして、私なりの感想を書く事にします。
これまでも、私が子供達を引き連れての対外出演で、子供達が演奏をした後で、演奏を聴かれた人から、「子供達の演奏なのに、何故、涙が出るのだろう?」と不思議に思われて、私に直接、尋ねて来られた事が、たまにありました。
多くの人達は、私が音楽教室を経営している事で、私が子供達が大好きで、子供達の事をとても良く理解している、曰く・・・子供のスペシャリストのように思われておられる方がいて、困ってしまう事があります。
私自身は、子供達を指導する事・・というだけではなく、そもそも、人と接する事が大変嫌いな産まれついての引き篭もりの性分で、・・出来れば「教育という世界」とは隔絶した距離に身を置いておきたかったのです。
しかし、困った事に、私が音楽大学の学生時代の時から、生活費を得るために「受験生達の指導」等の教育活動も、しなければなりませんでした。
その後、ドイツ留学を経た後で、再び、日本に帰国した後も、まさか、行く行くは、この私が子供達を指導するようになる・・という事は、全く持って思い及びませんでした。
勿論、私が教育の世界に足を踏み入れたのは、教育関係者の強力な懇願と説伏があっての事は勿論なのですが、それとはまた別に、音楽教室を作るための参考のために聴きに行った学生コンクールでの子供達の無垢で真摯な姿に、少なからず感銘を受けたからです。「私だったら、この子供達をもっと簡単に同じ水準にまで育てられる」という妄想に駆られた事です。
「子供達にあって、大人の音楽大学生に無いもの」、それは、ひた向きさであり、一途さなのです。
音大生の「ひた向きさ」の後ろには、なにかしらの作為が窺えます。
それは、もう一途さと呼べるものではなく、ひた向きささと呼べるものでもありません。
もし、音楽を追究ための目標が、「有名になる事」であったら、それはもう、「音楽を目指すProの姿勢」とは言えませんよね⁉
お金が欲しくて音楽を勉強しているのならば、classicはサッサとやめてpopularの世界の音楽にお引越しをする事です。popularは、儲かるよ⁉ 20代で一戸建ての家を建てる事が出来るよ❢❢
もしも、「人生の目標が、有名になる事でもなく、お金でもなければ、なにを人生の目標にすれば良いのか?」と、あなたが悩むのであれば、その道の先には、幾ら頑張ったとしても、成功に通じる道はありません❗
あくまでもclassicに限った(❢)お話しではありますが、音楽には、自分が楽しむための音楽と、自己の探究のための音楽の二つがあるのです。
小さな子供達の求める音楽は、子供達の目的、目標に、雑念がない分、「自己探求のための音楽に極めて近い」のですが、年齢を経て、大人に近づいて、社会性が身に付くに従って、その目標には、雑念が混じって来ます。
その雑念の、最初一つが「かっこよさ」です。
自己探求の場としての、音楽には、「格好良さ」も「お金儲け」も必要は無いからです。
未だ、そういった雑念を持たない、子供達の「真摯な、ひた向きな演奏」を見る事は、稀な事なのですが、運良く、その稀な事象を見る事が出来たとして、その子供達から見える事とは、大人がもう既に見失ってしまった、純粋に「一つの事を見つめる目」であり、嘗て自分が持っていた純粋な生きる意味を思い出す事が出来るからなのです。
繰り返しになるようですが、子供達の「真摯な、ひた向きな演奏」を聴く事は、実は、大人になった事で「失った物の大きさ」を、改めて知ることにも繋がるのですよ❗
人生の基本的な原則である、『一つを得る事は、一つを失う』という事でもあるのですからね⁉
懐古の涙というのでしょうか?
professionalである人達は、大人になっても、子供の心を見失わなかった人達なのですよ‼
professionalでありたければ、常に自分の心の中の雑念を消し去りなさい‼・・と言う事が、私の『Rat』なのですかね??
・・で、『あたし・・⁉』
・・私は、雑念大好きよ‼

Antonio Vivaldi 'L'autunno「秋」solo古川紗來指揮芦塚陽二 - YouTube



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10月20日明日は千葉での「発表会の反省会」・・という ·
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今日は10月もいよいよ下旬の20日の日曜日に成りました。
今は3時半頃で、練馬区の気温は18℃と相変わらず、寒いそのです。
この3日間、暖房の入れっ放しですよね~ぇ??
・・で、「なんで、深夜の3時半なのか??」という事なのですが・・、摂眠障害が酷くて、12時には、布団に潜り込んだのですが、中々寝付けず、2時過ぎ頃になって、「やっと、眠れた」と思ったのに、3時半には、toiletteに目が覚めてしまいました。
明日は千葉での「発表会の反省会」・・という建前の打ち上げがあります。
以前は子供や大人の人数が多かったの、大人の打ち上げ(発表会にstaffとして手伝って頂いた方達への感謝を込めての)と(子供達の真面目な反省会と牧野先生手作りの鳥の唐揚げとオムライスとの打ち上げ)で、最初は別の日にちに企画していました。しかし、人数が段々減って来たので、その次は、大人と子供を午前中と午後に分けて、・・と別々に反省会を企画して、大人の打ち上げには、子供達の羨む豪華な食事とwineを出していたですが、この所は、生徒の人数が超、少なくなった事と、子連れのお母様達が増えたので、子供達と保護者の人達の合同の打ち上げにしました。
先生達の体力的にも、2つに分けての反省会は、そろそろ限界だったのでネ❢❢
・・と言う事で、明日は(というか、もう早朝なので、今日のお話になりますが・・)「食材を椎名町から車で運ばない」といけないようなので、12時花園教室必着で、車を出さなければなりません。
・・という事は、私がハイツを出発するのは、2時間前の10時になります。
椎名町から花園への車の移動に1時間半、それと更にハイツから椎名町へのバイクでの移動と車への荷物の積み込みだけで、30分は見ておかないといけないからです。
車の千葉の教室への移動時間は、渋滞がなければ、通常は1時間弱なのですが、荷降ろしやその他の作業で、どうしても1時間半を見ておくことが必要なのです。
これは予備の時間でもあるので、渋滞等の時には、この30分の予備の時間が渋滞で遅れると、キツキツの時間になってしまいます。
・・と言う事で、私の出発への準備も合わせると、9時にはbedから起き出さなければならないのですが、やっと2時頃に眠れた・・と思ったら、3時半には、目が覚めてしまい、またぞろ、眠れなくなってしまいました。
その原因は、・・今週は発表会明けのお休みだったので、特に先生達からのrotationの縛りがなかったので、1日に2つぐらいしか出来ないvideoの編集作業を、休み中になるべく済ませておこうと、「24時間、目が覚めている時には編集作業をする」・・という、体の我儘に任せた仕事の仕方をしてしまって、体内時計がめちゃめちゃになってしまったようです。
勿論、朝は部屋の中に太陽の光を入れる・・とかの、工夫はしていたのだけど、延々と雨が続いたしね~ぇ??
早く体内時計を直しておかないと、後、3日後には、病院の検査が控えています。またまた、先生に怒られてしまうのだよな~ぁ?
もう少し、体重が減ってくれると、先生の機嫌も良いのだけどな~ぁ?
糖尿外来の先生は、めちゃめちゃに痩せているからね~ぇ??
それはそうと、昨晩は、絶対的に眠らなければならない・・という事で、緊急避難的に、飲んでalcoholの勢いで眠ろうと試みたので、dietは一時休止にしたのですが、全然眠れなかったのは、しょうがないとしても、なんと‼2㌔も痩せていたのですよ⁉
なんで⁉どうして⁉
全く、理解不能です‼


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10月20日忘れ去られた日本の ·
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この度の台風で、『避難所がホームレスの人達を受け入れなかった』という話しをテレビのnewsで聞いて、超shockを受けたのですが、その話しを聞いた人達の多くの人達から、『その避難所の姿勢を支持する』というmessageが多く寄せられた・』』という事を聞いて、「この国は日本なのか?」とあきれ果ててしまいました。
私達が育った日本の社会では、貧しくて物はなかったのだけど、少なくとも温かい心はあったのだよ❢❢
日本が戦争から復興して、得たものは経済で、失ったものは心かいな??
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」という諺を知らないのかね??
彼らの言い分では、「理屈は分かるけれど、隣に臭い人がいると嫌だ‼」と言った意見が主流なようですがね⁉
でも、自分が被害にあって、薄汚れてしまって、金銭や財産も全て水に流された時に、「隣に臭い人がいるのは嫌だ」、と言われたら、どう思うのかね⁉
行政の姿勢としては、「住所のない人に対しての対応は出来兼ねる」という事だったのだけど、それでは「身分証明書のない人間は避難所には行くナ❢❢」という事なのか??
それは、危機対応ではなく、単なる差別だよな⁉
行政が、そんな姿勢では、学校や会社での虐め等が無くなる分けはなかろうに??・・・よな⁉
麗しき良き日本は、何処に行ってしまったのだろうか⁉
全く、嫌な世の中になってしまったものだ‼
教育の崩壊はここまで、人をおかしくしてしまったのか⁉
もう、末期的な症状だよな⁉
自分が人間である事を、分かっていないのだよな⁉
自分しか、ないのだよな⁉
哀れだ‼
コメント
芦塚 陽二
今日(10月25日)の朝の6時頃のnewsで、「**区の避難所には、他区の人達や、旅行者の避難を受け入れていた」・・という事がバレてしまって、またまた不誠実な対応に対しての弁解をしなければならなくなってしまっていた。
私だったら、そんな対応をした所員は首にするけれどね??
役所が血が通っていない事の証明になったのだからね??
窓口に、そう言った血の通っていない人は要らないのでは???



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10月21日合同での「打ち上げ」 ·
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今日は10月21日の深夜の3時になったばかりの頃です。
昨日(10月20日の日曜日)は、子供達の発表会の反省会と楽典、それから、所謂、大人の方達をお招きして、子供達と合同での「打ち上げ」を自治会館で開催しました。
私自身は、体調温存のために子供達の反省会には余り付き合わないで、午後の12時近くに花園教室に到着して、最後の纏めの時間だけ付き合って、後はお食事会の自治会館での「打ち上げ」だけに(shortcutで)付き合ったのですが、それにも関わらず、体調不良が思ったよりも酷くて、途中で、超、疲れてしまいました。
途中のhappening‐timeで、私がもうすぐお誕生日なのをすっかりと忘れていたのですが、牧野先生にケーキを作って貰い、ロウソクを吹き消してお誕生日を祝って貰いました。
久し振りにケーキを食べました。手作りのケーキは美味しい❢❢❢
お誕生日ケーキの演奏風景をデジカメの動画に撮っていなかったので、アフレコ用に演奏だけ撮り直しをしました。デジカメで動画が撮影出来る・・って知らなかったらしいのだよ?? え~~っ??
      後片付けが終わって、大急ぎで椎名町に戻って、夜食を食べたのですが、途中で居眠りが始まったので、食事の途中で切り上げて、大急ぎでハイツに戻って来て、荷物を部屋にポンと投げ捨てたままで、取り敢えずbedに潜り込んだのは良いのですが、中々直ぐには寝つけませんでした。
それでもなんとか頑張って、眠りについたのは良いのですが、すぐに目が覚めて、bedから起き出してはtoiletteに行き、また、寝付けないのを無理をして、何度も眠てはtoiletに行く事を繰り返しています。
「体調不良で体力がないので、眠りが浅いのだよな??」という事で、ビタミン剤を飲んで眠りました。
コメント
純子斉藤
今回のオードブルは、高校生の生徒さんが盛り付けしました。



当日芦塚先生が千葉にいらっしゃる数時間前に急に演奏することにしたので、みんな今日は反省会と楽典だけだと思っていたのでヴァイオリンを持ってきてなかったので、急遽教室にあった分数ヴァイオリンとたまたまヴァイオリンを持ってきていた後輩の分数ヴァイオリンを使っての演奏でした。
にもかかわらず暗譜して弾いているところがさすが芦塚メトードの生徒さんたちですね❗
芦塚先生からは、「あれ、この曲前よりも上手になってるね」とのご感想をいただきました。
良かったね🎵
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
分数のViolinの音がなんとも乙で良かったですよね~ぇ??
即興でのarrangeも中々のものでした。アハッ!




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10月21日人にやらせるよりも、自分でやった方が確実で早い ·
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仕事をやる上で、会社と個人の仕事上の違いは、仕事を集団でやるか??一人でやるか?の違いになります。
人にやらせるよりも、自分でやった方が確実で早い・・と思う人は個人事業主の考え方なので、起業には向きません。
起業に向かない人達の言い分は、「人に仕事を教える時間は無いので、自分でやってしまう事になるのだ❢❢」という事が最も多い主張です。
私は、仕事が忙しいから、人と共同で作業をすれば仕事は速い・・と思うのだけど、個人でやるのが好きなtypeの人達は、その自分でやる仕事一つを取っても、時短のための努力は、しようとはしません。
その例を上げるとすれば、・・ですが、パソコン作業一つにとっても「時短」をするための法則があります。
パソコンの作業の時短では、一番は、パソコンにKeyboardで入力する作業について・・です。
つまり、Keyboardを打つ速度を上げる事に拠って、作業の時短を図るのならば、単語登録で打てば、超早く打てるようになります。私は「芦塚音楽研究所」と打ち込むのに、実際のKeyboardの入力ではaokと入力するだけです。
しかし、単語を登録するとなると、「単語登録を覚える時間が無い」「その時間が勿体ない❢」と言う事で、登録された単語を設定された入力で打つのではなく、analog的に一文字一文字、必死に打ち込みます。
私が単語登録の設定を覚えなくても良いように、pattern化して、法則を覚えれば良いだけにしているのに、その法則を覚えるのが面倒臭いのですよ⁉
そして、闇雲に膨大な時間を掛けてパソコンに入力するための努力する事は厭わない❗
~ん、それに対しての時間は、苦痛ではないのだよな⁉
それは私には、絶対的に理解不能な事なのですがね⁉
只、文章をanalog的に入力するとしても、時短をする事が出来ます。それは、blind・touchです。
「blind・touchを覚えると打ち込み速度が段違いに速くなるよ❢」と言っても、結局は、「blind・touchを覚える時間がない!」という事で、そのまま、自分で頑張って、結局、自分自身を追い込んで行きます。
日本には「急がば廻れ❢」という良い諺があるのだけどね??
私自身が怠け者なのだから、私の「blindーtouchのmethode」は、何の努力も練習も必要とはし無いのだけど、その『努力も時間も必要のないblindーtouchの習得法』ですら、面倒臭がって誰もやろうとはしないのです。
だけど、「blindーtouchが出来ない」という事は、結構、日常的に、「膨大な時間と努力を使って、仕事や勉強をしている」はずなのだけど、・・・・というか、既に「日常的に、その努力をしなければならない」のは必然なのだけど、それは当然の事として、熟して、それを「しないようにするための努力はしようとしない」という事は、私には理解出来ません。
つまり、その「無駄な努力をする事を惜しまない」ーという発想自体が私には理解出来ないのですよ❗
また、次の大切な問題には、『物事には、同じ努力をしなければならない事でも、「どの時期、どのtimingでやるか?」という事で、その結果が全く変わってしまう』という事がよくあります❗
その一つの例としてですが、教室でのオケ練習で、毎回生徒達に注意する事があります。
それは暗譜のtimingです。
一般の教室では、曲を渡したら、曲を譜読みさせて、曲を弾けるようにしてから、暗譜の段階に入らせるのですが、楽譜を覚えるtimingは、譜読みの段階で一緒に覚えてしまえば、時短になります❗
一般的には、生徒に曲を何度も弾かせる段階で、暗譜をさせますが、教室では、曲は「弾いて覚える事」はさせません❗
弾いて覚える事は教室ではタブーです。
つまり、楽譜は楽譜として暗譜をさせます。
だから、その曲を全く弾けない時期でも、譜読みの段階で、暗譜を終わらせる事が出来ます❗
発表会の直前になって、必死に覚えるのがtimingなのならば、楽譜を貰った時点で覚えてしまえば、『楽譜を覚える』という努力は全く同じでも、(同じ努力量だけで、暗譜のtimingが違うだけで)到達出来る練習の成果としては、比べ物にはならない程の違いが生じます❗
・・・という話しを生徒達には毎回するのだけど、暗譜をやって来ない生徒は、何度注意しても、やっぱり、暗譜をやって来ようとはしません。
その生徒が、一度でも、私の注意を守ってやって実際にやって見ると、それ以降の練習がとても楽しくって、楽になるので、二度と、発表会直前の詰め込み練習のような悪いやり方ではやらなくなるのだけど、その一回の「暗譜をする」・・という事が・・・・どうしても出来ないのですよね⁉
会社の場合には、膨大な作業を熟すために、人材の育成や、適材適所の考え方が非常に重要になります。
「人を雇う」という事は時間とお金が掛かる事なので、1分、1秒でも、雇った人が、一人で間違いのない作業が出来るように育成しなければなりません。
「人を指導する事で自分の作業の妨げになる」ようでは、その人は指導者には向かないのです。
家の子供のお手伝いのように、少しでもその人が手助けが出来るようにするためには、その人の一番得意な分野と先ず出来る範囲の中から手伝わせれば良いのです。
・・なんて、書くと、「そんな当たり前の事を・・」と思われるかも知れませんが、その当たり前の事が、普通に出来ないのが常なのですよ。
学校教育的には、子供の指導のためにcurriculumが組まれるので、その指導のためだけに特化した先生が付きます。また、その仕事は社会的に使用出来る水準のものではなく、あくまでも教材としても仕事の成果です。
介護やvolunteerとしての活動では、生徒達にその仕事に従事させるために、3Kを予め取り除いて体験させます。
そこで、介護やvolunteerに対しての夢が育って、専門の学校に行くと、それからは現実の活動の勉強をする事になります。
思っても見なかった4Kの仕事に、途中で挫折する若者達が跡を絶ちません。なんとか学校を卒業したとしても、実際の仕事としての活動は学校で学ぶ現実とはかけ離れたもので、それこそ挫折どころではなく、自殺者迄出てしまいます。
一昔前迄は、企業に就職すると「お茶くみと電話番」が定番だったのですが、今の日本の会社組織の中では、それでは企業が成り立たないのです。
だから、専門学校のような所で或る程度の技術を習得してから就職をする方が有利になります。
語学は最早、勉強ではなく、日常なのです。
学校の英語はもう、死んでいます。
だから、英語の受験の方法が変わったのですよ❢❢
分かっているのかな?その現実が・・・???
以下同文で、ツラツラと現実が・・・

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10月21日いつもの月曜日 ·
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今日はまだ10月21日の月曜日の夜の11時半です❗
今日一日、なにも出来ないままで終わってしまいそうです。
でも、この所は日曜日明けの月曜日は、いつもそのように、なってしまっているので、諦めて成り行きに任せる事にしています。
それが毎週のroutineだと思って・・・
お食事timeのmailが椎名町の事務所から入って来ているのだけど、台風20号の影響での、超、土砂降りで、もがり笛の音が凄い❢❢・・・・ので、バイクで椎名町までは行けそうもないし、体調も不良で、そこまでの元気は無いのだよな~ぁ?? 
外の気温は15℃です。
mailをして、今日、食べれなかった夜食をお弁当にして玄関に出しておいて貰ったのだけど、お弁当を取りに行くだけの勇気がありません。
台風20号は今は何処にいるのかは分からないけれど、それにしても、雨風が超酷くて、外に出るのは、とても無理だよな~ぁ??
勿論、この所、お弁当以外は食べていないので、冷蔵庫には予備の生物の食料品は何も入っていません。
超、腹減ったな~ぁ!
いつもなら、sevenにでも、食料品を買いに行く所なのだけど、風も強いし、雨も酷いので、とても外に出れたものではないよな~ぁ??
後は、非常食のInstantを食べるしかないよな?? 
う~~ん??
昨晩は、ちゃんと眠れたので、長年シンクに置きッパになっていた食器類、お弁当箱類を、2時間程掛かって全部洗って、椎名町行きと、食器棚に戻す食器をそれぞれに整理しました。
体調不良で、長い間、放ったらかしになっていたので、やっと・・やっと、という感じかな??
練馬区の朝の5時の温度は、14℃になる予定だそうです。
今よりも、更に低くなる・・という意味だよな??
それから、一仕事して、今はもう朝の6時になった所です。
つまり、10月も、22日の火曜日になってしまいました。
それにしても、寒い❢ 
部屋の中にいても寒いのですよ❢❢ 
深夜に目が覚めて、台所のシンクに溜まりに溜まった食器類を洗った所なのですが、勿論、台所のシンクのお掃除中には、発表会のvideoの編集作業を並行させながらのお掃除timeでした。
その中の一つで、私の小品です。

芦塚陽二Violinのためのduosより「蛍」 千野瑞希、古川紗來(中1)芦塚音楽教室 - YouTube



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10月22日なんと、今日は『国民の休日』で、lessonはお休みだってよ⁉ ·
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今日は10月22日の火曜日です。
なんと、今日は『国民の休日』で、lessonはお休みだってよ⁉
yahooのcalendarを見ても、市販のcalendarを見ても、黒字で祝日にはなっていないのだよ❢❢
だから、私は「おやすみは東京だけだ❢」と思っていたのだがね⁉
「首都高の要人に対しての交通規制のせいでお休みになる」・・ので、千葉や他の都市には関係ないと思っていたのだけど、全国的にお休みという事らしいよな⁉
それならば、やりたい事があったのだけど、しかし、どっちみち、台風で雨や風が酷いので、外に出るのは無理なので、まあ、仕方ないよな⁉
首都高の交通規制は25日迄あるらしいけど、一応建前としては、「外国の要人が来て、帰る」ためだそうです。建前としては・・ですがね???
明日は、朝一で病院です。
雨はなんとか上がったので、バイクで行けるので楽です。
川崎の時には、電車の乗り継ぎなので結構時間が掛ってバテてしまいます。
前回の川崎の病院からの帰りでは、疲れ果てて、Platformでひっくり返りそうになったけれどね・・??
危なく、救急車だったよ❢❢
下の動画は、Jonasson(ヨナーソン)のカッコウを、私がtrioの編成にして、Variationを付けた曲です。
Johan Emanuel Jonassonという作曲家は、郭公ワルツという一曲だけで知られている、文部省的には超お気に入りの曲らしいです。



Violinのsoloの美音ちゃんがおやすみだったので、急遽、代奏で紗來ちゃんが演奏する事になったのだけど、暗譜で演奏しているよね??
「紗來ちゃんが弾くのならば・・」という事で、サービスに「難しいversion」を、紗來ちゃんのために、応急で作ったのだけど、代奏なので発表会までに、2日、3日しか無かったので、「暗譜が間に合わない」・・という事で、元の「四日市version」のままに演奏しています。(arrangeの時には、どの子が弾くのか??を想定して曲の難易度を決めるので・・・ネ??
ViolinとCelloの『難しいversion』は、Christmas会かどこかでまた演奏してみたいと思っています。ちなみに、Pianoのpartは変わりません。
この動画はFacebookだけで見る事が出来ます。(You Tubeには上げていません。)
それにしても、homepagebuilderの動画は酷い。基本的にはPageを開いたら、BGMのように音声が鳴って、止める事が出来ない。ボタンを表示するには、webvideostudioで作らないといけないのだが、mp.4の拡張子では開かないのだよ。netで調べてもそこの所が書いてあるのは無い。homepageを作成する人達に取っては当たり前の事らしいのだが、こちとらはズブの素人なのだから、そこは明記してくれないと困る。どうして開かないのだろうと拡張子を眺めていて、mp.4が表示されていない事に気が付いた。短い動画をhomepageに貼り付けるだけで、一手間だったぞよな??



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10月23日の水曜日、光が丘の病院の日です。 ·
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今日は10月23日の水曜日、光が丘の病院の日です。
朝は7時起床の8時出発だったのですが、7時に『あやちゃんalarm』で目が覚めたはずだったのですが、なんと二度寝をしてしまい、8時を10分も過ぎた頃に目が覚めてしまいました
超大慌てで15分で準備して、9時15分前には光が丘病院にバイクで駆け付けたのは良いのだけど、保険証が有効期限切れとかで、受付に並ばされて手続きをして・・・と、余分な時間を取られてしまいました。それでも、なんとか9時には間に合ったのだけどね??
結局の所、診察時間の予定よりも、2時間も待たされたぞよ❢❢
それは俺が遅れたせいではないぞヨ❢❢
それにしても、超、絶好の病院日より❢です。
昨夜までの雨や風が嘘みたいな素晴らしいお天気です。



病院での検査の状態は予定通りに、余り良い結果ではありませんでした。
「余り良い結果ではなかった」・・という意味は、この所、台風やら、発表会やら、教育相談やら、何やら・かにやらで、体調不良が続いていて、腎機能が低下しているのは、自分自身でも分かっていたので、当然の結果であって、その検査結果は、納得は出来るのだけど、それに対しての対応の仕方が、「あいも変わらず、『痩せなければ・・❢❢』・・という事しかない❢❢」・・というのはチョッと、モンダミンだよな~ぁ??

netでクレアチニンへの対応を調べても、殆どのcommentが、「薬を売らんかな??」の怪しげなものが多いしね~ぇ???
待ちに待たされて・・、なんとか診察が終わって、受け付けで書類のcheckを済ませて、やっとひかりヶ丘病院を後にして、12時半頃になんとかハイツに戻る事が出来ました。
流石に、超バテたぞよ❢❢
・・・取り敢えずは、寝るとするか・・??
それにしても、暑い❢❢ 
昨晩の14℃から、突然の23℃だってよな~ぁ❢❢
健康人でも、こりゃ、たまらんわなサな~ぁ??
ひかりヶ丘の病院からハイツに辿り着いた時の玄関からの写真です。
空が綺麗だよな~ぁ??




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10月24日今日は気が付いたら誕生日だったのだよな?? ·
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今日は10月の24日の木曜日です。
携帯では、lineのmessageの入って来た音ですら鳴らないし、パソコンは元々から着信音を切ってあるはずなのですが、唯一、messengerの受信音だけが『ピン❢❢』と鳴って、「何の音なのか??」と、いつも驚ろいてしまいます。
昨日は病院に行くために早起きした事もあって、疲れ切ったので、午後は全く何もしないで、一日養生に努めたので、膝下から足の甲に掛けてのむくみもだいぶ取れて、気分も少し落ち着いて惰眠を続けました。
『はてさて、今日はなんかの日だったのだが、何の日だったのかな?』と、徒然なるままに、思い起こしていたのですが、深夜の1時過ぎに『ピン❢❢』とmessengerの受信音が鳴って、兄貴からの寿ぎのmessageが届いていました。
「そうか??」「今日は一応記念日だったのかな?」と納得しました。
未だ、外は真っ暗のままの5時を迎えたばかりの頃です。

定形の練馬区の気温は現在は16℃で部屋の中も超寒かったので、辛抱しないで、暖房を入れた所です。
それにしても、ただの携帯のcameraの写りの良い事よ❢❢
この携帯はもう5年以上も買い替えていないのだけど、それでも、これだけの撮影が出来るのだよな~ぁ??
昔、高価だったデジカメを何度も買い替えたのだけど、今はデジカメを持ち歩く事すら無くなったもんな~ぁ??
朝の5時は定形の時間なので、定形の作業をしました。
7時8時頃まで、朝食を食べながら、やり残した仕事をしていたら、椅子で寝込んでしまったので、チョッと仮眠をしたら、なんとお昼の1時半頃迄、寝込んでしまいました。
その後も、ただただなんとなく日がな一日を過ごしてしまいました。
時間があったので、汚部屋の整理をしようと思って、風呂桶に洗剤を撒いたり、cembaloの部屋の整理をしようと、少し出しっ放の物を整理しようとしたのですが、体が付いていかなかったので、諦めてほったらかしのままに、寝てしまいました。
再び気がついたら、もう、プリドルの散歩の時間になっていたので、大慌てで、大雨の中をレインコートを着て、椎名町に出掛けました。



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10月25日蕎麦day・Christmas会の曲決め・WeberのviolaConcerto ·
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今日は10月の25日の金曜日です。
今日は大雨の中を、蕎麦dayにしてお昼の12時を目指して、椎名町にバイクで行きました。
昨日、お蕎麦が着いたので、『蕎麦を食べる』・・という事よりも、『orchestraや室内楽の曲決め』が本来の目的です。
この土砂降りでは、蕎麦を食べる・・だけの目的のためには、チョッと行けないからね??
曲決めは今日がtime-limitなのでね?・・否応がありません。
明後日は、曲渡しの初見大会の日なのでね??
「曲決め」は、一般の発表会の「曲決め」とは違って、教室の場合の「曲決め」は、その一人一人の生徒の、curriculumや、その生徒に必要な技術を習得出来るような課題をselectするので、そんなに難しくはありません。
Christmas会の場合には、子供達が「弾きたい曲を弾ける」・・というconceptなので、その曲を子供が演奏する事が現実的に可能か否かを判断すれば良いだけなので、「曲決め」は然程は難しくはない・・と思うのですが、現実的には、それが出来るのは、未だに私だけのようなので、曲の最終決定は私がします。
担当の先生の場合には、生徒のNiveauについての願望が出たりして、客観性を欠ける場合もよくあるので・・・
子供達のChristmas会や春の発表会で演奏する曲の希望曲を聞いていたら、今回は非常に面白い事に、多くの生徒達が、「以前弾いた曲のrevengeをしたい❢」と申し出て、驚いています。以前の演奏が納得行かないので、recovery演奏をしたいのだそうです。
勿論、私としては、生徒のそう言った姿勢は大歓迎なので、back・upはして上げたい・・と思っています。それだけ、Niveauが上がったという事なので、指導者としても大変嬉しい事です。(但し、orchestraの場合には、memberが揃うか否かが問題なのですがね??・・とは言っても前回のmemberをそのまま集める・・という意味ではなく、単純に演奏するmemberがいない・・という理由なのですがね??)
それはそうと、テレビのnewsを見ると、またまた、大被害が千葉のあちこちで起こっているようです。
天変地異のお話で、如何ともし難いものがありますが、電車が止まってしまって、lessonに来れない生徒もいるようで、実害も出ています。
東京でも豊島区や練馬区でも避難指示が出たり・・と、気温も15℃台のままで・・???
一体、どうしたのかね??
世紀は始まったばかりなのに、まるで世紀末だよな~ぁ??
曲決めが終わって、選曲の終わった曲の「score探し」や「part譜探し」をしていたら、突然、超、疲れが出てしまいました。
急いで、ハイツの自宅に戻って、「少しだけ、仮眠をして、疲れを取ろう」・・と、風呂の掃除をして、髪の毛を洗って、「これで、チョットは、スッキリしたのかな??」と思ったのだけど、やっぱり、逆に、疲れが頂点に達してしまいました。
という事で、未だ、cinderella-timeの前の11時台で、やらなければならない仕事もたくさん、残っているのだけど、もう寝るか・・ネ??
それにしても、テレビでは、花見川区は避難指示だって言っているよ❢❢
どうなってんの??
練馬区は雨は、もう上がったよ??
コメント
千野 由実
みんな日曜の発表を楽しみにしているでしょう✨
雨の中ありがとうございます😊
寒かったし、体力使いますよね😭
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
曲決めは全員の曲を決めるのに、1時間で終わったのですが、瑞希ちゃんの曲を決めるのに、2日掛かって、千枚くらいの楽譜をcopyしました。帯び襷で丁度良い曲が見つからなかったからです。やっと理想的な曲と演奏が見つかったので、その話しをしている所です。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
part譜が見つかったと思ったらフルオケのpart譜だった。弦オケのpart譜は見つからないので、作らないとダメらしい。Shock❢❢
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二 お願いします🤲
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
プロを目指すのならば、自分でfinaleで、入力出来ないとね⁉
私も結構過保護だと自覚していますよね⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
芦塚 陽二
まあ、勉強だから、violaのpartだけでも、入力の手伝いをして貰うかな⁉
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
WeberのViolaのsoloのpartは手に入ったので、今日オケ教室で渡せます。



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10月26日素晴らしいお天気のように思えます。。 ·
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今日は10月の26日、土曜日です。
台風一過の、実にお久し振りの素晴らしいお天気のようです。

東の方角は未だ雲が残っていて、陽も余りさしていません。お天気予報とは大分隔たりがあるようですが・・、それはそれとして、洗濯物が溜まりに溜まっているので、朝は洗濯dayにしようと思っています。
『・・・・思っている』、というのは、早朝の定型(routine)の時間の4時44分頃にtoilet-timeに起きたのだけど、今朝は体調不良が酷くて、何かをしようとしても、頓挫してしまうので、2度寝、3度寝をして、体調のbalance(回復)を取っている所なので、洗濯機を回したとしても、干す所まで作業を出来るか否かは、その時の体調次第で、やってみないと分からないからです。という事で、うだうだとパソコンに向かっている間に、なんと、9時になってしまいました。
頑張って動かないと・・・



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2019年10月27日 ·
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今日は日曜日、10月27日の朝の4時20分です。
毎日、驚く殆ど正確にこの時間にtoilet-timeで目が覚めます。
このTwilight(トワイライト)の時間は、よく『魔物が住む時間』と言われる事がありますが、私もよく目が覚める直前のこの時間に夢を見ている事があって、その夢が現実と区別が付かなくって、困ってしまう事がよくあります。
昨晩の夢なのですが、突然、お袋さんが、私の部屋に、長崎の家から訪ねて来て、「暫く、ホテルに泊まって東京にいるから・・・❗」と言って、ホテルに帰っていきました。
『こりゃ、大変、兄貴に連絡をしなければ!』と思ったのですが、なんと、お袋さんに、ホテルの住所を聞いていませんでした。
はたと困ってしまったのですが、『取り敢えず、来ている事だけは連絡をしなければ、』と、携帯を手にして、messengerを開こうとして、『ああ??そう言えば、母はだいぶ前に、死んでいるので、東京に来る事はないよな?』と、気がつきました。
危うく、兄貴にmessengerで緊急のmailをする所でした。
・・~~ん??
しかし、どこまでが夢で、どこからが現実のお話だ~??
私が未だ幼い子供の頃、祖母が私によく話をしていた事があります。(「母さんが・・」はDvorakだよ?「おばあさんが・・」ではないよ❢❢)
『昨晩、おじいさんが「そろそろ来ないかい??」と、私をお迎えに来たのだけと、「孫たちの成長をもう少し見て報告するから、もう少し待ってくださいね⁉」と言うと「ああそうかい?」と残念そうに去って行ったのだよ?』という話しなのですが、おばあさんがそのお話を、実際の現実界で、おじいさんと話していたように話しをしているのが、子供心には不思議でした。
でも、私もこの歳(多分、当時のおばあちゃんの年齢)になって、本当に、夢と現実のはざまが、よく分からなくなってしまう時があるのですよ⁉
マジに、あの世の人と、普通に話をしたりして❗👀
あの世とこの世、比岸と彼岸の堺が段々と近くなって、その境界が無くなってしまうからなのかな⁉
怖❢❢
今日の千葉の教室でのオケ練習は曲渡しの初見大会がmainEventなので、私がハイツから持って行くオケの楽譜はありません。
という事で、簡単なA4の書類が入るShoulder(ショルダー)だけで良いので、Shoulderを出すために、Cembaloの部屋に入ったら、全く偶然に、この写真を見つけました。
勿論、ネガはないので、scanしてパソコンに保存した所で、肝心要のShoulder探しは未だやっていません。
この写真は、教室を開くズ~と以前の、私が企画した対外出演の風景です。
私は、留学から帰国して、再び東京で生活を始めてから、Rheuma(リューマチ)で指が回らなくなる40歳を過ぎた頃迄は、Pianoの伴奏者として、或いは、私設の弦オケを指揮したり、memberが足りない時には、オケやQuartettのViolaを担当したりして、或いは、proのsoliste達のConcertoのlectureと、オケ合わせのオケ・partの伴奏者として、あちこちの演奏会場で演奏活動をしていたのですが、流石に、40歳を越した辺りからは、Rheuma(ロイマ)で指が動かくなって、それでも未だ始めの頃は、お湯で指を温めたり・・して、騙し・騙し、演奏を続けていたのですが、とうとう、指が全く動かなくなってしまい、全く楽器の演奏活動が出来なくなってしまいました。
勿論、Rheumaは国の難病指定の病気なので、不治のやまいとされています。
私も18歳の時の音楽大学に進学する前から、血液検査でRheumaが見つかって、60歳になる頃までには発病して、いずれは指が動かなくなってPianoが弾けなくなる事は覚悟の上での、音楽の道の選択でした。
Rheumaは、血液の病気なのですが、一般的には、よく加齢による、指の関節痛と勘違いされる事がありますが、リューマチは難病指定の関節痛とは全く関係のない病気なので間違えないようにしてください。
・・・という事で、未だ若い頃の、超珍しい私の演奏風景の写真なのですが、オケbackで演奏している人達は、私の生徒達と私の「売りQuartett」※)のmember達です。
私の生徒や仕事仲間達で構成された弦オケなのですが、soloを演奏しているViolaの女性の人は、都響のtop(だった)人・・(もう、今現在は定年なので・・ネ)です。
勿論、私の「売りカル」のmemberの一人です。
常設のオケの楽器の編成は、今の教室の編成とあまり変わらない、4+3+2+2+1とsolo‐Violaの編成ですが、Violaがsoloで抜けたので、指揮者の私が、Violaを一人で弾いています。アハッ!
曲はTelemannのViola-Concertoです。
舞台は相模女子校の演奏会場で、公開演奏です。(公開という意味は、学校の学生を対象にした演奏会ではなく、一般公開・・という意味です。)
勿論、相模女子校では、学生達を対象にした、学内コンサートもよくやりましたけれどネ??


※)「売りQuartett(ウリカル)」というのは、音楽の業界用語で、営業活動専用のQuartettの事です。
結婚式やpartyや、録音等、汎ゆる営業活動をしています。
勿論、仕事はプロダクション経由の受注なので、結構、月に2,3本も演奏すると、1月の生活費としては充分です。
演奏する人達はProのオケとかに在籍していて、演奏家の名簿に名前を連ねた女性だけなので、歩合制で、私はその上がりの上前を刎ねる役職です。
3分の1をproductionが持って行って、その残りの3分の1を私が貰って、残りの1/3を演奏家の人達が1/3を取ります。
演奏家一人一人の取り分は微々たるものです。
productionの仕事は、色々なホテル等を回って注文を取って来る大変な仕事なので、人材も時間も必要なので、その取り分は当然だと思います。
私の取り分の仕事の意味は、Quartettの育成と、楽譜や譜面台等の周辺機器を提供する事と、演奏者を探す事なので、それなりに重要な役なので、当然なのです。 
演奏者は与えられた楽譜を定められた場所で間違えないように演奏するば良いだけなので、それはコンビニのバイトとあまり変わらない仕事なので、それで充分な金額だと思いますよ??
こう言った商売は、芸術ではなく、単なる商売なので、私が本来的にする仕事ではないし、ましてや、repertoryがstandard‐melodie迄なので、私のClassic‐onlyのpolicyからは外れるので、お金にはなるのだけれど、教室を開設する以前にこの商売や楽譜類や仕事道具類は、quartetのmemberの女の子に譲って完全に手を引いてしまいました。
今は、そういったお話が来ても、他のグループので人達に回す事にして、自分で仕切る事は一切していません。




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10月28日下準備が ·
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『またまたまた、・・・』 ・・・これ以降の文章は、携帯の調子が悪くて、一度、入力したのですが、その文章がぶっ飛んでしまって、入力する事が出来なくなったので、以降の文章は入力するのを諦めて、取り敢えずは寝る事にしました。
(10月27日日曜日の深夜の話です。)
・・・という事で、『今日は10月の28日の月曜日です。』
昨日の日曜日は、千葉の教室で、オケや室内楽を申し込んだ生徒達に、楽譜を渡して初見で演奏をする、所謂、『初見大会の日』だったのですが、3回オケ、専科オケ以降のmemberは、教室開設以来の最低の人数になってしまいました。(室内楽の人数にも至っし無かったのですよ❢❢)
それでも、曲数はメチャクチャに多いのよね?
「これは、少しなんとかしないと・・」と、思ったのだけど、秋の発表会以降の「曲決め」では、春の発表会までのあいだにChristmas会が入って来るので、Christmas会での室内楽やsoloやオケを含めると、一人一人に渡す曲数が異常に多くなってしまいます。
・・・という事なので、チョッとビックリしてしまうのですが、実際の曲数は、春の発表会の曲とChristmas会の曲を個別に分けて見てみると、いつもとは全く変わっていないのですよ??
昨夜、オケの顔合わせと曲渡しと初見大会が、終わって、大急ぎで、千葉から椎名町に帰って来て、先生達と晩の食事とドルっ歩を済ませたら、1時頃になってしまったので、私のnotePCやオケ室内楽の資料等の荷物は、椎名町の玄関に置きッパのままで、大急ぎでハイツに戻って来て、後片付けもしないままの放ったらかしのままで、寝てしまいました。
つまり、目が覚めて直ぐに、色々と書き込んだはずの文章なのですが、携帯の調子が悪くって、打ち込んでupしてはずの文章が、書き始めた最初の文章だけが残ってupされて、それ以降の文章は、全部ぶっ飛んでしまいました。
チョッとShockで、編集履歴等を探して見たのですが、編集履歴自体が出て来ないで、何処にも書いたはずの文章が見当たらなくなってしまったのですよ。
超、バテていたので、『熟睡をした・・』と、思ったのだけど、『またまたまた・・』と話が続きます。
それはそうと、『またまたまた・・』の「尻切れトンボの書き出しの文章の先は、どう続くのか??」というと・・・
『またまたまた・・』の文章の後は、私の記憶では、多分、『昨晩は1時過ぎに超疲れて寝込んでしまったのに、routineで4時44分頃には、体調とは無関係にtoilette‐timeに目が覚めてしまいました。』と、続いたはずなのですがネ??
そうそう、昨日の日曜日は、千葉への出発前にも色々とhappeningがありました。
「Christmas会でJonassonのカッコウワルツのrevengeをしたい」・・という申し込みがあったので、どうせならば、秋の発表会では間に合わなかった「難しversionで演奏したら??」という事で、時間が無くて、応急的に作った「難しversion」を曲渡しまでに、急遽、頑張って作り直したのですが、「子供達から前回見せられた譜面よりも易しくなっている・・」という話を聞いて、慌てて出発前に椎名町の事務所に送ったはずのfinaleをcheckして見たのだけど、part譜が保存されていなくて、難しversionを開こうとしたら、カッコウワルツの難しversionが全部ぶっ飛んでしまいました。
この原因は、昔々に古いfinaleで作成した楽譜を、新しいfinaleのversionで開く時に、時々起きる整合性の現象なのです。
仕方がないので、新しいfinaleで白紙のtemplateを作って、そこに、ただ一つ残ったCelloのpartをコピペして、Pianoのpartは、椎名町に送ったmailの添付書類からtemplateにcopyしました。
それから、千葉に出発の時間ギリギリまで、問題のViolinのpartを、私の記憶の限りにfinaleに入力して、千葉行きに間に合わせました。
(「ホントかな??」という感じなのだけど、どれが正解か??という解答になる楽譜が無くなってしまったので、致し方ありません❢❢)
普段ならば、結構ゆとりを見て時間を決めるのですが、finaleのtroubleで、時間ギリギリになってしまったので、焦り捲りの、超、イライラの最悪の運転になってしまいました。
いやあ、という事で、昨日は、何かと、超大変だったのだよな??
しかも、そこまでして、頑張って作り直した譜面(❢)なのだけど、オケの楽譜渡しが遅れ遅れで、間に合わなくて、押し捲くっていたので、楽譜渡しの次いでに、郭公ワルツのpart譜を渡そうとしたら、「時間がないから後回しにして❢❢」と言われてしまって、その場では渡せなかったのですが、案の定、結局、最後に渡すのを忘れて、渡せずじまいでした。
『後で・・』と言って、その1,2秒を惜しんで、それが上手く行ったためし(例)は一度もないのだけど、『また・また・また・・』その私のRat(=ヨージーの法則)を証明(=具現化)する事になってしまいました。
たった、1秒を惜しむ事で、(次に楽譜を渡す迄の、)数日を失う事になりましたよ。  
何時もその話はしているのに、ね~~ぇ??
「次回の練習までに渡せば良いのじゃあないの??」「何を焦っているの??」・・って?
だって、Christmas会迄は、後、7週間なのだよ??
つまり、lessonは7回しか無いという事なのだよ???
time is moneyなのだよ❢❢  な??
ドルを見習いな~よ❢❢




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10月28日『学業との板挟み』と『芦塚methode』 ·
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教室の常なのですが、『生徒達の学年が上がって来るに従って、学業との板挟み』になってしまい、練習がままならない・・生徒達も出て来くる・・というroutineがあります。
本当の事を言うのならば、教室の生徒達は「練習を真面目にする生徒はいない」・・ので、否、・・「練習をする」という生徒でも、毎日の練習を「10分、20分の練習」・・する生徒は、教室には殆どいません。
(あ~っ、ごめんなさい?? 唯一、君はちゃんと練習をしている例外だったよね??)
だから、所詮、練習なんかしていない分けだから、「勉強と音楽の練習との板挟みになる事」等は、現実的には無いはずなのですが、国民にとっての『天下の休日である日曜日』を、一日だけ『音楽三昧』にしている事ですら、父兄にとっては許せなくなってしまうのですよ。普段は幾ら頑張って勉強していても、それを父親が見る事は無いのですから、普段どんなに勉強していても、それを父親が理解出来る事はありません。
(という事で、「日曜日もちゃんと勉強しろ❢❢」という事は、普段の生活を知らない父親の、ただの情緒的な感情的な話しでしかないので、私がここでこの話しを取り上げて論ずる価値はありません。)
私に言わせて貰えば、一般の会社であっても、一日中、仕事をやっている企業の仕事効率は、超、非効率な時間だけのノルマであって、非生産的であって、現代の社会の企業に例えて言うと、今では、そんなblackな企業はありませんよ。
企業がある程度、自社の営業効率を上げたければ、適度な気分転換は絶対に必要なのですよ。
もしも、そんな当たり前の事も出来ない前近代的な企業ならば、globalstandardな今日の社会の中では、生き残れる分けはないのですよ‼
大人の社会ですら、そぅなのに、ましてや、子供達の勉強では・・・言わんをや・・・です。
まあ、一般の大学に進学を希望する生徒達ならば、本人が臨んで、「勉強のonly三昧になった」としても、教室にはなんの支障も、関係もないので、それはそれでなんの問題もないのですが、・・・もし、その生徒が、将来、「音楽の世界に進みたい・・」と希望するのならば、声を大にして言いたいと思います。
『学業と音楽の勉強の両立は決してありません❢❢』
高校生までは、学校や塾に専念して来て、高校生になった途端に「音楽大学に行きたい❗」なんて事を言われても、教室としては困ってしまいますよね~ぇ⁉
それは、有り得ない事でしょう⁉
子供達や親の情に絆されて、ついつい、願望を聞いてあげたのが、**の始まり・・ですかね~ぇ??
でも、そういったお話は、教室にとっても、特別な一部の生徒だけのお話なので、ここでは触れない事にします。
話が長くなるから・・という理由だけだし、これまでもhomepageやFacebookで、耳にタコが出来る程、話して来た(書いて来た)事だからですから~~ネ??
「学業と音楽の両立のお話」です・・・
『芦塚methodの話し』なのですが、教室にいる生徒達で、結構、上手な子供達に、「『自分が練習しなくても、結構上手に演奏出来ているのは、自分の能力だ❢』と、思うか??」と言う質問に対して、子供達は、「そう思う❢」と答えてしまうのだよ。
超、腹立つよね~ぇ⁉
勿論、子供達に取っては、それが本音なのですがね・・??
子供達に発想を転換して、逆の立場から質問をしました。
「学校の勉強を10分間だけ勉強して、100点満点が取れるか??」と聞いて見ると、子供達は「それは無理❢❢」と答えます。
でも、教室の生徒達は、毎日練習をちゃんとする生徒は少ないし、練習したとしても、10分、20分ぐらいしか練習をしない・・のだよね??
それで、発表会で弾く曲が、普通「弾けるようになる??」と思う・・??
一般の音楽教室や音楽の先生達に習った場合には、「音楽を専科にする」と決めた段階で、『毎日、1年中、絶対に練習を休まないで、しかも、5時間以上の練習が必要となるのですよね??
それで、どれぐらいの技術をマスターする事が出来たのかな??教室の生徒達と同じぐらいのlevelで演奏出来るのかな???
アハッ! という事は、練習しなくても、上手くなる事は、『音楽では当たり前』でも、『勉強では不可能』・・・という事なのだよね~っ???
10分の勉強で100点満点を取る事は出来ない・・・という答えは、それは、超、矛盾しているよね??
どうして~~??
これまでも、偶然に、私が、(小学3,4年生の教室に入会したばかりの)子供に、私の「芦塚methode」で、での勉強のコツを説明したら、それを実行した(❢)生徒達は、全員、教室で私が説明をした・・次の週から、高校を卒業するまでの間、学年で1番・・を通して来ました。
勿論、音楽の勉強も・・・です❗
つまり、私の言う事・・(所謂、芦塚methodeで)学校の勉強をすれば、全く勉強をしなくても、成績はtopを持続出来る・・という事は、もう既に、何度と無く、現実のお話として、証明され続けているのだけど、それが、一般化(普遍化)しない大きな理由は、私のmethodeには、一つ、大きな問題があって・・・
小学生の時から、大学に進学する迄の間、topを通して来た生徒達に、それを(勉強しないでも学校の成績をtopにする方法を)「後輩達に自分の勉強法を説明して・・」と言うと、『普通の事を普通にやれば良いのよ❢❢』としか言ってくれませんのですヨ???
『だから、あなたがやっている「勉強法」は普通の方法ではないのだよ・・❢』と幾ら、言っても、彼女達自身がそれを分かっていないのだよ~~??
実際にそれを体現化している生徒達ですら、説明の付かない事を、私が幾ら『・・実際の指導を見てもいない、親や他人に』、説明したとしても、誰からも、理解して貰えないのは、当たり前の事なのでしょう??
その『当たり前』の『何でもない』、『努力』すら必要のないmethodeを、・・どの様に説明すれば良いのかね??
逆転の発想の、もう1つのcaseという事で、「音楽を専門的に勉強しよう❢❢」と、頑張っている、一般の教室の生徒で、真面目に、毎日の練習量が4時間以上している生徒・・に対して、教室の練習法を説明して、私のmethodeでlessonをした事が多々あります(実験的に・・なのですが・・)
そのcaseの場合は、lessonやlectureが、上手く行った事はありません。
教室の生徒達にとっては、普通の普段の何気ないlesson、lectureなのですが、そう言ったlessonを受けた経験の無い生徒達には、どうして良いのか・・理解出来なくなってしまうのですよ。
その一つの例を上げれば、オケ練習の最中に、私はよく『無駄話し』をします。
教室を開設したばかりの、昔々の生徒達はlessonで、一回もPianoに触る事も無く、楽譜を開く事すら無く、『無駄話し』だけで、lesson時間が終わってしまう事がよくありました。
という事なので、私の直属の多くの生徒達は、私の『無駄話し』が大好きで、私の『無駄話し』を聞くと、lessonを2,3回受けたように、見違えるように技術が向上する事がよくありました。
しかし、近頃のオケや室内楽の生徒達は、私の『無駄話し』を聴く事が苦手です。『無駄話し』と『雑談』の区別が付かないのですよ❢❢
だから、一週間前のオケ練習で私がその曲に対して注意した事を、今回の練習で、確認をするために、「発表して❢❢」と言っても、前回のオケ練習の注意を復唱する事が出来る生徒は、今は、たった一人しかいないのですよ❢❢
お姉さん達は、その場に居ても、絶対にそのlectureには、参加して来ないので・・ネ??
何時も教室で他の生徒達にlessonしているようなlessonをして、その練習の説明と実際にその練習をさせたら、「こんな練習はとても無理❢❢」と言って10分20分のlectureにも付いて来れなかったし、家での練習でも私の宿題にした練習法では、30分も練習が出来なかったのですよ❢❢
四日市教室は、video-lessonなので、直接、接する事はありませんが、私がPianoを指導している生徒がいて、その内にそのvideo-lessonの送って来る内容が、通り一遍曲を弾いて、「このpassageは**の理由で弾けないので、**を直して、こういう練習をします。」とか、弾けない原因と、その練習法迄送って来ます。私としては「では、その様に練習しておいてください。」としか言えないのよね~ぇ??
その子が、次の日の四日市の発表会で、Celloを弾く事になったのですが、自分の部屋で寝転がったまま、楽譜を「フン・フン」と読んで、次の日の発表会では、暗譜で完璧に一音も外さないで、ちゃんと弾くのですヨ??
お母さんは「一度も、Celloに触りもしないで、暗譜で演奏してしまうのですよ❢❢」と怒り捲くっていました。
音楽大学卒業生のお母様としては許せないのですよ❢❢
その態度がネ??
だって、自分は真面目に練習をして、暗譜をしないと弾けないのだから・・、そういう態度は許せないのですよ❢❢
私にとっては、他所の家のお話なので、練習しないで、完璧に弾ければ、そちらの方が費用対効果は絶対良いと思うのですがネ??
そういった練習法、学習法は、教室にいると、極めて、普通の練習法であり、lessonであり、lectureなのだけど、一般の人達にとっては、そう言った『無駄のない練習法」は、辛い・・というか、出来ないらしのだよ❢❢
意味の無い練習を、10時間以上も続ける方が、私には耐えられないのだけどね??
だって、10時間、毎日練習を積み上げたとしても、それで覚えられた・・という確信は得れないのでは??
つまり、教室の生徒達でも、学校の勉強になると、学校の先生や回りの学校のお友達の勉強法と同じ方法で勉強を始めてしまうのだよ。
それは日本人特有の『時間を掛けた』という事に対しての安心感なのだよ。
「これだけ時間を掛けたから、その努力を認めてよ~~❢❢」てな事なのだろうかネ??
でも、何時間、何日間、練習を積み上げたとしても、出来なきゃ、意味は無いだろうが???
どうして、一般の人達は、その事が分からないのだろうかね??
私は生徒達によく、『4マス』の考え方を説明します。
仕事を「速度」と「完成度」に対しての比較をする事で、4マスにすると、①番は、速い完璧、
②遅い完璧
③速いミスが多い
④遅いミスだらけ❢❢
・・の順番になるのだよ。
・・それで、『仕事として成り立つ』のは①番だけなのだが、例外的に安い場合とか、特に急いでいない場合には、②の可能性もある・・かもしれない。
③番と④番は、学校教育界では有り得るのかもしれないが、実社会では、絶対に有り得ない仕事なのだよ。
時間を掛けて、丁寧に勉強して、結果が100点満点で無かったら、それは欄外の⑤番の『有り得ない仕事法❢❢❢❢❢』になってしまうのだよ。
親は、仕事をするために、実社会で働いているはずなのだけど、一旦・・子供の事になってしまうと、全く「思考が停止」してしまうのだよ。
世の中に、家庭と同じような、そんな「過保護の世界」が有り得ると思っているのかね??
全く練習をしなくても、これだけの水準をkeepしている子供達が、学校の勉強の事になった途端に、芦塚メトードが0になってしまうのは、私としては、全く戴けない❢❢
しかも、音楽の勉強は時間を掛けなくても出来る・・と思い込んでいるのだから、超、片腹痛いわサ❢❢
東大を受験するよりも、芸大を受験する方が、数倍も難しいという事は知っているのかね??東大生なら、皆言っている事なのだけどね??
教室の外の、教室以外の回りの「音楽を目指す生徒達」は、学校のお勉強と同じように・・、というよりは、それ以上の時間を掛けて、音楽の勉強を必死にしているのだよ??
その事が理解出来ないと、芦塚methodeは理解出来ないのかな??
・・・だよな??
所謂、『詰め込み型の勉強』をする生徒達にとっては、『時短が基本である芦塚methode』の勉強方法は、「勉強をしていない❢❢」「勉強をする事が出来ない!!」という精神的なpressureで、耐えられなくなってしまうのですよ❢❢
私が大学の講師をしている頃は、学生達には、Reportの書き方、調べ方、分析法・・等々を授業で指導しました。
Reportその物の評価をするよりも、Reportを作り上げる迄の過程を学ぶ事の方が、指導者としての将来としては、役に立つからなのです。
という事で、教室の生徒達のように、音楽の勉強の時には、なんでも無くその『時短による練習法』が出来るのに、学校の勉強になった途端に、時間を掛けた無駄な勉強法しか出来なくなってしまうのは、困った事だよな~~ぁ??
でも、この話は40年間もしている話なのだからね??
ここでのお話も無駄なお話なのだよ??





