Facebook Ⅶ

                               2021年1月1日より12月31日まで
 

  2,021年5月9日芦塚音楽研究所千葉音楽教室春の発表会での演奏風景です。
Luigi BoccheriniのCelloConcertoですが、一般的に演奏される有名なGrützmacher版ではなく、Boccheriniのoriginalのperiod版になります。
写真をclickするとYou Tubeへ飛びます。     

    


FacebookⅠへ 2014年9月4日より、2015年12月31日まで

FacebookⅡへ 2016年1月1日より、2016年12月31日まで

FacebookⅢへ 2017年1月1日より、2017年12月31日まで


FacebookⅣへ 2018年1月1日より、2018年12月31日まで


FacebookⅤへ 2019年1月1日より、2019年12月31日まで

FacebookⅥへ 2020年1月1日より、2020年12月31日まで

FacebookⅧへ  2022年1月1日より、2022年12月31日まで   

FacebookⅨへ 2023年1月1日より、2023年12月31日まで

FacebookⅩへ 2024年1月1日より、2024年12月31日まで





       下のボタンをclickすると、それぞれの月のindexへ進みます。

1月  2月  3月   4月   5月   6月  


7月  8月  9月   10月   11月   12月

Dittersdorf KontrabassConcerto  ⅡⅢ楽章 川島綾乃16歳 写真をclickするとYou Tubeへ飛びます。




1月      

1月1日明けましておめでとうございます

1月1日『即興演奏とSequenzと速記法』

1月2日baroqueの即興演奏

1月5日仕事始め
1月5日Facebookをhomepageに移行させる意味について

1月6日ハイツの断水とgasfanheater

1月8日夢見が悪くて

1月8日非公開のmemo
教室に対しての考え方

1月9日緊急事態宣言と下水の高圧洗浄·

1月10日非常食での林ライス 4:25 ·

1月10日今日は-4°だそうです。

1月11日糖質cutの電気釜が

1月13日歯医者とFacebookのお引越し

1月13日『日本人の音楽家の持つ誤った奏法』

1月14日『取説の理解は取り敢えずやって見る事から』

1月15日『古いパソコンの話しといつものFacebookの悪口』

1月15日『腸風邪になった!』

1月16日『Facebookのお引っ越しの作業』が終わった!

1月17日『芦塚先生のお部屋のHome Pageの改訂』

1月18日『入れ子の表と腸風邪』

1月19日体温が上がらない

1月21日熱が・・・

1月21日超、嫌な夢を見た❢

1月23日You Tubeのtrimmingのtrouble

1月24日homepageの修復作業

1月24日東京でも雪が降る予定なのですが

1月24日2018年から2020年までは、激動の2年間でした。

1月26日『自営業』と『自由業』

1月27日『とうとう諦めてアンカを出した❢』

1月28日雪だ!雪だ!!

1月30日1月ももう終わりです。

1月31日鼻の手入れをしたのに息が・・

1月31日『windows10の余計なお世話のphoto』


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2月

2月2日昨日の2月1日は体調不良で・・

2月2日 You Tubeのお引越し作業で、1日の限界点が

2月3日120年ぶりの2月3日の立春だそうです

2月4日未だ2月3日のお話の続きなのですが

2月6日今日は、なんと2月の8日になってしまいました。

2月9日『楽譜のお話』

2月11日『夢のまた夢のお話』

2月12日テレビでは、森元総理が女性蔑視の発言をした

2月14日今日は2月の15日の月曜日の朝の4時半なのですが・・・

2月16日『tuningの話し』

2月16日rear-cameraが外れた。

2月17日『左足が引き攣った!』

2月19日『今日は寝た切りの1日であった。』

2月20日今日は16°も気温が上昇する予定です。

2月21日skypeのlessonが始まらない

2月22日今日は猫の日、ニャンニャンday

2月23日ハイツに戻って来れたのは深夜の1時過ぎでした。

2月23日ぬいぐるみです。

2月24日頭の回転がstopしている

2月26日cover写真を変更しました。

2月26日テレビが壊れた

2月27日虎落笛のように

2月27日Facebookに書いていた文章がぶっ飛んで・・・

2月28日今日は満月だ



3月


3月1日動画の保存が出来ない

3月1日「這えば立て!立てば歩めの親心」

3月2日温度差がこの所

3月2日Sarasateが演奏しているSpanishdanceを

3月3日『ポロミスについて』

3月3日声明とtone-cluster

3月5日Je crois entende -Alfredo Kraus  真珠採り

3月6日テレビの交換の話

3月6日bierのRosarysonateのCembalo-partをOrgan用に書き直した。

3月7日草案スキのない音楽

3月8日教室のゴミ

3月9日終の棲家

3月9日教室を開いた花園教室が・・・

3月10日homepageの復活作業

3月10日Facebookの繰り返されるうざい宣伝

3月12日ニャンコ号出動

3月13日ニャンコ号の千葉への移動です。

3月13日パソコンのaccount

3月13日15年も前のRosary Sonateの演奏

3月14日privacy設定がが自分のみになっているのに、公開されたままだ

3月15日発狂しそうな欝

3月16日 1日飛んだ

3月18日悪夢を見た

3月19日銀座の画廊「art‐space羅針盤」

3月20日テレビ電話とbiberの楽譜の作成

3月22日昨日はbaroque-Koncertの日でした。

3月22日detoxのお粥diet食

3月22日baroque-Koncertの楽器の展示

3月23日『那須与一のお話と絶対音感のお話』

3月24日夢のまた夢

3月25日展示された楽器の写真

3月25日studio録音の話し

3月27日Cyberlinkの音飛びの原因が分かった

3月29日今夜は満月??

3月30日br biberのRosarysonate

3月31日年度末です



4月

4月1日新年度です。

4月3日『Tartiniのgrandsonateについて』

4月4日時間が逆行して

4月4日videoの編集

4月6日日にちが飛んで

4月6日『録音録画の時のstandにMicやvideo-cameraを取り付けるネジのお話し』

4月7日変な夢を見た

4月8日『フアンのお話』

4月10日『徒然無い=とぜんない』 ·

4月11日web=rehearsal

4月12日入力した文章がぶっ飛んだ

4月13日「鼻詰り」とBoccheriniのCello・concerto

4月14日突然の欝になって

4月15日ロックでパンクな夢を見て

4月15日鉛筆立てを作った❢

4月16日 ダラダラと時間を使っても、まだ

4月16日体重が・・

4月17日『David版のLeclairのviolinSonate Op.ⅤのNr.12のinterpretationのお話』

4月18日4月の16日から17日に掛けてのpech!

4月19日『corelliのla foliaのthemaの冒頭の演奏』

4月20日入眠障害の話

4月20日今日は良い天気だ!

4月21日You Tubeのvideo-studioを使ってtrimmingをしたのだが・・・

4月23日『続け樣に嫌な夢を見た!』

4月24日体調不良で

4月24日TabletのFacebookが同期出来ない!

4月25日摂眠不良

4月26日『気温の差と布団との格闘!!』

4月27日『今日は4月の26日の月曜日の深夜での布団騒動の続きです。』

4月27日この所一番の体調不良

4月30日工事中で休めない


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5月


5月1日今日の夢

5月2日緊急事態宣言下のゴールデンウイーク

5月3日お久し振りに寝落ちした

5月3日dietのためにブルブルマシンを探していたら、Bachの無伴奏の

5月4日ハイツにゴキの子供のような

5月4日「鼻詰り」が酷くて

5月5日今夜も鼻水で眠れない

5月7日lessonのvideoのお話

5月10日手順書:取説

5月10日 『発表会こもごも』

5月10日トトロのマグがまた割れた!!

5月13日コロナワクチンの接種券

5月15日『芦塚先生はコンクールを否定していて、生徒達をコンクールに出さない』・・という噂話しについてのお話

5月15日『アフレコとアテレコ』

5月17日ワクチン接種の許可が出た

5月19日再手術が決定した

5月21日[violaとcelloのduo]

5月22日『前の文章から』

5月22日教育は私の天職ではない

5月22日柿渋の可愛いリュックが

5月23日黒のショルダーのポシェット

5月24日天候不順で体が ·

5月25日入院前の薬のtrouble

5月26日薬のtrouble

5月28日クチナシの季節

5月28日『Finaleの愚痴です❢ 派生音一覧』

5月28日 練馬区は東京ではないのかな??

5月29日手持ちの写真が失くなった

5月30日オケ練習が休みになったので、

5月31日気が付いたら足の爪が割れていて

5月31日私自身の格言では「人は求めれば夢は叶う」というのが、私の主義主張でもある。

5月31日今日は手術日とdouble-bookingしたので、変更をして貰った糖尿病外来の日です。

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6月


6月1日今日から6月1日です。

6月1日『有意義な無駄と無意味な無駄』

6月3日violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』

6月3日「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』

6月4日コンビニ・クーラー

6月5日『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』

6月6日『今回の発表会への選曲について』

6月10日無事生還を果たしました。

6月13日今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。

6月13日『人と芸術の関わり』

6月14日『大雨のお話』

6月15日昨晩も寝はぐれてしまいました。

6月17日テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね??

6月17日『マイ・隠れ家』

6月18日violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲

6月18日私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、

6月19日『芦塚methodeでのオケ室内楽の練習に関してお話』

6月21日眠れない❢

6月21日足の爪が

6月22日今日はこれから川崎に術後検査に行きます。

6月23日すっかりバテてしまって、

6月24日『今日は6月24日の木曜日です。』

6月25日You Tubeを3つに分けて

6月26日original楽譜の校訂について

6月27日ペットボトルを左足の指の上に落とした

6月28日学校で学ぶ事

6月29日台風性の前線の色



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7月

7月1日『またまたパソコンが突然・・!!』

7月3日『あいも変わらないFacebookの不具合!』

7月4日「なんで寝起きたばかりなのに、欝っているのかな??」

7月4日『proを目指すのは簡単だ・・という意味』

7月5日『やっぱり、Officeが修理出来ていなかった!!』

7月5日『おお、無慈悲なる時の女神よ!!』

7月7日『大変嬉しいご報告です。』

7月7日『余計なお世話のOneDrive』

7月8日Paderewskiの演奏

7月10日『scorereading』

7月10日やっとけないよな~あ??

7月11日『お久しぶりの対面lessonと楽譜のお話』

7月12日体調不良です。

7月13日最大の無駄は「物を探す」という事である。

7月13日『美音ちゃんのTartiniの悪魔のtrillのbaroque-violin-versionのlessonの続きのPageです。』

7月14日『音楽への意識と職業としての音楽』

7月15日日にちが飛んだ❢

7月16日『引き籠もりの勧め』

7月19日『パソコンのiconがまたまたぶっ飛んで・・』

7月20日『フリの社会の日本』

7月20日『連日の練馬区の35°の猛暑日』

7月20日『David版のLa Foliaの譜面作成』

7月21日『veranda用の椅子と摂眠不良の話』

7月22日『Home Pageの修復作業のお話し』

7月25日腹が立って、眠れない❢

7月25日イライラの対応策は

7月25日借金をする人

7月26日芦塚先生のお部屋の復活作業

7月27日『ウダウダtimeに対しての自己弁解』

7月27日明日は土曜だ・・・

7月28日『自由業』

7月30日二日掛かりでVivaldiの


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8月

8月1日光陰矢の如し•••とは言ったものだが

8月3日今日は8月3日の火曜日なのだけど

8月3日『CASIOのpriviaが壊れた!』

8月3日昨日は、lessonや練習の合間に、lesson室の楽譜棚を制作しましたが、

8月3日バナナ・ジュースのレシピ

8月4日『お蕎麦の話し』

8月4日今日の8月4日は危険な気温という事だそうです。

8月5日『今日からブルブル・マシーンを使えるようにした。』

8月6日既に練馬区の気温は34°で、体感温度は37°だそうです。

8月9日『夏合宿のお話とその後・・・』

8月9日『音声入力』

8月9日毎日あれだけ大騒ぎしていたコロナのnewsが

8月9日『音声入力』その2

8月9日『ハイツのpriviaが・・』

8月10日ドッと疲れが押し寄せてきて

8月11日ブルブル マシンの椅子が壊れた❢

8月13日『finaleの上書きの問題』

8月14日オムロンの血圧計が壊れた❢

8月11日ブルブル マシンの椅子が壊れた❢

8月14日思考と意識が停止した

8月15日兎に角、寒い!!

8月15日La Cetra Concerto Op.9 Nr.1 C Dur(F.Ⅰ.n.47) ⅡⅢ楽章

8月16日水が冷たい!

8月17日Keyboardが突然・・

8月18日電気ケトル

8月20日今日は満月・・ではありません

8月21日リコーダーのお話

8月21日VitaliのChaconneのお話

8月23日なんと、椅子の上で爆睡してしまった❢

8月23日『VitaliのChaconneのお話の続き』

8月24日お久し振りで爆睡出来た❢

8月25日「まえぶり」

8月26日超、大汗をかいて目が覚めてしまった。

8月26日「暑さ、寒さの・・」彼岸はいつ来るのだ??

8月27日Chaconneの編集です。

8月28日『調律のお話』

8月28日季節の終わり

8月29日鼻詰りで目が覚めて

8月30日『別の楽器を学ぶ事のお話』

8月30日『La CetraのⅡ楽章のornament(装飾音)の演奏法についての考察』

8月30日「21年8月29日日曜日のTeleworkのオケ練習」

8月30日暑くて寒い

8月31日8月最後の日です。 ·

8月31日『パソコン音源に寄るHennry purcellのChaconne g triosonate』

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9月

9月1日夢の中の夢

9月2日クーラーを入れたらなんと暖房になってしまった

9月3日夜間頻尿と鼻詰まりと汗もと超、寒いので目が覚めた

9月4日夢のまた夢

9月4日Jcomの調子が悪くて、web-lessonが

9月4日今度はFacebookが開きません

9月7日鬱がひどくなったので

9月7日netが繋がらなくなっていたので、

9月9日携帯をverandaに持って行って

9月10日モデムの点滅が止まらないので

9月11日Googleのcalendarのマイナーチェンジ

9月13日悪魔のtrillのperiodversionを

9月13日monitorテレビがblackoutした

9月14日いや~あ、今日は術後第1回目の膀胱鏡検査だ。

9月15日powerdirecter

9月16日uploadの時間が膨大で

9月17日5年振りに寝室に新しいカーテンがついた

9月18日突然、欝が収まった。

9月19日printerのお話

9月20日体力の限界で

9月20日詐欺のmail

9月21日シンクのゴキの防止に

9月21日文章が確実に投稿のボタンを押したハズなのに

9月22日「今日は中秋の名月で満月だ!」とテレビでは大騒ぎをしているのだが、

9月22日彼岸花

9月23日の木曜日の午前2時を回った所で、携帯の通知音で目が覚めた。

9月24日web-lesson

9月25日何度もFacebookにuploadしても

9月26日未だ9月なのに暖房を入れたのだ

9月27日危うく予定をすっぽかす所だった

9月28日時間は二度と戻っては来ない❢

9月29日整理整頓のpointは簡単に探し出せる事である。

9月29日体調が悪くなると、新鮮な海鮮でも気分が悪くなる事がある

9月30日体調不良なのだが、検査dataが

9月30日鬱というよりも体調不良なのですが



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10月

10月4日日本の音楽教育では

10月5日空気が爽やかで

10月6日『芦塚音楽研究所の歩み』

10月9日明日は発表会だ ·

10月11日発表会のvideoの編集作業

10月13日発表会後から突然肥り始めた

10月14日の朝の5時を回った所なのですが、まあ、なんと寒い事??

10月14日VHSのrewinder(リワインダー)です

10月15日椎名町の事務所からvideoをリュックで

10月16日放しで寝込んでしまったので、起き出して

10月18日残暑から突然真冬になってしまった

10月19日夏の布団から毛布に

10月20日自分の人生が無駄に思える一日

10月22日冷蔵庫がこの2,3日空っぽのままで

10月24日鼻詰り予防にパブロンのカプセルを

10月25日疲れが取れなくって

10月25日常設曲の通し練習

10月25日友達の友達は赤の他人

10月26日天候不順

10月28日変な夢

10月31日はHalloween・Concertoの日でした。


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11月

11月1日You Tubeに昔の発表会の動画が

11月2日1日から2日に掛けて書いた文章が

11月2日記憶の中の時間軸を調整しています。

11月3日『ダメ出しmarkについてのお話』

11月4日『あの人に 伝えておくれ 今夜も私は眠れない・・と・・』
【初音ミク】 マーラー: 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス

11月6日こもごも

11月7日『パソコンのmonitorがとうとう壊れた!』

11月8日体調不良や鬱やパソコンも壊れたので

11月8日ハイツにmonitorテレビが着くのを待っていたのだが

11月8日『芦塚methodeの基本は「時短」である。』

11月9日タイタニック号でのお話しです。

11月9日タイタニック号のお話しの続きです。

11月10日『believe、trust、Delusion』

11月10日世の中にはYou Tuberという不思議な職業があって、

11月10日今日は歯医者だ

11月11日今日はone・one-dayです。

11月12日powerdirecter18のtrouble

11月13日パソコンの作業が飽きてしまったので

11月13日『音楽のproを目指す人達の妄想』

11月14日『通奏低音の初lessonのお話』

11月14日 部屋の汚れは、体調不良の原因である。

11月15日『100年に一度の天才』

11月16日普段使いのマグにジャムの瓶を落として

11月16日『音楽を学ぶ人達の究極の目標:音楽への目的』

11月16日石橋メモリアルホールを売却するという

11月17日コロナワクチンの予防接種

11月19日おう、月蝕だ❢

11月19日4kのmonitorテレビをパソコンに接続した途端に

11月20日『こむら返りのお話』

11月21日videoの取り込みとman-to-manのlesson

11月23日dietは明日から

11月24日VivaldiのRecorder(flute)Concerto、Op.10Nr.5inFのⅡⅢ楽章をChristmas会で演奏する予定なのだが、

11月24日全面改訂

11月25日日本のClassic界の音楽はentertainmentである

11月25日4k画面では文字が読めない

11月26日鬱が超酷くて

11月26日明日は一日車検です。

11月27日電子Pianoのバザールに出掛けた

11月27日超、疲れているのに、眠れないのです。

11月29日『11月29日の月曜日のお話しです。』

11月30日明日からは12月です。



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12月


12月1日『orchestra、室内楽のcurriculumと運営についてのお話し』



12月2日こむら返りが

12月4日お久し振りに、昔のvideoのcheckを始めました。

12月5日『「ブレない」と「不動心」の違いについて』

12月7日まあ、どうでも良いか??

12月7日徒然無い夢をみた

12月7日寝すぎた❢

12月8日尾骨が痛い❢❢

12月9日惰眠から不眠へ

12月10日不定愁訴

12月11日 You Tubeでいろいろな演奏を聴いてみたのだが

12月12日finaleでlayoutをして、print outしようと思ったら

12月12日Facebookのお薦めのgroupが

12月12日超、寒い❢

12月13日 『Roland⇒転倒⇒ひびきホール⇒Roland』

12月17日layoutがまたまた元に戻った ❢

12月18日人生とは列車の旅のようなものだ。

12月18日不動心とブレない

12月19日今日は腰痛が更に酷くなって、

12月19日腰痛、3日目なのだけど、



12月20日Cyberlinkの音声の同期が全く出来ないままです。

12月21日チョッとでも動くと微熱が・・

12月22日腰痛5日めとパソコンのrecovery

12月24日布団に入ると鼻水が

12月25日 今日は25日のChristmasですよね?

12月27日冷え〜っ??

12月28日被害甚大な子供の悪戯

12月29日パソコンの再installと燃え尽き症候群

12月30日『超、寒い❢』

12月31日 の大晦日の木曜日の朝の5時半を過ぎた所です。



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  Vivaldi BlockflöteConcerto Op 10 Nr 5 F Dur Ⅰ楽章 内川楓(小6)
  芦塚音楽千葉教室2021年10月10日

  

     

会場のannounceで「教室としてはRecorder・Concertoの演奏は初めて」と言っていたのですが、誤解の無いように付け加えておくと、Vivaldiのrecorder-Concertoは同時に、flute-Concertoでもあります。You Tubeでもrecorderで演奏している場合とfluteで演奏している場合があります。

私は、留学から帰国して、cantataやbaroque-orchestraで色々と回って演奏をしていましたが、その当時から、fluteの人と、時折公開演奏をしていました。
中でも、特に「五色ヒワ」は、よく演奏をした曲になります。

Vivaldiのflute-Concertoは弦楽orchestraは兎も角として、それをrecorderと言う楽器で演奏する事は、結構至難の業であり、とても、子供達には無理だと思っていたので、これまでVivaldiのflute-Concertoが教室のprogramに上がる事はありませんでしたが、今回、牧野先生がrecorder-Concertoとして曲をselectしたのは驚いてしまいました。

小学校や中学校で学ぶrecorderとは、別世界の音楽なので、小学生がよく頑張ったと思います。
楓ちゃんはPianoが専科なのだけど、副科のKontrabassの他にも、色々とよく熟すよね??

写真をclickするとYou Tubeへ飛びます





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                                  本文
               



                                 

1月


1月1日明けましておめでとうございます·

新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い致します
2021年の1月の1日の早朝ですが、VivaldiのOp.ⅣNr.6のCembalo譜を作成していたので、初日の出はどなたかにお任せする事にして、これから惰眠に入る事にします。
それはそうと、今は練馬区は-2°だってよ?
寝室は寝る時には暖房は入れないので、パジャマくらいは着て寝た方が良いのかな?
(昨晩からの話ですが•••)
少し早めの11時くらいに、月見海老天•年越し蕎麦を食べて、年越しの年跨ぎは毛ガニを食べました。
少しカロリーオーバーかも知れないけれど、昼食夕食兼用の年越しのお蕎麦なので、まあ、そんなもんかもね??
お蕎麦のそばにあるおせちもどきは、つまみ代わりなので、全部食べた分けではありません。
少し摘んだだけです。
今年はどう言う分けか、コロナ対策の各自バラバラの、ボッチ年越しです。
小池さんから表彰されるかもね??アハッ❢
テレビを見ながらの年跨ぎは、毛ガニを食べるのが直ぐに面倒くさくなって来て、飽きて来たので、FinaleでVivaldiのOp.Ⅳの6のⅠ楽章のCembaloのpartを作りました。

テレビを見ていたらBachのdoppelのⅠ楽章を弾いていたので、聴いていたら無性に演奏に腹が立って来たので、チャンネルを変えて、アニメを見ながらVivaldiのCembaloのpartを作りました。
ただのEventに腹を立てる事も大人気無いとは思うのだけどねぇ??
歳を取ると、堪え性が無くなるのかね~ぇ?





Finaleの入力は、tenkeyが最初から分離されているMicrosoftの Ergonomic Keyboard のbluetooth型を注文したので、右手で鍵盤を弾きながら、問題の左手で音価を入力する事が楽になったので、入力が捗ったのだよな??
keyboardの交換は、部屋全体を動かして配線のやり直しをするのだけど、全てのテーブルやラックを動かすので大変な作業なのだけど、30日に一人でやりました。
大変な思いをしても、仕事が早く終わった方が良いからね?
という事で、Finaleの入力がとても楽になったのと、keyboardが小さくなったので、机が少しだけ、広くなりました。
つまり、Finaleを入力する時には、tenkeyを左側に置くと、右手で鍵盤を弾けるので、とても楽なのだよ。
それに、tenkeyは普段は使わないので、作業spaceから退けておく事が出来るので、それもメリットです。




あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


明けましておめでとうございます。コロナで千葉にまでも行けない・・というか、ハイツの自宅から一歩も外に出ないで引き篭って1年が経ってしまいました。今年こそは、外に出たいよね~ぇ??


うちも何処も行けず家で引きこもりで、パソコンやってました。たまに外に出て写真を撮ったりとしてました。昨年は、羽田空港に用事があって、国際線ターミナルを通過するだけで、ハラハラ、ドキドキでした。

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1月1日『即興演奏とSequenzと速記法』·


「初めての即興演奏」
Münchenの留学中に、下宿のあるPlaneggの村で偶然知り合いになった神父さんと音楽大学のorganistの友人と一緒にAlpsの山に登りました。(写真は同じmemberと日本人のPianoの女の子と一緒に登った時の写真で、別の時の写真です。)
山の頂上にある山小屋で、Chitaとbase弦の付いた二股の民族guitarが置いてあったので、神父さんがChitaを、音楽大学の友人がguitarを弾いて、即興で民謡を歌い始めました。Alpsの山々に谺してとても素晴らしかったのだけど、次の歌に入る時には調を言って(合図して•••)、もしその曲を知らなかったら、Baßのchordを指示をして、延々と4時間近く全く音楽を全く切らないままに歌い続けて、演奏をし続けていました。
即興の妙技・・というか即興演奏の原点を見て、その素晴らしさを身を持って実感出来た瞬間でした。
しかも、organistである友人と神父さんという専門家ではない人達が見せた即興演奏の妙技は、とてもamateurの領域ではない素晴らしいものでした。(proの演奏家として日本に呼ぶ事が出来る程の・・)
私自身は、高校生の頃に音楽を始めたので、・・また周りにそういった音楽を即興で演奏する人達の環境が全く無かったので、そういった即興演奏というgenreがある事は音楽大学に入学した以降に知りました。
・・という事でその頃(音楽大学時代)は、Bachの曲等の即興の指示に従って実際の音符に直す・・というRealisationを譜面に起こしたりしましたが、その場で即興で演奏する・・という所まではとても無理でした。(楽譜参照)



Karl Richter教授は演奏会でfugaの演奏中にド忘れをして、fugaを即興で30小節程弾き繋いで、記憶している小節に入って行ったのですが、当日の演奏会でそれに気が付いた人は批評家も含めて一人もいませんでした。
私は・・??
私は楽譜を見ていたので・・ね!!
素晴らしい即興の妙技ですよね??
fugaを即興で演奏するなんて・・・??
私が指導した生徒の中には、音楽大学を卒業してから生徒になった女の子がいたのだけど、彼女はPianoの即興演奏を得意としていました。
彼女には電子楽器の生徒達が多かったので、当然popularの曲の即興演奏を指導したり、外での演奏活動をしたりしていたので・・・
彼女にその方法を尋ねると、3つ、4っつの種類の音楽のpatternの変奏を作っておいて、新しい曲はそのpatternに嵌めて演奏をするのだそうです。
後は、何度か奏く間に、少しづつ修正をしていって、originalityを出すのだそうです。
「baroque時代の音楽の価値観」
baroque時代のConcertoは、ritornello形式で出来ていますが、今のpopularの音楽と同様に、当日、演奏会場で楽譜を渡されて、その場で初見で演奏するのが通常だったのです。
今とは違って、当時は、radioもrecordもありませんでした。
その静けさ、寂しさをこんにちの人達が理解出来る事は難しいと思います。
音楽が身近な日常の生活に全くなかった当時では、音楽を聴く事は、日常の最大の娯楽だったのですよ?
立場を変えて、演奏する側に取っても、演奏をしたくても、今のように楽譜が直ぐに、手に入る分けではありません。
当時は楽譜は手書きの写譜によるものしかありませんでした。
銅版印刷による楽譜もあるにはあったのですが、非常に高価なので、楽譜が欲しければ、楽譜を借りて写譜をするしかなかったのですよ。
写譜をする作業は、それは、Finaleのようなパソコンのsoftがない当時の時代では大変な重労働だったのです。※)
という事で、村に取ってはその村の作曲家の作品が唯一の娯楽の音楽だったのですよ。
そのために、演奏家達はこんにちでは考えられないような重労働を強いられていたのです。
当時は、殆ど毎週のように、否、週に2回も3回も、違った曲を作曲家から手渡されて即、演奏するのが常だったのです。
教会の毎日曜日のGottesdienst(ゴッテスディンスト=日本語ではなんと訳すのかは知りません。missaとは違うようなのですがね??)や、貴族達のdinnerは、最低でも2時間は続きます。その時間を埋めるだけの曲を作ってそのneedsに応えるには、instantの作曲法=所謂、即成作曲法が必要でした。
その方法がbasso continuoによる作曲法であり、ritornelloの音楽形式だったのです。
ritornelloの音楽形式は、演奏家達に取っては頗る利便性の高い音楽形式であって、最初に出て来たthemaを繰り返し弾けば良かったので、missも最小限に抑えられてとても良かったのです。
「Vivaldiのritornello形式」
例外的な作曲法としてはVivaldiのritornelloの作曲法が挙げられますが、VivaldiのConcerto等では、繰り返される度に、ritornelloのthemaが微妙に違うのですが、それはVivaldiの曲を演奏する演奏家が普通の作曲家達のとは違っていて、Proの雇われ演奏家達ではなくって、Pietà音楽院の女の子の生徒達がVivaldiの作品を演奏していたのです。
つまり、Vivaldiが直接、音楽を指導して来た生徒達がVivaldiの作品を演奏していたのです。
という事で、例外的に、Vivaldiの曲をVivaldi本人からlectureを受けて、勉強をして、練習を積み上げる事が出来たからなのです。
つまり、Vivaldiの曲を演奏していたのはVivaldiの生徒達だったからなのですよ。
では、何故、Vivaldiの生徒達ならば、ritornelloの繰り返しを変化させる事が出来たのでしょうかね??
その生徒達が、演奏をより完璧にするためには、確実にMotiv(motif)の小さな違い=kleinigkeitの楽譜上の変化を覚える・・という事は、音楽だけではなく、教育においても大変素晴らしいmethodだったのですよ。
当時は多作の時代だったので、曲を覚えて演奏する・・という風潮は全くありませんでした。
オケの演奏家達だけではなく、solisteでさえも、暗譜で演奏する習慣は無かったのです。
しかし、音楽をより完璧に演奏するためには、暗譜による演奏が重要である・・という事はこんにちではよく知られている事ですよね。
VivaldiのConcertoのritornelloのthemaの繰り返される毎の変化は、Vivaldi-methodによる記憶法のcurriculumの重要なlectureをするためのkleinigkeitの変化でもあるのですよ。
同じbaroque時代の作曲家達でも、proの演奏家に演奏を依存している殆どの作曲家達の場合には、仮に、そういった手法があるという事を知っていたとしても、その手法を使う事は出来なかったのですよ。
その理由は、演奏をproの演奏家達に依存している場合には、練習の回数が、運良く「出来た!」としても、せいぜい一回だけで、後は本番になるし、今現在でも練習1回、ゲネプロ・本番が定型です。練習の1回目は初見なので、殆ど演奏の説明で終わってしまいます。だから、ゲネプロで1回合わせて、大丈夫かcheckをして、そのまま本番に臨みます。
それが練習がある場合なので、殆どの場合には、作曲家の都合で初見の演奏になるのでね!!
漫画家ではないけれど、締切りギリギリというのは作曲家の常なのでね??
超、高名な作曲家でも締切りに間に合わなくて、近所の他人の作品で間に合わせている場合があります。
Bach然り、Haydn然りなのですよね??それが、偽作の問題を生み出します。Bachはlifeworkとして、教会の全日程を自作のcantataで間に合わせられるように頑張って作りましたが、そのcantataの中にも、他の人の作品が紛れています。教室でよく全体合奏として演奏しているcantataもその中の一つです。私の場合には、別にBachの作品ではなくても、曲が美しければ良いというpolicyなのでね?? 
「baroque時代のensembleの様式」
ここまでは、orchestraの演奏家の人達のお話ですが、baroque時代の音楽は、例えsoloの曲であったとしても、Ohne Begleitung(無伴奏)という指定が無い限り、basso continuoを従えたensembleで演奏されます。
無伴奏(Ohne Begleitung)というgenreは特殊なgenreなので、通常はsoloという場合には、solo楽器と伴奏のpartをsoloと見做します。
伴奏とsoloではなく、対等の場合にはduoになり、ensembleに分類されるようになります。ViolinとPianoの作品でもBeethovenのように二つの楽器が対等であっても、分類はPianoと伴奏でsoloの分類になります。
baroque時代のsoloの曲の場合には、soloのpartに和音を表す通奏低音(basso continuo)の二段の譜面で書き表されます。
上の1段は当然soloの楽器が演奏しますが、問題は、下の段のお話です。(譜例参照:EcclesのViolinsonateのoriginalの楽譜です。)
baroque時代では楽器の指定は曖昧だったので、下の段をguitarやLauteのような楽器で奏く事もありますが、通常は、下の楽譜である、通奏低音の譜面はcontinuoの低音を奏く楽器奏者と和音を補填する鍵盤楽器奏者の二人で演奏されます。
通奏低音の低音楽器の奏者の楽譜は書かれている楽譜があるのですが、和音担当の奏者は、その低音楽器のmelodieの上に、左手の譜面はそのままに弾いて、その音の上に数字で指示された和音を演奏します。つまり、soloの曲であっても、3人で演奏をするのが通常なのです。
ちなみに、baroque時代には、未だPianoは存在はしていません。
だからPiano伴奏のbaroqueの音楽は、全て擬古典の作品(所謂、arrangeの曲)になります。
Concertoのritornelloのsoloの部分のお話に戻って・・・・
基本的にはritornelloのsoloの部分は、soloのpartが即興で演奏される事が多いので、それを楽にする方法論として、Sequenzという手法(手段)があります。
Sequenzとは英語のシーケンスと同じ言葉(意味)なのですが、同じFigua(型)を繰り返す事を言います。
その方法は、2度の上行pattern、若しくは下行patternの繰り返しとか、4度のpatternか、5度のquint-Zyklusの繰り返しが一般的です。
(譜例のVivaldiのOp.ⅣNr.6のⅠ楽章のSequenzの部分は2度上行形のpatternです。scoreではsuggestする冒頭の16分音符だけを示していますが、教室のmethodeでは、生徒達はMotivの冒頭と変化をした音を示している音符だけを参考にして演奏をして行きます。)


Mozartの有名なPiano-sonateのハ長調K.545のsonateでは、3度の下行のSequenzのpatternも出てきます。
Sequenzの場合には、当然、調が変わって行くので臨時記号も変わるので、finale入力の場合のneckになってしまっています。
一々音を変更しなければならないのでね??
また、当時のbasso continuoのpassageを活かして、定旋律(cantus firmus)上に曲のVariationを繰り広げて行く色々な曲が産まれました。



la foliaやpassacaglia、groundやChaconne等の曲です。それぞれの曲のBaßの定旋律のthema上に華やかなVariationを繰り広げて行く音楽形式です。
※)手書きの楽譜の書き方は、私の生徒達の中で、教室に残ってくれる生徒達だけにlectureをしました。
パソコンのFinaleのsoftが入って来る以前の生徒達で、しかも教室の先生になる事を希望する生徒だけにです。
それは、出し惜しみでは無くって、写譜の仕方のlectureは、大変な忍耐力を要するからなのです。普通の手習いに来ている生徒達には、とても辛い技術なのですからね?
出版社と同じ浄書の技術と、普通の楽譜、演奏家、特にpopular音楽の演奏家達が必要としている速記の楽譜の3種類の書き分け等も指導してきました。
ですから昔の生徒達である牧野先生や斉藤先生達はそういった写譜の技術や書き分けの技術は持っています。
その次の世代のinstructorを希望する生徒達には、もうFinale世代なので、写譜の技術は指導してはいません。これからの音楽家達にはもう必要がないからです。
(勿論、今の生徒達にも、楽典のlessonの一貫として「音符の書き方」は指導しています。しかし、それは写譜の技術とは全く違ったものです。写譜の技術とは、Proの写譜屋の技術なのですからね?今でも、大半の楽譜は手書きなのですからね?自分のmemoやちょっとした伝達のための楽譜の書き方には写しの技術は必要はないのですからね?)


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1月2日baroqueの即興演奏

ふと、気が付いたら、もう正月も二日です。
お正月とは言ってもコロナの引き篭もり中で、全く外出をしない、何もないお正月なのですが、全く外に出ていないので、今日は流石にぎっくり腰になってしまいました。
・・・てな事を書いて、お久し振りに椎名町に食事にお出かけをして、ドルプリっ歩に付き合ったら、な、な、な、なんと!
もう三日になってしまいました❢
ぎっくり腰は相変わらず、治りません!!
困った事です。
この調子で行くと、次に気が付いた時には、大晦日という事にも成りかねないのですよね??
正月番組の相棒を録画して、3回も見てしまいました。
つまり、3回も相棒に挑戦してみたのですが、途中で椅子に座ったままで寝てしまって、storyが断片的にしか把握出来ていません。
storyが繋がらないのですよ。
今日はstoryを繋げるために4回目に挑戦して、やっと、何とか最後まで見る事が出来ました。
•••という事で、やっとvideoを消去出来ました❢


昨年の暮には、即興演奏についての文章を書いていたのですが、私が初めて即興演奏と巡り合ったのは、BachのCembaloの曲である「Fantasiaとfuga」の曲のfantasiaの和音で記された楽譜を演奏譜に直したのが初めての即興演奏用の楽譜なのです。
それは、半世紀以上も前の、私が音楽大学に入学して間も無い頃の18歳、19歳頃のお話しです。
当時は、まだ日本にはCembaloが2,3台しか無い時代で、baroque音楽と言えば、BachのAriaとかVivaldiの四季ぐらいしか知られていない頃の時代でした。
勿論、baroque時代の演奏の様式等というものは全く解明されていなくて、今、超有名なPachelbelのcanonさえも、世界的にも全く知られていない頃の時代でした。
だから、即興演奏というstyleの音楽があるという事すら、未知の世界だったので、即興的に演奏をする・・と言っても、楽譜に書かれた通りに演奏するか、せめて和音で書かれた楽譜をarpeggioで演奏するぐらいが関の山で、即興演奏というのには程遠い演奏だけなのでした。
しかし、こういった即興の書法はBachだけではなく、Händelの組曲などにもよく見受ける事は出來たのですが、それをどう弾けば良いのか・・という事、和音やsuggestされた音を見て、即興で演奏する・・という弾き方が一般的に知られる事は未だまだ、ありませんでした。
Bachの場合には、Cembaloという楽器ではなくて、violinの無伴奏の演奏法として、その即興演奏の方法が知られていました。
・・・とは言っても、和音にsuggestされた自由な即興ではなくて、和音を定型のfigure(Figua)で演奏するとは言った初歩的な演奏に留まっていたのですがね??
この書法の演奏法には、二つのstyleがあります。
その一つは、和音をmelodyに変えて演奏するstyleと、和音をmelodyで繋いで行くstyleです。
私が初めて手掛けたFantasiaはsuggestされた和音が8小節に渡って書いてあるので、最初の4小節の和音を和音をmelodyに変えるstyleで作って、後半の4小節を自由にmelodyを追加して行くstyleで作りました。
•••という事で掲載した楽譜は、私のBachのFantasiaの即興演奏譜なのですが、即興演奏の譜面を部分だけは、論文によく使うので、元々の楽譜は、Finaleどころかパソコンや携帯すらなかった時代だったので、当時の手書き譜の譜面から、後に、Finaleに入力をし直したのですが、fantasiaの方は兎も角としても、fugaの方は全く楽譜の変更は無く、楽譜上の変更は改訂としては、全く弄っていないので、fugaの入りの数小節の部分だけをFinaleに入力して、論文等に掲載していたのですが、後のfugaの部分は入り部だけを入力して、お茶を濁して、後は放ったらかしていたのですが、何を思ったのか、今回の正月休みに、二日掛かりでfugaの部分の入力も全部入力してしまいました。
fugaの部分はoriginalの譜面からの変更はkleinigkeitの音の校訂以外には、無いので、これまでの演奏する時には、大元の楽譜で演奏するので、問題はなかったのですが、finaleに入力する事は、無駄な作業と思ったのですが、途中までで放ったらかしにしている事が我慢出来なかったのだよな?
いや〜あ、無駄な作業であった❢❢
寝正月を決め込んで、布団の中で、この文章を書いていたのですが、鼻水が止まらなくなって来たので、起き出して仕事をする事にします。


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1月5日仕事始め

今日は正月の三が日が終わって、「仕事始め」・・という事で、先生達はlessonに千葉の教室にお出かけです。
私は暮れも正月休みも無いままなので、関係はないのだけど、それでも、何度か起きて仕事に挑戦しようと思ったのですが、パソコンに向かって椅子に座ると、腰が痛くなって、立ち上がれなくなってしまいます。
思いの外、腰痛が酷い状態で、お昼間には殆ど寝込んでしまいました。

夕方になって、「椅子に座れないのならば、立ったままに作業をすればよい」・・という事に思い当たって、立って入力が出来るKeyboard-standを出して来て、パソコンの作業を開始しました。
その仕事なのですが、まるまる2年間近くも放ったらかしにしていた「Facebookからhomepageに移動する作業」を夕方の4時頃から、夜の10時頃までやってしまいました。
19年の3月の18日から手を付けていないかったのですが、コピペをするだけの単純作業なので、後はひたすら忍耐だけの作業になりますが、今日は3月の18日から4月いっぱいをまでのFacebookを、Home Pageヘtransposeしました。


2020年は全く手を付けていないので、まるまる一年分と8ヶ月を1日でtransposeするとすると、残りは20ヶ月なので、10日もあれば、何とか入力は出来る作業ではあるのですがね••••??
なにせ単純作業なのでね?
私にとっては、退屈極まりない、何のmeritもない作業なのですよ?
私にとっては•••という事は、本来ならば、「私の下で音楽の勉強したい」という生徒ならば、その単純作業は、作業ではなくて、とても良い勉強になるのですが、千葉の生徒達にやらせるには、残念ながらHome PageBuilderがsoft的に大き過ぎて、noteパソコンには、入らないのですよ。もしもsoftが入ったとしても、Dataも膨大な物になってしまうからね?
それに、Facebookは教室の仕事ではないので、「私が自分のPocketmanyでバイト代を出してあげよう」、とは言ったのだけど、そうすると椎名町に泊まりになってしまうからね〜ぇ??
同じPocketmanyを出すのならば、教室の生徒ではなくて、もっと気楽に、「人を雇って」・・・という手もあるのだが、以前、パソコン教室の先生をやっていた音大生を雇って教室のHome PageのTop Pageの手直しを頼んだら、僅か10分、15分でTop Pageのlayoutをめちゃくちゃに壊されて、それでも、「仕事のしたのだから」とバイト代を請求されてしまって、しかも彼女が壊してしまったTop Pageを直すのに、私が一週間掛かって修理をしてしまった・・・というaccident・・というかcatastropheがあった。
音大生の職業意識は、norma制ではなくて、時給制なので、自分が迷惑を掛けたという事実と、自分が得るギャラは別物なのだよ❢バイトはそこにその時間、居れば良いだけなのだからね??
それにパソコンやHome PageBuilderの使い方を指導するには、結構付きっ切りでなければならないので、自分自身で作業をした方が早いのだよ。
Home PageBuilderだけではなく、Finale等も『出来る❢』と言う事と『無駄無く出来る❢』と言う事とは、根本的に違うのだが、それが学校教育では分からない。
学校の場合は『出来る❢』でもなく『噛じる』だけなのだからね?
しかし、それを言っていては教室の先生は育たないのだが、今の生徒達は、技術を覚えるよりは、即金になる方が良いのだよな?
digital世代なので、苦労して何かを得る事はかったるいのだよな?
私達の頃の手に職という考え方とは立ち位置の考え方が根本的に違うのだよ?
私が、親の期待の医学部を蹴って、音楽の道を選択した時には、「音楽大学に進学するのならば、一切の援助はしない!」と言う条件だったので、当然、親に勘当されたので、音楽大学に入学した時には、入学を喜ぶよりも、先ずは当面の生活費を稼ぐためにバイトを探さなければならなかった。勘当とは言っても、授業料は援助してくれたので、自分の家賃と生活費を稼げば良かったのだよ!
周りの音大生達なのだが、普通は皆音楽以外のバイトをしていた。
snackの弾き語りでさえ、ある程度は技術を持っていなければならないからなのだよ。
だから、何の技術も持ち合わせていない学生入った、デパートの配膳係や荷物の搬送係のバイトで、良くて家庭教師なのかな?
お金が欲しければ、女の子はsnackで接客のバイト、男の子はパチンコ屋のバイトと相場が決まっていたのだよな?
当然、音楽のバイトなんてある分けはないのだよ❢
歌の子達は合唱のトラもあったのだけど、それは電車代で無くなるようなスズメのなみだのバイトだったからね?
生活費の足しにはならなかったのだよな?それに滅多には無いからね?
それなのに、私が自分自身に課した課題は、「音楽のバイトでしかもClassicに限ったバイト」という事だった。
先輩諸氏は「そんなバイトはある分けはない❢」
「あったとしてもそんな技術職が出来る分けではない❢」というのが、周りの冷ややかな目であった❢
その時の私は、確かに経験も技術も持っていない、音楽大学に入学したばかりの学生だったので、そう言った批判は、至極、当たり前だったのだよ❢
しかし、「最初は誰でも初めてなのだから❢」というのが私の持論で、周りの目を気にする事もなく、その批判を押し切ってしまった。
大学の教授達に片っ端から仕事をお願いして、幾つかの仕事を回して貰う事が出来た。
音楽のバイトは、一回だけの飛び込みの仕事なので、その他に、ニッパチの間期を防ぐために、受験生を指導する事を始めた。これは一年を通じての安定収入になるので、精神的には安定するのだが、逆に、落ちこぼれた受験生を100%合格させなければならないので、それなりに真剣勝負ではあった。
まあ、そういった努力の結果、当時は、東大生の卒業生の初任給の3倍を稼いでいたよ。
東大の卒業生の初任給がやっと2万5千円の時代に、7万以上も稼いでいたのだよ。
今のrateの換算では、東大卒の初任給が22万なので、単純に計算すると、66万円か?
そんな大した金額ではないよな??
年間所得で約800万だもんな??
共稼ぎならば、普通ぐらいか??
それでもmeritは、音大の勉強の予習復習も完璧なのだよな?
音大で学ぶ上の段階の仕事をしている分けだからね?? 
4年間で、当然、留学の費用も貯める事が出来たのだが、そういった勉強の仕方を真似する生徒は一人もいなかっね?
音大生自体が、生活費に困っている分けでは無いから、そこまでの苦労をする必要もないしね?
またもう一つの理由は、軌道に乗るまでの勉強が大変なのだけど、私に言わせれば、『音楽の世界で生きて行きたければ、どっちみち必要な技術なのだ』けれどね?
今の教室の子供達に何時も言っている事があって、「発表会の直前で必死になって一週間で暗譜をするのならば、その同じ努力を、楽譜を貰った時にすると良い❢」と言う事だ。
同じ努力でも、timingがちゃんと出来れば、その成果は全く別次元の成果になる。
一事は万事で、それはこういった地道な努力でも、同じなのだよな??


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1月5日Facebookをhomepageに移行させる意味について

今日はFacebookの2019年の5月と6月分のcommentや写真をhomepageに移動する作業をしました。
1日掛りだったので、少し疲れたぞい??
・・・とは言ってもお昼過ぎの1時頃から10時頃までの9時間くらいだったのだけど、休み休みの作業で食事をしたりテレビを見たりしながらの作業だったので、実際の稼働時間は、まあ、6時間ぐらいなもんかね??
その後、11時を過ぎた頃から、更に8月分をHome Pageにcopyしてしまいました。勿論、テレビを見ながらの片手間作業だったのだけどね??
二日、三日で5ヶ月分をHome Pageに持って行った事にはなるのだけど、昨年一年間の分は全く手が付けられていないのだから、この先が思いやられるのだよな??
まるまる1年分だもんね??
何故、そんなに無駄な作業をしているのか??・・と疑問に思われるかも知れないけれど、私に取ってはFacebookを忘備録として使っているので、論文を書いたり、その日その日になにをしたのかのmemo帳になっているのだが、Facebookの検索機能はヘボいので、論文を探したり、忘備録としての機能が弱いのだよ。
homepageでは、検索はindexを付ければ直ぐに探し出す事が出来るのだが、反面、論文を推敲するのが難しい。
homepageを見るのは簡単なのだが、文章を校正する事は、容易ではないのだよ。先ず、homepagebuilderを立ち上げる事自体に時間が掛かってしまって、memoる!!という機能が無いのが致命的であるのだよな??
Facebookでは簡単にいつでも、それこそ携帯ででも、文章を入力出来るのはmeritなのだが、致命的な欠点は、写真が文章の途中に入れる事が出来ない事だ。
だから、文章の解説の参照の図を放り込む事が出来ない。
仕方が無いので、「下図参照」としているのだが、写真の順番を入れ替える事が出来ないので、下図参照でも順不同になってしまう事が多い。
homepagebuilderでは、そういった問題はないのだが、Facebookでは一括で複数の写真を取り込む事が出来るのだが、homepagebuilderではそれが出来ないので、一個一個の写真をサイズを指定しながら入力しなければならない。
一括で写真を取り込む良い手は無いのかな??
調べても、linkを貼る方法しか出て来ないのだよな??



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1月6日ハイツの断水とgasfanheater

1月6日の水曜日でハイツは午前中は断水で、全く水を流せないので、頻尿の私としてはtoiletteが困ってしまいました。
午後は歯医者に行きましたが、今日は被せてある歯が虫歯になったとかで被せているのを取りました。
被せても虫歯になるんだ~ぁ??
そのまま椎名町に行こうかと思ったのだけど、返事が無いので、ハイツに戻って来ました。もう一度出掛けるとなると、色々と面倒くさいのだけど、連絡が無ければ致し方は無いよな??
牧野先生が江古田周りの次いでに、ガスファンヒーターを運んでくれたので、setしました。
サーモが壊れていないので、部屋の温度の調節が必要がないので、とても楽です。設定した温度のままに、ファンヒーターの温度が固定されているので、助かります。と思っていたのだけど、やっぱり、温度が設定した温度を越して来た!

ガスの場合には、設定温度で調整する事は無いのかね?
•••と思っていたら、エコと足元とスポットの設定があって足元は強にしておくと、足元から温度が上がって行くので、足が冷える私にはとても良い!温度が上がり過ぎたら、エコにすると、断続的に運転するので、部屋の温まり過ぎは無く、寧ろ肌寒いくらいの温度になる。
組み合わせると、なかなか良いようだ!
やはり、新しいファンヒーターは性能も良かった!

それはそうと、今日はFacebookの19年の9月分のcommentをhomepageに移しました。
チョッと大変だったよな??
後、3ヶ月分だよな??
まあ、一週間は掛からないって、ことだよな??
それと、2020年の1年分なので、都合、15ヶ月分という事だよな??アハッ!
そうだ! 今日は椎名町に行く途中でまるでタヌキのような、つがいのモコモコとしたタヌキと遭遇しました。
大型の猫ぐらいの大きさで尻尾が丸くて真っ黒でした。
bikeなので写真を撮る暇は無かったのが残念!!

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1月8日夢見が悪くて

今は1月8日の深夜の3時を過ぎた所である。
余りにも寒いのと、悪い夢を見てしまったのと、toilettimeで目が覚めてしまった。
とは言っても、今の気温は0°なので、そんなに寒いとは思えないのだが、それでも兎に角寒い!
それに中指の爪が欠けていた!
昨晩は食事とドルプリっ歩を済ませて、ハイツに戻って午前様の1時半を過ぎて、布団に入ったのだが、あまりにも寒いので、寝間着の上下と靴下を履いたままで寝たのだが、それでも寒いのと、夢見とtoiletで起きてしまったのだよ!
起きたついでに、シンクの前でお茶でも飲もうと座ったら、ゴキブリの大小が都合3匹も出ていた!
ゴキジェットで何とか処理をして、今度は諦めて寝室のエアコンで暖房のsetをして、寝た!
腰に最大の注意を払いながら、次に起きたのは、朝の6時だったのだが❢
「よちのういきもな出す」 
この完全痴呆状態の文字列は、推測変換のは候補から、一番近い候補を選んで、不要な文字の前に入力をすると、こんな変な文字列が文末に残ってしまいます。それを後で纏めて削除するのですが、うっかり消し忘れてしまいました。


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1月8日非公開のmemo

1月8日 ·

『教室に対しての考え方』
私が日本に帰国して、暫くの間は子供達を教える・・という事は考えてもいませんでした。
だから、私が指導している生徒達は音大生で、他の有名教授の所から逃げ出して来た生徒達数名をproの道に導くぐらいでした。
だから、留学前の音楽大学への受験生も、帰国後の音大生達も、音楽に対しての考え方や、人生と音楽の関わり方・・等々の精神論を指導する事は皆無でした。
皆、音楽の世界にドップリと足を踏み入れている生徒達だったからです。それは高校生の受験生も同じだったので、私の指導は音楽の技術的な事だけで良かったので、指導はとても楽だったのです。
lessonはone lessonなので、当然、出来るなるまではlessonをしなくても良いので、練習の過程で指導する事はありませんでしたよ。
芦塚音楽研究所というか、芦塚音楽教室を作ったのは、私が40歳になる直前のアラフォーの時です。
日本に帰国しても、10年間は、子供達を指導する事とは無関係の世界に生きていたのですよ。
それが、何を狂ったのか、音楽教室を作ってそこで指導するようになった経緯はhomepageにも何度も書いてはいるのですが、私が大学の講師をしていた時に書いた教育論文のなせる技だったのです。
私の教育論文を読んだ当時文部省関係の仕事をしていた、昔の友人に渋谷の喫茶店に呼び出されて、その論文は素晴らしいのだが、論文では机上の空論と思われてしまうので、実践をして欲しい・・という要請でした。
その時の条件とは、私のmethodeを誰かが習得して、その人が指導した生徒達が理想的な育ち方をするとmethodeとしての証明になる・・・という事でした。
つまり、私が指導をして生徒達が上達するのは当たり前なので、それはmethodeとは呼べない・・という事でした。
私は教える事は大嫌いなので、その案は私にも好都合だったのですが、はてさて、私のmethodeを勉強してくれる人で困ってしまいました。
つまり、自分達が子供の時から学んで来た常識を否定して、新しいmethodeを覚え直して、それを指導する・・というhurdleが結構大変なのです。
私としては、学習塾のようなものを想定していたのですが、それぞれの教科でそういった教育をするためには、今現在努めている学校をやめなければなりません。
それを私の弟子達に要求するのは、師としては辛いのですよ。
という事で悩んでいたのですが、昔、音楽大学の受験で指導していた事のある音大の卒業生が、自分の方から申し出てくれました。
自分が学んで来た勉強法とは真逆の方法なのですが、そのmethodeで生徒を指導すると生徒が見違える程上手になるので、確信に変わったそうです。
本来の考えでは、私は音楽教室には一切タッチしない予定だったのですが、色々と頼られる過程で、私も指導に参加するようになってしまいました。
私としては、生徒達が音楽大学に進学したり、proの世界で活躍するようになると、当然、教室からの自立をする事になります。
立場が違えば、生徒達に取っては教室は自分たちのものではなくなって、一般の音楽教室と同じになってしまいます。
生徒達がそういった一般的な考え方になる事を防ぐ方法は、この音楽教室が生徒達の自分たちの教室であると思えるように、する事なのですが、女性の場合には、そういった考え方を抱くのは難しいようですね??


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1月9日緊急事態宣言と下水の高圧洗浄·

昨日の1月の8日の金曜日は、緊急事態宣言発令の日だったのですが、自宅の下水の高圧洗浄があるので、朝の9時から12時までの間は部屋に缶詰め状態になりました。緊急事態宣言下なので業者が来るのか来ないのかが分からない状態だったのですが、管理人に聞きに行くのも面倒くさいので、仕方がないのでFacebookからHome Pageへのお引っ越しの作業をやりながら、業者が来るのを待ちました。緊急事態宣言下にも関わらず、通常通りに11時頃には高圧洗浄の人達が来て作業をして帰りました。作業はいつもの通りにほんの一瞬で終わりました。
大急ぎで、ドルプリを連れて千葉の最終引越しの荷物の移動に出掛けました。花園教室と検見川教室の引越し作業での取り残しの最終作業です。
後は新教室の2階のPianoの位置が私的には不本意だったので、ほんの40㌢程度だったのですが、先生達と3人で、前にgrandPianoを移動させて、柱が邪魔にならないようにしました。
大型のテレビはnetの契約が私的には業者はもう決めているのですが、credit-cardの関係で私が契約の書類を書く訳には行かないので、何度となくProviderのsiteのaddressは送っているのだけど、未だ契約がされていないので、取り敢えずはWi-fiでパソコンには接続出来る所までは確認をして、オケ練習の時のmonitorとしてはいつでも使えるようにしました。
2階の部屋で大型のテレビを見る事は無いので、monitorになれば問題はありません。
本来的には据え置き式のパソコンを置く予定なのですが、当面はnotePCで代用するので、notePCのsetをしました。
オケ練習の時と、soloの演奏の時には、video-cameraの撮影位置が変わるのですが、そのvideo-cameraの位置決めも、3脚をdollyに乗せて自由に動かせるようにしました。
後は、楽器の置き場所等、部屋のlayoutを細かく指示しました。
帰りがてらに、灯油とgasolineの補給に、いつものgasolinestandまで車を走らせたら、なんと、24時間のstandのハズなのだけど、緊急事態宣言でお休み(時短営業)になっていました。
仕方が無いので、車を走らせて開いているstandを探して、見つけてまた新教室に灯油を運んで、・・それから改めて東京に戻りました。超、無駄な動きです。
・・という事で、椎名町着は遅れに遅れて、12時になってしまいました。
それからお弁当の夜食を食べて、ハイツに戻って直ぐに寝ようと思ったのですが、bedが氷のように超寒くて、入るのが気が引けたので、布団乾燥機でbedを温めてからbedに入る事にしました。 
その無駄な時間は、Facebookのお引越し作業をしてbedが温まるのを待ちました。半分寝ていたので、Facebookの引越し作業は19年の10月24日の分だけで終わってしまいました。10月の24日のお引越し作業だけで、まるまる小一時間も掛かってしまったのですよ。約半分の時間は寝ていたのかね??
超バテていたので、入眠は一瞬で出来ました。
腰痛が酷くて、立ったり歩いたりするのが困難なのによく頑張ったと自我自賛をしている所です。アハッ!


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1月10日非常食での林ライス 4:25 ·

1月10日の日曜日の朝の4時です。
昨日は金曜日の重労働にも関わらず、朝は元気に起きれて調子が良かったのだけど、お昼になった頃から、突然、体調が崩れてしまって、結局、夕方の4時過ぎぐらいまで寝込んでしまいました。
金曜日は東京到着が12時だったので、夜遅くなったので、お弁当の準備が出来なくて、何も持って帰らなかったので、次の日の土曜日にはハイツの冷蔵庫には食料品が全く無くなっていたのだけど、買い出しに行くのも危険だし、斉藤先生もお疲れで、土曜日の食事当番が出来なかったので、椎名町に食べには行くのはやめて、冷蔵庫に残っていた肉soupを、林ライスに作り変えました。
卵も無かったし、牛乳や濃い味茶も無くなったので、そろそろ買い物に外出しなければ、飢え死にしてしまうのかな??

食い物の話しはそれぐらいにして、さてさて、
夕方から起き出して、腰痛の再発を注意しながら(という意味は、座りっぱなしでパソコンの作業を長時間すると、確実に立てなくなってしまうからです。)、Facebookの2019年の10月と11月分をhomepageにお引越しさせました。
Facebookでは動画の処理が簡単なのだけど、homepageでは動画をPageに入れるのは結構難しくって、色々と大変でした。先ずは拡張子がMP4ではダメで、AVIに変換してからでないと、何も出来なかったのですよ。
まあ、後ひと月で、2019年のFacebookが終わるので、一段落なのだけど、2020年が全く手を付けていないので困ったもんだ。
折角のコロナの引き籠もり中なので、1月中には2020年も終わらせたいのだよな??
2021年のhomepageも昨日中にテンプレートを作って起きました。



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1月10日今日は-4°だそうです。

同じ1月10日の10時を過ぎた所です。
なんと、今朝の練馬区の気温は-4°だったのですよ❢
寝室でエアコンで部屋を温めながら、布団に入っている時間帯だったので、気がつきませんでしたが、東京では体験した事の無い温度ですよね?
今は既に朝の10時半で気温は3°だそうです。
今日は千葉では専科のオケ練習があったのですが、非常事態宣言なので、最小限の人数だけでのオケ練習なのですが、私はduoとPianoquartetだけに大型Displayでのテレワークでの参加をしました。


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1月11日糖質cutの電気釜が

1月11日も、もう8時直前になった今朝の練馬区の気温なのですが、それでも今は-2°だそうです。
今日は-3°までも下がったようなのです。
朝から頑張って、20年の1月と2月までtransposeが終わりました。
超、ultra、super、怠け者の私が2年間分のFacebookを一人でtransposeするなんて、まるで、勤勉な学生のようだよな??
人間、変われば変わるもんだ!! ほんとかね?? アハッ!
更に、20年分も3月分までのtransposeも終わった!
明日は4月からだ。
パソコンの作業をやりながら、糖質dietのご飯を炊いたのだが、どうした分けか、生煮えのパサパサの状態でとても食べれる状態ではなかったので、半分づつに分けて、二度炊きした。
なんとか普通の食べられる状態に戻った!
米を捨てないで済んだ!
多分、糖質cutのための水が途中で詰まって、循環しないで空焚き状態になったのだろうが、いずれにしても初めての事なので、理由は不明だが、ヤマカンで米の量や水の量を入れたのだけど、全く同じように炊けたぞよ?

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1月13日歯医者とFacebookのお引越し

今日は1月13日の深夜の4時を過ぎた所です。
今日は4月と5月と6月の半分までtransposeが終わりました。
更にひと眠りして10時40分になった所なのですが、取り敢えずは、6月分を移動し終えました。
今日は歯科がある日なのですが、予約が混んでいて、午後は無理だったので、午前の最後にして貰いました。50分間、ガリガリと歯を削られて、すっかりメゲてしまいました。齒を削った後を仮に被せているだけなので、早めの方が良いという事なので、一週間後にしました。時間が早くて、椎名町には誰もいないので、ハイツに戻ったのですが、パソコンの作業を続ける気にはならなくて、仮眠を取ってしまいました。という分けで、今日のFacebookのお引っ越しは、7,8月を予定していたのですが、全く進捗状況が悪くって、7月分だけになってしまいました。
少しバテて来たのかな?
だからrotationがめちゃくちゃです。
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1月13日『日本人の音楽家の持つ誤った奏法』


昔々、BerlinphilのconcertmasterのSchwalbé教授がカザルスHallでの公開講座で、「日本人特有の誤ったViolinの奏法」を毎回日本に来る度に、注意し、lectureするのだが、全く治らない事に業を煮やして、その20数項目の日本人特有の誤った奏法として、会場に来ている聴衆全員にpamphletを配って、受講していた生徒達に「あなたは丸*と丸*が悪いので、直しておいてください。」と言ってlessonをしようとはしなかった。
私もproの演奏家達に指導をしていた時にホトホト困っていた事を的確にそのパンフに書かれていたので、私と生徒達一同が聴講に行ったので、そのpamphletは10部以上、教室に残っているハズなのに、1部も見当たらないのだが、これはとても良いpamphletだったので、見つからないのは残念だよな??
その中でも、特別にSchwalbé教授が忌み嫌った奏法があるのだが、それはその昔から、私が『芸大弾き』と呼んでいた奏法で、勿論、その奏法をする人達は、**教授門下である・・という事は自明の事である。
(勿論、Schwalbé先生の公開lessonには、その先生も、その先生の生徒さんも参加していたのだよ。)その所謂、『芸大弾き』は、Schwalbé先生が「幾ら注意しても、治らないから、エイズ奏法(当時は不治の病だったので・・)と呼ぶ」と言われていた独特の「後押し奏法」なのだがね??
「何故に、治らないのか??」と言う事なのだが、殆どの日本人にとっては、その奏法が「おかしい」とは思わないからなのだよ。それどころか日本人に取っては、好ましい慣れ親しんだ奏法なのだよな??
日本の民族音楽や演歌と呼ばれる、或いは浪花節に至るまで、この後押しで音を押さえる事を好む民族性があるからなのだ。
(このお話は、homepageでも、昔から取り上げて、再三啓蒙活動もしているのだが、それがSchwalbéさんではなくても、何年経っても、治る事はないので、辟易してしまうのだよ。)
一度もそういった誤った奏法を習った事の無いハズの教室の生徒達ですら、毎回注意しているのにも関わらず、チョッと油断をしていると、収めの最後の音符等を『後押し』をしてしまっていて、それを口酸っぱく、「fade-outだよ!!」と注意しても、直す事が出来ないのだよな??
ほとほと困ってしまうのだよな??
Europaの乾燥した石で出来た家に住んでいる国民と、Asiaの高温多湿の木の家に住んでいる国の民族では、音の感性が根本的に違うのだよ。
つまり、乾燥した石造りの家に住んでいる民族では、音を遠くに飛ばすコツはkonsonanz、所謂、音を共鳴させる事にあるのだ。
それに対して、高温多湿の国ではkonsonanzをしようにも、共鳴体がないのだよ。
だから、音を押さえつけて、張りのある強い音で遠くに音を飛ばすようにするのだ。
日本の笛には喉と言って、気流を鋭くするために管を細くして気流の流れが早くなるようにしてある楽器もある。
だから、日本の笛は鋭い音が出るのだよ。
中国の二胡やモンゴルの馬頭琴等も共鳴箱と呼べる程の共鳴体を持っていないし、演奏する場所も、お座敷や屋外の想定であって、日本には能舞台を除いては共鳴体を持つ会場は基本的には無い。
Europaのような演奏会用のHallは無いのだよな?(教会等も実にkonsonanzが良いので、教会自体がOrganの共鳴体なのだよな?)
日本人の『後押し奏法』は音を力で押す分けなのだが、Europaの場合には、Renaissanceやbaroque時代の奏法で、日本人が勘違いをしているそれに良く似た奏法がある。
viola da gambaのような大型の楽器の場合には、共鳴弦も多いし、多くの音にkonsonanzがある。
konsonanzの音を奏くと、楽器の共鳴箱が共鳴して音が膨れて行くのだよ。ちょうど、それが「後押し」をしているように聴こえるのだ。
芯になる音から共鳴が始まると、芯の音を少しづつ抜いて、共鳴の音だけにするのだが、曲のimageを強くするために、時折、芯の音を少しだけ残して置く事もある。所謂、(Spaghettiではなく)音のal denteなのだよ。
konsonanz奏法の場合には、弓に対してpressureを加える事は無いので、音は太くても、柔らかい音がするのだが、実際には音量はkonsonanzの音量になるので、極めて強い大音量になる。
教室のような15名程度の人数でも、fullorchestraと同じぐらいの音量が出る。konsonanzの為せる技である。
しかし、残念な事に、幾ら生徒達にkonsonanzの音を指導しても、次の曲になった時には、元の木阿弥になってしまって、『後押し奏法』に戻ってしまうのだよな??
ついつい「誰か、他の日本人の先生に見て貰った??」と聴いてしまうぐらいの変化で、正しい奏法を指導しても、治らないのだよな??
もう、これは日本人の音楽を学ぶ人、全ての『業』なのだよな??
明治の乙女であった私の祖母が「鶏の絞め殺される時の声!」と言ってOperaを絶対に聴こうとはしなかったのだが、日本のOperaを聴くと、確かにそうだよな??
日本人のpianistの音はキンキン・キャンキャンと金属が破壊される時の音がして、演奏を聴いていると耳が疲れてしまうし、日本人の弦楽器奏者の音は、どう聴いても二胡か馬頭琴に聴こえるのだよな??音に膨らみがないのだよな??
西洋の音楽を学ぶのならば、西洋の歴史の中から学んで欲しいものだよな??
いい加減、音楽事始めの、家元制度から、抜け出せないのかね??
半世紀も同じ事を言い続けているのだが、相も変わらず、日本の社会は何も変わらないのだよな??


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1月14日『取説の理解は取り敢えずやって見る事から』


今日は朝から、昨日完成させる事が出来なかった8月分のFacebookの移動を、取り敢えず完成させて、9月分に取り掛かった所です。
今は夕方の5時なのですが、これから椎名町に移動して、斉藤先生にvideoのアフレコのやり方とアテレコの遣り方とその方法と、更にmixpadの使い方をlectureします。video-cameraからの編集ならば更にCyberlinkの使い方のlectureもしなければならないのですが、今日はそこまでは無理だという事で・・・
先ずは斉藤先生のnotePCにmixpadをdown loadする所からしなければならないので、作業を始めるのには、少し時間と手間が掛かるよな??
「アフレコ・アテレコ」の作業手順のlectureは、型としての「教科書」としてlectureする場合には、とても簡単なのですが、現実的に指導する場合には、録画された状況に対応して判断しなければならないので、現実的には、作業行程は複雑怪奇になってしまい、説明に窮してしまいます。
色々な作業行程があるのですが、そのどの行程がgünstig(利便性が良い・効率的である)であるのか?・・の判断は、その作業行程を熟知していなければならないからです。
教科書的にやるのならば、それぞれの作業行程から逆に、bestな対象となる仕事を予め準備しておけば良いのですが、そんな回りくどいやり方は現実的ではありません。
つまり、最も大切な工程は、その対象のどの部分にどの工程がbestであるかを判断する作業であるのです。
作業工程の企画が出来れば、仕事の効率は当然良くなるのだけど、それには、作業の工程を熟知していなければならない・・というparadoxが生じてしまいます。
芦塚methodeが、一般に熟知されない理由も「生徒が演奏出来ない原因とその方法論」を指導者がmasterしていなければならないという所にあります。
と言うか、会社組織そのものだよな??

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1月15日『古いパソコンの話しといつものFacebookの悪口』


倉庫の中で棄てる予定になって眠っていた2004年製のpriusを、電源を入れて見たら、なんとXPが立ち上がった。
まだ活きていたのだよ❢
という事で、取り敢えず10にVersionupをしてnetだけは出来るようにしようと思っています。
それはそうと、「Facebookの話し」なのだが、何時もの様に少しだけ書いて、その文章の後に書き足した文章が勝手に削除されて(uploadされない•••)しまいました。
いつもの事なのだけど、腹立つよなぁ、Facebookは?
書き足した文章は、FacebookからのHome Pageへのお引っ越しの作業の報告の文章で、本当ならば・・・、「それはそうと、今日のFacebookの移動は、9月分3分の1の10日分までしか進みませんでした。体調の所為なのか、気分が乗らなかった所為なのか?•••思ったようには進みませんでした。
ぶっ飛んだ文章には「進捗状況が遅くなって来たのは、流石にチョッとヘバッて来たのかな?」・・と、いう文章から徒然と書いていたハズなのだがね??

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1月15日『腸風邪になった!』


今日は腸お久し振りにdurchfallになってしまいました。
・・・という事で、1日に4回もtoiletに通ってしまいました。
昨年の暮の26日頃から始めたFacebookのHome Pageへのお引っ越しの作業なのですが、流石に一月近くにもなって来ると、段々とヘバッて来て、1日で、多い時には二月半分、少ない時でも、一月半分はこなして移動させていたのですが、この二日は、疲れて来たのか、半月分くらいまでしか進まなくなってしまいました。
今日はなんとか頑張って、一月分を引っ越したので、後の残りの月は11月分と12月分だけになったので、まあ、後、2、3日頑張れば、終る事は出来ると思っています。
timelimitがある作業ではないので、頑張る必要はないのですが、Home Pageは「芦塚先生のお部屋」の修復作業が残っているので、endlessの作業になってしまいます。
「芦塚先生のお部屋」の Pageなのですが、ぶっ飛んでしまった Pageには 、PageのTopの部分のindexの部分だけは残っているので、それを目安にして、文章を新しく残っている文章に書き加える事は出来るのですが、それも一作業なので、その作業を始める事には、この2、3年の間、躊躇しているのですよ?

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1月16日『Facebookのお引っ越しの作業』が終わった!


今日は1月16日の朝の9時なのですが、昨日から引き続いてdurchfallが治りません。
朝のtoiletteに行ったら、危うく・・でした。toiletteの中だったので、助かったのだけどね??
夕方の5時50分なのですが、やっとFacebookの2020年のhomepageへのお引越しが終わりました。2019年の3月から1年と9ヶ月間の Pageのお引っ越しだったのですが、それにしても3週間近く掛かったよな??
無味乾燥な単純作業だったのだが、よく頑張ったよな??
いやあ、根性!根性!!
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1月17日『芦塚先生のお部屋のHome Pageの改訂』


今日は1月17日の朝の、もうすぐ9時になる所です。
雲は厚いのですが、隙間から日が差しています。
今日は日曜日なのですが、斉藤先生が寝込んでしまったので、オケ練習は中止になりました。
私はハイツの自宅で古い昔の芦塚音楽研究所のhomepageのtopPageのrenewalをしました。
教室のhomepageは、斉藤先生が新しいhomepageのsiteを開いたので、古いPageはより専門性の高いPageにして行きます。
それはそうと、何を思ったのか、「芦塚先生のお部屋」のindexの Pageをrenewalしました。
とは言っても、複雑怪奇になっていたlayoutを表にしたのですが、困った事に表のlayoutが全く上手く行きません。
設定でマスの縦横のpixelの数字を入れても、layoutの画面に反映されないのです。
どうして反映されないのかを、netで調べても、出て来ないし、ほとほと困ってしまいました!
今日は諦めて、明日、再度、挑戦します。
excelの表の設定とは全く違って、何も出来なかったのですよねぇ?




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『入れ子の表と腸風邪』

1月18日 ·


・・・・と、いう事で、「芦塚先生のお部屋」のindexの Pageの作成は、今夜は諦めて寝るつもりだったのですが、表が上手く出来なかった事で、イライラしてしまって、Bedの中で、携帯で、超•super•ultra•初心者用のHome PageBuilderの表の使い方のsiteをしつこく探してしまいました!
見つけたよ!!
表の中にイリコ•••ではなくて、入れ子(表の中の表)の表を入れると、設定が非常に難しくなってしまうのだそうです。
という事で、layoutが上手く行かない原因は、表の中の入れ子の表が原因なので、だから、simpleに作成する事がコツなのだってさ??
あらま?そうなの??
excelならば、入れ子があろうとなかろうと、超簡単に出来るのにさ•••ねぇ??
という事で、やおらBedから起き出して、イリコ•••もとい、入れ子の表を大元の表にコピペして、それから更に、2列になっていた表を1列に直して、表の余白の調整をしました。
更に••のついでに枠の幅が1500pixel以上もあったので、横の幅を950pixelまでにResizeしました。
古いHome PageのTop Pageには、ボタン等の私のIllustがいっぱいあって、結構可愛く出来ていたので、昔の古いlayoutの方が味があって好きだったのだけど、なにせ見難いので、見やすくなるように、表に直したのだけど、表になってしまうと、それこそ味も素っ気も無いわさなぁ?
まるで小学生の論文のreportだわさなぁ?
まあ、仕方無かんべ〜ぇ?
効率優先だよな?
という事で、私の三つのHome Pageから、最後に残った「芦塚陽二の闘病記」のhomepageのtopPageもついでに更新・・、というか、layoutをrenewalさせてしまいました。
という事で私のHome Pageの全部のtopPageが表型になって、味も素っ気も無くなってしまったけれど、indexとしては探し安いので読み手側にとっては、approachがし易くなったのだ•••と思います。
そういう事で、この1月は作業としてはhomepageだけをやっているような感じがするよなぁ??
この3日間は、体調不良のDurchfallで何も食べれなかったのだけど、その結果、やっぱり、これまでになく、超、肥ってしまった。
絶食中の3日間で4㌔も肥ってしまったのだよ❢
多分、何も食べれなかったので、体が飢餓状態になってしまって、水を飲んでも栄養に変えたのだよな??
だから、お粥だけしか食べれなかったとしても、肥ったのだよ!!
毎度の事なので、分かってはいたのだけどねぇ?
今日はdurchfallになって、もう既に4日目になってしまうのだよなぁ??
食べれる物は・・・と言っても、別にお腹が痛い分けでは無いので、食べようとすれば何でも食べれるのだけど、食べたらやっぱ、directに•••、直にsuper・ultra・expressだよな??
困った!困った!!
それ・・は良いけれど、なんで痩せないのだよな??不思議だ!!
あれっ?熱が出て来たぞ?! 7度2分だ!
腸風邪の兆候だよな?
取り敢えずはジキニンでも飲んで寝るか??
部屋に引き篭もっているので、これ以上の安静は出来ないしねぇ?





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体温が上がらない
1月19日 ·

今日は1月の19日火曜日の夕方の4時半を過ぎた所です。
昨晩は微熱が出たので、急いで寝たのですが、今は逆に5,6回も体温計で計り直しているのですが5.4°から上がって来なくて、体温が測れません。もう、死んじゃったのかな??
5.4では、体温計の計測が出来ないのです。
体が冷え切っていて、体温が上がって来ないのですよね??
少し動いて体の体温を上げれば良いのだけど、体調が余り良くないので、動く気にならないのだよな??
部屋はガスファンヒーターとエアコンを使って急速暖房をしているので、部屋の温度は20°以上にはなったと思っているのだけどね??
まあ、暫らく安静にしておいてから、風呂の掃除でもするか??
起きてから1時間程経ってから、測り直してみたらやっと、ピピッと鳴って、計測が出来ました。
勿論、平熱の6度4分です。
いやあ、やっと体が温まって来たのかね??
エアコンの暖房では頭がのぼせてしまって、仕事が出来ないのでエアコンは消して、ガスファンヒーターだけにします。
微熱で休んでいた斉藤先生の検索結果が出て陰性が確定したので、私も今日は椎名町に食事に出掛けたのですが、まぁ、寒い事!食事と打ち合わせをして、頑張ってハイツに戻って来たのですが、体温を測って見るとやはり、7.1°の微熱があります。
大急ぎで布団に入って寝ました。
という事でここからは、「1月の20日の水曜日のお話」になります。
明け方の4時頃のtoilette-timeの次いでに体温を測り直したのだけど、やはり、7.2分あるので、起き出すのはやめてまた布団に入りました。
この所も良く夢を見るのですが、この2.3日の夢は私にとっては頗る良好です。
そのいずれもが、古い縁者が登場する夢と、産まれた家の思い出に関する夢なのです。
という事は「望郷の想い」でも起きたのかな??
コロナとは無関係に、気力は失せてしまっているので、Peer Gyntのように、故郷への回帰を求めているのかな??
しかし、現実的には産まれた家も育った県営アパートも、音楽大学時代の部屋さえも、もう無くなってしまって痕跡さえ残っていないのですよね??
まさに「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのですよね??
部屋のGas-fan-heaterを付けっぱなしで寝て、改めて、9時前に起き出したら、熱も体重も血圧も全て正常になっていました。
だからと言って、なにも食べないで体重を安定させようと思うと逆に肥るのだよな??
自分自身でも理解不能で、controlが出来ないのだよな??

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1月21日熱が・・・ ·

1月20日の水曜日の続きですが、今日は歯科に行く日でした。
今は、被せていた歯の中に虫歯が出来たという事で、被せたカバーを取って、歯を削って治療中なのですが、虫歯はほぼ取れたという事で、削った歯の中に薬が入ったようで、お茶を飲んでも、食事をしても、口の中が薬の味になって気持ちが悪いのですよ。
durchfallは少しは良くなったと思ったのですが、やはり、何かを食べると直になってしまうようで、治ったとは言い難いのですよね?
(椎名町からlineが来て、食事の時間だそうです。食事とドルプリっ歩に行って来ます。)
今は1月の21日の木曜日の深夜の1時45分になつた所で、つまり、食事とドルプリっ歩から帰って来た所です。
という事で、食事を済ませて、ドルプリっ歩に付き合おうと思って、一緒に玄関の外まで出たのだが、超ストレートにdurchfallになつて、慌てて椎名町のtoiletに戻って、その後、急いでドルプリの後を追い掛けたのだが、とうとう最後まで会う事が出来なかったのですよ!!
私は、散歩のコースはそういった事が絶対に無いように、細かく指定してどこをどのコースで•••という事が分かるように、checkpointも決めてあるのにも関わらず、不思議な事に、先生達は、待ち合わせが出来ないのだよな?
これは性格的な事なのかな??
お互いが連絡をしたcheckpointを忠実に守りながら歩けば、必ず会う事が出来るハズなのだが、不思議な事にいつもそれが出来ない!
いつも斉藤先生と牧野先生がお迎えを兼ねたドル散歩の待ち合わせが上手く出来ないのを、私は冷ややかな眼差しで見ていたのだが、自分にそれが降り掛かって来ると、それなりに、超腹立たしいのだよな?
「でも、運動にはなったのでは?」
それは絶対に無い❢
この所は体調不良・・というか??風邪が酷いので、体を動かすための散歩ならば、ハイツに戻って安静にしておいた方が良いのだよな?
散歩をして体を冷やすと直ぐに熱が上がってしまうしのだから・・ねぇ??
という事で、心ならずもボッチ散歩が終わって、バイクを飛ばしてハイツに戻って来て、後片付けも出来ないままに椅子に呆然と座っていたら、段々とマジに熱が上がって来て、とうとう7.6分まで上がってしまった。
こりゃあ、大変だと、超珍しくパジャマを着たままで布団に入る事にした。
いつもならば下着のままで寝るのだが、厚手の羽毛布団では肩はカバーしてはくれないのだよな?
熱があると、肩が冷えてしまうからね??


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1月21日超、嫌な夢を見た❢ ·

いや〜あ、久し振りに超、嫌な夢を見た❢
余りにもrealな夢で、目覚めても、暫くは考え込んでしまった。
悪夢が現実になってしまうように思えて、鬱になりそうなので、起き出して仕事をするのはやめて、寝直す事にした。
眠る事が出来れば、それは最高の癒やしである。
という事で、朝っぱらから、今日のローテションはめちゃくちゃになってしまいました。
•••というか、してしまった、という事だよなぁ?
昼間には21年の1月分のFacebookのお引っ越しを少しして、微熱がなかなか取れないので、ドル歩はパスして、食事だけに行って帰って来たのだけど、なんか知らんけど12時を30分も過ぎていたよ。
durchfallはだいぶ収まって来たのだが、熱はdurchfallよりも2.3日ずれて始まったので、まだ一週間は経たないのだよな?
durchfallは今日でちょうど一週間なのだがね?
テレビはコロナとバイデンの話ししかしていないし、同じ話しばかりでつまらないので、Home Pageの「おもしろ話し」から、二つ三つの文章を訂正しました。
気がついたら朝の5時を30分も過ぎていたよ❢
超shock!!
5時間も真面目に仕事をしてしまった❢
飲んでいた方が良かったのかな?
今日は、全くめちゃくちゃな1日のローテーションだったよな?
1日の始まりと終わりが無いのだよな?
よなよなのケジメがねぇ?
ねぇンだよなぁ?
なぁンだかねぇ??
ねぇさん、あの帽子はどこに行ったのかな? 
やっと一回目のtoilettimeに起き出した所なのだが、夢の中でもHome Pageのtornadoの設定をやっていたよ❢
それぞれのコメントをtornadoで結ぶにはどうしたら良いのかな?ってサ??
自動的に設定する方法を忘れたので手作業で1個1個を結ぼうとしているのだけど、何をやっているのか、全く意味が分からない?
どういう事をしたいのだ❢
まぁ、それは夢の中の話しなのだから、意味が分からなくても、仕方がないので、それは兎も角として、まあ、取り敢えずは寝ようと思ったら、鼻が詰まって眠るに眠れなくなってしまった。
仕方が無いので起き出してhomepageの続きをやる事にした。
そうして、昨日と同じpatternになってしまうのだよな??
ワンクールだけ寝て、起き出して仕事をして、お昼から本格的に寝るという•••

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1月23日You Tubeのtrimmingのtrouble ·

You Tubeにuploadしているの2015年の4月の発表会でのCanonの演奏の前後の部分をTrimmingしようと思ったのだが、You TubeでTrimming済の動画を確認してみると、音声だけがTrimmingされて、映像は元のままなのだよな??
映像がTrimmingされていないのだ!!
編集の Pageの中ではちゃんと出来ているのだけど、You Tubeで確認をすると、映像と音声がズレてしまって、なんどやり直しても上手く行かないのだよな?やり直す度に、膨大な時間をぼんやりと待っていなければならないのだ。
そもそもは、Home Pageに参考として動画を載せるために、余分なコメントの部分をチョッとだけcutしてTrimmingをする予定だったのに、何度となくやり直して、またまた朝になってしまいそうな雰囲気になって来たので、慌てて、パソコンは開いたままで、作業をさせたままで、Bedに入ってしまった。
You Tubeから動画のdataを取り出して別のCyberlinkのようなsoftか、freemakeのようなsoftで、Trimmingをすると簡単で早いのだけど、そうすると、You Tubeのaccess数のカウントが0になってしまうから、You Tubeの中の編集機能でなんとか編集してしまおうと思ったのだがね??
たいしたaccess数でも無いのだから、カウントが0になっても、良いのだがね??
まあ、そうは言っても、音声と映像がズレていては、どうしようもないので、取り敢えずは・・折角、TrimmingをしたCanonだったのだが、元に戻してしまった。勿論、元に戻すのにも、棒だな時間が掛かってしまうのだよな??パソコンを開いたままで寝てしまったのだけどね??
深夜の格闘はいったいなんだったのだろうか??
またまた、人生の無駄を重ねてしまった❢
それにしても、また寒くなって来て、足が冷えたまま温まらなくなって来たのだよ。
アンカを出すか? 靴下を履いたままで寝るか? なのだが、どちらも面倒くさいので、空気が乾燥して喉が枯れてしまうので、嫌なのだが、エアコンをつける事にした!
多分これで眠れるハズなのだが••••💤😴
・・と思ったのだけど、やっぱり体が冷えて眠れないのだよな??練馬区の気温的には7°や5°ぐらいでそんなに冷え切ってはいないハズなのだが、布団に入っていても、体が芯から冷えるのだよな??
・・という事で、こういう時には、眠る事を諦めてGas-fan-heaterとエアコンを同時に付けて部屋を温めた。
まあ、部屋が暖まれば良いのだから、ほんの10分程度だけ両方を同時につけるだけ・・の話なのだけど、それでも、部屋を温めるのには充分なのだよな??
気温は決して低くはないのだけど、なんでこんなに寒いのだろう??
今日は雨から雪になるらしいので、湿度はあるハズなのだけどな??


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1月24日homepageの修復作業 ·

今日も椎名町から戻って来てから、Home Pageを弄ってしまいました。
「芦塚先生のお部屋」は、 Pageの殆どがぶっ飛んでしまったので、修復作業はendlessの仕事になってしまいます。
という事で、ぶっ飛んでからは、なるべく見ないように、触れないように、触らないように、していたのですが、流石に、いつまでも••••という分けにもいかないので、2つ、3つの文章を新しく修復しました。元々の文章は失われて分からなくなってしまっているので、元の文章を探すのは諦めて、新たに作り直す事にしましたので、どこまで修復出来れば、完成稿になるのかは、分かりません。出来た所が完成稿になります•••。アハッ❢


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1月24日東京でも雪が降る予定なのですが ·

今日は1月の24日の朝の5時半を過ぎた所です。
勿論、toilette-timeで起き出した所なのです。
東京は珍しく、昨日の夕方から、そぼ降る雨になってしまって、深夜から明け方に掛けては、東京でも5㌢の雪が積もる予定で、テレビ等では大騒ぎをしていたので、ハイツに引き籠ろうか?とも思ったのですが、冷蔵庫の中の食料品も乏しくなって来たので、思い切って、ダウンの上からレインスーツを着て、椎名町に食事に雨の中をbikeで出掛けました。
食事・・とは言っても、結構打ち合わせがあるので、とても重要な時間ではあります。昨晩は主に、千葉市に申請しているbaroque-Koncertの企画の進め方に付いての説明をしました。
食事が終わって、ドルプリっ歩の時間なのですが、風邪の微熱やDurchfallはすっかり良くなってはいたのですが、雪が降って来るとbikeは悲惨なので、ドルプリの散歩はパスして急いで雪にならない内に江古田に帰って来た所なのですが、椎名町では食事の頃は携帯では雪マークが出ていたのですが、帰りは雨で、今も雨のままでした。
それはそうと、帰りのbikeではレインスーツのズボンが浸透してしまい、パンツ濡れて気持ちが悪くなってしまいました。
長く使用しているので、防水効果が弱くなって来たのかな??
でも、往きは平気だったので、濡れたまま乾いていなかったので、滲んだようだよな??
案の定・・というか、いつもの事なのだけど、雪になりそうな超冷たい雨が降っているので、ドルは散歩は当然拒否して、一歩も外には出なかったそうです。
プリは、全てドル次第なのでね??「行かないの??」てな感じかな??
多分・・??



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1月24日2018年から2020年までは、激動の2年間でした。 ·

2018年から2020年までは、私にとっては激動の2年間でした。

2018年には欝が酷くなって、とうとう6月には、江古田の駅近くに出来たばかりの診療内科に診察を受けにいったのですが、逆に7月、8月には処方された薬の所為で、体調不良になってしまいました。
私としては、一番初めに処方された軽めの向精神薬が一番良かったのですが、何度お願いしても、軽めの薬は出して貰えなくて、心療内科の医者としては、より完璧になるように、より強い薬を処方したかったようで、それで体が動かなくなってbedから起き上がる事さえ難しくなってしまいました。

薬を調剤して貰いに行った薬局の薬剤師の先生に相談してみたのですが、その薬は、徘徊や、暴れたりする老人を、介助の負担を減らすために、老人を寝たきりにして、bedから降りれないようにBedに縛り付ける代わりに出す強い薬で、普通は、働いている人には出さない薬なのだそうで、•••という事で、その病院に通うのは、やめてしまいました。
その薬を飲んでいては、働けなくなってしまうので、生活にも差し触わりが出てしまうし、鬱が良くなるどころか、逆に酷くなって来たのでね??

