2014年9月4日より、2015年12月31日まで
2016年1月1日より、2016年12月31日まで
2017年1月1日より、2017年12月31日まで
2018年1月1日より、2018年12月31日まで
2019年1月1日より、2019年12月31日まで
2020年1月1日より、2020年12月31日まで
2021年1月1日より、2021年12月31日まで
2022年1月1日より、2022年12月31日まで
2024年1月1日より、2024年12月31日まで
Johann Pachelbel=Ashizuka Chaconne in f
1月2日川崎の病院から転院を ·
1月3日鼻詰りで起き出して
1月5日コロナ下Probeに誘われて
1月6日ガス料金が倍になった
1月7日『これまでも折に触れて、毎回書いている事ではありますが・・』
baroqueや古典派時代の音とこんにち私達が聴いているbaroqueや教育法の音の違いについて
1月7日満月です。
1月9日『Haydnの「ひばり」の修正箇所についてのhomepageへのお話』
1月10日今日の夢と歌の男性との待ち合わせ
1月10日『mezza voceとmessa di voce』 ·
1月11日順天堂病院への初受診
1月12日『芦塚methodeのお話』
1月12日BiberのRosarysonate
1月13日の金曜日、所謂、Jasonの日
1月14日『proへの道のり』
1月15日『前衛音楽』
1月16日取り立てて何でも無い1日です。 ·
1月17日『Facebookのお引越し作業が終わった』
1月18日PreyとFischer-Dieskauのβのvideotape
1月21日『暗譜に付いてのお話』 ·
1月23日今日は1日携帯でVivaldiに関するお話を
1月24日術前検査の絶食で
1月25日日曜日の夜以来の食事にありつけた ·
1月25日baroque音楽の復活のお話 ·
1月26日ドルプリにとっては、-3℃が心地よいおだな~ぁ??·
1月26日なんと、今の気温は-4℃です。 ·
1月27日『演奏会用Programについて』 ·
1月28日『血尿のお話し』 ·
1月28日素晴らしい青空が
1月29日今日もまた素晴らしい青空が ·
1月30日食欲不振の後の空腹感 ·
1月31日足が冷え切ってしまったので、アンカを出した ·
2月3日春眠暁を覚えず ·
2月4日実にrealな夢を見た ·
2月4日『bikeの鍵が・・』 ·
2月6日『病院が無い❢❢』 ·
2月7日古いパソコンの方が使い手が良いのだ
2月8日昨日はtoiletteで死にそうな目にあった·
2月9日今日はrotationのミスで食事もドル・プリっ歩もサボった
2月10日理解不能なGoogleのcalendar
2月11日摂眠障害 ·
2月11日音楽史の別のapproach ·
2月14日病院行く前の日に、病院に行く夢をみている ·
2月14日今日は何をやっても上手く行かない日だ ·
2月15日今日は1日掛かりの病院dayだ ·
2月18日兎に角寒かった ·
2月18日今日はとてもbusyであった ·
2月20日雑炊を絨毯に撒き散らした ·
2月21日前の文章の続き ·
2月21日Cembaloのtuningのお話
2月24日燃え尽き症候群のような感じの ·
2月26日右足の人指し指の爪が剥がれて ·
2月27日powerdirecterが壊れた ·
2月28日今日は何かとbusyなのだ ·
3月1日入院のコンサルに練馬高野台に行きます ·
3月2日時計のお話 ·
3月3日ひな祭りの日だけど・・・ ·
3月4日Cembaloのtuning ·
3月5日オケのclass分けに関して
3月6日今日は入院の初日です。
3月6日『珈琲のお話し』 ·
3月7日手術当日の朝です。
3月8日術後の夜
3月8日日本人演奏家のinterviewの記事を読んで ·
(baroque音楽では、何故vibratoをしないのか??装飾音の意味)
3月8日『3月の8日から10日になる所まで』
3月10日『円座マットの話し』 ·
3月10日言う事、成す事、バラバラの病院 ·
3月11日退院日の夜 ·
3月13日時短の法則 ·
3月13日homepageの汎ゆるPageがぶっ飛んでいて ·
3月13日0byteのPage
3月15日『子供への教育教材の演奏は簡単か??』 ·
3月15日『proの条件』 ·
3月19日『団塊の世代』 ·
3月19日海鮮抜きの皿うどん ·
3月19日『baroque時代のConcertの演奏形態』 ·
3月20日腰痛が酷くなって ·
3月22日多分、平穏な1日で ·
3月26日季節を体感する·
3月27日超、寒い❢❢❢
4月1日『待ち合わせの時間のお話し』 ·
4月2日『今日は発表会の当日です。』
4月4日発表会が終わってからのお話です。 ·
4月6日めちゃくちゃな、編集作業をしてしまった ·
4月8日bikeのstandが右足の親指に乗ってしまった ·
4月10日『あがると言う事Ⅰ』 ·
4月11日『あがると言う事Ⅱ』 ·
4月13日『病院記』 ·
4月14日『音楽表現=tempoのズレ(ズラシ)』 ·
4月15日紅茶が終わってしまったので、 ·
4月15日『和声学のlessonとnetでのlessonとprinterのお話』 ·
4月15日『楽譜渡しの日』 ·
4月17日『迷惑なMicrosoft Edgeの話』 ·
膀胱癌のお話
4月18日『全身のCTscan検査当日の記』 ·
4月19日『ゴキ族との果てしなき戦い』 ·
Le Quattro StagioniのL’Estateのお話と、芦塚先生の和声学入門のお話
4月21日『RolandのDP603でのdirect録音』 ·
4月22日『Viola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri Casadesusのtransposeについて』 ·
4月22日『Lebenslauf』 ·
4月22日音楽の基礎力 ·
4月23日突然寒くなってしまった ·
4月24日『血尿と瘡蓋が出た』 ·
4月24日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusのthematisch-Analyseのお話』 ·
4月29日『覚書若しくはNiederschriftⅠ』 ·
4月29日『覚書Niederschrift Ⅱ』
4月29日『覚書 NiederschriftⅢ』 ·
4月30日『和声学について』
5月1日『覚書=NiederschriftⅣ』 ·
Lisztの愛の夢の和声的Analyse
5月1日な、な、な、なんと!今日はもう、5月1日だ❢❢ ·
5月1日『覚書=NiederschriftのⅤ』 ·
5月1日『椅子に座ったままで、夢を見た。』
5月2日寂しい夢を見た
5月4日トルコ人らしい人がやっている韓国料理の店に打ち上げに ·
5月5日『finaleで、和音記号を表示させるには・・』 ·
5月6日今日は満月です。 ·
5月6日『覚書=NiederschriftⅥ 』
5月6日『携帯のJ-comのマイページのログインが出来ない❢❢』 ·
5月8日『ドレス コード(dress code)のお話』
5月8日JcomのぶっといCableが部屋の天井を ·
5月9日明日からは抗癌治療が ·
5月10日『抗癌治療の開始と新携帯の設定のお話』 ·
5月13日『monitor‐テレビのお話』 ·
5月14日『作曲家と権威主義』 ·
5月14日欝が酷いので
5月16日反省用のオケ練習のvideo ·
5月16日抗癌治療と血尿の瘡蓋 ·
5月17日抗癌治療の副作用 ·
5月18日『本日のpech!』 ·
5月20日ゴキさんの運動会 ·
5月21日『Chopin prelude Op.28 「雨だれ」』 ·
5月21日『Chopin Op.28-15「雨だれ」のthematisch-Analyseの続き』 ·
5月22日体調との戦い ·
5月23日『Händel=Casadesusの版のⅠ楽章の作り直し』
5月24日『前の文章からの続きです❢』 ·
5月26日Händel=CasadesusのViolaConcertoに付いて ·
5月26日糖尿病の診察を忘れていた ·
5月29日急遽で最後の光が丘病院でした。 ·
5月30日病院と病院の中日 ·
5月31日副作用
6月1日副作用が酷い·
6月2日認知症の検査 ·
6月4日バレなければ、良いという時代 ·
6月4日『超、有り難迷惑なMicrosoftのupdate』 ·
6月4日オケ練習が急遽、牧野先生の高熱で中止に ·
6月6日自分の居場所について·
6月7日今日は多分第5回目の抗癌治療です。 ·
6月9日今日は兎に角忙しかった❢❢ ·
6月11日Jcomのテレビのコードを整理した。 ·
6月11日methodeを学ぶという事は ·
6月12日オケ練習へのfeedback ·
6月13日今日は火曜日の引きこもりdayです。
6月14日『朝の超ドタバタ』
6月15日抗癌治療も後2回です。
6月16日『Genieについて』·
6月16日今日は起きれないので
6月18日You Tubeの翻訳soft
6月19日Rehabili-day
6月21日 抗癌治療が中止になりました
6月23日一日中ウダウダと
6月23日寒い❢❢·
6月24日如何ともし難い1日だった·
6月25日革製品の補修用leather
6月26日携帯が不安定で·
6月27日今日は引きこもりdayです。
6月27日携帯の文字変換が勝手に変わってしまって ·
6月28日今日は水曜日で抗癌治療の日のハズですが ·
6月29日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusに付いて』
6月30日昔uploadしていた動画の画質を変更した
7月3日Rehabilitationの安息日です。
7月4日『明日は、ハイツの水回りが・・・』
7月4日『VivaldiのLe Quattro StagioniのL’Estateの拍の設定について』
7月5日toiletteと水回りの使用が出来ない。
7月6日冷蔵庫の中の物も腐った
7月6日8月5日のbaroque・Salon・Koncertのチラシです。
7月7日『幸せ過ぎる不幸』
7月7日『音楽上の演奏表現に関する基礎力について』
7月9日VitaliのChaconneのcheck
7月10日今朝の椎名町の収穫だそうです。
7月11日『copyをする・・という事から発展して日本人の音楽の感性についての問題』
7月11日家庭菜園
7月12日homepageが無くなっていた
7月13日homepageのお引越し作業をやった
7月15日酔っぱらいに絡まれた
7月16日オケ練習の集まりが悪いので・・
7月18日昨日は高齢者講習がありました。
7月18日今日はRehabili-dayです。
7月20日今日は玄関の扉の交換があります。
7月21日『帯状疱疹ワクチンの接種日です。』
7月22日『baroque・Koncertで使用する positive organ のお話』
7月24日『ritornello形式についてのこもごもと、夏のⅠ楽章のたった一箇所だけ出て来る低弦楽器の飛び出しのお話』
7月24日BartokのMikrokosmosからのFrom the Diary of a Flyのお話
7月25日郵便物をを待っているのです。
7月26日糖尿病内科への転院
7月27日日本人のpianistのpedal操作の問題点
7月28日『今日は夏の合宿の初日です。』
7月29日『昨日の28日は夏の合宿の初日でした。』
7月30日今日は隅田川の花火大会なので、大渋滞を避けて
7月31日『30日のおさらい会』
7月31日の月曜日の朝の8時半を過ぎた頃なのです。
8月1日『今日のふんだり蹴ったり』
8月2日病院dayです。
8月2日『ズボンのベルトが無い❢』
8月3日『糖尿病科の初診の日です。連チャンでの病院行脚です。』
8月4日日本の誤魔化しpedalの話
8月4日やっと、baroque-konzertのprogramが出来ました。
8月5日『baroque-konzertの日なのです。』
8月6日『一夜明けて・・』
8月8日今夜も眠れないのだよ。
8月8日『baroque時代の音楽表現から無伴奏に於ける音楽表現の約束事について』
8月9日この所、全くテレビをつけなくなってしまったので
8月10日睡眠不足でlessonをしていたら
8月11日『暗譜について』
8月12日『Cembaloと音域について』
8月12日調律のお話
8月13日『出版されている権威のある楽譜上のヘボいcontinuoのpart』
8月14日Scharwenkaのdress rehearsal
8月15日瑞希の本番
8月16日『concours(コンクール)のお話です。』
8月16日15日は先生達が外出していたので
『友達Requestに関して・・』
8月18日『BiberのRozarySonateの撮り直しについてのお話し』
8月19日『飛んだ❢飛んだ❢❢曜日が飛んだ❢❢❢』
8月24日昼夜逆転の日々が
8月25日めちゃくちゃなrotation
8月26日lessonが入っているのに、気が付かなかった
8月27日オケ練習が成り立たないので、急遽お休みに
8月28日お久し振りの病院の日です。
8月28日『日伸ばしは、時の盗人』
8月29日『BiberのRosarysonate No.1d moll『受胎告知』Continuo-Aussetzung von Yoji Ashizukaのrenewalと再uploadについて』
8月30日の水曜日です。
9月1日『今日もダラダラと一日を過ごしてしまいました。』
9月4日なんと!なんと!! 体調不良だ❢ 夏バテだ❢❢ 摂眠障害だ❢❢❢
9月4日タイムリープ
9月5日今日は引き篭もりdayです。
9月6日『昨日の夕方から、物が二つに見えるようになってしまった。』
9月7日ヘボいfinaleの話
9月8日『紛らわしいので、先に書いて起きますが、今日は8日の金曜日になった所です。』
9月9日『眼科に行った。』
9月10日日曜日なのに、車の運転が出来ない。
9月11日目のズレが酷くなって
9月12日マイナンバーカード
9月13日アナログなマイナンバーカードの手続き
9月15日今日は電話-dayです。
9月16日目を休めていたのだが一向に
9月19日『カチンコの話』
9月20日帯状疱疹のワクチン
9月23日『BiberとBertaliのChaconneのお話』
9月24日水のウオーマー
9月24日Chaconneの和声分析
9月25日今日は病院dayである。
9月25日職人と芸術家
9月26日パスネットが無い
9月27日入院、手術迄に、体力が持つかな?
9月27日入院、手術迄に、体力が持つかな?
9月29日今日は満月でしたが
9月30日とうとう、9月も最後の日の
10月1日明日の月曜日からは入院です。
10月2日入院初日です。
10月3日いよいよ、手術の当日です。
10月4日術後です。
10月5日そろそろ、病院疲れです。
10月5日『芦塚methodのお話し』
10月6日明日は退院の予定である。
10月7日明日は退院の日です。
10月8日退院一日目
10月10日『発表会の次の日の朝(火曜日)のお話です。』
10月13日やっと、物が2つに見えるという事が治まって来ました
10月13日『Dragonspeechが死んだ❢❢・・と思ったら、復活した。』
10月15日concoursのlessonの話
10月17日『proを目指しても・・』
10月18日『Händel=Ashizukaのpassacaglia in gのお話』
10月18日『HändelのPassacagliaのorchestrationのこもごも』
10月20日『音声読み上げ』
10月23日『月曜日から日曜日迄の総括』
10月23日『今日はお久し振りの練馬高野台行脚なのです。』
10月24日『今日の夢』
10月25日今日は病院dayなのです。
10月25日Body-talk
10月26日今日は誕生日の
10月26日Ozempicの量が
10月27日摂眠不良
10月29日『10月の28日の土曜日に、happyBirthdayの簡単な2台のViolinのversionを作るようにorderが斉藤先生からあった。』
10月30日『happyBirthday Piano quintettoのお話』
10月30日『今は深夜・・というか、もうすぐ、火曜日の10月31日の、Twilightの4時半です。』 ·
10月31日変な夢を見た
11月1日変な夢を見た❢その2
11月1日病院行脚dayです。
11月2日江古田に学生が居なくなった
11月4日Scharwenkaについて
11月4日『tempoの揺れと揺らし』
11月5日『Edwin York BowenのViola Sonate No.1 in c minor Op.18に付いて』
11月5日体調不良
11月6日再びマイナス・カードについて
11月7日『SchubertのAve MariaとWalter ScottのLady of the Lakeとromanに付いてのお話』=『騎士物語のお話し』
11月8日前日のお話とlessonでの
11月9日緩慢なる彼岸への旅路 ·
11月10日『Christmas会のViolinとPianoの曲のorder』
11月11日「まきびとひつじを」
11月12日『ひと月振りの車での千葉教室への移動』
11月13日嫌な夢を見た
11月15日『音量と音圧』
11月16日下水が使えない
11月18日memo
11月18日『芸術家とprofessional』
11月18日『やりたい事、やれる事、出来る事』
11月18日今日は病院dayです。
11月19日『Christmas会のmainとなる曲の曲決め』
11月19日『Christmas会のopeningの曲の選曲に付いて』
11月20日『病院行脚』
11月20日『オケ練習の時にsolisteが演奏する為の簡易versionの譜面』
11月21日『Rehabili-dayと Manfrediniのmember決めの話』
11月22日『糖尿病の皮下注射薬が手に入らない』 ·
11月22日『頻尿と夜間頻尿』 ·
11月23日『baroque時代の演奏法』 ·
11月25日車検でした ·
11月26日 Manfrediniの演奏法の伝達 ·
11月26日『向上心について』 ·
11月27日睡眠不足です。 ·
11月28日『頻眠のintervalのお話』 ·
11月30日『dietのお話』 ·
12月1日師走だ❢❢ ·
12月4日『これから先は・・』
12月5日『 Manfrediniの練習の課題』
12月5日『genocide』
12月7日『Ozempicが2週間遅れでやっと届いた』
12月9日『指揮の見方』
12月10日『日本人独特の後押し奏法』
12月11日『日曜日から月曜日の朝に掛けて』
12月12日『江古田ハイツのceiling light』
12月13日ガスが止まった
12月14日突然欝になった
12月15日『音楽の情緒表現の技術について』
12月16日『ceiling lightの話、Glinkaのお話、Helicobacter pyloriのよもやま話』
12月17日『Christmas会後記』
12月18日『病院行脚』
12月19日『ceiling lightの取り付けhookの取り付け作業の話』『 ManfrediniのWeihnachts-Concerto Concerto Grosso Op.3 Nr.12』『おかしくなった曜日の感覚』
12月20日『洗濯物のお話』『ceiling lightのリモコン』『眼科の検査』
12月20日『放下著(ほうげじゃく)』
12月21日『Exe chairのnet注文が出来なかった❢❢』
12月21日『12月21日から22日迄、オケの曲探しと冬至についてのお話』と、追記で『Hennry PurcellのAbdelazer物語に付いてのお話』
12月23日『寒い❢❢』
12月24日今日は日曜日のChristmasのEveです。
12月25日『合宿のお話』
12月27日今夜は満月だそうです。
12月30日『入眠障害』
12月31日『今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を・・・』
2023年の1月1日 ·
いや~ぁ、2023年の1月1日の日曜日の朝の6時です。
未だ、初日の出には程遠いようで、外は真っ暗なままです。
本日の日の出は6:51分だそうで、気温は0℃のままで、寒いのです。
まあ、なにはともあれ、新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
塩澤 一範
本年も宜しくお願いします。
芦塚 陽二
一範君もお元気そうでなによりです。
Facebook、・・楽しみに見ています。
塩澤 一範
芦塚 陽二様
いつもありがとうございます。
身体に気をつけて下さい。
また遊びに来ます。
芦塚 陽二
ああ、元の花園公園の前の教室はなくなりましたので、注意してくださいね??
1月2日 ·
『作曲家の伝記を読む事の勧め』
音楽を演奏する人達の多くは、不思議な事に自分が演奏している作曲家の伝記を全く・・という程、読んだ事の無い人達が多いのには驚かされる。
それは伝記のみならず、一般的な著名な本に至っても同じように本を読むという風習が音楽を学ぶ子供達には無かったからなのだ。
私達が未だ、小、中学生の頃には、勿論、テレビやスマホのような物は無かったし、cassette-recorderのような物さえなかった。
映画ですら、年間に発表される本数は非常に少なくて、つまらない娯楽的な物ばかりであった。
だから、私達が本の虫になるのは、或る程度は必然でさえあったのだよ。
私達の世代よりも少し後の世代になって、所謂、塾世代になると、本を読む時間は全く無くなって、ひたすら、無味乾燥とした、殺伐とした、testの成績を上げる為の勉強だけを、良しとする世間の風潮が生まれて来るのだ。
それは、そのまま、子供達の価値観の違いを産んで、成績至上主義に落ちこぼれた生徒達が増えてきて、それが教育制度の崩壊を招き、家庭内暴力や学校の校内暴力を産み出して行き、落ちこぼれた生徒達は非行に走るか、引き籠もり等を産み出して行く。
そして落ちこぼれにもなれない生徒達や引き籠もりすら出来ない子供達は、精神を病んでいったり、自殺をしたりするcaseも数多く見受けられるようになった。
しかし、音楽を学び、音楽大学を目指すような子供達は、或る意味では、家庭的にも教育的にも恵まれたelite達であるのだよ。
だから、塾教育特有の被害は受けていないのだ。
とは言っても、音楽大学に進学する事は、一流の一般大学を受験するよりも遥かに難しいのだ。
一般の子供達と肩を並べて学校教育に浸っていては、音楽大学に進学する事は出来ない。
その為に、自由の利かない名門の進学学校の中、高から、より自由な、ぼんくら中、高に転校する生徒達も数多く見受ける事があるのだよ。
そういう風にして迄の、練習の時間やlessonの時間を作って、専門の勉強に邁進するのが一般的なのだよ。
その時点で、既に音大を目指す生徒達は一般的な生徒達とは言えないのだよな??
つまり、音楽を学ぶ小、中学生達に限っては、寸暇を惜しんで、ひたすら練習に励む結果、一般的な本・・だけではなく、音楽家としては読まなければならない作曲家の伝記すら読む風習は無かったのだ。
学校の勉強と音楽の勉強の板挟みで、小説を読む時間を捻出する事は不可能であり、当然、年頃の男の子と恋をする事・・、或は、知り合う機会すら、無いのだよ。
だから、私が、音楽大学に入学したばかりの頃、学長が生徒達を前にして、何度も、「本を読むように」・・と、繰り返し、言っていた事を覚えている。
しかし、その意味は、余りにも狭い世界に住んでいる音大生に、世間一般の常識を身に付けるように・・という意味だった・・・と言うように、記憶している。
小学生の頃から、中学生、高校生と、本の虫であった私に取っては、「本を読まない」という学長の演説は、理解出来ない訓示であったのだが、学長の訓示の意味は、音楽家は基本的に、文字を読まない事が多いとされている前提に拠るのだ。
しかし、だからと言っても、楽譜を読む分けでも無いし、自分が課題として貰っている曲以外の、他の曲を聴く分けでもないのだよ。
だから、驚く程に、一般的な音楽の知識・否、常識すら無いのだ。
音楽大学の在学中に、大学の授業中に、500名ぐらいのPiano科の生徒達を対象にして、enqueteを取ったのだが、Beethovenの「運命」や「田園」のSymphonieを聴いた事のある人・・と、挙手を求めたら、2,3名の生徒しか、手が上がらなかったのだよ。
将来をproのorchestraに入る事を希望している弦楽器の生徒達ですら、この%自体は、あまり変わる事は無かったのだ。
流石に、この事実にはすっかりと驚いてしまった。
Piano科の生徒達に限らず、弦楽器の生徒達ですら、ただひたすらに、自分の楽器を前にして、ひたすら、その技術練習のみを練習する事に始終しているのだよ。
・・・という事で、今回のお話しの中でも、作曲家の生涯に関するお話しは、全く出て来ないのだ。
演奏家が演奏する作曲家の生涯を知って、その曲が作曲された背景を知る事は、音楽を演奏する上においても、必ず良い結果を産み出すと思うのだが、まあ、演奏家の人達で本を読む人は少ない。
ましてや、音楽家が音楽に関連する本以外の分野の本を手に取る事はない。
これも日本の音楽教育における大きな欠陥の一つである。
また、借りに渋々と、先生に強制されて、一冊の伝記を読んだとしても、作曲家に対して書かれた伝記は、その作者からの見方が反映されるので、作曲家に対してのimageは、偏りがちである。
色々な伝記を読むに連れて、読んだ伝記が増えるに連れて、その都度、作曲家の印象が変わってしまう事は、非常に良くあり得る否めない事実である。
願わくば、たった一冊の伝記ではなく、より多くの伝記を通して、作曲家のimageを作る事が望ましい。
しかし、一般の子供達を対象にした偉人シリーズの伝記は、後世に作り上げられた仮想の物語が殆どを占めていて、正しい伝記とは言えない。
余りにも、現実の作曲家の実像とは掛け離れていて、馬鹿げているのだ。
しかしながら、権威のある名著とされる作曲家のbiographie程、つまらないものは無い。
私達が作曲家の「人となり」を知りたいと思う程、度を遥かに逸脱しているからなのだ。
という事で私のお話を聴いた(・・読んだ)人達から、推薦の伝記を求められる事があるのだが、困った事に、私の推奨する伝記の殆どが、今は絶版になってしまっている。
本は或る程度の購読者がいないと、絶版になる事は已むを得ない事なのだよ。
という事で、今も出版されているらしい伝記というか、読み物なのだが、学術的な価値は全くないのだけど、伝記の導入には、非常にお勧めであり、私が音楽大学時代に、私の曲を演奏してくれた女の子達にお礼にpresentをして、非常に喜ばれた、原田光子さんの数冊の本を推奨する事にします。
一押しは、「クララ・シューマン―真実なる女性」で、次に、クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡も同様に素晴らしい作品です。
いずれの作品も、ClaraとSchumannの、或はClaraとBrahmsとの往復書簡の間を、原田光子さんの優しい文章で埋めて行くという手法で構成されているので、Claraと作曲家達の人間関係が、非常に鮮明に浮き彫りにされて来ます。
原田光子さんの上品な訳はともあれ、原文は作曲家とClaraの手紙の直訳なのだから、人間性としては、最もdirectかも知れません。
19世紀のロマン派の時代の手紙の文章のチョッとoverな言葉の表現に戸惑われるかも知れませんが、慣れれば、然程でもありません。
私の場合には、作曲家の「人となり」のimageを作れれば良いだけなので、その導入にはお勧めの1冊になります。
あくまでも読み物としてですけれど・・
1月10日『mezza voceとmessa di voce』 ·
よく似て非なるものの典型がこの二つのItalia語だ。
mezza voceは、「半分の音量で・・」と言う意味なので音量を下げると言う意味で、特に語る事は無いのだが、問題はmessa di voceなのだ。
こんにち、私達が理解しているのは「単音の膨らまし」か、crescendoの意味なのであろうが、本来は、baroque時代の発声法に根ざしている言葉である。
典型的な例が、HändelのOmbra mai fuのAriaの冒頭のmessa di voceである。
https://www.youtube.com/watch?v=q5v1PuhZ2zY
messa di voceの発声法は、Spaghettiのal denteの所謂、芯となる音を鼻腔のpointに当てて、そこから頭骨全体を響かせる所謂、頭声の発声法である。
baroque時代の発声法では、senza vibratoの純正の響きが重要視されるので、音が雑になる胸声は未だ基本的には使わない。
若し、使うとしてもそれは非常にselten(稀)な事で、純粋の音よりも、音量を要求される舞台の劇的な一場面のclimaxの時にone pointで、使用する事がある。
頭声の模範的な例をYou Tubeで見つけた。
女性歌手の素晴らしい頭声の発声法の例である。
所謂、baroqueの発声法である。
https://www.youtube.com/watch?v=g21hYxQvgMs
次は男性(?)の歌声を
https://www.youtube.com/watch?v=roJSYFu3pYk
同じCacciniのAmarilli, mia bellaであるが、これはcountertenorである。
次は、チョッとshockingな場面のある映像なのだが、Händelの Lascia ch'io pianga 「なかせたまえや」なのだが、https://www.youtube.com/watch?v=TqdFoRjL1Bk
当時のcastratoの超有名歌手の生涯を描いた映画である。
勿論、現代にはcastratoは存在しない。
・・という事なので、基本的には、countertenorがcastratoの代唱をしている。
史実として残されているのは、戦前の最後のcastratoと言われる人の歌なのだが、歳を取ってからの録音なので、聴くに堪えれなかったので、参考にはならないので、linkは張らないで、ボツにしてしまった。
現代には、castratoの声は現存しないので、countertenorと女性の声のcomputer合成で作られたcastratoの声である。
しかし、実際に歌っている事には変わらないので、makingの映像を見ても、音声はそれなりに素晴らしい物がある。
日本の歌のlevelと世界のlevelではやはり、水準が掛け離れているのだが、ただ単に日本人の音楽意識がEuropaの音楽に対して遅れているのではなくて、それは日本人の持つ歌(声)への感性の違いに根ざす所が大きいのだ。
民族性と言っても良い。
これは西洋の音楽を目指す人達に取っては、致命的なものである。
音楽事始めから100年以上も経っても、日本の西洋音楽への意識levelは全く変わらない。
しかし、私は、これから更に100年経っても、否、1000年経っても、日本人の西洋音楽は日本独持の西洋音楽で有り続けると思うのだよ。
所詮、日本人は左脳国民なのだからね??
その中で、西洋音楽・・云々を、取り沙汰したとしても、ね~ぇ??