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10月29日 tunerのお話・楽譜のdataのお話・Albinoniのお話・等々·
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今日は10月の29日火曜日です。
時折、書いているので、またまた、のお話になってしまいますが、Facebookを書くのは、その日が終わった後なので、お話は一日遅れのお話になってしまっています。
つまり、このお話も29日の火曜日のお話ではなく、28日の月曜日から始まります。
『tunerのお話』
前々から椎名町は・・、というか、椎名町に限らず全ての教室は、どうも昔々から「Black-hole」らしくて、発表会前から、それぞれのCembalo専用に・・買い揃えていたtunerが一台も出てこなくなってしまい、仕方がないのでハイツの大型Cembalo用の私のprivateのtuner-setを応急に貸し出したのですが、未だに専用のtunerが見つからないままなので、貸し出しっ放しになってしまっていたので、超、頭に来て、私のtunerは、有無を言わせず回収する事にしました。
『楽譜のdataのお話』
色々な道具や、「こんな大型の荷物ならば、絶対に失くならないだろう」・・と思われる大型の物までが、見つからなくって、已む無く、買い直しをさせられる事がなんと多い事か???
・・と思っていたら、昨日は、流石に超❢❢Super❢Ultra❢❢Shock❢❢❢で、久し振りに、怒り心頭に発して、怒鳴り出してしまいました。
私の作った楽譜のdataが失くなっていたのですよ。
Albinoni=Giazottoの2015年のAshizuka-versionの楽譜が・・・・
これは、Shock❢です。
『Albinoni=Giazottoの版を改定するにあたってのお話』
これまでの「Albinoni=Giazottoのadagioの演奏」なのですが、最新の演奏は2015年のChristmas会の時の演奏になります。
この年には、私が「楽器購入の発作」を起こして、「Rolandの電子Cembalo」を購入したり、「viola da gamba」を衝動的に、買いに行ったのですが、その電子PianoのOrganの音色が非常に気にいったので、電子Cembaloを生徒達に見せるために、15年12月のChristmas会で、Organがmainの曲であるAlbinoni=Giazottoのadagioを演奏する事にしました。
しかし、そのAlbinoniの練習に入って見ると、12月のChristmas会の出演者は、どうしても、高校受験や大学受験と重なるために、orchestraの出演者が非常に少ない・・という事と、又、それとは別の理由なのですが、実は、Albinoniのadagioのorchestrationは、結構大orchestraを想定して書かれているので、各partが非常に薄く書かれています。
作曲技法では、大orchestraの場合には、声部を薄くする方が、melodieのlineがclearに聴こえるのです。
だから、小編成のorchestraの場合には、声部が貧弱になって、みっともなく、悲しくなってしまうのです。
という事で、15年のChristmas会では、私がarrangeを変更して「さも、大編成のstring-orchestraに聴こえるように」arrangeをし直して演奏しました。
15年程前には、Albinoniのadagioは、私が大和成和からの死の旅からの生還した時に、東京での発表会で、演奏をしたのですが、その時にも、子供達のorchestraはとても上手だったのですが、Organの先生が大チョンボをして、You Tubeにupする事が出来ませんでした。
次に15年のChristmas会の演奏なのですが、人数が少ない事は、なんとかarrangeでcoverをしたので、人数不足はなんとかなったのだけど、soloが、やはりどうも上手くいきませんでした。
オケの連中は中々上手なので「その内に機会があれば、是非にrevengeしたいな~ぁ??」と思っていたら、生徒から「Christmas会でAlbinoniのadagioを演奏したい❢❢」と、いう事をお願いして来たので、これ幸いにChristmas会のrepertoryとしてprogramに乗せる事にしました。
それは良いのだけど、顔見せの初見大会の『譜面渡し』の時に、私が準備されていた楽譜を見たら、市販の出版されている楽譜が準備されていたので、チョッと頭に来てしまい、初見大会はしませんでした。
それから、椎名町の事務所に帰ってから、私のarrangeのAlbinoniのfinale-dataを事務所で探す約束だったので、ハイツの自宅で、待っていたのだけど、椎名町からの報告は、「椎名町のパソコンには私のAlbinoniが保存されていない」・・というshockingな報告でした。
ハイツのパソコンも一応調べたのですが、Albinoniのfinaleのdataはおろか、その楽譜すらも置いていませんでした。
・・という事で、Black-holeの話に戻ります。
『Albinoni=Giazottoの改なrenewal版の作成にあたって』
いつまでも、怒り心頭に発していても、建設的ではないので、深夜の1時過ぎに椎名町からハイツに戻ってからは、大急ぎでAlbinoniのadagioのfinaleのtemplateを作って、全くのrenewalのversionを作成を開始しました。
・・という事で、お昼前の11時頃には、renewal-versionが完成して、その演奏を聞いています。
前回のrenewalのversionは、originalの楽譜はそのままにして、その楽譜上の音の薄い箇所に、他のお休みのpartを重ねて、音が厚く聴こえるようにしたのですが、今回は『頭さ来た(❢❢)』・・次いでに、思いっ切り分厚くして、Giazottoさんが、古式豊かなmordentやschleifer等の装飾音を、楽典の規格通りに細かい音符で書いているのを、演奏譜として演奏の通りの音価に訂正し直しました。
GiazottoさんのOrganのpartは、Organを知らない人のPiano譜のままなので、Organとしての演奏は不可能に近いので、Giazottoさんのヘボい編曲はそのままにしておいて、演奏を二人で演奏すれば、ちゃんとOrganのような響きになるように訂正して起きました。
まあ、なんと親切な事❢❢
等々々・・・・、色々と説明すれば限が無いのですが、昨夜は余り眠れ無かったし、腹も減った(!)ので、Facebookでの報告はこれぐらいにして起きます。アハッ!



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10月30日大量の仕事と体調不良で・・・ ·
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今日は10月の30日の水曜日です。
通常のrotationでは、日曜日はオケ練習のために、結構、体に負担が掛かるために、月曜日は体を休めるための休養日にしていますが、月曜日だけでは、体調が元に戻らなくなる事が多くなってしまい、火曜日も、安息日にしている事が、多いのです。
前回のFacebookにも書いたように、今回の日曜日の「曲決めと初見大会」では、「楽譜渡し」で準備した楽譜が、私の校訂した楽譜ではなく、更に、その校訂した楽譜が、椎名町がBlack-hole状態になっているために、楽譜の成作や楽譜探しに追われてしまって、月曜日は通常のrotationである私の休養日にはなりませんでした。
体調的にも月曜日は、起きた時から腰痛が起きていて、その後は、左足の膝関節が痛くなってしまいました。
という事で、夜の「ドルプリっ歩」はとても体調的には無理だったのですが、その日1日中、パソコンに向かっていたので、気分転換も兼ねて、頑張ってお散歩に付き合いました。
その後、夜の1時過ぎ頃に、やっとハイツに辿り着いて、仮眠をしてから、3時、4時頃には、Albinoniの編曲に取り掛かりました。(事実上は、火曜日の朝(深夜)になります。)
次の火曜日の午前中迄掛かって、arrangeを完成させて、夕方にはlayoutも終わらせました。
「なんで、そんなに焦っているのかね?」・・って??
・・だって、未だ恐怖のWeberの『Andante e Rondo ungarese 』の「score作成」と「part譜作り」が待っているのだよ❢❢
これは結構膨大な仕事量で、こればっかりは流石の私でも、(私の時短のためのtechnicを駆使したとしても、)どうしても一週間は掛かると思われるのだよ❢
私の仕事はそのfinaleの仕事だけではなく、未だ注文のvideo作成や、色々な企画等々の雑多な仕事を並行させながらのfinaleの仕事なのだからね??
という事で、月曜日と火曜日が私の休憩にならなかったので、流石に今日の水曜日は、朝から起き上がる事が出来無くなってしまって、体が重く・・ダルくって、意識も混濁して、何度も携帯でmailをしたはずなの文章が、実際には、なにも出来ていない・・という事になって、すっかり困り果ててしまいました。
夕方の5時過ぎになって、糖質制限ご飯をレンジで温めて、千葉の高速のPassageで買ってきた卵で、卵かけご飯を食べたら、なんとか起きて雑用をする事が出来るようになりました。
シンクには、日曜日からの洗い物が溜まっていたので、それを洗って、やっとパソコンを開けてmail等のcheckをしました。



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10月31日finaleに入力しようと思ったら、パソコンが ·
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今日は10月31日の木曜日の朝の8時20分です。
実は、昨日は2時過ぎにやっとbedに入る事が出来たのですが、7時前には、もうtoilette-timeに目が覚めて、もう一度、寝直す前に、私の一番嫌いなコツコツ作業を、という事で、問題のWeberのAndante e Rondo ungareseのViola-partを、one-phraseだけ昨晩、椎名町から帰って来て、finaleに作ったtemplateにViolaのsoloのpartを入力しようと思って、Keyboard台の隣にdata-folder(まあ、所謂、譜面台)を置いたのですが、その途端に、Keyboard台のUSBの接続がkaputt(壊れて)しまいました。
超、Shock❢❢です。
この2,3日、腰痛や左膝が痛くて重たいものはおろか、歩く事も上手く出来ていないのに、超重たいdisplayが2台も乗っているパソコンdeskを動かして、死んでしまったKeyboard台のUSBの配線を別配線に変えて見たのですが、やはりパソコンが動かなくって、強制終了と、再起動をさせてやっと元の状態になりました。
その過程で、tableや、rackを動かさなければならないので、鉛筆立てを全部ひっくり返して、床にバラ撒いてしまいました。
その後片付けが、また、面倒くさいのだよな~ぁ??
というナンタラカンタラで、丸々小一時間も失ってしまいました。
パソコンdeskの下は綿のように埃が積もっていたので、こまめちゃんで掃除機を掛けたので、少しスッキリとしたのかな??
それにしても、腰痛と膝関節の痛みが心配だよな~ぁ??
クソ真面目に「one-phraseでも、コツコツと入力しよう」なんて、似合わない事をしようとしたので、神様が「これ、これ、そんな真面目な事をするのではない❢❢」と怒ったのかな??
アハッ!

パソコンの再起動と配線の修正が終わったので、one-phraseだけ、Viola-soloのpartを入力しようと思ったのだが、なんと2時間も入力をしたしまった。
でも、soloの3Page迄しか、入力出来ない。これは思ったよりも大変な作業になったぞよ。
soloだけでも、6Pageもあるのに、未だ3Page迄しか出来ないのだよ❢
根性と忍耐力と克己心の勝負だよな~ぁ??参った❢❢
今はもう夕方の4時です。
お昼から入力を続けているのですが、延々と入力しているのにも関わらず、全くPageが進みません。
いやあ、パソコンの画面を見ていたら、熱が出て来たゾ❢❢
風呂にでも入って休むか??

コメント
塩澤 一範
プロツールスまた始動しますが、趣味程度でまた始めます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
パソコンのmakerも、パソコンの修理の人達も、パソコンがサクサク動けば、それで良し・・・何処しますが、私達に取っては、パソコンは単なる道具に過ぎません。windows7が10になる必要は全くないのです。mailが出来て、lineが出来て、finaleや動画の編集が出来れば、パソコンである必要は全くないのです❗私に取ってはパソコンは、洗濯機や冷蔵庫と同じものなのです。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
教室には、先生達のnoteパソコンが数台と、教室の仕事用のパソコンが数台あり、それをwindows10にしなければなりません。来年の1月14日はもうすぐだからです❗makerは新しいパソコンを購入させたいのでしょうが、それは経済的に不可能です。と言うことで、harddiskの壊れたnoteパソコンから、harddiskの交換と10へのお引っ越しを始めました。仕事に支障が出ないように、パソコンの遣り繰りをするのが大変です❗



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10月31日芦塚先生のfinale教室 ·
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今日は10月31日木曜日の夜の8時半です。
『finaleの入力法』
夕方の5時6時頃まで頑張って、weberのviola-concertのsoloのpartをfinaleに入力しました。
たかだか、soloのpart譜6pageだったのだけど、丸々24時間も掛かって、熱まで出て大変でした。
①templateの作成
多分、scoreが、届いている頃なので、丁度templateの作成のtimingとしては、よく出来た方です。
私の場合のtemplateの作り方は、scoreに拍子や複縦線、繰り返し記号等々を先に作って、全体の小節をlayout的に作り上げてしまいます。
入力元になる原譜は小節番号が書いていない場合が殆どなので、楽譜に小節番号を書き込みます。重要なcheck-pointには、小節番号を書く位置ではなかったとしても、敢えて、書いて起きます。missを防ぐための手段です。
料理で言うと、下拵えの前の、食材や鍋釜を出す所までの作業でしょうかね??
次には、solo譜がscore入力のguidelineになるので、ここまで済ませておくと、良いのです。
これが多分下拵えの作業でしょうかね・
②コピペ作業
後のpointは、音符の入力の回数を如何に減らすか・・・という技術になります。
パソコンを教える時に何時も注意をしている単語登録や、文章を作り上げる時の入力の作業と同様です。
themaや繰り返される重要なmotive等は、基本コピペで、scoreに虫食い状態の譜面を作ります。
motiveやthema等の調が違う場合には、元々のmotiveをコピペした後で、一気に移調させます。
③skipの音符の入力
soloの入力で最も大変だったのは、16分音符のskipの入力でした。
昔の生徒達は、real-time入力が出来るので、普通にPianoを弾くように楽譜を弾いて、一気にfinaleに入力していたのですが、私の場合は、演奏の精度が悪いらしく、中々そのreal-time入力が出来ません。
だから、私の場合には、鍵盤で音を弾いて、数字で音価の入力をします。片手で鍵盤を弾いて、片手で数字keyを押すのです。
finaleには、小節を越える音価を入力する事は出来ません。だから、16分音符と32分音符のskipが繰り返される音符の入力では、付点の16分音符でも、32分音符でも、私は最初に16分音符で全部の音を入力してから、先に32分音符の音を変換させて行きます。
一小節内には、小節に必要な音価以上の音符は入力出来ないからです。
16分音符を32分音符にしてしまうと、音価が空くので、それから付点を入力して行きます。
これでも結構時短になります。
もう1つの方法は、同じrhythmのpassageをcopyして、音を代えて行く方法もあります。
それは、どちらが、より速いかです。
こういった作業をすると、早くに虫食いの譜面が出来上がります。
そうすると、結構早く譜面を作る事が出来ます。
勿論、そんな入力の方法がある分けでは、ありません。これは、あくまでも、私の時短の入力法なのですから。
コメント
塩澤 一範
いいな〜。技術を磨けて、羨ましいな。
· 返信する · 1年前
塩澤 一範
今日久々に、ヴァイオリン出したのですが、チューナー買おうかと思っているのですが、デジタルで針が動くやつが、あるのですが、他の音を拾ったりしないのかな?と疑問に思ってしまいました。ギターのチューナーは、かなり周りの音を拾っていたのが、記憶にあるのですが、先生は、どう思いますか?
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
私の持っているtunerも針での音合わせは可能ではありますが、私は針ではしません。教室の生徒で何人かは針で合わせているようだけど、オケ教室の煩い所で平気で音合わせをしているので、弦楽器の場合には問題はないようです。その苦情※は聴いた事はありません。※回りの音を拾うという・・
· 返信する · 1年前
塩澤 一範
昔に比べてデジタル化が進んでいるのですかね?シビアにならなくて良いのかな?買って見ないとわからない感じですよね。試しに買ってみようかな・・・・。



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11月



11月2日finaleの入力について ·
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今日は11月2日の土曜日です。
この一週間は、私の仕事の全ての時間を、丸々、Weberの
『Andante e Rondo ungarese』(=アンダンテとジプシー・ロンド)というViola-Concertoのscore作成に追われてしまいました。
(・・・とは言っても、正確には先週の10月27日の日曜日には、応急でnetからdown loadしたsolo譜を、瑞希ちゃんに渡してからの話でなのですが、時系列的には5日前の月曜日に、楽譜屋にWeberのViolaの曲のpiano伴奏の楽譜の注文を出して、その後にも更にorchestraのscoreの注文を出す前の話しから、延々とお話が続いています。
そもそもは、christmas会で演奏をする予定のAlbinoni=Giazottoの曲のtroubleからのお話で、(そこは割愛して・・)Albinoni=Giazottoの曲を更に、今回もまた、arrangeのし直しをして、その曲のlayoutも済ませたので、weberのviolaの曲のorchestra-partのtemplateの作成に取り掛かったのは、その後の事になるので、私としては、土曜日から、延々と丸々一週間以上も、finaleの入力作業をしている事になるのですよ‼
(近年来、稀に見るfinaleの長期作業になってしまいました。)
勿論、finaleでscoreだけを作成すれば、後のpart譜の作成の仕事はfinaleが勝手に全部やってくれるから、後はそれぞれのpart譜のlayoutをするだけで、全部自動的にfinaleがやって来れるので、超、楽です。
私が少々無理をして1週間も頑張ったのは、『出来れば、明日11月の3日の日曜日のオケ練習で、3回組のmemberに、weberの譜面を渡したいから』・・・という事なので、チョッと頑張り過ぎてoverworkになってしまったのかな⁉
楽譜は未だ最終稿ではないので、明日の日曜日はProbe(試演)で、取り敢えず演奏をしてみて、問題の箇所がないか・・??色々と落としは無いか??のcheckをするのが基本的な目的だから・・です。
流石に、「一週間、パソコンの前に座り放し」だと、腰痛は起こるし、尾骶骨・・(所謂、尻尾)は腫れ上がって痛いし、目はボケて見えなくなって来るし、頭が火照って熱迄出て来るし・・と、何かと大変でした。
『編集のお話に戻って』    
楽譜のcheckをしてfinaleで出力する作業の事を、ドイツ語では「bearbeitnung」と言いますが、日本語では、一般的には、校訂、校定、稿訂、改定、編曲等々の言い方がありますが、それぞれに意味が違いますので、譜面に書くには、それぞれの言葉の厳密な定義が必要となります。
(このお話しはhomepageやFacebookでも、度々書いていますので、話しが長くなってしまうので、省略する事にして、その実例のお話をします。)
『Hennry Purcell、Chaconne in gのBenjamin Britten版の話』
Hennry Purcellの『g mollのChaconne』のイギリスの大作曲家であるBenjamin Brittenの編曲版がある事を知って、早速、楽譜屋に海外発注をして、楽譜を手にれてました。
この楽譜は、Brittenの作品として出版されていたので、私としては、てっきり、『青少年のための管弦楽入門=Hennry Purcellのrondoの主題による』のような感じの、擬古典の曲だろうとばっかり思って、「早速、八千代で演奏しよう」と楽しみに、生徒達に楽譜を配って、イザ練習に入って、超、ビックリしたのは、それは書かれた当時の記譜を、実際のperiodの演奏のrhythmになおして、記譜し直したままの、所謂『演奏譜』だったのですヨ❢❢
つまり、私がそれまでにも演奏をして来たperiod-versionのHennry PurcellのChaconne in gと、全く同じ演奏譜だったのですヨ❢❢
こう言った譜面の場合は、原則的には、編曲とは言わずに、『演奏譜』というのが正しい表現になります。
ドイツ語ではこう言った演奏上の解釈をする譜面の事を『Realisation譜』といいます。
『当時の時代背景での演奏上の慣習(所謂、時代考証)をそのまま、現代の譜面に置き換えた(書き換えた)・・という事なのです。
それは学問的な決まり決まった事なので、個人としてのinterpretation(解釈)は必要は無く、誰が演奏しても、同じ演奏にしかなりません。
つまり、Brittenが書いた・・という事は成り立たないのです。
だから、Britten版という事を公言する事は出来ません。
書かれた譜面を実際の当時の演奏のrhythmに書き直す事はarrangeでも編曲でもないのは当たり前の話なので、日本でも、それは単なる校訂というか、若しくは演奏譜と言います。
ましてや、それはperiodの奏法(時代考証された奏法)なので、著作権が取れる筋合いのものではありません。
当然、音楽に対してのprideを持っているのならば、「著作権を取る」なんて事は、おこがましくて、出来ないはずなのですがね??
そう言った事は、中国の良識を持たない変な人が『黒毛和牛』と、商標登録をするようなもので、それを天下の大作曲家がやる事は絶対に許されない事なのです。
それを著作権では先進国であるはずのイギリスの出版社がやっているという事は、決して許せない事なのです。
『揖保乃糸』ですら、中国では商標登録を取っているそうなのでね???
本当に、Benjamin Brittenが著作権を取ったのか、Britten先生に聞いてみたいものですがネ??  
ええ~??  もう死んだか???
Britten版では、楽譜上に『arrangement』と堂々と書かれているし、おまけに著作権票まで付いていたので、proの音楽家としてはあるまじき許せない行為なので、超、頭に来てしまい、折角、生徒達に配ったBritten版の譜面なのですが、Britten版は即破棄してしまい、『Ashizuka-version』に変更してしまいました。
私の譜面では、演奏上のswing等を、現代譜に直した譜面は、編曲ではなく、『Realization by Yoji Ashizuka』と書きます。
このAshizuka-versionの譜面には、orchestra Bearbeitung(=orchestraに編曲した)と書かれています。
つまり、演奏譜+orchestrationという意味です。
『Pachelbel Chaconne in fのtransposeとarrangementの話』
同じ、八千代での演奏用の曲のお話なのですが、『PachelbelのChaconne in f』のMüller-Hartmannの弦楽orchestraとOrgan用のversionを、留学時代にMünchenで手に入れたのですが、八千代の演奏会用に練習を始めたのですが、練習を始めたら、そのarrangementがPachelbelのoriginalのpipeorganの3声部の曲を、そのまま、弦5部とOrganに移しただけの曲である事に気が付きました。
こう言った楽器を別の楽器に変える事は、私は『transpose』という言葉を使っていて、編曲とは言いません。
このPachelbelのChaconne in fは、pipeorganでの演奏ならば、それなりに、音響効果もあって良いのですが、それをそのまま弦楽orchestraに移しただけでは、なんとも貧弱になってしまい、演奏出来たものではありません。
pipeorganでは3声部で書かれた曲が多く、有名な曲ではJ.S.Bachのtriosonateがあります。(ensembleとしてのtriosonateではなく、triosonateの形を取った・・というか、単に3声部で書かれているから、triosonateと言っているのに過ぎません。)
「何故、Organでは3声部の曲が多いのか??」・・という事について、ですが、右手を下鍵盤、左手を上鍵盤、足でpedal鍵盤で、それぞれのpartを完全に独立させて演奏するので、3声部なのです。
Organでは3声部で書かれているのに、弦5部にarrangeをしているので、orchestraとしての『音の厚み』が削がれてしまい、弦楽orchestraとしては、頗る貧弱な音になってしまっているのですよ❢❢
只単に、Müller-Hartmann先生は、transposeをarrangeと言って、下手なtransposeをしてしまったので、結局、オケ練習では、その音の貧弱さに耐えられなくなってしまって、八千代の本番の演奏会では、Müller-Hartmann版の楽譜上に・・(というか、あくまでもoriginalのOrganの曲を参考にしながら・・という事ではありますが)新たに新しい音を積み重ねて、私のversionにrenewal訂正をして、本番の演奏に臨みました。
まあ、所謂、第一version(私の第一稿)という事です。
2回目の15年12月の花園自治会館でのChristmas会では、Müller-Hartmann版は全く捨てて、改にoriginalのpipeorganの譜面からorchestrationを試みました。
(前述のHennry PurcellのChaconneのBenjamin Britten版にしても、Pachelbelにしても、単純にtransposeをしただけの楽譜なので、originalの版とは殆ど変更がないのですよ。)
今回の19年の10月の千葉教室の秋の発表会では、その2nd-versionから、演奏する生徒の人数が少なくなった分を加味して、音を更に分厚くarrangeをrenewalしました。今回の3rd-versionのお話ですがネ??
『VeraciniのPassacaglia in dのLupi-versionの話』
transposeではなく、勿論、逆の場合もあります。
やはり、Münchenでの留学時代にMarien-kirche(マリア教会)の傍の楽譜屋で手に入れた古書のVeracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollの曲からのStreich‐Orchestraへのarrangeの楽譜を、16年の4月3日の春の発表会で演奏した※)のですが、この曲の場合には、不自然に現代風にしようとしたのか、変な音が響いたり、次のAlbinoni=Giazottoと同じように大orchestraを想定して薄くarrangeされているので、色々と改定をしながら、発表会で演奏をしたのですが、やはり、教室の小編成、少人数のオケでは余り良い演奏とは言え無かったので、私がLupi版からではなく、原典版から全くarrangeをし直して、renewalの改訂版を作って、今年(19年)の春の発表会で演奏に臨みました。Lupi版では1/3程にcutされている版なのですが、no-cutのversionでの演奏です。
※)楽譜を日本に持ち帰ってから、演奏までには40年近い年月が経っていたのですが、何度か発表会のrepertoryにあげようとしたのですが、そのVeraciniのPassacagliaの重苦しい雰囲気に先生達の総スカンを食って、保留になってしまっていました。
原典版からのarrangeに当たっては、出版されている楽譜が全てViolin-soloとbasso continuoなのですが、continuo-CelloとCembaloになっていたので、曲のimageと楽器の編成が合わないと常々思っていて、18年の2月28日から3月3日に向けてCembalo-partからpipeorganの伴奏に仕上げました。
斉藤先生からは「Organの伴奏ではViolinの音が聴こえなくなる」・・と、claimがあったのですが、 「positiv-pipeorganならば、音量の問題はないし、Veraciniもそれを意識して書いたはずなので・・」と説伏して、arrangeを済ませて、originalの演奏に臨みました。
勿論、私の作成(order)したpipeorganでの演奏です。
basso continuoの譜面を作る手間暇は同じなので、Organ用の譜面を作る次いでに、Streich‐Orchestraのversionも作りあげました。
『Albinoni=Giazottoの場合』
Albinoni=Giazottoの場合には、これまではorchestraの演奏の人数もそれなりに確保出来たので、『出版された楽譜通り』に演奏して来たのですが、15年の12月の花園の自治会館のChristmas会での演奏では、(中学生、高校生が、同時多発的に、受験年次になったために、)Christmas会のオケの出演者が極端に少なくなってしまったので、オケ練習の時に、余りにもorchestraの音の厚みが極端に薄くなってしまったので、少ない人数でも分厚く聴こえるように・・とarrangeを試みました。
・・その私の苦労の塊の私の制作した楽譜が、椎名町のBlack-holeに消えてしまって、元譜の原稿は元より、finaleのdataさえも紛失してなってしまっていました。
ふと気づくと、オケ練習の時に、出版された大本のRicordi版の楽譜を生徒達に配っていたので、私が【超、久し振りに】烈火の如く❢❢・・怒ってしまいました。
・・という事までが、前回のFacebookに書いたcommentでした。
『Ashizuka-versionの作成』
Ashizuka-versionをfinaleで作成する・・という事は、楽譜がない場合には、已む無く、当然な事なのですが、私が作成しているVivaldi等の譜面は、scoreやpart譜が出版されて、私が所有している曲も、数多くfinaleで譜面を作成しています。
「楽譜を持っているのにも関わらず、何故、わざわざ、finaleで入力して、楽譜をrenewalするのか??」という事を不思議に思われる人も多い・・と思われるのですが、その理由は、Vivaldiに限らず、baroqueや古典派の作曲家の楽譜では、originalの譜面が失われて存在しない場合も多くあって、またその訂正の仕方も、一昔前の考え方なので、間違えて書かれている場合も多々あるからなのです。
世界中で一番権威のある版は、originalの譜面から作られた原典版のハズなのですが、困った事にこの原典版でさえ、出版社によって音やarticulation等が違っていて困ってしまう事があります。
ですから、私の場合には、可能な限りfacsimile版を買い揃えて、疑問点があると、facsimile版※)を使う事にしています。(勿論、facsimileが残っている場合は少ないのですが・・)
※)100年前の時代には、facsimileは一般の人達に見る事は出来ませんでした。私達が手軽にfacsimileをcheck出来るようになったのはこの10年の話で、netが一般的に使われる用になったからです。一般には閲覧が禁止されていた楽譜が、netでは、一般無料公開をするようになったからです。ですから、一般では見る事が出来なかった楽譜が、簡単に見る事が出来る用になりました。
私の場合には、基本的に作曲家が自ら間違いを犯している場合には、敢えて訂正はしないで、commentでsuggestするだけにしています。
でも、校訂者のmissの場合には、権威のある版であっても、訂正をして演奏しています。そういった版の事をkritik-Ausgabeといいます。日本語では『批判・訂正・出版』という事なので、言葉を知りません。


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11月2日の土曜日です。(の続きです。) ·
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今日は11月2日の土曜日です。(の続きです。)
Violaの名曲として知られているこの曲ですが、fagotto-Concertoとしても書かれていて、実際はfullorchestraの伴奏の曲なのです。
という事なので、先ずは、fullorchestraをStreich(string)‐Orchestraに手直しをしなければならないのですが、melodieだけの曲やPianoの曲をorchestraの曲に手直しするのは簡単なのですが、より巨大な編成の曲を、より小さな編成にしていく事は、楽器を省いて行く段階で『音痩せ』が起こらないようにする事が大変なので、実際には簡単な作業ではありません。
弦と管楽器がフルに演奏している場所は、既に弦楽器が演奏をしているので、『どの楽器の音を削って、どの楽器に音を加えるか??』・・・の判断が迫られてしまいます。
無いものを工面するのは(お金でなくても)難しいのですよね。
このWeberの『Andante e Rondo ungarese』という曲を編集するにあたっては、楽譜屋に発注して手に入れたPianoの伴奏譜と、netで手に入れた楽譜と、Schott版のscoreの、三つの楽譜を比較検討してarrangeをしたのですが、細かな音がお互いの楽譜で異なるのは、いつもの常で当然の事なので、然程、驚きはしませんが、それよりも更に困ってしまったのは、それぞれの楽譜の小節数がscoreとPiano譜とnetの3つの楽譜で、全く違っていた事なのです。
Piano譜では、『音の比重』※)の性で、orchestraの音をそのままpianoに持って来ると、音が痩せて見っともなくなってしまいますので、音に厚みを加えるために、あるはずのない音(weberが書いたのではない音・・・)が新たに付加されていたり、phraseが勝手にcutされていたりします。
その主な理由は、orchestraでは楽器を変えて音色を変える事で、音の色彩的な豊かさを演出するので、同じphraseを繰り返したとしても、それは気にはならないのですが、Pianoでは同じ音色の繰り返しになってしまうために、orchestraでの『繰り返し』をpianoでする事の単調さを避けるために意図的に省かれたりしています。
Violaやorchestraの譜面を単純にfinaleに入力して、それぞれの校訂者によるarticulationやbowslur等々を訂正して行く前の段階で、こうした問題を、解決しておかなければなりません。
私のpolicyとしては、原則的には、作曲者の本来の音を優先します。
例え、大元の原譜と思われるorchestraの楽譜であっても、本来的には、作曲者が書いてはいないはずの音符が書かれていたり、あるはずの小節が割愛されているので、校訂者が勝手に付け加えた音符(というかmelodie)等々は、削除して、なるべく原譜の形に近づけるようにしています。
楽譜を見比べながら、「どの楽譜が、よりweberの意図に合っているのか?」を判断しながらの、fullorchestraからstrings-orchestraへの編集作業なのです。(全く作曲者の書いた通りの楽譜の場合には、原典版=urtext-ausgabeと明示されます。)
また、もう齢いを経て来た私としては、パソコンの画面で楽譜をcheckして見る・・という作業なのですが、非常に多くの場合にも、目が疲れてしまって、画面が見えなくなってしまう、という体調的な問題も、よくあります。
折角、高いお金を出して購入した、所謂、『出版されている権威のある楽譜』であるのにも関わらず、下手な手書きの譜面(今回のweberの楽譜も、出版社は・・edition Schottという権威のある出版社なのに・・ですが・・)なので、オケ練習の後や、lessonの後での作業では、目が疲れてしまって、楽譜が見え難くなってしまって、そのせいでも余分な体力を消耗してしまいました。
finaleで自分で入力した楽譜であったとしても、手書き譜ではなく印刷譜は、眼に優しく、読むのが楽なのですよネ⁉





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11月4日右の奥歯が砕けてしまいました。 ·
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今日は11月の4日の月曜日です。
昨日の日曜日は連休の中日だったので、結構、高速は渋滞中だったので、早めにオケ練習に出かけました。
渋滞を過ぎた辺りで疲労を覚えて来たので、キシリトールのガムを眠気覚ましに噛みながら運転していたら、突然、右の奥歯が砕けてしまいました。超、Shock❢❢です。
11月病院の月で、川崎まで、続けて術後検査に行かなければなりません。つい過日はひかりヶ丘まで糖尿病外来に行って来たばかりなのですがネ??
これ以上、歯医者まで、病院を増やしたら、体がパンクしかねないよな??
12時からは今回は『始めて組』の練習が開始するのだけど、私は普段のオケ練習は体調温存のために、3時からの専科オケと上級の室内楽だけしか、練習のcheckはしないので、『始めて組』については、「conceptだけでも出しておかないと・・??」という事で、12時には到着するように、早めにハイツを出発しました。
今回の普段のオケ練習の時間割では、私が教室に到着する前の3時までには、Christmas会や春の発表会の曲として、Vivaldiや古典派のConcertoの曲が5曲程あります。しかし、曲は5曲なのですが、その曲をbaroqueと古典派という括りにすると、生徒達が学習する演奏技術のpointは、それぞれの曲の中では、2つか3つに過ぎません。
だから、その2つ3っのpointだけを抜き出して練習を予めしておけば、これからの練習は、簡単に練習が出来るようになるはずなのです。
しかも、baroqueの奏法技術で学んだ演奏法は、そのまま、古典派の時代の演奏法の技術になりますので、古典派特有の新しい演奏法は非常に少ないのです。
そういう風に一派一絡げ(本当は一把一絡げなのでしょうが・・)で、曲のlectureと練習を纏めてすると、1回目や2回目の練習では、Violinのrootsの基本的な奏法を学ばなければならないので、少し大変ですが、それをmaster出来ると、以降の練習はとても楽になりますし、とても技術的に上手になります。
つまり、Vivaldiの曲では、曲別の固有の独自の演奏法は基本的にはありません。
『Vivaldiの演奏法』として教室で学んだ練習をすると、それは全てのVivaldiの曲・・、否・・、baroque時代の作曲家達、否、それどころか、古典派の全ての作曲家達の曲の演奏法に関しても共通の演奏styleになるのです。
つまり、音楽の時代様式として、baroqueや古典派の時代様式としての演奏法として捉えると、練習をするpointを極端に絞り込む事が出来るのです。
という事で、専科組は、そういった事を何度も八千代や他の演奏会を通じて学んで来た生徒達なので、そういったbaroqueや古典派の演奏法は出来て当たり前の連中なはずなのだけど、不思議な事に、曲やgroupが変わると元の木阿彌になってしまうのだよね??
『これまで学んで来た事は、これから学ぶ事のベース(土台)になるのだ』・・という事がどうしても理解出来ないらしい。
学校や塾のせいだ・・とは言わないけれど、本当に困った事だ❢❢
1曲毎に感性として勉強するのと、論理的に系統立てて勉強する事の違いはとても大きいのです。
根本的な箇所を練習するのはとても大変なのですが、「急がば回れ❢」で、これが所謂、芦塚methodeの『時短』の考え方なのですよ。
私のオケ練習では曲全体を細かく練習する事はありません。それは生徒達全員に任せれば良いのですから。間違えた練習や無駄な練習をしないように、練習のpointとその練習の仕方(方法論)だけを学べば良いのです。
私のオケ練習のvideoをYou Tubeで公開しているのですが、そういった練習上のpointを、理解した上で練習を見ると、多分別の物が見えて来るのではないか??と思っています。
さてもさても、今日は丸々1日、発表会のSDcardをBlu-rayにcopyをして、SDcardを開ける作業をします。
実は、発表会が終わって、『反省会と曲決めと顔合わせと初見大会』の時にも・・、それから、今回の第一回目の初練習にしても、videoを撮っていないのだそうですよ。
その理由は、SDcardが一枚も無いので、videoの撮影が出来なかったそうなのです。
SDcardはmainのupのcamera、所謂、4Kcameraと呼んでいるcameraと、全景用の黒カメ、下手側からの演奏者のupを撮る白カメ、上手側から演奏者の表情を撮る赤カメの4台を使用しています。64G では発表会全時間を撮影する事は出来ないので、基本は128GのSDcardを使用しています。128Gという事では、Blu-ray-disc は通常の25GのBlu-ray-disc の他に、50Gのdisc と100Gのdisc がありますが、50G以上では、通常のパソコンやBlu-ray‐recorderでは再生が出来ません。専用のBlu-ray‐recorderが必要になります。という事で、50Ḡのdisc にresizeをして保存する事にしました。それでも、1枚のBlu-rayを焼くのに、4時間15分以上は掛かります。4つのcameraからの撮影なので、都合、17時間、dubbingに掛かるという事です。
いやあ~~あ、これも大変なのだよな~ぁ??
昨日のオケ練習では、Christmas会や春の発表会に向けての曲の練習のpointを、細かく説明したので、練習風景の動画をYou Tubeupするか、練習のpointを細かくFacebookに書こうか、と思ったのですが、肝心要の、曲のconceptを纏めている所のvideoが無いのですよ❢❢
オケ練習の後で、「何故??videoを撮影しなかったのか??」と聞いたら、「発表会のvideoとしてハイツにあるSDcardしか無いから、撮影出来るSDcardがない❢❢」という事でした。つまり、普段のオケ練習のvideoならば、64ḠのSDcardが1枚で充分なのだけど、「その予備がない❢❢」という事なのだよ❢?
超、Shockなのだよな??
それは無いよな???
これからの半年を纏める要のlecture-lessonなのに、「動画がない❢❢」とは、いったいどういう事なのだな??
64Ḡの予備のSDcardすら無い・・という事は、俺に言わせれば、risk管理がなっていない・・という事なのだけどな??
俺としては、同じlecture-lessonを「もう一度、video撮影のために・・❢❢」と言われても絶対に嫌だよ❢❢
価値観の違いだよな??
同じ事は2度とはしたくないのだよ❢❢
人生、同じ事を無限に繰り返す程、無駄な事は無いからな??
「昨日と今日と明日が同じ1日でありますように❢❢」なんて願いは「まっぴら御免❢❢」なのでね??
コメント
芦塚 陽二
今日は11月の5日の火曜日です。やっと、発表会のvideoのdubbingが終わりました。やっと、パソコンが稼働します。これまではwindows10のsubパソコンで仕事をしていたのだけど、やっぱ、10は嫌だな❢❢



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11月5日黒曜石で作られたナイフです。 ·
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趣味で買った、黒曜石で作られたナイフです。
残念ながら、これだけの大きさの一枚岩の黒曜石を購入する事は出来ないし、自分で作るのはほぼ不可能なので、市販のナイフです。
横の石は黒曜石の原石です。
ナイフを作る石はガラス質の黒曜石の他にも、サヌカイトやそれによく似た下呂石、チャートと呼ばれる石もあります。それ以外の硬い石もナイフの材料になったようです。
縄文時代には未だ、研磨の技術はないので、硬い石にブツケて少しずつナイフの形に成形します。
石を石で割って少しずつ成形して作ります。
切れ味は、実際には『肉を切る』・・と言うよりも、寧ろ、『肉を裂く』・・という方が合っているように思われます。

石器でも研磨の技術がはいって来ると格段に性能が上がって来ますが、但し、研磨をする過程でも、石が割れて失敗する事は多いのです。
だから、道具はとても大切だったのですよ。



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11月5日体重と血圧の測定 ·
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朝起きて直ぐに体重と血圧の測定をします。朝、起きた直ぐの血圧は、結構高めに出てしまいますが、2、3分のmindcontrolで、正常値まで下げる事が出来ます。
体重も、起きたばかりの頃は、結構、増えているように見えるけれど、お昼ぐらいに、計り直すと、普段の最低値になります。これも、後で計り直して、最低値を残しておく事がよくあります。
定時の計測では、前日の夜に食べた夜ご飯の量で体重が決まってしまい、体重の乱高下が酷いのですが、お昼には、結構安定した体重になるからです。
定時測定では、夜の食事(夜食ではないよ❢❢)の食べた量がそのまま反映されてしまって、dataとしては良くないからです。
朝起きて、仕事をしながら、お腹が空いて来た頃、計り直すと、体重も普段の最低の数字になってしまいます。
同様に、寝起きの血圧が結構高めなのは、当然なので、起きてから一定の時間が経ってから計るのが普通なのです。
寝起きの血圧が150ぐらいに出ても、ほんの一瞬で呼吸を整えるだけで、120ぐらいまで下げる事が出来ます。
さてさて、この数字は、どうするかな⁉ 
勿論、高めの数字を削除して、正常値の方を今日の血圧として残します。



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11月6日砕けた歯は義歯ですよ·
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今日は11月6日の水曜日の早朝の未だ4時です。
2時半頃に目が覚めて、昨夜出来なかったmailのcheck等とその返事を書いていた所なのだけど、3日の日曜日に千葉へ行く渋滞の中で、キシリトールガムを噛んでいたら、歯が砕けてしまったのに続いて、今度はボロボロに欠けていた前歯がポロリと取れてしまいました。
昨日は久し振りの歯医者に、予約を取るために行って来た次いでに、今の歯の状態をcheckして貰ったばかりなので、来週の火曜日が予約日なのです。
仮歯が入るまでには、未だ2週間程は掛かるのかな?
上記の文章に、私がうっかりと書き忘れていたので、「糖尿病が悪化して骨粗性症になったのでは⁉」と、心配してmailをくださった方がいたので、訂正しておきますが、実はポロリと落ちてしまった歯は『義歯❗』です。
でも、そんなに時間が経って古くなった義歯ではなく、比較的に新しく別の歯医者で作って貰った義歯なのですが、多分、不良品だったのか、そんなに時間が経たないのに、歯の一分が欠けてしまいました。
昔、住んでいた豊玉の7号線の傍のマンションの一階に、大きな歯科医院があって、同じMansion内という事で、非常に近場なので、そこに治療に通っていました。
私がそのマンションを引っ越した後も、そのままその歯科医院に通っていたのですが、今度はその歯科医院が遠くに引っ越したので、掛かり付けの歯医者がなくなったので、私に合った歯医者を探すために、色々な歯医者を点々としました。
最初の歯医者は江古田事務所の直ぐ傍のとても綺麗な歯医者だったのですが、別の奥の治療済みの歯が舌に当たるので、その歯の修理に行ったのですが、「他の奥歯が歯周病になっているので」・・・という事で、「インプラントをするので」・・・という事で、5本ぐらいの歯を一気に抜かれてしまいました。
インプラントに対しての説明がなかったので、自分でnetで、インプラントの金額を調べて、超驚いてしまい、その歯医者に行く事をやめてしまいました。インプラントは保険が利かないという事と、自分としては、歯を抜く必要性を感じられなかったので、いきなり5本も抜歯された事は、甚だ不本意だったからです。
という事で、舌に当たる歯は、そのままになってしまいました。
その次の歯医者でも、その次の次の歯医者でも、その歯に関しては、そのままでした。・・・というか、未だに、そのままです。
私的には、歯が舌に当たると舌が痛くて堪らないのですが、歯医者にとっては、異常のない歯の修理は気が進まないのかな⁉
次には、助手の人さえいないたった一人でやっている歯医者の人が、netの評判が良かったので、欠けた前歯の修理に行ったのですが、普段は普通なのですが、自分に都合がある時には、時間優先になってしまって、治療が雑になってしまうので、「色々と問題だ❗」という事で、今回の歯医者になってしまいまました。
今の歯医者は、可もなく不可もなく・・・という事で、今のところは、この歯医者で収まっています。
という事で、前の歯医者で、雑に治療された前歯なので、その内には、いずれにしても「治さなければ❗」と思っていた歯なのですが、先に壊れてしまいました。



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11月7日『お久し振りで楽器屋さんまで、お出かけをしたお話』 ·
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今日は11月7日の木曜日です。

 今日は斉藤先生が牧野先生のヴァイオリンの修理が終わったので、楽器屋さんに取りに行く事になったので、私も楽器屋さんに行く事にしました。(私の楽器を修理に出すだけなので、私が担いで行くのではないので、本当は私は必要はないのですが・・、一応は注文主として・・・)
楽器が壊れているのを気が付いたのは、前回の11月の3日の日曜日のオケ練習が、秋の発表会以降の練習では、次回のChristmas会と春の発表会に向けての初練習になるので、久し振りにVivaldi等のconcertoのbasso continuoのCelloのpartの奏法を指導するために、私のcontinuo-Celloを出したら、右肩の方の傷の補修の後が、剥がれているのに、気が付いたので、慌てて修理に出すために、東京に持って帰って来ていたのです。
Celloの傷自体は、「修理をしなくても、そのままでも良い」との事だったのだけど、一応それ以上に傷が広がる事がないように、安全のために、ニカワを流し込んで、ニスで傷が目立ったないように・・という所まで、修理をして貰う事にしました。
・・とは言っても修理とは言えない・・無料修理なのですがね??
修理する、しないは、まあ、私の気分の問題なのでしょうがね??
continuo-celloとして安く買った1/2sizeの子供用の分数のCelloなのですが、オケ練習のbasso continuoの弾き方の説明用に購入しました。
しかし、買った時から表板の右肩の所に、僅かな傷の補修の痕がついていました。
勿論、その傷は楽器的な価値としては問題になるような傷ではありません。
当然、私も承知の上で購入した傷痕なのですが、その傷の補修がいつの間にか、気が付いたら取れてしまっていて、傷に段差(引っ掛かり)が付いていたので、傷が広がる前に、修理に持って行こうと思っていたのですが、今回、斉藤先生が修理済みの楽器を取りに、楽器屋さんに出掛けるので、次いでに私のbasso continuo用のCelloの修理に持って行って貰おうと思いついたのです。
まあ、その次いで・・と言ってはなんですが、次いでに私もお久し振りに楽器屋さんに付いて行った・・という事なのです。
『徘徊した話』
 楽器屋さんでの「待ち合わせの時間」に出発する時間よりも、1時間ぐらい早い時間にお出かけの準備が終わってしまったので、江古田のハイツで時間を潰す事は無しにして、ハイツを予定時間よりも1時間早く出発して、「どこぞで、朝食でもしようかな⁉」と思って、1時間前に代官山に辿り着いて、駅周辺を探して回ったのですが、コジャレたお店は結構いっぱいあるのですが、私が食べれるようなサッパリ系のお店は1軒も無く、1時間ぐらいup-down-hillを歩き回ってしまいました。
楽器屋さんでの打ち合わせが終わって、斉藤先生は千葉にlessonに行ったので、私一人なのですが、帰り道の次いでに、東武デパートに寄って、普段の藍染のシャツがボタンホールがほころびて修理不能になっていたので、新しい藍染のシャツを買いに行ったのですが、藍染自体が置いていなくて、代わりにjeansのお店を紹介されてしまいました。
確かにindigoは藍染には代わりないのだけどね??
合いの普段着の変えが何もないと、日常、流石に困ってしまうので、「ものは試し」・・と「何か着れるシャツはないか??」と行って見たのですが、流石にjeans専門店なので、大きいsizeでも2Lまでしかありませんでした。
そりゃ、そうだよな??格好良い服しか売っていないよな?? 4L、5Lでは、流石に、及びではないよな??
しかし、サカゼンでも藍染のシャツは売っていないのでね・・??
まあ、藍染は諦めるとして、折角、東武デパートまで来たので、「次いでに東武のrestaurant街で軽く食事でもして、帰るかナ??」と、今度はrestaurant街を徘徊したのだけど、私が食べれそうなお店は、またまた、一軒も無かったのだよな~ぁ??
結局、西武の何時もの行き付けの蕎麦屋で何時ものトロロ蕎麦を食べて・・ハイツに戻って来たヨ❢❢
まあ、よく歩いたよな~ぁ?? 
insgesamt(=合計)、3時間ぐらいかな??
(しかも、その夜には、更に、ドルプリっ歩にも行ったのだよ❢)
『Celloの話に戻って・・』
 『continuo-cello』という聴き慣れない言葉を連発して来たので、その歴史的な背景から説明する事にします。
baroque時代とは、polyphony(複音楽)の時代になります。
こんにちでは、Violin-soloというと、ViolinにPianoの伴奏が付く事が普通ですが、baroque時代には、Violin-soloというと、2つのmelodie楽器が対立するように、或いは対話するように書かれていました。
勿論、そう言った対話ではない(交唱ではない)部分であっても、当時の慣習的に、baroque時代の独特のbasso continuoの独特の演奏法があって、そのcontinuoの奏法のarticulationを守って演奏しなければなりません。
Violinのsoloに対して、basso continuo(通奏低音)と呼ばれるviola da gambaやCelloによる伴奏と、そのpartの音符の上に付けられた数字に従って、和音を補填(即興)しながら弾くCembaloで伴奏をする事が一般的でありました。
一般的・・という言い方をしたのは、pipeorganのように音が強くて、continuo-celloが入っても所詮は聴こえない場合や、Lauteやguitarのように、Baßの音でcontinuoのmelodieを弾きながら、上に和音を弾けるような楽器もあって、Cembaloのような高価な楽器を持たない庶民達の通奏低音の楽器として一般的に演奏されている場合も多々あったからです。
つまり何れにせよ、baroque時代のsoloという楽器編成の場合には、こんにちのように、「ViolinとPiano」としてではなく、「Violinと数字付きのCello」のpartで書かれているのですが、更にCembalo奏者が通奏低音のCelloのpartを左手で弾きながら、その音符上に書かれた数字を見て右手に和音を入れて即興でCembaloを弾いていました。(それをbasso continuoと言います。)
Vivaldiや色々なbaroque時代の作曲家を日本の演奏家が演奏する時には、結構、タダの伴奏のpartとして、淡々と演奏する人達が多いようなのですが、baroque時代は複音楽の時代なので、soloに対して、交唱をする・・対話をする・・という演奏法がより一般的なのです。
つまり、伴奏を受け持つCembaloや通奏低音のCelloであったとしても、soloのarticulationと同じarticulationで演奏しなければなりません。
教室の子供達には、baroqueの音楽を説明する時に、themaの持つarticulationを子供達自身に、interpretationが出来るように、lectureをしています。
当然、orchestraのcurriculumとしては、弦楽器の黄金時代であるbaroqueと古典派を中心として、curriculumを作っているので、当然、basso continuoのcontinuo独自の演奏法を生徒が演奏出来なければならないのですが、periodによるcontinuo-celloの弾き方を子供達に指導するには、オケ練習の限られた時間の中でlecture-lessonをするのは、時間的にとても無理がありました。
日本のproのorchestra等のbaroqueの演奏の時に見受けられるような、只単に伴奏としての通奏低音のCelloの演奏ではなく、本当の本物の演奏、所謂、baroque時代のperiod奏法としてのbasso continuoの奏法を子供達に指導したい・・と常日頃、考えて、上手な時間の使い方等々、を考慮していたのですが、そのbaroque時代のbasso continuoの奏法を、幾ら口で説明しても、子供達が、その表現法を理解出来ない場合がよくあって、「100聞は一見にしかず」という事で、先生や上級生達に後輩に対して「模範演奏をするように❢❢」と、何度もオケ練習で要求したのですが、実際には、対外出演で何度も演奏しているのにも関わらず、新しい曲になった途端に、その奏法が弾けなくなってしまって、その奏法の説明をするのに、逆に時間が掛かってしまって、子供達への練習が時間的に間に合わなくなってしまい、オケ練習のcurriculumが成り立たなくなってしまう事が多いので、結局の所、「自分で弾けば良いや~~??」という事で、楽器屋さんから子供用の1/2のCelloを購入して来て、そのCelloをbasso continuo用にしました。
実は、教室にも貸し出し用の1/2のCelloや3/4のCelloは2本以上はあるのですが、教室用なので、自分流に改造する事が出来ないので・・、自分専用のCelloを買う事にしたのです。
本来的には、きちんとbaroqueのperiod仕様としての楽器を改造して、baroque音楽の指導にすれば良いのですが、金銭的にチョッと無理だったので、柔らかい弦を張って、baroqueの音に近い音量と音色にしただけの『なんちゃってcontinuo-cello』なのです。
『continuo-celloのsizeのお話』
そこまでは良しとしても、なんで、1/2のCelloなのか??という説明なのですが、baroqueのConcertoの通奏低音の場合や、Violin-soloのcontinuoの伴奏の場合には、楽器の音量的な見地から、baroque時代には、viola da gambaか、1/2sizeから3/4のsizeのCello、所謂、baroque-Celloのsizeで演奏するのが普通なのです。
というのは現代のfullsizeのCelloでは、soloの楽器に対しての音量が強すぎるからなのです。(これはViolinがbaroque-Violinではなく、現代の普通のViolinであったとしてもです。)
勿論、私が持っている普段のCelloは、FranceのBarbe製作
のCelloで、とても強い音量を持っている楽器なので、子供達のsoloの音を潰してしまいます。(大人の演奏家であったとしても、continuoとしての音量的には強すぎて、邪魔をしてしまいます。)※)
という事で、modern-Celloをbaroqueのcontinuo-Celloに改造する時には、1/2sizeのCelloか3/4sizeのCelloをbaseにして改造する事が結構、一般的なのです。
チョッと余談になりますが、綾乃ちゃんが連続演奏をしている古典派のKontrabassも、現代のKontrabassとは違って、極端なhighpositionが出て来るので、当然、modern-Kontrabassから比べると、1/2sizeぐらいの小ぶりなbaroque-Kontrabassで演奏するのが普通です。そうすると、highpositionがとても美しく響きます。
baroque時代の当時は弦楽器の黄金時代で、こんにちでは見る事も出来ない適材適所の多くの弦楽器があったのですよ。
それが、ロマン派の時代になって、管楽器の時代になって来ると、弦楽器は整理統合されて、4種類の楽器、つまりViolinとViola、CelloとKontrabassに統合されてしまったのです。
※)私自身はお気に入りのfullsizeのFrance製のBarbeのCelloとF.N.Voirinの弓を持っているのですが、basso continuoの演奏には音が強すぎるので、viola da gambaか、1/2か3/4sizeぐらいのCelloの方がcontinuoとしては、balanceが良いので、basso continuo専用に、1/2sizeのCelloを買いました。
そのCelloは、通常の弦が張ってあったので、音が立ち上がってしまってsoloの演奏を邪魔をしてしまうので、今現在は1/2用の通常の弦ではなく、特別な、一番柔らかい弦を張っています。

ですが、basso continuo用には、それでも「充分に柔らかい」とは言えないので、その内に、baroque専用のとても柔らかい特別な弦に張り変える予定です。Celloの弦は結構高価なので、次に張り替える時には・・という意味です。
まあ、ガット弦を張っても良いのですが、楽器自体がbaroque仕様ではなく、子供用のCelloをそのまま使用しているので、ガット弦では、楽器に合わない(よく鳴らない)ので、「已む無く・・」という事です。
『蛇足のお話なのですが・・』
オケ練習でのcontinuo-Celloを使用する上での、もう一つの実際上の問題点は、私はオケ練習の時には、指揮棒を片手に指導しているか、Violaを弾いて、子供達を乗せて弾いたりしているので、Celloのcontinuoを指導する段になって、Celloに持ち変えるとすると、指揮棒を譜面台に置いたりViolaを置いたりする事は困らないのですが、continuo-Celloの場合には、流石に楽器が大きいので、置き場所が無くて困ってしまう事です。
エンドピン(spike)を一々仕舞うと、Celloを立てて置く事も可能なのでしょうが、練習の最中に、一々、エンドピンをしまう時間はとても無いので、「エンドピンを伸ばしたまま、邪魔にならないように置くには??」という事で・・目下、悩んでいる最中です。エンドピンは19世紀の後半から使用されるようになったので、Celloであっても、本来的にはエンドピンは必要はないのですが、エンドピンで学んで来たので、無しで弾くのは難しいのですよ。一旦、身に付いた悪い癖は中々取れないものなのです。ハイ!