同じ6月には、調剤薬局の薬剤師の先生の薦めで、大和成和病院でのbypass手術の後で、10年近く通った近所の循環器内科の病院から糖尿病の専門外来のあるひかりヶ丘の病院の糖尿病内科に転院をしました。
勿論、紹介状を書いて貰っての円満転院です。

10年近く通っても、血糖値の数値が改善しない・・というか、より悪化して、そろそろ限界に達していたのでの、心臓の循環器から糖尿病の専門外来への転院です。

それから9月には、突然、血尿が出て、酷くなって来たので、飛び込みで、緊急にひかりヶ丘の病院の泌尿器科に行って診察を受けたのですが、そこでCTRの検査で膀胱のpolypと腹部大動脈瘤が見つかって緊急手術の予定になってしまいました。
腹部大動脈瘤は最初はkatheterによる手術の予定だったのですが、「腹部大動脈瘤の場所がkatheter手術では難しい」との事で、急遽、開腹手術の予定に変更されたので、開腹手術では体調的に無理という事で、second opinionを申し出て、病院を逃げ出しました。
勿論、それまでにも、色々とtroubleがあって、病院に対しての不信感が募って来たからですが??
これでひかりヶ丘病院を逃げ出すのは二回目です。

・・とは言っても、建物は同じ場所にある病院なのですが、以前一回目は日大光が丘病院で、今回は同じ場所の病院なのですが、練馬区の光が丘病院です。 
ここまでは、体の事なので、そろそろ、歳相応の事もあるのでしょうが、次のお話しは、体には関係の無いパソコンのトラブルのお話しです。

また、体調不良に陥った同じ18年の9月の29日には、homepagebuilderのbug(パソコンのbugではなく、homepagebuilderのupdateによるbug)で、突然「芦塚先生のお部屋」のhomepageがぶっ飛んでしまいました。
ぶっ飛んだHome Pageは「芦塚先生のお部屋」全てのPageで、苦節20有余年の文章の大半が失われてしまいました。

勿論、クラウドからdown loadして復活を試みたのですが、10分の1程度しか、back・up出来ませんでした。
それだけでも、充分に超shockなのですが、その後9月30日には、Windows10で「壊れたアプリがあるのでrefreshしてください。」とmessageがでたので、何気なくrefreshしたら、パソコンが工場出荷状態にrefreshされてしまい、全てのアプリやdataが無くなってしまいました。
refreshというのは、Windowsのrecoveryの事だったのですよ❢
それだけでも、充分にshockだったのに、次には、そしてついに•••

11月の17日の出来事なのですが、windowsのSecurityが自動的に通常のupdateをしたのですが、それまで快適に動いていた私のmainのパソコンが、そのupdateによって、一瞬で壊れてしまいました。
その後で、Securityのせいで壊れた事に気が付いて、Securityを削除して、更にパソコンのrecoveryも試みたのですが、幾ら頑張っても自力では修復出来なくて、オンラインで業者にも頼んで見たのですが、結局は業者も直す事が出来なくて、諦めて新しいパソコンを購入する事になってしまいました❢

通常ならば、最終手段として、Dellの本社の工場修理を依頼するのですが、「パソコンが古いので、パーツが揃わない」という事で、makerが修理を拒否したからです。
そして、更にその後、YahooのProviderが、Home PageのProviderを突然やめてしまったので、民間のProviderを探すのに手間取って、更に設定に手間取ってしまいました。
何せ3つもHome Pageを作っていたので。

という事だったので、この2年間は、落ち着いてHome Pageの修復作業に取り掛かるには、とてもとても無理でした。

しかも、パソコンにとっては、恐怖の18年なのですが、私の体に取っても体調不良の命に関わる緊急の手術が二つも重なって、はっきり言って、Home Pageの修復作業どころではなかったのですよ❢

それから更に、なのですが、体のお話しでもなく、パソコン関係のお話しでもなく、とうとう住まいと、教室のお話しのトラブルのお話しにはなってしまいました❢

弱り目に祟り目で、そういったcatastropheに追討ちを掛けるように、江古田教室のお引っ越しから、またまた、今度は千葉の花園教室と検見川教室のお引っ越しで、まあ、めちゃくちゃなローテーションと莫大な出費になってしまいました❢

両方の理由が、建物の老朽化による建て直しです。
まあ、両方とも40年近くか、以上も借りていたので仕方は無いのですが、何の保障も無く、追い出されるだけなので、出費も莫大で、それこそ体力勝負なのですよねぇ??
それに更に追討ちを掛けて少子化とコロナ❢•••という事では、もう言う事はありません。
「筆舌に尽くし難し」・・とは正に、この事だよな??
いやサ、マジに完璧な「pech!」だよな??

そういった、私にとっては、非常に残酷な、不本意で嫌な運命の悪戯とも思えるような状況の中でも、本当によく自殺もしないで頑張った•••、よくもまあ堪え抜く力が残っていたなぁ??•••と思える様な様々のpechを戦い、乗り越えて、数々の難題を解決するべく雑用に追われながら、病後の静養もままならないままに、あっと言う間に、この二年間が過ぎてしまいました。

それに、そういった日常的にも襲いかかるpechを、ほんの一瞬だけでも、逃げるために、外出をして気分転換を図りたかったのですが、昨年中のまるまる一年間は、コロナの騒動で、ハイツの超狭い自宅の食堂兼、居間兼、パソコンroomのひと部屋に軟禁状態で、近場の喫茶店である珈琲館に一杯のcoffeeを飲みに行く事はおろか、日常のチョッとした買い物にbebeに買い出しにも行けないし、まんまるのスーパーにも、勿論、千葉のlessonにも行けないし、・・という事で、当然、日曜日のオケの指揮も、生徒達への指導も全然していません。

まあ、それはそうと、weblessonという事で、monitor画面越しで生徒達の顔を見てはいるのだけど、画面越しでは、何かが少し違っていて、なんとなく味気ないのよね~え??
生徒を指導するコツは、多分背中で指導するという事なのだろうが、テレビ画面では、その背中が見えないのだよな??

••••という事で、気を取り直して、自室の仕事に戻って、昨年の暮れから取り掛かっていたFacebookのお引越しがやっと終わったので、1月の17日からは、次のHome Pageの「芦塚先生のお部屋」の修復作業に取り掛かっています。
文章がぶっ飛んでしまったのは兎も角としても、linkがProviderの業務を終了したYahooの GeoCitiesのままになっている Pageが多くて、linkの不具合を見つけ次第、訂正をしているのですが、全くendlessの作業です。

それに文章そのものも、古いワープロ時代のDataや、紙の原稿などを見つけては、修復をしているのですが、まあ、そのチマチマの作業が、超!面倒くさくて、辛抱や根気という言葉に疎遠な私としては、超、メゲてしまいます。
まあ、少しpacedownしてゆっくりと作業をすればもう少しは気分も楽なのかな??
•••とも思うのだけど、Facebookと比べても、Home Pageの方は作業がそれほど単純ではないので、どうしても構えてしまいます。
ぶっ飛んだ文章を古いワープロの原稿と照合する作業は、結構神経戦なのですよ。



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1月26日『自営業』と『自由業』 ·


今は1月26日火曜日の朝の7時を過ぎた所です。
朝は5時には目が覚めたのですが、春眠暁にしては寒過ぎるし、頻眠の睡眠時間の合計が充分には取れていないので、布団の中でウダウダとしている予定だったのですが、左足の指が惹き痙って来て、痛くて寝ている事が出来なくなって、起き出してしまいました。
そうは言っても、もう起きても良いし、まだ寝ていても良い微妙な時間なのですがね??
とか言いながら、漫然とパソコンをつけたのですが、Home Pageを開いても、なんとも仕事をする気にはなりません。
ならば•••という事でBedに戻っても、眠れないのですよねぇ??
これは困った❢
「なんとなく仕事をする気にはならない」という事は、私のような雇われ仕事ではない日常の生活を送っている人間にとっては、致命的な事になってしまいます。
逆の立場からの言い分けをすれば、自由業という職業では、働きたくなければ、働かなくても良いからです。
日常の生活・・、それを規制しているのは、自分自身の理性にすぎません。
私のような生活、・・自分で仕事をしている自由業の人間にとっては、日常と仕事の区別というものは存在しないのです。
「自営業と自由業」と区別したのは、漫画家や野球選手のような人達の場合には、会社や団によって生活の時間を厳しく規制されていて、サラリーマンとなんの変わりも無いからです。
自由業とは、仕事のペースを誰にも規制されない人で、絵描きや物書きの、紐付けのされていない人達の場合のみの話になります。私の場合には、Facebookは当然の事ですが、homepageを書いても、作曲をしても、伴奏をしても・・それが直接タツキの糧になる事は無いのですからね??自営業とは言えないのですよ。
金にならない仕事(・・を仕事と呼べるか否かは別としても・・)をしていては、自由業にしかならないのですよね??
(officialな真面目な話しとしては、私は会社の役員を2つ程持っていて、一つは代表取締役の役職なのですが、それはさておいて)
音楽家の場合でも企業等で時間や日にちが規制されている人達は自営業で、演奏する曲が溜まったから演奏活動をする場合には自由業になります。(厳密には自営業なのですがね)
分かり易く言えば、怠けて、何もしないでいても、超忙しく働いていたとしても、その日、その日の生活を諌める人はいないし、生活そのものにも、何も変化もないからなのです。
・・意味が分かり難いよね??
頑張って良い仕事が出来たとしても、日がな一日怠惰な生活をしたとしても、その日1日の評価をするのは自分自身であり、客観的な評価ではないからです。
それで満足出来れば、充実した日を送れた・・という事なのでしょうが、1日の生産力とはなんの関係も無いから・・なのです。
だから、自分が怠惰な生活ではなくて、日常の毎日毎日を有意義な物にするためには、日常を常に自分自身で律する必要があるのです。
自分自身で自分を律するという事は、結構厳しい事です。或る意味、辛い事かも知れません。
勿論、一般家庭での日常生活の中での、自己研鑽・自己研磨では、新しい何かの勉強は、愉しい趣味である事の方が多いとは思いますが、趣味であるとすれば、どんなに熱中したとしても、その事に使用する時間は、日常の中の時間のほんの一部でしかありません。
こんにちでは、サラリーマンですら、Teleworkになって、自宅で仕事をするようになって来たので、雇われていながら、個人事業主と同じ生活様式になってきました。
会社としての時間の縛りを強くする事で、なんとか自営業が陥る仕事の遣り方の防止は或程度は出来るのでしょうが、それがどこまで有効になるか・・というmanualは未だ確立はしていないので、これからの課題です。
・・という事なので、ここで取り上げるお話しとしては、「仕事としてのlifeworkのお話し」に限定してお話しを進めて行く事にします。
さて、ある仕事のgenreの中で、新しい仕事を始めるとしたら、今では企画が大切なように言われていますが、作曲や物書きでは、日常の生活が全く自由なので、本人の意思決定が毎日、本人の自由意志に任されてしまっています。例えば「Aという仕事をしよう」と思って始めた仕事が、その途中から「Bという仕事になった」という事も有り得るのですよ。
仕事のstyleが他者との共同の作業の場合、或いは会社からの縛りがある場合、•••例えば、Proの漫画家や、Proとしての作曲家であれば、締め切りがあって、その締め切りに寄って、全体の構成やその過程の進行等に至るまでの、仕事を進める上での日常生活さえも細かく規制されて行きます。
これは音楽家でも同じ事が言えて、「何か新しい事をしたい!」と思ったとしても、その企画が職業としての実際のEventに繋がって行く場合には、その企画の決定権は会社にあって、自分自身で、自分の企画として進行して行く事は難しいのですよ。
そういった雑用を会社やproductionではなくて、自分自身でする気力・体力があれば、自分の思う通りに仕事を進められる自由業はとても良い営業のstyleです。
逆に、その雑用の処理能力が未熟で仕事に慣れていない人達の場合には、企画を立てる事だけで終わってしまう事をよく見受けます。
まあ、それを普通には「企画倒れ!」というのでしょうがねぇ?
一般的な人達が、「企画倒れ」にならないようにするためには、とても良い方法があります。
それは、なるべく早い時期に、(仮にその企画が出来ていない段階でも、)その企画を一般に公開する事です。
企画はpaper上で幾ら細かく具体的に書かれていて、実際に企画としては具現化しているように見えたとしても、実際に公開されていない状態では、机上の空論に過ぎない事が多いのです。
それがほんの少しの部分でも、現実の状況に照らし合わせて見ると、それがどこまで具体的であるかが分かり、そこで初めて活きた企画に変化して行くのです。
公開する事によって、現実の会場や時間、集客数、税務署との遣り取り等の、音楽の世界とは全く関係の無い現実の世界が立ちはだかって来るのです。
しかし、こういったシチ面倒臭い作業は、routine作業にする事が出来ます。
一旦、routineの手順書を作ってしまえば、そのヒチ面倒臭い作業は、簡単な手順書通りの作業になってしまいます。
routineの作業の中で一つ一つを企画の段階から現実の話にして行きます。
チラシには細かい内容は必要はなく、conceptだけが明記されていれば良いのです。
チラシの中に、program等は必要は無いので、チラシが出来た段階でSNS等にupするのが良いtimingであると思います。
今回、予定している新しい教室での「Baroque-Koncert」は教室としては大変珍しい「ticket制での公開演奏」を企画していますが、普段の教室の演奏活動では、Koncertを有料にするcaseは少ないのですが、その理由は企画をして集客のための広報の活動をする手間暇が無いからです。
つまり、売りカル(営業のお金を貰っての演奏活動:カルはQuartettの事です。売り・・では怪しげになってしまうからね??)では、集客やチラシ作り等の広報活動、金銭関係等々の全ての仕事は企業側に一任されているので、演奏する側は相手の希望とするrepertoryを演奏すれば良いだけなのですからね??但し、集客に関してはproductionは通り一遍の事しかやってくれません。宣伝の手紙等は自分で書かなければなりません。
しかし、この場合は純然たるClassicの音楽を演奏する機会は非常に少なくなって、また、企画が先に来るので、音楽を切磋琢磨する勉強にはなりません。
taxiのdriverのように、目的地に行けば良いだけの売りの仕事になってしまいます。(時間幾らの・・)
それでも、最初の未熟な間は、人の前で演奏する慣れや、同じrepertoryの曲を磨いて行く‥という意味はあったのですが、それも2,3年続くと、惰性の音楽になって来てしまいます。
一見すると華やかなテレビの出演や、お金にはなるStudio仕事、或いはpartyのBGMの仕事も、2,3年も経つとdilemmaに陥ってしまいます。
曲目も限定的になって来るので、Classicの音楽をコツコツと研鑽するという道からは程遠くなって来てしまい、私達の「音楽を一生の課題に研究研鑽するというthema」からは遠く離れてしまいます。
金銭的には、身入りが無いとしても、音楽を自己研鑽の道として求めるのか、弾ける曲を演奏するだけで、音楽を単なる仕事の道具にするのかは、その人の行き方によってきます。
音楽を極める・・という事は、音楽を職業とする事とは、相反する事になります。
つまり、音楽を人生の目標として追求する事に掛ける人達はamateurで、音楽を仕事の道具として演奏活動に専念する人達はproという事になりますよね??
これは面白い結論です。アハッ!
教室の演奏活動の中の八千代や他の主催のKoncertは市や区による公的な演奏活動であるので、曲の内容的には、私達の我が儘が或程度認められるのは良いのですが、基本的には必要経費は持ち出しの無料出演になります。つまり、顎足は自分持ちなのですよ。
公がお金を払ってくれる事は非常に少ないのですよ。
企業からのorderの場合には、企業がお金を払ってくれるのですが、曲目等は厳しい制限がありますし、教室主催で有料のKoncertを開催する場合には、税務署とのお役所仕事である、金銭の授受に関しての細かい手続きがあります。
それこそ、売れなかったticket等や招待券等があった場合の1枚毎の売上を細かく税務署に申告しなければならないので、先生達もlesson等で忙しい中で、そうった事務処理の会計に至るまでの手間暇は尽くせ無いので、面倒くさいので無料の演奏会にしているのが現状です。
一般の人達は教室で子供達を指導したり、演奏活動をしたりする事が、仕事としてではなく、趣味活動の延長としての場合が多いのですよ。
つまり、税務署に金銭の授受を報告していない場合の事ですが、それは見かけはどんなに派手な活動をしていたとしても、「趣味であるか脱税であるか?」のどちらかになるのですよ。
学生で演奏活動をしていても、バイト感覚で許されるかも知れませんが、学生が一旦卒業してしまうと、その活動は仕事と看做されてしまいます。
或いは、主婦が主婦業の片手間に教えたり演奏活動をしたりしていたとしても、その得た金額が、旦那との合計が決められた額を越してしまうと、コ-ヒーの1杯まで、税務署の管轄になるという意味です。
勿論、旦那との合計の金額なので、幾らという事は出来ませんがね??
家で子供達を指導していたとしても、金額がある金額を越えると扶養家族は成り立たなくなって、控除は無くなって税金を払わなければならなくなってしまいます。
別に音楽ではなくても同じなのですがね??
教室でも仕事としての演奏活動となると、税金に持って行かれて、演奏者の人達にギャラを払ってしまったら、教室としての利潤は殆ど無いに等しいので、無料の演奏活動の方が気持ちが良いのですよ。
orchestraと言っても、政府の援助が無ければ、一瞬で倒産してしまうのですよ。
ticketだけでorchestraが維持出来る分けは絶対に有り得無いのでね??
売りカルのお話で、homepageの「proになるには」の中のbridalやStudio-musicianになりたい人へのadviceに、詳しく書いていた文章なのそのままなのですが・・・、文章が無くなってしまったので、少し書いておきます。
一般的なproductionによる企画の場合には、企画するproduction側が最低でも50%以上を取ります。演奏家に渡るギャラはその余りを出演者で等分するのが一般的です。
Quartett等で、そのQuartettを纏めているのが1stの場合には、そのギャラ全体から半分を纏め役の人が搾取する事が一般的です。
勿論、半分以上の場合も多いのですがね??
それでも、昔々は月に3,4本bridalの仕事をすると、結構、楽に生活は出来たのですが、某国立音楽大学の弦の学生さん達がバイト感覚で安く売りカルを始めたので、多くの大手のproductionはbridalやpartyの業務から手を引いてしまって、bridalやpartyの演奏料の値崩れが起こって、演奏家の人達はそれだけでは生活する事が出来なくなってしまいました。
学生さん達にはバイト感覚の小遣い稼ぎ・・かも知れないけれど、proの人達に取っては、生活が掛かっているのでね??
でも学生さんはその内に音大を卒業するのだから、そうしたら、自分自身が生活に困るだろうにね??
そんな未来の事は、今しかない音大生に取っては預かり知らぬ事かな??
私の場合には、ちょうどその頃には音楽教室を立ち上げた後の話なので、売りカルからは完全に手を引いてしまった後の話なので、痛くも痒くも無かったのだけどね??
それで生計を立てていた女の子達からは、随分愚痴を聞いたよな??


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1月27日『とうとう諦めてアンカを出した❢』 ·


今日は21年の1月の27日ですが、今夜は満月だってよ??
以下の文章は私が昔々に書いたHome Pageからの文章の転載•••ではなくて、文章の一部を摘んだだけなのですが•••、
「職業としての音楽」というgenreは、こんにちでは、SNSの発達で、これまででは有り得なかったgenreの中で、まだproというには未熟な美貌と闇雲な技術力しかない若者達が、netという世界で大金を手にする事が出来るようになって来たので、これまで、私達が知っていた「職業としての音楽」のstyleに、全く違った新しい形態の「職業としての音楽」が加わって来てしまいました。
しかし、そうは言っても、表面的な華やかさを求める音楽雑誌やマスコミを中心とした音楽の世界は、私達の時代からも、あるにはあったのです。
しかしながら、華やかで若さを求めるマスコミの世界は、移ろい易いJenreに過ぎず、そこでちやほやされる若者達が歳を取って(20代の後半の年齢になって)厭きられてしまうと、当然、次の世代の若者達が取って代わって行きます。
若さは取り換えのきくgenreだからなのです。
そういった若者達が活躍する年齢は、短ければ4、5年の間、長くても10代からの10年間以内に過ぎません。
その人達の世代が30歳の年齢を越す事はありません。その人達とは別の種類の人達、つまり、表面的な華やかさに捕らわれない、純粋に音楽を探究する事を求めて努力を続ける人達が、そういった華やかさに目もくれる事もなく、コツコツと留学をして勉強を続けたり、自分自身での地道な練習や研鑽を続けているので、一般の人達の目には触れる事は少ないのですが、それでも確実に、私が『30の壁』と呼んでいる30歳という年齢を境にして、若くて華やかであったgroupと入れ替わってしまいます。
私のこれまでの人生での経験としては、around20で華やかに活躍していた女の子達が『30の壁』を越す事は、これまで一人も居なかったのですよ❢
まあ、その根本的な理由は、音楽に対しての想い入れがそこまでは無かったという事に過ぎません。
20、4、5歳までに、やりたい事を遣り尽くして、飽きてしまって、30の壁に至る前に、さっさと恋人を作って音楽とは疎遠になってしまうからです。
「音楽よりも愛するものを見つけた」•••とか、ほざいて••ね??
でも、それは別に音楽の世界に限った話しではありません。
例えば、教職を目指して、勉強をして来て、国家試験に合格して、やっと現場で憧れの先生に成れたのに、現実の教職の場所は夢とは程遠い所で、可愛いハズのに子供達は苛められて、挫折をして教員を辞める人達の最大の理由は『寿』なのですが、実際に1年以内に結婚する人達は半数もいません。
口実なのですよ。
大学を卒業して就職すると、そこには3年の壁というのがあるそうなのです。技術職であろうと、営業職であろうと、3年も経つと、やっと一人で仕事をこなせるようになります。会社等では、やっと会社に利潤を齎すようになる仕事を覚えた段階なのですが、その段階になると仕事に飽きて会社をやめる人達が続出してしまうのですよ。
仕事を見切ったとでも言うのかね?
その壁は、その人自身の壁なので、例えどのようなJenreの仕事に再challengeしたとしても、その仕事の中で、同じ水準に至っすると、同じ壁にぶち当たるハズなのです。
若さとは、とても羨ましいものなのですが、それは同時に未熟さを意味する言葉でもあるのですよ。
da VinciやGoetheのように、道を極めようとすれば、死ぬまでも目的に辿り着く事はありません。
もしも、目標に到達したと思えたら、それは自身の限界なのだからです。
それこそendlessの道なのだから•••❢
まあ、それはそうと、布団に入っても、いつまでも足が冷えたままで温まらないので、とうとう諦めて、アンカを出しました。
アンカは結構温かくなっているのだけれど、肝心の足は冷たいままで温まらないのだよな??
という事は、血流が悪いのだよな?
温まった血が流れないのだよな??


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1月28日雪だ!雪だ!! ·


目が覚めると、雨のような音がするので、ベランダへのカーテンを開けて見ると、結構、激しく雪が降っています。
「これはやった!バエるぞ!!」と、携帯で動画を撮るために、玄関のdoorを開けると、同じ階の住人なのだろうか、女の子がお母さんに文句を言っています。
「なんで雪が悪いのよ??」
お母さんは何か答えていますが、よく聴こえません。
•••そうだよな??
子供達にとっては楽しい雪でも、大人に取っては、雪は結構困りもので、迷惑な話かも知れないよな??
雪でワクワクするのは子供達だけなのかもね??
「雪だ❢雪だ❢」と喜んで、写真を撮っている私は、ヒョッとして、歳を経て還暦を遥か昔に過ぎてしまった私は、子供に戻ってしまったのかな??
でも雪の中を、bikeを飛ばして食事をしに事務所まで行くのは結構大変だよな??
bikeでは道が凍結すると結構slipするしね??
夜になって、雪は積もるには積もったのだけど、たいした事もなく、凍結を避けるために、早めに食事に出掛けたのだが、ドルは「道が濡れていて寒い!」と、散歩を拒否してしまった。
•••という事で、いつもよりも、かなり早めにハイツに戻って来たので、パソコンに向かってBaroque-Koncertの企画の続きを始めていたのだが、どういう分けだか、突然、強烈な鬱に襲われて、いたたまれなくなってしまって、作業が何も出来なくなってしまった。
仕方がないので、仕事を中座して、超、お久し振りに、Wineを飲んで気分転換をはかろうと思ったのだが、酔っ払う事も無く、逆に鬱が酷くなり過ぎて、美味しいハズのWineが、まるで不味い水を飲んでいるように思えてしまうのだよ。
これは困った❢
味がしないのは、別にコロナとは関係はないのだけどね??
いやあ、今回はどう欝から逃げようか??
You Tubeの鬱々Koncertを聴いても耳に入ってこないし・・、テレビで映画を見ても、集中出来ないし・・、酒を飲んでも、酔わないどころか、不味いだけだしね~ぇ??
愚や愚や、汝、如何せん❢
(虞美人草の虞さんはこの字だよ?愚はわざとだよ??•••って、シャレを説明するほどの不粋も無いよな?)
親子が部屋に入るのを待ってから、マンションの廊下からお隣りの金華学園の木々に降り積もる雪を撮影しました。
結構、大きな雪が降っていて、なかなかの動画だったよな?
東京では珍しいからね?
動画のbackgroundに流れている曲はVivaldiのviolin-Koncertのg moll Op.Ⅳ №6のⅡ楽章で、organの右手のpartとviolin-soloのornament(装飾と即興)は私の作成です。
Vivaldi ViolinConcerto g mollVivaldiのOp ⅣNr 6 - YouTube
Facebookでは、直ぐに著作権に引っ掛かるので、明らかに公的な演奏ではないと分かる演奏の方が良いのです。
動画は1分弱ですが、楽譜と音楽だけならば、完全版をYou Tubeにuploadしてありますので、是非閲覧ください。

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1月30日1月ももう終わりです。 ·

今日は1月も30日です。
明日の日曜日で1月も終わりという事なのだよな??
今更、月日の移ろいの速さを実感しているこの頃なのです。
Facebookのhomepageへのお引越しが終わって、「芦塚先生のお部屋」の修復の作業を始めたのですが、endlessの作業なので、
今は気分が乗らないので、中座しています。(これで2年間も放ったらかしにしたのだよな??)
ハイツでの引き籠もり作業の一つとしてなのですが、homepageの「芦塚先生のお部屋」の修復作業の他に、前々から気になっていた、You Tubeの動画を分類して掲示する作業を始めました。
402a42kaと言う私のYou Tubeのsiteなのですが、accessすると、発表会のselectされた演奏や、その他にオケ練習や室内楽の練習風景やlesson風景の動画が渾然(雑然)と収まっています。
子供達の演奏の曲を見たい・・とか、先生達の公開演奏のvideoを見たいと思っても、『402a42ka』のsiteの中では、なかなか探す事が出来ません。
という事で、前々から練習風景やlesson風景の教室のお勉強としての動画は、ジャンル別に「音楽教室のYou Tube上で掲載したい」と思っていたのですが、その作業のために、私が江古田と椎名町の教室を往復するのは、極めてシンドいのと、先生達がその作業を手伝ってくれる可能性が極めて低い(•••というか、全く無い!!)ので、諦めて、私のaccount上に、別のYou Tubeのaccountを作って、そのaccountにオケ練習や室内楽の動画、lessonのvideoなどをお引越しさせる事にしました。
You Tubeの機能としては、account名を変更するだけならば、事は簡単なのですが、元のaccountの動画の中から、特定のselectした動画だけを別のaccountにお引越しするのは、本来の機能としては、出来ないようで、一つ一つの動画をパソコン上に一度down loadして、改めて別サイトへuploadをし直して、元の動画を削除する・・という超、面倒くさい作業になってしまいます。
1台のパソコンの画面上で、You Tubeの二つのaccountを立ち上げるのは、誤作動が多くて、注意深く確認をしながら作業をしているのにも関わらず、同じaccountにお引っ越し元の動画が複製されてしまい、その動画を削除する所からのやり直し作業が何度も出来てしまい、無駄な時間との戦いになってしまいました。
それだけならば未だしも、お引越しをしている最中に「1日にupload出来る上限に達したので24時間経ってからuploadしろ」というmessageが出て、uploadが中断してしまいました。
新しく動画をuploadしている分けではなくって、ただ単にaccountからaccountへと、お引っ越しをしているのだけなのだが、型としては、新しいaccountに新しい動画をdownloadしている事になるのだろうね??
色々と超面倒くさい!!
いずれにしても「24時間作業が出来ない」という事は、明日の朝の6時過ぎにならないと、You Tubeのお引っ越しの続きが出来ないのだよねぇ?
もう一つの別の論文用のaccountならば、accountはまだ使用していないのだから、使用出来るのかな?
その内、試して見るか??
•••という事で、別のaccountで試して見たら、ちゃんと出来たよ!
・・・と思ったら、今度は「動画が長過ぎる」というmessageが出てupload出来ない!
Visitorは15分以上の動画はupload出来ないのだが、私の場合には、Visitorではない!という確認は取れているのだけれど、それでもupload出来ないのだよな??
accountの確認をして認証のやり直しをしても、uploadのtimeが変更出来ないのだよな?
困った❢
「認証されました!」というメッセージを確認しているのだが、時間のリミッターが取れなくて困っているのだよ?
いやはや、困った❢
sub-accountでは時間の制限が出てしまうようだな??
You Tubeのお引越し作業も上手く行かないし、homepageの修復作業もすっかり嫌気が差して来たので、ハイツに戻ったら仕事はしないで、直ぐに寝るか??と思ったのだけど、ハイツに帰る前になって斉藤先生から、「明日朝の1番のlessonに使う私のCello教則本のmelodieに伴奏が付いていないので、つまらないので、急遽、付けてくれ!」と頼まれて、大急ぎでハイツに戻って、(・・とは言っても、2時頃の話だけど・・)急遽、3曲のPiano伴奏譜を作った。4時前には、送って寝た。楽譜と音声とを・・
初歩のCelloでは音域も低いし、positionが0→1→2→4の指使いになるので、短調になってしまう。初心者の子供達は未だ指が回らないので、tempoも遅く設定しなければならないので、曲が重く、暗く、怖くなり易いので、難しい。


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1月31日鼻の手入れをしたのに息が・・ ·

今日は1月31日の未だ丑三つ時(深夜の2時から2時半の間)です。
1時前にはbedに入ったのに、息苦しくてbedから起き出してしまいました。
普段ならば、鼻詰まりで息苦しいのでしょうが、今日は早めに鼻の処置をしたので、鼻の通りは頗る宜しいのですがね??
まるで肺気腫のように息をしても酸素が肺に吸収されないのだよな??
多分オキシメーターを指先に取り付けても血中の酸素濃度は正常な値しか示さないだろうよな?
殆ど無意味である事は分かってはいるのだけど、まあ、気分の問題でsports用の携帯の酸素を出して来て、吸入した。
まあ、だからといっても、なにか体調が変るわけではないのだけどね??
もう少し痩せて、心臓に掛かる負担が幾分改善されたら、この息苦しさからも解放されるのだろうけれどね??
それが分かっているからといっても、だからといって痩せれるものではないのだよな??
それに人間の体というのは、絶妙なバランスで成り立っているのだ。
歳を取って喉の渇きで唾を飲み込んだとしても、そのタイミングが崩れると、息が出来なくなって大変な事になってしまうのだよ。
若い頃には思いもかけない事が、歳を取ると、命取りになってしまうのだよな?
怖い❢怖い❢


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1月31日『windows10の余計なお世話のphoto』 ·


subパソコンに保存している写真が必要になったので、パソコンを立ち上げて写真を探したのだが、保存したハズのhard-diskの写真が全部無くなっていた。
以前、photoを立ち上げたら、削除したハズの過去の全ての写真が表示されたので、表示されて欲しくない画像をphoto上で削除したら、hard-diskのdataも全て削除されてしまったようだ。 
超、Shockだ!!
まあ、しかし、尤も、パソコンのhard-diskの保存に関しては、よくそんな事があるので、写真自体は別のhard-diskにも、back・upはしてあるので、取り敢えずの問題はないのだけど、photoを開くと、勝手に全ての画像dataのslideshowがおっぱじめるのは問題だよな??
削除したハズのhard-diskの写真や動画までが、cloud上に記憶されていて、勝手にslideshowをしている。
こりゃあ、なんじゃあ??
不自然な動きなので、確認のために、もう一度photoを開いて見たら、何と、一度も開いた事の無い、全く知らない写真や動画も一緒に立ち上がっていたのだよ??
宣伝らしいのだけど、いったい、なんだろう?? これは??
自分の昔のdataで、既に削除したdataだけではなく、全く見た事も無い、知らない写真や動画までも立ち上がるのだよ??
これは超、迷惑な話だ。
なんで、windows10はそんな無駄な事ばかりするのだろうか??
serviceのつもりなのだろうけれど、「余計なお世話」・・という言葉を知らないのかね??
パソコンというものは、TPOがあって、必ずしもprivateだけで使うものではないのだよな??
仕事で使う時に、そんな無駄な画像や動画が出て来たら困ってしまうだろう??
windows10になった頃からの一度閲覧した画像が、月別に表示されているのだよな?
まるでnetのゴミ屋敷だよな?
一度見たものは捨てられないってか??
それはそうと、1月最後のオケ練習とbaroqueKoncertの練習という事で、6時40分までlecturelessonをしたのだけど、何故か超バテてしまって、その後、爆睡してしまって、食事の時間を寝過ごしてしまった。
・・という事で、仕方なく、お弁当にして貰って、bikeで取りに行った。
椎名町から帰って来て、さて、食事でも・・、或いは仕事でも・・と思ったのだけど、体調不良と欝が始まって、それどころでは無くなってしまったのだよな??
という事で、ウダウダと時間が過ぎて、深夜になってしまった。
まだ何も食べていないので、後ろめたいのだが、腹は減っているので、とんでもない遅い晩飯にしたのだが、朝は相変わらず冷蔵庫には食い物が全くないのだよな❢
またまた食い物を求めて、椎名町までbikeで行かなければならないのだが、さっき、数時間前に行ったばかりなのだよな?
わざわざ着替えてbikeを飛ばして寒空の中を弁当を取りに行くのも、疲れてしまった。
空腹よりも、寝ていた方が良いと思ったのだがね❢ (ぶっ飛んで無くなってしまっていたこの文章を編集履歴から復元して起きました。)

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2月

2月2日昨日の2月1日は体調不良で・・ ·

昨日の2月の1日の月曜日はハイツの冷蔵庫の中には食料が全く無かったので、朝ッパラから椎名町でお弁当を作って貰って、bikeで取りに行く予定だったのですが、体調が戻って来なくて、折角、午前中には食べれるように作って貰ったにも関わらず、体調があまり良くなくて、bikeでお弁当を取りに行くのはお昼過ぎになってしまいました。
やっとこ去っとこ、3時頃になって、bikeで椎名町までお弁当を取りに行って来たのですが、ハイツに戻ってからも食欲が無く、夕方頃の6時、7時頃になって、やっと朝食を食べる事が出来ました。
その後、あまり時間を開けないでの夜の食事になってしまったのですが、それでは、1日に2回も椎名町に行く事になるし、また体調も芳しく無く、bikeで出掛けるのも慮られるので、「椎名町まで食事に行く事はパスしようかな?」「それとも、弁当にして取りに行くかな?」と悩んでいたのですが、いずれにしても「ドルプリッ歩はパスしよう!」と思っていたのですが、月曜日の夜は、先生が千葉でのlessonが終わってから椎名町に戻って来るのは何時も時間が遅くなってしまうのですが、それにもまして今回は食事の準備が遅れていたので、なんとなくウダウダと私が椎名町までに食べに行くtimingとあってしまい、晩食は先生と椎名町で一緒に食べる事になりました。
月曜日に無理をして東京に戻って来るのは、基本的には私の食事のために・・ではなく、私が椎名町でドルプリの食事とお散歩を一人でさせるのは無理なので、そのお散歩のために・・という事なのですが、私の方は、ドルプリのお散歩も、体調不良でパスをする予定だったのだけど、食事が終わってお散歩の段になったのですが、プリが一緒に行こうとせがんで、しつこかったので、仕方なく散歩に付き合ってしまいました。私が同伴しないとお散歩に行きそうに無かったのでね。。
•••という事で、食事とドルプリっ歩が、超遅いrotationになってしまって、ハイツに戻って来れたのは、相も変わらず丑の刻の2時直前になってしまいました。
・・・という事で、さて寝ようと思ったのですが、いつものように鼻が詰まって眠る事が出来ません。
起き出して、netで映画を見たのですが、椅子に座って映画を見始めた途端に一瞬で寝てしまって、storyどころではありませんでした。
慌てて直ぐにBedに入ったのですが、今度は、目が冴えて来て眠れないのですよ❢
・・・という事で、起き出して、netの映画を見始めると、一瞬で椅子に座ったままに••••、という堂々巡りに陥ってしまいました。
まあ、そうこうしている間に、何回目かには布団の中で眠ってしまうのですがね??
それまでの長い事!長い事!!


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2月2日 You Tubeのお引越し作業で、1日の限界点が·

今日は2月2日の火曜日です。
朝の通常の時間からはこの所、続けている作業の「オケ・室内楽の練習video」のお引越しの作業をしたのだが、2.3時間後の、11時頃には、たった10曲ぐらいで1日の限界点に達してしまった。
You Tubeで調べて見ても、なんギガまで・・とか、なん本まで・・という制約に関しての項目はないようなのだけど、オケ練習の動画なので、1本当たりが1時間以上もなる事があるので、やっぱりギガ数の制限があるのかな??
次の作業はまた24時間待たなければ、開けないのだよな。
超、面倒くさいのだ??
普段のオケ練習の時の動画のuploadは多くても5本ぐらいなので、uploadに支障はないのだけどね??


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2月3日120年ぶりの2月3日の立春だそうです ·

今日は2月の3日の水曜日です。
よく意味が分からないのだけど、120年ぶりの2月3日の立春だそうです。
次いでに歯医者に行く予定の日でもあります。
昨日から、コロナの緊急事態宣言の延長が3月の7日までになったという政府からの発表があって、世間では大騒ぎです。
3月の7日という事ならば、モロ、新教室での初のbaroqueKoncertの予定が3月7日だったので、完全にbookingしてしまいます。
教室のrotationや出演者の都合もあって、日にちを変更するのは無理なようです。
まあ、無観客にしてlive配信にすれば良いだけなので、昨年の春の発表会と全く同じなので、教室としては、大きな影響は無い•••とは思うのだけどね??
菅さんは「可逆的に事前に解除される可能性もある」とか言っているけれど、企画をする側では、「可逆的」と言われても、対応のしようが無いよね??
一応は無観客という事で進めて於いて、緊急事態宣言が解除になった時点で、公開に切り替えれば良いだけなのだよね??
コロナに限った話ではないのだけど、外界では色々な事があるようですよね??
今日の午前中は、昨晩からの二度寝、三度寝が出来て、朝は気持ちよく起きれたハズなのに、目が覚めてからは、お腹が腫れて痛い。
昨夜は、暴飲暴食をした覚えはないので、腹痛の理由が分からない。
寧ろ、stressで胃酸が出て、胃を痛めたのかな??
起きて暫らく安静にして椅子に座っていたら、段々と痛みが収まって来たのだが、なぜ、薬も飲まないで、安静にしているだけで痛みが収まるのだ??
理解不能だ??
定時の体重測定と血圧の測定をしたのだが、血圧が異常に低い❢
2回目、3回目と計り直したのだが、やっぱり、異常に低いのだよ。
上が92ぐらいしかないのだよな??
そういえば昨日も血圧が低すぎて、90を切ってしまったので、2度、3度と計り直したのだよな??
3回目からは通常の血圧に戻ったのだが、まあ、血圧を上げるのは簡単だからね??
少しだけ、体を動かして心臓に負担を掛ければ血圧は元に戻るのでね?
今日は朝は気持ちよく起きれたハズなのに、パソコンの前に座った途端に意識混濁状態になって、何度となくBedと往復をしています。
つまり、今日は朝から仕事にならないのですよ。
それどころか、歯医者に行く時間に起きれそうになくなってきました。
これは困った❢
という事でハイツを出発する1時間前にtimerをsetしました。
つまり、今日は1日中ウダウダと半分は寝ているのですよ。
「頑張って仕事をしなければ」•••とは思っているのですが、その気分にならないのですよ。
自己嫌悪に悩まされています。
まあ、全ては歯医者が終わってからなのだよな?
歯医者の出発時間よりも1時間前に起き出して時間が余ったので、オケ練習の動画のお引越し作業を10本やりました。
歯医者では上手く型が取れないので・・という事で次の被せてある歯の被せ物を外して、型を取ったので、次の歯の治療が始まってしまいました。いやあ、endlessだよな~あ??
歯医者から帰って来て、また動画のお引っ越しを3つぐらいしました。何時limitのメッセージが出るのかヒヤヒヤものです。

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2月4日未だ2月3日のお話の続きなのですが ·

未だ2月3日のお話の続きなのですが、歯医者から帰ってから、動画のお引越し作業を少ししていたら、所定の時間で突然Energieが切れて、寝込んでしまいました。
・・とは言ってもこの時間になるとEnergieが切れるのは、今回に限った話ではなく、いつもの事なので、定形のroutineと言っても良いのですがね??
・・という事で布団でしっかりと寝込んでしまって、cinderella-timeを過ぎた12時過ぎに目を覚ましてしまいました。
慌てて携帯を見たら、食事の時間の連絡が来ていたのだけど、布団から出る元気が無かったので、そのまままたまた眠ってしまいました。
食事に来ないのでお弁当にして玄関に置いてあるという旨のlineが来ていましたが、次に起きた時にも、やはりbikeでお弁当を取りに行く勇気は無かったので、そのまま朝まで寝てしまいました。
朝起きて、またroutine作業の動画のお引越しをしたのだけど、外はとても素晴らしいお天気のようなのだけど、寒くてお弁当を取りに出掛ける気にはなりません。
というか、お腹が空かないのですよね??
寝てばかりで、動いていないので、お腹が減らないのは当たり前なのかな??
routineの作業をしていたら、テレビで春一番が吹いたと言っていました。
体調が不良な時には、集中力が持続しません。
何度もパソコンとBedを往復して、いつもの夜の時間になったのですが、食事の連絡が入ったのですが、やっぱり寝過ごしてしまいました。
体調不良というか? ・・・元気がなかなか出ないので、今夜もそのまま寝ていたかったのですが、流石に3日続けての引き篭もりでもないので、頑張って、予定よりも1時間遅れで椎名町に行きました。
先にドルプリッ歩を済ませておくように言って、無理をして急がないように気を付けて準備しました。
体調不良も欝も比較的に軽いので、なんとかなっています。
ただ、日常の作業が、過去の仕事を纏めるだけなので、少しメゲて来てしまいました。
そろそろ過去にやって来た仕事では無い新しい仕事がしたくなって来たのだけど、やり残した膨大な仕事を前にして、途方に暮れてしまいます。
腹を空かせたロバを食料倉庫に放り込むと、どれから食べて良いのか分からなくなって、餓死をするという笑い話がありますが、そのロバの心境です。


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2月6日今日は、なんと2月の8日になってしまいました。 ·

今日は、なんと2月の8日になってしまいました。
「2月は逃げる」と言われているように、一瞬で第一週目が終わってしまいました。

『You Tubeのaccountのお引越し作業』
今日はお昼の12時までには、1月の30日から始めていた「オケ練習と室内楽とlessonのvideoのお引越しの作業」が1週間ぶりに、やっと完了しました。
以前にも書いたように、全部の動画を別のaccountに移動する事は、accountを書き換えれば良いだけなので、頗る簡単で、一括で出来るのですが、選ばれた動画を別の二つのaccountにお引っ越しをするという事では、動画を一度パソコン上にdownloadして、それを目的のaccountに更にdownloadするという、とても面倒くさい作業をしなければなりません。
しかも、動画とそのTitleだけは一緒にdownload出来るのですが、その動画に書いてあるcommentは一緒にはdownloadが出来ないので、動画をdownloadする前にcommentだけをWord上に保存して、目的のaccountへのお引っ越し作業の時に、comment欄にpasteをしなければなりません。
面倒くさい作業がもう一手間増えてしまいます。

更に、お引越し作業を面倒くさくしてしまったのは、動画の中には、You Tubeからパソコンに直接download出来なくなっている動画が幾つかありました。
そのような動画は、致し方がないので、一度You Tube上の動画をnet上からパソコンにdownloadしてから、新しい動画として目的のaccountへdownloadしました。
中には、そのnet上のYou Tubeからのdownloadさえ出来なくなっている動画が、一つ、二つあったのですが、それはYou Tubeへuploadする前の元の動画をパソコンのbackup-dataから探し出して、You Tubeへdownloadをし直しました。
そういった頗る超面倒くさい作業なのですが、更に面倒くさいのは、動画のdownloadやuploadの度に10分、20分の時間が掛かってしまって、その間はパソコンは何の作業も出来なくなってしまう事です。
そのパソコンでの作業が全く出来なくなってしまう時間には、ぼんやりしていると時間の無駄なので、別の作業をしなければなりません。

パソコンのupload、downloadの作業が終るまでを、timerを掛けて他の作業をしました。(drama等で息抜きをしても良かったのですが、ちょうど良い所でtimerが鳴って、dramaを中座しなければならなかったのでね??)
upload、downloadの作業が終わったら、元のaccountの動画を削除して、やっとお引っ越しの作業が一つ終わります。
その面倒くさい作業を約一週間続けたのですよ❢
我ながら、素晴らしい忍耐力です。自我自賛です。
作業自体は単純作業なのですが、間違えてもパソコンがその間違えた作業を終るまではcancelが出来ないので、間違えた場合には、無駄にパソコンの前で、間違えた作業が終るまで、待っていなければなりません。
やっと、作業が終わったら、cancelでその作業を削除します。
まあ、パソコンの作業は、まだまだ、面倒くさいのですよ❢
ひたすら、忍耐力を試される作業でした。 
「整理整頓をする」という事は、とても大変な面倒くさい事です。
ですが、人間、生きていれば、段々と物が溜まっていって、雑然として来る事は明らかです。
人生の区切りでは、終活ではありませんが、整理整頓をしなければなりません。
「物を大切にする」という物の無かった頃の世代の捨てられない世代の人間としての私にとっては、物が溜まって部屋が雑然として来るのは、致し方ない事なのですが、それでも、反省を伴って部屋の整理に時間を掛ける事があります。
「部屋の乱れ」は「心の乱れ」なのですよ。
欝が酷くて、何も出来ない時には、自分の手の届く範囲内で、片付ければ、気持ちが少しは晴れます。
その積み重ねが大切なのです。
『通奏低音の演奏法について』
baroque時代はpolyphony(複音楽)の時代なので、ViolinやCelloのsoloの曲には、通奏低音という伴奏の低弦の楽器とのduoの譜面で作曲されていました。
Cembaloやguitar等の和音を補填する楽器は、書かれた低弦楽器の音符の上に書かれた数字を見て、即興で和音を演奏していました。soloに対しての低弦のpartは、伴奏として・・ではなく、soloの楽器との対話として、書かれていました。
ところが、ロマン派以降に書き直された伴奏の譜面は、当時の演奏形態を反映して、右手を中心とした完全な伴奏として書き直されてしまって、折角の低弦との対話としての音楽が、soloだけの語りとしての音楽へと、その本質的なapproachが変わってしまったのだよ。(本質的な・・という意味は、分かり易く言うと、二人でお話をしているdramaが、一人で話掛けるだけの、対話の無いdramaに変わってしまった・・という事なのだよ。一人芝居というのは、相手が答えるであろう対話も、Monologueとして語らなければならないのだけど、baroque音楽を現代風に書き直したversionでは、その相手の返答が無い不可思議なお話になってしまっているのだよな??「baroqueのsonateはつまらない!」という人がよく居るのだけど、相手の居ない対話のdramaを見ていて、理解不能になるのは当たり前の話なので、「つまらない」というのも当たり前の話なのだよ??)
つまり、通奏低音のCelloはsoloと対話をしていかなければならないのだが、現代の伴奏では右手が主で左手は右手に付随するものでしかなく、soloに対しての対話としての、その重要な意味を失ってしまっているのだよな。
バロック時代の様式では、basso continuoを演奏するCelloの奏者は、soloと対等に対話し、演奏しなければならない。
その対話を知るには、作曲家が書いた当時の楽譜の形態、所謂、basso continueoの楽譜で見ないと、その音楽の対話は分からない。
世界的に権威のあるBärenreiter Urtext版のHändelのViolin-sonateの楽譜なのだけど、私の持っている版が古くなって来たので、新しく購入をし直したら、古いversionではViolinとcontinuoとCembaloのscoreと、Violinとcontinuoのpartのscoreの2冊組になっていたのが、演奏用にCembalo用のscoreの譜面とViolin-soloとCelloのpartになっていたのだよな??
つまり、originalの楽譜であるViolinとcontinuoのscoreが無くなっていたのだよ。超、Shockだった!!
日本では超有名な演奏家であるviolinistと、若手number-oneとされているcellistがコラボして、Vivaldiの四季の演奏をしていたのだけど、超Shockだったのは、cellistが単調に通奏低音を演奏しているだけだった事で、全くbaroque音楽を知らない・・ズブの素人だ・・という事に驚いてしまったのだよ。
まあ、日本ではbasso continuoの演奏法がある・・という事すら知られてはいないのだから、当然と言えば当然なのだけど、それでも実際に見てしまうと、やっぱり、shockだよな??「日本の若手topのplayerですら、このlevelか??」・・という事なのだよな??

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2月9日『楽譜のお話』 ·


私が非常に大切にしている物があります。
それは楽譜なのですが、その中でも特に大切にしている楽譜は、作曲家の自筆のfacsimileの譜面です。
•••てな事を言うと、「音楽家なのだから当たり前だろう!」と思われるかもしれませんが、不思議な事に、実際にはそれは違うのですよ❢
一般の演奏家の人達は、自分自身の楽器は、とても大切にしているのですが、楽譜は消耗品としか考えていないので、結構ぞんざいに扱っています。
その理由は、楽譜は著作権の関係で、copyをしないのが原則なので、だから出版されている楽譜に直接、注意事項を書き込む事が鉄則であり、演奏家の楽譜や大学教授達の楽譜は、それがHenle版やBärenreiter版のような権威のある高価な版でも、演奏時に乱暴にPage捲りをしたり、書きなぐったりして、非常に汚く扱います。
私のように、楽譜を大切にするために、元の楽譜をcopyしてそのcopyの楽譜に書き込む音楽家は基本的にはいません。
その理由は、copyした楽譜には著作権が無いので、作曲者や出版社の保護のためにcopyをしない事の方が原則的なのだからです。
という事なので、copyした楽譜をlessonに持って行くと怒り出す教授達もいます。 
そういう事で、音大生達は非常に分厚く重たい楽譜でも、実際に出版された楽譜を持ってlessonに行く事が原則なのです。
そういうこの私も、音楽大学の学生の時には、lessonには先生の指定する高価な楽譜を持って行って、その楽譜に先生達が乱暴に赤鉛筆で書き込むのを、我慢していました。
Henle版のBeethovenのsonate集等は、全2巻になっているので、それこそ、手持ちでは無理なぐらいの電話帳ぐらいの重さの楽譜を何冊も携えて学校に行く事が多いのです。(私達の時代には未だ引きずって行けるコロコロのような台車は無かったので、皆手持ちでしたよ。)
私のように、元譜の楽譜をcopy元の楽譜として大切に保存するという事は、不思議な事に、音楽家としては正しい行為ではありません。
だから、楽譜が汚くなって、lessonや練習の時の使用に支障が出るようになったら、買い換えるのが一般的なのですよ。
音大の学生達にとっては、書き込みで真っ黒になって、ボロボロになって汚くなってしまった楽譜は、よく勉強したという事の証なのですよ。
勿論、私も学生時代からのBeethovenやChopin等の常用の楽譜は、数冊同じ楽譜を所有しています。
私の場合には、古くなって、書き込みで汚くなってしまった楽譜でも捨てられないからなのです。
しかし、Doubleやtripleで楽譜を集める事は、超絶に経済的に負担を与えて、それは現実的ではありません。
貴重な楽譜や室内楽の楽譜は、1冊でも万の桁を越す楽譜も少なくは無いからなのです。
でも高価な楽譜を集める事は私のlifework的な趣味で、私にとっては楽譜はdiamondやbrandのカバンや衣装よりも価値のあるものだからで、copyもやむなしと言う事なのです。
(更に今では、音楽教室を開いてからは、各教室に必要最低限の楽譜を置かなければならなくなってしまったので、同じ楽譜を数冊揃えなければならなくなってしまいました。
「楽譜は教室で揃えるものなので、私には負担は無いのでは?」と思われるかも知れませんが、これがまた違うのですよねぇ?
税務署で認められる教室の備品としての楽譜は、基本的にはありません。楽譜は生徒が買うものなので、教室に買う楽譜は控除の対象としては認められないのですよ。
という事で、各教室の分の楽譜も泣く泣く私の個人的な出費になるのです。勿論、私が買ったからと言っても、税金の控除の対象にはなりません!! 勿論、baroque-Violinやbaroque-Cello、Cembaloも教室の備品としては認められません。そんな特殊な楽器を持っている音楽教室は有り得ないからです。それを持っている所は学校法人なので、全く別の組織なのです。)
こういった「音楽家が楽譜をゾンザイに扱う」という習性は、実は戦後の時代の比較的に新しい習性なのです。
Americaの学生達が教科書をベルトで束ねて、尻の下に敷いて座る・・という事を映画等で見て、少なからずShockを受けてしまいました。高校の時代の学生達には、それを「カッコ良い!!」と思う学生もいたようなのですが、私はそうは思いませんでした。 
私の家の家訓では「教科書は床に置いてはいけない」と教えられて来たからです。
つい近代のEuropaの社会でも、本はとても貴重なものとして払われて来ました。
ハイツにある蔵書の中で、Europaで買って来た100年以上も前の古い本は印刷された部分に対して、余白が非常に多く取ってあります。
それは本が古くなって来てボロボロになって来たら、本の余白の部分を細断して、新しく本を製本するための余白なのです。
そうして、何度も製本された本は最終的に印刷された部分に対して、ギリギリの余白しか無くなってしまいます。
それが本の寿命になるのです。
私達が音大生だった頃までは、製本屋という職業があったのですが、今は見かける事はありません。
製本する程の価値が本に無くなったからです。
製本するよりも買った方が安い・・という事です。
同じ楽譜でも、特に高価な楽譜は作曲者の手書きの楽譜のfacsimileや、初版本のcopyであるfacsimileの楽譜でしょうかね??
または今は絶版になってしまって、手に入らない貴重書もあります。
運良くMünchen時代に図書館で借りて、copyした楽譜もあります。
今は、netで図書館からdown load出来るようになっているものもありますが、いずれにしても出版物としては手には入りませんfacsimileの楽譜になります。
私が音楽大学に在学中であった頃には、facsimileの譜面は(今でも出版されているfacsimileは非常に高価ですが)非常に高価であって、東大卒業の友人たちの3倍以上も稼いでいた私に取っても、なかなか収集する事は難しかったのです。
東大卒の友人達の初任給は当時2万から2万5千というぐらいでしたから、楽譜が2万という事は、現在は東大卒の初任給は20万程度なので、たった1冊の楽譜代が20万という事になりますよね??
facsimile楽譜の高価さが分かるでしょう??
・・・だから、清水の舞台から飛び降りるように、意を決してfacsimileの楽譜を本郷のアカディミア楽譜屋に買いに行って、facsimileを購入した時には、祝杯をあげるぐらいに嬉しかったのですよ。楽譜を抱いて寝るぐらいにね??
作曲家の自作自演のレコードと共に、facsimileの楽譜は今でも私の貴重な財産になっています。
私がよく生徒達に「私の楽譜代だけで、家が2軒は建つ!」と豪語している所以ですよ。
この20年ぐらいになって来たら、パソコンの発達とnetの普及で、全世界の図書館が作曲家の貴重な手書きの楽譜を無料で、netで配信するようになって来ました。
昔々、高価な金額を払ってやっと購入した楽譜が、なんとnetで無料でdownload出来るのですよ。
素晴らしい時代になりました❢
facsimileの楽譜は、私にとっては、神棚に飾って置く以上に、権威のあるHenle版やBärenreiter版よりも更に権威があって、そういった権威のある版と言われている版の誤りを修正するための拠り所となっています。
facsimileの手書き譜をUrtextの修正用に使用するという意味は、作曲家が自分自身で書いているから常に正しい・・という意味ではありません。あくまでも、「権威のある原典版の解釈よりも、作曲家自身の解釈の方が、より時代的に(period的に)論理的に正しい!」という意味なのです。作曲家でも時折missを犯します。でも、Urtextでそれを修正した楽譜は見た事はありません。寧ろ、浅知恵で、作曲家の考えた深い意図を汲んでいない事で、下手な修正をする事の方が多いのです。後は、period的な(時代考証的な)背景を知らないとか・・の話なのです。
特に、baroque時代の楽譜や、古典派の時代の楽譜については、根本的にfacsimileに頼らなければならない•••という必然性があります。
baroque時代や古典派の時代の楽譜については、Henle版やBärenreiter版が幾ら権威がある版と言っても、その解釈の拠り所は、もはや古臭くて、現代の解釈では誤りとされる事の方が多くなって来ています。(その根本的な理由は、baroqueの音楽が最初に復刻されたロマン派の時代では、baroqueの時代や古典派の時代の楽器は未だ未発達の楽器であって、その当時はviolinやpiano等の楽器の改良をしている時代なのでした。だから、音楽そのものも、その時代の楽器に合うように改編する事が一般的であって、その多大な貢献をしたのがFerdinand Davidでした。
Davidはbasso continuoで伴奏をする曲を、Pianoの伴奏の曲に書き直しました。
Cembaloという楽器やviola da gambaという楽器が完全に人々から忘れ去られて、その理由が「楽器が未発達であったから」という理由が正当化されて、baroqueの音楽をPianoで伴奏する事が当たり前になってしまい、それがこんにちのbaroque音楽のimageになってしまいました。
しかし、こんにちでは、baroque時代の音楽や、古典派の時代の音楽を正しく理解する事が研究されるようになって来て、演奏そのものも、当時の楽器を復刻する事によって、当時の演奏のstyleで当時の音を再現して演奏する事が、現代の最先端の音楽の研究になって来たのです。
一般的に「貧弱だ!」と思われていた、当時の楽器による演奏も、当時の音楽のsponsorである貴族の所有するHallの広さや、baroque-Violinやviola da gamba、baroque-Celloの音量からすると、Cembaloの音量も決して貧弱なものではなく、充分に満足の行くbalanceの取れたものだったのですよ。
その時代の楽器を、突然に大人数の大Hallでの演奏に当て嵌めたから、楽器が貧弱に思われたに過ぎないのですよ。
・・ですが、いざ楽器や演奏のstyleを当時のままに戻す・・とは言っても、一度失われた音楽の演奏styleを元の姿に戻す事は容易ではありません。
ロマン派の時代の誤った解釈から、正しい時代考証を経て、baroque時代や古典派の時代の音楽を当時のままに再現するのには、現実的には、この2、30年に過ぎません。
periodの研究が、その成果を見せ始めるようになったのは、periodの楽器が完全に復刻されるようになって、古典のstyleで演奏がされるようになった1990年以降の話しになるのです。
つまり、それ以前のbaroqueや古典派の音楽は、「・・であると思われる」の仮定の世界だったのです。当然、先進的なperiod奏法の演奏家達も、「こう思われる」の仮定の演奏であったのです。
という前提の元に、Henle版やBärenreiter版の楽譜は100年も、200年も前のロマン派時代の歴史認識を伴わない古ボケた昔々のinterpretation(解釈)に過ぎないのだ・・という事を理解していなければなりませんよね❢
それこそ、Ferdinand Davidが提唱した、ロマン派時代の解釈のbaroque音楽であり、ロマン派時代の解釈の古典派の音楽に過ぎないのですよ❢
その音楽が現代でもbaroqueや古典派の時代の音楽としてまかり通っているのです。
ここまでは、baroqueや古典派の時代の古い時代のお話しでしたが、話しとしては、近代現代でも、基本的には同じなのですよ。
私のlessonでは、「現代音楽は古典派の時代の音楽に対して、超簡単だ!」とlectureしますが、生徒達にはそれが理解出来ないようで、困ってしまいます。
現代音楽、所謂、contemporaryな音楽は音楽は非常に鋭いのだけど、音楽的な構成等は、古典派の音楽に比べて非常に簡単な構成になってしまっているのですよ。
鋭い音を聴き分ける耳を育てる事が出来るようになれば、音楽・・それ自体は簡単なものになるのです。
私はStravinskyが『春の祭典』を作曲した時のsketchを持っています。そこにはStravinskyが『春の祭典』を作曲して行く行程がmemoとして標されているのですが、とても面白いですよ。
大きな紙に無数の断片が書かれている大判の膨大なmemo帳なので、数万円もしますがね。
まあ、私にとってはそちらの方が本職なので、そちらの研究の方がより専門的に研究しているのですがね?
baroque音楽や古典派の音楽は私にとっては趣味の世界なのですが、現代音楽では飯が食えないので、致し方はありません。

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2月11日『夢のまた夢のお話』 ·


今は2月の11日木曜日の朝の5時半になった所ですが、変な夢を見て目が覚めてしまいました。
one•roomの箱型のちょうど仮設住宅のような建物が立ち並ぶ一画の中のひと部屋で、テレビの写りが悪いのでアンテナを必死に直している夢でした。
「なんなんだ??こりゃ~??」
勿論、そんな家は私は住んだ経験はありませんし、アンテナを弄った覚えもありません。
目が覚めた後でも鼻詰まりが酷くて、酸欠になってしまったのか、頭痛がしてしまいました。
朝の5時半に一度目が覚めてからは、1時間起きに頻尿で目が覚めてしまいます。
3回目の8時10分を過ぎた辺りからは、頻尿のついでに左の足首から先が攣ってきて、布団の中で足の置き場に困ってしまって、起き出してしまいました。
睡眠の絶対時間が足りないので、1日中、寝たり起きたりの病人のような生活をしてしまいました。
次の日の夜は、椎名町からの帰宅が遅くなってしまったので、ま直ぐに寝たのだけど、それでも入眠時間が何時になく非常に遅かったので、ダラダラとBedで寝続けたのですが、頻尿で何度も起きたので、絶対的には睡眠時間が足りなくなってしまうのだけど、いつものように例え睡眠時間が足りなくても、小刻みな睡眠時間の合計が、ちゃんと眠れた時の睡眠時間であるかのように、睡眠時間を充分に取るつもりだったのですが、「鼻詰まり」で、これ以上は布団に入って寝ている事が難しくなって来たので、8時半になった所で、頻尿で起きたついでに、思い切って起きてしまう事にしました。
都合、4時間も頻尿と格闘していた事になります。
しかし、その理由は、腎臓が片一方しかない上に、度重なる造影剤の使用で、腎機能が透析の一歩手前まで来ているので、利尿作用を即す薬を飲んでいるのが原因なので、この頻尿は腎機能を補助するためなので致し方はありません。
透析になるのをくい止めるために、薬でやむなくそうしている所もあるからです。
頻尿では、どうしても眠りが浅くなってしまうので、充分な睡眠が取れなくなってしまい、結果、疲れも取れないのだけど、それよりも腎機能を高める事の方が優先なのでね??
起きて椅子に座ると「鼻詰り」は、まあ、なんとか解消されるので、パソコンに向かって仕事をする分には支障はありませんし••ね??
熟睡が出来て、前日の疲れが取れて起き出した分けではないので、夕方になる頃には、椅子に座ったままで、呆然と意識混濁になって来たので、布団に潜り込んだのですが、それでも、眠れないのですよ。
布団の中でウダウダと想い悩むのです。
眠っている分けではないのですが、心に浮かぶよしなしごとを浮かんでは消え、消えては浮かび・・していると、なんとはなく漠然とした断片的な思考から段々とstoryが立ち上がって来ます。
漠然としたあり得ない日常が、いつしか現実との区別がつかないrealな夢になって目の前に浮かんで来ます。
覚醒したままで、夢を見ているのです。
器用な事ですよね??
寝ているのに、周りの音が360度全部聞こえる禅の状態と反対の状態なのかな?
そうこうしている間に完全に睡眠状態になって、見ている夢も本当の夢になって来ました。
『ここからは夢のお話です。』
どこから帰って来たのかは分からないのですが、久し振りに江古田の町に帰って来ると、住んでいたはずの江古田の家もなくなっているし、他に借りていたハズの部屋があったのですが、どうしても思い出せないのですよ。
徘徊の老人達が自分の家を求めて徘徊をしている時の想いなのかな??
自分のいるべき場所が見つからないのは、とても不安な感情です。
私のお袋の場合には、長年の一人暮らしの孤独に耐えられなくて自ら望んでhomeに入ったのですが、こんにちでは老老看護が多くなって来たので、介護が出来なくなってしまって、homeに入れるcaseが多いのではないのかなと思っています。
その場合には、入居者の老人は自分で望んでhomeに入った分けではないので、homeを「終の棲家」というimageで受け入れる人は少ないのではないのかな??と思います。
老人の話としては「自分の家に帰りたい」という事をよく聞くのでね??しかし、その住みたくない・・というhomeですら、入居するのはとても大変で余程の運が無いと入居出来ないのが現状なのですよ。
今日の夢では、私も、自分が借りていたハズの部屋が分からなくなってしまって、自分の部屋を探して、江古田の街(••とは言っても見たことの無い見知らぬ住宅街)を放浪していると、公園のような広場の一画に小さな庵(いおり)のような素敵な家があって、入口から玄関までには小さな飛び石があって、入口には木の板に焼印を押された「芦塚」と書かれた看板がありました。
多分、それが私の新しい家だったのでしょうかね??
部屋の中は珈琲と陶器のお土産を置いてある小洒落た喫茶店になっていて、客が満席に座っていた。
つまり、私の家がそのまま、お店として貸し出されていたのだよな。
でも、私はその部屋を知らないし、一度も店賃を貰って事もないし、お店の人達も皆見知らぬ人達なのだよ。
知らん顔をして、お客になりすまして店の中に入ってその事を電子手帳に書こうとしたのだけど、その電子手帳には 文章を書くPageが無いのですよ。
小さなガラスの丸の中に、上書きしていくと、それが文章になるらしい。
前に書いた文章が見えないので書くのが難しい。
大家としての手続きは先生達に任せるとして・・、はてさて、私はこれからどこに行けば良いのか?
私の住まいはどこにあるのか??
・・暫し考えて、江古田の駅の近くにも私の住まいがある事を思い出した。
「そうだ! 江古田の駅まで戻れば、まだ何処かに私の住まいが残っているかも知れない。」
そう思ったら、江古田ハイツのmansionの遠景が漠然と見えて来て、とぜんない心から少しだけ解放されたような気がして来ました。
やがて布団の中にいる自分を自覚して、やっと・・恐ろしい、寂しい、泣き出したくなるような孤独さのいつもの夢から解放されるのですよ。
これがこの所のroutineになってしまっているのだよな??
つまり、今住んでいる江古田ハイツの住まいは、私の潜在意識としては「終の棲家」としては認めていないのだよな??
私の潜在意識的には、未だに、Cosmopolitanistとして、放浪を続けているのだよな??
産まれ故郷の400年間続いて来た家はもう無いし、中、高生の時に過ごしたアパートももう取り壊されて新しいmansionが立ち並んでいる。養父の病院も売ってしまったしね??
つまり、帰る故郷もないのだよな??
・・・てな事をウダウダと書いていたのだけど、なんと今日(12日)は寝直しがちゃんと出来たのですよ。
今日の朝は5時半にいつものように目が覚めて、そのまま朝早くの仕事を9時までしていたら、眠くなって来たのでbedに戻ったら、不思議な事に、12時半まで熟睡出来たのですよ。奇跡だよな??

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2月12日テレビでは、森元総理が女性蔑視の発言をした ·

テレビでは、毎日のNewsで、森元総理が女性蔑視の発言をしたとかで、オリンピックの会長を辞任するしないで日本国内に関わらず世界的に大騒ぎになっているように報道されています。
日本では何を今更の話しなのですが、2019年のジェンダー・ギャップ指数によると、男女平等の格差は、世界153ヵ国の中で121番目だそうです。
まあ、それをなんとか改善しようと、これまでも、あの手この手とはやって来たのでしょうが、現実的には何も変わらないようです。
森さんとしては、自分自身が育って来た日本の伝統的な家父長制度の意識で「親に従い、夫に忠実で貞節であり、老いては子に従う」という戦前までの古臭い日本古来のままの意識が無意識に言葉に出てしまっただけで、森さんとしては、なんの悪意も無かったのでしょうが、多くの政治家達が持っている、・・或いは多くの日本の男性達が持っている家父長制度のその意識は、今現在でも多くの男性達の意識下に存在しているのですよ。
だから、現在のようにコロナ下になって、家という社会から断絶した個室の中に閉じ込められると、古き良き時代の意識が顕在化して来るのです。
それがコロナ離婚であり、コロナ・domestic-violenceとして表れて来るのです。
現在の日本の社会の男女の意識のlevelは、2019年のジェンダー・ギャップの指数によると、男女平等を示す格差の指数としては、世界153ヵ国の中で121番目だそうです。
まあ、それは日本男性の所為ばかりとは言えなくて、女性自身が自ら自立する事よりも、男性に依存をする事が楽なので、男性に依存をする事を望む女性達が多く存在するのです。
まあ、Europaの社会でも戦前までは、男性社会だったのですから、本当の意味では、世界的にも男性社会の意識は根強く残ってはいるのですが、社会の制度的には日本は非常に遅れている事には変わりありません。
女性の社会活動が中々上手く行かない事は、女性自身が男性に依存をする事に対しての社会のあり方にも、日本の男女平等を阻害する原因があります。
でも、この話しは何度となくHome PageやFacebookには書いて来たので、同じ話しになってしまうので、割愛します。
ここで敢えて、何度となく話して来た古い日本の家父長制度の問題を敢えて取り上げたのは、日本の女性達によく見受けられる女性自身の大切な初恋や経験への、所謂、思い出に対しての女性の価値観(扱い方)への疑問に対しての問題です。
日本ではまず見かける事はありませんが、Europaの場合には昔の夫婦と今の夫婦が仲良く会食をしたりする光景を良く目にします。
昔の恋人の事を聞かれた女性が「私が愛した人なのだから、素敵な人でない分けはないのだよ❢」と自慢しているのをよく見かけました。
これは日本の女性達にはあり得ない光景でしょうね?
日本社会では、「女性は二夫に交えず」という儒教的な言葉があります。
女性として産まれたら、一人の男性だけに尽くす事が美徳とされるのです。
だから、どんなに熱烈な恋愛をしたとしても、どんなに美しい初恋をしたとしても、その後で新しい彼氏と結婚をした後は、昔の恋愛は「無かったもの」か、「若気の至り」になってしまうのですよ。
勿論、その新しい彼氏と別れて、次の人と結婚しても、自動的に前の結婚は誤りになってdeleteされてしまうのですよ。
最後の結婚が成り行きの馴れ合いのつまらない結婚に過ぎなかったとしても、素晴らしい過去の恋愛は若気の至りの誤りにしてしまうのだから、大切な思い出を持てない日本女性は人間としては可哀そうだよねぇ?
自分自身が若かりし頃に身を焦がした素晴らしい思い出を、人生が尽きるまで大切にしておくのではなく、自分自身で自分の思い出までを否定してしまうのだから、その人の人生なんて、嫌な思い出だけの、寂しい人生ですよね?
男性は•••?
まあ、世界中でも、男性はあまり変わらないよな?
言い換えれば、過去の女性を否定する男性はあまりいないのですよ。
反対に、古い日本社会では、男性は子孫を残す事が使命だったので、ニ婦に交えずの発想は希薄で、二号さん、三号さんを持つ事は男性としてのstatusというよりも、義務でもありました。
・・という事で、男性にとっては女性は戦利品なのでしょうねぇ?
「モテたでしょう??」というのは、男性に取っては褒め言葉なのですよ。「ねぇ、森さん??」
「自分が愛した男性だから・・、素敵な人だ!」と言って、自分の過去を自慢出来るEuropaの女性達はやはり大人の女性と言えるのかな?
globalstandardという言葉がありますが、日本では常識とされる事が、世界のstandardでは、非常識になってしまう事が多くて、それを説明する事に窮してしまう事が日本社会では、よくあります。
分かり難い事かも知れませんので、一つ例を上げるとすれば、日本人の場合には人の顔を褒めるのによく「**さんに似た美人」という表現をします。「**さんのような美人」とその人のimageを表すのならば、問題は無いのでしょうが、「**さんに似て美人」だと外人さん達はとても嫌がります。「私は私なのです。」と厳しく反論される事もよくあるのですよ。
日本では「有名人に似ている」と言われて反発して、嫌な顔をする人達はいないようなのですが、私は結構人と似ていると言われる事を、忌み嫌うtypeなのですよ。
音楽の世界に限らず、一般常識でさえも、世界のstandardでは笑いものになってしまう日本独自のstandardが多いのですよ。
音楽の世界でも、子供の内から、当然な事として学んで来た事が、Europaに留学する事で全否定される分けなのですから、溜まったものではありません。
素晴らしい先生に師事する事が出来て、Europaである程度の名を上げて、日本に凱旋した人が、たった一年くらいで、日本独自の発声法に変わってしまい、Europaで活躍していた頃の面影は見る術も無くなってしまう事は、残念でありません。
それが日本の恐ろしいstandardなのですからねぇ?
でも、それが日本の現実であり日本に住んでいる限り、当たり前の事なのですが、時代と共に世界の距離は縮んでいるので、今の子供達は将来、日本と世界のgapに苦しめられる事になるのかな??
まあ、数年も前から、globalな日本の企業の入社試験で日本人を対象にしなで、日本に住んでいる外国人だけを対象にしている企業が増えて来ているのだけど、今の大学生達にはそういった危機感はないようだしね??


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2月14日今日は2月の15日の月曜日の朝の4時半なのですが・・・ ·

今日の2月の14日の日曜日は、いつものように朝の5時半に目が覚めて、ウダウダと布団の中で惰眠を頑張ったのですが、鼻詰まりが酷くなってしまって、息が出来なくなって来たので、やむなくbedから起き出して仕事modeに入りました。
・・とは言っても、定刻の9時なので、いつものroutineの時間の流れ・・なのですがね??
「ウダウダと惰眠を頑張った」のは、今日はオケ練習のいつものweblessonの他に、baroque-Koncertのためのlecture-lessonが幾つか入っているので、途中でEnergie切れをしないように、体力を温存するためだったのですがね??
午前中早い時間に起き出してしまうと、どうしても、夕方の5時、6時頃になると、疲れて来て意識混濁になって来るからなのです。
「鼻詰り」の状態では、無理をしてbedで体だけを休めていても、結局は疲労が溜まってしまうので、呼吸が出来るようにする事の方が、体力を温存する事になります。
椅子に座っていると、呼吸だけは問題無く出来るのでね??
諦めてweblessonの準備をしていたら、ちょうど時間になってしまいました。
lineが入って来たので、開いて見たのですが•••
それから突然時間が飛んで・・・、今は今日の夜のcinderella-timeです。
•••いやあ、今日は仮眠も出来ない、食事も出来ない程の大変な忙しく1日であった。
お昼からはweblessonとオケ練習のhelp&support(日本語のfollowは誤訳!)のlecture-lessonをして、baroque-Koncertの練習はcanonとAriaだけを練習して、他の殆どのbaroque-Koncertの曲と更に室内楽の練習を切り上げて、夕方、5時過ぎにはweblessonを切り上げて、ハイツ⇒椎名町⇒千葉へとお迎えの車を出して、千葉教室から椎名町への往復をして、7時頃には、椎名町にやっと戻って来て、夕方の7時過ぎには、なんとか今日の朝飯を食べる事が出来ました。
それでも、ドルプリっ歩を済ませて、夜の10時半にはハイツに戻って来たのだよ。
今はもう、バテ切って、椎名町から持って帰って来た荷物は、そのままにしたままで、布団に入っているのだが、なんと・・それでも、まだ12時前のcinderella-timeだぞよ❢
奇跡だ!!
・・とは言っても1時間半の時間が、椅子に座ったままに飛んでしまっているのだよな??
テレビを見ていた分けでもないのに、どうして時間が飛んでしまったのだろう??どこでぼんやりしていたのだろうか??
いつものように3時33分に、toilette-timeで目が覚めたので、次いでに、そのままになっていた荷物の後片付けと、明日のweb-lessonの楽譜の準備をしました。
4時過ぎには終わったので、また布団に入ったのですが、またまた「鼻詰り」で眠れなく・・というよりも息が出来なくなってしまって、やむを得なく起き出してしまいました。
・・・という事で、「今日は2月の15日の月曜日の朝の4時半なのですが・・・」という冒頭の文章に戻ります。

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2月16日『tuningの話し』 ·


生楽器(※)を演奏する場合には、tuningをしなければならないのだが、結構、そのtuningには色々と問題がある。
まあ、当たり前と言ったらそれまでなのだが、tuningには、結構、上手下手がある。
tuningの上手な人は速くて、tuningした後も、中々pitchも狂わないのだが、下手な人がtuningをする場合には、やたらと時間が掛かるし、また直ぐにpitchが狂ってしまう。
狂わないようにtuningするコツ(・・と言うか、基本と言うか)は簡単なのだよ。
二つのpointを守れば良いだけなのだから・・・!!
その一つはT字hammerをpinに垂直に入れて、垂直に・・真っすぐに回す事だ。(横揺れを絶対にさせないという事なのだよ。)
特に、tuninghammerをpinに入れる時に、「入らないから!」と力で強引に入れる人がいるのだが、pinは4角でhammerは8角なのだから、ちゃんとedgeが合うと、力を入れなくてもストンと入るのだよ。強引に入れるとpinが動いてしまうので音が緩む原因にもなる。
二つ目のpointは、tuningの基本は下がったpitchを上げてpitch合わせをするという事なのだよ。
tuningの下手な人は、急いで合わせようとするからpitchを上げ過ぎてhammerで音を下げてしまう。(つまり上げ下げを繰り返すのは、Violinで言う所の「当たりを取る」・・という作業と同じ事をしている事になるのだ。)
tuningでは完全にpitchを合わせて手をhammerから離すと、ほんの少し緩んでしまって、合わせようとしたpitchから下がってしまう。それを「遊び」という。
だから「遊び」の分だけを高くして緩めるのだが、それはT字で言うと、分度器では1度ぐらいの高さにしかならない。
Violin等の弦楽器の場合も全く同じで、弦楽器のpegの場合にも、pitchを合わせたら、pegを高めにしておいて、手の力を緩めた時にぴったりと音が嵌るようにすると良いのだが、それはpitchを高く上げる事ではなく、手に力を入れてpitchが変わらない範囲で上げ気味にしておいて緩めるという事なのだよ。
Violin等の弦楽器の場合には、pitchが少し高すぎた場合には、弦を2,3度引っ張り上げるだけで、その分ぐらいは下がってしまう。
その方が演奏中の狂いも少ない。
しかし、Pianoの調律師の中でも、音が高くなってしまった場合に、鍵盤を思いっ切り叩いて、pitchを戻す調律師がいて、困ってしまう。そういった調律師には二度と調律はお願いしない。actionは精密機械なのだから、そんな乱暴な事をしてはactionが壊れてしまう。最悪はhammerが折れてしまうだろうしね??しかし、そういった調律師は結構多いのだよ。今までも何人も見受けたよ!!
前回にtuningした音(pitch)と正確に全く同じpitchにtuningが出来るようになると、音は狂わなくなる。同じpointに収めるという事なのだよ。
これが全ての楽器のtuningのコツだ。
「時間が無いので・・」という事で雑にtuningをすると、逆に当たりを亡くしてしまうので、tuningに時間が掛かるようになる。
急がば回れのコトワザのように、丁寧に一回の動作で合わせる事が出来るようになると、楽器は狂わなくなる。
これは時折見受ける事なのだが、Cembaloのtuningをする時に椅子に座ったままにtuningをする人がいる。(他人事として言っているのだけど、私もそうだよな??)しかし、tuninghammerに対して距離が遠いので、tuninghammerの位置が斜めになってしまうのだよ。だから無意識にpinを捏ね回す事になってしまうので、基本的には良くない。
立ったままで、不自然な姿勢でtuningをするので、私はよく腰を痛めてしまうので、届く範囲に限ってなのだが、座ったままでtuningをする事があるのだが、それは良くない・・とは、自覚はしている。
腰に来るのは、職業病なので致し方はない。
立ったままでも、なるべく楽な位置に位置を変えながらtuningをするのだが・・??3列もtuningをするとやはり、腰に来てしまうのだよな??
後はよくやる悪い癖は、音が聴き取れないからと言って、思いっ切り下げてしまう事なのだよ。確かに半音以上もpitchを狂わせるとpitchの違いが分かり易くなるのだが、逆に合わせるのは難しくなってしまう。大きく狂った分けなので、微妙なpitchを合わせるのは逆に難しくなってしまうのだよ。
調律の下手な人達には思いも寄らない変な癖を持っている人達も結構多い。思いついたら、また書くか??アハッ!
またViolinや特にKontrabass等の楽器の場合、或いはCembaloの場合でもよく犯すmissなのだけど、音を鳴らした後で、音が鳴っていないのにtuninghammerを回して弦を切ってしまう人達が多いのだよな。
特にKontrabassの場合には左手でpegを回しながら、右手で、弓でflageoletの音を出しながらtuningをしなければならないのだが、実際にはtuningをしている時には音が出ていない人が多いのだよな??
それで、音を聴きながらの確認が無いので、tuningがいつまでも出来なかったり、弦を切ったりするのだよな??
生楽器に対して電子楽器はpitchが狂う事はないので、tuningをする必要は無いし、tuningをするのに最も大切なkonsonanzも存在しない。
それに対して生楽器では「tuningは逃れられない事なのだよ。
Cembaloが欲しくて仕方がないのだけど、tuningを自分でする自信が無いので、諦めている人達がいるのだが、tuningは色々な楽器を演奏するには必要不可欠の技術である。
間違い易い・・、或いは間違えた慣習でtuningをしている・・といったcaseが多いので、それを楽器別に解説をしていこう。
(※)「生楽器」:・・この聴き慣れない言葉は、現代になって、電子楽器が主流になって来た時代に、acousticな楽器と電子楽器を区別する時に使う音楽家達の符丁のような言葉です。
正式にはacoustic楽器と言うのでしょうが、符丁で生楽器という事が多いようです。
まあ、Classicの人達は使わないpopular世界の業界用語なのですがね??
『Violinの場合』
Violinの場合の問題点と言うか、楽器のtuningの上手下手を云々するよりも前に、日本では間違えたtuningの仕方や楽器の扱い方を指導するViolinの先生がとても多くて、困ってしまいます。
私が、concours等で審査員として演奏会場に行った時に、舞台で誤ったtuningの仕方を平気でする生徒達が多いのには辟易させられてしまった。
この話は何度もFacebookやhomepageに書いている事なので、ここで書くとまたまた同じ話ばかりをしている「Alzheimerの老人の症状ではないのか?」と疑われてしまうので、あまり書きたくはないのだが、homepageのどこに書いたのかを探すのが難しくなってしまったので、少しだけ(「Alzheimerではないよ!!」と認識出来るだけの範囲で)書いて置く事にしました。
楽器製作者や、修理工房の人達が口を揃えて、絶対にやって欲しくない事の中で、大学の教授達、専門家の人達が昔から生徒達の前で普通にやっている悪癖の中で、一番よく見受ける行為の一つは、弓にたっぷりと松脂を塗った後で、弓を振って余分な松脂を落とす事であります。
こうした行為の最悪の場合では、弓が折れてしまう事もある危険な行為なのです。
楽器の修理の人達が弓が折れないように細心の注意を払って、蒸気を当てながら、変な曲がりの癖が付いてしまった弓を、少しづつ弓の曲がりを修整して正しい型に調整をしているのに、弓を木刀のように振り回すのは弓を壊しているにも等しい行為で、言語道断である。
もう一つは、tuningをする時に、pegを上下にクルクルと回す事である。
舞台で生徒達がフニャフニャとpegを回してtuningをしているのをよく見受けるのだが、この行為は折角の「当り」を取る行為なので、やればやる程pitchが合わなくなって来るし、当然、「当たり」が無くなって来るので、演奏途中で音が狂ってしまい易くなって来るのだよ。
でも、このpegを回して「当たり」を取る事は私達もたまに、やる事はあるのだよ。
例えば、Violinを他人に貸してしまって、その人のpitchが違っていた場合、その人とのtuningのpointがズレてしまった時には、不思議な事にtuningのpitchの「当たり」がズレてしまうのだ。
その「当たり」を取る(cancelする)ために、pegを回して「当たり」を取るとかいう事は希にあるのだが、当たりを取ってしまったら、次の当りを楽器に付けるには、また相当な時間が掛かってしまうので、基本的には楽器を他人に貸さないのがproの鉄則である。
フニャフニャとpegを回してtuningをする癖のある人の楽器は、当然tuningは定まらない。
当りを取る作業を毎回しているのだから、それで楽器自体にtuningのpointが出来る分けはないのだからね??
当然、その人達のtuningは下手でやたらと時間が掛かって遅い。
楽器に一番悪い行為をしているのだから当然なのだが、いつまでもこういった日本の音楽界の悪習は無くならないのだよな。
こういった癖のある人の楽器の場合には、最悪の場合にはpegを受ける側(Violin本体のpegの穴が大きく磨り減って来て、木を埋め込んで穴を補修しなければならないようになってしまう。時折、古い楽器ではpegの穴を補修した楽器を見かけるのだが、新しい楽器でも補修が必要なぐらいにtuningの下手な人がいるのだよな??
楽器に当たりが無くなったり、pegが上手く回らなくなった時には、無理をして回すのではなく、楽器を使用しない時間にpegにチョークを塗ると良い。少し塗ると回り易くなって、多く塗ると回りを止める。pegを外してViolin本体のpegの穴と当たる所の部分にpegに塗る分けなので、練習をする前や本番前には出来ないので、普段のメンテの話なのだけど。チョークと言っても絵を描くチョークではないので、気を付けるように。あくまでも楽器屋に置いてあるViolinやCello専用のチョークなので勘違いをしないように・・!!
こういった楽器の扱い方自体を知らない先生に師事をした生徒は可哀そうだよなぁ?
楽器を大切に出来ない指導者から、上手に楽器を弾けるすべを学べる分けはないからなのだよ。
また、未だtuningが出来ない子供達の場合の自宅での練習は、仕方がない事なのだけど、proを目指す音大生ですら、自宅での練習の時にはゾンザイに(いい加減に)tuningをしたままで練習をする学生達が多い事には驚ろかされてしまう。正しいtuningの仕方を知らないので、tuningの時間がやたらと掛かって面倒くさい(或いは好意的に言うと、練習する時間が少なくなってしまうので、そのtuningをする時間が勿体ない、と思っている)のだろうが、その時間を惜しんでしまったら、幾らlessonで正しいpitchでlessonを受けたとしても、家での練習で間違えたpitchで練習をしているのだから、ちゃんとしたpitchが身に付く分けはないのだ。
幾ら時間を掛けて、曲を練習したとしても、間違えたpitchで練習していては、正しいpitchで演奏出来るようになる事はない。
いい加減なpitchで、幾ら練習をしても所詮は無駄な努力に過ぎないのだが、どうしてそんな基本的な事が、日本人の音楽家達には分からないのかね?
ここまでは楽器のtuningに関するお話しだったのだが、個々の音の音程、所謂、個々の音のpitchに関しては、所謂、proの演奏家であっても、或いは音楽大学の教授でさえも、正しい音階を指導をする先生は皆無である。
酷い先生ともなると、「ちゃんと1個1個の音をPianoの音に合わせて音取りをして来なさい!」と生徒に要求をする。
師事をしている先生に、そのように注意されて、「音楽大学の練習室のPianoは滅茶苦茶狂っているので、困ってしまった!」という生徒もいた。
もしもPianoが正しく調律されていたとしても、音程をPianoから取るのは、初歩の段階では許されるとしても、音大生ぐらいのlevelでは完全な誤りの練習になってしまう。
弦楽器を学んでいる人が、よく「なぜviolin(cello)には鍵盤がないのだろう?」と疑問を持つ事があるようだ。
しかし、実際にはguitarやviola da gambaのような楽器にはfretという板が入っているので、ちょうどPianoの鍵盤のようにpitchは固定されている楽器もあるのだよ。
初歩の場合の音を取る難しさは無いのだが、反対に音階上の微妙なpitchを作り出す事は困難になってしまう。
作音楽器の場合には、平均律の楽器と違って、音階のpitchを微妙に調整出来るのが、優れている点である。
つまり作音楽器のpitchを取る難しさは、音階上の微妙なpitchを取る上での利点なのだよ。
いつも言っている事なのだが、fullorchestraでは、色々な楽器と音を合わせなければならないので、たった一つの音を揃えるのすら難しいのだよ。
orchestraのscoreで色々な楽器が色々な調の色々な音が書いてあるのでよく見たら、たった一つの音だったという冗談のような話がある。それは楽譜上で難しい分けではなく、移調楽器の音階のpitchはその楽器の基準となる調で決まる。
つまり、orchestraのscoreでは、単純なCの音を出すのにも、B管の楽器ではB管上の音階の音が出て、B♭調の第二音になるし、F管の場合には、F調の第五音、更にA管の場合には第三音の♮の音を出す分けなので、そういった色々な楽器で一つのCの音を出すと、それぞれの調の音階のCの音になるので、たった一つのCの音を合わせる事は難しいのだよ。
同属楽器の場合には、音階を揃えるのは比較的に容易であるので、純正の和音を演奏するのは楽である。
という事なので、教室のorchestraや室内楽では基本的に純正調で指導しているので、Pianoのpitchは平均律なので、参考にする事は出来ないのだ。
そういう事なので、Pianoの代わりに純正調の和音を弾く事が出来るKeyboardを使用して、指導しているのだが、それも、あくまでも和音訓練の導入の参考に過ぎない。
必ず各自が自分自身の耳で、その響きを覚えなければならないのだ。
最終的にはKeyboardのpitchよりも、人間の耳でpitchを決める方がより優れたpitchを産み出す事が出来る。
また、純正調の音階のpitchは調性に支配される事が多い。
導音の音を高めに取る事や、低めの3度のみならず、閉じたoctaveではなく、開かれたoctave(※)という事を指導しているので、Pianoの鍵盤に弦の音を合わせる事は絶対に教室ではさせない。
ましてや、ハ長調のEの音と、ヘ長調のEの音は同じEの音にはならないのだからね??
(※)開かれたoctaveという言葉は私の造語なので、意味が分からないのは当然です。閉じられたoctaveというのは、440のoctave上の音が880で、下の音が220というcycleになっている事を言います。(この話しは平均律や純正調とは関係はありません。octaveの関係の音の話しです。)
それに対して、開かれたoctaveというのは、440のoctave上の音が880よりも少し高めに調律する事を言います。その次のoctave上の音も少し高めになので、蚊取り線香のように、octave上の音が交わらないで開いて行く事を言うのです。
また、あまり知られていない事なのだが、純正の和音の中に出て来る音を集めても、その調の音階の構成音にはならない。
純正の和音の中に出て来る音は、その和音を構成する音に過ぎないのだから、音階を構成する音とは別ものなのだよ。
同属楽器のorchestraや室内楽を指導する先生は、最低限でも、その程度の知識は持つべきなのだが、はてさて•••
『Cembaloの場合』
CembaloやPianoの鍵盤楽器も同様で、tuninghammerをpinに対して、垂直に回すのが原則であるのだが、これが意外に出来ない人が多いのだよな?
Pianoの場合には力の関係でL字のtuninghammerしか無いのだが、Cembaloの場合にはもっと必要最低限の微妙な細心の力配りが必要なので、T字のhammerで横揺れを防いで、垂直方向にねじらないように回すのが一番良い。(写真参照:一番上はPiano用のhammer、真ん中がCembalo用のL字と一番下がT字)
これはtuninghammerの回す角度のお話なのだが、tuningの上手下手は、それとは別の、pegやtuninghammerを回す回数で、或程度の上手下手は決まるので、必要最低限の回数でpitchを固定出来るように工夫するのが原則である。
また、そのpitchは原則として一定である方が良い。
会場のpitchが違うためにtuningをし直すのは致し方ないとしても、楽器の温度が一定になってから必要最低限の回数でほんの0.1~2cycle上で決めると、その分張力で下がってpitchが決まる。
どれぐらいのpitchを上げて決めるのかは、楽器によっても変わるし、どれぐらい・・とは言えないので、そこは慣れかもね??
この二つのpointは非常にtuningの上手下手を決める上で、最も重要な事である。
乱暴な調律師には上手な人はいないのは、乱暴にtuningをすると当りが出ない(付かない)から、直ぐに狂ってしまうからである。
上手な人に調律を委託をすると、丁寧で、なかなか音が狂わない。これもまた真理(当たり前)である。
(基準音のお話)
また、全ての楽器にはその楽器に対しての基準音がある。
一般的にはAの音の標準のpitchは440cycleとされるが、このpitchは、日本の音楽界の場合には、文科省関係(教育関係)のみで使用されている。
つまり、小、中学校や高校のPianoや、教育関係のHall(教育会館等)等が440cycleの古い基準音を使っている場合多い。
・・という事なので、それ以外の基準音を使用する場合には、(・・例えば自宅のPianoを調律師に頼む時)にでも、予め調律師に注意をしておかないと、なにも言わないと440にtuningされてしまう。
それに対して、通常のproのorchestraや音楽大学等では442cycleの演奏会用高度というのを使用している。
(ちなみに、教室でのmodern-pitchは443cycleである。その説明は後述する。)
一般的に日本のorchestraでは、442cycleを演奏会用高度と定めていて、日本の管楽器もorchestra-pitchとしては、442cycleの楽器が売られているのだが、実際のHallのPianoはorchestraよりも高めの443cycleに調律されている所が殆どなのだ。
HallのPianoが443に調律されている場合に、442でViolin等のsoloが演奏すると、気分的に引いた感じになってしまうのだが、Pianoが442に調律されている場合でも、Violin等が443で演奏しても違和感はない。
それはsolo-pitchとして皆が聴くからである。
演奏家に取って・・というか、子供達の場合には特に1cycleでも低いと気持ちが悪くなってしまうので、演奏会高度として教室では443cycleを使用している。
Europaの超有名なorchestraでは444という演奏会高度を使用する所も多い。
『baroque-pitchのお話』
Cembaloの場合には、基本的にbaroque-pitchとmodern-pitchでtuningする。しかし、演奏の都合で、毎回442cycleのmodern-pitchと、435cycle辺りのbaroque-pitchにtuningをし直すのは楽器に取っては、「当たり」が無くなってしまう行為なので、楽器に取っては頗る良くない。
近年でbaroque-pitchを415cycleになって演奏している団体が増えて来たのは、鍵盤自体をslideさせる事が出来る機構を持った楽器が増えて来た事によるのだ。(slide鍵盤と言う)
Aの音を440cycleにtuningしたcembaloのAのkeyを、半音下のGisの音がAのkeyになるように、鍵盤をslideさせる事によって、tuningをし直さなくてもA=415cycleになるようにするために設定した便宜上のpitchに過ぎないのだが、それがbaroqueの音楽を専門に演奏しているbaroque音楽の演奏団体が、415cycleが本当のbaroque-pitchと思い込んでいる人達がいて困ってしまうのだよ。
つまり、baroqueを専門的に演奏している演奏団体のCembaloでは、鍵盤をslideさせる必要は無いので、自由にbaroqueのpitchを決める事が出来るハズなのだが、415cycleにtuningされていたは呆れてしまった。
415cycleはCembalistにとっては、利便性の高いものなのだが、弦楽器の場合には、弦の張りが緩すぎるので、音がベチョベチョしてあまり良くない。
baroque-pitchは国や場所、歴史によって色々なpitchがあるので、定まったpitchと呼ばれるものはない。
合わせる管楽器のpitchによってpitchは決まるので、(弦楽器はpitchは自由に取れるので・・)Europaでのrecorderは、435cycleの楽器が多いのだが、そこらがbaroqueの弦楽器でも響きが良いので、教室でもbaroque-専用のCembaloの場合には435cycleに固定している。それはrecorder等と共演する場合であって、教室でのperiodの演奏では、436~7辺りでtuningする事が多い。その日の天候にも依るのだよ。
教室の生徒達がorchestraで演奏する時に使用するCembaloは、教室のAのpitchが443cycleなので、当然slide鍵盤で鍵盤を移動した場合のbaroque-pitchは418cycleになる。
『楽器と温度』
基本的にはどの楽器についても言える事なのだが、特に管楽器の場合には、演奏に従って、楽器が温まるとそのpitchが上がって行く。
基本的には小さなpitchの調整は息の当て方でpitchを上げる事が出来るので、半音近くのpitchぐらいまではproの演奏家達は息だけでpitchを調整してしまう。
温度で楽器のpitchが変わって行くのは、勿論、他の弦楽器の場合も、PianoやCembaloの場合も同様である。
『Kontrabassのtuningのお話』
(まえがき)
tuningのhow-toについては、楽器の種類が変わるとtuningの仕方が根本的に変わる。
pipeorganのtuningの場合は、本当のhammerを使ってトンカンと2ヶ月、3ヶ月掛りでtuningの作業をするので、我々素人には及びではない。
Pianoの調律は、私が若い頃のMünchen留学中には、苦学していたので、大家から借りているPianoの調律をproの調律師に頼む事が金銭的に出来なかったので、調律師の人からtuningのsetを買って、自分で調律をしていた。
戦前に調律した事があるだけで、地下の部屋に置きっ放しになっていたPianoなので、3度近く下がっていたので、それを元に戻すには、流石にproの調律師に頼んだのだけど、1,2週間で下がってしまうので、後は調律師に道具を売って貰って、自分で調律したのだよ。本当ならば、調律師に頼みたい所なのだが、仕送りのない苦学生なので、学生が留学中にバイトをすると、強制退去になってしまうのでね!!
帰国してからは、数個の音が狂った場合だけ、自分で調律する事はあっても、時間が勿体無いので、基本的にproの調律師に依託する事にしている。全部の音をtuningしたら、2時間は掛かるのでね??
まあ、自分でPianoをtuningする人は少ないと思われるので、Pianoに関してのtuningの説明は省略する。
またpegが機械式になっているKontrabassやguitar等の楽器は、tuningがより簡単なので、その説明は省いて、弦楽器とCembaloの楽器だけを中心にして、お話を進めよう・・と思ったのだけど、Kontrabassやguitarのようにpegが機械式になっている場合でも、自然式のpegと同じようなmistakeをする人達が多いので、例外として省く事が出来なくなってしまった。
(Kontrabassの場合)
Kontrabassは4弦のKontrabassと5弦のKontrabassがあるが、tuningに関しては、別に真新しい注意事項はない。
4弦のKontrabassでも一番下のeをdにtuningし直すscordaturaがあるので、特に一番下の弦のeの弦は狂い易くなってしまう。
それに一番多いtuningが出来ない例では、Kontrabassの奏者が低音のeの音を聞き取れない事である。
多くのKontrabass奏者が、音を聴き取れないので、電子tunerを使って針でtuningをしているようなのだが、電子tunerの場合には強い音は高く反応して弱い音は低く反応するので、逆に正しくtuningする事は難しい。
低い音が聴き取れないので、flageoletでoctave上の音で音合わせをしている人達が多いのは致し方はないとしても、flageoletのoctaveの特性を知らないままに、tuningをしているcaseが多いのだよな??
flageoletのoctaveは、物理的なoctaveよりも低くなってしまう。
しかし、調律の原則としては、低いoctaveは狭くpitchを取って、高いoctaveは広げて高めにtuningをするので、低いpitch(octave)を高めにtuningをする事は、一見すると良いように思われるのだが、実際の音からすると、eの音はかなり高めになって、殆どsolo-pitchぐらいの高さになってしまう。
それではensembleの低音の音の広がりは作れない。
Kontrabassの人達は低音の音をoctaveの倍音に頼らないで実音で、或いは4度、5度の響きだけで、合わせる訓練が必要なのだよ。
orchestraはKontrabassやCello等の低音楽器上に和音を構成して行くので、土台となるKontrabassのpart(更にKontrabassとCelloのpart)が1個の音に聴こえるorchestraは、全体の和音の響きが素晴らしいものになる。
それがそのorchestraの水準となるのだよな??
orchestraの響きをより完璧なものにするためには、KontrabassとCelloの音が揃うか否かに掛かっているのだよ。(通常のorchestraではKontrabassのpartはゴワゴワとしていて、低弦が不鮮明なのだよ!それでは、orchestra全体の和音は作れない。)