変わらない物は、何も変わらないのだよ❢❢❢
哀号❢❢ You・go❢❢ 10銭go❢❢ Suwa-Temple、10銭go❢❢❢なのだよな?? (長崎の人力車の車夫達が使った車夫英語なのですよ。これで通じたらしいのだ❢❢)
歌の指揮、特にrecitativoの指揮は拍があって、無いようなものなので、指揮をするtimingが非常に難しいのです。
勿論、私はPiano伴奏での経験が結構あるので、問題はないのですが、珠加ちゃん達の場合にはcontinuoのCelloの経験は初めてなので、拍の無いrhythmに指揮だけを見て合わせるのは、とても大変なようでした。
それにオケとしても、純性の和音が未だ上手く取れていません。
KontrabassとCelloのunisonもなかなか合わないままでした。
と言う事で曲としては未完成なのですが、初めての歌の伴奏では致し方はありません。
まあ、よく頑張った方だとは思います。
演奏は17年11月19日花見川区花園自治会館での「深まる秋のコンサート」の公開演奏の中の1曲です。
歌は細川千賀子さんです。
八千代のKoncertのProbeとしての演奏なのですが、八千代ではDouble・castで、生徒さんの葛巻しおんさんが歌っています。
曲はHändelのLascia ch'io pianga「なかせたまえや」です。
https://www.youtube.com/watch?v=AYPKAdF77M0
17年11月19日 芦塚音楽千葉教室深まる秋のコンサートよりHändel「泣かせ給えや」
1月17日『Facebookのお引越し作業が終わった』 ·
今日は1月17日の火曜日です。
やっとこ、Facebookの2022年の11月分のPageをhomepageのFacebookのPageにお引越しさせました。
このFacebookをhomepageに移動させるという結構、単純な作業なのですが、1年分ともなると、非常に膨大な無駄に時間の掛かる面倒くさい作業になるので、単純作業ではあっても、結構、作業に入る迄には、pressureが掛かってしまう大きな作業になります。
勿論、1年分の作業を1回でやる事は不可能なので、年間に数回に分けて、作業をします。
最小の単位でも、一月から二月分くらいを纏めて移動させます。
それでも一日掛かりの作業になってしまいます。
本来ならばHomepageにFacebookを持って来る場合には、HomepageにTitleを書いて、Facebook側からlinkを貼るだけで終わりにするのが一般的な作業なのですが、それならば、単純な自動作業で、簡単な作業になるのですが、それでは論文を書く時の資料としては、役に立ちません。
料理の下拵えと同じで、丁寧にTitle付けや、お引越し作業をしておく事が、良い論文を書く為の下準備になるのです。
でも、今日のFacebookのhomepageへのお引越し作業は11月分までで終わりにしておきます。
明日以降に、12月分のお引越し作業をします。
多分、後は2、3日もすれば、お引越し作業は終わるでしょうしね??
午前中の作業として、・・てな事を、お昼過ぎに書いたばかりなのですが、それから夕方にまたまた、作業を始めて、もうすぐ夜の11時なのですが、昨年度分のFacebookのお引越しを終わらせてしまいました。
今日の作業は午前中だけにして、明日の朝から12月分に入ろうと思っていたのですが、今日の朝の勢いのままに、作業をやってしまいました。アハッ!
それはそうと、深夜の1時を過ぎた辺りから、突然、部屋が冷えて来ました。
携帯の練馬区の気温を見ても4℃ぐらいはあるようなのですが、部屋の中でも、底冷えがするようになる・・とは思え無いのですがね~ぇ??
あまりにも寒くなって来てしまったので、辛抱はしないで、ガスとエアコンのDoubleで暖房を付けました。
良心の呵責に苛まれるのですが、一瞬だけエアコンをつけて、部屋が温まったら、すぐに消せば、それほどの良心の呵責に苛まれる事はないだろうと思うのでね??
別に「部屋の温度が下がったから」という分けでも無いのだろうが、突然、弱鬱になってしまって、「もうそろそろbedに入って眠ろう」と思っていたのですが、眠れなくなって来てしまいました。
・・とは言っても、この所は体調不良が続いているので、日本酒を飲む程の元気はないので、鬱々な気分の持って行き場が無くて気分をもて余してしまっています。
Wieniawskiのviolaの鬱々の曲を幾つか聴いて見たのだけど、「う~~ん・・??」鬱々感が、チョッと違うんだよな〜ぁ??
こういった気分の時に見ようと思っているテレビの録画番組も全く無いのだよな?
1月は面白い番組が全くなかったのだよ。
クイズ番組とスポーツと歌とバラエティー番組を除いて、・・所謂、ストーリー性のある番組が全く少なかったのだよな??
1月18日PreyとFischer-Dieskauのβのvideotape·
夕方の六時です。
ちょうど、病院から帰って来た所です。
今日は斉藤先生は7時頃に帰って来るので、ドルのお迎えっ歩なので、結構directに椎名町に移動します。
ドル・プリっ歩が終わってから食事になります。
明日は歌の人と会うので、椎名町の倉庫状態の所からHermann PreyとDietrich Fischer-Dieskauのvideoを探して貰いました。
PreyはSchubertの三部作のvideoが見つかりました。平成9年8月31日の芸術劇場の演奏風景のvideoです。
最初の間はpitchが下がり気味で若い頃の面影は無かったのだけど、曲が進むに連れて、取り戻して行くのは流石でした。
Dietrich Fischer-Dieskauはβのtapeなので、明日以降にBlu-rayにdubbingしてから、聴く事にします。
analog録音の場合には、video-tapeの音声が殆どdigitalには入って来ないので、powerdirecterで音声の補正をしなければなりません。
音楽の勉強の為のdubbingなので、映像はどうでも良いのですが、音声はなんとかしないとね??
特に、βのtapeは20年ぐらい一度も聴いていないので、先ずは風送りからなのですよ。
βのdeck自体が今にも壊れそうで、怖いのだ❢❢
1月21日『暗譜に付いてのお話』 ·
教室で生徒を指導する時に、もっとも重要な論文であるべき「暗譜について」のお話が、2018年9月29日のcatastrophe(※)でぶっ飛んだままで、応急に書いた舌足らずの文章になったままでお茶を濁している事に気付きました。
『Beyer教則本の暗譜のお話』
proのpianistに、暗譜の方法の説明をしている時に、多分、「コロンブスの卵」としか思われないだろう、「Beyer教則本による暗譜のmethode」の冊子を探したのですが、これも、冊子を作った・・と思ったのは夢の中であって、実際にはfilingをしたハズのfile-bookすら見つからなかったのです。
proのpianistに「なにを今更・・、Beyer教則本の暗譜でもなかろうに・・??」と思われるかも知れませんが、その楽譜を見て、「当たり前だ❢」と思うのと、その楽譜を使用して❢実際に暗譜して演奏するのでは、暗譜の仕方に根本的に違いがあるのですよ。
子供達を指導しているpianistの人達には、私はadviceとして、「Beyer教則本は全曲暗譜するように・・」と推しているのですが、「106曲もの曲を覚えるのはとても無理」という答えが返って来るので、いつもそこで私が言う言葉は「ChopinのBallade、1曲覚えるのと、Beyer教則本を106曲覚えるのでは、音符の数はBeyerの方が少ないのですよ。」と言う言葉なのです。
ChopinのBalladeを4曲、覚えられて、Beyer教則本が覚えられない・・というのは、価値観の問題だという事が分かりますよね??
でも、Beyer教則本に対しての価値観の無さが、ChopinのBalladeの演奏に反映している・・という事を気付ける人は少ないのですよね~ぇ??
つまり、Balladeを弾いている時でさえ、無意識におざなりに弾く所が出てしまうのですよ。
(ここは簡単だ❢と思ってしまうとね・・??)
歌舞伎でも演奏でも、所作を学ぶと言う事と、その所作に魂を入れるという事は、根本的にapproachが違って来るのです。
初心に戻るという事の難しさはそこにあります。
料理教室で同じ材料で、全く先生の言う通りに同じように作ったとしても、味に違いが出て、誰が作ったのかが分かるのと同じなのですよ。
近所の和菓子屋さんやスーパー等で、時折、先生達が和菓子を買って来てくれるのですが、これがまた、超不味いのですよ。
和菓子の作り方等と言うものは江戸時代から変わっていないので、誰が作っても同じ味になるハズなのですがそうでもない。
昔の製法に拘って・・とか、家の和三盆はどこそこの高級品で・・とか、御託を並べていても、不味いものは不味いのだよ。
美味しい和菓子は厳しいのだよね??多分・・・
※)catastropheのお話ですが、2018年9月29日の日なのですが、homepageの文章を書いていた最中に、突然homepagebuilderがupdateを始めてしまいました。
それからパソコンが自動的に再起動を始めて、homepageが全部ぶっ飛んでしまったのです。大慌てで、Providerにuploadをしていたdataをパソコンにdown
loadしたのですが、それぞれのPageが全部ぶっ飛んで、冒頭の1Page分だけが、残っていたのですよ。
つまり、homepageを購入して、書き始めた論文の10年分、20年分が全部ぶっ飛んでしまったのです。
人生の10年、20年分が無駄になってしまったのです。
超、Shock状態で、このcatastropheからは容易には立ち直れなくて、2年、3年と、唯只管、homepageを見ないようにしていたのですが、止むに止まれぬ事情もあって、冊子として元のPageが残っている分や、パソコンにdataとして古いversionの原稿が残っているものから、暫時、復旧作業を始めました。
・・という事で、今現在は約、半分は復元出来たのではないか??・・とは思っているのですが、紙の原稿や下書きすら残っていないPageについては、新しく書き始める他はありません。
この芦塚methodeの根幹を成す「暗譜に付いて」のPageも、全く、元の原稿が見つからないので、応急に書き始めた原稿が途中までの状態になったままなのですよ。
暗譜の論文ならば、先ずは暗譜のMechanismからの説明にならなければならないのですが、思い付くままに書いたのだよな~ぁ??困った❢❢
『inventionとSinfoniaのfinale上の原稿』
おまけに、finale上では完成しているBachの原譜の記譜法によるinventionとSinfoniaの楽譜も、必要に応じて印刷された曲毎の冊子しか無かったのですよ。
その他には、装飾音の演奏法をfinale上に記譜化した原稿や、BachのinventionとSinfoniaの暗譜譜まであります。
しかし、それらの楽譜が全て、未完のままにパソコンに保存されたままの状態になっていたのですよ。
仕事は完成させて、始めて「仕事をした」という評価の対象になります。
幾ら、その曲毎のpartsが「良い仕事」であったとしても、全体が完成していないと、中途半端な未完の作業に過ぎないのです。
私的には、自分のpolicyに欠ける作業のままに、ゴミ状態になっている私の努力の結晶が痛ましく思えてなりません。
ホンの1冊、2冊でも完成稿として、残しておきたかったよな??
『inventionとSinfoniaの出典について』
Bachの「inventionとSinfonia」(以下、inventionと表記)の底本には、Anna Magdalenaの浄書によるinventionとClavier-Büchlein vor Wilhelm Friedemann Bachに掲載されている所謂、Friedemann Bachの練習帳とされるinventionがあります。
日本に帰国したばかりの頃に、偶然、池袋のヤマハの小Hallで、某国立音楽大学の教授がinventionについての講座を開いているのを見かけて、私も聴講をしました。その時に、その教授がAnna Magdalenaの浄書の楽譜を、Bachの真筆だ・・として説明をしていたので、「facsimileの巻頭言にはAnna Magdalenaの浄書と書かれているのだが・・」と苦言を呈したのだが、教授は真っ赤になって、怒り狂っていました。
俺としては、講座を邪魔する気は毛頭無かったのですが、結果的にはそうなってしまって、反省しています。
Anna Magdalenaの浄書はBachの真筆と見間違うような美しい楽譜なのですが、繊細に整えられた女性らしい細やかさが見られます。
それに対して、Bachの真筆の方は、繊細でも豪胆な力強さが特徴なのですよ。
Anna Magdalenaが書いた・・と思われているinventionは、楽譜として全く美しい状態で残されていて、Friedemann Bachの練習帳には、色々な書き込みが書かれていて、より高度な演奏技術をFriedemannに指導した、その形跡が見受けられます。
こんにちでは、このFriedemann Bachの練習帳は、Bischoff版として、普通に日本版ででも出版されていますが、書き込みの装飾音を加える事で、指使いが非常に難しい演奏困難なlevelの曲になっています。
昔々・・・というか、私が音大受験の時にお世話になって、苦学生であった私を援助してくださったPianoの教授の師匠であった豊増昇先生が、確か、このFriedemann
Bachの底本でRecordを出されていたように思われるのですが、そのRecordは見当たりません。
そろそろ頑張ってYou Tubeで探しても良いとは思うのですが、今はPianoの生徒がいないので、そのtimingを失ったままです。
1月23日今日は1日携帯でVivaldiに関するお話を ·
今日は一日、朝な夕なにFacebookにVivaldiのviolaのPartのお話を書いていたのだが、実際にFacebookを見ると、全く何も書かれていないのだよ。
パソコンの前に座るのが辛くて億劫なので、bedに入ったままで、携帯でFacebookに書き込んでいたハズなのだが、それは夢の中の作業だったのだよな~ぁ??
超、Shockである。
眠っていて、夢の中で一生懸命書いているのだが、それは全くの徒労だよな〜ぁ?それならばちゃんと眠れば良いのにさ??
『baroque時代や古典派の時代のViola』
baroque時代や古典派の時代ではviolaという楽器は未発達であり、楽器を持っている人達も、演奏出来る人達も限られていた。
violaと言う楽器がClassicと言う音楽の世界の中で確立して行くのは、Haydn等が弦楽Quartettの演奏様式を確立してからであるので、古典派の時代も後期に入ってからになるのだ。
古典派の中期になっても、violaのいないorchestraが主流の時代を遡る事幾星霜であろうか、baroque時代の真っ只中にVivaldiはviolaのvirtuositätな生徒達を育てていた。それは単に指が回るというだけではなく、Vivaldiのtrickと思われる曲の音取りに於いても遺憾なくその実力は発揮された。
例えば、Vivaldiの誰もが知っている名曲であるLe Quattro Stagioniの中の秋の冒頭なのだが、ViolinがAの音で入って来るのに、violaはFの音を弾かなければならないのだが、ViolinがAの音をViolinのkonsonanzで演奏した場合には、Fの音は限りなく低くなってしまうのだよ。
通常はF Durの和音で始まるのだから、どこかのpartがCの音を弾いているとすれば、Fの音は完全5度下の音になるので、Fのpitchはなんの問題も無く取れるのだが、そこではVivaldiはCの音を出す楽器を指定していないのだよ。
これはviola奏者に取っては、凄い意地悪になるのだ。
そう言ったviola虐めと思われるpassageがVivaldiのOp.8には随所に見受けられるのだよ。
これは相当なviolaのvirtuositätな生徒を得ていたからによる信頼の証なのだ。
冒頭の純正の和音の取り方がそれだけ難しいのだから、技巧的なパセージの難しさは言わずもがな、である。
1月24日術前検査の絶食で ·
日曜日の夜は千葉で生徒達のlessonをして、椎名町に帰って来てから遅い食事をしたのだが、疲れが酷くて満足に食事をする事が出来なかった。
という事で、月曜日は、ただ只管一日中、Bedで休む事にして、結局何一つ食べ物らしい食い物を食べる事はしなかった。
と言うか、食欲が湧いて来なかったのだよな??
流石に深夜になったら、何となく腹が減って来たらしくて、無意識にそこらにあるものを口に入れて食べていた、と思ったのだが、否、それは駄目で、月曜日の深夜からは術前検査の為に絶食なので、何か口に入れてはだめなのだよ。
「やばい、食い物を食べてしまった」と思って驚いてしまったのだが、ふと気が付いて我に帰ると、食べたと思ったのは夢の中だったのだよ。
それから更に、同じような夢を後、2、3回は見て、2、3回も驚いてしまった。
それはそうと、ただ単に丸一日食べていないだけなので、そんなに空腹感がある分けではないのだがね〜ぇ?
それにしても、頻尿が酷くて、熟睡出来ていないのだが、検査が終わる迄の体力が持つのかね〜ぇ?そちらの方が心配だよな〜ぁ。
火曜日の朝になって病院に行く日なのだが、頑張って、結構時間のゆとりを持って病院に行ったのだが、駅から病院迄の歩きが、しんどくて、思ったようには歩けなくて、検査の為の手続きが終わったのは予約の時間通りになってしまった。
最初は検尿からだったのだが、昨晩は頻尿で苦しめられたのにも関わらず、今度は、幾ら頑張ってもホンのチョッとも出ないので困っていたら、なんと❢やっとこ少しだけ溜めたコップを落としてしまって努力の結晶が床上に溢れてしまった。
仕方がないので、取り直しをしたのだが、やはり、ホンの少ししか出なかったので、レントゲンやMRや心電図を先にして、時間をずらしてそれでも、駄目なので、食堂でJuiceを飲んで軽い食事をして30分以上も時間をズラしたのだが、やはりそれでも駄目で、諦めて、チョロ、チョロの少量で納得して貰った。
3回も尿コップを出してくれた検査の看護師さん、怒らないで優しく接してくれてありがとう。
広い病院のあちらこちらを歩きまわったので、疲れ切ってしまって、体調体力的にストレートに電車に乗って江古田迄帰る事が無理になってしまったので、駅下のミスドーで暫し休んで、lineで先生達に結果報告をしてから、江古田に戻った。
身体中が疲れでイライラしていたので、Bedで休もうと思ったのだが、横になった途端に、こむら返りが起きて、痛みが酷くて、横になっている事が出来なくなってしまった。
已む無く、椅子に座ったままで、呆然としていたのだよ。
夕方からは突然気温が下がり始めて、風の音が強くなって、もがり笛の音が鳴り響いていたよ❢
Bedで熟睡していたのだが、またまた、こむら返りが痛くて目が覚めてしまった。
未だ8時半であるのにも関わらず、練馬区の気温はもう既に0℃である。これからどんどん下がって行き、明日の3時頃には-3℃を予定しているようである。
相変わらず屋根が吹っ飛びそうな、激しい風が吹いている。
雪は降っていないようなのだが、目の下の公園の土の上には雪が積もっているようだ。
今日は流石に椎名町に食事とドルプリのお散歩に行くのは無理なようなので、食い物は全く無いけれど、空腹の方が寒いよりはマシと言う事で、ハイツに引き籠もる事にした。
深夜の1時半なのだけど、もう-1℃を越して-3℃へ一直線と言う感じだよな?
寒くてストーブの傍から離れられない❢
それに、体の半分が寒いのだよ❢ストーブに直接当たってない方の体が寒いのだよ❢
それにしても今夜は毛布1枚だけで耐えられるか心配だよな〜ぁ??
あまりにも寒かったら無理をしないで、羽毛の厚手の布団を被せる事にしようかな??
今日は、色々ととんでもない一日だよな〜ぁ??
あまりの寒さにミステリーの夢を見ていた。ドールの呪いの人形が盗まれて、殺人事件が起こると言うどこかで聞いたようなストーリーである。寒くてたまらない理由は寝室のエアコンでは部屋が温まらないので、食堂のストーブをつけっぱなしにしていたのだが、そのストーブが7時間経つと切れてしまうのだよ。
昔は眠る時には、暖房もクーラーも使う事はなかったので、このクーラーは1年に1度も使う事のないお飾りのエアコンだったのだが、この2、3年はマジにフル稼働しているのだよなあ〜。部屋が温まるように、最新型のエアコンに変えた方が良いのかな~ぁ??
寒いけれど、Bedから起き出してストーブを再起動させに行くか??
已む無く起き出して震えながらストーブを再起動させて、エアコンもつけた❢
これで部屋全体を温める事が出来る。
そのままの状態で、エアコンの暖房の風の下で小一時間も温まっていたよ。何かしら、唯一温まる場所になってしまったのだよなあ〜?
まあ、これで何とかBedで眠る事が出来るだろう。
外はいよいよ今季最低の-3℃になろうとしているのだよ。
1月25日日曜日の夜以来の食事にありつけた ·
一夜明けてなんともはや素晴らしい雲一つ無い•••とは言い難いのですが、青の色が澄み切っていて、美しい青空です。
テレビをつけて見ると、全国各地の昨晩の大雪と風の被害状況を放送しています。
各地で大渋滞やレポーターが立っていられないような強風の中でのドキュメントをやっていて、今更全国各地を襲った暴風雪をテレビで見るにつけ、改めて大変な一夜だった事が今更、分かります。
私もあまりにも寒くなってしまったので、寝室と居間のストーブとエアコンをつけたままで、就寝したおかげで、何とか凍死しないで、事無きを得て、生還する事が出来たようです。
昨晩は、アンカをつけていたのにも関わらず、無関係に足先が冷えて行って、身体が芯から冷えてしまって、毛布に包まっていても、どんどん冷えて来るので、「どうしよう」と、対応に悩んでしまいました。
多分、今夜一日だけの事と思われるので、電気代やガス代の事は諦めて、兎に角、今夜を乗り越える事だけに専念する事にして、暖房器具3台のおかげで、何とか明け方からは熟睡する事が出来たようです。
という事なので、昨晩は食い物が全くなかった事を今更、改めて思い出しました。
果てさて、どうしようかな??
11時になって、牧野先生が朝食を届けてくれた。
日曜日の夜以来の食事である。熱い❢❢
1月25日baroque音楽の復活のお話 ·
古いβやVHSのvideo-tapeをBlu-rayのdisc に焼く機会があって、ついでにVivaldiのVHSのvideoをBlu-rayに焼く作業をした。
・・と言うと、analog録音のβやVHSのtapeをBlu-rayのdeckに取り込んで、焼くだけだと思われるかも知れないのだけど、それでもまあ、良いのだが、VHSは兎も角としても、βのtapeをdubbingした場合には、音声が殆ど聴こえなくなってしまうのだよ。
analogのtapeには音声を増幅させる機能は(あったとしても、殆ど意味はないので・・)dubbingをしたdataをpowerdirecterに持って来て、更に音声をDragして増幅するのだが、それでも無理な場合には、更にダイナミックレンジで加工をするのだ。それで、虫眼鏡で見ても聴こえなかった音声がなんとか普通に聴こえるように増幅する事が出来る。まあ、もうひと手間なのだよな??
古いVivaldiのvideo-tapeなのだが、一度も見た覚えが無いのだが、多分、drama仕立てなのだろうとの思い込みから、見るのが後回しにされてしまったのだと思われる。
演奏のvideoは必要に迫られてしょっちゅう見ているからね??
このvideo-tapeを、改めて見てみると、史実に合わせて演奏を取り混ぜるだけのdrama性は最低限に抑えられていて、生徒達の教材としては結構良いvideoだと思ったのだが、如何せん、1987年の制作なので、現代の楽器で現代の奏法で、力で弾き捲くる当世風の演奏styleで、音楽としては色々と問題がある。
曲は殆ど、教室でのrepertoryと被っているのだけど、教室の子供達の方がperiodのstyleで古式豊かに演奏しているのだが、それは36年も前の演奏なので、時代の流れなので致し方は無いと思う。
baroqueの音楽家達がロマン派の時代で忘れ去られてしまったのは、唯単に時代に古くなってしまったから・・という分けではなくて、音楽様式の著しい変化で、忘れ去られてしまった事にもその理由を見出す事が出来ます。
音楽様式とは或る意味では楽器自体の変化にも依ります。
Cembaloがforte-pianoに変わって、更にsingle actionからdouble actionに変わって、現代のPianoになって、同様に弦楽器も弓や楽器本体もbaroque時代の楽器とは完全な別の楽器に作り変えられて、演奏する様式さえも、忘れ去られてしまい、当然、VivaldiやCorelli、或いは、Telemann等の作曲家達も、その死後、人々の記憶から消え去られるのは、ホンの一瞬の事でした。
つまり、時代様式にそぐわなくなってしまったのですよ。
SchumannやMendelssohn等の努力に拠って、いち早く(とは言っても死後100年後の話になってしまいますが・・)忘却の彼方から引き戻されたのはBachが最初なのですが、BachがVivaldiの作品を色々と勉強をした、として知られる事はあったのだけど、Vivaldiのoriginalの作品自体が世に知られる事はありませんでした。
こんにち、再びVivaldiの作品が世に知られるようになったのは、1950年、つまり、二次世界大戦戦後のお話なのですよ。
VivaldiのLe Quattro Stagioniを再び世界に知らしめたのは、1952年ローマのサンタ・セェチューリア国立アカデミアの学生達12名がFelix
Ayo(当時19歳)を中心として集まって、卒業と同時に集まって結成したI Musiciというbaroque音楽を専門に演奏する団体を設立して、MozartのEine
kleine NachtmusikとVivaldiのLe Quattro Stagioniを携えて、世界中を演奏して周った事によります。I Musiciのおかげで、世界中にbaroqueブームが起こりました。
I Musiciが日本に始めて訪れたのは、1963年(昭和38年)の事でしたが、残念ながら、私は未だ最果ての地である長崎で未だ高校生をやっていました。
音楽に進む事をやっと了解された頃です。その後、1995年になって、このI MusiciのLe Quattro Stagioniが世界のみならず、日本でも280万枚を売り上げるミリオンセラーになりました。
この売上はRecordとしてはClassicの音楽界では唯一無二の歴史的なミリオンセラーになって、日本でもbaroqueブームが起きました。
・・・とは言っても、Le Quattro Stagioniだけのお話で、PachelbelのCanonすらも、未だ知られていない頃のお話です。
Vivaldiが再び世に知られるようになったその当時の1950年頃には、当然、Vivaldiの作品は出版されていませんでした。
Italia政府は、Ricordi社にVivaldiの全作品の出版を依頼して、現在でもRicordi版がVivaldiの主な作品を出版しています。
でも、Italia人の気質とでも言うのか、間違いが多いのよね??Ricordi版は・・・
20世紀の初頭には膨大な書物が売りに出されて、その中に膨大なVivaldiの作品が含まれていたのですが、多くの人達の努力に拠って、その作品や既に失われていた作品群も買い戻されて行き、かなりの数の作品が一箇所に収集する事が出来ています。
多くの作曲家の中ではVivaldiはluckyな作曲家に属するのではないでしょうかね??
1月26日ドルプリにとっては、-3℃が心地よいおだな~ぁ??·
超、寒いけれど、ガソリンスタンドに寄って、頑張って、Bikeのガソリンを入れて、椎名町へ食事とドルプリのお散歩に出掛けました。
今夜は流石に手が悴むので、手用のホカロンを持ってお散歩に出掛けました。
イエティの血縁関係者であるドルプリ達は今夜の-3℃が、心地よいのだよなあ〜?
「かわいいね?!」の承認欲求が少ないので、少々欲求不満なのだけど、散歩自体は結構楽しんだようで、ご機嫌でした。
寒いので大急ぎでハイツに戻ったのだけど、シンデレラ-timeギリギリだったのだよな〜ぁ?
風呂につかって身体を暖めてからBedに入りました。
まあ、何と贅沢な•••
それはそうと、ハイツに辿り着いたら、大急ぎで片付けなければならない至急の仕事があつたのですが、のんびりと風呂に浸かっていたら、その急ぎの仕事の内容をすっかり忘れてしまいました。
心の片隅をぽっかりと穴が開いているような気がして、思い出そうとしてもその穴が邪魔をして、思い出せないのですよ。
不思議だ❢❢
心はもう既にお休みmodeに入っているようです。
こりゃあ、どうあがいても、もう無理だなや〜ぁ?!思い出せないよな?
諦めるか?
6月24日如何ともし難い1日だった·
今日は6月24日の土曜日のお昼の1時半を過ぎた所です。
今日は惰眠の日のようで、朝から惰眠を貪って、bedから起き出す事が出来ません。
それはそうと、近ごろでは、スマホの文字入力の位置や機能が、頻繁に変わってしまって、その都度、元に戻す作業をしなければならなくて、無駄な時間を費やしています。
腹立たしい限りです。
古い携帯では、そんな事は一度もなかったのですが、この新しい機種になってからは、頻繁に、設定が変わってしまって、困ってしまいます。
そろそろお昼の2時になる所ですが、鼻詰まりが酷くなって来たので、bedで惰眠を貪る事が出来なくなって来たので、已む無く、起き出す事にします。
起きて、パソコンの部屋に行くと窓のBlindの回す取っ手が外れて、下に落っこちていました。取っ手と本体がハテナ・二つで継っているので(ジョイントされているので・・)、簡単に外れてしまうので、ガム・テープで、グルグル巻にして、ハズれないようにしていたのですが、それが経年劣化で、外れてしまったようです。
もう一度、ガムテープで巻いてしまわないと・・・ね??