写真は、私のfullsizeのFrance製のBarbeのCelloと、今回のお話の1/2sizeのcontinuo-Celloです。



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11月8日今日で腹部大動脈瘤の手術からちょうど1年になる ·
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今日は11月の8日の金曜日を迎えたばかりの深夜の時間です。
牧野先生から「今日で腹部大動脈瘤の手術からちょうど1年になるヨ❢❢」という事を聞いて、11日が川崎の心臓血管外科の術後1年の検査日なので、まあ、病院の先生のrotationで術後1年の日が決まるので、今日の8日の事は、気にも止めていなかった・・のですが、改めて1年前の闘病生活の日々を思いだしてしまいました。
昨年の11月の8日の木曜日が手術日で、日曜日の11日が『秋の発表会』なので、発表会前日の10日の土曜日に半ば強引に病院を退院して、次の日の発表会では、体調に細心の注意をしながら、orchestraの指揮をしたのが思い出されます。
今年は11日が腹部大動脈瘤の1年後の術後の検査なのですが、ちょうど動脈瘤が血管の分岐点にあって、Stentの設置が非常に難しい位置なのだそうで、Stentがズレてしまうと、再手術になってしまうので、術後検査は結構重要なのだそうです。
12日は歯医者に行く予約日で、砕けてしまった奥歯の回りの肉がせり上がっているので、肉を押さえなければ、歯の治療に差し支えるのですが、血液サラサラの薬を飲んでいるので、回りに肉の治療が簡単には出来ないので、電気メスで肉を焼きながら歯の根っ子を出す作業をする予定だそうです。
チョッとおっかない治療だよな~ぁ??
26日の水曜日には川崎の泌尿器科で膀胱癌の術後の検査があります。
手術は18年の12月の13日の手術なので、術後1年ではないのですが、それも先生の予定なので、仕方ありません。
昨年の26日の手術の10日後がChristmas会で、椅子から全く立ち上がれないままで指揮をしているのがvideoを見て分かって、とても印象的に覚えています。
Christmas会で椅子から立ち上がれなかった・・という意味なのですが、実は、2回も立て続けに手術をしたので、手術自体は全く問題は無かったのですが、特に膀胱癌の手術の後は、体を動かす事が全く出来なくって、その前の腹部大動脈瘤の手術の時に、やはり、手術の椅子に寝たままで体を動かせないままに、一晩過ごしたので、すっかり、腰を痛めていたのですが、膀胱癌の手術の後でも、そのまま、更に、手術の椅子に寝たままの状態で全く体を動かす事が出来ない・・(動かしてはいけない・・という状態で・・)ままに一晩過ごしたので、更に完全に腰を痛めてしまって、全く歩けなくなってしまったのですよ。
実はChristmas会では、指揮をしない時には、2階に私が休めるように部屋を取ってあったのですが、2階に階段を登る事が出来なくって、1階のホールの椅子に座ったままで、1日中座りっ放しだったのです。
椅子から立ち上がる事すら出来なかったのでね??

一年前の話しばかりして、肝心要の今日の事をいい忘れていました。
今日8日は立冬で、酉の市です。
明日は『国民の祭典』で明後日はパレードで高速は通行止めになります。さて、どう千葉に行こうかな??
今日のハイツの部屋は、結構寒くて、ストーブを焚いています❗



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11月8日proを育てたのは ·
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私が弟子達や子供達に音楽を教えて来て、早、40年を超えてしまいます。
私自身は多くの生徒達を指導して来た分けではありませんが、それでもその間には、多くのproの演奏活動をしている人達を育てて来ました。
日本では、『proの演奏家に師事するとproになれる』という変な思い込みがあります。
しかし、proの演奏家を育てたのは、優れた指導者であって、演奏家ではありません。
ですから、EuropaやAmericaの学生達は、自分が憧れる演奏家が居たら、その人を指導した先生に師事をするように努力をします。
そこは、有名な演奏家を育てたのが芸大という音楽大学である・・と思い込んでいる日本人の人達とは、全く持って一線を画しています。
EuropaやAmericaの学生達は、そこいらの考え方はしっかりしているし、ドイツの音楽大学では演奏家が生徒を指導する事は出来ません。大学の制度的に禁止されているからです。
つまり、ドイツの音楽大学では、指導者は指導者であり、演奏家は演奏家として国家によって分業されているからです。
ですから、Henryk Szeryng(メキシコ)やItzhak Perlman(America)のように、半年を演奏活動に・・、半年を学生の育成に・・という演奏家は少数派なのですよ。勿論、ドイツにはいません。
homepageのみならず、Facebookにも度々書いている事なのですが、『芦塚methodeで、音楽を学んで』・・proになった人達は多いのですが、残念ながら『芦塚methodeを学んだ』人達は、殆どいません。
勿論、『芦塚methodeに挑戦した』人達は数多くいます。
しかし、学ぶ事の余りの膨大さに、挫折してしまうのですよ。音楽を学ぶと言う事は、時間を区切って学べるものではありません。それこそ、一生を捧げるつもりで無いと・・学び切る事はないのですよ。
そこが今の日本人には無い『学ぶ』事への概念です。
音楽のproに成りたければ、音楽の演奏技術を学ぶだけで良いので簡単だからね??
それにも増して、音楽を学ぶ上でのneckとなる事があります。
それは、楽器を学び始める時には、近か場の音楽教室の先生の所で、音楽を勉強して、そこで、音楽の才能があれば、・・・或いは、音楽が好きならば、そこで、改めて良い先生を探して・・というのが、極々一般的な考え方なのでしょうかね??
しかし、実は、音楽を学ぶ時に限らず、何事も学ぶ事では、最初の1年が将来を決定する肝心要の事なのです。
最初の1年で身に付いた音楽的な感覚は、それ以降それを修正する事(学び直しをする事)は非常に多くの困難を伴うので、殆どの人達がその学び直しの段階で、挫折をしてしまいます。
楽器を学ぶ上での勉強の仕方・・というと、なんとなく、音楽の特別な勉強法がある・・と思いがちなのですが、実は、学習をする・・という事は、全てのgenreで全く同じ事・・なのです。
勉強というものに限らず、athlete達の運動の訓練に至る迄、sportsや武道に至る迄、学習法というものは、一つしかありません。全てのgenreが共通する学習法なのですよ。
分かり易いように、楽器の・・所謂、弦楽器の場合を取って説明すると、基本中の基本は、例えば・・①楽器の構え方(持ち方)②弓の持ち方、③楽器を構える姿勢、④指の型とそのformation・・・しかありません。
次の課題は、感性の育成です。
①pitchの取り方(所謂、音感です)、②和音感(和音に対しての意識)、③rhythm感(拍節法、拍子感)④楽曲の構成と分析力・・等々の基本中の基本、基礎中の基礎が、最初の1年で体に、(身に)付いてしまいます。
それに対して、日本ではお座なりにされているのですが、練習法のlectureもあります。
生徒達に記憶力というのは、勉強するものではなく、癖に過ぎないのだ・・と、オケ練習の度に言い続けているのですが、今の生徒達は学校教育でお勉強に熱心なので、記憶が習性に過ぎないのだ・・という事が理解出来ません。
親も「練習は時間ではなく内容なのだ❢❢」という事がどうしても、理解出来ないのです。
そこまで、学校教育や塾の教育に影響されるのかね??
まあ、儒教教育の日本なので仕方ないけれどね~~ぇ??
『三つ子の魂百まで』・・ではありませんが、最初の1年の学習で、身に付いた、その楽器に対してのimageが、その人のその楽器への体感を左右します。
人間は一度身に付いた感覚を、直す事は容易な事ではありません。
神様と称されるproの演奏家達が必ず口にする言葉があります。
神様達が誇らしげに言う事、・・・それは『行き詰まったら、初歩に戻る事』と言う事です。
しかし、これ程、難しい事はありません。
自分の楽器に対して、一度身に付いた体感を根本から修正する事程、難しい事はないからです。
昔々、Americaの名violinistであるAaron Rosandの公開lessonを生徒達と聴講に行った事があります。
内容はお定まりの日本流の3点支持の「そこを練習しておきなさい❢❢」と言うだけの、普通のlecture-lessonで、「二度と聴くか?」と憤慨して帰って来ました。(それが普通なのだから、本当は憤慨する事も無かったのだけどね~~??)
その後、1、2年経った頃、弟子が「先生、また、Rosandの公開lessonがあるので行きませんか?」と誘われてしまったのですが、「いや、絶対に行かない!」と言ったのですが、「先生、前回とは違うので、面白いので、是非聴きに行きましょうよ!」と断っての願いなので、またまた、弟子達と一緒にRosandの公開lessonに行って、彼の公開lessonを聴講して、すっかり驚いてしまいました。(いや~あ、「3日会わずんば、刮目して迎えよ❢❢」という言葉はあるもんですよね~ぇ??)
Aaron Rosandは、彼自身が60年間以上、keepして来た3点支持の弾き方を、たった1,2年の間に、1点支持の弾き方に直して、それ以外のinterpretationも、それまでのAmerica風のperformance的な弾き方から、全く正統的で地味なperiodの奏法の・・所謂、rootsによる演奏法にその演奏styleを直していたのですよ。
超有名になっても、歳を取ってからも、たった1,2年で、自分の奏法の流儀を完全に『0』に戻して勉強をし直すその姿勢に感激してしまいました。
流石に、超一流の演奏家は違います。
昔、音楽大学の学生時代に、Arthur Rubinsteinが60歳を過ぎて、出したChopinのレコードを聴いて、超、Shockを受けた事があります。
それまでの、technikをひけらかすような派手派手しい演奏styleとは、全く違って、地味だけど、真摯に音楽を追求する姿勢に変わっていたのですよ。
「お~お❢❢・・Rubinsteinが神様になった❢❢」と驚いてしまいました。
音楽の神様と称される人達には、有名になることや、年齢を経る事は関係ないのだよな~ぁ??
それこそ、努力が死ぬまで、続くのだよな~ぁ??
da VinciやGoetheが死ぬまで自分の作品の推敲を重ねた・・という事を、改めて、それを実感させられました。
しかし、それとは真逆に、今現在、『音楽の神様』と称される人でも、若い10代ぐらいの間に、演奏技術の頂点を究めて、その後の人生が緩やかな下り坂の人生を経ている人達を多く見受ける事が出来ます。
その典型とされる人が、音楽の歴史に名を連ねる演奏家でもある**です。
世の中の人々から称賛されれば・・される程、暗中模索を続けるその人の痛々しさを感じてしまいます。
私に言わせて貰うと、『追求をする所を間違えてしまったからに過ぎない』のですが・・ね??
日本人の場合でも、日本では余り知られていない人なのですが、全てにGiftedな超優れたviolinistが居たりします。しかし、彼女達を見ていると、事・・音楽に限って言うと、音楽の世界を見誤っているようにしか見えません。つまり、音楽史の中で名前を連ねる名演奏家の**氏のように、技術を持っていても、魂を揺さぶる演奏が出来ないのですよ❢❢
芸術はそれ自体が完璧であると、魂を揺さぶる事が出来ます。しかし、それで人を泣かせる事とは別の事なのです。芸術としては完璧なのでしょうが、魂の事となると、また別のお話なのです。
そこの所が、今の人達には分かって貰えない・・のです。
作曲家の世界と演奏家の世界には、未だgapがあるようですよね~ぇ??
まあ、そんな大仰な事ではなく、単に、初歩的な技術の行き詰まりのお話なのですが、初心者によく見受けられる行き詰まりで、Pianoの生徒達に一番多く見受けられる『行き詰まりの原因』となるmistakeは『指使い』です。
つまり、基本となる「正しい指使い」の法則が身に付いていない事による、『行き詰まり』なのです。
『和音の基本形、第一転回形、第二転回形の指使いを正しく守れるか??』という事を理解出来るか否か・・が、misstouchを防ぐ唯一無二の手段になるのです。
弦楽器の場合も同じなのです。
教室に入会して来る生徒達には、既に他の教室で、2年、3年と学んで行き詰まって来る人達が多いので、感覚的に音楽を学んで、時間を掛けて闇雲に繰り返して練習する・・という事だけが、上達をする上での勉強法になってしまっている人達が殆どなのが現実なのです。
しかし、もう或る程度、曲を弾けるようになって、指も回る生徒達に、未だ楽器の弾き方を学んでいない、初心者の楽器に対して、0の状態に戻る事は非常に困難をきわめます。
・・だから、神様達が、『私は行き詰まった時には、初歩に戻って勉強をし直します。』という事を口にするのです。
つまり、言い換えると「初歩に戻って勉強をし直す事が出来る」・・という事に対しての『自負』なのですよ。
これが私が音大で学生を指導する事をやめた最大の理由なのです。
何時も言っているように、音楽大学に入学する迄の、10年間に渡って、誤った勉強をして来た場合、それを0にするのに10年、それから正しくlectureをし直すには更に10年必要なのですよ。
10年間、誤った学習をして来た場合には、それを正しく戻すには20年の歳月が掛かるのですよ。
それは不可能な事なのです。音大生が幾ら意欲を持って、熱意と努力を続けたとしても、『もう、時、既に、遅し』なのですよ。だから、音楽大学を卒業しても、proになれる学生は10年に一人ぐらいしか居ないのですよ。
でも、音楽界・・として考えるとそれは充分過ぎる程の人数なのです。だって、10年に一人ならば、常に7,8人の演奏家は居るという事なのですからね??
だって、今でもそれぐらいの人数しか居ないでしょう??proと呼べる演奏家は・・・??
個人のlecture-lessonでは、不可能と思える『やり直し』、『勉強のし直し』でも、芦塚音楽教室としては、その『やり直し』を可能にする事が出来ます。
芦塚methodeでは、或る程度弾けるようになって行き詰まっている生徒達には、初心者の子供達へ先生の代わりに指導をさせます。
初歩に戻って芦塚methodeの勉強をするのです。
それで、子供達に指導する事で、芦塚methodeを外から学ぶ事が出来るのです。子供達には色々なtypeの子供がいます。この子には上手く行った方法でも、次の子供には全く通用しません。一つのmethodeを汎ゆる方法でapproachしなければならないのは、難しい課題になります。それは自分が復習する以上に多くを学ぶ事が出来て、多くの成果を上げる事が出来ます。
ところが、芦塚methodeを学ぶ上で、大きなneckに囚われる人達がいます。
それは、自分が學んで来た一般的な学習法が一般的な既成事実の学習法であって、芦塚methodeという特殊な方法論は信じられない・・(理解出来ない)・・という事なのです。
私が「こんな風に勉強をすると、何の困難もなく学習出来るのだから、』と言っても、既成概念の難しさしか思い出せなくって、別の方法論があるという事が理解出来なくなってしまうのです。一種のtraumaかな??
この場合は、如何な芦塚methodeでも、どうしようもありません。
本人が芦塚methodeを信じてくれるようになる事を待つ他はないのです。
もっと困った事には、運良く最初から芦塚methodeで学んだ生徒達には、一般的な勉強法の困難さや難しさが理解出来ません。だから、芦塚methodeさえ、極々普通のものとしか理解出来ないのです。まあ、有り難味さえ、分からないのですよ。
それが芦塚methodeが拡大していかない原因にさえなっているのです。
勿論、音楽家を育成出来ない・・という事に付いては、別の日本的な理由もあります。
それは音大生達が子供達の教育を蔑視しているからです。
音楽大学の先生達は、自分達が音楽教室をclientにして、生徒達を集めて居るのにも関わらず、子供達を指導している先生方を軽く蔑視しています。それが自分達大学で教える人間の価値付になるからです。
でも、まあ、音楽教室にもその責任の一旦はあります。
音楽教室で幾ら学んでも音楽大学へ行く水準は出来ないというのが一般論で、それは正しいからです。
人は(日本人は)名前で判断をします。
「音楽教室はlevelが低いので、音楽大学を受験したければ音楽大学の教授に師事しないさい。」
それが一般通念です。
それは、全く正しい・・と思います。
まあ、そう言った理由から教室で勉強をしている生徒達が中学生から高校生になる時に、芸大の教授の元に去って行きました。
これは私が個人で生徒達を指導していた時には、各音楽大学から生徒達が私の元に逃げて来ていたので、その逆の現象です。
私が生徒を指導するのに、私個人から、「音楽教室」と名前を変えただけで、生徒の方向性が変わったのでlächerlichです。(笑えます。)
世間の評価なんてそんなもんですよ❢❢
昔、私がproとして育てていた生徒が芸大の教授の元に去って行ったので、その子の将来を嘆いていたら、友人が「先生を探す目も才能の一つで、先生を選ぶ事、それ自体が人生の淘汰なのだよ・・❢❢」と言ってくれて、「淘汰されてしまったのか??」と納得した事があります。
つまり、『正しい目を持って、世の中を見れる人』・・、、もう、それ自体が既に『Gifted』なのですよね~ぇ??





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11月10日「時短」の意味が分かっていない。 ·
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今日は11月の10日の日曜日、祝賀パレードの日です。千葉への移動と時間帯が重なるので、渋滞がしんぱいなのだよな??
それにしても、今日の夢見は酷かった※)ので、すっかり、目が覚めてしまって、昨晩出来なかった千葉行きの準備をしていたら、斉藤先生から「楽譜の準備が間に合わなかった」というmailが入っていたので、その楽譜の訂正と準備をしたら、結構時間を食ってしまった。
教室に入会したばかりで、譜読みが間に合わない生徒に、芦塚methodeによる譜面の省略譜を作って、譜読みを簡単にするのだけど、私が譜面を芦塚methodeの譜面に書き直す前に、芦塚methodeの省略譜(分析譜)を勉強させるために、生徒に作らせた譜面なのだけど、課題そのものである省略譜の問題ではなく、単なる楽譜の移し間違いのcareres.mistakeが、結構多くて、困ってしまった。
ハイツには、その大本となる楽譜のscoreは貰っていなかったので、単なる移し間違いのcareless mistakeを私が訂正しながら、模範の解答の譜面を作る事が出来ないので、その書いた譜面に間違いがあったら、訂正しようにも、訂正をしてやる事が出来ないのだよ❢❢
訂正箇所をcheckした譜面が、楽譜を発注する時に届けば何の問題も無いのだが、私が楽譜を作ってprint outを済ませて、千葉に持って行く準備が終わった後で、更に訂正箇所の確認の譜面が届くので、二度手間、三度手間のdouble-bookingの時間の無駄なのだよ❢❢ 
という事で、こちとらは、2度も3度も同じ譜面を作り直さなければならないし、printoutもしなければならないので、超、時間の無駄だし、costの無駄にもなるのだよ❢❢
「時短」というのは、その『mistakeを作らないようにする』ための、「時短」の方法なのだけど、「時短」の意味が分かっていない。
「時間を短縮する事が『時短』だ」と単純に勘違いしている。
そうではなく、無駄を省いて、同時にmistakeを省く事が、同じ作業を2度、3度やらなくても良い事になるのだから、究極的な「時短」になるのだよ❢❢
今を焦って、「時短」を逃していては、もとも子もないのだよ‼
そこが理解出来ないと芦塚methodeは理解出来ないのだよ❢❢
う~~ん❢❢😡
※)今日の夢見は、病院で処方(指導)されたdietの方法が超、汚い方法で、精神的なpressureで、途中でそのdietに挫折してしまって、結果、目が覚めるのだけど、またまた、現実と夢の区別がつかなくなって、何をどの様に対応して良いのかを、暫し、悩んでしまった・・という事なのだよ❢❢
dietが中々上手く行かない事に対しての、鬱憤もあるのかもね??元々、肥った経験のない先生に、幾ら名医でも痩せる方法を尋ねるのは所詮は無理な注文かいな??


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11月11日bikeが突然エンストした·
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19年11月の11日の月曜日の0:01分丁度のcinderella-timeになった所です。
つまり、未だ、日曜日のオケ練習からの帰り道の延長の時間なのですが、今回のオケ・室内楽の練習は、結構時間通りに進んで、9時台には椎名町に帰り着く事が出来ました。
という事で、11時チョッと過ぎには、椎名町を出てハイツに向かったはずなのですが、椎名町とハイツの丁度中間点の東長崎の郵便局の一歩手前で、バイクが信号で止まった時にエンジンがエンストをしてしまって、何度セルを回してもエンジンが掛からなくなってしまいました。
そのままバイクを押してハイツまで戻るか、それともバイク屋まで押して行って、置きっ放にしておくかを悩みながら、途中までハイツへの道をバイクを押しながら悩みました。
次の日に、またバイクを押してバイク屋に行くのも難しいし、取りに来て貰うと、結構高い金額を請求されるので、思い直して、それからバイク屋への道を、ひたすらバイクを押しながら戻りました。
その間、何度もエンジンのStarterを回しながら、バイクを押し続けていました。
30分以上もバイクを押していたのかな??
「もう少しでバイク屋」という所まで辿り着いた時に、なんということでしょう~か??・・突然、エンジンが掛りました。
え~~ぇ??そりゃないよな~ぁ??
しかし、折角、エンジンが掛かったのだから、エンジンを吹かし過ぎないように気を付けながら、ハイツに戻って来ました。
何だかんだと、3,4拾分以上は、掛かったよな~ぁ?
体の疲労が頂点に達している時に、それはないよな~ぁ??
全くのPech gehappt❢❢だよな??
昨日の日曜日も、高速は超ガラガラだったのだけど、検見川教室の回りの駐車場は3つとも満車で、結局、花園の教室の駐車場に車を停めて、歩きで検見川教室に行ったのだけど、途中でお味噌を買ったりしたので、だいぶ、遠回りをして歩いて行ったのだよな??
明日と言うか、今日と言うかは、川崎の心臓血管外科での術後1年検査に行きます。
チョッと、日曜日の次の日なので、体調が戻っていないので、気分が重たいのだけど、明日は何時の出発なのかな??
朝の11時半の電車には、乗らないとダメなのかな⁉
明後日は歯医者なので、連日の病院通いになります。
『・・・迄が、昨日の夜のお話です。』
『・・で、次は、朝起きてからのドタバタです。』
 椎名町からの帰りは朝が早い出発なので、お弁当も果物も全く持ち帰らなかったのだけど、朝起きて、体が動かないので、何か胃に入れる事で、血を回したいのだけど、冷蔵庫には、ちゃんとしたご飯とおかずしか入っていなくて、小腹用の食べ物や果物、お菓子類が一切入っていないのだ・・❢❢
幾ら、お茶だけをがぶ飲みしてもね~~ぇ??
そうこうしている間にも、時間だけは無慈悲にも過ぎて逝く❢❢
時間よ❢止まれ❢❢❢❢
そうこうしている間にも、時間は過ぎて後、30分になってしまったのだが、未だ何も進まない❢❢
手に触れる範囲の事をやってはいるのだが、体が動かない以上に、心が付いて行かない❢❢動く事を拒否っているのだよな~ぁ??
「でも、Facebookに入力している元気はあるじゃあないか??」って??
違うよ❢❢ これは音声入力なのだよ❢❢
Keyboardを操作しているわけではなくって、パソコンの前で、呟いているのに過ぎないのだよ??
・・・あと、20分で出発だ・・❣❢❢
『・・池袋の山の手線への乗り換えで』
体が動かない時に限って、エスカレーターの無い階段だ‼
そりゃないよな~ぁ??




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11月11日『学びについて』 ·
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日本の教育界では、『学ぶ』という事は学校教育に委ねられています。
それは、学業や芸術の分野に限らず、職人として技術の分野に於いても「然り」です。専門職の技術を勉強する『専門学校』というものまであります。
専門学校を含む、所謂、学校教育における問題点は、学ぶという事が一律であり、しかも、学ぶ期限が切られている所です。
それに対して職人としての勉強には、限定された期限という物がありません。同じ内容の事でも、それがmaster出来るまで、次のstepに行く事は出来ません❗それは優しさであり、厳しさ、酷しさ、でもあります。
学校の勉強とは違って、ある意味、決意が必要な勉強のstyleでもあります❗
ドイツ等の場合には、学校教育でも、学習するという概念の中に、guild(Meister制度)(職業としての学び)の発想があるので、基本的にはドイツの学校には、卒業という概念はありません。
日本人がドイツに留学した時に、日本の学校の勉強のstyleで、「4年経ったから卒業した❗」と本人が言っているのに過ぎません❗それは、日本では、通用しても、europaでは通用する事はないのですよ❗
卒業式はドイツの大学にはないのですよ。
だって、教授が卒業と言ったら卒業なのですから。
いつも言っているように、pianistを目指すのであれば、ドイツでは、国家試験に通らなければ、pianistとしては、認めて貰えないのですよ❗
私自身も、留学にあたっては、10年は帰国出来ないかも知れないという事は、覚悟の上で、祖母や母親とも、二度と会えない事もある・・・という事も、覚悟の上での留学でした。
だから、周りの若い女の子達の期限を切った留学に対しては、信じられない思いでした❗
私も国際作曲concoursに1位に入賞して、幾つかの公開演奏会をこなした後に、その気は全くないのに、Genzmer先生から『君は、今年で卒業だよね?』と言われて、慌ててしまって、「いや、もう一年先生の元で修行させてください。」と言ったら、逆に先生から『君は私の元で、これから先1年間、何か学ぶ事があるのかね?』と尋ねられてしまいました。
確かに、音楽技法的な技術に関しては、師匠の手法はmaster出来たので、それを勉強する事はないのですが、私が「Genzmer先生の勤勉な性格を私も身に付けたいので・・』と言うと、先生は、暫し考えられて、「Hindemith先生は、驚く程勤勉な性格であって、Mathis der Maler(画家マチス)のpart譜を1月でかきあげられたのだよ??」と独り言のように述懐した後で、「勤勉性は、私の元で学べるものではなく、proとしての生活を通じて学ぶものなのだよ❢❢」と諭されて、私の卒業を宣告した後に、Münchenでの音楽大学の職を2つ程、紹介してくださいました。
しかし、その先生の好意を受ける前に、「一週間、待ってください。」とGenzmer先生に言って、一週間後に、その折角の就職のお話をお断りしたのですが、それには、幾つかの理由があります。
その当時でも、超、お金持ちの友人達は、毎年、日本に里帰りをする人もいたのですが、私は留学の渡航費用を親からではなく、自分で捻出していたので、手持ちのお金がなければ、『里帰り』は出来ないので、『里帰り』という概念は持ち合わせていなくて、ここでGenzmer先生からの『お話』を受けてしまうと、「最低でも10年は日本に帰れなくなる」・・という思いと、「自分がこの異国に骨を埋めても良いのか??」という悩み、それから、「もう年老いた祖母の死に目に逢えなくなる」・・という事でした。
勿論、私の母も、私が留学を決めた時には、私の事だから10年くらいは帰って来ないだろうから、「生きて私に再会出来る」とは思わなかったそうです。
Europaへの留学への距離感は、今とは、それぐらいの時代の差があったのです。猫も杓子も、海外旅行をする、という現代とは、随分違っていたのです。
(というお話を以前もFacebookやhomepageに、同様に書きました。・・という事で、ここ迄が「前振り」で、後は、その補足説明になります。)
私が日本に帰国してから、「何人の生徒達を指導したのか??」は私は把握してはいません。
100人ぐらいの生徒達は教えて来たと思います。
しかし、これまで、一度も、たった一人の生徒に対して・・も、私の元で、私が卒業証書を書いた生徒はいません。
日本に帰ってから直ぐに、ある音楽大学で学生達を指導する傍ら、その音楽大学の付属音楽教室でも指導する事を頼まれて、始めて子供を教えたという、その時の小学生の生徒で、私がすぐにその大学を学長と喧嘩してやめたので、それっ切り、別れ別れになった生徒なのですが、音楽大学でproになるために、格闘していたのですが、1年生の時に室内楽のclassで見て貰ったCelloの徳永先生に「proになりたいのならば、proへのcurriculumを持った先生に師事しないと・・❢❢」とadviceをされて、それこそ、日本国中の有名な先生達の元を回って、proを育てるcurriculumを持った先生を探し回ったそうです。
その結果は一人もproになるための、curriculumを持った先生が見つからなかったので、大学からは「講師で残るように・・」と何度も薦められたのだそうですが、彼は、生徒に指導するのが嫌いだったので、音楽をやめる決心をして、音楽関係の資料をダンボールに詰める作業をしていた時に、私が彼が小学生の時に彼を指導していた時の楽譜やtape等の資料が出て来て、それを見た時に、『自分が人よりも優れた才能を持っている』という能力が、私のlessonで得たものである・・という事に気づいて、即、私に電話をよこして来ました。
彼が電話で、『自分はproのpianistになりたいのです。』と言ったので、「proを目指すのならば、proになるためのcurriculumで勉強をしないとね??」と私が言うと、「Celloの徳永先生から同じ事を言われた」・・という事で、それ以降の、これまでの経緯を説明して、「会って貰えないか?」という話を受けました。彼に昔、教えたBachの小曲集をcheckした所、基本的にその技術を忘れていなかったので、Proに育成する事をOKして、Proのcurriculumをstartさせました。
彼はその後、5,6年間、日本中のありとあらゆる場所で演奏活動をしながら、私の元で修行をしていたのですが、留学の限界の年齢(33歳までに大学に入学している必要がある・・という事で、)・・と言う事で、慌てて私が、ドイツの先生に指導内容の申し送りをして、留学に臨みました。
ドイツに到着して、自宅に行く迄の列車の中で、演奏家とお友達になって、そのまま演奏旅行に伴奏者としてついて行って、自宅に辿り着いたのは半年後の事だった・・、というお話もよくしましたよね??
私の生徒の中では、彼が一番卒業証書に近い生徒だったかもしれません。
但し、それはPianoの演奏の分野だけに限った話なのですよ。
私が指導している内容はもっと膨大な分野があります。
その全てには未だにchallengeした生徒すら、一人もいないのですよ・・・??
嘆かわしい限りです。
人は弟子を残せて・・「なんぼ」なのですからね??
日本では、「音楽家になる」という事は、「音楽大学を卒業する」という事のように思われていますよね。
しかし、この日本でさえも、実は、音楽大学の先生になるのも、proのorchestraで演奏をするのも、solisteとして演奏活動をするのにも、実は「音楽大学を卒業する」という肩書は全く必要はありません。
それは私のような、作曲家としての活動であっても同じなのです。
「音楽大学を卒業しなければ音楽家にはなれない。」というのは、中、高の先生になる場合(小学校は教員養成なので、違います。)と、どこそこの音大卒業・・という事だけで生徒を募集している中味の無い音楽教室の場合だけです。
proの世界では誰も、どこの大学を卒業したのかは聞いてくれません。
「それは何故か??」と言うと、proの音楽家の世界では「どこの大学の卒業か??」・・と言う事よりも、Europaと同じように、「誰の門下生か??」という事の方が、より権威があるからです。
それに、europaの場合には、教授も日本の終身雇用と違って、よく勤めている大学を変わるからですよ。
つまり、どこの大学に行ったからと言っても、その先生がそこにいるかは限らないからなのですよ。
そこも、終身雇用的な日本の音楽社会とは違います。
音楽の勉強をする上で、最も大切な事は、先生からその技術を盗む事です。
その先生から学ぶべきものが無くなった時、先生が「お前には教える事が無くなった❢❢」と言わしめる時が、真の意味での卒業なのです。
日本でも、昔は「免許皆伝」という言葉があるようですよね⁉
学校教育のように、高校生になったから、音楽大学に行く・・では、日本の社会では、proは育たないでしょうよ。
もう一つ、日本では音楽の勉強がし難くなっている原因があります。それは別に音楽の世界に限った話ではないのだけど、女性の仕事への考え方です。それが小、中、高校生の教育となると、親(特に父親にとっては)女の子だから、程々で良い・・という発想が生まれるのです。これが日本の女性の社会進出を阻む元になっていて、日本の女性の社会的な地位が2017年の世界のrankでは144位と先進諸国ではダントツの最下位になっている原因でもあります。
女性は結婚するのだから、結婚したら、当然、子育てと旦那の世話が優先でその次に仕事では、社会では誰も認めてはくれないでしょう??
まあ、それでもなんとかやっていけるのは、それでも現実社会に実害の起きない音楽の世界ぐらいではないでしょうかね??
聴きに来るaudienceの人達も、精々耳に心地良ければそれで良い・・ぐらいの意識で聴きに来るのでしょうからね??
Brandで良い人達には、それでちょうど良いのですよ❢❢
(「それ以上に何があるの??」・・って?? それは、音楽に向き合う姿勢の問題でしょうョ??所謂、立ち位置ヨ❢❢立ち位置❢❢)
このお話が理解出来ない人は、多分、音楽の世界として考えるから、分からなくなるのです。
料理で考えれば分かるでしょう??
料理教室で料理を学んで、料理の学校に行ったとしても、それで料理人に成れる分けではありません。
お店を開く資格(調理師の免状)が出来たに過ぎないのです。
そこから、本当の料理人を目指すのならば、何十年も掛かる弟子としての本当のproとしての勉強が始まるのですよ。
人生なんて、20代で完成出来る事は何もないのですよ。
Giftedの人達を含めても、そこの所が分かって以内・・・のだよな??
athleteはもっと簡単かな??
その技術をmasterするために、一人の先生について10年、20年と、何年も勉強をするのだから、『毎年classが上がる』・・てな事は有り得ないのだよね??


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11月12日実際には1日遅れで書いています ·
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『今日は』・・とは言っても、Facebookを書くのは、1日が終わってからの就寝迄のひとときなので、実際には1日遅れで書いています。
つまり、今は11月12日の深夜の2時半ですから、『今日は・・』というのは昨日の月曜日の事になります。
そこがいつも混乱を招く元になって、real-timeと総括した時間がよく混同されてしまいます。
・・という事で、昨日の朝のドタバタからの続きの文章なのですが、復習すると、日曜日の夜は、バイクのドタバタがあったので、病院行きの準備は何もしないで、そのまま寝てしまいました。
普段の常で、2時間程しか経っていないのですが、深夜の2時半頃にtoilette-timeに目が覚めたので、その次いでに風呂に入って、次の日の病院に出かける準備をして寝ました。
その準備していた深夜の時間は、超、土砂降りで、超々寒かったので、病院への道行きを心配していたのですが、実際に朝起きて見ると、雲ひとつない超素晴らしい秋の青空で、絶好の病院行脚日和でした。
・・・ではなくて、出発の準備をしなければならないのに、・・体が全く動かないのですよ。
(・・保険証や予約表、着て行くための服は、深夜に予め準備をしておいたので良いのですが、服を着る❢靴下を履く❢・・だけの単純作業が出来ないのですよ。)
・・と言う事で、前の文章の「時間よ❢止まれ❢❢❢❢」・・と言う文章に続きます。
それでも、なんとか・・予定の15分前には、ハイツを出発出来たのですが、池袋で山手線に乗り換える時に、山の手線のhome行きにescalatorが無く、階段しか無かったのですよ。
体が動かない時に限って・・です。
なんだかんだで、病院はなんとか時間通りに到着して手続きが出来ました。
恙なく検査も終わって、診察は手術が遅れたので、30分遅れだそうなのだけど、最初から何時からの診察って書いて無いわサ?? ・・・何時から30分遅れなのだよ???
半分、睡眠状態の半跏思惟状態で待っていたら、どれぐらい待っていたのかは、定かではないのだけど、診察は30秒で終わってしまった。
「術後何も変わっていないので良し」とするそうです。
まあ、医者が「良い❢」と言うのだからそれで良いのだろう??
という事で1年後の予約を取って、病院を後にしました。
時間が早かったから、無料のシャトルバスに乗れました❢❢
それは珍しい❢❢
相変わらず、帰りの電車は大混雑をしていて、若い大きな男性が二人前に大の字に立っていて、私の足の置き場が無くなって、斜めの状態のままで新橋まで行って、そこで乗り換えました。
そうしたら、「な、な、な、なんと!」またまたhomeを乗り換えるのに、upもdownもescalatorが無くって、階段なのだ❢❢
これは超、殺人的だ❢❢
田端で山の手線に乗り換えたのだが、なんと、間違えて池袋の一つ前の大塚で降りてしまった❢❢
・・どうやら、ここらで思考が停止してしまったようだ❢❢
homeががら空きだったので、椅子も空いていたので、ずっと立ちっ放しだったので、「折角だから、homeの椅子に座って少し休もうか??」と思ったら、次の電車が来たので、またまた飛び乗ってしまった。何をしているのかね~~ぇ??条件反射だよな~ぁ??
池袋に着いたら、流石に疲れ切っていて、大腿から硬直して足が全く動かなくなってしまったので、juiceかお茶でも飲めて座れる喫茶店を探したのだが、地下では飲食店は結構あるのだけど、茶店が全く見つからなかったので、結局無理をして江古田まで一気に歩いてしまった。
・・と言うか、大腿が硬直してしまったので、足を引き摺りながら無理矢理に江古田まで・・という感じなのだけどね??
江古田の駅を出ると、なんと大雨が降った跡ががあった。
つまり、未だ路面が濡れていて、酷い雨が降った形跡があったのだけど、空は満月の1日前の月が煌々と冴え渡っていたのだよ。
ハイツに辿り着いて、疲れがピークに達して、暫しパソコンの椅子に座ったまま何も出来ないで、茫然自失していたのだけど、暫し経ってのち、気を取り直して、取り敢えず寝る事にした。
ここ迄が、病院行脚の道中記であるゾナもし。
2時間か3時間も眠って、toilette-timeに目が覚めると、ドルプリっ歩のお誘いが来ていたのだけど、それから準備したのでは、ドルプリのお散歩には、とても間に合わないので、寒く無いように取り敢えず着込むだけは着込んで、椎名町にbikeで出発しました。
昨日はエンストして、中々engineが掛からなかったのだけど、今回は、問題なくbikeのengineが掛かったので、食事に行く事は問題なく出来たのだよ❢ 善哉❢善哉❢




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11月13日今日の火曜日は満月でした ·
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今日は・・とは言っても、Facebookを書くのは、1日が終わってからの就寝迄のひとときなので、実際には1日遅れで書いています。
つまり、今は11月13日の深夜の2時半ですから、『今日は・・』というのは昨日11月の12日の火曜日の事になります。
という分けで、今日(12日の火曜日)は、朝起きてからお昼過ぎまで、延々と発表会のvideoの編集作業をしていました。
徒に時間の掛かる作業なので、忍耐力が試される作業なのです。
でも、今日はお昼の4時半から歯医者の予約があるので、「それまでしか作業が出来ない」・・というtimelimitがあります。
そのtimelimitのギリギリまで編集作業を頑張って、大急ぎで歯医者に行く準備をしました。
今日の歯の病院は、先ず最初に歯の磨き残しのcheckと歯石を削り落としてから、それから壊れて欠け落ちてしまった義歯の歯茎に麻酔を掛けて、せり上がった歯茎を電気メスで切ってから、虫歯の処理をしました。
2時間近くの治療でした。
歯の治療の順番なのですが、奥歯から取り掛かるか、前歯から始めるか?のselectなのですが、見た目の事もあるので、前歯の方を先に治療する事にしました。
歯茎を麻酔したので、麻酔のせいで右側の小鼻が腫れ上がって鼻が完全に詰まってしまい、呼吸が出来なくなって困ってしまいました。
鼻にやっと空気が通る頃には、逆に処置をした歯が疼いて、痛み止めを飲んだものかどうかを悩んでしまいました。
歯医者からは「痛みが出たらロキソニンでも飲むように❢❢」と薦められてはいたのですが、う~~ん、微妙です。
ロキソニンは、ハイツには常備薬としては持っていたのですが、私が飲む事は基本的にはありません。
という事で、病院では処方は出して貰ってはいません。
歯の痛みの程度は、気を散らせば辛抱出来る痛みだったので、痛み止めは飲まないで録画しておいたドラマを見ながら、買い置きしていた日本酒を熱燗にして呑みながら、残っていたvideoの編集作業を済ませて、酔っ払った勢いで寝てしまいました。
次の日の朝には、すっかりと痛みは取れていたよ❢❢
歯医者は来週のscheduleでは、問題なく予約が取れるのですが、再来週の火曜日は、川崎の・・(今度は、泌尿器科の)術後1年の検査があるので、歯医者は、火曜日以外の日を予約しなければなりません。・・いや、忘れそうだよな⁉
本当は12月の13日が手術の日なので、1年後の検査日とすると、2週間以上早いのですが、先生の都合なので致し方ありません。(というか、そこまで、正確である必要はないのでしょうかね⁉)
川崎の病院が2週間後ならば、歯医者の予約が楽だったのに・・な⁉・・・と言っているだけです。アハッ❗

それはそうと、今日の火曜日の夜は満月だそうです。
安物のデジカメでは、絞りを目一杯絞ってもこれ以上は絞れません。
感度を変えて、より高感度にしても、満月の明かりが強すぎて、halationを起こしてしまうので、逆に感度を下げて?もう少し暗く絞り込まないと、満月の撮影は無理なのですが、真っ暗な寒いVerandaでは、これ以上のcameraのsettingをするのは体力的に無理な話です。
これ以上は、上手くデジカメのsettingが出来ません❗
今回はこれだけ写れば、まあ、良しとしましょう。
デジカメは満月を撮る時だけが、いつも難しいので、普段はなんの問題も無く撮れているので、これ以上の不満はありません。

善哉❢善哉❢です。
コメント
純子斉藤
いやいや、充分綺麗に撮れていると思いますよ。昨日の満月は光輝いて本当にキレイでした。


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11月14日やっぱ、鬱の曲は良いよな~ぁ?? ·
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今年の6月以降のお話なのですが、それまで20年近く私を苦しめて来た鬱から、突然、6月に開放されました。
勿論、歳を重ねての人生なので、気に入らない事や、納得の行かない事は多いのですが、それはそれとして、鬱にはならなくなり、とても人生が楽になりました。
勿論、私の人生感が変わった分けでも、病気が激的(劇的)に開放に向かった分けでも、ましてや生活が楽になって、お金がドンドン入って来た分けでも、ありません。
理由と言う理由は全くもって無く、ただなんとなく、突然、鬱が消えたのです。
不思議だよな~ぁ?
本当に、それまでは、何度も・・というか、ほぼ毎日・・死にたくなるような鬱で苦しんでいたのに・・です。
体調が良くなった分けでもないし、生活が楽になった分けでもないのに、なぜ鬱が消えたのだろうか・・ネ??
鬱から開放されたのは良いけれども、その『理由がない』・・という事は不思議だよな~ぁ?
それはそうと、今日はお久し振りに鬱々コンサートの曲を片っ端から聴きました。
la folia on parade❢❢です。
・・という事はやっぱり弱鬱なのかな?
やっぱ、鬱の曲は良いよな~ぁ??
今回のChristmas会でも、次回の春の発表会でも、すっかりとmemberがいなくなってしまったので、もう、オケは出来そうにもないよな~ぁ??
小さい子も入って来ないしな~ぁ??
梨紗が「毎回そう言っている!」って言っていたけれど、今回ばかりは、絶対数がいないので、どうしようもないよな~ぁ?
いや~ぁ、鬱が再発しそうだよな~ぁ??
コメント
風戸 星那
鬱の曲はいいですよね(笑)‼️名曲が多いと思います✨魂の叫びだからでしょうか…(^^)🔥
· 返信する · 1年前
千野 由実
絢美は芦塚先生の曲のファンなので、もっともっといっぱい作ってくださーぃ‼️‼️
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
折角、鬱から脱却出来たのに???アハッ!😆
· 返信する · 1年前
千野 由実
芦塚 陽二 さん
え?出来たから、じゃないですかぁ(^-^)!!?
ふふふ💕
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
絢美ちゃんに新曲のTorelliのChristmas ConcertoのOrganのpartを弾いてくれないか、頼んだら「右手だけなら・・」と振られてしまいました。アハッ!超、簡単な曲なのだけど、Organなので、チョッとでも間違うと超、目立つからなのですがね??
· 返信する · 1年前 · 編集済み
返信する...