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2月16日rear-cameraが外れた。 ·

今日は2月の16日の火曜日の8時である。
5時半の定刻に目が覚めたのだが、「鼻詰り」で2度寝が出来なかったので、やむなく起きて色々と準備をしている所である。
今日の夢はそのまま私の小説のstoryに書き下ろす事が出来るのだが、主人公の若い女性の職種が専門的なので、小説にしたとしても一般受けが無いし、また、専門職でないと、主人公の性格や生き方が成り立たないので、設定missなのかな??
まあ、夢としては充分に楽しめた夢だったのだけどね??
小説のネタになりそうな夢なのだけど、その夢を見るキッカケはある。
ちょうど前日の夜に椎名町の教室で先生達と食事をしながら、多分情熱大陸のコロナ下のowner-charisma-chefと若い美人の弟子cheffeへのdocumentary番組をやっていて、その女性の立ち位置に感心をして番組に魅入ってしまったのだよな?(美貌ではないよ!立ち位置だよ!!)
話しの内容はcharisma-chefが店の水準を上げるために、従業員に対して厳しい指導をしたら、従業員との関係がギクシャクして、従業員が逃げ出して、お店の雰囲気も悪くなってしまって、netでの評判も悪くなって、潰れる一歩手前までになってしまった。
頼りにしていた女性cheffeも辞める所だったのだけど、owner-chefの自己反省と断っての説得で、なんとか店に留まって貰って、従業員達との共同の色々なideaを出し合って、倒産寸前のお店が、コロナ下での営業にも関わらず、ideaを出しあって、お店が黒字になったというsuccessstoryなのだが、その女性cheffeの毅然とした立ち位置の表情が極めて面白い。
だから、基本の設定はあまり変わらなくcharisma調律師とその師匠から調律の技法を学び取ろうとする若い女性の弟子に変わって、厳しい調律の世界の話しと意識(立ち位置)の話しのstoryの夢になったのだよな?
直前にCembaloのtuningが狂い易くなってしまった、という相談を受けたからtuningのお話を書いたばかりだったので、設定が調律師になったのかな??
多分??
今日の火曜日と明日の水曜日は病院dayである。
今日は川崎での膀胱の検査があるので、車での出発なのだ。
川崎の病院は駐車場がneckなのだけど、1時間以上の時間を掛けて介添えのない一人だけでの電車での通院には、自信は無いので、車での通院は致し方ないのだよな??
電車の時には2回程、帰り道の乗り換えのhomeで意識混濁になって倒れそうになった事があるからだ。
電車の場合には行きは混んではいなくて座れるので問題無いのだけど、帰りは疲れと通勤の混雑で椅子に座っての移動が出来ないので、どうしても途中でEnergieが切れてしまうのだよ。
それが最悪の場合にはhomeでの乗り換えの時に意識混濁状態でbenchに座るのがギリギリの状態になってしまう事があるのだが、最後に川崎に行った時には、帰りの行程でHomeで倒れそうになってしまったので、電車での通院は諦める事にして、車での通院になったのだよ。
bikeではとても無理な距離なのでね。
時間通りに、12時半に椎名町を出発して、少し渋滞していたのだけど、順調に13時半には病院に到着したのだが、予想通りに満車で直ぐ側の民間の駐車場も満車で、遠くの駐車場になってしまった。歩いて12分ぐらいも掛かる距離だ。
再来受付も混んでいて、椅子に座る事を勧められたのだけど、その混み具合では、social-distance所ではないよな??
結構待たされる。
会計が終わったのは5時を過ぎていたよ。
それから薬局に寄って、化膿止めの薬を貰って、また駐車場まで12分も歩くのだよ。
遠くて小さな駐車場だったのだが、元の道に戻るまでが大変で鋭角curveがいっぱいで、ニャンコ号では道幅がいっぱいいっぱいで、縁石に乗り上げながら、curveを切ったのだけど、突然大きな道路に出て車が混んでいて道に復帰出来ない。
どうしようかと悩んでいたら、親切なバスが「入れ!」とpassingしてくれた。
助かった。
後はいつもの大渋滞・・、行きは1時間掛かるか、掛からないかの道路を、帰りは1時間半以上も掛けて戻って来る。
それはそうと、病院に行く途中の多摩川を渡る橋の上で、富士山がとても大きく見えて素晴らしかった。
運転中なので、写真を撮る事は出来なかったのだけど、頂上には雲が掛かっていて山頂は見えなかったのだけど、とても雄大で、それなりに感激したよ。
それはそうと、なんと、付けたばかりの車載cameraのrear-cameraが外れていてブラブラしていた。不愉快だよな??
未だ、車に2,3度しか乗っていないのに、もう外れている。


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2月17日『左足が引き攣った!』 ·


今日の2月の16日の火曜日は、川崎の病院から帰って来て、流石にバテてしまったので、夕方の7時過ぎに朝食と晩の兼用のお蕎麦を食べて、9時にはハイツに戻ってしまいました。
暫し、というか小一時間程呆然としてから、それでも10時には寝てしまったのですが、深夜の1時には、また目が覚めてしまいました。
普段ならば、もう一度眠くなるまでの間、少し作業をする所なのですが、明日は朝の8時には、bikeで光が丘の病院に行かなければなりません。
・・という事で、無理をしても、寝なければならないので、頑張って布団に入ったのは良かったのだが、布団の中で、足首から先が引き攣って痛くなって来ました。
いつものように、布団の中で足が引き攣って来たので、起きてなんとかしようと思って、Bedから起き出すために足を床についた途端に、今度は左足先だけではなく、左足全体が股関節まで引き攣ってしまいました。
これは、超痛くて、始めてのどうする事も出来ない・・経験した事のない痛さです。
慌てて、こむら返りの薬を飲もうと思って、取りに行こうとしたのだが、全く一歩も歩けないのだよな?
立つ事も座る事も、足を中空に浮かしていても、痛くて、じっとその場に立ち尽くしていたのですが、そうしていても痛みが和らぐ事は無いので、辛抱してその痛みに堪えながら、一歩を踏み出そうとするのだけど、その一歩が超痛くて、足をどうする事も出来ないのだ。
いつまでも痛みを堪えていても、詮無いので、痛みに堪えながら、死ぬ思いで、一歩一歩、周りの家具に掴まりながら、なんとかそれこそ必死の思いで、薬のある場所までは歩いたのだが、そこでも、椅子に座る事も立ち尽くす事も出来ない。
大急ぎで痛みの無い上体だけで薬を飲んで、ひたすら痛みが治まるのを待つだけであった。
こむら返りが出始めて常備している薬なのだが、市販の薬なのだが、今の所は、私にはよく効くようで、薬を飲んで10分殆どで、なんとかこの強烈な痛みは治まった。
いや〜あ、死ぬ思いの30分の格闘であった❢
明日は起きれるのかな?
(ここから先は17日の水曜日の朝からのお話です。)
4時半ぐらいになって、やっと眠る事が出来たようで、始めて携帯の目覚まし時計の音で起きました!(普段ならば、目覚ましが鳴る前に起きて止めてしまうからです。)
おっかなびっくり床に足をついてみたのだけど、やはり、足首の引き攣り感は少し残っているようで、今日の病院への往復が心配だ。
折角病院に行くのだから医者に相談すれば良いものなのだが、医者は専門外の事には無頓着なのでね??
それこそ「こむら返り科」ってあるのかな?
アハッ!
8時にハイツをbikeで出発して、8時半から検査なのだけど、病院は何処も大繁盛だよね~ぇ??血を取るだけで、30分も待たされて、更に診察までには、前には1人、2人しかいなかったのだけど、1時間半も待たされてしまった。
診察自体は1分で終わったのだけど、診察を受けるまでに8時半から10時半までの2時間も掛かったぞぃ!
それから更に会計で予約表を貰って11時近くに病院を出たのだよな。
11時半にはハイツに戻って来たのだけど、それでも、いつもよりも早いのだよね??普通は12時にハイツに戻って来る事が多いのでね??
それから、12時半になって、やっと朝のご飯を食べて、後は5時半から歯医者の予定です。
いやあ、今日は病院dayなのだよな??
それは良いのだけど、兎に角、待つのだよな!!
まるで忍耐力の訓練のようなもんだよな?
予約の時間はあって無きが如しだよな?
中には、すっかりと切れてしまっている人達もいたりして•••。
ぶつくさ文句を言っていたよ。


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2月19日『今日は寝た切りの1日であった。』 ·

今日は2月の19日の金曜日の午前4時で、今の練馬区の気温は0°です。
・・それから更に7時過ぎになる所なのだが、まだまだ0°のままなのだよな。
頑張ってbedから起き出して、パソコンの前に座って仕事modeに入ろうと思ったのだけど、気がついたら椅子に座ったままで、意識を喪失していました。
・・という事で今日は寝たり起きたりの1日になってしまいました。
仕事??
そんなの無理!無理!!
・・という事で気がついたら、夜の9時半になっていました。
昨日は風呂の溜まったままになっていた水を抜いて、今日は風呂桶の底に溜まっていたゴミをshowerで洗い流しました。
勿論、風呂桶は洗ってはいません。showerで流しただけです。
明日、体調が良かったら、風呂桶を洗おうかな??
まあ、連ちゃんで病院通いが続いたので、病院通い明けは、いつもそんな感じだよな??
まあ、まあ、善哉!善哉!!
食事にだけ出掛けて、食べ終わったら戻って来たのだけど、まあ、仕事は捗ったよな??
短時間でも気分は楽だったからだが・・ネ??
それはそうと、またまた、パソコンで保存していた資料の写真がぶっ飛んで無くなっている。超Shockなのだが、back・upを探したのだけど、back・upが見当たらない。file毎無くなっているのだよな??
どうなっているのだ??
この所、dataの紛失が多いのだけど、これもwindows10のversionupの所為なのかな??


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2月20日今日は16°も気温が上昇する予定です。 ·

今日は2月20日の土曜日の朝の8時です。
頻尿のtoilette-timeで起きたのはいつもの事なのだけど、もう一度眠ろうと思ったのだけど、鼻詰りが酷くて息が出来なくなってしまったので、諦めてbedから起きた所です。
8時なのに、練馬区の気温は未だ2°です。
でも、今日は16°までも上昇する予定なのだよね??
気温の変化に体が付いて行くのかね??


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2月21日skypeのlessonが始まらない ·

今日は2月の21日の日曜日です。
定刻の朝の7時過ぎにはちゃんと起き出して、昨日から取り組んでいる「Bachの無伴奏ViolinのChaconne」のlectureの論文を書いていたのですが、お昼近くになって、突然睡魔に襲われて、慌ててbedに戻って、Teleworkの10分前に携帯の目覚まし時計(携帯ではalarmと書いてあるけれど)をsetして寝ました。
中々入眠が出来なくって、苦労したのだけど、なんとか入眠出来て14時40分のオケ練習の時間前にはちゃんと起き出して、衣装を着て楽譜を出して準備は終わったのだけど、子供達が部屋の中でだるまさん転んだ・・で遊んでいるそうで、15時になっても未だskypeが始まらないぞ??
まあ、良いか・・??
オケ練習とbaroqueKoncertの練習は斉藤先生がViolinを弾けないので、急遽、part-changeと、小学生の美音ちゃんが斉藤先生の代奏をしたのだけど、初見でin tempoで演奏出来ているのは流石だよな??まるで、通常のlessonのようだったよな??
BachのAriaではmemberが足りないので、それは出来なかったので、斉藤先生がKeyboardで片手で2ndを弾いたのだけど、本来ならばmemberは足りているハズなのだけど、練習に来れない人達が多いのでね。これもいつもの事なのだけど。
最後に練習をしたtriosonateなのだが、一般的には、triosonateは同じ2本の楽器で演奏するのが恒例なのだが、Telemannのtriosonateの場合には1stと2ndが異種楽器である場合が多い。
今回演奏する曲も、実際には同じ楽器ではなく、Violinとviola da gambaが演奏するので、violaでは一箇所足りない音が出て来る。
themaのmelodieなので、非常に不自然なのだけど、octave上げて奏く分けにも行かないので、致し方はない。
continuoのCelloを無しにして珠加ちゃんにCelloでviolaのpartを弾かせても良かったのだけど、誰かにgambaを練習させるか??
4度調弦なのでKontrabassの生徒の方が良いか??
今日は11時半にはハイツに戻って来たのだけど、練馬区の気温はこの時間なのに、なんと13°もあるよ。


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2月22日今日は猫の日、ニャンニャンday ·

今日は猫の日、ニャンニャンday、2月22日の月曜日の朝の6時直前なのだが、外は未だ暗い。
やっと空が白んで来た頃で、未だ、うすらぼんやりとしていて、曇りなのか晴天なのかは分からない。
本当はもう少し眠っていたかったのだが、toiletteに起きてbedに戻ったら、いつもの「鼻詰り」が始まって、眠れなくなってしまったのだよ。
一人用の弁当箱炊飯器を買った。写真程は良くは無かったのだけど、早速使おうと思ったら、220Vでしかも特殊な3本プラグで日本では使用出来ないtypeの電源であった。取り説も日本語のは入っていなくて中国語のみの取り説でちんぷんかんぷんだった。仕方なくnetで取り説をdown loadした。
慌てて返品の手続きを取って、梱包したのだが、郵送の方法が見当たらない。Amazonらしくコンビニに持って行って見たのだが、返品のバーコードを読み取らない。7やローソン等のお店を変えても同じだった。郵便局に持って行ったのだが、郵便局でも、やはり読み取れなかったので、仕方なく、1625円も自腹で払った。返金されるかどうかすら分からない。踏んだり蹴ったりだよな??
と言いながら、新しく同じ弁当箱を購入した。直ぐに包を開いてcheckをしたら、今度も取り説が入っていない。以前の物と同じものなので、down loadした取り説はあるので、困りはしないのだけど、一応文句は言っておいた。
testで早速、炊飯してみたのだけど、水の設定が実にいい加減で、いい加減なまま、炊飯してみたのだけど、まあなんとかコメは炊けたよな?150グラムという事は無洗米用の1合という意味だよな??半合のお一人用の量の炊飯は水加減がもっと難しくなるのだろうけれど、覚えてしまえば・・という事か??多分・・??
中国製なので、それぐらいのaboutさは普通だよな??ま、いいか??


またまた、やってしまった!!1500m届いて、昼間のように明るい、それに携帯等にも充電出来る懐中電灯を2個setで購入したのだが、どこから変わってしまったのか、いつの間にか中国製の分けの分からないマグライトになってしまった❢
私の持っているマグライトの方が明るいような、ちっとも明るくない懐中電灯が2個着いたのだよ。販売元も業者も全く分からない、海賊版のようで、取説すら入っていないのだよな?
You Tubeか、yahooかの商品の宣伝のPageからいきなり入ってorderしたので、返品先も分からないのだよな。これじゃあ、そこいらの100円ショップのLED-lightの方がマシだよな??最初は本物のハズだったのに、どこからメイドイン中国に変わったのだよ??
購入履歴さえ見当たらないのだよな??



この下の写真を見ると、凄いLiteなので、ついつい欲しくなるよね??
でも、別の商品が着いたのだよ!!上の写真のが・・
makerのLogoさえも入っていないのだよな?全くのcopy商品だよな?
アウトドア、、「Flashlight Power 驚きの照明性能 遠距離照射効果 1500M先まで照らせる」というテキストの画像のようです









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2月23日ハイツに戻って来れたのは深夜の1時過ぎでした。 ·

今日は2月の23日の火曜日の午前1時になったところです。 ドルとプリがflower公園から椎名町の駅までのフルコースでお散歩をしたために、まるまる1時間かかってしまいました。という事で、ハイツに帰って来れたのは深夜1時の直前でした。ひえ〜!疲れたぞ〜!腰が〜〜!!


1時間❣️
素晴らしいです!
お疲れが出ません様に!



今日はお散歩をしていても 汗ばむぐらいに暖かい 夜でした !なんと 深夜の11時過ぎなのに、13°もありました


芦塚先生
三寒四温行きつ戻りつ、、、鄙の月
ひとしほ待ちわびる春です!




残念ながら明日からはまた、急激に気温が下がるそうで、テレビでも体調に注意するように・・と警告をしています。もうちょっとの辛抱ですが、昨年の夏はコロナと熱中症で大変だったのですよね??日本は四季がとても美しい国だと思っていたのですが、気温の激変で体調が付いて行かなくて困っています。中野先生もくれぐれもお気をつけて・・としか言えませんよね??今の季節は??


芦塚先生
若き頃からの念願でした声明発祥の大原
勝林院様に明後日から参ります、、が
スタットレス不要の
気温を念じて参ります!



声明!素晴らしいですよね??私も音楽家としてのapproachからテレビ等で、声明をドキュメントした番組を見た事が何度かあります。楽譜に書き取るのが難しいので、そのままに描く事があります。西洋音楽をやっていると、書けない音符に悩まされるとか、書かれた音符を自由に演奏するとかで、その指導に困っています。口移しではcopyになってしまうのでね??




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2月23日ぬいぐるみです。 ·



ワッ❣️わっ❣️
可愛いいですッ❤️


実は本物のワンちゃんが中にいます。ドルちゃんの先代のノンちゃんという女の子です。


芦塚先生!
真ん中がノンちゃん❣️でしょうか⁉︎
余りにも美しいこの絹毛のお手入れは?
お散歩の時には⁉︎



足のむだ毛やお尻のむだ毛は少しcutしていますが、朝晩のお散歩はシーズーは通常は30分なのですが、ドルちゃんは無制限なので、時間がある時には斉藤先生がドルちゃんのウダウダ散歩に付き合っています。2時間も・・・・!!散歩が終わったら、足だけは丁寧にシャンプーで洗います。汚れが酷い時には全身を洗うのですが、皮膚の油が取れるとワンちゃんにはよくないので、なるべく体は洗わないように心がけています。アレルギーのある子の場合には、特別なアレルギー用のシャンプーを使いますが、人間用の倍ぐらいの値段がして家計を圧迫しています。私のシャンプーはそこらの超安物なのにね??アハッ!


あんなに美しい絹毛を保つには並々ならない愛しみが無ければとても❣️
ノンちゃんもドルちゃんも本当にお幸せです❣️


一般家庭とは違って、先生達が二人共、仕事で外出する事が多いので、1日留守番になってしまう事がよくあります。可哀想なので、私がお見舞いに行っても、「なんだ、先生達じゃあないのか??」と無視されてしまいます。時折、「留守番嫌だ!」と部屋のあちこちに悪戯を残している事があります。私だったら「こら!!」と怒る所なのですが、牧野先生達は「まあ、留守番が長かったからね~ぇ?」と逆に慰めています。だから増長するのだよな??


💓
楽しいお話しです!
我が家でも外出の支度開始と同時にpopoの表情が急変します
今日も一晩お留守にて食事にチュール&ひとり遊びのルーレットetcフルセットで支度を済ませてドアに鍵をかけます時は
よろしくお願いしますねツ❣️の最敬礼で外出します!







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2月24日頭の回転がstopしている·

昨日辺りからなんとなく、頭のcoreの回転が止まってしまって、やらなければならない事が思い出せないのだよな??
仕方が無いので、remoteでパソコンやskypeの設定やBachの無伴奏のinterpretationの論文を書いてお茶を濁しているのだが、何をやらなければならなかったのか・・のとても大切な用事が思いだせないのだよな??
なにか大切な物を何処かに置き忘れたような感じがして、心の中に、ポッカリと穴が空いているような気がする。
それが脳のcoreが消失して空洞になってしまっている感じなのだよ・・??
私の人生の最も大切な物・・それは一体なんだったのだろうか??私は一体何を忘れたのだろうか??

忘れた・・という事さえ忘れたら、普通の生活に戻るのだろうか??
それとも、coreの喪失のままなのだろうか??
とか言いながら、もう25日になってしまいました。
朝は定刻に起きたハズなのに、mail等の雑用をしていたら、またbedで寝てしまいました。1日がメチャメチャだよな??
気分が勝れない・・というか、弱欝なのだよな??
体調不良だ!と言っていたら、今日は1日、なにも出来ないで、寝込んでしまった。マジに疲れが蓄積していたようなのだが、身に覚えは無いのだけれども・・・
toilette-timeも無しに3時間も眠っていた事になるぞ??




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2月26日cover写真を変更しました。
·


教室を開設する以前の、日本に帰国して間もない頃に、板橋区の川辺をお散歩をしている時に偶然見つけたOrganの工房に立ち寄って工房の中を見学させて貰いました。その時に社長の黒田さんとも親しくお話が出来て、当時cantataの演奏で色々な教会を回って演奏をしていたのですが、当時は殆どの教会には、本物のpipeorganがなくって、それこそ黒田Organが日本の教会の主流でした。
そこで、工房の人達に私のimageする「 positiv organ(小型Organ)」のideaを色々とお話した所、工房の人達から、「それは面白い!」と賛同をして貰って、仕事としてではなく、趣味の延長として、材料費だけで作って貰ったのがこのOrganです。
その時に出した色々なideaなのですが、例えば、標準の8feetでは、pipeの長さがこの倍になって、大変な重さになるのですが、閉管にする事でpipeの長さを半分の長さにしたり、本体部分と左右のpipeが分割される・・とか、関西にも対応出来るように肺の部分に弁を用いて、pitchの変化を一定にしたり、・・とかの30数項目のideaを出して、それを工房の人達に叶えて貰いました。baroqueのsoloの楽器に取って・・とか、20名ぐらいまでの編成のbaroque-orchestraのcontinuoの演奏用には、或る意味では、夢のpipeorganです。
実際の音は下記のurlから聴く事が出来ます。
曲はVeraciniのpassacagliaですが、私が positiv organ用に編作曲したものです。斉藤先生の演奏は、音量の関係でbaroque-Violinではなく、modern-Violinでの演奏になっています。教会等では positiv organの設置位置と演奏者の奏く位置がだいぶ離れているので、baroque-Violinでも音量的には、大丈夫なのですが、狭い教室の中では、pipeOrganの音量が強くなり過ぎるので、modern-Violinに変更しました。
https://www.youtube.com/watch?v=UHZhY_jH_Z4



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2月26日テレビが壊れた ·

今日は2月の26日の金曜日です。
2、3日前にも一度テレビの音声が出なくなったのだが、今回は椎名町から帰って来て、テレビをつけたら全く音声が出なくなっていて、考えられる事は全部やって見たのだが、全く反応しなくなってしまった。
テレビは、パソコンやvideoのmonitorも兼ねているので、テレビを見る以外でも結構活躍しているし、それよりも、何よりも音がないのが寂しい。
パソコンで仕事をしていても、音が無いと、極めて寂しくなるのだよな?
パソコンででもテレビは見れるのだが、そうすると今度は仕事が出来なくなってしまうので、それも困ってしまうのだよな?
・・とは思ったけれど、一応、見てみたのだけど、パソコンはanalogテレビだったので、やっぱり見れなかった。
テレビの修理で電源を落としたり、プラグを抜いたりの静電気を飛ばすための初期修復は試みたのだが、全く無反応であった。
画面は頗る良好に写っているので、音声だけのtroubleなのだが、静電気ではない事は確定した。・・という事で、そこまでの作業を終えて、諦めて、bedに入るのが5時直前になってしまった。
朝は9時半に目覚めた。
朝の5時に入眠したとしても、4時間半も眠れた・・という事だ。しかし、膝から下の血行はあまり良くない。皮膚が真っ黒に近い。血行不良なのだよな??
山田電気のtroubleの受付が9時からなので早速電話をした。
直ぐにLGから電話は来たのだが、状況の確認と今まで私がやった初期修復の手順だけだったので、全て試した旨を伝えたら、それから修理に回す事になった。取り敢えず、こちらで出来る事の説明だったらしい。
次は修理からの電話待ちなのだが、来るだけで1万掛かって、10年も前の機種なので、部品があるかが分からないので来ても修理が出来るかどうか分からない・・という話なのだけど、訪問した場合には、部品が無くてもその1万円は発生してしまう・・という確認をされてしまった。
訪問しないと分からないのならば、直らなかった場合には、全くの無駄銭になる・・という事だよな??
まあ、電気製品の場合には、持ち込みをしても、checkだけで、7千円は取られるので、出張で1万は良心的なのかも知れないよな??
もし、修理出来なかったとしても、パソコンのmonitorとしてならば、音声は関係無い(パソコンから直接音声を取れる・・)ので使える事は使えるのだよな??
新教室のmonitorテレビと入れ替えようか??と思って、新教室に俺が買ったテレビは何インチだ??
Amazonの購入履歴で調べてみたら、47インチだった。
ハイツのテレビは42インチでギリギリなので、新教室のテレビはハイツのテレビは42インチでギリギリなので、ハイツには入らない事が確定した。
夕方近くになって、やっと、修理から電話があって、状況を説明したのだが、基盤の交換になるので、4万2,3千円は掛かるという事だった。10年前のテレビなのだが、基盤は未だ注文すると3日程で着くそうなのだが、4万超という事ならば・・新しいテレビが買えるので、慌てて断ってしまった。
考えても仕方が無い事なので、直にnetで42inchのテレビを調べて見たのだけど、不思議な事に42inchのテレビは全く1台も無くて、43インチの4Kテレビが3万1千円であったので、直ぐに購入した。
着くのは3月の4日だそうな??
それまでは字幕だけの音無しテレビになるのだよな。
長崎でお袋がhomeに入る時に、家のテレビが部屋に入らなかったので、寸法を測って買ったテレビがハイツにパソコンのmonitor用に戻って来ているので、そのテレビがハイツに置いたままなのだが、ラックに乗っている42型のテレビを一人でラックから降ろす自信は全くないし、斉藤先生は片手しか使えないし、苦力をするためにハイツに来てくれる生徒はいないので、ハテサテどうしたもんかいな??
帰って来たDellの大型のパソコンを設定するために、Hewlett-Packardのパソコンを千葉に帰って来たパソコンと入れ替えなければならないのだが、それもパソコンのラックに乗っているので、それも降ろして、新教室行きにしなければならないのだが、配線の入れ替えも大変だし、パソコンも重たいので、体力だけではなく気力も必要だよな??
まあ、しかし、それは元気があったら、一人でも出来るかな??
辛うじての耐荷重だよな??
またまた、腰に来るよな??
・・・どうしたら、必要最低限の労力でテレビが見れるようになるのかと暫し考えて、使っていないパソコンに接続していたcableをとっぱずして、monitorテレビに接続させた。
小一時間程の作業だったのだが、音が部屋に戻った。
但し、当然の事ながら、mainのテレビの配線を弄った分けではないから、録画番組は見れない。
テレビのラックを動かすのはそれこそ大変だからね??

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2月27日虎落笛のように·

『この2日、初夏のように暖かかったのだが、今は北風がもがり笛のように鋭い音をたてて吹いています。』
平行で、lineで癇癪を起こしながら、仕事の指示を出しながら・・この文章を書いていたら、このFacebookの文章が全部ぶっ飛んでしまって、探せども見つからなくなってしまった。
アーカイブの中に残っていた文章を復元させたのは良いとしても、この最初の文章の後に書いた文章は全部ぶっ飛んで無くなってしまった。
結構な文章を書いていたので、編集履歴で復元させるか??と思っていたのだが編集履歴が出て来ないので、復元する事も出来ないのだよな??
テレビは壊れるし、Facebookはおかしくなるし、net通販は超! super!! ultra!!! へぼいし、踏んだり蹴っただなや??
20°超から体感0°までの気温の変化に、体調が追付かないので、体調不良が続いているのですが、昨晩は8時に夕食という事で、早めの椎名町への移動になりました。
当然、ドルプリっ歩も9時過ぎには出発出来たのだけど、full-courseのお散歩と、相変わらずのウダウダで、寒くて腰を少し痛めてしまいました。
それでもハイツには、cinderella-time前の11時半には到着出来ました。
しかし、流石にバテていたので、冷蔵庫の荷物だけをなんとか整理して、後は放ったらかしで布団に入りました。(眠れたような、眠れなかったようなウダウダの就寝時間でしたが・・)
朝は定刻には起きたのだけど、テレビの音が無いというのは静かなもので、聞こえなくてよい色々なnoiseのような音が結構聞こえてきます。
邪魔な音が・・
なんだ、なんだ??
テレビの音は、目隠しならぬ耳隠しだったのだよな??

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2月27日Facebookに書いていた文章がぶっ飛んで・・・ ·

『もがり笛』の文章がぶっ飛んで無くなってしまったので、『いいね!』から文章を再生させようと思ったのだが、その『いいね!』すら無くなってしまっていたよ。
結構、書き足していたのに、怒り心頭で、すっかり、どっかに行ってしまって、何を書いたのかは、忘れてしまった。
・・・というか・・めげたのだよな??
なんだろうね??Facebookは・・??
まあ、いつもの事なのだけどな~ぁ??
元の文章をアーカイブの中に見つけて、復元させたら、今度はこの文章がぶっ飛んで無くなってしまった。
またまた探し出して復元したよ。
堂々巡りだよな??
こりゃあ、超無駄な時間だよな??
ああでもない、こうでもないと二つの文章を復元させて、同じ切り込みの文章が二つも出来てしまったので、暫し、困ってしまった。
「どちらを残そうか??」・・と悩んだ末に、両方の文章に書き加えた。 
なんじゃ、そりゃあ??

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2月28日今日は満月だ ·

今日は・・と言っても、27日から28日へ掛けてのお話になるので、相も変わらず日にちが混乱しているのだが・・
先ずは27日の夜の話である。
ハイツを外に出て、bike小屋に入ろうとしたら、サエザエとした月が中天にあった。
なんと明るく満ち充ちているのだ。
驚いて、手持ちの携帯のnetで調べてみたら、なんと「snowmoon」という満月だそうなのだ。
インスタ用に携帯で写真を撮ろうと思ったのだが、勿論、携帯で写真を撮っても真っ暗な中にポッカリと小さな点が写るだけなので、写真を撮るのはやめた。
今夜は、全国的に良い天気なのだそうなので、誰かのちゃんとしたcameraによる写真に期待しよう。
椎名町は早めの食事とドルプリっ歩のfull-courseだったのだが、それでも、cinderella-timeの前にはハイツに戻って来る事が出来た。
夜はお散歩やbikeでの移動には、手先の指先だけが寒くて痺れてしまう。
手袋の中に小さな指先用のホカロンでも欲しいよな??
次の日の朝は日曜日の2月の最後の日だ。
オケ練習の日でもある。
朝は、もう7時半にもなったのだが、寒い。
まだ0°のままなのだよ。
突然lineが入って来て、朝、早くからのweb-lessonのofferだ。
朝は、体も思考も思うようには動かないので、衣装の準備が出来るかな??ちゃんと予定に組んであれば、そのように準備をしたのだけど、朝の1時間を早くする事は、結構体調的にも難しい。


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3月


3月1日動画の保存が出来ない ·

今日は3月1日月曜日の朝です。
朝一で起き出して、昨日のオケ練習とbaroque-Koncertのlecture-lessonのvideoをvideo-deckのDigaにdubbingしてBlu-rayに焼く作業と、平行でパソコンにもdubbingして、25分割されていた動画にTitleを書こうと思ったのだけど、文字を入力したら、0000に戻ってしまったので、control+Zで元に戻そうと思ったら、なんとdubbingした動画全体が一瞬で消えてしまった。超shockだったよな!!
まあ、SDcardは未だ椎名町には返していなくて、袋に入ったままだったので、パソコンに取り込む所からのやり直しが出来たのだよな??
でも、原因と理由が分からないと同じ事をまた遣り兼ね無いよな??
作業を進めるのも、チョッと不安だよな??
baroque-Koncertの練習風景Telemann triosonateⅠⅡ楽章の抜粋2月28日美音代奏 - YouTube

普段ならば、発表会と発表会の間の練習風景は、子供達の勉強のためと、成長の過程を知る上で、練習風景のvideoとしてuploadしているのですが、前回の発表会が終わってから今回の発表会までの練習風景のvideoのupは全くしていません。
オケ練習の人数が揃わないので、part練習にしかならないから、uploadしても仕方がないからです。
せめて代わりにと、baroqueKoncertの曲のimageを知らしめるために、練習風景のvideoでもuploadしたかったのだけど、それもmember不足で、中々練習が上手く行きません。
今回に限って•••という事ではなく、音楽教室としての端境期はいつもこんなもんなので、数年おきには繰り返される事なので、また今回も悪しからず!••ってな感じかな?
それはそうと、朝起きた時には4°だった気温が今11時には、なんと14°で、これからもっともっと上がりそうな雰囲気です。
4時間で10°も上がった事になるのだよな?
そりゃあ、疲れるわさね〜ぇ??
今はお昼の2時なのですが、外の気温は20°もあります。朝7時からの気温差はなんと16°にもなります。
こりゃあ、老人には体力的には、無理だわさ!

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「這えば立て!立てば歩めの親心」
3月1日 ·

「這えば立て!立てば歩めの親心」・・という古い川柳のようなものがある。
親の「子供を思う心」のように言われている事が多いようなのだが、ironicalな江戸の風流人は、そんなに優しい目をしている分けではない。
もっとseriousでcynicalに、親のegoを見ているのだよ。
有名大学に入学させるために、「頑張って勉強をしろ!」と言いながら、親の遊びには「家族なのだから義務だ!」と言って強引に突き合わせてしまう。
そこには子供の日常は親に合わせるものだ・・という事しかない。子供なのだから親に従うのが当たり前だ・・としか思わないのだよ。子供に「勉強をしろ!」と言いながら、親は自分の都合で子供達を振り回す。
夢を叶える事の出来た子供達を見ると、大きく二つに分類される。
その一つは、子供が親を、反面教師として見ている場合なのだ。
但し、そういった子供達にとっては、親をseriousに見て、cynicalに観察をして、自分自身を育てたとしても、親の持つ影響からは逃れられない。根本的にはある程度は夢を叶えたとしても、100%は自分の夢を叶えられる事はないのだよ。あくまでも限定的に、それでも叶えられる夢を叶えた・・に過ぎないのだよ。
もう一つの例は、親が子供に夢を託して、その子供達への努力を惜しまない例である。
この場合には、「100%夢が叶う」と言っても良いハズなのだが、現実的には、そうは行かないcaseが多いのだよな。
その根本的な理由は、子供達は努力を重ねる事によってprofessionalな世界に片足を入れて、そういった世界観で社会を見る事が出来たとしても、親にとっては子供への夢であるprofessionalな世界は、いつまでも根本的にamateurに過ぎないからで、本当の本物とマスコミ等が作り出した虚構の世界の区別が付かないからなのだよ。
それに加えて更に悪い事に、日本の社会では江戸時代から引き継がれて来た家元制度への過信がある。
親方日の丸的なprofessionalな世界と、作り上げられたマスコミ等の虚構の世界と、本当の本物のprofessionalな世界との違いは、とてつもなく大きい・・というか、全く別の次元の世界だと言う事が出来る。
なぜならば、末端では共存する事はあったとしても、両者の世界の頂点では、共存する事はないからなのだよ。
なぜならば、その虚構の世界と本当の本物の世界では、求める物、追求する理想の形が、全く異なった物であるからで、相反するものであるからなのだ。
しかし、私は、そういった話をするために、この文章を書いている分けではない。私が言いたい事は、それぞれの世界への夢で、それぞれの努力の範囲が決まる・・という事を主張したいのに過ぎない。
つまり、夢とその努力の量は一致するべきである・・という事なのだよ。
夢を叶える事が、歴史に名を残して、世界的に唯一無二の存在になる事を目指すのであれば、それは孤高のlevelを目指す事である。自分の人生や、生活を犠牲にしても到達出来るか分からない世界なのだよ。それこそ、1分、1秒を惜しんで勉強をしなければならないのだよ。
しかし、それに対して、有名な演奏家になりたい。或いは、マスコミで持て囃される寵児になりたい・・という事が夢なのならば、努力して得なければならないNiveauはそれ程は高くはない。
つまり、Niveauとして必要な条件は、音楽、それ自体・・という事よりも、もっとよりappealに必要な総合的な見た目的な技術力、所謂、performance的な力が必要になる。
それは一般受けをするcharacterであったり、人とは一線を異にする・・というような、自分への見せ方である。
親方日の丸で、寄らば大樹を望むのであれば、・・つまり、大学の先生として学校に残りたいのであれば、自分を引いてくれる有力な人材を求めると良いのだよ。残念ながらそれは大学の教授ではない。それよりも強い力を持っているのは、目標とする大学の理事達なのだよ。理事と知り合いになって紹介を貰えれば100%就職が出来る。技術や学力よりも、人脈を作る事に力を注げば良いのだよ。
こういった事は音楽の話ではない。単なる社会の構造的な話に過ぎない。つまらない話だよな??
しかし、歴史に名を残す事や、professionalの世界で認められるようになるには、真面目に努力を積み重ねなければならないのは当然なのだが、それ以上に必要なものがある。
それは、真実を見る目を作る事であり、本当の本物を理解する知識や眼力を磨く事である。
それに対して、師匠は単なる航海士に過ぎない。
超、有名な師匠に師事出来たとしても、漕ぎ出す船が荒波に耐えられなければ、夢が叶う分けではないのだよ。
そこの所が分からないと、それは一般人の域を出れない事になるのだよ。
先ずは、数万本もあるような蜘蛛の糸から、真実の糸を見つけて、その糸を手繰る事が出来れば、夢は100%叶うのだけど、マスコミの作り上げた権威を信じる人は、メッキされた蜘蛛の糸と、本物の金の糸の区別が見える分けではないのだよ。
メッキされた蜘蛛の糸で導く航海士の指示で道を歩んでも、永遠に目標に辿り着く事は無いのだからね??
間違えた蜘蛛の糸の上で、どんなに大変な努力をしたとしても、それで目標に近づく事が出来る分けではない。
そこで、殆どの人達は「自分の努力が足りなかったのだ!」と自己反省をして、夢を夢として諦めるようなのだが、それは努力が足りなかった分けではなく、間違えた道を歩んでいたからに過ぎないのだよ。つまり、メッキの金の糸と、本物の金の糸を見極める力が足りなかったのだよ。
夢を叶えるのに、苦労は必要はないのだ。
正しい道を歩むのならば、夢に対しての苦労は必要はないのだよ。
なぜならば、夢に至る道は、花が咲きこぼれていて、鳥達も歌う楽しい道なのだからだ。
ゴツゴツした岩だらけの冷たい辛い厳しい道を歩んでも、決して夢に辿り着く事は無いのだ。
辛い厳しい努力は所詮、自己満足的な誤った努力に過ぎないのだよ。
本当の努力とは楽しいものなのだからね??
本当の努力をするために必要なものは、練習をする事ではなく、考える力を養う事なのだよ。
どれが本当の正しい練習法であるか、どの解釈が正しい演奏に至る道であるかを考える事を学ぶ事が正しい練習法なのだからね??
教育は山登りのようなものだ!
山を登るのには、ハイヒールのままで登れる山もあるし、何年も前から準備しなければならない孤高の山もある。
つまり、人生をどのように生きるのかは、その人の夢で決まるのだよ。
夢である目標の高さが高ければ高い程、たった一日の遅れさえも、否、一分、一秒の遅れさえも、致命的になってしまう。
日常の全てを犠牲にして努力を積み重ねて行かなければならない。
当然、夢の目標がより享受する側で、低ければ低い程、ひと月の遅れでも、或いは一年の遅れでも、その歩みには大差は無い!
本当の意味での毎日の努力が必要なのか否かは、夢のNiveauで決まるのだよ。
「神が後一年寿命を与えてくれたら」•••という言葉も、別の言い方をすれば、「自分が一年早く始めていたら」という言葉にもなるのだよ❢
つまり、人は努力を始めるのが遅い分けでは無くて、夢を抱くのが遅いのだよ。
このお話を延々と言い続けているのだが、その内容を理解してくれる人はこれまで、一人もいない。


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3月2日温度差がこの所 ·

まだ朝の7時前だというのに、練馬区の気温は14°にもなっています。
•••というか昨夜の夜に13°になってから、全く下がらないのですよ❢
冬場に暖かい••という事は、ありがたい事なので、温度自体に文句は無いのだが、深夜の0°から、お昼間の20°近い温度差は、やはり、体が付いて行かないのよねぇ?
体調不良の原因にもなっているのだよな??
いや〜ぁ、困った❢
困ったものだ❢❢
昨日の朝は7時過ぎになって陽が上がっても、0°のままだったのに、今日の朝は、昨晩の深夜から延々と13°のままなのだよ。
この二日間の気温差というか、温度差は、これまでにはチョッとない温度差なのだよ。
ガラス戸越しにverandaを覗いて見ると、雨交じりのもがり笛が切り裂くようだったよ。
昨日までの雲一つ無い空が嘘のようだ。
今は4時を過ぎた所なのですが、突然の大雨になってしまいました。激しく雨が降っています。今日の椎名町への移動は超問題なのだよな~あ??


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3月2日Sarasateが演奏しているSpanishdanceを ·

Sarasateが演奏しているSpanishdanceをYou Tubeで久しぶりに聴いた。
近現代のviolinistの奏く演奏とは全く違ったもっと直接的な演奏なのだが、その音楽表現が言葉のように聴こえて来て、その言葉使いがstraightで、衒いがなくて直接、心に響いて来るだよなぁ??
もう、こんな演奏が出来る人はいないのだろうな??
幾らViolinの名手でも、もうViolinの演奏というgenreを逸脱して、音楽=言葉そのものなのだがね??
今の時代はデジタルの時代なので、ウェットなアナログ的な音楽は流行らないのだよな?
パサパサと乾いてしまっているのだよなぁ?音楽も人達も••••

Pablo de Sarasate - SPANISH DANCE NUMBER NO. 8 - HABANERA OP. 26 NO. 2 - YouTube


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3月3日『ポロミスについて』 ·


よく完璧に暗譜をしているハズなのに、演奏中にボロリと音符をミスってしまう人がいます。
私はそういった癖があって悩んでいる生徒のために、そういったうっかりミスを、ポロ・ミスとポニョ・ミスの二つに分類しました。(ミスがmissでなくカタカナ表記なのは、ミスはmistakeの日本語英語だからです。)
まあ、名前はどうでも良かったのですが、大切な事はそういったうっかりミスを、分類して理解出来るようにするためなのです。
このうっかりミスの分類は、同じ音符を若しくは同じ箇所(小節内で)二度、三度と何度もミスる場合と、1度っ切りで、二度と同じ箇所ではミスをしない・・(別の音符や別の小節に移ってしまう)ミスの二種類があります。
第一番目の同じ箇所、同じ音符をミスる場合には、そのミスにははっきりとした原因があります。
その原因を見つけてミスを犯す理由を理解出来ると、二度と同じミスはしなくなります。こういったミスを私はポカ・ミスと呼んで分類しました。
ハテサテ、問題は二番目のどこでミスするのか分からないポニョ・ミスなのですが、普通、人は『意識の欠如』の所為にして片付けてしまいます。
演奏中にお客様のチョッとした仕草等が気になったりして、演奏している音符を忘れてしまうような場合です。
そういった雑念の中でも、一番多いのは、「次のpassageは難しいから弾けるかな?」と悩んでしまって、フッとど忘れをしてしまう例です。
後も色々な状況下で色々な例を見る事が出来ますが、その原因は一つなので、そう言った雑念によるミスをポニョ・ミスと名付けました。
私が子供達に指導する発表会の演奏mannersの一つなのですが、「曲を演奏し終わった後で、ゆっくりと膝の上に一度手を置いてから、息を吐いて気分を楽にする」という方法があります。
これは、居合道等で学ぶ「残気」という方法で、刀を鞘の中に収めて、刀から手を離して、膝に手を置いて元に座って、初めて気を吐く(集中を解く)という作法なのです。
つまり、演奏が終わった瞬間に音楽が終わった分けではなく、奏く前の姿勢に戻った時に、初めて音楽が終わるという余韻を楽しむ・・という事なのです。
ポニョ・ミスで一番多いのは、演奏中に演奏以外の他の事を考えてしまう事です。
尤も、それを自慢する演奏家も居て困ってしまいます。
著名な演奏家に記者が質問をして、「あの素晴らしいpassageで中空を見つめていらしたのですが、あの時には何を考えていたのですか??」という質問に、「今夜の夕食はラザニアが良いな?、と考えていたのです。」と答えたそうなのだけど、まあ、私達も、無意識的に、なにも考えないで奏く事(指に任せて奏く事とは違いますよ。音楽に集中出来た時に、指や他の事は考えないで音楽を聞くように演奏する事なのです。)はよくあるので、一概に「それは嘘だ!」とは言えないのだよな??
私が曲を演奏する上での理想は、「CDを聴いているように、自分の演奏を奏くのではなく、恰も他人が弾いている音楽を聴いているように、自分の演奏が聴こえて来る事」なので、あながち、「それはない」とは言えないのだよな??
玉三郎さんが「右手指先をそこに置いて、左肩をこう入れて・・」etc.考えて動く分けはないのですよ。
勿論、生徒さんに指導する時には、そのように言って指導するかもしれませんが、自身で踊られる時には、体が勝手に動くのだと思いますがね??
私の場合には、心はこう動いて欲しいのに、指が全くそのように動いてはくれないのですよ。
努力と才能と言ってしまえばそれまでなのですがねぇ?
玉三郎さん達のようなprofessionalのNiveauの人達から、一般的な人達の水準のお話に戻したとして・・・
本来ならば、「どのように演奏をする」という目標をしっかりと持った状態で演奏をするのだろうが、ついつい技術的な事や他の雑多な事に意識が行き易いので、それをしっかりと雑念を払う事が大切な事は変わりありません。
雑念を持つ事も無く、しっかりと、音楽に集中出来ているにも関わらず、そういったポニョ・ミスがある人達の意識の中で、特に気がついた事があります。
それは、melodieを音楽の表現として音として頭に浮かべている最中に突然、音符として音楽を見てしまう事なのです。
つまり、指は音として音楽を表現しているので、突然に音符に変わってしまうと指は次の音を意識する事が出来なくなってしまいポロミスに繋がってしまうのです。
本人は次のpassageは難しいので、音符をしっかりと思い浮かべてその一つ一つを弾こうとしているのですが、指がその意識のchangeに付いて行けないのですよ。
melodieに従って弾いているのに、突然「次はB♭の音符だ!」と言われては、指は混乱してしまいます。
私が子供達に自宅練習に付いて、よく注意をする事があるのですが、「本番で暗譜で演奏をするのならば、自宅の練習でも暗譜で練習をしないさい。」「本番で楽譜を見て演奏をするのならば、自宅の練習でも楽譜を見て練習をするのですよ。」という事です。
全部を暗譜で練習すれば良さそうなのですが、子供達が演奏している曲はsoloの曲の他に伴奏や、室内楽の曲、orchestraのpart等々色々なgenreの曲なので、譜面を見て演奏する曲も多いのですよ。
soloの曲しか演奏しない演奏家ならば、常に暗譜で練習をするのが常套なのでしょうがね??
演奏するgenreによっては、そうも行かないのですよ。アハッ!
よくある事なのですが、練習で使用している楽譜が汚くなってしまったので、楽譜を新しく新調して演奏していたら、楽譜を見たら、その場所にそのpassageが書いて無くて、うろたえて間違えてしまったという人の話があります。
出版社が同じで同じ校訂をする人が同じ版であれば、楽譜は同じだと思われがちなのですが、版が刷新されると、楽譜自体が訂正されてしまう事がよくあります。
春秋社版なんかその典型だよな??
同じ春秋社版の楽譜でも、印刷されたversionが違うとarticulationまでも、音符までも違ってしまうので、lessonをする側としては、生徒が使用している版と先生の版が違っていては、使い物にならないのだよ。
子供達の使用している初歩の教材の楽譜では、Burgmüller等に至っては同じ全音楽譜出版社なのに、曲のTitleさえ違っている。勿論、音もですが・・ね??だから、子供に合わせて、楽譜を新調しなければならないのですよ。
生徒に指導する時には、「何段目の何小節目の音」までも記憶させるのでね??
同じ楽譜がrenewalされると、全くlessonにならないのだよ。
ポニョ・ミスと暗譜は関係が無いように思われるかも知れませんが、不確かな暗譜、所謂、「うろ覚え」がポニョ・ミスの原因となって、ミスを誘発している場合も多いのです。
暗譜についてのcurriculumは無数にあって、暗譜が苦手で苦しんでいる人達も多いので、同情するのですが、私に言わせて貰えば、暗譜は単なる癖であって、生活習慣に過ぎないのですよ。
つまり、暗譜の苦手な人達は中々楽譜から離れようとはしません。
その事が更に暗譜を難しくさせているのです。
発表会場では生徒達はsoloの曲は暗譜で演奏します。
生徒達の行動patternを調べて見ると、曲を渡されると、①先ず譜読みをします。②曲が弾けるように練習をして、③先生から指使いや強弱の指導を受けて④ある程度弾けるようになったら暗譜に入るのです。
この④の行程は暗譜の苦手な生徒達の場合には、既に発表会直前でrehearsal も終わった後の話です。という事は、発表会をsimulateして、発表会で演奏するcheckにはなっていない・・という事なのです。
弾けるか弾けないのかのcheckだけになってしまっていて、無意味なrehearsal になってしまっているのです。だって、それだけのcheckならばlessonででも出来るでしょう??rehearsal をやるという意味が無くなってしまいます。
rehearsal はあくまでも発表会のsimulationでなければならないのだからですよ。
子供達が暗譜の行程に入るのは、発表会直前の1週間で、その間、必死に覚えようと努力をします。
そこで、私がいつも子供達に言っている事は、「発表会直前の1週間で必死に覚えるのも、楽譜を渡された時に、必死に覚えるのも、同じ努力で同じ程度の頑張りが必要なのだけど、その成果は雲泥の差があるのだよ。」と言う事なのです。
そして、更に続けて「暗譜をする時に、指使いや強弱のarticulationも一緒に覚えると良い。」と言います。
暗譜を苦手とする生徒達は、「それはとても無理!」と思うでしょうが、もしも無理だと思っている生徒には、抜き出してlectureをする箇所の1小節だけを暗譜でlessonをすれば良いのです。
つまり、抜き出しの箇所の1小節か2小節ぐらいをselectして、その箇所だけを自宅で暗譜で練習をすれば良いのです。
譜面にしがみついている生徒達は先生の説明が半分も理解出来ていませんし、自分が弾いている音を間違えた音で演奏していたとしても、聴こえてはいないのです。
だから、弾けない箇所の説明をする時に、その箇所の難しいpassageを一声部づつ、説明をして一声部づつ、暗譜をしてしまえば良いのです。
暗譜の苦手な小さな子供達には、「暗譜はしなくても良いから目を瞑って演奏しなさい。」と言います。
これは私が冗談を言っているように聴こえるかも知れませんが、生徒達にとっては、楽譜がPianoの上にあるのか、無いのかでは演奏する上での安心感としては、雲泥の差があるので、真面目なお話なのですよ。
生徒達へのlessonでは、私の場合には、基本的には譜面台を倒して、その上に楽譜を置くようにしています。
演奏中は楽譜が見えないのだけど、lessonとしては、譜面台で楽譜に書き込むよりも、とても簡単に丁寧に書き込む事が出来ます。
uprightの場合には横に楽譜台(table)を起きます。横を向いて演奏する事は出来ないのですが、これも書き込む時にはとても楽です。鍵盤と同じぐらいの高さのtableが安くhomecenterにも売っています。
つまり、譜面を見る事が少し不便になれば、暗譜で弾く方がより楽ならば、誰しも暗譜を優先するようになるのです。
暗譜が生活習慣として身に付けば、暗譜は得意になってしまうのですよ。
暗譜のコツのもう一つは、暗譜は難しい箇所から順番に覚えると良いのです。
子供達への指導が下手な先生は、子供達が弾けるようになった易しい所から指導を始めます。だから一番難しい所は発表会の直前にほんの少し齧る程度になってしまいます。つまり、lessonへのcurriculumが出来ていないという事なのです。
私の場合には暗譜を先にしてしまうので、発表会直前ではlesson時間にゆとりが出ます。そのゆとりの時間を使って、次の課題曲の難しいpassageの解説や練習の仕方、難しいpassageの順番等を指導して、発表会が終わっても直ぐに練習が開始出来るようにします。発表会後の第一回目のlessonでは、曲全体の構成や演奏のpoint等を説明します。音大生等の場合には、喫茶店で珈琲を飲みながら、楽譜上だけで指使いまでも説明してしまう事があります。音大生クラスになると、頭だけで音楽を構成する事が出来るので、そのlessonだけで殆どlectureは終わりになります。後は自分の練習次第なのでね??
電話番号や歴史の年代等の無意味な数字や記号の羅列にめっぽう強い人がいますが、私は自分の携帯の番号を覚えるのが精一杯で、運転免許の認知症の検査で「今日は何年の何月」なんて聞かれると困ってしまいます。
ましてや、「昨日、何を食べた??」と言われてもねぇ??
私の場合には、とても素敵な美人の女優さんや、若いアイドルに心をときめかせても、どうしても、その人の名前が覚えられないのですよ。
毎回、行きつけの寿司屋に行く度に、同じ写真の美人の人の名前を尋ねるのです。
「今度こそは覚えた!」と思っても次にはやっぱり忘れているのですよ。
顔は結構覚えているのですがねぇ?名前は全くダメなのですよ?
子供達には「必要最低限の演奏表現用語は覚えておくように!」と繰り返して言っていますが、中々覚えてくれません。
でも、アイドルやゲームに関しての知識や記憶力に関しては、中々素晴らしものがあります。
つまり、記憶は興味を抱く事は、無意識に記憶する事が出来るのです。
逆の言い方をすれば、記憶は、その人の興味を抱く場所(種類)とその度合い(強さ)を示すbarometerでもあるのです。
勿論、音楽の場合には、その人がどれだけ音楽にのめり込んでいるかを知るbarometerにもなるのですよ。
・・ね??
人の顔を一瞥をしただけで、恰も写真のように緻密に描ける画家の人がいます。
まるで、「サバン症候群ではないのかな??」と思える程の精度で描けてしまいます。
私が記憶で人の顔を描くとすれば、精々、マル・チョンの世界なのでね??それがその人の示す興味のbarometerなのですよ。
アハッ!
但し、私の音としての記憶は、チョッとしたものがあります。
30年前に一度弾いた事のある曲でもチョッとしたミスでも聞き漏らす事はありません。
音のミスや演奏表現に関しての記憶には自信があります。
また、色々な出版社の違いによる音の違いも正確に記憶しています。
但しついでに言っておきますが、音としての記憶なので、楽譜としての記憶ではありません。つまり、演奏としての記憶ではないのですよ。そこはしっかりと違うのですよ。
先ほどのポニョ・ミスに悩んでいる生徒は純性調を聴き分けられる程の絶対音感の持ち主なのです。
だから、当然、音と音符の区別は無いハズなのですがね??
それでも、その読み替えには引っ掛かってしまうのですよ。
不思議ですよね~ぇ??
音楽用語の殆どはItalia語ですが、Italia人にとっては音楽用語は日常の生活用語に過ぎません。
全くItalia語を知らない音楽家が空港からhotelにtaxiで行く時に、音楽用語で全て事足りたそうです。アハッ!
写真は今は亡き江古田教室での、私のlesson風景です。(写真の中学生くらいの女の子は、現在は音楽大学を卒業してproとしての演奏活動を始めた所です。)
課題曲を通して弾いた後での、楽譜上でのcheckと説明をしている所の風景です。
そのcheckが終わったら、今日のlessonの箇所を決めて、その小節を集中的にlectureします。但し、時短のために、同じ理由、同じ原因の箇所はlessonはしません。以下同文・・という事でlectureは省略して時短をはかります。同じMotivが色々な所に使われていて、そのMotivで引っ掛かっている場合には、そのMotivのlectureを難しい箇所よりも優先して指導する場合も多々あります。練習がし易いように・・という配慮からです。
このお話は、私のlesson風景のお話のようにも、見えますが、実は譜面台を倒しているので、私にも楽譜は見えないのですよ。
検見川教室のように2台Pianoがある場合や、sofaに座ったままでlessonをする場合には、生徒とは他に、自分の楽譜を準備しておく事も出来ますが、一台のPianoでlectureする時にはそれは出来ないので生徒のミスをしたcheck-pointを記憶しておかなければなりません。
また、こんにちのように、web-lessonでハイツに居るままでlessonをしなければならない場合には、楽譜が準備されていない場合がしょっちゅうあります。何年か昔に私がlessonをした事がある曲なので楽譜が当然準備されている・・という思い込みです。だから、発表会の曲が決まったら、私が見る可能性のある曲は全て一度ハイツの書庫をcheckして「今回のlesson用」として出しておいて欲しいのですがね??という事で楽譜無しでlessonをしなければならない時がよくあります。しかも、前日の夜に突然、明日のlessonの課題曲の事を言われてしまって、楽譜棚を探しても見つからない場合がよくあります。
それでもlessonの時には、check-pointは逃さないで、全てをcheckしなければなりません。暗譜に寄って、10年も前にlessonした事のある曲をlessonしなければならないのですよ。
これで未だ認知症ではない事は証明出来たかな??
私の持論なのですが、物忘れは、人生に興味が無くなって来た事によるのですよ。興味さえ持てれば、記憶は保てます。後は脳の血流の問題なので、私の範疇ではないのでね??


とても素敵なネーミングミス❣️
いつでも誰でも何処でもそして幾つになってもミスサンとは
離れられません、、、が
そのたびに
アッ!又同じ間違いを、、、や注意していたのに⁉︎etc
都度シュン現象の繰り返しですが
先生の二つの分類ネーミングに
ミスをしても次への一歩!
又頑張れる!と思いました!



ありがとうございます。「ポニョ・ミス」と言ったら、宮崎駿先生のアニメを連想してしまいますが、実は、時代的にはそれよりも早い時代に「ポニョ」という言葉を使用していたので、アニメのキャラとのbookingは全くの偶然です。それまでは、ポロっとミスをするので、ポロミスと言っていたのですが、ミスの種類を分類をする必要性が出て来たので、そのまま発展させて、ポロとプニョを組み合わせてポニョ・ミスとしました。宮崎駿先生のポニョには別のrootsが有ったと思いましたが・・。
それ以前にも、私の高校生の時の詩集では「ジュジュとミュミュのお話」があります。蟻の恋人達の童話なのですが・・化粧品よりもだいぶ前の60年以上も前に書いた童話の主人公達の名前です。未だ高校生の時なので、Franceの名前という訳ではなく、単に音的な響きから導き出した名前です。当時の日本社会はこんにちのようにglobalではありませんでしたので、Franceの小粋な、coquettishな女の子というimageではなく、純粋に日本的な音だけの発想になります。

芦塚 陽二 先生❣️
先日半世紀ぶりに
声明の件で大原に参りましたが
音的の響き!と
先生が記されてます
ジュジュとミュミュ❣️なんて素敵な響きでしょう!
学術的に無数の至難坂を越えて!の旋律かと思いますが
何ひとつ解ってはおりません私ですが
音的響きは無条件!心に響く直列導線❣️に思え先生のお言葉!純粋な日本的発想❣️、、、この言葉の世界に一番憧れます!

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3月3日声明とtone-cluster ·

声明まで絡めると記譜のお話は、大変膨大なthemaになってしまいますので、簡単に私の声明に対しての素人的で、単純な門外漢としての考え方をsimpleにお話します。
その前に、言葉のお話なのですが、コロナでよく言われている言葉にクラスターという言葉がありますが、音楽用語の場合にはtone-clusterと言って、white-noiseの事を言います。
所謂、二元論的に言うとwhiteとは全ての音が出揃った状態なので、逆に全くの無音の状態はblack-noiseになります。
色の場合にはwhite-noiseは限りなく白に近い状態で、black-noiseは限りなく黒に近い状態になります。
音の場合には、white-noiseの状態は木の葉ずれの音に近くなるし、最後には消えてしまいます。勿論、black-noiseの場合は最初から無音の状態なので、人間の場合には自分の体内の音が聴こえてしまいます。(こ・・っ、怖い!!)
noiseとは雑音なので、white-noiseにしても、black-noiseにしても究極的には音が無い状態になってしまうので、雑音が全く無い状態のnoiseが、究極のnoiseという事になるのかな??
分かったような・・・分からんような・・ですが、理論なんてそんなものです。
Europaの音楽は基本的には音には型があるものとして記譜が成り立って来ました。
だから、Europaの音楽では、分割出来ない音符も、3分割、7分割と等倍に分割します。分割された音符で演奏をして、音符の分割から離れて、自由な演奏をしたとしても、その底にはrhythmやbeatと呼ばれる更に定められたrhythmが存在します。よく相撲の拍子木やフレ太鼓のような、ゆっくりから速くなったり、速いものがだんだんとゆっくりとなるような不等倍の記譜は近代のBartok達の作曲家の手に寄って記譜法が確立されましたが、それまでは、accelerandoやritardandoという風に記号として書き表されました。(・・音符としてではなく・・という事です。)
それに対して、声明というか、アジアの記譜法を持たない音楽は、rhythmやbeatを持たない音楽である・・という事が出来ます。
記譜法は直接の繋がりの無い、人々とに音楽を伝達する事が出来るような発明であったのですが、声明のような暗示をするに留まる記譜法では、口伝の域を越して、音楽が伝達される事は難しかったのです。
それが声明が一般的になる事を阻む原因なのです。
しかし、近代ではなく、現代音楽の多くは、基本的に声明と同じ様な記譜法を採用しています。
所謂、記譜自体が象徴的、印象的な記譜で、弾き手にsuggestするだけの記譜になって来ました。
ここで中野先生の最初の質問に戻って、「声明をnotation(所謂、記譜)をする事が出来るのか?」という事なのですが、現代音楽の記譜法を使用すれば記譜は可能なのですが、それでは声明の記譜となにも変わらない・・という事なのです。
つまり、現代音楽の記譜法は、未だ個人的な範囲を逸脱出来ない範疇にあるので、それならば、声明の記譜の方がより一般的に知られているという事です。
但し、その意味や解釈を知ったとしても、それはあくまでもsuggestに過ぎないので、それだけで声明を再生するのは無理だと思います。
まあ、声明の専門家ならば可能かも知れませんが、一般的に流布する事は無理だと思います。
やはり日本の音楽は、口伝の世界なのだと思われるのです。
『ここからは逆説法です。』
どのように複雑怪奇な形であったとしても、形を元にした動物と、slime(スライム)のような、形を持たない軟体動物のような生き物を同次元で語る事は出来ません。
水は入れ物で形を形成しているに過ぎず、水自体に形は無いのです。
しかしながら、洋の東西を問わず、「型に入りて、型より出る」のが目的であり、音符であろうと図形であろうと、ハテはslimeであろうと、型より出た形は、真の姿となって、殆ど同じ物になる事が出来るのです。
不思議な事に・・??
儒教型であり家元制度の日本人は「型に入る(型の中に収める)」のはとても優れていますが、型から脱する時には、野狐的にしか脱する事が出来ないようです。
多分、完成形のどこかを、履き違えをしているのかな??
声明であろうと、EuropaのClassic音楽であろうと、最終的には心というか、『気』の中に入るものだと思います。芸術は与える感動という意味では同じ物になる事が出来ると思うのですが、ハテサテ如何せん!!


先生〜〜!
野狐ならぬ野兎の
ジャジャウサゆえ
規律のハーネスが
装着叶わずいつも爆走してはここは何処?⁉︎?
興福寺様の鐘のねもどしゃ降りの雨音の中ゆえか遠来の鐘の音が100倍にも1000倍にも魅せられ鐘楼前で余りの寒さにシュン、、、
きっと快晴の音色とは違う気がしました、、、
無音がblack-noise..
こころの音符に思えました〜!



それはそれは残念でした。
声明の朗々とした声は、素晴らしいものがありますが、雨では重低音の音がかき消されてしまいますよね。

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3月5日Je crois entende -Alfredo Kraus ·
プライバシー設定: 公開
やっぱ、舞台で歌うのならば、これぐらいのタメは必要だよな??
俺は無理だけど・・
Je crois entende -Alfredo Kraus
YOUTUBE.COM



同じ人の歌うConcerto-versionなのだよ!!
歌い方が全く違うのだよな??
つまり、舞台用とConcerto用の違いだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=O3rVmE0Jubo
Alfredo Kraus - Je Crois Entendre Encore
YOUTUBE.COM



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3月6日テレビの交換の話 ·

2月26日のテレビの音声が出なくなった話の続きです。
修理が4万越すという話だったので、修理を断って3万千円の4kテレビをnetで買いました。前のテレビは42インチだったのですが、42inchが無かったので、43inchにしました。3月の4日に入荷予定だったのだけど、なんと、1日に荷物が届いたのだけど、いつもの事で私は部屋に居たのに、荷物は戻ってしまいました。呼び鈴は壊れているので、強めにノックをするように書いているのですが、部屋にいても聞こえないのですよ❢
仕方が無いので、次の日の2日に時間指定をして配送して貰いました。
玄関に置きっ放しにしているのですが、自分一人で箱から出して、組み立てて、ラックに乗せる作業をするのはとても無理なので、玄関に置いたままで放ったらかしていました。
5日の金曜日に斉藤先生が出来る範囲で(未だ肩が痛くて手が上がらないので•••)手伝ってくれるという事になったので、テレビの設置の作業をお昼からしました。
43inchなのだけど、なんかcompactで超軽くて、そのままrackに収まりました。
随分小さく見えるのよね~ぇ??
テレビの台が結構小さいので、テレビの高さが随分低いのは事実です。
安いだけあって、機能的に、超、Shockだったのはパソコンからの端子が無かった事です。
HDMIの端子が3個とUSBが2個、videoの入力が1個しかないのですよ。
パソコンmonitor用の端子がないので、HDMIで接続するしかないのですが、そうするとPanasonicのDiga2台を編集に使っているので、その2台で、HDMIの端子は終わりなのだよな??
外付のspeakerには光端子で接続が出来たので、音声出力端子は終わりで、残った端子はAVの入力専用の端子だけになってしまいました。
空きの端子が全く無いので、AVのmaster機器としては使えないのだよな??
まあ、一番安いテレビだったから、仕方がないか??
「安物買いの銭失い!!」だよな??
でも、「ない袖は振れない」とも言うのだよ!!
写真は入れ変わったテレビですが、分からんよな?
3Dも出来なくなってしまったしねぇ?

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3月6日bierのRosarysonateのCembalo-partをOrgan用に書き直した。 ·

今日の3月6日の土曜日は、bieberのRosaryのsonateのlecture-lessonをする予定だったので、朝からⅠ楽章のpreludeとⅢ楽章のfinaleのCembaloのpartをorgan用のpartへと書き直した。
まあ、楽譜を書き直す理由は、出版されている楽譜のarrangeがヘボいのもあるけれど、それ以上の決定的な理由は、楽譜がcembaloのために書かれているからだ。
勿論、右手のpartは、bieber先生が書いたものではなく、出版社からの委託で誰かが書いたものなので、作曲家の意図が汲み取られたものではないのだから、誰が書き直したとしても、作曲者への冒涜にはならないからだ。
biberのRosaryのsonateは、曲毎のscordaturaが結構難しいので、演奏困難な曲とされて演奏する人も少ないし、また当然、ロクな解釈はなされていないのだよな。
このRosaryのsonateの第一番は、調弦は通常のGDAEに調弦されているので、もう少し、一般的に演奏されても良いと思われるのだが、中々演奏されないその大きな理由の一つとなるのは、figurationとrecitativoを淡々と同じtempoで演奏する人達が殆どなので、曲がダラダラと長大になって、imageが掴み難くなってしまうからなのだ。演奏によっては、取り付く島のない曲になってしまうのだよ。
ダラダラとしてしまうような曲を、ピンとハリのある曲に演奏するには、曲の構造分析がとても大切である。
biberのこの曲に関しての構造分析を理解するためには、Ⅰ楽章のinterpretationをする前には、まずrecitativoのpassageだけを弾いて見て、figurationのpassageを飛ばして演奏して見ると、結構そのまま、色々な箇所に点在しているmelodie-lineが繋がっているのが分かる。
そこで大きなmelodie-lineを作り上げなければならない。
その大きなmelodie-lineが出来たら、次にmelodieの間に長いfigurationが挿入されて来るので、melodie-lineが断絶してしまわないように、episodeとして(figurationとして)その挿入句を演奏しなければならない。figuration自体は、元来は単なるimprovisationに過ぎないのだから、実際には弾きやすいように弾いて構わないのだがね?
episodeの部分とimprovisationの部分の区別を、しっかりと事前にやっておくか否かがこの曲の演奏が分かり易い曲になるのか、難解な曲になるのかの別れ道になるのだよ。
という事で、今回の演奏ではmelodie-lineをrecitativoのように非常に遅く演奏する事にして、その間のfigurationを非常に速く演奏する事で挿入された句(episode)である事が明確に分かるように表現をする事にした。
また、次の課題としては、元々の楽譜に書かれている伴奏用の譜面は、Cembaloの楽器用に書かれているのだが、cembaloの場合には、音が持続しないので、小節毎に弾き直しをさせて書いてあるのだが、今回は 教室のpositiv organを使用する事で、長いfigurationのpassageを一つの和音上でdroneのように演奏する事にして、非常に簡明なsimpleな伴奏にする事にした。
6日の土曜日の朝にはpreludeのarrangeを書き終えて、お昼からは更にfinaleのarrangeも書き終わった。
その後、椎名町教室にある、電子cembaloを使って、斎藤先生と、実際の音合わせをして見たのだが、 positiv organの音で合わせをして見ると、理論的には誤りではないのだが、和声的な響きで、2、3箇所不都合な箇所が見つかったので、それを、より簡単で弾き易くなるように修正した。 
夕方にはlessonを終えて、大急ぎでハイツに戻って、そのlessonのvideoを伴奏者に見せるために、dubbingしたのだけど、圧縮しても容量overで送れなかった。
それにgiga便で送っても、DVDに焼いても、You Tubeにuploadしたとしても、いずれにしても、2時間以上掛かるという事で、パソコンやPanasonicのvideodeckのDigaを回したままで、椎名町に食事にまたまた戻って、食事を済ませてから、ドルプリのウダウダ散歩に小一時間のlongcourseに付き合って、散歩からやっとこ椎名町の事務所に帰って来て、大急ぎでbikeを飛ばして、ハイツに帰り着いたのは、cinderella-timeを過ぎてしまっていた。
遅くなったので、Ⅱ楽章の楽譜のtemplateだけを作って寝てしまうつもりだったのだが、勢いで、残りのVariationも、全部arrangeしてしまった。
徹夜になってしまったのだよ❢
次は7日の日曜日の早朝の話である。
何度か、聴き直しながら細かい修整をしていたら、なんとなんと、欝が起きてしまった。
本当ならば、1日掛りで全楽章の改訂作業を終わって、曲を作り上げたのだから、気分がルンルンなハズなのだが、欝が起きてしまって、またまた自分の人生を悩み出したのだよな??
なんだろうね??
素直に喜べば良いのにねぇ??
普段ならば、曲のarrangeを作り終えたり、作曲をした後は、「充実した日を送った」という感情に満たされるハズなのだが、潜在意識的には、今の私の立場、・・立ち位置に、不平不満タラタラなのかね??
「よう分からん!!」・・というか、その不平不満の理由は、「よう分からん!」ではなくって、「よう分かってはいる」のだけどね??それはいつも言えない事なので、公言した事は無いのだが、それがstressの原因なのかね??
という事で、Wineを飲んで、気晴らしをしていたら、朝の7時過ぎになったので、なんとか布団に入って寝たのだが、9時過ぎには、web-lessonのために、lineで起こされてしまった。
10時半からlessonの希望が入ったってさ??
「超、眠たい❢」のだが、それは致し方は無い。
という事で、眠る間も無く、夕方の6時半までは、web-lessonのTeleworkをした。
全くを持って、計画性の無いめちゃくちゃなrotationダナや??
6時半から7時になった時点で、流石に、ほぼ、徹夜状態なので、即布団に入って寝たのだけど、まあ、当然、と言えば当然の事なのだが、・・食事とドルプリっ歩をすっぽかしてしまった。
まあ、今日は、俺の体力の限界・・で、致し方が無い・・という事で、勘弁して貰おう。
今日の夜はお弁当にしてくれたようなのだが、とても取りに行く元気は無い。
ここまでが7日、日曜日の夜まで・・

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3月7日草案スキのない音楽·

スキのない音楽
求める物は達成出来ているのだが、
学校は仕事のhow-toを教えて
職業は仕事の意味を指導する職人としての学習法
複数の楽器を学ぶ事についての日本独自の考え方一芸に秀でる!
色々な楽器を学ぶアマチュア
二兎を追う者は一兎も獲ず

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3月8日教室のゴミ ·

日曜日は超バテて変な寝方をしたので、定形の朝の体重血圧測定や一日の食事もしなかったので、1日1回の薬を飲むのも忘れてしまって、最悪のリハビリになってしまいました。
webでのオケ練習や室内楽のlessonの合間に、videoの編集やbieberのorgan-partへの編曲などをしながら、兎に角、5分でも10分でも、眠るようにしたのだけど、結局は夜の食事時間もドルプリのお散歩も、すっぽかして寝込んでしまいました。
月曜日の朝までには、bieberの全楽章のYou Tubeへのuploadが終わって、お昼にはCouperinの修道尼モニカの演奏法のlecture‐lessonをしました。
Cembaloのregisterの操作は、私は昔々から、何度も説明をしているハズなのだけど、生徒達も先生達も、それをpaper上に残す気がないので、私が何度説明をしても、「聴いた覚えがない!!」という事で一蹴されてしまって、私が説明を怠った所為にされてしまって、今回はとうとう頭に来てしまいました。
・・という経緯なので、一人一人に言っても元の木阿弥なので、目に見えるものに残しておかなければ・・・という事で、早速、Home Pageのcembaloの Pageに操作の手順を書こうと思ったのだけど、それぞれのregisterの配置は、基本的には右側の上のregisterが8feetのmainのforteのkeyの音列で、左側の上のregisterが(基本的には)4feetのkeyの音列になっている。
とは言っても、それぞれのcembaloで仕様が全て違うので、「このcembaloはでは、右側のregisterが8'で左側のregisterが•••としか、言うしか、ないのだよナ?」
cembaloの場合には、基本的には、例えmodernーCembaloのpedal-Cembaloの場合でも、registerの操作は、曲の途中ではしません。
ましてや、register操作に手間取るbaroque時代の復刻のcembaloの場合には、結構難しいので、registerの操作の出来る場所は限られて来ます。
勿論、そのregister操作の時間は、個人個人の「慣れ」なので、私が決められる事ではありません。
当然、registerの操作に慣れて来ると、速いtimingでその操作が出来るハズですが、使わなければ、その操作は速くなる事は無いし、registerの操作を覚える事もありません。
教室では、先生達は生徒さんへの指導と教室の雑用をこなさなければならないので、慢性的な人手不足に悩まされていて、いつも仕事が遅れ気味で困ってしまいます。
私は、人手不足の解消と、仕事自体が捗るように、便利で時短がはかれるような便利な道具をよく買いますが、道具自体は幾ら便利であったとしても、その使い方を覚えようとしなければ、ただのゴミになってしまいます。
折角、私が高いお金を出して、便利なgoodsを買っても、使わないので、その内にそんな物があった事さえも忘れてしまって、私が何度も探させても、二度と出て来ません。
便利な道具が臍を曲げているのかね??
いつも、「使わない物は教室のゴミだ!」と言っているのですがね~ぇ?
仕事は人手(人海戦術)でやるか、道具に頼るか?•••なのですが、道具は幾ら便利なものであったとしても、使い方を覚えなければ、タダのゴミにしかなりません。
折角の教室でのbaroque-Koncertでも、お客様を入れた場合を椅子を並べてcheckしたハズなのに、未だに、演奏者の並びで四苦八苦しています。
自分達が撮った写真を見れば、そこの場所はお客様の椅子のある場所だ・・と直ぐに分かるのでしょうがね~ぇ??
その時には、座る場所の事は考えないのですよ。
トドのつまり、練習の時には、立ち位置のcheckは出来ない!
立ち位置のcheckの時には、cameraの撮影pointのsetの位置決めは出来ない!!
「Hallには楽器を置かない!!」とかが、練習の時からではなくて、Koncert当日だけなのですよ。
「普段からの準備が大切だ!」という事がどうしても聞けないのだよな??
それはもう、risk管理だよな??
写真は1脚ずつを抜いた状態のsocial distanceに配慮した椅子の配置です。
本当はこの倍以上の椅子を置く事が出来ます。
検見川教室では約50脚の椅子を置く事が出来たので、solo-Koncertの場合には、それに近い椅子を置く事は出来るでしょう。

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3月9日終の棲家 ·

今、テレビを付けっぱなしにしたままで、原稿を書いていたら、hotel暮らしのお話をしていた。
昔々、日本に帰って来たばかりの頃、職業を探していた頃の話なのだが、先輩の作曲家の先生から、「ヤマハの指導講師にならないか?」との打診があった。
指導講師とは、各、地方の若い先生達を指導するので、1,2週間からひと月ぐらいの間、その地方でhotel住まいをして、ヤマハの講師の女の子達を指導するのだ。
給料は悪くないのだが、「全国を渡り歩いて、自分の家に戻れるのが1年の内の1週間程度だ!」という事を聞いて、Shockを受けてしまった。
それじゃあ、自分の住まいを持つ事が出来ないという事ではないか??
人間本来無一物・・という心境ならばそれでも良いのだが、物欲に溢れた私にはとても出来そうにも無かったのでそうそうに断ってしまった。
とは言っても、演奏家の場合には、1年の内の半年を演奏旅行に費やす人達は結構、多いのだよな。
Karl Richter教授も1年の半分を彼のorchestraやchorusを引き連れて、世界中を回る。
だから、当然、彼もhotel住まいなのだよ。
私にとっては、江古田の部屋も、今住んでいるハイツの部屋も、hotelと同じ仮の宿に過ぎないのだよな??
私が本当に住みたいと思う家は、こんな牢獄のような部屋ではない。
とても、終の棲家とは言えないのだよ。
一人暮らしなので、どういう棲家でも、自分で勝手に探し出して住めば良いだけなのだが、その、家を探すのが面倒くさかったり、引越しが面倒くさいのだよな??
という事で、このままにしておくと、俺の終の棲家は病院になったりして・・・
う~~ん??
取り敢えずは、せめて今暮らしている部屋の中に、喫茶店のような雰囲気の一角を作って、チョッとした気分転換を図りたいのだけど、たったそれだけの事がなかなか出来ないのだよな??
なぜ〜??
そりゃあ、怠け者だからに決まっているわさ??
そんなだいそれた事は、マメじゃあないと出来ないのだよ❢


必ず必ず実現します!心願成就!
お出来に成ります❣️


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3月9日教室を開いた花園教室が・・・ ·

30有余年前に、初めて音楽教室として活動を開始した焼き鳥屋の二階の今にも壊れそうなオンボロの花園教室が亡くなってしまった❢
家が無くなったとしても、思い出は消えるものではないのだが、やはり、その教室での思い出よすがも無くなってしまったので、寂しい気分ではある。
思い出の地と言えば、私の産まれた故郷の江戸時代の初期から続いて来た家も、人手に渡って今は無いし、中、高生の時に住んでいた県営のアパートも今は建て直されて面影すら無い。
音楽大学時代のアパートも取り壊されて、跡形も無い。
東京に戻ってから、住んでいた仮の宿であった江古田の教室と住まいも今は別の建物に建変わっている。
お袋が再婚して住んでいた長崎の家も私が売ってしまったし、この花園教室を移転する時に、検見川教室も同時に引越ししてしまったので、苦節40年の教室の思い出は無くなってしまったような気がしてしまうのだよな??
恰も私が一つ一つ歳を取ると同時に、私の前に運命が立ちはだかって待ち構えていて、私の足跡を巨大な消しゴムで一生懸命に消しているように思えて滑稽だ!!
まあ、ご苦労さんなこった!!
人の一生の儚さを実感出来た・・という事か??アハッ!