てな作業をダラダラとやっていたら、やはり、パソコンの椅子でtripしていました。
思うように動かない体を、強引に動かしながらbedに戻って眠り直しました。
そのまま、夕方になって、toiletteで便座に座っている夢を見たので、慌ててtoiletteに行って、座り直したのですが、そのまま、また眠ってしまいました。
小一時間程して、ふと、携帯の着信音がして、目が覚めて、toiletteから部屋に戻ったのですが、部屋で動き回っていたら、突然、便意を模樣して、慌てて、toiletteに戻りました。
これまでには体験した事の無い不思議な感覚です。
それからパソコンを立ち上げて、mailを読んで、その対応をしています。
そうこうしている間に、もう椎名町への移動時間になってしまいました。
部屋の明かりも点けていないのに、時間だけが、走り抜けて行きます。
6月25日革製品の補修用leather
写真は、ハイツのパソコンの部屋の、所謂、executive chairの肘置きの部分なのですが、ottoman付きの眠れる椅子でもあります。
しかし、leatherが乾燥してめくれてしまったし、背もたれ部分も破れたので、その内に、暇を見つけて、補修する事にしました。
「なにを、後生大事に・・??」と、思われるかも知れませんが、以前、使用していたleatherのexecutive chairの水平が、微妙にズレていて、座り心地は極めて良かったし、黒い色では無くて、茶色で、とても綺麗な椅子でお気に入りだったのですが、その椅子の所為で、腰痛を発症してしまったので、泣く泣く、ボツにして捨ててしまったのです。
(椅子を買い替えてからは、腰痛は無くなりました。椅子の水平は非常に重要なのですが、netで購入するので、そこは、Gambleになってしまいます。)
ひび割れは、革製品の宿命なのでしょうか?お気に入りの手提げのカバンも、Shoulderも、革にひび割れが入って、普段使いが出来なくなってしまって、泣く泣く処分してしまった物が結構、あります。
leather用の磨き脂を購入して、擦り込んだりして、たまには手入れをしたりするのですが、それでも、ひび割れはどうしようもありません。
今日は、6月25日の日曜日で、オケ練習の日です。
オケ練習はAオケと、BオケとCオケに分かれて、AオケとBオケは月2回の練習で、Cオケは、月3回の練習に、自主練習が1回なので、日曜日が5週ある月以外は、毎週のオケ練習になります。
つまり、月2回のAオケがある週は、Cオケの前にA Bのオケが入るので、私はお昼の時間までに、千葉に移動する事になります。
Cオケの時には、オケ練習が早い時間になるので、千葉行きは、午前中の早い時間に出発します。
今日は午前中にAオケの練習が入っているので、私は午後からの千葉行きになります。
但し、Cオケの練習時間やlessonの時間は変わらないので、帰りの時間がその分、遅くなるだけなのです。
という事で、今日の帰りは遅くなる予定です。
4枚目の写真は補修用のleatherです。
6月26日携帯が不安定で·
今日は6月の26日の月曜日の11時半を過ぎた所です。
朝の4時頃から、寝たり、起きたり、を繰り返していたのですが、とうとうtoiletteに座って、そのまま、tripしてしまいました。
予測はしていたのですが、この所、収まっていた血尿が、やはりオケ練習の最中に再発して、今日も、そのまま続いています。
周りの先生達や生徒達も体調不良を訴えて、小さな子供も二人、三人と、欠席だったので、気候の変動に拠る季節的なtroubleなのでしょうかね??
オケ練習が終わって、千葉から東京への運転が、睡魔との戦いで、とても辛いものがありました。
首都高は事故の日で、アチラコチラで事故渋滞だったので、往路の千葉行きと同じRouteの、王子経由の迂回路で走りました。
椎名町に着いてからは、暫し、呆然としていたのだけど、勿論、夜食を食べながら半分寝ていました。
over‐workなので、当然、次の日の朝の4時頃に起き出して、チョッとパソコンの操作をして、また寝て、またtoiletteに起きて・・の繰り返しをしながら、日曜日のオケ練習の動画のuploadと、瑞希ちゃんのWieniawskiのReverieと
VieuxtempsのÉlégieのuploadをハイツでもしました。
日曜日は携帯が、先週に引き続き、emptyになってしまったので、節電modeで、ハイツに戻ってから深夜から充電をしたのだけど、その所為でkeyを2度打つと『ま⇒み』と変換されるようになってしまったのですが、netの解説通りでは、変更の箇所が開かなくて、aquos特有のkeyの変更の場所を見つけるまでに、2時間程掛かってしまいました。
携帯の画面に常駐させている時計も、もう、何度も消えてしまうので、それは流石に、一発で元に戻すように、設定の仕方は覚えましたが、まあ、それにしても、不安定な事・・❢❢❢
折角、使いやすく設定しているのに、しょっちゅう、あちこちが元に戻ってしまうので、面倒くさくて、困っているのですよ。
前の古い携帯では、そんな事は無かったのですが、機種が新しくなって、色々と、「余計なお世話」が煩わしいのですよね。
・・てな事を書きながら、toiletteに行ってオシッコをしていたら、突然、オシッコが詰まった。
「これは大変だ❢❢」と、暫し、toiletteで格闘をしていたら、突然、また開通した。
いやあ、色々あるよな~ぁ??
今日は多分、1日、このpatternかいな??
と言う事で、お昼の1時半にtoiletteに行ったら、なんと、オシッコが詰まって出なかった。
「これは超、大変だ❢❢」という事で、暫く頑張って踏ん張っていたら、突然、なんとか出た。
4時である。
cool毎の毎回の事・・なのだが、固形物の塊で尿詰まりを頑張って出すのが大変なのだ。
凄い勢いで排出されると、後は気持ち良く出るのだが、大変な事には代わりは無い。
それに疲れも酷い❢
bedからtoiletteまで、歩いて行くのが超大変なのだ。
一歩、一歩を必死に・・という感じだよ。
まあ、今日はRehabili-dayなので、一日中寝ている日なのだはあるのだが・・ね??
夜食の予定時間のお知らせが届いた。
今日は先生達が揃うのが、遅い日なので、食事は夜の10時からの予定なのだが、体が動かなくて、必死に準備したとしても、11時の椎名町着になる予定なのだ。
ドル・プリっ歩は済ませて貰っておいて、食事だけに行く事になるのだが、まあ、超、頑張って出発した。
6月27日今日は引きこもりdayです。
当然、6月の27日の火曜日なのです。
月曜日に引き続いて、今日も朝から、一日中ウダウダと、ダラダラとしています。
頻尿なので、ひっきりなしに眠りから覚めて、toiletteに行くのですが、結構、その間に夢を見ているのですよ。
その夢の一番多いpatternは、若い頃の私が、再度、Genzmer先生の元で勉強する為に留学をする夢なのです。
しかし、その留学をする街や国、或いは、その住んでいる部屋や家も、毎回の夢の度に、多種多様で、全く見知らぬ土地で、その時にお世話をしてくれる女の子も、あまりよく知らない女の子なのです。
そして最悪の事は、私がドイツ語を全く忘れてしまって、人との会話が、その女の子を通じてしか、出来なくなってしまっている事なのです。
更に最悪の場合には、その可愛い女の子すらいなくて、全く一人っ切で、人との会話が出来なくて、全くの孤独に陥っている場合なのです。
つまりは、折角、留学を果たして現地に行けたのに、何一つ達成する事が出来なくて、孤独と絶望の中にいるのですよ。
夢の中で、自分の足りない部分を、もう一度勉強しようと思ったのに、言葉の壁で、敗北感と絶望感を味あっているという夢なのですよ。
そして、夢から覚めた後も、暫くの間は、その絶望感と虚しさから逃れる事が出来ないままに、その余韻に押し潰されそうになってしまうのです。
それはそうと、月曜日は1日安静にしていたおかげで、今日のお昼ぐらいからは、血尿が収まって正常になってきました。
まあ、これもいつものpatternなのですがね??
夜の8時半を過ぎて、疲れて来たので、今日は引き籠もりdayなので、椎名町への移動はないので、早めに寝よう、と思って横になったら、これまたお定まりの鼻詰まりになって息が出来なくなってしまった。
已む無く、またぞろ起き出して、パソコンの椅子に座って、動画の音声の調整を始めてしまいました。
6月27日携帯の文字変換が勝手に変わってしまって ·
新しい携帯なのだが、またまたdouble tapで、「ま⇒ま」と打つつもりが、「ま⇒み」と、文字が変わってしまうようになってしまった。
昨日、2時間も掛かって、そうならないように設定したのに、である❢
超、Shockだったけれど、流石に今度は2回目なので、意外と早かった❢
元に戻すのには、1分くらいしか掛からなかった。おぼろげながらでも、設定の方法を覚えていたからである。
設定から、Keyboardを探して「flickのみ」・・を選択すれば良いのだ❢
しかし、なんで、flickなのだろうか??
俺的にはtapのように思えるのだけど・・??
まあ、覚えてしまえば簡単な事かも知れないのだが、それにしてもなんで勝手に設定が書き変わるのだ??
充電する度に、何かが書き変わってしまう気がするのだがね〜ぇ??
超、面倒くさいのだが?
文字のselectが一杯あるのは良いのだが、画面が不安定で、困る。
片手打ちをする人達の為のfloatingらしいのだけど、動かないように設定するだけでも一苦労だよな??
まあ、私に取っては、余分なサービスだらけで、逆に使い手が悪くなっているのだがね??
6月28日今日は水曜日で抗癌治療の日のハズですが ·
今日は6月の28日の水曜日なのですが、先週の6月の21日の水曜日は、病院には抗癌治療の為に出掛けたのですが、急遽、中止になったので、事実上は6月の14日の6回目の処置を最後にして、二週間目の何も無い水曜日になるのですが、先週は病院に行くには行ったので、本当の意味では、今回が初の何も無い水曜日になります。
朝から、何か忘れたような気になっているのですが、それは予定がcancelになったからに過ぎません。
一月半の抗癌治療だったのですが、丸々半日は高熱に苦しんだので、(夕方の5時、6時ぐらいから、次の日の朝の6時頃迄の・・)結構、hurdleの高い、Hardな水曜日だったのですよ。
未だ、思い出にするには、記憶が新し過ぎるようです。
多分、先週もそうだったような記憶があるのだが、今日も下痢が酷い。
便秘と下痢を繰り返すのはstressの所為だと言われているのだけど、まあ、水曜日は、stressだったのだよな??
6月29日『Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusに付いて』
以前、『Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』のTitleに付いての批判の論文をFacebookに書きましたが、それは原曲であるJ・C・BachのCelloConcertoのorchestrationを弄っただけのarrangeに過ぎなかったからなのです。
しかし、このarrangementに付いての定義は音楽家達にとっては、結構、曖昧で、彼の有名なイギリスの作曲家であるBenjamin BrittenのHennry purcellのchaconne in g も同様で、Purcellの書いた楽譜から、baroque時代の慣習的な演奏のstyleであるperiodの独特の演奏法を音符に書いただけの、単なるbaroque時代の慣習的な演奏法を実際の演奏される楽譜に書き直した版に過ぎず、とてもarrangementとも、或いはkritik-Ausgabe(研究論文版)とも呼べない楽譜であって、baroque時代の演奏法に慣れた人達だったら、元々のPurcellの書いた楽譜を、そのままで、Brittenと全く同じ演奏をしたであろう・・という演奏譜にしか過ぎない版なのに、Brittenはその版で著作権を取っていたので、「作曲者への恥知らずの行為」・・という事で、私的には、怒り心頭に発したのですよ。
「天下のBenjamin Brittenとも言える人が、なんと情けない事をしたのだろうか??」と慙愧の念に堪えません。
in the Style of ・・・と明記した・・と言う事は、・・の様式に拠る・・という意味なので、arrangementやinterpretationでは、そのように名乗る事は出来ないのです。
ましてや、Purcellのchaconneのように、演奏譜を書いたに過ぎない楽譜では、arrangementと言う事すら出来ません。単なるinterpretationに過ぎないからなのですよ。
しかし、この『CasadesusのViola Concerto in the Style of Händel in B Minor By Henri
Casadesus』は、前回のKoncertで演奏した『Henri Casadesus: Concerto C Minor for Viola
and Orchestra in the Style of J. Chr. Bach』の曲とは、少し状況が違います。
先ず、第一点は、Ⅰ楽章の和声進行がbaroqueの和声とは根本的に違っていて、baroque様式で作曲された曲では無い・・という事です。(違っていて・・という意味は、和声学的に逆進行等のharmonyが随所に見受けられたりして、とても、baroque時代の作品には成り得ないのです。勿論、そう言った風に和声的にarrangeをした・・と言えれば良いのですが、それもthemaからすると無理があります。)また、音楽形式学的にも、本来はritornelloの形式であるべきなのに、随所に近現代的な形式上の展開を見せるので、baroque風・・とも呼べません。
また、同様にⅡ楽章もbaroque様式のmelodieではなくて、近現代的な拍節法が使用されているし、Ⅲ楽章に至っては、gigueのrhythmを取りながら、ritornelloのthemaの拍に、Hemiolaのrhythmが多様されている時代錯誤の音楽形式です。
つまり、完全にCasadesusのoriginalと言っても過言では無いと思います。
私は一般的には擬古典と呼ばれる一連の作品を、私なりには、擬古典と偽古典というgenreに分類しています。
分かり易く言うと、baroque時代の作曲家の作品を、原曲を近現代風にarrangeをした版が擬古典というgenreの作品と定義します。
その実例としては、Davidに拠る一連のbaroqueのPiano伴奏のViolinの音楽は、genreとしては、Piano伴奏のbaroqueの曲では無くて、正真正銘の擬古典の作品だし、その中には、彼の有名なTomaso
Antonio Vitaliのchaconne in gも含まれています。)私のarrangeをしたPachelbelのchaconne in
f も擬古典という分類に入ります。
それに対して、その作品がbaroque時代の作曲家のarrangeである・・と作曲家の名前を出して、その作曲家が書いた・・とする多くの曲が、全く、その作曲家とは無関係に、arrangeをしたと言う本人の作品である・・という例を多く見る事が出来ます。
恰も、baroqueの時代に作曲された作品のように、見せながら、実は、arranger自身が作曲をして、更に、その作品を近現代風にarrangeをする・・という悪戯をするarranger(この場合は作曲家なのかな??)がいます。
勿論、baroque時代の誰かの作曲という事にしても、世に発表するのですが、それは人の名前を騙った偽作に過ぎないのです。
偽作で、最も有名な作品は、Fritz KreislerのPraeludium und Allegro im Stile von G. Pugnaniは、作曲様式から和声法迄、満遍も無く現代の書法で書かれた偽作だし、CacciniのAve
Mariaに至っては、誰が聴いても、baroque時代の音楽では有り得無い・・・論外の偽作になります。(それなのに、その曲をCacciniの真筆だとする評論家もいたりして、困ってしまいます。)
中には、「まさか??」と言う程の、紛らわしい作品もあって、古典イタリア歌曲集に入っているPergolesiの「Se tu m'ami」はその歌曲集を編纂した張本人の偽作なのだそうですが、私の大好きな古典イタリアの歌曲集の中の作品の一つでもあり、中々の名曲だとは思われるのですが、やはり、baroque時代の作曲家であるPergolesiの作風とは作曲技法が違います。
「何故、そう言った偽作を作るのか??」という素朴な疑問なのですが、「作曲家の悪戯」・・と言ったらそれまで・・なのですが、Fritz Kreislerの場合には、その事について、彼自身が弁解した一節があります。
彼の言葉に拠ると、彼が自身の名前でViolinの曲を発表すると、批評家に酷評されるのですが、baroqueの作曲家の作品をarrangeしたものだ・・とすると、その作品自体を酷評される事は無くなって、批評家が「昔、私がその曲を聴いた時には、もっと素晴らしい演奏だった。」と演奏の方を批評されるので、Kreislerは内心、密かにほくそ笑んだ・・という話を新聞の記者にした事があります。
Kreislerの大嫌いな批評家に対しての、ironical(cynical)なblack humor(和製英語)なのですよね??
HändelのViola Concertoは、「曲全体とは言わなくても、せめてMotivだけでも、出典となる曲があるのでは??」と私なりに探して見たのですが、やはり、見つかりませんでした。
Ⅰ楽章のthemaも、一応は、ritornelloの形式は踏んでいるようではありますが、ritornelloとは呼べない、折衷的な形式だし、音楽様式(和声法)的にはbaroqueの様式に拠るmelodieや和声法では無いので、baroqueのtheoryを無視した、全くのデッチ上げの偽作になります。
・・・という事なので、Viola Concerto in the Style of Handel in B Minor By Henri Casadesusという名前は、偽作である・・という意味合いから、全く正しいのです。
但し、in the Style of Händelというのは、Händelの様式からは、離れてしまうので、他の偽作と同様に根拠はありません。
別にHändelでは無くても、baroqueの作曲家であれば、誰でも良かったのですよ。
Giuseppe TorelliとかPietro Antonio Locatelliとか・・です。
Torelliは兎も角としてもLocatelli の作品は、Händelにも勝るとも劣らない優れた作品が数多く見受けられます。
orchestraのmemberが増えたら、Locatelli のWeihnachts-Concertoを是非、演奏して見たい・・と思っていて、楽譜は、随分前から、準備は出来ているのですがね??
strings-orchestraでも結構、大orchestraでなければならないので、今は人数的にも、演奏技術的にも、諦めています。
今回の、CasadesusのHändelのConcertoも、至る所でdivisionをするので、各partが最低でも2名づつは必要になるのですが、今回は先輩諸氏が、就職年次に到達したので、これまでのように、その最低の人数を確保する事すら出来なくなってしまいました。
本来ならば、次の世代の人達を教育し、新しい生徒達を募集するのが筋なのですが、指導に力を入れると、募集する為に動く事が疎かになってしまうのは否めない事実です。
困った事です。
一般の会社のように分担が出来るだけの人数がいない事が致命的なのですよ。
取り敢えずは、7月の30日の新検見川教室でのおさらい会のVivaldiのL’EstateのViola-partの一人だけでも、なんとかならんのかね??
10月の発表会迄は、未だ、時間があるので、なんとかするとしても、おさらい会は幾ら何でも、もうtimelimitだよな??
6月30日昔uploadしていた動画の画質を変更した
今日は6月30日の金曜日で、6月も最後の日なのです。
つまり、2023年も明日の土曜日からは下半期に入る分けなのですよ。
今日が上半期の最後の日になるのです。
何でも無い6月のいち日に、それらしい理由をこじつけて、意味のある一日へと変えてしまいます。
昨晩のお話になってしまうのですが、6月の29日の木曜日は、体調的には「チョッと無理かな??」とは思ったのですが、頑張って、ドル・プリっ歩に付き合いました。
少しでも歩かなければ、という気持ちがそのようにさせているのかも知れません。
私は結構、暑さ、寒さには強いのですが、唯一つ、湿度には弱くて、湿度の強い日が続くと、直ぐに巨大湿疹が出来てしまいます。
それに湿度が高くなると、欝が酷くなってしまうのです。
29日の深夜、つまり、30日の早朝は、何を思ったのか?
昔々のVideoをもう一度You Tubeにuploadする作業を始めてしまいました。
心臓のbypass手術を終えて、rehabilitationの日々に失敗して、二年間を棒に振って、それから何とか、社会復帰をした初の記念すべき指揮をした、東京教室の発表会での、Albinoni=Giazottoのadagioの演奏なのですが、昔のAnalog時代の家庭用のvideo-cameraで撮影した画像なので、画面が暗くて、見難かったので、映像を少しだけ明るくしてみました。
音声は全く弄ってはいません。
analogの動画なので、ぼやけてしまうのが玉に瑕なのですが、映像を弄ってしまうと、わざとらしい画面になってしまうので、必要最低限の変更にとどめて起きました。
Adagio Albinoni=Giazotto 2007年9月17日Cello Solo version(soliste 高1)芦塚音楽研究所付属東京教室 大泉学園ゆめりあホールにて - YouTube
7月3日Rehabilitationの安息日です。 ·
今日は7月の3日の月曜日、Rehabilitationの安息日です。
昨日の年少組のオケ練習は、インフルと思われる欠席が多かったので、急遽、お休みにして、個人lessonだけにしました。
とは言っても、私の指導する年中、年長組は人数も少ないし、病欠はいなかったので、通常通りの練習をしました。
しかし、東京は流石に、猛暑で、32℃もあって、(練馬区は33、1℃だそうですが?)オケ練習の教室は、業務用のcoolerなので、結構、よく冷えるのですが、私が指揮の為に立っている場所は、凹んでいる場所なので、coolerの風が全く届かず、熱中症の症状が起こってしまい、2,3度、toiletteに逃げて見たのですが、普段は部屋全体に空気を回しているボナルファンを、冷房の空気の当る中心の場所に置いて、私に向けて直接、風が当るように椅子の上に置いて、その場を凌ぎました。
オケ練習やlessonが終わった後で、事務所に戻った後でも、顔の火照りが収まらないで、真っかっか・・のままでした。
熱中症の状態のままで、頑張って東京に大急ぎで戻ったのですが、それでも、ハイツ着は12時を過ぎていました。
流石に、ハイツに戻ったら、血尿が再発していました。
但し、疲れに拠る血尿なので、月曜日のRehabili-dayで、4,5回では、完全に治るハズです。
千葉も東京もインフルやコロナも収束の兆しは無いようで、逆に増えて行く傾向にあるとの事なので、抗癌治療の為に、stopが掛かっていたインフルとコロナと帯状疱疹のワクチンを、7月の初旬の間には、予約して受ける予定です。
日曜日はハイツに辿り着いて、眠る用意をしながら、パソコンにオケ練習やlesson風景の動画を取り込む作業をしました。
toilette-timeに起きる度に、パソコンの行程を一つ一つ進ませる作業をして、眠りました。この作業が月曜日と火曜日迄は続きます。勿論、パソコンにしがみついている分けではないので、実際にパソコンに向かっている時間は微々たる時間なのですが、パソコンは2日間、休み無くbusyなのですよ。その作業の中には、平行で作業が出来ない作業も色々とあります。その間はパソコンが死んでいるのですよ。(死んでいる・・とは言っても、パソコンは必死に働いているのですが、私がパソコンを使用出来ない・・と言う意味なのですよ。)
7月4日『明日は、ハイツの水回りが・・・』 ·
今日は早、7月の4日の火曜日です。
今日は、toiletteの・・、明日の水曜日はtoiletteとその他の水回りが、朝の9時半から夕方の4時迄、使用出来ません。
その間のtoiletteは、1階の会議室迄、歩いて行かなければならないのだそうです。
何処かの部屋の水回りの工事らしいのだけど、そんな事は、この20年間一度も覚えがありません。
この、何かと小うるさいMansionで、よくそんな工事が出来たもんだよな??
工事の時間の間だけ、「椎名町の事務所に避難しようかな??」と思ったのだけど、事務所では俺の仕事が出来ないのだよな??
江古田教室の時には、俺のパソコンが事務室にあって、それで一日中仕事をしていたのだけど、ハイツに引き篭もってからは、俺のパソコンが3台とも、ハイツの自宅にあるので、事務所で仕事をする事は全く無いのでね??
notePCにはsoftやdataが入り切らないので、パソコンの仕事でも、ハイツの作業になってしまうのだよな??
・・と思っていたら、テレビの電源が落ちてしまった。
何度Switchを入れ直しても、電源が入らない。
toiletteにも行けなくて、テレビも見れないのならば、それこそ踏んだり蹴ったりである。
まあ、仕方がないので、テレビのラックを動かして、テレビの電源を抜いて、入れ直したら元に戻った。
7月4日『VivaldiのLe Quattro StagioniのL’Estateの拍の設定について』 ·
VivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)は、教室を開設して以来の常設曲である。
教室を開いて直ぐの時には、入会したての生徒達の技術力が未熟で、年齢も幼かったので、模範演奏として先生達だけで、演奏した時もあった。
その後は、多くの生徒達がこの曲にchallengeして来た。
教室のYou Tubeにもuploadしているのだが、残念ながら全員の分をupしているのではない。
なにせ、教室を開いた時は、未だ、βの時代だったので、VHSや8㍉Video等々、それこそ多種多様の録画媒体があって、今では再生不能な録画の演奏も多いのだよな?
それに、既にdataが失われて、uploadをする事が不可能になっている演奏もある。
教室を開く前の時代の生徒達に至っては、録音媒体がcassette tapeなので、再生が出来たとしても、音は聴くに堪えない音で、とてもYou Tube等にはuploadは出来ない。
例え、βのTapeだとしても、残っているだけHappyなのだよ。
本題に戻って、Vivaldiの曲は、baroque時代の当時のConcertoの様式として、ritornello形式で作曲されている。
当然、ritornelloとsoloの部分に分かれるのだが、そのsoloの部分では、recitativo風に、不可思議と思われる無調で無拍のsoloのpassageが書かれる事がよくある。(Scarlattiも、和声学の禁則をわざと使用して作曲をする場合があるのだが、それとは、根本的に禁則の使い方が違っていて、無調であり、無拍子の作曲法なのだ。
時代錯誤も甚だしい・・out-of-place artifacts=OOPARTSだなや・・)なんとも、不思議な作曲技法である。
音楽の絵画的な表現法とでも言うのだろうか??
作曲上のtheoryを無視した、調の概念や拍の概念を無視した、全く自由な音楽表現である。
そう言った音楽表現法が、このLe Quattro StagioniのL’Estateにも、随所に見受けられる。
VivaldiのLe Quattro Stagioniの絵画的な表現法の元になった表現の指示は、楽譜上に書かれているSo-netに拠る所の詩である。
Le Quattro Stagioniの楽譜上に付けられた、So-netに対しての、絵画的な音楽の描写である。
ちょうど、Wagnerの音楽劇の中のLeitmotiv(若しくは、Charakteristische Motive)と呼んだのだが、そう言った絵画的な手法は、baroque時代の初期から、否、それ以前のRenaissanceの時代から存在する別に珍しい手法では無い。
無調、無拍子は、VivaldiのLe Quattro Stagioni以外の曲でも、数多く見受ける事が出来る。
しかし、通常は、無調、無拍子の手法は、soloのpart(soloのpartというのは、勿論、basso continuoのgroup、continuoのgamba(Cello)と、Cembaloの楽器を含んだ、所謂、soloのgroupを言う)のみの演奏であって、orchestraのtuttiの部分を、その絵画的な手法で演奏する事は、現実的に演奏困難であり、orchestraで、無拍子の演奏を試みている演奏団体はYou Tube上では、皆無である。
もし、そう言った演奏をするとすれば、世界的に、或いは音楽史的に初のChallengeである。
話の前振りが長くなってしまったのだが、要するに、このVivaldiのLe Quattro StagioniのL’Estateのintroのtuttiの部分を、数年前から、無拍子で演奏をしようと、何度も、試みたのだが、どうしても、演奏をする生徒達が、指揮を見て入る事が出来なくて・・、(練習では上手く行ったとしても、本番ではそのpressureで・・)challengeは数回、試みたのだが、本番の指揮では、途中で諦めてしまった。
実際の演奏の例で、八千代市生涯学習プラザ主催の演奏会で2017年の11月の23日の演奏である。実際に演奏したいrhythmと、演奏しているrhythmには大きな開きがあるのだが、自分のtempoを優先させてしまうと、破綻を来すので、ギリギリで抑えているのだよ。
https://www.youtube.com/watch?v=mGHE3L4Wc8c&t=9s
今回もまた、おさらい会で、Le Quattro StagioniのL’Estateを演奏するらしいのだが、おさらい会のオケ出演者の人数が、これまでで最低の人数であり、事実上はQuartettにしかならないし、主力が全員中学生なので、OB・OGが参加して演奏している従来のorchestraのlevelには程遠い出来になる予定なのだ。
それでは、折角の、L’Estateの意味が弱いので、今回は、実験的に、「無謀と言われている・・これまで、何度もchallengeしては、出来なかった無拍子に拠るL’Estateに挑戦すべく、練習をしています。」
今回は破綻を来しても良い・・と言う前提での、challengeなのだ。
7月2日のオケ練習では、「指揮を見て入る」と言う事が、如何に難しく、演奏している人達に取っては、randomになっているように見えるのか??・・という問題点を、Vivaldi先生の作曲技法上のtrickである拍頭の休符に付いての構造上の説明をした。
Vivaldiの施したtrickが分かれば、trickに引っ掛かる事は無いからなのだ。
勿論、殆どの世界中の演奏団体が演奏しているように、拍通り、tempo通りに演奏すれば、このL’EstateのⅠ楽章の演奏は何の問題もない、普通のbaroqueの名曲に過ぎない。
しかし、この曲を、より絵画的に無拍子で演奏するとなると、拍頭に休符がある事は、頗る、演奏上の問題となる。
演奏者に取っては、拍頭が分からなくなってしまうのだよ。
しかし、そこにはVivaldiの「Vivaldi-schule」の子供達に対しての、配慮と、その為の構造式のtrickがある。
写真1に見受けられるように、最初の1Page目の20小節の中で、拍頭が休符の小節は最初の4小節しか無いのだよ。
次の21小節目から30小節目迄のrepriseも、拍頭に音があるのは、CelloとKontrabassとCembaloの5小節目(25小節目)だけである。
つまり、大きなA,B、Cの構造式の中で、Aの部分の最初の4小節と、Cの部分のoctaveで反復される4小節単位の部分にしか、拍頭がお休みの小節は無いのだよ。
soloの演奏が終わって、52小節目からtuttiのthemaが繰り返されるのだが、この7小節は、全て頭拍が無いし、110小節目からのthemaの繰り返しの6小節も同様である。
Vivaldiが表現したかったのは、この無tempoの中で、気怠い無気力感なのだ。
だから、活き活きと拍子に乗って・・、或いはrhythmに乗って、ルンルンと演奏していては、困るのだよ。
また、Tortollera(多分、雉鳩)の鳴き声で始まる59小節目からの63小節目に見られるラ♭や、67小節目からのソラ♭シ♭ドレの音階進行は、楽譜に拠ってはそのラ♭の音が、不可思議であるという事で、わざわざとラ♮に訂正してある版すらある。
・・という事は、Vivaldiの意図を全く理解していない・・と言う事なのだよな??