芦塚 陽二
Christmas会の人形劇のVivaldiの『冬』は人形劇自体を無しにして、曲の演奏をmainにして、 Manfredini とTorelliのChristmas-Concerto(Concerto Grosso)を演奏予定で、選曲、検討中です。未だ牧野先生の了解は取っていませんが、私的にはTorelliのChristmas-Concertoを考慮中で楽曲の研究中です。
いずれにしても新曲です。
Albinoniのadagioは、断っての希望なので、少人数でも演奏出来るようにarrangeを終わらせましたので、演奏予定です。オケはその2曲を演奏する予定です。(私的には・・で、未だ未承認ですが・・??両方ともOrgan伴奏なので、椎名町から電子Cembaloを運ぶ予定です。前回のAlbinoniの時にも使用したので・・



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11月14日『病院疲れ』というか、『diet疲れ』と言うか?? ·
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昨日11月の13日の水曜日の話なので、またまた、前の文章とは、time-lineが前後してしまっているのですが、『病院疲れ』というか、『diet疲れ』と言うか??『鬱疲れ』が溜まってしまったので、美味しいお肉をたらふく食べたくなってしまいました。
「お久し振りの発作だ❢」と思ったら、『焼き肉』は、発表会の打ち上げ以降で、未だ1月しか経っていない『焼き肉の発作だ』そうです。
・・dietを中止して、焼き肉を食べるのに、「焼き肉を食べるのに、何か良い口実はないのか??」と、先生達に尋ねたら、牧野先生から「術後1年のお祝いで良いンじゃあない??」と返事があったので、焼き肉55は水曜日の定休日だったので、高い美味しい方の江古田の焼き肉屋で待ち合わせをする事にしました。
斉藤先生が待ち合わせに遅れたので、牧野先生がミスドーでドーナツを買って来たので、ハニーディップを2個、ハイツに持って帰りました。
朝食の代わりです。
diet無しdayは鬱疲れが解消出来て良いのですが、今日からは再びdiet-dayになります。
『私の肥満史』
実は、私の肥満は33歳の時に始まります。
中学から高校生になった頃から、33歳迄は、私の身長は170センチで、体重は55キロの超痩せ型だったのですが、33歳を過ぎた辺りから、突然、と言うか、だんだんと言うか、肥満が始まって来ます。
私の33歳という年齢は、父親の死んだ年でもあって、Schubertが31歳で死んで、Mozartが35歳で死ぬので、私にとっても、人生の区切りの歳と決めていて、それまでに音楽で生きて行く事が出来なければ、音楽からは、身を引いて他の道を歩む・・と決めていた年齢です。
・・でも、実際には、もっと早い時期の28歳ぐらいでは、音楽をやっていても、充分に生きて行く(この場合は生活をして行く)事が出来るという事が分かったので、この33歳という年令は私に取っては全く無意味な年齢になったのですが、別の意味では、この33歳という年齢は、体が変わり始める年齢で、それから、徐々に長い長い時間を掛けて肥満が始まり出して、色々な涙ぐましい努力を色々としたのですが、結局、何一つ成功する事はありませんでした。
40を過ぎた辺りからは、更に腰痛や痛風等に苦しめられて、膝関節等、それこそ歩く事が難しくなってしまい、運動して痩せる事も徐々に出来なくなって行きます。
55歳頃からは、心臓の不調を感じて循環器外来に通い始めます。「冠動脈が・・・❢」と何度も訴えたのですが、心電図にも、MRIでも何の異常も見られないのですよ??
困った事です。
54歳ぐらいになって、循環器で病院に掛かるようになってから、ホルスターの心電図や、その他色々な検査をやったのですが、異常が見つからず、5年程経った頃、やっと、心電図に波形の異常が見つかって、光が丘の大学病院でcatheter検査を受けたら「検査を受けるのが5年程遅かった❢」と言われてしまい、頭に来てしまいました。
だから、「冠動脈が・・❢」と言って循環器に掛かったのに、病院の循環器の医者は、私の言う事を誰も信じてくれなかったのだよな??「素人が何を言う??」という態度だったよな??
そこからは人間としては、とても信じられないようなお話が、超たくさんあります。
大学病院の若い医者達に取っては、人間の生き死には他人事に過ぎない・・と言う事がよく分かりました。
このお話はhomepageの『闘病記』に詳しく書いているので、割愛します。


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11月14日天高く·
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今日の天気です。空の青さは目に痛いぐらいの透明度なのだけど、湿度は結構あって、晩秋らしく、超、寒いのですよ‼
でも、この空の青さは、久し振りに素晴らしい・・❢❢



二枚目の写真は西の空で、日の入り掛かった時の写真なのだけど、Abendrot(夕焼け)には少し早過ぎたのかもしれません。これから、徐々に『夕映え』が始まるのだけど、ビルの影は真っ暗になってしまいました。Im Abendrotには、ビルの影が真っ黒で、暗過ぎます。

これくらいが写真的には限界かな??



こんなに真っ暗になってしまうのは、それだけ、空気が澄んでいるからでしょうね⁉



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11月15日Christmas会の曲決め ·
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今日は11月の15日金曜日です。
今年も余す所、1月半になってしまいました。
Janet's law(じゃ~ね~❢❢の法則)ではないけれど、時の過ぎ逝く速さは、恐ろしいものがあります。
時間が永遠に続くように思えていた・・『幼い頃』が羨ましく思い出されて来ます。
今日は、朝から強い鼻詰まりで、目が醒めました。
起きてからは、頭が痛くて困っています。
たぶん、無呼吸症候群だったのでしょうかね~ぇ??
こういった時には、頭痛を抑えるには、一体何の薬を飲んだら良いのだろうか??風邪薬??痛み止め???
喉もすっかり痛くなってしまっているしね~ぇ??
・・・結局の所、普段のように、(薬を使わない)鼻のメンテをして※)、少し休んでから、寝直しました。
※)鼻詰まりが酷いと、普段使用している点鼻薬であるナザールも鼻に通らなくなります。だから、薬分の入っていないアルガードという鼻の洗浄のスプレーで、鼻の奥まで濡らして、何度か鼻をかむようして、後は電気の針で通電して鼻の活性化を図ります。
なんとか、鼻が通るようになって、今回は上手く眠る事が出来たようで、お昼の1時半を過ぎた頃に、目が覚めました。
熟睡出来た・・という事です。
体の調子も良くなって、今日中の仕事をテキパキと熟していたら、あっ❢・・という間に夕方になってしまったので、風呂の水を捨てて、風呂桶を洗って、お湯を溜めて、お風呂に浸かって髪を洗っていたら、・・・なんと、・・突然、・・・超、疲れが出て、体が全く動かなくなってしまいました。
体調の具合が分からなくって、体のcontrolをする事が全く出来ないのだよな~ぁ?
近所のスーパーに買い物に行く事が出来なかったので、「椎名町に行く次いでに、途中のスーパーで買い物をして行こう」・・と、途中のサミットに寄った迄は、良かったのだけど、商品を手に取って買い物かごに入れていた途端に、Energieが切れてしまって、体調が限界に達してしまって、慌てて商品を棚に戻して、大急ぎで椎名町へと、bikeを飛ばしてなんとか辿り付く事が出来ました。
暫し、椎名町の食卓の前に座って、呆然と我を忘れて体を休めていました。
・・・しかし、それでも律儀にドルプリっ歩に行くのだよな~ぁ? いや~ぁ、クソ真面目だよな~ぁ?
食事を済ませて、椎名町からの帰りにTorelliのChristmas Concerto (Weihnachts-Concerto)のscoreをcopyして貰って、ハイツに戻ってYou Tubeで色々な演奏を聴きました。
pastoraleは子守唄なので、rhythmやtempoが決まっています。
pastoraleのskipを結構軽快に演奏しているgroupが多く、tempoも結構速い演奏が多かった中で、唯一、I Musiciの演奏だけが、pastoraleのtempoも非常に遅く、skipのrhythmもゆったりとしていて、それなりに素晴らしい『歌い込み』だったのだけど、「始めて組」をmemberに加えて演奏するとなると、こう言った『歌い込み』の演奏は、またまた、難しく、演奏をするのは、無理だよな~ぁ?
・・てな具合に、色々な演奏を聴きながら、Christmas会での演奏・・と言うか練習の方針の、interpretationに対して、悩んでしまい・・、ついつい、朝まで、wineを飲んでしまいました。
悩んだからと言っても、演奏が上手くなる分けはないのにね~~ぇ??
こりゃあ、のみ過ぎだわサ~??
・・・頑張って、寝なければ・・??
もう一つの候補である Manfredini のWeihnachts-Concertoは、いきなりpastoraleから始まって、とても穏やかで美しい曲で、演奏技術的にも簡単なのだけど、その分、一本調子で、抑揚に乏しいので、『初めて組』の演奏には良いのだけど、専科組の子供達に取っては、お勉強的な要素が少な過ぎるので、却下する事にしました。
何時もの保護者の皆様方によるVivaldiの『冬』の人形劇は、練習の回数や演奏に出演をする生徒の人数の問題等で少し無理っぽいので、(楽しみにしている子供達も多いようなのだけど、)人形劇としてのVivaldiの『冬』は、『始めて組』をmemberに入れての演奏は、技術的に少し無理なので、今回は、残念ながら人形劇は取りやめにして、『始めて組』でも、参加可能な曲をselectして、練習をする事にしました。
Vivaldiのように指回しが無くなった分、『歌い込み』の課題になるので、それはそれで難しいのは変わらないのだけど、可能性の問題です。
勿論、前回のChristmas会で演奏した、Saint-Saënsの『動物の謝肉祭』は、今回は、演奏の人数も技術的にもとても無理なので、論外の却下だそうです。
後の教室のrepertoryである、Prokofievの『ピーターと狼』はもっと無理なのだそうです。残念だよな~ぁ??
という事で今回のChristmas会のorchestraの演奏曲目は、requestのあったAlbinoniのadagioと、新曲であるTorelliのChristmas Concerto になりました。
Albinoni=Giazottoのadagioは、前回の演奏は15年の12月のChristmas会での演奏になり、Rolandの電子Cembaloの初お目見えとしての演奏で、4年振りの演奏になります。
4年前の演奏の時にも、ちょうど、演奏をするmemberの大半が受験年次に引っ掛かったために、出演者が極端に少なくなって、そのために、少ない人数でも演奏出来るように、私がarrangeをして演奏に臨みました。
今回もそのversionで演奏をしようと思ったら、楽譜が紛失して前回作成したはずのdataも教室にもハイツにも残っていなくって、記憶を頼りに復元したものです・・・、と言うかfinaleの入力からやり直さなければなりませんでした。
チョッと頭に来たのだけど、まあ、復元作業は終わって、楽譜も生徒達に配られたはずです。(まあ、無駄な作業だったのだけどね??)
Torelliは新曲なので、演奏が楽しみです。アハッ!・・ッッ、どうなる事やら~~??



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11月17日食物がなくて ·
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今日は11月の16日の土曜日の夜です。
・・とは言っても、いつもの通り、cinderella-timeを過ぎて、文章を書いているので、Facebook上の日付はもう既に日曜日で、『一日遅れの書き込み』になりますがね⁉
今日は丸々一日中、どうした分けか・・疲れ果てていて、買い物に外出する元気もなかったので、『有り合わせ』という事で、冷凍室にあった冷凍うどんをレンジで解凍して、唯一、奇跡的に例外的にあったさつま揚げを除いた、全てを、乾物のインスタンス食品で賄って、素うどんを作って食べました‼😭
実に久し振りの、『食べるだけの』貧しい食事だった❗
大学生の頃、classの友達に「餌を食いに行こう❗」と言って、友人達から顰蹙をかったものだが、その頃、私は、生存のために食べる超不味い、学校の近所のお店の食べものを、『えさ』と言って、美味しく楽しんで食べるものを食事として、区別していたのですよ❗
勿論、その『餌』と『食事』の区別の基準は、金額や場所の雰囲気の事ではありません。
美味しければ、屋台の食べものでも、食事と言っていたのだから・・ね⁉

若い頃には、腹が減ったら、お腹を満たすためには、不味い食べものでも、何でも、兎に角、食べたくなったものだが、歳をとると、腹が減っても、食いたいものが見つからないと、仕事に忙殺されて、食べる事さえも忘れてしまうようになってしまった😵💧
この歳になると、一日、何も食べていなくても、気が付かなくて、後で・・「今日は、何を食べたのだろう?」と熟考して見て、改めて何も食べていない事に気がつく事さえ、よくあるのだがね⁉

今日のうどんは、何故、うどんだったのだろう⁉
冷凍庫には、もう少し美味しい高価な冷凍食品が色々と入っていたはずなのだがね⁉
超美味しいピザや、スパゲティ等も入っていたのだけど、・・・
dietのための、サッパリ系の食事・・という事で、チョッピリと義務的だったかな⁉(反省しています❗) 
うどんはなんのdietにもならない・・というのはよく承知しているのだけどね~??



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11月18日 TorelliのWeihnachts-ConcertoとMünchen時代の思い出·
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今日は11月の18日の未だ、cinderella-timeの1時50分です。
ハイツの部屋に辿り着いて、椅子に座ったのは、多分12時7~8分頃だと思ったのだけど、そのまま、茫然自失をして、意識無く椅子に座ったままでした。
部屋に着いて直ぐに、ストーブを焚いたままだったのにも関わらず、寒くて、茫然自失の意識が戻った所です。
ストーブでは部屋が温まらないので、扇風機を回して空気を部屋中に循環させた所です。
今日(17日の日曜日)のオケ練習では、TorelliのWeihnachts-Concertoの楽譜を生徒達に配って、初見大会をして、曲のimageを子供達に伝達しました。
懸案のpastoraleと終曲のtempoの設定なのですが、2曲目のpastoraleは、I Musici同様にゆっくりと演奏して、美しく歌い込む事にしました。
終曲は、3:3:7拍子のrhythmが見受けられたので、他のperiodやI Musiciの演奏を参考にして、・・・ではなく、私、独自にgigueのrhythmとそのtempoで演奏する事にしました。
勿論、それが最も正統的な解釈だと思ったからです。
(何かしら、人とは違った事をしないとね???)
TorelliのWeihnachts-Concertoは、演奏形態はConcerto Grossoの形態で、しかも、緩急緩急の教会Sonateの形式なので、当然、Cembaloではなく、Organの想定でbasso continuoが作曲され校訂されています。
今回持って行くRolandの電子Organのために「cembaloの譜面を、Organのpart譜を書き換えるように」と、斉藤先生から言われたのですが、楽譜をcheckしてみると、超、珍しく、最初からOrganの譜面として書かれていて、私の訂正が全く必要がないくらいに、とても良く書かれています。
楽譜上では利便性の関係で、organとcembaloの書法の混同が幾つか見受けられますが、それは書き直しが必要な程ではなく、口頭でorganの弾き方として注意をするだけで充分だと思います。
この楽譜は、聞いた事もない出版社だったのですが、楽譜上に書かれている住所を見ると、私がMünchenに留学して最初に住んだMünchen郊外の小さな小さな町であるPlanegg(プラネッグ)の町の出版社だったのですよ。
(小さなCembaloの工房がある事は知っていたのですが、出版社がある事は知りませんでした。)
街とは駅を挟んで反対側のPlaneggの森にはMaria Eich (マリア・アイッヒ)の小さな Augustinerkloster(アウグスティーナ・修道院のチャペル)があって、その木にMaria様が出現して、婚約者の元を訪問しようとしている騎士Valentine(バレンタイン)に布教を命じ、Variationは恋人をそのままにして、世界に布教の旅に出かけた・・という有名なお御堂があります。
PlaneggのDeutsche Mutter(ドイッチェ・ママ)に私がバレンタインのチョコレートの話をすると、「Valentineは女性を捨てて、修道士になった人なのに『恋のキューピット』って、おかしいわ??」と笑っていました。
Planeggの森は、とても美しい奥深い森で、4時間近く歩いても、森が切れないので、良く散策・・と言うか森に彷徨いに出かけました。
作曲等の思索をするには最高の森でした。
楽譜を見て、超、懐かしくなって、当時の思い出に耽りながら、うだうだしていました。
『写真の説明です。』
1枚目の写真はPlaneggの森への駅を挟んでの入り口なのですが、冬の時の写真なので、木々の葉が全くありません。



2枚目の写真は、Planeggの街の住人で私のDeutsche Vater(ドイッチェ・パパ)と末の弟で、Planeggの町から、車で2、3時間程走った山の中のパパの手作りのHutte(ヒュッテ)です。

3枚目は暫く間借りして住んでいた家とその部屋でのclavichordです。Clavichordは、日本に帰って来た時に一緒に持って帰ったのですが、音量が小さくてensembleが出来ないので、Cembalo制作の人が欲しがっていたので、spinetと交換して貰いました。



最後の写真は、同じPlaneggでも、また別の家に住んでいた頃の時に、従兄弟が遊びに来てくれた時の写真です。
お隣の女の子はroommateのpianistです。
ここの家は、音大生専用の部屋だったので・・・多くの音楽大学の友達と暮らしていました。

音がうるさくって作曲が出来なかったので、もっと郊外の Fürstenfeldbruckの街にお引越しをします。
私はMünchenの街中に住んだ事はありません。
街は嫌いなので・・・・



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11月18日紅玉が2,3個腐り始めていたので、 ·
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紅玉が2,3個腐り始めていたので、椎名町からハイツに持って帰って来て、ジャムを作りました。
次いでに捨てる予定の芯を使って紅茶を入れてアップルティを作りました。
皮は微塵に切っても舌の感覚がザラっぽくなってしまうので、ジャムには入れない事にしました。
やっぱ、匂い出しぐらいにしか使えないのかな???



ジャムの出来上がりはあまりきれいではないけど、リンゴの食感を出すために、わざと形を残しています。格好良く厚めにスライスするには玉が余りにも小さかったのと、剝いている最中にボロボロと割れて来たので、板状にスライスするのは諦めました。
未だボロボロのりんごの形はあるけれど、実際には、パンに塗るとトロトロのペースト状になってしまいます。




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11月19日麻酔で焼いた歯茎が腫れ上がって痛いので ·
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麻酔で焼いた歯茎が腫れ上がって痛いので、食事が美味しく食べれないのだよな~ぁ??噛もうとすると歯茎にあたって痛いのだよ❢❢この2,3日は特に痛い❢❢明日は歯医者だ・・❢❢なんとかしてくれ??
歯のせいではないのだろうが、今日はなんとなく(6ヶ月ぶりに)鬱になりそうな雰囲気で、ドルプリっ歩もままならないのだが、ハイツに戻ってボッチになっても、心のcontrolが出来なくって、とうとう眠れなくなってしまった。
何度となく、bedとパソコンの前の椅子を往復していたのだけど、ついに心に逆らって眠る事を諦めて、飲み残しのwineを飲む事にした。
前回開けたwineがdecantageしても、あまり美味しくなかったので、ふと、思いついてサントリーのwhiskyのpresentで貰ったdecanterの栓をwineのボトルに取り付けて見た。
ほんのイタヅラなのだが、とても良い音がする。
まるでDecantageがちゃんと出来たような気がする・・❣
いや~ぁ、これは、気分だよな~ぁ?
不味いwineが少し美味しくなったような気がする・・
今日の鬱コンは、I MusiciのTorelliのWeihnachts-Concertoで良いか・・??
このyoutubeの演奏は、まるでRaffaelloのMadonnaのように甘く切ない演奏です。

Torelliのこの名曲は、とても素敵ない美しいmelodyです。
Manfridieniと同様に、いつか子供達に演奏をさせたいと思って、懷を温めていた曲になります。
今回のChristmas会で始めて組の子供達も一緒に、新曲として、子供達へのpresentとして演奏をする予定の曲です。
始めて組を増やすのはなにかと大変だけど、頑張ってオケの人数を増やさないといけないのでねぇ~⁉
youtubeの演奏は多分i musiciだったかな⁉
I Musiciにしては珍しく、私のinterpretationに近い、曲の設定でした。I Musiciは歴代アーヨさんの時代から、いつもbest-choiceだけど、interpretationは全く違うのよねぇ⁉
https://www.youtube.com/watch?v=wqHcQVwBtio


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11月19日『学問の勉強の仕方』 ·
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今の子供達は勉強をその単元でしか勉強しない。
音楽の勉強に限らず、今の子供達は歴史や数学等を縦にしか読まない❢横に流れとして読む事が出来ない。




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11月19日音楽への思い出 ·
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私が子供達を教育するようになった経緯は、私の周りにいる人に取っては、耳タコ・・と言うよりも、タコが発酵してキムチになっているかも知れませんよね??
初耳の人達もひょっとしたらいるかも知れないので、軽く説明をすると、・・私は他の音楽を学ぶ人達とは違って、とても遅く音楽の世界に足を踏み入れます。
私の音楽に対するapproachが日本の音楽界とはかけ離れているのは、私の音楽に対しての勉強の経緯が他の人達とは大きく異なっているせいかもしれませんよね。
私が音楽の勉強を始めたのは高校生になってからで、腎臓の病気で腎臓を摘出手術を受けてからです。
近親縁者達が私の病気のために、私が医学部受験のための受験勉強に体が耐えられない・・と判断したからで、その結果、私が医学部に進学をしないという事で、将来を、自由にさせて貰えたからです。
・・・とは言っても、そう言う理由で医学部には進学しなくなってしまったので、それ以降の大学への進学は、経済的に援助して貰える分けでは全くありませんでした。ましてや、音楽への進学・・という事になったのでは、近親縁者からは八分状態で、芦塚家としては、勘当ものでしたがね??
高校2年生から、孤軍奮闘で、一人で「音楽を始める」・・という事で、Pianoを学び初めて、Beyer教則本を1月で終わらせて、約1年間でCzernyの50番からChopinのEtudeまで辛うじて辿り着きます。
勿論、並行して、inventionからsinfonia、それから平均律までや、和声の勉強、楽典等も、・・・
作曲科の生徒にとってはPianoは副科ではあるのですが・・、それでも、Pianoの課題曲はChopinのEtudeとBachの平均律というのはPiano科の生徒達と同じlevelなので、試験はPiano科の生徒達に混じっての入試なのですからね??
solfegeや聴音等を教えてくれる先生も、当時の長崎には、一人の先生もいないので、長崎市内で音楽大学を受験する生徒に声を掛けて私の家に集めて、solfegeや聴音の勉強を一緒にしました。
当時、長崎の市内には、音楽大学へ進学する生徒が、(女の子の一人)を含めて、私以外にも2名いたので、毎週私の部屋で、自主的に音楽理論の勉強を一緒にしました。
白黒の写真は夏休みに進学する音楽大学を決めるために、色々な音楽大学の夏期講習を受けるために、一緒に東京へ出掛けた時の寝台車での写真です。
その後、女の子は桐朋のPiano科へ、男の子は国立音大に入学しました。勿論、私も第一志望の音楽大学に入学しました。
地方からの音楽大学の全員合格というのは超珍しいのですがね??高校の先生達も不思議がっていました。
私は某音楽大学の作曲科を受験したのですが、例え音楽大学に入学出来たとしても、私は男性なので、女子大生とは違って、音楽大学で学ぶ事で、音楽界で生きて行けるとは思っていません。
それは、私と同期に入学した音楽界で活躍する事を希望する男性の学生達でも同じで、音楽大学での生活よりも、学校の勉強以外の自分自身での勉強がとても大切な勉強になります。音楽大学というのは、4年間という時間を貰う・・という意味しか私達にはありませんでした。
つまり、音楽大学を卒業した後に、留学して勉強を続ける事を見据えての、事前の勉強でした。彼はFrance語を私はドイツ語を並行で勉強しながら、私の場合には、先ずは生活の事もあるので、先生達から仕事のお手伝いを貰ったり、音楽界の現場の下働きをしながら、(但し、Classicというgenreを超えない条件で、)働く事で音楽の仕事の勉強をしました。
音楽大学の勉強というのは、お稽古事の延長に過ぎないので、音楽界で働くという仕事としての勉強をする事は出来ません。
そうすると、我々男性に取っては、音楽で生活をして行く事が出来なくなってしまうので、将来的に職業としての勉強を続けて行くという意味で、留学に一番近い存在であるPringsheim先生※)に師事するために、先生が在籍をしている音楽大学を受験しました。
※)勿論、ここで敢えてPringsheim先生の略歴をいう必要はないとは思うのですが、先生はRichard Straussの弟子でGustav Mahlerの弟子でもあり、妹さんの旦那さんがPaul Thomas Mannで、指揮者のBruno Walterは兄弟弟子です。私が学んだMünchenの国立音楽大学の学舎であり、戦時中はナチの総本部であった家はPringsheim先生のお屋敷でした。
まあ、そんな先生です。
当時はPringsheim先生は生徒を取ってはいなかったのですが、4年、5年振りのPringsheim門下生として無事大学に入学する事が出来ました。
私が入学した当時、私の先輩には、院生の女の子が一人いるだけでした。
音楽大学に入学して4年後に、無事に日本の音楽大学を卒業して、1969年(昭和44年)24歳の時に、そのまま、Münchenの国立音楽大学に留学します。
勿論、MünchenはPringsheim先生の故郷です。
そこでGenzmer先生という超厳しい事で有名な先生に巡り合う事が出来て、その先生の元で、音楽に対しての自信を付ける事が出来ました。
1972年(昭和47年)27歳の時には、イタリアの国際作曲concoursに一位入賞して、その高額の賞金で帰国の飛行機代と、grandpianoの購入費と、audioのsetと、部屋の権利金敷金を払って、その後の生活の基盤を、concoursの賞金で賄います。
その後は、約10年近くの間、複数の大学で講師をするのですが、その大学の中に教育大学があったので、その大学では私の日本の学校教育や家庭の教育上の問題点を指摘して、その改善策を述べた論文を公表した事もありました。
ちょうど、その頃から、学校での教育崩壊とか、家庭内暴力の問題が持ち上がった頃で、その問題が起こる事を以前から論文上で指摘していた事で、その文章を読んだ当時の文部省関係の人達から、21世紀の日本の教育についての危惧と現場の指導の説得をされてしまいます。
現場の教育者が指導するためのmanualとしての論文・・と、いう意味の論文ならば、色々な大学の超有名な教授達が教育理論を提起しますが、それらは全て机上の空論であって、実際の教育の現場には、役に立たないからなのです。役に立たないのならば、まだしも、子供達をより悪く教育してしまう事さえよくあります。
教育の理論は、私が生徒達を指導出来るのは当たり前なので、私がそれを実践したとしても、なんの意味もありません。(意味もない・・というのは、私が指導出来たとしても、一般的には成り得ないから、文部省的には先生を育てる・・という事が目的なので、私が幾ら指導力があったとしても、意味がない・・と言う意味です。)
音楽理論は、私が弟子にその理論を指導をして、その弟子が生徒を育成した時に、その理論が実践出来るか、否か・・で、その理論が正しい理論であるか・・が判断出来るのです。
ですから、それを証明するために、花園で先生の育成をして、その指導を受けた生徒達がそれなりの実力を見せる事が出来るか??という課題だったのでした。
いつもお話をしているように、これは教育理論なので、最初は学習塾のようなものを想定していたのですが、私の指導して来た学生達は、学校で先生という職業を得ているので、それを捨ててまで、私の学習塾を手伝ってくれる人はいませんでした。
最初に私の申し出を受けても良いと言ってくれたのが、私が受験の時に指導をした生徒でした。
それで急遽、音楽教室を立ち上げる事に変更されました。
文部省の関係者の人達に取っては、教育法が知りたいだけなので、内容は算数でも国語でも、音楽でも全く問題ではなかったからです。
5年、6年後に、育成の成果を上げる事が出来たのですが、
約束の5年が終わって、その時点でサッサと教育界から手と足を引いてしまえばよかったのだけどね??
最初に指導した生徒達が音楽の世界で生きていきたいという願望に応えて、教室を会社にしたのが間違いの始まりであったのだよ~ナ。
文部省としては、子供達の教育を各分野の超有名な専門家達を集めて、委託して教育の根本的な所から教育の在り方を改革する・・という運動を、文部省主導でおこなう予定のはずだったのですが、殆どの声を掛けられた有名人の人達が、客寄せパンダであって、名前を貸すだけで、実際の教育に携わる事はありませんでした。精々、良心的な教授では、自分の弟子を人身御供に差し出すだけなのでした。
私だけが、お話を真面目に捉えてしまって、pech!(貧乏くじ)を引いてしまったたのだよな~ぁ?
そう言った所も、私がクソ真面目で硬い性格だったのだよな~ぁ??
困った事だよな~ぁ?
・・という事で、私が子供達の教育に足を突っ込んだのは、私が或る程度、音楽界で地盤を固め始めた頃の・・38歳頃になってからの時です。
若い・・から中堅に変わった辺りの年齢なのかな??
教育の世界に足を踏み入れる事で、折角、日本に帰ってから築いて来た音楽界での地盤を私自身が失ってしまうのは、とても涙ながらには語れない・・私の悲劇的な歴史なのですが、それは・・語るに値しないくだらないお話なのですから、お話をする機会があればお話をする事にします。
別に今ではもう時効の話で、それに最初から内緒の話ではないので・・ネ??
つまり、1983年(昭和58年)38歳の時に、千葉の花園に教室を開設しました。(つまり、今の花園教室と江古田の教室が最初の教室でした。)
今年は2019年なので、それでも、もう36年の長きになります。勿論、教室を開設する以前の生徒もいます。2世代目や、そろそろ3世代目の生徒が・・、光陰矢の如し・・超、怖い事です。






1枚目の写真はそれよりもず~と前の30歳になったばかりの頃の写真です。
勿論、教室を作る前の写真で、大学で講師をしていた頃の江古田教室の写真です。
Fiori musicali baroque ensembleとして、triosonateの演奏や、室内楽等で演奏活動をしていた頃の写真です。


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11月20日 糖尿病で歯からの出血が止まらない·
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今日は11月の20日の水曜日の午前4時を回った所です。
昨日の火曜日は、歯医者の予約日で、「食事をする度に、歯茎にあたって痛くて困る」旨を伝達しましたが、「糖尿病で1週間経っても、歯茎からの出血が止まっていない」そうで、治療が直ぐには出来ないので治癒には長引くようです。
と言う事で、何かを食べる度に、歯茎が痛くて困っています。チョッとした食べものでも、歯茎に触れると痛いのですよ‼
昨日というか?・・一昨日になるのか?・・日にちの計算はよく分かりませんが、鬱になりそうな気分だったので、早めにwineを飲んで、You Tubeで鬱々コンサートを聴きながら、飲み疲れて寝てしまったので、火曜日の一日のrotationは、メチャメチャになってしまいました‼
・・つまり、寝たのが、やっと朝の8時、9時頃になったのですが、それでもお昼の2時過ぎ頃には起き出して、雑用を片付けていたのですよ⁉
まあ、マメな事❢❢
普段も、結構、遅い時間に寝る事が多いのですが、直ぐにtoiletーtimeで目が覚めて、そのまま、眠れなくなってしまう事が日常的に多いのです。
時間の制約がある時には、諦めて徹夜状態のままで、そのまま仕事をしてしまう事も多いのですが、時間の制約がない時でも、日中に疲れてしまって、bedに戻って寝直すのは、良心が咎めてしまいます。
私の仕事はノルマ制の仕事が多いので、期日までに、ちゃんと仕事が終わっていればいつ仕事をしても、いつ寝ても・・良いはずなので、一日の時間は自由に使っても良いはずなのですが、今でも、昼間にbedで休もうとする時には、時折、良心が咎めてしまうのですよ。
摂眠障害なので、普段でも、普通の人程は、睡眠を取っていないはずなので、良心が咎める必要は何もないはずなのですがね⁉
今日も、朝結構早く起きて、雑用をしながら歯医者に着ていく服を探していたのですが、幾ら探しても、最初からないものは、ないのだけど、・・・無ければないで、外にも出れない分けなので、それも困るのだよな~ぁ⁉
所謂、『着た切り雀』・・という事です。
なかなか池袋までは服を買いには、出掛けられないので、駅前のbebeで有り合わせの服を買って来ても、結局は着れないのだから、致し方はないのだよな~ぁ??(・・・着れない、というのは、好き嫌いの話しではなく、sizeの問題です。)
『Weihnachts-Concertoのお話』
Giuseppe Torelliは 1658年4月22日ヴェローナで産まれて、 1709年2月8日にボローニャで死んだ、baroque中期の作曲家です。
BachやHändelよりも一世代前の作曲家になります。
Weihnachts-Concertoの問題点は、教会Sonateの形式であるにも関わらず、その曲毎の演奏時間のbalanceの悪さです。
緩急緩急であるはずの教会Sonate形式なのですが、(I Musiciの演奏では、)最初のGraveは0:28 vivaceは3:33秒、 adagioは3:13 vivaceは1:32で、楽章としては兎も角、曲の規模としては4楽章の形態を成していません。
冒頭のGraveに至っては、わずか4小節しかありません。
だから、4楽章ではなく、3楽章編成に、冒頭のvivaceにIntroが付いている・・と考えた方が良いと思われます。
最後のvivaceも時間的に短すぎるので、尻切れトンボの感じは否めません。
最後の楽章を少し重くするために、「冒頭のIntroを後奏として演奏しようかな??」とも考えている所です。(未だ、決定ではなく、悩み中なのです。)
今日は夢の中で赤ウニを食べました❗
安い馬糞ウニと違ってやっぱり、超美味しかった❗
口の中に、赤ウニの香りが残っていて、美味しく目が覚めた❗



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11月21日鼻詰まりと歯が痛いので ·
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今日は、まだ朝の4時です。
昨日の夜から、歯が痛いのと鼻が詰まって息が出来ないので、全く眠れなくって困っている所です。
今日は千葉でlessonがあるので、ちゃんと寝たいのだけど、体調は最悪で、布団の中でバタ狂っています。
オイオイ、そんな事をFacebookに書いている場合じゃあないよなぁ?
一分でも早く眠らないといけないのに、困った事だよなぁ?
鼻詰まりの場合には、カウチベッドが頭の血を下げるので、一番良いのだが、ハイツには置く場所がないので、多分今はユーカリに置いたままになっているのだよなぁ?
必要な時に必要なものがないのは、困るよな?
コメント
芦塚 陽二
ご心配お掛けしてすみません。カウチは心臓の手術の時にちゃんとしたのを買って1年程リハビリに江古田の教室でチョッと休憩をする時に、使っていたのですが、やはり場所を取るので捨ててしまって、今ユーカリが丘にあるのは、それから買い足した2台目なのですが、やはり、ハイツにカウチを置くスペースがないので、今度は捨てないでユーカリが丘で休む時に使っています。検見川教室には以前ソファーを置いていた頃にはソファ-の横に3角形のクッションを置いていて、肘掛けやカウチの変わりになっていたのですが、ソファーを処分(今は斉藤先生の部屋にあります。)した時に、クッションも処分してしまいました。カウチには少し小さめで使いづらかった・・と記憶していますが・・
そろそろ介護ベッドが必要だったりして・・アハッ!


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11月22日の金曜日です。 ·
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今日は11月22日の金曜日です。
昨夜は、鼻詰まりや歯の痛みで眠れなくなって、殆ど眠った記憶がないまま、全くの徹夜状態で、定形の時間のお昼の12時前には、千葉のlessonに出掛けました。久し振りの渋滞だったので、早めのstartになりました。
lessonが長引いたので、夜はチョッと遅くなって、11月の11日の11時過ぎには、椎名町に辿り着いて、何時もの通りに深夜1時頃には、ハイツに戻って来たので、取るものも取り敢えず、先ずは寝る事にしました。
しかし、今夜は超寒くて、部屋に入って直ぐにガスストーブをつけたのですが、部屋が全く暖まりません。
不思議だと思って、netで練馬区の気温を調べて見ると、なんと練馬の気温は、夜の2時には、7℃になっていました。という事で、部屋の中でも、9℃を下回っていたのですよ。
寒い!寒い!
布団に入っても、昨夜の鬱が今日も尾を引いていて、なんとなく人生の悲哀を感じて、眠れなくなってしまったので、諦めて、布団から起き出して、日本酒とwineを飲み始めました。
気分を転換しようと思っても、テレビをつけても碌な番組はないし、録画している番組もつまらないものばかりです。こういう時の、鬱々コンサートは、チョッと疲れ過ぎていて、鬱々な曲を聴く気力もありません。
やる事が見当たらないのだよな??
困ったよな~ぁ?
コメント
萩元 美紀
昨日はありがとうございました。
ラフマニノフでは余計、具合悪くなりそうですね(笑)




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11月22日ハイツからのからのview ·
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この文章は前の文章の続きで、今はまだ11月22日のお昼の3時22分になります。
日中というのに、雨が降っていて、薄暗く、気温は7℃※)、湿度は89%で、更にこれから5℃まで下がるそうです。
( ※)夕方の天気予報で訂正が出て、今日の日中は6.9℃、湿度は94%だったそうです。)
部屋の中から外を見ても、陰鬱で寒々しい景色です。
Mansionの廊下は電気が煌々とついています。
それぐらい暗い・・という事だよな~ぁ?
それはそうと、今はチョッとだけ時間が過ぎて、お昼の3時33分になった所ですが、・・と言う事は、なんとか眠る事が出来たのかな??
無事に眠れて起きる事が出来たので、鬱はすっかりとなくなっていました。
Morgen fruh, wenn Gott will Wirst du wieder geweckt(Brahmsの子守唄)は、独居老人にとっては、超怖い歌なのですよ。ね~ぇ??もし、神様が望まなかったら・・、という事で・・ネ??
まだ、布団の中で、寒くて布団から出るのを渋っているのですが、そろそろtoiletーtimeなので、布団から出なければなりません。
プチ勇気を出して、頑張って起きて、ストーブで、部屋を暖めるか⁉
写真は今現在のハイツのVerandaからのviewを2枚の写真に撮って、一枚に統合したものです。



本当は繋ぎ合わせた部分が分からないようにぼかす事も出来るのですが、そこまでやる事もないよな~ぁ・・という事で敢えてやっていません。アハッ!


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11月22日Facebookの不具合 ·
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不思議な事に、コメントを書いて写真を保存したら、全部の文章と写真がなくなってしまいました‼
ちゃんと保存を押したはずなのに、文章や写真が全く見つかりません。どこを探しても無いのですよ‼
Facebookは、こう言ったtroubleは、何時もの事だけど、腹立つよなぁ⁉
書いていた内容は全く覚えていません❗
という事で、・・・多分、なのですが・・・、ではないか⁉という事で、書きました。
『極寒用のRain-suitsについて・・』
今(11月22日の金曜日の夜の9時半過ぎ)は、雨が降り続いていて、超寒かったので、諦めて、極寒用のrainsuitを引っ張り出しました‼
北海道の工事の人達用の極寒仕様のrainsuitなので、超モゴモゴしていて、部屋の中で一人で着るのはとても大変なのだけど、外に出たら、ちょうど良いくらいの温かさで、とても良い温かさでした。
・・てな内容を、ダラダラと書いたような気がします。
『videoの編集のお話』
まあ、超、多雨の中を、bikeで椎名町まで走って、雨で濡れるのを嫌がって散歩を拒否るドルプリを強制散歩をさせて、夜の食事をして、帰って来た(所謂、routine)なのだけど、斉藤先生から、lessonのSDcardが読み込めなくなったので、パソコンで読み取って欲しいという事と、発表会のvideoを編集する時に、私が曲の注文の選択を間違えたので、完成品のDVDに「ダメ出し」が出て、作り直しになったのと、他にも1つ、2つ、編集をしなければならないvideoがあったので、ハイツに戻って来てから、気分転換に、平行で録画して溜まっていたどうでも良いテレビ番組を見ながら、同時進行で、videoの編集作業をしていたら、なんと、朝になってしまいました。
とは言っても、勿論、テレビを見ながら・・・なので、時間に対しての意識はあったので、時間は分かってはいたのだけど、パソコンでのBlu-rayを焼くとかいったチマチマ作業が中々終わらないので、今回はそういった雑用のチマチマ作業が多かったので、「パソコンに任せて、ほったらかして寝てしまう」という事が出来なかったのですよ。チマチマ作業というのは、パソコンの操作が多いので、ほったらかしにしておくと、仕事が終わってしまう、という作業とは違って、結構大変なのですよ‼
雑用を片付けながら、すっかり明るくなってしまったのですが、朝になっていたのに、それでも、未だ雨が延々と降り続いています。
超、寒いのも変わりません。
『日本酒とぐい呑のお話』
videoの作業は、全部済ませたので、今日しなければならない仕事の予定の、取り敢えず・・・は、終わったので、これからは、freeeeeee-timeです。
「気分転換に少し日本酒の超熱燗でも飲もうかな??」と思っている所です。
写真は以前から冷蔵庫の中に買い置きをしていたコップ酒を、飲み終わった後のコップなのですが、大きなスーパーの酒屋さんよりも大きなお酒売り場(お酒の種類が沢山置いてある・・・という意味です。)で買って来た日本酒をコップに移してレンジで熱燗にした所です。
こんな安直なコップではなくて、本当は超お気に入りの徳利や大量のお洒落なぐい呑を持っているのに、コンビニで買って来た有り合わせの小さなカップ酒のコップに、チョッと値段の高めの日本酒を入れて、レンジで熱燗にして飲んでいる所です。
高価なぐい呑や徳利は、レンジでチンする分けには行かないし、コップ酒の瓶ならば、安心してチン出来るし、況してやその1杯の量がちょうど良いのでね??
という事で、結局、高い徳利やお猪口、ぐい呑の類いは、殆ど使わないままに、食器棚の中に仕舞い込まれたままで、全くの宝の持ち腐れなのですがね?
徳利さん達も、全く日の目を見る事がないとすれば、・・せめて今度、私の持っている色々な徳利とお猪口でも、写真に撮って、Facebookにでも掲載するかな??
う~~ん?? そしたら、今度は『呑兵衛~❢❢』と思われてしまうかな??
私は普段は、家では滅多に日本酒は飲みませんよ❢❢
alcoholを飲む時でも、基本的には、家ではwineを飲んで、外で飲む時でも生beerが中心です。
日本酒を飲む時は、ボッチ酒の時でも、寒くなってきてからの、寿司屋で飲む時だけに限っています。ハイ!
今日は不思議な事に、先程から、浄水器を引っくり返したり、今度はお酒のコップを引っくり返しています・・❢❢
滅多に、物を引っくり返す事等しないので、これも超、珍しい事だよな~ぁ❢❢
どっか、何かがおかしいのかな??
平衡感覚が狂っているとか、意識が混濁しているとか・・??
・・いやあ、只、単に酔っ払っているだけ・・だとか・・・??
今度は、突然、扇風機がpianoの上から、落っこちて来た❢❢ 
超、びっくらこいた❢❢
本当に「美味しいなあ⁉」という感動を持って飲んだ事があるお酒は、夏の暑い時に飲んだ生ビールと、お気に入りのwineぐらいです。
という事で、日本酒はあまり飲まないので、日本酒の思い出というのは、私にはそんなに多くはありませんが、その中の一つは、私が未だ中学生だった頃、杜氏しか飲む事が許されていない原酒を従兄弟達と飲んだ事があります。
1合の原酒から1升瓶が7.8本作れるらしく、ほんの半合飲んだだけで、完全に酔っ払ってしまった記憶があります。
それに、天上界天女様が飲む飲み物のように、超、美味しかったのですよ。
だから、この60有余年、造り酒屋の原酒を飲むのは夢なのですが、未だ叶いません。
原酒という名前のお酒は結構売られていますが、それはそういう名前のお酒(商品名)であって、本当の原酒ではありません。
酒税法は厳しいので、杜氏以外の人が原酒を飲む事は許されていないのでね??
日本に帰国して、教室を作る前の、classicという分野ではあっても、結構色々な仕事をしていた頃には、職業柄、行き付けの高級寿司屋に、殆ど毎日、入り浸っていました❗
そこで出す元酒(もとざけ)という名前のお酒が好きになって、鮨屋さんが築地に行く時に、私の自宅用に築地でそのお酒を買って来て貰っていました。
そのお酒は、築地でしか、売られていないのだけど、それも1升瓶しか売られていないので、保存料の全く入っていない生酒なので、冷蔵庫でも3日しか持たないので、買ってしまうと、一升を3日で飲み切るのは結構大変なのだけど、超、美味しかったので、お酒が嫌いな人達も「wineみたい❢❢」と言って喜んで飲んでくれていました。
しかし、その寿司屋のあんちゃんが酒造元と大喧嘩をして、そのお酒を購入出来なくなってしまった??(買わなくなった??)ので、必死に色々な伝手を使って、造醸元のお店を探したのだけど、ついに見つからないで、その後そのお酒を飲む事が出来なくなってしまいました。
日本酒の協会にまで、電話して聞いたりしたのだけど、結局分からなかったのですよ⁉
築地でも、お酒の卸売業の中の一件だけしか、卸していなくて、その卸売業で読み取って、東京中の寿司屋で2,3軒しか、そのお酒を卸していなかったそうなので、そのお酒を置いている卸業者さえ分からなかったのですよ。
新宿の奥の大きな鮨屋に、デカデカと「もと酒あります❗」と看板が出ていたのは記憶しているのですがね?
音楽教室を開いてからは、そんな高級な鮨屋には全く行けなくなってしまいました。
という事で、今は、駅傍の魚河岸鮨が私の行き付けの鮨屋で、それまでの1/3程の値段で、飲み食いをしています。
殆ど回転寿司での値段です。
それでも、お店が出来た頃は、店長が私の鮨ネタの好みを覚えていてくれて、メニューにはない、地のものを特別に出してくれていたのですが、新しい店長に変わってからは、そう言った楽しい話も無くなってしまいました。メニューも毎回同じだしね⁉
鮨屋のお話はそれくらいにして・・・・
色々な日本酒の味見はするのですが、日本酒が『本当に美味しい❗』と思えたのは、その2回だけです。
多分、私は、日本酒は基本的には好きではないのかもしれませんよね??



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11月24日ドイツビールとソーセージのお店に行った·
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う~ん、・・・今日は11月の24日の日曜日の7時を過ぎた所です。
今日は日曜日なので、当然オケ練習の日です。
・・というよりは、今日はまだ始まっていないので、昨日の23日の土曜日の事なのですが、昨日は、勤労感謝の日なので、超珍しく、先生達が一緒にlessonのお休みの日だったので、興味のある新しいお店を探険に行く事にしたのですが、その候補が二つあって、その一つは、椎名町に新しく高級焼肉屋が出来たので、とても興味があったのですが、焼き肉は、つい先日に、私が発作を起こして、「肉‼肉‼肉‼」と肉が食べたくなって、江古田の超高い焼肉屋に行ったばかりなので、池袋まで電車で出掛けて、二件目の駅ビルの中にあるドイツビールとソーセージのお店にしました‼
私の場合には、若い人達の食レポとは違って、食べものについての感想はしません。
お店の雰囲気としては、仕事帰りの若者達が、家に帰る迄に仲間達と、チョッと立ち寄る軽食のお店という雰囲気なのかな⁉
仕事の打ち上げや、夜食としてのお食事としての雰囲気では、なかったようです。
つまり、若者向けのチョッとした会話を愉しむtrendyなお店という事なのかな??
まあ、それはそれとして、面白かったけれどね??

ただ、お酒(beer)やお食事が終わった後の、珈琲か紅茶もないし、ただ水だけでは味気ないし、ドイツのパンやゼンメルもライ麦パンも置いていないので、全く飲むだけで、それ以上の腹の足しは無い・・というのが私達のような年齢の人間に取っては問題ですかね??
それにお酒だけ・・と言ってもBeerだけで、そのBeerの種類も少ないので、1,2回も来ると、飽きてしまうし、お腹の足しにはならないし、・・という事で私達の年齢ではrepeatはしないのかな??
でも、時折行く近頃の多くのtrendyなお店は全部そうなので、それが流行なのかな??
普通、私達の場合には、Restaurantに言ってお食事が終わると、dolceで珈琲か紅茶は出るし、dolceのmenuもちゃんとあるのが普通だ❢❢・・と思っていたので、「近頃のお店は・・」・・・てなお話になってしまうのですよ。
まあ、私達は私達の年頃の人達が行くお店に行けば良いだけの事なので、池袋のtrendyなお店に文句を言う筋合いも無いのだけどね??
期待した割には・・という事です。
勿論、池袋には他にもドイツのRestaurantがあって、何度か食べに行った事もあるのだけど、自分で支払うとなると、チョッと**なので、自分達の打ち上げには行かないよな~ぁ?

という事で、改めて、池袋のドイツ料理のRestaurantをnetで調べてみたのだけど、このお店が筆頭に後、2つだけお店がヒットするだけで、以前私が行ったドイツ料理のお店はどうしても探し出せませんでした。
ホテルの中のRestaurantは1件もnetでは出ないようだよな??
宣伝をしていないらしい。
若者達には来て欲しくないからだよな~ぁ?
そりゃ、そうか??
コメント
千野 由実
ビール飲んでいるせいか?肌艶いいですね✨
楽しそうデス‼️



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11月25日TorelliのWeihnachts-Concerto ·
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今日は11月の25日の月曜日です。
昨日のオケ練習ではChristmas会で演奏予定のTorelliのWeihnachts-Concertoの練習をしました。
練習は、member不足のために、Violaが一人も居ないままの演奏で、Organのpartも未だ、演奏者が決まっていないので、昨日の練習では、私がOrganのpartを弾きながらオケを指導・lectureしました。
以前、Facebookに、「この曲は・・Organのcontinuoのpartも含めてbasso continuoのpartの譜面は、きちんと書けている❣❢」と、書いてしまったのですが、楽譜上の見た目は兎も角として、実際に音を出して弾いて見ると、『論理的な間違い』ではないのだけど、音の比重が薄くなってしまう所や、Sequenzのpatternが崩れている所や、単純な音の間違い等々のkleinigkeit(小さな問題点)・・が結構あって、それが、しかもsoliの裸の場所なので、結構目立ってしまうので、オケ練習をしながら・・なのだけど、どうしても納得が行かなくなってしまって、いつものように、生徒達に「Organのpartを書き直す」・・という約束をしてしまいました。
その最たる箇所は、pastoraleの37小節目の4拍目、38小節目の2,4拍目です。その前の和音が2度や4度で結構強い響きなのに、その次の拍が3和音で、pureな響きなのに、Baßの音もなくなってしまうと、極端に音の比重が弱くなって不自然になってしまう・・と言う事です。和声学の禁則にはないのだけど、Hindemithの近代和声学では、和音の強さが禁則に登場するのですが、baroqueや古典派の時代には、とても無かった禁則ですけれどね??
(約束・・とは言っても、多分、生徒達は、私がそんな事を言った事さえも、誰も覚えていないだろうけれど・・ネ??)
改訂にあたっては、出版されているbasso continuoのpartをcheckして見たのですが、和音の数字が5の指定なのに56になっていたり、結構、aboutに変更されていて、元の原曲が、その状態ならば、改訂版も有りか?という事で、上記のような箇所について、organのpartだけではなくsoliのpartについても、変更をしました。(soliの変更箇所はlineで既に連絡済みですから、次回のオケ練習では、改訂versionで、練習をする予定です。)
・・という事で、ハイツに戻ってから、Christmas Concerto のorchestra-score用のtemplateを作ってから※)、そのtemplateに、Organのpartを書き始めたのですが、出版されている楽譜では、scoreの弦楽器のpartは、訂正の必要はないように、ちゃんとしているので、finaleに音符を入力する必要は全く無いのですが、今日は丸々1日掛かって、その音符を入力するという無駄な作業をしてしまいました。
※)Organのpartだけを作り直す分けなので、Organのpartだけをfinaleで入力すれば良さそうに思われるかも知れませんが、実際には、Organのtasto-solo(伸ばしっ放し)のpassageが、毎回伸ばす長さが変化するように作られているので、そう言った所の間違いを防ぐ意味でも、オケのpartは必要になるのですよ。
オケ練習の時に、Kontrabassの生徒達がいつも音を伸ばした後のtuttiの入りを間違えて入って来ていたのだけど、毎回休みの長さや音の伸ばしの長さが変わるから、その確認が必要だったのかもね??
芦塚methodeの省略譜(分析譜)では、伸ばしは小節の上に繰り返すだけの小節数を書くので、tuttiの『入り』を間違える事はありませんが、一般の省略譜では、その数の勘定は演奏する人に任されているので、それで勘違いをしてしまうのかな??
それにしても、後々で、オケのcheckを虫食いで書き込む時には、最初からorchestraとしてのtemplateを作って置いた方が「時短」になるので、orchestraの譜面を作って、Organのpartだけを書くつもりだったのだけど、orchestra・・全部のpartを書いてしまいました。
嗚~呼??・・全く、人生の無駄だよな~ぁ?
オケ譜は、作る必要は全く無いのに~サ~ぁ??
明日の火曜日は膀胱癌の1年後の検査です。
川崎までの道行きは、行きは結構空いているので、楽なのだけど、帰りは会社帰りの人達と一緒になってしまうので、座る事が出来無い・・と言うよりも、足の置き場が無いぐらいに大変で、前回も3回程、ホームに降りて休み休み帰りました。
病院の検査では、局部でも麻酔を使うので、膀胱の検査が終わると、帰りの電車は、チョッと大変なのだよな~ぁ?
病院では休む場所は無いし、駅でもゆっくりと出来る喫茶店のような所は駅ビルの中にはないし、・・それに、帰りの電車は超、混んでいて座れないので、途中で挫折しそうな程に、疲れてしまうのですよ。
前回は、山手の乗り換えでホームで引っくり返りそうになったしネ??
明後日の水曜日は歯医者です。
その次は、光が丘病院が控えているし・・ネ??
毎日、病院通いだよな~ぁ?
人生、歳を取ると色々ある・・って事だよな~ぁ?