沢山の音楽家の皆様方が世界に羽ばたかれた原点ですね❣️


もう取り壊されてしまったんですね…



なんと…………




千葉から去って10年経ちました。
いろんな思い出が、無くなることは残念でなりません。イギリスから帰国して、20年目となりました。行く前日、中学からお世話になった先輩方が送別会で、一階の焼き鳥屋でしてもらった事を思い出します。その先輩方もバラバラになりました。寂しいです。いろんな意味で寂しいです。


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3月10日homepageの復活作業·

3月の9日の火曜日は、朝から一日掛かりで、お久し振りにHome Pageの「修道尼モニカの装飾音の弾き方」の Pageと「cembaloの音色」の Pageと、私が作製した「positive-organ」の Pageと、全くぶっ飛んでしまっていて白紙状態になっていた「cembaloの紹介」の Pageを一気にrenewalした。
いずれにしても『芦塚先生のお部屋』の殆どの Pageは、ぶっ飛んだままになっていたので、いつかは書き直さなければならなかったのだけど、元々の原稿が見つからないPageは、そのままになって放置されたままになってしまっていた のですが、今回、「baroque-Koncert」へのlecture-lessonで、修道尼モニカやダカンのカッコウのlessonをしたので、原稿を書いた時の細かい内容を思い出したからだ。(勿論、思い出そうとすれば、思い出せるのだけど、思い出す事が超、面倒くさいので、思い出さなかっただけなのだが・・ね??)
修道尼モニカの Pageだけではなく、「cembaloの音色について」の Pageも結構ぶっ飛んだ時の被害が大きかったのだけど、registerの操作に関しての 説明は、これまでも対外出演でCembaloの演奏をする度に、registerの操作に関して、何度となく同じ事を説明して来た。
また、registerについて「調べよう!」と思ったら、日頃説明をしている事と同じ話を、Home Pageにも書いてあるのだよ。
それにも関わらず、またまた先生から、「俺の説明不足」と言われてしまって、超、頭に来た!!
100回同じ事を説明しても、記憶に無ければ・・、或いは、note等のmemo書きが無ければ、・・それは教えて貰った事にはならないのだそうな???
普段のオケ練習でCembaloはregisterの操作をする分けでは無いので、普段からのregisterに対しての意識がないのだよ。
だから、忘れてしまうのだよ。
先生という立場ならば、生徒に楽器の使い方の説明は出来ないといけないのだ。
だから、忘れてはいけないのだよな??
・・という事なので、101回目の説明と同時に、homepage上のregisterの操作に関しての部分を、より分かり易く書き直したのだヨ❢❢
・・・二度と、「説明をして貰っていない!」と言わせないためにね??
cembaloに関して書いているPageが、あちこちに散乱しているので、それぞれのPageに、同じ事を書いてしまっているので、今更、更に同じ内容の事を書くのは、気が引けてしまうのだが、逆に今回のように、先生達や生徒達から同じ事(文句や質問)を繰り返し言われてしまうのだから、あちこちの Pageで同じ事を書いていたとしても、それは、所詮は無駄なのだよな??
「所詮」という意味は、書かれた文字のようなものは音楽家は読まないのだから、如何せん、文章に書いたとしても、読んでくれるか否かは別の問題なので、致し方は無い❢・・という事なのだよ。
同じ事を書いているPageがあちこちにあるので、その項目を統合して一つに纏めよう・・とも思ったのだけど、どうせ人は同じ事があちこちに書かれていても、一つの Pageしか読もうとはしないのだから、それはそれで良いと思う事にした。
人生に無駄は無いのだよな??
それはそうと、cembaloの解説ついでに、Cembaloの奏法では、もう少し、専門的に詳しく触れていた「Bachのinvention」の解説の Pageを開いて見たら、何とも惨憺たる有様で、かろうじてindexのみが残っている、という有様であった。
indexを見ながら、復旧作業は可能なのか考えて見たのだが、修復するよりは、新しくrenewalした方が良いように思えて来たのだが、今はinvention-classの生徒を一人も指導していないので、今inventionのlectureのPageをrenewalすると、頭でっかちの「inventionのlecture-version」になってしまうよな?
頭でだけでは書きたくないよなぁ?
そのlevelでのlessonを受ける生徒が今はいないのだよな~ぁ??
困ったもんだ!!

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3月10日Facebookの繰り返されるうざい宣伝 ·

人様のFacebookの Pageを読む時に、この所、お薦めの Pageが頻繁に出て来るようになって、とても煩わしくなって来たので、何とかこの宣伝が出て来ないようにと、設定を弄っているのだが、幾ら弄っても、全く手に負えないので、q&Aを調べて見たら、「宣伝料が入って来るので、このPageの削除は出来ない!」と書いてあった!!
これで幾ら頑張っても消せない理由が分かって納得した❢
「ただでFacebookを使っているのだから、それくらいは辛抱しろ!」だってさ??
まあ、それはそうだけどもサ??
ウザいものはウザいのだよな??

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3月12日ニャンコ号出動 ·

今日は3月の11日の木曜日でしたが、頑張って、ハイツのHewlett-Packardのパソコンをrackから降ろして、配線を全部引っこ抜いて、ハイツから新教室へ移動する荷物を整理したのだけど、結構時間が掛かって椎名町への移動は夜の10時になってしまいました。
それから、深夜の12時までに定形の食事とドルプリっ歩を済ませて、車を出してハイツの荷物の積み込みに行きました。椎名町に帰って来たのは深夜の2時です。
それからbikeでハイツに戻って来たのは2時半を過ぎていました。
明日朝は10時に出発の予定だったのだけど、経理が残っているので、12時の出発に変更になりました。(ドルちゃんの病院があるそうなので、更に12時半の予定になりました。どうせドラレコのリアのカメラがハズレたので、トヨタに寄って行かなければならないので、1時を過ぎるのは確定のようです❢)
それから新教室で荷物降ろしと、Hallのsettingをします。
口で指示をしていても、写真で説明しても、埒が明かないので、実際に私が現場でsettingの指示を出します。
そのための車での移動です。
何をドタバタしているのか?というと、baroque-Koncertがコロナの緊急事態宣言で、7日から更に21日に延期されたのですが、発表会や千葉地区の関係で、それ以上の延長は無いからです。
それまでに演奏をする会場となる教室の部屋を整理しなければならないのですが、先生達が揃って作業出来る曜日が、後は金曜日と、日曜日のオケ練習の後しか無いからです。つまり、明日の金曜日はsettingを試す最後のtimelimitになってしまうので、last-chanceになるからです。
という事なので、体調不良等、多少の無理は承知で動かなければなりません。
新教室用のパソコンや、広いベランダでお茶が飲めるように、ハイツのベランダから、小洒落た外用のテーブルと椅子等の細々とした物も一緒に移動します。
テーブルやお洒落なゴミ箱なども、斎藤先生が欲しがっていたので、ハイツから持って行きます。
パソコンは私が昔、使用していたパソコンを修理したのは良いのだけど、hard-diskの交換等で、パソコンがまっ更になってしまったので、ハイツのsub•subのパソコンと入れ替える事にしました。
普段用に使えるようにするには、結構設定に時間が掛かるので、大変だからです。
sub・subというのは、ハイツには大型パソコンが3台あるからですが、なぜ、そんなにパソコンが必要なのか??という事は、発表会が終わって動画の編集をしたりすると、mainのパソコンが半日ぐらいは死んでしまって、使えなくなってしまうからなのです。homepage等でも2台のパソコンを並行して使う事がよくあります。それこそ、超、忙しい時には3台目のパソコンまでも同時に稼働する事がよくあります。
並行作業はお手の物なのでね??
本来の予定ではhard-diskの交換の終わった大型のパソコンをそのまま、新しい教室に置く予定だったのですが、新教室には普段は私は行かないので、パソコンの設定を、先生達がwebを使ってしなければならないのですが、私がremoteで、webでパソコンの設定の説明はとても無理だと思うので、今、使用中のパソコンと交換した方が即、使用出来て、私にとっても先生達にとっても楽だからです。
・・という事で、荷物の移動が大変な事になってしまいましたが、そのための大型のニャンコ号なので、kontrabass等の大型の楽器も一緒に移動させます。
今日の帰りは何時になるのかな??恐怖だ・・・!!!!

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3月13日ニャンコ号の千葉への移動です。 ·

3月13日の朝の5時を過ぎた所です。冷たい雨が結構強く降っています。
昨日はドルちゃんが病院から帰って来たのは1時を過ぎていました。
牧野先生は、「役所に提出する書類が出来ない!」とかいう事で中々、椎名町を出発出来なかったので、待っている間に、検見川教室の電話の解約をしました。
花園教室の電話もついでに解約しようと思ったのですが、花園教室の電話はSoftBankだったので、電話で解約をしようと思ったら、混んでいて、20分近く電話を待たなければ通じないという事だったので、パソコン上での解約手続きの場所を調べる所まで済ませて、今日は終わりにして千葉に出発しました。
という事で途中のトヨタに車を持って行ったのは、何と3時過ぎになってしまいました。(この時点で、既に3時間、4時間遅れです!)
教室へ行く途中で、千葉のヨーカ堂に寄って朝の弁当を買いました。
4時半過ぎに新教室に到着したのですが、寝不足と渋滞の運転でバテていて、腰も痛かったのですが、先生達も肩が上がらないので、荷物降ろしは、私も腰の痛いのを辛抱しながら、堪えて、お手伝いをしたので、睡眠不足に合わせて、疲れてしまったので、直ぐには作業を開始するのはやめて、取り敢えずは、朝食を取る事にして、暫し、休憩をしました。
普通の和室をStageのように見せるのは、本来ならば、後ろの押入れの襖や床の間の日常的に見える空間を反響板の板で塞いで、非日常の空間にすれば良いのですが、それでは折角の押入れ等が使えなくなって死んでしまうし、業者の部屋の工事になってしまうので費用も馬鹿になりません。
自分達が出来る範囲で、なるべくお金を掛けないで洋室に見せるには、花園教室でもやっていたように背景を同じ色のcurtainで取り巻くと良いのですが、壁にはcurtain-railが取り付かないので、応急に鴨居のようなものを端材を使って作って取り付けられるようにしました。
そこが今回の一手間だったかな??
curtainは、一歩間違えると、乞食小屋のようになってしまうので、senseが問われる難しい難題でもあります。検見川教室で昔から使っていたcurtainと同じ色に合わせて作りました。
ハイツから持って行った大型パソコンとテレビの接続が上手く行かず、時間が掛かったのと、パソコンが古いので、パソコン自体にWiFiを持っていなかったので、Pocket-WiFiの電波を受信する事が出来なかったので、携帯の充電用のUSBのコードでdirectにpocket-WiFiを接続させてパソコンの動作確認をしました。
まあ、前日までハイツで使っていたパソコンなので何の問題もありませんでしたがね?
cembaloの位置決めは結構難しく、舞台のように、上手下手から、楽器の出し入れが出来る分けではないので、Organを隠さないでKontrabassの弾く位置を作って•••とか、settingがその都度変わる、色々な曲のensembleとの兼ね合いもあるので、狭い場所を使っての楽器の配置を決めるのは大変でした。
昔のように、手伝ってくれる苦力もいない割には9時過ぎには、何とか終わって10時頃には車を出す事が出来て、ハイツに交換したパソコンやcontinuo用のcelloを戻して、11時過ぎには椎名町に帰って来れたので、まあ、すんなりと出来たのではないのかなと思っています。
それから、昨日の残り物で食事をして、散歩をしようとしたのですが、雨が降り始めたので、ネコ歳のドルは濡れるのが嫌だと拒否をしています。普段はお散歩大好きドルなのですが、雨の時にはtoiletteに行かせるのが大変です。
超short-courseでドルプリの💩だけ済ませて、大急ぎでbikeでハイツに戻ったのですが、椎名町に置いてあるraincoatは夏用だったので、downのモコモコの上からは小さくて着る事が出来なかったので、諦めて濡れながらbikeを走らせました。
まあ、まだ降り始めなので、急いで帰れば何とかなるからです。
ハイツに到着しても、流石にバテバテで、食料品も片付けないままに、そうそうに寝ました。
という事が、金曜日の顛末でした。
お粗末様でした!


お風邪をひかれません様に!


ありがとうございます!荷物の整理もしないで、そのまま布団に潜り込んで寝てしまったので、朝は頗る元気です。
パソコンの取り付けを終わったのだけど、信号が送られて来ないので、悩んでいます。

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3月13日パソコンのaccount·

お久し振りのハイツからの鬱陶しい雨の風景です。
霧にさぶらう東京の空が、携帯で見た時には、まるでpanorama-viewのように広がりを見せて、家並みの景色も陰って見えた中々の素敵な写真だったのですが、FacebookのPageに貼り付けてしまうと、ただ単に、薄ら鈍よりとしただけの、つまらない写真だよな??
肉眼で見た時の映像とは違って、携帯の写真では、周りの風景がハッキリクッキリと修整されて映り込むからかな??
携帯の写真を確認して見ると、Panorama-viewなので、周りのビルも遠景になって写り込んでいるので、写真で見る限りでは、それなりに良かったのだが、Facebookにupした段階で、Panorama-viewが縮小表示されているので、ビル等のボケた映像がクッキリハッキリになっているのだよなぁ?
Facebookでの自動修整が強すぎて、遠景のぼやけたbillの街並みが近場にクッキリスッキリと写されているからだよな??
俺に取っての良い写真とは、私が今見ているように同じように見える写真なのだが、真っ暗な中で撮った写真がハッキリとクッキリと写り込むような性能になってしまって善し悪しだよな??
特に、夕焼けや朝焼けの写真を肉眼と同じように撮影するのは難しい。暗いmorgenrotの写真が修整されて明るい楽しげな夕焼け小焼になってしまって、元に戻すのに苦労をする事が多いのだよ。
今日は朝の5時に目が覚めて、結構元気だったので、hard-diskの交換から戻って来たパソコンを元のrackに戻す作業をして、丸々一日、11時半近くまでパソコンのsoft類を元に戻す作業をしました。
唯、MicrosoftのOfficeや高いお金を出して購入したsoft類がversionが古過ぎて(XP時代のパソコンなのでね??)、product-keyを打ち込んでも、versionの再installをしてくれなかったので、元のようにパソコンを再生をするのが無理で、また、パソコンのmailの設定が斉藤先生のmailになっていたので、mailを使う事が出来なくって、今日の作業は諦めました。
何度も新しいmail-addressを設定して、斉藤先生のmail-addressを削除したのだけど、どうしてもパソコンのmailの設定が削除出来無いのだよな??
斉藤先生のmail-addressは削除されたのに、パソコンのaccountとしては、削除されないのだよな??
困ってしまった。
そういった幾つかの設定ミスを修整しないと、稼働しないのだよな??
subのsubなので、気長に行くか??
という事で、取り敢えず、bedに戻って爆睡していたら、突然の大きな雷の音で目が覚めて、今度は夕方の5時半を過ぎていました。
何と、5時間も眠った事になるのだよな??
これは久し振りの快挙だ!!
3時間以上眠れたのは、何年振りだろう??
まあ、それだけ疲れた・・という事なのだがね??


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3月13日15年も前のRosary Sonateの演奏 ·

今回の3月の21日のbaroque‐Koncertで演奏予定のbiberのRosarysonateの15年前の演奏の動画がありました。
Biberの曲を中心にしてbaroque時代の作品を色々と演奏していたのですが、その中からチョッと、今回の曲だけを抜き出してYou Tubeにuploadし直しました。
15年も前の2006年の7月25日の珈琲館「ぶな」でのbaroque‐Koncertでの演奏なのですが、色々と今の演奏解釈とは違っている所があります。
一番分かり易い当時の解釈と、今の解釈の違いは、第一曲目のpreludeの演奏です。
現代の記譜法でimprovisationを記譜する時には、小さな音符で、小節に関係なく、一息に書くのが当たり前ですが、baroque時代には、小節の中に速い音符を書く事の方が一般的でした。
baroque時代の後期では、小節線を全く書かないで、5線譜上に音符だけを書いて演奏のサジェストだけをするというヘンデル等の記譜法も作られましたが、それはそれで演奏をするのは、困難を極めました。
という事で、このBiberの書かれたinterpretationなのですが、一般的には、書かれた小節のリズム通りに、淡々と演奏されるのが、一般的でした。
という事で、15年も前の演奏では、ある程度はtraditionalな演奏で、結構、Episode(figuration)のpassageを、楽譜に書かれたままのtempo(Rhythm)で、演奏をしています。
こういった解釈の演奏の方が一般的なので、こちらの解釈の方が一般の音楽家には、受けるのではないのかな??とも思
います。
今回の南花園教室でのbaroque‐KoncertでのbiberのRosarysonate‐sonateのinterpretationは全くrenewalされていて、マジによりperiod的な専門的な演奏のstyleになっています。
この曲のpreludeの場合には、まるで呟くような淡々とした、Monologueのような旋律が断片的に現れます。
その断片を繋ぐように、Episodeのような、吹き荒ぶようなfigurationがMonologueとMonologueの間を繋いでいます。
という事で、figurationは自由に即興風に演奏されなければならないのです。
そういったapproachの方が、作曲家の音楽構成の意図が原点として表現されるので、この音楽へのinterpretationがより単純明快にapproachされているので、逆に、simpleに作曲者の意図が伝わって、こんにちの一般的な小節の拍通りの演奏styleよりも、分かり易い解釈になっているのでは?と思っています。
より古い本当の古典的なstyleでの演奏の方が、今現在流布しているtraditionalな演奏styleよりも、分かり易いという事は、非常に逆説的で、面白い事だと思われます。
Biber Rosary sonate第1番斉藤純子baroque-violin2006年7月25日珈琲館「ぶな」
YOUTUBE.COM
Biber Rosary sonate第1番斉藤純子baroque-violin2006年7月25日珈琲館「ぶな」
2006年の7月25日の珈琲館「ぶな」によるbaroque-Koncert-Zyklusからの1曲です。
曲はbiberのRosaryのsonateより第1番、baroque‐violinは斉藤純子、spinet及びOrgan(Keyboard)は萩元美紀(大場)です。interpretationは未だtradit...


15年も経ちましたかあ・・・・時の経過の速度が更に増している気がします。ロザリオのソナタを全曲制覇しようと決めていたのに、かなわぬままいつの間にか15年も過ぎてしまいました。これから頑張らねば‼️


しかしながら、唯、漫然と日伸ばしをしたのではなく、Ferdinand Davidの「Die Hohe Schule des Violinspiels 」という素晴らしい研究材料を見つけてのapproachを始めているので、無駄な日伸ばしではありませんよね??結構有意義な15年の時間経過だと思いますよ。

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3月14日privacy設定がが自分のみになっているのに、公開されたままだ ·

今は3月14日の日曜日の朝の8時を過ぎた所です。
昨日はお久しぶりに快眠が出来て喜んでいたのに、今日は一転して、全く眠れませんでした。
せめて1時間の仮眠でも・・と、頑張っているのですが、その1時間の仮眠すらなかなか出来ません。
今日は日曜日なので定形のオケ練習とbaroque-Koncertの練習のweb-lessonが入っているので、「眠れるようになったら眠る」•••という分けには行かないのだよなぁ?
困ってしまいますよ
なんとか眠ろう・・と、試みたのですが、眠ろうとすればする程、全く眠れなくなってしまうので、仕方なく諦めて、徹夜のままに、web-lessonに突入しました。
朝の11時から夕方の6時過ぎまでの7時間を、眠気と疲労と戦いながら、lecturelessonをしました。
7時間半の長丁場のlecture‐lessonが終わって、流石にバテてしまって、夜の7時半になった頃からは、爆睡をしたのですが、その2時間半後の10時には、食事時間のtimelimitという事で無理矢理に起き出して、定形の時間の食事とドルプリっ歩に出かけました。
今日は、教室の抱える問題について、食事をしながら話合いをしたのだけど、この40年間も私が言い続けて、実際に何度も繰り返し証明して来た事が、今持って、何一つ、全く理解されていないし、受け入れられていなかった事に唖然としてしまいました。音楽大学に入学させて、Europaの音楽大学に高校からdirectに留学させて、concoursの全国大会に多くの生徒達を入賞させても、誰も信じてくれないのです。
「巷の音楽教室がそんな事が出来る分けはない!」とね・・??
ましてや、そのために厳しいlessonを受ける必要も無いし、楽しく音楽で遊ぶだけで、音楽技術力を習得出来る等と言ったら、それこそ、有り得もしない夢物語のお話になってしまいます。
誰から•••?
否、全ての人達からなのですよ??
40年間、繰り返し、言い続けても、誰からも理解される事が出来なければ、これから先も、幾ら忘れないの考え方を説明をしたとしても理解される事はない・・のだよな??
その現実を前にして、すっかり欝を通り越して、究極の欝、所謂、miserableな状態になってしまいました。
結局、人は目の前にある事すら、自分が見ても信じる事が出来無いので、自分と同等の一般的な人達の話ししか信じようとはしないのだよな?
何度となく、人が信じている社会的な現状の方が、「それは妄想だ」と証明して見せても、私が見せたその事実は、単なる唯一のその人だけの例外であって、その世界ではズブの素人達が作り上げた妄想と虚構の仮想空間の世界の方を、私のrealな話しよりも信じるのだよな。
つまり私がMünchen国立音大の作曲科でGenzmer先生の門下であって、Europaでの国際作曲concoursに、一位で入賞したという事実があったとしても、そういう人が巷の音楽教室で子供達を指導しているという事は、日本の音楽社会の中では、有り得無いのだよ❢
だから、一般の芦塚先生に対しての理解は、巷の音楽教室では、チョッと指導力のある先生に過ぎないのだから、中学生、高校生になって教室で技術力を認められたら、より専門的な音楽大学の先生について勉強をし直さなければならない・・という事なのだよな??
芦塚先生が日本の音楽界の問題点に関してのお話しをしても、「巷の音楽教室の先生が大ほら話を吹いている」のに過ぎないのだから、その先生のする話しは、全く信じられない与太話に過ぎない・・という事なのだよな?
つまり、主婦同士で、或いは知り合いの音楽家との会話程度の話を、鵜呑みにして、自分の教室の先生から話を聴こうとはしないのだよ。
つまり、巷の音楽教室の先生に過ぎないのだから、聴いても音楽界の話が分かる分けはないのだ・・という意味なのだよ。
私達の教室が、生徒達をconcoolで全国大会で入賞させても、「では次には音楽大学に入学させないと••」という事になるのだよ!l
音楽技術のevelの差が全く分かっていない!だよ❢
全国大会の入賞者よりも音大生の方がlevelが高いと思われては、教室としては、もう為す統べはないのだよ・・な?
芦塚先生が音楽を目指す生徒の保護者から尋ねられて、電子Pianoへの購入のadviceをした。
親は「参考にします。」と言って、楽器店の人が薦める最上機種を高いお金を出して購入した。
芦塚先生のadviceは超安い電子Pianoだったからだ。
楽器に関しては、楽器店の人の方が専門家と思ったのだろう??
芦塚先生が若い頃には音楽Hallの設計を依託されて作ったり(勿論、設計図は1級建築士が描くのだが、そのHallのimageやideaを出して設計士に提供をするという仕事なのだよ)、steinwayのPianoの選定をしてHallへの設置までの仕事もしていた事もあるのだよ。
芦塚先生が高い電子Pianoを推奨しなかったのは、どのような高価な電子Pianoを購入したとしても、それは付随的なaccessoryが付いているだけで、本質的には電子PianoではPianoの代用は出来ないのだから、安い機種でも充分なのだ、という意味なのだよ。
「残ったお金はもっと、別の大切な所に出費しよう」、という意味だったのだが、お店は自分の所にある高い機種の電子Pianoを売るに決まっているのだよ。
でもそれは無意味な値段なのだよ。
どんなに高価な楽器を買ったとしても、所詮は電子Pianoは代用品に過ぎないのだから・・。
しかし、それは楽器を購入するだけの話ではないのだよ。
本当の本物を見る目を養わないと、幾ら勉強をしたとしても、本当の本物の技術水準に達する事はないのだよ。
violin等を購入する時には、一般の音楽家達は鑑定書を楽器の判断基準にするのだが、芦塚先生の場合には、鑑定書は全く信じていない。Suisse政府の鑑定書であっても、多くの楽器は偽物であった・・という事が証明されているのだからね??
芦塚先生が判断の基準にするのは、鑑定書でもなく、値段でもなく、単に音なのだから・・。
ちゃんと素晴らしい音が出れば、どんなボロい楽器でも、誰が作った楽器でも良いのだよ。
弓等でも高価な1千万円以上もする弓よりも、2~300万円のoldの弓を比較して購入する事がよくある。
本物のTourteの弓だとすると、その名前だけで数千万の値段が付くので、2~300万の弓の方が優れている場合も多いのだよ。
Europaの音楽家にとっては、日本人の音楽の勉強の仕方は非常にabnormalなのだが、日本ではそれがtraditionalと捉えられてしまうのだよ。
世界の中で唯一の左脳国民であって、世界にとっては不可思議な国民である日本人の話しは、もうすっかりと「語るに飽きて」しまったのだよな??
私の話を与太話として捉えるのが、それが私を取り巻く人達のみならず、直接、私日本接している生徒や先生達までもが、私の語る事をたわごとや世迷言として捉えていたという事は、もう既に、「語るに落ちて」いたのだよな?
40年間、50年間の私の指導教育の人生の中で、私の事が全く理解されていなかった•••、つまり、私はDon Quixoteに過ぎなかった•••という事を、今夜は改めて知る事が出来たのだよな?
まあ、今日は、私の人生の「語る死すday」だったのだよな??
「どこが•••??」
全てを諦める事がだよ❢
生を諦め、死を諦めて、人生の意味すら諦める。
無を無にして、更に無を受け入れる事を諦めれば、是、すなわち人の世の「語る死す」となる
無や、無や、汝、如何せん❢
ああmiserable!miserable!!
すっとこどっこいしょ!
余りにも、欝が酷いので、一言だけ言わせて貰うと、私の場合には、音楽大学への勉強や音楽家への勉強の可否ではなく、concoursに入賞して、海外に留学をして音楽家として日本に帰国した若者達のその後もよく知っているのだよ??
そこでその人達が自分の夢を叶えて、幸せな音楽家としての老後の人生を送っているのか??という事を知っている人はいないのだよな??
一般の人達の興味のポイントは、全てが音大に入学した時点で終わってしまうのだよな??
つまり、保護者の役割は大学に入学させる所までで、その後の生活は本人達の責任なのだからね??
多分、興味もないのだろうよな??
この話をすると結構怖いヨ❢❢
つまり、立ち位置の問題になって来るからなのだよ??


微妙な内容を書いているので、プライバシー設定を途中から「自分のみ」にしたのに、公開のままになっているので、不思議だよな??このPageの設定では「自分のみ」になっているのに・・、何故だ??

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3月15日発狂しそうな欝 ·

昨夜は、超欝になったのだが、酒に溺れる事も出来ず、かと言っても鬱々の音楽に逃げる事も出来ず、為す術もなくて、発狂しそうな雰囲気のままに時間だけが経過してしまった。
何とか朝の5時頃に寝る事が出来たのだが、7時半頃にはもう目が覚めて、風呂の掃除と洗濯機を回した。
欝の解消には、部屋の掃除と洗濯が一番良いからなのだ??
後は整理整頓だろうかね??
ハイツのパソコンの部屋(兼食堂兼居間)は、昨夜は北風が吹き抜けて、gasstoveが全く効かなくって寒かったのだよ??
それに、昨夜は部屋で仕事をしていたら、突然、ボン❢という音がして、超寒い冷気が部屋の中に吹き込んで来たのだが、そんな事は、部屋に住み始めて初めての経験だったのだよ??
どこからそんな冷気が入って来たのだろうか??
最初は冷気ではなくって、霊気でも入って来たのか・・とさえ思ったのだヨ❢❢
幾ら、古普請のボロmansionだとしても、そのような冷気の入り方は私がこのオンボロ・mansionに住み始めてからの云十年の間は一度も無かったので驚いてしまった。
まあ、人間、鬱が酷いと色々な事があるよな?



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3月16日 1日飛んだ·

今日は3月の16日の火曜日だそうです。
「・・だそうです。」というのは、欝が酷くて1日がぶっ飛んでしまったので、今日がどうしても体感的に水曜日に思えて、web-lessonや歯科へ行く準備をしようとして困っているので、なのです。
頭では今日は火曜日だいう事が分かっていても、体感的に水曜日のrotationで動こうとしてしまうのですよ。
その都度、「いや、今日は火曜日なのだから」、「なんでもない火曜日なのだから・・」と自分に言い聞かせているのですがね。
アハッ!
という事で、問題の水曜日なのですが、bieberのlessonと歯医者の時間が結構セッついていて準備が間に合わなくて大変でした。

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3月18日悪夢を見た ·

昨夜もドルプリっ歩が遅くなったので、ハイツに戻って来るのが深夜の丑三つ時になってしまいました。
という事で寝たのは3時過ぎになってしまいました。
とはいっても、朝の6時半にはtoilette-timeで目が覚めたのですが、実に気色の悪い夢を見たので、暫くは立ち直れませんでした。
産まれてからこの歳になるまで、色々な街や国での、部屋というか・・、家を借りて住んで来ましたが、中には雨戸の閉まらない床の抜けたようなオンボロの家もありました。
その家の寝室は、寝ていても、外の明かりが差し込んだりや雨が部屋の中に降り込んだりするような家です。
今日の夢に出て来る部屋も、壁が家から外れていて、浮いている、今にも倒れそうな家に住んでいる夢でした。
部屋の中にある水槽のパイプが外れて、水が吹き出して壁に穴を開けてしまって、壁が部屋から外れて落ちそうになっているという状況で、あたふたとしている・・という夢です。
流石に、現実的には、そこまでのボロ屋に住んだ事は無いので、記憶の反映ではないとは思うのですが、妙にréalitéがあって、私の記憶の中の事のように思えて来て、すっかりと欝ってしまいました。アハッ!
そういえば夢の中ではよくtoiletの無い家の夢を見る事があります。
お袋が暮らしているhomeの部屋のtoiletが詰まって流れない夢や、それどころかtoilet自体が部屋、というか、家自体に無い、という夢です。
今日の夢では、大きな山荘でオケ練習をしようと生徒達が集まって来たのですが、toiletが無くて、子供達が「どうしよう?」と騒いでいるのに、それを無視していたので「簡易toiletを今直ぐに注文しろ!」と怒鳴っている夢を見ました。
toiletの夢ばかりよく見るのは、夜間頻尿のせいですかね?
・・とは言っても、造影剤を使用してから腎機能が極端に低下したので、利尿剤を飲んでいるので、致し方はありません。
腎臓が一個しかないので、病院の検査の時には、絶対に造影剤の検査はしないように・・と、頼んでいたのですが、腹部大動脈瘤の手術の前に、心臓の検査を強行されてしまって、頭に来てsecond opinionをして病院を転院しましたが、まあ、いずれにしても、後の祭りですがね??
それにしても、今日はくだらない夢ばかりよく見るよな?
それも、体調不良の所為だよな??
毎日のように欝のお話や、体調不良のお話を書くのは、体調不良が1日だけではなく、1週間程続いてしまうからなのです。
つまり、体調が或程度良い週間と体調が頗る悪い週が交互に訪れるからなのです。だから、体調の悪い週になると、毎日体調不良の報告になってしまい、体調の良い週になると、体調に関係の無い話だけになってしまうのですよ。
まあ、人生なんてそんなもんです。
そういった起伏を繰り返しながら、人生のzeropointに近づいて行くのです。
zeropointは一度でもそこに触れると、二度目は無いのだから、限りなく0に近づく事はあっても、0になってはいけないのですよ。
そこが人生の難しい所なのです。アハッ!
私はよくBrahmsの子守唄の恐ろしい歌詞を引き合いに出しますが、「もしも、神様がそれを望まなかったら(朝早くに子供が目覚める事が無かったら)、子供が目覚める事は、二度と無いのです。」Brahmsの子守唄(Wiegenlied)の歌詞にはBrahmsの諦観がよく表れているような気がします。
歳を取ると、Brahmsさんでなくても、そのお話は身を持って切実なものになって来るのですよね??
毎晩、「明日は目が覚めるのだろうか?」と悩みながら床に付くのです。ハイ!


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3月19日銀座の画廊「art‐space羅針盤」 ·

掲載している動画は、20年以上も前のBaroque-Koncertの演奏風景です。
銀座の画廊「art‐space羅針盤」のChristmas‐partyとしての演奏なので、子供達のviolinのお稽古等でも良く知られているMenuet数曲と、violin‐sonateを斉藤純子のsolo‐violinと、牧野由起子のcontinuo‐Cello、spinetを萩元美紀(大場)で古式豊かなbaroque時代の編成のままで演奏しました。
2000年頃は未だperiodという言葉も一般的ではない時代で、使用している楽器(violinやCello)もbaroque仕様の楽器ではありません。(spinetは兎も角として、violinやCelloはmodernに改良された楽器なので、改良されていない当時のままの楽器の場合には、baroque-violinとか、baroque-Celloという言い方をします。)
period instruments(その時代のままの楽器)による演奏が一般的になるのはもう少し時代が下ってからになります。
baroque時代の本来の音楽の演奏styleという、所謂、periodの研究は1990年代から始まります。
教室としても、その同じ時期には、弟子達へのperiodでの演奏の勉強を開始して、また演奏活動をし始めたので、当時としては一応最先端のinterpretationをしている演奏活動になります。
もっとも、私個人的には、baroque音楽の研究は、音楽大学の学生であった1965年代には既に始めていて、HändelやBach等の作曲家は勿論の事、多くのbaroque時代の作曲家の作品をbaroque-orchestraで演奏していました。
このKoncertで演奏した、誰でもよく知っているような愛らしいMenuetの小品でも、baroque時代には、反復された繰り返しのmelodieは、Double(繰り返された曲)としてそのmelodieを変奏して演奏する習慣があります。
今の所謂、現代の一般的な演奏の場合には、繰り返しを変奏する事無く、そのまま同じmelodieを繰り返すのですが、それは退屈極まりない演奏であって、本来のbaroque時代に演奏されていた演奏のstyleではありません。
この動画のような大きなDouble(Variation)としての変奏ではなかったとしても、簡単に単純に、色々なornament(装飾音)を加えて小さな変更を楽しみながら演奏するのが、baroque時代の慣習でした。
昔々、続けて来たbaroque-Koncertの色々な動画を、唯、資料として椎名町のお蔵に仕舞い込んでおくのも、勿体無いので、見つかった動画から、順番にお倉から引っ張り出して、公開しようと思い立ちました。
という事で、先ずは見つかった動画を、徹夜でパソコンに取り込んで画像を明るく修正して音声のnoizを取ったりして、You Tubeにuploadしたのだが、な、な、な、なんと!・・・既に5~6年も前にYou Tubeに同じ動画をuploadしていたのだよな❢
超shock❢だよな?
徹夜での作業は全くの無駄な作業であったのだよ❢😱
まあ、仕方が無いので、古い方の同じ動画を削除しました。
Micからのnoiseを少し削除したり、画像が非常に暗かったので、全体的に明るくしてみたので・・今回の動画の方が前回の動画よりも、「少しはマシかな?」と、思ったので•••古い動画を削除する事にしました。全く同じ動画が二つあっても、「意味無い!」と思ったのでね??
Baroque‐Koncert Art‐Space羅針盤 銀座Christmas‐Party平成12年12月23日 - YouTube

今回(3月21日)のbaroque-Koncertが終わったら、椎名町のvideoの箱から、昔のbaroque-Koncertの動画で公開していない演奏を探し出して、またuploadしたい・・と思っています。
私が若い頃には、芸術の中で作曲や陶芸等は後世に或程度は残って行くのだけど、演奏は「演奏したら、それで消えてしまって、終わりになるのだ」という悲憤を多くの演奏家の人達から聞いていました。
確かに私も、Franz LisztやChopinの演奏を実際に聞いてみたいという思いは常にあります。
それが20世紀に入ってからは、映像技術の発達に寄って、可能になりました。
とは言っても、20世紀初頭の録音技術は、未だ劣っていて、先ずは、音声だけの蝋管から、映画等のfilmや8ミリのtape等、色々な媒体で録音されてしまって、折角残したハズの映像が機器が古くなってしまって、再生する事も難しくなってしまいました。
このtapeも元々のtapeはβのtapeからのBlu-rayへのdubbingになります。
教室のβやVHSのdeckが古くなって再生出来なくなって来たので、新しいtapeを見つけたとしても、それをパソコンまで持って来るのは一作業です。
まあ、見つけた後の話なのですがね???

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3月20日テレビ電話とbiberの楽譜の作成 ·

「テレビ電話」
SkypeやZoomだけでなく、lineまでもがテレビ電話を始めたのは良いとしても、今回は突然、Facebookまでもが、テレビ電話が出来るようになって、深夜、突然テレビ電話の連絡先の確認が始まってしまったのだが、まるで携帯テレビ電話の押し売りだっちゃなぁ?
深夜の眠る前の時間に布団の中で今日のこもごもをFacebookに入力している最中に、いきなりテレビ電話が始まったので、狼狽えてしまったぞぃ❢
深夜の3時4時に突然に誰からか、テレビ電話が掛かって来たら、超!顰蹙物だからね??
(またまた、以下の文章がぶっ飛んでしまったので、編集履歴から復活させたゾイ!!)
今日は3月の19日の金曜日でしたが、一日中、体調不良で、気分転換も上手く行かず、一日体調との戦いで、大変な一日になってしまいました。 
それに加えて、昨夜は、突然に「新教室でのbaroqueKoncertで、私のperiodの楽器を展示してはどうか?」という提案があったので、ハイツのCembaloの部屋から、baroque楽器類を出したり、写真をprintoutしたりして、急いで準備をしましたが、如何せん、体調不良の状態のままでの部屋をひっくり返す作業は、所詮は体力勝負の大hardなので、何度も意識混濁になりながらの、作業となりました。
作業しながらの、起きているのもやっとこ・・の状態が続いたので、諦めてBedに戻って眠ろうと試みたのだけど、寝ても眠れず、起きても意識混濁で、如何せん、為す統べも無く、時間の過ぎるに任せて、放っておいたのだけど、それでも食事の時間が来てしまったので、なんとか体に鞭打って、bikeで椎名町に移動して食事をしたのだが食べながら寝落ちする始末で、散歩もプリがウンチだけを済ませたら、サッサと家に帰ろうとするので、プリに付き合って早々に事務所に戻って、bikeでハイツに戻ってしまいました。
・・・という事で、ハイツに戻って来たのは、cinderella-timeの前の11時半でした。
流石に、意識朦朧状態なので、持ち帰って来た弁当類もそのまま放ったらかしの状態のままにして、布団に潜り込んで眠ってしまいました。
2時を過ぎた頃に、toilette-timeで起き出したのだけど、そのまま直ぐにBedに戻って、眠るつもりだったのに、布団の中に入ったら、鼻詰まりが酷くなって眠れなくなってしまいました。
これはいつものroutineなのですが、息が出来ないので苦しくなって、bedから起き出して、「ながら部屋」に戻って、お弁当を冷蔵庫に仕舞ったり、机の上の雑用を片付けたり・・と、いつもの困ったroutineをまたまた繰り返してしまいました。
それはそうと、明日はbaroque-Koncertの日なのですが、やっと、biberの楽譜が出来上がったゾイ!!

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3月22日昨日はbaroque-Koncertの日でした。 ·

今日は3月22日の月曜日の朝の5時を過ぎた所です。
昨日は緊急事態宣言の解除の日で、暴風雨の中の千葉の新しい教室での『baroque-Koncert』だったのですが、コロナの感染予防のために客席数を減らしたのは兎も角も、暴風雨の中を換気のために窓を開けての演奏だったので、Cembaloやbaroque-楽器のpitchが狂って、演奏上も何かと大変でした。
演奏会の直前にtuningしたCembaloも演奏中にpitchが狂って来る状態で、演奏会のconditionとしては最悪の環境だったのかもね??
それでも、この暴風雨の中を多くのお客様がいらしてくださいました事は大変ありがたく思っております。感謝!感謝!!
演奏会が終わって展示していた私の個人所有のbaroque楽器をハイツに戻したりするために、先にハイツに楽器や機材を返すために遠回りをして、それから食事とドルプリっ歩に行って、それでハイツに戻ったのですが、それでもハイツに辿り着いたのはcinderella-timeの前でした。
9時近くに新教室を出発したのに、結構すみやかにはこんだのだよな??
流石に、車の運転が終わった辺りから、食事もドルプリっ歩も、意識混濁状態のままで、なんとかハイツに辿り着いても、持って帰って来たお弁当もtableに放ったらかしのままで、爆睡しましたが、久し振りに5時間ぐらい熟睡する事が出来ました。
朝の5時に目が覚めたので、二度寝、三度寝に挑戦したい所なのですが、そうも言っていられないので、写真や動画のパソコンへの取り込みを開始しました。
今日一日は、AV系の作業で1日終わる予定です。
この所・・、というか、昨日からなのですが、体調不良対策で絶食は無理なので、お粥を食べ始めています。
本当は絶食にしたかったのだけど、そこまでではないのでね?
「病気の時には逆に食べなければいけないの•••では」と質問されたのだけど、基本的には体の調子が悪い時には、全ての動物達は、只管安静にして何も食べません。
それで痩せ衰えたとしても・・です。
それに対して、病気の時には、美味しいものをたらふく食べて、養生します。
特に病気で、体力が無くなった時などでもそうします。
今回は病気ではなくって体調不良なので、detoxのdietをします。
本当は、胃が悪い分けではないので、お粥ではなくて、雑炊でも良いのですが、detoxの意味も兼ねての絶食なのですが、完全な絶食はチョッと辛いので、お粥は食べます。
胃腸を休めて、胃や腸の調子を整えるのが目的です。
一週間殆どを考えていますが、それは体調に相談します。
それはそうと、今回のbaroque-Koncertで、生徒達と生で顔を合わせるのは10月の発表会以来の半年振りになります。
その間、webでは毎週lessonをしているので、お久し振りという感覚は無いのですが、やはり生で指導をすると、生徒達のresponseが違うので、その場で生徒達が変わって行くのでlessonをしていても心地良いです。
やはり、lessonは背中でするものなのだよな??
幾ら良いadviceをしたとしても、言葉では無理なのだよな??
早くコロナが収束すると良いな??
それはそうと、前回のbaroque-Koncertの日は自粛の日になって、日延べをした今回のKoncertの日は、何と期せずして、自粛解除の日になってしまいましたがね??
今回はコロナに追いかけられるKoncertでした。アハッ!


??投稿日が53190年6月5日になってるけど、大丈夫ですか?


Facebook側のbugのようなので、私の方からは、設定は出来ないので放っておきます。
一瞬だけ出るようなので問題はないでしょう。

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3月22日detoxのお粥diet食 ·

一昨日から、体調不良が続いて、腰も痛いので、急遽、petit-dietではなく、detoxを兼ねてお粥絶食を始めました。
1週間程の予定で体調が少し戻るまでは続ける予定です。
昔々の手術の後は、最初は重湯(おもゆ)から順番に、全粥(ぜんがゆ)まで傷の治り具合に合わせて食事が出てきます。
重湯というのは、お粥を作った時の上澄みだけのお汁で、ご飯の匂いのするお粥です。
普通食になる前の最後のお粥である全粥は、超柔らかめのご飯です。
その間のお粥を10等分して作るのですが、今の手術では、心臓のbypass手術の後でも、普通食で驚いてしまいました。
だから、お粥に10等分の種類がある・・という事は今は看護士さん達の誰も知らないようです。
それとも、介護の老人ホームでは未だあるのかな??
私のdetoxの希望的には3分から4分粥程度なのですが、結構、作るのが難しいようで、ほぼ全粥が出て来るので、私が食べる時に、お湯で薄めてレンジでチンして、5分粥にしています。
胃を痛めた分けではないので、本当は雑炊でも良いのですが、雑炊ではdetoxにはならないので、お粥にしました。
お粥の添え物は梅干が定番なのですが、今回はなめ茸をおかずに持って帰りましたが、お粥になめ茸を入れていたら、昔々の音楽大学時代の苦学生の頃を思い出しました。
音楽大学に入学をした頃は、勘当をされての音大生生活だったので、生活費の仕送りがなかったので、大学生になったばかりの1年生の頃は、食事に窮する頃がよくありました。
コメだけはなんとか確保するか、それでも無理な時には、classの女の子達に米だけをめぐんで貰って、なんとか米だけは炊く事が出来たのですが、オカズを買うお金が全くなかったのです。
その頃、音楽大学のすぐ近くにパチンコ屋があったのですが、その頃のパチンコは手動で、パチンコの玉を1個づつ魂を込めて穴に入れて、釘を狙って打つ事が出来ました。
100円で玉を買うと、15玉ぐらい来たのかな??
オカズを買うお金が無くなって来たら、手元に残った100円玉(ヒットしてお札だったかな??)を握り締めて、パチンコ屋で、多分当時200個で交換が出来たなめ茸を一個貰って帰るのですよ。
運が良い時にはタバコとなめ茸の両方を貰う事も出来ました。
パチンコは、流れがあって、200個ぐらい溜まると、次にはその200が一気に無くなってしまいます。
お金があれば、玉が入らなくなった時に、お金を注ぎ込んで千円近く出せば、次の山はもっと大きな山になるのですが、なんとかバイトで生活をしている私に取っては、ご飯のオカズを買うお金がないのでの、生活の掛かったパチンコなのですよ。
1回目の波に乗って、200個の玉を数えて、玉が余ったら、次の山に向かって遊んで見るのですが、それで2回目も稼げた試しは1回、2回しか無かったよな??
今日のご飯のオカズのためのシケたパチンコなのですが、結構生活は助かっていました。
しかし、その内に、パチンコが電動になってしまったので、初期投資が千円以上になってしまいました。
とても経済的に無理になったので、それ以降は二度とパチンコはしなくなりました。15発の玉が1秒も掛からないで打ち出されてしまうので、とても100円では、稼げ無くなってしまいました。
生活のためにパチンコをしていたので、楽しくは無かったので、別にパチンコをしなくても、良かったのですよ。
生活が掛かると遊興の道具もそんなもんよ!!
音大生の時でも2年生や3年生になると、結構お金を稼げるようになって来たので、ご飯のオカズも、パチンコに頼る必要も無くなって来たので、パチンコ屋に通う必要も無くなって来た事もあります。


先生
貴重なお話に感動しました!
お粥さん、、と祖母は呼び治療食として
数々教わりましたが
洗い米から一粒ずつお米のお花が開くまで高い位置から滝状に落としながらの
炊き上げが一番難しく懐かしく思い出しました〜!



中野先生、「お米のお花が開くまで・・」そう言えばそういう言葉もありましたよね??すっかり忘れていました。感激です。火力の強い薪で鉄鍋でのお粥作りを記憶の片隅に、おぼろげに覚えていました。ありがとうございます。


そう言えば、芦塚先生のお母様も芦塚先生も「お粥さん」と、さん付けでおっしゃいますが、てっきり先生のご家庭の中だけの呼び方かと思っていましたが、違ったのですね?なぜ食べ物にさん付け?と、不思議に思いながらも、食物を大切にしている感覚が伝わって親近感がわく呼び方だな、と、思っていました。


純子さま
ほんとうに❣️
お若い方が気付いてくださいました言葉の発見!
あらたためて
思いかえしますと
食べ物全てでも無く
言葉のはじめに
丁寧語の♪お
語尾に敬語の♪さん
お砂糖にお塩お味噌お醤油にお酢、、、
お座布団にお洋服
今のガスコンロの
かまどは♪おくどさん
思い出しながら楽しく成りました〜!
昨年大阪に帰りました事から祖母の船場言葉を調べはじめていましたので純子さんのご指摘
本当に嬉しいです💓

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3月22日baroque-Koncertの楽器の展示 ·

baroque-Koncertの会場となる新しい教室の階段の下のspinetを置いているspaceに、私の趣味で集めているbaroque楽器を展示して見るように、先生に言われて、急遽、楽器を準備してハイツから千葉の教室に楽器を移動して展示して見ました。
展示されている楽器の写真をちゃんと撮ったつもりだったのだが、今日、改めて写真を整理してみたら、説明用に楽器を個別に一つづつ撮った写真が1枚も無い事に驚いてしまいました。
私としては、ちゃんと撮ったハズなのに、楽器の写真が1枚も無いのだよな?
このbaroque-楽器に関しては、一般的な楽器ではないので、音楽の専門家の人達でも、見たことのない楽器が多くて、一つ一つに解説が必要なのですが、前日か、前々日に突然言われて、慌てて楽器だけを準備したので、説明文まではとても手が回りませんでした。
パソコンや楽器の準備、settingも始めての場所なので時間が掛かってしまいました。
Cembaloの爪が折れるというhappeningすらあったりして・・
簡単に説明をしていくと、左側の楽器はneckが逆に付いているオバQ型のシャノー (Chanot)modelのviolinです。(Chanot型ではなく、もっと古いオバQ型の楽器はviolinとviolaもありますが、使用中なので展示していません。)
左から二台目は5弦のviolinです。
教室には5弦のviolaもありますが、それは準備していません。
同じ5弦なのにviolinとviolaがあるのは、楽器のsizeによるからなのです。
次の3台目の変な型のviolinは、violinの黎明期に数多く作られた色々な型をしたviolinの中でも一番多かった型です。
勿論、指板等もbaroque-violin仕様になっていて、演奏可能なのです。
右端のrecorderのcaseの前に、ほんの少しだけ見えている子供のおもちゃのような小さなviolinなのですが、実はpochette-violinと言って、19世紀の後半の時代にdanceが大変流行して、danceの教師がfluke-courtの中のpocketに楽器を忍ばせて、教室に着いて生徒達にdanceの指導しながら、そのstepのためにpocketから取り出して演奏をしていた携帯用のcompact-violinなのです。
19世紀後半から20世紀の初頭まで流行した楽器なのですが、所詮はCambria期の楽器で、直ぐに廃れてしまいました。絵画では時々見かける事はあるのですが・・。
後ろの方に頭だけ見えているguitarは、なんとbaroque-guitarなのですよ。
baroque時代の絵画にはよく見受ける楽器なのですが、実際には非常に珍しい楽器です。
北九州の飲み屋街を歩いている時に、偶然見つけて、その場で購入してきました。
勿論、手作りの作品なので、とても良い音がします。
てな具合に色々なウンチクをmemo的にでも書いておくべきだったのですがね??
その他、写真には写っていないので、解説を省いたのですが、necが聖者の頭になっている珍しいviolin等も展示しました。


私もそのようなこと度々ありま~す(笑)
 いいですね・・・こんなに楽器を持たれていて・・・私は本当はバイオリンがやりたかったんですけど、楽器の値段みて断念しました(笑)



バイオリンは高い!という話しですが、一流の芸術家が使用する物は全て高いのではないのでしょうかね?
弘法筆を選ばずと言いますが、弘法さんのいたお寺で、住職さんが弘法さん程筆にこだわった人はいなかったと言っていました。日本では一流と言われる人でも、楽器を鳴らす事が出来る人は殆どいません。
ストラディバリウスでも、5万円のバイオリンでも同じ音しか出せません。という事なので、私のポリシーでは、楽器はその人がその楽器を鳴らせる程度の楽器で良いと思っています。教室でも歳をとってから楽器を始める人は多いのですが、下取りのある一番安い楽器から始める事にしています。下取り価格も半分程度の楽器から、100%の楽器まであるので、その選択肢は、楽器を購入する時に説明をします。安い楽器で始めても、上達するとその人自身が自分の楽器に満足いかなくなります。その時が、買い替えの時期で、前の楽器の値段に足して次の楽器を買う事が出来ます。私達が取り引きしている楽器店には楽器の上限はありません。つまり、数万円の初心者用から数十億円の楽器までも選ぶ事が出来ます。そのために数店の信頼のおける楽器店と取り引きをしています。それと弦楽器の場合にはメンテナンスの技術で楽器の価値が決まります。通販などで安い楽器を購入してもメンテナンスを誰もしてくれないので、結局ゴミになってしまったという人達を多く見てきました。Pianoも年2回程度の調律が必要ですが、弦楽器は、それ以上にメンテが大切になります。これはちゃんとしたメンテナンスの出来る楽器店と取り引きのある指導者から楽器を購入しなければならないのです。
弦楽器の場合はメンテナンス命なのですよ。その分、下取り価格の低下はありません。
Pianoのような楽器の場合は、例えば名器と言われるスタインウェイでもベーゼンドルファーでも、経年劣化による減価償却があるので、弦楽器のような100%ので下取り価格はありません。楽器購入の話しだけでも結構色々あって面白いですよね?


詳しい説明ありがとうございます。要は弦楽器の場合そのような仕組みがあるんですね。知識のないド素人が楽器店へ行っても上手く?というか適正なものを選択できない感じですね。昔むかしその昔バイオリンの美しい音色にあこがれてなんですが、この歳になってからはあこがれる音色を出すのはまあ不可能って感じ(笑)


男性の場合には、歳を取ると、バイオリンからチェロに憧れる楽器が変わる人達が多いようです。
歳を取ると、高音域が聴きづらくなるからなのではと思いますが


弦楽器の場合では「仕組み」ではなく、Pianoや管楽器もmaintenanceは必要なのですが、弦楽器の場合には楽器自体が非常にsensitiveなので、演奏家の人達の場合には、月に1度ぐらいにメンテに通う程です。
弦楽器の先生でも、殆どの先生は楽器の扱いは指導しませんので、そういった先生の生徒の楽器の場合には、下取りは殆どありません。
私達の場合には小学生の生徒であっても、結構高価な楽器を使用しているのですが、私達のpolicyとしては「弦楽器は買うものではなく、一時的に借りるものだ」という考え方なのです。
だから、使用が終わった楽器は楽器店に返却して、次の人に渡す・・という考え方です。
私が使用している弦楽器でも100歳程度の楽器は比較的に若い楽器です。
弦楽器の場合には300年ぐらいの楽器はザラなのでね。勿論、古ければ良い・・という分けでも、Stradivariだから良いという事でもありません。Stradivariでもそれまでのメンテが悪ければ二束三文になってしまいます。多くのviolinistが使用して、多くの楽器工房の人達がmaintenanceをして来て、こんにちにつながっている楽器なのです。
昔、「violinで表板がStradivariで、裏板がAmatiで、横板が誰それのviolinを買わないか?」と言われた事があります。とても美しいviolinで、私としては是非に欲しかったのですが、そういった紛い物であっても、StradivariとAmatiの板なので、当然、安くても500万以上はしました。表板だけでも500万以上の価値はあるrareな掘り出し物なのです。本当ならば表板だけでも数千万の価値はあります。でも、それはあくまでも美術品としての価値であって、楽器としての価値ではないので、購入するのは諦めました。
もう少しお金に余裕があったら買ったとは思いますが・・趣味としては高すぎるのでね??



娘が映り込んでいますが、一枚、ありました


ああ、良いですね~ぇ??
早速、この写真で説明をすると、光里ちゃんの隣に写っている楽器はCelloではなくviola da gambaです。tableの上の左端が、pochette-violinで、recorderの横のstandに立ててあるのが聖者のviolinのneckが見えます。



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3月23日『那須与一のお話と絶対音感のお話』 ·


・・・要するに、テレビ番組のお話し
今日3月の22日の月曜日は昨日のbaroque-Koncertの動画の編集の作業で一日終わってしまいました。
普段でも千葉に移動した次の日は、超バテて、1日寝込んでいるのが普通なのですが、今日は夜までbaroque-Koncertの後始末と動画の編集作業で、夕方になった頃からは流石に疲労が溜まりに溜まってしまって、夕方には途中から寝落ちをしてしまって、椎名町に食事に行くのが12時を過ぎてしまいました。
勿論、超遅くなったので、ドルプリっ歩はパスになってしまいました。
大急ぎで準備をしてなんとか椎名町に辿り着いたのが、12時30分でした。それから食事なので、超遅い食事です。(とは言ってもお粥だけなのだけどね??)
食事をしながらテレビを見ていたのだけど、テレビのtitleは失念したのだけど、那須与一とMozartの検証実験をやっていたのが面白かったので、ついつい見てしまいました。
那須与一の検証実験では、距離が76㍍の遠射と風が風速5㍍と、波の高さ(船の揺れ)と、先っぽに笛が付いた重たい鏑矢という条件で、現代の弓道ではなく実戦の古流の中から人を選んだのはとても良いselectだと思いました。現代の弓道では遠射は60㍍だったのかな??記憶なので、間違えていたらごめんなさい。
様式化された現代の弓道の人達から検証実験に参加してくれる人を探すのならば、先程の条件を付けたら、その人達には、検証は無理だからです。
実際の海の上で波に揺らぐ小舟を浮かべて、しかも、鏑矢での遠射という事で、それでも10本目にマトに当てたのは、(日置流の弓道というのも知りませんでしたが、)実戦の古武道らしく、超素晴らしい感動もので、テレビの番組としてもなかなか見ごたえのあるものだったよな。
しかし、同じテレビ番組内での次のお話が「Mozartの相対音感のお話」で、Mozartが14歳の時に、システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)で演奏に10分も掛かるMiserereを1回聴いただけで、譜面に書き取ってしまった・・というお話の実証実験です。
『10分程度の曲を1回聴いただけで、音符に起こしてしまう』・・という、そのお話し自体は、私達に取っては別に珍しい話ではないし、大変な事だとは思わないのだけど、演奏家を目指す芸大生や演奏家の卵を集めての検証には、比較対象の仕方に問題がありますよね??
那須与一の時には、日本でも最高の射手を専門の人達に探して貰ったのに、歴史的な大天才の少年時代と比較するのに、未だ演奏家にもなっていない卵から啐啄同時もしていない若い未熟な子供達を選んで比較するのは、前提から無理難題なのですよね??
番組の構成的なapproachとしては、(多分なのですが、)「音大生や若いproの卵達を集めての実証実験では、(storyの構成的には、)一般的には英才教育を受けて来た音大生達ならば、『出来るだろう』という一般人の考えという想定だけど、実際には出来なくて、次に、型に嵌らない教育を受けて来た青年がそれを出来る!!・・という番組構成にしたかったのだが、型に嵌らない自由な教育を受けた方も、程々にしか出来なかった」・・という事で、番組的には甘いapproachになってしまったのかな??
昔々、私の生徒で芸大の作曲の先生に付いて学んでいた小学生の可愛い女の子が、教授の教育の指針で何も古典の技術を習わなければ現代の作曲法が出来るハズだ・・という事で、なんにも基本を学んでいないので、曲の分析や曲の書き取りが出来ないので困ってしまいました。私がadviceをしても、なにせ芸大の教授が言う事なのでね??
その新進のpianistの書き取りも、基本を全く知らないamateurの楽譜で、自分のmemo書きにしかなっていません。Mozartのように一音符すら書き間違えないで、正確に書き取れた分けではないのですよ。それじゃあ、将来必ず行き詰まってしまいます。
そういった中途半端な人達を集めての、Mozartに対してのapproachでは、私達のような音楽をなりわいとしているaudienceにとっては、番組の設定が物足りないし、つまらなかったのだよな??
Mozartの時代の音楽の学習法は、貴族の階級の人達が受ける今の音大生のlessonと同じお客様用のlessonと、Mozart達が受けていた職を覚えるためのlessonとは、全く内容が違っていて、Mozartは小さな子供の時から、職人としての音楽の教育を受けて来たのだよ。
しかし、現代の日本の音楽の教育界では、音楽大学に進学する事が音楽家になる道だとされてしまっている。音楽界という所が、閉鎖的な空間の中だけでの常識になっているので、分かり易く身近な料理に例えてお話をすると・・・
幾ら、有名な料理教室で料理の作り方を学んだとしても、それはamateurの世界の話であって、proの料理人を目指す人が料理教室に行く事は無いのだよ。
proを目指す人達は、皆さん、一流の料亭で、一流の職人から、弟子入りをして、修行をして学ぶのだよ。
先ずは比較検証の前提となっている音大生が、Mozart時代の職人としての勉強法を知っている分けでもなく、料理教室で学ぶ料理でproになれると思い込んでいる幸せな人達と同等のimageに過ぎないのだよ。
職人の音楽の勉強のstyleと現代の学校教育の勉強法が根本的に意味や内容が違う・・というのは、一般には分かり難いという事で更に補足説明をすると、学校教育の場合には、万人が或程度の技術を習得出来るように、学ぶ技術のmethodeを様式化してしまうのだよ。
そう言った料理教室の制度の元々は、日本古来の家元制度から来ているのだが、家元制度もprofessionalを育てるものではなく、流派を形成するだけの社会である。日本の音楽大学の教育界がちょうど、教授を頂点とする家元制度の形態を取っているのだよ。
先程の料理教室の例えが分かり易いと思うので、料理教室の話として続けると、料理のhow-toを学んだとしても、食材の見分け方や、一流の食材探しを学ぶ事は無いのだよ。
料理教室の先生は、生徒達に料理を指導するのに、食材を探して手に入った食材から、lessonをする料理を決めるのだよ。
だって、人数分の食材が手に入らなければ、料理はlecture出来ないのだからね??
それなのに、料理教室で料理の仕方を学んだからと言って、自分が一流のchefにも負けないようになった・・と勘違いする人は、流石に居ないと思われるのだがね??
予め、解ける程度のlevelとして事前に準備された問題しか解く技術が無い学生達に、proの技術力を知る事は出来ないのだという事なのだから、幾ら芸大の学生であったとしても、音大生やproを目指す卵を幾ら集めても、比較の対象にはならないのだよ。
音大生達がproの卵という発想が、既に間違えているのだよ??
音楽大学を卒業して、4年音楽の世界に足を突っ込んでいる人が何人いると思うのかね??
また、themaにした「絶対音感」の考え方や、「相対音感」に対しての把握や定義も間違えているし、まあ、テレビ番組を作った素人集団のproの音楽家達への意識のlevelの低さを表しているような番組なのだよな??
マスコミの作り上げた偶像的なprofessionalの人達と、私達がproと呼ぶ人達は、全くの別人種なのだから、そこから、音楽に対しての意識の根本が全く持って違うのだよ。
出演した音大生やproの卵さん達には申し訳ないのだけど、絶対音感にしても、聴音にしても、現実の音楽の世界の中には存在しないsampleとして音楽の中の一部を切り取ったものに過ぎないのだから、音楽大学で聴音が幾ら出来たとしても、実際の音楽の世界の中では、何の役にも立たないのだよ。
テレビの人達、所謂、マスコミの人達が驚いていたのは、音を楽譜に書くという摩訶不思議な能力に過ぎないのだよ。
『一度聴いただけで書き取る』・・という技術には、聴音の技術ではなく、音楽を記憶するという記憶力が必要になるのだよ。
音楽大学ではPianoやviolinの演奏を、一音符も間違えないで弾くための練習をして、そう言った技術が習得出来て、間違えないで音楽を弾けるようになったからといって、それで、proと呼べるようになった分けではないのだよ。それでは上手な素人とのlevelの差はないのだよな??
そこの所を多くの音大生達が勘違いをしているのだよな??
音楽は、missなく演奏出来るようになってから、始めてstart-lineに立つ分けなのだよ。そこから音楽の勉強がstartするのだ。
間違えなく弾けるようになったからと言っても、それで音楽の表現・・魂の伝達・・が出来るようになった分けではないのだからね??
そもそも、音楽を学校教育でやる事自体がおかしいのであって、音楽は職人として実戦の中で覚えて行かなければならないのだからね??
記憶力の話に戻って、有名なMartha Argerich(アルゲリッチ)は子供の頃、Piano-Concertoのレコードを1回聞いたら、Pianoのでpartをそのまま、演奏出来たし、2回聞いたら、orchestraのpartまでPianoで再現出来たそうであるよ。
しかし、そういった技能を持つ演奏家は珍しくはないので、寧ろ、結構多いのだよな??
そこはprofessionalの世界だもんな??
私が音楽大学に入学して1年目の頃に、Piano科の1番の女の子から「あなた、去年の8月の何日の何時に、どこそこで私に**と文句を言ったでしょう!」と食って掛かられて、「俺はそんな昔の事を覚えている程、お前の事を気にしてはいない!」と切り返した覚えがある。
(「産まれてからの長い人生の全てを覚えているサヴァン症候群(savant syndrome)ではないのかな??」と思える程の記憶力の持ち主のその女の子は、今はどっかの音楽大学の教授になっているけれどね??・・・ああ、もうすっかり定年か??・・今は音楽を退いて、老後の人生かね??・・それとも、もうみまかっていたりして・・??)
しかし、音大生でも真面目な学生では「外人教授にRakhmaninovのPianoConcertoを貰って、次の日には全楽章の暗譜が終わっている」・・てな生徒は結構、音楽大学ではザラなのだから、その考証の前提自体が成り立っていないし、作曲家の大半は、Pianoは使わないで作曲するのが普通なのだよ。
一般人はPianoを使って作曲するかも知れないのだけど、そんな面倒くさい事をしていては作曲家なんて商売は出来ないのだよ。
だって、Piano譜で作曲をして、それからorchestra譜に書き直すのは2度手間だし、orchestraは楽器に音を与えるのだからPiano譜でneutralな音にしてしまうと、編曲の技術が必要になって来るのだからだし、それにそういった曲は所詮もうオケの曲ではないよな??
Vivaldi程度の弦楽orchestraの楽譜であったとしても、それぞれの楽器がそれぞれに特有の動きをするのだから、それをPianoで演奏する事は不可能なのだよ。(それこそ千手観音でもないと、演奏不能だからね??)
だから、私も作曲や編曲をする時に、Pianoを使う事は無いし、finaleに直接音符を入力しているので、五線紙を使う事はfinaleを使い始めてからの20年間全く一度も無いのだよ。
大体、ハイツの自宅にはPianoというものが無くて、深夜でも弾けるように安いpriviaが鎮座しているだけだし、それも荷物置きになってしまっていて、蓋が開かないのだよな??
・・・否、急いで片付けなくっちゃ!!
だから、未だ、パソコンもfinaleも無かった頃のanalogの時代に買った五線紙がいっぱい、一度も使われないままで本棚のゴミになっているのだよ。
話を進めて、Mozartの最も凄い所は、自分の作曲をしたSymphonieの全楽章を数秒で思い出す事が出来たという記憶力なのだよ。
同時にⅠ楽章からⅣ楽章、Ⅴ楽章まで一瞬で思い出す事が出来るのだよ。
これを「嘘のような話だ!」と思う人は音楽脳が出来ていないのだよ。
四国に初めて大型のpipeorganが出来て、そのお披露目の演奏にケンプ(Wilhelm Kempff)が行った時に、四国と本土を結ぶフェリー(ferry)の上で、音楽大学の学長さんが「次のHallの演奏にはBachのfugaの技法をお願い出来ますか?」と聞いたら、「う~ん、20分ください。」と言って、deckの上で20分間瞑想して「大丈夫です。」と言って演奏会に臨んだという話を学長から聞いた事がある。
彼は20分間考えたのだけど、実際の演奏時間は4時間も掛かるBachのfugaの技法なのだからね??
彼は演奏可能かどうか??の楽譜の細部を頭の中で確認したのだよ。頭の中で楽譜が確認出来れば、弾く事は誰でも出来るのだよ。しかし、それはproの演奏家ならば誰でも同じなのだよ。
有名なRichterというpianistがいるのだけど、その人のrepertoryは7千曲なのだそうだ。そのリヒテルさんが不眠不休で彼のrepertoryを演奏したとしても、生きている間に全てのrepertoryを演奏する事は不可能なのだそうな??
つまり、楽譜を一瞥しただけで、演奏出来る曲が無数にrepertoryとして、あるという事なのだよ。
私の師匠であるGenzmer先生は、lessonの前日に奥さんと映画で「West Side Story」を見て来て、その感想を私達作曲科の学生達の前でPianoでオケのpartを弾きながら鼻歌交じりに演奏しながら解説をしてくれたのだよ。
勿論、未だpremierの頃なので、楽譜は出版されていないし、出版されたとしても、Genzmer教授が、Leonard Bernsteinの楽譜を買う事はない・・と思うしね??
Genzmer先生は、HaydnからMozartやBeethoven、Brahms等のロマン派の所謂、通常の作曲家の全作品までは、小節番号を言うと、そこからPianoで弾き始める事が出来るし、orchestrationに関する質問でも即答出来るのだよ。
またそれを自慢してもいるのだよな??
それがEuropaの作曲の教授の水準なのだよな??
私にはとても無理だわな??
それだけの水準を持って、始めてprofessionalと言うのだよ。
つまり、Mozartは14歳の時には天才であったかも知れないけれど、それだけでは記憶と音感の識別能力を持った技術的にも優れた才能とは言えても、Mozart自身には成れないのだよ??
Mozartの逸話の中には、Mozartのrival達が作った曲を弾きながら「私ならば、こうするね??」と訂正をしている話がよく出て来るし、また、父親への手紙でもそういった一節をよく見かける。
所謂、作曲の技術も、相当な技術力であるという事が分かる手紙だよな??
Mozartのfantasiaの中間部の転調楽節を調べていたら、enharmonicがDoubleではなく、tripleに仕掛けられていて、とんでもないtrickの転調をしていたよ。
音楽の理論家の人達の書いた説明には、Mozartがこのpassageは、「情緒的に転調をした」と書いてあったのだけど、triple-trickでは、こんな込み入った知恵の輪は解ける音楽家はいないだろうよな??
日本人のMozartに変わる若き天才・・って言ったら、藤井君がいるじゃないの??
ありゃあ、まさに天才だよ??
100手先、千手先・・どころではない、computerでも思いつかない手を考えるのだから・・ね??
「たかが、日本のテレビ番組を見て、何をウダウダ言っているのか??」とおしかりを受けるかも知れないのだけど、「那須与一」であれだけ素晴らしいapproachをしたテレビstaffが、同じ時間のテレビ番組で、話題がMozartになると、「何でそんなに薄っぺらになるのか??」と、疑問に思ったからなのだが、那須与一のお話は、日本古来の古武道のお話なので日本人にとっては、体幹があるのだが、Mozartのお話は所詮洋楽のお話で、他所の国の他所の芸術のお話に過ぎないからなのだよ。
つまり、traditionalではない・・という事なのだよな??
所詮は、Europa人の唄った俳句であって、America人の演じた歌舞伎の世界なのだよ。
日本に導入されて100年経ったとしても、所詮は外国人の音楽なのだよな??アハッ!
大体、大いなる勘違いは音楽大学の学生や、音楽大学を卒業した人達の何人がproとして音楽界に生き残ると思っているのかね??
音楽学校を卒業したからと言っても、それでproの音楽家としてのlicenseを貰った分けではないのに、そこで一角の音楽家になった・・と勘違いしてしまう人達が多いのだが、4年も経つと殆どの人達は音楽界から消えているのだよな??
そして私の言う所の三十路の壁・・、で、その10年間を地道に勉強に費やした実力派の人達と入れ替わってしまうのだよ。
まあ、40年、50年前から言い続けている事なのだけどね??



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3月24日夢のまた夢 ·

今日は、いつの間にか、気が付いたら、3月の24日の水曜日の0時半を過ぎた所ですが、23日の火曜日のお話しを書こうと思ったら、その前の日の月曜日のお話しと全く同じお話しだった事に気付いてしまいました。
つまり、体調不良がこの3日間、全く同じ状態のままに、同じrotationで続いているという事です。
まあ、まだ日曜日のbaroque-Koncertの疲れが取れていないせいなのでしょうが、今日は更に2時間程眠ってしまいました。
夜間頻尿のtoiletteに行って、Bedに戻って、もう一度寝ようと思ったのですが、鼻詰まりが酷くなって、息が出来なくなってしまいました。
仕方がないのでBedに座って息を吸っている所なのです。
暫く安静にしていたら、鼻が通り始めたので、パソコンの前に座って(•••までが、いつものルーチンなのですが、ここからやっと新しいお話しになります。)何を思ったのか酒盛りを始めてしまいました。
1合半程の日本酒を、珍しくいつもの半合の小ビンではなく、長崎から持って帰って来た赤絵のおチョコ(・・というよりはぐい呑)で飲みました。
燗徳利は食器棚から出すと後片付けが大変だし、本格的に飲む分けではないので、手近にあった小振りの芥子色の御汁差しを代用しました。
1合の七分目ぐらいの量の大きさなので、お燗を付けるのにちょうど良いsizeだったからと、注ぎ口があって、ぐい呑みに注ぐのが楽だからです。そこが気に行って、お汁差しにしました。
暫し、パソコンで時代劇を見ながら、酒盛りをしていたら、睡魔が襲って来て、dramaの筋書きが断片的になって来たので、慌ててまた寝直しをしました。
このtimingで眠らないと、またぞろ眠れなくなって徹夜になってしまうからです。
今度は、お昼の12時頃に目が覚めました。
今日は歯医者に行く予定があるので、「髭を剃らなければ!」、という事で、髭を剃るのですが、気が付くと未だBedの中で眠っているのですよ。それでは•••という事で、また頑張って髭を剃るのですが、またまた夢の中での話しで、そのルーチンが何度もendlessで繰り返されます。
諦めて、ちゃんと眠ろうとしても、仮眠になってしまい、ちゃんと眠る事は出来ません。
意味の無い時間の浪費になってしまい、諦めてとうとう眠たいのだけど、起きてしまう事にしました。
•••という事で、今度は覚醒状態なので、ちゃんと髭を剃る事が出来ます・・・というのも、実は夢の中だったりして・・・
そうなると、これはendlessだよな??
曰く、夢のまた夢
少し怖い話しだよな??

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3月25日展示された楽器の写真 ·

展示の写真が少し出てきたので、取り敢えずupします。
   




わあ〜❣️素晴らしいです!


どんなに素晴らしい音色が❣️と想いを馳せます!


テレビのcommercialで、歌舞伎役者の人が「古典をそのままに演じるのではなく現代の・・」というお話をされていましたが、私も作曲家という立場上はそのお話はやぶさかではありません。私自身も古い日本のtraditionalの音楽にcontemporaryな響きやmodernな様式を取り入れて作曲をしているので、ある意味ではおこがましくも「同じなのかな??」とは思っています。
しかし、問題は弦楽器、・・特にviolinやCello等の楽器の場合なのですが、楽器そのものは当時の時代の音楽様式に合わせて作られています。
所謂、baroque-violinとか、baroque-Celloと呼ばれる所謂、period instrumentsが、楽器本来の持つ音なのです。
そこまでは如何せん、何の異論も無いように思われるのですが、実際には、弦楽器の場合には、今の人達はTourteさんが考えた新しい弓や、改造されたviolinに寄る強い音量、強い弓に寄る圧力の奏法に現代人は慣れ過ぎて、完全に脱力された自然な音という事が現代人には分かりません。
今回、コロナ下の暴風雨の中でのbaroque-Koncertを開催しましたが、baroqueと銘打っているにも関わらず、教室としても、完全に力を抜いたkonsonanzの音での演奏には程遠い演奏でした。
とは言っても、世界的に見ても、periodを云々する演奏団体ですらも、完全に弛緩して音を出すという事が出来ないのは、Tourteさんの影響下から逃れるのは難しいのかも知れません。
いやはや『型より出るは難し』なのでしょうかね??
流石に、Europa諸国では、伝統があるので、そう言ったcontemporaryの影響を受けたままのperiodの演奏団体と、完全なperiodの演奏団体は拮抗しているように見えます。
つまり、Europaのperiodの演奏団体ならば、baroque楽器の美しい音を聴く事は可能なのですがね??
日本にはEuropa音楽のそういった伝統が無いので、私が、どう指導しても、幾ら説明をしても、普段、耳にする音から逃れて、baroque時代の音を奏く事は弟子達にとっても、難しいようです。いわんや、日本の・・(默)

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3月25日studio録音の話し ·

写真はfull-orchestra-pitのある日活Studioのmixing-roomでのsnap-shotです。
rental料が余りにも高額なので、日活の映画のorchestraの録音も、このStudioは使わないで、安いStudioで録音するのだそうです。(なんのこっちゃね〜ぇ?)
このsnap写真は、proのmixingの人達を雇っての録音の時の休憩時間の時の写真です。
「何故休憩の時か?」というと、録音している時の写真は絶対にないからなのですよ。
録音する時には腕時計さえも手に付けたままでStudioに入る事は出来ません。
micが腕時計の音を拾ってしまうからです。
「この写真を撮ったのはいつの時か?」という事なのですが、勿論、音楽教室を作るズ~ッと以前の若い頃の写真です。
しかし「若い•••」とは言っても、音大生の頃ではありません。
多分、around30ぐらいの頃なのかな??
ちょうど、その頃は、そういった仕事もしていたからです。
「なんでお蔵からこんな若い頃の写真を引っ張り出して来たのか?」•••というと、今回のbaroque-Koncertの時に演奏したvideoを編集をしながら、テレビでdramaを見ていたら、『Producerの無茶振りで振り回されている脚本家のドラマ』をやっていて、そのハチャメチャなstoryが、私の若い頃のStudio仕事とダブってしまい、ついついその頃を思い出してしまったからなのですよ?
しかしまぁ〜私の場合には、テレビドラマのように愛する家族や友人達に囲まれて、幸せに仕事をしていた分けでもなく、江古田の寓居に独り寂しく忙しく•••の毎日だった頃のお話しなのですから、テレビdramaとのstory自体の関連性はありませんでしたがね。
当時、私はarrangeので仕事もしていたので、よく私のarrangeの曲をproの演奏家の人達がStudioに籠もって録音をしている事がありました。
勿論、arrangeの曲は私の曲ではないので、私が録音に立ち合う事は滅多にはありません。
「何時いつ、録音がある」との連絡があるだけです。
「何故に、時間だけの連絡があるのか?」というと、録音の過程でProducerのimageに合わない場合には、それが例え朝の5時、6時であったとしても、Producerが私の江古田の部屋にやって来て、「お昼の12時までに、arrangeをこういう雰囲気に変えてくれ!」と言って来るのですよ。そのために、Studioの録音の時には、録音が終わると思われる時間帯までは自宅待機しなければならないのです。
つまり、外泊は出来ないのですよ。
勿論、携帯も無い時代なのですからね??
それこそテレビドラマの様に電話やmailでの連絡ではなく、音楽なので、直接譜面を持って、江古田の部屋に押し掛けて来て、熟睡中の私を起こしての説明になってしまうのですよ❢
まさに夜討ち朝駆けの世界です。
何故、それが「朝駆けなのか?」という事にもちゃんとした理由があります。
それは、Studio録音は原則深夜に行なわれるからなのです。
その理由は、昼間は騒音とか地面の振動があるので、録音には適さないからなのです。
深夜の11時頃から人通りや車の往来が少なくなって、朝の6時、7時頃までの時間帯が普通の録音の時間なのです。
Studio-musicianは、よく自分達の仕事の事を「水商売だ!」と言いますが、深夜の仕事なので朝は皆、寝ているから、深夜の飲食店と同じrotationだからなのですよ。
私のように、普段、昼夜逆転の生活をしていても、それを仕事として強いられるのは結構辛い物があります。
録音のお話しの続きなのですが、教室で生徒達が演奏する曲の長さは、せいぜい5分から10分ぐらいの長さです。
しかし、その5分程度の曲を編集するとなると、4時間から6時間以上も掛かるのです。
演奏会の場合には、全楽章になるので、一つの曲を編集する時でも、1週間から2週間も掛かる事はザラです。
勿論、楽章が多くある場合には、楽章毎に個別に編集をして、最後に纏める作業をします。ですから、全楽章の場合には、1曲でも数週間掛かる事もあります。
曲の中には、何度、編集しても上手く行かない曲があって、一つの7~8分程度の曲だったとしても、編集に手間取って、3日以上も掛かったりすることがよくあります。
今回の珠加ちゃんのsarabande(la folia)もそういった編集作業に手間取って、何度もやり直した曲で、5回も編集の作業をやり直して、3回もYou Tubeにuploadし直してしまいました。5回目の作業では、それまでに何度も訂正を重ねた動画を全て削除して、撮影videoの元々のvideoからやり直しました。
全く仕事が上手く行かなくなった時には、0からやり直すのは、私のよくやる手です。それまでの時間が勿体無いような気がしますが、結果的には、その方が早いのですよ。
今回、何度、編集しても上手く行かなかったのには、幾つかの理由があります。
兎に角、録音条件はコロナと暴風雨のために、最悪だったので、これが私的には、多分限界なのでしょうかね??
「音楽では限界を口にしてはいけない❢」というのが私の信条なのですが、録音作業に関しては、よく簡単に諦めてしまいます。
録音に関しては、私はproではないのでね?
必要以上の時間は掛けたくないのですからね??



先生!素晴らしいワンショットです!
おいくつですか?



夜討ち!朝駆け!
お昼の騒音と地面の振動!
、、、昼夜逆転etc
先生!
是非是非
沢山のお話をお聞かせくださいませ!
クラシック音楽の世界は最高峰道の又その上にて楽器ひとつ垣間見る事さえ至難
です。
一昨日アメリカのホテルルーム撮影に
伺いました折各お部屋にギターがしつらえて有りその
おもてなしに感動しました〜!
室内の画像のようです


私はその方面には疎いので、余りよく分かりませんが、goldRush時代のcountry-music用のguitarがAmericaのお国のimageなのではないでしょうかね??Americaの人達にとっては三味線かお琴のような・・


先生
ギターと共にCDとプレヤーがしつらえてあり形だけでなく
心施のおもてなしに思えました。




テキストの画像のようです



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3月27日Cyberlinkの音飛びの原因が分かった ·

今日は朝の5時半に目が覚めたのですが、昨日からの懸案のCelloのHändelのsarabandeのlong-versionを、violaのversionからtransposeをしました。
あまり寝は足りてはいないとは思っていましたが、結構arrangeが捗ったので、昨日から2度洗いになってしまっている洗濯物を干す事が出来ました。
それはこの所の体調不良からすると、大変な事です。
未だ、朝の9時なのですが、一仕事が終わりました。
さて、朝飯でも食うか??
夜です。
今日は一日、sarabande-dayになってしまいました。
一日中、sarabandeの編集作業をして、acoustic違いの二つのversionを作りました。
acousticの強いbaroque-Koncertの会場と、一般的な演奏会場のacousticの想定なのですが、一長一短で、どちらを残すのかは、未だ未定です。

sarabande(la folia)Händel=Yoji Ashizuka viola-version本田梨紗viola、萩元美紀Cembalo - YouTube

baroque-Koncertの会場のacousticはviolaにとってはとても良い響きがするのですが、高音域がcutされているので、Cembaloの音がモゴモゴして輝きがありません。一般的な会場に合わせると、violaの高音域が鋭くなり過ぎるのですよ。
今回の八千代ではcembaloの音量を上げるためにcembaloから直接Micでspiekerに音を流して会場のお客様にviolaとCembaloのbalanceの取れた音を流していますが、本来的には録音が目的であれば、cembaloの音を直接録音するのが正統的な録音になります。その場合にはmixingはとても楽になります。
会場に流すcembaloの音を、そのまま分配して録音すれば良いだけなのですが、八千代は多目的ホールなので、そういった音楽の設備が全くありませんでしたので諦めました。
困った事だ。
さて、sarabandeを作った経緯なのですが、趣味でCelloを勉強してる大人の人から「初心者でも奏けるLa Foriaの曲はないのかな?」と牧野先生が相談を受けて、私の、かねてから「Händelのsarabandeをthemaにして曲を作りたい」と思っていたので、短い簡単なHändelのsarabandeを2016年に作った事が発端です。
そのついでに、それを更に発展させてlong-versionのsarabandeを作りあげました。
しかし、演奏予定をしていた生徒が受験勉強のために演奏会で演奏する事が出来なくなってしまったので、折角作ったsarabandeなのですが、曲を演奏する人がいなくて困っていたら、梨紗さんが「私が弾いても良い」と申し出てくれたので、急遽、Cello-versionからviola-versionに書き換えて、更に八千代の演奏会用に、更に拡大版を作りました。
その曲は、2017年の11月の23日の八千代のKoncertで演奏しました。
「擬古典としても、少し派手過ぎたのでは?」という自己反省から、Cello-versionは、少し控え目にして、八千代versionが7分以上掛かる大曲なのに対して、5分超の長さに縮小してあります。
・・・というか、Cello-versionの方が先に作ったのですがね??
今回はCello-versionのsarabandeを、教室主催のbaroque-Koncertで演奏する事になったのですが、baroque-Koncertという事で、前回の八千代での拡大版の擬古典のsarabandeではなくって、一応は、様式的にはperiodのstyleに留めているversionの短めとは言っても5分以上は掛かる曲なのですが、そのversionでの演奏にしました。
教室のCembaloはJoannes Ruckersのmodelの復刻のCembaloなので、現代のCello等の楽器に対しては、少し音量が弱いという問題があります。
勿論、現代のCelloよりも、当然、baroque-celloの方がbalance的には良いのですがね??
ですから、八千代のKoncertの時には、micでCembaloの音を直接拾ってspeakerで会場に流して、solo楽器との音量のbalanceを取ったのですが、今回の教室でのbaroque-konzertでは、それだけの準備期間が無かったので、当日の会場の音量は、Cembaloの元々の音量そのままです。
但し、録音に関しては、二台目のvideo-cameraをCembaloに向けて撮影して、そのcameraの外付けmicで、Cembaloの音を拾っています。・・という事なので、動画の編集の段階で、CelloとCembaloの音量のbalanceを取っています。
という事で、私の作曲したHändelのsarabande(la folia)は、3分程度の初心者versionと、5分超の古典versionと、7分以上掛かる擬古典versionの曲が、それぞれに、Celloとviolaとviolinのversionがある事になります。
今回のbaroque-Koncertでのvideoの編集をしながら、参考までに、八千代の演奏のvideoを見ていたのですが、八千代の会場は音楽用の会場ではないので、orchestraや室内楽は兎も角としても、流石にsoloでは、acoustic不足は否めません。
という事で、当時の録画のdataにeffectを加えて、baroque-Koncert用の会場と、一般的な演奏会場のacousticを加えてみました。
You Tubeにviolaが欲しいacousticの深めの方の動画をuploadしてみたのですが、violaは兎も角としても、Cembaloの音の輝きがもこもこと音が籠り気味になって、くすんで聴き取り難くなっていたので、少しacousticを少な目にした方の動画をFacebookに貼り付けてみました。violaのpartの高音域では、少しキンキンしたおtが残ってしまいますが、Cembaloの音はacousticが深めの録音よりも自然に聴こえます。
こちらの演奏の方が八千代の会場での、生のacousticに近いversionになるのかな??
・・という事で今日は、PA作業で一日遊んでしまいました。
更に、既にYou Tubeにuploadしている斎藤先生のBiberのRosarysonateの演奏を聴いていたら、後半の部分で「音飛び」を見つけてしまいました。
「それは大変だ❢」という事で、元の撮影をしたvideoのdataをcheckしたら、何とvideoをパソコンに取り込む時のclipの繋ぎ目が原因である事が分かりました。
試しに、もう一度SDcardからvideoをパソコンに取り込んで見たのですが、全く同じ症状が表れてしまいました。
という事はSONYのcameraに付随しているvideo-camera用のsoftを使うか、PanasonicのDigaのようなvideo-deckで一度dubbingしてからパソコンに取り込む事になるのですが、SONYのvideo-camera用のsoftは使い難いので、パソコンには入れていません。
当然、一度PanasonicのDigaというvideoのdeckに一度取り込んで、Blu-rayで焼いてからパソコンに戻す・・という大変面倒くさい、回りくどい作業をしなければならなくなってしまいます❢
今日はweb-lessonがあるので、videoのdataを椎名町に取りに行ってから、更に「音飛び」の補修の作業をするのはとても無理だよな?




・・・てな事を言っていたのですが、やっぱり、椎名町に食事に行った帰りに、biberのRosarysonateの入っているSDcardをハイツに持ち帰って来て、「音飛び」の編集作業をやってしまいました。
・・・とは言っても、ハイツに帰って来た時点で、12時を過ぎてしまっていたので、もう月曜日になってしまっていたのですがね??
流石に教室のsalonなので、acousticが少し足りないので、effectを掛けて見たのですが、Organの音がnoiseが入って来て、何度もやり直して、お昼の12時前になんとかuploadが終わりました。
いや~あ、いつもの事ながら、Organの録音は、大変なのだよな・・!!
根性!根性!!