「Phrygiaの2度」等と難しい事を言わなくても、このL’Estateは、Purcellのchaconneのg mollや、HändelのPassacagliaのように、21小節目からのkadenzに表されるように、T⇒S⇒D⇒Tの和声進行のS(subdominant)がⅡの6♭の和音、所謂、Napoliの6の和音になっているのだよ。
Ⅰ⇒Ⅱ(Napoliの6度の和音)⇒Ⅰ⇒Ⅴ⇒Ⅰという進行をしているのだよ。
つまり、Ⅱ度の和音はラ♭、ド、ミ♭の和音になるので、先程の63小節目のラ♭の音や、67小節目からの、ソラ♭シ♭ドレの進行のラ♭の音は、Napoliの和音の音なのだよ。
また、116小節目からd mollで始まる長い長いrecitativoは、非常に不可解な転調を繰り返すのだが、単純なdominanteの連鎖に、このNapoliの6の和音を挿入する事に拠って、単純なdominanteの連鎖である和声進行が、和声学上の誤った進行を含む、間違えた和音進行になっているのだよ。
この複雑怪奇で、誤った和声進行の前に、本来、Vivaldiが意図したと思われる、simpleな原型の和音進行を書いておいた。
Cembalo譜の付点4分音符で書かれた和音進行は、本来的なdominante連鎖の進行である。
しかし、Violinのsoloのmelodieの3拍目の和音が、この小節の和音上には居ないので、118,120,122小節目の3拍目の音をCembaloの右手の和音に整合させる為に、Peters版のscoreのCembalo譜では、118,と120小節目はNapoliの6の和音を、122小節目はⅠの6の和音を付加したのだが、その為に和声学上の禁則が起こってしまった。
確かに、このL’Estateでは、随所にNapoliの6の和音が効果的に使用されているのだが、このCembaloのcontinuoのpartで使用するのは、無理がある。(・・という事で、箸にも棒にもかからない最も単純極まりない、正しい和声進行のCembalo譜を作っておいた。面白くは無いのだが、「simple is best」である。・・Alain DelonのDURBANの宣伝のcatch copy(和製英語))
このPeters版における複雑な和音進行の大元は、超、simpleなdominante連鎖の進行を、Napoliの6の和音で解決しようと思った誤りに過ぎない。
しかし、まあ、いずれにせよ、dominante連鎖・・という事で、小節毎に転調をするという事なので、各小節が調という概念で捉える事は出来ない、所謂、ロマン派の時代の浮遊する調というOOPARTSが起きてしまっているのだよ。
恰も、WagnerのTristanのように、dominanteが繰り返されて、調性が確立しないままに、melodieが展開されて行くからなのだ。
そのままでは、不可思議な時代錯誤の音楽になってしまって、取り留めが無くなってしまうのであるのだが、しかし、Motiv(melodie)の動きを見るとVivaldiが表現したかった演奏のstyleが理解出来る。
最初のsoloの部分は2小節単位で、最高音がシ♮からラ、ソと下行して来て、123小節目から突然、125小節目のド#迄、生き返る。
しかし、127小節目からは、また、シ♮、ラ、ソと、落ち込んで行って、133小節目からは突然、また、135小節目のレ迄、生き返るのだが、それも束の間、直ぐに、136小節目から140小節目まで、落ち込んで行くのだよ。また、同様に147小節目のミ♭(最高音)迄、生き返るのだが、149、151と落ち込んで、一気にtuttiに入る。
断末魔の喘ぎのように、何度も生き返ろうと繰り返すのだが、力尽きてしまうのだよ??
このpassageを、淡々と演奏している演奏家達は多いのだが、この分析から引き出される演奏のstyleは、悲痛な断末魔の劇的な表現なのだが、そう言った演奏をしている演奏家はこれまで、見た事が無いのだよな??
たかがおさらい会なのだが、瑞希ちゃんが、Vivaldi先生の意図を何処まで表現出来るかな??
愉しみだよな??
Ⅱ楽章も、soloのmelodieは疲れ切っった羊飼いの息も絶え絶えの表情を表現している。
ripieno-soliのViolinのskipは、虻や蝿がうるさく付き纏う事を表現している。(・・とSo-netには書かれている。)
暑くて木陰で休んでいるのだが、心地よい・・と言う事ではなくて、もう、息も絶え絶えに・・・という事なので、melodieは拍を感じさせないように、randomなtempoで演奏をするのだよ。
melodieが拍を意識した途端に、音楽が心地よく流れてしまうからなのだ。美しいmelodieを如何にdéformerするのか??が試されているのだよ。という事で、拍のtimingを狂わせながら弾くのだよ。
また、殆どの演奏団体は、最初の雷の音をforteで演奏しているのだが、So-netの指定では一回目の雷は、「遠くの方で雷が鳴っている」・・とSo-netに書かれているのだよ。
だから教室の演奏では、最初はpianissimoで演奏する。
2回目の雷は少し近づいてmezzoPianoで、3回目は頭の上なので、fortissimoで、それから4回目は遠ざかって行って、また、pianissimoで演奏するのだよ。
そうする事に拠って、雷が遠くから近づいて来て、また、遠くに去って行くという絵画的な、否、映画的なdramaticな表現が出来るのだよ。
また、13小節目の3、4拍目では、Napoliの6の和音が印象的に再び登場する。
Ⅲ楽章は、無調、無拍子は無いのだけど、唯一、最初のtuttiの後には、全休符にfermataが付いている。
という事で、ここは無拍子の結構、長いGeneralpauseになる。
後は、前の楽章で、焦らした分、最後まで一気に一息に演奏する。勿論、1箇所にNapoliのコードが出て来るのだが、殆ど気づかれないように、印象的ではない。あくまでも1っ箇所だけ、使ったに過ぎない。多分、全楽章を統一する為なのだろうか??
https://www.youtube.com/watch?v=tdGDVxi1qf4
同じL’Estateなのだが、こちらは一般的なstyleでの演奏である。
2012年の6月の24日の演奏である。
皆さん達が、普通に知っているVivaldiの夏の演奏styleである。
7月5日toiletteと水回りの使用が出来ない。 ·
今日は7月の5日の水曜日です。
流石に、toiletteと水回り全部を使用出来なくなってしまうと、生活するのが無理なので、今日は朝の9時半から夕方の4時迄、椎名町に避難する事にします。
椎名町で出来る事は何も無いのですが、致し方はありません。
取り敢えずは、notePCでも持って行くか?
という事で、9時半を過ぎた頃にハイツを出発して、椎名町に避難しました。
notePCでは仕事にならないし、単語登録をSDcardで持って行ったのだけど、DellのnotePCはSDcardの端子が無かったのだよ❢❢
しょうがないので、斉藤先生のnoteを借りて、SDcardに入っている単語登録をUSB-memoryに移して、私のDellのnotePCに入れました。
2時半ぐらいになって来たら、空が怪しくなって来ました。
4時迄には、未だ時間があるのだけど、3時過ぎには、大急ぎでハイツに戻る事にしました。
雨の用意はしてなかったのでね??
夕方の3時半頃にはハイツに戻ったのだけど、配管周りの工事はもう終わっていたようです。
しかし、一応、水回りの使用は5時近く迄は、控えていました。
今日1日、ハイツで出来なかった仕事をやっていたら、通常の食事の時間になったのだけど、結構、疲れが溜まったままで、椎名町への移動は、しんどかったのだけど、疲れた体に鞭を打って、bikeで頑張って移動しました。チョッと霧雨が顔に当る感じで、7月だと言うのに、半袖のTシャツでは肌寒いぐらいでした。
斉藤先生は早めの帰還だったので、お迎えっ歩は、パスになりました。ハイツに辿り着いて、結構直ぐに、斉藤先生が帰宅したのでね??
私の移動時間には、もうドル・プリっ歩は終わっていたのだよ。まあ、いずれにせよ、それだけの体力は無かったけれどね??
夕食が終わって、ハイツに戻ったのは、普段よりも1時間程早い時間の11時頃だったのだけど、結局、またぞろ、ウダウダとしてしまって、眠るのは2時を過ぎてしまったのだよな??
7月6日冷蔵庫の中の物も腐った ·
今は7月6日の木曜日の朝の5時半を過ぎた所です。
朝の4時過ぎにトイレで目が覚めたのですが、Bedに戻ると、またまた、いつものroutineで、強烈な鼻詰りで、息が出来なくなってしまいました。仕方がないので、いつものようにパソコンの椅子に座って、You Tubeにupした動画のcheckをしていたら、そのまま小一時間程、爆睡してしまいました。
まあ、routine・・と言ってしまえば、それまでだけどね??
videoの音で突然目が覚めて、bedに戻ろうとしたのだけど、体が動かないので、bedに戻る迄が、結構大変でした。
頻眠の2度寝、3度寝を重ねて、9時を過ぎた頃から起き出して、朝のroutineの作業(体礎体重計と血圧を計ってパソコンに入力する事です。)をこなしていたら、ふと、ゴミ袋から強烈な臭いがしている事に気が付きました。
ゴミ袋にしているレジ袋を覗き込んだら、なんと、小蝿がいっぱいいたのですよ。
慌てて、小蝿ごと、袋を閉じて、部屋の外に出しました。
気が付くと、部屋の要所、要所から臭いが出始めています。(シンクや下水の配管等からも・・)
これは大変だ❢❢
本格的に掃除をしないと・・
という事で、取り敢えずは、死体の臭いも消す・・という業務用の消臭スプレーで、お茶を濁しておきます。
部屋はcoolerで、常に除湿をしているので、気が付かないけれど、確かに、冷蔵庫に保存してある食料品ですら、腐ってしまう事が多いので、そういう季節になったのだよな??
lessonが終わって、椎名町に行く準備をしていたら、頭がクラクラして来たので、脳溢血かいな?と思ったら、他の人達も、頭がクラクラすると言っていた。どうやら、熱帯夜のせいらしい❢
7月6日8月5日のbaroque・Salon・Koncertのチラシです。 ·
昨年に引き続いて、新検見川教室の2階のSalon・Koncertを開催する事になったのだけど、Vitaliのchaconne in gの演奏をする事になっていたのだよな??(知らんかった❢❢・・というか、忘れていたのだけど・・)
私の校訂したVitaliのchaconneのperiod-versionは、2016年の11月の23日に千葉市美術館鞘堂Hallで、斉藤先生と萩元先生が演奏したのだけど、それはCembalo-versionなので、 positive organ(小型のPipeorgan) のversionで演奏するのは、今回が始めてです。
https://www.youtube.com/watch?v=0O8QFWdFGxQ
CembaloとOrganでは、楽器的な特性から、曲のimageは全く違った物になります。
Cembaloは音を弦を引っ掻いて出しますが、結構、音が早く減数してしまいますので、音を持続させるのが苦手です。
それに対して、Organはkeyを離さない限り音が響き続けます。
その音の出方の違いは、決定的な曲の作風の違いになってしまいます。
実際には、私はOrgan-versionの方を先に作曲したのですが、鞘堂Hallに positive organ を持って行く事は無理だったので、Cembalo-versionの曲を、急遽、作りました。
・・という事で、今回のVitaliのchaconneの positive organ -versionは初演になります。アハッ!
下のURLは、私のhomepageからVitaliのchaconneのPageになります。
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/vtl...
ちなみに、蛇足ですが、一般的に知られているVitaliのchaconneは、Ferdinand Davidがarrangeをした版が大元で、それを色々な校訂者達がarrangeをしたのです。
Charlier版も底本はDavid版なのですよ。
現在出版されているchaconneは、他の版でも同じなのですが、Ferdinand Davidがbasso continuoのpartをPianoに直しただけではありません。
David版もCharlier版も、曲の最後の若々しく華やかで壮大に繰り広げられるarpeggioのpassageの後では、更に、octaveのthemaの繰り返し(reprise)・・で(David版は6度のmelodieでthemaを繰り返して・・)華やかに壮大なママに終わりますが、originalの写本では、arpeggioで盛り上げた後では、落ち込んで逝くように、段々と遅くなって欝っぽくなって、恰も息を引き取るようにfade-outして、終わります。マジにadultな終わり形なのですよ❢
これはVitaliのchaconneの音楽の演奏表現上の決定的な違いになります。(つまり、Vitaliのoriginalの楽譜は、一般的に知られているdavid版やcharlie版のように華やかに終わる曲ではなくて、私の鬱々Koncertのrepertoryにも入る可能性のあるような鬱々のadultな曲になっているのですよ。)
最初の positive organ-versionの最後の方のpassageもCharlier版と同じようなarpeggioで書いていたのですが、華やか過ぎて、baroque風ではない・・という事なので、少しsimpleなarpeggioに変更をしました。時代考証的には、Charlier版のようなarpeggioの演奏が無い分けではないのですが、一般的なimageからすれば、時代錯誤に聴こえるので・・の配慮です。
そもそも、ご存知のように、Ferdinand Davidがarrangeをした大元のoriginalの楽譜は、Vitaliのchaconneの写本であって、当然、Vitaliのoriginalの楽譜ではありません。
大元の楽譜である写本自体はとても綺麗なのですが、書かれているcontinuoの数字は、間違いだらけで、多分、ズブの素人が当てずっぽうで数字を書いていったのだと思われます。(少なくとも、多少の和声学的な知識を持ち合わせていたら、そんなヘボいmistakeはしないハズです。)
また、当時の慣習として、楽譜上では、Violinのpartとcontinuoのpartしか書かれていません。(鍵盤上の右手のpartは書かれていないのです。)
それを、低弦の音符上に書かれている数字を参考にして、その数字通りに演奏するのですが、この写本の場合には、continuoのpartに書かれている肝心要の数字が超、間違いだらけで、間違いを正しく修正して、楽譜を書き直すに一週間以上も掛かってしまいました。
只単に、間違いだらけ・・ではなくて、数字が汚くて、読めない(判読不能)な箇所も多かったのですよ。
演奏に必要なornamentは、最低必要な、大部分の指示は私が楽譜上に書いて起きましたが、ornamentの演奏上のもっと細かい部分は斉藤先生のoriginalの制作です。
しかし、 positive organの楽譜も、書いたのは7年も前の事になるので、結構、間を開けて見ると、昔、作った時の楽譜では、手直しをしたくなる所が随所に見受けられたので、この際、思い切って、細かい所の修正をしました。
という事なので、「もう、楽譜を新しくprint outした方が良いのかな??」とも思っています。
前回は実際の練習には入らなかったので、楽譜に練習番号を付けていなかったので、今日は練習に入る前に、練習番号を付ける作業をしている所です。
cantus firmusの4小節が2回繰り返されるだけなので、練習番号も簡単に付くだろうと思ったのが、そうは問屋は卸さない・・のですよ。
8小節単位で書いてあるphraseと、4小節単位で書いてあるphraseが出て来て、また、themaのmelodieの開始音が、continuoのcantus firmusの開始音とズレている所があったり・・と、安直に、8小節単位で練習番号を付って行くと、辻褄が合わない所が、随所に出来て来てしまうのですよ。
という事で、折衷案に過ぎませんが、練習番号の数字にaとbの記号をくっつけて、4小節で完結する所には、abの記号を書かない事にしました。
これで練習番号の問題も少しはスッキリとしたのかな??
曲を合わせる(ensembleをする)上で最も大切な事は、Variationの次に行くtimingになります。
これは合わせる上で最も重要なpointになるので、曲を収めてから次のVariationに入るpassageには、全て、ritardando等々の記号を書いておきました。
拍の揺らしが書いていない小節は、attaccaで次のVariationに移ります。
小節の拍頭が前からのmelodieの最後の音になる箇所と、次のVariationのmelodieが拍頭から始まるpassageがあります。
音楽表現が変わるので、気を付けて演奏してください。
https://www.youtube.com/watch?v=-o6bcUzsWZc
2023年7月8日nrenewal-versionです。
・・というか、今日の話だよ❢❢
今日・・午前中からその作業をして、午後からは、こう言った、chaconneの形式である、所謂、variation形式の演奏法の解説をする予定なのだよ。
以前も書いたけれども、Variation形式には、所謂、教科書的なVariation形式の曲と、大曲の30も、40もVariationが積み重ねられて行く、大Variation形式の二つがあります。
しかし、困った事に、一般的にはVariationには形式が無い物・・とされているのですよ。
しかも、それは日本の音楽の書物だけではなくて、Europaの音楽の理論書にも掲載されていないのですよ。
大曲になればなる程、作曲家達はbauplan(音楽形式)に従って作曲をして行きます。
そのbauplanには、大元となる形式が存在するのだけど、どの楽典の本にも、通論の本にも載っていないようです。
しかし、baroque時代から近現代に至るまで、歴史上の作曲家達はそのbauplanに基づいて作曲をして来ました。
ではその音楽形式は・・・??
まあ、ここで音楽形式の理論にまで手を広げて、書いて行くのも面倒くさいから、興味のある人は、私のhomepageでも見てください。
Violinのpartの上段はornamentを加えた譜面です。
下段はoriginalの譜面です。
7月7日『幸せ過ぎる不幸』 ·
今は7月7日の金曜日の朝の4時です。
toilette-timeに起き出したのですが、coolerを消して寝たので、部屋の中が蒸れてしまって、鼻詰りも酷くなって息が出来なくなってしまったので、toiletteから出て急遽、coolerの除湿を点けて、パソコンの椅子で休みながら、部屋の温度が下がるのを待っている所なのです。
寝苦しくて、何度も繰り返し見た事のある夢を、またまた、見ていました。
よく繰り返し見る、その夢なのですが、ドイツから帰って来る時に、DVミニの小さなcassette tapeに、Karl BöhmのMozartの Die Zauberflöteの舞台の映像とその後にadult-videoを何遍か入れていいたcassette tapeを持ち帰って来て、それを何処かに置き忘れてしまって、探している夢なのです。
余りにもrealに覚えているので、本当にそういったadult-videoを持って帰って来たような錯覚に陥ってしまうのですが、これは、まともに考えると、単なる夢なのです。
何故ならば、私が日本に帰国した時は、1972年の10月頃であり、sonyからβのvideoが発売されたのは、1975年の5月からなので、未だ、日本にはanalogのvideo-tapeすら無かった時代だったのだよ。
夢に登場するDVミニcassette tapeは2000年以降に登場するので、その頃は、教室では未だVHSの時代であり、その後はDVDへ移行したので、一応、DVミニのvideo-cameraも所有しているのだが、そのDVミニのtapeは非常に少ない。
その非常に少ないDVミニのcassette tapeの為に、未だ、video-cameraを保存しているのだよ。
ちなみに、夢に出て来た、Böhmの Die Zauberflöteは、βのtapeで完全録画版を持っている。
今でも視聴出来るように、Blu-rayに焼き直したい所なのだが、超、面倒くさいので、半世紀の間、その作業は保留状態のままである。そういったtape類のなんと多い事よ❢❢
それはそうと、昨晩のドル・プリっ歩の時に、ふと、明日は七夕である事を気が付いて、「教室ではなにか、子供達へのEventは、していないのか??」と聞いたら、教室の玄関の前に笹の葉を立てて、子供達が、願い事を書いているのだそうな??
オケ組の子供達の願い事は、concours組の女の子の願望は、「美味しいものをいっぱい食べたい」のだそうで、後の中学生達も、皆、欲しい物や、美味しい物が願望なのだそうで、「楽器が上手になりたい。」とか、「concoursに入賞したい・・」とかいう願い事は、一つも無かったそうな??
確かに、見ていると、そうだよな~ぁ??
今の子供達は本当に幸せなのだよな~ぁ??
幸せ過ぎて、切望する物が何も無い。
ひたむきに切望するもの、渇望するものが、全く無いのだよ。
『幸せ過ぎる不幸せ』・・って、とこか??
今週の日曜日のオケ練習は、参加者が殆ど居ないので、自動的にお休みになるのかな??
C-scheduleらしいのだけどね??
まあ、巷の音楽教室の生徒達の意識って、そんなもんだよ❢❢
意識のある子供達は、最初から某国立音大の教授の所に行ってしまうしね??
そこで、行き詰まってしまうと、「才能が無かったのだ❢❢」と簡単に諦めてしまう。
おくびにも、巷の音楽教室の先生の所に行って見よう・・とは、思わない。
音楽教室を始める前には、音大から結構生徒達が逃げて来ていたのだけどね~ぇ??
教室を開いた途端に、逆のpatternになってしまった。
阿呆らしい❢❢
教室を開いたから・・と言って、何かが変わった分けでは無いのだけどね~ぇ??
それはそうと、Mansionの管理費を払い忘れたので、昨晩、遅くにNet bankingで支払いをしようと、開いたら、二日前に得体の知れない支払いがあった。
それは大変だ❢❢
銀行が開いたら問い合わせに行かなければならない。
後は、コロナとインフルと帯状疱疹のワクチンの摂取が来ているのだが、抗癌治療でstopをされていたので、中止になってから二週間が経ったので、今日、申し込んで行くつもりだ。
光が丘病院の糖尿病外来を順天堂にする為に、紹介状を書いて貰ったのだが、いつも同じ検査で同じ薬を3ヶ月単位に貰いに行くのも億劫になって来たので、紹介状をボツにして、近所の病院で間に合わすか??と考えているのだ。
今日の午前中はそれらの作業で終わる予定なのだ。
病院が開く時間になったので、ワクチンを摂取がてら、近所の病院で相談したら、やはり紹介状の病院に行って、そこから「近所の病院でも良い」という了解を貰って欲しい・・との事だ。
まあ、順天堂がそんな事を言う分けは無いのだけど、今日迄の薬しか無いので、諦めて、月曜日には順天堂に行くか??
昨夜、Net bankingで、忘れていた管理費を振り込む時に、偶然、見つけた不明の引き落としのcheckの為に、病院の後に、そのまま銀行に行ったのだが、「creditは銀行とは関係が無いので、directにoperatorに電話をしてくれ」と、銀行から渡されたpamphlet(和製英語)通りに、順番に、電話をしたのだが、operatorのsiteだけが、開かないのだよ❢❢
仕方が無いので、もう一度、超、暑い中を銀行まで、トボトボと歩いて行ったのだが、同じ事を言われて、「銀行では出来る事は無い」とまで言われてしまった。
仕方が無いので、netのhomepageを開いて見たのだが、operatorには繋がるiconが、やはり無いのだよな??
「書かれているpamphlet通りにやるように・・」と、言われても、開かないし、netもoperatorへのaccessは出来無いので、超、暑い中(練馬区の気温は35.7℃だそうで、猛暑日だったのだよな??)、為す術も無く、この猛暑の中を、3回目も、銀行とハイツを往復してしまった。
この炎天下に・・・だよ❢❢
3回目でやっと、銀行内で、credit会社の担当のoperatorを電話で呼び出してくれた。
operatorとの会話は一瞬で終わって、事無きを得たのだが・・・
まあ、それまでの、時間の掛かる事・・と言うか、不親切な事❢❢
銀行の言っている事は、「creditは銀行とは関係無いので・・」の、一点張りなのだよ。
それぐらいは最初から分かっている・・つうのに、「パンフ通りにやれ❢❢」との一点張りなのだよ。
pamphletに書いてある通りに、やっているのに、operatorのsiteが開かないので、こちらとしては、成す術は無い・・とhelpを頼んでいるの、そこの会話が繋がらない❢❢
通り一遍の対応なのだよ❢❢
3回目に、やっと、銀行からcredit会社のoperatorを呼び出してくれたので、credit-cardを失効させる事が出来た。
勿論、引き落とされた金額はcredit会社が保証してくれるそうだ・・。
という事で、今年最高気温(練馬区では35.7℃だそうです。)の中を、朝の9時から11時半迄の間、ハイツと銀行を何度も往復させられたので、お昼からは、流石に、熱中症気味になってしまって、意識が朦朧として来たので、慌てて、bedで眠ろうと思ったのだけど、寝室が蒸れていて、bedに横になっていたら、暑くて、そのまま熱中症で死にそうになってしまった。
慌てて、coolerの効いたパソコンの部屋に戻って椅子で仮眠をしようと思ったのだが、椅子に座ったままで、熱中症気味の体調不良になってしまった。
「これは大変だ❢❢」と言う事で、imuseをガブ飲みして、coolerをギンギンに利かして、椅子で仮眠をしたのだが、何とか、爆睡出来て(・・かな??・・ヒョっとして、意識喪失してしまった??)熱中症の危機を脱した。
いやあ、危ない❢危ない❢❢
冷房の利いたパソコンの部屋で、椅子で仮眠をしながら、並行で寝室のcoolerを今年初めて稼働させた。
超、古いtypeのcoolerなので、単独では、殆ど、利かないのだが、それでも、二部屋同時にcoolerを掛けると、結構、効果がある。
寝室も冷えて来て、何とか、bedで休む事が出来たのだが、幾ら何でも、3回目の銀行への行脚は無駄だと思ったよな??
気遣いが足りない・・とは思ったのだけど、若い女の子じゃあ無くて、結構普通の歳のおばさんだったと思ったけれど、「年相応に、もう少し、配慮があっても、良いのでは??」と思ってしまった。
銀行に「どうしろ❢❢」とか、賠償を要求した覚えは無いのだがね??
「銀行には関係は無いのだから、pamphletに従って、勝手にやって来れ❢❢」の一辺倒では、余りにも、思いやりが無いのでは??
その通りにやって、出来ないから、わざわざ猛暑の中を、歩いて銀行迄、来ているのだよ❢❢
嫌な世の中になったもんだよな??
今は、夕方の7時半を過ぎた所です。
午前中の書類や、card類が、体調不良で片付け無いままに、パソコンの椅子の周りに、そのままの状態になっていたので、体調が少し戻って来たので、片付けを始めました。
体調が戻って来るのに合わせて、少しずつ、少しづつ、出来る所から、片付け初めています。
身体中、汗でグショグショだよな??
showerでも浴びて、気分転換でもするか??
・・と思ったのだが、お湯を沸かして入る事にした。
お風呂に入って、relaxしていたら、ふと、「今日はshower程度で風呂には入ってはいけません。」と病院で注意された事を思い出した。
慌てて、風呂から出たのだが、「時、既に遅し」だよな??
まあ、いいか??
体を乾燥させていたら、頭皮に洗剤が残っている事に気が付いた。
結構、丁寧に何度もお湯を被って洗ったつもりだったのだけど、それでは頭皮に残った脂質は取れないらしい。
もう一度、風呂場に行って、showerの強い流れで脂質を洗い流した。
多分、これで洗い残しは無いと思うのだが、そうは甘く無いよな??まあ、いいか??
椎名町への移動は10時近くになってしまった。
11時を過ぎて、ドルプリっ歩の時間になったのだが、ドルもプリも、歩きたがらない。多分、暑いからだな??
途中まで歩いたのだが、ドル、プリの両方ともが嫌がっているので、「帰るか??」と聞いたら、直ぐに踵を返して、帰り始めた。私も腰痛が起こりそうだったので、お散歩の中止は、有り難い事なのだ。
over‐workとコロナの副作用で、お久し振りに血尿が出た。
今日は流石に、体調的に1日のrotationを熟すのは無理だったのだよな??
今日はコロナワクチンの性と、over‐workで、朝までの、超、爆睡が出来た。
血尿も2、3回で止まったしね?