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11月25日『本当の意味での教育とは』 ·
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Christmas会は学期末にあるので、毎回のChristmas会がそうなのですが、今回は特に、元々のorchestraのmemberが減ってしまった上に・・なのですが、学校の試験勉強や受験でChristmas会に参加出来ない生徒達が多いので、練習もmember不足で、オケとして成り立たないので、練習が儘なりません。
何を今更の感じなのだけど、オケ練習は兎も角としても、好きな事に熱中出来ない今の子供達はとても可愛そうですよね??
私が子供の頃は、生きて行く事が大変だったので、教育を配慮する家庭は余程裕福な家庭だったので、「勉強❢」「勉強!」と言われる事が少なくって、「子供は風の子」・・という風潮が未だ健在だった頃の話でした。
子供同士で、日が暮れる迄、ガキ大将の下で遊ぶのが普通であった頃には、苛めも落ちこぼれも無かったのですよ。そういった子供同士の社会的な管理は、学校の先生でも親でもなく、ガキ大将の役目だったのですからね??
勉強の出来ない子供には、体操の時間があったしね??
勉強も運動も何も出来ない子供でも、なにがしかの仕事はあったのですよ。
私が小学校の4,5年生の頃は学校が大嫌いで(今でも嫌いですが・・)、朝、学校に行くフリをして、かばんを軒下に放り込んで、そのまま犬を連れて山に入って、夕方の鐘が鳴るまで、山奥で一人で遊び呆けていました。
不登校の走りで、そういった毎日を半年、1年と送っていました。私は産まれた時から色白の腺病質のtypeで、小学生の低学年の時のあだ名は『西洋人』でした。肌の色が白くて、そう呼ばれるのがとても嫌いでした。でも、1年、2年となる山学校で、すっかり健康になって、小学校の6年生の頃には、小学生の低学年の男の子を背負って1000メーターの山に下駄を履いて登った事がある程、体力が付いていました。
(その山も今はなくなってしまいましたがね??)
毎日、山の中で過ごしたら当たり前だよね??原始人だもんね??その当時の山学校が無かったら、とうの昔に色々な病気でもう、死んでいる頃だと思います。今の体力はその小学校の時代に付いた体力だと思いますよ。
まあ、良い事もあれば、当然悪い事もあって、その小学生の頃、算数のテストで産まれて初めて0点という点数を取った事もありました。
勿論、不登校なので、6年生の時には、「出席日数が足りないので、落第をさせる」・・という事で、職員会議に掛けられたのですが、担任の先生だけが、必死に擁護してくれて、落第を回避出来たのだそうです。
・・と後日、祖母が話てくれました。祖母の元には中学1年迄居て、2年生の時からは、母の元の長崎で生活をする事になります。田舎の生活に堪えられなくなって来たからです。
長崎の中学校に転校した私ですが、誰も私のそれまでを知らない事を良い事に、優等生キャラを演じます。
片親なので、私立の高校に行く事は経済的に無理なので、当時は県で一番だった公立高校を受験しなければなりません。そうでなければ、中卒で働かなければならなかったからです。・・でも、それは当時は当たり前の時代だったのですよ。所謂、金の卵の時代なのでね??
勿論、塾もない頃なので、受験勉強を教えてくれる人はいません。公立の高校に受験して来る生徒達の殆どは、付属の生徒で一般の中学校からは、2,3名しか合格はしませんでした。当時は競争率は5倍以上の難関校だったのですよ。
勉強を教えてくれる人は全くいないので、中学校での試験の全ての教科の成績を統計を取って、各教科別に、点が取れていない箇所の分析と、解けなかった理由を解明する・・という作業を毎日こつこつと続けました。学年での順位を出す事は、私にとっては、単なるgameだったので、結構楽しかったのですよ⁉ そういったdataを、毎回のテストで、取り始めてから、ひと月も掛からない内に、試験では、1学年中600人中のtop10位に入る事が出来ました。その後は、学年一位を、試験の度に特定の生徒達と、争うというgameを楽しんでいました。
(その頃は1学年が600人ぐらいが普通だったのですよ。多い中学校では一学年、1000人の所もいましたからね)
という事で、5倍、6倍の難関の高校に入学出来たのですが、
まあ、折角、小学校の時に、落第を免れた私なのですが、高校1年生の時に、大学病院のミスが2つ三つも続いて、腎臓結核で左の腎臓を摘出手術をせざるを得なくなってしまいました。(それは一般的には患者には内緒なのだけど、お袋さんの再婚相手が大学病院と深い関係のある医者仲間だったので、内緒の話として私に筒抜けになっていました。)
という事で、効きもしない薬を半年以上も投与されて、その間に結核が悪化してしまったので、その後、摘出手術と・・1年間大学病院で過ごして、結局、1年を落第せざるを得なくなってしまったのです。
もっと悪い事に、その年には、「学校教育の授業内容が全く変更される」という稀に見る「教育改革の年」に被ってしまい、次の年からの数学等、全く勉強した事のない教科を、後輩達と一緒に勉強しなければなりませんでした。
この時期の受験生達は、新受験問題と旧受験問題が平行で出題されて、卒業の年次で別の問題を解く・・という奇妙な時代だったのですよ。
8%と10%が混在するよりも、もっと複雑で混乱していたのですヨ❢❢
もっとも、私は音楽大学を受験する事になったので、その教育内容の問題は直接的には、全く関係無かったのですが、高校での授業は、全くチンプンカンプンで、理解不能の惨憺たる有様で、教室の椅子に座って必要のない授業を延々と何も理解しないままに座って聞いている・・という拷問に等しい時間でした。数列や微積分等の、中学校で予め勉強しておかなければならない基礎の所を全く学んでいなかったのですからね??
試験は、試験の間の時間に、友人達に問題が出題されるpointを聞いて、テスト用紙が配られると、忘れない内に用紙の裏にその公式を書いて、それを見ながら答案を書いて、それを教えてくれた友人よりも良い点を取る事が出来たので、その友人は、二度と私に出題のpointを教えてくれなくなってしまいました。まあ、その時はその時で・・・、赤点を取る事も無く、無事に卒業出来たのですよ。
小学生の時のお話に戻って、・・・私が小学生の時に「産まれて初めての0点」を取った時にも、祖母は全く動じず、叱る事もイラっとする事もありませんでした。
普通だったのよね??
祖母は明治時代に、16歳で当時の女子大で師範をして、自分よりも年上の女性達を指導していました。
祖母の娘である伯母も、日本初の女子大学で講師をしていた事がありので、私の家系的には、教育には熱心だったはずなのだけどね???
祖父は、当時は九州の弁護士会長をしていて、仕事を家に持ち帰って応接間の大きなtableに書類を広げて淡々と仕事をしていて、そのtableの周りには、子供達がめいめいの勉強を勝手にやっていて、子供同士の兄弟喧嘩も絶えなかったそうです。英語を音読している兄弟を「おい❢うるさいぞ❢❢」「英語は声を出さないとダメなのだよ❢」とか・・兄弟喧嘩をしながらだったのだけど、祖父も祖母も全く意に介さない無視で、自分の仕事に冒頭していたそうです。それが教育方針だったようです。
嘘か本当かは知りませんが、Bachの伝記にも、子供達が遊んでいる中でも、平気で作曲が出来たと書いてありましたけれど、まあ、作曲家ならば、それくらいの集中力は当たり前の話ですよね??
母親は真逆で、私の学校の成績にも全く無関心だったしね・・??
中学生になって、長崎に転校して、半年も経った頃、父兄会で中学校を初めて訪問した母が廊下に私の名前が張り出されているのを見て、「なんの悪い事をしたのだろう??」と思ったそうで、まさか、張り出されている生徒の名前が、top10の生徒の名前とは思わなかったそうです。
つまり、私が勉強しても、しなくても親の評価は同じ・・変わらない・・という事なのです。
私が母親や祖母に感謝している・・としたら、その放任主義です。だから私が自由に伸々と人生を謳歌出来たのですよ。
今の子供達は可愛そうですよね~ぇ??
私は、もし私に子供がいるとすれば、躊躇なく、その子供に対しては「自分が一番好きな事で、人よりも能力のあると思う事に専念しなさい❢」と言います。
学校の勉強なんて、・・成績なんてものは、一番人が密集する場所なので、そこを活かして社会的な活動をする・・という事は有り得ないからです。
人と同じ事をしなければならない・・という事で自分の一番苦手な不得意の分野で競争させられては、たまったものではありません。
親がもし自分がそれを要求されたとしても、それを望みますか??
私だったら、自分の一番得意な所で勝負したいのだけど、それが出来なくって教育なんて、一番つまらない分野で仕事をしているので、不幸せでしょうがないのだけどね??(教育なんて、私自身は何時やめても良いのですよ。私が注ぎ込んでいる教室に対してのお金もそろそろ尽きそうだしね??)
田舎の村や町で、幼い頃から一番を通して来た子供が、東大に入った途端に、5000番という順番を取ってしまう。
それで超、Shockを受けて、引き篭もりや自殺に追い込まれるのを、私達は5月病と言っています。
学校の勉強のような嫌いな苦手の分野で競わなければならない子供達は、傍から見ていても、本当に可愛そうです。
新体操や野球のように超スパルタで厳しい教育や指導でも、好きな事ならば、意外と耐えられるのだけど、嫌いな事に対して「耐えろ❢❢」と言われてもね~ぇ??
私ならば、たまらんわサね~ぇ??
「学校は自分が将来何を得意として何で社会貢献出来るか」・・という事を探すための場所なので、既にそれを見つけている子供達には学校の勉強から学ぶ事は、何一つとしてないのですよ。
事実、私が昔々、学校で学んだ事で、今も役に立っている事はなに一つもありません。
ひらがなやカタカナ、漢字等は、学校に行くず~と以前に、本を読んで憶えてしまったしね??
足し算引き算等は教えて貰う必要はない・・と思うヨ❢❢
本を読む・・と言っても、漫画は当時は未だ高価で、一般の家には、ありませんでした。
あったとしても、超たくさんの子供達や大人達が回し読みをしていた時代なのですからね??
その代わりに、私達は旧漢字で書かれた文庫本を読む事が出来ます。
私が20を過ぎても、文庫本は未だ旧漢字のままだったのでね?? 勿論、学校では旧漢字を教える事はありませんから、今の子供達は、文庫本を読めるようにはならないのですよ。アハッ!
私の今の知識は、社会人になってから勉強した事であり、昔、私達が学校で学習した事は全て『誤りである❢』・・と今では訂正されています。だって、1万円冊の聖徳太子ですら、今では別人なのでしょう??楠木正成でも、配下の人だった・・という事らしいじゃあないですか??
鎌倉幕府の年号も変わったし、地球を取り巻く惑星でも、今は『覚え直し』をしなければなりません。惑星がただの石ころに変わってしまうのだから、こりゃあ、たまらんわサね~ぇ??
筆順も変わったし、出版社に提出する原稿の漢字の送り仮名さえもそうなのですよ。私達が憶えて来た送り仮名は役にたちません。全部、編集長に訂正されてしまいます。
私が学校で憶えて学習して来たものは、全て『覚え直し』をしなければなりませんでした。
当時学んだ事で今も役に立っている事は何一つもないのですヨ❢❢
全部、大学を卒業してからの『憶え直し』なのですよ。
それに、記憶に寄る知識は、不確実なので、仕事には使えないのですよ。
dataは必ず、調べてcheckをしてから書き入れます。
日本の暗記教育というのは、人生の無駄なのですよ。
これからはnetの時代になるので、もっと、暗記は無駄な作業になるのです。
つまり、塾で幾ら暗記させられたとしても、現実の社会で役に立つことは全くないのです。
これからの勉強は、私がいつも提唱している暗記以外の勉強になります。
つまり、分析力、判断力、集中力、統合力、所謂、ヒラメキ・・・等々の能力が大切になるのです。
それらは塾や学校では指導される事はありません。
コメント
塩澤 一範
わかります。今の世の中も、経験者のみしか雇われない、日本の社会。腹が立ってむかつく今の社会。海外から帰ってきて、逆カルチャーショックでした。ヨーロッパの考え方が、素敵。日本は、ただの島国根性でしか、考えてない。精神論よりも根性論、其れじゃ日本が世界一になるはずもないよ。昔から日本は、技術が優れた国だけど、今じゃ他の国に、ソニー、シャープ、東芝が、優れた技術を持っていたのに、研究能力という所に力を入れる事が出来ず。日本の技術が、なくなった。これ書くと怒られるかもしれないのですが、昭和30年代は、日本が高度成長した理由は、日本のお隣国が、北と南で戦争してくれたおかげで、日本経済が、潤った。この事を知らずして、親が、東大池田の、6大学入れば安全と行って来ましたが、1997年に、大手証券会社が、倒産。良い大学出たからと言ってこの先何になるのかと考える事、将来会社が何かをしてくれる事は、無いのにね。良い会社って何?と思うけどな。逆にアグネスチャンの次男は、スニーカーが好きで、NIKEが、数十億円払っても雇いたいそうだ。オタクは強いと言われてきた、日本なのにね。東京に、引っ越してきて、うちの子は、東京に来ているかせいなのか、伸び伸び勉強をしている気がします。地方の考え方なのかな、千葉に住んでた時の学校は、なんか余裕がない気がしました。未だに学歴主義の考え方をしていたら、それこそ、時代遅れな気がします。日本の社会は勉強も、世界に比べて遅れてます。勉強第一で、学歴を考えてやって行くとこの先生き残れないと、僕も芦塚先生のこの記事を見ると、最高の教育者ですね。下の子が通っている保育園には、良く教育番組で出てくる子育てなんとかの番組で、本を出している先生がそんな話をしてくれていました。長々と書いてすいません。若僧に、言われてむかっときた方、自分の子供と本当に向き合ってますか?楽器も弾けないのにこのヘタクソとか言ってませんか?僕の父がそれで、お前は何をやっても無理だと、育てられてきました。そうなれば、自分は、何をやっても無理なんだ問い掛けし、学校や社会になじまず。今だに、逃げて好き放題やってます。これが、自分らしさなんだと、僕は思ってます。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
全くその通りで、常日頃、教育や社会に対して理解のある、人の上に立つ立場の人が、自分の子供の教育の事となると、100年前の教育を始めるので、驚いてしまいます。世の中の事をよく知っているような人達でも、自分の子供の事となると、別物なのですよ⁉
· 返信する · 1年前 · 編集済み
塩澤 一範
欧米諸国から見た日本を見て笑わらわれるよ。教育遅れてるし、1000年は、遅れてる気がします。どんなに頑張って追いつける気がしない。ただ、海外の教育は進んでいる帰国するとモチベーションが上がらないです。英語教材での仕事をしていた時、ネイティブの人達と、話すな。数社英語を使っていた仕事があったんだけど、上司からのいじめもあったよ。話なだって、どんな会社だよと、思った。それで勉強しろと言うのは、辻褄が合わない世の中。


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11月26日『行きは良い良い、帰りは怖い』 ·
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今日は11月の26日の火曜日で、川崎の病院の術後一年の検査の日です。
何となく寝つけないで、布団に入るのが、すっかり遅くなってしまったのですが、やっと寝たと思ったら、直ぐにtoiletーtimeに起きたのは、・・まあ、routineとして仕方がないとしても、その後は、鼻詰まりが酷くて、眠れなくなってしまいました。
殆ど、睡眠が取れていないので、川崎の病院への電車での移動では、体力が保つかどうかが心配です。
行きは結構座れるので、『行きは良い良い、帰りは怖い』・・ですよね~ぇ??
どうせ、眠れないのならば、起きてからハイツを出発するまでのroutineで、風呂に入って禊をして、髪の毛を洗ったり、服の準備をしたり・・と、色々と起きてからの作業を前もって済ませて起きます。
その分、ギリギリまで眠れるからね??(もし、眠れたらの話なのだけど・・・??)
寝ようとして、横になると、鼻が詰まるのだよなぁ??
起きると、鼻が通って眠くなるし、横になると、鼻詰まりで、困った😖💧事だよなぁ⁉
・・・・と、ここまでが、25日の夜から朝までのお話です❗
突然、次の日のお話になりますが、
・・・な、な、な、なんと、toiletーtimeに起きてbedに戻って目を閉じてほんの少ししてから、何気なく時計を見たら、起きる予定の時間を一時間以上も過ぎている😨‼
寝たつもりはなくって、寝過ごしてしまった😵💧‼
目覚ましをかけていたのに、全く気がつかなかったのです‼
大急ぎで、1時間掛かる準備を10分で済ませて、出発予定時間の20分前には、ハイツを出発しました‼
実際にハイツを出発して電車に乗った時間は、netで調べた電車よりも15分早い電車に乗っています。
私は時間に制約されるのが大嫌いで、非常にpressureを感じてしまうのですが、その理由が、この寝過ごしなのです❗
鼻詰まり等の理由で、眠れなくなった時に、突然、今回のように、予定の時間の直前になって、眠ってしまって、予定の時間を寝過ごしてしまう事があるからなのです。
でも、実際には、私の場合には、そう言ったriskの時間も加味して、予定を組んでいるので、今までも、約束の時間に遅れた事はないのですが、それでもpressureになるのには変わりはありません‼
・・・という事で、予定の時間にはちゃんと、病院に着いたのだけど、・・・いや~あ、第二病院は思いもよらない大変な事になっていたよ‼
computerのsystemがdownしたとかで、Karteが開かない状態になって、受付も出来ない状態で、来院した患者の受付が出来なくて患者を帰している状態だってサ‼
私の場合には、受付さえ、なんとかして貰えれば、お薬手帳はあるし、膀胱鏡も予約が入っているので、なんとか、見て貰えるのかな⁉
・・・という事で、座る場所もない混雑の中を、忍耐深く待って、手書きの受付の書類を持って、1階と2階の受付を往復して、・・なんとか検査を出来る事になったのだけど、今日は、受付の患者を帰へしている状態なので、実際には、時間通りに・・というか、時間よりも早めに検査を受ける事が出来て、病院を終えて出る事も早めに出来た。
なんだろう~ね??
帰りは、今日膀胱の検査の予後のために、飲まなければならない抗生剤を貰うために、病院の前の薬局に寄ったので、病院の送迎バスの最終便が出てしまったので、taxiで川崎の駅まで乗って行く事にしたのだけど、突然、寒くなったので、taxiが10分以上も1台も通過しないで、4時台なのに、真っ暗で、超、寒空で震え上がってしまいました。
駅ビルの中のコ-ヒー屋で少し休んで、埼京線に乗ったのだけど、普通だったので、偶然、座わる事が出来たので、そのまま田端で山手線に乗り換えるまで、そのまま座っていました。
時間は掛かったけれど、まあ、その方が楽だったよな??
池袋でも少し休んで、それからゆっくりとハイツに戻ったら、休み休み帰ったので、なんと8時になっていました。
時間は掛かったけれど、その分、体調的には楽だったのかな??
取り敢えずは、何もしないで、眠る事にしました。



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11月27日Giuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoについて ·
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『tempoの設定について』

TorelliのWeihnachts-Concertoのperiodの演奏をYou Tube等で、聴くと、殆どの演奏がⅡ楽章とⅣ楽章を、全く同じようなtempoで、非常に速い速度で、しかもskipも鋭く弾いている演奏が殆どでした。
しかし、このTorelliのOp.8Nr.6のWeihnachts-Concertoは、当然Noëlの曲なので、ⅡⅣ楽章のいずれかの曲は、Ⅱ楽章の12/8拍子やⅣ楽章の6/8拍子は、穏やかでゆっくりとした揺り篭の中で揺れるようなpastoraleのrhythmで演奏しなければならないはずなのです。

『notes inégalesについて』
曲を詳しく分析してみると、Ⅳ楽章にはⅡ楽章にはない、gigue特有の3:3:7拍子のrhythmが随所に見受けられるので、この楽章をGigueのtempoで演奏する事にして、skipは鋭く・・、速いtempoで演奏する事にしました。
うっかりⅣ楽章を6/8拍子と書いてしまっていて、Ⅳ楽章が2/4拍子で書かれている事を忘れていました。
まあ、この曲を実際に2/4拍子で弾く人はいないと思いますが、一応確認のために、当時の慣習を説明して起きます。
こう言った2/4拍子で付点8分音符と16分音符が続く場合には、舞曲としての慣習で※)恰も6/8拍子のように演奏します。
付点8分音符と16分音符は恰も3連音符のように演奏されるので、他のpartの3連音とはrhythmが重なります。(極々稀に、ワザワザズラして四苦八苦して演奏している人もいますが、それは無知の為せる無駄な努力です。)baroque時代には、こう言った書かれた音符と実際のrhythmが違う事が多いのですが、そう言った奏法の事をnotes inégales、inégales(イネガル)奏法と言います。
こう言ったskipだけではなく、BachのMenuetのような8分音符が音階的に羅列される時にMenuetの舞曲として奏法として、恰も3連音のようにswingさせて演奏する場合も良くあります。
これは非常にorthodoxな常識的な奏法なので、これを知らないという事は音楽の専門家であれば許されない事になります。
敢えて、ここでinégales奏法の確認をしたのは、Wikipediaでのinégales奏法についての解説の所に、inégales奏法が舞曲の奏法であるという事がどこにも書かれていなかったからです。それとは逆にこの曲のように教会sonate(kirchensonta)であって、舞曲で構成された室内sonate(kammersonata)ではない場合であっても、この曲のように舞曲のrhythmとして演奏される場合には、inégales奏法が適応されます。
 Ⅱ楽章はthemaとなるmelodieが1st、Violinから2nd、Violin、そしてViolaへのpolyphonicという程ではありませんが、一応polyphony的な『入り』が見受けられるので、Ⅱ楽章をゆっくりとしたpastoraleのrhythmで演奏をする事にしました。
pastoraleのtempoは、3/8の拍子が集まった大きな4拍子や2拍子の曲で、揺り篭の揺れるimageの『Berceuse』のような、或いはゴンドラに揺られるような『barcarole』のように、ゆったりとした揺れるようなrhythmでswingして演奏します。
後で訂正を更にしないでも良いように、 bezifferten Baßの数字の訂正や、凡ミスである音の訂正や、sequence等の進行の整合性に対して、結構、気を配って改訂版を作りました❗
『contrast』
このTorelliのConcerto Grossoの特徴は、至る所に配慮されているcontrastの設定です。
baroque時代では、楽章間の整合性と統一性なので、この設定は珍しいのです。
先ずは、Ⅰ楽章と言うか単なるintroと呼ぶか??の8小節しかない楽章である『Grave』は、今回は、恰もperiodでの演奏のように、『senza-vibrato』で「legatissimo」で、音の粒が立ち上がらないように細心の注意を持って、Organのようにflattoに、しかも、baroque風に純正調で演奏します。
Ⅱ楽章に入った途端に、ほんの少しtempoを上げて、大きなvibratoでmelodicに歌い込んで演奏をします。
このⅡ楽章は、periodの演奏団体を含めて、Ⅳ楽章でも、同じtempo、同じrhythmのskipで演奏される事が普通なのですが、私のinterpretationでは、前述の通り、Ⅱ楽章と対比させるために、Ⅳ楽章は、速いtempoで、gigueのように(と言うかgigueのtempoで)、3/8の16分音符のskipを鋭く演奏する事にします。
ⅠⅡⅣ楽章とも、全く違ったⅢ楽章の弾き方はとても難しいbaroque時代のrecitativoの奏法になります。
soloはrecitativoなので、お喋りをするように自由に演奏しなければならないのですが、You Tubeの演奏を聴く度に、殆どの演奏は画一的で、音符通りの演奏をしています。
たまに拍頭の重要な音をtenutoして伸ばして演奏する程度の簡単な逃げの奏法をしている人達が非常に多いようです。
その最も大きな理由は、continuoのCelloが4分音符の「刻み」を演奏しているから・・です。
baroque時代の歌い込みは、vivaldiのConcertoのⅡ楽章のように、ripienoの刻みの単調な音に乗って、自由に歌い込んで行くのですが、その奏法は、いつもの通りに、至難の技の奏法なのです❗
伴奏のrhythmに合わせてはダメで、でも拍には合わせなければならない・・という事は、まるで禅問答のように難解です。Chopinがrubato奏法について同じ説明をしていましたが、rubatoの原則はbaroque時代からロマン派に至るまで変わってはいません。
冒頭の小節の次の2小節目からのtuttiは4分音符、一個ずつを「膨らまし」で演奏します。日本人の演奏の場合には、丁度、日本の小節の押さえ込み(所謂、演歌の後押し)と勘違いをして日本独特の後押し奏法と言われる、世界に嫌悪される弦楽器の奏法があります。アニメ・ソング等でも一音、一音を丁寧に押して❢歌っているので、日本人のこの後押しの弾き方は「こやあ、治らんわサね~ぇ❢❢」と或る意味諦めてしまいました。Europaの人達からは奇妙に、珍妙に聴こえて来る奏法なのですが、日本人は誰一人としてその奏法が不自然だとは思わないのですからね??
いやあ、困ったものだ❢??
その次のsoloの長いfigurationは単調にならないように刻みを微妙に歌い込んで揺らしながら、演奏します。Metronomのように機械的なbeatで弾かないように細心の歌い込み(「揺らし」)が必要になります。
長いfigurationを伴奏するCelloのcontinuoのpartは、一見すると単調な4分音符の淡々と羅列して弾くようになりがちなのですが、一つ一つの4分音符の音をバネのような抜きのvibratoで弾きます。
一個一個の音を、速いvibratoから音が消えていくに従って、vibratoの速度も緩めて弾いて行きます。
単調なvibratoと音量の抜きの4分音符の繰り返しなのですが、一個一個の音に対して、細心の注意を払いながら、単調な音を弾き続ける事は、超絶な精神力を必要とします。
Celloさん達も、そういったbasso continuoの演奏法が出来るようになったら、世界は自ずから見えて来ます。
日本人の音楽家達に取ってはfremd(見たことのない・未知の)な奏法なのですが、Europaの人達に取っては、最も、traditional(伝統)な奏法なのでね??
『Wien奏法という勘違い❢』
私が子供達に奏法を指導している時に、時折、見学にいらした教室外の他の先生達から「それはWien奏法ですね?」と言われる事がありますが、それは間違いとは言えなくても、根本的には勘違いです。
Wienのorchestraの演奏者達は、世界のorchestraでも超、珍しい世襲制のorchestraです。
という事なので、京都の老舗のように、その奏法がbaroqueや古典派の時代から・・、否、Renaissanceのgambaの奏法さえ、そのままに受け継がれて来ているのです。
その演奏法の伝統をとても大切にして来たorchestraなのです。
だから、Wien奏法というのは、baroqueや古典派時代のperiod奏法と同じなのですよ。
Wien奏法と呼ぶ特殊な奏法ではなく、Europa人に取ってはtraditionalな奏法なのです。
コメント
純子斉藤
これ、そのまま3回オケグループのLINEに転送してください。読んで意味分かる子は殆どいないかとは思いますが・・・・・大事なお話なので。
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芦塚 陽二
そう言えば、TorelliもAlbinoniもCelloとKontrabassはdroneの小節を数えるのが難しいのだよな~ぁ?同じ課題だよな~ぁ?
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11月27日暑いのか、寒いのか ·
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今は11月の27日水曜日の夕方の4時を回った所ですが、昨晩も、病院から帰って来て、「何を食べたのか?」・・「食べなかったのか??」・・の、全く分からないままの夜食を済ませて、大急ぎで寝たのにもかかわらず、病院帰りで、疲れ切っているのに、鼻詰まりが酷くって、眠れないままに一晩を過ごしてしまったので、体内時計が狂い巻くっているままの一日だったのですが、これ以上、ウダウダと一日をサボり巻くっていると、今度は、今日の5時半の歯医者に行く予約時間さえも、遅れてしまいそうになるので、睡眠時間は少ないのですが、これ以上寝る事を試みるのは諦めて、bedから起き出して、歯医者に行く準備をする事にします。(・・とここまでが1文章です。日本語の特徴かな??)
窓の下の公園からは、子供達が遊ぶ声が聞こえて来るのですが、まだ夕方の4時頃だ・・というのに、空は雨空で薄暗く、超、寒いのです。(写真)
果物さえも、歯茎に当たって痛いので、前歯の上の差し歯だけは、早めになんとかしないと、痩せてしまいます。
頑張って、歯医者に行かないとなぁ? アハッ👀⁉
5時過ぎには、bikeで歯医者に行って、治療をして貰って、今は7時になろうとする所で、歯医者から丁度帰って来た所です。
歯医者では、上の差し歯ではなく、下の奥歯の治療を先に始めて、歯茎が上がっているので、また同様に、麻酔をして電気メスで上がっている歯茎を焼くという処置をしました。

・・という事で、今日も完璧に固形物が食べられなくなってしまいました。
今日もまた雑炊だよな~ぁ?
それにしても、bikeの行き帰りでは、もふもふのコートでは空気が抜けて、超寒いので、椎名町に行く時には、冬用のコートが必要な感じです。
テレビでは「12月の下旬の頃の天気だ❢」と言っていたのだけど、まさにそんな感じですよね~ぇ??
椎名町には12月のコートを着て行こうと思ったのだけど、そうすると、ドルプリっ歩が今度は暑くて困ってしまいます。
・・という事で仕方なく今、普段着ているコートを着て椎名町に行ったのですが、流石にbikeでは、『寒くて無理❢』・・という事で、帰りはRain-suitsの上だけをコートの上から羽織って帰りました。
超薄手のRain-suitsなのだけど、結構、防水防風になっていて、空気の抜けが無くて、ちょうど、良かったのですよね~ぇ??


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11月27日games依存について、始めて政府の調査が入って ·
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『games依存について、始めて政府の調査が入って、その危険性が指摘された』・・と、今❢❢テレビで言っているのだが、それは私が20年も前に指摘して・「Americaではgamesで、完全に人格崩壊した人達が多数いて、社会問題になっている」・・という話を20年前から延々と言い続けて来て、合宿でも、lessonでも教室にgamesを持って来るのを禁止していたのだが、親が子供を静かにさせるために、教室に持って来らせるので、lessonに子供がgamesを持って来るのは諦めてしまった。昔はgamesというのは、子供がするものだったのだけど、今はパパやおじいちゃんでもやっているのだから、禁止する事は出来ないよな~ぁ?
gamesなんかやっていて、練習や勉強が出来る分けはない・・と思うのだけどね~ぇ??だって、人間に与えられた唯一の平等なものは、1日24時間という時間の単位なのだからね??
一つを得るという事は、同時に一つを失うという事なのだから・・・ネ??
但し、gamesは、教室の合宿では持って来る事は、今でも禁止している・・ハズなのだけど???
games脳の話は、20年前からの世界のstandardな問題で社会問題になっていたはずなのだが、日本という国はなんと、世界のstandardの教育から遅れているのだろうか??
超、驚いてしまうのだよ。
虐めにしても、虐待にしても、世界のstandardではもっと改善されているのに・・、マジに50年は遅れているのだよな??
阿呆らしい・・???



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11月28日『腰痛が起きた❢❢』 ·
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今は11月の28日木曜日の夜の6時を回った所です。
実は朝は眠れないままにパソコンの前に座って雑用の仕事を片付け始めたのですが、突然、腰痛が起きて、全く立てなくなってしまいました。
立ち上がる事が出来なくなった・・という事は、歩けなくなってしまったので、パソコンの椅子に座ったままでの作業をする事を諦めて、bedで寝直しをして、腰痛を治そうと努めている所なのです。
4時間、5時間と頑張って寝たのですが、腰痛は全くよくなりません。
明日は車を車検に出さなければならない・・という事は、行き帰りは車屋から事務所まで歩くという事だよね~ぇ⁉💧
それはちょっと問題だぞ⁉💧
いや~あ、困った😖💧‼


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11月28日『キャラバン生活』 ·
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テレビのcommentatorが言っていたのだけど、『人間には、元来、遊牧民族と農耕民族の遺伝子があって、遊牧民族遺伝子の人は一箇所に定住する事が出来ない。農耕民族は、旅をする事が出来ない。』と言っていた。
確かに、私は見知らぬ土地で、異邦人として生活をして行く事は、とても無理なのだよな⁉
私は、とてもgypsyにはなれないという事を、Münchenの大学を卒業する時に、改めて気づかされてしまった❗
私がMünchenの大学を卒業して、そのまま、Münchenに残れるように、Genzmer先生が、大学の先生の職を幾つか持って来てくれた時には、私は超強いsehnsuchtを感じてしまい、『私が異国で一生を終えるのはとても無理だ❢❢』と、確信する事が出来た。
私はCosmopolitanistにはなれないのだよな❗
その後も、同じようなChanceが訪れたのだけど、どんな好条件であったとしても、Sehnsuchtが先に立って、そのChanceを叶える事は出来なかった。
私の周りにも、日本人でMünchenで帰化している人や、逆に、日本に帰化している人達もいるのだが、私はどうしてもそれが恐ろしくって出来ない。
Peer Gynt(ペール・ギュント)のように、世界で羽ばたいても、人生の終わりには、故郷に戻って恋人の膝の上で死んで逝きたいものだが、もはや私の帰る故郷も、私の帰りを待っている人もいない。
だが・・しかし、それでもまだ日本語を話しているだけ・・ましかな⁉
という事で、まあ、私は典型的な農耕民族の遺伝子を持っている・・・と言えるのだよな??


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11月29日『出来る・・という意味』 ·
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日本では、片言でも英語が喋れれば、英語が出来ると言う事が出来ますが、Europaで「英語が出来る」という事は英語で夢を見る・・というlevelの意味になります。
私が留学をしたばかりの頃に、ドイツ人から「英語は話せるのか?」と質問をされて、「少し、話せます。」と答えてしまって、他の友人のドイツ人の女の子から、『英語が話せる」という意味のEuropaと日本の違いを、優しく指摘されてしまった事があります。
Europaで、『英語を読む』、『英語で書く』という事は辞書無しに、普通に頭の中で翻訳をする事無しに、日本語の本を読むように、読み書きをする事が出来る・・という意味になってしまいます。
だから、Europa人が「英語が話せる」・・という意味は『英語で夢を見る事が出来るlevel』という意味になってしまうのです。
日本では、英文科の大学を卒業した人でも、英語で会話する事が出来ない人もいますが、他の国の場合には、外国語を学ぶ場合には、それは有り得ない事なのですよ‼
昔、学校の授業で英語が得意なので「国連で通訳をして働きたい」と相談された事がありますが、調べて見ると、今は珍しくもなくなった、海外で育って、日本語も英語も、同時通訳が出来るくらいでないと、国連で通訳として働くのは無理・・・という事でした。
日本の学校教育の場合には、テストで点数が良ければ、そのまま進級して、学年がおわれば、そのまま卒業になってしまいますが、小学校を卒業した生徒、中学校を卒業した生徒が、その学校で学ぶべき事を、本当には何も分かっていない事に驚ろかされてしまいます。
問題の意味も、その解答方法も理解が出来ていないままに、テストの成績だけを上げるための教育が全てになっているのですよ。
音楽の勉強でも、発表会でちゃんと弾けたら、その曲を合格したものと見做して、二度とその曲を勉強をし直す事はありません。つまり、発表会で上手に演奏出来たとしても、その生徒がいつでも演奏出来るrepertoryにはならないのですよ‼
それでは、何のために音楽を勉強しているのか?分かりませんよね。
以前、Facebookで、Proのviolinistの方が、「音楽に和声学は必要か?」という事を書いていたのを読んで、驚いてshockを受けた事があります。
一般の人達には、音楽の感性として、絶対音感を上げる人達がいますが、絶対音感は、音楽家に取っては、そんなに大切なものではなくって、寧ろ邪魔になる事さえあります。
それよりも、音楽家として、絶対的に大切な感性は、絶対和声感なのです。例えば基準音となるAの音なのですが、ヘ長調の第3音であるAの音と、一つ下のB♭の第7音であるAの音は違うし、A=440のoctave上のAの音は220cycleではないのですよ‼
鍵盤楽器以外では、full編成のorchestraを除いたら、平均率で音を取る事はありません。
理論と実際の数字は違うのですよ。
つまり、作曲家の書いた作品を正しく理解するには、正しい和音の響きを理解する必要があるのですが、音楽大学での和声学の勉強でも、200題近い問題を授業で解いて、それで、和声学の勉強が終わった‼と、思い込んでいる人達も多いのですが、課題を見た途端に解答が見えるようになるまで、その200題の問題を何度も繰り返し練習して、曲のscoreを見ただけで、和音と数字が見えて来るようになって、始めて和声が理解出来るようになった、・・と、いう事が出来ます。
楽譜を見ただけで、和音が理解出来るようになったら、やっと始めて、『和声の勉強が身に付いた』・・と言う事が出来る(許される)のですよ。音楽大学で和声学が出来るようになった、という話は、これまでも、一度も聞いた事はありません。和声学は授業で出来るような簡単な勉強ではないのでね⁉
本当に和声学を勉強しようと思ったら、個人lessonを受けなければ無理です。
勿論、ViolinやCelloの技術も同じです。
Torelliで学習した演奏法は、Vivaldiの曲を演奏する時でも、brahmsの室内楽を演奏する時でも、同じように弾けるようにならないと、本当の意味で学習したことにはならないのです。
violinやCello等の弦楽器の歴史が始まるのは、baroque時代が始まるのと同じなのです。
というか、violinという楽器が発明されてviolin族の時代が始まったので、baroque時代の演奏様式が始まったのですよ‼
『作曲様式や演奏様式は、楽器の性能や社会環境で決定される』・・・という事が、私の持論なのでね。
私は音楽の歴史を、作曲家の流れではなく、社会の流れと楽器制作の技術の進化で、捉えて研究しています。
勿論、それは音楽史を研究する人間にとっては異端の考えである事はよく理解した上での話しです。
音楽に関わらず、全ての研究に於いては、『rootsを探す❗』という事が、基本中の基本であり、それを学ぶ事が基礎の勉強という事なのです。
Mendelssohnのviolin-Concertoを弾いて、「この奏法はVivaldiに出て来たあの奏法なのだ❢」と考えられて、その奏法で演奏出来る・・という事が『音楽史を勉強した』・・という意味になるのです。
そう言った基本中の基本の勉強をする事は、とても辛く厳しい練習をしなければなられないのは、当たり前の事なのですが、それ以上に色々な音楽の分野の事を研究しなければなりません。
ドイツでは、violinistもpianistも、国家検定のlicenseが必要なのです。
それだけ、重要で、その資格を取る事は難しいのです。しかも、その資格を修得するには、長い長い年月を必要とします。
私が日本の音楽大学を卒業して留学したにも関わらず、私は最年少だったのですよ⁉
専門の楽器の技術以外に、色々な音楽の勉強をするとなると、日本では、それを学ぶ所がない(教えてくれる先生が見つからない)かも知れません。
もし、運良くそれを指導して貰える先生が見つかったとしても、結局の所、その厳しい多くの教科や、辛い練習に耐える事が出来た人のみが音楽の世界に身を置くことが許されるのですよ。
それはそうと、その厳しい練習に耐えて、音楽家になる事が出来た人達に与えられる特別の報奨として、厳しくも愉しい室内楽やorchestraに参加する事が許されるのです。
私がeuropa留学をした時に、一番驚いた事は、音楽が一般の家庭においても決して特別なものではなく、人々の身近にあるものだったという事です。イタリア人の郵便局員は、ベルカントでカンツォーネを見事に歌うのですよ‼巷の人がです❗
それが、日本の音大生よりも遥かに上手いのです❗
知り合ったお医者さんの応接室にgrandpianoと、Chopinの全作品の楽譜があって、その楽譜は全てを彼は演奏出来ると豪語していました‼
医者がだよ⁉
つまり、音楽が人々の生活に密着しているのですよ⁉
日本に音楽を取り入れたのは、明治政府の富国強兵の政策の一環であり、優れた軍隊を作るための教育の一環だったのです。
europaの家庭の中にあるような絆としての音楽は、日本には入って来なかったのです。
それを逆の発想で、一部の音楽のエリートのものであるorchestraや室内楽に、一番厳しく辛い勉強であるはずの音楽の練習の仕方の基本を、オケ練習として、室内楽のlecture練習としてcurriculumにしたのが芦塚methodeによるオケ練習なのです。あたま
コメント
塩澤 一範
イギリスに行きました。その時先生のアドバイスが、助かりました。楽器を持っていって正解でした。たくさん友達もできたし、サッカーもやってたから、町歩くたびに良く声かけられたよ。今も、フェスブックには、語学学校の先生とも、繋がってたり、海外の友達とも、連絡してるよ。一度で良いから、オランダ、ドイツ、オーストリア、チェコを一度に回って見てみたいです。朝寒いので体に気をつけて下さい。
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11月29日摂眠障害で朝昼逆転の生活をしているので、 ·
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今日は、まだ11月の29日の夜の11時を回った所です。
摂眠障害で朝昼逆転の生活をしているので、『未だ・・』という意味は、「未だ、30日の朝起き出した所ではなく・・」という意味なのですがね。
今日の朝(所謂、29日の朝のお話ですが・・)の気温は1.6℃までしか上がらず、bikeで椎名町に行く時にも、モフモフのcoatを着ていても、風が服を通り抜けて寒くって、凍えてしまうぐらいに寒かったのですヨ😨⁉
テレビに拠ると、ひとつき以上早い、来年の1月頃の気温だそうですが。
真冬用のcoatを着て行けば良かったのですが、部屋の中に居ると、『外がそんなに寒い❢』とは思わなかったのですよ。
去年の冬には、それまで着ていたダウンのジャケットがすっかり薄くなってしまったので捨てて、新しくダウンのジャケットを買いました。
しかし、昨年は、古いダウンジャケットに敬意を込めて、その冬場は古いダウンジャケットを着て乗り切ったので、新しく買ったダウンジャケットは、買ったままで一度も着ていません❗
今回着ると、『初卸し』になります。
まあ、そんな事よりも、腰が痛くて全く歩けなかったので、なんとかbikeに乗っるまで、ハイツの廊下をbike置き場まで、死物狂いで歩いて行く事が、今回は精一杯だったのですよ‼
車を車検に出しても、帰り道は歩いて椎名町まで帰らなければならないので、歩きで事務所まではとても無理なのだけど、bikeを車に積んで持って行こうにも、bikeは車には乗らないので、その変わりに、斉藤先生に牧野先生の電チャリに乗って車屋まで来て貰って、車屋に車を出してからは、私が電チャリに乗って帰る事にしました。
斉藤先生は帰り道は、一人で歩きになるので、行きには、ドル・プリを車に乗せて行って、帰り道はドル・プリのお散歩をしながら帰る事にしました❗ (ドル・プリは定形外の突然のお散歩だったので、超興奮して喜んでいました。行きはブーブー、帰りはお散歩のbest-timeなのでね?
私も、腰痛が酷くても、電チャリならば、痛みは無いので、普通に動く事が出来て、とても楽です。
椎名町に電チャリで戻ってからは、大急ぎで、今は無き江古田教室の固定電話の解約の手続きをしました。
江古田に掛かって来た電話を転送するためと、契約がnetだったので、紙の書類がないために解約に手間取ったから・・です。以前はnetでも、書類の番号が無いと解約が出来なかったのですが、今はcomputerで一瞬で解約の手続きが出来るようになりました。
車の納税証明もnetで分かるので、探して持って行かなくても良いのだそうです。(ならば、必要書類のlistからはサッサと削除しろよ❢❢ 準備したンじゃあないの~サ??
電話の解約が遅くなったもう一つの理由は、一旦、解約をすると電話番号が無くなってしまうので、電話番号が必要な時に、新規に契約をし直さなければならないし、私が出した当時の20万円は電話会社からは戻って来ないので・・それも、解約をしなかった理由の一つになります。
固定電話の解約の作業を済ませて、大急ぎでcembaloのtangent(=タンジェント)を持って、古典楽器センターまで、bikeを飛ばして行って、欠けてしまったCembaloの爪の修理をして貰いました。tangentの説明は難しい❢Cembaloの弦に対して、爪で引っ掻いて音を出すためのPartsです。爪の長さは、高音域から低音域では爪に掛かる力が変わるので、見た目には分からない程に爪の長さが代わります。そのためにtangentには、特定のpitchの音である事を示すために、一個一個のtangentに固有の番号がふられています。(今回は22番号のtangent・・という風に)
それからハイツに大急ぎで戻って、それから
そのままになっていたハイツの自分の雑用を片っ端から片付けていたら、とうとう腰の痛みが酷くなって(当たり前だよな~ぁ?)、全く動けなくなってしまい、bedから出る事が出来なくなってしまいました。
車屋から電話があって、「明日のお昼過ぎには、車が出来上がる」・・ようなのですが、今度は、逆に私が電チャリに乗って車屋まで行って、車を受け取って車で帰って来て、電チャリは斉藤先生が歩きで車屋に行って、電チャリに乗って帰って来て貰わなければなりません。
しかし、斉藤先生はlessonがあるので、時間の制約があるので、私が、車屋から、(斉藤先生の都合に合わせて)車を取りに行くのは、時間の設定が超、難しいのですよ。
いゃあ、超、面倒くサ😨❔‼
誰かに頼めば良さそうなのだけど、椎名町の車庫入れ・・車庫出しは、proの車の人達も含めて、誰も出来ないので、私、以外の人に頼む事が出来ないのですからねぇ⁉(proの人達も車を擦りそうだ❢と言って尻込みをしてしまうので・・)
という事で、面倒くさかったので、今回は車屋に電チャリを預かって貰う事にしました。
車屋とは言っても大きな所なので、従業員の数も多いのだけど、それくらいは、出来ると思いますがね??
(代車は有料なので、借りません。アハッ!車は日曜日にしか使わないからね??)


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12月




12月2日今はcinderella-timeの0時半 ·
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今はcinderella-timeの0時半、なんとか腰痛を堪えてハイツに辿り着いた所です。
昨日の12月の1日のオケ練習は、Christmas会から数えて昨日を入れて3回しか練習がないので、Christmas会のmenuを中心にlectureをしたので、春の発表会のprogramは、一人ひとりの練習のpointに限ってのlectureをしました。
オケ練習なのにman-to-manの個人のlessonのようなのですが、練習の進み具合としては、その方が、効率が良いからです。
Christmas会の曲も、TorelliのChristmas Concerto のような今回が始めての新曲※)と、Albinoniのように、新曲ではないのですが、3年振りのAlbinoniのadagioも、前回の演奏とは全くrenewalしたので、新曲同様の始めからの練習が必要になるので、今日の日曜日を入れても、後3回しか練習の回数がない・・というのはチョッと厳しいものがあります。
※)私の蔵書には、未だ日の目を見ていないとても素晴らしい曲がたくさん楽譜の棚に眠っています。Christmas Concertoは、いつも演奏しているcorelliのChristmas Concertoの他に、今回のGiuseppe TorelliのChristmas Concertoや、 Manfredini のChristmas Concerto等、たくさんのChristmas Concertoがあります。EuropaではChristmas会は宗教行事なので、しめやかに弦楽orchestraとpipeorganの演奏を聴く事が恒例なので・・ネ??
日本のように、ケーキと飲み会のparty行事ではないのですよ。日本人は何でも飲み会にするのが好きなようで、お正月でも、お盆でも全部飲み会だもんね?? 
毎回、言っているように、orchestraのmemberが足りないので、練習が思うようにままならない・・という事もありますし、今回、member不足のために、或る程度強引に3回オケに入れた『始めて組』※)にとっては、練習の回数は少な過ぎるかも知れません。
※)『始めて組』の説明なのですが、『始めて組』とは言っても『始めてオケに参加する生徒』と、2回オケは経験済みだけど、3回練習のオケに参加する生徒がいます。
それぞれに、オケ練習の進度が違うので、Veteran組と歩調を合わせて練習していくのは、慣れる迄は、とても大変です。
3回オケの場合には、月3回のオケ練習と1回の自主練習(という建前のオケ練習)があるので、3回オケの場合は、事実上は、毎週の日曜日が参加日になって日曜日のお休みは、殆どなくなります。
例外的に5周目が5回目の日曜日だけ、休みになる場合があります。という事なので、1年中の日曜日を教室のオケ練習で過ごしたい生徒達だけのオケのgroupになってしまいます。
それに、私自身の問題なのですが、川崎の病院と歯医者のハシゴで、疲れて・・多分、その結果だと思っているのですが、・・もう一週間程腰痛が続いていて※)、全く立ち上がる事すら出来ないので、オケ練習への行き帰りの話しだけではなく、練習の指導が上手く出来ないので、私のlessonの姿勢も、私自身のpowerが上がらないで困っています❢❢
※)正確を期するために、調べて見たら、28日の午前中に腰痛が起こったので、今日で5日目になります。(体感的には、もうひとつきも腰痛で苦しんでいるように思えてなりません。体が動かない・・という事は、日常生活に差し障るのでね・・???)
練習している時に、どうしても私自身がpower不足になってしまって困っていたのですが、その内に、寒気がして熱っぽくなってきたので、慌てて熱を計ったら、1回目は38度超えで、オケ練習の後半に差し掛かって、もう一度計り直したら、なんと、39.4分にもなっていました。
ひっくり返えって、意識混濁の状態になる前の症状だよねぇ⁉😭👀
椅子に座りっ放しで練習の指導をしていたのですが、その内に、段々と腰痛も酷くなって、椅子に座ったままでも、腰が痛くなって来てしまいました。
でも、今日のオケ練習では、最後まで頑張って、紗來ちゃん瑞希ちゃん達の希望の曲である・・私の作曲の弦楽5重奏の 『きよしこの夜』の練習を時間ギリギリまで(というか、少しoverしたのだけど、)練習と練習pointのcheckをして※)、花園経由で大急ぎで東京に戻りました。
東京に辿り着いて、落ち着いて体温計で熱を計り直したら、なんと、熱が計れないのですよ。35度4分ぐらいに体温が低くなっていましたよ‼
私は平熱が6.7分ぐらいにチョッと高めなので、5度台は普段よりも丸々1度も低いので、チョッと怖いのだよな??
急いで寝ないとな??
一晩寝て、次の日の朝の話しなのですが、・・・・・
今は、朝の6時半を過ぎた所なのですが、体温を計り直したら、37度超です。
35度から39度超え迄、体温が乱高下をしているようだよな??
※)私の編作曲の弦楽五重奏『清しこの夜』の第一稿には、途中に2回もpolyrhythm(それぞれのpartが、違った拍子で演奏をする❗)の小節があって、初回に演奏をした時には、斉藤先生達と、外で対外出演の演奏活動をしている先生達だけの演奏だったので、演奏上の技術的な問題は起こらなかったのだけど、2回目からは、教室の上級生達ではあっても、対外出演活動の経験の乏しい生徒達が演奏するようになったので、やはり、経験不足という事で、polyrhythmが難しくて、どうしても弾けなくって、polyrhythmの小節が練習のneckになってしまいました。 
という事で、3回目の、前回の17年の12月のChristmas会では、polyrhythmの箇所を通常の拍子に書き直して演奏をしたのですが、やはり、そこがneckである事には変わらないようでした。
という事で、今回のChristmas会迄は、練習の回数が後2回しかないので、今日の朝、toilette-timeに起きた次いでに、2回の練習でも無理無く弾けるように、17年12月のversionを、簡単に書き換えました。
所謂、『19年12月のChristmas会のversion』という事です。
勿論、私が作業をする場合には、私自身が徹底した『芦塚methode』での「時短」の作業なので、可能な限りの「時短」のための平行作業をします。
『清しこの夜』の改定作業中は、同時平行作業として、昨日の練習風景のvideoをBlu-rayにdubbing中です。
ハイツのmainのパソコンがdubbingで死んでしまったので、dubbingをしている間は、mainのwindows7のパソコンでは、他の作業が出来ません。
subのwindows10のパソコンにしかlineが入っていないので※)、3回オケの生徒達に変更箇所の連絡をして、次いでにFacebookにも入力をして・・・雑炊を作って食べて、等々と同時進行で・・・幾つの作業をしているのかな??
※)勿論、windows7にもlineを入れる事は出来るのですが、7にlineを入れるためには、今まで使用して来たlineが飛んでmessageや交流をしている人達のaddressがぶっ飛んでしまうのです。・・つまり、別のmail-addressでしか、lineを開く事が出来ないのです。普通にlineを開けるのはwindows10になってからなのです。windows10はパソコンではなく、単なるTabletに過ぎないからです。パソコン型のTablet端末で、とてもパソコンとは呼べたものではありません。windows7が使えなくなるという事は、超Shockなのですよ。
それに今まで使用して来たsoftが殆ど使えなくなって、書い直しになるしね~??
頭がフラフラしていて、仕事が出来そうに無くなって来たので、そろそろ安静にして、寝るか???