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ノートを投稿しました。
3月29日今夜は満月?? ·

今夜は3月の29日の月曜日ですが、多分今夜は満月ではないのかな?
たまには満月の写真でも撮ろうかと思って、江古田から椎名町までの明かりの無い場所を探してみたのだけど、1っ箇所も無かったよ。流石に、東京には夜がない!のだよな??
・・という事で、明かりが写りこんでしまうので、満月の写真を撮影するのは諦めてしまいました。
きっと、どなたかが写真をupしてくださると思いますので・・
食事とドルプリっ歩が終わって、すっかり遅くなってしまったので、お弁当は無しで大急ぎで、ハイツに辿り着いたのは、それでも、いつもの通りの午前様でした。
お弁当も荷物も無かったので、後片付けは無かったのだけど、椅子に座った途端に寝落ちしてしまいました。
2時間近くもstoveもつけないままに、椅子で爆睡していたのだけど、お昼は25°近くの5月の陽気だったらしいのだけど、流石に、深夜では寒くなってしまって、目が覚めて、慌てて布団に潜り込みました。
何の事はない・・1回目の睡眠がbedではなく、椅子になってしまっただけの事でした。
・・という事で、2回目の起床は7時前になってしまったのですが、時間的には普段通りなのだけど、1回目が椅子なので、なんとなく熟睡感がなく、良眠には程遠い不満足な睡眠でした。
この3日間は不思議な事に体調も良く仕事も捗ったのだけど、それも今日までなのかな??という感じなのです。
という事で今日は3月の30日・・、明後日からは新年度が始まります。
それにしても、お役所等では、未だに皇紀を使用しているので、困ってしまいます。
「今日は零話何年だ??」「そこに書いてあるでしょう!」お役人に冷たく言われてしまいました。運転免許も皇紀が分からないと更新出来ないのだから、政令として生きているのだよな??
しかし、「昭和31年は西暦何年だ?」と言われても、咄嗟に答えられる人は、何人いるのかね??
今はパソコンなので、一手間で調べる事は出来るのだけど、今時頭の中で皇紀を使用している人はいるのかね??
(令和が零話となっているのは、日本語のsoftがbaiduなので、変換してくれないからです。「何で中国のsoftを使っているのか??」というと、screen-shotが付いているのと、推測変換が早いからです。令和は取り敢えず単語登録しておきます。それと、二つの単語が結びついた時に、後ろの単語が濁るので、変換してくれない・・という事が超面倒くさくて、悩んでいます。)


はい!満月です🌈


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3月30日br biberのRosarysonate·

銅版画で彫られたこの素晴らしい絵は、biberのロザリオのソナタ(Rosarysonate)の曲毎に掲載されているその曲のthemaとなる絵です。
勿論、全ての曲が「聖母マリアの生涯(Das Leben der Jungfrau)」※)のそれぞれの逸話と絵画と詩篇が掲載されて、Rosenkranzsonatenの曲が始まります。
ちなみに、Rosenkranzの「Rosen」とは「薔薇」で、「Kranz」とは「王冠(かんむり)」の事です。
※)余談なのですが、同じTitleの曲集は、Genzmer先生の師匠であるHindemith教授の歌曲「Das Leben der Jungfrau」があります。こちらは器楽ではなく、現代の新古典的な対位法の技術に依る歌曲なのですがね??
Genzmer先生が未だ不遇の時代に、オペラ座で2nd-violinを弾いたり、Organistとして教会の日曜礼拝でのorganの演奏で生計を立てていた頃、ある夜に突然電話が掛かって来て、「明日のKoncertで伴奏するpianistが急病になったので、代奏が出来るか?」というofferがあったそうだ。
Genzmer先生は「20分ください!」と言って20分間、楽譜を完璧に覚えているかのcheckをした。勿論、完璧に暗譜していたので、次の日のKoncertに臨んだのだが、その時の演奏が認められて、München国立音楽大学の教授に抜擢されて、生活の安定を得る事が出来て、それが切っ掛けで作曲家の道を歩む事が出来るようになったそうだ。
先生はこのお話しを、「思いも掛けない事が、思いにも寄らないチャンスを与えてくれる事がある」という、「人生には3回のchanceがある」という一例として、chanceに行き詰まった多くの生徒達に先生の体験として話していたよ。
どのような人達でも、下積み時代はあるのだよな?
violinの神様として認められている Szeryngのような高名な演奏家でも、長い下積み時代があったのだよ。
今回のbaroque-Koncertでの演奏は、斉藤先生のbaroque-violinと 美紀先生のpositiv organ(=大型の教会やKoncert-Hallにあるようなpipeorganではなく、小さなchapelにあるような小型のpipe-Organの事です。)による演奏で、Rosarysonateの中の第1曲目の曲になります。
Rosenkranzsonatenの曲集は、全15曲のsonateとpassacagliaの16曲で構成されて、この曲が現代のviolinist達に取っては演奏困難な曲になっているのは、この第1番目の曲と終曲のpassacagliaを除いては、全てscordaturaで書かれているからなのです。(scordaturaとは、弦楽器の調弦を変える事です。
写真にこのRosenkranzsonatenの全てのscordaturaの調弦法の表を掲載しておきます。
書かれている音符と実際の出て来る音は違います。
写真に掲載した第2曲目のfacsimileの譜例では、G線とD線がそれぞれにAとEに調弦されるので、octave上のA線上の音とD線上の音が交差をしてくる所が出て来ます。
譜面上では通常ではA線上の音を弾かなければならないのに、D線上・・この場合にはEに調弦されたD線上の弦を・・(という意味なのですが)・・を弾かなければなりません。頭の体操です。)



「scordaturaは何故あるのか??」という質問なのですが、色々な理由があるのですが、一番短絡的な回答は「音域を広げる」・・という事です。
scordaturaで一番良く見かけるのはKontrabassやguitarが最低弦のEの音をDに下げるという事なのです。
楽器の調弦は楽器が一番良く響くように調弦されます。(逆の言い方をすると、楽器は調弦が一番良く響くようにその容積率が決定される・・とも言う事が出来ます。)
violinの場合には下の弦から順にGDAEとtuningされますから、D Durや、d mollの場合には、主音と属音と下属音がDAGになって、A Durやa mollの場合には主音属音下属音が、それぞれAEDの音になります。
但し、G Durとg mollの場合にはそれぞれ主音G属音D、下属音Cになるのでviolinの場合には下属音はありませんが、violaやCelloの場合の最低音はCなので、violaとCelloにはkonsonanzの音がある事になります。
つまり、それ等の調は頗る弦楽器にとっては響きの良い調になるのです。
弦楽器用の曲はD Durやd moll、等の#系の音が多いので、konsonanzの音は当然Dの音になります。
使用する低音の音も、EよりもDの方が圧倒的に多いのです。
だからKontrabassでも最低音がhの5弦のKontrabassがありますが、それはその分、高価になるし、指板の幅もその分広がるので、当然、演奏も難しくなってしまいます。
一般のorchestraでも、5弦のKontrabassを購入した時には、「おう!!」と賛美の声が掛かる程なのです。
DDurやd mollに対応するための一番簡単で楽な方法は最低弦のEをDに下げる事です。
だから、Kontrabassやguitar等もD Dur、d mollの曲を演奏する時には、Eの音をDに下げて演奏します。
それをscordaturaと言います。
では「何故、普通にDにtuningしないのか??」という話なのですが、それは楽器の大きさは、konsonanzの容積に対して比例するからなのです。
楽器の大きさはkonsonanzに対しての容積率で決まります。
低弦をDにするという事は、その分Kontrabassの容積率を大きくしなければならないからです。
低弦がEのKontrabassで、Dの音を響かせるには所詮、無理があるからなのですよ。
あくまでも代替え案としての折衷案に過ぎないのです。
まあ、隣の音だから、それでもなんとかなっているのだけどね??
本来の調弦から任意の調弦に変える事をscordaturaと言います。
このRosenkranzsonatenの場合には最初と最後の曲だけが、標準の5度調弦であって、後の曲は全て色々なtuningに寄るscordaturaの調弦になります。
このbiberのRosarysonateの場合には、scordaturaには「音域を広げる」という意味は全くありません。
調弦を変える事に寄って、通常の調弦では出せない和音が出せる事になって、とても美しい和音を響かせる事が出来るようにするための調弦の移動(scordatura)なのです。
どういう和音の響きが欲しいから、scordaturaに調弦をするという事は、今のviolinistには理解出来ない先人達の知恵なのです。
Rosenkranzsonatenは別名で「Mystery Sonatas」と言われる場合もありますが、時折「Mystery」を「摩訶不思議な」・・とか、「奇妙な」・・とか、誤訳している人を見かける事もありますが、まあ、宗教の違いには私は立ち入らない事にしているので、文句は言いませんが、「mystery」とは教会用語では「聖なる」とか、「神秘的な」と言った意味の宗教的な意味合いの言葉になるので、くれぐれも誤訳にはお気をつけてください。アハッ!


スコルダトゥーラは、通常では弾けない和音が弾けるのもそうだけど、その調で重要な音がコンツォナンツになるので、とてもきれいな、まさに神秘的な響きがしますよね。それに、とてもその調が弾きやすく気持ち良く弾けて、その調弦にすることに、一曲一曲納得します。スコルダトゥーラのお陰で弾くことが困難、と、言われる曲ですが、逆にスコルダトゥーラのお陰で弾きやすくなっていると思うのですが?


一般的な演奏者の場合には指と音が連動します。
曲を譜面に起こす時に、airで指を弾いて音を確かめる人達がいるのですよ。
violinでも右手を指板に見立てて演奏したりするよね??
そういう難しい話ではなくても、身近に、例えばperiodでbaroqueの曲を演奏する時に、書かれている楽譜と半音近く低い音が出たら弾けなくなってしまうので、絶対音感のある人達にとっては、baroque音楽をperiodのinstrumentsで演奏する事は難しいのだよ。
教室でも、I Musiciの演奏をscoreを見ては聴けない生徒が多いだろうが??
それがscordaturaになってしまうと、それどころの比では無くなるのだよな??
作曲家の連中の場合には、orchestraを作曲する時には、移調楽器も出て来るので、絶対音感と相対音感を同時に合わせ持つ人達の方が多いのだよ。
和音を機能的に聞く時には相対音感で聴いて、pitchは絶対音感で聞き分けるのだよな??
作曲科の生徒や指揮科の生徒達ならば、問題なくscordaturaは弾けるのだけど、弦楽器の生徒達はどうかな??
また、作曲家には、絶対音感を狂わせる事の出来る技術を持っている場合が多い。
Genzmer先生のclassに出た時に、先生から、絶対音感のtestをされて、絶対音感では聞き取れない音感のtestをされて、私が回答をしたら、「凄い!」と先生が褒めてくれた。作曲家の場合には、殆どの生徒達が絶対音感を持っているので、絶対音感を持ってしても聴き取れない音のtestだったのだよ。
所謂、trick音感というtestなのだがね??(この音とこの音を同時に弾くとこの音に聴こえてしまう・・とかの)
私の場合もGenzmer先生とは違うtrick音感のtestを良くやるよね??きらきら星を階名で歌ってみよう!と言って伴奏を付けてやると、絶対音感がある生徒達でも誰も歌えなくなってしまうという私のtrick音感のtestだよな??

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3月31日年度末です ·

今日はいよいよ年度末の3月31日です。
明日からは何年度が始まるのだ??
学年は新学期になるし、同じ歳の子供が学年では分離されるのだよな??
今日は遅くなってしまって、深夜の1時にハイツに帰宅しました。
・・という事は、今日は何日なのだよな??
・・30日の25時ではなくって、31日のamの1時になります。
それに令和だの、西暦だの、皇紀ってのもあるぞなもし・・!!
令和は3年だよな??
勿論、西暦は2021年なのだよな??
皇紀は2681年だそうな??
皇紀って、知っていた・・??
何で一元化しないのかな??
いちいち、面倒くさいよな??
令和なんて、今時お役所しか使わないのだけど・・、昭和40年と言っても西暦何年か即答出来る人は何人いるのかね??
まあ、人生の無駄だよな??

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4月



4月1日新年度です。 ·

な、な、な、なんと、今日は4月1日になる3分前にドルプリっ歩からハイツに帰りつきました。
「それは早いのか?・・・遅いのか?」って・・?
この所、1時とか2時とかが、続いていたので、その日の内にハイツに戻って来たのは、近頃では、早い方なのですよ。
今日はプリが超元気で、1時間courseの「full-course」を歩いたのだけど、私の方は腰痛が酷いのと、体調不良の心臓で息が上がってしまい、2回も公園の椅子に座って休み休みで、頑張って歩いてみたのだけど、最後の直線の道では冷や汗が出始めて、体がチクチク、汗で痛んでしまいました。
喉もカラカラなのだけど、飲み物もコインも持って行かなかったので、最後の一歩を気力だけで歩いてしまいました。
椎名町に着いてから暫し椅子に座って飲み残しの紅茶を飲んで休んでいたのだけど、椅子に座ったままで、意識が朦朧として来たので、慌てて、体に鞭を打ってbikeを飛ばして帰って来ました。
・・・という事で最初の文章に戻ります。
「4月1日の3分前になんとかハイツに戻って来ました。椅子に座って、冷たい飲み物を飲みながら、ウダウダと呆然としている所です。」
・・・「でも、それだけ疲れているのならば、どうしてdirectにbedに直行しないのかな?」と思われるかも知れませんよね??
疲れていても、体調の余力が残っていたら、directにbedに入れるのですよ。
「bedに入るためのceremonyを何もしない」・・としても、服を脱いだりはしなければならないのだからね??
「それすら出来ない」・・という意味なのだよな??
確かに、外国の映画等を見ていると、酔い潰れたり、疲れ切った人が服のまんま、靴も脱がないでbedで爆睡するsceneがよくあるよね??
そう言えば、そういった映画の中で、玄関を開けたら、靴があちこちに散らばっていて、床にはcourtが投げ捨てられていて、一歩入ると、上着やスカートが、そして下着が・・と続いて、その次には全裸の屍体が横たわって・・っていうmysteryがあったよな??
そう言った話は時折聞くぞい??


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4月3日『Tartiniのgrandsonateについて』 ·

4月2日の深夜の文章なのですが、Facebookの不具合で、已む無く、お引越しをしました❢
実際の投稿日とは違っているのですが、悪しからず・・・
『Tartiniのgrandsonateについて』
今日のドルプリッ歩も、12時を過ぎてからの出発で、プリも頗る元気で、full-courseの深夜の1時椎名町着のcourseでした。
今日のお散歩は先生達全員と一緒の3人だったので、私はワンちゃんのleadを持たなくても良かったので、杖をついての散歩でしたが、それでもやはり最後の長小からの一本道は流石に体力が持たなくって辛いのだよな?
コロナ自粛で1年以上も部屋に引き篭もっているので、腰痛や筋肉の衰えが大変です❢
・・とは言っても、自宅で筋トレをするような真面目な性格では無いし、鬱の引き籠もりで全く外には出ていないので、この筋力の衰えは致し方無い物があります❢ ・・・という事で、ドルプリっ歩が終わって、1時過ぎに椎名町を出発したので、ハイツに到着したのは1時過ぎの20分でした。
「昨日」・・というか、もう「一昨日」の事になってしまいましたが、4月の31日に、お久し振りに美音ちゃんの「Tartiniのgrandsonate」のweb-lessonをしました。
前々回(2020年)の春の発表会で美音ちゃんが弾いた「Didone Abbandonata(捨てられたディドーネ)」は、一般的によく知られている通常のPiano伴奏の擬古典的なversionで演奏しましたが、今回のgrandsonateは、fuga等が入っているkirchensonta(教会sonate)の形式なので、より対位法的な作品になるので、古式豊かに、periodのversionの編成で演奏する事にしました。
美音ちゃんにとっては、和音を弾く事自体は難しい事ではないのでしょうが、Ⅱ楽章とⅣ楽章はmelodieの奏き分けが必要なので、approachが難しかったかもしれませんよね??
特に、「fugaが入っている」という事は、1台のviolinで複声部のfugaのthemaを奏き分けなければなりません。但し、このTartiniのgrandsonateのfugaは、violinのpartは2声部のfugaなので、Bachの無伴奏のもっと声部の多いfugaの曲を何曲か勉強した事のある人ならば、このgrandsonateのfugaは2声部のfugaに過ぎないので、複声部を弾き分ける事は難しくないのだろう・・と思われるかも知れないけれど、実はそうではありません。
Bachの無伴奏の場合には3声部、4声部のより多くの声部を奏き分けなければならないのでより難しいように見えますが、実際には声部の独立性を出すために、拍を微妙にズラして演奏します。
しかし、Tartiniのgrandsonateのような、こういったsolo-sonateのfuga等の場合には、solo-sonateとは言っても、continuoの低音の声部をCembaloやCello等の別の低音楽器の人達が演奏するので、無伴奏のようにtempoのtimingを微妙にズラして演奏する事は出来ません。
あくまでも、in tempoの中で演奏しなければならないので、そのtempo感(拍子感)を保つ事が、Bachの無伴奏とは違って、また一つ難しいのです。
・・という事で、continuo-CelloやCembaloも、日頃basso continuoを弾き慣れているお姉さん達がensembleに入ってくれる事になりました。
(現代のPiano伴奏のように、一人で演奏する楽譜よりも、originalの曲の方が、より人数やpartが独立した室内楽的な曲になるからです。)
それに同じsolo-sonateでも、Kammersonata(室内ソナタ)の場合では、通奏低音の楽器は常に伴奏に徹するのですが、Kirchensonata(教会ソナタ)では、単なる伴奏の部分とfugaのThemaになる所と、motiveの箇所をそれぞれに弾き分けなければならないので、continueの演奏は非常に多様性があって、難しいのです。
しかし、日本では未だに通奏低音(basso continuo)のarticulationの奏き分けを、色々な奏法としてのlessonを受けられる機会は殆ど無いので・・ね??
このTartiniのgrandsonateのlessonをchanceとして一緒に勉強してください。
この曲のDoubleとornamentは、昨年の11月にⅠ楽章のDouble(繰り返し)とⅢ楽章のornamentを私がfinaleに入力をして、そのDoubleやⅢ楽章のornamentだけをprint outして美音ちゃんに渡していたのですが、lessonの時や合わせの時に、美音ちゃんが、そのDoubleに入る度に譜面をあちこち探さなければならないので、それを見兼ねた珠加ちゃんが、美音ちゃんのために全楽章をfinaleに入力してくれました。
珠加ちゃんの入力してくれた「全楽章の通し」の楽譜は、私もprint outして、早速、一昨日のweb-lessonで使用しようと思ったら、美音ちゃんの弾いているDoubleのversionと、珠加ちゃんの入力した譜面のversionが違っていて、美音ちゃんの弾いている楽譜が珠加ちゃんの楽譜に入力されていなくて、ハイツには勿論なのですが、椎名町の教室にも、美音ちゃんが弾いているDoubleが無くて、lessonにならなくて、困ってしまいました。
・・もっとも、楽譜は無くても、ornamentを作ったのは私自身なので、楽譜は無くても、覚えてはいるので、lessonへの支障は無かったのですがね??
・・という事で、折角の、珠加ちゃんの労作を私が手直しをしなければならなくなってしまいました。
・・という事なので、急遽、珠加ちゃんのfinaleで作ったdataをハイツに送って貰ったのが、昨日の夕方だったのだけど、肝心要の美音ちゃんが持っている楽譜のdataがなくて、作業が出来なくて、困ってしまいました。
斉藤先生が千葉から戻って来てからの作業だったので、それまでの食事時間までの作業は、一般的な間違い探しと、改訂された所のcheckに掛けて、斉藤先生が椎名町に戻ってから、美音ちゃんの楽譜をcopyして貰って、ハイツに戻ってからは、早速、美音ちゃんのDoubleを珠加ちゃんのdataに書き込む作業と、間違い探しの作業の続きをしました。
しかし、このCarischというMilanoの出版社のUrtext(原典版)の楽譜は、間違いが多くて困ってしまいました。10回見直しても、1回毎に、5箇所は見つかるのですよ。
結局、1日掛りの作業になってしまったのだよな??
「lessonをしている時に気づきそうなものだけど、何で分からなかったのか?」って??
・・だって、lessonの時には美音ちゃんがその間違いだらけの原典版の譜面で正しい音で演奏していたので、私も楽譜を一緒に見ているハズなのに、全く気付かなかったのだよな??
美音ちゃんに限らず、教室の生徒達は間違えた譜面を見ても気付かないままに正しく弾いてしまう癖があるので、私も当然の事として、そういう風に読んでしまうのだよな??(勿論、そのつもり(間違い探し・・として)で読むと、半分以上は気付くのだけどね??)
今回のUrtextの間違いで一番多かった間違いは、「転調楽節の時に、臨時記号を付けなければならないのに、それを付け忘れる」・・という多くの作曲家がやってしまう凡missです。
Bach等では意図的に、面倒くさいので、わざと付けない作曲家もいるのだけど、Mozartの楽譜でも、転調楽節で臨時記号が出て来て、音を変えるのか変えないのかが出版社毎に解釈が違っていて、困ってしまいます。
多くの演奏家は版は、一種類しか購入しないので、そういった問題にぶち当たる事は無いので、悩む事も無いようなのですが、私のように指導する時には出来る限りの版を収集して、楽譜を勉強する癖のある人間にとっては・・楽譜の違いは大きいのですよ・・ね??
常に「問題見っけ!!」なのですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=JGI8jabfB7g
それに肝心要のcontinuoのpartなのですが、原典版の校訂者のcontinuoの付け方が、相変わらず弱い箇所が多く、ヘボいので、そこの箇所だけ訂正するのも面倒くさいので、相変わらず、全部を訂正し直している所なのです。
もう、10回以上も通しで聴いているのだけど、それでも、また、弱い所・・ヘボい所が見つかるのだよな??
通しで1回聴くと、必ず、5箇所は問題の箇所が見つかるのだよ!!困った事だ!!
grandsonate Op.1e moll Tartini Aussetzung des bezifferten Baß und ornament von Yoji Ashizuka
YOUTUBE.COM



文字を確定させるためにEnterを押すと、画面が文末に移動してしまうという不具合が出て、文章の修正が超、面倒くさいと思っていたら、修整をした文章の保存が出来なくなってしまいました。
折角、文章を補筆修整をしたのに、保存が出来ないので、超頭に来たので、文章を全部copyして次の Pageにコピペしてしまいました。文章を書いた日付けが変わってしまいましたが、Facebookのせいなので、悪しからず!!

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4月4日時間が逆行して ·

前回の投稿と同様に時間が逆行してしまいますが、昨日か一昨日のお昼間に仮眠をしていたら、お久し振りに超happyな、若い頃の夢を見ました。
「若い頃の・・」・・とは言っても、実際に私が音大生の頃の出来事ではなく、あくまでも、「夢のまた夢」の妄想の中のお話なのです。
ある日ある時の夏の暑い日に山の中の合宿場でオケの学生達とテーブル一つ無い広い畳の部屋で座って練習の開始を待っている所でした。
抜擢されたAオケのmemberなので、先輩後輩の合同です。未だ初々しい希望に溢れた女の子達もチラホラ見受けられます。
・・チョッと待てヨ??
確かに、私が昔在籍した事のある大学には、色々な避暑地にオケの合宿場はあったようなのだが、私は作曲科の学生だったので、オケの合宿に参加した事は一度も無いし、お呼びが掛かった事も一度もありません。
夏は授業が無い分、自分のタツキを稼ぐので忙しいので、一度も大学の合宿場に行った事もないよな~っ??
ああいう所に行く連中は、お金持ちのお嬢様の道楽としか思っていなかったし、夏のバカンスを音楽三昧で楽しむような、そこまでの精神的なゆとりは、当時の私には無かったよな??
てな事を、夢に文句を言っても仕方のない事ですが、夢の中では色々と脚色されているので、現実の話しではあり得ないという事を確認しておきます。
先ずは、「夢の中の何が変か??」と言うと、全員が白いヒラヒラのダボダボの服を着ている・・という事なのだよ。
hotelから支給された服だとしても、白のフワフワのダボダボは無いだろうし??
どっかの宗教団体の服にしては、お洒落過ぎるしね??
たかだか夏の合宿なのに制服というのもおかしい❢

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4月4日videoの編集 ·

Tartiniのgrandsonateの3月31日の美音ちゃんのweb-lessonの時のSDcardを昨夜(4月の3日の土曜日に)、やっと貰いました。
早速、ハイツに持ち帰って、深夜の12時を過ぎていたのだけど、Panasonicのvideo-deckのDigaのhard-diskに取り込んでBlu-rayに焼く作業とパソコンに取り込んでYou Tubeにuploadする作業を開始しました。

先ずは、Blu-rayに焼く作業と、パソコンにdataを取り込んで、video-cameraのcamera-angleが超ヘボかった(1枚目の写真)のをCyberlinkで修整して(2枚目の写真)、それからYou Tubeの隠しsite※)にuploadをした所までは、それなりに順調には行ったのだけど、You Tubeにuploadする段階で引っかかってしまって、今は朝の9時を過ぎた所なのに、未だuploadを延々としているのだよな??
※)隠しsiteというと、かっこいいけど、別の公開siteで、lesson関係や音楽理論関係の論文等の動画を纏めているsiteの事です。理論系の動画なので、殆どaccessがありませんから、「見つからないsite」という意味で「隠しsite」です。

編集の段階でも20個にも渡るclipを一つ一つそれぞれlayoutをして行くので、結構七面倒臭い作業なのだよな??

chapterのgroup化というのもあったのだけど、それでは画像の修整は出来ないのだよな??
勿論、その間、パソコンを閉じる事も出来ないのだよな??
もう、6時間近くもYou Tubeのuploadで引っかかっているのだよ。
極々、たまにそういう事があるのだよな??
本当ならば、一度cancelしてから、もう一度uploadをし直すと良いのだろうけれど、ここまで待ったのだから、今更ね??

・・なんだかんだと言っても、freezeしている分けではないので、パソコンを放ったらかしにしておけばその内に何時かはuploadが出来るしね??

そう言えば今日は日曜日という事で、下の公園には驚く程の人数の人達が集まって遊んでいます。
子連れの家族という分けではなく、子供達も大人達も別個に色々な人達がいるのだけど、何もない公園なので、「何でこんなに人がいるのだろうか??」・・と不思議になります。

「珍しいから写真でも撮ろうか?」とも思ったのだけど、「別に良いか??」という事でやめておきました。

1枚目の写真は動画が斜めったままに撮影されています。
video-cameraを雲台から動かさないで、camera台毎に動かせばangleは平行のままだったのだけど、cameraを動かしたから、平行をちゃんと取り直ししなければならなかったのです。

2枚目はCyberlinkで画面の修整をしたのだけど、美音ちゃんが画面の端っこにいるので、修整の時に、上下が切れてしまいます。二人がbalance良く写り込むか、美音ちゃん側にangleを寄せるか?だったら、もっと自然に平行を直せたのだけどね??
元々の画面上で美音ちゃんが切れている映像が多かったので、修整のしようがありません。



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4月6日日にちが飛んで ·

「年度が明けた❢」と思っていたら、何と!ふと気がつくともう6日になっていました。
時の過ぎゆく速さに驚いているこの頃です。
昨日の5日は、ひさびさにharddiskの交換を終えてハイツに戻って来たパソコンがそのままになっていたので、その初期設定で今日の一日が終わってしまいました。
ハイツでは今まではmainのパソコンとして使っていたパソコンなのですが、古くなってhard-diskの故障で、Dellに修理依頼の電話をしたのですが、makerからは「型番が古いので交換するhard-diskが無い!」と修理を断わられたので、純正品では無いhard-diskに部品交換をして貰っていたハイツの大型のパソコンです。
Office等のsoft類も外付けのhard-diskにbuck-upしていたので、パソコンに戻そうと思ったのですが、プロダクトKeyを打ち込んでも、もうプロダクトキーが対応してなくて、色々なsoftが古くて全くrecovery出来ないのですよ。
なにせ10年以上も前のXPの時代のパソコンなのでね〜ぇ?!
XPからwindows10になった時に、soft類の互換性が全く無くなったのですよ。
それでも、10になったばかりの時には使えたproductkeyが、今は全く使えません。
「買いなおせ!」という事らしい。
それどころか、パソコンが戻って来た時に斉藤先生がパソコンのmailの設定を自分のmailのaddressにしたので、Accountの削除をしても、Accountが削除出来なくって、困ってしまったり、mailを作っても、それを開く、mailを開くアプリが作動しなくて、Tile画面からではなくて、パソコンの全てのprogramからmailを開いて見ても、mailの設定画面が開かなくて、作業が堂々巡りになってしまいました。
mailを開くのを諦めて、全てのprogramの中のmailではなく、messengerと、live-mailを開いたら、偶然にも、やっとoutlookやgmailを設定出来る画面になったので、そこで今まで作って来たoutlook-mailやgmailやweb-mailのaddressを全部打ち込んだら、今度はサクサクとmailのtile画面上でも、全てのmailが開くようになりました。
勿論、行き詰まった時には、netで調べて、色々な方法で、netの指示通りにやっても出来なかったのだけど、当てずっぽにやってみたら、何とか出来てしまいました。
色々とやってみるもんだよな??
同じDellのパソコンでも、一台毎に、全く開く手順が違うのだから、どこがパソコンかよ??
パソコンに個性があってたまるかよ!!??
loopに苦しめられたパソコンの作業中なのですが、他にはweb-lessonが二つ入って、また、パソコンの作業の合い間に、baroque-Koncertで使用した楽譜や道具を新教室に持って行って、また戻って来たので、部屋がそのまま、車から荷物を置いたままの倉庫状態になっていて、これまで「見ない振り!」をして来た汚部屋状態の部屋の整理をしたり、結構、なんだかんだで、色々と忙しかったのですよ!! 
勿論、汚部屋がたった一日で、きれいに整理整頓された分けではありません。
でも、ホンの少しは、片付いたかな?いや、気分だけなのだがね?
lessonの最中に、「Bikeの部品が着いたので、修理に来い!」という電話があったのだけど、時間的にも、他の仕事とbookingして、とても修理にBikeを持って行くのは無理だったので、日を改める事にしました。
lessonが結構遅い時間にあったので、食事の準備も遅くなってしまって、ドルッ歩もズレ込んで、とうとう深夜の1時過ぎのドルッ歩になってしまいました。
どんなに遅くなっても、雨が降ろうと槍が降ろうと、彼らのおtoilet-timeなので、サボる事は出来ないしね〜ぇ?
という事で、ハイツに戻って来たのは2時過ぎになっていました。
それにしても昨日は超寒かったよね〜ぇ??
急遽、Jacketの下に毛布のチョッキを着込んでのBikeの運転で、ハイツに帰ったのだけど、それでも寒かったよね〜ぇ??
持ち帰った弁当類を冷蔵庫にしまっていたら、いつの間にか、椅子の上で2時間近くも眠ってしまっていました。
stoveはつけていたのだけど、寒くなってしまって、寒さで気がついて、慌ててBedに潜り込みました。
朝のtoilet-timeて、目が覚めてしまったのだけど、時間を見てみると、たったone-coolの1時間半しか眠れていません。
それなのに、すっかり朝のお目覚めmodeになってしまっています。
これは困った❢
これでは、体調が持たないぞ?
まあ、仕方ないか??
今日(4月の6日)は昨日の代わりの休息dayにしよう❢
昨日が超、忙しかったからね?・・という事で自分で自分を納得させて・・・
お昼近くなって、やっと椅子に座ったままで、意識混濁になって来たので、Bedに戻った所です。
それから先は、1日中漫然とダラダラと寝込んでしまいました。上手く眠れた時と、鼻が詰まって息が出来なくなって、椅子に座って仮眠をしたり、・・と、兎に角、一日中ダラダラと過ごしました。
体調が悪いのか、それとも加齢に寄るものなのか??
「鼻詰り」は花粉症なのか??



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4月6日『録音録画の時のstandにMicやvideo-cameraを取り付けるネジのお話し』 ·


videoの撮影や音声を録音する時に、一番困らされるのは、接続のネジ径です。
昔の録音はanalogのmicrophone(mic)の取り付けネジは、digitalのmicのネジ径とは合わないのです。
という事でcameraの三脚に取り付けるネジとMICをstandに取り付けるネジのsizeが違うので、三脚やstandを共有する事が出来ません。
基本的にはMIC用のstandとcamera用の三脚があるので、それぞれ別に揃えなければならないのです。
しかし、今はvideo-cameraもdigital-micも同じネジ径になっていて、同じ三脚やstandで使用する事が出来るようになっています。
当然、昔のMIC-standにdigitalのMICを取り付けようとすると、ネジが小さいので取り付けられないのだけど、当然、ネジ径を変換するadapterがあって、それを古いMIC-standに取り付けると、今のdigital-microphoneでも、古いmic-standに取り付ける事が出来ます。
そのネジの変換adapterの種類は結構多いのだけど、基本はanalog径とdigital径の♂型と♀型の組み合わせで出来ます。
それ以外の径の変換adapterもたくさんあるにはあるのですが、もう教室ではそういった色々な種類のネジadapterは使用しなくなったので・・ね!!
それでも、教室での録画録音に、普段使用する三脚やMIC-standは、鋳鉄型のmic-standが2本と三脚型のmic-standが2本はあるので、当然、変換adapterは16個も必要になってしまいます。
三脚型は重たいanalog型のmicrophoneでは不安定になって、倒れる危険があります。それに対して鋳鉄型は重いanalog型のmicrophoneでも重量のbalanceが取れるように、足が非常に重くなっています。(写真は鋳鉄型のmic-standです。)
いずれにしても、三脚やstandにmicrophoneを取り付ける場合には、Pianoのpedalを踏む音や足音等の振動を拾ってしまいます。
そのためにmicrophoneとstandの間に振動を伝えないようにする緩衝材のゴムを取り付ける場合もありますが、一番は天井からの吊りmicです。紐やゴム等で天井から吊ると振動は殆ど影響は無くなるのですが、angleが制約を受けるので、常に同じ場所で録音する場合ノミに有効です。
後は暖房や冷房の空調の音がnoiseで入って、困る事があります。
camera-angleでは、天井の明かりがcameraに入ってしまうと、逆光や光量のBalanceが崩れて撮影が上手く行かなくなってしまいます。
今やdigital-楽譜が普及して来たので、テレビで放映されている演奏会の風景でも、Pianoの譜面台の上にTabletを置いて演奏しているpianistの人達をよく見受けるようになりました。
web-lessonでも、upright-Pianoの場合には、notePCが譜面台には乗らないので、Tabletを譜面台に乗せて、web‐cameraをmic-standに取り付けて、全身が写るように横から撮影すると一番良いと思いますが、生徒の家庭にtabletがない場合には、初期投資の費用が大変ですよね? Tabletには外付けのUSBの端子が無いものがあるので、私は中古のseparates型のnotePCを1万円で買いました。
Officeも入って、batteryも新しいので、新品同様ですが、型番はチョッと古いかな??(写真のTabletです。)web-cameraには三脚に取り付けネジが付いていないtypeやcodeの長さも色々あるので、会議用の安いtypeでは、音声をワザと犠牲にする事で、聴き取り易くするtypeのweb-cameraもあるので、注意が必要です。
画素数だけではなく、音声も配慮するか??cameraだけにして、逆にnotePCの音声を使用する方法もあります。codeの長さはゆとりを持たせるためには、3mもあれば十分でしょう??
Tabletから弾いている生徒が写るような位置に三脚を立てて、演奏をしている所をcheckするのですが、このangleは年齢や技術のlevelで撮影する位置が変わるので、この写真が定形の理想の位置ではありません。あくまでも参考に・・という事です。
コロナでweb-lessonをしようと、生徒が学校から支給されたtabletでlessonをしようと思ったら、何と学校onlyの接続しか出来ないように、tabletが設定されていて、netが全く使えませんでした。
子供達をtabletで遊ばせないようにするための学校側の配慮だそうなのですよ。
確かにねえ??
変なサイトにaccessされたら大変だもんね??
でも、中学生ぐらいの生徒達は自分用のスマホを持っているので、スマホもTabletも同じだとは思うのだけどね??
大切な事は使い方を指導する事だと思うのだけどね??
中学生の時期をどう生きるか??・・が子供の人生の別れ道なのだけどね??
中学生の教育が一番なっていないのだよな??
親も学校も子供の不安を取り除いてはくれないのだよな??
困った事だ!!


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4月7日変な夢を見た ·

今は4月6日の朝の8時です。
今日の朝は6時に起きたのですが、昨日の惰眠をまだ引きずっていて、椅子に座って仕事を始めようとしたのですが、意識朦朧状態で、仕事にならないので、諦めてBedに戻ってしまいました。
Bedで少し眠ろうと思ったのですが、いつものようにbedで横になった途端に、「鼻詰まり」が酷くなって、息が出来なくなってしまったので、慌ててBedから起き出して、鼻の洗浄をして、鼻炎の薬を噴霧しました。
その結果、少し息が出来るようになったので、またBedに戻って、入眠を試みました。
今度はすんなりと眠る事が出来て、夢を見ていたのですが、困った事に、夢の中で色々と、工夫三昧をしていました。そりゃあ、疲れるよな??
7時過ぎ頃から眠って、今度は、お昼前の10時40分ぐらいに夢を見て、目を覚ましたのですが、夢の中で、一生懸命に考えて、工夫三昧をしたので、結果、目が覚めてしまった・・という事です。
夢の中のお話なのですが、多分、Schumannの流浪の民にでも触発されたのでしょうか、寒い雪の積もった森の中で大きな薪の炎を中心にして若者たちが群れ集っています。
長老達が指示をすると、violinのgypsy風の演奏に導かれて、女の子が踊り始めます。
とても素晴らしい踊りと音楽でした。
私と覚しき若者が、その群れに近づき、指導者と思われるgpsyの女性に2,3箇所の演奏や踊りへのadviceをします。
長老やその女性達は大変喜んで、私にもっと指導を仰ぎます。
そこで、踊りとviolinの演奏の整合性のlectureをしながら、演奏やdanceの工夫の仕方のlectureをしている所で目が覚めました。
なんだ、只の、いつもの教室のlecture-lessonと変わらない・・ではないか??
それで目が覚めてしまったので、睡眠時間は少ないのだけれども、今度は寝ている間の息がちゃんと出来ていたので、体調は朝よりも大分良くなって来たのだけど、よくよく考えてみると、昨日と全く同じrotationなのだよな?? 
その日、その日を四苦八苦しているのだけど、結局の所、同じ所で引っかかっているのだよな??
(流浪の民に対して「gypsy」という言葉を言うと、「差別用語なのでRomaという単語を使うように」と、言われる事がありますが、RomaはRoma族の民を指し、gypsyはモーゼがIsraelの民を引き連れてEgyptを脱出した時の民の事を言うので、民族が違います。Europaには色々な国の流浪の民がいるのですが、その人達の起原を云々するのは無意味だと思います。音楽用語でもTziganeとかZigeunerweisenとか、色々な表現が、endlessに使われていて、それを識別するのは不可能です。私達がgpsyという言葉を使用するのも、差別的な意味合いは全く無くて、歴史的な作曲家の時代考証的に使っているに過ぎないので、差別用語として使っている分けではありません。)
チョッと差別用語のお話が長くなってしまったのだけど、本当は軽く流すつもりだったのですが、こんにち差別用語とされる言葉には昔はとても良い意味合いがあった言葉も多いのです。
古い書物を読む時に、時代の趣きがいつの間にか、差別用語に指定されてしまって、Shockを受けてしまう事すらあります。
何でもかんでも一律にしか見れない社会の恐怖を感じています。
私は結構時代劇が好きでよく見ます。
チャンバラ映画ではなく、時代劇ですよ。
若村麻由美さんのチョッとした仕草に表現されている江戸時代の小粋な女性の色気の表現が素晴らしいのだけど、genderlessの社会ではそれも否定されるのかね??
ダメダメ社会の先にあるものは、どういった社会になるのでしょうかね??
潤いの無い殺伐とした社会で無ければ良いのですがね?
夕方近くなって来て、歯医者に行く時間が近づいて来たのですが、なんとなく顔が火照って来たので、体温計を出して来て熱を計ったら、7度5分もあったのですよ。
慌てて歯医者に電話をしたら、治療が来週に延期になってしまいました。
直ぐに薬を飲んでBedに入って安静にしていたのですが、中々、薬が効かなくて熱が下がらなかったのだけど、11時を過ぎた辺りから、だんだん熱も下がって体調も元に戻って来ました。
この2日間の体調不良は、風邪の症状だったのかな?
と言うか・・風邪でも無いようなので、只の疲れだったのかな??


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4月8日『フアンのお話』 ·


テレビでタレントさんとファンの問題のお話しをしていました。
フアンというと、不安と勘違いされそうなのですが、英語でもfanは扇風機のファンやfunとも勘違いされる言葉だそうですよね??
支持者ならば寧ろsupporterの方が良いのでしょうが、音楽の世界ではfanを使うようですね。
テレビでのお話では、アイドルのファン・クラブのお話をしていましたが、変な困ったファン(この場合にはストーカーというのでしょうが・・)を寄せ付けないために、アイドルにはファン・クラブのようなものが存在して部外者が直接idolとはコンタクトを取れないようにしているのだそうですね。
そちらの世界のお話は私には預かり知らぬお話なので、なんのcommentも無いのですが、事・・Classicの世界でもfan・clubのような物がある事を知って驚いてしまいました。
昔々、ある時に、orchestraのpartyがあって、友人に招待されて出席しました。その時に、その年度にorchestraと共演をした事のある著名な美女のpianistの人達も招待されていたので、友人から紹介されて親しくお話が出来たのですが、次の機会にそのorchestraのsupporterの人達との親睦会があって、同じpianistが来ていたので、「挨拶を・・」と思ったら、無骨な男性達に遮られて、挨拶をする事はおろか、近寄る事すら出来ませんでした。
友人に「なんだい??ありゃ~ぁ??」と聞いたら、「あの子のfan・clubだよ!」という事で、一般の人達が近づかないように厳しいguardをしているのでした。
「まあ、美女だから仕方ないか?」と笑っていましたが、しかしながら「idolの世界ではあるまいし、Classicの世界なのに??」と呆れ返ってしまいました。
彼女の音楽表現は、日本人離れしていて、とても好ましかったのですが、その時以来、すっかりと、嫌な気分になったので、彼女のfanになる事は、やめてしまいました。
どっちみち、日本人の演奏会に、お金を払って聴きに行く事はないのでね??
この「困ったちゃん」のfan・clubは、音楽の世界に限らないようですね??
私が、趣味的にfanになっている漫画家の人がいて、netでも有料のnet漫画をdown loadしたりしていたのですが、ついでにfan・letterを送ろうと思ったら、directにはmailが送れなくて、fan・clubがmailの代行をしていました。
一応、感想文とyellを送って見たのですが、無視されてしまいました。
こちらの方も結構嫌な気分になったので、netの漫画のdown loadはそれ以来していません。
友人がorchestraの幹事を歳でやめてしまったので、私もorchestraのpartyに呼ばれる事も無くなったし、私自身は日本人の演奏するKoncertには基本的に行かないので、もうfan・clubとのtroubleのような事は、二度と起こりませんのでね??
それに、Europaの音楽家は、一流になればなる程、とても謙虚になって来るのですが、日本人の演奏家達は、その逆で有名になればなる程、prideの塊になってしまうようですよね??
だから、若手の有望な卵達もとても、自惚れが酷いようですよね??
これは、なんとかならんのかね??
小学校の教科書にも掲載されるような絵描きの人と親しくお話をする機会があったのだけど、fan・clubの人達が崇め奉って会うまではとても大変だったのだけど、本人と直接会ったら、とても謙虚な素敵な人であったので、驚いた事がある。
会っている時にはfan・clubの人達は一人もいなかったのでね??
著名な美女のpianistも、個人的に会ったら、ヒョッとしたら謙虚で暖かい人なのかも知れないよね??
そう言った意味ではfan・clubも善し悪しかもね??
少なくても、Classicや芸術家の世界では、idol達とは違って、stalkerはいないのでね??
音楽以外の職人の分野ならば、人間国宝と呼ばれるような超一流の陶芸家の人達でも、とても謙虚なのですがねぇ??
じゃあなくて、謙虚だから、超一流に成れるのだよな??
そこが分からんと、日本に芸術家は育たんよな??
まあ、でも、所詮は、別世界の話であって、俺の知った事ではないか??

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4月10日『徒然無い=とぜんない』 ·


この言葉をthemaにして文章を書くのは2回目である。
小さな子供が道に迷ってしまって、どこにいるのか、どうすればよいのか、分からなくなってしまって、泣き出したくなるような気持ちの事を、祖母はよく「とぜんない・・」と表現していました。
この「とぜんない」という言葉は、私はてっきり方言だと思っていたのですが、ある時、ふと気になって、調べてみると「徒然無い・・」と書く標準語であると分かりました。
・・でも、私の人生の中で、普段、肉親以外にその言葉を聞いた事は全くの皆無なのですがね??
今日の夢の話しですが、駐車場から自転車で、自宅に戻る途中で、早道をしようと思って、別の道を走ったら、道に迷ってしまって、どこに居るのか分からなくなって途方に暮れてしまっている夢を見ました。
この駐車場が分からなくなって、探し回っている夢は、私の夢の中でも非常によく見る夢なのです。
その都度、場所が深い山の中であったり、人の気配の無い寂しい墓場であったりして、寧ろ人の居る街中の駐車場の夢を見る事は皆無なのですがね??
それも、私の心の中の孤独感の象徴なのでしょうかね??
しかし、現実の世界でも、東京の事務所の駐車場でも、千葉の花園の教室でも、大家の都合で、何度となく駐車場を変わらざるを得なかったのですが、ある時などは、夏休みの長崎への帰省から千葉の教室に帰って来たら、駐車場が無くなっていて、(駐車場の場所が工事車両で、掘り出されていて・・)駐車場に置いていたハズの私のバイクがとんでもない二つ、三つ先の路地に放り捨ててあった事もありました。まるで夢の中のお話のようですが、本当の話なのですよ?!
流石に頭に来て不動産屋に怒鳴り込んだのだけど、結局はただの言い合いの喧嘩になっただけで、泣き寝入りする他はなかったのだけどね??
東京の江古田の駐車場でも、駐車場の大家が、「大きなキャラバン型の車だと、車上荒らしに狙われ易いから・・」と言って、突然に、乗用車type以外の車は、全部追い出されてしまいました。
その時も、江古田の事務所の近くに駐車場が見当たらなくて、歩いて30分も掛かる北区の土手下の駐車場になってしまった事もありました。
車の荷物を教室に下ろして、駐車場に車を入れて、bikeで駐車場から教室に戻って来るのですが、江古田教室にはbikeや自転車を留めるためのspaceが全く無いので、路上駐車になってしまって、よくbikeをイタズラされて困ってしまいました。
勿論、私だけではなく、他の部屋の住民達の自転車もですが・・ね??
千葉でも20分程度の場所しかなくて、花園教室と検見川教室の移動と、その頃は旭ヶ丘教室もあったので、駐車場への移動や、教室間の移動は、bikeでの移動は必然でした。
・・という事で、借家住まいの私としては、駐車場は江古田の教室や千葉の花園の教室や検見川教室等の、どこの教室でも、教室の・・というか?・・私の泣き所で、所謂、traumaになってしまいました。
今では、千葉の新教室も、ユーカリが丘の教室も、東京の事務所にも、全ての住まいに、駐車場が付いているので、もう駐車場のtraumaからは逃れられたハズなのですが、今でも、鬱が酷くなると、よく人生の道に迷った象徴として、駐車場が見つからないで泣き出したくなるような「徒然無い」気持ちになっている・・という夢を、よく見るのですよ❢
「自分の帰る家が見つからない」・・という夢は、Alzheimerの兆候として、時折人から聴いたりしますがね??
流石に、自分の自宅を忘れる事は無いのだろう・・と思っていたら、先月の夢では、もう既に無くなってしまっている江古田の自宅の部屋に戻ろうとして、江古田の事務所が無くなっている事に気が付いて、どこに帰れば良いのか・・と悩んでいる夢を見たばかりだよな??
西武線の踏切辺りまで、戻って来て、踏切を渡る途中で、遠くに見えている江古田ハイツを見つけて、「あそこが自分の住まいのあるmansionだ!」と気付くのですよ。
自宅である江古田ハイツを思い出す事が出来なくて、徘徊を始めて、やっと遠くにあるmansionを見て、自分の部屋があるmansionだと思い出すまでに、随分の時間が掛かったので、江古田ハイツが終の棲家だという気持ちが全く無い・・という事を確信したばかりだよな??
1年中、部屋に閉じ籠って居るのならば、街中(まちなか)である必要は無いのだから、避暑地のような部屋でも良い分けだよな??
しかし、そうなると食事等の日常生活が難しくなるよな??


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4月11日web=rehearsal ·

今日の気温は18°から7°と表示されているのに、現在の気温は6°であり、予定気温よりも低い❢のにも関わらず、訂正されないのだよなぁ?
今日はオケ・室内楽のrehearsal の日ですが、私の担当のweb-lessonはお昼の2時からなのですが、朝は定形の5時に起きたので、18年の9月のcatastropheでぶっ飛んでしまって、そのままになっているhomepageの「pitchに関するお話」と「調性に関するお話」、更に「純性調と平均律に関するお話」の修復の作業をしました。
勿論、直ぐには完結出来る作業ではありませんので、その文章作曲の中の一部分を復活させたに過ぎないのですが・・??
それにしても、落胆してすっかりと諦めていたhomepageの復活作業を、少しでも取り掛かれたのは、非常に得難い事なのですよね??
2時からは、rehearsal をwebでcheckしました。
コロナになってから3回目の発表会というか?・・rehearsal になります。

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4月12日入力した文章がぶっ飛んだ ·

月曜日4月12日の朝の5時になった所です。
(心臓のbypass手術の跡の)keloidが痛痒くて、「鼻詰り」が酷くて息が出来なくて、産業スパイのような忍者になった夢を見て目が覚めてしまいました。
忍者は余分なのですが、狭い場所で息を顰めているのが、息苦しいからなのです。アハッ!
朝焼けで太陽が昇っています。丸い丸い太陽です。
この後に、長々と文章を書いたのですが、保存を押したのですが、保存がされていないくて、編集履歴にも残っていませんでした。相変わらず、超Shockなのだけどな??
色々と探して見たのですが、どこにも保存されていないようなので、いつものように、「記憶test」で思い出せるだけ思い出して見るか??・・そう言った無駄な作業は、本来はしないのだけどな・・??
『以下、記憶に拠る文章の復元です。』
朝の5時に「鼻詰り」とkeloidの痛痒さで、起き出して椅子に座りながら、昨夜、持って帰って来た日曜日のrehearsal のvideoのBlu-rayに焼く作業とパソコンに取り込む作業をしました。
流石に、昨夜は、パソコンにvideoを取り込む作業をするのは、とても無理だったので・・・ね??
作業効率を上げるために、平行作業をするのですが、そのためには、先ずはdataの入っているSDcardをPanasonicのvideorecorderであるDigaに、そのdataを取り込んで、それをBlu-rayに焼いている間に、SDcardをパソコンに取り込む作業をします。
通しのrehearsal だけでも4時間は掛かるvideoなので、当然、パソコンやDigaに取り込むのも2時間近くは掛かります。
つまり、最初にDigaに取り込んでから、平行作業をしても、合計時間は4時間以上は掛かる事になります。(Blu-rayでの時間なので、DVDならばその倍以上の時間が掛かる事になります。)
・・・とは言っても、その時間を付きっ切りでパソコンの前に、いなければならない分けではないので、その開始と終わりの時間だけが作業時間なので、timerをsetして、後は鼻のcareをしたり、テレビのnewsを見たり・・と結構自由時間になります。
そうこうしている間に「鼻詰り」が大分、治まって来たので、9時過ぎにはなっていたのですが、改めて寝直す事にしました。
(・・てな事を書いていたのだけどね?? 今度は大丈夫なのだろうよな??)
大丈夫じゃあない❢写真がなくなっている❢
・・と思ったら、こっちでは写真が復活している!!

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4月13日「鼻詰り」とBoccheriniのCello・concerto ·

今日は4月の13日の火曜日の朝の9時です。
珍しく遅い起床のようだけど、実際には7時頃には、toiletに行ったりして、鼻詰まりの頭痛が酷いので、鼻のcareもしたりして、ウダウダと起き出しているので、起床時間も実際には普段通りの5時過ぎなのです。
日曜日は春の発表会のオケ・室内楽のrehearsalでしたが、私がcheck指導するrehearsalのgroupは、2時からの予定だったので、朝の5時過ぎくらいに起き出してからは、Home Pageの修復の作業をコツコツとしていました。
2時になってからrehearsalが終わった頃には、日曜日が月曜日で、昨日の月曜日が、どうしても火曜日に思えてしまって、何度も曜日の確認をしたりして、曜日の感覚のズレには、困ってしまいました。
今日こそは、本当の火曜日なのですが、今の所、曜日の感覚は正常に戻っているようです。(と思っていたのだけど、夕方近くになるに従って、段々と曜日の感覚が、またまたズレて来ました。)
それにしても、今日は頭痛が酷い!!
月曜日と火曜日は先生の帰りが遅くて10時ぐらいになるので、食事は11時頃になって、ドルプリっ歩は12時を過ぎる事が多いのです。
当然、ハイツに戻るのは、どうしても2時近くになります。
昨晩もその遅い時間のrotationの日(曜日)だったのですが、この2,3日言い続けていたBoccheriniのpocket-scoreを出して貰って、ハイツに持ち帰ったので、ついつい、帰宅してから、珠加ちゃんがfinaleに入力してくれていたオケのpartを、periodへのstyleに訂正を始めてしまいました。(つまり、pocket-scoreのoriginalの楽譜ではなく、periodの演奏のstyleに書き直しました。)
と言っても、何の事か分からないよね??
Boccheriniは古典派のHaydnと同じ時代の人なのですが、未だbaroque様式の色濃い作曲家なのです。
当然、Concertoの演奏のstyleもbaroqueやStamitzやHoffmeister等の古典派の前期の時代の様式になるので、soloを演奏する時にはオケbackはcontinuoのsoliの楽器で演奏されます。
しかし、その時代様式の区別が書かれていないので、そのままorchestra-backで演奏する団体もいて、困ってしまうのです。
時代考証的には、宮廷等では、普通は最低の人数しかいないので、Koncertの時にだけ、周りの宮廷の音楽家達をトラで集めて本番だけ演奏をする事が多いので、orchestraのpart、所謂、tuttiの部分は殆どありません。solisteがsoloをする場面では、専属のmemberだけがsoliで伴奏をする形式になっています。
しかし、教室の発表会等で演奏する場合には、そうすると折角のオケのmemberは練習にならないので、教室の発表会ではcontinuoのsoliの部分も、orchestraで演奏させています。
あくまでも、学習のためです。
しかし、教室での演奏でも、一般の聴衆を対象にした対外出演では、古式豊かに、soloの伴奏の部分はsoliで演奏をします。
今回のBoccheriniのCello-Concertoでは、教室の発表会なのですが、曲が難しいので、soloの伴奏はsoliのgroupで演奏します。
Boccheriniの演奏は通常演奏されているGrützmacher版よりも,originalのperiod版の方が数倍も難しいのです。
普通一般的には、arrange版の方が技巧的で難しいのですが、Boccheriniは逆なので面白いですよね??


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4月14日突然の欝になって ·

今日は4月の14日の水曜日になった所です。
明日は朝の8時半にはひかりヶ丘の病院で検査があります。
夕方からは歯医者の続きもあります。
別にそれが原因ではないとは思うのだけど、この1週間は体重の管理が珍しく上手く行っていて、体調不良とは言いながらも、痩せ始めてから、この10日間はこの頃の最低の体重をkeepしています。
しかし、今日はそう言った偶然にも上手く行っていた体調管理とは無関係に、突然、鬱になってしまいました。
鬱の原因、というか、切っ掛けは、普段、鬱になる原因として幾つかある中の一つの、いつもの原因なのですが、鬱で無い時には、気にもならない原因が、鬱の状態だと心に重くのし掛かって来るのです。
まあ、鬱だから、そんなものなのだけどね??
気分転換に、エイヒレでもおつまみにして、酒でもカッ喰らいたい所なのだけど、明日は朝一で血液検査なので、そうも行かないよな??
そう言えば、松浦漬けも、なめ茸も、味醂小鰯もあるよな??
糖質0の日本酒もあるしな??
それに最悪の鬱だし・・・!!
いや~あ、困った!! 困った!!
この鬱を如何せん、だよなぁ??
夕方から、雨の中を歯医者に行って来ました。
レインコートや手袋が濡れたままだったので、雨が上がる事を信じて、普段の服装でBikeで出掛けたのですが、あては外れて、雨は歯医者での治療中の間に、ますます酷くなってしまいました。
歯医者が終わったら、そのまま椎名町に行くつもりだったのだけど、雨が酷くなって、椎名町までの移動は無理になってしまったので、一度ハイツに戻って着替える事にしました。
歯医者では、昔、治療した歯が虫歯になってしまったという事で、差し歯を抜いて治療をする予定だったのだけど、古い時代の治療なので、ボルトが抜けなくて、1時間、まるまる差し歯は抜く作業だけで終わってしまいました。歯医者が2人も3人も寄り集まって「こんなのは始めて見たよ!」だってサ??
まあ、四苦八苦していたよ。俺も結構痛かったしね??
つまり、虫歯の治療は来週のお楽しみになってしまいました。
暫くの間は、前歯の欠けた状態になってしまいますが、発表会までも歯付き欠けのままだとなると、みっともないよな〜ぁ??
それは、困るよなぁ?
間に合わなければ、マスクで指揮をするか??
いやいや、それは無理だよな??呼吸困難でひっくり返ってしまうよな??
夜には定形通りに雨の中をbikeで椎名町に食事に行ったのだけど、何と前歯が無いと食べ物が噛み切れない・・という事に気が付いた??
仕方が無いので、愛用のカニバサミで食物を細かく微塵に切って、なんとか食べれるようにしたのだが、それでも無理ななものは無理だったよな??
兎に角、前歯が無いと食べても美味しく無いのだよな??
食べれないのならば、痩せるのでは??と先生が言っていたけれど、食べないで痩せる体重には限界があるのだよ。それ以上は絶対に痩せないのだよ。
痩せ始めて、10日以上も体重をkeep出来ているのは良いのだが、5日間以上も便秘状態になってしまった。
極端に食べる量が減った所為なのか、それとも・・??
いずれにしても、これ以上は、体に良くない。困った事だ!!
流石に、下剤は飲みたく無いので、Yoghurtとビヒダス菌でなんとか対処するつもりなのだけどね??


先生
検査日はお疲れ日ですがきっといい日です!
奈良ホテル様で歴史を伝えていました❣️
室内の画像のようです



Einsteinさんが弾いた頃は、もっとピカピカのPianoだったのでしょうね?? 私が音楽の道に進む事を決めた時に祖母が作ってくれたPianoも既に60年近い歳を経てしまいましたが、未だに現役で活躍しています。

椎名町の事務所にあるuprightのPianoは、倉庫で見つけて来た100年前の大正時代の、しかし日本制のPianoです。
85鍵しかありません。私の個人的な趣味のPianoです。



芦塚 陽二 先生
90年前と伺いました


中野先生の撮られた写真の解説では、Einsteinさんが日本に来たのは1922年と書いてあったので、99年前に演奏した・・という事ですよね??ほぼ、100年前ですか??凄いですよね??実際の音を聴いてみたいものです。弦も当時のAmerica制の弦に張り替えて演奏すると素敵だろうな??大正ロマンを感じますよね??


先生!
いつの日かこのピアノで❣️
想像するだけで嬉しくなります!




中野先生 実はPianoの音は時代と共に、(時代の好みに合わせて)変化しています。
古いsteinwayのPianoの音は今は若い人達には好まれないので、steinwayのPianoも若い人達に合わせて、少し金属製のキラキラとした音にしています。そういった音が現代の人達の好みなのですが、元々の古い時代のEuropaのPianoは今よりももっとくすんだロマン派時代の重たい音がしました。America製のPianoもお国柄でEuropaとは異なったまた独特の音がしました。今は世界中同じ音なのですがね??


調律師の人達も今はそういった音に対する技術を持った人達は少なくなってしまいました。Pianoを作れる技術を持った調律師が少なくなってしまったからなのでしょうがね??


本物の技を先人から伝承され、つちかってこられた技術者が余りにも絶えゆく昨今悔しき限りです!




いいね・うけるね・かなしいね・・・どれにするか迷いましたけど・・・明るくうけるねに(笑)


朝の5時に起きたのですが、今日は結構雨が強くて、検査と診察の時間は雨で、ひかりヶ丘の病院が終わる頃に雨は上がる予定だそうです。雨だとbikeが大変なのですが、地下鉄では乗り換えや歩きがあって、時間も倍掛かるし、鬱の体調不良の時には、一層辛いです。無理をしてでもbikeで行くか??raincoatを着込んで・・??
出発のギリギリまで待って、決めます。未だ、1時間はあるので・・??


<たいへんだね>がないから・・・
今日は気温が下がるようですから・・・


練馬区は今は15°なのですが、病院の時間の10時頃は18°までは上がるようです。夕方の歯医者の方が雨で気温も下がるようなのですが・・??そこも歩きでは微妙なので、bikeの予定なのでっすがね??今日は1日雨にたたられます。


bike事故も多いから注意してくださいね。


有り難うございます。
bikeで30分の道のりです。
流石に雨は辛い。


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4月15日ロックでパンクな夢を見て ·

ロックでパンクな夢を見て、寒くてtoiletに目が覚めてしまった❢
何なんだ、この夢は・・??
まだ、深夜の2時56分なのだが、椎名町からは1時過ぎに帰って来て、1時40分ぐらいに寝たので、未だ1時間くらいしか眠れていないのだが、目が覚めてしまった❢
風邪でもひいたのか??・・取り敢えずは、熱を計るか??
熱は無いようなので、取り敢えずは、ガスストーブを点けて、ストーブにしがみつくか??
再度、布団に入っても体が温まらなかった場合を想定して、最悪の場合に備えて、風呂を沸かし始めた。最短でも風呂が沸くまでに2時間以上は掛かるからだ。
昨日は、ひかりヶ丘病院の往復や、歯医者の往復、椎名町への往復等で雨に濡れ捲ったからね~ぇ??
さて・・さて、パンクな夢の話なのだが、・・・夜、見知らぬ街での演奏会での指揮が終わって、帰り道で、パンクな連中に捕まって、彼等のアジトに招待された。
何故かしら、パンクのリーダーと覚しき若者が私のフアンだったのだよ??
そんな事、あるのかね??
まあ、夢だから、あるのだろうよ??
彼らのアジトであるビルの1階は駐車場になっていて、しかも車が一台もいないのだよな??
つまりビル全体を彼等が借り切っているのか、彼等の所有なのか・・だよな??
2階への入口は、駐車場の真ん中の天井に、四角い穴が空いていて、ロープが降りているだけで、手でロープをよじ登って入るのだよ。一般の客が入って来ないための防護策なのだそうな??
頑張ってなんとか2階に登り切ると、剥き出しのコンクリだけの部屋にはグランドピアノがポツンと一つあるだけで、椅子すら無いスッカラカンの部屋だ。
若い和服の銀座のクラブの美人の女の子のような子が一人いるだけで、後はパンクな連中がパンクな格好をして、だべっている。多分、バンド仲間なのだろうか??
彼等も一応は歓待をしているのだろうが、コミニュケーションギャップで、何を言っているのかが、よく分からない。言葉がよく理解出来ないのだよ。勿論、日本語で喋ってはいるのだが、内容は全く理解出来ない。
意志の疎通が上手く出来ないのだよな??
まあ、ここでは俺は、「異邦人」って所だよな??
それでも、朝が来て、「そろそろ一番電車が来るから・・」と即されて、ロープで一階に降りた。
そこから駅に向かって歩き出す所で、寒くて目が覚めた❢
寒いのは、夢の中ではなくて、布団の中の現実の事なのだよ。
しかし、掛けている布団は真冬バージョンの布団なのだよな?
これまでも、もっと寒い中でも通して来た布団なのだから、寒い分けは無いのだよな??
つまり、これは、体が冷えて温まらないのだよな❢
どうした事だろうか??
まあ、何度も雨に濡れたからなのだろうがね??
練馬区の温度を調べても、現在の気温は8°で、体感温度は6°らしい。
気温としては、一応は寒いようなのだが、取り立てて布団の中で凍えるように寒い分けでもないようだから、やはり、体調の所為のようだな?
暫く、ストーブにしがみついていたお蔭で、少しは体も温まって来たようだが。
4時18分になった所で、またまた、布団に戻りました。2時間半程遊んでしまったのだよな?
眠たくなって来たので、布団に戻った分けでは無いのだが、起きているのにも飽きてしまったのだよな?
2時間以上もstoveにしがみついて、ロックな夢を見た理由を考えていたのだけど、その夢を見たのには、明確な理由があるのだよな!
つまり、punkでrockな連中と私とでは、日本人と外国人よりも、もっとétrangerな人種になるからなのだよ??つまり、私とは交わる事のない遠い人種という事を象徴する意味になるのだよな??
齢い40を迎えてから、音楽教室をおっぱじめて、子供達や若い大学生達に音楽を指導していると、常にgeneration-gapを感じて、悩んでしまう事が多い。
しかし、それは、団塊の世代に産まれて来た私達・・と言うか、九州のど田舎では、殆ど江戸時代と変わらない日常生活の中に産まれ育った私達と、産まれて来た時に、テレビや携帯の中で育って来た若者達とでは、とてつもなく大きな、generation-gapがある事は致し方ない事だ。
そんな世代間格差よりも、もっと深刻な問題は、世代毎の人間性そのものの違いであろうか??
世代間格差という事は、その世代毎の常識の違いなのだよ。
常識という事は、実はmoralそのものを意味するのだ。
勿論、微妙な人間性の違いや、感覚の違いにも現れるのだよな??
それが一番顕著に現れるのは、第二次世界大戦の前後なのだよ。
私のhomepageの中の「芦塚先生の料理教室」のお話の中で、私達が祖先から受け継いで来た「家庭の味」が失われて、料理教室の味に取って変わられた時に・・、或いは、日本の風土からコンビニのおにぎりが郷土の味を奪ってしまった時に、私は、そういった問題を日本独自の問題として捉えていたのだが、実際にはEuropaの知り合いの人達も、私と全く同じ事を言っていたのだよ。
つまり、「二次世界大戦に拠って、それぞれの家庭の伝統が失われてしまった。」という事なのだよな。
勿論、それは、家庭のお話に留まらない。
一般的な通念にしても、人との関係にしても、明らかに変わってしまったのだよ。
それが、実は音楽の世界にも同様の問題が起こっているのだ。
それは、現代のPianoの音と戦前の音の違いであり、Pianoのtouchそのものに対しての考え方の違いである。
20世紀初頭からのpopular音楽の発達に拠って、Pianoはよりキラキラとした金属的な音が好まれるようになって、touchそのものも軽い指先で演奏出来るstyleの方が好まれるようになった。
ヤマハや他の大手の楽器メーカーがそういった一般のmusicianの嗜好に迎合するのならばいざ知らず、世界的なPianoの権威であるハズのsteinwayやBösendorfer等のPianoも同様の変更をして、今や古いClassicの音を好む演奏家達、古いspielbarを好む演奏家達はHamburgのsteinwayまで、わざわざ買い付けに行かなければならない・・という程に往年のClassicのPianoを手に入れるのは、狭き門になってしまった。
勿論、そういった時代的な大きな変遷、時代の流れは、古典派からロマン派に移行した時代にもあったのだよ。
forte-pianoから現代のdouble actionのPianoに変わった時や、弦楽器でも、Tourteの弓が出来た時に演奏法が変わって、音楽の音も変わってしまったのだから、仕方の無い事なのかも知れません。
しかし、そういった楽器の変化は楽器の出す音色だけではなく、音そのもののpitchに関しても、大きな変化をもたらしたのだよな??
つまり、新しい楽器に変わってからは、もう当時の往年の和音の響きは無くなってしまったのだよ!!
人間関係も殺伐として、表面的な教義的なものに変わってしまいました。
「思いやり」と言いながら、形だけの思いやりを見せて、自己満足をしている国民に、いつの間にか変わってしまっているのだよな~あ??
・・って、俺が嘆いても仕方がないしね??
forte-pianoは、touchが浅くって、ほんの少し触っても音が反応するぐらいに微妙な楽器です。
しかし、ロマン派から近代・現代に掛けてのPianoは鍵盤がとても重たいのですが、それにはれっきとした理由があります。
それは、Pianoの鍵盤上に腕を脱力して置くと、腕の重みが掛かるのですが、その完全に脱力した状態で鍵盤上に指が置いておけるだけの鍵盤の重さが必要だったからなのです。
つまり、elevatorにはその反対側には重りがあって、elevator自体の重さが相殺されるようになっているのです。
・・という事なので、指先の力を0にすると、鍵盤は元の位置に戻ります。
これが楽器を脱力して演奏するという事で、指が自然であるための大切なmechanismなのです。
この機能を知らないと腱鞘炎になってしまいます。
しかし、現代のKeyboardは鍵盤自体には重さが無いので、常にspringで機械的な力で反発されるのです。
だから奏き終わっても、指に常に反発される力が掛かって来ます。
つまり鍵盤自体は超軽いのですが、keyを抑えて置くためには、常に或程度の力で鍵盤を押して置く必要があるのです。
鍵盤は超軽い・・とは言っても、Cembaloやforte-pianoには、反発して返って来る力はありません。
弾き終わった後でも、反発して来る力がある・・という事は、これはKeyboard特有の機械的な特性によるものなのです。つまり、鍵盤が戻る速度をspringの力で戻しているからなのです。
確かにPiano-touchの電子Pianoと呼ばれるものもありますが、現代の指先で演奏する人達に合わせて鍵盤が作ってあるので、反発力は十分ではありません。
パソコンのKeyboardも含めて、これは指を痛めるものなのですがね??
そういった演奏法の違いは、奏法の大きな違いとなって現代のpianist達に表れています。
音の粒粒が常に切れているのですよね。
往年のロマン派の演奏家達のような、legato奏法が出来ないのです。
まあ、それ以上にも色々と弊害があるのだけど、年寄りの戯言になってしまうので、これぐらいで愚痴はやめておきましょう??失われたものを悔いても仕方の無い事だよな??


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4月15日鉛筆立てを作った❢ ·


箱の高さよりも低い文具があるので、枠の一つには発泡スチロールで底上げをして、そこに小さなビンを入れて、小物を仕分けした。空き瓶を4,5個に仕分けして置いていた文具類が茶器の箱に収まった。勿論、上書きのあるような高価な茶器ではないので、ご心配無く!!
もう一つは、三角の中を真ん中から仕切り板を作って入れて分割した。分類を多くするために・・だ。
ハイツには作業をする場所がないので、シンクが作業台になったのだけど、シンクを傷付けないようにするために、かまぼこ板を使ったのだが、そのかまぼこ板がノコギリで傷ついてしまった。
削りカスは大きいので、掃除機では無理なので、手で集めておが屑だけを掃除機で吸い取った。

市販の鉛筆立てとか、瓶の代用では、鋏のような重たい物を入れると、ひっくり返ってしまって、その度に散らばった文具を集めるのは大変だったのだけど、これでそういったtroubleは無いとは思うのだけど、はてさて使い手はどうかな??
サザエの殻に金と銀の色を塗ろうとベランダのドアを開けたら、外は氷河期であった!!
余りにも寒いので、今日は諦める事にした。






先生
匠の技凄〜〜いです❣️


なんてコメントして良いのやら??アハッ!







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4月16日 ダラダラと時間を使っても、まだ·

今日のドルプリっ歩は、私が椎名町に行く前に終わってしまったので、私が椎名町に行った時には、食事だけだったので、ゆっくりと食べて、ハイツに戻って来たのだけど、それでも時間は10時半という超早い時間にハイツに戻って来たのだよ。
椅子に座って、テレビの録画番組を見たりして、のんびりしていたので、「もう、深夜の3時頃かな??」と思って、ふと時計を見たら、何と未だ12時を過ぎたばかりの時間だった。
超、得をした気分だよな??
「ダラダラと時間を使っても、まだ時間がある」•••という事は、結構、嬉しい気分になるのだよ。

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4月16日体重が・・ ·

4月16日の朝の体重・血圧測定の話である。
この所、10日間以上も3㌔台を続けていたのだが、今日は何と4㌔を20㌘もoverしていた。
超、Shockだったので、何も飲まないで、勿論、食べないで、toiletteに行って、30分後に計り直したら、何と更に50㌘も増えていたのだよ!!
10㌔単位の超高精度の体素体重計のハズなのに、一体何なんだ??
空気を吸っても肥るのか??
理解不能だヨ❢❢

写真は椎名町教室で2、3日前から咲いているjasmineなのだが、寒いので、あまり匂わないのだよな?
今の時期の江古田ハイツから椎名町の事務所までの路地裏には色々な箇所からjasmineが匂って来て、bikeで走っていても、とても素敵なのだけど、今年は超寒くなったので、その匂いも無いようだ。





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4月17日『David版のLeclairのviolinSonate Op.ⅤのNr.12のinterpretationのお話』 ·


今日・・といっても、もう昨日の事になってしまったのだが、斉藤先生に頼まれて、椎名町の教室で、David版のLeclairのviolinSonate Op.ⅤのNr.12 G DurのⅢⅣ楽章のlecture-lessonをした。
(今日は、と言っているのだが、4月の16日の金曜日の話しです。)
まあ、Ⅲ楽章のlargoは、phraseの作り方と演奏法についての話をlectureしながら、恙無く済ませたのだが、Ⅳ楽章のCiaconaの伴奏合わせをしながら、演奏法の説明をしていて、暫し、考え込んでしまった。
それは、Ⅰ楽章からⅢ楽章までは、擬古典とは言っても、violinのSonateのpiano伴奏のversionという事で、大した問題も無く、何とか、恙無くlectureして来たのだが、Ⅳ楽章のCiaconaの指導にあたっては、これまでに一度も見た事のないoriginalの譜面が頭の中にチラついてしまうのだよな?
つまり、原曲の譜面のimageと、Davidのarrangeが、掛け離れてしまっていて、Davidのarrangeよりも、Leclairのoriginalの楽譜のimageの方が、優先して聴こえて来るのだよ。
これは困った!
分かり易く言えば、Davidさんが、Leclairの原曲のimageを無視して、派手派手しく曲を作り変えているのだが、私の場合には、頭の中に、原曲のimageの方が強く聴こえてしまうのだよな?
同じような例では、David版のcorelliのla foliaを、今回、瑞希ちゃんがviolaのversionで発表会で演奏する予定なのだが、一般的に良く知られている鈴木教則本のDavid版は、Ferdinand Davidのarrangementのla foliaの簡単なVariationだけを抜粋したものなのだ。
まあ、それが一般的にはDavid版として知られているのだが、しかし、本来のDavid版のcorelliのla foliaは、擬古典の音楽として、かなり難度の高いDavidの面目躍如とした派手派手しい曲なのだが、今回、瑞希ちゃんが挑戦するviolaのversionは、それよりも更に難しい。
つまり、Davidさんは自分の生徒達の技術の向上のために、baroqueの曲を、超上級難度の擬古典の曲に書き換えてしまったのだよ。
当然、教育という目的の方が優先されるので、その作品がbaroque時代の作品である事は、二の次、三の次になってしまって、ロマン派の時代のviolinの技術的、技巧的なtechnicが優先されてしまっているのだよ?!
つまり、考え込んでしまったのは、LeclairのviolinSonateのⅣ楽章のCiaconaを演奏していて、originalの曲の持つLeclairがimageをした、本来の舞曲の姿と、Davidの時代のviolinのtechnikである技巧的、技術的なimageは、掛け離れてしまっていて、演奏上のその落とし所に悩んでしまったのだよ。
つまり「Davidのversionに、Leclairの本来のimageをどこまで持って来るのか?」という事が難しい課題なのだよ。
何年か前に、私が、HändelのCembalo suiteの中のpassacagliaを弦楽orchestraにarrangeをして、発表会で生の演奏をした事があったのだが、baroqueと擬古典の狭間で悩んでしまって、発表会の後で、versionをfluteに変えて書き直して、少し擬古典風からbaroque風に改訂し直したのだが、やはり、今にして思うと、未だ擬古典的な要素が強過ぎるので、今日は、突然、もっと古い時代の様式に改訂の作業を始めてしまった。(16日の深夜というか、17日の午前中というか、なのだが)
どうせ、このHändelのpassacagliaは、今、私が改訂をしても、これからの私の人生の中で、舞台に懸ける事は一度も無いだろうし、今更、改訂しても、私の人生では使用する事の無い無駄な作業となるのだろうが、それでも、慎ましやかにbaroque風になるように、改訂をし始めたのだよな??
これはきっと私のサガなのだろうよな?
八千代のKoncertでは、梨紗さんが、viola-versionのHändelのsarabandeの私のarrangeの曲を演奏したのだが、後半はbaroqueからはかなり逸脱しているので、今回の新教室でのCello-versionのsarabandeでは、ある程度、擬古典的な雰囲気を控えたversionで珠加ちゃんに演奏して貰ったのだが、逆に、音楽の展開がもの足りないように思えて、考え込んでしまって、baroque-Koncertが終わった後で、viola-versionと同じ、long-versionの版を新たに作ってしまった。
Koncertの会場では、少し派手派手しい方が良いように思えたからだ。
曲によって、擬古典が良かったり、baroque風が良かったりと、変わってしまうから、始末に負えないのだよな??
てな事を思いながら、今夜は、日本酒を飲んでしまった。(そのまま16日の深夜の話しなのです。)
今日は、斉藤先生のlessonからそのままに、食事をして、超早い時間にドルプリっ歩をfull-courseでしたので、普段ならば椎名町に食事に出掛ける時間に、ハイツに戻って来たので、たっぷりと時間が有ったハズなのだが、仕事modeから、お休みmodeへの切り替えが拙くって、仕事modeから休憩modeへの切り替えが出来なくって、逆に、最悪のrotationになってしまった。
今は5時半なのに、bedに行っても、全く目が冴えて眠れなくなってしまっているのだよ。
布団に入っているとイライラが募って来るので、諦めて、椅子に座って作業をしながら、眠くなるのを待っているのだよな??
今日の眠れない原因は、歯っ欠けと鼻詰まりではなくて、鼻水なのだよ!!
(ここは、17日の午前中の話しになるのだ!)
という事で、朝の7時、8時頃までは、ウダウダとしていたのだよな??
まあ、とは言っても、いつもの話なのだがね??


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4月18日4月の16日から17日に掛けてのpech! ·


16日の金曜日にはその前日の深夜から、眠れぬ夜にまかせて、Veraciniのpassacagliaの音声のcheckをしたのだが、Titleから音楽が始まるまでのintervalがチョッと長いので、You Tubeのvideo-studioでtrimmingをした。
それは良いのだが、You Tube上にuploadされた画面では音声だけが、trimmingされて、映像はそのままであった。
つまり、音声と映像が無関係にズレ捲って、uploadしていた動画が全く奇妙な事になってしまった。
「trimmingをした修正動画がYou Tube上で反映されるのは、時間が掛かるのかな??」という事で丸丸1日放置してみたのだが、次の日の土曜日の17日になっても、同じ状態だった。
You Tubeのvideo-studio上で、修正前のdataを保存にしておくと、trimmingした後でも、元の状態に復帰出来るハズなのだが、その操作も全く出来なくって、trimmingをする以前の状態に戻す事も出来なかったのだよ。
音声だけがtrimmingされて、映像は元のままの、ズレ捲った状態のままの動画になってしまったのだよ。
壊れてしまった動画を削除してもう一度元の動画をuploadしようと思ったのだが、同じ動画をもう一度uploadし直しても芸が無い・・と思って、4K-cameraと黒カメ、赤カメ、白カメの4台のcameraの映像を動画編集softのpowerdirecterに取り込もうと思ったら、何と今度は、powerdirecterに音声が入って来ないのだよ。
私としても、そういったtroubleは、初めての経験なので、その原因をnetで調べて見たのだが、その原因と思われる、timeline-previewの設定が何らかの原因でnon-real-time-previewに設定が変わってしまう事があるらしいので、それをcheckして見たのだが、その原因では無かった。
non-real-time-previewのon、offも何度も確認をして見たのだが、それでも音声が再生されなかった。
動画のdataを保存しているパソコンから、2回も3回も動画のdataをmainのパソコンに移動させたりしたのだが、powerdirecterに持って来るまでは、dataは普通に再生されるのだよな??
powerdirectorのdataの容量を見ても、hard-diskが悲鳴を上げるだけの容量でもないし・・、お昼の3時からは、瑞希のweb-lessonが入っているので、ギリギリまで粘って試行錯誤して試してみたのだが、時間切れで、諦めてbikeで椎名町に移動して、瑞希のweb-lessonをした。
lessonが終わって、ハイツに戻って、bugの修正の続きをやろうと思ったのだが、雨が段々と酷くなって来たし、一度ハイツに戻って、またぞろ椎名町に来るには、時間が足りないので、超、早いのだが、6時過ぎに食事をして、7時過ぎ頃には、ドルプリっ歩に行こうとしたのだが、ドルが「雨だから行かない・・!」と断固拒否をしたので、プリだけ連れて雨の中を、散歩したのだけど、プリも「ドルが行かないのならば、行かない・・!!」と早々と、散歩を済ませて、家に帰って来てしまった。
・・という事でお散歩も超短縮になったので、ハイツに戻って来たのは、何と未だ8時台であったぞよ!!
それから、ゆっくりと、懸案のpowerdirecterがbugっている原因を探したのだが、験しにtestをして見た他の動画では、幾つのtruckを使用しても、映像も音声も正常なので、「このVeraciniのdataに問題があるのでは??」と推察した。
「1カメから5カメまでの動画のそれぞれのdataの容量と、dataの保存形式も統一すれば、powerdirecterのtroubleは無くなるハズだ!」という仮説で、先ずはfreemakeのsoftで、4K-cameraから2カメ~4カメまでのdataをtrimmingをしてmp.4に統一して保存してから、powerdirecterに取り込んだ。
やってみるもんで、問題は無事に解決したよ。
しかし、これまでは、1カメから5カメまでのdataをtrimmingしたに過ぎないので、これから新しいrenewalの動画を作るのはひと仕事なので、取り敢えずは、You Tubeで、ぶっ飛んで壊れてしまった動画を、元の動画に戻す所までが、最優先の作業だよな??
新しい動画を作るのは、その次の作業で、これは時間が掛かるのでね??
改訂版の動画は後日、暇にまかせて・・という事にしよう・・??
「う~ん、その前に、ギリギリにtrimmingをした動画がuploadされるのをもう少し待つ事にするか??」とも、思っていたのだが、今日(18日の日曜日)の早朝になって、斉藤先生からlineで、「鞘堂Koncertのla foliaが音声と映像がズレている。」と連絡が入ったので、checkをしてみると、全く同じ状態だった。
・・という事は、このbugは待っても改善されるものではない・・と言う事が確定したので、随分前にtrimmingをした鞘堂KoncertのVitaliのChaconneのtrimmingを元に戻す作業を先にやった。
随分前の作業なので、「待っていたら•••」というtime lagが無いからなのだよ??
やって見るもので、trimmingする前の元の状態に復帰が出来たヨ❢❢
という事は、忍耐強くやれば、Veraciniのpassacagliaも出来るハズだ!!
・・という事で、復帰のcommentが表示されるまで、ゆっくりと丁寧に操作して見たら、何回目かに、等々出来たヨ❢❢
いや~あ、Donnerwetter! (チョッくら、驚いた!)だよな??
パソコンって、何度かやり直したら出来るような、そんなに曖昧なものだったっけ??
renewal-versionは、気が向いたらやる事にすんべ~ぇ??
取り敢えずは、Händelのpassacagliaが先だよな??
今日はその作業を優先すんべ!!
・・てな事を言いながら、17日の夜にはHändelのpassacagliaのarrangeを・・・、18日には、Veraciniの動画の編集を終わらせてしまった。
You Tubeへのuploadはまだしてはいないのだが。
一応はパソコン上では、mp4のdataとして出力はしておいた。
freemakeのsoftでmp.4に変換したvideoの動画を、powerdirecterに持って来たのだけど、1カメから4カメまでの、それぞれの動画を、同じfreemakeのsoftで、全く同じようにtrimmingしたのだが、やっぱり、ズレてしまった。
仕方がないので、場面のcut毎に音声のズレのcheckをして、どういう理由かは分からんのだけど、必要最低限の音のズレで済むように、音声の同期をさせておいた。
これがまたまた、超面倒くさい作業なのだよ❢


またまた、入力出来なくなってしまったまたまた、入力出来なくなってしまった。変化またまた、入力出来なくなってしまった。変化¥¥変なk変な変換wまたまた、入力出来なくなってしまった。変化¥¥変なk変な変換wをまたまた、入力出来なくなってしまった。変化¥¥変なk変な変換wをし

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 4月19日『corelliのla foliaのthemaの冒頭の演奏』
corelliのfoliaの小節の冒頭の弾き方は色々な演奏家に寄って異なった弾き方をしている。
往年の名violinist達は非常にゆっくりとしたtempoで、荘重にベタで4分音符として演奏している。
しかし、近現代のperiod奏法(所謂、baroque-violin)の演奏家達は少し早めで、しかも小節の冒頭をskipさせて演奏する人達も多い。
実際の楽譜なのだが、originalの楽譜(facsimile版)では4分音符になっているのだが、一般的な底本となっているDavid版では8分音符になっている。
日本版の鈴木教則本や篠崎の教則本では、不思議な事に4分音符の楽譜になっているのだよな。(「何故に不思議か??」というと、David版からの難しいVariationを省いた簡単versionが日本版のDavid版のハズなのだから、もし、そうならば、冒頭のthemaは8分音符のskipで書かれているハズなのだから・・だ。)

originalのfacsimileの楽譜が4分音符になっているのだが、originalの楽譜を見て演奏しているであろう、periodの演奏家達は少し早めのtempoで、1拍目をあたかも8分音符のようにskip気味に演奏するのだが、一般の演奏家達は、David版の底本を使用しているのにも関わらず、themaは、ゆっくり目に荘重なtempoで、冒頭の音符は4歩音符で、たっぷりと演奏する。


こういった矛盾点になんの疑問も感じていないのが一般的な演奏家達なのだろうか??
periodの奏者が4分音符を8分音符のskipとして弾いて、現代のviolinの演奏家達がFerdinand Davidが8分音符のskipで書いたthemaを4分音符のsostenutoで演奏するという、この矛盾に満ちた演奏の問題は、舞曲を演奏する時に、常に引き起こされる問題で、舞曲(例えばChopinのMazurkaやPolonaiseのような独特のrhythmを持った舞曲を演奏する場合にも良く問題視される楽譜上の書かれたrhythmと演奏上の舞曲としてのrhythmの差である。
つまり、近現代の名演奏家達の演奏では、themaは8分音符のskipで書かれていたとしても、滔々と朗々とmelodicに演奏するのが常であり、periodの演奏家達はfoliaを舞曲として演奏するからである。Chaconneやfoliaやsarabande等の舞曲は、2拍目に軸を持つstepの舞曲であるので、1拍目は動きのskipになるからである。
foliaにしても、Chaconneにしても、soloの舞曲である技巧的な早いstepと貴族達が男女の群舞で踊るゆっくりとした社交的なdanceの2種類がある。こういった舞曲はChoreographieが残っているし、baroque-danceとしてEuropaの社会ではtraditionalなので、そのrhythmやtempoもれっきとして現存している。
唯、舞曲としてのfoliaとして捉えるか、曲のthemaとしてfoliaのtempoやrhythmを無視して演奏するかの違いである。


Davidは、その舞曲としてのfoliaの演奏法を楽譜に書き込んだに過ぎないのだよ。(originalは4分音符で書かれていたとしても、当然、foliaならば、8分音符のskipとして演奏されるからなのだよ。)
David版にしても、original版にしても、foliaを舞曲として演奏する場合には、8分音符のskipが時代考証的には正しい。
4分音符でたっぷりと朗々と歌い上げるのは、時代考証とは無関係なロマン派的な演奏のstyleである。
音楽の奏法には、「どちらが正しい」という事はないのだけど、時代考証的には・・正統はあるのだよな??どちらを弾こうと構わないのだけどね??