7月7日『音楽上の演奏表現に関する基礎力について』 ·
音楽の演奏技術や音楽表現の為の技術は、楽器に選らない全ての楽器に共通する演奏技術や音楽表現である事が結構多い、・・というか、その技術や音楽表現の殆どとなっている。
幾つかの例を上げるとすれば、・・・私の定義している段階のcrescendoやdecrescendoの上行形や下降形等も、その全ての楽器に共通する音楽表現方法である。
まあ、そんな難しい音楽表現ではなくても、簡単で、日常的な例としては、phraseの切れ目のtimingで、他者との音合わせで、よく揉める事がある。(殆どの場合には、演奏者の力関係で、leaderが決まって、その人のimageに従うのが常であるのだが・・・)
実際には、phraseの切れ目のtimingは、phrase間の切れ目の長さ、・・所謂、breathの長さは、短い順から、次のように定義する事が出来る。
①feint 一番短いphraseの切れ目はfeintなのだが、これは寧ろ、timingが拍よりも、短くなる場合すらある。
②(❜) 2番目は非常に早くbreathを取る、所謂、cunning beathである。 ③(∨)cunning beathはこのように書く事もある。いずれにせよ、非常に早く取るbreathなのだ。cantataのような場合には、非常に早いmelismaのpassageを、rhythm通りにnon breathで演奏したり、歌わなければならない。そう言った場合に用いられる事が多い。
且又、一つの大きなphraseの間にある短いphrase(Motiv)の拍節を表す為にも、この短いbreathが使用される。
④ ❜ ⑤∨ ④と⑤は所謂、通常のbreathである。
当然、breathに拠って、拍のtimingが少しズレる。
一つのmelodieが完結して、次のmelodieに移る時に、通常のbreathが使用される。
Choralのような場合には、小節線上にfermataが書かれてbreathを表す事もある。
⑥非常に長い休止としては、Generalpause(=G・P)等がある。
これらの使用例は、所謂、一般的な音楽記号に拠る書き方であって、指揮者の多くは、もっと見やすいように、長いStrichとか、短めのStrichで書き表わす事も多い。勿論、これはもう既に音楽用語というか、音楽の記号を逸脱しているのだが・・・
等々で、こういった演奏表現の書き方は、際限なく続いて行く。
leaderの居ないensembleの合わせをする場合には、予め、phraseの切れ目、或いは、節の切れ目で、こういった切れ目のtimingを設定しておくと、合わせの時のtroubleは一切起こらない。
何故、今更、そう言った分かり切ったような事を言うのか??・・と疑問に思われるかも知れないが、現実の音楽の社会では、折角の演奏の為に、groupを作っても、指導者がいない為に、自己主張の連続になってしまって、ensembleが上手く行かない場合が多いのだよ。
そこの何が問題なのか??・・という事なのだが、実際には、orchestraや室内楽の場合のように異種楽器でensembleをする場合には、共通認識であるべきそう言った共通する音楽的表現の方法が全く共有される事無く、ensembleの練習の妨げになっている事の方が多いからなのだ。
orchestraのように、leaderとなるべき存在が居て、interpretation上での、全体を統括する人間がいる場合には、練習や演奏上の問題は起こらないのだが、室内楽や室内orchestraのように、統括する指揮者のような存在が居ない場合には、それぞれの演奏者がいたずらに自己主張を繰り返して、練習の混乱を招いて、挙句の果てには、練習の破綻、酷い場合にはgroup自体の解散を来す場合すらあるのだ。
折角、集まったgroupが、解散して行く場合の多くの理由は、人間関係というよりは、interpretationの違いが、破綻を来す大元の原因になっている場合がママある。
しかし、本来のinterpretationには、情緒的解釈の違いは存在しない。
もしも、解釈の違いがあった場合には、その殆どが、interpretationに於ける基礎知識の欠乏、つまり、基礎力の不足に拠る所が多い。
つまり、破綻を来す・・という事は単なる情緒的な表現に依存するからであり、作曲家の作品に対する意図を忠実に読み取る事が出来れば、そう言ったinterpretation上の争いになる事は皆無であるからである。
作曲家の音楽の意図は常に明白であるからである。
勿論、作曲家が間違えた指示を書いている場合もあるのだが、作曲家自身の明確な意図が分かれば、その誤りを訂正する事は簡単であるし、私の場合には、その誤りを理解した上で、敢えて、作曲家の書いた誤り通りに演奏する事もある。(殆どの場合には、訂正して書き直す事が多いのだけどね??)
作曲家が書いたから、全てが正しい・・という事は有り得ないのだよ。間違いは間違いなのだよ。
日本人のproと呼ばれる人達は、確かに上手いのだが、何も出来ていない。
日本人の演奏家の場合には、基礎力という事を、「演奏技術の事・・である」・・と勘違いをしている傾向が強いのだよ。
演奏技術のみを追求する事は、entertainment性は、確かに向上するかも知れないが、音楽的な奥の深さを産み出す事はない。
あくまでも表面的な華やかさの追求で終わってしまうのだよ。
日本人の音楽の勉強は、この音楽の演奏技術に関する事のみである。
だから、当然、その音楽の世界の中で育って来た若い演奏家達の演奏は、entertainment性に偏っていて、真摯な音楽表現が極端に乏しいのだよ。
つまり、音楽を追求する為の、音楽を深くapproachする為の、interpretationの力が全く備わっていないのだよ。
まあ、単純に勉強不足と言ってしまえばそれまでなのだがね??
音楽表現に対するinterpretation能力とは、和声力であり、音楽形式力であり、歴史認識に於ける演奏styleの違いを理解する事でもある。(つまり、時代考証だなや??)
そう言った、音楽上の基本的な基礎的な理解力が全く無いのだよ。
お互いの情緒的、感情的なinterpretationをぶつけ合う事で、音楽表現を統一しようとしている。
音楽家同士の共通認識が無い所で、自分の優位性を主張する事だけが、音楽のinterpretationなのだよ。
情緒や感情では無くて、その前に、論理的な理解が出来ていないからなのだよ。
音楽の教養番組は、普段は全く、見る事が無いのだが、極稀に、他に番組が無いので、channelをそのままにしておく事が極々稀にある。
そう言った時に見た番組なのだが、色々と頑張って、何とかこじつけて一般の大衆に興味を抱かせようと工夫しているのは良いのだが、音楽そのものに一つもapproachが無い事には驚かされる。もうチョッと、視点を変えれば、音楽そのものに興味を抱くのに・・と、思うのだけどね~ぇ??
分かり易く・・と、思う事が、音楽へのapproachをoberflächlich(表面的)にしてしまっているのだよな??
それでは、本当の意味での音楽へのLibhaber(愛好家)を作る事は出来ない。
7月9日VitaliのChaconneのcheck ·
今日は7月9日の日曜日の朝です。
当然、千葉でのオケ練習の日なのですが、今日は初心者のオケ練習のないCscheduleの日なのですが、欠席者が多くて、オケ練習が成り立たなくなってしまったので、急遽、私は千葉行きをお休みにする事にしました。
しかし、先生達は通常通りのlessonがあるので、千葉行き自体は中止にはならなくて、通常のlessonの為に千葉行きをするので、私も千葉に行くつもりだったのですが、オケ練習が無くて、lessonの希望者も少なかったので、それならば、Teleworkをする事も考えたのですが、皆さん自宅で個人的に練習をしたい・・と言う事なので急遽、お休みをする事になりました。
・・とは言っても、私の今日の1日が、丸々お休みになった分けではなくて、「オケ練習がお休みになったのならば・・」と言う事で、希望者からのlecture-lessonが入って来たので、逆に、自宅でのlessonはbusyになってしまいました。
まあ、そこがproとamateurの子供達との落差だよね??
突然、時間が出来たので、今日の午前中は、Vitaliのchaconneのperiod-versionの positive organ versionの練習番号付けと、簡単な手直しをしました。
午後からは、こう言ったVariation形式で書かれた曲の、演奏法の解説のlecture‐lessonをします。
大Variation形式に拠る演奏styleの解説です。
今日はKirnbergerの第三調律を使ってlessonをします。アハッ!
今回の8月5日のbaroque-Koncertの予定が決まって、取り敢えず、lessonで、初めてViolinとOrganのpartを合わせて見て、organのPartを弾いて見ましたが、「意外とspielbar(弾き心地)に問題があるのかな?」と思いました。
明日は、時間があったら、Organ-partのSpielbarのcheckをする事にします。
今日はorganのpartのSpielbarをcheckして、訂正するつもりだったのですが、実際にorganのpartをcheckして見ても、そんなには違和感はありませんでした。soloのViolinのpartをcheckしたのですが、少し演奏の技術が近代的な箇所があったので、そのパッセージを、古式豊かにbaroque調に変更しました。でも、元々の華やかなフィギレーションもbaroque時代にも存在した演奏のstyleなのですが、華やか過ぎるので、どうしても、近現代風に聞こえてしまいます。チョッと野暮ったいくらいの方が、baroque風に聞こえるようです。
7月10日今朝の椎名町の収穫だそうです。 ·
今朝の椎名町の収穫だそうです。アハッ!
東京の練馬では今日は37.8℃だそうです。
とうとう、気温が体温を越したぞぃ❢❢
という事で、今日は、病院に行くのは、諦めました。(予約をしている分けではないので、行かなくても問題はありません。)
今日はcembaloのtuningとVitaliのchaconneの修正をしました。
疲れたので、bedで休もうと思ったら強烈な鼻詰まりで息が出来なくなってしまいました。
仕方なく、bedから起き出して、椅子で休んでいます。
7月11日『copyをする・・という事から発展して日本人の音楽の感性についての問題』 ·
『日本人とEuropa人の音楽に対する感性の違い』
今日は7月の11日の火曜日の朝の7時である。連日の猛暑で、不思議な事に起きる時間がダンダンと遅くなっている気がする。
今日も朝の7時に変な夢を見ていて、その夢の途中で、目が覚めた。
私は基本的には歌のlessonはしないのに、歌の生徒のlessonをしていて、その女の子がモノマネの歌い方をしていたので、怒っている夢なのだ。
「折角、やっと、開いて来たあなたの声が、モノマネで、平べったく薄っぺらな日本人特有の発声になってしまっている。」と怒っているのだが、その時に、私の同僚と思しき女性から、「でも、あなたは、『上手な演奏家の演奏をよく聞いて学びなさい。』と、言っていたじゃないの??」と言われて、私の周りの人達でさえも、私の言った意図を理解出来ていない事に気が付いて、ハタと詰まってしまったのだよ。
何処かの国の音楽教室では、模範演奏のRecordを聞いて、その演奏をcopyさせるmethodeがあるのだが、amateurを貫くのならば、それでも良いのだが、音楽の世界に進むのであれば、そういった方法は全ての音楽人達からは、tabooとされるのだよ。
私も音楽をよく聴く事を推奨するのだが、誰かの演奏をcopyさせる事は絶対にしない。
勿論、lectureの手段としての、あるpassageを真似て弾く事は良くなるのだけどね??しかし、それを自分自身の演奏に取り入れる事は無い。
これは、世界的な、否、歴史的なlevelの音楽の話であって、絶対的に、日本人の有名歌手の歌なんて、聴く事を許す分けは無いのだよ。
copyをする事と、よく聴く事・・の違いを説明する段になって、説明をする事が面倒くさくなってしまって、目が覚めたのだよな??
proの学び・・とは、所詮は、師匠のcopyに過ぎないのだよな??
しかし、copyで留まる・・という事は、その先生のcloneになる事に過ぎない。
私の場合には「よく聴く」と言う事は、色々な超一流の演奏家の演奏をよく聴いて、そのinterpretationの違いを学ぶ・・という事だし、発声法であれば、その自然な歌い方を、体の緊張をどのように外しているのか、力をどのように逃しているのか??という事を色々な演奏家を通じて、盗ませる為に過ぎないのだよ。
だから、徒に、copyさせる事とは違う。
歌の場合には、(・・というか、音を作る作音楽器の人達の場合には)言語の発音の違いから、全ての日本人に共通するEuropa人達との発声法の根本的な違いがあって、同じ日本人が、Europaで活躍している時には、全く問題の無い発声法をしているのに、日本に帰国して1年も経たない内に、日本独特の発声法に変化してしまうのだが、日本人であるが故に、誰もそれを気付かないのだよ。
これは以前もFacebookに同じ事を書いた覚えがあるのだが、探しても見当たらないので、已む無く、また、同じ事を書いてしまう。
以前、椎名町の事務所に夜の食事に行った時に、テレビからDisneyのアニメの映画なのだろうか??それとも実写版だったのだろうか??今となっては、もう覚えてはいないのだが、美女と野獣の歌が、日本語で流れていた。
気にせずに、食事の準備をしていたのだが、10分程経って、どうしても気持ちが悪くなって来て、channelを変えようかとも思ったのだが、他のchannelでは聴くに堪え得る番組が無かったので、已む無くDisneyのchannelに戻した。
ふと、英語のchannelならばoriginalの演奏をしているハズだが・・と気が付いて、channelをsubの音声にして、字幕にしたら、大当りで、originalの歌声が聴こえて来た。
歌声が民謡調の浪花節調の歌声ではなくて、musical本来の発声法に戻って、安心して聴く事が出来た。
・・でも殆どの日本人の視聴者は、この表現の違いを、発音の違いではなくて、歌の演奏技術の問題として、捉えているのだろうな??・・と思ったら、結構、複雑な心境になってしまったのだよ。
日本人には分からない、欧米人との根本的な音楽の演奏の違いなのだからね??
Violinを指導していても、私の手を離れて、1,2年も経つと、殆どの生徒達が、日本独特の演奏法に変わって行くのだから、困った事なのだよ。
日本の音楽界に居ると、日本人の風土として、それが当たり前なのだから、誰も気付かないのだよな??
日本人の歌声の場合には、美女と野獣を、10分、聴いていても、船酔いして、気持ちが悪くなって来るのだがねぇ??
これは、言葉の問題なのだが、それとは違って、発声法自体の問題もある。
それは日本人に特有の、「喉を締める」という発声法なのだ。
私の祖母が日本のOpera歌手の歌声を「『鶏が首をちょん切られる前の声』でたまらん❢❢」と表現したその声である。
高温多湿の国で、しかも、竹と紙で作られた国である日本の風土では、Europaのような乾燥した石で作られた家での発声法であるkonsonanzの発声法とは根本的に違う。
日本の笛等にも、その違いは明らかであって、歌口から喉にあたる部分が狭くなって、空気が圧迫されて鋭い強い音が出るように細工されているのだよ。
湿度の高い日本の国では、そういった鋭い音が闇夜を切り裂くように鳴るのを良しとする傾向がある。
耳をつんざく法螺貝の音、然りである。
Europaの人達にとって、最も耐え難い発声法は、わざと喉を潰して締め上げて発声する浪花節である。
Genzmer師匠は歌舞伎迄は問題は無いのだが、浪花節だけは無理❢❢とか、言っていた。
更に、輪を掛けて、問題なのは、右脳国民である日本人のnoiseに関する感性なのだよ。世界の中で、日本人だけが、noiseを言語野のある右脳で感じ取るのだよな??
その為に、木の葉ズレの音や、池に蛙が飛び込む音を言葉と同じに、心象として心地良く捉えるのだよな??
しかし、Europaの人達に取っては、木の葉ズレの音や池に蛙が飛び込む音は、他のnoiseの音と同じに左脳で感じるのだよ。だから、そういった雑音はnoiseに過ぎないのだ。
俳諧の世界では、noiseは幽幻を表していて、哲学的にも非常に優れたものであろうが、音楽ではnoiseの違いは致命的になってしまう。
つまり、pedalで和音が濁っても、それを聞き取れない日本人pianistが、非常に多いのだよ。
日本人のpedalの多用は、noiseに対しての感性の鈍さから来ているのだよ。
教室で私が指導しなくなって、2,3年も経つと、あれ程、音に対して敏感だった生徒達が、和音の濁りを意識しないでpedalingをして来るのだよ。
日本の音楽concoursですら、Bach等のpolyphonyの音楽を演奏する時に、legatoをpedalで誤魔化し弾きをして、それで、ちゃんと入賞したりするのだ。
そういった誤魔化し弾きは、Europaでは絶対に認められない弾き方なのだが、日本では、それが普通の演奏であり、proですら日常的にKoncert等でその弾き方で演奏しているのだよな??
周りに、そういった演奏が当たり前の世界なのだから、致し方は無いのだョ。
少々、和音が濁ったぐらいの方が、日本人には心地良いのかも知れないよな??
でも、PipeorganやCembaloには、そういった誤魔化し弾きの出来るpedalは付いていないのだよ。
まあ、Keyboardの音色のCembaloならば、pedalも出来るかも知れないのだが、本物のCembaloには、そういったpedalは無いのだから、そういった誤魔化し弾きは不可能なのだがね??
7月11日家庭菜園 ·
椎名町の裏庭で採れたミョウガと、玄関先のキュウリとゴウヤです。
7月12日homepageが無くなっていた ·
今日は7月の12日の水曜日です。
な、な、な、なんと、今の練馬区の気温は38.6℃で、体感温度は40℃だそうです❢
今現在の気温がですよ❢
病院が無いので、今日は珍しく何も無い日だったので、珍しく「のんびりとしようかな??」と思っていたのですが、「芦塚先生のお部屋」のindexからFacebookが全く開かなくなっていたのに気が付いて、homepageをcheckしていたら、ハイツのパソコンの芦塚音楽研究所のhomepageが全く消えていて、見つからなくなってしまっていました。
超、Shockです。
・・という事なので、逆にnet上から芦塚音楽研究所のPageを探したのですが、見つからないので、パソコンの中を探してみたら、とんでもないPageに飛んでいたので、元に戻して、homepagebuilderでuploadをし直したのですが、古いversionのindexのPageしか開かなくて、相変わらず、Facebookにはlinkが張られていません。
homepageには新しいProviderのaddressを入力しているのですが、開くのは、今は亡きyahoogeocitiesのsiteが開いてしまうのですよ。
困ったもんだ❢❢
成す術も無くなってしまいました。
homepagebuilder上では、Facebookは開くので、netとの兼ね合いが問題だと言う事で、ありとあらゆるnetの設定を片っ端から試して見て、uploadが出来ているURLを見つけて、他のlinkも同じURLからの設定に直しました。
兎に角、yahoogeocitiesのsiteを見つけて、削除しまくっているのですよ。
とうの昔に一度は削除したハズのaddressなのですが、どうして復活してしまったのかは謎です。
最後にFacebook9が見つからないので、開いたFacebookのURLの数字だけを書き換えて、uploadさせて、linkを張り直しました。
・・てな事を簡単に言っているのだけど、homepageをCloudにuploadするだけで、10分、15分の時間がぶっ飛んでしまいます。
・・という事で朝の9時からstartして、お昼の2時にやっと修正が終わりました。
なんと、5時間もloss-timeをしてしまったのだよな??
homepageは全く不安定で困ります。
Facebook9を開くようにしたのですが、templateだけで、入力したハズの1月から5月迄のFacebookの中身が全部ぶっ飛んでしまっていました。
色々と他のPageからaccessして見たのですが、やはり全くぶっ飛んでしまっていて、1月から5月迄の入力したPageはとうとう、見つかりませんでした。
超、Shockです。
1月からの今年、半年分を入れなければなりません。
これはひと月掛かりの大変な作業だ❢❢❢❢
忍耐力testのような単純な作業になってしまうのだよ。
またまた、根性と忍耐力が試されてしまうのだよな??
まあ、少しでも作業を減らせれば?という事で、1月分のFacebookの入力をしてしまいました。
indexを付けないで、文章と写真だけをHome Pageに貼り付けるだけならば、結構早く出来るようなので、後で、ゆっくりと、時間のある時にindexを付ける事にして、1月分を一気に貼り付けてしまいました。
時間になったので、椎名町に食事に行って、ドル・プリっ歩をこの熱帯夜の中を頑張って行った。
帰りはcinderella-timeを過ぎていたのだけど、汗を搔いて気持ちが悪くなったので、showerを浴びたのは良いのだが、温度設定を最低にしても、それでも熱くて大変だった。夜だから、適温になる・・と思ったのだが・・??
取り敢えずには、5月分迄一気に貼り付けると良いのかな??
勢いで、showerの前に、3月分も入力をしてしまった。
7月13日homepageのお引越し作業をやった ·
昨日の夜の天気予報がハズレた❢
朝の7時にtoilette-timeに起きて見たら、昨日の晩のテレビでは、今日は晴れのハズが、練馬では雨が降っているのだよ❢
たったの6時間後の天気も当てられないのかね?
莫大な税金を当てても、当たらなければ、無意味な無駄金なのだがね〜ぇ?
それとも、午前中は兎も角として、一日の的中率は・・・とでも言うのかな??(そうなると、弁証法の世界だなや??)
今は7月13日の木曜日のお昼の2時です。
昨日からFacebookのhomepageへのお引越しの作業をしていたのですが、とうとう勢い余って、6ヵ月分迄の半年分のお引越し作業を終わらせてしまいました。
・・とは言っても、indexを付けて探し易くしたのではなくて、只単に、Facebookをhomepageに貼り付けただけの作業なのですが、それでも結構な量のPageがあります。
半年分のお引越しを2日でやってしまうとは、結構、Hardな二日間だったのだよな??
後は、のんびりとindex付けをして行けば良いのだがね??
とか言っている間に、indexを付ける作業を1月分と2月分の2ヵ月分も、やってしまいました。
勿論、その2ヵ月分に関しては、読み易いように、句読点を付けて、改行をし直す作業も一緒にしました。
7月15日酔っぱらいに絡まれた ·
今日は7月の15日の土曜日です。
Facebook9の半年分のhomepageへのお引越しのindexを付ける作業が終わりました。
読みやすくする為の、細かい改行作業はあるけれど、後は、気長に作業をする事にして、取り敢えずのFacebookのhomepageへのお引越し作業は終わりにします。
3日間、いやあ、大変だった❢❢
今日はドル・プリっ歩中に北の誉の前で、酔っぱらいに絡まれてしまった。
余りにも、しつこく絡んで来るので、切れる一歩手間だった。
相手が突然矛先を収めたので、事なきを得たが・・
危うく、手を出す寸前で終わった。
犬のお散歩が傷害事件にならなくて良かった❢❢
怒り心頭から、次の日になって、少し冷静になって、反省をしたのだが、例え、どんな罵詈雑言で言葉の暴力を浴びたとしても、先に手を出しては、ダメだよなぁ?
しかしながら、老人が若者達と戦ったとして、最初の一発を喰らったら、反撃は無理だよな??やはり、専守防衛しか、若者達と戦う方法しか無いのだよ。老人に反撃能力は無いのだから、最初に完膚なきまでに反撃出来ない所迄、叩かないと行けないのだが、それでは過剰防衛になってしまうのだよ。
幾ら老人が戦ったとしても、法律的には、専守防衛は不利なのだよ。
専守防衛は、やはり、国際問題ではなくて、日常的社会においても、何かと、問題が多いのだよ。
そうは言っても、弱小国の場合には、反撃能力はないからねぇ?
これは困った問題だよなぁ?
台湾の後には、尖閣諸島があるし、北方四島もあるのだからね??
けして対岸の火事では無いのだよ。
中国が言っているのは、2027年の問題なのだよ。
7月16日オケ練習の集まりが悪いので・・ ·
今日は7月16日の日曜日の、今は11時・・なのだけど、先週に引き続いて、今週もオケのmemberの集まりが悪くて、午前中のlessonを除いたら、千野家だけだったので、オケ練習はいつものように、自主練習にして、瑞希ちゃんのlessonは、東京に移動して、ハイツでやる事にして、今回もニャンコ号の千葉への移動はしない事にしました。
・・という事で、私のオケ練習の指導は自動消滅になってしまい、当然、私の千葉への移動はなくなってしまいました。
・・という変更で、午前中は、ハイツの部屋で、homepageにお引越しを済ませたFacebookの文章を、layoutを修正して、読み易くしました。(大体、修正は終わったぞぃ❢❢)
Facebookに入力する時にも、或る程度は読み易いように入力するように、layoutは、一応は、気を付けているのですが、homepageに貼り付ける段階で、文字が全部、詰められてしまって、改行の無い、真っ黒の文字列になってしまうのですよ。
改行された状態のままの映像として入れると、後で弄る事が出来なくなってしまうので、已む無くText形式で入れるので、それを元のように戻すのに、ひと手間が掛かってしまうのです。
lessonの前に、showerで髪を洗おうと思ったのだが、疲れが出て、椅子に座ったままで眠り始めたので、後のlesson迄には、一時間しか無かったのだが、体力が持たないので、已む無くベッドで仮眠をする事にした。
ほんの10分かに20分仮眠をしただけなのだが、超realな夢を見て、慌てて起きたのだが、携帯を落とした事とか、半分は本当だった。
お洒落な一軒家のlesson室で、斉藤先生と瑞希がlessonに来るのを待っていて、ピンポンが聴こえたので、扉のrockを開けて、慌てて、部屋に戻って服を着ようとして、携帯をbedの後ろに落とす夢だったのだけど、携帯を落とす所は本当だったのだよ??
実際に、瑞希達が到着する迄には、後、未だ10分以上はあったのだよ。
ほんの20分程度の仮眠だったのだよ。
lessonは、伴奏者がいないので、私が伴奏を弾きながら、lessonをしたのだが、楽譜に届く灯りが暗くて音符がよく見えない以上に、legendの楽譜は手書き譜なので、音符が小さくて、細かい和音が全く見えないのだよ❢❢
violaの譜面ではなくて、Violinの伴奏譜でも良いから、ちゃんとした音符の楽譜が欲しいよな??
lessonの時間自体はいつもの通りなのだが、間に千葉から東京への移動の為の、2時間程のtimelagの時間が入ったので、その分、lessonの終わる時間が遅くなってしまった上に、親のお迎えが遅くなってしまったのだけど、その分、lessonでは出来ない練習方法に付いての雑談等のお喋りを、パソコンのMonitorで実際の演奏を見ながら出来て良かったのだ。
当然、椎名町での食事の時間も遅くなってしまったのだが、ドルプリのお散歩をpasしたので、ハイツに戻る時間は、いつもと変わらない時間だったのだよ。
しかし、lessonが終わってから、明日は運転の講習があるのを思い出した。
一番炎天下の時間帯にbikeでの移動をしなければならない。
大きな道を避けて、いつもの光が丘病院に行く道から行くと、比較的には、bikeでも安全な道になるので、ナビは、自動車道路なので、通常は表示されない道なのだが、そのCourseを走る事にする。慣れた道だしね。
寝る前には、持って行く書類の準備は、出来たのだが、入れて行くrucksackが帯襷で、思い付かないのだよ。
入れる書類は大きな封筒が一つだけで、後は全部小物なので、楽器店の楽譜を入れるビニール袋でも良いのだが、そういった雑多の物は、ハイツには一つも置いていないし・・ねぇ??
これは困ったぞ❢
鼻詰りが酷くなってしまって、眠れなくなってしまったので、showerを浴びて髪の毛を洗ったのだが、お湯の温度設定を一番最弱に設定しても、熱くて困ってしまうのだよ。お昼は水を出しても、お湯が出るし・・ね??
貯水槽が屋上にあるから、仕方がないのだけどね~ぇ??
夏の時期はお湯が使えないので、困ってしまうのだよ。
かと言っても、水だけならば、温かいとは言っても、やはり、冷たいので、困ってしまうのだよな。
showerの微妙な温度調節が出来ないのですよ❢
7月18日昨日は高齢者講習がありました。 ·
今は7月18日の朝の7時なのですが、気温は既に30℃を超えて、体感温度はもう31℃です。もう既に暑い❢❢
今日は35℃迄、上昇する予定だそうです。
昨日の17日の月曜日は、お昼過ぎの2時半から高齢者講習がありました。
午前中はhomepage上のFacebookの文章のlayoutの変更の作業をしていたのですが、大体は終了したので、講習会場となる自動車教習所迄の道のりをNaviを頼りに、1時間前にハイツを出発しました。
半袖でbikeで行ったのだけど、腕が焼けて痛かったのだよ。長袖のカーディガンが必要だったかも知れないね??
目の検査はマスクをしていたので、メガネやレンズが曇って、よく見えなかったのだ。「マスクを取ってからの方が良かったかも」・・と、後で言われたのだけど、まあ、仕方がないよな??
実技は、初めて段差にChallengeした。教室の車とpowerが違って、乗用車なので、非常にゆっくりとした速度でも段差を乗り上げる事が出来るので、簡単だった。自分の車ならば、そうは行かない。或る程度は吹かさないと、段差は乗り上げる事は出来無いのだよ。
そこは、2800ccの泣き所だよな??坂道でも速度がdownするし・・ネ??
2時間の講習だったので、4時半ピッタリに終わって、教習所を出発したのは、5時直前だった。30分程、Navi通りに走って、6時直前にハイツに戻って来た。
汗を搔いたので、showerを浴びたかったのだが、椅子に座ったままで、後片付けも出来ないままに、呆けてしまった。
2時間近く、椅子の上で、呆然としていたのだが、8時頃になって、慌ててbedに行って、ちゃんと眠る事にした。
今日は流石に、ドル・プリのお散歩はpassする事にして、10時過ぎに、食事だけに椎名町に出掛けた。
という事なので、当然、ハイツへの帰着はcinderella-timeを過ぎて、1時近くになっていた。
持ち帰った食料品を冷蔵庫に収めないと行けないのだが、それだけの余力が無くなっていたので、toilette-timeの度に、少しづつ、冷蔵庫に片付ける事にした。
まあ、朝迄に、何とか出来れば良い・・という事で・・ネ。。
・・とここまでが17日の月曜日のお話だよな??
7月18日今日はRehabili-dayです。 ·
今は7月18日の朝の11時を過ぎた所です。
8時頃からbedで爆睡していたハズなのですが、変な夢を見て、目が覚めてしまいました。Christmas会の人形劇の中で、諸人こぞりてを幼稚園児達が歌う場面で、子供達全員が歌詞を忘れて歌えなくなるsceneなのですよ。
親や先生達にhelpを頼んでも、誰一人として、歌詞を覚えていないのです。
外人の牧師さんが英語の絵本のcardを持って来てくれたのですが、それがmelodieに当て嵌まらないのですよ。
強引に即興で作って、何とか辻褄を合わせて、終わらせる所で、目が覚めました。
いやあ、焦ったよな??
一体何がtraumaになっているのだ??
今日は、本当は月曜日がRehabili-dayなのだけど、高齢者講習が入ったので、私的には火曜日の今日の方がRehabili-dayになります。
予定は何も入っていないのだけど、Cembaloの練習に来る人がいるので、朝は一応、軽く部屋に掃除機を掛けました。
とは言っても、handy掃除機のこまめちゃんで軽く掃除をしただけだけど、それでも、体調が戻っていない私に取っては、結構重労働になってしまうのだよ。
4feetの狂いが酷いので、毎回、4feetだけは、調律した方が良いのだけど、今回は、体調不良という事で、勘弁させて貰おう。
今日は濃茶が終わって、全く無いので、温かい紅茶しか飲み物が無いよな??