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12月3日Christmas会に向けての最後の練習の後で ·
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今日は12月の3日の火曜日の午前中です。
・・とは言っても、私自身は未だ昨日の2日の夜のままなのです。
昨夜は、深夜1時過ぎに、腰痛にひたすら堪えながら、杖にしがみつきながら、頑張ってハイツ迄帰ってきました。
ハイツに辿り着いても、腰が痛くてハイツの部屋は片付けられないままで、videoの編集の作業もしかけたままで、椎名町に出掛けてしまったので、椎名町から戻ってから、そのままvideoの編集の作業の続きをしながら、後片付けを始めました。
そろそろ、ご飯を炊かないといけないのだけど、超面倒くさいので、米から雑炊を作りながら、シンクに溜まった食器類を洗ったり、腰に負担が掛からない程度の軽作業をしました。
お久し振りでYou Tubeにuploadした曲は、日本で演奏される事は大変珍しいGiuseppe Torelliという作曲家のChristmas Concertoの練習風景です。
period奏法による練習です。
12月22日の千葉市花見川区花園の自治会館での芦塚音楽研究所千葉教室のChristmas会で、この曲のお披露目する予定です。
後3回の練習だったのにも関わらず、演奏のmemberが足りないので、未だOrganのpartを弾く人もviolaのpartを弾く人もcontinuoのpartも決まっていません。
困っっった事です。
Torelli Weihnachts ConcertoOp.8Nr.6 千葉音楽教室Christmas会の練習12月1日

Torelli Weihnachts ConcertoOp.8Nr.6 芦塚音楽千葉教室のChristmas会の練習12月1日 - YouTube
コメント
芦塚 陽二
本当ならば、人数はなんとかなったはずだったのだけど、ドタキャンが出たので、結局人数が足りないままに演奏する事になりました。
proを入れても良かったのだけど、薄謝も払えないし、もう練習も無いので諦めました。皺寄せはviolaさんだよな~ぁ?珠実さん頑張ってください。
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芦塚 陽二
12月15日のChristmas会に向けての最後の練習風景です。アハッ!


Torelli Weihnachts Concerto芦塚音楽教室12月15日Christmas会の最後の練習 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2lrNbe-JKNg&t=714s
Torelli Weihnachts Concerto芦塚音楽教室12月15日Christmas会の最後の練習



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12月3日『子供の教育に於けるstandardとglobalstandard』 ·
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今日は火曜日、12月の3日になります。
『昨夜の夜』は、椎名町からハイツに帰って来て、眠れないままに、bedに入って眠るための努力をしていたのですが、この4,5日の所、ひたすらに、川崎の疲れを癒やすために、体を休めて、体力を温存していたので、少し背中の骨が柔らかくなったように意識出来ていたのですが、昨晩、bedに横になった時に、胸椎の辺り(・・腰椎辺りではなくって・・)が、突然ボキボキと音を立てて鳴って、「多分、これで少し腰痛が改善されるのでは??」と思いました。
体が硬直しているので、これまでも何度か背中を押して貰ったのですが、痛いだけで、全く骨はほぐれなかったので、諦めていたのですがね??
結局の所、しばらくbedで横になっていただけで、全く眠れなかったので、仕方なく起き出して、それからお昼迄、色々と雑用をしてしまいました。
(・・という事が、昨日の夜から昼までのお話です。)
(以降は、今日の12時を過ぎてからのお話です。)
しかし、今日は、4時からは歯医者の予約があるので、「それまでには、ほんの少しでも寝て、体が動けるように体力を戻しておかないと」・・という事で、12時をチョッと過ぎた頃には、大急ぎでbedに潜り込んで眠りました。
携帯のアヤちゃんalarmが鳴って『お昼の3時』の予定時間にはちゃんと起きて、(勿論、少し腰痛は残っているのですが、)なんとかおっかなびっくりでも、杖を突かなくても歩ける程度には腰痛が回復出来ていたので、歯医者に出掛ける準備を開始したのだけど、腰痛とは無関係に、兎に角、体が動かないので、パソコンの前に座って、『体が動かないのならば・・』と、教育相談に乗ったり、lineで練習のpointを連絡したり・・・と、ギリギリ迄、準備をしながら他の用事も片付けていたら、マジに、時間ギリギリになってしまいました。
それで大慌てで準備をして、歯医者はなんとかcancelしなくても、いつものようにbikeで行く事が出来ました。
・・という事で、歯医者到着は、1分ぐらい遅れたのかな??
治療は歯の付け根の清掃と下の奥歯の治療で、年内は終わらないようで、結果、毎週のroutineになってしまいましたよな??
『歯医者から戻って』・・からは、雑炊を食べながら、糖質制限のご飯を炊きました。※)
※)雑炊を食べながら、ご飯を炊いた理由なのですが、今日は火曜日なので、夜食は椎名町には行かないで、週1のハイツでのボッチご飯か、外食になるからです。
・・という事で、夜食はそのどちらになるかは、今の時点では判断出来ないので、どちらの場合に対しても対応出来るように、糖質制限ご飯を炊いたという事なのです。
(実際には、冷蔵庫にあった『有り合わせ』のおつまみmenuで、斉藤先生の日本酒をハイツから持って行ったお酒の小さな瓶に入れて貰って、その日本酒を熱燗にして飲んでしまいました。(斉藤先生のお酒は、私が貰ったお酒で一人では飲みきれないので、日本酒の好きな斉藤先生にも飲むように渡していた瓶なのですがね。行ったり来たりですよね~ぇ??)
糖質制限ご飯は今日は食べないので、冷蔵庫にしまってしまいました。アハッ!
『今日のpech!-1.』 うっかりと、パソコンのFacebookで同じPageを開いている事を忘れたままに、bedの中で、携帯のFacebookに写真を挿入したり、補足説明の文章を書き込んだり、ボッチ夜食の話を書いたのですが、携帯をuploadしてパソコン側のFacebookも閉じたら、その文章が全て、ぶっ飛んで無くなってしまいました。
「編集履歴に残っていないのかな??」とcheckをして見たのですが、どこにも見当たらなくなってしまいました。
まあ、Facebookでは、よくある事なのだけど、「いつもの事・・」、では済ませる事が出来なくって、結局、記憶で書き直さなければならないので、手間が掛かるし、それ以上に元の文章をもう一度書く事が難しいので、腹が立つよな~ぁ??
『今日のpech!-2. 』 ふと、気が付いたら人差し指の爪がいつの間にか欠ていました。
どこで欠がしたのかは、記憶にはありませんが・・?
そのままにしておくと、更に欠けた所が広がったり、布団や服に引っ掛けたりするので、爪を切って平らに修正しようと思ったのだけど、ちゃんと切り詰めている爪が欠けたので、更に切ると、深爪になるので、やめておきました。
去年ぐらいから、突然爪が欠けるようになって来たので、多分、糖尿病が悪化して来たのだ❢❢と思っています。
しかし、「糖尿病になったから❢」・・と言って、糖質を全くcutする人や、甘いものを食べない人達を数多く見受けますが、それは『糖』という言葉が引き起こす勘違いです。
私の糖質制限は美味しいお米の糖質を半分に減らすdietです。糖質の取り過ぎはよくはありませんが、糖質を減らす事はdietには良い事です。また、甘いものの制限は寿命を短くしてしまうという事が最先端の研究で実証されていて、甘いものは脳の唯一の食料になるので、全ての糖分を減らす事は健康に大きな被害を及ぼし兼ねないのです。
過ぎたるは及ばざるが如し❢❢なのですよ。
『今日のpech!-3.』 私の鬱の直接の原因にもなっている・・という事で、教育に関しては、commentを控えるようにする・・と決めていたはずなのに、オケ練習や教育相談で、半年間収まっていた鬱が再発しそうな雰囲気になって来たので、またまた、教育問題についてウダウダと書いてしまいました。
反省❢❢反省❢❢
私がよく周りの人達に私自身が教育者である事を否定しているその理由は、私が教育に携わって来て40年間の間、同じ主義主張をしているのにも関わらず、日本社会の教育に対しての姿勢や考え方・・等という大舞台よりも、私が指導している父兄の人達の考え方が、全く理解されないからで、・・30年40年経っても、何一つ改善されて来ないから・・という理由からなのです。
日本の子供達の保護者の人達や、教育関係者達からは、私は異端児のように思われていて、異端の理論を主張しているように思われている事が多いのですが、しかし、世界の教育界では、私の主義主張は、eccentricなものではなく、非常に普通で、standardな考え方なのであって、EuropaやAmericaの社会からは、日本の教育の方がよっぽど、不可思議な教育として、世界の教育者からは揶揄される元になっているのですヨ❢❢
勿論、Europa社会でも旧態然として教育を主張する人達は残存していますが、EuropaやAmericaの国家的な教育のprojectとしては、もう私の提唱する教育法はtraditionalなのですよ。
それぐらい日本の教育は遅れているのです。
「日本人だから、日本人のDNAに刻み込まれているから、それは国民性なのだから、仕方がないのだよ❢❢」・・という人達もいますが、それは日本の歴史を知らない無知蒙昧な人達の言う意見で、聞くに値するに足らない意見です。
関ヶ原の合戦以前の日本の歴史では、日本の社会制度も、所謂、下剋上の時代であって、実力のある人間が認められる・・という、こんちの世界のstandardとそんなに違う事はありませんでした。
日本人が親方日の丸の権威主義、金権主義になってしまうのは、関ヶ原の戦いが終わって、徳川家康が、自分の子供達が、未来永劫、権力の座に居座る事が出来るように徳川幕府としてprogrammingをした事に起因します。
「日本人は行儀が良い」・・とよく言われていて、殆どの日本人はそれを褒め言葉として捉えていますが、それは或る意味、権力に対して従順だからで、外国の人達から見ると、『ご主人様に尻尾を振る飼い犬』にしか見えないのですヨ❢❢
それが『行儀が良い』という言葉に対しての、日本人とEuropa人の感覚の差です。
行列の出来る料理店というのが日本ではよく取り沙汰されますが、私だったら、幾ら美味しくても、並んでまでは食べませんし、人に連れられて已むを得ず行ったとしても、それで満足した事は一度もありません。
行列の出来る店・・それは、所詮、大衆の味に過ぎません。
本当に美味しい店は、基本、人は来ません。
敷居が高くて(お金も高いしね??)一般大衆は寄り付かないのですよ。
権力者は民衆の統制をするために、必ず思想統一をします。徳川家康は日本の民を為政者に取って従順な民にするために、色々な教材を探して、封建制度を引くための教科書として、儒教を選び出しました。
士農工商の身分制度や、君主に従い、夫に従い、男性に従うと言うようなmoralを作り、徹底的な身分制度でそれぞれが監視し合うような環境を築く事で、徳川の時代が末永く続くように国造りをしたのです。
それが、現代の・・、しかも第二次世界大戦後になっても、『君主』という言葉が『会社』と言う言葉に変わっただけで、企業戦士が会社に忠誠を尽くす・・と言う封建制度自体は、全く江戸時代のまま変わらなかったのです。
世界の人達は、自由を手に入れるために、(貴族からの支配を断ち切るために、)国家に対しての自治を人々の血と涙と死という対価を払って手に入れて来ました。Beethovenの第9にも、そうった意味があるのですよ??歌われているのは、自由と平等です。
だから、Europa人、America人は、自分に対しての自由や権利に対して、とても価値観を持っています。
よく日本では褒め言葉として「あなたは**さんに似ているよね~ぇ??」と外国人に対して言ってしまって、「私は私です❢❢」と怒られてしまって、途方に暮れている人を見掛けます。
i dentity、所謂、個性というものを認める事が出来ない日本人が、『有名人の誰それに似ている』という事が褒め言葉である・・という、とんでもない勘違いの思い込みで、外国人達から批判をされる事をよく見受けるのですが、globalstandardを知らない、非常に貧しい島国根性の日本人であるという国民性が引き起こす勘違いなのですが、それすらも、気が付かない哀れな人達が多いのも事実なのです。
日本人は、自分自身が社会に対して評価をする事を極端に嫌います。
言い方を変えると、自分に対しての自信が無く、その判断を周りに(多くの場合にはマスコミに・・)依存するのです。
その依存を表す典型的な言葉が『寄らば大樹の陰』という国家や大手企業に対する依存なのです。国家に楯突いているように見えるマスコミでさえ、マスコミという集団的な権力を行使して、個人を虐めているのに過ぎないのですからね??
それを心理学的に**と言います。(ど忘れしたぞ❢❢何だっけ??))
昔、私が未だ30歳になったばかりの頃は、老齢年金は任意の保険に過ぎませんでした。
区役所の窓口の人から勧誘を受けた私が、「年金は『人口が永遠に増加して行く』という想定上に成り立っているのだけど、日本の国土面積(人が住める面積という前提上のお話なのですが・・・)の人口密度の割合は1億3千万人を超す事はないのですよ❢❢もう1億1千万人なので、もうすぐ年金制度は破綻して、私が老齢になった時には、年金は貰えないのですよ❢」と窓口で言ったら、「あなたはお国がやる事を信じられないのですか?」と愚蔑的な眼差しを向けられてしまいました。
まあ、一般の人達に年金の破綻の実情が理解される(理解された分けではなく、現実問題になっただけの事なのですがね??)には、それから20年近く掛かるのですがね~ぇ??
幾ら大騒ぎをしても、年金がとうの昔に破綻している事実は変わらないのですよ。
日本人の場合には、国家や会社に対して、知名度や金権に対して、絶大な信頼をして、こんにちのglobalstandardのように、自分の力で、対象を判断、評価する事が出来ません。
つまり、日本人にとっては、相手の実力や仕事の内容で相手を評価をする事はないのです。
言い換えると、自分で判断する事はなく、全てを一般論としての判断なのです。
学校教育上の問題も、未だに記憶を中心とした教育しか、行われてはいません。
SoftBankの孫さんが、未来では、頭の中に直接netがinputされて、記憶はmainのcomputerからdirectに入って来るので、今記憶の教育をするのは10年後には無駄になっている・・と、テレビで言っていたそうです。(私はそのテレビは見ていないので伝聞なのですが・・・)
今現在、・・と言うか、昨日今日のテレビでの話なのですが、『15歳の子供の読解力が、世界の基準の8位から15位へ転落した。』という事を流石に文科省も危機意識で問題にしている・・という話を毎日やっているのだけど、私にとっては40年も前の教育の仕事に携わった時から、言っている事なので・・、『なにを今更・・』なのですがね??
学校教育を否定する人達は、勉強は塾やnetでも出来るのだから、学校に通わせる必要はない❢❢・・と論じている人達も多くて困ってしまいます。
学校が勉強を教える所で、算数の成績を上げる・・英語の成績が上がる・・等々の事が学校教育の全てである・・という思い込みの貧しい教育に対しての意識の人達が殆どなのですよね。
母親や父親が子供を虐待したり、優等生キャラの子供が突然、殺人事件を起こしたり、小学生の女の子の家出で誘拐で中年の男性が捕まった後で、その子供が家庭に戻されたり・・???(だって、家出をした原因は家庭にあるのに、誘拐が解決したから・・と言っても、家出をした原因が治った分けではないでしょう??)そこが不思議だと言うのですよ。児相にしても、学校にしても、画一的に処理をするだけで、一人ひとりの子供の心に寄り添う事はない・・❢❢
学校教育に於いても、学校の子供同士の集団生活の中で、子供は時折、無慈悲になって、それを大人達は『虐めだ❢❢』と言って、他の子供達を糾弾したりします。
しかし、子供達はその『虐め』を通じて、どこまでが『虐め』であって、どこからが『悪ふざけ』なのか??の判断は経験を通じて学びます。
また、虐められる側にとっても、どこまでが『虐め』でどこからが『悪ふざけ』なのか??を学ぶ場でもあります。
しかし、教育に理解のある大人を自負している過保護の親は、「子供が『虐め』と感じた時には、もう『虐め』なのだ❢❢」と言って聴く耳を持ちません。
確かに、子供が『虐め』と感じたら、どんな『悪ふざけ』でも、『虐め』になってしまうのかも知れませんよね?
しかし、一旦、そういった過保護の教育を受けてしまうと、子供社会と違って、大人社会からの適応力はとても大変なものになってしまいます。
子供時代に・・、適応力や応用力のある時代に、自分を取り巻く社会からの適応力が育たないままに、大人になってしまうと、会社や社会に適応する(会社に馴染む)前に、それを『虐め』と感じてしまって、結局社会適応が出来なくって、引き篭もりになってしまいます。
(neet=ニートとは意味が違うので、しっかりと区別して把握してくださいよね??freeter=フリーターとも意味が少し違うよね??)
学校の勉強が出来るので、小、中学生の時代から社会に出る迄の教育の時代を、学校の成績だけで、判断されて来た優等生キャラの若者達が30歳の壁を超す事も無く、(折角憧れの一流企業に入れたのに、)自殺をしてしまう・・という事を斎場で仕事をしていた生徒の親が「いた堪れない❢❢」と嘆いていました。「歳を取った人達のお葬式はお祭りなのだけど、若者のお葬式は見るに堪え得られないのよね~ぇ??」と述懐していました。
また、子供達は、自分で大人を傷付けているとは思わないままに、私達の心を傷つけてしまいます。
もっと、悪い事に、子供達自身が、人を傷つけた事すら理解出来ていないでしょう??
「私の思った事をそのままに話しただけなのに、なんで傷つくの??」と不思議に思うかも知れませんよね?
私の鬱は、只単に、大人の無理解の話だけではなく、子供から受ける事も、結構多いのですよね~ぇ??
一生懸命に自分の誠意を尽くして教えて来たのに、それを一瞬で壊されてしまうのを見る事は、本当に人生の無駄を感じてしまいます。
長年、(私の後半生の全てを尽くして)子供の教育に携わって来たのに、幾ら正論を言っても、この日本の社会では、何一つ、本当の本物を見極める技術を学ぶ事は無く、brand志向が全てなのですよ??
これから社会に巣立つ子供達のお話ではなく、もう、数年も前から、一流有名大学を卒業した学生達にとっては、一流の企業に就職する事は、日本の教育を受けて来た学生達にとっては、超氷河期になっています。
企業が必要としている人材は、画一的な優等生キャラの学生ではなく、個性豊かで、発想力に飛んだ、企画力や、想像力に飛んだ人材なのですよ。
この3,4年、日本人を一人も採用していない一流企業もあったりして、就職浪人の問題も、これからは社会問題化して行く事でしょう?
世界のglobalstandardから遅れ遅れて同仕様のない政府の機関の中でも、超遅れている・・と言われている文科省ですら、教育の遅れに対して危機感を持って、非常事態を宣言している程なのに、教育委員会や学校や児相に至っては、未だに100年前の教育制度が通用すると思い込んでいるのだから、lächerlich❢❢です。
『今日のpech!-2. 』 

ふと、気が付いたら人差し指の爪がいつの間にか欠ていました。それだけ、爪が脆くなっているのだけど、これも糖尿病の性なのかな??



コメント
純子斉藤
な、長い・・・・なかなか全部読み終わりません。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
昔のFacebookは、この1/5も書けなかったのですよ❗文字数制限で、今のamelogぐらいしか、書けなかったのです❗



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12月4日惰眠day ·
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今日は12月の4日の水曜日の、もう夜の9時になる所です。
今日は丸々1日中・・惰眠の日とでも言うのか、パソコンの前に座って仕事を始めても直ぐに眠くなってしまって、椅子に座ったままの惰眠を貪ってしまいました。
眠くならないように、ながら族で、テレビのdramaを見ながら仕事をしていたのですが、それでも、途中で眠ってしまっていて、終わりが見れないままに次のdrama(テレビ番組)になってしまっていました。
という事で、とうとう仕事をするのを諦めて、bedに戻って惰眠を貪る事に専念しました。
今日はお昼から寝たのだど、超珍しく、しっかりと眠る事が出来て、とても良い夢を見る事が出来ました。
という事で目が覚めて鬱がとても軽くなって、気分も楽になっていました。
善哉❢善哉❣❣
それはそうと、今から大急ぎで椎名町行きの準備をしなければなりませんが、よくよく考えて見ると、どっちみち腰痛で、ドルプリっ歩には行けないので、小一時間は予定の時間よりは、遅くなってしまいます。
という事は、ハイツの出発は、そんなに急ぐ必要も無いのかな?
この所、lessonが遅くなってしまう事が多いので、cinderella-timeからの食事の時間になる時が多くなっているようです。
この2、3日は、連ちゃんで、12時過ぎの食事timeになっています。


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12月6日Facebookの自己紹介の文字数制限 ·
Mahlerの門下でThomas Mannの兄弟のPringsheim教授とHindemithの高弟でドイツの代表的作曲家であるGenzmer教授に師事しイタリアの国際作曲コンクールで1位に入賞した。
コメント
芦塚 陽二
文字数の限定で、最初に書いた自己紹介文の半分を削除してしまったのだが、それでも、何も書く事が出来なかった。俺は男で独居老人で云々だけで、紹介の文章の量が限界に達してしまう。Facebookの自己紹介のPageは、略歴も書けないぐらいで、超、阿呆らしい❢❢
巷の音楽教室の先生・・とでも書けば良かったのかな??



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12月6日『淘汰の原理』は適応という事が基本で ·
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この話しは『芦塚method』の説明をする時に、よく引き合いに出す話しなのだが、・・・昔、日本に帰って来たばかりの頃、violinの超大御所の先生の講演で、その先生が『10回練習して、出来なければ、100回練習すれば良い。100回練習しても出来なければ1000回練習すれば良い!」と言われていたのだが、周りの公演を聞きに来ていた人達は、「うぉ~❢❢」と声を上げて感激していたのだが、私は一人すっかりと白けてしまった。
だって、100回練習して、1回成功したとしても、次の100回でも同様に1回しか成功しない・・どころか、100回丸々失敗するかもしれないのだからね⁉
つまり、失敗も経験値として学習されるので、1回成功したとしても、99回分は失敗する事を学習する事になるのだよ。
その先生の公演を聞いて、私は無駄な練習をしないようにするために、私のオセロ練習法を作り出した。
その練習法では、10回の練習を10回とも成功するようにして、10回成功出来たら、次に20回、30回と成功を伸ばして行くのだよ。
決して、その大御所先生のように、失敗を学習してはいけないのだよ❢❢
『淘汰の原理』は適応という事が基本で、『適応出来ない種は絶滅する』という自然の摂理が働くのだよ❢❢
自分を改善しても、その改善が成功でない種は、絶滅する憂き目に遭うのだよ❢❢
よく一般の人達が勘違いをするのだが、『3ヶ月休んだら、それを取り戻すのに、3ヶ月掛かる』という分けではない。
3ヶ月お休みした事を―とするならば、しっかりと3ヶ月練習したとしても、それは(±)0にしかならないのだよ‼
お休みが3ヶ月ならば、それから普通に練習を開始したとしても、それは-3ヶ月のままであって、それに加えて+3ヶ月の努力をして始めて(±)0になる、つまり、人の倍の努力をして、始めて人からの遅れを取り戻せる、と思われるかも知れないが、人生はそんなに甘いものではない。
その本人が3ヶ月お休みしている間に、他の人達は3ヶ月分先に進んでいるのだから、3ヶ月休んだら、その3ヶ月分の倍の倍を練習して、初めて人と(±)0になるのだよ。
しかし、この前提は、かなり甘い過保護の前提なのだよ‼
何故ならば、人は3ヶ月お休みをするのならば、3ヶ月分下手になるからだよ‼
音楽の勉強を専門としている子供達は、自分達の家族の旅行にも、violinを携えて、時間通りに練習をする。
勿論、私は一度もそれを要求した事はないのだけどね⁉
ある生徒が、家族の旅行の時に3日程度の旅行だからといってviolinを持っていかなかったのだけど、彼女が自分のpaceを取り戻すのに、3ヶ月も掛かってしまったのだよ‼
彼女は、例え家族の旅行でも、2度と練習を休まないと親に宣言していたよ⁉
まあ、それが私が大学の講師をやめた理由なのだけど、そこの所が分からないと、日にちを無駄にする・・という意味は分からないのだよ。
教室の生徒達の場合には、そう言った事は良く理解出来ているのだが、親に対しての説明はman-to-manでは私には出来ない。
親の無理解に悩んでいるのはその親の子供自身で、それは教室の多くの生徒達も全く同じなのだよ❢❢
今でも多くの子供達がその事で悩んでいるのだ❢❢



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12月6日腰痛と坐骨神経痛 ·
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今日は12月の6日の金曜日の朝10時を回った所です。
11月の28日に突然腰痛で歩けなくなって丁度一週間目の昨日の5日からはなんとか杖無しでも歩けるようにはなったのですが、腰痛は残ったままなので、未だに、ドルプリっ歩は無理です。
それに加えて、今度は股関節の強い痛み、(所謂、坐骨神経痛なのですが、)が襲って来て、踏んだり蹴ったりです・・・と言いたい所なのですが、腰痛と坐骨神経痛はsetで起きる事は珍しくはないので、普通なのですよ⁉
兎に角、腰痛が取れて、ドルプリっ歩が出来るようにならないと、仕事にならんのよね~ぇ??
立っている時は勿論の事なのだけど、座っていても、長時間は座れないのだよな~ぁ??
痛みが強い時には、当然、集中力も持続しないので、仕事も捗りません❗
ハイツの自宅でパソコンを前にして座っていても、作業が長続きしないので、仕事にならんのだよな~ぁ?
困った❢❢ 困った❢❢



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12月8日腰痛が起きてから、今日で丁度10日目になります。 ·
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今日は12月8日の日曜日のまだcinderella-timeになったばかりの午前1時19分です。
勿論、やっとハイツに戻って来て、取るものも取り敢えず、持ち帰ったものはそのままにして、これから寝る所です。
7日の土曜日は、腰痛がぶり返して、椅子から立つ事が出来ず、一日、座ったままでした。
という事で、lessonを頼まれていたのですが、椎名町にlessonにも行く事が出来ず、ハイツで一日中引き籠りをしていました。
8日で腰痛が起きてから、今日で丁度10日目になります。
今日のオケ練習のprogramを見ると、午前中も午後も、Christmas会の練習が殆ど中心なので、音楽劇の練習等を中心に練習するようなので、私は夕方のTorelliのChristmas-concertと、Albinoniのadagioと室内楽の練習から、指導に入る事にしました。
それまでの練習は、私は必要ないので‼
チョッと以前から、ハイツの米が無くなったのだけど、椎名町から持って帰ろうと思ったのだけど、椎名町の米も終わってしまって、超高い米しか無くなった・・という事で、ハイツで糖質制限用には米が勿体ないので、回せない・・という事を言われたので、千葉に移動する途中の武石のpasarで千葉米5㌔と平飼いの卵と超小さい椎茸と・・等々を買いました。
pasarでの買い物は、足腰の痛いのを堪えながらの買い物だったのだけど、こういうふうに、足腰が痛いと、ハイツの近所のスパーにさえ、買い出しに行く事が出来ないので・・、困っていたのだけど、千葉のオケ練習への移動の次いでに・・買って帰る・・という事です。
米と平飼いの卵さえあれば、卵かけご飯は出来からね??


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12月10日の火曜日のcinderella-time(0時を過ぎた所)になった所です。 ·
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今日は、な、な、な、なんと!12月の10日の火曜日のcinderella-time(0時を過ぎた所)になった所です。
つまり、月曜日が丸々ぶっ飛んでしまったのだ。
仕事としては今日(月曜日)の朝の超早い時間に、注文されていたvideoを2本、立て続けに編集作業を終わらせて、やっぱり腰が痛いので、横になって休んでいました。
1,2時間おきに小刻みに目が覚めるのは、これは度重なる造影剤の使用ですっかり弱ってしまった腎臓のために利尿剤の薬を飲んでいる性なので、病気や加齢や怠惰の性ではないのですが、それにしても小刻みに起きていては、熟睡が出来ないので、疲れが取れないのよね~ぇ??
朝は9時過ぎに眠ったので、お昼過ぎ頃になって目が覚めて、お腹が空いたので、なにか食べようと思ったのだけど、昨晩、椎名町から帰る時には、お持ち帰りのお弁当は、おかずしか持って帰ってはいないので、食べるものがありません。
食パンぐらいは持って帰ればよかったのだけど、丁度、食パンも無かったのでね?? 
しかも、ハイツにも、米が1合あるか無いか・・のギリギリの状態でした。
(写真は冷蔵庫で保存している米なのですが、写真は数年も前の写真で今回の米を撮ったものではありません。持ち回りの写真です。)
実は、ハイツの冷蔵庫で保存していた米が、最後の1合を残して終わってしまったのはだいぶ前の話だったので、椎名町で米を分けてくれるように頼んでいたのだけど、丁度、椎名町の米も終わってしまって、超、高い特別な米だけしか残っていなかったので、「糖質制限のdiet炊飯をするには勿体ない❢❢」という事だったのです。

「糖質を半分にcutするので、一番安い米で良い❢❢」という考え方には私的には抵抗があって、『糖質を半分にするからこそ、美味しい米でなければならない』というのが私の主張です。
・・という事で、日曜日の千葉への移動の時に、武石のpasarで、結構、高めの手作りの名前入りの千葉米を買って来たのですが、椎名町までは車なので、当然持って帰って来たのだけど、腰が痛いので『ハイツに持って帰る』・・という事が出来なかった・・ので、『ハイツには未だに米がない』という事です。



・・という事で、ハイツに残っている、あるか無いかのギリギリの1合の米を炊こうと思ったのだけど、1合の電気釜を何処かに仕舞い込んでしまったので、取り敢えず万古焼のお鍋を探したら、なんとレンジ専用で、ガスコンロ炊飯出来る万古焼のお鍋は見つかりませんでした。(写真)
(ガスコンロ用の万古焼のお鍋は、椎名町に持って行ったのかな?)(写真)

それに、どっちみち・・今年、新しく買った電子レンジは、万古焼のお鍋は大き過ぎて入らなかったし、新しく買った電子レンジには解凍で時間を設定出来る機能は無かったのだよな~ぁ?(レンジで米を炊くには、解凍で15分の設定だったのだけど、時間の設定はレンジの時だけだったのだよ。)
『安物買いの銭失い』とは良く言ったものだ❢❢
便利なようで、出来る事が限られているし、compactという意味は『徳利すら入らない』という事なのだからね??
レンジではご飯が炊けないし、だからと言っても、外食に出掛けるのも億劫(・・って生易しいものではなく、マジに腰や骨盤が痛いのだよ❢❢ )なので、諦めて糖質制限炊飯器で1合の設定でご飯を炊きました。
1合でも2合でも、後片付けは同じ手間なのだけど、米が無いので致し方はないのだよな~ぁ?
ご飯を炊きながら、チョッとだけ、やり残した雑用を済ませて、武石のpasarで買って来た平飼いの卵で、卵かけご飯を食べて、夕方の6時頃に寝たのだけど、椎名町でのお食事timeの10時、11過ぎには目が覚めなくって、『な、な、な、なんと!12月10日の火曜日になった所です。』・・で、冒頭の文章にda capoします。
もう既にcinderella-timeだし、超、冷たい雨も降っているし、先生達もそろそろ寝る時間なので、これからbikeで、食事に出掛けるのは諦めて、日本酒を熱燗にして飲みながら、朝まで仕事をこなして、昼夜逆転の一日を始めました。(おつまみ一つも無かったのだよな~ぁ?)
昼夜逆転なので、火曜日の夕方には歯医者の予約が入っているので、先ずは時計にalarmをsetして、その日はもうすっかりお昼になってしまっていたのだけど、大急ぎで寝てしまいました。
2時間程休んで、夕方の3時頃に起き出しで、歯医者に行く準備をして、久し振りにbikeで、外に出たのですが、やはり、腰痛から坐骨神経痛になっていて、右腰から右足迄が歩く度に痛みが走って、外に出た次いでに駅の近くで買い物でも・・とも思ったのですが、流石に、足腰が痛くって、夜食の買い物は出来ませんでした。
それにしても、部屋に閉じ籠もっていると、どうも鬱が起こりそうで困ってしまいます。
腰が痛くなると、椅子に座っていても痛くなるので、痛みが激しくなると、時間に関係なくbedで横になるので、一日のrotationがめちゃくちゃになってしまった、分かりません。
またまた、今度は11日の水曜日のcinderella-timeになったのですが、ふと気付くと、今日は、歯医者に行かなければならなかったので、未だ朝から食事もしていない事を思い出しました。
寝てばかりなので、お腹が空かなかったのですよね~ぇ?
何だろね~ぇ??



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12月11日『可もなく、不可もなく』 ·
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これが、日本人の親の期待する子供の姿です。
実に日本的であり、世界の親からは、理解されない日本人だけの親の考え方です。



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12月12日『練習風景を公開する事へのpolicy』 ·
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今日(12月12日の木曜日)は、朝は6時起きで、糖質制限ご飯を炊いたり、lessonの準備をしたりして、結構動いてはいるのだけど、足腰の痛みが酷くて、部屋の中でもヨチヨチとしか歩けないので、一つ一つの作業に時間が掛かってしまって、仕事自体は全く進まないのだよな~ぁ?
こういうふうに、幾ら頑張っても仕事が進まない時には、無理をして仕事をするよりは、先ずは頑張って炊いた糖質制限ご飯で卵かけご飯を食べて、風呂に入って髪の毛を洗って、それから、仕事の手順を考えた方が効率が良いのだよ❢❢(ここまでが11時までです。)
それから、文章に書いた通りに、卵かけご飯を食べて風呂に入って、髪の毛を洗った所で、11時から12時になった所なのですが、もう、20分も経っているのに、未だ、椅子に座ったままで、立ち上がれません。
着替えを出して、出発の準備をそろそろ開始しないといけないのだけど、全く体が動かないのですよね~ぇ??
体調不良と言うか、腰痛が酷いので、この調子ならば、予定より更に早めの1時頃にはハイツを出発した方が良いかも知れないな??
それでは、後、もう5分後には出発しなければならないよな~ぁ?そりゃあ、困った❢❢
今日のmainの作業は一年に1回だけのChristmas会の荷物の大移動と、Christmas会の演奏のためのlessonです。
Christmas会の荷物の大移動は、とても荷降ろしが大変なので、lessonが終わってから、冬の暖房のための灯油をstandに買いに行く時の灯油の缶の積み込み積み降ろし作業の時に、ついでにする事にしました。
私は腰痛で車から降りれないので、手伝えないので、荷降ろしには、1人でも人数が多い方が良いのでね??
昔は先生の数も多かったし、Christmas会や発表会の前後は泊まり込みで手伝ってくれる生徒達も多かったので、今よりも随分楽だったのだけど、生徒の人数が減っても、準備に必要な荷物の量は変わらないので、その分先生の負担になります。
lessonは始めて組から先生達のlessonまで、広範囲なのだけど、そのお話はこれまでとは、代わり映えはしないので、省略する(※)として、音楽の話ではなくって、高校受験の生徒が塾に延々と通っているのに、成績が上がらないので、助けて欲しいと言う申し出が牧野先生にあって、オケ練習の合間に、チョッとcheckしてadviceをしただけで、その生徒の成績が10点も点数が上がったので、牧野先生にもっと教えて欲しい・・という事になって、塾の問題だけを取り寄せて、教室の先輩が、練習の合間に面倒を見てくれる事になりました。
つまり、塾は問題の解き方は指導してくれるのだけど、何故、そういう解き方をしなければならないのか??という根本的な事は教えてくれません。
何故ならば、それはそれぞれの塾のsoftになるから指導する先生にも教えない事が多いのです。
そのsoftを自分で作れるようになれば、塾も学校の勉強も必要はない・・という事なのですよ。
子供達が「何故、問題を解けないのか??」を見れば、その子供達が「何処で引っ掛かっているのか?」は、一目瞭然なので、そこの所だけを指導して、子供が理解出来るようになれば、オケ練習の合間の10分で、10点20点の得点を上げる事は簡単だし、その勉強法のコツを理解出来れば、オケ練習の合間の時間さえも必要は無くなります。
私が大学で指導をしていた時に、学生達に指導したのは、勉強の内容ではなく、勉強の仕方やreportの書き方、dataの見方等々の所謂、方法論でした。
つまり、勉強の内容、そのものを指導した事は一度も無かったのですが、その成果は真面目に指導するよりも、とても素晴らしい成果を上げる事が出来ました。
生徒達はそれまで、勉強は学んでも、勉強の仕方を学んだ事は、一度も無かったからです。
『ここからが公開lessonのお話になります。』
※)lesson風景の報告は、Christmas会のlessonなので、省略するつもりだったのですが、上級生のgroupは、Christmas会とは無関係に通常のlessonをしているので、上級生のlessonの中の、『紗來ちゃんのTchaikovskyのViolin-Concertoの第一回目のlesson風景(2020年の4月5日の発表会へのlessonです。)』をuploadしました。
・・とは言っても、Christmas会で演奏する熊ん蜂と発表会で演奏する超大な長さを誇るTchaikovskyのConcertoなので、45分のlessonではkadenzの終わりまでしか見る事が出来ませんでした。そのlessonの一部分です。
(You Tubeにはuploadはしていないので、一般の公開ではなく、Facebook限定でこのPageからのaccessでのみ、閲覧が出来ます。)※)
・・・※)と思ったら、著作権で引っ掛かって、uploadが出来なくなって「削除しろ❢❢」とmessageが出てしまいました。
・・・仕方がないので、今日1日掛かりでuploadしたFacebookの動画を、泣く泣く削除しました。・・・なんだろうね??
しょうがないのでYou Tubeでuploadするか、upload自体を諦めるか??・・・だけどね??思案中です。
だって、この練習の動画がup出来ないという事はこれから半年のlesson風景がupload出来ない・・という意味になるのだからね?? そりゃあ、ないよ❢❢
lesson風景を見学させる(公開する)・・という事は、基本的にはproの世界でも、あまり有り得ません。
proを目指す子供達や、音楽教室に通う子供達の通常のlesson風景をuploadする・・という事は、私以外の人達では有り得ないと思います。
(勿論、超有名な演奏家は、大Hallで、公開lessonをする事がよくあります。そのために、lessonを受ける人を公開(非公開で)募集するのですが、有名先生の場合には、その受講生になるのはコンクール並みに難しいようです。)
例えば、Berlin・PhilのSchwalbé先生や、ジュリアード音楽院のDorothy Delay先生の場合や、Americaの名violinistである**忘れた❢❢の公開lessonを見る機会があったのだけど、見る方はとても勉強になるよな??
100人ぐらいの教室から、3000を越す大hallに至るまでの会場で、ミソクソに批評されるのは、まだ良い方で、私が行った公開lessonでは、日本人の欠点は皆同じだから、と言って、パンフレットを配って、「あなたはこれとこれとこれ❗」で、lessonを見てくれないという事さえありました。
超大勢の人達の前で、クソミソに言われても、めげないのは、『流石』とは思ったのだけど、proには、privateは無いからね??
人の前で虚仮降ろされても、屁でもない人だけがproになれるんだヨネ⁉
proになりたくても、privateをひけらかすのが嫌ならば、privateに対しての隙きを見せないようにする事ですよ❣❣
昔、München時代にKarl RichterのMünchener-baroqueの練習風景をRichter先生のOrganの愛弟子と一緒に見学に行ったのですが、途中でagentに追い出されてしまいました。
愛弟子だけではなく、私自身もRichter教授とは結構面識もあって、何度も学校の食堂で、Richter教授とはdebateをした事があるのですが、私を一瞥はしたのですが、agentに対しては何も言ってはくれませんでした。もっとも、他の見学者も多数いたので、一緒くたに追い出されてしまったので・・如何せん・・です。
日本にチェコ・フィルが来た時に、1st-Violin奏者の招きで、ノイマンさんのオケ練習に行って客席で聞いていたのですが、やはり、agentが追い出し掛かったので、Violinの奏者helpを求めたら、指揮者のノイマン先生にViolin奏者が話をしてくれて、「彼の聴講を認めないのならば、この練習をcancelする」・・とノイマン先生がagentを脅かして、見学可能になりました。repertoryの中の1曲だけを30分のゲネプロで練習していたので、質問をしたら、残りの曲はこの10年で演奏した事のある曲なので、repertoryなのだそうです。repertoryは練習しないのだそうですよ。
agent(日本のproductionの人なのですが)は凄い顔をして、私を睨み付けていました。
『聴きたければ、金を払え❢』という事なのでしょうが、私はrehearsal や練習が好きなのですよ。
だって、出来上がった演奏よりも、その過程の方が、もろになにを大切にして、何を追求しているのかが一番よく分かるからです。
milanoのopraの友達(写真 Elfriede Demetz)が来た時にはプレスのゲネプロを見る事が出来たので、色々と面白かったのですが※)、友達が「本番もチケット上げるから聴きに来て❢❢」と言っていたのですが、「本番は嫌だから要らない❢❢」と断ってしまいました。
※)舞台が狭すぎて、合唱の人数が多すぎて、主人公が1階から2階の自分が歌う立ち位置への移動が間に合わなかったので、階段の途中で歌いだしたり、ゲネプロなので、最初の内は、声をセーブするために、ファルセットで歌っていたのに、後半になると乗って来て、全力で歌い出したのは流石はmilano-Operaでした。
世界で一級の人達は、練習風景でも音楽と認識していて、練習を見学していても怒ったり、秘密主義になったりする事はありません。
私のCelloの師匠(上皇様のCelloの先生ですが)に大学で『室内楽のlectureを見学させてくれ』・・と頼んだら、「それは授業だから絶対に無理❢❢」と断られてしまいました。
そこがEuropaと日本の考え方の差で、チョッと違うのだよな~ぁ?
Europaでは見学を申し込んで、一度も断られた事はないのだよな~ぁ?アハッ!
てな事をproの友人に愚痴ったら、友人曰く、「そりゃあ、自信の差だよ❢❢」といなされてしまいました。
「盗めるものなら、盗んで見ろ❢❢」という人達は、見学は拒まないのですよ❢❢
私が論文を書いても、lessonのvideoを公開しても、結局、見て勉強する人達は同業者だけなのですよ。
一番見て欲しくない人達が、一生懸命勉強して私の技術を盗むのだけど、一番学んで欲しい学生達は絶対に読まないのです。
まあ、文字を読んだ事のない学生達にとっては、仕方のないことなのですがね??
コメント
芦塚 陽二
Facebookで著作権で削除された上記の動画です。
同じ動画なのですが、You Tubeでは見る事が出来ます。
不思議だよな~ぁ?

古川紗來中1Tchaikovsky第一回目lesson風景芦塚千葉花園音楽教室 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=xaKBH2wF7LI&t=755s




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12月13日『ゴミ屋敷』 ·
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時折、新聞やテレビ等でゴミ屋敷の問題が取り上げられる事があります。
私も体調不良や腰痛等で、部屋の中を片付けられなくなって、精神的にもイライラして、困ってしまう事が良くあります。
そう言った時の対処法で、私がしている事は、『床に直接物を置かない』・・という事です。
私の場合には、『ゴミ屋敷対策』というよりも、日常的には部屋の中では眼鏡をかけないので、歩いている時に、床に置いてある物がよく見えなくって、躓いて怪我をする事がよくあるので、止むに止まれぬ処置なのです。
目が疲れる・・という事以上に、鼻詰まりや首の凝り等も目の疲れが原因なのはよく理解出来ているからです。
余りにも、眼精疲労が酷い時には、部屋の中では目を閉じたままで、生活をする事もあります。
パソコンぐらいは画面を見なくても文章は入力出来るからね??
以前は、部屋での椅子やbedの足に爪を引っ掛けて、そのために、殆ど全部の右足の爪が生爪を剥がすというような、被害を受けてしまいました。無意識に椅子の足や机の下の部分に足をぶつける時には、とても、鋭く躓いてしまうからです。
右足の指に集中するのは、利き足が右足だから、どうしても、右側から足を出してしまうからです。
歳を取ると、何かに足をぶつける事が多くなったので、とても不思議だったのですが、或る時にテレビで『加齢によって、自分の体のterritoryの範囲が2,3㌢小さくなる』ので、若い頃には、当然、ぶつからない範囲が狭くなって、物にぶつかってしまったり、若い人達では何でも無い家の段差で躓いたりするのだそうで、勿論、その影響には糖尿病による影響もあるのだそうです。
しかし、これは老人特有の加齢による・・全く普通の現象なのだそうです。(それは、知らなかった❢❢)


という事で、部屋のバリアフリーの改造は、金銭的にもとても出来ませんが、生爪対策としては、古くなって捨てるクッションのスポンジをレジ袋に保存しているので、そのスポンジを椅子やbedの足の回りのガードになるように、四角く切り取って、真ん中をまた刳り抜いて、椅子の足やbedの足にかぶせるようにして、スポンジのガードを作る事で、爪を引っ掛ける事を防ぎました。
たったそれだけの事で、それ以来・・この1年間はもう足の爪を剥がす事は無くなりました。



(捨てるクッションのスポンジは色々な物に活用させて貰っているので、私はクッションを捨てる事はありません。)
新しく買った車の助手席の間のconsole・boxは、運転中は私の左腕を置く場所で、ドルちゃんの座る席でもあります。
しかし、新しい車では、tray状に刳り抜かれて物を置くスペースになっているので、丁度その深さのスポンジを探してきて、ハサミでcutして、牧野先生に素敵な布でカバーを作って貰いました。
ドルちゃんと私のクッション入りの肘掛けが出来上がりました。(console・box上のドルちゃん 写真)
そういった老人対策を兼ねて、床に物を無意識に置く癖・・さえ無くせば、部屋がゴミ屋敷になる事は最低限防げます。
・・・最低限という意味は、例え、私のように、体調不良や鬱が酷くなって、ゴミが部屋の中に散乱したとしても、少しでも元気な時に、手の届く範囲だけ・・・でも整理する事を癖にすれば、まあ、なんとかは・・なるのですよ。
それはそうと、トイレの棚に『トイレに流せるシャワレット・ペーパー』というのが場所を取っていて、「何故、こんなものがあるのだろう??」と、暫し考え込んでしまいました。(写真)
「10年以上も前からそのままにあるのだよな~ぁ?」と思いながらよくよく考えてみて、ふと思い出しました。
『そうだ❢❢ お袋の介護で、長崎に車で往復していた時に、途中のサービスエリア等で、toiletteに行く時のために、購入した物だったのだよな??』
この2,3年前からは、もう長崎の実家も売却してしまったし、故郷の本家の家もとうの昔に無くなってしまったので、長崎への長距離の旅行はもう二度とする事は無いので、長距離の旅をする事も無くなっってしまいました。




という事なので、toilette用の便座のカバーはもう必要はないのだよな??
これは、捨てようと思えば捨てられる物ではあるのだよな~ぁ?箱買いなので捨てるのが勿体ないのだよな~ぁ?
それこそ、メルカリ等で売却すれば良いのだけど、そこまでやるだけの元気はないのだよな~ぁ?
もう使う事も無くなった物を大切にする・・『昭和世代の物を大切にするという意識』・・・これもゴミ屋敷の原因の一つかな??
一時ブームになった『断捨離』ですが、私は昭和世代としてはこの言葉は嫌いです。
放下著の方が未だましだよな~ぁ?
仏教用語なのに、パテントを取ったとか・・??
だって、一般の仏教用語だよ❢❢
何故、パテントが取れるのかな?
不思議だ??
まあ、実際に執着を捨てれば、楽になる事は事実だよな~ぁ?
部屋を購入した時の状態に戻せば、結構、スッキリするだろうな??
人間、本来無一物で産まれて来るのだから、死ぬ時も・・・、
結構死ぬ時には金が掛かるのだよな~ぁ?
散骨ですら、云十万掛かるのだからね~ぇ??