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4月19日 ·
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『Leclairのviolin Sonate Op.Ⅴ Nr.12 G Durの拍節法』
斉藤先生のlifeworkとしての曲の研究の課題は、biberのRosary Sonateだったのだけど、新しくFerdinand Davidの「Die Hohe Schule des Violinspiels」の2巻の曲集を課題として追加研究中なのだけど、このDavidの曲集は、歴代随一のviolinistであり指導者でもあるDavidらしく、その曲集に於ける選曲は、一捻りも、二捻りもされている難曲揃いである。
・・と、いう事で、このLeclairのviolinのSonate Op.ⅤのNr.12の曲の選曲に関しても、当然の事、一捻りがあるのだが、その一捻りというか、この曲の難しさは、その拍節法にあるのだ。
この曲の一番の特色は、Ⅳ楽章のCiaconaにあるのだが、tempo感はCiaconaというよりも、寧ろ、Menuetのtempo感で軽やかで楽しいimageである。
しかし、その拍節法に至っては、難解極まりない。
拍節法で最も大切な事は拍子感の中の拍頭と拍尾の明確化と、そのphrase間のbreathの長さである。

breathの長さとtimingの種類の使い分けはとても大切である。

Chaconneなのだが、tempoは軽快なMenuetのtempoで、しかも変則的なrhythmが繰り返されて、しかも、伴奏との拍節法もズレて、crescendoやdecrescendoすらバラバラにズレる。
譜ズラは簡単に見えるのだが、実際の演奏ではその複雑な絡み合わせが、至難の曲になるのだよな。
その複雑な絡み合わせが、伴奏のpartとsoloのpartの独立性を産み出して、絶妙である。

誤解の無いように、敢えて言っておくが、この拍節法自体の難しさはDavidが書き加えた所為ではない。
originalのbaroque-violinによる演奏でも、この拍節法自体はそのままなのだ。

Davidの手に拠る右手のpartが、その拍節法をより難しくしているのは事実ではあるのだが、拍そのものの難しさは変わらないのだよ。
人は、単純に繰り返される偶数の拍子に関しては、Gewohnt(慣れている??)である。それが単純な繰り返しであったとしても、奇数の拍子の繰り返しには慣れはない。(勿論、3拍子は音楽の場合には素数としては捉えない。基本のrhythmであるからである。)
このChaconneでは、同じ繰り返しは無い・・と言っていい程に、複雑な拍子が出て来る。
Chaconneの冒頭のphraseでも、1+前半部が3+3+4+2で後半部が3+3+3+3の1拍遅れの3拍子である。次のVariationⅠでは3+4+5の小節が2回繰り返される。そして次のVariationⅡも新しい拍子割りが続く・・以下、同じように、複雑な拍子割りが続けられるのだ。
奏者はこの拍子割りをしっかりと頭に入れて演奏しなければ、墓穴を掘ってしまう。
まるで、Stravinskyの「Le Sacre du printemps」のbaroque-versionのようだ。
この複雑怪奇なdanceのstepは、Leclairがdanceの教師であったことにも起因する。


また、1758年に結婚生活が破れると、人目を避けて貧民街に隠れ住むようになり、1764年にその貧民街のあばら家で、惨殺死体(刺殺)となって発見された。(61歳)
その経緯は『ジャン=マリー・ルクレール殺人事件』(L'Assassinat de Jean-Marie Leclair)としてミステリー小説にもなっているのだが、残念ながら日本語版は出版されていないそうだ。


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4月20日入眠障害の話 ·

入眠時の問題で、いつものroutineのお話なのだが、入眠がなかなか出来なくって、やっとこ眠れても、直ぐに朝のtoilette-timeになってしまい、toiletに起き出して再び眠ろうとすると、鼻が詰まって息が出来なくなってしまうので、已む無くBedを椅子にして座って、鼻が通り始めるのを只管待つのだよ❢

運良く鼻が通り始めると、そのままbedで入眠出来る事もあるのだが、殆どの場合には、布団を被るとまた鼻詰りか、鼻水が始まって、息が出来なくなってしまうので、諦めてパソコンの椅子に座って仕事を始めるのが殆どの場合なのだ。

というわけで、日常的に眠りが足りない状態になってしまうのだよ。
体調的に、それでは体力が持たないので、お昼を過ぎた頃や、夕方になってから、意識が朦朧として来て、椅子に座ったままの状態で眠ってしまったり、何とかbedに行って仮眠をしたりする。
熟睡してしまって、時折、食事時間に間に合わなくなる時すらある。
仕事はnorma制なので、定められた時間ではなく、兎に角、仕事がその日の内に終われば良いだけなので、それでも仕事に差し支える事は無い。
仕事に差し障る事があるとすれば、予定が入っている時に、上手くその時間へrotationを持って行けない場合である。
予定の入っている前日に、上手く入眠出来ない場合には、予定時間の中で体力が持たなくなってしまう場合もあるのだよな??
入眠障害は、自分の意思でどうこう出来るものではないので、致し方無いと諦めているのだよ。


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4月20日今日は良い天気だ! ·

今日は薄曇りなのだが、とても凌ぎ易い良い天気だ。
という事で、公園には人が溢れている。



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4月21日You Tubeのvideo-studioを使ってtrimmingをしたのだが・・・ ·

2021年の4月の16日の金曜日の事なのだが、このVeraciniの音声のcheckをしながら、Titleから音楽が始まるまでのtimeが少し長過ぎるので、You Tubeのvideo-studioを使ってtrimmingをしたのだが、uploadされた動画をみると、音声だけがtrimmingされて映像はそのままで、映像と音声が全くズレてしまった。
「trimmingが反映されるのに、時間が掛かるのかな??」と思って、まるまる1日待ってみたのだが、やはり改善されないので、trimmingの前の状態に復帰させようと思ったのだが、その操作が出て来ない。
仕方がないので、演奏が始まるギリギリの所でもう1回trimmingをして見たのだが、状況は全く改善されなくって、この動画は音声と映像がズレたままになってしまった。
その状態を斉藤先生に話すと、以前、uploadしていた鞘堂の「baroque-Koncert」での斉藤先生の「corelliのla folia」が同じ状態になっていたという事だった。
この曲のtrimmingは、かなりの時間が経過しているので、この動画でtrimmingから元の画面への復帰を試して見たら、問題なくtrimming前の状態まで復帰出来た。
・・という事なので、Veraciniのpassacagliaも、暫く時間を開けて、それから復帰を試みたら、今度は何とか問題無く元の状態までに復帰が出来るようになった。
しかし、trimmingをもう一度やっても、また同じ状態になると思われるので、trimmingをする事は諦めて、最初にuploadしたままで、You Tubeにuploadしたままにしておく事にしました。
You TubeのVeraciniのpassacagliaが、壊れた状態のままの時に、「trimming前の状態に復帰出来ない場合」の事を考えて、最初からのやり直し・・、つまり、1カメから4カメまでの動画全ての編集を、全く新しく試みたのだけど、復帰が出来る直前にそのrenewal-versionも完成してしまった。
という事で、新しいrenewal-versionの動画は、全くの無駄な作業になってしまったのだが、当日の演奏を「映像を新しい動画で見る」という意味で、演奏自体は何も変わらないのだけど、一応参考までに、uploadする事にしました。

Passacaglia in d Veracini=Ashizuka orchestra-Bearbeitung 2nd version 指揮芦塚陽二19年4月29日 - YouTube

演奏自体は2019年の4月29日の発表会の演奏なのですが、camera-workの修正だけなのですが、未だ24時間しか経ってなくて、1日しか経っていないのですが、もう既に50accessを越していて、「いいね!」も7個付いています。
演奏は同じなのだから、powerdirecterの場面転換の編集の腕が上がったのかな??
うん?うん??・・???・・・自画自賛!!
たまにはいいか??

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4月23日『続け樣に嫌な夢を見た!』 ·


この所午前様の遅い帰宅が続いているのだが、疲れ切って帰宅をしても、それでも、なかなか直ぐには眠れないのだよな??
今夜も、やっと眠れたと思ったら、嫌な夢を見て直ぐにone cours(ワンクール)分眠っただけで、目が覚めてしまった。
(※ timelineが無いので、時間の経過が分かり難いので、補記しておきます。帰宅からbedで眠るまでが12時半過ぎから2時半過ぎまで。嫌な夢を見て起きたのが、4時半過ぎです。remとnonrem睡眠のone coursは私の場合には、1時間45分ぐらいです。)
その嫌な夢は立て続けに二つ見たのだが、その一つの夢は自分が眠っているbedの隣で私がで死んで横になっているのを見ている夢だ。
死んだ私は、口を開けて、もう色が黒くなり掛けているのだが、それをもう一人の私が、自分の死姿を見ながら、「息が苦しかったのだろうな?」とか「この部屋が俺の終の棲家になるのは嫌だな?」と思って自分を見ている夢なのだよ。
それと殆ど同じ時間に、一緒に見た夢なのだが、玄関のドアをノックする音がするので、起きてドアを開けたのだが、誰もいない。(勿論、ドアを開けに行ったのは夢の中で現実ではないのだが・・)ドアを閉めると再び外で音がするので、開けて見ると、江古田教室で使っていたlesson用の子供椅子やら、他の教室の家具類が部屋の外の廊下に運び込まれて来るのだ。
昔、教室に居た若い女の先生が、私に「※※先生と✺✺先生が教室をやめたから、その部屋のものだよ!!」と言って荷物を運び込んで来るのだ!
「江古田教室の家具をハイツに持って来られても、置き場所がある分けでは無いのに・・」と困惑している所で目が覚めてしまった。
その先生自身も、結婚して教室をサッサとやめてしまった先生なのだが、凄く嫌な気分になって、目が覚めてしまったのだが、暗い部屋の中の布団の中で、暫し、嫌な気分になって、途方にくれていたのだよな??
今日は布団を変えたのだが、やはり今の季節には、少し布団が厚過ぎるようで、熱くって熟睡が出来ない!
押し入れの中に、ちょうど今の季節に良い・・いつもの布団が見当たらないのだが、「母さん、あの布団は何処に行ったのだろうか?」
・・・なんて言っても、もう誰も通じないか?
よくよく考えて思い出して見たら、今の時期は真綿の布団を使っていたのだが、真綿が偏って来たので、椎名町に持って行って、近場の布団屋に、打ち直しに出したのだが、打ち直しが出来ない・・と言う事で、そのままになってしまったので、「駄目元で、洗濯でもしようか?」と、布団の洗えるコインに持って行く事になって、そのままで数年が経っているのだよな?
ハイツの寝室のcurtainもorderして、もう数年が経つのだけど、何度orderしなおしても、そのままに保留になってしまう。
何度も、「買い直す」と言っているのだが、その都度、「ダメだし」が出てしまう。
諦めて、買わないと無いという事か?
それにしても、今日、明日の「取り敢えず」はどうしよう😥
嫌な気分になってしまったので、やっとこone cours分、眠っただけなので、眠たいのだけど、鬱な気分のそのままで眠るのも嫌なので、気分直しにBedから起き出した。
「気分直しに、酒でも飲むか??」・・「それとも仕事でもするか??」
・・・という事で、鬱々コンサートを聴きながら、日本酒を飲み始めてしまった。
所謂、最悪のpatternだなや??
それと、椅子に座って気が付いたのだが、何と腰痛が起こっていた。
椅子から立てないぞなもし??
所謂、もっと最悪のpatternだなや??
もう、90cc×3も飲んでしまったぞな??
所謂、1合半だなや??
そろそろ、諦めて寝るか??
(※ 4時半ぐらいから9時近くまで飲んで、諦めて寝て・・再び、起き出したのが12時前です。alcoholを飲んで寝たので、よく眠れたalcoholで半ば強制的に眠ったのに過ぎないので、睡眠の質から言うと、殆ど疲れが抜けていない最悪の眠りになります。
眠りの質から言うと、最悪の睡眠になります。
アハッ!今日はダメだよな??)
今日は全く仕事をする気にはならず、ウダウダと昼を送ったのですが、面白いテレビもなく、鬱々コンサートを聴く気にもならず、何をする事も見い出せず、日がな一日ウダウダとのんべんだらりと送ってしまいました。
腰が痛くて歩けないので、椅子に座っているのも苦痛になって来たので、諦めてまたぞろBedで眠ってしまいました。夕方の5時前から7時過ぎまでです。
昨日と一昨日は、一日の気温の差が東京では、15°もあったそうです。そりゃあ、体が付いていかないわさね〜ぇ?


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4月24日体調不良で ·

今日は・・というか、この2,3日の事ではあるのだが、日がな一日、ユンケルを飲んでも全く効かないくらいに疲れ切ってしまっていたのに、椎名町からの食事のお呼び出しが全く無かったので、椎名町に移動するのが遅くなってしまった。
いつもの遅めのrotationになったし、腰も痛いし、疲れも酷いので、流石に今日はドルプリっ歩までは無理だろうと思ったのだが、付き合える所までは・・・、歩ける所までは・・付き合おうと、一緒に散歩したのだが、結局fullcourseの1時間courseをfullで付き合ってしまった。
・・・という事で、椎名町の事務所に戻って来たのが深夜の12時半で、ハイツの自宅に辿り着いたのは、深夜の1時頃だった。
とは言っても、この所、毎夜のrotationなのだがね??
大急ぎで、お弁当を冷蔵庫に入れて、仕事道具を整理したら、2時過ぎになってしまった。
何事も無い遅めのrotationの一日であった。
「何事もない」という無為無策の1日は、体調不良の日であれば寧ろ喜ぶべき1日であるはずなのだが、そういった日が2、3日も続いてしまうと、強烈な自責の念に襲われてしまう。
人生の貴重な1日を無駄に費やしてしまったような、否、自分の人生そのものが無駄で無意味な人生であったような、後悔の念に襲われて、やがて鬱が自分を飲み込んでいくのだよ。
どんなに些細な事だとしても、自分に取って意味のある事を成し遂げた1日は、やはり自分は未だ活きているのだ・・と思えて良い。例え、その些細な事が自己満足に過ぎないものであったとしても、何事も無い人生よりは良い。
ああ、全て世は事も無し!!
happy-lifeだなや~ぁ??


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4月24日TabletのFacebookが同期出来ない! ·

Facebookのような仕事とは言えない恰も日記のようなprivateなものを大型のパソコン向かって徒然なるままに日暮し書き綴るも気が引けるので、verandaで外の風でも浴びながら、紅茶でも片手に書き綴るのも風流だと思って、TabletPCで私のFacebookを開いたのだが、何と、なんとTabletのFacebookが別のaccountで開いてしまって、何度もAccountの切り替えをしたのだが、Tabletのaccountから「芦塚陽二のFacebook」の設定に断固として切り変わらないのだよな??
何度accountの変更をしても、Facebookを立ち上げた途端に、TabletのFacebookに戻ってしまうのだよ。
つまり、今、私が個人的な文章を書き込んでいる「芦塚陽二のFacebook」への書き込みが出来ないのだよな??
notePCの方はちゃんと出来るのに、Tabletではどうして出来ないのだろうか??
そう言えば、大型のDesktopのパソコンを設定する時に、斉藤先生が自分のmail-addressを打ち込んでしまったので、そのaddressがパソコンから消去出来なくって、Securityが出来なくって困っているのだが、時々、そういった他のaddressを受け入れないパソコンがあって困ってしまう。
殆どのパソコンは問題なく出来ているのにも関わらず・・であるよ。
パソコンの方では、Accountの切り替えは、三角マークをclickするとaccountの切り替え画面が出て来て、簡単に切り替える事が出来るのだけど、Tabletではその画面にパソコンのFacebookのaddressを打ち込んでも認知されないのだよ。
何度も試みても、出来ないので、ついに頭に来て新規で「芦塚陽二のFacebook」と同じmail-address、同じpassword、同じ住所と名前と写真で全く同じ物を作って見たら、何と別物として登録出来たのだよ。
つまり、全く同じaccountのFacebookが二つ出来た・・という事だ!!
そりゃあ、無いよな??
摩訶不思議であるぞなもし!!

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4月25日摂眠不良 ·

今日(4月24日の土曜日)はtabletのFacebookの設定に振り回されてしまった。
しかし、食事は結構早い時間に食べれたので、flower公園から椎名町駅のfull−courseの散歩で、体力体調的には無理だと思ったのだけど、ウダウダと付き合ってしまった。・・と言うより、付き合えてしまった・・と言うべきか??
それでも11時には、ハイツの自宅に戻る事が出来たのだよな?
しかし、だからと言っても早く眠れる事は無く、相変わらず鬱が酷くて、椅子に座ったままで、眠気が襲って来る事を待ち望んで、明け方の4時過ぎまでも、ウダウダと鬱ってしまった。
とは言っても、明日の日曜日は、総合練習なので、私も室内楽やオケ練習のcheckをしなければならないので、朝は結構早く起きなければならないのだよな?
つまり、「いつ、眠れるか?」の話ではなくて、「後、何時間眠れるか?」の話しになってしまうのだよな?
という事は、・・これはキツいぞ?
困った❢
食事の時に見ていたテレビの番組によると、睡眠は体の体温が冷えて行く過程で眠りに付くのらしい。
頭寒足熱で、頭を冷やすと良いらしいのだが、ハイツに氷嚢や頭を冷やすグッズがある分けでもなく、布団自体を変えれば眠れるのかも知れないのだが、布団を交換するだけの元気も無い!
元気が無いから鬱っているのだから、当たり前の話しなのだよ。
という事なのだが、それでも、取り敢えずはBedには入ったのだが、鼻詰まりが酷くて息が出来ないので、とても眠れそうに無かったので、諦めて急遽風呂に入って体を温めた。
15分間も体を温めるのはとても無理なので、短い時間しか風呂には入ってはいなかったのだが、それでも、充分に気分転換にはなったのかな?
風呂のおかげで少しは体調が整って来たので、5時になった所ではあったのだが、超薄手の羽毛布団を押入れから出して、交換した。
勿論、今まで使っていた厚手の羽毛布団は畳んだだけで押し入れに仕舞えた分けではないのだが、幾ら体調が戻ったとは言え、そこまでの体力はないのだから、まあ、致し方はあるまい。
それが、今の私の体調で、出来る範囲の限界なのだから•••
今日の朝焼けは、実につまらん!
ボケ捲くって全く美しく無い!
それにしても、やはり鼻詰まりが酷くて、息が出来ない!
鼻のメンテをしなければならない!
仕方が無いので起きるか??
今日の鼻のメンテのmenueは、先ず頭の付け根にボルタレンを塗って、首巻きをする。
鼻詰まりは取り敢えずナザールの点鼻薬で強制的に鼻を通す。
最後にパブロンの鼻炎の薬を飲む!
ここまでやって、治らなければ、最悪のpatternで、椅子に座ったままで眠るのだよ。
体の火照りが取れないので、薄手の合いの羽毛布団は諦めて、膝掛け毛布にした。
6時50分です。5時過ぎから、one-coolだけだけれど、何とか眠れた。
toilet−timeを済ませたら、薄手の羽毛布団に交換します。寒くなって来たので
上手く行けば、次はonecoolではなくて、2coolは眠れるかも
と思って喜んでいたら、Bedから起き出した所為で、鼻詰まりが再発して来た。またまた息が出来なくなって来たのだよな?
困った❢
仕方がないので、起きて仕事モードに入った。
外でのFacebookの入力が諦め切れないので、notePCの設定を弄って見た。
やはり、Tabletのaddressがmainになっていたので、accountはそのままに別のaccountで立ち上がるようにしたのだが、Explorerで立ち上げたら、超ヘボい形で立ち上がった。
パソコン1台と携帯しか連動しないようされてしまったのだ・・と思えたのだよな??まあ、Securityのためなのだろうけれどね??
俺には迷惑な話だよな??
てな事を思っていたら、いつの間にか、椅子の上で爆睡していたよ。慌てて、bedに戻ったのだけど、今度はlesson時間のギリギリまで熟睡してしまった。
なんだろうね??
話はますます前後するのだが、食事をしている時に、ちょうどテレビで良い睡眠の質を得る方法という番組をやっていた。
毎日、睡眠、入眠には苦しんでいる私なので、参考までに・・という事で見てみたのだけど、おばあちゃんの知恵以上の話は何も無かった。つまり、私としては子供の頃から実践している話だけだったのだよな??これが最先端??嘘だろう???
布団が温か過ぎても、寒過ぎても眠れない・・なんて常識だろう??その程度・・というか、玉も数撃ちゃ当たる・・という事かいな??アハッ!



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4月26日『気温の差と布団との格闘!!』 ·


今日も4月24日の土曜日の続きで、その日の深夜です。
13夜の月が冷たい北風の中でさえざえと光っています。
北風は道道の自転車をなぎ倒して、風に向かってBikeを走らせていると、Bikeが浮き上がりそうになってしまうほどに強いです。
風は結構冷たいので、ハンドルを持つ手も悴んでしまいます。
昼間は良い天気で半袖でないと暑いくらいだったのだけど、夜はもうすぐ五月とは思えないぐらいに寒いのですよ❢
この所、毎日15°くらいの温度差があって、体がとても付いて行きません❢
体調不良が続いているのは、「後期高齢者で基礎疾患の持ち主なので、体調不良はその所為なのかな?」と思っていたのですが、普通の健康的な人達でも、この季節の変化では、体調不良になってしまうそうなので、私なんぞは、致し方はあるまいと諦めています。
折角、頑張って押入れから真夏でも使える超薄手の羽毛布団を出したのですが、今夜は余りにも寒いので、2番目の厚さの羽毛布団を出す事にします。
•••と思ったのだけど、先日間違えて出した厚手の羽毛布団にする事にしました。
押入れに仕舞う事が出来ないままに、出しっ放しになっていたからです。
今の季節では幾ら何でも、ちょっと熱過ぎる気もしますが、寒いよりはマシでしょうからね??
・・・と思ったのだけど、厚手に変えて寝たのだが、やはり熱すぎて眠れないのだよな?
まだ出していない薄手の羽毛布団を出したのだが、今度は、ほぼ超、薄手の羽毛布団と同じぐらいに寒い!!
やはり、この時期に掛けていた布団は、椎名町に洗濯に持って行った真綿の布団なのだよな??
しかし、洗濯に持って行ってからの数年間はどうしたのだろう??
真綿の布団は、椎名町で、洗濯にも出さないままで、この数年間は放ったらかしなのだから、ハイツで私が寝ていた、この数年間はどの布団で寝たのだろうか??
・・・そうだ、思い出した!
真綿の布団がなくなってから、今日と同じように、ちょうど良い布団が見つからなくなってしまう時があって、困り果ててしまって、千葉にオケ練習に行く途中で、ヨーカ堂に寄ってフカフカの肌触りの良い毛布を代わりに買ったのだったよな!
では、その毛布を探さなければ••••
今からは・・、チョッと躊躇するよな??
はて、どうするか?
そろそろ、布団を探して、出し入れする体力も気力もなくなって来たよな?
今はもう、5時半過ぎなので、そろそろ気温も上がって来るので、このまま、諦めておくか??
その内、ちょうど良くなるだろう??
このままでは寒いので、チョッと早過ぎるのだけど、起き出して、雑用でもするか??
夕方になって、疲れたので、昼寝ならぬ夕寝をしたのだが、やはり、薄手の羽毛布団では寒くて目が覚めてしまった。
気温がどんどんと下がっているので、やはり、頑張って毛布を出さねければ・・
という事で、半ば強引に力技で毛布を引っ張り出した。結構、上の方にあったので、何とか引っ張り出す事が出来た。
これで、今日は何とか安眠出来るだろうか??
しかし、今までこんなに布団と格闘をした記憶はないのだが、毎年、どうしていたのだろう??
不思議だ。
何が、どう、違ったのか、その違いが分からない。


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4月27日『今日は4月の26日の月曜日の深夜での布団騒動の続きです。』 ·


月曜日と火曜日は先生の帰りが遅くなるので、それに合わせて食事の時間も遅くなってしまうのが定形なのだけど、今夜は腰痛が酷くて食事で椅子に座っていても痛いので、ドルプリっ歩は急遽、passする事にして、大急ぎでハイツに戻りました。
それでもハイツに到着したのは午前様の12時半を過ぎた所でした。
ハイツに戻って来たら、お弁当を冷蔵庫に入れたり、書類を分類したりしなければならないのだけど、今夜は椅子に座っていても痛いので、取り敢えずは何もしないで、寝る事にします。
・・という事で、まだ深夜の3時過ぎ頃なのですが、one-cool目の睡眠が、やっと取れて、いつものtoilette-timeに起きた所なのです。
椎名町から、腰の痛みを堪えてながら、持ち帰った荷物をそのままにしたままで、Bedに潜り込んで寝てしまったので、3時を回ったばかりの所なのですが、食料品等を冷蔵庫に入れたり、書類をまとめたりしています。
後は、明日からの予定をパソコンのschedule帳に打ち込まなければならないのだけど、未だ仕事modeにはなりきれないので、ウダウダとしていて、そこまでの仕事は出来ません。
結局、布団は、食事に出掛ける直前に、フカフカの毛布を出していたので、そのまま事無く眠る事が出来たのだけど、今の気温は、何と8°だそうで、折角出して準備していた毛布でも寒く感じて、「厚手の羽毛布団でも良かったのではないのかな?」•••とも思っている所です。
それとも、寒いのは、体調不良で寒気が出ている所為なのかな?
厚手の羽毛布団に戻して見るか?
否、そこいらの判断は難しいのですよ。
自力で布団を温めるだけの体力が無い場合には、暫くして、体温で布団が温まりだすと、少し寒いぐらいの毛布だとしても、やがては充分な温かさになります。
つまり、体調不良で自力で布団を温める事が出来ない時には、布団で調整するのではなくて、暖房器具で部屋の温度を調節すべきなのですよ❢
でもエアコンは空気が乾燥してしまうので、基本的には、体調不良の時には良くありません。
空気が乾燥し過ぎると、風邪を引きやすくなってしまうからです。


あたたかくしてお過ごしください!寒いよりいいと思います。

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4月27日この所一番の体調不良 ·

今日は4月の27日の火曜日です。
この所の一番の問題は体調不良です。
体調不良は腰痛や鼻詰り、胃炎や鬱等の色々な症状を引き起こします。
頑張って、ドルプリっ歩に行く事で体力の維持を試みているのですが、そのドルプリっ歩さえも、結構、この所は辛いのです。
腰が痛いと、歩く事が難しくなってしまうからです。
という事で、昨晩は腰痛が酷くて、ドルプリっ歩をサボって、早目に戻って来たのですが、それでも結構遅い時間になってしまいました。
今日の午前中は、朝の5時から、VeraciniのpassacagliaのOrgan-versionの音の歪みやnoiseを改善するように色々と試みてみたのですが、今、You Tubeにuploadしている以上の改善は見受けられないので、sub-cameraの音声と映像を無しにして、mainの1カメだけの映像と音声を使用して、全く新しい音声と映像のversionの動画を作ってみました。
今度こそは上手く行くのでは•••と思ったのですが、帯襷で、期待したような改善は見受けられませんでした。
音声に限って言えば、Cyberlinkの中だけでは、それなりに音の改善はあったのですが、実際にmp.4で保存してYou Tubeにuploadした段階で、以前の動画と全く同じように、noiseやビビリ音が出てしまうのですよ。
netによると、「mp.4を使用しないで、他の拡張子で保存すると改善される場合もある」・・と言う事なのだけど、その保存の仕方が分からないので、験す事が出来ません。
もう少し編集技術の勉強が必要なようなのですかね?
会場や、録音の時のmicの位置等の違いで、実際にpowerdirecterでの編集に大きな違いが出るようなのですが、元々の録音が上手く行かなかったとしても、撮り直す事は出来ないのでね??
後は編集の仕方だけで、何とかするしか無いのだよ??
という事で、今日の作業も無駄な作業だったのかな??
午前中はpowerdirecterでVeraciniのpassacagliaの編集作業だけをしていたので、お昼からはweb-lessonをしたら、疲れてしまったので、暫し、横になっていたのだけど、幾ら寝ても、疲れが取れないのだよな??
疲れて起きているのが辛くなったから寝るのだけど、ダラダラと寝てしまうと、体力がどんどん無くなって行くような気がして、自分自身への克己心の無さに、自責の念に囚われてしまうのだよな??疲れている時には、休むのが責務だ!と常日頃思っているのだけど、実際には、ダラダラが2日、3日続くと、中、高時代の怠け癖が再発したのでは・・と、思って恐怖に駆られるのだよ??
今日も食事が11時からなので、出来れば「食べないで寝ようか??」とも思ったのだけど、そうなると、完全に引き籠ってしまうので、ドルプリっ歩だけ無しにして、食事に出掛ける事にした。
今日は満月でpink-moonだそうな??
寒い!!
12時に食事が終わって、本当はそのまま帰るつもりだったのだけど、ドルプリがせがむので、仕方がないので、お散歩に付き合ったのだけど、それこそfull-courseの散歩になってしまいました。
それが終わって、大急ぎでハイツに戻ったのだが、当然1時半は過ぎていたよな??
明日の朝はweb-lessonが入っているし、午後には歯医者の予約もある。
疲れて体が全く動かない割には、忙しい!!
パソコンで明日の予定やその他の事を確認していたら、いつの間にかパソコンの椅子で爆睡していた。慌ててBedに潜り込んで、眠ろうとしたのだが、鼻が詰まって眠れなくなってしまった。
本当、その繰り返しだよな??
兎に角寒い❢
超厚手の羽毛布団でも良かったのかな?
やはり、体調不良だと、自力で体を温めるのはキツいのかな?
ふと思い付いて、今の毛布の上に薄手の羽毛布団を重ねた!
これは良い❢
熱すぎる事もなく、寒くもなく、自力で体を温められる温度になった。それに微調整出来るのでとても良い❢
後は鼻を通す事を考えれば良いだけだよな??
てな事を言っている間に、外の気温は15°になって来て、まだまだ上昇中である。またまた布団の事で悩むのは、無駄な事になってしまったようだよな?
でも、今夜は悩まなくて済むぞ?それで良しとしよう❢
今は午前の11時なのだが、もう既に21°になっている。今日は24°まで上がる予定らしい。
今度は椅子に座っていても暑い!!
窓を開けて、半袖のTシャツにしたのだが、それでも汗が滲んで来る。今日の気温差は16°だそうな??
なんだろうね??この気温差は・・
とても体がついて行かない


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4月30日工事中で休めない ·

昨晩は早目のお散歩と食事が出来たので、ハイツに戻って来たのも早かったので、超珍しく12時前に布団に入ったのだが、またまた、いつものように、夢を見てしまった。
その夢がloopをして、私の安眠を苦しめるので、その解決法として、その夢をFacebookに書き留める事にしたのだが、そこから、次のloopに陥って、新たな苦痛に苛まれる事になるのだよな?
心に引っ掛かっているよしなし事を、何度も文章を熟考して携帯に入力するのだが、実際には携帯を持って入力している所は、夢に過ぎないのだよ❢
実際には、携帯を手に持っている事すら無くて、だから、勿論、当然、携帯に書き込んでもいないのだよな?
そして、今度こそは、ちゃんと携帯に入力しようと思って、同じ文章を携帯に入力しようとするのだが、やはり、携帯を持った所からは、もう夢の世界で、入力をしている事自体が夢なので、ふとした弾みで現実を気付くのだよ❢
つまり、現実と思える事が夢なので、何度も携帯に書き留めようとして、書き留める事を何度も、必死に思い返すのだが、やっと思い出したとしても、それも夢の中の話しに過ぎないのだよな?
必死に文章を残そうと努力しても、夢の中の無限loopに苦しめられる事になるだけなのだよな?
そしてその内に、何でその無限loopに落ち込んだのか?••••さえも忘れてしまって、必死に現実の世界に戻って、夢を見た事を書き出そうとするのだが、本当はその現実と思われる世界でさえも蟻地獄のような無限loopの中の夢の世界の中に閉じ込められているのに過ぎ無いのだよな?


このどうする事も出来ない無限loopの世界から、唯一抜け出すための方策として、母の胎内のような布団の中の生活を諦めて、Bedから起き出して、Bedから離れて、取り敢えずは日常生活の中のroutineの作業を済ませてから、朝食を採った。
お皿を洗ったりして漫然と動いていたら、11時頃になったのだが、突然、前の公園で工事が始まった。
超、うるさいので、窓を開けておく事が出来ない。
今日は爽やか、というよりは少し暑いくらいの陽気なのだ。もうBedの中では無いので、妖気では無いよ❢アハッ!!
窓を開けて爽やかな空気を循環させる事が出来ないのは、これは困った事だぞ!!

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5月



5月1日 ·今日の夢

今日の夢は何と何十年も前に見たSFの夢のrevivalの夢であった!
登場人物の中に私はいないので、全くの映画のような夢ではあったのだが、夢が夢であるためのIdentityは、その夢のreality感である。
映画のように自分が他人事としてstoryが進むのではなく、実際に自分がその現場に居るという存在感の中で物語が進行して行くのだよ。登場人物が別にいて、私が居るのだから、gameのような感覚かな?
私はgameはしないので、その感覚は分からないのだが
この2日間は冷蔵庫の中には何も入っていなかったので、朝から何も食べていないので、Home Pageの修正を兼ねて、食事に椎名町に出掛けた。
食事を済ませて、全ての不具合の修正を終わって、帰る頃には、雨は上がってレインコート無しでBikeに乗る事が出来た。

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5月2日緊急事態宣言下のゴールデンウイーク ·

今日は5月2日の日曜日である。緊急事態宣言下のゴールデンウィークなのだが、発表会前の最後の練習日でもある。
この所、何年も放ったらかしになっていたhomepageや、教室の紹介・宣伝用のサイトに見受けられる不具合を修正する作業をしていたのだが、別にそれが直接の理由でも無いのだが、深夜の作業が3日間も続いたので、昨晩は流石に、体調不良と軽い鬱状態になってしまって、とうとう眠れなくなってしまった。
普段ならば、摂眠障害の時には、酷い鬱状態と、鼻詰りで呼吸が出来なくなってしまうのだが、今回は何時ものように「鼻詰まりで息が出来なくて眠れない」という分けでもなかったのだけど、軽い鬱とイライラ感だけだったのだが、自分の心のcontrolがどういう分けか、全く出来なくなってしまって、どうしても寝付く事が出来なかったので、お昼からのwebのオケ練習があるのだが、「体力が持つのか?」・・が心配なのだよ。
それにも増して、今回も、体調不良や鬱の症状だけではなく、腰痛の症状も出て来て(睡眠不足になると、どうしても腰痛になってしまうのだよ)、lectureをするだけの、体力・気力が出るかが心配なのだが、だからと言っても、これまで、一度も指揮合わせをしていないので、「今日は、鬱だから・・」、と言っても、「体調不良だから・・」と、言っても、lessonをサボる事は出来ないのだから、困ってしまうよな?
「お昼から」と言えば、今はちょうど12時になった所なのだけど、公園に居た人達が一斉に居なくなってしまいました。
不思議だ!!
まあ、皆さん、お昼を食べに戻った・・という事なのでしょうがね??
突然、誰も居なくなると、「何かあったのでは??」と思ってしまうよな??
官憲がやって来て、「緊急事態宣言中だから」と言って、公園にいる人達全員を強制的に拘留して行ったとか•••??
中国では無いから、今の所は、未だ大丈夫か??

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5月3日お久し振りに寝落ちした ·

土曜日の夜が殆ど眠れなかったので、日曜日のお昼からのweb-lessonは結構問題だったのだけど、流石に、夕方からのweb-lessonでは、体力が切れてしまって、何とかlessonが終わった後で、椎名町に食事に行く事は流石に無理だろうと思っていたのだが、ハイツの冷蔵庫には、全く食料品の備蓄が無くなっていたので、已む無く、猛烈な突風の中をBikeを飛ばして、椎名町へ食事に出掛けた。
食事の前に、超、short-courseの斉藤先生の「お迎えっ歩」だったので、体力の心配もあったのだけど、何とか「お散歩」にも付き合ってしまった。
しかし、流石に、食事が終わる前後には、完全にバテてしまって、食卓の椅子の上で、秒殺で寝落ちする状態だつたのだけど、何とか頑張って、暴風の中をBikeを飛ばして、ハイツに戻った。
ハイツに辿り着いてからは、完全な「寝落ち」状態だったのだが、それでも頑張って、総合練習の動画をblue-rayに焼いたり、パソコンに取り込む所まではやって、後は器械に作業を任せて、そのまま寝た。
流石に、お久し振りに、布団の中で入眠困難になる事もなく、即、寝落ちしてしまった。
布団の中で、眠るために悶え苦しむ事もなく、ストンと眠れる事は、何と気分の良い事よ❣
久しぶりに入眠困難の無い、夢にも惑わされる事のない良き睡眠であった。
惜しむらくは、これでtoilet-timeが無くて、もう少し長時間睡眠が取れたならば、完璧だったろうに!!
まあ、欲を掻いても仕方が無いので、直ぐには仕事modeには入らないで、布団の中でウダウダと惰眠を貪る事にした。
お昼からはweb-lessonがあるので、お昼直前には、食事をしてlessonの準備を始めた。


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5月3日dietのためにブルブルマシンを探していたら、Bachの無伴奏の ·

ダイエットのためのブルブルマシンが欲しいので、通販のサイトをネット・サーフィンして、お薦めのブルブル・マシンを探していたのだが、大手通販のサイトを探していたら、なんと『Bachの無伴奏のviolinの曲の、半ページしかないbourréeの練習に、2ヶ月半も掛かってしまって、行き詰まっていた』というブログにブチ当たってしまった。(・・・ブルブルマシンを探していたのに、何故、音楽のブログに行き当たるのだよな・・???)
Bachの無伴奏のbourréeの弾き方で、先生の説明に納得が行かなくて、悩んでいる・・ようなのだけど、多分音大生であると思われる彼女のupしている演奏を聴いても、本人が納得が行かない理由が、私には納得が出来るのだよな。
だいたい、bourréeは舞曲なのだから、舞曲のようにbourréeのrhythmやtempoで演奏しなければならないのだが、彼女の演奏では、Bachとして(或いは無伴奏だからなのか??)重々しく、全く教科書風に、書いてある楽譜として音符を演奏する事だけを追求する一昔前の演奏のstyleなので、全く楽しくないのだよな??
折角、violinを勉強していても、曲の演奏に、その音楽の演奏の楽しさがなければ、勉強自体がつまらないものになってしまうのだよな??
一昔前のlessonのstyleでは、弾く事だけを追求して、音楽そのものは二の次になってしまっているlessonをよく見受けたのだが、そういったlessonのstyleが未だに残っているのは驚きだった。
それでは、子供達は、かわいそうだよな??
その典型がconcoursだ。
今のconcoursでは、missが無く技術的に完璧に演奏出来れば良しとされる。
音楽的な揺らしを演奏で表現しようものならば、その分減点されてしまう。音楽で歌ってはいけないのだよな?
音楽は楽しいものではない・・と先生から指導される事は、信じられない事だよな??
bourréeはgavotte等と同じ2拍子の楽しい舞曲なのだよ。
「Bachだから重厚に遅く弾かなければならない」・・という事はない。
楽しげに、melodieのpartと伴奏のpartを、一人で弾くのだから、二人分楽しいハズだよ!!
幾らBachが書いた曲だとしても、bourréeはbourréeのように弾かなければならないのだよな??
先ずは、そこが日本のviolinのlessonは違うのだよな??
教える先生の方がbourréeという舞曲を見た事も聴いた事も無いのだから、教えられる分けは無いのだよな??
変な先生に付いて可哀想になって・・というか、日本の音楽界の100年も以前から変わらない現状に頭に来てしまったので、ブルブルマシン所では無くなってしまって、パソコンを閉じてしまった。
今日はweb-lessonで小学生の生徒にHändelのviolinSonateのg mollの全楽章のlecture-lessonをしていたのだよな??
今日の彼女のlectureのthemaはHändelのSonateの構造で、melodieの対話の構造式の説明だったのだよ。
分かり易くするために、最初のthemaのMotiv(phrase)が1小節だったとすると、a(1)の質問が1小節+a(1)の質問の繰り返し1小節と、b(2小節)の答え、所謂、1+1、+2と言う「bogen form」という形式を取っているのだよな??
次にa(1)+a(1)の2小節を大きくAとして、次のbをAとしてA+Aの質問とすると、次の4小節は大きなBとしての答えになるのだよな。
それを言葉に当て嵌めて「お母さん、今日のごはんはなに?」という質問Aに対して、「今日はかれーだよ!」というお母さんの答えBという事に例えて説明をしたのだ。
そして、質問のpassageは質問のように、答えのpassageは答えのようにtempo感を変えて弾く事の説明をしたのだよ。
小学生に対してのlessonだよ??
「小学生の時に、そんな難解なlessonを・・」と思われるかも知れないのだが、小学生の時に丁寧にそういったlessonをしておくと、中学生や大学生になった時に、数倍も曲が難しくなった時に、指導が数倍も楽になって、lessonが上手く行くようになるのだよ。
音楽を分かって演奏出来るようになると、Bachのbourrée程度ならば、初見の暗譜で演奏出来るようになるのだよな??
それなのに、classic音楽が日本に入って来て、とうに100年以上も経つのにも関わらず、Bachの無伴奏を大学生に未だに無味乾燥に指導する先生が存在するとは・・・
考古学的な、歴史的な先生だよな?
それよりもブルブル・マシンのbest-selectを探さなければ!!•••だよな??
そんな、人の事よりも・・・


sarabandeのstepです。
sarabande
YOUTUBE.COM
sarabande
ce qu'un musicien doit savoir sur la sarabandehttp://www.martial-morand-clavecin.fr/danse-baroque.html

passacagliaのstepです。
https://www.youtube.com/watch?v=SfTdieRblwo



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5月4日ハイツにゴキの子供のような ·

一昨年ぐらいまでは、ハイツでは見た事の無い・・超、小さい2~3㍉ぐらいのゴキブリの子供のような生物が大繁殖して、何度も絶滅させているハズなのに、何ヶ月か経つと、またまた大量復活して来る。
昨年までは、年に1、2回しか見なかったのに、今年は特に酷くって、何度も見かけたら確実に殺しているのに、未だ出て来るのだよ。
冷蔵庫の後ろからシンクの中の食器に群がって来るので、ゴキブリのスプレーが使え無いのだよな??(勿論、冷蔵庫の後ろには据え置きタイプのゴキブリホイホイや、その他のゴキブリ退治の薬品を置いているのだが、効果は余り無いようだ。
シンクの中の食器に群がる虫に対しては、ゴキジェット等の殺虫剤は使えないので、噴霧器型では無い水鉄砲型のスプレーに食器用の洗剤の原液(薄める前の)を入れて、見かけたらスプレーをする事にした。
『噴霧器typeではなく』、と言う事は、結構••というか、絶対に守るべき大切な事で、噴霧器の場合には噴霧された微粒子が浮遊してしまい、気管に入って、大変な事になってしまうからなのだ!
食器用の洗剤を使用する事は、どっちみち同じ洗剤で食器を洗うのだから、シンクの中のゴキブリ退治に使用しても文句はなかろう!!
下手なゴキブリ用のスプレーよりも殺虫効果は絶大だ。
そのまま洗えるのも良い。
独り暮らしで体調が良くない時などは、食器を洗わないで、そのまま、貯めてしまう事がよくあるのだが、その時にも食器に洗剤の入った水を張っておくと、虫は寄り付かないのだが、それをうっかりと忘れてしまうと、小さな虫が、食器に群がって来るのだよ。
ゴキブリの子供は昔もよく見かけた事はあるのだが、そのゴキブリの子供よりも更に小さなこのtypeの虫は私の長い人生でも始めて見るtypeの虫だ。
まあ、いずれにしても、私はゴキブリ類は苦手なので、種類を調べてその生態を研究する気にはならないのだよ。
自宅のハイツだけではなく、椎名町の事務所でも出没するようなので、バルサンのようなtypeの燻蒸剤を使って処理を何度かやって見たのだが、それでも、1日2日後にはもう小さな虫が出て来るので、殺虫剤の薬は全く効いていないようだ。
これまでは、ハイツではゴキブリそのものすら、年に1、2回しか見る事はなかったので、今回のような超寒い時から虫に悩まされるcaseは始めてであり、超、異常現象と言うべきである。
地球の異常気象は、ハイツのゴキブリまでもが異常になっているようだ。
つまり、ゴキ系の虫は寒さは苦手のハズなのだがね??
今年は、超寒い時期で、暖房を入れていない留守の時からも、小さな虫が暗躍しているのだから理解に苦しんでしまうのだよな❢


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5月4日「鼻詰り」が酷くて ·

今は5月の4日の火曜日のお昼の2時半になる所です。
昨晩の夜から、bedに入ると鼻詰りで息が出来なくなってしまい、それに鬱が併発して、結局、眠れなくなってしまいました。
という事で、仕事も手が付かなくなってしまっていて、最悪のconditionです。
仕事が手に付かないのならば、のんびりと風呂にでも入ろうか??・・と思っていたのだけど、鬱なので、その気力も失せてしまったので、パソコンの椅子に座ったままで、ウダウダとしている所なのです。
今日は日がな一日、そのままで暮れてしまいました。

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5月5日今夜も鼻水で眠れない ·

ダメだ!!
今夜も、息が出来ない❢
点鼻薬も噴霧して、鼻炎の薬も飲んでいるのに、今度は鼻水が止まらない!!
布団の中で、息が出来なくて、バタ狂ってしまうのだよ❢
椅子に座っていると、テレビでドラマを見ていても、直ぐに眠ってしまうのだが、だからと言っても、布団に入ると鼻が詰まって来て、息が出来なくなってしまうのだよ。
頑張って、風呂に入って体を温めてみたのだが、やはりそれも徒労に終わった。
なんとか、眠ろうと試みたのだが、段々とweb-lessonの時間が近づいて来て、鬱も酷くなって来て、睡眠を取る事が出来なくなって来た。
毎回、毎日、同じ事を書くようだが、同じpatternの繰り返しになってしまっているのだよな??
何処かで輪の出口を見つけなければ
起きて自分自身の生きた足跡をなせ❢••••てな事を言ってみたいもんだ⁉
突然、マンションに大きなものがぶつかったような音がして、部屋が揺れた❢
突風だ!!
アラームが鳴って、そろそろ、web-lessonの準備時間だ•••と言っている。
鬱なのだが、後、4日で発表会なので、lessonをサボる分けには行かないのだよな?
無理を承知で、致し方はあるまい❢
諦めて、動くとするか??
今日は、2回目のendless-lessonなのだ。
夕方の4時過ぎに、lessonが終わったら、超バテてしまって、昼寝ならぬ夕方寝をしてしまった。
爆睡をしてしまい、そのまま食事timeになったのだが、起き出す気にもならず、ウダウダしていたら、牧野先生が食事をお弁当にして、小雨の中を配達してくれた。
一日外にも出ないままで、部屋の空気がよどんでしまって、部屋の閉塞感が凄かったので、窓を全開に開けて、空気の入れ替えをした。
部屋全体が肌寒くなって来たので、慌てて閉めてまわった。
少しは部屋の閉塞感が取れた、と思ったのだが、今度は薄手の羽毛布団では寒くて、眠れなくなってしまった!
とは言っても、体調不良で、布団を仕舞えないので、部屋の隅の揺り椅子の上に、超厚手の羽毛布団から超薄手の布団までも積み上げられているので、交換するには引っ張り出せば良いだけなのだが、布団から出るという事にすら、勇気と決断が必要なのだよ。
はてさて、如何致したものか??
とうとう、一睡も出来ないままに、夜が明けてしまった。困った事なのだがいつもの事だよな?!
toiletteに起きだしたついでに、頑張って毛布の布団に交換をした。
鼻詰りは今のところは治っているようだから、上手く行けば眠れるかも知れないのだが
コメント1件
芦塚 陽二
またまた、あちこちの文章が勝手に削除されてしまっていたので、編集履歴のあちこちから復元した。文章が勝手に書き換えられるのは私的には絶対に許せないのだが、どうして誰も文句を言わないのだろうか??不思議だ??

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5月7日lessonのvideoのお話 ·

lessonをvideoでfeedbackして確認をする・・という事は、生徒達に取っては非常に有益である・・とは分かってはいるのだが、なかなか、通常のlessonでは時間の関係で、なかなかそこまでは出来ないのだけど、昔の私のlessonでは、生徒達にtaperecorderを持ってこさせて、lessonを録音させていて、家に帰ってからも確認をさせていた。
勿論、私自身も、videoでlesson風景を録画していた。(と言うか、今も100%録画をして資料として残しているので、現在進行中ではある。)
しかし、その膨大な量のvideotape類の大半は、βやVHSや8㍉やcompactDV等々の色々な媒体による古い録音なので、今はもはや再生不能になって、事務所の肥やしになっている。
地方の生徒も多かったので、いち早くvideolessonや、Internetのlessonをしていたので、生徒達もvideocameraを持っている場合が多かったので、videoでのfeedbackは普通だったのだけど、今は、家にvideoを持っている生徒や、録音機器を持っている生徒の方が少ない。
しかしながら、生徒が自分自身の演奏の動画や、lessonでの先生からのadviceを確認をする事は音楽の勉強では非常に有効な方法であり、そこがproとamateurを区別する所でもある。(proの場合にはrecordingの一環としてのvideoや音声の録画の作業がある。)
私のlessonでは、常にlessonを撮影するように、言っていたのだが、私が私個人の生徒を持たなくなった頃から、生徒がvideo-cameraを持って来る事も無くなった。
それでも折に触れて、orchestraの練習や、室内楽、lesson風景の動画を生徒に見せるために、You Tubeにuploadする事がよくあった。
今回も、発表会の直前で、uploadしても、見てfeedbackする時間が無いので、lessonのvideoをuploadする事がどれだけ有効であるかは疑問なのだが、それでも取り敢えず兎も角、lesson風景の動画をYou Tubeへuploadする事にした。見る事が1回しか出来無かったとしても、見ないよりも、よりマシだと思ったからである。
私の手元にlessonの時のSDcardが手に入ってから直ぐに、その動画を編集の作業も無しに、directにYou Tubeにuploadしようと思って、私のlessonやlectureだけのsiteである「オケ室内楽とlesson」のsiteにuploadをしようと、sonyの4Kのvideocameraで録画した動画の入っているSDcardからパソコンへ取り込んで、powerdirecterで開いたら、音声が全く入って来なかった。
これまではそんな事は全く無かったのに、この所、突然、powerdirecterに音声が入らなくなってしまうのだよ。
何かがupdateされたためらしいのだが、何がどうなったのか分からない。
netで調べると、MTSという拡張子がイタズラをしていると書いてあったのだが、普通に音声が入っている動画をcheckしてみたら、同じMTSfileだった。
以前にも元々の動画には音が入っているのに、powerdirecterに持って来ると、音が入って来ない・・という事があった。
videoがsurround5.1で録画されていると、powerdirecterでは再生出来ないらしいので、仕方がないので一度、powerdirecter以外の編集softである「freemake」で、動画をmp.4に変換してpowerdirecterに持って行ったら上手く行った事があったので、今回も同じように、mp.4に変換して、その段階で確認をして見たら、変更した段階で音声と画像がズレてしまっていて、惨憺たる状態だった。
元々のvideo-cameraがsonyのcameraなので、「sonyのsoftならば問題は無いのかな??」という事で、sonyの編集softである「PlayMemories」をパソコンに取り込んで、それで編集をしよう・・と思ったら、driverをinstallするのに「sonyのcameraを接続しろ!」だってさ???
sonyのvideocameraは千葉にあるし、明後日は発表会なので、東京に持って来る事が出来ないので、仕方がないので、DigaでBlu-rayに焼いたBlu-rayのdisc を使って、directにYou Tubeにuploadしたら、今度はたかが3時間の動画が3時間近く掛かっているのに、未だupload出来ない。
3時間の動画をuploadするのに、5時間以上掛かるらしい・・・!!
全く・・・!!
困った事だよな??
(5時間どころではなく、6時間も掛かって、未だ出来ないのだよな??)
映画を見たりして時間を潰して、何とかup出来た。
曲は3曲でその内の2曲のManuel de Fallaの曲とSarasateのSpanishdanceは、彼女には、初めてlessonをする曲だし、最後のTartiniのgrandsonateは4楽章、全部の4曲なので、都合6曲の3時間のendless‐lessonである。(endless-lessonとは、ちゃんと理解出来るまでlessonをするlesson時間の限定を作らないlessonである。)


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5月10日手順書:取説 ·


手順書、若しくは取り扱い説明書というのは、機器の操作の説明の文書であり、取り扱い解説書である。
当然、大手企業の作成した機器等にも取り扱い説明書(以下、取説とする)が付いているのだが、法的な文章が大多数を占めて、肝心要の取説の部分が欠落している、若しくは説明不足である場合も多い。
簡単な日常生活で使用する機器であったとしても、その取説は結構膨大なPage数を持つ場合も多くて、実際に使用するにあたって必要な所を赤でmarkingしていかなければならない場合が、極めて多い。また、肝心要の所が落ちているので、書き込まないといけない取説も多いのだよな??
昨日は発表会で、体調不良の折からの4時半起きの朝早くからの激務であり、夜の食事も食べれなくってしまって、ハイツに戻ったcinderella-timeには、流石にEnergie切れで、食べ物の整理もしないままに、bedに直行してしまった。
いつものように、routineのtoilette-timeを繰り返しながらも、何とか朝の6時頃からは、パソコンやDigaに発表会のvideoのdataの取り込みやBlu-ray-disc に焼く作業を開始した。
パソコンの作業は体を休めるには絶好の作業だ。並行作業で2台のパソコンとPanasonicのBlu-ray-recorderを2台同時に稼働させて、1カメから4カメまでのSDcardの作業を同時にする。
50GのBlu-rayでもそれぞれのSDがdubbing出来る分けでは無いので、容量を減らして4枚のBlu-rayに焼いている。100Gのdiskもあるのだが、ハイツのパソコンには外付けのrecorderはあるのだが、椎名町のパソコンのBlu-rayの再録は50Gまでしか出来ないので致し方ない。
発表会の進行表といのは、私が考案した発表会を子供達が自主的に運営出来るための手順書なのだが、会場が変わると全体が変わってしまうので、常に同じ会場を取って開催している。
Hallが取れなくて、別の会場での開催になった場合や、今回のコロナのように、進行を大幅に変更しなければならない場合もあるのだが、基本は変わらないので、問題は無い。
教室の発表会の記録のための写真やvideoの撮影等は、これまでは業者に任せていたのだが、少子高齢化で生徒数が減って来て、発表会の運営に外部委託は難しくなって来たので、私がCyberlinkを使用してvideoの編集や写真の作成をする事にしたのだが、homepageが教室のhomepage、所謂、『芦塚音楽研究所のhomepage』と、私の論文を集めた『芦塚先生のお部屋』と、privateな闘病記である『芦塚陽二の闘病記』の3っのhomepageを同時に作って行くのは少し無理があって、その上に徒然草のようなFacebookを始めて、流石に、「無理かな??」と思っている所に、鬱と体調不良がやって来て、入退院を繰り返す羽目になってしまった。という事で、この2、3年、homepageの作業が後回しになってしまったので、「教室の事は教室に任せよう」と言う事にしたので、homepageの作り方やhomepagebuilderの使い方、Cyberlinkの使い方、videoの編集の仕方等等、のlectureに、この2,3年追われてしまって、blankが空いてしまった。



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5月10日 『発表会こもごも』·


東京や千葉の緊急事態宣言の様子を見ながら、昨日の5月9日に2021年の春の発表会は恙無く終了しました。
今回の発表会も昨年の発表会と同様に、web-lessonのみのオケ練習で、realに子供達と会う事は、発表会の当日、会場での1回のみで、流石に、子供達も初歩の生徒達は、私の指揮を見る事が難しくなっていて、子供達への「入り」のeinsatzを送っても、怖がって、入って来てくれません。
日常の生活も部屋に閉じ籠っての生活なので、自分の意識を鼓舞する事が難しくなっていて、どんなにwebが発達したとしても、実際には、子供の教育は親の背中を見て育つように、オケ練習に関しては、先生の背中を見て育つので、毎回の練習で、生徒達とrealに接する事が出来ないと、どうしても生徒達の士気が乏しくなって、responseも悪くなってしまう事は致し方はありませんでした。
私もハイツの狭い部屋に閉じ籠って、2年近くになるので、体力の維持管理も、鬱のcontrolも、もう出来そうにもありません。
体力維持のために続けている毎日のドル・プリの散歩も、散歩とは言ってもウダウダ散歩なので、体力の維持のための散歩にはならないのだよな??
それに近頃は、またぞろ腰痛も酷くなって来て、散歩もままならないので、25年ぶりに腰痛corsetを買いました。
老人に取っての足腰を鍛える事は、体力を維持して、寝た切り老人にならないための絶対条件なのでね??
私の場合には、歩け無くなってしまったら、独居老人としての一人暮らしでは、生活に窮してしまうからね??
コロナでの自粛が2年間も続いている事に対しての愚痴を言ったとしても、それは世界的なcatastropheなので、どうしようも無い事なので、その話はさておくとして、2ヶ月近く続いている体調不良を、発表会に向けて、なんとか改善しよう・・と、発表会の2、3日前から体調のcontrolを図ってみたので、発表会の荷物の搬入から搬出までは、何とか体力の維持は出来たのだが、千葉から椎名町に戻って、いざ、食事の時間になっては、流石に体力的に無理になって、食事の途中で、食事をやめて、ハイツに戻って、そのまま何もしないで、寝た。
ハイツに辿り着たのは、ちょうど、just12時のcinderella-timeであった。
routineのtoilette-timeで、bedから起き出したのは2時だったのだが、そこで椅子に座ったままで、one coolの1時間半も爆睡してしまって、寒くて目が覚めてしまった。
流石に3cool目は寝付きが悪かったのだけど、まあ、寝た事は寝た。
朝の5時半からはvideoのパソコンやDigaへの取り込み作業を開始した。
1カメから4カメまでの取り込みなので、平行作業をしても数時間は掛かる作業なのだよ。
とは言っても、付きっ切りではなく、同時に別の作業も出来るから、それ程大変な作業にはならないのだけどね??


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5月10日トトロのマグがまた割れた!! ·

普段使いと言うか、愛用のトトロのマグカップがまた割れた!!
超Shockだ!!人生、最悪の日だ!!
これで何個目だろうか??
絨毯にお茶が溢れたままの状態なのだが、証拠写真として写真を撮ろうと思ったら、そう言えば携帯は新教室に置いて来たままだよな??
じゃあ、仕方が無いので、代わりにデジカメで撮ろうと思ったら、充電切れでデジカメが立ち上がらない。
何をやっても上手く行かないのだよ。
今日は、兎に角、物が落ちる。
要するに、昨日の疲れが未だ抜けていないのだよな??
Digaに取り込んだvideoをcheckしながら、椎名町に今日のrotationの時間を聞く。
今日はbikeの給油をしなければならないので、遠回りで椎名町に移動しなければならないから、時間の計算が普段とは違うのだよ。
食事とドルプリっ歩を済ませて、ハイツに戻って来て、さてお茶を飲もうと思ったのだが、cupが無い。
絨毯の上には、お茶を吸わせたkitchen-paperが無残なままに散らばっている。
先ずはごみ捨てからだよな??
シンクの中には、薄汚れた使い回しの割れたcupが一つ・・というか、幾つかの断片がある。
そりゃ、そうだ。
さっき、割ったばかりなのだからね??
未だ掃除機を掛けていないので、絨毯が光っている。つまり、割れた欠片が残っているのだよ。
掃除機で掃除をしなければならないのだが、深夜なので気が引けてしまうのだけど、怪我をしては困るので、致し方はあるまい。
なるべくご近所の迷惑にならないように、speedyに掃除をする他はあるまい。
予備のトトロのmug-cupを出して、お茶を入れて飲んだ。
予備の予備はもう一個ある。
形ある物は必ず壊れるからね??
所謂、risk管理だよ。。

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5月13日コロナワクチンの接種券 ·

今日は5月の13日の木曜日です。
今は深夜の4時を過ぎた所なのだが、寝直そうとして再び布団に入ってたら超寒くて、眠れないのだよ。
余りにも寒いので、netで練馬区の気温を調べてみると、何と16°もある。
それにしては寒さが酷いので、合いの羽毛布団を、出しっ放しになっているフカフカの毛布に交換をした。
これでやっと暖かく眠れるだろう・・・かナ??
発表会が終わってから、もう既に4日も経っているのだが、この4日間は体調のリハビリと、videoの編集とYou Tubeへのuploadの作業で終わってしまっている。
昨日は、コロナのワクチンの接種券がハイツのポストに入っていた。
開いて見たのだが、読むだけ面倒くさい。
行政の文章らしく、接種の予約と、問診に関して・・と、病院を選択する場所が、それぞれ独立した別々のチラシに書かれていて、それらの予約をするための時系列が書かれていない。
お役所の人達は、担当なのだから「読めば分かるでしょうが??」と言うのかも知れないのだが、私の場合には、色々な病院に掛かっているので、私のhome-doctorの居る病院はどこになるのだ??
全部専門の病院なので、問診だけでも先生が病院に診察に来るのは週一の予約になるのだよ。
当てずっぽうに何処かの近所の個人病院に行けば良いのかよ??
そこで問診を受けてその病院で予約を取れば良いのかよ??
じゃあ、何のためのnetの予約なのだよ。
病院には無許可で予約を取るのか?
手順が手順になっていないよな??
まあ、いつもの事ではあるのだけどな??
掛り付けの病院・・って言っても、全部の病院が手術可能な大病院なので、電話して、先生とcommunicateするのも、大変なのだよな??・・・と言うか、事実上は出来ないのだよ。
・・てな事を愚痴りながら、取り敢えずは、書類に書き込む所を書き込みながら、文章を確認して行くと、「基礎疾患で病院に行っている人は予約を取る前に、主治医に相談をしろ!」という一節があった。
主治医と面談するには、予約を取らなければならないし、主治医が病院で外来の問診をするのは、毎週水曜日の一回だけなのだよな〜あ?
外来でなければ、月曜日も病院には見えられているようなのだけど・・・??
病院に問い合わせて、話を聞いて貰ったのだが、病院の受付がコロナの接種のお達しを理解していないので、対応が全く出来ないのだよな??
政府のお達しを理解していないとは言っても、個人の病院ではなく、練馬区の大病院で、集団接種をする病院でもあるのだがね??
それにこの病院は、以前には、cluster感染で大勢の感染者と死者を出した病院なのに、ワクチン接種の手順を説明出来ないとは、コロナに対して、懲りていないよな~ぁ??
先生のご都合もあるだろうから、受付で、先生のいらっしゃる月曜日に先生に確認をして貰う事にして、私は、何も動かなくて、取り敢えずは月曜日まで待つ事にした。
私的には、近所の個人病院でお茶を濁したいのだが、掛かり付けの病院という事ならば、まあ、今は練馬区内の病院は、そこの病院にしか行っていないのでね??
『あたし、ま~つ~わ~!いつまでも、ま~つ~わ~!』
それは困るよな〜あ?
time-limitもあるだろうからねぇ?
あれ•••??
今まで、何の仕事をしていたのだっけ??
忘れてしまったぞよ??
電話が鳴るまでは、隣の部屋で何かをしていたのだよな??
隣の部屋で、していた事となると•••??


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5月15日『芦塚先生はコンクールを否定していて、生徒達をコンクールに出さない』・・という噂話しについてのお話 ·


父兄の間で、生徒達が『コンクールに出たい』と希望しても、芦塚先生のpolicyでコンクールに出して貰えない・・と、思っている人達がいる・・という噂話しを、保護者の人達から聞いて、「何処から、そういった勘違いが出たのか??」・・と、驚いて、理解と判断に苦しんだ事があります。
「コンクールを受けたい」と希望する生徒が立て続けに、その噂話しを信じて、他の教室に替わったからです。
私としてはその生徒達から「コンクールを受けたい」という相談を受けた事は無いし、勿論、当然の事なのですが、「コンクールを受けてはいけない」と生徒に言った覚えはありません。
寧ろ、「コンクールを受けて見たら??」と誘った覚えはあるのだけど、「嫌だ」と断られた記憶はあります。
私がコンクールを否定している・・という噂話しは、保護者の間で、先生に対しての忖度としての噂話しの延長なので、私の預り知らぬ事なのですよ。
そもそも昔は、教室からコンクールに出演する子供達が多かったので、地方予選や本選の賞状は数限りなくあったので、全国大会で入賞した生徒達に限って、コンクールの賞状を花園教室に貼り出していたのですが、それでも、入賞する子供達が多かったので、花園教室の壁一面に貼る場所が無い程になってしまって、流石に、壁の全面が賞状だと見苦しいので、賞状の殆どを倉庫に保存して、その中の1,2枚だけをコンクールの入賞のsampleとして教室にdisplayにする事にしました。
花園教室の入口の扉の上にあった先生達の賞状と星那さんの賞状です。
同じコンクールのその年のその回での全国大会で、複数の生徒を入賞させたので、私や牧野先生も指導者賞というのを戴いてしまいましたので、その賞状も飾っていました。
だから、私が「コンクールに生徒を出さない」という噂は眉唾である・・という事は教室を見れば分かる事だったはずなのですが、昔々から、人は自分の目や先生のお話よりも、噂話を信じるのですよね~ぇ??
コンクールの事に限らず、一般の社会に流布するこの噂話には、困ってしまうのですがね??
対外出演やコンクール等で多くの生徒達を入賞させるようになると、近所の音楽教室や父兄の間では「あの教室は、入会するのにはとても厳しいtestがあって、入会出来ても、とても厳しいlessonが待っているので、親も子供も泣きながら、lessonを受けなければならない・・という、一般の人はとても耐えられない教室ですよ。」という噂が流れて、教室に入会する人が極端に減って、困った事がありました。
教室の保護者の人達がその噂話しの払拭に努力してくれたのですが、誰も信じてはくれなかったそうです。
日本流の水準が高い教室はlessonが厳しいという常識で判断するからなのです。楽しければ、上手くなる・・なんて信じる人はいないからね??困った事です。
教室の先生達が学んで来た芦塚methodeでは、「lessonで演奏出来なくても、生徒を叱ってはいけない。」「練習して来なくても、怒ってはいけない」という、確固とした先生達へのruleがあって、練習して来なくても、先生と一緒にlessonで練習する事に因って、大学生ともなると、それなりに難しい曲を弾き熟せるようになるのですよ。
つまり、継続は力なり(time is power)なのですよ。
だから、先生達が目くじらを立てて、怒り巻くってlessonをするというような日本的な風景は私達の教室のlessonでは見られ無いのです。
それこそ、私のpolicyなのですからね??
でも、人の噂も、75日では消えませんでした。
・・という事なので、「猫も杓子も」コンクールに出すのはやめにして、『その生徒が音楽への道を歩む』という前提がある場合に限って、コンクールに出す事にして、一般の普通の趣味の生徒をコンクールに出す事は、推奨しない事にしました。
とは言っても、・・・まあ、それも建前に過ぎないので、一般の音楽に進む事を決めていない趣味の生徒でも、本人の希望でコンクールに出て、全国大会で入賞を果たした生徒もいます。
本人が望むならば、将来音楽へ進もうと、amateurに徹しようと、私には関係の無い事なので、ましてや、「コンクールに出たければ出れば良い」・・というのが私の本音であって、「コンクールに出たい」という気持ちを否定するつもりはありません。
つまり、私が生徒達をコンクールに出さないというのは、完全な勘違いに過ぎないのですが、一般の音楽教室のように、先生の方からコンクールに出る事を生徒へ薦める・・という事は極めて稀なので、それが教室の保護者の中で「私が、コンクールを忌み嫌っていて、生徒達をコンクールに出さない」・・という噂話しの元になったのかも知れませんよね??
『コンクールの種類』
私がお勧めしているコンクールは予選、本選、全国大会等の勝ち抜きのコンクールです。
私の場合には、コンクールのための追加lessonは基本的にしないのですが(勿論、希望があれば、追加のone lessonはします。但し、規定のone lesson料は月謝とは別料金になります。・・当たり前か??)
殆どの先生達、ほぼ毎日のようにlessonをして、それでコンクールに出場するのですが、それでも、中々コンクールに合格する生徒はいないと思いますよ。
教室の生徒達が追加のone lessonも無しに、コンクールに入賞出来るのは私が生徒達に課している「コンクールに出場する条件」に因るからなのです。
その条件こそが、取りも直さず『生徒達を100%確実にコンクールに入賞させる方法』なのです。
一般の音楽を学ぶ生徒達がコンクールに出場する場合には、通常は、コンクールに申し込んで、予選、本選の日にちが決まってから、その日にちに向かって、課題曲の練習を開始するようなのですが、私の場合には、もう既に演奏済みの、所謂、合格してる曲をコンクールで演奏させます。
それは課題曲が主催者sideで決められている場合でも同じです。
また、コンクールは予選と本選と、東日本と西日本の予選に、全国大会が更にあるので、曲は地方予選の曲から、少なくても2曲以上準備しておかなければなりません。
いやしくも、全国大会での入賞を狙うのならば、地方予選の時点で、全国大会の曲を仕上げておかなければなりません。
それは地方予選の水準と同じlevelで、全国大会を受けても、それでは水準に達する事が出来ないからなのです。
少なくても、地方予選や地区の本選の水準よりも、遥かに高い水準で曲を仕上げておかなければならないからです。
そういった曲がコンクールを受ける前に予め準備出来るlevelになったら、コンクールを受けて、全国大会まで勝ち登る事が出来るようになります。
でも、そういった事前の準備が出来ていなくて、コンクールを受ける・・という事は、コンクールで合格出来ない・・という前提の元に、コンクールを受けている事になるのですよ。
これが、私が言っている儚い夢なのです。
夢を見て、コンクールを受けるのならば、厳しい現実に直面して、挫折を感じてしまいます。
それこそ、音楽を勉強するのは二度と嫌だ!!という事になって、趣味としても楽器の蓋を開ける事は無くなってしまいます。
でも、それは、予め分かっている事なのですよ。
水準というものがあって、コンクールに入賞する事を希望するのならば、その水準に達しておく事なのですよ。
コンクールは入学試験と同じなので、夢を見る事は出来ません。あるのは、厳しい現実だけなのですからね??
『教室の範囲外の地方規模のコンクールや教育関係のコンクール等々』
そういったproを目指す人達が集まって来る、所謂、『全国の規模のコンクール』ではない、もっと楽に合格出来る地方のコンクールがあります。
しかし、地方のコンクールには色々と、地方独特の問題があって、以前千葉市でも新聞社主催のコンクールがありましたが、千葉の大御所の先生が審査員になって、その先生の生徒たちだけが、ミスをしようと、弾き直しをしようと、合格してしまって、その先生以外の生徒さん達で、とても上手な生徒たちが、落選してしまうので、次の年からそのコンクールを受ける人達がいなくなって、慌てて主催者が東京から紐付の無い審査員を呼んだのですが、時・既に遅く、3年目にはコンクールは無くなってしまいました。
地方や企業主催のコンクールでは、常に土地の大御所が地方を仕切っているので、全国大会を持つ規模の地方予選でも、公平性が取り沙汰される事がよくあります。
それに、地方予選で大御所の先生からの引きで、大きな全国大会に出場出来たとしても、関東関西blockから、全国大会への大規模のコンクールに出る人達は、音楽の道に進む登竜門としてコンクールに挑戦している人達が殆どなのですから、例え大御所先生の後押しで全国のコンクールに出場出来たとしても、そういったproを目指す人達と同じ舞台に立った場合には、水準に達していない生徒は舞台で悲惨な結果を生み出してしまいます。
だから、cleverな人達は、地方予選で或程度の成果を上げると、関東関西blockや全国大会を辞退する人達もいます。
挫折をするよりも、現実を優先する分けなのですよ。
初めてコンクールに出たいと思う人は、そのコンクールを、ちゃんと予選から本選までを一度聴いてみて、『それでも出たい!』・・と、確実に納得してから出演を決めるべきなのですよ。
そうすれば、コンクールでmissをしても、なんの問題も起こりません。
多くの保護者の人達はコンクールの意味を勘違いしています。
だから、私は、コンクールを受ける前の心構えのお話や、このコンクールの種類に付いての説明もFacebookやhomepageで、何度もお話をしているのですが、噂話しは聴く事があっても、実際の現実のコンクールを調べて見る事は無いのですよね??
保護者の人達は夢と現実がごっちゃになって、色々な種類のコンクールがあっても、そのコンクールの違いや目的を理解されないままに、「コンクール」と十把一絡げで同じコンクールのように解釈してしまっているように思われます。
つまり、コンクールとは言っても、その種類は多種多様あります。
そのコンクールの種類の定義と目標を知っておかなければなりません。
10、コンクールがあれば10の種類のコンクールになってしまうので、その一つ一つを詳しくお話する事は出来ませんが、全体的に取り纏めて、簡単にお話をしておきます。
『コンクールの種類と多様性』
コンクールには、趣味の人達でも合格出来るコンクールや、amateurを対象としたコンクールがあります。
その違いの一番簡単な差別化は、コンクールに出演する人達の住まいの範囲でしょうかね??
一番狭いコンクールで、しかも子供達に取ってや、保護者の人達に取って一番身近なコンクールというのは、学校が主催する教育の現場の世界のコンクールのお話でしょうかね??
先ずは、学校の中の、しかも学級単位のコンクールでしょう。
次は学校の中で・・、その次は市が単位になって、その次は県!
ここまで行くと、「凄い!!」という事になるのかな??
次のブロックは西日本と東日本で、最後に全国大会になります。
私が高校生の時に大学病院に入院していた時に、お見舞いに貰った鉢植えの花を、色鉛筆で書いたのですが、それを友人が私に内緒で社会人のコンクールに出品して、その花の絵が、西日本ブロックで入選した事があるのですよ。
小学生の時から中学生まで、私は絵の授業の成績は、万年赤点だったのですがね??
「高校??」・・高校では絵の授業は取っていません。
選択教科は音楽を取ったのでね??(・・ああ、そう言えば、確認をしておきますが、学校のコンクールではなく、一般のコンクールです。私は入院中だったので、実際に展示された絵は見ていないのですがね??)
しかし、残念ながら、もし、学校のコンクールで全国で1位になったからといっても、学校のコンクールでの一位の入賞では、社会的なprofessionalなコンクールでは、とてもとても、予選すらも通過出来ないでしょう。
学校の中のコンクールは、教育上の教育界のコンクールであって、社会に認知されているコンクールではないからなのです。
教室の高校生の生徒で、テニスで千葉県で2位になった生徒がいました。
彼に「将来はテニス・プレイヤーでも目指すのか?」と尋ねたら、「千葉で1位の生徒は、半年の海外テニス留学をするのですよ。1位と2位だけど、全く別世界なのですよ。」と嘆いていました。
テニスのproにはなりたいのだけど、経済力が続かないそうです。
私は音楽の先生なので、テニスの世界のお話ではお助けのしようが無いよな~ぁ??
そういった国体等のコンクールや、企業主催のコンクールでも全国大会を持つコンクールがあります。
日本では最も権威のあるコンクールとされるコンクールでも、音楽界の重鎮の先生達が、予め、コンクールで一位になる生徒を先生の持ち回りで決めているコンクールがあって、その予選を聴きに行ったのですが、私の周りの女の子達が「次の子が、今度入賞する生徒なのよ?」と言っているのを聴きました。その生徒の時だけは、予選なのに、満席になって、次の生徒の時には、数人の人しか席に残っていなかったのが、妙に印象に残っています。
それよりも更に遡って、私が未だ留学中の話なのですが、私がドイツから、そのコンクールの作曲部門を受ける予定で、作品を郵送した後で、事後承諾で、重鎮の先生である私の恩師に、コンクールを受ける了解を取った時に、先生から、「あなたがコンクールを受ける事を1週間前に、知っていたら、コンクールで一番にしてあげたのに・・」と非常に、怒られてしまいました。
その後、N響の岩城さんに、お会いした時にその話をしたら、「予選で撥ねられる作品は、よっぽどの駄作か、よっぽどの秀作なのだから、part譜を書いて持って来れば、N響で演奏してあげるから!」と言われて、2週間の時間を貰ってpartの作成に取り掛かったのですが、その時に、Genzmer先生が言った言葉が思い出されました。
「Hindemith先生は、実に勤勉な人で、画家マチスのpart譜を1月で書いたのだよ!!」という言葉です。
私は2週間貰って、たかが10分程度のorchestraの曲のpartを作れなかったのですよ。
という事で、岩城さんとのmeetingの約束をすっぽかしてしまいました。考えると未だに冷や汗が出てしまいます。
岩城さんごめんなさい。代わりに今でも、指揮棒は岩城modelを使っていますよ。アハッ!
当時は、finaleなんて便利なものも、computerさえも無かったanalogの時代だったのでね??
part譜を作るのも手書きだったのですよ。
これは日本では、一番権威のある音楽コンクールのお話でしたがね??
まあ、コンクールなんてそんなもんなのよね??
同じ全国大会のあるコンクールでも、企業が運営しているコンクールがあるので、その選考基準もその企業の方針に寄って評価されます。
学校のコンクール等でも、当然、文科省の紐付けがあるので、コンクールの審査の基準は主催側の方針に拠るのです。
学校のコンクールでも全国大会のあるコンクールはあるのですが、それは音楽の世界とは隔絶した学校教育上の評価しかないので、professionalな音楽界で学校教育界で受けたコンクールの評価が、評価の基準にされる事はありません。
また、音楽コンクールで全国の入賞を望んで努力を重ねる人達は皆proになる事の登竜門として、コンクールを捉えているので、一般の人達のコンクールに対しての考え方とはその根本が違っています。
つまり、コンクールに入賞出来るのであればどんな努力も金銭も惜しまない親子の集団なのです。
そして、一位を獲得出来るまで、何度も何度も挑戦を重ねて行くのです。
Europaの小さな村のコンクールで、「こんな田舎のコンクールならば、日本人は誰もいないだろう?」と思ってコンクールを受けたら、小学生の時からのいつものmemberが全員居た!という笑えない・・笑い話があります。
皆さん、コンクールの履歴を付けるために必死なのですよね??
Pianoが上手いから・・violinが弾けるから、あわよくば・・という理由でコンクールを受ける人達は、コンクールの世界では、論外中の例外の、門外漢なのですよ。
コンクールに出るのであれば、同じコンクールを受ける人達が自分の将来、音楽家としての未来を掛けてコンクールに出演しているのだ・・という事を理解して、コンクールに参加しなければ、大恥を掻いてしまいます。
コンクールでは、日本のコンクールや世界のコンクールに入賞して、更にproを目指す人達が受けるコンクールがあります。
所謂、国際コンクールです。
その中でも頂点に君臨するのが、violinのTchaikovsky-concoursと、PianoのChopin-concoursでしょうかね。
日本のある音楽雑誌で過去20年間のコンクールの入賞者の名前を列挙した雑誌がありました。
そのコンクールでの1位入賞者の中で、現在でも一流の演奏家として世界に名前を知られている人は、ほんの一人、二人しかいないという事に、愕然としてしまいました。
正に、コンクール・ピアニストとしては、一流だとしても、professionalの音楽の世界では生きてはいけない・・という事の証明でした。
(勿論、このお話は、自称一流の演奏家の人達のお話は含まれていません。自称ならば、猫も杓子も一流になれるからね??)
Genzmer先生の言葉では、その人がproであったか??、一流の芸術家であったか??は、その人の死後、歴史が決める事で、本人や社会が決める事ではない・・という事でしたよ。
『例外として、水準に達していない生徒をコンクールに出す場合』
私の場合にも、生徒がコンクールに出るだけの水準に達していない生徒の場合なのですが、「どうしても将来、proの演奏家になりたい」とか「音楽の世界で生きていきたい。」と、希望する生徒に対して、同じ年代のproを目指す生徒達の水準(Niveau)を理解させるために・・や、proを目指して、コンクールに出ている人達の意識や心構えを教えるために、例外として、その生徒がコンクールの水準に達していなかったとしても、コンクールに生徒を出した事があります。
その時には、周りの人達から「よく出したわね?」と、驚かれ、「芦塚先生って、生徒思いなのね??」と、感心された事がありました。
つまり、「そのlevelで生徒を出すという事は、その先生のlevelがその程度に低い」と思われてしまう・・というriskがあるのだから、そのNiveauに達していない生徒をコンクールに出すという事は、通常の先生達の間では、prideの問題で、絶対に有り得ない事だからなのです。
私自身は国際コンクールで1位に入賞した経験が有る分けなので、当然、『それを承知で、生徒を敢えて出す』という事なので、先生の尊厳を否定されても構わない・・という勇気が相当なものだ・・という意味なのですよ。
まあ、私の自画自賛は兎も角としても、それでNiveauに達していなかった生徒が、二度と立ち直れなくなって、音楽の世界から身を引く、・・所謂、挫折をする・・という危険性のある賭けなので、生徒に対して、余程の信頼を持っていないと、出来ない賭けである事には違いはありません。
『コンクールの延長線上にproがいない・・という理由』
コンクールの審査は、複数の審査員が採点するので、コンクールで100点を取るという事はありません。
音楽の評価は一人一人の審査員で違うからです。
コンクールの採点では最高得点は80点から90点までの間でしょうかね??
コンクールで競うのはその80%までが、技術点になります。
だから、コンクールで1位に入賞出来たからと言っても、それでproとしての将来が約束された分けではありません。
世界で活躍している人達の殆どはコンクールの入賞歴を持っていない人達なのですが、それはコンクールを受ける前から演奏活動をしているからに他なりません。
proとして演奏活動をしている人がコンクールを受けると思いますか??
それは余りにもコンクールの水準を理解出来ていない人達です。
日本人の人でTchaikovsky-concoursに一位で入賞した人がいます。世界最高のコンクールなのですが、その人は外国の音楽大学に入学し直して、基礎から勉強をしていましたよ。
奢らない人ですよね??すばらしい!!
Alfred Denis Cortotという名pianistがいます。否、神様かな??
優れたお弟子さんを育てた人でもあります。
彼の名を冠したコンクールで審査員として行った時に彼が言った名言があります。「このconcoursを私が受けたら、私は予選も通らなかっただろう?」
concoursの水準の高さを言ったのかな??
否、私にはただのironyに聴こえるけれどね??
但し、proの人達が、コンクールに出なかったとしても、コンクールに出れば1位になれる水準(技術)を持っている事は当たり前の事です。
しかし、proとして音楽界に君臨するには、その人の個性が必要になります。個性の無い技術だけのpianistの事をEuropaではコンクールpianistと言って馬鹿にしています。
日本では個性的な演奏をする事は極端に忌み嫌われますので、日本の演奏家集団はコンクールpianistやコンクールviolinistの集まりに過ぎません。
本当の一般の社会でも通用するような、professionalな演奏家を育てるには、concoursをproへの登竜門とする音楽界を否定しなければなりませんが、日本のClassic業界そのものが、個性を尊重するような時代にはなっていないので、proが日本で育ってくるには未だ数百年は待たなければならないのかもね???
でも、私的には、コンクールの功罪はあって、先程も言ったように、コンクールで重箱の隅を楊枝でほじる事を学ぶ事は、proを目指す過程の中の一つとしては、とても良い事であると思っているので、コンクールそのものを否定してはいません。
ただ、教室からproになった人達の多くは、コンクールを馬鹿にしている事が多いので、それが、「私がコンクールを馬鹿にしている」と勘違いされた元になったのかも知れません。
でも、お話をしたように、私は子供達の技術力や集中力を獲得させるためにコンクールを使って、そこで重箱の隅を楊枝でほじるような練習をさせる事が、よく(?時折??)あるので、必要があれば積極的にコンクールを活用します。
歴代の先輩諸氏の生徒達がコンクールで全国での入賞をしているのは、その指導の結果論になります。
コンクールはただの減点法なので、重箱の隅を楊枝でほじれば良いだけなのだから・・です。
だから、私が指導した教室の生徒達の殆どの人達は、コンクールの合否の発表を見ないままに会場を後にしてしまいます。
減点法なので、自分の得点が分かるからです。
「私が示したcheck-pointの何%がちゃんと弾けたか??」が分かれば自分の得点が、発表される前でも自分自身で分かるからです。
だから、生徒達も、コンクールに対して、無駄な夢を見る事が無いのです。
「ひょっとしたら、合格したのかな??」という風な儚い夢・・です。
しかし、コンクールでは周りの得点も低い場合が多いので、それでも、合格してしまう事がありますが、それで喜ぶ生徒もいません。つまり、自分が満足の行く成果を上げる事が出来なかったからなのです。
そこまで、しっかりと意識を持つ事が出来れば、コンクールを受けても弊害にはなりません。
教室の先輩諸氏の皆さん達は、コンクールに対しては、冷ややかなものです。
つまり、出来なかった事は、出来なかった・・に過ぎないのですよ。
そこまでの水準に達すると、コンクールに対しての見方も、覚めたものになってしまいます。
それに、もっと大切な事は、コンクールに入賞出来たからといっても、その生徒の将来が約束された分けではありませんし、その曲を演奏する技術に到達出来た分けでも無いのです。
コンクールに入賞させるのは先生の指導力と技術であって、生徒の技術や表現力では無いからなのです。
だから、私がいつも言うように、コンクールは先生達の生徒指導の力量を試す場であって、生徒の技術力を示す場では無いのです。
生徒がコンクールに合格出来るか否かは、先生の与えたcheck-pointを何%clear出来たかに過ぎないのですからね??
コンクールではなくて、その子が将来的にproとして生活出来るようになるか否かは、直ぐ分かります。
その子の音楽に対する価値観がその子自身の価値観である場合には、その子の音楽には魂が入ります。
つまり、魂のある音楽を表現出来るようになると、技術力は兎も角としても、充分にはproとしての資格を持つ事が出来るのです。
ドイツの名車であるフォルクスワーゲンなのですが、見えない所には、手間を掛けていません。
日本の車のように、見えない細部まで丁寧に仕上げている車とは大違いです。
Europaの多くのPiano等も全く同じで、見えない箇所には、全く手間を掛けていません。
どんな細部にまでも、手間暇を惜しまない日本の製品とはえらい違いなのですよね??
「それがコンクールと何の関係があるの?」
という事なのですが、日本の音楽家の場合のは、細かい細部まで上手に音楽を作り上げているのですが、肝心要の音楽が無いのですよ。
凄い可愛い女の子のviolinistがいて、演奏をしているのですが、とても上手で完璧に演奏をしているのにも関わらず、何かが違っているのです。
よくよく注意して聴いて見ると、phraseのmelodieに言葉が入っていないのですよ。
美しくて美味しいのに、二度と食べる気にはならない。今日だけで充分なのだよな??そんな料理の感じです。
国際コンクールで特賞を取ったパテシエのお菓子・・・、美しくて、とても美味しいのだけど、一度だけで満足・・・という感じなのですよ。
「毎日でも食べたい」・・、そんな気にはなれないのです。
コンクールの音楽家達の殆どは、そのまま、忘れ去られて行くのです。
コンクールはそれをきっかけにして、音楽家への登竜門にすると良いのだけど、それが出来る人達は非常に稀だし、そういった人達はコンクール等は鼻にもかけないのですよ。
コンクールに間違えた期待を掛けて、「コンクールに合格するとproになれる」・・とか、「有名になれる」、と思っている人がいたら、「それは、間違いですよ。」と正しているに過ぎません。
コンクールを目指す余りに、音楽への道を踏み外している人達が多いのが現実なので、コンクールを受けたいと希望している人に、コンクールの意味を説明しているのに、過ぎないのですが、それが、『私がコンクールそのものを否定している』という事になっているようです。
音楽とは、語りかけなのです。
語りかけの無い音楽は所謂、魂の無い音楽なのです。
演奏には二つのstyleがあります。
演奏家が自分の感情を音楽に託して演奏する場合と、演奏家が作曲家の感情を聴衆に代弁して行くstyleの二つです。
日本人の若くて可愛い女の子が一生懸命に演奏をしているのに、美しいのだけど、音楽が伝わって来ません。
楽しいのか?悲しいのか?暗いのか?明るいのか?さえ分からないで、ただ単に美しく弾いているのですよ。
今時のロボットでもそういった演奏はしないのだけどね??
困った事です。
もっと、最悪な事は、音が箱の音なのですよ。楽器の音ではなくて・・ね??

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5月15日『アフレコとアテレコ』 ·


アフレコとアテレコは良く混同して使われる事があるので、定義をしておきます。
アフレコとはafter-recordingの略で、撮影したvideoの上に音を重ねて行く事を言います。(その場合は、元の音声はそのままで、その上に重ね録りをします。)
当てレコは、日本語の『当てる』とrecordingの合成語で、animationでのcharacterの会話や、映画の日本語訳のように、配役の口の動きに合わせて言葉をrecordingする事を言います。
私がaround30歳の頃の時代では、未だvideoというものがこの世に存在しなくて、film-cameraが主流だったので、音楽の録音の場合でも、映像をcameraで撮影してから、録音だけは録音としてStudioで録音をしていました。(同時に音声も録音すると、cameraのmotor音が録音されてしまうからです。)
その頃は、未だ音楽教室を作る随分以前で、日本に帰って来たばかりの頃の話しなのですが、学研から、突然「Pianoの可愛い高校生の女の子を貸してくれ」とofferがあったのですが、その当時は未だ生徒は基本的には教えていなかったので、手持ちの中学2年生の女の子を「高校生に見えるかな?」と言いながら、連絡を受けた2日後に、HallとStudioのある会場に連れて行きました。
最初の予定では、「Beethovenの月光の曲とか、Chopinの子犬のwaltzとかいう有名な曲を撮影したい」という話だったので、2日間で、その2,3曲を準備して行ったのですが、Hallで撮影する段階で、「絵的に、曲が気にいらない」・・と言う話で(録音staffの人が自分で決めたのも関わらずなのですが、業界の人は常に我が儘なのでね・・・??)Hallに付属している売店で、他の曲の楽譜を買って来て、「この曲でお願いします。」という無茶振りでした。
中学生、高校生ともなると、音楽を目指す子供達は、有名大学の教授達の生徒に数多くの優れた子供達がいる・・とは思われるハズなのですが、そういった優秀な子供達をさておいて、私の所にofferが舞い込んで来たのは、私が指導している子供達の初見力・・というか、初見の暗譜で演奏するずば抜けた力量だったのですよ。
・・という事で、当日、連れて行った女の子も、まあ、初見の暗譜は、全く問題は無い子供だったので、その場で渡された楽譜も難なく弾きこなして、舞台でのcamera撮影が終わって、今度は、Studioで、その曲の録音になったのですが、確認のために、3回程、録音をした後で、staffの人達が驚いて、「流石は芦塚先生の生徒さんですね??3回とも100分の1秒のズレもありませんでした。」と絶賛していました。
という事で、恙無く録音録画が終わったのですが、後日には、videoのtapeとしても、高校の教材として配布されたので、私も完成した動画を見る機会があったのですが、どう見ても、やっぱり中学生にしか見えなかったので、冷や汗ものでした。
当時の生徒は大学生だけで、子供は基本的に教えていなかったので、私が指導している子供の生徒は、中学生の3人しかいなかったので、致し方は無かったのですよ・・・ね??
教室を開いた頃からは、βの巨大な録画機器とvideoのcameraが発売されて、非常に高価だったのですが、購入してlessonの風景や、発表会での演奏風景を撮影しました。
勿論、よっぽどの家庭を除くと、一般家庭には未だvideo-cameraを持っている家庭は、非常に少なかったので、最初の時代には私が自分自身の指導のための勉強のために撮影していたのですが、その後、videoのrecorderが一般家庭にも、購入されるようになっても、流石に、各家庭でvideo-cameraを持つ事は稀だったので、希望者には、発表会の録画のtapeを実費でお分けする事にしました。
その後、βやVHSの時代から徐々にcompact-video-cameraの時代に変わって来て、業者sideでも、写真の撮影と同様に、発表会のvideoを生徒たちに販売する事が一般的になって来たので、教室では、営利目的のvideoの撮影や編集の作業は、教室本来の仕事ではないので、videoの撮影と編集の作業は業者に委託する事にしました。
但し、一般の音楽教室の発表会の場合には、写真やvideoを販売する場合には、全体写真とその人の演奏の写真があって、基本的には発表会に出演した子供達の全員が写真を購入する事になっているので、業者を雇っても、採算が取れてその音楽教室には経済的な負担は無かったのですが、私達の教室の場合には、朝の10時開演で夜の8時終演では、生徒達を全体写真のために待たせて置く事は不可能なので、自分の部が終わった時点で帰っても良い事になっているので、写真やvideoの購入者も任意になってしまいます。
そのために、写真・videoの購入者が非常に少なくて、写真の業者から撮影を断られてしまいました。
その後、教室の保護者や関係者の人達に写真の撮影をお願いして教室で代わりに希望者には写真を売っていたのですが、手間が大変だし、営利目的でやっているように思われても嫌なので、教室としては、写真を撮影する事自体を止めてしまいました。
保護者の人達が勝手に撮影しているようなので、教室での写真撮影は不要だと思ったので・・。
同様に、videoも購入者が非常に少なく、業者の損失を教室が負担していたのですが、結局、発表会の経費としては、莫大な赤字が出てしまうので、業者と協議をして、videoの外部委託も止めて、教室での自主撮影をする事だけにしました。
教室でvideo-cameraの撮影をする・・という事は、結果的には私一人で作業をしなければならない・・という事なので、私に取っては大変な負担になってしまいます。
特に、4台のmulti-video-cameraで撮影して編集する作業は大変手間の掛かる作業なので、私としてはやりたくない作業なのですが、生徒一人一人の進歩の過程を残して置くという事や、生徒達が自分の演奏を客観的に見て、自分の勉強に役立てるためには、とても有意義な事になります。
音楽の勉強は色々な人達が演奏を見てからの話になります。
音楽大学等では、一般的には学生の対外演奏を禁止している所が多いのですが、それは学生の水準で対外出演をされると、学校の不名誉になってしまうからなのです。
しかし、音楽は人に話掛けて、説得をする、所謂、舞台と同じなのです。人の前で演奏する事が即ちその人の成長に繋がるのです。人の前で演奏する事無しに、その人の音楽が説得力を持つ事はありません。videoで演奏を公開する事は、その人が音楽の世界で羽ばたく限り、必ずその人の将来に繋がって行き、役に立って行きます。
ほんの少し前までは、自分の音楽歴を映像に残して、映像としての略歴を作る事は不可能でした。本当に今の人達は恵まれています。
私でも私の現役の頃の演奏の動画は残っていないのですよ??
また、このmulti-video-cameraの編集の作業を学ぶ事は、proとして音楽界で活動を続けるためには、その技術や方法を知っておく事は、大変な勉強になります。
私がいつも言っている事なのですが、proがamateurと違って上手なのは、videoの録画録音の撮影があるからなのです。
通常、recordingの作業のは、音楽関係以外の人達が集まって録音・録画の作業を進めて行きます。
10人のstaffがいたとしても、その中で、音楽家である人はpianist本人と作曲家、指揮者の3人だけで、後は、録音関係の人達やproducer達だけなのですよ。
またコンクール等を受ける人達に取っては、アフレコやアテレコの技術を学ぶ事は、proの演奏家達の音楽の作り方を学ぶ上での音楽技術の上達の基本となるので、とても重要な勉強になります。
私がmulti-video-recordingの技術を学んだとしても、私自身は演奏家ではないので、なんのmeritもありませんが、あくまでも生徒達への指導上の教育的な意味でのvideoの撮影と編集になります。

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5月17日ワクチン接種の許可が出た ·

お昼過ぎに主治医の先生からの電話が直接あって、ワクチン接種の許可が出たので、早速携帯で申し込んだ。
パソコンではQRコードの読み込みが出来ないからだ。
passwordや接種券の番号を打ち込むのが、携帯では文字が小さいし、番号の確認も出来ないので、数字を打ち込むのに、チョッと手間取ってしまったのだが、10分も掛からない(電話が通じる迄には、予約の取る事の出来ない日にちが分からないので、当てずっぽうに日にちを開かなければならないので、非常に無駄なaccessでした。
最初から駄目な日にち以外の予約の取れる日にちをselect出来れば、selectするのには、ホンの2、3分しか、掛からなかったと思います。
予約が空いている一覧表に入ってからの、日にちの予約を取るのは、2,3分しか掛からなかったのですがね?)で登録予約が完了した。
超、楽であった。
という事で、今週は恰もまるで老人のように、病院通いの週になってしまった。
携帯だけで、人を介さないで、出来るというのは、とても楽で、負担が少なくて良い。
特に、私のような対人恐怖症の人間に取っては、人と会話をする事自体が苦痛なので、とても良い。
これで接種もロボットが全自動でやるともっと良いのだが・・??
今日のmain-eventが終わったので、「仕事modeに入ろう」とパソコンの前に座ったら、突然、体調不良になって動けなくなって来て、意識が混濁として来て、座ったままで眠り始めたので、慌ててbedで寝る事にした。
昨日は新教室のパソコンのbluetoothの設定が出来なかったので、急遽、千葉に車を出して、今まで買っていた小物を使用してbluetoothの復活を試みたのだが、出来なかったので、疲れが溜まってしまっていたらしい。
突然virusが入って来て、McAfeeがとんでもない事を始めたので、急遽installを中止して、Security0をdown loadしようとしたのだが、virusとMcAfeeが邪魔をしてdown load出来ないので、disc 版を購入する事にした。
virus-busterは入れていたハズなのだが、hard-diskを交換した後で、virus-busterだけ、戻していなかったらしい。
いずれにしても、hard-diskをrenewalしたのだから、virus-busterもversionupしなければならないだろうしね??