7月20日今日は玄関の扉の交換があります。 ·
今は7月20日の木曜日の朝の8時を過ぎた所です。
朝は6時近くに寝たので、、one‐coolの2時間程しか眠っていないのですが、今日は玄関の扉の交換の工事があるので、已む無く起き出して、工事の人達が来るのを待っている所なのです。
工事で何時も、最も困る事は、予定の時間が午前中と言う事なのだよ。
午前中とは、基本的には朝の9時からお昼の12時迄なので、3時間のintervalがあるのだよ。最初にやってくれるのか、それとも最後に回されるのかは、聞いても「工事の進捗状況次第」としか言われない事が多いので、ダラダラと待っていなければならない事が多いので、今日のように、睡眠不足の時には、全く、困ってしまうのだよ。
深夜遅く迄、というか、明け方迄仕事をしている事も多いので、昼夜逆転の生活になっている事もよくあるからなのだよ。
玄関の扉には、長い靴べらや忘れ物のcheckの一覧を書いたPepper状の磁石のmattや、細々とした物が貼り付けてあったので、それを取り敢えずはdoorから剥がす作業を椎名町から帰ってからやりました。
勿論、それが寝逸れた原因では無いのですが、何となく寝逸れてしまって、6時頃の入眠になってしまったのです。
今日は、午後からはlessonもあるし、その後も、色々と仕事を熟さないといけないので、工事が終わったら、午前中の内に、後、もう、one‐coolだけでも、眠っておかなければなりません。
入眠障害の私としては、眠らなければならない時に、ちゃんと眠れるか??という事は難しい事なのだけどね~ぇ??
今は9時40分になった所です。
工事が始まりそうに無い・・という事は、順番が最後になった・・という事かな??そうだとすると、無駄に3時間も待たなければならないのだがねぇ??
1時間経った。うんともすんともなのだよ。ハイツは静まり返っているのだよ。工事の始まった音がしないのだ。
ちょうど、11時になる所だが、やっとknockの音がして、工事が始まった。
12時を過ぎた所だが、工事が未だ、終わらない。
12時20分だ。今工事が終わった。
バタンと音がしなくて、静かに閉まるし、Doubleの錠になった。
miwa錠よりも複雑なkeyになった。
なかなかお洒落で、高級感がある。
工事が終わったので、仮眠をしようと思ったのだが、lineのmailの返事や、その他の雑用が忙しくて、結局の所、lessonが始まる迄には、眠れなかった。
lessonはKoncertのprogramを総checkするので、曲が多過ぎて、毎回全部は見切れないのだが、それぞれの曲をNiveau迄作らないといけないので、致し方は無い。
lessonが終わって遣り掛けの作業をしていたら、今日は食事の時間が遅いので、作業を優先していたら、食い逸れてしまった。
冷蔵庫に辛うじて残っている残飯を取り敢えずは食って、お茶を濁した。
次の日は、朝の9時から帯状疱疹ワクチンの接種があるのだが、冷蔵庫は空っぽで、食い物が全く無い。
帰り道で、何か買って帰るか??
村田 晟
睡眠は大切で~す‼・・・まあ私の睡眠時間も短いので声を大きくしては言えない状態ですけど・・・大切で~す‼🌺
返信する
24週間
芦塚 陽二
いやあ、11時から12時半迄の工事だったけれど、やっと終わりました。
これからlessonの開始時間まで仮眠をします。今日は小刻みにone‐coolづつ眠って行く予定です。眠れたら・・の話ですが・・
7月21日『帯状疱疹ワクチンの接種日です。』 ·
今日は7月の21日の金曜日の朝の9時半になる所です。
9時からの予約の帯状疱疹ワクチンの接種に行って来た所です。
対面の駅近の病院なので、歩きで5分の距離の新しい出来たての病院です。
最初は全く気が付かなかったのですが、先生や看護師、事務員もう含めて全員が女性でした。でも、子供や女性科では無くて、一般の糖尿病内科だそうです。
昨年のコロナのワクチンの接種の時に、予約無しでワクチンを打ってくれる所の病院を探した時に、netに引っ掛かった病院で、昨年は、それこそ、本当に出来てホヤホヤの病院でした。・・何日前の開業・・という感じの・・・
(駅前に病院だけのビルが建ったのですよ。歯医者や子供Clinic等々の・・)
初めての不活化ワクチンは、2回に分けて接種するそうで、取り敢えずの1回目なのだけど、結構、強い薬で、帰りの道は、足元がフラフラしました。
今日は夕方からは発熱の予定で、入浴と飲酒と激しい運動は禁止だそうです。
2回目は9月の21日の予定です。
さて、朝は8時起きで、時間ギリギリ迄、Vitaliの positive organ versionの楽譜の修正の作業をした。
15分前には、部屋を出発して、ワクチンの接種を済ませて、9時半には、部屋に戻って来たのだが、勿論、冷蔵庫には何も入っていない。
コンビニかスーパーで何か買って帰る予定だったのだが、足元がおぼつかないので、何処にも寄らないで、急いでハイツに戻って来た。
という事で、食い物が全く無いのだが、どうすんべ??
ワクチンの副作用は、接種当日は全くなんともなかったのですが、次の日の朝からは、微熱が出て、体調不良になりました。
7月22日『baroque・Koncertで使用する positive organ のお話』 ·
教室のPipeorganである positive organ を作ったのは全くの偶然でありました。
このPipe-organを制作したのは、もう50年以上も前の事でした。
音楽留学から日本に帰国して、暫くの間は、色々な大学の講師をしていましたが、当時は、趣味的に私の個人的な弟子達を集めて、solo・cantataを、色々なCatholicやProtestantの教会(Protestantの場合には、教会とは言わないのでしょうが・・、便宜上ですが・・)で、出張演奏をして回っていました。
編成はQuartettにKontrabassを加えて、Organ奏者が一人と、人数が足りない時には、私がViolaを担当したりして、色々な作曲家のsolo・cantataを演奏して回っていました。
今から半世紀も前の時代には、Catholicの教会や音楽大学ですら、Pipeorganを所有する所は、非常に稀で、日本国中ですら、数台のPipeorganしか無い時代でした。
未だ、ヤマハ等でもOrgan仕様の電子Organは存在しなくて、僅かに、黒田Organが、電子Organを制作していて、お金持ちのProtestantの教会が所有するぐらいが、唯一のPipeorganだった頃のお話です。
半世紀も前の、私が東京で色々な音楽活動を始めたばかりの頃のお話なのですが、当時は、私の兄の家が板橋区にあったので、その家を借りて、近所の保護者の人の了解を得て、「lessonの内容は私がcheckをして、指導をするから」・・と言う条件で、未だ、中学生であった頃の私の生徒に、子供の指導の練習台になってくれる事をお願いしていました。
そうした事もあって、私の生徒達を引き連れて、兄の家を訪問していたのですが、私の生徒が自転車でlessonに通っている・・と言う話を聞いて、面白半分に、兄の家から江古田の教室迄、「歩いて散歩をしながら、帰ろう」という事になって、見知らぬ道を、なんとなく散歩がてらに歩いて帰っている途中で、Pipeorganの工房を見つけました。
それこそ、面白半分に工房を見学させて貰った次いでに、工房の弟子の人達と色々と、お話が出来て、日本中の教会にそれこそ、黒田Organを納品している・・と言うお話を聞いて、私は、「本物のPipeorganの音を一般にも聴かせたい」と思い立って、私は、「ミニバン(ステーションワゴン)※)で運べるPipeorganがあったら良いのに」・・というお話をして、「日本では、未だ、cantata等で演奏する positive organ の概念が無い」事を力説しました。未だ、当時の理解は positive organ とは、Pipeorganの極小のOrganという理解しかされていなかった時代に、baroque-Violinや、baroque-orchestraのbasso continuoのOrganという理解をさせる事は、非常に困難でしたが・・、まあ、それも已むを得ない時代であったのですよ。
※)oneBoxCarは、未だ当時はありませんでした。一般のワゴン車は、ステーションワゴンが一番一般的だったのですよ。
工房の若い人達が、私の話に、非常に興味を持ってくれて、社長にそのお話をしてくれて、社長からは「pipeはドイツのJ. Klais社のpipeになるので、そのpipeの実費を出してくれれば、組み立て等はidea料として作ってやる」というお話にトントン拍子にお話がまとまってしまいました。
ideaと言うか、個人でも楽器を運べるように、非常に重量のある低音の7本のpipeを、本体の鞴(ふいご・Organでは肺とも言います)と、二つの3本と4本のpipeの部分に分離をして、足台を外す事も出来るようにして、東日本と西日本の電圧に対応出来るように、空気の圧力を弁で調整出来るようにしました。
また、究極的なideaとしては、当時、私が科学技術庁の冊子に書いた理論気柱のお話をして、管を閉管にする事で、pipeの長さを半分にして、keyを8feetになるようにしました。
閉管にしなければ、今、教室にある positive organ の倍の大きさのpipeになったからなのですよ。(keyとpitchが同じになるように工夫を凝らしたのです。閉管にしなければ、costも大きさや重さも今の倍になった事でしょうか??音色は少し犠牲になっているので、教室以外で閉管のPipeorganを見た事は無いのですがね??)
そういった、私のideaは約、30項目に及び、社長自ら、工房の人達を巻き込んで、愉快な世界初の冒険的なprojectになったと思います。
但し、今であれば、残念な事が二つあって、その一つは、3っつに分かれたとしても、女性が運ぶには、「持ち手」が必要だった・・と言う事と、その当時は、未だ、period instrumentsが世界的に無い時代だったので、pitchは国際標準pitchである440を踏襲する事にした事でした。(演奏会用pitchも無かった時代のお話です。)
まあ、教室を作ってからは、子供達の演奏ではbaroque・pitchは有り得ないので、今、こんにちでも、443の演奏会pitchと、baroque-pitchの318と、slide鍵盤の418の色々なpitchで演奏せざるを得ないので、それが国際標準pitchである440でも、別に問題は無いのですが・・、それに対して、持ち手が無い事は致命的でした。
でも、黒田Organの若い人達は一人で本体部分を持ってしまうのですよ。流石は、餅は餅屋なのですよね??
教室を開いたばかりの頃は、教室のCembaloはspinetだったので、基本的には古典楽器センターから2段鍵盤の貸し出し用のCembaloを借りて発表会に臨んでいました。
という事で、この positive organ を発表会場に持って行く事もあったのですが、CembaloとPipeorganの両方を会場に持って行くのは、流石に負担が大きいので、教室に置きっ放しで、mini・salon・Koncertに限定して演奏されるようになってしまい、一般の人達の目に触れる回数も極端に減ってしまいました。
毎回の発表会で、2段鍵盤のCembaloを借りるのは、発表会の経費的にとても大変だったし、頻繁に演奏活動を続けていたので、「自分達で演奏会場に持ち運べるCembaloを❢❢」という事で、その内に、1段鍵盤ではありますが、通常の1段2列の8feetと4feetではなくて、orchestraのcontinuoのCembaloとしての音量対策の必要性から、8feet、8feetの2列の、Ruckers‐modelのCembaloを古典楽器センターの佐藤さんに制作して貰いました。
Cembaloの音楽表現という意味では、古式豊かな8feetと4feetの方が、Cembaloに色が出て良いのですが、音量的には8,8の方が圧倒的に良いのでね??
それから更に、 positive organ は、花園教室の白Pianoの部屋に長い間置かれていて、一般的に生徒さん達の目に触れなくなって、更に、京成検見川教室にお引越しをしてからは、一般の人達の目に触れる事は、全く無くなってしまいました。
花園教室の建て替えで、突然、教室をお引越しする事になってしまい、新しい南花園に教室をお引越しする事になったのですが、その教室での2階のsalonの広さ自体は、京成検見川の教室とは大きさは余り変わらないのですが、新しい教室の使い手が、京成検見川教室よりも、とても良いので、baroque・salon・Koncertを積極的に開催する事が出来るようになりました。
折角の機会を得たので、積極的にこの positive organ の演奏をしてPipeorganでの演奏とCembaloの演奏の違いを表現していきたいと思っています。
『positive organ に付いて』
このPipeorganを制作した頃は、未だ、 positive organ という概念が日本には無くて、orchestraや、soloのOrganの伴奏と言ったら、教会のPipeorganで伴奏するだけだ・・と、思い込んでいる人達が殆どでした。
baroque・orchestraでのVivaldiの演奏だとしても、baroque・orchestraの人数はI Musici程度の人数(12名ぐらいから最大でも20名弱)がorthodoxな編成なのですよ。
教室では八千代のコンサートでは、彼の有名なVivaldi a moll Op.3Nr.6を8名の人数で演奏していますが、多分、これが、orchestraとしての最小人数でしょうか??
(参考までに:)
https://www.youtube.com/watch?v=L0w6o5jBLIQ
これぐらいの編成だとすると、PipeorganでVivaldiのorchestraのbasso continuoを演奏する事は無理になります。
ましてや、baroque・Violinのsoloの伴奏は、教会に置いてあるPipeorganでは、音色を合わせたとしても、音量的には無理があるのですよ。
やはり、baroque時代のsoloの伴奏やorchestraのbasso continuoの為には、足鍵盤無しの音量の弱い、 positive organ が必要になるのです。
また、baroque時代の会場の大きさは、宮廷にあるKoncert会場から想定すると、300席が限界だと思われます。つまり、今では文化会館等の小Hallである500席でも、baroque音楽の演奏には大き過ぎるのです。
現代のorchestraは19世紀の始めに、音量が出るように改良された楽器で演奏されるので、baroque時代のorchestraとは、音量が桁違いに違いますが、そういった大音量を持つ曲で、例えば、Saint-SaënsのSymphonieのように、fullorchestraの大音量を演奏したとしても、Pipeorganがその気になって、fullstopで演奏したとしたら、orchestraの音量を潰してしまう事が出来るでしょう。
それぐらいに、Pipeorganの音量は圧倒的な力があります。
『OrganやCembalo等のarticulationに付いて』
PipeorganやCembaloは音量の強弱を付ける為に、2段鍵盤や3段鍵盤の楽器があります。octave上の音を出すのは、然程ではありませんが、PipeorganやCembaloでpedal付きの16feetでは、等比級数的にpipeや弦の長さが長くなって大変なのです。
という事で、baroque時代の positive organ は大きいtypeでも、2段3列の8,8,4feetが一般的で、教会等の場所を選ばない楽器だけが、足鍵盤の16feetと持っていました。(baroque時代の作曲家がorchestraのcontinuoのpartを、足鍵盤用に書いた記録はありませんがね??)
という事なので、continuo-Organとしては、1鍵盤1列の8feetのみで充分なのですが、一般的な音楽家達にはそういった歴史的背景はなかなか、理解して貰えないようです。
CembaloやPipeorganでは、音量と音色の違いを鍵盤で表現しますが、細かいforteやPianoの音量は、和音の音量(声部の数)で弾き表します。また、拍頭を表わす音や、終止を表わす音、或いは、melodieのclimaxを表わす音も、装飾音(ornament)で表現します。
という事で、今回のbaroque-Koncertで演奏する(というか、本邦初演となる)、Tomaso Antonio Vitaliの写本に拠る positive organ 用に作曲されたOrgan-partでも、強弱の変化を2声部から4声部以上のharmonyを使用して、作曲されています。
急遽的な書法としては、ritardandoを音符の数で表現する場所や、recitativoのように自由に歌うsenza di tempoの箇所もornamentの音符の数で表現している所もあります。
勿論、baroque時代の演奏法の常なので、当然、Vivaldi等の他の作曲家達にも見受けられる作曲法なのですがね??
7月24日『ritornello形式についてのこもごもと、夏のⅠ楽章のたった一箇所だけ出て来る低弦楽器の飛び出しのお話』 ·
今日は7月の23日の日曜日の深夜の24時10分になった所です。
今、二週間振りに、千葉のオケ練習に出かけて、瑞希ちゃんと智子さんのlessonをしてから、椎名町経由で、ハイツに戻って来た所なのです。二週間・・という意味は、オケのmemberの集まりが悪くて、オケ練習にならなくて、Pult練習しか出来なかったので、私が千葉に移動するのも、無意味だ・・という事で、必然的にお休みになってしまったからなのですよ。
今日の日曜日は、30日のお楽しみ会の前の、最後の練習になるので、必然的に、千葉へ行かなければなりませんでした。
・・という事なので、お楽しみ会での演奏の曲を優先的に練習をしました。orchestraは、当然、VivaldiのLe Quattro StagioniからL’Estateの練習です。勿論、lessonもお楽しみ会で演奏をする曲だけのlessonになってしまいました。
恙無くlessonが終わって、東京へ帰る段になって、「今日のpech!」と言うか、「今日の大ドジ」は、orchestraのscoreとsoloの伴奏譜を入れたrucksackを千葉の教室に忘れて来てしまった事でした。
今日は、VivaldiのL’EstateのⅠ楽章に、1回だけ出て来る低弦楽器(CelloとKontrabassとCembalo)のお話をしようと思っていたのだが、scoreが無いと、その箇所の細かい小節番号等が分からないので、困ってしまうのだよ。
今日、と言うか、明日の月曜日は南花園新教室のlessonはお休みだしね??
手元にrucksackが届くのは、早くても水曜日の深夜になってしまうのだよ。まあ、そこまでは、論文をupするのは、とても待てないし・・ネ??
『ritornello形式について』
ritornello形式は、日本語では「循環形式」と呼ばれていて、baroque時代に発達したorchestraのthemaとsoloのpartが交互に演奏される演奏形式なのだが、一般的な作曲家のritornelloの形式で作曲をする場合には、反復されるorchestraのthemaの部分は、全く単純なorchestraの演奏の繰り返し・・が一般的なのである。
しかし、唯一の例外であるVivaldiのritornelloの場合には、繰り返されるorchestraのthemaが、繰り返される毎に、変形されているのだ。
「何故、こう言った問題を提起するのか??」・・と言うと、そもそも、こう言ったritornelloの循環形式が発達して来たのには、毎週、2,3曲は作曲をしなければならない作曲家の、已むに已まれない促成の作曲法であった事は勿論なのだが、作曲家の問題とは別に、雇う側の、当時の宮廷の経済的な諸事情があったのだよ。
例え、国としての機能を持つ程の超大国の宮廷であったとしても、表面的な華やかとは違って、台所事情は結構、厳しいものがあって、大きな宮廷になれば、成程、必然的に、必要性の薄い所から、節約をしたのだよ。
その典型的な所が、eventの時にしか必要の無いorchestra要員である。
必要なeventの時にしか必要の無いorchestra要員を普段に雇う事は、一番の経済的な無駄であったからなのだよ。
難しい技術を必要とする、ritornelloのsoliの部分で必要な人材は、曲とsolo-Violin(或いはsolo-Celloとか・・)と通奏低音を演奏する低弦楽器(Baß-gamba、若しくはCello)と和音を司るCembaloの3人が居れば普段に練習が出来て、問題は無いのである。
曲を作曲する作曲家は当然、Violinは当然の事、Cembaloも演奏が出来るので、宮廷が雇う演奏家としては、後は2人も居れば、充分なので、後のorchestra要員は、近郷の音楽家達を当日だけextraで雇えば良いのだよ。そうすれば、宮廷のorchestra要員に対しての出費は最低限で済むのだよ。
当然、soloのpartは作曲家本人が弾く事が多いので、演奏技術的には、幾ら難しくても構わないのだが、当日、集まったorchestraの人達はそうは行かない。何故ならば、当時は、その都度、作曲家が新しい曲を提供して、その新曲をorchestraの要員は演奏しなければならなかった、からなのだよ。
曰く、常に、新曲を初見同様に、演奏しなければならなかったのだよ。
という事で、作曲の促成術が産み出されて来るのだ。
日雇いのorchestra要員は、ritornelloの最初のthemaだけを練習して、後は本番・・で、完璧に演奏出来なければならないのだよ。
・・という事なので、最大の安全策として、最初のthemaを何度も繰り返し演奏したのだよ。それがritornello形式なのだ。
まあ、安全策とは言っても、せいぜい、調を変えたり、長調が短調に変わったり・・ぐらいの変化をさせる範囲にして置くと、演奏をする側に取っては、然程、難しい事では無いのだよ。
という事で、baroque時代の作曲様式として、ritornello形式が産まれたのだが、まあ、そういう事で、一般的には、それぐらいthemaの変化も無い曲の方が、baroque時代の作曲様式としては、殆どの曲がそういった様式で作曲されたのだよ。
しかし、唯一、Vivaldiの場合だけは違う。
ritornelloの繰り返し毎に、ritornelloのthemaが変化するのだよ。
仮に、楽譜を見て演奏したとしても、その変化に付いて行く事は難しいのだよ。
それは何故??・・という事なのだが、長い音楽の歴史を顧みても、多くの作曲家の中で、自前のfullorchestraを持っていた作曲家は、唯一、Vivaldiだけなのだよ。
・・と言うか、Vivaldiは、自分のorchestraを演奏する団員達を、小さな子供の内から、自らの手で育てていたのだよ。
赤毛の司祭と言われているVivaldi神父は、当時のItaliaの貧しい時代に赤ちゃんポストの役割を担っていた悲しみの聖母教会に付属するPietà音楽院で、捨て子の子供達に音楽の指導をしていたのだよ。(教会だけでの運営では経済的に成り立たないので、子供達が音楽の演奏をする事で、貴族達や裕福なbourgeois達からの経済的援助を受けていたのだ。)
その為に、Vivaldiの曲のOpusは、soloとorchestraの演奏技術別に編纂されているのだよ。
orchestraを演奏する生徒達が、ritornelloのthemaが微妙に変化して行く事を学ぶ事は、取りも直さず、暗譜や演奏技術の正確さを求められるのだよ。
・・という事は、取りも直さず、「Vivaldiのritornelloは暗譜のmethodeである。」と言う事が出来るのだ。勿論、solisteの演奏技術力を除くと、全てのorchestraのpartがOpus別に技術的に統一されているのだよ。曰く、初心者用、中級者用、上級者用と、技術別に、Opusが編集されているのだよ。
『VivaldiのLe Quattro StagioniのL’EstateのⅠ楽章のCelloとKontrabassの飛び出し❢』
そこまでの説明を了解した上での、このⅠ楽章の解説になるのだが、VivaldiのL’EstateのⅠ楽章には、たった一箇所だけ、低弦楽器(CelloとKontrabassとCembalo)が飛び出す、不思議なpassageがあるのだよ。
これが、中々の難物で、オケ練習で、チョッと油断をしていると、確実に低弦楽器が飛び出したり、或いはその逆に、入って来れなかったりするのだよ。(写真:赤マルで囲った部分)
だから、当然、低弦楽器の奏者達から「これはprint-missではないのか?」という質問をよく受けるのだよ。
その、たった一箇所のpassageが無かったら、暗譜で演奏したとしても、何の問題も無かっただろうに??
しかし、それが、missでは無いのだよな~ぁ??
Vivaldiの問題の楽章の構造式を分析してみると、・・・
Ⅰ楽章の最初のthemaは大きなABA’の構造をしている。
そして繰り返されるA'の部分は最初のAの部分の3小節目と4小節目のMotivの発展した形である。
このthemaはⅠ楽章全体で、Aの最初の2小節と発展されたA'が結合された形で、以降に2回、繰り返されるのだが、拍頭を持たない3拍子が繰り返されるのは、最初のAの部分の4小節と、その後半部の21小節目から30小節目迄の、1回に過ぎず、その後に繰り返されるthemaである52小節目から58小節目迄と、最後の110小節目から116小節目迄の2回に過ぎないのだ。
そして、低弦楽器が2拍目からでは無くて、拍頭で演奏する問題の箇所は、唯一、最初のthemaの後半部ABA'のA'の部分、つまり、25小節目の拍頭の1回のみなのだよ❢❢❢
しかし、Vivaldiの曲の構造式をちゃんと理解しておかないと、たった一回、この場所にしか出て来ないこの拍頭の音が曲全体の演奏を妨げる恐怖のpassageになるのだよ。
(例えば、30小節目や58小節目で飛び出したり、逆に、25小節目で拍頭を弾かなかったり、或いは、自信なさげにおっかなびっくり入って来たりするのだよ。)
この25小節目の低弦楽器の拍頭の音で、全体の演奏がおっかなびっくりになってしまって、楽譜を見ているのに、怖がって演奏する場合すらあるのだよ。
特に低弦楽器の人達は、変化に乏しいので、Vivaldiのこの悪戯には、マジに引っ掛かってしまうのだよな??
しかし、この変化を、正確に覚える事が出来るようになれば、この演奏は活き活きとしたものになるのだ。
そういった細かい構造式が理解出来ているのと、そうで無いのでは、演奏の違いは明白である。
『VivaldiのL’EstateのⅠ楽章のtempo設定』
この曲は勿論、教室の常設曲なので、教室を開設して以来、発表会以外にも、色々な場所での公開演奏をしている。
同じ演奏のstyleを繰り返していると芸が無いので、2012年の6月24日の八千代の演奏の時の演奏は、orthodoxな普通の演奏styleだったのだけど、2017年の11月の演奏の時には、絵画的なapproachとして、自由なtempoの設定で演奏する事を試みたのだが、助っ人で参加してくれたOB・OG達が、当日参加だったので、指揮を見て演奏したとしても、演奏は困難と、判断して、曲の途中で一般的な演奏styleに切り替えてしまった。
オケ練習に参加している生徒達には、練習で訓練されているので、自由な拍を感じさせない指揮でも、何の問題も無く入って来れるのだが、当日参加のOB・OG達は普通の演奏は出来ても、即興的な指揮には慣れていないのだよ。だから、自由な拍の指揮をする事は、当日の舞台上で諦めてしまった。
今回、夏のお楽しみ会の人形劇の為に、VivaldiのL’Estateを全曲、通して演奏する事になったのだが、中学生mainのQuartettのようなorchestraなのだけど、練習の回数だけはあるので、今回、意を決して、前回の八千代と諦めたL’Estateの絵画的表現に、revengeとして、再challengeをする事にした。
詳しい内容は以前のFacebookに記載しているので、Alzheimerと勘違いされないように、敢えて、同じ話は繰り返さない事にする。
Ⅱ楽章は自由なtempo設定の他に、So-netに忠実に、雷が遠くの方から聴こえて来て、段々、近づいて来て、また、遠くへ去っていく・・という表現を強弱だけで表現している。So-netを読むとこの演奏の方が自然な感じがするのだが、雷の音という事で、最初から同じ音量で演奏するという事の方が一般的なのだよ。
また、肌に纏わり付く、蝿やブヨの表現として、拍を抑え気味に演奏する事にした。かったるい感じを表わす為に、美しいmelodieを敢えて引っ張って、気怠い感じに演奏する事にした。
Ⅲ楽章は、牧童の心配が本当の物になってしまって、嵐が襲って来る。牧草地では逃げる場所も無いのだよ。激しい嵐の中をひたすら、耐え抜くしか無いのだ。
という描写になるのだ。
7月24日BartokのMikrokosmosからのFrom the Diary of a Flyのお話
今日は7月の24日の月曜日です。
『今日のmainの作業は、BartokのMikrokosmosからのFrom the Diary of a Flyの2台のViolinへのtransposeの作業でした。』
昨日の人形劇のrehearsal の中で、セミの鳴き声や、それこそVivaldiの夏に登場したブヨとか蝿の音を楽器で表現したり、動画で流したり、色々と工夫しているのですが、その時に、私が、BartokのMikrokosmosのⅣ巻の中に、「From the Diary of a Fly」というPianoの曲がある・・という話をしたら、Violinのduoだったら、人形劇で演奏する可能性がある・・という事になったので、今日の朝から「From the Diary of a Fly」を2台のViolinで演奏出来るように、arrangeを始めました。
記憶上では、1Pageぐらいの短い曲だ・・と思っていたのですが、ハイツでMikrokosmosの楽譜を見てみると、実際の曲は、4Page、103小節もある曲だという事が分かりました。
現代曲らしく、Pianoで演奏する場合には、強烈な響きのする和音が、3度、4度の内に収まるぐらいの密集しれいるのですが、Violinの場合には5度調弦なので、音と音の間隔は、それ程、compactには収まらないのですよ。
和音としての音と音の間隔は、最低でも5度以上は開く・・と言う事になってしまうのですよ。
朝からの作業は、勿論、「From the Diary of a Fly」のViolin2台へのarrangeだけをやっていた分けではありません。
arrangeをしながら、昨日、日曜日のオケ練習風景のvideoとlesson風景のvideoを、SDcardからパソコンに取り込む所から、瑞希ちゃんと智子さん用に、と、orchestraのmember用に、それぞれ、別にYou Tubeに、限定公開でuploadを平行作業をしました。
まあ、私ではありませんが、2段鍵盤のCembaloの練習に来て、練習をしています。tripleの平行なのですよ❢❢アハッ!