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12月14日『ネズミのお話』 ·
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今日は12月14日土曜日のam2時になった所です。
チョッと遅くなったけれど、椎名町から超寒い中をbikeで帰って来た所です。
『お迎えお散歩ついでのドルプリっ歩と食事の時間』のmailが入ったので、パソコンでvideoをdisc にdubbingする作業をしたまま(パソコンはdubbingが終わると自動で閉じてしまいます。)にして、椎名町に移動するために、bikeの駐輪場に行く途中の事なのですが、駐輪場への通路上にネズミが行手を塞いでいて、近づいても逃げようとはしなかったので、「うん??生きているのかな?」と思ってよく見たら、未だ若いネズミで、寿命で死に掛けているのではないようで、体は動かないのだけれども、鼻はピクピクさせているので、「多分、毒入りの団子でも食べて、死にかけているのかな?」と思って、そのままにして、bikeで椎名町に出かけてしまいました。
帰りに、ネズミの事が気になったので、ハイツに辿り着いて、次いでに駐輪場への通路迄見に行くと、ネズミはその場所には居なかったので、「どうしたのかな?」と回りをよく見てみると駐輪場の自転車の中で、少しだけ動き回っているネズミを見つけました。(写真1)
行きの時よりは、だいぶ、元気が回復しているようだけど、やはり、動き回るには辛そうで、20センチぐらいの範囲をくるくると回っているだけでした。
朝、マンションの住人に見つかるまでに・・、或いは管理人に見つかるまでに、ちゃんと逃げ遂せる事が出来たら、命を繋ぐ事が出来るでしょう?
「見つかったら・・??」・・・そりゃあ当然処分されるでしょうね??
昔、未だ江古田に教室を構えていた頃には、教室の傍の市場も、遠くは桜台や練馬からも買い物に来る程、とても賑わっていたので、市場の丸々と肥ったネズミが江古田教室にも住み着いて、コードや器械を噛って困ってしまいました。
その当時、私達は教室のある2階の部屋を全部屋借り切っていたので、その全部屋の天井を縦横無尽に走り回ったりしていたので、昔ながらのネズミ取りを仕掛けても、ネズミホイホイを仕掛けても、100%直ぐに捕まって、処分に困っていました。
ある時には一番端っこの部屋のBreakerで感電して、Breakerから尻尾だけがフラフラとしていて、先生達が叫んでいました。
「なんとか、せにゃあかん」・・という事で、斉藤先生のマンションに住んでいたラミ猫ちゃんを、一週間程、教室に借り入れたのですが、ラミちゃんが教室にやってきたその瞬間から、江古田の教室には、ネズミがぱったりと居なくなってしまい、ラミちゃんの出向が終わった後も、全くネズミは寄り付かなくなってしまいました。
やはり、猫の力は凄いです。(写真2 ラミちゃんの雄姿)
犬や猫のような人間が飼っている動物を除いては、人は滅多に動物の死骸を見る事はありません。
飼い猫や放し飼いの飼い犬ですら、その死を人に見せるのを嫌がって、いつの間にか居なくなってしまう事すらあります。
これだけ、人様の迷惑になっている・・と言われているイノシシや数万頭もいると言われているアライグマですら、その死骸を見る事は殆ど無いでしょうネ??
人間だけが、自分の死んだ後の事を気にしていて、『何処のお寺』、『何処の墓』・・と思い悩みます。
「自分の子供は俺の墓をちゃんと守ってくれるのかな?」
この当然の悩みのように思われている事が、もう既に、当然の事では無くなってしまっているのです。
それも個人の家単位・・ではなく、村単位、町単位です。
所謂、限界集落であり、打ち捨てられた村には、二度と人が訪れる事も無いので、そのお墓にはお参りをする人もいなくて、そのまま打ち捨てられた墓もたくさんあるのですヨ❢❢
「俺は都会に住んでいるから大丈夫だよ❢❢」・・と言う人も居ます。
でもしかし、東京のマンションでの大問題は、老人の孤独死の問題なのです。
遠方に住んでいる家族であるはずの自分の子供ですら、その引取りを拒絶して、都がその対策をしなければならない・・という事がよくあるのですよ。ましてや、一度会っただけの近親縁者が自分の位牌を引き取ってくれる分けはないのですよ❢
マンションの放置自転車ならば、纏めて撤去も出来るでしょうが、放置人間は、処分する事は簡単ではありません。しかも、縁も所縁もない赤の他人なのですからね⁉
「一人にはなりたいけど、ボッチは嫌❗」・・・なんてきれいごとを言っている場合ではありませんよ❗
それが今の社会の現実なのですよ。
勉強onlyで育って来た今の子供達には、『家族』という単位がありません。
つまり、その子供にとっては、自分の子供だけが家族なのですよ。
だって、一緒に親達と食事をした事もない子供が、自分の親を家族と思う分けはないでしょう??
同じ竃の友人ですら、ないのですからね⁉
夫婦でも、男性は妻は「家族」と思い込んでいるようですが、果たして、現実的には、妻(女性)が「そう思っているかどうか??」・・は、甚だ疑問です。
そしてそれは大きな問題をはらんでいます。
女性の多くが「死んでまで、旦那と一緒の墓には入りたくない。」と言っているのをよく聞く事があるからです。
男性は信じたくはないだろうがね??
現実なんて、そんなものなのだよ❢❢
つまり、家庭を持つと、男性にとっては、子供とはに血の繋がりがあるのですが、夫婦、つまり、奥さんに対しては、その血の繋がりはありません。
つまり、男性にとっては、奥さんとは子供を通じて繋がっているのにしか過ぎないのですよ。
ですから、子供達の保護者の人達(この場合は女性に限ります。)からよく離婚の相談をされる事があります。
子供達とは違って大人の女性は、手に職がない人達が殆どなので、「あなたが今の旦那さんと別れて、今よりもより良い生活が出来るのならば、別れるのも良いと思いますよ❢」とadviceをします。
そうすると、殆どの人達は離婚を思い留まります。
手に職のある人達の場合には、離婚を思い留まるのは、只単に、「夫への哀れみから・・」に過ぎない事が現実なのです。
昔は「格好いい男性だから・・・」といって結婚をしたのかも知れないのだけど、何年も暮らす内に、その肩はくたびれて、すっかりと頼りがいも無くなってしまいました❗
だって、手に職を持っている女性にとっては、人生にくたびれて家庭だけが生き甲斐の男性の背中を見ても、付いて行く気にはならないのが本音でしょうからね??
それでも女性が男性と別れないのは、「私が面倒を見てあげないと、この人は生きて行けないから・・」という憐れみだけらしいです。
昔のような夫唱婦随は、現代の社会には、もう化石化した古語に過ぎません。
こんにちでは、寧ろ婦唱夫随が現実かも知れません。
今の、女性は強いのよね~ぇ??
一見すると強くなったようにも思われる女性の地位なのですが、それでも、日本女性の社会的な地位を世界の女性の地位と比較すると、2018年のdataでは世界110位で、G7の参加国ではダントツの最下位なのですよ。
つまり、globalstandardでは、女性と男性の格差はもっと強烈なのですよ。
世界の女性は日本の女性のようには優しくはないのですよ❢❢
(今日は12月の17日なのですが、2019年の発表として、「日本の男女格差が世界ダントツの121位まで下がった」という不名誉な発表があったそうです。)
それなのに、日本の男性の意識は、未だに「女性は子供を産む機械」「子育てをするロボット」に過ぎないのです。
「働いて生活を出来るようにしているのは俺だから・・」という話がこんにちでも、通用すると、21世紀になっても思い込んでいるのだから、日本の男性の意識は、全くglobalには、lächerlich(笑え)ます。
勿論、その男性の持つ意識の責任を、男性の性だけにする気は毛頭ありません。
日本女性の持つ、男性への依存体質の「甘えの構造」にもその根本的な原因があって、女性の地位向上への政府の努力が実らない原因にもなっているからです。
だって、男性に依存していれば・・、家事と子育てだけをやっていれば・・、社会的に活動をする事は必要はないのでね??
経済的に全く男性に依存する必要のない女性でも、「一人暮らしは嫌だから・・・」といって、それだけの理由で、結婚をして、男性と暮らしている女性もいます。「普通に聞こえるけど、何が問題なの❔」👀💧
とんでもない❗それは、ペットと同居している・・・という意味でしょう⁉男性はそれ以上でも、それ以下でもないのですよ‼
ところが、女性の意識や地位の向上を政府が取り沙汰するようになったのは、全く別の止むに止まれぬ理由からで、それは、女性の地位向上を目指したものではなく、日本人の所得率の低下と、人口減少による働く人達の減少の切実な問題が発端になったからです。
「共稼ぎでなければ、子育てすら出来ない」・・という社会的な現実的な問題は、もう随分前の10年、20年どころではない前からの社会問題になっていました。
それに加えて人口減少による働く人材の不足で海外からも働く人を求めなければならない・・という窮余の策までも国はしなければならなくなってしまいました。
40年前に私が老齢年金の問題で公言していた、誰も信じてくれなかった人口減少の問題がもう、現実のどうしようもない所までやって来たのですよ。
年金の問題は、消費税では解決はしません。
増税は年金問題の棚送りをしただけです。
人口の減少の問題も、日本の社会に若者が信じられるような、生きていて良かったと思えるような世界を作らない限り、人を信じる事の出来ない社会に子供達は産まれて来はしません。
もっともっと、人と人の繋がりが温かいものでなければ、人口は増えては来ないのですよ。アハッ!
人と人のつながりを密にする事は、そんな難しい事でも、お金の掛かる事でもありません❗という話は、ホームページや、このFacebookにも度々書いていますので、ここでは割愛します。
私は単なる巷の音楽教室の先生である・・という事を忘れて、時折、そう言った政治家がするべき事を書いてしまって、いつも後で、後悔してしまいます。
単なる巷の音楽教室の先生が、そんな偉そうな事を言うべきではありませんよねぇ❗失礼しました❢❢ 
アハッ! アハッ!
ネズミのお話が、とんでもない事になってしまった😵💧



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12月15日『manual世代』 ·
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『今日は12月15日の日曜日の朝5時半です。』
今日は、Christmas会に向けての、(泣いても笑っても❢❢)「最後の練習の日」です。
普段のオケ練習とは違って、(先週と同じように)、私はサンタ・オケの練習が終わってからの3時から3時半までの休憩の間に、TorelliのChristmas-Concertoの練習からオケ練習に入る予定です。
Torelliは、原曲の弱い部分は全部訂正したし、interpretationは終わって、演奏法は子供達には伝達したし、Christmas会に向けての準備は万端に整いました。
後は、それを一人ひとりが責任を持って演奏し、表現出来るかどうか??・・なので、今日の練習は簡単です。
(簡単・・という意味は、「私は・・特には指導する事はないので・・・」という意味ですよ??part練習をmainにして、それぞれのpart-leaderが出尽くしている課題の練習をさせすれば良いからです。)
『manual世代』
manual世代を説明する時に、よく引き合いに出す例が医者の話しです。
なぜならば、医者は、人にとって、極めて身近で、現実的、且つ必要欠くべからざる存在だからです。
絶対にかかりたくない医者の中には、manualでしか患者の病状が判断出来ない医者がいます。
患者がどの様に病状を訴えようと、manualにない症状は頑として聞き入れようとはしない・・所謂、頭デッカチの医者です。
そういったtypeの医者は、当然昔からいましたが、しかし、computerの発達は、そう言ったmanual思考の考え方しか出来ない医者の数を増やす事に、輪をかけてしまったのです。computer的思考の若い世代としての・・、です。
しかし、名医と言われる人がよく言っている言葉では、『100人の患者がいれば、100通りの症例がある』・・という言葉があるのですが、勿論、これは若い医者には望むべくもない経験を通しての技術levelの話しでしょうかね⁉
勿論、私はmanualを否定する立場を取っている分けではありません。
manualは、未だ技術力や経験を持たない若者にとっては道標となり、且つbibleともなるのですかなね⁉
つまり、経験の少ない未熟な医者にとっては、判断の基準としてのbackboneとしなければならない医者の基礎力となるのですが、それだけをmainとして頼り切るのではなく、それを底辺にして、新しい技術や経験を追求して、技術や経験の向上をはからなければなりません。
そこの学習力の違い・・つまり、manualだけに依存して、それで良しとするのか、そこを出発点として技術や経験値の向上をはかろうとするのか・・・が、将来のその人の社会的な立ち位置の違いとなって表れて来るのです。
『道に至るは易く、道よりいづるは難し』・・という事なのです。
しかし、現代は、個人の努力や経験値、能力を、認めようとはしない現実があります❗
今は、computerの時代なので、全ての分野がmanual化されて、そのmanualに外れてしまう事を、否定してしまう傾向があるのです。
つまり、computerで全てが判断されてしまう時代になってしまっています。
突然、医者の批判のような話しを始めて、驚かれる方も多いと思いますが、医者の話しを持って来たのは、それが、一般の人達には、身近で、現実的で、分かり易いと思ったからです。
私が一番問題にしたいthemaとしては、現代の子供達の教育に対してのお話しなのですが、教育は木を育てるように、5年先、10年先を見据えて教育しなければならないので、こんにちの人達のように、今、現在だけを、評価、判断の材料、基準とする社会には、そぐわないのです。
5年後、10年後の先の事を見ようとしない人達にとっては、manualとしての教育が、一番、分かり易い、今を見る事の出来る教育なのです。
あってはいけない分野※)・・つまり、学校教育の分野や、家庭教育でさえも、心理学や、指導manualという怪しげな教義が子供達の教育の原点を支配しようとしています。
※)「あってはいけない」・・と言う意味は、教育は子供達一人ひとりの教育の原点では、それぞれの子供達の個性を育てなければならないからで、manualはその指針を示すに過ぎない、manualとは真逆の立場を取らなければならない事がしょっちゅうあるからなのです。
manualを使用するという意味を、誤解しないように確認しておきますが、子供達の教育には、教育をする・・という事と、勉強の学習をする・・という事は、根本的に意味や内容が違います。
一般の人達では、この学習をするという事と、子育てをするという事を、混同している傾向があります。
子供達が勉強を学ぶとすれば、勉強にmanualが或る程度必要な事は自明の理です。
それに対して、教育は子供達一人ひとりの人間性や個性、感情を育てるという事で、それぞれの子供に合った教育をしなければならないので、manual的に判断をしていてはいけない❗つまり、manualは、子育てには通用しない・・という意味です。
それこそ、これまでも何度となく批判されて来た、形に嵌められた教育であり、その犠牲者となった子供達なのですよ。
今現在、社会を賑わせている・・・政府の官僚だった人が、自分の子供を刺殺した事に対しての同情と減刑を求めるマスコミの報道が毎日あります。
しかし、そう言った子供を育てたのは、自分と同じような有名大学や官僚としての社会的な地位や価値観でしか、子供を育てられなかった親の問題が、犠牲者となった子供を育ててしまったという事には、お話が行く事はありません。(と、思っていたら、判決が出た次の日の今日の評論からは、私と同じ意見を口にする人達が、少数派だとしても、出て来たようで、刺殺された子供・・・とはいっても40歳は過ぎている大人子供なのですが、誤ったmanual教育の結果の犠牲者であるという事で、必然の結果であるという事を、口にするコメンテーターの人達も現れました。)
その話しはさておいて、教育と一言で言われている言葉には、全く異なる別のcurriculumが存在するのですよ。
それが理解出来ていないと教育の原点に立つ事すら出来ません。
その内に、人間が為すべき政治や経済の判断さえも、computerがするようになってしまう事でしょうね??
(・・と言うか、もう既に多くの分野で、computerが判断をしていますよね??)
そうすると、SchwarzeneggerのTerminatorのcomputerとの戦争も、映画の世界の話では無く、現実味を帯びて来ますでしょうね??
droneによるアラブの石油plantへの攻撃の実写の動画を見ていたら、まるでTerminatorの映画を見ているようで、戦慄さえ憶えてしまいました。
2045年には、人間の記憶力、判断力、分析力等々の、本来人間が為すべき能力をcomputerが超えてしまう・・と言われています。
そうなると、非人間的な機械的な社会がやって来るのでしょうね??
人間がrobotのようになるのか、robotが人間にとって変わるのか⁉いずれにしても、私はそんな世界には、住みたくはありません。
今の教育の崩壊を見ていても、学校の判断する『学力❢❢❢』だけが、子供達の教育の総てであるように思っている親が多くて困ってしまいます。
現実的には、社会が求めている子供の姿と今の学校教育とは、とんでもなく掛け離れているのですが、教育者や子供達の親すらも、それを分かろうとはしないのです。
未だ、昭和の教育にしがみついているのですよ❢❢
私ならば、子供にたった一つだけでも、好きな事があったら、それを全面的に伸ばし育ててやりたいと思います。なにか一つだけ・・・それで充分ではありませんかねぇ⁉
なんで、オールマイティでなければならないのでしょうかねぇ⁉
そういったmanual-onlyの教育を受けて来た医者だけになってしまったら、病人ですら、manual通りの病状でなければ、治療や保険適応さえして貰えなくなってしまうのでは??
「あなたの胸の痛みは、気のせいですよ❢❢」と言って、薬さえ貰えなかったりして・・・、否、それはもう既に多くの大病院では、現実のものになってしまっているのですよ??
私が「冠動脈が・・」と言って、循環器に掛かっていて、5年も過ぎて、始めてカテーテル検査をした時に、「血管が詰まっているので、5年前に分かっていたら・・❢?」と言っていたので、「私は5年前に『冠動脈がおかしいから・・』と言って、この病院に来たのですよ❢❢」と怒ってしまいました。
私の言っている事を、「素人が何を言っているのだ??」と若い医者達は一人も私の言う事を本気にして聞かなかったのよね~ぇ??
でも、名医達は「患者の病気の事は患者本人が一番分かっている❢」と言っているのだよ??
名医と未熟な医者の違いは、そこの違いなのだがね??
私は子供達への教育の話しをしているのだよ⁉分かるかなぁ⁉


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12月15日今日はChristmas会の前の最後のオケ練習の日です。 ·
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『今日は12月の15日の日曜日の朝の11時半を過ぎた所です。』

今日の朝も、『オケ練習の時の夢!』を見ていたのですが、生徒が前回も、前々回にも、注意したばかりの・・『言ってはいけない言葉』(音楽を学ぶ人間が言ってはいけない言葉のお話・・このお話は現実の先週、先々週のお話です。)をまたまた、口にしたので、遂に感情的に怒ってしまいました。(・・とは言っても、ここは夢の話しですよ❢)
生徒に対して怒った事への『自己反省❗』をしていたのですが、でも、『怒った』という事は、夢の中の話しで現実のお話ではありません⁉
『自己反省』とは言っても、・・・現実の事ではなく、夢の中の自分に対しての自己反省・・なので、チョッと複雑な気分なのですよ‼
それから、bedから起き出して、大急ぎで、頑張って準備をして、bikeで椎名町に移動して、車を千葉まで飛ばして、Christmas会への最後のオケ練習をして、最後のオケ練習が終わって、やっとこ、さっとこ、自宅に辿り着いた所なのですが・・、(・・ここ迄は現実の話です。)
・・・オケ練習の最中の子供の言葉に、ついついイラッとしてしまいました。
ヒョッとして、未だ夢の続き・・??
それともde ja vu??
ただ違ったのは、夢の中のように怒鳴り出さなかっただけで、その『イラッ❢❢』は、ちゃんと無視をして、放っておいたのですがね~ぇ??
実は、本当はかなり「頭に来た❢❢」・・のだけどね~ぇ??
ほんと、子供に指導するのは難しいです❢❢❢❢❢
音楽を演奏する技術を指導するだけならば、簡単な事なのだけど、音楽を学ぶための意味や、音楽の本質を追求させるための、心を教える事は容易な事ではありません。
コメント
芦塚 陽二
久し振りに、文章の後半がぶっ飛んでしまっていて、編集履歴からコピペをしたのだけど、スマホでは編集履歴のコピペが出来ないので、面倒くさいのだけど、パソコンを立ち上げて編集をし直したのだ❢❢
Facebookは色々と、超面倒くさい❢❢



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12月16日『学ぶという事への意識について』 ·
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12月15日のFacebookの文章『今日は12月15日の日曜日の朝5時半です。』の続きの文章です。
日本の音楽教育に於けるmanual教育に対しての批判の文章の続きになります。
子供達に音楽の演奏技術を指導、lectureする場合には、基礎がしっかりと出来ている生徒の場合には、そのlectureやlessonは、いとも簡単に出来ます。
子供が曲の演奏で、technik的に、行き詰まっていたとしても、殆どの場合は、oneーpointーadviceだけで、弾けるようになります。
それは弾けなくなっている原因(問題点)をちゃんと先生が把握し、理解し、子供達に分かるように指導、lectureすれば良いだけだからです。
殆どの音楽の教育はそれで終わりです。 
そこまで出来れば、音楽教室としては完璧です。
何を持って、基礎、基本が完璧である・・と言えるのか??・・・という事なのだが、それは、脱力と自然体という事です。
何処かに力が入っている・・という事は、そこに無理が生じている・・という意味になります。
だから、完全な脱力を指導すれば、子供達は無理なくどんな難しい曲でも弾き熟す事が出来ます。
しかし、それで、いろんな曲を弾きこなせるようになったとしても、それはただ単に曲が弾けるようになった事にしか過ぎません‼
子供達に本当の音楽を教える事は、そんなに簡単な事ではありません。
子供達を育てる上で、一番難しい事は、子供達が『音楽に立ち向かう姿勢』・・『音楽を学ぶ上での立ち位置』を教える事です。
音楽家としてのproとしての立ち位置と、amateurの音楽に対してのliebhaberとしての立ち位置の違いは、その子供の音楽が『自分のための音楽』なのか、『人を感動させるための音楽』なのかの立ち位置の違いで、その子供の将来が決まります。
その立ち位置の違いを教える事が、ほんとうの意味での優れた生徒を育てるための教育なのです。
「自分のために」・・ではなく、「audienceのための音楽」を演奏する・・、それがproを育てる、という意味です。
そこに気付くと、音楽を学ぶ姿勢や学ばなければならない音楽が、全く変わってしまい、全く別の世界が見えて来ます。
音楽の演奏技術は、単に音楽の魂を表現するための単なる技術に取って変わるからです。
表現そのものが、音楽技術よりも先行するからです。
そういった姿勢で音楽を学ぶためには、子供達自身が自分のための音楽から出て、その立ち位置を改にする必要があるのです。
もし、子供達の夢が「Proを目指す事だ」とすれば、そのためには、子供達は『Proとしての考え方』を学ばなければなりません。
しかし、残念な事に、ほんとうの意味でのprofessionalな考え方をする音楽家と巡り会う事は、こんにちの日本では、望むべくもありません。
それは、これまでの日本の音楽家達が、とどのつまり、学校教育に於いての異国の文化を学んでいるに過ぎない分けであり、『音楽の演奏技術のみを学ぶ事が、音楽を学ぶ事である』という大きな勘違いをしているからです。
また、日本の音楽大学では、『学ぶ』という姿勢が、女子大生のfashionとしての勉強のみで、指導する先生達ですら、音楽を人生と捉えている人達はいません。
音楽のprofessionalという立ち位置を持った事のない大学教授に師事して学んでいては、本来の音楽を学ぶべくもありません。
ましてや、音楽教育はproを目指す人達に取っては、職業を学ぶ事になります。日本の教育のように、年数とcurriculumで学べるものではありません。
その師匠に師事して、その師匠を凌駕する所まで、努力して、認可を得ないと、音楽の技術をmasterした事にはならないのですよ。
折角、日本からEuropaに留学をするChanceを持った音楽家の卵達が、1年間、或いは4年間、その先生の下で学んだだけで、『留学をして音楽を学んで来た』と公言するのは、片腹痛い(lächerlich)のです。
Europaの音楽大学では、その先生が「卒業だ❢」と認可をくれる迄は、卒業はないのですよ。
だから、Europaの音楽大学の学生達は普通に5年、10年と大学で、その先生の下で学んでいます。勿論、大学は仕事をしながら行く所であって、学生でも本業で活動しています。
私も留学の時には、「最低でも10年❢」と覚悟を決めて行ったのですよ。
日本の学校教育のように、curriculumがあって、期間が来ると卒業出来る程、・・年数で学べる程、芸術は簡単なものではありませんよね~ぇ??
音楽は芸術です。ですから、極める(窮める)という姿勢が必要なのですよ。
一通りおさらいしたら、卒業という筋合いのものではないのです。
『音楽の勉強は音楽の演奏技術を学ぶ事である』・・と、日本の音楽教育で勘違いをしてしまっていて、音楽そのものを学ぶ事が無いのですよ。
そこが分からないと、音楽を勉強していても無意味です。
そこが、私の日本人の音楽を勉強する人達への『腹の立つ』pointの一つです。
日本にprofessionalの音楽家がいなければ、professional(Professionalism)を学ぶ事は出来ないのか??
・・・否、そんな事はありません。
日本に本当の意味でのprofessionalが居ない分けではありません。
否、伝統芸術の国である日本には、寧ろ、世界のどの国よりも、professionalな人達は多いのかも知れません。
つまり、日本で、ほんとうの意味でのprofessional(Professionalism)を持ち合わせている人と巡り会いたければ、異国の文化である音楽芸術以外のjanre(分野)・・・、つまり、日本古来の伝統的(traditional)な技術や芸術に従事している人達を訪ねてお話を聞けば良いのです。
陶芸家にしても、小説家にしても、ほんとうの本物の芸術家の人達と巡り会い、お話を伺う機会を得る事は、日本でも可能で、そんなに難しい事ではありません。
「でも、それは音楽の勉強ではないのでは??」と、言ってしまう人達がいます。
しかし、そこの所の考え方が根本から間違っているのです。
歌舞伎の玉三郎さんは、NHKの教育テレビの番組で歌舞伎の所作の解説をしています。
立ち姿や、指先に至るまでの所作の意味を、懇切丁寧に、すごく分かり易く解説しています。
玉三郎さんの解説を聞いていると、balletや演劇で本当に留意しなければならない舞台芸術でのpointがよく分かります。日常の動作と舞台上の所作の違いを極めて簡明に説明してくださいます。つまり、舞台芸術(=Bühnenwerk舞台作品)では、洋の東西を問わず所作は同じなのですよ。
オケ練習では、子供達に、よく演奏上の『タメ』の仕方を説明します。
「そこはもっとタメて❢❢」と、激がよく飛びます。でも、balletの『決め』と歌舞伎の『ハッタリ』演奏上の『タメ』は全て同じなのですよ。
芸術というものは、それが『音楽』であろうと、『陶芸』であろうと、他の色々なjanreの芸術であったとしても、professionalとして学ばなければならない事、所謂、proとしての考え方は、たった一つの考え方であって、学ばなければならないproとしての考え方は、どんなgenreであろうと、全てのjanreで同じ考え方なのですよ。
『勘違い』と言ったら、よくChopinがお弟子さん達に、「音楽の表現を勉強したかったら、Operaを見なさい❢」と言っているのを、「よく歌うように演奏するための表現をOperaから学ぶ」という意味に捉えている演奏家達の解釈をよく聞きます。
chopinが「Pianoを歌うように演奏して❢」と言っているように解釈している人達が程んどで、それを聞く度に、忸怩たる思いをする事がよくあります。
その「Operaを聞いて学ぶ」という事は、Chopinに限らず、多くの作曲家が、よく口にする言葉なのですが、その意味は、『melodieの節々や、Motivの細部に至るまで、その一つ一つに言葉としての表現があるのだよ❢❢』『どんなmelodieやMotivに至るまでも、言葉のように演奏をする』という意味になります。
音楽の総てのmelodieを、総てのMotivを、『魂の叫び』として、言葉として、演奏表現しなければならないのだよ❢❢・・・という意味に他なりません。
音楽の技術(Technik)は、その表現するものがあって、始めて学ぶべき技術に過ぎないのです。
全く同じ演奏技術だとされる一つのtechnikであっても、曲が変われば、全く別の表現をしなければならないのだよ❢❢
それにしても、我慢ならない事は、どうして日本の弦楽器奏者の人達の弦楽器の音は、ああも汚いのかね??
日本人の演奏するViolinやCelloの音は、どんな名器で演奏していても、二胡や馬頭琴で演奏している音にしか、聴こえません。
Europaの美しい弦楽器の響きが聴こえて来ないのだよな~ぁ?
弦楽器の美しい音は何処に行ってしまったのかね~ぇ??
それを汚い・・と思わない日本人は、全く理解出来ないよな~ぁ??
やっぱ、異国の文化だよな~ぁ?
二胡や馬頭琴の奏者の人達のために、一応、弁解しておきます。
二胡や馬頭琴は、アジアの高温多湿の国で、或いは、反響する物の無い砂漠のような所で演奏するための楽器なのです。
だから、最初から、楽器外でkonsonanz(共鳴)をさせるという意識を持っていない楽器なのです。
言い方を変えると、人が「野外で歌を歌う」のと、同じ想定の楽器なのですよ。
つまり、音を室内で響かせて、共鳴させる・・というEuropaの弦楽器と、アジアの弦楽器は、楽器的な特性がEuropaの弦楽器とは全く違うのです。
このEuropaの楽器とアジアの楽器の特性の違いの話も、homepageやFacebook等を通じて、よくお話している事なので、ここでまた、同じ事を書いてしまうと、「芦塚先生、Alzheimerになってしまったのではないのかな?」と思われてしまうかもね??
コメント
純子斉藤
日本の弦楽器奏者の音は、二弧(漢字違う?)が演歌のこぶしにしか聞こえないのは、私だけなのだろうか?とか、入れとくといいのでは。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
二胡です。胡は楽器の名前です。
入れて起きました。



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12月17日芦塚methodeを実践証明するための公開lessonや、 ·
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音楽教室を作った当初の目的は、芦塚methodeの実践の場としての教室であり、methodeを具現化するという目的だったので、生徒を育てる・・という教室ではなく、先生を育てるための教室だったのです。
だから、教室を開設したばかりでは、教室の先生になる事を希望する生徒が結構多かったのです。
芦塚methodeを実践証明するための公開lessonや、聴講生のためのlectureーlessonは、最初の5年で終わったので、教室を立ち上げた本来の目的は達成出来て、私自身の初期目標は終わったのですが、その過程で教室で育って来た生徒達が、「生涯学習としての、指導の場所が欲しい」という申し出があったので、教室で学んで来た先生達のために、そのままに、教室を先生達に引き渡して「㈲芦塚音楽研究所」として、私個人の芦塚音楽研究室という名称を研究所に改めてから、個人の教室から会社にして、役員という事で、先生達の立場を社会的に確定させると同時に、私の指導、経営態勢から、生徒達に任せて、なるべく、先生達だけでの自立経営するように、先生達に許認可(裁量権)を任せる事にしました。
しかし、教室が個人の教室の場合と、会社としての教室の経営には、根本的な考え方の違いがあります。
個人の音楽教室の場合には、生徒を一人ひとり増やして行くだけで、音楽教室としては成り立ちますが、会社の場合にはそれだけでは、弱いのです。
会社としての経営法は、教室を会社にした後で、それぞれの先生達にlectureをしたのですが、個人と会社のgapがどうしても理解出来ず、その内に私のadviceを聞いてくれなくなってしまいました。
会社としての音楽教室の経営と安定のためには、教室を大きくして行く事が、必須の課題となるのですが、そのためには、後進の育成が不可避の絶対条件になります。
教室を開設した当初は、教室に入会するまでに、2ヶ月待ち、3ヶ月待ちが当たり前だったのですが、先生達がそれ以上の生徒を教える事が出来ない状態で教室の更なる拡大は思いつけない事だったのです。
自分の部下達を育成して、次の教室を開いて、その教室で指導させる・・という、そんな当たり前の事を、女性特有のjealousyで、自分が折角、育てた愛弟子にまで、jealousyで、苛めて、教室の先生になる事を希望するという得難い希望を持つ生徒達を片っ端から潰してしまう・・・という先生達が現れて、教室にとっては、大troubleに見舞われてしまいました❗
つまり、個人の教室のように、自分が教えられる範囲の生徒達だけで充分に思っていたのです。
会社にして、私のmethodeを全国展開をする・・という、当初の意図を全く理解しないで、jealousy優先の教室経営で教室は、またまた、どんどんと先細りを始めました。
私の、生徒にしても、先生にしても、教室から辞めさせるという事をしない❗というpolicyが、逆に、教室の先生になりたいという生徒達を片っ端から、教室を止めさせる結果を引き起こしてしまったのです。
jealousyは、全てを滅ぼしてしまいます。
jealousyとrivalは全く別の次元のものです。
また、教室の経営や、運営でも、そう言った先生達と、私のpolicyがぶつかってしまい、私の望んだ教室とは、似ても似つかぬ、そこらの教室になってしまいました。
先生達は、話しの合わない保護者の生徒を片っ端からやめさせて、多くの生徒達が、教室を逃げ出してしまいました。
という事で、当然、教室は倒産してしまい、経営していた先生は、残ったお金を手に、逃げ出してしまいました❗
残った先生達に、ちょうど良い機会だから、教室を倒産させて、先生をやめるか、もし、教室の存続を希望するのならば、もう一度、資本金を出してやっても良いけれど、と、その選択を聞いた所、是非に、教室の存続を❗という希望だったので、教室を存続させる事にしました❗



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2019年12月17日 ·
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久し振りの鬱だ❢❢
鬱の原因は、この所のlessonや、オケ練習での一言が、棘のように、心に突き刺さって、取り除けないからなのだがね⁉
「まあ、なんてひ弱な事か⁉」・・・と思われるかも知れないが、体調が不良だと、なんでもないその一言が、それなりに重く響くのだよ⁉
部屋にず~と閉じ籠もっているので、「少し、気分転換に外出でもして、珈琲でも飲みに行こうか?」と思ったのだが、足腰が痛くて全く歩けないので、すぐ近くの珈琲館にも行けないのだョ❢
随分長いこと部屋に閉じ込められているのだよな~ぁ‼
まさに幽閉された『囚われ人』なのだよ⁉
しかも、部屋の中でtoiletに行く時も・・・、洗い物をするために、シンクの前に立つ時も・・、痛みを堪えながらなので、可能な場合には、椅子に座ったままで、作業を済ませたりするのだよな~ぁ❗
痛くて部屋の中でさえ、動く事が出来ないと、自分自身に対してメゲてしまって、鬱になってしまうのも致し方ないのだよ❗
それに、最初は、椅子に座って仕事をする事が出来るのだけど、やがて、椅子に座っている事さえ、痛みが出て、座れなくなってしまうと、後はbedで横になっている事が、唯一、痛みを抑える事になってしまうのだが、そうすると、体力がどんどん衰えて行く事を、まじまじと感じてしまうのだよ⁉
歳を取ってから、体を休める事は、体力の究極の衰えを引き起こしてしまうのだよ❗
若い頃は、一日二日寝たとしても、体力が衰えるような事はなかったのだがね⁉
明日は、朝早くから、ひかりヶ丘の病院に行く日なのだが、道中はbikeが連れて行ってくれるので、良しとしても、病院内を歩きまわるのは、チョッと辛いよな⁉
折り畳みのステッキでも、持って行くか⁉
それに、この一月近く、全く歩いていないので、体重もあまり良い状態ではないし、dietが上手く行っていないと、血糖値が心配になってしまう❗
今月は、腰痛のせいで、dietーbalanceが最悪なのだよ・・・❗
その腰痛も、もとは・・と言えば、川崎の帰りの満員電車で不自然な姿勢を強いられたからなのだがね⁉


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12月18日今日も、寝はぐれてしまって、 ·
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今日も、寝はぐれてしまって、bedの中で悶々としているのだ❗(cinderella-timeを過ぎたので、ほんとうは、もう日付的には18日なのだけど、まだ深夜なので、17日の夜という事です。)
明日は朝の7時には起き出して、ひかりヶ丘の病院行きの準備をしなければならないのに、未だに、bedの中でウダウダと悶々としているのだよ❗
今日の寝はぐれの原因は、いつもの鬱ではなくって、「鼻詰まり」であるのだ❗
・・という事で、何度となくbedから起き出しては、鼻に点鼻薬を注入したり、電気の針をしたり、果てはマサージヤ-で首をマサージしたり、薬を飲んだりも・・してはいるのだが、その場ではなんとか、鼻が通るのだが、bedに戻って眠ろうとすると、またまた、鼻が詰まって来て、息が苦しくなってしまうのだよ❗ 困った事だよな⁉
bedの中で、口を開けて、水に溺れた人のように、喘いでいるのだよ❗
起き出して、ひかりヶ丘の病院に行く準備をしなければならない時間が近づいて来るに従って、だんだんと眠くなって来るのだから、まあ、なんだろうね??
ヒョッとして、病院に行く事への、精神的なpressureかな??? 
糖尿病外来だよ❢❢ そんなpressureがあるとは思えないのだけどな~ぁ⁉
まさかな~ぁ??
ついに朝の5時過ぎになったので、眠る事を諦めて、起き出して椅子に座ったのは良いけれど、今度は逆に椅子に座ったままで意識が混濁して、時間だけが飛んでいるのだよ。
準備をする時間も、たっぷりあったはずなのだけど、突然、起きて出掛ける準備をする時間になってしまったのだが、体が全く動かないのに、時間だけが進んでいるのだよ。
これは、困った。
timelimitが・・やって来てしまった❢❢
なんとか起き出して、服を着ようと立ち上がったのだが、立つという事に大変な体力を使う事に改めて驚かされた。
人は元気な時には、立つという事に対して、なんの意識も、体力も必要とはしないのだが、片足を着く事で、痛みを感じて、balanceを崩した状態で立ち上がろうとすると、とてつもない重労働である事に気づかされるのだよ❗
必死で時間を追いかけて、大慌てで準備をして、bikeに乗って出発したのだが、ヘルメットが曇っていたのだが、いつまでたっても視界が良好にならないので、ふと、気がついて「眼鏡を掛けて来るのを忘れた‼👀💧」・・・事に気がついた‼
もう、ハイツに戻る距離でもないよな⁉
諦めて、そのまま走る事にした❗
掛けていない事に、気がつかない程度なので、所詮、bikeの運転には支障はないのだがね⁉
それはそうと、今日は、言うまでもなく12月の18日、来年の正月まで、後、ちょうど2週間である❗
12月になったばかりだと思っていたのに、もう、後、2週間で来年だよ⁉
2週間とは言っても、Christmas会と冬の合宿が終ると、有無を言わさず、もう大晦日だ‼
とても、正月の準備などは出来ない‼
まあ、いつもの事ではあるのだがね⁉
なんと、世知辛いのだよなぁ?



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12月19日『basso continuoのTetrachordについて』ー『2段階終止について』ー『保続音(orgelpunkt)について』 ·
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11月27日の『Giuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoについて』の「inégales奏法への解説」のPageの続きです。
この曲のbasso continuo(CelloとKontrabass)のpartには、Chaconneのthema同様に、Tetrachordが使用されています。
演奏は、Tetrachordのphraseの(Sequenzの)切れ目(息継ぎ)を正確にするようにして、Tetrachordのmelodieをよく歌い込むように努めてください。
蛇足:・・という伝達なのですが、Tetrachordはよく似た言葉にhexachord(6つの音階)があるので、間違わないようにしてください。・・hexachordの、もっと、詳しい説明は楽典の時にでもします。
写真の譜例:(Organ-part Realisation bei Ashizuka Yoji)


『2段階終止について』
日本では弦楽orchestraとpipeorganが一緒に演奏する事は、滅多に無い事なので、Europaでたまに見受ける「2段階終止」を見受ける事は殆ど(・・??と言うか、私はこれまで一度も)見た事はありません。
Europaの場合には、カトリックの教会には、必ず本物のpipeorganがあるので、日曜日のmissaや行事の度に演奏されるcantata等で、Organとorchestraの共演は、結構日常的な事でした。
Organがbasso continuoを演奏する場合なのですが、弦楽orchestraが終止でfade-outをする時には、Organはdecrescendoの機能がないので、Organとorchestraが一緒に最後の和音を取ると、orchestraのfade-outが聴こえなくなって、突然終わったような感じになってしまいます。
という事でcantata等では、弦楽orchestraがOrganのpartだけを残してfade-outした後で、Organがゆっくりと一人だけ終わる事をよく見受けます。
残念な事にこの奏法は他のperio奏法と同じように、名前がついていないので、私は便宜上『2段階終止』と呼んでいます。
今回のWeihnachts-Concertoでは、1曲目から2曲目はattaccaで次の曲に入るので、終止の和音を伸ばす事はありません。
終止と同時に次の楽章のthemaが始まるからです。
2曲目から3曲目は、orchestraがfade-outした後でも、Organの保続音(※)は次のsoloのrecitativoまで残ったままで演奏する事にしたので「2段階終止」はありません。(これは私のinterpretationなので、必然性はありませんが・・。)
3曲目から終曲に掛けては、曲毎の間隔が短いので、ほんの少しだけですが、「2段階終止」が使用されます。
終曲の最後の和音では、弦楽orchestraとOrganのかなりoverな時間差による「2段階終止」を見る事が出来ます。
※)『保続音』を音楽用語辞典で調べると、orgelpunkt(Organ-point)としか、出てきません。
しかし、orgelpunktは、曲の展開部で見失った調性を確立するために、保続する音なので、dominanteやTonika等の機能を持つ保続音になります。
所謂、ostinatoの場合の保続音やmelodieとしての保続音、単なる持続音としての、保続音は機能を持つ保続音とは言い難いので、orgelpunktとは言いません。
orgelpunktには、和声学的には、「調性を確立する」という意味があるのです。
つまり、よくorgelpunktと混同されているdrone等も、調性の主音か属音上の場合が多いので、orgelpunktとも、よく似ているのですが、調の確立を伴わない場合もよくあるので、orgelpunktとは全く別の次元の非和声音になります。
netで、保続音や持続音等々を検索して見たのですが、持続音=保続音、保続音(=orgelpunkt)と、単一の誤った(和声学によらない)解釈しかなされていなかったので、確認をして、ここに注釈を付けて起きます。
補足説明:
droneはEuropaに限らず、世界の民族音楽の中に登場します。
私達がよく聞く事があるのは、bagpipeやhurdy gurdyの持続する音の上に演奏されるmelodieです。
BachやVeraciniも自分の曲の中に、このdroneを取り入れて、民族音楽風に作曲をする事がよくあります。
Weihnachts-Concertoではthemaのmelodieが1st⇒2nd⇒violaと「入り」をする間、Baßやviolaも含めて、droneで伴奏をします。
これは和声学的には、調の確立(Baßのdroneに機能が確立されていないので・・)を意味しないので、orgelpunktではなくdroneになります。


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12月19日独居老人の生存証明 ·
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なんとなく、鬱が起こりそうな雰囲気なので、気分転換に、お風呂にお湯を張って、体を温めて見ようかな??・・と思っている所です。
・・・などという事を書いていたら、「そんな日常的な些細な事を、書いても顰蹙ものでは~??」とお叱りを受けました。
でも、「今日のニャンコ❣」で写真をuploadするのと同じ、独居老人の生存証明の一文なので、お気になさらずにおつき合いください。アハッ!



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12月19日『double-bookingのお話』 ·
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私は、ドイツ留学から帰国してからその後10年間ぐらいの間は、仕事の関係で社会的な高い地位にある人達や有名人の人達と仕事をする事がよくありました。
まだ外で働く事がmainのその時でも、時間の許す限りではありますが、若干の大学生達や、2、3名の子供達の指導をしたりしていました。
音楽のlessonをする時には、そのlesson日を予め決めてlessonをする事が出来たのですが、外からの仕事の場合には、入って来る仕事の日にちや時間がまちまちなので、どうしてもその予定が生徒達のlesson日と被ってしまう事がありました。
勿論、doubleーbookingにならないように、時間の調整はその都度ちゃんとするのですが、生徒達のrotationをちゃんと守るためには、相当な努力が必要だった事は否めない事実です。
一般の人達からは、当然なのですが、私の生徒さんや大学生の弟子達からも、よく不思議がられて質問や、意見を言って来る人達がいました。
それは私が仕事のappointを取る時の、『取り方』の事なのですが、私がappointを取る時の『policy』としては、そのappointの相手が、例え、子供のlessonの予定であったとしても、『先に予約を取った方を優先する』・・・という自明の事でした。
私の生徒達や友人達は、私に、「著名人や社会的地位のある人のappointの場合には、lesson時間を変更しても、著名人の希望の時間を、より優先するべきではないのか?」「より重要なappointを優先すべきではないのか?」とよく詰問された事があります。
しかし、私にとっては、小さな子供達のlessonも、権威のある著名人との会議でも、所詮は『一期一会』に過ぎないのですが、それは中々回りの人達には分かっては貰えませんでした。
例え、小さな子供へのlessonであったとしても、超有名な人達とのmeetingであったとしても、その「出逢い」に貴賤はないのですよ❗
私は、今回の大雨による東京の大災害の時のように、区に居住する住所が無くっても、外国人の旅行者には避難場所がちゃんとあって、ホームレスの人達には避難場所がない・・という、人を貴賤で判断するような心の貧しい日本人だけにはなりたくはありませんからね。
・・・・と近頃迄は、偉そうに考えていたのですが、このところは、そういった私のpolicyに、私自身が疑問を感じてしまうような事がよくありました‼
それは、子供達の学びに対する『意識』が、私が子供達を指導し始めた、2,30年前の頃とは、随分と変わって来てしまって、『音楽へ』というか、『習い事』に対して・・・というか、職業への意識や、価値観というのか・・・が、根本的に変わってしまったように思われるのですよ❗
勿論、それだけの事ならば、私が子供達を指導し始めた40年前の時代からも、同じ事を嘆いていたので、根本的には、なにも変わってはいないはずなのですが、そういった事とは、根本的に何かが違って来たように思われてなりません。 
そういった教育上の問題は、30年も前に、21世紀への教育の崩壊に対して、その片鱗を見て危惧を感じた当時の文部省の人達によって始められた教育制度の改革としての一貫となるprojectの一つなので、その前提となる問題提起は当然の事なのですからね。
教室を開いたばかりの頃は、未だ、学校内の虐めや暴力が、家庭内暴力として世間を賑わし始めたばかりの頃でした。
勿論、その一番の理由は塾や学校教育の歪による受験戦争で、人と人が評価でしか繋がれない・・点数でしか人間を判断しない教育の崩壊でした。
それは時代が下って、パソコンの時代、gamesの時代に代わると、人とのcommunicationが出来ない、対人関係が全く持てない引き篭もり人達を多く作り上げて来ました。
若者の自殺率は世界のtopに躍り出てしまったのですよ❢❢
毎日のテレビ等の報道が、子供達だけではなく、大人社会での陰湿な虐めや、親の自分の子供に対しての虐待や、子供が親を虐待するという理解出来ない社会になってしまいました。
そういった事を救済しなければならない児相の自分の立場だけを護ろうとして、子供を放置して親の虐待を意図的に見過ごすといった、信じられない、大人も子供も、自分の利己だけを追求するような殺伐とした日本の社会になってしまいました。
私の子供時代から振り返って見て、想像の付かない寂しい時代になってしまいました。
こんにちでは、それを女性が望むと望まないとにも関わらず、女性が働く事は当たり前になってしまいました。結婚をして、子育てを希望しても、今現在の社会では、そういった環境は全く整っていません。現実的には、子育てに未熟な若い女性達がsocialnetworkを作って、悩みを共有するぐらいが関の山です。
しかし、それが出来るのは、大きな都会だけの話しです。小さな小都市では、過疎化はもう必然なのですょ。
私の若い頃は、女性の働く場所がそんなにはなかった性もありますが、家族構成は、大家族だったので、子育ての経験が豊富な老人達が身近にいて、supportをする事は可能でした。今は、各マンションには、老人達で溢れかえっているのに、無駄なenergyになってしまっています。
折角の有り余った老人powerも、これでは、無用の長物です。
若い女性達は、仕事と育児に挟まれて、子供達を見守る事も出来ません。自由にのびのびと遊ばせることも出来ない社会では、テレビ等で若い女性達が、「子供を産み育てるのは、子供達にとって、可哀想だ」という事を言っているのも、頷けてしまいます。女性達が、愉しく幸せに子育ての出来る社会が、いにしえの昔では、普通の社会ではなかったのかな⁉
人を思いやる、まわりを思いやる古き良き古来の日本はどこに行ったのでしょうかね?
そういった自分の事しか考えられない利己的な時代の到来は、私が40年以上も前に、競争教育がもたらすものとして、予測し論文で社会的に啓発していた事なのですがね??
そういった学校や塾の、人間を点数でしか判断出来ない得点主義の時代が産み出す社会は、どんな社会になるのかは、分かり切っているのですよ‼
他の生徒と常に比較して、人よりも、1歩でも先に立つことを求めて、人と共に何かを作り上げる、という事を否定してしまうと、子供達は友達さえも作れないで、表面的な付き合いかたでしか、人と触れ合う事しか出来ない人間に育ってしまいます。
それこそ、完全な教育の崩壊です。
私ならば、自分の子供に対しては、「たった一つでも良いから、自分が熱中出来る事を見つけなさい。」と言います。
その人がidentityを持つには、全ての分野で人よりも優れている必要はありません‼
たった一つの『得意』を持つ事で、人生をまっとうする事には、充分なのだからです。
『全てに対して優れている』という事は、逆の言い方をすると『全てが平凡に過ぎない』という意味になるのですが、その事が理解される事は中々ありません。一見すると、全てをこなせるように見えるgiftedの人達も、よくよく観察すると、基本的な所で、欠落している部分を見いだす事が出来ます。
ましてや、ただの学校教育においては、学校の中ではall5の成績の子供でも、その専門の分野の世界に行くと、ただの平凡な普通の子供にしか過ぎないのです。
所謂、東大病と呼ばれるものが、その一例となります。
自分の子供だけは「Giftedだ❢」と、そういった夢のような事が、自分の子供に対してだけは信じたいと思い込んでいるのは、親ばかに過ぎないのですがね~ぇ⁉
という事で、こんにちの社会では、「一芸に秀でる」という言葉は、すっかり死語になってしまいました。
音楽に対しても趣味以上に価値を持たない意識の子供達や音大生達に対して、自分の一期一会のpolicyを貫く事は、もはや無意味な事のように思えてしまうのですよね~ぇ??
音楽や教育を、芸術や奉仕を、その尊さを伝え、学ぶという姿勢は、もはや過去の古き良き時代の遺物であり、今は、自己、自分が全てであり、他人は、自分と対立するだけの存在に化したように思われます。
真摯に音楽を求める人達は、いずこに行ってしまったのでしょうかねぇ?
音楽が人に感動を与えるのは、音楽の技術が与える分けではありません。小さな子供の演奏でも、その演奏が真摯に取り組んでいるものならば、大の大人や私達のような老人さえも、涙させる事が出来るのですよ。
日本の有名なorchestraの演奏ですら満足出来ない耳の肥えた老人が、小さな子供の演奏に涙してしまうのです。
音楽の上手下手は、技術ではないのですよ‼
コメント
純子斉藤
これでは、テレビ等で若い女性達が、「子供を産み育てるのは、子供たちにとって、可哀想だ」という部分は、よく意味がわかりません。
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
少し、訂正して見た‼
· 返信する · 1年前
芦塚 陽二
🤔



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12月21日Christmas会の前日です。 ·
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今日は12月の21日の土曜日、Christmas会の前日です。
鬱々で眠れぬままに、熱燗を飲みながら,お久し振りにYou Tubeで鬱々の曲を朝まで聞いていました。
今日の作業はスマホの乗り換えの作業をProviderと電話で連絡を取りながら、機種の変更の手続きをしていたのだけど、電話が「折返し・・」という事が、長い事❢長い事❢待たされてしまって、パソコン画面を見ている事に、疲れて寝てしまっていたら、やっと電話が掛かって来ました。
電話が終わって、スマホのFacebookに、1年前の思い出が出ていたので、何気なく目を通したら、なんと❗1年前のこの日も、腰痛で悩んでいて、次の日のChristmas会でも全く立てないままに椅子に座ったままで、指揮をしていたのだよな⁉
お腹が空いたので、ふと、今日は未だ何も食べていなかった事を思い出した。
そりゃあ、お腹が空くはずだよな~ぁ??



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12月21日なんと、教室関係の写真のfolderがブッ飛んで無くなっていた ·
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今日は12月の21日の土曜日、もうすぐに夕方の6時になる所なのです。
今日の超、Shockは、明日のChristmas会の私が指揮をしているところの、Facebookに載せる写真を探して、パソコンの写真のfolderを開いたら、なんと、教室関係の写真のfolderがブッ飛んで無くなっていたのだよ❢❢
これはShockだ❢❢
何時、どうして無くなってしまったのか、全く分からん❢❢
過去20年分の発表会やオケ練習や楽器選びの時の写真や教室の光景の写真が総て無くなってしまっていたのだよ❢❢
・・・という事は、もしや❔❔と、写真のfolderだけではなく、別の・・文章系のfolderも見てみたら、やはり19年の発表会の資料が全く無くなってfolderが空になってしまっている。
これは大変だ❢❢
おかしくなったfolderをどうやって見つければ良いのか??
いずれにしてもback・upのdataがないので、泣き寝入りなのか??
空のパソコンがもう一台あれば復元を試みる事も出来るのだけど、このパソコン1台だけでは復元は出来ないので問題だよな~ぁ?
昔、復元softを使って、外付けのharddiscを使って、2日がかりで、harddiskの復元を試みた事があったのだが、全く持って復元は出来なかった覚えがある。2日間パソコンが全く使用出来なくなっただけで、何一つ上手くいかなかったのだよ‼
今までに、復元を試みて、成功した事はいちどもない❗
・・・という事で、今回も無料の復元softを使って復元を試みてみたのだが
やはり紛失したfolderは見つからなかった❢❢
残念❢ 無念❢❢
パソコンはこれがあるからな~ぁ??
大切なdataを紛失するのは、これで何度目だろうか⁉
パソコンの重要なmemoryは外に保存しなければならない事は、重々承知しているはずなのだが、パソコン3台分の膨大な資料を保存するという事は、それほど簡単な事ではない‼
よくよく見てみると、windowsの画面上に置いていたYou Tubeの曲のshortcutのiconも消えている・・‼
パソコンは、何をbugっているのだろうか??
そういえば、昔window7から10に変わった時にも、その1年間ぐらいは、よくbugったよな⁉
もうそろそろ、windows10に買い換えろ❢❢❢っていう意味のmicrosoftの嫌がらせなのかな??
windows7の終了のmessageが、毎日のように、来るのだがね⁉



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12月23日またまた、卵かけご飯~❗、で、 ·
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今日は・・、というか今は12月23日月曜日のもうすぐ朝の6時になろうとする所です。(千葉のChristmas会の次の日の朝です。)
今日の練馬区の気温はなんと、更に冷えて5℃だってよ~?
昨晩は、一人ぼっちで千葉から帰って来て、12時チョッと過ぎには寝たのですが、寝た時間には関係なく朝の5時には目が覚めてしまいました。
朝の5時起きは、もう体に染み付いた習性になっているようです。
早起きは健康に良いというのだけれど、2時に寝たり、3時に寝ても、同じ5時起きは健康に悪いわさ??
目覚めて見ると、なんと喉が痛い??
「・・これはヒョッとして、インフルにかかったのではないのかな??」と思ったのですが、取り敢えずは、いつもの鼻詰まりで、口呼吸をしていたのが、当面の原因なので、鼻を通すための処置をしている所です。
ついでに、予防のために「かぜ薬でも飲もうかな?」と思ったのだけど、喉風邪の薬はハイツには無いのだよな~ぁ?
私は、合宿は全3日間の参加はしないのだけど、合宿中でも、ハイツで雑用が残っているし、スマホの手続きで業者がハイツに来るので、28日までは、結構忙しくて休めないのだよ❢❢  
・・・と言うか、教室としては『これからが本番』なのですよ。
という分けで、後一週間は、未だ風邪をひく分けには行かないのですよ❢
アハッ!
勿論、昨日の日曜日は千葉音楽教室のChristmas会でした。
本来ならば『Christmas会のご報告』を書く所なのでしょうが、『ご報告』のpageは、後で、ゆっくりと書く事にして、今は現在の近況報告を書く事にします。
という事で、Christmas会の後片付けを、ご来場頂いたお客様までも一緒に片付けて、大急ぎで超氷雨の中をハイツまで戻って来ました。
・・・とは言っても、先生達はChristmas会の荷物の片付けと合宿の買い出しやら準備やらで、花園教室にお泊りだったので、車だけが椎名町に移動する事になりました。
冷たくて今にも雪に代わりそうな雨が降り続く中、荷降ろしは月曜日に先生が帰ってからに任せるとして、取り敢えずは大急ぎで、ハイツにbikeで戻りました。
ハイツでは、相も変わらず冷蔵庫には何も食べるものは入っていないので、諦めて、超久し振りに、近所の鮨屋に『ボッチ飲み』に出掛けたのですが、なんと、鮨のシャリが固くて芯が残っていて、咀嚼するのに、顎が痛くなってしまいました。
勿論、鮨ネタも酷いものでした。
普段ならば、「もうこんな店は、二度と来んぞ❢❢」という所なのだけど、江古田では、11時過ぎに開いていて、「食事の出来る店」は、ラーメン屋を除いたら、ココしかないので、致し方ないのですよ。
昔は、朝まで開いているお店は結構多かったのですが、段々と年齢と共に、廃業していったり、風営法の規制が厳しくなったり・・・で、今は江古田の駅周辺でさえも、午前様まで開いているお店は非常に少ないのです。(勿論、椎名町では皆無です。)
東京も寂しくなって来たよな??
行き付けの鮨屋で、超大雨でお客様もまばら・・なのに、私のStammtisch(=指定席)は、「予約が入っている」とかで座らさせて貰えず、応対の板前さんも始めて見る人で、最初は人見知りか知らんけれど無愛想で、チョッと頭に来て、イラッとしてしまいました。
・・とは言っても、帰る頃には、結構笑い顔で、愛想良くなっていたのだけど、それにしても、ゴッチンはいかんよな~ぁ??
・・それに、私が帰るまでに私のStammtischに人が座る事はなかったのだけどな~ぁ??
それからハイツに戻って、本来のpatternと言うかrotationと言うならば、Christmas会の動画をパソコンに取り込みながら、暫し、wineでも飲みながら今日の反省に浸っていたはずなのだけど、SDcardもdataも無いし、結構疲れていたので、荷物もそのまま放ったらかしで寝てしまいました。
・・で朝の5時にtoilette-timeに起き出した・・と、続くのです。
朝になって、再び思い出した事は、『昨夜、冷蔵庫に何も入っていない・・という事は、今日も冷蔵庫にはなにも入っていない❢❢』という事だよな~ぁ⁉という事です。
外に出ないと食い物がない・・という事なのだよな??
でも外は寒いし、腰も痛いので、外に買い出しに出掛ける気力はないよな~ぁ⁉
それは困った❢❢
またまた、卵かけご飯~❗、で、済ませるか??