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5月19日再手術が決定した ·

昨日、5月18日の火曜日は、3ヶ月振りの川崎の病院での検査でした。
検査結果は・・・???
いや~ぁ、超、Shockだよな??
前回の検査で、疑わしい・・と思われた所が、完全に再発して、またまた、二泊三日の手術になってしまいました。
今回は、コロナ対策のために、色々と複雑な検査や準備があって、病院での検査内容も複雑怪奇です。
それとは別に、コロナ・ワクチン接種のtimingと歯医者や糖尿病内科の外来の診察とも全部被って、double-booking所ではなく、tripleもquadrupleもダブってしまいました。
いや~ぁ、今日からは、病院に電話を掛けまくって、予約の変更をしなければならない。
病院間の調整が大変だ。
コロナ対策で、今日からの体温を術日まで毎日計って書き込んだり、入院の前の日に、コロナ検査をしたりで、今までは、見た事もない手順だよな??
それに、前回の入院の時は、晩秋から冬だったので、病院での寝巻きも冬用だったのだけど、今回は6月なので、夏用の寝巻きがないぞ??
病院で借りたのは小さくてつんつるてんだったので、慌ててスーパーで買って来たのだよな??
それに病院は何処も、スリッパ禁止なのだよ。
転倒するからなのだそうだ。
以前買ったナースシューズは、足が狭くて長時間履いていると痛くなって使えないのだよな??
それにしても、プリドルっ歩を済ませて、深夜1時過ぎにハイツに戻って、一人になってからは、少し落ち込んでしまって、眠れなくなってしまったのだよな??
早く仕事を始めて、仕事modeに戻らないと鬱が起こってしまうよな??

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5月21日[violaとcelloのduo] ·

今日は5月21日の金曜日です。
今回、発表会で瑞希ちゃんと珠加ちゃんが弾いてくれた、私の『violaとCelloの二重奏曲集』の中の第一番の楽譜のお話なのだが、私がこの曲を作曲をしたのは、1976年5月5日の30歳の時なのだが、当時はnotationのsoftであるfinaleが無かったので、・・という事ではなく、パソコン自体が未だ一般的ではなかったので、当然、楽譜は全て手書きの原稿をそのままcopyしていた頃の時代の譜面である。
手書き譜は、出版されている楽譜のように、(或いは、パソコンで入力した画面のように・・)音符の単位で書かれている(音符が2段でも拍の単位で上下の音符が整合性を持って書かれている)分けでは無いので、私のようにfacsimileの手書きの楽譜を読み慣れている人間は別として、手書き譜を見た事がない人達にとっては、拍子感や拍のimageが直感的に見えないようで、今回のduoの第一番も、譜読みには、苦労したようだ。
基本的には、私達作曲家は、習性上楽譜を書く時には、原則として横に書いて行くので、縦のlineが合わない・・という事がよくあるのだよ。
勿論、私達も楽譜を書く時にはそれなりには、注意して書いてはいるのだけどね??
今回の私のduoの楽譜は、手書き譜を見て演奏をするという事なので、手書きされた楽譜からは、拍(rhythm)のimageが沸いて来ないらしい。
という事で、今回のduoの演奏にあたって、Celloを担当した珠加ちゃんが、自分の演奏のために、finaleに入力をしてくれたのだが、手書き譜を入力するのは作曲者本人でないと、なかなか難しいものがある。
発表会は終わってしまったのだが、videoの撮り直し・・という事で、昨晩、珠加ちゃんからfinaleに入力をしてくれた楽譜のlineで送って貰って、そのfinale-dataの手直ししながら、「どうせなら、第二番も・・」と、欝に任せてfinaleに入力作業をしてしまった。
記譜上は、第一番よりも第二番の方が複雑なrhythmになるからだ。
私は、一応は作曲家でもあるので、finaleの入力の速度は極めて速いので、2時間程度で、朝の9時前には、入力が終わったのだが、まあ、改めてfinaleで初めて自分の曲を視聴して見ると、なんと、鬱々で寂寥感に溢れた曲である事よ❢❢
未だ、若さに溢れていたアラ・サーの時代でも、私は欝に浸っているのだよな~ぁ??
マジ、産まれついてのpessimistだなや〜??
若い頃に作ったこの曲が45年経った今も、しっくりと来るのは、人間、45年経っても何も進歩していない・・という事だよな~ぁ??
なにを、今更、言っているの・・・?
って言われそうなのだけどね~ぇ??
それにしても、finaleでのパソコンの音源では、演奏がカクカクして、melodieの自然な歌い込みが全く無いよな??
いかにもロボットの音源という感じだよな??
finaleって、パソコンのくせに、3連音さえも、満足に正確に、ちゃんと弾けないのかね??
3連音が、初心者のように、すっかりよたっているよなぁ?
困ったものだ。
まあ、finaleはnotationのsoftなので、演奏は付録に過ぎないので、致し方は無いのかな??
音もdigitalの音で薄っぺらで聴くに堪えないし、な~ぁ??
duoの第一番の方は、撮り直しとvideo-dataの編集が終わり次第、生の音でお伝えする予定ですが、第二番の方は今の所、アテがないので、気に食わないけれど、取り敢えず、パソコンの音源でupして起きます。
勿論、出来れば、二番の方も、なるべく早くに、生の音にしたいよな??

芦塚陽二作曲violaとCelloのための二重奏曲集より第二番『寂寥』 - YouTube




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5月22日『前の文章から』 ·

この文章は前の文章の続きになります。「21年の5月の21日の金曜日」の文章と同じ日に書いた文章です。

•••てな事を書いて、朝の11時頃になって、突然、眠くなって来たので布団で仮眠を取ったツモリが、夕方の4時ぐらいまで爆睡してしまった。
熟睡出来なくて苦しんでいるのだから、当然、「善哉!善哉!!」・・となるハズだったのだが、体内時間が狂ってしまって、どうしても朝と夕方の区別が付かなくって困っていたら、突然、強烈な鬱に襲われてしまった。
超、お久しぶりの、いたたまれない絶望的な鬱である。
はてさて、どうやって、この鬱を逃げようか??
先ずは普段の鬱対策で、鬱々Koncertを聴きながら、雑用を片付けた。
しかし、私の鬱々Koncertも全くの効果は無しだ。
お酒に逃げるのも、明日の22日の土曜日はコロナの接種日なので、チョッと問題だし、・・
という事で、かなりの集中力を必要とする作業・・という事で、私の「duoの第一番」の校訂と動画を作ってYou Tubeの隠しsiteにuploadする事にした。
という事で、さっそくfinaleで前に訂正をしていたハズのdataを開いて見て、折っ魂消た!!
なんと、3連音や16分音符のlayoutが見た事のないような壊れ方をしている。
これはbugなのか??
かなりの部分を新たに入力し直さなければならないのだが、それは、余分な大変な手間暇が掛かってしまうぞなもし!!
どうやら、このbugはFinale同士のversionの違いで起こってしまったようだ??
America-versionのfinaleのsoftで開いてしまったのが、bugの原因のようだ❢
finaleへの再入力の作業をする中で、ついでに、気に食わないphraseの訂正もしてしまった。
瑞希ちゃん達が弾いたversionとは、いつものように、変わってしまった。
これは作曲家のサガだよな??(と言うか俺の・・??)
と言うか、全ての職人の・・だよな??
まあ、いずれにせよ、finaleの見た事もないbugの所為で、近年来無かった超絶な鬱がぶっ飛んでしまったのは、助かったよな??


芦塚陽二violaとCelloのための二重奏曲集より第一番「悠遠」パソコン音源 - YouTube



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5月22日教育は私の天職ではない ·

私は日頃から「教育者には向かない」「教育は私の天職ではない」・・と、周りの人達に言い続けている。
世間の勘違いでは、私が音楽の才能のある生徒だけを依怙贔屓をして育てているように言われている事もあるのだが、それは勘違いも甚だしい。
音楽は全く同じに教えても、生徒の意欲に拠って、直ぐに伸びる生徒と、全く伸びない生徒がいる。
それは、学校でも塾でも同じである。
塾の場合には、熱心に勉強をして来る生徒達を集めて特別classを作って教えるのだが、そこに勉強しない、勉強に対しての熱意の無い生徒を放り込んでも、成績が上がる分けでは無い。
勉強が出来ない生徒は出来ないgroupで、手取り足取りの丁寧な指導を受ける方が効率が良いのだよ。
優秀な生徒を集めたclassでは、1を聴いて10を知る生徒達なので、勉強に熱心で無い生徒では授業に付いて行ける分けはないのだよ。
しかし、親は優秀な生徒を集めたclassに自分の子供を放り込むと優秀な成績を取れるようになる・・と勘違いをする。
学校教育では一般の生徒をみんな一般のように同じ指導をする事が公平なのだ・・という発想なのだが、それでは運動が苦手な生徒も、Olympicに出るような優秀な生徒も同じ教育をする事になるのだが、それは公平とは言わないのではないのかな??
私に対して、依怙贔屓を云々する人達は、公平の意味を履き違えているのだよ。
私に取っては、どの生徒であったとしても、私の言う事をちゃんと聞いて、私の言う通りに勉強をしてくれる生徒ならば、才能とは無関係にその生徒を伸ばす事が出来るので、私に取っては、生徒の才能の有る無しは関係はないのだから、依怙贔屓をする必要は無いし、生徒の実力も関係は無いのだよ。
つまり、私がある生徒に依怙贔屓をするか否かは、(本当は、依怙贔屓が出来るか否かは・・)その生徒がどれだけ音楽が好きで、音楽の世界にのめり込んでいるか??・・で決まるのだよ。
音楽に大して興味のない子に、器用な事を才能と勘違いをして、「才能がある」・・という理由だけで、私がその生徒を集中的に指導をしたら、その生徒は一瞬で潰れてしまうだろうよ。
音楽の場合には、(と言うか、学び事は全てそうなのだが・・)先生が生徒に対して、丁寧に、手取り足取り、より長い時間を掛けて指導したから、と言っても、それで生徒が伸びる分けではなく、逆に生徒がlessonに飽きてしまい、lectureに付いて行かなくなって、結果的には、潰れてしまうのだよ。
くどいようなのだが、私が生徒に対して依怙贔屓をする事が出来る場合は、その子供や親が私の依怙贔屓に対して、耐え得るだけの意思や、決意、熱意を持っている場合だけなのだよ。
つまりは、その生徒が自分の人生に対して音楽にどれだけ熱中しているのか??という事と、私が指導する事に対して、どれだけ熱心に自分の身に吸収しようとしているか??・・という話だけである。
これだけでは分かり難いと思うので、逆の言い方をすると、どんなに優れた優秀な才能があっても、・・或いは、音楽の演奏表現技術に優れていたとしても、音楽に対しての思い入れが薄い生徒に対しては、私もその生徒の自由に任せる事にしている。
昔々、私が毎週、直接子供達を指導していた頃は、音楽に進む生徒か、さもなくば、例え音楽の道に進まなかったとしても、勉学と同じ程度に音楽を勉強しようとする生徒達に限定して指導をしていました。
私は不真面目にlessonをする事が出来ないので、私が真面目に趣味でしか無い生徒の指導したとすれば、その生徒を潰してしまう可能性があるからです。
だから、或程度の意識を持った生徒でないと、怖くてlessonが出来ないのですよ。生徒を音楽嫌いにしてしまう事だけは避けたいのでね??
一人一人の生徒達も、lessonを受ける曲数も非常に多いので、1時間、2時間のlessonの間では、1,2曲しかlectureをする事が出来ません。
一人の生徒の持ち曲の数は10曲、20曲に及ぶ事があるので、1回lessonを受けると、次にその曲を見て貰えるのは2ヶ月後ぐらいになります。
つまり、半年coolのlessonでは、一曲を見て貰えるのは、三回ぐらいになるのです。
それで、完璧に曲を仕上げる事が出来るようにならないと、上級のlessonは受けられないのですよ。
私の場合には、出題する音楽の課題曲には到達すべきNiveauが必ずあるからなのです。
私が生徒に出す条件は、子供達の技術のlevelではありません。
私の言う事を真面目に聴いて、それを一生懸命にやってくれれば、子供の演奏する技術は全く問題にはしません。
熱心で有りさえすれば、全くの初心者でも良いのです。
音楽の楽しさや、音楽の厳しさ、音楽の奥深さを教えるのは先生の役割なのです。
だから、私の場合には、生徒の技術level(水準)は全く問題はありません。
Pianoを一度も弾いた事の無い生徒でも、私に取っては全く問題では無いのですよ。
Pianoが弾けるように、それを教えるのが先生の役目だからです。
私からBeyer教則本とCzerny30番を学んだら、その次には、ChopinのwaltzやEtudeを演奏する事が出来るでしょう。
ChopinのEtudeやRakhmaninovのpreludeは、MozartのSonateやHaydnのSonateよりも簡単だからなのです。
「私は教育者では無い」という意味なのだけど、私が子供達を指導する時には、「子供達への教育は、楽しい」・・「喜ばしい」という事もある一面、反対に非常に「苦痛を感じる事」が多くて、歳と共にそれが耐え難くなって来ているからなのだ。
つまり、私の鬱の原因の99%までは、音楽を指導する以前の、子供と家庭の教育に対しての、私とのgapに起因する悩みであり、それが原因となって引き起こされる鬱に苦しめられているのだよ。
つまり、一般の音楽の先生達のように、子供の教育を、その家庭に任せてしまって、その中で、可能な所までを指導する事でお茶を濁すのならば、私が鬱になる事はないのですよ。
所謂、悪い意味での『放下著』であります。
子供が「音楽の道に進みたい」と言うから、その望みを叶えようとすると、一般的な常識とぶつかってしまうのだよ。
ついつい、子供が望むのは音楽家になる・・という事ではないのかな??と思ってしまうからです。
でも、一般の人達が言っている「音楽の道に進む」という意味は、音楽大学に進学する事なのです。
でも、音楽大学に進学する事はproになる事ではありません。
美大を卒業したからといっても、proの絵描きに成れる分けではないでしょう??どうしてそれが分からないのかな??
それが私の子供を指導し始めてから40年間、延々と続いている一般の人達の勘違いなのですよ。
つまり、何度も口を酸っぱくして言っているように、音楽大学を卒業してconcoursに入賞して、留学して、日本に凱旋したとしても、その延長線上にproは無いのですよ。
どうして、皆さん、現実が見えないのかな??
不思議だよな??
だから、昔から楽器店の人に言われているように、「芦塚先生、生徒の面倒見が良すぎるのよね?」「生徒が『音楽に進みたい』と言ったら、芸大の先生の所に放り込めば良いのよ。」「そういたら、その先生の所で、脱落した生徒を回して貰えるわよ??」
それは分かっているのだけれど、それでも、どうしても子供が可哀想でね??ついつい、面倒を見てしまうのだよ??
でも、結果的に、教室をやめて、大学の音楽教室に行くのならば、結果は同じなので、私が頑張って、悩みながら、面倒を見る事も無いのだよな??
円満に「音楽に進みたい」と言った時に、大学の先生に紹介すれば良いのだよな??
そりゃあ、楽だよな!!
まあ、「大学の先生よりも、絶対に芦塚先生の方が良い!」・・と言った生徒だけを残して、指導すればlessonもlectureも非常に楽で、欝になる事もないよな??
なまじ、子供達に「日本流の間違えた教え方で学んで欲しくない」・・と思ってしまったのが、間違いだったのだよな??
どっちみち、音大に進めば日本流の演奏法になってしまうのだから、早いか・遅いかの違いだけだろうしね??
子供達が私から音楽の指導を受けて、音楽を勉強する事で、私自身が、鬱になる事は無いのは当たり前の事なのだよ。
子供が練習をして来なかったとしても、或いは、子供が音楽を大して好きでなかったとしても、それは本人の問題なのだから、それが私の心を乱す分けではない。
発表会で本人が勝手に練習をして、(つまり自己流に言われた事を守らないで・・)大失敗をしてもそれは本人の問題であって、俺の言う事を聞かなかっただけの事なのだからね?
それなのに、私は何故鬱になるのか??
その原因と言えば、私は子供を見る時に、その子供の未来の可能性を見てしまうからなのだよ。
つまり、その子供が一生懸命に努力を続けて行った時に、到達出来る水準を見る事が出来るのだ。
しかし、それはその子供が道草を食って、他の道に迷わなかった場合の話であって、殆どの子供達は、自分の能力の最大を引き出す事が出来ないのが現実なのだよな。
『ここから以降の文章は、全くの別文章で、子供への教育のお話とは関係は無く、専門家の指導の問題です。』
教育をする上で、常に相手が成長をする上での障害のpoint、所謂、neckになっている事が二つある。
その一つは整理整頓であり、もう一つは意識の持ち様(心の置き所)である。
これを日本に帰ってから弟子達に、或いは、教室を開いてからは保護者達や生徒達に言い続けているのだが、どうしても理解しては貰え無いのだ。
仕事には、同じ仕事を積み重ねて行く仕事と、毎回、approachから新しくなってしまう仕事がある。
仕事が増えて行くと、当然資料も増えて行く。
そこで、所謂、「出来る人」と「出来ない人」の違いは整理整頓の技術である。
仕事の出来る人は、仕事が速いのが常である。
仕事が遅くて丁寧な人も、「遅い」と思われても無駄な作業がないので、結果は速いのだよな。
つまり、遅くても結果を出せない人は、「出来ない人」に過ぎないからだよ。
仕事で「時短」を望むのならば、当然下準備が大切である。
仕事を前にして、下準備をする人は仕事が遅くて、出来ない人になる。
仕事の出来る人は、今やっている仕事の完成が近づいた時に、次の仕事の下準備をするので、仕事と仕事の間にragが出ない。
複数の仕事を同時に熟すのが一般的なのだろうが、その連絡をline等でする場合には、一見するとline上にdataが保存されているように思われるのだが、「いざ探そう!」とすると、なかなか見つからないで、時間が掛かってしまう。
そこで、整理が必要になる。
仕事上で、外回りが必要な場合、つまり、買い出しの場合には私は行き先別に纏めている。
仕事の分類がどうであれ、買い物をする時には、場所が優先であるからだ。
分類が出来ない人は、そういった柔軟性が無いのだよ。
lineのmailを読んだ時に、必要な項目をコピペして、分類別のfileに保存すると、必要な時に、探す事が無くなるので、極めつけの「時短」になるのだが、幾ら説明をしても、後回しにする癖のある人達は、幾ら注意してもその癖は、永遠に治らない!
私のmottoは、『同じ注意を二度は受けない』という事である。
二度も、三度も同じ注意を受ける人は、結果、その注意が治る事は無い。
毎回同じ注意をされる人は死ぬまでその注意は治らないのだよ。
それがその人の限界である。
人の言う事が聞けない人は、伸びる事は無い。





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5月22日柿渋の可愛いリュックが ·

今日は5月22日の土曜日なのですが、コロナのワクチン接種の日なので、朝はその準備のためもあって、結構早めに起きてしまったので、余分な時間で、私のduoの一番の曲をfinaleで校正•編集して、写真を貼り付けてYou Tubeにuploadしました❢
そういったYou Tubeへの動画の編集作業をしながら、同時進行で、風呂に入ったり、シンクの中の洗い物を片付けたり、等々の雑用をしながら、ワクチン接種の書類の準備をして、いよいよ、直前の時間になったので、出発しようと思って服を着ていたら、何と準備したハズの病院専用の柿渋の可愛いリュックが無くなってしまいました!
超、shock❢で、慌てて探したのだけど、見つかりません。
出発時間のtimelimitは過ぎてしまっているし、焦ってしまいました。
何度も部屋を見直して、ついには玄関の外までも確認したのですが、見つかりません。
時間はどんどん経過して行くし、焦ったよね??
何度も、何度も物をどかしながら、それぞれの部屋を確認した後で、いつも座っているOffice用のエクゼチェアの後ろに、落っこちているのを発見しました。
見ているようで、死角となっている場所は見えないものなのだよな~ぁ??
霧雨だったのだけど、会場でのraincoatの脱いだり着たり・・という無駄は省きたかったので、少しぐらいは濡れるのは覚悟で、会場までbikeで、携帯のカーナビを使用して行きました。
テレビでは、予約が取れた老夫婦が会場の道を確認にわざわざ行っているドキュメントの放送がありましたが、そこまではね~ぇ???
会場までの道は、練馬周辺の道が、非常に混んでいたので、ナビの指示ではなく、渋滞を避けて、迂回を重ねながら会場を目指して走ったのだけど、まあ、私のrisk回避の予定の時間の設定なので、随分遅れたのだけど、決められた時間よりも15分は前に着いたよな??(ナビでは、12、3分の予定だったけれど、実際には渋滞で迂回した分、16、7分は掛かってしまいましたが、着は予約の30分前に設定していたので、それでも10分は余る計算になるのです。)
会場では、予約の時間に関係なく、来た人からどんどん処理をしていたので、全く、待つ事も無く、スムーズにワクチン接種と待機が出来て、ハイツを出発して戻って来るまでは、1時間で収まりました。
これはお役所の仕事としては素晴らしい事です。普段から、これぐらいの処理能力があると良いのだけどね~ぇ!!
(褒めているのだよ!!)
次回の予約は、明日からnetでの予約になるそうで、ちょうど20日間後の土曜日の同じ会場を取るように注意されました。
お役所の作業をsmoothにするためだそうです。
接種後は何の変化も無かったのですが、6時間後の深夜の1時頃からは、接種した注射の後が少し痛み出したようですね。
触るとピリリと痛いです。
6時間、7時間経っても、痛みが少しづつ増しているようなので、これがコロナの注射の痛みだよな??
まあ、想定内という事なのかな??
熱っぽい感じなのだけど、実際には熱は無いので・・ね??
2,3日もすれば治るでしょうかね??
それと、深夜、寝ていて寒けがしたので、薄手の合いをまたまた毛布に変えたのだけど、これもワクチン接種の所為??それとも、マジに寒かったの??
でも16°はあるようだったのだけど、温度と寒さ暑さとは関係ないようなので、温度だけでは分からんよな??
池袋の駅で買った柿渋の小さなリュックです。結構、高かったぞよ。でも、病院用にしているので、結構利用頻度は多いのかな??bikeで背負って走るにはちょうど良いからね??
コメント3件
中野 卯月
大切な時に限って
探し物発生します!
予約時間に間に合われご無事に接種を終えられ良かったです!
· 返信する · 31週間
芦塚 陽二
ありがとうございます。第二回目の接種日の予約も確定しました。その前に手術が入ってしまって、手術日と診察日がdoublebookingしたので、予約日の変更をお願いしている所です。6月いっぱいまでは病院月になってしまいました。
· 返信する · 31週間
中野 卯月
芦塚先生
頑張ってくださいませ!

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5月23日黒のショルダーのポシェット ·

今日は23日の日曜日です。
後期の秋の発表会に向けての、オケ室の練習の開始日になります。
楽譜渡しの日なので、私は今日のTeleworkはお休みです。
昨日コロナワクチンを接種したばかりなので、ひたすら部屋の中で安静に過ごす事にしています。
お昼の3時半の練馬の気温は25°で、体感温度では26°なのですが、私は、不思議な事に、寒くて昨晩変えた毛布にくるまって震えています。
結局、1日ウダウダとしていて、ロクな仕事も出来ないと落ち込んでいたら、やはり、夜は流石に熱が出て来たのだが、暫く安静にしていたら、直ぐに平熱に戻った。
しかし、平熱とは言っても、体温は私にしてはかなり高めのギリギリの平熱です。
ワクチン注射の所為なのかな??
それとも、単に風邪をひいたのかな??
それとも単に体調不良の所為なのかな??
無理だとは思ったのだが、ドルプリっ歩にも付き合った。
ハイツに戻ったのは1時を過ぎていた。
流石にバテバテで、持ち帰ったお弁当もそのままに寝てしまいました。
普段の椎名町とのBikeでの移動には、免許証と小銭入れと携帯か、保険証のどちらかが入る黒のショルダーのポシェットを使っています。弁当や楽譜等は別のリュックや手提げ袋等を使うからです。

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5月24日天候不順で体が ·

今日は5月24日の月曜日です。
日曜日から、ますます体調不良が酷くなって、月曜日の今日も、まるまる1日をパソコンの前で椅子に座ったままに意識を無くしていたり、布団の中で、せんもない悪夢を見ていたりと、ウダウダと一日中、無意味な一日を過ごしていました。
・・とは言っても、未だ今日が終わった分けではなく、斉藤先生が10時頃に帰って来るので、頑張ってそれまでにbedから起き出して、椎名町に移動します。
「ドルプリっ歩は無理!!」と言いながら、この所は、shortcutだとしても・・お散歩には付き合っているのですが、今日のお散歩はcinderella-timeの12時過ぎになってしまいます。(勿論、月曜日のいつものroutineなので、毎週毎回、同じ事なのですがね。)
椎名町で食事をしながら、テレビのnewsを見ていたら、コロナワクチンを受けた人達が、その後の2,3日を不定愁訴に悩まされていたという事を言っている人達も多かったようなので、それこそヒョッとしたら、私の体調不良も、「コロナのワクチンの所為なのかな??」と、思ったりもしました。
まあ、いずれにせよ、余り悩まないようにしたいとは思っているのですがね。
この所、ず~と、一日中霧雨や小雨が降ったりやんだりのどんよりとした、私の心を反映したような鬱々な天気が続いていたのですが、今夜、椎名町にbikeで移動する時には、(私としては、小雨・霧雨を心配していたのですが、)晴れて夜空には雲が殆ど無い美しい13夜(12.5ぐらいかな??)の月夜になっていました。(今日も、お昼間は延々と、曇天の鬱陶しい天気が続いていたのですがね??夜には雨も上がったようです。)
明後日の26日の水曜日の夜は、満月でフラワームーンとスーパームーンと皆既月食だそうです。(それだけ蘊蓄が寄り集まると凄い満月が見れそうですよね?? アハッ!)
最も27日は雨で18°。 26日は曇りで28°の予想だそうです。
1日で7月から4月へ逆戻りするようなのですが、この所の朝晩の温度差が10°以上なのは珍しく無いようなので、余り驚きませんが、体は、歳を取ると、やっぱりもう付いては行かないようだよね??
10代,20代の若い人達は体調はどうなのかね??
体力があるから、関係無いのかな??

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5月25日入院前の薬のtrouble ·

今日は5月の25日の火曜日です。
朝から曇りなのか、晴れなのか?よく分からないけれど、太陽はちゃんと顔を見せているようで、チョッと湿気っぽいけれど、一応爽やか風なので、部屋のdoorというdoorを明けて、窓を全開にして部屋の空気を入れ替えています。
少し風が強いので、書類が飛ばないように注意しながら・・。
昨晩、Security0をハイツに持ち帰って来たのですが、流石にcinderella-timeの1時を過ぎていたし、体調不良も酷かったので、昨晩のcomputerのinstallの作業はとても無理だったので、今日は、朝から(Dellがwindows7から10にupgradeした古いパソコンだったので壊れたhard-diskの修理を断わられてしまったハイツで使用していた高性能のパソコンなのですが、壊れたhard-diskをmaker外のSSDに交換して、versionを更にupしたパソコンにSecurity0を入れて、更に8Tのhard-diskに保存してあった古いパソコンのback・up-dataを元のパソコンに戻す作業をしています。
これはdataが膨大なので時間が掛かるのだけど、発表会の練習風景のvideoや発表会当日の4台のcameraのvideo-dataが半年分でちょうど1Tになるので、mainのパソコンのhard-diskが一杯になって来たので、古いdataを旧Dellにback・upさせるために、8Tのhard-diskを開けるための作業です。
これは半日作業かな??アハッ!
と思ったら、お昼の12時チョッと過ぎ迄には何とかなりそうな雰囲気です。相当に速いです。流石はSSDだよな??
何とか12時15分ぐらいには、設定とhard-diskを空っぽにする作業が終わりました。
ついでに、dataを共有するために、3台の大型パソコンを共有設定したのだけど、同じ作業をしたのに、AはBとしか共有出来ないし、Cは全てのfileが共有出来るのだけど、AとBはCを見る事が出来ないのだよな??
どうなっているのだ??
頭がスッキリしている時に、もう一度やり直すか??
体調不良でお粥食をしているので、梅干が終わった。
また、1月分の梅干を戻さなければ・・・!
今日はその作業もしなければ・・だよな??
・・・てな事を書いていたら、突然川崎から電話があって、「入院日までの外出は絶対にするな!」とのお達しの電話だった。
それはそれで良いのだが、手術日が、元々はひかりヶ丘の診察日なので、糖尿病の薬がそれ迄で切れるので、糖尿病の先生に相談して貰ったら、病院からの電話では、「診察をしないでは、薬を処方する事は出来ないので、川崎で糖尿病の薬も診察の日まで出して貰ってください。」と先生に言われた。
その事を、川崎からの電話で、話をしたのだが、まあ、受付では通じない事・・、何度も同じ説明を繰り返して、やっと先生に伝達して貰える事になった。
薬が切れる日にちが手術日である・・というtime-lineが見えないのだよな??
私が診察を受けて、手術の日にちが決まった時には既にひかりヶ丘の診察の日は決まっていたので、川崎の方がdouble-bookingなのだよ。
だからひかりヶ丘に変更をして貰ったので、薬が2週間切れてしまうのだよ。
手術日がひかりヶ丘の後で決まったので、double-bookingは、俺の所為では無いのだよな??
ひかりヶ丘にしても川崎にしても、患者が直接、電話で、先生に予定を相談する事は出来ないので、必ず受付が患者に変わって先生に相談する事になるのだよ。
「担当の先生では無いので、状況が分からない」では済まされないのだけどね??
通常ならば、同じ病院で糖尿病の外来も見て貰う事が筋なので、予約を取る段階でdouble-bookingは起こらないのだろうけれど、川崎は県外で遠いので、毎回の病院は同じ練馬区でないとね??
川崎はひかりヶ丘から逃げ出した、second opinionの病院になるのでね??
話がややこしくなっているのだよ。
その昔、同じひかりヶ丘の場所に、日大病院があって、江古田の教室の傍の掛り付けの病院からそこを紹介されたのだが、そこで手術の予定になって、「冠動脈を1本しか助けられないので、生涯、寝た切りになる」・・という話だった。
慌てて、先生達にnetで名医を探して貰って、当時大和成和の心臓外科の先生が、当時は最先端であったオフポンプ冠動脈バイパス手術をしてくれる・・という事で、先生に手術をお願いした事がある。術後も5年以上も診察に通ったのだが、練馬からは流石に遠いので、江古田の近場の練馬区の大学病院という事で順天堂の病院に紹介状を書いて貰った。
その時には、未だ日大病院はあったのだけど、流石に逃げ出した病院に戻るのは嫌だったのでね??
順天堂の先生は検査の度に、ステントの寿命は5年で、長く持っても7年という。
とっくに、7年は過ぎているので、「だから、ステントの寿命が来たら、私はどうすれば良いのですか??」と尋ねると、それに対しての答えは無いのだよ。
「もう一度、切れば良いのですか?」と尋ねると、「ステントはもう取れないので、それは無理!」との答えだ。
では、死ぬしか無いじゃあ、ないの??
病院に行く度に、1週間以上も鬱になってしまうのだよ。
これは、精神的によろしくない。・・という事で、近場の循環器内科の個人病院に行く事にした。
個人の先生に「病院を変わる手続きをしましょうか?」と言ったら、「もしもの時の用意に、うやむやにしておいてください。」という事ですっぽかしたままになって、10年以上も経つ。
その間に糖尿病の数値がどんどん悪化しているのにも、関わらず、何の対応もしないので、薬局の薬剤師から緊急に糖尿病の専門外来を受診するように意見をされて、已む無く、ひかりヶ丘の糖尿病の先生が有名なので・・という事でひかりヶ丘の病院に行く事になったのだよ。とは言っても、その時のひかりヶ丘の病院は既に日大病院ではなく、個人の病院の集合の病院なのだ。区の病院でも無い。
この25年の間、病院を転々としているような具合なのだよな??
次に同じ「ひかりヶ丘病院」に行ったのは、日大病院が撤退した後の民間のひかりヶ丘病院なのだが、そこで、膀胱の癌と腹部大動脈瘤がCTで見つかって、腹部大動脈瘤のステント手術をする予定が、「出来ない」という事で、急遽開腹手術になったので、またまた、ひかりヶ丘を逃げ出して「出来る」川崎の病院にお願いをする事になったのだよ。
どうせなら、ついでに膀胱癌の切除手術も川崎でやって貰う事にしたのだ。
順天堂もドクハラで逃げ出しているし、練馬区にはロクな病院が無いのだよな。
大学病院もたかが知れているしね??
日大病院が逃げ出したので、今は順天堂病院だけか??
大学病院は・・??
それはそうと、今日は練馬では30°になったそうです。真夏日だよな?
体調不良の後期高齢者にとっては、16°から30°の気温の変化は、ちょっと辛いよな〜あ?


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5月26日薬のtrouble ·

昨日のお話なのだけど、私が1976年に作曲をしたduoをパソコンの音源で、You Tubeにuploadしたのですが、45年も前の作曲なので、手書きの譜面からfinaleに入力する段階で少し改訂をしました。
楽譜を書き写す度に、少し改訂をするのは、作曲家のサガなので、致し方は無いのですが、まるまる1日、パソコンの音源を聴いていて、両方の旋律のbalanceや、finaleで入力したハズのdynamikが、音源では全く表現されていない事に、我慢がならなくなって来てしまいました。
という事で、今日の朝からuploadしたYou Tubeを削除して、finaleで記譜上のdynamikでは無く、finaleで演奏させる上でのdynamikにfinaleの記譜を書き換えてしまいました。(あくまでも、finaleというsoftの操作性に対してのdynamikやarticulationなので、本来の楽譜上の演奏指示ではありません。)
誰かが生楽器で演奏をする時には、この譜面で演奏をすると、楽譜が実際の演奏を指示した楽譜ではないので、困ってしまいますが、finaleの音源では音の強弱(dynamik)や、楽器間のbalanceが余りにもヘボくて、forteと書いているハズの譜面が突然Pianoになったり、と分けの分からない事をしていたので、これまでは作曲家としての立場上、表情記号やMetronomやdynamikをfinale専用に書き換えるのは、流石に差し控えていたのだけど、今回、余りにもfinaleの音の再生が酷いので、再生用専門にfinaleの楽譜を書き直す事にしました。
だから、本来ならば、演奏用の楽譜、(所謂、印刷用の譜面)を別に作らないといけないのだけど、今回は、まあ、時間的にも、労力的にも、そこまでのEnergieがありません。
なにせ、入院・手術がすぐそこに控えているのですから、それどころでは無いのですよ。アハッ!
暫く様子を見て、体調が戻ったら、印刷用の楽譜を作る事にします。
いやあ、これは全くの時間の無駄だよな~ぁ??
•••てな事を言っていたら、またまた川崎から電話があって、「専門が違うので、薬はひかりヶ丘で担当の先生から貰ってくれ!」との先生からの伝言でした! 
直ぐに光が丘に電話をして、入院の直前の日に、ひかりヶ丘に診察に行く事になりました。ひかりヶ丘の診察日を変更したばかりなのにね??
まあ、歳を取ると、病院の調整だけでも大変だよな??
歯科のdouble-bookingの変更も未だ、そのままだしねぇ??
それにしても、今日は蒸し蒸しして暑い!!
練馬区の今の気温は26°なのだそうな??
体感はそれよりも高くて28°ぐらいはあるのかな??
それはそうと、肝心要の事を書くのを忘れていたのだけど、今日は24年振りの、スーパームーンで皆既月食だそうです。
皆既月食になる時間にverandaに出て空を仰いで見たのだけど、雲が厚くて月は全く見えなかった。
10時頃に、椎名町に移動するので、マンションの外に出てから、空を見上げると、半分に欠けた月が雲を通して見えました。
下の写真です。
それから外に出る度に、何度も空を見たのですが、雲が厚くて、満月の状態は結局一度も見る事が出来ませんでした。
まあ、今日の曇り空は、日本全国的なお話なのだけどね??
それはそうと、24年前っていう事は、冠動脈のbypass手術の次の年で、術後の管理が上手く行かなくて、それどころでは無かったのだよな??
今回も2週間後には手術の日だしな??
昨晩もハイツに戻ってきたのは深夜の1時すぎで、お弁当の保冷バッグに入れたままに、机の上に放置してしまいました。
toilette-timeではなく、ちゃんと起き出してから、慌てて冷蔵庫にしまった所です。
外はどんよりとした分厚い雲で、今現在の練馬の気温は16°だそうです。
寝ている間に、鼻詰まりが酷くなって、口呼吸もままならなくなって来たので、(喉が腫れて来たので・・)空気が吸えるように、四苦八苦している所で、窓を全開にして、空気の入れ替えをしている所なのです。大夫、呼吸が戻って来ました。
鼻は詰まってはいないのですが、鼻の穴の奥が狭くて呼吸が上手く出来ません。
どうしても、口呼吸になってしまいます。
困った事だよ。
諦めて座って仕事をしています。

大切なオペを控えられどうぞご無理が重なられませんように!

ありがとうございます。
昨日も「自宅に引き篭って居るのか??」の確認の電話が病院からありました。所謂、コロナのcheckです。まあ、世知辛い事ヨ❢❢


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5月28日クチナシの季節 ·

5月もあと二日になってしまいました。
とうとうクチナシの季節になってしまいました。
それにしても、今日は寒かったよね?
プリはお散歩、拒否するし、ドルも超ショートコースだったし!
路面が濡れていたので、嫌だったのだよな??
帰る時に、玄関にクチナシが買って来て、置いてあったので、私が貰ってハイツに持って帰ってしまった。
椎名町にも育てているクチナシがあったのだけど、ハイツに持って帰るには少し大きくなり過ぎたようだしな??
持ち帰りにはこれぐらいのsizeが良いよな??
長崎の家をたたむ時に、庭に咲いていた大きな鉢植えの八重のクチナシを車に積んで持って帰って来た。
ハイツのverandaで5年程は元気で、いたのだが、真夏の休みに部屋を一週間殆ど留守にする時に、水やりの留守番が見つからなくて、とうとう枯らかしてしまった。
今は夏休みでも、出掛ける事はないので、ハイツを留守にする事は無くなったので、八重の大輪のクチナシを買う事も出来るのだが、時間が出来たのとは反対に、体調不良が酷くなってしまってverandaに出る事すら少なくなってしまった。
折角のverandaなのに、勿体無いよな~ぁ??
ベランダでボッチの酒盛りでもしようと思って買ったお洒落な外用のテーブルも、寒かったり、暑かったりと、活用出来なくて、とうとう先生にせがまれて、新教室のベランダにプレゼントしてしまったしな??
それはそうと、市販の鉢植えのクチナシは匂いが少ない。
地面に直接植えられているクチナシは、遠くの方から香って来るのだが•••
ブロイラーの卵のようなものか??


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5月28日『Finaleの愚痴です❢ 派生音一覧』 ·


finaleの自動的な臨時記号の入力は、notationの設定をする時の調の設定によるようです。つまり、曲の設定画面で調を設定すると、途中で転調しようが無関係に臨時記号が設定されるようです。
10keyで入力をする場合には、臨時記号は、音符を入力した後で+-で入力するので、♯や♭の書き間違いの問題はないのだが、Keyboardで音符を入力する時には、♭や#がなかなか正しく入力されてくれないので、イライラして頭に来る事がよくある。
(♯でなければならない音符が♭になってみたり、♭でなければならない音符が#になったり・・というenharmonic、所謂、異名同音のお話です。)
特に、baroqueの音楽の場合には、g mollの曲でも、F DurのDorianとして♭一つの調で書かれる事が多いので、当然、finaleに入力する時の調号の設定は、「♭一つの短調」なので、g mollであっても、「d moll」に設定するのですよ。
その場合のd mollの派生音は主音のdの音から派生音は、[♭]23[#]4[♭]56[#]7[#]となり
ます。
しかし、それがd mollであったとしても、g mollだったとしても、Tritonusの関係なのだから、dの主音から開始しても、gの属音から開始しても、全く同じ派生音のintervalになるので、入力上は問題は無いハズなのです。
しかし、それなのに、finaleで臨時記号を入力すると♯や♭が思ったように入力出来ないのは何故だろう??
派生音の設定はdefaultで良いハズなのだが、調を設定したとしても、上手く行く事は少ない。
まあ、それは基本的な調の場合なので、曲の途中で出てくる転調楽節にかんしては、もっと問題なのだよな??
設定画面で調を指定した時に、転調楽節が出て来ると、その転調を読み取れる程には頭は良く無いのだから、長い転調が続く時には、defaultではなく、その都度、そのpassageに付いては、対応一覧表で書き換えなければならない。
それもまた、超、面倒くさいのだよな??
finaleの解説を読むと、或程度はfinale自体が調を判断するように書いてはあるのだが、それを感じた事は一度も無い。
逆に、「120小節目から150小節目まではB Dur」とか、その都度、そのpassageの調の設定が出来れば簡単なのだがね??
まあ、転調楽節は、そんなに長くはないのだから、シコシコcursorKeyで移動させて、+−Keyやenharmonic(異名同音)Keyの打ち直した方が速いのかも知れないよな〜あ?
それと、この長調と短調の一覧表を見ていて、気が付いた事なのだが、この表を見た時に長調に対しての短調は平行調を想定するのだが、この表では同主調になっている。
つまり、C Durの平行の臨時記号一覧では、c mollになっているのだよ。



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5月28日 練馬区は東京ではないのかな??·

明日は東京は29°で、練馬はまたまた30°だそうです。
近頃はテレビでいつもそう言っていて、東京の気温は、練馬とは違っているのですが••••
「エッ??」
練馬は東京ではないのかな??
不思議だ‼
今は未だ深夜の2時20分なのだが、19°しかなくて、兎に角寒いのだよ❢
布団はこの前から延々と毛布のままなのだが、それでも寒いのだよな?
布団に入っていても、中々体が温まらないので、仕方がないので、風呂に入ってなかば強制的に体を温める事にした。
風呂の中では体は温かいのだが、風呂から出ると、元の木阿弥なのだよな〜あ?
布団に入ると鼻詰まりで眠れなくなってしまうので、諦めて、violinとcelloのduoの終曲のFinaleへの入力を始めてしまった。
朝の6時7時頃には入力は終わっていたよ❢
相変わらず、入力は早いのだ。
duoの殆どが1976年の作曲になるので、この曲も1月の27日に書いたものだ。
この曲の楽譜には、祖母が亡くなった事への鎮魂の文言が添えられていた。

芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「終曲」 - YouTube


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5月29日手持ちの写真が失くなった·

勢いでviolinとCelloの二重奏曲集より『第4番』をfinaleに入力しました。
1日に2曲も入力したぞぃ??
凄くない??
You Tubeにuploadして、暫く聴き込んでいたら、balanceが悪いような気がして来て、作り直してしまいました。折角、uploadしたのに、削除してuploadし直しました。
背景用の写真は、里山と夕焼けと海で、もう手持ちが無くなったぞヨ❢❢
困ったな??
次のupload用の写真はどうしよう??

芦塚陽二作曲 violinとCelloの二重奏曲集より「第四曲』PC音源 - YouTube


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5月30日オケ練習が休みになったので、·

今日の5月の30日の日曜日は2回目のオケ室内楽の練習です。
練習と言う程の人数もいないので、今日は、私のTeleworkでのlessonは無しになったので、突然、思いついて、日曜大工の日になってしまいました。
この所、気になっていた、パソコンのdisc と食卓の間の段差をフラットにするための梯子を作りました。
私の日曜大工は、日曜日大工とは言っても、本格的に、home・center等に行って、材料を買い揃えたりするような計画的な作業では無く、いきあたりばったりで、部屋にある、あり合わせの物を組み合わせて、思い付きで、作るのが私の日曜大工なのです。
パソコンと食台の隙間には、今までは100均で買ったアクリルのポケット・ティッシュ入れを2個、敷いて、その上にcutの台紙を置いて、なんとかフラットなbridgeにしていたのだけど、隙間が有効に使えないし、安定性に欠けていたので、蒲鉾板と丈夫な陶器の箱の蓋を組み合わせて、bridgeを作ってみました。
そうして出来たbridgeの下の空間には、普段使わないKeyboardの10keyを置く事にしました。
「普段、使わない10Key」って、何の事か分からないよね?
私が愛用しているパソコンのKeyboardなのですが、長時間Keyboardを打つので、手や指に優しいMicrosoftの「Microsoft Natural Ergonomic Keyboard」を使用しているのですが、そのKeyboardには、10keyが分離しているtypeのKeyboardがあります。
Finaleで音符を入力する時に鍵盤のKeyboardを使用して、finaleに音符を入力するのですが、その時に、右手で音符を入力して、左手で音価を入力するので、10Keyが分離されていると、逆手にならないので、楽だからです。
しかし、普段の入力の時には、10Keyは使用しないので、置いておく場所に困っていたので、ちょうど、10Keyの隠しspaceが出来て、中々、良い感じです。
作っている過程は、写真につぶさに解説を書いてはいるのですが、何の意味もない、ただの暇つぶしなので、興味がある人は・・・、読んでも仕方がないよね??


台の下の部分には、separateの10keyが入ります。普段は使わないからです。ちなみに、袋も私が昔作ったものです。アハッ!

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5月31日気が付いたら足の爪が割れていて ·

5月31日の深夜の2時ですが、パソコンの前で椅子に座ったままで、意識が朦朧として来たので、Bedに入ったら、左足の爪が引っ掛かるので、見たら、左足の薬指の爪が割れていました。
足の爪を引っ掛けた記憶は無いのですが、結構引っ掛かって危ないので、お腹が邪魔で爪に届かないのを頑張って、なんとか爪を切ったのですが、結構深く裂けているようで、もう一度切り直して見たのですが、上手く行きません。
ガラスの爪ヤスリで、爪の表面を磨いてみたのですが、無理なようです。
木屋の極小の爪切りで、寝室の真っ暗な中で、目を瞑って指先と触感だけで、切ってみたら、なんとか切れたようです。
完全に・・とはいかないようなのですが、指先ではこれ以上は無理なようですかね??
次いでに、布団を毛布から、超薄手の夏用の羽毛布団に交換しました。
今の練馬区の気温は16°なのですが、確か、2,3日前は19°の時があって、その時には、「寒い!寒い!!」と、毛布を引っ張り出した記憶があるのだけど、今日は、16°でも暑くて、毛布を仕舞いました。
気温と人間の感覚は、どうなっているのかね??
ちなみに、現在の湿度は79%だそうな??
明日はひかりヶ丘の糖尿病外来に行って来ます。
6月の9日の予定だったのですが、川崎での膀胱の再手術日と、糖尿病外来の日がbookingしてしまったので、薬が無くなってしまうので、川崎の病院に薬をそのまま出して貰えるかたのんだのですが、担当の先生が専門外という事で断られてしまったので、急遽、ひかりヶ丘の診察日を前倒しに変更して貰った結果の、明日の診察日になります。
明後日の1日からは、いよいよ、血液サラサラの薬を術日まで、無しにして、術前の検査に臨みます。
術前検査は、車で行くので良いのだけど、次の日の入院日は、久し振りの電車だよな??
入院setをリュックに入れて背負って電車で行くのかな??
そりゃあ、問題だわな??


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5月31日私自身の格言では「人は求めれば夢は叶う」というのが、私の主義主張でもある。 ·


しかしながら、現実ではなかなかそうは行かない。
夢を持って、必死に努力しても、夢を叶える事が出来る人はほんのひと握りの稀な人に過ぎない。
それは何故なのだろうか??
その答えは簡単である。
人間は自分の人生を都合良く考えがちだからである。
現実の世界では、絶対に有り得ないのに、一般の社会では、自分達が理解出来る範囲で、夢と幻想を抱くのですよ。
現実的には、そんな世界は有り得ないのに、一般人達が考えられる常識の範囲内で、非現実の世界を、一般常識の世界にしてしまうのですよ。
そして、それが常識であるから・・と自身で確信しているのです。
でも、本当の事ならば、実際の例を調べれば、それが夢に過ぎないのは直ぐに分かるのにね〜ぇ??
このお話は分り難いと思うけれど、brand嗜好の事を考えればよく分かります。makerがその価値を決めるので、その人個人が価値を決める分けではありません。violinの鑑定書も同じようなものです。鑑定書を付けても、他の楽器店でそれが通用する分けではないのだよな??私が楽器を選ぶ時には、鑑定書は全く信用しません。だって数百年も経ったlabelや、鑑定書を信用する方が変だよ。楽器は誰が作ったか??ではなく、どう鳴るのか??だよ。Suisse政府が発行したStradivariの鑑定書の例もあるしね??
proという人達は、人が出来ない事をするから、proというのですから、一般的な範疇で判断をする・・という事は、既に、「特異では有り得ない」という意味なのだよ。
勿論、『pro』には色々なrankがあります。
自称、proから始まって、世界的に自他共に認められるproまでいます。
というか、神様のようなproすらいます。
若しも、あなたが「proになりたい」思っていたら、あなたのなりたいproって、どのrankのproの事なのかな?
proという意味を狭義に捉えて、「音楽の演奏だけで自活出来ている人」と定義をするのならば、皆さん達が知っている世界的な演奏家達の多くの演奏家がproとは呼べなくなってしまいます。
給料で生活をしているのはオケマンだけですが、世界のオケマンでさえも、オケの給料だけで生活出来ている人は数少ないと思いますよ?
私は音楽教室の経営で生活をしているように思われているようですが、それは逆です。
この2、3年間でも一千万近く(否、それ以上かな?)教室に注ぎ込んています。教室は私に取っては、金食い虫なのですよ。
先生達が演奏しているbaroque楽器でも、私が貸与している楽器なのですよ。
私にとっては、音楽は道楽のような物かも知れません。
つまり、私はその定義ならば、音楽家ではありません。
日曜音楽家と言えば良いのかな??lessonもオケ練習も全部道楽に過ぎないのだから・・(つまり、それで生活をしている分けではない・・という意味です。)
一般的には、「何故、proになれなかったのか?」という質問の答えの99%までは、「技術がproとして充たなかったからだ」という事だと、思われます。
今までのお話を統括すると、一般論としてのこの問題に対しては、私のadviceは、以下の三つのお話になります。
そのお話に対しての明確な回答を持つ事で、あなたの夢は達成出来るでしょう。
第一番目は、professionalとは何を持って言うのか?
第二番目は、あなたの本当の夢は・・??
第三番目は、正しい学びをしているのか??
第一番目の「proとは何を持って・・」という言葉に対して、若しも、たつきの糧としての「演奏家」を目指すのであれば、proのorchestraの団員しか無いでしょうね??
しかし、それだけで、生活を満足させるのは難しいのでは無いのかな??
proのオケマンの給料なんてタカが知れています。
清貧に甘んじるのならば兎も角としても・・・、清貧に喘いでいても仕方が無いのだよな??
作曲家でも、或いは詩人でも、それでたつきが成り立つ職業ではありません。
自分が書きたい物を書いて、成り立つ職業はないのです。
ですから、マスコミ受けのする物を書いて『pro』となるか、自分の書きたいものを書いて、『amateur』に徹するのか・・の人生なのではないでしょうかね??
私の場合には、proとは「音楽を探求する人」を指す分けなので、音楽で生活をする事とは無関係なのです。
ですから、Europaでは、歴史に名を成す有名な偉人でも、本職は全く別の人だった・・という人達がいます。
それ以上に多いのは、無名の大演奏家達が数多くいるのですよ。
「何故、大演奏家が大勢・・??」と思われるかも知れませんが、日本では演奏家とは、その都度、色々な曲を演奏する人だけで、研究者の演奏家は皆無のようなのです。
まあ、たまには、特殊な地域に限定したpianistも数人は見受けるようなのですがね??
Europaのそう言った人達が無名なのは、自分の音楽を追究する事に興味があって、有名になる事や、お金に関しては、全く無頓着だからですよ。
だから、「こんな人が・・」と驚かされるような凄い人を、専門的な分野では見受けるのです。
日本でも、Classicの音楽という特別に閉鎖的なgenreを除くと、そう言った、凄い名人classの人達は、数え挙げたら切りが無いと思いますよ。
所謂、職人というgenreの人達です。
第二番目の夢は、「proの演奏家になりたい」という願望が、実は「有名になりたい」「偉い人と思われたい」という願望であったりする場合です。
稀には「金儲けがしたい!」と思う人も居るかも知れませんが、それはgenreを間違えています。
金儲けをしたい人は、popularの方に進むと結構稼げます。
「有名になる」という事と、「音楽の道を極める」・・という事とは、少し・・所か、かなり違っています。
まあ、月とすっぽんとか、提灯に釣り鐘とか、etc.です。
日本で有名な音楽家と称される人達の演奏を聴いて、感動を受けた事はありません。
何かが違うのですよ。
偉ぶっているとか、大仰なtalkとかは、凄いのだけど、音楽を演奏しなければ、凄い演奏家で通ると思うのだけどね??
結局の所、マスコミが作り上げた演奏家達なので、所謂、brandと変わらないのですよ。私は曲を聴きたいのであって、演奏を聴いて感動をしたので、brandを見てもその価値は理解出来ないのです。
しかし、一般の人達では、brand品をとても大切にしている人達がいます。
しかし、物の価値は自分でするものであって、brandで決まるものではありません。
楽器をlabelで購入する人達がいます。
証明書代が1割だったら、私ならばその分安い方が良いな??
私が弓を選ぶ時に、比較対照にTourteの弓を出して貰いました。
2、3千万ぐらいの弓かな??
それよりも6百万の弓の方が数倍も良かったのですよ。
つまり、演奏をする上では、骨董的な価値と楽器としての価値は全く関係はありません。Tourteの弓でも、ダメなものはダメなのです。無名の弓の方が良い場合もあります。
私は、心臓の手術の時には、大学病院から逃げ出して、地方の小さな病院の先生に手術をして貰ったのですよ。
周りの人達は、大学病院を逃げ出して地方病院で手術を受けた・・と驚いていましたがね??
命に関わる手術なので、大学病院よりも実力のある先生の方が良かったのです。そのおかげで、元気に未だ生きていますがね??
(尤も、その先生は、今現在では、日本の心臓外科のtopになっていますがね??当時は、その先生も私と同様に大学病院の事を馬鹿にしていたのだけどな??やっぱ、業界のtopは居心地が良いのかな??アハッ!)
とても、若くて可愛い女の子が、自分自身の力で、超有名な演奏家になっているのを見ていて、それはそれなりに夢が叶って良いので、是非に応援をしたい所なのですが、その女の子は有名になる・・という目標が達成出来て、これからどうなるのかね~ぇ??・・と心配しています。とは言っても、全くの傍目からの話なので、本人には関係の無い話でしょうけれどね??
彼女は可愛くて、とても、技術的にも上手なのだけど、何かが違うのよね??
先ず第一に、音楽が言葉として入って来ないのよね??
第二番目には、速度に逃げる所があって、歌い込みが弱いのです。
それに究極的な問題点は、演奏しているviolinの音が、violinの音ではなくて、箱violinの音なのだよ。
だから一応はそれなりには弾けてはいるのだけど、音楽としての、感動が無いのよね??
でも、歳が若くて、可愛いければ、それでもう充分なのかな??
後は、どうでも良いよな??
音楽への探求の道が、名声やお金や地位だとすれば、勉強の過程で、非常に近い道を歩んでいたとしても、目標が少し違っていれば、当然、到達点は全く違う世界になるのだよね??
表面だけをなぞって美しく着飾っていても、中身がなければ、本当の本物は一生努力をしても、手には入らないのだよな??
表面上を真似て行くだけでは、その延長線上には、やはり、野狐的な悟りしか無いのだよ。
功成り名遂げて、道に留まって、裕福に生きている人達もいるので、一概には言えないのかも知れませんが、それは稀な事で、求めるものが違っていて、名声に過ぎなかったのだと思いますよ。
政治家だって、権力やお金を目当てで政治家になる人達の方が多いのではないでしょうかね??
Europaでは政治家には給料が出ない国もあるそうです。
政治家であるためには清貧に甘んじないといけない・・という事なのですが、そんなものは日本では通用しないよね??
教室の多くの子供達が望んでいる「夢」はテレビや演奏会場で華やかに活動をしている人達なのでしょうかね??
それを求めるのならば、そんなにNiveauは高く無いので、「目標を達成する事はそんなには難しくは無い」と思えるのですがね??
つまり、approachを音楽よりも、芸能人的に見栄えにすれば良いのです。
衣装のsenseや、talkの技術に長けていれば、その世界にも通用すると思います。
勿論、マスコミの世界にもprofessionalな俳優の人達も多くいて、感激する事が多いのですがね??
音楽の世界でproに成れる人は、音楽漬けの生活をしていても、それで幸せと感じれる人達なのですよ。
それよりも、恋人との語らいを主にする人達は、日常の生活を主にする職業を選んだ方が幸せに成れると思いますよ。
まあ、若い頃は有名な演奏家を求めて、年齢が満ちたら、幸せな結婚生活をして、音楽の夢はきっぱりと捨てるとか・・・いう人も結構いるようなのだけど、それはそれでも良いか??本人が幸せならばね??
私の場合には、毎日毎日、どっぷりと音楽の中で暮らしているので、貧乏でも、それなりには幸せで、鬱等にはとてもなりませんよ?? アハッ!
第三番目の「正しい学び」とは日本の音楽社会では超難しい問題です。
つまり、Europaの音楽界では、traditionalがあるので、amateurの人達でさえ、正しい道を、或程度は知っているからです。
日本の音楽界では、音楽は軍楽隊を育てて、国家のためにEuropaの音楽が音楽事始めとして持ち込まれたに過ぎません。
音楽は権威の象徴として導入されて来たのです。
だから、世襲制度としての権威付けの一貫として家元制度を導入したのが、現代の音楽大学偏重の音楽界の基盤となっているのです。
音楽大学を卒業して、concoursに入賞して留学をしたら、proの道が確約されている・・と未だに信じている人達が居るとすればそれは、とてもlächerlich(笑える)な事です。
そんなに簡単にproに成れる程、proの道は甘くはありません。
音楽が好きで、音楽無しでは生きていけない人の場合には、どっぷりとproに足を突っ込んでいる人だと言えます。
proは経験です。
人の前での演奏を続ける事が一番の早道なのですよ。
早期教育とは早期に学ぶ事では無く、早期に社会で活動を始める事なのです。
そのための対外出演だったのだけどね??
誰も理解してくれなかったのだよな??



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5月31日今日は手術日とdouble-bookingしたので、変更をして貰った糖尿病外来の日です。 ·


今日は、主治医の先生から年齢を聞かれて、主治医の先生の方が私よりも1歳年下であるという事が、初めて分かりました❢
「私達の子供時代には、ご飯が食べれ無い事がよくあったよね~ぇ?大変な時代を生き抜いて来たのだよね~ぇ?」としみじみと言っていらしたのだけど、絶対に先生の方が私よりも、十ぐらいは上だと思っていたので••••、先生の方が歳下と聞いて、超、shockだったよな〜あ?
bikeでの通院は、良好で、帰りには大きなスーパーに寄って、運転用の靴と、病院入院用のナース・シューズを探したのですが、運転用の靴は直ぐに見つかったので、問題は無かったのですが、白のバレー・シューズ(スクール・シューズ)が、E・typeのシューズが無くて、諦めて帰りました。
病院は普段のような朝一から•••ではなく、2時からの最後のグループに入れて貰ったので、診察が終わって、ハイツに帰り着いたのは、4時半を過ぎていました。
病院が終わってから、久し振りでデパートの中を歩いたので、流石にバテてしまいました。
という事で、仮眠を取ろうと思ったのですが、鼻詰りになってしまって、息が出来なくなって、良く眠れませんでした。
夜は先生が10時頃に千葉から帰って来るので、私もそれに併せて、遅い椎名町への移動なのですが、雨が激しく降り出したので、その雨の中を走る事の寒い事❢
Bikeを走らせる手が悴んでしまいました❢
ポンチョもびしょびしょになってしまいました。
椎名町で食事を済ませてから、「ドルプリっ歩に行こうかな??」と思ったのですが、雨は上がっていたのに、ドルプリ達は、嫌がってお散歩をしませんでした。
今は10時過ぎなのですが、練馬の気温は18°なのですが、これから16°まで下がるそうで、折角、昨晩は頑張って布団の交換をしたのに、一晩でまた、合いの羽毛布団か毛布を出さなければならないようです。
今は外では結構激しく雷が鳴っています。
なんだろうな〜ぁ??この天気は・・??
まるで、天変地異だよな~ぁ??
食事が遅かったので、帰りは1時を過ぎてしまったのだけど、なんとなく鬱が起こりそうな雰囲気だったので、violinとCelloのduoの続きのfinaleの入力をして、昔の作品の音を聴いて見たいと思ったのだけど、流石にそろそろ入力に疲れて来たよな??
やはり、自分でimageした音とは違うので、本当の演奏の時の音とは違うのよね??
この曲で暫く終わりにする事にします。

芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「第三番」pc 音源 - YouTube

1976年の1月の8日に江古田の松盛堂で作曲しました。1976年というと、今からは45年前の事です。勿論、これまでの時代では、notationのsoftであるfinaleは疎か、その前に、一般の人達にとっては、パソコンすらありませんでし.....

オペの成功をお祈り申し上げています。

ありがとうございます

みどり輝く里山風景&次代を担われます方の素晴らしいweb lessonYouTubeにすっかり魅了され釘付けに成りました〜❣️
オペの日までどうぞお身体を冷やされませんよう幾重にも幾重にもおいといくださいますようにお願いいたします!


重ねがさね、ありがとうございます
頑張ります。


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6月



6月1日今日から6月1日です。 ·

今日は6月の1日です。
1年の後半期に入りました。
昨晩は、発作的にviolinとCelloのduoから、第三番の曲をfinaleに入力して、適当に写真を探して、mp.4に編集して、You Tubeにuploadしたので、寝るのがすっかり遅くなってしまいました・・というか、朝早くに入眠しました。
という事で、今日の1日は10時過ぎからになります。
・・という事は、one coursしか眠れていない・・という事だよな??
それにしては、朝から、風呂の止水栓を直したり、食堂兼、居間兼、パソコンの仕事部屋に、超お久し振りに掃除機を掛けて、toiletteの掃除もして、mobileの整理をしている所です。
別に手術前の終活をしている分けではありません。
単に、体調が良かっただけです。
不思議だよな~ぁ??
生活rhythmと体調が全く、無関係なのだからな??
昨晩、ハイツに辿り着いたのは、1時過ぎの深夜でしたが、それにしてはpanorama-viewが明るい感じでした。
つまり、雨で雲が低いので、街のチョッとした灯りが雲に反射して街全体が明かるかったのですかね??
結構真っ暗でも、180°視界でpanorama-viewで見る事が出来たので、携帯で左側と中央と右側の3枚の写真を撮ったので、更にphotoshop-elementで重ねて、1枚のpanoramaの写真を作ろうと試みている間に、photoshop-elementでは、自動で数枚の写真をpanoramaにする機能がある事を発見しました。
今まで、自動で「panorama写真が出来る」という事を知らなかったので、急遽その3枚の写真を使って、練習してみました。
四苦八苦して重ねていたのが嘘のように簡単に出来ました。
教室ではオケ練習の時や、室内楽の練習の時に、cameraのangleに収まりきれないので、Quartettの時等も、2枚に分けて写真を撮る事がよくあるのですが、その後、1枚の写真に合成するのですが、なかなか上手く行きません。
cameraのshatterのtimingが微妙にズレるので、動きが違ってしまうからです。
だから、同じ人物が重ならない位置でcutして繋ぎ合わせるのですが、多分、自動ではそれは無理なのかな??
風景のように、動かない物ならば、問題はないのかも知れないのだけど・・ね??

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6月1日『有意義な無駄と無意味な無駄』 ·


私は非常に不器用で、しかも怠け者なので、人と同じ作業をさせると余りにも遅いので、周りの人達から驚ろかれる事がよくあります。
小、中学校の時には、絵を授業の時間内に描けた事が一度も無い事が自慢です。
だから私に取っては、人並みに仕事が出来るようになる事が•••、或いは、日常生活を人と差し障り無く生活出来るようにする事が•••、つまり、所謂、『人並み』・・という言葉が私の人生の最大の課題でした。
高校生ぐらいになって、或程度の社会的な知識が出来て来ると、自分のそういった劣等感を補うための小さな、日々の努力が始まりました。
それが今で言う所の「時短」です。勿論、当時は時短等という便利な言葉はなかったのでね?
小学生からの私のnoteを見ると、大きな乱暴な文字でハミ出すように濃く書きなぐっています。
中学生の時に、勉強の出来る女の子にnoteを見せて貰ったら、小さな丁寧な文字で丁寧に書き込んであって、びっくりして驚いてしまいました。
「noteって、こんな風に書くものなんだ??」ってね・・!
学校で書いているnoteという物は、家で読み返すためのものである・・という事をその時に、初めて知ったのです。
noteとは、読み返すためのmemoである・・・というnoteの意味を・・
その次の日から、自分のnoteを一新して、見えるか見えないかぐらいの小さな文字で、丁寧にlayoutを決めて書く事にしました。鉛筆も2Hぐらいのhardな鉛筆に変えました。
折角、書き始めたnoteなのですが、大学生になった途端に、memoを取る事や、noteを書く事自体が無くなってしまったので、折角のnoteもそれっきりになってしまいました。
でも、小学生の上級生辺りから、折に触れて書き綴った日記風の雑文は、大学生になっても書き続けていました。
私の雑文と、日記との大きな違いは、日常の生活をmemoryとして書く・・のでは無く、小説や詩の思い付き、アイデアや草稿、覚書になっているので、毎日、日々を顧みて書くものではなく、気が向いた時に、折に触れて書く・・という所謂、雑文なのです。
高校生の時から始めた自己改革の根本的な方向性は、人と同じ速度で仕事を熟す事だったので、その根本的な自己改革は徹底した時短と平行作業の二つを組み合わせたものでした。
しかし、日本の社会では、「時短」と言うと、「手抜き」と勘違いされて、馬鹿にされる・・というか、正しく認識して貰えない事が多いのですよ。
日本の社会では徹底的に根性主義の100回で出来なければ1000回の社会なのですよ。
しかし、それは間違えた学習法なのです。
教室ではtabooとして絶対にやってはいけない練習法なのですが、教室で学んだ人達ですら、自分の生徒や子供には、その根性主義の練習を要求してしまうようです。
社会常識というものは、幾ら教室で私のmethodeを教えても、直ぐに戻ってしまって、本当に困ったものだよな??
教室で育って、音楽大学に進学した生徒達ですら、いつの間にか日本流の練習法に戻って、頭を使った練習をしなくなるのですからね??
日常の中で、極端に無駄を省いて、「時短」を目指すと、私のようなブキッチョな人間でも、器用な人よりも速く仕事をする事が出来て、しかも丁寧に、ミスも無く仕事が出来ます。
その「時短」の中での最大の秘訣は、人よりも先に仕事を始める事なのです。
「えっ??当たり前じゃん!!」と思われるかも知れませんが、それが当たり前では無いのだよな??
元来、超怠け者である私は、自分が望まない仕事は逃げようとして、中々その仕事を始めようとはしません。
特に、私に取って『初めてとなる仕事』に関しては取っ付きが遅くなる・・というよりも、やろうとしない事に悩んでしまいました。
つまり、私の人生との戦いは、そういった私自身の一つ一つの怠け癖との戦いでもありました。
初めての仕事で中々、仕事をする気分に成れない場合には、ちょうど料理を作る時のように、先ずは下準備だけをして、いつでも仕事に入れる所までの作業をして、放ったらかしにする事にしています。
仕事のtimelimitが迫って来ても、下準備が出来ていれば、仕事にはsmoothに入れるので、締切に遅れる事はありません。
昔の学校の授業の殆どは「黒板に書かれた文章を自分のnoteに書き写す」事でした。
ふと思いついて、2,3日前に、そのお話を生徒達にしたら、今の多くの学校でも、黒板の丸写しを未だにしているそうです。
教育というのは、50年経っても、何も変わらないのだよな??
ビックリです。
人間は同時に二つの事を熟す事は出来ません。
生徒が黒板を書き写しながら、先生の説明を聴く事は出来ないのです。
だから、曲を演奏しながら、譜面を見る事は出来ない・・と子供達に言い続けているのです。音に集中するのならば、目は邪魔なのです。楽譜を見ている時には音に集中する事は出来ない・・というのは当たり前の話でしょう??
それが芦塚methodeなのですが、その当たり前の事が分からないのですよ。
「暗譜が出来ない」
それは間違いです。
暗譜は癖で、私が絶対に覚える事が出来ないのは、テレビに登場する若くて美しい女の子の名前です。
顔は当然覚えているのですが、名前がどうしても覚えられません。
顔は覚えている・・と言いましたが、それもあやふやです。
同じ顔が多くて、スズちゃんやアリスちゃんが無数にいます。
テレビでコマーシャルを見ながら、「この子はアリスちゃんではないよ!」と言うと、先生達も信じてくれないので、携帯でcheckをして名前を言うと、みんなが驚いてしまいます。
逆にこの子はスズちゃんだよ!と言っても、誰も信じません。私が携帯でcheckをするまでは•••??
記憶なんてそんなもんなのよ!!
今の子供達は、私の知らないアイドルの事ならば、とても詳しく知っているからね?
学校の授業では、先生は生徒達がnoteに必死に書き写しているのを横目で見ながら、書かれた文言の解説をお喋りするのですが、でも私は文字を書くのが非常に遅いので、先生が何を喋っているのかを聞き取る事が全く出来ませんでした。
だから学校で授業中に覚えた事は一つもありません。
流石に高校生ともなると、「これではダメだ!!」という意識が出て来て、教育大学の傍の本屋に行って、先生達の教科書の赤本を買い込んで来て、授業で先生達がお喋りをする内容を事前に読んでおく事にしました。
授業中に先生がお喋りをする笑い話までも、赤本にはそのまま載っていたのだから、笑い話よりも、笑えるよね??
文字を書くのが遅いので、文章の最初に出て来た一回目の単語の文字だけはちゃんと書くけれど、2回目からは、頭文字だけを書く事にしました。
省略する単語はunderbarで書き表します。
「t、ssが、wにあdvをstkrmt。(と、先生が私にadviceをしてくれました。)」という風に文字を書いたのです。
その当時は、パソコンすら全く無い時代だったので、あくまでも手書きを想定した、自分でmemoヲするための方法として作ったのですが、これは現在は「tgt(単語登録)として、pcでもそのままsysちms。」(単語登録として、パソコンでもそのまま使用しています。)
しかし、こういった一切の無駄を省くsystematicな方法は、今に限った方法論ではなくて、戦国時代の兵法ではたった一つの無駄な動きが「死」を意味するので、完璧に無駄を省く事が、剣道の極意だったのですよ。
そういった意味で、時代劇を観ていると、人を切る動作に無駄が多いよね?刀は歯と歯をぶつけたら、歯がこぼれてしまって切れなくなってしまいます。相手の刀はミネで受けるのですがね?
私の持っている古刀でもミネに歯の跡が付いていますよ?かなり深くね??
実は、勉強の仕方やviolinの奏法にも、全く同じ事が言えるのですが、勉強でもviolinのbowing一つでも、極力、無駄を省かなければならないのです。
戦国時代とは違って、間違えたやり方で練習をしても、それで死ぬ事は無いので、必要を感じ無い人達の方が多いのですよ。
封建制度を確率した徳川家康は、戦国時代の武将なので、とても合理的な考え方をしていました。
彼は、自分の子供達が自分と比較しても優れた人材になるような儚い夢は抱きませんでした。
まあ、徹底したリアリスト、それが戦国を生き抜く秘訣だったのでしょうからね??
そのために自分の子供達がどんなに凡庸であったとしても、家を存続出来るような制度を確率したのです。
閃きのある優秀な優れた人材は、極力、排除して、凡庸で努力だけで、成り上がる人材を権力の座に座らせたのです。
家元制度も同じで、師のcopyを完璧に出来る人に家元を継がせて、チョッとでも異を唱える人間を排除するのが制度を維持する秘策なのです。
日本の音楽界でも、師匠に異を唱える事は当然としても、質問をする事すら許されないのは、師が質問に答える事が出来ないという想定なのですよ。
だから、師匠が間違えた解釈で日本に持ち込んだ技術が100年経っても日本のClassicの演奏法の伝統になってしまって、BerlinphilのSchwalbé先生に「日本人のエイズ奏法だ!」と言わしめてしまうぐらいに、日本には間違えた演奏法が主流なのですよ。
まあ、日本の音楽がどうでも私にとっては全く関係はないので、私自身の話しに戻って、
私は、一つ一つの作業自体は非常に遅いのですが、その仕事を幾つも組み合わせる事に寄って、結果的に、人よりも速く仕事をする事が出来るようになります。
音楽の練習も同じです。
極端に無駄を削ぎ落とすと、殆ど練習をしなくても超、上手に演奏する事が出来るようになります。
しかし、日本の封建制度の中では、或いは、世襲制度の中では、根性主義の方が価値があるように受け取られガチです。
私が「時短」を口にすると、よく「手抜き」と勘違いされる事があります。
『手抜き』はNiveauを落とす事に繋がってしまい、結果的には社会的な信用を無くすので、結果的には「時短」にはならないのですよ。
「時短」は無駄を省く事だというと、「無駄にも意義がある」と返される事があります。
しかし、それは、無駄の定義の勘違いなのです。
芦塚methodeにも、致命的な欠点があります。
それは芦塚methodeでは、根性が身に付かないのですよ。
逆の言い方をすると、根性の有る人が芦塚methodeを学ぶと最高の効率を上げる事が出来るようになると思うのですがね??
根性のある人は、自分の練習法を悩まないのですよ。自分に疑問を持たない•••というのかな?


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6月3日violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』 ·

「もう、finaleには入力をしない。
You Tubeにもuploadしない。」と6月の1日に言ったばかりなのに、次の日には、しっかりと、violinとCelloのための二重奏曲集から『第二番』の入力とuploadを終えてしまいました。

芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より『第二番』 - YouTube


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6月3日「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』 ·

曲は、「violinとCelloの二重奏曲集」から『第一番』という事で、violinとCelloの組み合わせでは、最初に書いた曲です。
やっと2分そこそこの、超、短い曲ですが、まるでお正月に子供達が遊んでいるような童歌のような雰囲気の曲ですが、1976年の1月の2日に鬱で眠れぬままに書いているので、マジにお正月の曲です。
写真は江古田ハイツのentranceの前のドウダンツツジなのですが、結構季節毎に雰囲気が変わって、楽しめるので、写真が集まっていました。
多分、区の管轄なのかな??
今は短く刈り上げられたので、この所の1,2年は写真には撮ってはいません。

芦塚陽二作曲 violinとCelloのための二重奏曲集より「第一番」 - YouTube


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6月4日コンビニ・クーラー ·

今日は6月4日の金曜日です。
今日の椎名町からの帰宅は、いつもの通りにcinderella-timeを遥かに過ぎた深夜の帰宅で、しかも、ドルプリっ歩の間に結構雨が強く降り始めて来たので、rain-coatでの帰宅になりました。
なんとなく、そのまま眠る気になれなかったので、録画してあったテレビのdramaを見ながら、uploadしていたduoの手直しをして、You Tube上の動画を差し替える作業をしてしまいました。
曲の手直しや、You Tubeにuploadするまでの作業が思ったよりも掛かってしまって、朝の6時を過ぎてしまったので、慌てて布団に潜り込んだのですが、結構寒くて、超薄手の夏用の羽毛布団を毛布に戻すのか、それとも中厚の羽毛布団に戻すのかを、悩んでしまいましたが、結局の所は、面倒くさがりの私なので、そのまま、寒いのを辛抱して、夏用の羽毛布団で寝てしまいました。
昨晩から降り続いている雨は、段々と強い風を伴って来て、玄関の外ではもがり笛が鳴り響いています。
玄関の外が、騒がしい・・・という事は、北風が強いという事なので、未だまだ寒くなる・・という事なのです。
結構、満足が行く所まで、finaleの作業も出来て、You Tubeで確認をしていたら、そのまま、椅子に座ったままで寝落ちしていました。
だから、お弁当類を仕舞い忘れたままに、大急ぎでbedに潜り込んだのですが、寝落ちするぐらいなので、直ぐに眠れたのですが、眠りが浅くて、超現実的な変な夢を見て、one coursで目が覚めてしまいました。
超、現実的な・・という意味はsurréalismeという意味ではなく、現実の生活と区別の付き難い・・という意味ですがね??
toiletteに行って、直ぐにbedに戻ったのですが、鼻詰りと弱鬱と、湿気で眠れなくなってしまったのです。
(私は極度に湿気に弱いので、梅雨の季節には、吹き出物が体中に出て、化膿して大変なのですよ。九州の梅雨は、湿度がそんなに強く無いので、体も平気なのですが、関東ではこの時期には、除湿機が無いと全く生活が出来ません。チョッとでも油断していると、大きな発疹が出来てしまうのです。市販の汗疣の薬では対処出来ない程の、困りものです。)
こういったまるで梅雨のような、鬱陶しい季節には、部屋の温度を下げてしまう大型のcoolerではなくて、買い置きのコンビニ・クーラーの方が、除湿をしながら部屋の温度を上げるので、気持ちが良いのですが、作業部屋は狭いので、移動用のcoolerが不必要な季節では、隣の部屋に仕舞い込んでいるので、食堂兼作業部屋まで、持って来なければなりません。
大した手間では無いのだけど、寝起きの今は、チョッと体力的に負担が大きいので、寒さを辛抱する方が楽なのだよな~ぁ??
マジなお話では、隣の部屋からコンビニ・クーラーを持って来るのは怠け者である所為だけではありません。
私の場合には、寝起きには、腰の筋肉が緩んでしまっていて、チョッと下を向いたり、重い物を持ち上げたりすると、ギックリ腰が再発してしまうのですよ。
うっかりと下に落ちていたティッシュを拾おうとしても、腰に来る事があるのです。
そうすると一月程は、動けなくなってしまうのですよ。
てな事を言いながら、思い切って隣の部屋からコンビニ、クーラーを持って来ました。早速電源を入れたのですが、湿度が高いので、部屋の湿度が下がりません。諦めて、取り敢えずは大型のcoolerで除湿をしてから、コンビニ・クーラーに切り替える事にしました。
流石に、大型coolerで除湿をすると、ほんの10分もしない内に、寒くなってしまいました。
そろそろ、コンビニ・クーラーに切り替えるか??


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6月5日『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』 ·

今日は6月7日の火曜日で、泌尿器科の術前検査の日で、夕方から川崎の幸いクリニックまで日帰りの検査に出かける予定です。
朝一で、2時間程この文章の手直しを、昨日書いた全く別の文章と結合させて、完成稿に近づけていたのですが、「後少しで終わる」・・という所で、な、な、な、なんと! 全部の文章がぶっ飛んで午前中の2時間の作業と前日の入力した別の文章も無くなってしまいました。
まあ、Facebookのぶっ飛びは、いつもの事なのだけど、ほんと腹が立つよね~ぇ??
Facebookって日本の小さなsoftの会社では無いよね・・・多分??
・・という事で、小一時間程は、呆然としていたのだけど、気を取り直して、思い出せるだけ思い出して書いて見る事にします。
なんという鉄のような忍耐力だろう!!
我ながら感心してしまうよな??
以下、本文
『Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembalo譜作成のお話』
『Cembaloのpart譜作成についてのお話』
昨晩、牧野先生から「Vivaldiのrecorder-concertoのscoreにCembaloのpartが付いていないのでcembaloの譜面を書いて欲しい!」というorderが入った。
市販のorchestraの楽譜でも、orchestraの楽譜ともなると、Cembaloのpart譜が付いている楽譜は少ないし、またCembaloの譜面が付いていたとしても、右手のpartの動きが不自然で、演奏不能なものさえある。
また、中々良いarrangeであったとしても、基本的には子供が演奏するようには書かれてはいないので、子供には技術的に不可能なarrangeが多いのだよな。
私がCembaloのpart譜を作る場合には、音楽教室で子供達が演奏するという前提で作るので、Cembaloを担当する子供が演奏出来るように、予め、Cembaloのpartを「誰が弾くのか」が、決まってからCembaloのpart譜の作成に取り掛かる事にしている。
そうしないと、その子供の力量に合わない場合には、作り直しをさせられる事がよくあるからなのだ。
Cembalo譜の作成は、予め「誰が弾くのか??」を決める事が先決なのだよ??
但し、教室でも、しょっちゅう、多くの生徒達が演奏をする常設曲では、その年代のgroupが変わるので、演奏する生徒の力量も変わる場合がよくある。
例えば、日本中の色々な音楽教室で演奏されている、初歩のviolinの教材として有名な『VivaldiのL'estro Armonico(調和の霊感)の中のOp.ⅣNr.6 a mollの曲』なのだが、出版されているorchestraの楽譜は、proの演奏を想定しているので、Cembaloのpartは結構難しく書かれている。
こういったbaroqueの音楽の名曲の場合でも、本来は、子供用の教材では無く、proが演奏する曲としてのa mollなので、楽譜もamateurのための楽譜では無く、proが演奏するための楽譜として、書かれている。
という事で、教室としては、仕方が無いので、教室の子供達のために、Cembaloのpartを作るのだが、その時にCembaloを担当する生徒の力量に合わせて、対旋律一個のversionから、対旋律2個のversion、簡単versionから、対外出演用のversionまで、多数のCembaloのpart音のversionがある。
勿論、対外出演用のpro-versionも作ってある。
同様に教室のorchestraのthema曲でもあるPachelbelのcanonも、超初級versionから初級、中級、上級versionと、更にpro-versionの4種類のCembalo譜が準備されているのだよ。
という事で、今回は、或程度のveteran組の生徒が弾くという事なので、結構、難しめのCembaloのpart譜になったぞよ!!
『finale入力に際してのtemplateの作り方』
routineの食事とドルプリのお散歩が終わって、ハイツに戻る直前に書き込み用の楽譜をcopyして貰って、持ち帰った。
「書き込み用の楽譜」と私が言っているのは、普段の楽譜で、指揮をしたり、楽譜をcheckをしたりする冊子になったscoreとは違って、最初から、scoreからfinaleに入力する時に、間違わないように、小節番号を書いたり、練習番号を書き込んだり、同じMotivの箇所を蛍光ペンで色塗りをしたり、その曲全体を書き終える頃には、その書き込み用の楽譜は、checkで真っ赤っか・・になって、普段使いの楽譜としては使い物にならなくなってしまう楽譜の事なのだよ。
普段ならば、仕事が派生した次点で、(椎名町からハイツに辿り着いた時点で、)recorder-concerto用のtemplateを作る所までは、その日の内にやっておくのだけど、まあ、しかし、昨晩は、流石に、超、バテていたので、取り敢えずは何もしない事にして寝た!
幾ら疲れていても、眠れないものは眠れないので、朝は通常通りに、one-coolの1時間半後の5時50分には目が覚めててしまった。
所謂、頻尿のtoilette-timeで目が覚めただけなのだが、その後の「二度寝」が出来なくって起きてしまった。
仕方が無いので、ウダウダと昨晩持ち帰って来たお弁当を冷蔵庫に仕舞ったり、持ち帰って来た、色々な小物類を所定の場所に収める作業をして、それから、何とかやっとVivaldiのscoreのtemplateの作成を始めた。


『templateのお話』
scoreから書き出す必要なpartはCembaloのpartのみなのだが、私の場合には、常に、『大は小を兼ねる』で、full scoreのtemplateを作るのだ。
他の楽器のpartが必要では無い場合でも、full scoreにしておくのは、仕事の速度と間違いを少なくして、作業の正確さを期するために、必須の条件なのだよ。
「時短」を図ろうと、Cembaloのpartだけを作るのは、『**休むに似たり』で、逆に、間違いを誘発して、作業効率も悪くなるのだよ。
「時短」の原則は、常に『急がば回れ』なのだ。
finaleで、先ずは、Vivaldiのscoreのtemplateをscoreに楽器群と小節数を正確にscoreに合わせて、作成する。
Cembaloのpartを作成するのが目的なので、先ず、取り敢えずは、score上のCelloのpart(所謂、basso continuoのpart)を、finaleのCelloのpartに入力をするのだが、その前に、(この場合の「その前に」という意味はscoreからfinaleに入力をする前に・・という意味である。)書き込み用のscore上で、themaをコピペ出来る箇所をscore上で探して、蛍光ペンで塗り絵をして、それから最初に、templateにthemaを入力したら、そのthemaをコピペ出来る小節にコピペをする作業を始める。
Celloの「虫食い」のpart譜が出来上がると、次に、その「虫食い」の箇所の穴の部分に、コピペの出来ない箇所をscoreから入力をする。
そしてCelloのpartが完成したら、そのpart譜を、Cembaloの左手のpartにdrug&pasteをする。移調をすれば良いだけのMotiv等や、1音符だけ打ち直せば良い箇所もしっかりとコピペするのだよ。
通常の場合ならば、これでscore入力の半分ぐらいまでは出来上がるのだ。
『蛇足のお話:Keyboardという言葉について』
通常は、鍵盤のKeyboard(パソコンのfinaleでの作業では、鍵盤のKeyboardとcommand-keyを入力するためのパソコンのKeyboardを両方使うのだが、どちらもKeyboardとしか言わないので、ややこしい。MIDI-Keyboardという言い方もあるのだが、今は殆どMIDI端子を使わないので、その言い方も、問題だよな??)と手入力を駆使して入力するのだが、baroqueのconcertoは、通常は、ritornelloの形式なので、repeatが多いハズなのだが、今回のflute-concertoのOp.10 Nr.5では、コピペ出来る箇所が殆ど無かったので、結構、入力をするのに、手間が掛かった方かな??
『real-time入力のお話し』
私の弟子達は、real-time入力でMetronomの音に合わせながら、入力をするので、音価を決めるための10keyを打つ必要がないので、非常に入力の速度が速く、つまり、演奏時間だけしか掛からないのだが、私の場合には、音価の計測の範囲を8分音符単位ぐらいまでに、大きく設定しても、音価をfinaleが判断してくれないのだよ。
finaleの場合には、releaseの音で、音価が判断されるので、legato奏法を取る私の演奏styleでは、音が重なった部分の判断がfinaleでは出来ないからなのだ。
今の音楽家の殆どの人達は音のreleaseが速いので、私が聴くと、音が粒粒と切れて聴こえるのだが、所謂、Czerny奏法とかMozart奏法とかleggiero奏法とか言う奏法になるのだよ。 
特にpopularの人達の場合には、音のハギレの良さが命になるので、legato奏法の奏者はいないのだよ。
私の場合には、cembaloやorganの奏法を学ぶ前から、pianoを学ぶ時に、legato奏法で学んで来た。Cembalo奏法、Organ奏法 cramer奏法 legato奏法とも言うのだよな??勿論、チェルニーの教則本やMozartのソナタはレジェロ奏法的学んだので、弾き分けは出来るのだが····
いずれにせよfinaleでは、音はrelease(after-touch)がしっかりしていないと、real-time入力は出来ないのだよ。(設定が4分音符と8分音符ならば、誰でも出来るのだろうが?)
『校訂作業』
取り敢えずCelloのpartを入力したら、scoreを眺めて、「 bezifferten Baßの数字の間違い」や、score自体の音の間違いを探すのだよ。
出版されている楽譜では、間違いは無い・・と思い込んでいる人達が多いのだが、「それは勘違い」で、出版されている楽譜でも、間違いは、結構あるのだよな?? これが・・・
単なるミスプリの場合や、楽譜を制作した時の根本的な間違い、それに加えて作曲者自身の間違いも見受けられるのだよ。
言い方を変えると、間違いの無い楽譜は無い・・・と言っても過言では無い。
scoreを見ながら、 bezifferten Baßの数字と照らし合わせて、数字の間違いや音符の間違いの訂正をするのだが、数字の動きが複雑な箇所は、soloのpartや、1st-violin、2nd-violin等のpartを虫食い状態で、書き込んで、より正確に和音が見えるような状態にして、score上の楽譜から bezifferten Baßの数字や、音の訂正をしなければならない。
より複雑なpassageでは、melodieを書き込む事に寄って、Cembaloの和声のpartを書くのが視覚的に楽になるからだ。
『layout作業』
まあ、私がやる所は、layout作業もscoreまでで、part譜のlayoutは基本的に作らない。
part譜の場合には、視覚的な出来上がりよりも、譜めくりのtiming等の演奏者としての立場が必要になるからである。
私が、全部のpart譜を作り上げるのではないので、Cembaloのpartを書き終わってからは、2時間程を掛けて、checkを二度、三度と繰り返しやって、(・・・とは言ってもfinaleの入力上の間違い探しをしている分けでは無い。finaleを音源で聴くので、目からの情報ではなく、耳から情報なので、極めて正確なので、間違いを探す事は有り得ないからである。最終checkでは、演奏上のspielbar(弾き易さ)とか、ornamentを書き加えたり、即興を入れたり、等々の作業をするのだ。)、それでも、10時頃には椎名町にlineで楽譜を送った。
part譜のlayoutは、原則として、私はしないので、斉藤先生が私の送った楽譜のpart譜をlayoutをして、椎名町の大型のprinterでprint outをして明日の日曜日のオケ練習までには、Cembaloを担当する生徒に渡す予定である。
『蛇足:Vivaldiの教育methodeについて』
Vivaldiの作曲法は一見すると単純明快で簡単(simple)に見えるのだが、これが『さにあらん』のだよな。
人間は、themaのMotivが偶数ならば、覚えやすいのだが、奇数でしかもその都度、randomに繰り返えされると、人は、覚える事が難しくなってしまうのだよ。
唱歌形式に寄る簡単なmelodieは、2小節単位にa+b,という所謂、歌謡形式で作られているのだが、VivaldiからHaydnに至るまで、themaが奇数の延長上で作られて、甚だ複雑な形態を取っている事が多いのだ。
Vivaldiの超簡単な初心者用の教材として知られている『L'Estro Armonico(調和の霊感)Op.3Nr.6』のa mollの曲ですら、至る所にそのrandomな繰り返しのtrickが散りばめられていて、初心者の子供達を悩ましている。
Vivaldi先生の考える指導者としてのmethodeでは、正確に記憶する・・というtechnikを生徒達に指導するのが目的なので、kleinigkeit(小さな)なveranderung(変化)・・・の『違いが分かる』ようになると良いのだよ。
全く同じように見えても、強弱が逆だったり、小さなskipが入っていたりと、微妙に変化させるのだよ・・な??
そういった所に気が付くようになると、記憶力はかなり正確なものになって来るのだよ。
記憶のmethodeの極だよな??
現代の日本の教育界では、dataだけを丸暗記して・・その意味を理解しようとはしない教育を受けている。
だから、子供達はそのdataの意味を知らない。
意味の無い記憶は、違いが分かるどころか、記憶でさえ無いのだよ。
という事で、今の子供達には、「記憶」というものは無い。
人生の大半を無意味に過ごしているので、昨日の事すら定かに覚えている分けではない。
1週間前に教えた事ですら、「習った事はありません。」とすまし顔で言う。
時には「若年性のAlzheimerではないのかな??」と思う事さえあるのだよ。
困ったものだ。
私のhomepageの論文のsiteである「芦塚先生のお部屋」の論文の全文章がぶっ飛んでしまった・・と思っていたのだが、「Vivaldiの『L'Estro Armonico(調和の霊感)Op.3Nr.6』のa mollの曲のAnalyseのhomepageが、奇跡的にback・upの原稿が見つかって、復活する事が出来たので、全文を復活させる事が出来ました。
この論文は、読む事が出来ます。
という事で、繰り返されるthemaが、繰り返される毎に変形されていくのを一覧表で見る事が出来ます。
Gott sei Dank!(ありがたや!!)
Vivaldi a moll Analyse
ASHIZUKA-S-OHEYA.ASHIZUKA-ONGAKU-KENKYUJO.COM
Vivaldi a moll Analyse
まえがき ritornello形式について tuttiの部分の比較譜 soloの部分の比較譜 出版社について version Cembaloについて baroque時代のorchestraの並び方と演奏者の人数 この曲を演奏するのに必要な最低人数 VivaldiのLebenslau....