夜食は、斉藤先生が9時半に帰宅して来たので、その時間に合わせて、椎名町へbikeで移動しました。
暑いので、ドルは駅への「お迎えっ歩」から、いつものウダウダ散歩は無しで、椎名町の教室へ直帰しました。
だから、私のドルの「お迎えっ歩」も最小限になりました。
この所の体調不良で、二週間程はお散歩をしていなかったので、体調的には丁度良い足慣らし・・でした。
それから直ぐに、食事にしたのですが、一通りのroutineが終わったら、やっぱり、深夜の12時を過ぎてしまいました。
・・・という事で、今は24日の25時です。
25時と言う事は、たった今、椎名町でのお食事から戻って来た所でなのです。
routineとしては、月曜日の夜は、火曜日と水曜日の夕方迄の食料品をrucksackとshoulderに分けて、重量級の重さの荷物をハイツに持って帰らなければなりません。
椎名町からハイツ迄の、bikeでの移動の時の、荷物の重さも然りですが、それ以上に食料品を冷蔵庫に入れる作業が大変なのですよ。
ハイツの冷蔵庫はお一人様仕様なので、容量はそんなには大きくはありません。
その為に、あれをこっちに、これをそっちに・・と、移動させて、四苦八苦して生物を冷蔵庫に収めなければならないのです。
それに、作り立ての温かい食料品が多いので、冷めて冷蔵庫に入れられるようにする為に、暫くの間、机の上に置いて、冷やしてから、冷蔵庫に収めなければならないのですョ。
今日のやり残した仕事を片付けながら、眠る準備をしながら、冷蔵庫に食料品を仕舞う作業を平行でします。
それが終わってからの就寝です。
体力が切れたら、・・とか、パソコンが終わらなかったら、そのままの状態に放置したまま、bedで寝てしまいます。
toilette-timeで起きた時に、少しだけ雑用を片付けます。
夜、と言うか、明け方、と言うか、頻尿で、少なくとも2回は目が覚めるので、朝、ちゃんと起きる時迄には、全てが整理されています。体調に合わせて・・の少しづつ・・が、結構、効果的なのですよ。アハッ!
7月25日郵便物をを待っているのです。 ·
今日は7月の25日の火曜日のお昼の1時です。今日の練馬区の気温は2時には38℃に達するそうで、今は既に37℃もあります。
已むを得ず、coolerをギンギンに入れています。
それでも、なんとなく、体が火照っています。気の所為だろうけれど??
今は、郵便物が配達されるのを待っている所です。
だから、テレビも付けないで、超、静かで、電子時計の音が聴こえるぐらいに静かな部屋の中で、玄関の外の渡り廊下の先の人が歩いて来る音に耳をそばだてています。
普段ならば、外の公園から、子供達の遊んでいる声や、仕事を休んでいる人達の声が聴こえて来るのですが、今日の公園は、あまりにも暑いので、全く人の気配がありませんし、benchに座り込んで休んでいるサラリーマン(salarymanは和製英語です。)の人達もいません。
まあ、静かなものです。
ハイツの呼び鈴の音は、玄関とその隣のflooringの部屋にピンコンと1回鳴るだけで、玄関とはdoor一つ隔てた部屋である、普段私が居る部屋には、不思議なぐらいに音が聴こえ無いのです。
その為に、1回で配送物が届いた事は、これまでにも一度もありません。
置き配を指定していても、不思議な事に配送Centerに戻ってしまうのですよ。困った事です。
だから、netの買い物は基本的に椎名町に着くようにしています。
椎名町だと、人が居ない時でも、門扉の内側に置き配してくれるからです。
今日の郵便物は受け取りの印が要るので、私が対処しない限り、又、郵便局に戻ってしまうのです。
勿論、呼び鈴が携帯電話や家電に直接、連絡をしてくるtypeの外付けtypeの呼び鈴がある事は知っていますが、殆どが電池式なので、電池が無くなったら呼び鈴の電池を交換しなければならないのがNecで、取り付ける気にはなりません。
電池が切れたままで、気付かなかったら、それこそ、元も子もないのでね??
・・という事で、いつ来るとも分からない郵便物の配達を只管、待っているのです。
もう既に、1時間半が過ぎました。
ハイツは死んだように静まり返ったままです。
まるで、Vivaldi時代の暑くてうだるような気怠い夏の午後なのですよ。
アッチッチ❢❢、暑い❢❢、ウエ~ェ❢暑い❢❢・・・てな感じかな??
scoreに書いておくか??
今はお昼の2時丁度です。
優しい感じでコンコンとknockの音が聴こえました。
ドンドンでは無いのだよな~ぁ??
まあ、何とか時間内には配送されて来たようで、やっとテレビを付ける事が出来ます。
緊張状態は解除です。
これで、やっと、普通の生活に戻る事が出来ます。
火曜日の夜は引き籠もりdayなので、日本酒かbierでも、一杯飲みたい所なのだけど、明日は朝一で、お久し振りの病院の検査があるので、お酒を飲む事が出来ません。
明日の朝に備えて、早めに就寝すれば良いのですが、この二,三日、弱欝が起こって、眠る気になれないのです。
テレビを見たり、You Tubeで私の鬱々Koncertを聴いて見たり・・と色々と、工夫をしているのだけど、今日は、alcoholの気分だったのだよな~ぁ??上手く行かないもんだよな??
ユンケルを飲んでも怒られるし・・ネ??
摂眠障害とのalcohol抜きの、最初からhandicapのある戦いで、致し方が無かったので、You TubeのAnimeを見ながらお茶を飲む・・という分けの分からない対応をして、諦めMoodで、bedに入って寝ました。
それでも、Gott sei Dank!有り難い事に、one‐coolは眠る事が出来ました。
one‐coolでも眠れれば、朝の一番で病院に行って、帰って来てから、眠り直す事も可能かな??と思ったのだけど、そうは、上手くは行かなかったようです。
7月26日糖尿病内科への転院 ·
今日は7月26日の水曜日です。お久し振りの大学病院での検査がある日なのですが、朝は7時起きで準備を始めたのですが、椅子に座ったままで、動けなくなってしまいました。少し熱っぽかったので、体温計を出して、計って見たら、やはり、37度で微熱がありました。
熱があると病院には、入れないのだけど、電車で移動したら、逆に熱が上がるよな~ぁ?
これは困ったぞ❢
まあ、取り敢えずは時間の指定は無いので、coolerを切って、もうone‐coolだけ、寝るか??それで体調が駄目ならば、電話をして今日の予定はcancelにするか??
という事で、朝の10時を過ぎた所です。空を見上げる事が出来ないくらいの良い天気で、既に34℃を越しています。体感温度は、36℃に達しています。
このクソ暑い中を、高野台駅から病院迄歩くのは、命がけという感じだよな~ぁ?
8月2日の膀胱鏡検査の日が決まっているので、今日の事前検査はskipは出来ないよね??真面目に頑張って行くか??
炎天下の中、少しでも木陰を探しながら、病院への上り坂をトボトボと歩いて行きました。
頭がクラクラとする殺人的な暑さです。
病院の検査は恙無く終わって、会計を済ませてから、紹介状の受付に進みました。
そこで、超、Shockな事は、紹介状は担当の先生しか開けないので、担当の先生の予約を取らなければならないのだけど、今現在は、予約を取るのに、3ヶ月待ちなのだそうです。しかも、先ずは病院に電話をして、担当の先生の予約を取らないといけないのだそうです。
3ヶ月も先ならば、薬がもう、持たないのだ・・と言ったのだけど、元の病院に行って薬を3ヶ月分貰って来い❢❢というお達しでした。近所の糖尿病の病院では駄目なのか??と聴いたのだけど、それは担当の先生の許可が要るのだそうで、堂々巡りになってしまいました。
薬が緊急を要するか否かを判断するのに、担当の先生の判断が必要なので、3時から4時ぐらいまで、待合で待つように言われてしまいました。今は午前の11時です。
最初は諦めて、4時迄、5時間近くも待つつもりだったのですが、その内に、「これはとても体力的に無理だぞな??」と気が付いて、私を担当していた事務の人を見つけて、「改めて、電話をして、来ます。」と申し出たのだけど、診察では無くて、薬が緊急性があるかどうかのcheckなので、小一時間程待つように・・と言われてしまいました。まあ、小一時間ならば、有りかな??と言う事で待っていたら、担当の先生が8月の3日ならば、診察の空きがあるので、診察を受けますか??と言う申し出がありました。
これは得難い申し出なので、有り難く受ける事にして、double-bookingしている別の予定を変更して貰う事にしました。
・・とか、何とかのゴタゴタがあったので、ハイツに帰着したのは、1時になってしまいました。
マスクと・・、それにマスクの紐がびしょ濡れになってしまいました。ボツだな❢これはもう・・
体が落ち着いたら、Showerでも浴びて、グショグショ状態の髪の毛も洗う予定です。
「取り敢えずは、寝よう」と思ったのだけど、汗で身体中がベタベタしていたので、チョッと無理っぽかったのだけど、風呂を先にして、髪の毛も洗いました。
これで、bedに入って眠れるかな??
・・と思ったのだけど、ひっきりなしにlineのピンポンがなって、中々眠る事が出来ません。纏めて言ってくれれば良いのだけど、丁度、寝入りばなを見越したように、lineが入って来るのだよ。
まあ、なにはともあれ、one‐coolの1時間半は休めたのかな??
今は4時です。
諦めてbedから起き出した所です。
携帯で返事を打つのは、私には無理なのでね??
やっぱり、指図するのはパソコンからでないと、時間が掛かって仕方がないのだよ。
・・と、思ったのだが、やはり、起きていると体調不良になってしまう。bedに戻ってしまった。
結局、なんだかんだと、病院から帰ってからは、bedとパソコンを往復している。
夜の9時半に間に合うように食事に出掛けた。ドル・プリっ歩も何とか済ませて、冷たい飲み物をペット・ボトルと魔法瓶に入れてrucksackで背負って、bikeでハイツに持って帰って来た。超、重たかった。
7月27日日本人のpianistのpedal操作の問題点·
lessonをしていて、pedalingの事になって、詳しく色々と細かく説明しようと思ったのだが、昔々、私が、日本人のpianistの独特のpedaling(所謂、誤魔化しpedal)に付いて、homepage上の論文に詳しく書いたハズなのだけど、2018年9月29日のcatastropheで、その論文がぶっ飛んでしまったままで、見つからない。
諦めて、Facebookに書いたハズの文章を、10年前の文章を始めから延々と探して見たのだが、それすらも、見つからないのだよ❢
homepage上のFacebookのindexを探しても、それに該当する項目が見つからないのだよ。
「確実に書いたハズなのに、見当たらない」・・という、その理由は、Pianoのpedalに関しての、問題提起ではなくて、もっと、大きな視野で、「日本人の持つ音の感性」、所謂、「日本人の独自の民族性としての問題点」として、pianistや弦楽器奏者と言う区別ではなくて、楽器の持つ特性・・というgenreを飛び越した観点から、問題提起をしているので、Pianoのpedalingのお話・・からは逸脱してしまっているからなのだよ❢
・・という事で、論文が探せない、根本的な理由は、Pianoという固有の楽器に対して・・ではなくて、日本人が演奏する色々な楽器上での、同じ共通する課題として書いてしまった事に拠るのだ。
私が日本人の持つ独特の音の感性について気が付いた元々は、幾つか上げる事が出来るのだが、特に、Pianoのpedalingという点に特筆してお話をすると・・・
私が留学から日本に帰って来て間もなくの頃、東京で生活を始めたばかりの若かりし頃のお話になるのだが、偶然、銀座のヤマハHallで学生コンクールがあって、子供達のconcoursという事で、興味を抱いて、何気なくHallに聴きに入ったのだが、その時に、concoursを初めて聴いて、課題のBachの曲を演奏する時に、殆どの生徒達がBachの早いscaleを弾く時に、誤魔化しpedalの(half-pedal)を使っていて、Bachのlegatissimo奏法を、代用していたのを聴いて、超、驚いて、Shockを受けてしまったのだよ。
Europaではscaleをpedalを使って演奏する事は絶対に有り得ないのだけど、日本では、そういった生徒達がコンクールに合格してしまっていた事に驚いてしまったのだよ。
つまり、審査員である教授達ですら、Bachのscaleのpassageにpedalを踏んでいても、気にならないという事なのだよな??
ましてや、MozartのPianoのSonateを演奏する時に、あの美しいMozartのscaleに拠るpassageを、pedalingを踏んで、誤魔化すという事は、音楽を学ぶ物としては、あってはならない事なのだよ❢
しかも、concoursに出演する・・という事は、音楽のproを目指す子供達か、或いは、proを目指さない・・としても、音楽に対して真摯に取り組んている子供達だ・・という事なのだよな??
そういったamateurである子供達ではない、真摯に音楽に向かい合っている生徒に対して、誤魔化しpedalを平気で指導する指導者の姿勢が、許せなくなってしまった。(そこが、後年、音楽教室を開設する事を認めてしまった理由の一つなのだよ。)
また、同様の誤魔化しpedalは、pedalの踏み変えが非常に雑で、和音が濁っていても気にならないのが、日本人pianistの特徴かも知れない。
しかし、このpedalingに関する問題は、結構、重大で深刻な問題で、私達が、子供の頃から教室で指導して来た生徒達ですら、(つまり、pedal操作に関しては、教室で、厳格に、非常に正確に習って来たハズの生徒達が)、1~2年間、lessonをお休みしただけで、Pianoを演奏する時に、そのpedalingが、一般の日本人のpedalingのように濁ってしまって、帰って来るのだよ❢
まあ、それは「感」の問題なのだから、2,3回も注意をすると、感性は治ってしまうのだけれどね??
Pianoのpedalingの問題よりも、それに輪を掛けて、酷いのが、弦楽器特有の後押し奏法なのだ❢❢
普通に、lessonをお休みする事もなく、毎週の通常のlessonをしていても、突然、「他の先生に見て貰ったのか??」と思うばかりに、不自然な後押し奏法で、生徒が弾いて来る事がある。
「誰かに、Violinを聴いて貰ったのかい??」と、質問しても、「誰か、日本人の演奏会を聴きに行ったのかい??」と聞いても、答えは「non❢」である。勿論、それは嘘では無い。
まあ、これは、「日本人のDNAだなゃ❢?」と言わざるを得ないのだよ。
私が若かりし頃に、銀座のヤマハHallで、音楽を目指して一途に頑張ったいる子供達の演奏を聴いて、超、Shockを受けてからは、その事を、啓蒙する為に、まあ、これ迄も、色々な機会や場所を通じて、「間違いだらけの日本の音楽」と言う事を、色々な場所と機会に言って来たのだが、それで、何一つ、何かが変わる事は無かった。
『日本人の持つ音の感性』はこれまでにもhomepageやFacebookに何度も書いて来た分けなので、ここでは、もう敢えて書かない事にする。
日本人の持つDNAと戦っても、勝てる事は無いからだよ。
これまでも、40年間も、50年間も書いて来たのに、何一つ変わらない不変・不動の世界なので、これ以上の啓蒙活動も面倒くさいし、俺の人生の無駄にしかならないのでね??
まあ、その西洋音楽を勉強する上で、致命的とも言える、日本人の持つ感性なのだが、逆に、それが日本人の独特の優れた感性にも成り得るのだから、困ってしまうのだよ。
例えば、日本人ならば、否、世界中の人々が知っている日本の古い俳句なのだが、
古池や蛙飛びこむ水の音と言う松尾芭蕉の俳句なのだが、それを英訳すると、
The old pond; A frog jumps in —The sound of the water.
(Robert Aitken)
(国際俳句なんたらかんたらの冒頭の一句らしい。)
???
この英訳の文章から、幽幻の世界観は見えるのかな??
多分、武満徹さんの文章だったと思うのだけど、(間違えていたら、ごめんなさい❢)日本語の文章を英訳して、更に、その英語を日本語に訳した本があった・・と思う。
私は英語は苦手なので、この英語を元の俳句を知らない人が訳したら、どういう訳になるのだろうか??
興味津々であるぞぃ❢❢
左脳国民である日本人は、noiseを心象として捉える事が出来る世界で唯一の国民である。
その非常に優れた日本人の感性が、西洋音楽を学ぶ上で、致命的な弊害になっているのだよ。
私の場合には、音楽を志したのは、高校生の時からなので、日本人特有の、そういった独特のDNAが、育っていないのだよ。
就学未満の時代に、祖母からは長唄等の日本音楽をNHKの放送で聴かされて来たにも関わらず・・であるのだよ。
当に、Gott sei Dank!である。
早期教育で、幼い子供の内から一生懸命に音楽に頑張って来た人達であれば、有る程に、そう言った日本人特有の誤ったDNAが染み付いて、抜けなくなってしまうのだよ。
頭では、理解していても・・・、つまり、分かっていても、その呪縛から抜け出せないのだよな??
困った事だよな??
でも、これは音楽の指導者の所為に過ぎないのだから、変わろうとすればいつでも変われるのだけどね??
逆に、教室で正しいEuropaの演奏法を学んで育って来ても、proになった途端に、日本の演奏styleに変わってしまうのだから、阿呆らしいのだよ。
私の方から言わせて貰うと、ね~ぇ??
7月28日『今日は夏の合宿の初日です。』 ·
今日は7月の28日の金曜日の朝の5時になった所です。
これからほぼ毎日、炎天下と深夜のニャンコ号での東京と南花園新教室の移動と、lessonとオケ練習があります。(7月は28日から合宿で28日当日は私はlessonがあります。29日はオケ練習で30日がお楽しみ会になります。)
そしてお楽しみ会と夏の合宿が終わったら、8月1日はbaroque-Koncertの実際の古楽器を使用してのrehearsal をして、2日と3日は順天堂の大学病院での検査があって、次の日の日、中一日開けて、baroque-konzert(バロック・コンサート)に、なります。
それが終わったら、concoursを受ける生徒の伴奏合わせのlessonがあります。
勿論、その間にも、proの人のKoncertに備えてのlessonは、夏休みとは無関係に定期的に入っているので、後、幾つ、lessonを入れて行くか??は、炎天下の中の毎日の労働に、体力が何処まで、堪え得るか否かの勝負になります。
これに+する所の、色々な雑用を熟さなければなりません。
雑用というのは、私の個人的な雑用ではなくて、教室の雑用です。
私の個人的な雑用は、その暇な時間に体調に相談しながら、やる予定なので・・・「出来るかな??」という感じです。
教室の雑用と違うのは、出来る迄に、timelimitのない事です。
出来る範囲を体調に相談しながらやります。
ただでさえ、大変なのに、この異常気象では、coolerを入れていても、体調をkeepする事が難しいのだよな??
未だ、朝の六時前なのですが、光を部屋に取り込む為に、blindを開けていたら、急激に部屋の温度が上がって来て、顔や体が火照って来てしまったので、慌てて、blindを締めて、coolerを入れた所です。(冷房ではなくて、除湿なのですがね~~ぇ)
7月29日『昨日の28日は夏の合宿の初日でした。』 ·
昨日は7月28日の金曜日、夏の合宿の初日でした。
『人形劇の練習と説明』
早朝の10時からは人形劇の練習があったのですが、私はその後の夕方の5時からのlesson迄は、何も無かったので、人形劇の練習にはremoteで参加しました。(remoteで指揮をするのはtime lagがあるので難しいのだよ❢❢)
今回のVivaldiの四季の夏はうだるような夏の暑さをtempoの変化で表現しました。また、雷が遠くの方から、だんだんと近づいて来る様を、雷の音の強弱の違いで表したりしました。
その表現を、人形劇の中で、Gamesにして、説明をする事にしました。
その練習なのです。
ニャンコ人形のお喋りに合わせて・・オケを指揮します。
『千葉の教室への炎天下の移動と夜の帰路のお話』
remoteの練習が終わったら、雑用を片付けていたら、あっという間に3時になってしまい、焦ってしまいました。
3時は、出発のtimelimitの時間ですからね??
私のlessonの5時に間に合うように、3時半には、椎名町を出発したのですが、なんと、大渋滞で、炎天下の中を車は停車したままで、少し焦った・・、と言うか・・、まあ、合宿なので時間はあって無いような物なので、焦りはしなくて、その代わりに車が止まったままなので、眠たくなって困ってしまいました。
それでも、なんとなく、時間の30分前には、教室に到着していました。
まあ、lessonは恙無く進んで、なんの問題も無かったのだけど、半分、熱中症気味で、疲れが酷くて、帰りの車に乗るまでは、一人で帰れるか、運転出来るか、心配でした。
途中の道中は兎も角としても、椎名町の駐車場に車を入れるのには、その前に、bikeを出し入れしなければならないからです。
2回の切り返しの縦列駐車だからです。駐車場に半分、車を突っ込んで、bikeを邪魔にならない場所に避難させて、切り返しをして車を車庫spaceの中に入れて、bikeを戻してから、玄関を開けるのですよ。それから、bikeで帰る準備をしてからの、ハイツ行きです。ハイツのbike置き場迄は、約15分掛かります。
それに、帰りの車の話・・ではなくて、出発の時の荷物の積み込みのお話ですが、炎天下の中を、食料品を運ぶのに、車の中に食材を入れておいては、煮えてしまうので、冷房の利いた室内から車に一人で運び込まなくてならなくって、プリちゃんを乗せるだけでも超、重たいのに、体力が保つか・・が、心配でした。
まあ、何とか、頑張ったけれどね??
coolerが効いて来る迄は、背中が汗でグッショリと濡れてしまいました。
時間が無いので、車を走らせながら、冷たい水をがぶ飲みしながら、熱中症の対応をしました。
『お楽しみ会のVivaldiの「夏」の説明なのですが・・・』
何処かの会場を借りて・・ではなくて、教室の2階を使っての演奏会なので、客席数が少ないので、年齢順に3部構成の総入れ替えで対応しているのですが、その為に、人形劇の中の、VivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)の夏の演奏は、人形劇の冒頭での演奏なので、1部と2部の冒頭で、それぞれ2回、演奏する事になります。
今回のhappeningなのですが、Violaを担当する生徒が、急遽、学校の行事とdouble-bookingしたのだそうで、1部と2部のVivaldiのViolaの演奏に参加出来なくなってしまいました。
Quartettを組むだけの人数しか、いないので、Violaが一人抜けても、Vivaldiのorchestraとしては、Violaのpartが一人も居なくなってしまいます。
急遽、OB・OGの人達に片っ端から電話をして見たのだけど、何時ものpatternなのだけど、おさらい会やChristmas会にOB・OGが参加した事は、これまでも一度も、無いのだよな??
それに、今回のVivaldiの「夏」の演奏は、指揮を見て、自由なtempoで演奏をする・・という条件なので、いつものように、本番だけのトラ(extra)としての参加は、多分、演奏技術的に無理だと思うのですよ。
まあ、出来るならば、練習2回とは言わずも、1回でも練習に参加しないと、今回のVivaldiの演奏は出来ないので、本番当日のみの、助っ人としての参加は、演奏技術的に無理だと思います。という事で、結局の所、余り熱心には探さなかったのだよね??
昔、繋がりで、proの演奏家達に頼む・・という方法も有るには、あったのだけど、お楽しみ会の人形劇では、3部の演奏とは違うので、proは無理だし・・ねぇ???
そういった事なので、已む無く・・の、はなはだ変則的ではありますが、今回の人形劇のVivaldiの「夏」はViola抜きで演奏します。
3部でのVivaldiの「夏」の演奏は、普通の演奏会形式での通しの演奏になります。
但し、会場が狭いので、オケの並びは、通常のbaroque並び、では無くて、変則的な並び方になりますし、演奏memberもQuartettの人数にKontrabassとCembaloを足した室内orchestraとしても、人数の足りない、少人数のorchestraにしか、なりません。
・・でも練習を積んで来たので、QuartettにKontrabassとCembaloを加えた、+αの人数に過ぎないのだけど、室内楽では無くて、ちゃんとorchestraに聴こえるから不思議だよな~ぁ??
『お泊りのお話』
Vivaldiのorchestraの演奏が終わったら、各自、生徒達のお楽しみ会の発表になります。
お楽しみ会の演奏曲目は、発表会のようなcurriculumに拠る選曲ではなくて、生徒達、各自の演奏をしたい曲を演奏する事になります。
弾きたい曲を演奏する・・、だから、お楽しみ会なのですよ。
トリの演奏は智子さんで、大トリは斉藤先生と山元先生の演奏を予定しています。
今日のお泊りは、年少の小さなお友達、中心で(勿論、希望者だけ・・なのですが)、それにお姉さんがassistをします。
明日はオケ組の練習の予定ですが、中学生組がお泊りの予定です。
それに、明日の土曜日は、隅田川の花火大会で(ヒョッとして、4年ぶりの・・??)大渋滞を予定しているので、私は東京に戻るのを諦めて、千葉泊りをする予定なのだけど、そのお泊りの為の準備をするのが無理っぽいのだよな~ぁ??
lesson衣装も、大汗をかいてしまったので、洗濯機に放り込んでしまったし・・ネ??
「明日は何を着て行こう??」・・て、悩んでいるのですよ。
押入れの中から、服を引っ張り出すのが、一作業なのですよ❢❢
いや~ぁ、困った❢困った❢❢
写真は、練習と食事が終わって、教室の玄関の前での花火大会です。
大きい生徒は、花火大会と並行して、私のlesson中なので、いません。
この楽しそうな光景の裏では、お楽しみ会の為の最後の厳しいlessonが・・・、なんてね??
実際には、お楽しみ会の曲のlessonは、していません。先輩諸氏達は、自分のcurriculumの曲の練習で、手一杯だからなのですヨ❢❢
7月30日今日は隅田川の花火大会なので、大渋滞を避けて ·
今日は夏の合宿の二日目です。
本来ならば東京の自宅に戻って明日の練習までに戻って来る予定だったのだけど、今日は隅田川の花火大会なので、大渋滞を避けて、急遽、千葉の教室に泊まる事にしました。
ハイツでは、午前中はその準備をしました。
今日も猛暑日なので、準備が遅々として進まず、時間ギリギリにハイツを出発しました。
今日は比較的に道路が空いていたので、決められた時間迄には問題無く到着しました。
今日の練習はお楽しみ会の曲ではなくて、通常のオケ練習の曲をmainに練習しました。
オケの練習は、教室の生徒数が減って、オケとしてのギリギリの人数なのに、夏の講習とやらで、練習を抜ける生徒がいたりして、partが足りなくなってしまって、練習が上手く出来ませんでした。
まあ、巷の音楽教室なので、学校優先なのは、致し方はないのだなゃ❢
しかし、音楽の勉強は、意識で決まるのですよ。
趣味で、お稽古事の延長としての音楽の勉強と、可能ならば音楽の世界で演奏活動をしたい・・という考え方には、意識上では雲泥の差があります。音楽大学に進学したり、concoursを受けたりするには、その意識を持つ必要があるのですよ。
以前も、「concoursに出たい」と言って来た生徒がいたので、「concoursに出るには、concoursに出る受験生と同じ意識を持たないと、大恥をかいてしまうよ。」と、説明をしたのですが、それが、芦塚先生は生徒をconcoursに出す事を反対している・・と誤解されたままに、保護者の人達にそういった間違えた認識が流れてしまいました。
教室を作ったばかりの頃は、音楽を専攻するという意識がよく理解されていたので、多くの生徒達がconcoursに参加して入賞をしたので、それぞれの生徒達のconcoursの賞状が花園教室の壁一杯になってしまい、貼れなくなってしまったので、数枚の賞状だけを飾っていたのですが、それもなくなってしまったので、そういった間違えた認識がまかり通ったのでしょうかね??
concoursはproを目指す生徒達が、その足掛かりが欲しいので、例え一位に入賞する事が出来たとしても、それからも、何度も受けて来るのですよ。一位を取ればそれで終わり・・という世界ではないのです。意識の問題なのですよね??
教室のorchestraの教育目的は、本来の音楽の楽しさや素晴らしさを教える・・という事なので、意識を追求する分けでも、proを育てる為の場でもありません。
だから、昔々は、生徒の人数も多かったので、学校行事や家庭の都合とも折り合うように、通常のAーorchestraを作りました。
Aオケとは、初級オケ・・と言う意味では無くて、月2回の練習で、参加出来るorchestraの事です。
orchestraや室内楽は、団体活動なので、練習を休んで抜けてしまっては、全体のオケの練習に遅れが出来てしまいます。
Bオケは、休んでも、休んだ週の練習のpointを先輩諸氏から習って、次のオケに一人だけが遅れる事が無いようにする・・という事が出来るgroupという事です。
更に、Cオケは、曲やその曲の水準が専科オケと同様のlevel迄、難しくなります。だから、意識も専科程では無いにしても、或る程度の団体活動の厳しさを学ぶorchestraなのです。
それに加えて、専科オケは、proを目指す生徒達か、音楽大学には進まないとしても、音楽教育を中心として勉強をしたい・・という生徒達の集団なので、音楽の勉強も然りですが、それ以上に音楽への意識を問われるgroupになります。
この専科オケからは、多くのprofessionalの人達が育っています。
専科オケでもorchestraの演奏技術の観点から、AオケとBオケと言う風に、capacityに合わせてgroup分けをした事もありました。
それぐらいの人数が教室にいた・・という事なのだよな??
専科オケは、音楽を専門的に勉強するgroupの生徒達なので、学校行事や個人的な理由でのオケ練習の休みは一切認めない、という、ruleの厳しいオケのgroupだったのだけど、音楽大学に進学する生徒達は必須だったけれど、一般の生徒で音楽をmainとして考える生徒達にとっては、結構ハードルが高かったのかな?
少子高齢化で、生徒が少なくなってしまって、更にコロナが追い打ちを掛けてしまって、専科生の人数は・・・、というより、オケの参加者自体(教室の生徒数自体が)が少なくなってしまって、自動的に専科オケのgroupは、消滅してしまったけれどねぇ?!
流石に、その頃の専科オケの対外出演の演奏のLevelは素晴らしかったけれどね~ぇ??