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12月23日Christmas会の次の日です ·
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今日は12月23日の月曜日で、千葉市の教室のChristmas会の次の日になります。
同じ日にちのPageなのですが、こちらの方がChristmas会のご報告と合宿のお話のPageになります。
Christmas会では、保護者の方々にお手伝い頂き、恙なくChristmas会を終える事が出来、大変感謝しています。
『それではChristmas会のご報告に移らせて・・・』と言いたい所なのですが、Christmas会の動画や写真、program等の資料が、未だ車から荷降ろしをしていません。
牧野先生、斉藤先生達は昨夜の日曜日は、Christmas会の荷物の整理と合宿の準備のために花園にお泊りだったので、東京への移動は私一人だったので、荷物降ろしは諦めて、そのまま椎名町の事務所の駐車場の車の中に載せたままなので、私はSDcardなどのdataは、未だ見ていないのです。
今回のChristmas会では、今年の東京大災害と同様に、influenzaの大流行で、超、珍しく教室の生徒達の多くも病気にかかってしまい、お休みや、早退が続出してしまいました。 Christmas会が初めてのお子さん達も(・・『達』・・が付きます❢❢ 超、驚きです。)influenzaでお休みになった人達が今回は多かったので、小さな女の子が「お友達がいない❢❢」とショックを受けていました。お姉さん達が、手をひいて遊んでくれたので、すっかりご機嫌は戻っていましたけれど・・、今年のinfluenzaはチョッと驚きのcatastropheですよね~??
教室の生徒達は基本、毎週の日曜日の早朝から遅くまでのオケ練習で、一般の子供達よりも体力(精神力)があるので(・・免疫力も、なのかな??)病気で休む事は、超珍しいのですが、今年のインフルは、流石に、そうは行かなかったようですね??
今回のChristmas会は出演者の人数が少なくなったので、Christmas会の規模を縮小して、音楽劇などもトナカイの劇と人形劇を合体して、短い劇に縮小する事にしました。
秋の発表会から、Christmas会までの準備期間が非常に短いので、曲を渡してからChristmas会までの練習回数は、7回しかありません。
私としては、一月半での練習では、子供達本人のcapacity的な練習が間に合わない事にも配慮して、orchestraの演奏曲目はいつもとは少な目にして、Torelliの『Christmas Concerto』1曲だけの演奏の予定にする予定だったのですが、生徒達が「Albinoniのadagioも演奏したい!」と言って来たので、急遽Albinoni=Giazottoのadagioも、Christmas会で、演奏する事にしました。
しかし、初練習の時に、楽譜を見たら、originalのversionのscoreで皆が演奏していたので、先生に詰問したら、私のAlbinoniのscoreが、print outして製本した楽譜も、finaleのdataも、紛失していて、已む無く『original版を生徒達に配ってしまう』という2重、3重の不具合があったので、怒り心頭に発して、急遽、私の記憶を辿って、19年11月のversionを作り、生徒達に配り直しました。  
つまり、今回のChristmas会のorchestraの曲は、Giuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoは今回が新曲なので、その改訂は始めてとなるし、それにAlbinoni=Giazottoも改めての改訂になったので、演奏する2曲とも、私の19年11月の新version(改訂版)になります。
いずれにしても、orchestraとしてはConcerto Grossoの編成なので、memberが2人(violaと2nd)が足りませんでした。演奏上memberの足りない箇所が、予め分かっていたら、編集(編曲)で足りない部分のpartの補填を出来たのですが、直前の出演のcancelだったので、それも間に合わないで、本番は諦めて演奏の方で頑張って貰いました。
まあ、それ以外にも、Keyboardの足やChristmas会のために買ったlighting用のLite等々色々と落としや不具合が多くて、反省だらけのChristmas会でしたが、私としてはそれなりに結構、楽しく遊ぶ事が出来て気分転換になって良かったです。
orchestraの『始めて組』も、温かい優しい雰囲気の中で演奏出来たので、良い経験になって、今回のChristmas会は実りの多い発表会だったと思います。
しかし、orchestraの曲目が多い年のChristmas会も、今回のように超少ない曲目の年も、よくよく考えると練習回数は変わらないのよね??今回は3回オケの子供達が『初めて組』が多かったので、capacityが・・と感じたのですよね??
写真はいそのさん、さわださんからlineで頂いたものです。
私のcameraの分の写真は、まだ椎名町から持って来ていません❗
まだ車から荷物を降ろしていないので、・・・です。





月曜日の深夜に斉藤先生だけが椎名町に戻って来ました。(プリドルは未だ花園です。)車の荷降ろしは火曜日からになるので、SDcardや写真のdataを受け取るのは、火曜日のお昼過ぎに鳴るのかな??
明日の火曜日はJcomからの荷物を2時~4時の間に受け取って、すぐに歯医者に行かなければなりません。
dataやSDcardを受け取るのは、1時過ぎ頃までのtimelimitになりますよね??
危うくdouble-bookingをする所でした。




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12月24日『不運の始まり』 ·
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今日は12月の24日の深夜の3時半になろうとする所です。
人生には『一つの失敗が多くの失敗を誘発する』・・という事がよくあります。
所謂、『ハインリッヒの法則』ではありませんが、その『一つの失敗』の原因は日常的なほんの些細な事である場合が多いのです。
普段から、そういった些細な日常的な失敗をしないように気を付けると大きな失敗はしません。
・・という事で、『今日のpech!』ですが、夜、喉が乾いてしまったのですが、お茶やお水でも、珈琲でも紅茶でも、ましてや濃茶でもなく、なにか、別の飲み物が飲みたくなってしまいました。喉が渇いているのにも関わらず、体が飲み物を受け付けないのですよ⁉
「なんだったら、飲めるのだろうか?」
悩んだ挙げ句に、ふと思いついたのが、牛乳に濃縮のカルピスを混ぜって飲み物を作る事でした。
冷蔵庫の中の牛乳と濃縮のカルピスとで、とても美味しくbalance良い飲み物が出来あがったのですが、両方とも冷蔵庫で冷やされていたので、とても冷たくて胃を痛めそうだったので、少しだけ温める事にしたのが、『pech!』・・の始まりだったのです。(この場合は不運で良いのかな⁉)
(「pech!」って日本語の訳語が無いよな?いつも困ってしまうのだよな??辞書で調べると「不運」が一番近いのかな???とも思うけれど、「失敗しちゃった??」という軽い感じもあるしね~ぇ??)
電子レンジで『牛乳の温め』にしてstartボタンをおしたのだけど、いつまで経ってもぬるいままで温まらないのです。
「多分、レンジの出力の切り替えが200Wになったままなのだろう??」と思って、温めのcancelボタンを押して、それからレンジの出力を500Wに切り替えて、再度、牛乳の温めボタンを押しました。
またまた、いつまで経ってもレンジが切れないので、またまた、cancelボタンを押してマグカップをレンジから出したら、牛乳とカルピスが、すっかりと分離して凝固して、しかも熱くて飲めない状態になっていました。 
余りにも、勿体ないので、試しに2,3口飲んで見たのですが、やっぱりとても、飲めたものではなくって、諦めて捨ててしまいました。
つまり、「多分200Wのままなのだろう??」と思って、500Wに切り替えたのに、『牛乳の温めのボタン』は200Wの時のママの時間だったのだと思われます❢
何処で、200Wになっていたのか、どこでそれを切り替えるのかは、レンジの解説書には書いてありません。
不親切な事です。
多分リセットボタンが何処かにあるのだろうけれど、見当たりません。
やっぱ、安物だけあって、不親切な事です❢❢
千葉の**電気でお勧めされた良く売れている電子レンジなのだけど、ターンテーブルが小さすぎてコンビニで買ったお弁当が回らないのですよ❢
本当は私はスチームレンジを買いに行ったのだけど、そんなのは売っていない・・と一笑に付されて、そのお店で売れ筋number oneの商品を買わされたのだけどね~ぇ??
netだったら売っているのだけどね~ぇ??値段も殆ど変わらないし・・・??
大は小を兼ねる・・と言うけれど、その逆はないのだよな~ぁ?お店の人の言う事を信じなければ良かったよ❢❢
これが『pech!』の始まりです❢
ハイツのシンクで料理をする事はないので、シンクのゴミ受けを取って、シンクの流しの排水管の中のゴミ受けのお皿にネットを被せる事にしました。
殆ど料理を作らないので、普段はそれくらいでも充分でした。
熱で固形化した牛乳を流したら、排水管のお皿が目詰まりをして流れなくなってしまったので、排水管のお皿を洗う所からの作業になってしまいました。
シンクとガスのボイラーの場所がとても離れているので、水道の蛇口をひねっても暫くの間は冷たいお水のままで、お湯が出ません。
だから、冬場には、水が勿体ないので、洗い物は或る程度溜めて、一気に洗う事にしているのですが、その溜まった食器類の上に固形化した牛乳が巻き散らかされて、先ずは流しの排水管の中のお皿のフィルターの布を取り替える所からになってしまいました。
それから、凝固した牛乳で汚染された食器類を洗いました。
これは深夜の寅の刻にする作業ではないよな??
結局、喉の乾きは止まらないままで余分な作業だけをしなければなりませんでした。
・・でも、これは俺のミスとは言えないよな~ぁ??
レンジの欠陥だよな~ぁ?
暫くした後で、気を取り直して、checkをするために、もう一度、設定を500Wに直して、温めstartを押して、checkをして見たのですが、半分の次点でピーという半分の時間を知らせる音がしたので、取り消しボタンを押したのですが、レンジが止まりません。
蓋は開くのですが、蓋が開いたままで、レンジは動いたままです。
規定の時間まで動いたままで、暫くした後に、やっと止まりました。
これは困った❢❢
途中の停止が出来ないぞ❢❢
どうやったら良いのかな??
Sh**pさんよ❢❢
動作中のcancelは出来ないのかよ??
そりゃないよ??
(次の日に同じ操作をしたら、ちゃんと止まるのだよ。前日には何をしてもダメだったのに、今日は、温め加熱も普通だ??どうして・・?? 理解不能だ❢❢ まあ、終わり良ければ、当面は良いか?? 故障を再現出来なければ、修理も有り得ないしね??)
喉の乾いた原因は糖尿病のせいではなくって、昨晩の夜食のお鮨が余りにも不味かったので、気分転換に食い直しに池袋のお鮨屋まで食いに出掛けたせいで、二日間続けて、酢飯を食べたせいです。お鮨を食べると喉が渇くのは、昔からです❗
今日行ったお店は、超有名な回転鮨店で、千葉のお店にも、大泉のお店にも、良く行った事のある回転寿司屋だったのですが、遠いので、車になるので、お酒を飲む事が出来ません。池袋に出来たのならば、普段のようにお酒を飲みながら、お鮨を食べる事が出来るので、以前も池袋に出来た事を聞いたので、先生達と食べに行ったのですが、超満員で、食べる事が出来なくて、別の超有名回転寿司に行ったのだけど、そこは超不味くて、二度と来るか‼😡の水準でした‼
という事で、チョッと期待して池袋まで出掛けたのですが、このお店も、やっぱ、超‼、不味かった❢❢ 
・・・「二度と来るか??」の水準のお店でした。
事前にnetを見ての評価では「回転寿司としては、とても美味しいのだけれど、回転寿司のお店としては割高」・・と書いてあったのだけど、お店の宣伝品のお勧めを中心にして食べたのだけど、超不味かったし、昨晩と同様に、酢飯が固くて、酢も弱かったし、それ以前に米が不味いのだよな~ぁ⁉
Spaghettiのal denteは、食べる時にちょうど芯が無くなってとても美味しくなって好きだけど、米のal denteはいただけないよな~ぁ⁉
それはそれとして、安い事は安かったのだよな~ぁ??
・・でも、幾ら安くても、不味いものは食いたくないのだよ‼
それに、椅子が超問題なのだよ‼
カウンター席は足が付かない高さの椅子なのに、足のとまり木が無いのだよ。
椅子の眞下の横棒に足を置くには、結構不自然な体勢を強いられるので、(足を折り込むという❗)俺には無理なお店だよ。
こういった椅子は、お店の回転率を上げるための『客の居座り』を防ぐ目的で、止まり木が出来た・・という事は知っていた??
まあ、table席もあるのだから、familyでお喋りをする目的ならば、table席にすれば良いという事なのだろうけれどね??
それに、お茶が粉茶なのは自宅でも同じなので、それ自体では問題は無いのだけど、その粉が全く缶から出て来ないのだよな~ぁ?
幾ら振っても、コンコンと叩いても、お茶が出て来ないのだよな~ぁ?
お茶は、不自然に多く出してしまうと、逆に渋くなって不味くなるので、醤油とは違って、皆、必要以上には出さないと思うよ❢❢
そこまでする事は、無意味で、逆に不親切になると思うよ❢❢
兎に角、『二度と行くか??』という種類のお店だったよ❢❢
昔は安くても美味しいお店はいっぱいあったのだけどね~ぇ??・・というか、このお店も他の店舗では美味しかったのだけどね~ぇ??
「世知辛い世の中になってしまった」という事だよな~ぁ?
本当は、『不運の始まり』から『八方美人』にまで、お話を持って行きたかったのだけど、文章が長くなってしまったので、ここで一度文章を切る事にします。
『八方美人』のお話はこの次の機会があったら、その時にでも・・・



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12月25日Christmas会の動画が手に入らないので ·
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今日は12月の25日の早朝です。
朝の4時に目が覚めて、そのまま眠れなくなってしまったので、定型の体重血圧測定をして、軽く朝食を食べながら、昨日手に入ったmainの4Kcameraの動画のcheckと編集の作業をしました。
・・・とは言っても、未だmainのcameraのSDcardが手に入っただけなので、subのcameraのSDcardや、他の動画は未だ手に入れていません。
でも、もうChristmas会からは3日も経っているので、時間切れという事で、取り敢えず1台のvideo-cameraからの映像で、3曲だけ編集をしてYou Tubeにuploadしておきました。
いずれも、『トナカイの部』からの抜粋です。
サンタの部の人形劇とかは、cameraのangleが多くないと映像がつまらなくなってしまうので、sub-cameraのSDcardが手に入るのは29日からなので、そこから編集をするとなると、一週間後の来年に持ち越しのuploadになります。それまでの場繋ぎになれば・・という事で1台のcameraからの編集です。

AlbinoniのadagioとTorelliのWeihnachts-Concerto芦塚音楽教室Christmas会 - YouTube

曲は、Albinoni=GiazottoのadagioとGiuseppe TorelliのWeihnachts-Concertoの2曲です。
Weihnachts-Concertoは、今回が教室の初演なのですが、楽譜は、私が以前から持っていたPeters版の楽譜とは、別の出版社から出版された楽譜を、更に私が校訂して新しくした楽譜からの演奏です。
orchestraの楽譜は、より古い時代の楽譜になると、100年前の出版や50年前の出版では、interpretation上こんにちでは色々と問題があります。
Weihnachts-Concertoでは、古い楽譜ではtempoの設定がGraveーvivaceーGraveーvivaceという設定になっています。
という事で殆どの演奏は、periodの演奏団体も含めて、そのままのtempo設定で演奏しています。
唯一、私と同じtempo設定をしているのは、I Musiciの演奏でした。Weihnachts-Concertoというgenreの曲は、教会でChristmasに演奏されるという事を想定した曲なので、お誕生日を祝福するための曲、pastorale(所謂、ゆりかごの子守唄)が必要になるのです。pastoraleのないWeihnachts-Concertoの曲はありません。
つまり、Ⅱ楽章は必ずvivaceではなく、pastoraleでなければならないのです。Ⅳ楽章はvivaceなのですが、それよりも楽しげなgigueの拍子が使われています。所謂、gigue特有の3,3,7拍子です。
そういった事を踏まえて、私のinterpretationではtempo設定をその様に変えて演奏していますが、これが正しいtempoの解釈だと思っています。楽譜に書いてある事は、作曲者が書いた事とは違うのですよ。後世の出版なのですからね??
という事で、globalstandardでは、最新のinterpretationによる演奏が一般的なので、私の所有する古いPeters版は使用出来ないのです。次に買った別の出版社の方が、現実的なinterpretationによるものですが、未だ校訂が下手なのよね??
日本は相も変わらず出版されているものが総て・・の100年前の演奏が主流なのですがね??
Christmas会はmemberが揃わないのは、毎年の事なのですが、今年はなんと、中堅は中学生になってしまい、『初めて組』の小学生達が初の参加になりました。
端境期では色々な技術力が不足してしまうのは仕方がないのですが、Albinoniは、それ以上に何かしら難しいらしく*)、これまでもsoloの人達が練習ではなんの問題もないのに、本番では思いもかけない失敗をしてしまい、連戦連敗の曲なのですが、今回の小、中学生達の演奏は、まだ基本的な練習は出来ていないのですが、そんなに大きなほころびも無く、無難に弾き熟していたのは、素晴らしい❢❢ 驚きです。
チョッと、将来が楽しみになって来ました‼
*)難しい、という意味は、決して技術的に難しいという事ではありません。人の前で、演奏する時の緊張感のpressureに耐えられるかの、問題なのです。
Giuseppe Torelliは新曲なので、solo組(・・というかsoli組)にとっては、色々と難しい所もあったようなのですが、7回という短い練習でよく頑張りました。
solo組もオケ組も、今回足りなかった所は、少しづつ、直して行こうよね⁉
技術不足ではなく、意識不足なので、練習の量を増やす・・という事でもないのだどね??
AlbinoniのadagioとTorelliのWeihnachts-Concerto芦塚音楽教室Christmas会
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AlbinoniのadagioとTorelliのWeihnachts-Concerto芦塚音楽教室Christmas会
2019年12月22日芦塚音楽研究所千葉音楽教室千葉市花見川区花園自治会館でのChristmas会の演奏です。演奏の曲目はAlbinoni=Giazottoのadagioの芦塚陽二改訂版とTorelliのWeihnachts-Concertoの芦塚陽二校訂版です。 Christmas会では、いつもの.....




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12月25日12月25日の早朝の続きです。 ·
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video-cameraの撮影では、2台のvideo-cameraで撮影をしていたのですが、日曜日のChristmas会の後では、mainの4K-cameraのSDcardしか持って帰らなかったので、合宿が終わるまでは、千葉からSDcardを持って帰れる可能性が全くないので、合宿開けの28日には、仕事の予定が入っているので、編集の作業をしてuploadが出来るまでは、最短でも29日の深夜になります。
それでは、Christmas会から、まるまる一週間も経ってしまいますので、持ち帰った4K-cameraのSDcardをcheckして、1台のvideo-cameraでも支障のない動画のみの3曲をpickupして、編集作業をすませてしまいました。
まあ、後は、一週間後にvideoをcheckしてから・・の話という事で『取り敢えず』でも良いからなので、・・・という所です。
その3曲がorchestraのAlbinoniとTorelliと、soloの紗來ちゃんの熊ん蜂と、斉藤先生のLisztのConsolationとDinicuのHora staccatoです。
紗來ちゃんの熊ん蜂の飛行(Flight of the Bumblebee)には、36小節目で1小節まるまるの音飛びがあって、編集softのcheckや色々と調べて見たのですが、video-cameraからパソコンに取り込む時の不具合によるものだと分かりました。しかし、という事は他のvideo-cameraのSDcardが手に入らない限り修正は出来ません。という事で、もしも、修正してuploadし直すには、年内は無理・・という事になってしまいます。
まあ、困った事ですが、rotationなので、仕方ありません。

Rimsky-Korsakov 熊ん蜂の飛行 古川紗來(中1)芦塚音楽千葉教室Christmas会 - YouTube



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12月25日Christmas会の大トリは ·
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今日は12月25日の早朝です。
Christmas会の大トリは斉藤先生のFranz LisztのConsolationとGrigoras Dinicu のHora Staccatoです。
動画のSDcardが4Kのcameraの1枚だけなので、sub-cameraのSDcardの分とかが集まり次第、次の曲の編集をします。
それまでは、暫し、この3曲だけのuploadなのです。ハイ!
Hora staccato Dinicu 斉藤純子Vl.萩元美紀Pf.芦塚音楽千葉教室Christmas会19年12月22日 - YouTube


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12月25日音飛びが ·
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今回のYou Tubeにuploadした動画には、3曲とも、どのvideoにも音飛びが入っていました。これは超Shockです。
通常ならば、編集の段階で音飛びがあったとしても、出力でMP4に変換する時に、lagは訂正されるはずなのですが、今回はそれぞれの曲で、1回、2回と音飛びが修正されないままになってしまっています。
映像を編集した後で、音声だけを入れ替える作業をすると、音飛びは防げるのかな??
『Cyberlinkのせいかな??』という事の確認の作業で、編集画面を開いてvideo-dataのcheckをしてみたら、私がCyberlinkで動画を編集した段階のお話ではなく、それ以前の、video-cameraから分割されて送られて来た情報(data)の段階でそれぞれのclipの繋ぎ目の前の部分の音が切れていたようです。
試しにCyberlink以外の編集softを使用してclipを繋げてみたのだけど、全く同じ音飛びが発生してしまいました。
こりゃぁ、video-cameraのせいだわな??
別の編集softで作成した動画と合成しても改善はしない・・という結論に達しました。
これは大元のお話なので、その『音飛びの部分』だけを別のcameraからの音声を入れて、上書きしないと音飛びは修正出来ないようです。
これも『sub-cameraで撮っていれば、なんとかなるのか??』・・或いは、誰かがvideoを撮影していれば・・のお話なのですがね~ぇ??
困った事だよな??


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12月25日Christmas会の写真が·
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今日は未だ12月の25日なのですが、昨夜の食事の後では、持ち帰りのお弁当としては雑炊だけは、椎名町で先生に作って貰って、ハイツに持って帰っているのだけど、ついでのおかずを少ししか持って帰らなかったので、お腹が空いてしまいました。
という事で、江古田の駅前のスーパーで、なにか食料品を買い出しに行こうと思ったのだけど、超寒いので買い出しに行くのが出来ないのですよ。
パソコンで見てみると、今日の練馬区では、なんと深夜は3℃
にまで下がるそうです。
今でも充分に寒いので、朝からストーブを焚きっ放しなのだけど、部屋の中でも、寒くって、足下が冷えて困ってしまいます。
喉も渇いているので、今日は、超珍しくミルクココアを作って飲みました。
それと、喉の渇き用に梅湯を作って飲んでいますが、昔の超酸っぱい梅が無くなってしまったので、netで購入した梅を塩抜きした梅で作ったのですが、しょっぱいだけで、梅の効果が余り期待出来ません。制酸作用が少なくって胃がさっぱりとしないのですよ。
昨夜のカルピス・ミルクは濃縮のカルピスが無くなってしまったので、今日は作れません。買い出しのリストには入っていないのだけどね??
食べ物は雑炊だけなので、2回も食べると飽きてしまいます。お弁当を買いに行く時間には、もうすっかりと、遅くなってしまいました。
・・という事で、外に食べに出掛けようと思ったのですが、流石に、もう鮨は懲り懲りです。
江古田はこの時間では、鮨屋でないとすると、後はラーメン屋しかありません❗
はてさて超困った❗
江古田はラーメン屋の激戦区です。
だからこの時間帯でも、ラーメン屋は多くのお店が開いています。
しかし、ラーメンはdietには、最悪だよな~ぁ❗
さてどうすンべぇ❔
写真のdataがやっと着いたので、uploadしておきます。
チョッとtimingがずれているようだけど~、致し方ないのでね・・・





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12月26日千葉は合宿の2日目ですよね?? ·
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今日は12月26日の木曜日の朝です。
千葉は合宿の2日目ですよね??
明日は合宿の最終日なので、私もlessonと荷物の移動で、千葉に行きます。
それは良いのだけど、昨日の合宿初日も、今日の2日目も『一体、合宿で、何をしているのか??』・・『どういうprogramでやっているのか?』・・・私には何の連絡もないままで、全くつんぼ桟敷で・・分からないままなのですよね~ぇ?
「どうせ、千葉の合宿に来ないのならば連絡の必要はない❢❢」という意味なのかな??
「それはないだろう???」・・と思うのだけどね~~ぇ??
lineをしても読んでくれないし、lineをして既読が付いたmailも、もうすっかりと忘れられているようなので、その返事も来ません。
・・・という事で、今日も、私は千葉で何をしているのか分からないままに、ハイツで引き篭もっています。
つんぼ桟敷ならば、それはそれで、頑張って寝よう・・としているのだけど、2時間睡眠ぐらいで目が覚めるので、熟睡が出来ません。
今も、朝の7時前に「鼻詰り」で起きたのですが、いつものように、横になると「鼻詰り」になってしまうので、結局、椅子に座ったまま、うつらうつらとしています。
・・ほんとうはbedに横になって寝たいのだけどネ??
足腰が痛いので、パソコンで仕事をしていないと、いつの間にか椅子に座ったままでうつらうつらと寝てしまっています。最悪の状態ですよね?
頑張って「椅子から立ち上がろう」と試みているのだけど、片足に重心が掛かってしまうので、負担が大きく長時間は立っていれないので、結局また、椅子に座ってしまうのですよ。
そう言えば、うだうだといつの間にかもうお昼の2時過ぎになってしまったのに、気がつくと未だ、何も食べていないのだよね??
私は竹寺の坊さんではないので、『1日為さざれば』なんて事は言わないのだけどね~ぇ??
頑張って、昨日に引き続き、外に買い出しに出掛けました。次いでに、気分転換に珈琲館にでも行きたかったのですが、冷凍食品や冷蔵食品を買ったので、冷蔵庫に入れる事を優先したのだけど、もう一度珈琲を飲むためだけに、外に出掛けるのは、足の痛みで無理でした‼
私の珈琲ミルサーは椎名町に寄付したし、粉の珈琲は、珈琲をそんなに飲む分けではないので、買っていません。
instantの珈琲は、やっぱ珈琲じゃあないよな⁉
別の飲み物だよな~ぁ⁉👀



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12月28日いよいよJcomとのtroubleが・・・ ·
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今日は12月28日土曜日の夜の11時半になった所です。
今日はauの携帯からJcomの携帯へのお引越しのために、Jcomから業者が来て、お引越しの作業をしてくれる・・はずだったのですが、・・・それが超pech!になってしまって、無理をして、頑張って、今、池袋のビック・カメラで、唐突に無線Lanを2台買って来て、椎名町に寄って焼き肉partyをして、江古田のハイツに戻って来た所です。
今日は20数年間、au一筋であった私が、ついにSoftBankの携帯に乗り換える記念すべき日であったはずなので、appoint(約束の)お昼の1時に間に合うように、部屋を必死で掃除をして、荷物を整理していたら、作業の人が時間よりも早く『携帯・スマホのお引越しの作業』にやって来ました。
という事で、食堂兼パソコンroom兼居間の掃除機掛けまでは間に合いませんでした。
それは、兎も角として、時間よりも早く来た所までは、非常に良いのですが、それから夜の8時直前まで必死に作業をしても、結局お引越しが出来なかったのですよ。
でも、今日の28日の土曜日が今年の仕事納ですよね??
という事で、SoftBankへのお引越しは来年の仕事始め以降の事になってしまいました。
そりゃあ、ないよね~ぇ??
とどのつまり、お昼の12時半から夜の8時直前までのまるまる1日と言うか、半日を付き合って、なに一つも出来なかったのですよ❢❢
作業をしている横で、見ている私としては、余りにも作業の仕方がヘボいので、なるべく口を出さないように努めていたのだけど、ついつい、代わりに幾つか操作をしてしまいました。
彼が1台の設定に会社と電話でやり取りをして、設定の仕方を聞きながら、四苦八苦している時に、俺は残りの2台の設定を済ませてしまったよ??
俺がやった方が数倍早いのよね。
結局、8時間近く作業をして、「出来なかったから・・」という事で、設定を元のauの携帯に戻したのは良いのだけど、俺のlineのトーク履歴が全部ぶっ飛んでしまったのだよな~ぁ?
auのままならば、トーク履歴の保存や色々と事前にする事が結構あったので、それはないよな~ぁ??
それに業者の人は「トーク履歴は移行出来ない!」と決めつけて掛かっているけれど、2019年からはトーク履歴も新しい携帯に移行出来るはずなのだけどな~ぁ??
兎に角、何も出来ないのだよ❢❢それで良く仕事が出来る(給料が貰える・・)よな~ぁ??
別の業者に来て貰って、携帯を使えるようにする作業をして貰うにしても、年内はもう仕事納めで来てくれないので、来年の仕事始めから・・と言っていたけれど、それって、6日過ぎから・・って言う意味だよね???
そんなに待てるかよ??
だって、auとSoftBankの両方にお金を払う事になるのだよ??それてJ-comが弁償してくれるのかい???
俺、先にやっちゃうよ❢❢
めんどっち~ぃ❢❢
という事で、8時過ぎになって、大急ぎで無線ルーターを江古田ハイツ用と椎名町用にビック・カメラに買いに行きました。
ビック・カメラは、ギリギリ、9時までは開いているからね??
それにしても、回線を開く時に来た業者の人に、「ハイツは有線Lanなので、無線Lanはないよ❢❢」と、口を酸っぱくして言っていて、電話ででも、J-comの人にも、「ハイツは有線Lanです。」と確認をしていたのに、今日の作業をする人はその事を全く聞いていなかったそうです。
その連携の不手際が、ミスの大元の一番目です。
「無線ルーターが無いとなにも出来ない!」と泣き言を言うので、仕方がないので、斉藤先生に彼女のWiMaxを超急いで持って来て貰ったので、私の携帯にはlineの設定出来たのですが、斉藤先生の携帯や牧野先生の携帯では『電波が弱すぎる』とmessageが出て、設定が出来ませんでした。
という事で、J-comの会社の人が、無線ルーターを届けてくれたので、「これで問題は解決❢❢」と、作業の人も私も、超、喜んでいたのも束の間、その無線ルーターが壊れていてお話になりませんでした。
まあ、なんとか、上の階の人の無線ルーターをお借りして、私の携帯で、やっとこ、さっとこ出来たはずのlineの設定を元に戻してauの携帯を使えるようにして、8時です。
つまり、7時間掛かって、何一つ仕事が進まなかったのですよ。
否❢❢何も出来なかった分けではなく、auの携帯のlineのトーク履歴を全部ぶっ飛ばしてしまって、その言い草は、「これでlineが使えるようになりましたから・・」です。
トーク履歴を消して、携帯のお引っ越し作業も何も出来ないで、8時間突き合わせて於いて、それはないよな~ぁ???
私も、歳を取って、超、気が長くなりましたよね~ぇ??
昔の私を知っている人達からしたら、信じられないように、気が長くなりましたよね~ぇ??
にこやかに、『大変でしたね~ぇ??ご苦労さんです。』と送り帰したのですからね~ぇ??
これも『亀の甲よりも、歳の功』なのですかね~ぇ??
歳は取りたくないものだよな~ぁ??
※)と言っていたのだけど、次の日に設定の事でJ-comに電話をした時に、混んでいるので、応対に1月の中旬まで待って貰う・・という話になって、ついに、電話口で応対していたoperatorに、我慢の限界に達して、「claim対応の部署はないのか??」と、怒鳴り散らしてしまった。
う~~ん❢❢?!
今日は私はJ-comのお相手で、結局、1日中、休日なのかお仕事日なのか??分からない1日を過ごしてしまいました。
折角、超珍しく池袋まで出掛けたのだから、帰りは椎名町で下車して合宿の打ち上げと、冬休みの打ち上げを兼ねて、新しく出来た超高い・・焼肉屋に偵察に行く事にしました。
確かに、小さなお店なのだけど、内装は奇麗だし、お肉も熟成肉という事は良く分かったのだけど、なにかが足りないのよね~ぇ?
お店の大きさは江古田の方が大きいし、綺麗さは椎名町の方がとても奇麗なお店だけど、・・江古田の焼肉屋と比べてもほんの少しだけ値段が割高なだけで、さして値段も味も変わらないのだけど、満足感は江古田のお店の方があるよな?
勿論、お店の名前や写真等は営業妨害になるので、掲載はしません。




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12月29日仕事のできない人の仕事は『先ずは仕事が汚い。』 ·
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12月の29日の日曜日のお昼の1時半になろうとしている所です。
朝から昨日のJ-comの設定の後片付けと、無線Lanの設定の準備に追われているのだけど、昨日の設定の業者の問題点が、色々と見つかりました。
『先ずは仕事が汚い。』
仕事が出来ない人の作業は、仕事が汚い・・という私のmethodeがあります。
訪問作業をした人が、Jcomの会社から持って来た『Wi-FiのRouter』をResetしたら、戻らなくなってしまったButtonを、私からピンセットや爪楊枝を借りて作業をしたのは、まあ、良い・・としても、それらが彼が作業をしていた・・と思われる足元に巻き散らかされていたり、ACの置き場所も非常に使い難い位置になっていて、コードの長さの調整が全くなっていなかったし、J-comが貸与しているRouterも、netのcableのin‐outの端子が一つしかなかったので、どっちみち、無線Lanがset出来なかったはずなのですよ。
無線ルーターや機器をコンセントに取り付けるのは良いのだけど、通常、家庭にはコンセントの口は2個しか無いはずなのに、「テーブルタッパーはありますか??」と来た❢❢
普通の家には、予備のテーブルタッパーは置いていないと思うよ??
私の場合には、予備としては、2個口と4個口のテーブルタッパーがあったのだけど、その4個口のタッパーが全部塞がってしまったのだよ?
つまり、私が『予め無線LanのRouterを買っていた』としても、或いは、『J-comから持って来たRouterで作業をた』としても、無線Lan・・onlyになってしまって、有線のLanは死んでしまって、結局は、パソコンのprinter等の周辺機器が全く使えなくなってしまうのですよ。
ハイツには、Lan-cableの分配器は、どんな状態になっても対応出来るように・・・これがちゃんとあるんだよな~ぁ??
無駄だと言われても、断固あるのだよ❢❢
それに電話もin‐outが一つしかありません。
「俺は電話は通常はしないので、Faxしかしないよ❢❢」と言っているのに、それに対しての対応も、・・・多分伝達もなかったのだろうな?!?
勿論、電話のcableの分配器も、俺は持っているのだけれど、普通一般人で電話の分配器まで持っている人はいないと思うよ❢❢
仕事として、やるのならば、そういったものは絶対に無い・・という想定で、それぐらいの準備はやるのが業者だろうが???
全く、超、いい加減な仕事だよ❢❢
勿論、業者の人、一人だけのせいではなく、J-comの会社ぐるみでのずさんな仕事だよ❢❢
結局の所、28日の仕事納めの日は、1時前から8時前までの7時間頑張ったのは良いのだけど、結局、私のトーク履歴をぶっ飛ばしただけで終わってしまって、このクソ忙しい時期に、私と斉藤先生の時間を無駄にさせた挙げ句に、・・・自分達の不手際を棚に置いて、「予約が混んでいるので、1月の中旬以降の訪問の予約になります。」だってよ❢❢
auのお引越しのtimelimitの予約は3日が期限なのだけど、それを越すと、また解約の予約の設定からのやり直しになるのだそうだよ。
operatorが言う事には、「『解約には2週間しか期限が無い❢』から、解約のし直しをしてから改めて予約を取ってください。」だってさ❢❢
超、腹が立って、とうとう、ブチ切れてしまったよな??
operatorに怒鳴り捲くっても仕方がないのだけど、「J-comにはclaim処理の係はないのか?!?」と聞いたのだけど、それすら無いらしい❢❢❢
「あなたに怒鳴っても、operatorでは設定の技術も、予約を決める権限も無いのだろうから、どうしようもないよね~ぇ❢❢」
「私が怒り捲くっているのも、あなたには理解出来ないよね~ぇ❢❢」と言って、1月中旬の訪問設定のやり直しの予約も取らないで、電話を切ってしまいました。
それが教室の先生だったら、超、俺に、怒鳴り捲られている所だよ❢❢
だって、私の本当の作業は、教室や自宅のパソコンのwindows10へのお引越し作業を、それこそ、3日掛かり、一週間掛かりでやらなければならないのですよ❢❢
1月の14日はwindows7のtimelimitなのだよ❢❢
それまでに、俺は何台のパソコンをwindows7からwindows10にお引越しの作業をしなければならないのだよ。
誰も、パソコンの仕事を手伝ってはくれないし、手伝えるとしても、4日までだろう???
本当ならば、少しは自分達で環境設定をやって欲しいのだけど、パソコンの作業を覚えてくれないのだから、俺がやらないと出来る分けは無いよな~ぁ?


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12月30日『お正月は無くなった❢という話』 ·
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今日は、な、な、な、なんと!もう12月の30日の月曜日で、今は既にお昼の1時過ぎになった所です。
『お正月は無くなった❢という話』
正月までには、部屋の掃除機掛けをしよう・・と思っていたのだけど、なにせ足腰が痛いので、未だ掃除機掛けが・・・というか、携帯のお引越しのauの期限が1月の3日までで、その日を過ぎるとまた、解約の申し込みからしなければなりません。
『自分でスマホのお引越しをする羽目になった経緯』
J-comが訪問設定にやって来たのは、28日の仕事納めの日だったので、そこで何も出来ないとなると、その続きは、J-comーsideでは、年内は仕事納めで予定が取れないし、年明けも第一週、二週は、予約でいっぱいなのだそうで、次にJ-comの訪問設定が出来るのは、「1月の中旬の第三週まで待たなければならない❢」とoperatorの人が言ったので、「そちらのミスなのに、なんで、ひと月も待たなければならないのか?? なんのrisk管理もないのか?」と、超、頭に来て怒鳴って電話を切ってしまいました。
・・という事なので、来年の訪問設定のやり直しの予約は取っていないので、今更、頼んで、またぞろ、dataを壊されては始末に負えないので、私が自分で設定をする覚悟を決めました。その方が、dataを吹っ飛ばすriskが少ないからです。
『携帯のお引越しの話』
私の携帯のお引越しでは、『lineのトーク履歴はお引越し出来ない❢」と、J-comの業者が思い込んでいて、トーク履歴を全部、綺麗サッパリぶっ飛ばしてしまったので、lineが真っさらの状態です。
パソコンのlineは同期していないので、トーク履歴は残っているのだけど、どうやってスマホに戻すのかが分かりません。
それに電話の住所録も「Googleのserverにupした❢」と業者は言っているのだけど、Googleのserverには入っていなかったので、住所録のback・upが出来ません。確認作業すら出来ないのですから、携帯やパソコンの事が全く分からない、ずぶの素人なのですよ。
携帯のお引越しなんて、endlessの作業なので、『何処までやったら、スマホのお引越しが終わったと言えるのか?』を、予め決めた状態で作業に入らないと、大変な事になってしまいます。
アプリをinstallして、mail-addressとpassを入力するだけの作業は、私でなくてもそれぐらいの事は各先生達にして貰わないと、私の作業がendlessになってしまい、timelimitの一月3日までには、お引越しが終わらなくなってしまいます。
スマホの設定の作業を、私がするのか、それとも先生達が一人ひとりで作業になるのかを、予め決めて作業をしなければ、私一人で、スマホをいつまでも元に戻す作業をしなければならないので、それは私の本意ではありませんからね??
私がやるべき作業は「何処までをやれば良いのか??」・・という事は、参考になるのは業者が設定してくれるはず❢❢の作業です。
その作業の第一は、業者が「出来ない❢」と、勘違いをしていてトーク履歴を全部ぶっ飛ばしてしまった、lineのaddressやトーク履歴をGoogleのserverに保存してback・upする事です。
お喋りを書くのに、古い携帯や新しい携帯では・・紛らわしくて面倒なので、古い携帯は携帯で、新しい携帯をスマホと言う事にしましょう。
携帯のGoogle-accountをスマホに移す事なのですが、先生達の携帯のGoogleのmail-addressやpassを、何処にも控えていないので、そこを設定する所(passwordの復元)からの作業になってしまいました。
それをpassword一覧に書き込んで、それだけで1日が終わってしまいました。
(私の場合には、passとserialのmemo帳というのを作ってパソコンに保存しているので、それを見ればその場で開くのですがね・・・??!)
業者がやる作業の二番目は、動画や写真のdataをスマホに移す事なのですが、携帯の写真を全て戻すのは、günstig(効率的??)ではありません。
私の場合には、パソコンに写真のdataのback・upをしているので、lineには戻さない事にしました。
スマホで必要な写真やアニメ等だけを取り込めば良いし、その方が効率的ですからね??
携帯のお引越し作業の第一番目は、先ずはスマホに私の携帯の電話番号の登録をする事ですが、それは、スマホが届いた時点でJ-com-sideで既に終わっているので、次の作業は、dataをGoogleのserverにupするために、Wi-Fiの設定をしなければなりません。
何故かは、知らないけれど、Googleのserverにback・upをしたり、back・upしたdataをスマホに戻すには、有線Lanでは超、遅いし、課金も掛かるので、Wi-Fiでするように・・との、お達しなのですよ。
・・なんで??
『何故、ハイツや事務所もWi-FiのRouterが必要なの??』
Routerに外付けのWi-Fiを取り付けて、スマホやパソコンにWi-Fiをinstallする意味なのですが、椎名町の教室にいる時には、有線Lanでは無くって、Wi-Fiの無線Lanで作業をすると、送受信している間の料金が掛からないので、Wi-Fiの出来る環境にいる時には(ハイツや椎名町教室)Wi-Fiで通信をすれば、課金はかかりません。
外や、その他の教室では、出来ればスマホのditheringで、web-lessonをすると、6千円以上の節約になります。
それは、斉藤先生と牧野先生のWi-Fiの契約をやめるとWiMax2台分金額が、無くなります。
もっとも、スマホの契約を3Ḡから10Ḡに上げるので、10Ḡ分の1000円が高くなるのですが、それでも結構な節約にはなります。
スマホは、J-comの契約では、3Ḡと10Ḡの契約があって、スマホのbluetoothやWi-Fiを使用してパソコンをPairing(dithering)した時に、web-lesson等のlesson時間で、パソコンがどの程度使用出来るのか??・・は・・これは、やってみないと分かりません。
勿論、J-comの人にも契約の3Ḡと10Ḡではどの程度違うのか、尋ねたのですが、「それは分からない❢❢」・・という事でした。・・やる気があるのかね??
私と牧野先生が10Ḡの契約をして、それで牧野先生のskypeのlessonやnetでの作業がplan内に収まるのならば、斉藤先生のWiMaxを解約すると良いと思いますが、もし、10Ḡのplanで使用量がoverするようならば、斉藤先生のスマホの契約も10Ḡに変えて、WiMaxを、web-lesson専用にすれば良いのです。
牧野先生のnotePCは、2,3ヶ月も前に、hard diskが壊れて使えなくなっていたので、hard diskを新品に交換したついでに、windows7から10に変更したのですが、その結果、notePC内蔵のWi-Fiが使えなくなってしまいました。
内蔵のWiMaxがwindows10には対応していなくて、WiMaxの買い替えと、Officeもwindows10には対応出来ないので、Officeやhomepagebuilder等のsoftも、新しく書い直しになってしまいます。
だから牧野先生には、使えないままに払い込んでいるWiMaxの解約をするように・・と、言っているのだけど、netのpasswordを忘れたらしいので、解約がnet上では出来ないので、電話をしなければならないのだけど、その電話が何時も混んでいて、繋がりません❢❢
という事で、何ヶ月もタダで払い込んでいるのですよ。
ああ、勿体ない❢❢お金を溝に捨てているようなものですよね??
『まとめて・・』
古いauの契約では、月の払いが携帯3台分で、1万7,8千円ぐらいだったのですが、3台を1万円で済む、今回のJ-comのお話は、最初はjust-timingで、私達に取っては、『渡りに舟』だったのですがね~ぇ???
いずれにしても、こういった煩雑な作業を強いられている時には、手順が大切なのですが、その手順が分からないのですよ❢❢
私がする予定の作業ではなくって、業者がやってくれるはずの作業だったので、初めての経験なのでネ????
お久し振りに私の携帯を弄って見たら、・・・業者の人が最初にやった電話帳のback・upが出来ていなくて、元の携帯の電話帳がぶっ飛んで無くなっていました。
それどころか、スマホに移って来た住所は、一人だけで、後は私自身のmail-addressが一つだけが残っていて、後は全員分が、ぶっ飛んでいたのですよ。
もう、怒り心頭に発して、「J-comの業者のバカ❢❢」・・とでも叫びたい所ですが、もう後の祭りです。
超Shockです❢❢❢❢❢
だって、100人以上のaddressや住所が全く無くなったのだからね??それを復活させる事は技術的に不可能です。
『私の仕事としては・・』
・・それに1月の14日にはwindows7も使えなくなるという事は、Officeも書い直さなければならないので普段使いのoutlookの住所録も見れなくなる・・という事だよな~ぁ?
Googleを経由したら、「lineのmail-addressのお引越し」しか出来なかったのだよな~ぁ?
なんで、パソコンからスマホへの同期が出来ないのだよ??
でも住所録は電話の住所録なので、パソコンには電話が入っていないので、住所録が入る分けはないのだよな?!?
『怒り心頭に発する』
・・前に、そういう事もあろうかと、業者が来る前に、携帯のmicro-SDcardに住所録を保存していたのよね~ぇ??
(すっかり、忘れていた❢❢ 危ない❢ 危ない❢❢)
・・という事で、住所録を携帯本体に戻したのだけど、まあ、そのmicro-SDcardを、直接、スマホに挿してスマホ本体に取り込んで一件落着です。Googleのserverなんて、全く必要なかったじゃん❢❢
・・アホらし❢❢
それぐらいの事も業者が出来ないのかよ?
なら、訪問設定なんか、くんなよナ❢❢
どっちみち、自分でやらなければならないのならば、1日、7時間も付き合って、1日を無駄にする事もなかったのだからな??
アプリは斉藤先生や牧野先生にmail-addressとpasswordだけを確認して貰って、自分達でinstallして貰えれば、3日までには間に合うよな?!?
あたしゃ、windows7からwindows10への、パソコンのお引越しの方が大変なのだからね??
dataをhard diskにback・upするだけでも1日作業なのだからね??
所で、windows7って、何台あるんだよ??
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12月31日世間一般では大晦日です。 ·
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な、な、な、なんと! 今日は12月の31日火曜日で、世間一般では大晦日です。
なんと!・・1年の終わるのが早い事か??(暫し絶句です❢❢)
今日は頑張って、お昼の3時過ぎ頃から椎名町に移動して、一日掛かりで、先生達の携帯から、スマホへの『お引越し』の作業をしました。
限よく12月31日までに携帯からスマホへのお引越しを終わらせて、除夜の鐘を聴きたい・・という思いからです。
勿論、お昼の3時過ぎまで、寝ていた分けではありません。
生徒の一人がChristmas-presentで、notePCとfinale-Liteを買って貰って、設定が出来たので、・・という事で和声に挑戦をして入力をして送って来ました。
説明をnotePCに入力するのも超面倒くさいので、ついでにskypeを開くようにして、skypeでweb-lessonが出来るようにしました。
それと、それは別口なのですが、父兄からの相談に対応するとか・・・で、結局、お昼の3時頃まで、時間が過ぎてしまったのですよ????
つまり、大晦日は、超忙しかったのです。
・・師走というくらいなのだからね?
先生達の携帯のdataのback・upや復元も、(私がちゃんと作業をしたので❢❢)lineのトーク履歴もaddress帳も写真も・・(J-comの作業員が「出来ない!」と言っていた)・・『dataのback・upと復元の作業』が、全部、問題も・・滞りもなく、無事『お引越し』が出来ました。
それから、これはJcomの訪問作業の予定の中には入っていない作業なのですが、ついでにスマホとパソコンとのPairing(dithering)をさせて、どこの場所からでもパソコンのnetが❢❢・・繋がるようにしました。
つまり、Wi-Fiと携帯のbluetoothの両方からパソコンのnetへ繋がるようにditheringをしました。
だから、今回の『携帯からスマホへの「お引越し」の作業』・・では、つまり、私の携帯のlineのトーク履歴だけが、業者の、「「お引越し」作業のミスで、・・・・lineのトーク履歴も電話帳の住所録のdataも、その他の画像dataも全部、ぶっ飛んでしまったのですが、そこの所の作業を、全部、私が作業をする時には、『人のフリ見て我が振りなおせ❢❢』の諺通りに、手順をしっかり作って、ミスをしないように、順番の手順を作って作業をする事によって、全部、パーフェクトに『お引越し』が出来ました。
アハッ、俺って、携帯の設定でも、金取れるんじゃあないの?? アハッ・・・・❢❢❢
しかし、Jcomの仕事ぶりには、今、思い出しても、超、腹立つな~ぁ??
しかし、20日に来たJcomの人も、「パソコンのトーク履歴は残らない❢」・・と言っていたので、「パソコンのトーク履歴」は、ちゃんとtext形式のdataとして保存しているので、完全に、亡くした分けではないのですよ❢❢
私は、そんなヘマはしないのだよ❢❢
dataはきちんと、残っているのだけど、line上のトーク履歴には、もう見る事は出来ません。
今日は5時に椎名町に移動してからは、・・・先生達にとって絶対に必要な『yahooのcalendar』(先生達が予定を共有出来るからです。)や『yahoo-mail』(このmailも教室の先生達が全員自分のスマホやパソコンで見る事が出来ます。)や、その他、Facebook、Instagram等々のアイコンを入力・・設定等々を夕方の5時ぐらいから夜の9時まで掛かって設定しました。
12時を過ぎたら、auの1月分の料金が課金されるので、12時までに契約を終わらせたかったのですが、急遽、3日までの解約の猶予があるので、目一杯、猶予期間を使って、「なにか・・落としがないか???」のcheckをする事にしました。
それから、夜の9時からは、テレビを見ながら食事をして・・、「10時過ぎにドルプリっ歩に行って、12時直前に年越しそばでも食べよう」と思っていたのですが、テレビを見ながら食事をしていて、・・ふと気がついたら、11時を過ぎていたので、ドルちゃんには可哀想なのですが、椎名町の事務所の周りをひと周りして、プリと一緒にサッサと帰って来たのですが、なんと・・・ドルは、私達が帰ってしまうのを全く無視して、何処かに行っちゃったよ❢❢
12時直前に椎名町に戻って、ジルベスター・コンサートを3分間だけ見て、ゆっくりとお茶を飲んでから、超寒い3℃の大風が吹く中を、大急ぎでバイクで風に吹き飛ばされそうになりながら、ハイツに戻って来ました。
部屋が超寒くて、ガスストーブでは部屋の温度が全く上がらなかったので、ついに諦めて、ガスストーブplusで、エアコンの暖房をつけて、部屋中の空気を回して暖を取りました。アハッ!



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