Vivaldi a moll ⅠAnalyse (ashizuka-ongaku-kenkyujo.com)


この後に書いていた文章と、二つの文章を一つに纏めてこの文章を完成原稿に持って行っていたら、突然、エラーで文章全体が、ぶっ飛んでしまって、元の文章も書き直した文章も見つからなくなってしまった。
「エラーが出ました!」の一言で以前書いた文章も、全く何も無くなってしまったのだよな。
今日の1日の作業が無駄になってしまった・・・!!
とは言っても、未だ朝の7時なのだがね??
削除をした別の文章はゴミ箱に保存されているハズなので、archiveを見てみたのだが、ゴミ箱を見ても保存されていないのだよな??
全く紛失してしまったという事だよな??
超Shockだよな!!
マジ、Facebookはよくあるよな??文章がぶっ飛ぶ事が・・
これが世界企業とは片腹痛いわさ!!

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6月6日『今回の発表会への選曲について』 ·


教室での「曲決め(所謂、選曲)」は、一人一人の子供達の音楽の成長に合わせて課題となる曲を決めている。
次のstepへの課題となる技術のthemaが含まれている曲を選曲する分けなのだ。
だから、一般の発表会のように、「有名な曲だから」とか、「子供が好きだから」という理由で「曲決め」をする事はない。
但し、年2回の「夏のおさらい会」と、冬のChristmas会のお楽しみ会」は、生徒が自主的に弾きたい曲を弾くような企画でやっている。
勿論、教室の方針でpopularの曲は無理だが、実際には、生徒達が弾きたい曲で「popularの曲を弾きたい」と言った生徒は今まではいない。
また、会場もKoncert・Hallではなくて、自治会館等の多目的Hallになる。
当然、衣装も発表会衣装ではなくて、普段のお出かけ衣装になる。
発表会やおさらい会等の形態の異なる演奏会をするのは、そういった演奏会場でのTPOやmannersを学ぶ意味もある。
また、一般的には発表会は多くても、1年に1回か、1年半に1回ぐらいであろうか?2,3年に一度という教室もザラである。
それは発表会を開催するための雑事がとても大変だからなのだ。
その煩わしさを回避するために、楽器店に発表会を委託している教室も多い。
私達の教室が外部委託をしないのは、発表会やおさらい会、Christmas会等に明確な教育的な配慮をしているからなので、それを外部の楽器店のstaffに理解させるのは無理だからなのだ。
初めに戻って、・・・発表会を目標として、明確な技術習得を目的として「曲決め」をするのだが、「曲決め」は、その生徒に最も必要なtechnikや音楽表現の技術を学ばせるための選曲である。
子供は成長の過程で、指を回す訓練をした方が良い時期と、音楽的な表現を学ぶべき時期があり、それはその生徒の心の成長に寄って、その時期とcurriculumが決まるのだよ。
一般的には小さな子供でも「技術的に優れているから、」とか、「よく練習をするから・・」と、いって、無理に大人びた曲を弾かせている動画等をYou Tube等でよく見受けるのだが、それは傍目には無理な背伸びをしているだけの、やはり、笑いものに過ぎない。
早期教育の意味の全くの勘違いである。
そんなに焦って早期に難しい曲を無理をして弾かせなくても、歳を取ると(或程度、年齢が行くと)、どんなに難しい曲でも普通に弾き熟すようになるのだ。
それが5歳で弾けたから・・と言っても、それでその生徒が音楽のproに成れると確約出来た分けではない。
余りに、早期に難しい課題をひきこなしてしまうと、逆にその過程で学ばなければならない事を、飛ばして学んでしまうので、逆にproの道に進む事が難しくなってしまう。
下手に指が回るようになると、細かい音や細部の注意をするのが難しくなってしまうし、初歩に戻って学び直す事がprideに障るからだ。
小学生で学ぶ事、中学生で学ばなければならない事、高校生でしか学べない事等々が、それぞれの年齢で、数多くある。その時期を逃しては学ぶ事が出来ないからだ。
また、これは論外中の論外のお話ではあるのだが、「中学生では受験に専念して、高校生になったら音楽に掛ける・・と言う生徒もいるのだが、そんなに都合の良い事が出来る程、proの道は甘くはないのは自明の理である。
勿論、生涯をamateurに徹するのならば、その時期で、人生の目標を変えたとしても、やぶさかではないのだが・・ね??
しかし、覆水盆に返らずで、proがamateurになれる事はあっても、その逆は有り得ない。
一度道を外したら、元の道に戻って来れる事は無い。
自分自身に与えられた、それぞれの時期を精一杯に、努力を続けた人達だけが、proの道を歩む事が出来る・・と言いたいのだが、実は、音楽はそれ程簡単で、甘くは無い。
それはあくまでも、優れた指導者に巡り会えた場合・・という前提の元で・・なのだよ。
一般的には権威と地位のある人間が優れた指導者とされているのだが、それはとんでもない間違いである。
有名なだけで、指導力の無い間違えた指導者に付いた場合には、どんなに努力を続いけたとしても、道に至る事は無いのだが、一般の人達にはそれだけは分からないらしいのだ。
brand嗜好の人達に取っては、音楽の価値とは、一般の人達が評価する価値であり、とどのつまりは権威と名声に尽きる。
一般的には、権威のある人達や、有名な人達に自分もそうなりたいという人達が、名声や権威を求めて、集まって来るので、より名声のある家元の所には、より名声を求める人達が集まって来る。
brandとは、それだけの事なのである。
本当の意味で音楽を追究する人達は、権威や名声には興味を持たない。ひたすら、音楽を追究するだけである。
そういった無欲の人達が本当に優れた人であり、優れた指導者となり得る。
しかし、今の日本の音楽の社会で、そういった事を理解出来ている人は極めて少ない••••というか、皆無であろう。
哀号!哀号!!
また、日本でのもう一つの誤解は、「音楽のproになるには、技術的に優れていれば良い」・・という誤った風潮があって、未だに、多くの音楽を志す人達が、その誤った考え方から抜け出す事が出来ないのだよ。日本人は音楽を演奏する時に、音楽に合わせて笑ったり、体で乗ったりして演奏する事を忌み嫌う。
Europaの演奏家達とは真逆のstyleである。
教室のオケ練習や室内楽の練習でも、「自分は充分にその技術に達したから・・」と思い込んで・・というか自惚れて、練習に来なくなる生徒がよく居る。
でも、それは周りの生徒が下手なだけなのだから、その生徒が抜きん出て上手になった分けでは無い。
OB、OGの連中が毎回のオケ練習に参加すれば、慌てて練習に来るのだろうが、それはあなた任せで本意では無い。
なぜならば、私のlessonの内容は変わらないからなのだ。
全体のlevelが下がったとしても、指導するlevelを落とす事はないから、そこで学ぼうという姿勢があれば学べるハズなのだが、それが無い・・という事は、proの世界では所詮は通用しない。
proは、周りの水準がどんなに落ちようとも、自分の水準を落とす事は無いからである。
という事なので、私が常に子供達に注意をしている事は、どのgroupに対しても、どのNiveauの子供達に対しても、いつも同じ事を説明して、同じ事を指導している。
オケ練習の時に私が投げ掛ける質問に全て答える事が出来るようになったとしたら、練習を免除してあげる事もあるだろうが、実際には未だそういった生徒にお目に掛かった事は無い。
私が私のmottoは「一度言われた事を二度は言われない」と繰り返し言っているのだけど、100回言った事も、記憶の片隅にも無いのだよ。
音楽への正しい理解がなければ、そこはどんなに技術力が付いたとしても、学生の域を出る分けでは無いからだ。
しかし、このお話は教室の生徒達に対してのお話ではないのだ。
それは今の若者達の一般的な考え方であって、「自分は一流の演奏家である」と信じて疑わない、You Tube等で、何十万回とaccessをされている若い女の子の演奏でも然り(同じ)なのだよ。
彼女に対しての、厳しい批判やcommentも時折見受けるが、彼女がそれを聴く事は無いだろうし、今の彼女の音楽の方向性を変える事はないだろう??
多分、今のままで、30の壁は越せないだろうな??
その時に彼女が言う言葉も分かっている。
「音楽でやるべき事はやり尽くしたから、次は愛に生き、恋に生きるのだ!」とね??
やり尽くしたと言っても、技術的には取り敢えず演奏が出来ているのに過ぎないので、兎も角も、音は出ていないし、音楽もブチ切れで、melodieの説得力も無いのだよな。
だから、アニメ・ソングを弾く時は上手いのかもね??私はアニメ・ソングはよく知らないのでね??
自己満足的な自己appealだけの音楽は、その女の子の若さや精気が失われた時に、彼女のフアンも逃げて行くだけなのだよ。
その若さで勝負の人達と実力派の人達が入れ替わる歳を私は30の壁と呼んでいるのだが、29歳から34、5歳までの間に音楽家は入れ替わるのだよ。
音楽大学を卒業しても、コツコツと音楽の研鑽を続けて来た人達が30歳を過ぎた頃に日本に帰って来る。その時期には若くて美人の人達も、「花の色は移りにけりないたずらに・・」であるぞなもし。
幾ら技術的に上手いからと言っても、未だ精神的に幼くて、精神的に演奏表現が出来ないという生徒の場合の選曲や、音楽を遅く始めたので音楽は分かっているのだが、その音楽の表現力が足りなくて、演奏技術が表現力に伴っていない生徒達の場合もよく見受けるのだが、そういったunbalanceな伸び方をしていて、行き詰まっている生徒を時折見受けるのだが、それも教室でならば、選曲の妙技でどうにでも解決をさせて、本道へ戻す事は簡単なのだ。
要は指導者のrepertoryの広さと曲への分析力に掛かっているのだよ。
そういったcurriculumに合わないunbalanceな技術levelしか持ち合わせていない生徒でも、選曲一つで上手にその段階を乗り越える事が出来るのだ。
子供の技術的な成長と指導者の指導のconceptが噛み合わないと、教育が上手く行く事はない。
碎啄とは、お互い同士が呼応し合わないと、そこからは何も産み出されないのだ。
生徒がどのように技術的に優れていたとしても、その生徒の音楽に対してのmotivationが低ければ、その生徒が自分自身の能力を活かせる事はないのだ。
勿論、その逆で、とても高いmotivationを持っていたとしても、その生徒の技術levelがその曲のNiveauに達していない場合も、同様である。
つまり、技術の水準を上げる事の出来る指導者は世界でも、ほんの一握りに過ぎないからだよ。
baroque音楽の場合には、そのritornelloの形式に含まれるsoloの部分のfigurationも、concertoという楽曲の性質上、Etudeのような無味乾燥なものではなく、情緒豊かな音楽性を持ったpassageに満ちているのだよ。
音楽の世界には、「Koncert-Etude」と呼ばれている、Etude本来の目的である音楽技術の習得を目的とする分けではない・・genreの音楽がある。
ChopinやRakhmaninov等の作曲家達は、figurationで作曲された曲を、或る意味、謙遜を込めてEtudeと呼んだ。
しかし、それらの曲と、本来、技術習得を目的とするEtudeでは、演奏する場所が根本的に違うのだよな。
後者のEtudeの場合には、演奏をしたとしても、観客を想定しないのだよ。
初心者のconcours等では、課題曲にCzernyやcramer等の練習曲(Etude)が課題になる場合があるのだが、Koncert・Hallで演奏されて、そこに観客がいたとしても、その観客は音楽を聴くのが目的ではなく、演奏者同士の、演奏技術を比較するのが目的となるので、Koncert会場での演奏とは全くgenreが違う。
Etudeは技術を磨くのが目的なのだから、だから、私が「Etudeは必要はない」と言っているのは、本来のEtudeには音楽的な表現が希薄である・・という事、それが理由なのだからね。
そもそもbaroque時代にはEtudeというgenreの曲は無かった。ritornelloのsoloの部分がfigurationで、完全なEtude様式で作曲されていたからなのだよ。
私としては少子化やコロナの所為にはしたくはないのだけど、教室の生徒不足のために、後期の発表会の「曲決め」では、本来ならばcurriculum通りの曲に進むべきなのだが、orchestraのmember不足や、技術不足のために、curriculum通りの選曲が出来なくなってしまった。
という事なので、今回も、私としては、一人一人の生徒の学習目的に合った曲として決めた曲が、orchestraのmember不足や、技術不足によって、演奏する事が出来なくて、結局、timelimitになってしまって、先生達に一任する事になってしまった。
『recorder-concertoについて』
・・という事で、本来、私ならば選ばなかった・・という曲も多いのだが、今回の「曲決め」の中でも特に驚いたのは、Vivaldiのrecorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのⅠ楽章であろうか??
recorder-concertoを発表会で演奏するのは、教室が始まって50年間の歴史の中で、『初めて』の選曲となる。
recorderの名曲はSonateや室内楽、concerto等、数多いのだけど、その演奏上の難しさから、教室のrepertoryとして上がった事はかって一度も無い。
recorderという楽器は、日本の教育界では、簡易楽器の延長として導入されて来たので、Europaのtraditionalなrecorderの曲とは、全くの別楽器として、隔絶したものがある。
日本のrecorderを指導している教育者達が、若しも、Europaのtraditionalなrecorderの名曲、例えばHändelのrecorder-Sonateや、TelemannやVivaldiのrecorder-concertoを聴いたら、なんと思うのだろうか??
多分、「これはrecorderでは無い。recorderという名の別の楽器だ!!」と言うかも知れないよね??
Vivaldiのrecorder-concertoで、私が「一押し」をするのならば、同じOp.10の曲集の中から、超、有名な、Nr.3 の「五色ひわ」を選曲しただろう??
しかし、超、難しいので、今回の選曲からは、外れたようだ。
但し、いずれの作品も、文部省が簡易楽器として導入した縦笛としてのrecorderではなく、ちゃんとしたEuropaのtraditionalな楽器としてのrecorderなので、その演奏のtechnikはとてつもなく難しい。
それはそうと、牧野先生に頼まれて、recorder-concerto Op.10 Nr.5 F DurのCembaloのpartを作る過程で、問題箇所をscoreに入力しながら、「これは非常に不完全なscoreである」という事に気がついてしまった。
Vivaldi時代(around1700年代)の作品では、完全にscoreやpart譜が残っている事は稀であって、教会に残っている反故の資料の中から、復元したものが大半なのだ。
Pageの紛失は当然の事、汚れて読めなくなっている箇所も数多く見受けられるのだ。
特にbaroque時代のviolaは、未だorchestraの中の楽器としては認められていない時代なので、violaのpart譜が完全な形で残っている事は少ない。(violaの奏者が少なかったので、violaのpartが作られていない場合も多かったからなのだ。)
HoffmeisterやStamitzのような優れたviolaのconcertoを作曲した人達でさえ、orchestraのviolaのpartは、取って付けたようにしか作曲しないのが普通なのだよ。
但し、Vivaldiの場合には、彼の愛弟子が名viola奏者であったと伝えられている。(これは伝聞です。)
だから、この曲もbasso continuoのpartが五色ひわと同様に、violaがcontinuoを演奏するようになっている。
音域のbalance的にもcontinuoがCelloよりもviolaの方が良かったのだとVivaldiが考えたのだと、思う。
教会や宮廷の中で、奇跡的に現代まで残って来た少ないpart譜やscore等の資料の中から欠落した部分を「多分、ここはこう書いてあったのだろう」と推定して作られたscoreが多いので、当然、絶対にVivaldiならばするはずの無い、実に素人っぽい間違いも多く見受けられる。
Vivaldi本人ならば、絶対に書かなかっただろうというpassageが随所に見受けられるのだが、ひょっとしたら、score作成時には、Vivaldiの愛弟子に作曲の手解きをしたのかも知れない。
Vivaldiの作品番号は、その時代のVivaldiの生徒達の力量を配慮して書かれたものが、多いからなのだよ。
まあ、余りにも素人っぽい部分は、訂正を加えておいたがね??
それを含めて、一般的には『校訂』と呼ぶのだよ。
scoreのTitleの下に、小さく書いてある奴だよ。
但し、その校訂者達も、100年以上も前の人達なので、periodに対しての考え方が現代とは違っていて、感情的に「多分baroque時代はこうだったのだろう?」と言ったような、baroqueに対しての感情的な、感覚的な、現実性の無い、役に立たない校訂の場合も多いのだよ??
こんにちでは、楽器が復刻され、当時の奏法等も分かって来て、かなり正確に当時の音楽を再現出来るのだが、それは、この10年2010年以降になってからの話なのだよ。
つまり、昔(2000年以前)のbaroque音楽の研究は、非常に感覚的なものなので、現代の時代考証にはあっていないのだよ。
だから、こういったbaroqueの曲は自分で責任を持って校訂する他は無いのだよ。
一頃は、「baroque音楽とはこういうものだ!」との思い込みから、eccentricな、速い乱暴なだけの音楽が1990年代から2000年代まで、baroque音楽として流行してしまった。
しかし、2010年以降は、流石に、そういったeccentricな演奏は形を潜めて来て、本来のbaroqueの姿を取り戻しつつあるのだよ。
まあ、そういったinterpretationが出来るようになって、初めて、一流の演奏家と呼ぶ事が出来るのだけどね??
Europaではそれは普通なのだけど、日本ではそれが出来る人はいるのかね??アハッ!
所詮は外国の音楽なのだからね??まあ、致し方は無いのかな??アハッ!


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6月10日無事生還を果たしました。 ·

大変お騒がせしました。
無事生還を果たしました。
というか、今日は超疲
れ切ってしまって、全く使い物にはならないようなので、ご報告やその他の雑文は明日からにします。
取り敢えず・・先ずは一筆あらあらかしこみかしこみまいらせ・・・、ほんじゃね~ぇ??

先生!
おめでとうございます!


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2021年6月11日 ·
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今日は6月の11日の金曜日です。
昨日は、病院から電車で、手術で寝込んで、すっかりと腰痛が再発したので、体調・体力を維持するために、遊び遊び帰って来たのですが、流石にハイツに辿り着いたらバテてしまって、入院setの後片付けを斉藤先生に任せて、私は爆睡してしまいました。
当日は、bikeでの椎名町への移動は、bikeの振動が直接、膀胱の傷に触るので、夜はそのまま移動しないで、ハイツで引き篭る予定だったのですが、何を思ったのか、夕方に目が覚めると、そのまま、椎名町にbikeで移動をして、外付けbluetoothの取り付けの説明をしに行きました。
なにせ、もう、生録のsetが、そろそろひと月近く何も進展しないままに保留のままだったので、その仕事が溜まりに溜まってしまっていて、我慢出来なくなってしまったのです。
外付けのBluetoothなのですが、その使い方を覚えないと、録音の当てレコの作業が滞ってしまうからなのです。二つのearphonesが同時に使用出来るtypeのbluetoothなので、その分設定が難しいのかもね??
しかし、色々な編集作業の中核になる重要な行程なのですから、「出来ない!」では済まされないのですよ・・ね??
パソコン系のtroubleは、チョッとした手順のmissでも、全く動作が出来なくなってしまうので、その操作を覚えるまでは、丁寧に手順通りにやって、よく理解しておく必要があるのです。
それにしても、人様がどこでmissをしているのかを判断するのはとても難しいのですよ。
だって、皆さん、「解説書通りにやっても出来なかった!」としか、言わないのだからね??
いくらなんでも解説書通りにやったら出来るでしょう??
まあ、出来ない時も時折あって、赤で取説に書き込んだりはしているのだけどね??
それから食事をして、ドルプリっ歩はpassをして、そのまま、ハイツに帰る予定だったのですが、ドルプリが「一緒に行こう!」とおねだりをするので、その眼差しに負けてしまって、なんとfull-courseの逆回りをしてしまいました。
夜は、肌寒いぐらいに、涼しくなったので、お散歩は体調的にも問題無く出来ました。(手術の次の日なのにね??)
それでも、椎名町に行った時間が早かったので、12時にはハイツに戻れました。
流石にバテバテなので、「直ぐに眠れるのかな?」と思ったら、弱鬱が始まってしまい、2時過ぎまで眠れなくなったのですが、alcoholは禁止なので、漫然と録画していたテレビの番組を見たのですが、何も頭には入って来ません。
・・という事なので、色々な番組のつまみ食いをしてしまいましたが、何とか2時過ぎには眠る事が出来たのですが、直ぐにtoilette-timeで4時頃には目が覚めてしまいました。
変な夢を見ていたので、それでも嫌な気分で起きてしまいましたがね??(変な夢?? それは日常生活の現実の延長上のお話なので、面白くも何とも無いのですよ。私の意図を誰も理解してくれない・・という現実の悩みなのでね??)
5時、6時と「鼻詰り」と格闘しながら、bedの上で悶々としていたら、「Gott sei Dank!」いつの間にか、また眠っていました。
起きたのは9時を回った辺りです。
今度は、暑くて起きてしまいました。
練馬は、連チャンの30°越えなのですが、今朝は未だ26°なのに、暑くて目が覚めてしまいました。
(とは言っても、この文章を書いている間の一瞬で28°越えになってしまっています。恐!!)
超、珍しく寝室のcoolerを付けてしまいました。(普段、寝る時にはcoolerは付けないのですがね??今日は嫌な温度だったので・・。)
病院では退院の前に、看護士さんが清拭をしてくれたのですが、ハイツに戻って直ぐに風呂に入り直しました。
深夜も体が気持ち悪くて目が覚めたのもあるので、2回も、3回も風呂に入り直しました。
まるで『禊』だなや??
その甲斐あって、まあ熟睡は出来たかな??
今日一日は安静dayにして、明日は、また2回目のVakzin接種です。
次の日には8°越えの高熱が出る人が多いようなのだけど、大丈夫かいな??
チョッと心配だよな??
日曜日は東京には誰もいないしな??
東京にgrandpianoは置く部屋が無くなってしまったので、東京でのprivateの生徒がいなくなったのが、問題だよな??
弟子が作れなくなってしまったのでね??


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6月13日今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。 ·

今は6月13日の日曜日の深夜の4時になる所です。
•••と、毎回同じ事を書くのですが、深夜の4時とは、12日の深夜の事なのですが、まだ明けぬ13日の早朝の事でもあります。
同じ話しなのですが、もう一つの困ったちゃんが0時です。
24時間表記ではお昼の0時は12時なので、0時は深夜だけなので、分かりやすいのですが、それでも時折、混乱をする事があります。
今が朝の5時なのか、それとも夕方の5時なのか分からなくなってしまいます。•••て、そりゃあ別の話しだよな??
入院をした8日の夜の0時に、手術に備えて、下剤を処方されたのですが、手術直前になっても全くその気配が見受けられず、そのまま手術をしたのですが、手術の次の日の10日の朝になって、突然下痢になってしまいました。薬が効いて来るまでに30時間掛かったという事ですよね?
本来ならば、その一回で、下痢は収まるハズなのですが、どうした分けなのか、その後、今日は13日にもなろうというのに、まだまだ下痢が止まりません。
部屋で安静にしている時には、なんの問題もないのですが、ドルプリっ歩等の外歩きの時の脈絡のない突然の急な下痢には困ってしまいます。
これはあくまでも、私の素人考えなのですが、下痢は体に入った有害物質を取り除くための生理現象と捉えているので、基本的には私は下痢止めの薬は飲みません。
体の中に入った異物が取り除かれると、自然に下痢をしなくなるので、それを待っている最中なのです。
膀胱癌の術後は血尿が収まったら退院の予定なのですが、結構真っ赤な状態だったので、退院出来るかどうかが心配だったのですが、先生や看護士さん達に拠ると、それでも、結構、きれいな尿なのだそうで、「退院は問題無い」という事でした。「結構、赤い色に見えるのですが?」と尋ねると、「赤い人はもっと赤いのですよ。」という事でした。
排尿痛と血尿が、中々治らないのですが、前回の手術の時を思い出してみると、やはり、ひと月以上も、中々血尿が治らなかった記憶があるので、そんなものかも知れません。
血液サラサラのお薬も飲んでいるので、それも治り難い原因の一つらしいのです。
今日は、第二回目のワクチンの注射の日でした。
前回と同様に、予約の時間よりも早目に到着したのですが、またまた前回ど同様に、待たずに接種する事が出来たので、予約の時間の5時には、ハイツの自宅に戻る事が出来ました。お役所仕事でもやれば出来るのだよね??
たっぷりと時間が出来たので、duoの手直しや、論文の推敲をしようと思ってパソコンに向かっていたのですが、突然倦怠感と睡魔に襲われて、仕事を放ったらかして寝てしまいました。
爆睡して、目が覚めた時には、食事の時間を過ぎていたので、慌てて、食べ散らかした弁当箱を軽く洗って椎名町に大急ぎで移動しました。
その後、ドルプリっ歩の時に、突然の下痢になったのは、書いた通りです。
ワクチンの注射を打つ時に、女医さんが、「利き手じゃあ無い方に打ちましょう?」とか言っていたので、「なんで??」と思っていたのですが、朝になって、注射の後が痛くて、左手が上がらなくなって来て、パソコンを入力するのにも、ちょっとだけ、困ってしまいました。
「なるほど、女医さんが言ったのは、この事だったのか?」と、納得出来ました。
少しだけ、顔も火照っているようなので、熱を計ってみたら、6度9分と微妙な数字です。
熱が上がらないように、大事をとって、安静にして、一日ダラダラと寝る事にしました。
とは言っても、お昼ぐらいには肩の痛みも取れて、普段の40肩50肩の痛みだけになってきました。
顔の火照りも良くなって来たようです。
しかし、まあ、政府のお達しなので、一日、二日は安静にして様子を見るように・・との事なので、敢えて、自己嫌悪に陥る事は無いのではないのかな??・・多分??
それはそうと、ダラダラと寝ていたら、なにやら、お腹が空いて来たので、ふと考えてみたら、前回の食事から、19時間経っていました。
「そりゃあ、腹減る分けだよな??」という事で、やおら起き出して、「食事timeにしようかな??」と思っている所です。
つまり、コロナ・ワクチンの副作用は心配無いようですね??
もう、24時間は経っているようなので・・
という事を書いていたら、テレビでは「2日目が危ない」とか、またぞろ、言っていたのだけど、もう、イイや!!
コロナのお話は終わりにします。アハッ!

コロナ・ワクチンの副反応がほとんどなくてよかったですね。
私は7月1日に第一回目のワクチン接種予定で二回目は7月29日予定なんですが・・・やや不安‼


私も結構不安だったのですが、何事も無くて良かったです。今日は兎に角安静dayです。

ワクチンは2回めがヤバいのです、meが毎週健康増進の注射をしてもらってるところの🏢看護師さん達のほぼ全員が頭痛で薬(カロナール)を飲んだ、発熱した、などになってる。アタシはインフルエンザ予防接種はしたことがないし、、コロナワクチンも本当はやりたくないのだ、アロマ関係の友人は皆『ヤラない!』って言ってる、でも、しかし、やった方がいいのかにゃ😹

ワクチン接種の副反応は免疫の暴走と言われているようですね??私の場合には、基礎疾患と体調不良で、もう私自身の体本来の免疫力が全く無いので、もうすぐ2日目が過ぎますが、全く無反応でした。つまり、あまりワクチンの効果は無かった・・という事なのかな??
インフルの方は、4,5年前に、一度死線を彷徨うぐらいの酷い掛かり方をしたので、病院の先生にしっかりと怒られてしまいました。「老人の場合には、インフルでも死病になるので、ワクチンは必須だ」と・・。それ以来、この2,3年は、出来る限り、真面目に受けるようにはしています。
インフルに掛かったとしても、軽く済むようなので・・。
勿論、真面目で無く受けない時もありますが・・
私はワクチンはマスクと同じだと思っています。ワクチンがコロナに有効か否かは別として、マスク同様に唯のエチケットだと思っています。マスクを着けたからと言っても、感染の防御にはならないし、人にうつす対策にもならないと思います。なにせ運動場に居る子犬一匹ぐらいの比較なので、マスクでウイルスを防ぐ効果が期待出来るとは思えないのでね??

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6月13日『人と芸術の関わり』 ·


音楽を学んでいる人達の憧れは、『proになる事』・・と言っても過言では無いと思われます。
音楽を目指す・・という事は、一般的の場合には、proになる事を意味する場合が殆どのようですね。
そして、ひたすらに音楽大学を目指し、コンクールを受け、留学をするのですが、残念ながらそれでproになれた人は極めて少ないのですよ。
少なくとも、proへの道はそんなelevatorが約束されている分けではないのですからね??
音楽大学を卒業して、暫し華やかな世界に身を置いて、しばらくの間は、proになれた・・と思い込むのだけど、やがて、その生活が何一つ変わらない・・という事に気が付いて、自分なりにやり遂げたと自己満足をして、恋をして家庭を築く・・というpatternですかね??
そして、Pianoは物置きの棚になって、violinの弦はcaseの中で切れたままになってしまう。
それまでの死にものぐるいの努力はいったいなんだったのだろうか?
まあ、人生なんてそんなもんだよねぇ??
但し、その逆のお話なのだけど、教室の生徒達の中には、proを目指す事が可能な技術があったとしても、「音楽はあくまでも自分自身の愉しみにしたい」と望んで、音楽以外の職業を選ぶ学生達も多くいるようで、一般の人達から「折角、音楽家になれるのに何故??」と不思議がられる事が多いのです。
まあ、それは私の影響なのかも知れませんよね??
私の場合は本職は作曲家なのですが、日本に帰って来て、果てさて何をたつきの糧にしようか??と、around30の時に、悩んでしまいました。日本の場合にも、多分世界の場合でも、作曲家が自分の書きたい曲を書いて、それがたつきの糧になる・・と言う事はありません。
テレビ局で売れっ子の番組の作家さん達と面談をしていた時に、私が書きたい曲のimageと、作家さんの求めるimageが真っ向から対立してしまい、喧嘩寸前になってしまいました。私をその有名作家に紹介してくれた人には、本当に申し訳無い事をしてしまいましたが、作曲では私は譲れないのですよ。人生、なんでも譲る事が出来たとしても、自分の作曲だけはね??
もう少し若い頃と言うか、音楽大学に入学したばかりの1年生の頃、中野のブロードウェイの中にある小林亜星さんの事務所に呼ばれて、作曲のassistantをしないか??と誘われました。私が「Classicの作曲で行きたいので・・」とお断りしたら、「Classicじゃあ、稼げないぞ!!」「生活出来ないぞ!!」と亜星さんに言われてしまいました。
勿論、大学1年生であっても、それはじゅうじゅう承知の事なのですがね??
around30の時にも、自分が書きたい曲を作る限り、作曲家としては生きてはいけない・・という事は分かっていたので、その時には、取り敢えずは。大学の講師という職業を選びました。
しかし、それも5年が限界で、朝、大学に出勤すると、教授室で碁を打っていた老教授達が夕方、私が大学から帰る時にも、全く同じに碁を打っていました。
私が大学でする事が無いのならば・・、という事で、教育の6領域を網羅するmethodeである「創作劇の作り方」という本を出版したのですが、大学で教材としてその本を売るために共著という事で出版の半額を出してくれる予定であった助教授は、「売れたら払う」ととんでもない事を言い出して、結局、私が全額を負担する事となりました。また、その6領域に対しての教育論文は、日本の著名な心理学の先生が自分の研究として発表してしまい、事後承諾で、bier1本寄越さなかったのですよ。
私の一般大学へ就職した高校の時の友人達も、教授から研究を盗まれたという理由で殆ど全員大学をやめているか、教授になっているかのどちらかです。
大学なんてそんなものなのですよ。
精神の安静のために、5年以上は大学には居ない・・と決めて、5年目には大学を辞してしまいました。
自分が本当に好きな事は仕事にしてはいけない・・というのは、私の場合には、マジにその通りだったのですよ。
つまり、「音楽を仕事にしてしまうと、音楽は愉しみでは無くなる」・・という考え方なのです。
まあ、そういった考え方も、あるのかな??
でも、しかしながら、その前提には、日本流の『仕事は辛い』という想定があるように見受けられるのだけど、私の場合の本来的な考え方では「仕事は生き甲斐だから仕事にするのだ」、という真逆の発想なのですよ。
生活のために・・、或いは家族のために、嫌々ながら「嫌いな事を生活のためだけにする」のならば、その人の人生は辛いものだし、そんなに辛い仕事を無理をしてしているのだったら、私達は、その人には仕事は頼みたく無いのだよな?
「好きだから喜んでやってくれる」人に仕事は頼みたいよな?
私の場合には「好きだから仕事にする」・・という発想なので、「嫌な仕事ならば、やりたく無い」し、「好きな音楽を仕事にした方が、毎日嫌な仕事をするよりは、楽しくって良いのでは??」と私は思うのだけどね??
勿論、他の事もやりたい事で、やりたい事が幾つもあったのなら、それはとてもhappyな事なので、やりたい全部の仕事を、仕事にしてしまえば良いのだよ❢
好きな仕事ならば、幾つでも並行でする事は出来るハズなのだからね??
人生はやり直しは出来ないからね?
次の人生では別の仕事・・という分けには行かないだろう??
私がよく教育の事や音楽の事で悩んで、Facebook等で愚痴っている事が多いので、人は私が「音楽で苦労をしている」と思い込んでいる人達もいますが、敢えて、音楽のために、一言、言っておくと、私が悩んでいるのは対人関係に悩んでいるだけなので、音楽そのものに対して悩んでいる事は絶対にありません。
生徒達に音楽を指導する上で、生徒自身のために、世間の無知に対して悩んでしまっているのですよ。
余りにも、その鬱が非常に酷い時には、鬱の音楽を聴いたりして、鬱に浸って・・鬱から逃げたりするので、音楽が嫌いになって鬱になっている分けではありませんよ??
音楽が嫌いになったら、欝の時に音楽で逃げる事なんて出来ないでしょう??
アハッ!
お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた時に、お釈迦様は悟りに寄って彼の人生の全ての悩みから救われた・・と思う人達がいたら、それは大変な誤解です。
お釈迦様は、その悟りの境地を衆生に伝えるために、より大きな苦悩を背負ってしまったのですよ。
煩悩な人間達に悟りの素晴らしさを伝えようとして、得た悟りよりももっともっと深くて大きい悩みを背負ってしまわれたのですよ。
でも、この『proになる事』というお話の前に、『proとは何を持ってproというのか??』という定義をしておかなければ、お話は共通認識が出来なくなってしまいます。
私の音楽のお話をする時に、私が目標とする音楽というgenreがあります。
それは、一般の人達が考えている音楽ではありません。
先ずその第一は、proというのは、有名になる・・事ではないのですよ。
そこが一般の人達に理解して貰えないのです。
音楽と一言で言ったとしても、popularからClassicまで、popularと言っても、jazzやrock、民族音楽のgenreまであります。当然、Classicと一言で言ってもOperaやPianoの曲、baroqueやロマン派の曲、近現代の作品もあるし、同じClassicでも多種多様なのですよ。
そういったgenreの違いを無視してClassicという言葉でお話をしては、共通認識が得れないのは当然なのです。
それに所謂、『pro』という人種なのですが、それは音楽というgenreでは無く、またありとあらゆるgenreにprofessionalと呼ばれる人達がいるのです。
つまり、私達が普段、音楽の世界で、『何を持ってproというのか??』というお話をしている時には、そのproの定義は、人に拠って、違っている、色々な定義が混在しているのです。
この『何を持ってproと言うのか??』と言う「問い掛け」に対しての答えは、genreを細かく分けて、お互いが共通認識を得る所まで、細分化して行かなければならないので、それだけで、一つの大きな数巻の冊子の一大論文になってしまいます。
非常に狭義にproを、単に『有名な人』と定義するとしたとしても・・
『proになりたい』と思う人達が、音楽大学を目指して、concoursを受けて、海外留学を果たして帰国したとしても、それでproに成れる分けではない事は自明の理であると言えます。
それで「自分はproだ!」と思っている人は、所謂、『自称のpro』に分類されてしまうのですよ。
私の師匠であるGenzmer先生は、自分が芸術家であろうとする人達の事をキツく戒めて、「自分が芸術家であるか否かは、後世の人達が決める事であり、作曲家であらんと欲する人は職人に徹するべきである」・・と言われていました。
デパート等でとても偉そうな絵描きさん達を見る度に、芸術家であるか否かは、デパートが決めるものではないよな??と思っているのですがね??アハッ!
デパートに取っては、芸術家である方が絵が高く売れるし、そのお絵描きさんが死んでしまうと、もっと価値が上がるからね??
「お歳だから、直ぐに死んじゃうので、値打ち物ですよ??」と言われても、ね~ぇ??
音楽大学での勉強や、concours、海外留学を含めても、それは、academismのcourseの延長線上の列車に乗っているだけで、外の世界に踏み出した分けでは無いからです。
(例え、1、2回、コンサート等で、proとしての活動をしたとしても、)列車のお話に例えて、列車の外に降りたとしても、それは駅のプラットフォームの中に過ぎないのですよ。
だから、それでproとは呼べないのです。
30年、40年前からhomepageに書いているお話なのですがね??
また、私がいつも言っている事ではあるのですが、音楽の世界はそのfullcourseの料理のように、予め準備されたcurriculumを熟したとしても、・・つまり、それを完食したからと言って、それでproに成れる程は、甘い世界では無いのですよ。この場合の甘いは揺いとでも、書くのかな??アハッ!
Europaではconcoursでproを目指す人達の事をconcours-pianistとか、concours-violinistと言って揶揄する傾向があります。(もっと酷いのは、Primadonnaという単語を辞書で調べると、「自惚れの強い女」と出てきます。tenorも似たような意味が出てきます。)
concoursの評価は、色々な人達の評価の集合と言う事と、他のKandidat(競合者)との比較評価なので、減点法になってしまい、個性豊かな才能に溢れた人はspoilされる傾向にあります。
つまり、無味乾燥で杓子定規なだけの演奏の方が、総合的統括的に、より良い評価を受けてしまうからなのです。
一般大学の入試や入社試験でも、その弊害が叫ばれているのは、周知の事実です。
それは日本の音楽大学でも同じです。
但し、こんにちでは、少子高齢化のために、受験どころの騒ぎでは無くなっている事も事実です。
随分前から、定員割れの状態になっているのですよ。
子供の自殺が今社会問題になっているようですが、教育学者や心理学者の人達が子供の心を理解出来ているとは思え無いのです。
子供はロボットではないのだから、大人が考えるような考え方はしません。
現場に携わる人達がよく言っているように、子供が100人居れば、100通りの状況があるからなのです。
心理学者先生達が言うような、そんな、教科書通りの通り一遍に子供達の心理を解釈出来る分けは無いのですよ。
人が芸術(音楽)と関わる時、その関わり方には色々な関わり方があります。
その関わり方に拠って、目的や勉強方法や勉強内容も変わってしまうし、毎日の努力も変わります。
という事なので、同じ芸術でも舞台芸術や色々なgenreの芸術があるので、話を複雑にしないためにも、この際、音楽というgenreの中のClassicというgenreに限ってのお話としてお話を進めていきたいと思います。
人が芸術(この場合には音楽に限ってのお話をします。)に何かを求める時には、その中でも最も多いと思われるのが、自分のための音楽です。
或る意味では究極の目標という事も出来ます。
つまり、「有名になりたい」という願望は、その前提は「自分が有名になりたい」という自分を目的とした、自己中(利己的)な意識から来る事には変わりはありません。
でもそれが自分を認めて貰いたい・・という願望であったとしても、それ自体は悪い事ではありません。
私は、そういった人達でも応援したいと思っています。
マスコミや、現代ではSNSを使って、有名になる事を求めている人達もいます。
有名になりたい人は、それこそ有名になるための努力を惜しまないようにする事です。
但し、有名になる事は、有名になった事であって、その事で、音楽が研ぎ澄まされた分けではありません。
特に陥りやすい落とし穴は、表面的な見せかけの技術です。
ともすれば、奇を衒ったりしてしまいガチになります。
You Tuberが見て貰うために、悪い事をしてしまうのも、同じ落とし穴なのです。
運良く、有名になった事で、自分の音楽が高く評価をされたように勘違いをしている人達も多く見受けます。
つまり、自分の実力が認められたから有名になったのだ・・という、勘違いです。
しかし、それは有名になるための努力が認められただけであって、音楽の技術や実力が認められた分けでは無いのです。
マスコミが作り上げた評価はマスコミだけのものであって、それ以外の社会ではまた違うハズなのですが、日本の社会ではマスコミが全てなので、そこは分からないのですがね??
日本の音楽界そのものも、マスコミとは大差が無いようなのでね??
Europaでは非常に優れた演奏家であって、研究者であっても、全く無名の人達が多く見受けられます。
その道の専門家というのは、一般受けはしないからです。
日本では、ノーベル賞を取る人の事を、ノーベル賞を受ける以前に知っている場合は、殆どありません。
マスコミが「この人は絶対にノーベル賞を取る」と言って騒いでいる場合を除いたら、専門分野の人達なので、一般に知られる事は全く無いからです。
しかし、一旦、ノーベル賞を取って、有名になってしまうと、人々は100年も前からその人の事を知っているような気になってしまいます。
ほんの10年、20年前までは、日本の音楽界だけではなく、Europaの音楽界でも、そういった隠れた非常に優れた演奏家を知る事は超難しかったのですが、今はSNSやYou Tubeのおかげで、結構、その人達の演奏を聴く事が出来る機会が多くなりました。
良貨は悪貨を駆逐するの諺のように、そのおかげで、10年、20年前に流行して、奇を衒って速いだけの所謂、その当時は『period奏法である』と言われていた、似非periodの演奏styleは、今は急加速的に、淘汰されつつあります。
僅か、10年ぐらい前までは、この似非period奏法の時代で、そういった奇を衒う奏法がbaroqueの奏法として流布していました。
You Tube等で、色々な演奏を聴く事が出来るようになって、より優れた時代考証が出来るようになって来て、本当の本物が淘汰されて生き残って行く時代になった事は非常に喜ばしい事です。
日本の音楽界も早く淘汰されるようになると良いのですがね??
100年経っても変わらないものは、1000年経っても変わらないのかね~ぇ??
次には、芸術に名声と富と権力を求める人達も多く見受けられます。
大学の教授達や家元達等々は、権力と富を求めたのかもしれませんよね??
大学の教授という事だけでは、儲からないのだけど、その肩書きを使ってお金を稼ぐ事が出来るからです。
自分のための音楽と、有名になるための音楽、権威とお金儲けのための音楽・・・、それ以外に音楽との関わりは無いのでしょうかね??
日本の社会では政治はお金です。
でも、海外では、政治は全くお金にならない国もあるのですよ。
政治家に国を運営する力量が無い事は、このコロナという非常事態で、暴露されてしまったのですが、政治という体質が金権にまみれているので、これから先も、何も変わらないのが現実なのでしょうかね??
音楽大学の世界も同じですがね??
音楽界の体制のお話を論じても如何せん致し方は無いので、それでは、もう少し別の観点から音楽の有り様を見てみましょうかね?
「音楽は人を楽しませるためのものである。」
それはそうかも知れませんが、その意味は色々な意味、解釈があるのですよ。
「楽しい音楽を楽しく演奏すれば、音楽が人を楽しませる」・・と言えるのかな??
そこには、娯楽と芸術と宗教の違いがあります。
そこを誤解してはいけません。
BachやBeethovenやBrahms先生達は、楽しい音楽を聴衆に提供したのかな??
Beethovenは自分の作曲をした五線紙に「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」と書いています。
日本語では、「心から心に至らん事を・・」という名訳があります。
私は鬱人間なので、教室で生徒達に音楽を指導する時にはよく、「上手な音楽ではなく、泣かせる音楽を・・」と指導します。
ともすれば、生徒達は技巧的な見せかけに逃げてしまい、音楽の本質を忘れガチになります。
楽しんでくれるよりは、聴いて感動して、泣いてくれるようなsymbthyのある『泣き』の音楽です。
このBeethovenが自分の五線紙に書いたmottoは、ひょっとしたら全ての作曲家が持っている、共通するmottoなのかも知れませんよね??
私がGenzmer先生から学んだ作曲技法は、あくまでも舞台での公開の演奏を前提とする音楽だったのですが、Europaのtraditionalな音楽の世界では、音楽の有り様は、人々と密接に結びついた日常生きて行く上で無くてはならない存在であり、娯楽であり、愉しみであり、宗教でもあり、且つ又、哲学でもあるのです。
残念ながら日本の音楽のClassicの社会では、私が最も要とするgenre・・(つまり、私の居場所)が、未だ育まれていません。
所謂、Classicの音楽の世界は不完全な歪な形でしか育ってはいないのです。
その昔、「音楽事始め」として、日本に軍事訓練を学ぶための道具として持ち込まれて、権威とéliteの象徴としての音楽が、未だに日本のClassicの音楽の世界を占めているのです。
つまり、Classicの音楽はélite階層のstatusであるのです。
éliteの女の子達の衣装を華やかにするための飾りでしかないのです。


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6月14日『大雨のお話』 ·


6月の14日になったばかりのcinderella-timeの時間なのですが、椎名町からの、帰り道は超、土砂降りになったので、rain-coatを来て雨の中をbikeでハイツの自宅に戻りました。
腹が立つ事に、ハイツに辿り着いてから暫くすると雨は霧雨に変わってしまいました。
何故腹が立つのか??・・というと、土砂降りの直前の話なのですが、・・いつもの定形で、ドルプリっ歩の時には、絶対に雨は降らないのですよ。
つまり、私がハイツに戻る時だけ、大雨なのです。
「こら!! プリ!!」(プリのお散歩の時だけ晴れるのは、未だに続いている奇跡です。マジ、妖怪か??)
『オケ練習のSDcardのdubbingのお話』
ハイツに戻る時に、斉藤先生から今回のオケ練習と前回のオケ練習のSDcardを預かった来ました。
本来ならば、video-cameraからBlu-ray-disc へのdubbingは、通常の手順ならば、パソコンにPlayMemories Homeというsonyのsoftをinstallして、そのsoftで、video-cameraから、directにパソコンのdisk−recorderで直接、dubbingすれば良いだけなのですが、いちいち千葉から東京までvideo−cameraを持ち帰るのが大変なので、SDcardだけを持ち帰って、一度PanasonicのDigaというrecorderにdubbingしてから、bluerayに焼き直します。
SDcardだけならば、パソコンに取り込む作業が増えるので、DigaのようなBlu-rayrecorderで作業した方がその後の作業が速いのです。
とは言っても、そのDigaに取り込む作業とBlu-rayに焼く作業が二度手間で超、時間も掛かって、面倒くさいのですよ。
それに、先生からは「SDcardからDigaに動画が上手く取り込めないので、SDcardの問題だ」・・と言って来るのですが、私がDigaに装着してみると、何の問題も無く取り込めるのですよ??SDcardの挿入の仕方は何度も教えてはいるのですがね??
例外的に取り込めなくなったSDcardも1,2枚ありましたが、そのSDcardは、全部、今は捨ててしまったので、今使用しているSDcardは問題は無いハズなのですがね??
まあ、いずれにせよ、Blu-rayのdisc に焼く作業は、私がしているので、「前回と今回のSDcardがDigaに取り込めない」という事なので、SDcardを預かって、ハイツに持って帰りました。
ハイツでは、帰り着いたら、そのまま、bedに入って、寝る予定で、SDcardをDigaに取り込む作業は明日にやる予定だったのですが、何となく、軽い鬱に襲われて、寝そびれてしまったので、起きてウダウダするついでに、SDcardからBlu-rayに焼く作業をしていたら、なんと一晩掛かりの作業になってしまい、完全に徹夜になって寝そびれてしまいました。
『SDcardをBlu-rayに焼く作業から、梅雨入りのお話へ』
Blu-rayに焼く作業が2時間以上も掛かるので、Digaを回したままに、気分転換に、霧雨の中を雨に濡れながら、深夜の徘徊に出てみたのですが、気温は肌寒いぐらいで、寧ろ、心地良いのですが、湿度が高いので、気分が滅入って来ました。
どうやら、今日からの「梅雨入り」は決定のようなので、とても湿度が高いので、その所為で、歩いていても、気分がスッキリとしないのです。
折角、頑張ってmansionの外に出て見たのですが、気分が乗らないので、早々とハイツに戻ってしまいました。
私は暑さ、寒さは結構平気なのだけど、湿度だけは苦手で、体感的に嫌だ・・という事では無く、体中に巨大湿疹が出来て、そのcareにいつも大変なのですよ。
同じ梅雨でも、九州の梅雨は平気なのだけど、関東の重いジュクジュクした梅雨は、耐えられないのです。(同じ湿度でも重い覆い被さるような湿気と、軽いサラサラとした湿気があります。)
体が耐えられ無いのは、湿度だけの問題なので、coolerを付けてみたりするのですが、coolerで除湿をすると超寒くなってしまうし、・・ねえ??
という事で、コンビニ・coolerというのをそれぞれの部屋毎に買っています。つまり、寝室用とか、居間用とかのそれぞれの部屋用です。
(コンビニ・coolerというのは、商品名だそうで、何の事か分からないと思いますよね。casterの付いた移動出来る除湿機の事です。取り付けtypeのような大型では無く、超小型の除湿機です。)
この除湿機は部屋の温度を上げてしまうので、暑い時には使えません(coolerの代用にはなりません。)が、逆に梅雨の時期のような寒くてジメジメした季節にはとても便利です。
等々、とりとめも無い事を徒然と書いているのですが、この所、深夜眠れない日が続いています。
多分、体内時計が半日程ズレてしまっているのだと思いますが、私の仕事は基本的にはnorma制なので、予定の仕事を予定の時間内に熟しさえすれば、・・無理をして、正常な時間に戻さなくても、ズレたままでも良いのかな??
・・と思って、そのままにしています。
だから本当は夜眠れなくっても、悩む事は無いのだけどね??

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6月15日昨晩も寝はぐれてしまいました。 ·

6月の15日の火曜日の、もうすぐ8時になろうとする所です。
昨晩も寝はぐれてしまいました。
しかし、取り立てて急ぎの仕事もないので、パソコンの前の椅子に座って、ぼんやりとしていたら、突然、忙しさにかまけて、注射を打つのを忘れていた事を思い出しました。
慌てて、調べてみると、もう三日も遅れています。
注射の予定日は、ワクチン接種の次の日だったのですが、この注射もワクチンと同じように熱が出てしまうので、注射するのを躊躇したのが、そもそもの原因になります。
もしも、ワクチン接種で翌日に熱が出るようならば、この糖尿病の注射をするのは、一日、二日はズラしても良いか??・・とは思っていたので、「忘れた」としても「予定通り」と言えば予定通りなのですが、「忘れてしまって」という事では、いけないよな〜あ?
という事で、慌てて注射をしました。
注射の間隔が或程度決まっているので、次の注射の予定日も変更して、予定表に新たに訂正をしておきました。
それは兎も角として、その後も、一晩中眠れなかったので、FacebookやYou Tube、homepage等のあちこちの文章を修正しました。
眠れないから仕事をする・・というのは健全ではないので、出来ればぼんやりとテレビのdramaでも見たいのですが、観たいテレビのdramaのstockも全く無くなってしまったので、眠れないと時間を潰すのが結構辛いのですよ。
この所、深夜と言わず、お昼間も観たいテレビ・dramaが全く無いので、録画が出来ないので困ってしまいます。
テレビドラマの端境期とでもいうのかな?ドラマが終わって、次のドラマが始まるまでの、何もない時期なのかな?
することもないので、取り敢えずは、Bedに入ってウダウダとしていますが、それでも眠れないものは眠れないのですよ。こういう時にalcoholでも飲めたら良いのですが、alcoholは肝腎の調子が悪いので、基本的に禁止にしているので、困ってしまいます。


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6月17日テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね?? ·

昨日、今日、或いは、それ以前から、•••分かり易く言うと、術後、川崎から戻ってから、体調がなかなか戻らなくて、すっかりと文章が書けなくなってしまいました。
・・・という事で、する事も無く、自分の鬱のduoを聴いたり、今までFacebookを、論文の案出しのmemo代わりにして、公開設定を自分のみにして、覚書、memo書きにしている文章を、何とか完成稿までは行かなくても、公開が出来る程度の文章にはなるように、書き直し、修正を加え直して、この2、3日を掛けて、幾つかの文章を公開しておきました。
基本的には、いつでも読みたい内容の文章が、読めるように、Home Page上に、Indexを加えて、upしているのですが、自分のみの文章は公開していないので、定められた日にちに、付け加えなければなりません。
文章を書き加えた事で、また一つ、面倒くさい作業が増えてしまいました。
てな事を書きながら、自分のduoを聴いていたら、突然、激しい雨の音が混じって来たので、「そんなeffect掛けていたっけ?」と窓を見たら、激しく雨が窓に打ち付けていました。
そう言えばflooringの窓を全開に開けていたよな??
慌てて、隣の部屋に行って、窓を閉めました。
ちょうど、風で窓に雨が吹き付ける直前で何とか間に合ったよな??
後、2,3秒気付くのが遅れたら、部屋の中が水浸しであった所だ!!
•••てな事を書いていたら、あっと言う間に、青空が見えて来ました。
なんだ、これは??
squallか??
練馬は南国か?
確かに東京都では無いようなのだが・・
テレビ等では『東京都は**°、練馬は++°でした。』と放送されるからね??


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6月17日『マイ・隠れ家』 ·


まだ若かりし頃、所謂、アラサーの頃の思い出なのですが、ドイツから帰って来て、住み始めたばかりの頃の江古田の街には、何軒か、私の行き付けのお店がありました。
そこに行ってカウンター席に座れば、menueにはない私だけの料理等が勝手に出てくるお店です。
だから、毎日、仕事が終わったら•••、或いは仕事中にでも、そのお店で気分転換をしていました。
しかし、行き付けの寿司屋も、私の隠れ家のような喫茶店も、10年ぐらいのintervalでお店が変わってしまいます。
その都度、新しいお店を探して、開拓するのですが、とうとう、この10年、15年ぐらいになってからは、私が行けるようなお気に入りのお店は無くなってしまいました。
・・というか、『馴染みのお店』・・という雰囲気のお店が江古田の街には、無くなってしまったのですよ。
教室が椎名町に引っ越してから、ハイツで独り暮らしになってしまって、一人で食事をする時に、よく通っていた寿司屋も最初の店長は私の好みを覚えていて、私だけのお寿司やお酒のツマミを出してくれていたのですが、チェーン店なので、3,4年したら、店長が変わってしまって、私の好みの裏menueのお寿司は、もう出て来なくなってしまいました。
次に来た店長に私の好みのお話をしても、menuに無いから、嫌がってなかなか作ってはくれないのですよ。
それに行く度に店長が替わってしまうので、段々とその寿司屋も足が遠のいてしまいました。
困った事ですよね。
大手チェーン店は従業員の想替えという事があるからね~ぇ??
結局の所、menueの中からだけのorderになってしまうのですよ。
私に取っての寿司屋というのは、私の好みを覚えてくれる居心地の良い場所であるのが希望なのですが、今時の寿司屋は、とても良い居心地の場所とは言えないつまらない店ばかりです。
つまらないよな??
勿論、他の個人の寿司屋も試しては見たのだけどね??
お気に入りの店は見つからないのですよ。
毎日のように、通っていた喫茶店も、お店が無くなって、つまらないお店ばかりになってしまったので、こちらの方も、時折、試しに新しいお店に入ってみるのですが、店をやる人の意識が、もうすっかり、昔とは違うのですよね〜ぇ??
喫茶店としての個性が無いのですよ。
お店ならではの、光るものが見当たらないのですよ。
・・という事で、この20年近くは、外でお茶をする自体が無くなってしまいました。
それに、歳を取って色々な大病をするようになって、タバコもお酒もやめてしまったので、外に出掛ける事も無くなってしまいました。
・・という事で、寿司屋で飲んだくれる事もすっかり無くなってしまいました。
それに、老人が集まって、喫茶店で談笑していたら、気持ちが悪いからね??
行きつけのお店が無くなって来たのは、江古田だから・・という事では無く、千葉も同じです。
チョッとこじゃれたお店はみんな、閉めてしまいました。
世相がそうなったのだよね??
全てが、なんとなくmenueと取説だけになってしまったような気がします。
マジ、つまらないよな〜あ?
独居老人になって、部屋で一日中、パソコンに向かって仕事をしているのですが、歳を取って体調不良が続くと、生理整頓はおろか、部屋に掃除機を掛ける事すら難しくなってしまいます。
今の季節のように、湿度が高くて、日々部屋に閉じ籠っている事が、うっとおしくて、イライラして爆発しそうな雰囲気になって来る事があるのだけど、そういう時に限って、部屋の生理整頓や掃除が出来ていないので、部屋が雑然として、落ち着かないのだよな??
そういう時には、気分転換に、こじゃれた隠れ家のような喫茶店に行って、美味しい紅茶でも飲めるといいよな~あ??
体調不良なので、体力が無いので、部屋全体の掃除は無理なのだけど、頑張って部屋の中の一部だけでも、整理整頓をするか??
少しは気分も変わるかの知れないのでね??

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6月18日violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲 ·

ドルっ歩に付き合ったら、まあ、いつもの事なのだけど、ハイツに戻ったのが、午前様になってしまったのだけど、よしゃあいいのに、それでもviolaとCelloの二重奏曲の編集を始めてしまった。
編集とは言っても、この所、延々と続けているFinale音源での編集ではなくて、発表会での生演奏のvideoの編集である。
本当は、発表会での演奏は、色々と事件事故が多発したので、そのvideoは今回は一般公開はしないで、新教室で、新しくvideo撮りをしてから公開する予定だったのだけど、大学や学校が解禁になって来て、合わせの都合がつき難くなってしまったので、待てど暮らせど、練習も録音もしている様子が見受けられ無いし、再録のprojectの進捗が全く見受けられないので、ついつい、痺れを切らして、uploadする予定の無い発表会のvideoを弄ってしまったという分けなのだよ❢
まあ、撮り直しが出来たら改めて、差し替えるという事でね??
いや~あ、それにしても、編集作業は、てぇへんだったぞい!!
土台となる発表会のvideo自体が、迷走しているのだから?
普通は土台には出来ないのだよな??
その出来ない事に挑戦するのが、面白いのかもね??
alcoholは禁止なのに、ついつい、打ち上げに、久し振りに、bierとやらを飲んでしまった。
(禁止のハズなのに冷蔵庫にはしっかりとalcoholが、入っているのだよ!!)
やっぱ、生はいいな??
「・・ん??・・bierの事??」
Nett,生•演奏!!
下手でも、computerの音よりは、生の音の方がマシだよな??
violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲
violaとCelloの二重奏曲『悠遠』芦塚陽二作曲 - YouTube

2021年5月9日の芦塚音楽研究所千葉音楽教室の発表会での芦塚陽二作曲violaとCelloのための二重奏曲『悠遠』の演奏です。violaは千野瑞希、Cello山本珠加です。作曲は1976年の5月の30歳の時なのですが、作曲をしてから、45年振り....

あれ?いつのまにおしゃれな副題がついたの?それなら他の曲もつけてくださいね。

無理!!


相変わらず、摂眠障害で眠れ無かったので、ついでにTitleを付けておきました。Titleは原則として付けないので、付け焼刃になってしまいますが・・


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6月18日私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、 ·

私が高校生の時に纏めた詩と童話、essay等の散文集である「ある少年のメルヘン」は、小さなBalladeやSo-netやMärchen等の集まりで出来ていますが、それらの小さな文に使われている言葉が、その詩集の一冊全体で、全てのMotifが共通の意味を成すように作られています。
例えば詩や童話の中によく登場する『光』という言葉なのですが、詩集全体でのsymbolicな意味では、永遠なる物、歴史に名を残す作品を意味します。
つまり、小品に使用される一つ一つの単語が、詩集全体の共通の意味を持つように作られています。
一つ一つの作品では、甘い恋愛詩集のような形態を取っているのですが、全体では私の芸術論になっています。
こういった一つの作品が全く別の意味を持つ二重構造的な手法は、ダリの2重画像の手法にも、或いはエッシャーのだまし絵の手法にも近い物があります。
この詩集「ある少年のメルヘン」は、私の高校生の時の卒業記念に自費出版した詩集なのですが、当時の私の創作技法の粋を尽くした作品でした。そういったtrick-art的な文芸作品は、私の知る限り未だに、出版されていないようなのですが、その結果と言えるかどうかは兎も角として、結局の所、まあ、誰からも理解はして貰えませんでしたがネ??
このお話しをしたのは、今回、新たにFinaleに入力した「ある少年のメルヘン」から15年後に作曲した、violinとcelloのための二重奏曲集や、violaとcelloのための二重奏曲集にも、同様の技法が使用されていて、曲集全体の中で、それぞれの曲に共通したMotifが使用されているからなのです。
但し、作曲の世界では、楽章を統一するために、一つの曲の中で、同じMotivを使用するのは、Beethoven以前からの、極々当たり前の作曲技法になります。
勿論、duosで使用した、motifを統一させる手法は、traditionalな意味での曲集全体の統一性を持たせる意味でもありますが、それ以上に、それぞれの曲が共通の心情の下に作曲されている・・というからなのです。
写真は「ある少年のメルヘン」です。

この詩集、未だに大切に持っていますよ‼

いや~ぁ、大切にして戴いて、ありがとうございます。

発行者としての高塚 和子さん、高塚かずこ子さんは詩人として詩集を出され活躍されてるんですね。東由多加さんもそうですけど先輩方のご活躍素晴らしいです‼

高塚さんは西日本の新聞の現代短歌の選者としても有名なようです。東君の詩には高校の在学中に合唱曲を幾つか作曲して音楽部で発表してもらいました。大学病院に入院中の話ですが・・・


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6月19日『芦塚methodeでのオケ室内楽の練習に関してお話』 ·


人は外面を見て、内なる物を理解しようとはしない。
人に取っては、地位やbrandそのものがその人の評価なのだよ。
「Beyer教則本を使用している」と言えば、一般の音楽教室の先生達や保護者の人達からは、「そんな面白くもない古めかしいカビの生えたような教則本を使っているのか?」となるし、「オケを教室でやっている」・・と言ったら、一般のorchestraのようにeventのための一発のorchestraと勘違いをして、教室でのorchestraのcurriculumを理解しようとはしない。
しかし、Beyer教則本を「古臭い!」と言っている人達はBeyerのmethodeや書かれているsystemを知らない。
それに、Beyerが面白いか面白くないかは指導の内容に掛かっているのであって、Beyer教則本自体の持っている価値では無い。
私もBeyerに思い込みがある分けではないので、Beyer教則本に変わる教則本を探しては見たのだが、帯襷所ではなく、殆どの教則本はsystemさえ持っていない。
step by stepで確実に指導して行くcurriculumを持った教則本は未だにBeyerがbestchoiceになってしまう。
オケも同じである。
orchestraや室内楽でcurriculumを作れば、オケで子供達の技術を指導出来るし、orchestraの技法だけでななく、演奏に於ける技術さえも指導する事が出来るのだ。
しかし、そういったcurriculumが実際に、有る分けではないので、そこは、ちゃんとmanualに従って、作りあげないといけない。
教室で作っているviolinの教則本にしても、殆どの人達に見せると名曲集と思ってしまう。
curriculumに従って、曲を配列している所に大切なsoftがあるのだが、外部の人達がそれに気付く事はない。
生徒達の利便性のために、市販のcardを使おうものならば、「それは市販の物だから、芦塚methodeでは無い!」と、来る。
芦塚methodeはsoftに掛かっているのであって、道具はどうでも良いのだけど、一般の人達は道具が芦塚methodeそのものである・・と勘違いをしてしまう。
ensembleについても然りである。
教室のensemble-methodeの内容を知らない人達からは、子供達はensembleが好きだから、子供達に媚びて、生徒を集めるために、子供達を遊ばせるために、看板menuとして、オケをやっている•••と思われてしまうのだよな?曲はその生徒が弾ける曲を探して来て、課題にしている・・と思うのだよ。
音楽史的に言うと、orchestraやensembleで、楽器の演奏法の指導をした人は、私が始めてでは無い。
violin音楽の黎明期であったbaroque時代に、既に、彼の有名な作曲家であるVivaldiもVivaldiーmethodeというviolinやCelloの指導のためのcurriculumがあって彼が育てたオケは、Europa中に名を轟かしのだよ❢
また、Vivaldi自身の教育のmethodは、彼の作品からしっかりと読み取る事が出来るのだよ。
Vivaldiの作品は明確な技術指導の目的が見て取れるからなのだよ。
しかし、残念ながら、BayerにしてもVivaldiにしても、自分自身の奏法の指導のmethodを遺している分けではない。
昔の人達は、著作権の保護が叫ばれているこんにちよりもなお、自分自身のsoft(manual)を大切にしたのだよ。
だから、そのsoftは、一子相伝の直弟子ぐらいにしか、指導はしないのだよ。
宮本武蔵の五輪の書のように、肝心要の箇所になると「以下口伝」となるのが普通なのだよ。
当時は現代の著作権法のように発案者を守る法律はなかった分けなのだからね??
しかし、世界共通の法律があったとしても、お隣の国のように、国毎でそれを守らなければ、その保護は全く意味を成さない事になってしまうしね??
もしも、Vivaldi-methodeにmanualが残っていたとしたら、それならば、どこの音楽教室でも、ensembleで子供達を教え育てれば、皆、こんにち、多くの子供達が経験している辛い孤独な練習から逃れる事が出来て、自己鍛錬のような厳しい練習で、大好きな音楽を学ぶ事に挫折をする子供はいなくなる分けなのだから、どこの教室でも私達の教室と同じ事をやりそうなものだが、それがそうでもないのには、未だ幾つかの障壁があるからなのだ。
その内の一つである、所謂、学習するための教材に相当する楽譜なのだが、私が集めているorchestraの楽譜や室内楽の楽譜は、一冊、1冊、非常に高価なので、その一曲だけならば、そのための出費もあり得るのかも知れないのだが、一旦、curriculumを作るため・・となると、一連の流れとして総合的に楽譜を揃えなければならないので、図書館並みの莫大な出費が必要となり、個人でそういった楽譜を揃える事は有り得ないのだよ。
私??
私は作曲家なので、曲を集めて作曲家の手法を知る事は、私の作曲のためのmainの勉強にもなるのだよ。
orchestraのcurriculumはその序なのだよ。
それに、市や県、或いは大手の企業がback・upをしたとしても、baroque時代のorchestraや古典派の時代のorchestraの曲には、part譜が付いている事は稀なのだよ。
「何故??」って??
それは明白である。だってpart譜を作って出版したとしても、その費用を出版社が回収する事は無理だからなのだよ。
印刷に掛かった費用だけpart譜が売れる事は無いのだよ。
part譜がある曲は、いつでも何処かで演奏されている超、有名な曲だけなのだよ。
だから、同じVivaldiの作品でも「四季」ぐらいに世界中で演奏される曲は当然part譜が出版されている。
しかし、それ以外の曲となると、数えるぐらいしかpart譜は作られてはいないのだよ。
私達の教室の生徒達はpart譜が無くて、scoreしか無かったとしても、平気で演奏をする事が出来る。
どっちみち、本番では暗譜で演奏するのだから、scoreで練習しても、part譜で練習しても、全く関係無いのだよ。
しかし、音大生にしても、proのオケマンにしても、scoreを覚えて演奏する事は無い。
暗譜で譜面無しに演奏する演奏団体はI Musiciぐらいなものだからだ。
だから、baroqueの曲を一般のorchestraが演奏しようとすると、part譜を作る所から始めなければならないのだよ。
これはとても手間暇の掛かる事だし、それをproの写譜屋に頼んでいては、とても採算が取れなくなってしまう。
だから、orchestra-curriculumというのは一般的には有り得ないのだよ。
proのorchestraでも、次の演奏会のための一曲、二曲として・・ならば譜面を作る事もあるのかも知れないけれど、curriculumとして無数の曲のpart譜を作るという事は経済的にも不可能な事なのだよ。
勿論、市や県や、或いは大手の企業の場合ならば、金に糸目を付けず、同様のorchestraのcurriculumを作る資金を準備する事は、可能なのかも知れないのだが、実際には、今度は、orchestraの楽器を指導出来る指導者はいない。
orchestra-curriculumとして指導する場合には、各楽器の演奏法を技術的に指導出来る指導者が必要になるからである。
それならば、指揮者が・・と思うかも知れないが、指揮者はそれぞれの楽器の演奏技術の指導は出来ない。
つまり、それぞれの楽器の演奏法の技術指導は指揮者の管轄では無く、表現された音楽が指揮者の領域なのだからだよ。
また、それぞれの楽器の指導者がそれぞれのpartを指導すれば良いようにも思われるかもしれないが、それぞれの指導者にはそれぞれのprideがあるから、仮に同じ楽器であったとしても、自分の生徒が他の先生に弄られたくは無いと思うからである。
ましてや、異種楽器の指導者からは・・ね??
大御所の先生が居たとしても、violinの先生はviolaやCelloやKontrabassの指導は出来ないし、その逆も然りである。
つまり、それを統括して指導出来る先生となると、日本はおろか、世界でもそうザラにはいないのだよ。
つまり、orchestraでcurriculumを作るとして、そういった楽譜を揃えるとなると、普通の家が一軒、2軒は建つぐらいにお金が掛かるし、且つ又、オケに参加している子供達にrentalしているKontrabassやviolaやCembalo等の楽器を揃えるだけでも、結構、豪華な家を買えるぐらいの費用は掛かるのだよ。
そういった費用は、orchestraは教室がやっているので、教室が購入して管理している、教室の楽器であり、教室の出費だと思う人達が多いのだけど、教室は個人では無く、会社なので、法務局の決まりに拠って、営利団体なので、営利を生み出さない楽譜や楽器に対しては、費用としての出費は認められていないのだよ。
楽器をrentalしても、その楽器をメンテする費用はrental代として回収出来るかも知れないけれど、楽器を購入する費用は教室には出ないのだよ。
proのorchestraでもorchestraの楽器としては、sponsorからの寄付で、個人の楽器は皆、自分の楽器なのだから・・ね??
当たり前の話なのだよ。
そういう事なので、これ等の楽譜や楽器を揃える費用は教室が負担する事は出来ないので、全部、私個人の、趣味としての出費になってしまうのだよ??
それに加えて指導者も見つからないので、指導の要々では、私が指導する事になってしまうのだよな。
という事で、orchestraやensembleを子供の内から指導したい・・という夢を抱いたとしても、現実的にorchestraのcurriculumで子供達を指導する事が、夢であったとしても、それは現実的では無く、夢物語の中の話に過ぎないのだよ。
つまり、私達の音楽教室でオケや室内楽をやっているのは、私の道楽に、先生達が付き合っているのに過ぎないので、日本の音楽界の中で、私以外に、個人の権限でオケや室内楽をやっている教室は無いし、ましてや、そのオケや室内楽にcurriculumがある・・という事は、Beyer教則本以上に有り得ないのだよ。
特に、室内楽と言うと、音楽を専門に目指す人達に取っては、超、難物のgenreなので、音楽大学に進学したPianoの生徒達や弦の生徒達でも、オケや室内楽に学校で参加出来る人達は非常に限られた優秀な生徒達だけで、一般の音大の生徒達は一度もオケや室内楽を体験する事は無く、音楽大学を卒業するのが落ちなのだよ。
室内楽というgenreは音大生達に取っては憧れのgenreで、その大学のtopの生徒だけしか学ぶ事が出来ないcurriculumなので、だから、私達の教室では、子供達が室内楽のcurriculumで勉強をする・・という事を言うと、それを信じる事は出来ないのだよ。
という事で、音楽教室で室内楽を勉強しているという事は、子供用にarrangeされた簡易楽譜で演奏をしている・・と、考えてしまうのだよ。
私が作曲をした『子供のための室内楽』や『子供のためのPianotrio』があるのだが、それは唯一、市販されている、子供がPianotrioの勉強をするために、Julius Klengel先生が作曲をした『kinder•trio』への導入の曲なので、一般的に思われるような子供達のための簡易versionのPianotrioの曲ではない。
kinder-trioはMozartやBeethovenのPiano-trioへの導入として書かれているので、決して簡単な物では無い。
楽譜を見て、BeethovenのG Durのsonatineが弾ければ、Klengelのkinder-trioは弾ける・・と思い込んで、教室から楽譜を借りて、発表会に臨んだ先生もいたのだが、大失敗をして、二度と楽譜を借りには来ないのだよ。
Klengel先生の子供達のための、kinder-trioの楽譜はあっても、それを指導出来る先生はそんなにザラでは無いのだよ。
技術levelはBeethovenのsonatineのlevelに合わせてあるのだけど、それは、ensembleの技術が必要なので、演奏技術を少し楽にしてあるだけなのだよ。
私の『子供のためのPianotrio』でも、ensemble慣れをしていない音大生が、いざ合わせようとしても、音大生でも、弾けないのだよ。「楽譜はこんなに簡単なのに、何故、合わないの・・??」となるのだが、そこはensembleのためのtrickがあるのだよ。
私の曲が演奏は簡単でも合わせは難しい・・という事は、You Tubeにも子供達の演奏をuploadしているし、曲のimageはちゃんと掴めるハズなのだから、外部からの、楽譜の注文があった時には、「子供のため・・とは言っても本格的な室内楽への導入のための作品なのですよ。」と念を押すのだけど、教室のYou Tubeでも就学年次前の「小さな子供達が弾いているから」との思い込みから、楽譜を受け取って、実際に指導して(或いは自分で弾いて)見てから、「本当に本格的なtrioなのですね??」と改めて、驚いてしまうのだよ。
例え小さな子供であるあったとしても、それまでに色々なensembleの曲を弾き熟して、ensemble慣れをしているので、その差は音大生よりも、大きいのだよ。
一般的な日本の音楽界では、orchestraや室内楽のcurriculumは、普通に出来るものではないのだが、教室に長く在籍している生徒達や保護者達は、私達の教室が一般的な普通の教室であって、日本国中どこにでも、同じような教室が存在している・・と段々と思い込んでしまう。
そう思い込んでしまう最たる理由は、私が肩書の無い巷の音楽教室の先生に過ぎないからなのだよ❢
人は肩書でしか、その人の価値を判断しない。
しかし、権威主義に批判をしている人間が、権威主義で自分を認めさせても、それも遺憾ともし難い。
また同様に巷の音楽教室がやっている事なのだから、「orchestraで子供達のcurriculumで指導する事や室内楽のlessonを普通に受ける事・・・それが日本の一般の音楽教室の水準であって、日本中のどこの音楽教室でも、或いは音楽大学の音楽教室でも同じ様に、やっている事なのだ❢」•••と思い込んでいるのだ❢
もしも、そんな教室が私達の教室以外にあるのならば、是非、見てみたいものだよな??ね~ぇ??
また、世間一般で『音楽教室』と言うと、一般の人達のimageでは、趣味でいい加減に指導するので、もしも、本当に音楽の道に進む事を考えるのならば音楽大学の先生に師事しないと・・という事になってしまう。
でも、その実態は、有名音楽大学の先生の生徒達を見るに付け、まあ、実に好い加減な指導を受けて、「仮に音楽大学に進学出来たとしても、音楽家としての未来は無いかな??」とも思えるような教育を受けている人達が多いのだが、それでも、一般の人達は、音楽教室の先生に学ぶよりは、良いに決まっているのだと、思ってしまうのだよ。
まあ、それはそうかもね??
しかし、「音楽大学の先生ならば、ちゃんと教えて貰える」と考えるのならば、まあ、それは、短絡的な発想であるぞなもし。
Europaの場合には、どんな超有名な音楽大学でも、音楽大学歴を口にする音楽家は殆どいなくて、口にするのは「**schule(所謂、**先生門下生)」である事を自慢するのだよ。 
つまり、全く肩書きを持たない私は、そういった世間一般の言い方をすると、『Hochschule für Musik und Theater München(München国立音大)の作曲科の卒業生』では無く、『Hindemithの高弟であり、Deutschの誇る作曲家でもあるGenzmer教授の門下生』という事になるのだよ。(Facebookには、profileとして書いてはいるけれどね??誰も読まないよな??一般の人達には、どこに何を書いても、巷の音楽教室の先生に過ぎないのだからね??)
同様に日本の音楽大学の肩書きでも、Mahler門下で指揮者のBruno Walterの兄弟弟子で、Thomas Mannの義兄弟でもあるPringsheim先生の門下生になる。
という事は、私は二人の先生、所謂、MahlerとHindemithの孫弟子になるのだよ。
凄くない??
でも、それを口にしたら、典型的な虎の皮になってしまうよな〜あ?
(Hochschuleというのを、英語のhighと勘違いして高等音楽大学と分けの分からない訳が、昔は流行っていたのですが、それはAriaを空気と訳した明治時代の訳と変わらない迷訳で、Hochというのは、ドイツでは、単一の・・という意味なので、英語での高校の意味ではなくて、日本語で言うと専門の・・とか、単科大学という意味になります。つまり、Universität(総合大学)とHochschule(単科大学)の違い・・になるのですよ。)
私達の教室が、一般的に言うと単なる巷の音楽教室という分類に過ぎないので、水準の低い一般の趣味で学ぶ音楽教室の一つに過ぎない・・と思われるのは、それが一般的な社会的な音楽教室の概念なので、「さもありなん」・・「致し方無い」・・と思うのだが、教室に在籍している生徒達や保護者の人達までが、同じように教室の水準を音楽大学よりも低いlevelだと、思ってしまっているのだから、困ったものだ。
教室から音大に行ったら、curriculumやsystemが無くなってしまうので、教室で勉強するようには、なかなか上達しなくなるのだが、それを生徒達は、「私達の教室で学ぶよりも、より高度な事を勉強しているのだから難しくって、なかなか上達しないのだ」・・と、勘違いをして、思ってしまう。
だが、中には、その行き詰まった事を、私にone lessonでlessonを受ける要領の良い生徒もいて、半年間掛かっても治らない事が、僅か、小一時間のone pointのlessonの中で弾けるようになってしまうのだから、どちらが水準が上か分かりそうなものなのだがね??
しかし、やはり、恰幅の良い衣装を着て、大学の教授という肩書を頭の上に乗っけている方が、指導力や指導内容の水準が上に見えるのだよな。
まあ、それはlächerlichな事なのだがね??
つまりは、自分の目で見たとしても、何の違いも見えない・・、分らない・・という事なのだよな??
それは芦塚methodeで習っただけなので、芦塚methodeを習った分けではないからなのだよ。
つまり、芦塚methodeで考える事が出来るようにはなっていないから、正しく物を観る目が育っていないのだよ。
しかし、その原因は必ずしも本人達だけの所為ではなくて、教室の指導者達の、生徒や保護者正しくへの芦塚methodeを周知させる努力が欠如している所に原因があるのだよ。
価値が分からない事を学ぼうとしないのは当たり前の事である。
それがbrandでも、brand的な価値があれば衆人は必死に学ぼうとするのだからね??
折に触れて、オケ練習とは言っても、芦塚methodでのオケ練習でしか学べ無い事や、音大生の憧れである室内楽が何故教室では普通に指導出来るのか?••」という事に対して、芦塚methodeがそれを可能にしているのか?という事を、生徒達や保護者の人達に、周知させないといけないのだよ。
教室のmethodだから、オケや室内楽でlesson出来るのだ!という事を、知らしめる努力を怠ってはいけないのだ。
『個人のlessonでは学べない数々の技法』
日本の音楽家達は、オケや室内楽を練習する時に、part譜を見て練習するのだが、scoreを読んで音楽を研究する事はしない。
その弊害は思っているよりも大きく、日本人のClassicの音楽家達は和声感が乏しく、正しいrhythm感も欠如していて、tempo感も無い。
Metronomの死んだtempo感を音楽のRhythm感と勘違いしている音楽家が多いのだよ。それよりも更に大きな弊害は自分独りだけで練習をする弊害として、音楽に対話が無いのだよ!!
音楽は基本舞台芸術なのだ。だから、Motivのcommunicationが大切なのだよ。
対話の無い音楽とは死んだ音楽なのだ。
室内楽は、音楽家達にとっては、超難しいgenreとされているので、そういう曲をたかが巷の音楽教室の生徒のlevelで、弾く事(弾ける事)は有り得ないという一般的な常識である。
だから、当然、一般の人達の場合でも、音楽教室で演奏されるensembleは、所謂、音楽教室用にarrangeされた簡易編曲の安っぽいチーチーパッパの合奏と勘違いをされてしまう。
私の『子供のためのPianotrio集』はBeyerの下巻程度から弾けるように作られているのだが、音大生がその曲を演奏しても、ensembleが出来ないのだよ。演奏をした音大の卒業生達が「何故、弾けないのだろう?」と自分で不思議がっているのを、やっと就学年次に達した子供達が白い目で見ているのは、一種異様な光景だ。
小学生の高学年から中学生ぐらいになって、score-readingが出来るようになる生徒と、受験のために、オケや室内楽を休んでしまった生徒では、歴然とした差が出てしまう。
part譜だけで練習をして来た生徒達には、音楽の全てが見えている分けでは無いからなのだ。
それはscoreが読めるようになっていないと、楽器間の絡め合わせが分からないので、問いかけや答えが分からないし、和音を聴くという事すら難しくなってしまうのだよ。
日本の音楽教育ではensemble教育は無いので、日本人の音楽家達にはそういった総合力は無いのだよ。
力で弾く音と伸びのある音の違い、音に含まれる和音感、柔軟な生きたrhythm等々、言い出せばensembleで学べる事は限りが無いのだがね??
或る時に、日本を代表する若手の演奏家達がVivaldiの四季を弾いているのを偶然耳にしたのだが、驚いた事にcellistやCembalistがbasso continuoの弾き方を全く知らないのだよな。baroqueのconcertoには、独特の通奏低音の弾き方というのがある。
それを無視して、現代風にbaroqueのconcertoのbasso continuoを弾かれると、こちとらとしては困ってしまうのだよな。
日本を代表する若手ならば、もうチョッと勉強しろやな??
誰が??・・そんな事言える分けは無いだろう??

この文章に直接書き込むって出きるのか?

無いものを作るのは素晴らしいことで大変なことであるが、無いものを理解するのもまた難しいようだ。オーケストラや室内楽にカリキュラムを取り込んで教育として指導する。これをやっている先生或いは団体や教室などは、まず日本にはない。せいぜいオーディションで弾ける人を集めて集団教育をする程度の児童オーケストラくらいだ。だから、オケの速報の技術やリーダー教育も含めて、3つの音しかない初級曲からプロとして演奏活動出きる技術までの全てのレベルの曲を揃えたカリキュラムがあるオーケストラと室内楽など、一般の人達が理解できないのも無理はないのかもしれない。教室でそのカリキュラムで伸び伸びと上達した生徒でさえ、自分に特別な才能があって上達したかのように勘違いしてしまう。一般の人達がか理解できないのは致し方ないとしても、大して練習もしていないのに何故か沢山練習している他の教室の生徒より遥かに自分の方がうまいのはどうしてなのか、ちょっと考えたら分かりそうなものですが?

オケの奏法

音大ピアノ科卒業の人に教室のヴァイオリンの生徒の伴奏を頼んだことがある。チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトの伴奏をするのに「メトロノームのテンポ通りに弾いてればいいんですよね?」と聞かれて唖然としてしまった。聞いて合わせるという発想自体がなく、教室で子供たちに指導しているソリストの弾きたいものを感じ取って、カバーしてあげる伴奏などとは程遠い。伴奏法もアンサンブル教育も受けたことがなくスコアすら見たこともない人にとっては、教室で初級段階で練習させるキンダートリオや芦塚先生の子供向けピアノトリオも、全く弾けない難しい曲なのです。



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6月21日眠れない❢ ·

ちょうど、日曜日のcinderella-timeに、椎名町から今日のオケ練習のSDcardを持ってハイツに戻って来ました。
直ぐにPanasonicのDigaにSDcardをdubbingして、Blu-rayに焼きながら、パソコンの並行作業をしました。
Blu-rayの出来上がりtimeをtimerでsetして焼き上がるまでのパソコン作業のつもりだったのだが、途中で睡魔に襲われて、bedで寝てしまいました。
熟睡