今はまた夢の話しです。
そういった厳しい条件で入ったハズの専科オケの生徒でさえも、或いは、音楽大学に進ませようとする教室に対して意識を持っているはずの親でさえも、学校の先生の無理難題には逆らえず、部活の先生に言われるままに、対外出演の本番のオケsoloをすっぽかした生徒さえもいたのだよ❢
指導する先生が、音楽大学の教授達ならば、怒り心頭・・で狂い捲って、即刻、破門を申し渡しただろうョな?
教室が市から依託された対外出演の本番でのドタキャンだったのだが、それでも、教室からは生徒に対しては、退会勧告なんて物騒な事はしなかったのだが、まあ、流石にその生徒は、自主的に教室をやめていったけれどね~ぇ?
「自分がstar playerなのだから、先生がなんとかしてくれる」と思ったのかも知れないが、立場上、私に出来る事は限られているのでね~ぇ?私に取っては、star playerなんて存在は無いのだからね??上手下手に関わらず、教える事は山のようにあるのだから・・・
例え、その生徒が、音楽大学に進学出来る実力があったとしても、或いは、音楽大学を卒業してProの演奏家になったとしても、そういう意識がある限りでは、音楽界で生きて行く事は出来ないワサ?❢
何故ならば、音楽の世界というのは、技術よりも意識の持ち用の世界なのだからね~ぇ?
そういう意識が潜在的にあると、音楽界では通用しないのだよ❢
まあ、そんな昔々の愚痴は、さておいて、今夜のお泊りの人数が少なかったので、夕食は手巻き寿司を中心にしたmenueでした。
私的には、手巻き寿司は、大好きだから嬉しいのだけれど、食べた量が分からなくなってしまって、ついつい食べ過ぎてしまうので、結構、要注意の食べ物なのですョ。
子供達も、流石に中学生ともなると、さび抜きの生徒はいなくて、山葵が結構売れていました。
生徒達は、練習が遅くなったので、大急ぎで、明日のおさらい会の打ち合わせと食事と風呂を片付けて、就寝しましたが、先生達は、明日の準備が終らないので、完徹かな?
私は先に休ませて貰います。今日も少し、熱中症気味だったのでネ?!
それはそうと、明日のVivaldiの夏やcembaloの小品を演奏する準備で、cembaloのtuningをしたのですが、またまた、低音のdの音の爪が折れていました。
でも、明日のcembaloではbaroque-pichは使わないので、使わないbaroque-pichのtangentで、折れたkeyの代用をさせて、明日の演奏は凌ぎます。
しかし、30日のbaroque-koncertではbaroque-pichで演奏するので、中一日で爪の修理に出さなければなりません。まさに、薄氷を踏むtimingです。
実際には、お楽しみ会が終わってから、baroque-koncertまでは、中、五日ありますが、古楽器の場合には、楽器の音域、つまり、鍵盤数が楽器によって違ってしまうので、実際に本番の楽器を使用してリハーサルが必要なのですよ。pianoの場合には、鍵盤の数は、基本的には88鍵と決まっているので、楽譜上の音域で、曲が弾けない、と言う事はありませんが、古楽器ではそうはいきません。
という事で、実際に演奏する楽器を使用してのリハーサルは、絶対に必要なのですよ。
鍵盤数によって演奏する音を、変えなければならないからなのですよ。
そして、先生達の都合が合ったのが、8月の1日で、30日からは、中一日なのです。
今日は、二日目から三日目の夜なのですが、やはり、全く一睡も出来ませんでした。
完徹です。
困った❢
今日のコンサートは、体力が保つかな?という体力勝負の様相を呈して来たよな?
7月31日『30日のおさらい会』 ·
今日は7月31日の月曜日の朝の5時になった所です。
toilette-timeで起き出して、水分を補給して、bedで寝直そうと思ったのですが、何時もの強烈な鼻詰りで、息が出来なくなってしまって、已む無く、起き出した所なのです。
blindを開くと、今日も雲一つ無い、良い天気です。
どうやら、今日も相変わらずの猛暑日になりそうな雰囲気です。
合宿二日目の29日から、隅田川の花火大会の大渋滞を避ける為に、土曜日の夜からお楽しみ会当日の30日迄、千葉泊りにして、新しいair bedで、千葉の新教室で寝たのですが、横になった途端に、強烈な鼻詰りになって、眠れなくなってしまいました。
合宿二日目は、首が痛くて、丁度、スマホ首のような感じで、一日中痛くて困ってしまいました。
新教室には、チョッとはお洒落な木のexe chairがあるのですが、残念ながら、背もたれの高さが肩迄しかありません。
江古田のハイツのexe chairは、完全に首迄あって、しかもottoman付きの、所謂、couch-bedにもなるtypeの椅子なので、bedで息が出来なくなると、パソコンの前のexe chairで仮眠をしてしまいます。
しかし、新教室のexe chairは、couch式のchairでは無いので、椅子に座ったままで眠ると、首が不安定になってしまって、逆に首が更に悪化してしまいます。
・・という事で、鼻詰まりと首が痛いので、とうとう、一睡も出来ないままに、おさらい会当日を迎えてしまいました。
まあ、或る程度は予期していた事なのですが、最悪のpatternを迎えてしまいました。
後は、気力で乗り切るしかないのだよな~ぁ??
おさらい会は、以前もお話したように、年齢順に3部構成で開催されます。
2部のお客様が、教室に入る最大人数は、演奏する小さな子供さん達と親を合計して、35名+αの客席数でした。
(勿論、椅子をもう少し詰めると、京成検見川教室のように、50名は入るハズなのですがね??椅子の予備は、駐車場に10本ぐらいはあるのですが、出しっ放しなので、使用する前にはちゃんと、綺麗にしなければならないので、放置されているのですよ。困った事ですがね~~ぇ??)
今回は私は伴奏の出番は無いので、1部と3部のVivaldiのL’Estateの指揮をするだけです。
1部は、人形劇の中の演奏で、VivaldiのL’Estate(夏)では、曲の中で、So-netに拠って、模写されている音楽描写の演奏と、それに対しての子供達へのQuizで、VivaldiのL’Estate(夏)からの断片を劇に合わせて演奏をする・・という芸当を(芸当・・という意味は、曲を断片的に演奏するから、芸当・・と言う意味では無くて、つまり、台本も無しに、演奏した・・と言う意味です。
(台本が無い理由は、訂正箇所を打ち直す手間暇が無かったのと、余りにも、煩雑になってしまったので、元々の台本を紛失してしまったから・・です。赤入れが煩雑だと、どれが最終案か分からなくなってしまうので、私の記憶の方が、logischで、より正確だから~ネ??)
私が、17年の11月の八千代での演奏の時から、試みて、出来なかったtempoの揺らしの意味を、期せずして人形劇で解説する事になって、演奏する子供達に取っても、私のtempoの揺らしの意味が分かったので、結構、自然に、自信を持って、tempoを違えて演奏する事が出来ました。
これは、人形劇、様、様で、善哉!善哉!なのです。
1部では「夏」を、断片的(fragment)に演奏したので、3部の中、高生組のおさらい会の前には、全曲を、通して演奏する事にしました。(勿論、tempoの揺らしの解説も無しに・・ですが・・)
それに、1部では、Violaを担当する生徒が、学校行事とのdouble-bookingで、1部の演奏には来れなかったので、代わりに、1st.Violinの斉藤先生が、Violaのpartを弾いて、2nd.の奏登君が1st.と2nd.の両方のpartを交互に演奏しています。(勿論、当日の現場での、ぶっつけ本番なのですがね??)
八千代での演奏の時よりも、Violaの音が強く出ていたので、3部の通しの演奏の時も、そのまま、Violaを担当する事にして貰いました。1st.抜きのViola、2本での変則的な演奏です。
また、Ⅰ楽章の長いsoloの部分のCembaloのcontinuoの和音のpartは、和声学的に致命的な和音の間違いが随所に見受けられるので、以前、Facebookにも、その和音の訂正譜を載せていたのですが、Cembalo担当の絢美ちゃんが、rehearsal の時に、scoreの楽譜に書いてある通りに演奏していたので、先生に、私が訂正をした楽譜をcopyして絢美ちゃんに渡すように❢と、言っていたのだけど、やっぱり、楽譜をcopyして渡す事は、忘れられてしまったよな??
世界的な権威のある版なのですが、proの演奏家が演奏する場合には、Cembaloのcontinuoのpartは、演奏するCembalistが自分で作って演奏するのが一般的なので、scoreに書いてあるCembaloのpartは、あくまでも参考程度なのですよ。だから、結構、間違いがあっても、放置される事が多いのですよ。
折角、私が手直しをして、書いていたのに、絢美ちゃんが、出版された大元のscore通りの間違えたharmonyのままで演奏をしていたのは残念だよな~ぁ??
忙し過ぎるのだよな~ぁ??無駄が多いのだよ❢❢
もっと、仕事の手順を考えないとね~ぇ??
Vivaldi先生も、Cembaloの和声が禁則ばかりでは、怒るよな??
禁則・・と言えば、3部のお楽しみ会で楓ちゃんが演奏したScarlattiのCembaloの曲の「猫のfuga」は、fugaのthemaが逆に、やってはいけないfugaのthemaで作られていて、不自然なthemaになっているので、Scarlattiの飼っている猫がCembaloの鍵盤の上に飛び乗って歩いた時に、出た音をfugaの主題にして作曲をした・・と言う逸話のある曲です。つまり、それ程、不自然なfugaのthemaだ❢❢と言う意味なのですよ。勿論、Scarlattiの禁則を逆手に取った悪戯の曲なのですがね??
(ScarlattiのSonateには、和声学の禁則をワザと使った曲が数多く見受けられます。和声上の禁則は、独特の禁則の響きがあります。それを逆手に取って作曲をしたのですよ。時折、俳句や絵画でも、絶対にやってはいけない事を敢えてやっている人を見受けますが、天才だけに許される特権で、凡庸な一般人が真似をしたら大変な笑い者になってしまいます。)
1部と3部を通じて、何度もtuningをやり直したのですが、演奏中、直ぐに弦が狂ってしまって、純正の響きを出す事が出来ませんでした。(特に、一回目の和音の響きで・・)練習でpointの音を押さえていても、実際に音が出た時には、もう、違った音がするのですよ。
その理由は、coolerの風が直接、楽器に当って、弦が伸びるからなのです。
猛暑日なのだから、coolerを止める分けにも行かないし、・・ねぇ??
tuningをしても、1、2分もすると、もう、弦が狂ってしまうのです。
上級生ならば、当然、耳で狂ったpitchを指でcontrolが出来るのですが、対外出演の経験の乏しい、今の中学生組では、そういった現場の対応は未だ、無理で、指のpositionに頼ってしまうのだからね~ぇ??
まあ、このgroupの限界という事かな??
(対外出演の経験者は、助っ人参加のお姉さん達を除いたら、唯一、瑞希ちゃんだけですからね??)
https://www.youtube.com/watch?v=dchrQf_pghk
「だったら、中学生達にも、対外出演を経験させれば??」、と思われるかも知れませんが、対外出演は、教室としての守備範囲(所謂、教育)ではなくて、社会的な活動になるので、ちゃんと演奏出来れば良い・・と言う事だけでは無くて、練習に対する意識も重要で、演奏する生徒や親にも、社会に対しての、責任が掛かって来るのですよ。
多くの親は、子供だから、学校行事や個人の予定とダブった場合には、それを先行しても、学校行事だから、許される・・と思っているのかも知れませんが、一人の我儘でも、オケ全体の練習のscheduleがズレてしまいます。
対外出演は、教室の教育とは、全く立場が違っているのです。
八千代のコンサートの場合には、市からの委託で、産後の若いママ達が子供連れで行く音楽会が、委託を受けた当時は、無かったので、一般の常識に反して、そういった演奏会、・・つまり、小さな子連れで聴いても良いコンサートを開いて欲しい・・とのお話だったので、それならば新しい母親の為にも、教室の子供達の演奏を、コンサートでもさせて欲しい・・と教室の方が頼んだのです。
それで、八千代の生涯学習プラザ主催側の回答は、子供が演奏する条件としては、「子供達がproとしての水準を保ってくれるのならば・・」という条件が、最初から付いていたのですよ。
だから、教室での八千代のコンサートへの参加条件は、練習を休まないで出席する・・という、非常にsimpleな条件だったのだけど、年2回の演奏活動が、3年も続いて、保護者達が、対外出演にマンネリ化して、発表会と対外出演の違いが分からなくなってしまう・・と言う事も有り得るので、最初のコンサートの時から、演奏会のprogramが出て、出演者の申し込みを募る度に、規約書を配って、確認をして、その為の念書に判子を押して貰っていたのです。
しかし、それでも、3年も経つと、親達が学校行事との両立を先生達に言い始めた時に、私としては「ここらが潮時かな??」と思い、八千代の公開演奏活動を、泣く泣く、お断りしたのです。
つまり、子供達や親の意識の水準をkeepする事が、とても無理だと感じた時には、proとしての演奏活動は、それ以上続ける事は、とても、無理なのですよ。
教育の延長としての対外出演ならば、
proの真似事のボランティア活動もあるし・・ネ??Volunteer活動は、proの活動では無くって、imitationに過ぎないので、それぐらいならば、学校行事と両立出来るんじゃあないの??
勿論、最初の条件のように、先生達だけの出演ならば、問題は無いのだけど、子供達を引き連れての演奏活動は、練習のNiveauをkeepする事は無理だ・・と判断しました。
まあ、子供達の演奏活動・・という事だけならば、発表会もあるし・・ネ??それに、オケや室内楽やconcoursへの参加は、教室本来の仕事では無くて、先生達の(それこそ)Volunteer活動なのですよ。
まあ、そんな昔の話は放っておいたとして、今回のおさらい会なのですが、恙無く、生徒達一人一人の演奏が終わって、おさらい会が終了したのですが、その後の後片付けを、私の一存で、子供達やお母様達にも手伝って貰って、部屋の後片付けとbaroque-konzertに向けての部屋のlayoutの変更等々を、だいたいの所迄、終わらせる事にしました。
いつものように、先生達が自分達だけでやろうとしていたのだけど、今回は、baroque-konzertまでには、先生達だけの少人数で、そんなに、のんびりとsettingする時間は全く無いので、私の一存と我儘で、子供達は当然だ・・としても、お母様達にもお手伝いを甘える事にしました。でも、教室を作った当時のconceptでは、発表会にしても、対外出演にしても、全てを保護者や生徒自身が一緒に活動をする・・という事が私の教育方針だったのだけど、私達の音楽教室が、音楽教室という名前の為に、一般の音楽教室と混同されてしまって、私の本来のconceptを知っている人達が、今は皆無なのですよ。一般の音楽教室ならば、教室の雑用は先生達の範疇なのかも知れないけれど、芦塚音楽研究所としての教育方針ならば、後片付けも、勉強の内であり、音楽家としては出来なければならない・・という事なのです。
勉強をする・・という事では無くて、仕事を覚える・・という事が、私の教育方針なのです。
学校では全てを真似事として学びます。つまり、wordやExcel を学んでも、それを使う事は出来ないし、学校で学んだ事が実生活で活かされる事は皆無です。
少なくとも、私は幼稚園から大学を卒業するまでに、学んだ事は何一つ無い・・と自信を持って言う事が出来ます。
私が唯一、学校で学んだとすれば、それは、München時代にGenzmer師匠からのlectureです。勿論、色々なproとしての考え方も、教えて頂きました。Genzmer先生は歴史に名を成す大作曲家であると同時に、その師匠であるHindemith先生同様に、優れた教育者でもあります。
まあ、それはそれとして、人形劇の後片付けや、小道具類をloftに仕舞う所迄、やっぱり、人数が居ると速いよね??
後の作業を、先生達の手だけで、整理が出来る所迄、頑張って、ドル・プリっ歩は東京でやる事にして、大急ぎで、未だ、私の意識のある内に、東京迄、車を走らせる事にしました。
昨晩は貫徹だったのでね??
何とか、9時46分ぐらいまでには、千葉の新教室を出発する事が出来ました。
途中で、すっからかんになった、ガソリンの給油をして、然程の渋滞も無く、恙無く椎名町に戻って来ました。
何とか、頑張って車を走らせて、椎名町にやっとこ辿り着いたのですが、流石に、over‐workで、椎名町に着いて、toiletteに行ったら、お久し振りに血尿が出てしまいました。
まあ、明日、1日、のんびりと普段の作業をしていたら、収まるだろうし・・ネ??
明日からの予定では、また、1日には、千葉でのbaroque-konzertのrehearsal で、次の日の2日には、抗癌治療を中座して以来の、泌尿器科の診察になります。その次の日の3日にも、同じ高野台の病院での、糖尿病科の初診察になります。
それで、1日置いて、5日が、千葉教室でのbaroque-konzertの当日になります。
なんか、超、忙しくない??
勿論、それで、8月の予定が終了する分けでは無くて、千葉の教室では、concoursの為の、伴奏合わせのlessonがあるし、ね~ぇ??
折角、その為に、千葉行きになるので、同時進行で、色々な曲の、録音・録画撮りをします。
録音・録画は、静かな事が望ましいので、普段のlesson中は、難しいので、教室の休みのtimingは絶好の機会なのですが、その為だけに、千葉に移動するのは、非効率なので、concoursの伴奏合わせのtimingは絶好のchanceなのですよ。
今日・・つまり、7月の31日は、椎名町教室でも、江古田の自宅でも、合宿の後片付けに追われてしまいます。
それと、平行して、合宿とおさらい会のvideoの編集作業があります。
おさらい会のvideoは、教室でuploadする事になるので、私がYou Tubeにuploadをするのは、それから後の作業になります。
一応、シノギ以外の作業なので、忙しくても、安息日である事には変わりません。
7月31日の月曜日の朝の8時半を過ぎた頃なのです。 ·
朝食でも食おうかな??と思ったのだけど、箸も皿もコップすらありません。
木曜日の27日から延々と、食器類はシンクの中に入れっ放しになっているのですよ。
食事をする前に、先ずは、皿やお箸を洗う所からだよな??
・・という事で、朝の起き掛けなのだけど、シンクの掃除を始めました。
お腹の足しに、何かを食べられるのは、いつの事だろう??
もうスグ、12時になる所です。
お皿とお箸を洗い終えて、持ち帰って来た焼きそばを食べて、作業をしていたら、いつの間にか、椅子に座ったままで、爆睡をしていました。
慌てて、bedに戻って眠ったのは良いとして、bedに戻ってcoolerを付けたのですが、超、古いcoolerなので、急速冷房が出来ません。という事で、寝室は、未だに暑いママなので、仮眠を取るのにも一苦労さえしました。
今日は仮眠dayのダラダラdayなので、そういった雑用と仕事の繰り返しもありの1日のダラけた日を予定しています。(と、言ってる傍から、椅子の上でも直ぐに眠ってしまうからです。)アハッ!
昨晩、椎名町で血尿が出てからは、頻尿の状態が続いています。膀胱が満タン状態でも、一回の排尿では、ほんの少ししか、出ないから、直ぐに溜まってしまうからです。
それでも、one‐cool分の時間は眠れるようなので、助かっていますが。
8月1日『今日のふんだり蹴ったり』 ·
今日の8月1日の火曜日は、南花園教室での古楽器のrehearsal と瑞希ちゃんのlessonの予定でした。
そして、『今日の踏んだり蹴ったり』は、前日の夜から始まっていました。
①先ずは、次の日の準備に追われて、しかも鼻詰まりが酷くて、bedでの仮眠を試みたのですが、とうとう、お楽しみ会の前日と同様に一睡も出来ませんでした。中1日開けての連チャンでの摂眠障害でした。このままで、明日のrehearsal とlessonが出来るのか、心配でした。
②と言う事で眠れぬままに、前日の31日の夜には、一着切りのlesson衣装が、汗を吸ったままだったので、洗濯機に入れて、timerで、洗濯して、次の日に室内干しをして乾かして、なんとか、着れるようにしたのですが、ズボンが洗濯機で、ゴミを吸って、こびりついて、そのホコリをエチケットブラシで取るのが、大変でした。
③頑張って、衣装を、なんとか綺麗にして、カンカン照りの天気が、今にも雨が降りそうになって来たので、洗濯したばかりのlesson衣装を着て、慌ててbikeで椎名町に移動したのですが、丁度、練馬区と豊島区の境の中間地点に来た時に、突然、激しい雷と雹が降って来ました。
激しい雷雨の中を椎名町に到着した時には、パンツまでのびしょ濡れになってしまいました。
激しい雷雨は、ついに雹まで降って来て、とうとう、豊島区には大雨洪水注意報と竜巻警報がでました。東京の豊島区で・・だよ??
lessonが終わったら、楽な衣装に着替える為に、超薄手の上下のスエットを、持って行ったので、取り敢えずは、それに着替えたのだが、バンツは持って行かなかったので、濡れたままで、一日中不快な感じだった。
④激しい雷雨は、風も酷くて、お隣のMansionの自電車が全部ひっくり返るような激しさだったので、楽器等が積み込みの時に、濡れると困るので、荷物の積み込みを見合わせていたのだけど、1時間程したら、突然、雨がやんだので、大急ぎで、その間に、車に荷物を積み込んで出発したのは良いのだが、いつもの王子まわりのコースが大渋滞だ・・と言うので、急遽、首都高に乗ったのは良いのだが、5号線の合流地点から錦糸町迄も大渋滞で、車を出す時に、ちゃんとtoiletteに行って来たのにも関わらず、30分も保たなくなってしまったのだよ。
その理由は、お楽しみ会のover‐workから、椎名町に辿り着いた時に、血尿が出て、それがその後で、頻尿に変わってしまって、通常のone‐coolの時間が保た無くなってしまったのだよ。
⑤大渋滞にハマってしまって、車が止まったままでは、どうする事も出来ないので、已むを得ず、渋滞を避けて、toiletteのあるパーキングエリアを探して、銀座方面からレインボー・ブリッジに抜けて、湾岸方面へ車を走らせたのだが、なんと、東京から千葉迄、パーキング・エリアが一つも無かったのだよ。
とうとう、限界に到してしまい、50年以上の運転歴の中で、初めてtoiletteの為に、一般道に降りて、toiletteを探した。
運良く大型専用のガソリンスタンドを見つけて、しらばっくれて、toiletteを拝借した。その時には、Gott sei Dank!(やれやれ❢❢)・・と思ったのだけどネ??
それから、急遽、Naviを起動して、再度、高速に乗るRouteを探したのだが、Naviの指示が、常に、車とは逆の車線への指示が出て、右往左往の状態になったので、Naviを無視して、高速方面に車をはしらせたら、何とか、高速に復帰出来た。Naviよりも感の方が正確だ・・と言う事だよな??
⑥toilette-timeから、たった、10分、20分の時間だったのだけど、直ぐに尿意を模樣して、予定よりも1時間遅れで新教室に到着したのだが、またまた、教室のtoiletteに駆け込んだら、膀胱が破裂寸前だったらしく、血尿が結構激しく出た。
⑦lessonや録音録画を始めようと思ったら、なんと、俺の楽譜や録音録画の為に準備しておいたmonitor用のearphonesが入ったリュックが車に積んでいなかったのだよ❢ なんの為の準備だったのだ??
持ち運びに落としが無いように、rehearsal に必要な楽譜や小道具類は、ハイツに持ち帰らないで、玄関にリュックに入れて置いておいて、ハイツに戻す譜面はビニール袋に入れて持ち帰ったのだよ。それで、最終的にハイツからの必要な荷物を運んで来て、リュックに詰めたのだよな??
それも玄関での確認済みなのだよ。
だから、てっきり、ちゃんと積んでくれた・・と思い込んでいたのだが、車に積み込んだのを確認を俺がしなければならないのかいな??
悔やんでも、後の祭りなのだ。
⑧楽譜の内容に関しては、再三、渡してあるOrganのpartが最終稿である事を、何度もしつこく確認したのだが、やはり、・・・前日の事なのだが、・・・なんとなく、そういった予感がして、前日の夜は、半轍なのだけど、結構体調的にも、無理をして、VitaliのOrgan-versionの最新の楽譜をprint outして持って行く事にした。
つまり、そういった雑用が結構あって、bedに横になったのは、小一時間だけで、仮眠すら出来なかったのだよ。
つまり、ほぼ、貫徹なのだよ❢❢
案の定、rehearsal を聴いていたら、古い版をそのまま、演奏していたので、楽譜を最新のversionに、訂正させる事に、結構、またまた、手間が掛かってしまった。
なんで、最終稿が分からなくて、一つ前や、二つ前の版をprint outしてしまうのだろうか??
これは、オケ練習でも、校訂が新しくなる度に、同じミスを繰り返すので、毎回、厳しく注意している事なのだけど、それでも、治らないのだよな??
それが無駄な時間を増やしてしまって、時間に追われて、生徒達から「教室はBlack企業だ❢❢」と言われる元になっているのだけどね~ぇ??
何故、そこの動きが改善されないのだろうか??
謎だ❢❢ Questだ❢❢
⑨salonに到着して、Violinの立ち位置を決める時に、Organを弾く時と、Cembaloを弾く時の楽器の配置で、思いの外、手間取ってしまって、またまた、rehearsal をする時間が無くなってしまった。
と言う事で、位置決めや、生徒へのlesson時間が、ダブって来たのだけど、今日は、一人だけのlessonなのだから、私がlesson時間に生徒達にさせる内容を説明して、生徒達に任せて、baroque-konzertの位置決めを優先してやる事にした。
内容は、お楽しみ会の演奏で、ミスった箇所を全部、楽譜にcheckをして、書き出させて(書き出す・・と言っても、ミスをした部分に、丸付き数字を付けるだけなのだが・・、)それを抜き出させて、自分達で録画させて見た。
本人の自己修復能力を見る為の、録音・録画なのだけど、ミスの内容は、根本的な所は無くて、お客さんがいるというpressureでの、チョッとしたミスが出てしまうだけなので、技術的に弾けない・・と言う分けでは無いので、一回目で、全部が成功したので、抜き出し練習は、余り意味は無かったようだ。
それならば・・・と言う事で、私がproの目・・と言うか、concoursの審査員としての目で、checkをした。
審査員の目・・と言うのは、audience(観客)の目・・ではない。あくまでも、審査員としての、粗探しの目という意味での、着眼点を変えてのapproachをしたのだよ。
⑩そう言った普段のlessonでは注意しない着眼点をlesson・lectureしている稀有な光景を、video-cameraで撮影していたはずなのに、赤カメのSDcardをハイツに持って帰って、パソコンに取り込もうとしたのだが、彼女達の自主練習の動画はあったのだが、肝心要の俺のlessonの動画が全く無かったのだ??❢❢
これはどうしたことなのだ??
まあ、最悪の場合には、音声だけは別撮りしていたので、音声だけは、椎名町にはある・・ハズなのだがネ??(それもあるか、心配になって来た❢❢)
lessonの内容は、この1,2年全く同じ内容なので、時間を掛けた分、弓の使い方や、体幹の持って行き方が、結構、自然体になって来て、傍目で見ていても、なかなか、様になって来て、演奏のstyleが、綺麗になって来たようだ❢❢
これで音の一つ一つの微細な所まで、神経が届くようになると、結構、良い線まで行くと思うよ。
ただ、未だ、そういった技術が、完全に自分の物にはなっていないので、それが自分の物になるまでには、もう一段階の練習と、lessonでの配慮も必要になるのだがね・・??
徹夜明けなので、cinderella-time迄には、bedに入りたかったのだけど、videoの事で手間取って、更に、体の汗を流さないと、気持ち悪くて眠れそうにも無かったので、Showerではなくて、風呂に入る事にした。
over‐workが続いているので、血尿が止まらないので、明日の泌尿器科外来での検査が心配になって来たのだよ。
しかし、まあ、この二日間、よくもまあ、「pech❢❢」が続いたもんだ。(pech!って、日本語ではなんと訳すのだろうか??「Ich hatte Pech❢❢」では、「運が悪い❢」と訳してあるのだけど、チョッと意味が違うよな~ぁ??日本語では意味が違ってしまう単語が結構あって、困るのだよ。特に音楽用語では・・)
⑪まあ、pech❢次いでに、蛇足を言うとすると、この2年間で体重が一番増えてしまった。あと少しで二桁になるハズだったのだが、この合宿やbaroque-konzertそれにlessonで、食事のcontrolが全く出来なくなってしまった所為なのだよ。
体重は増える時には、一瞬で増えるのだが、痩せようとすると、中々、痩せないのだよ。人間の体は飢餓に耐えるように作られているのだが、飽食の時代は人類の歴史では存在はしないのだ。
だから、痩せる為の、体の耐性は無いのだよ。
勿論、人為的に作り出せば、別なのだけどね~ぇ??
8月2日病院dayです。 ·
今日は8月2日の水曜日着て行くズボンのベルトがないのだよ。
です。
今日はお久し振りの病院Dayです。
兎に角、暑いのです。
練馬区の気温は もはや、35℃なのです。
病院に行く時間なのですが、よ
夕方の6時半を過ぎた所なのですが、疲れ切ってベッドで仮眠をしていました。強烈なドルのひと声で目が覚めたのですが、勿論、それは夢で、部屋の中は、静まり返っています。
なんなんだ?
どうなっているのだ?
文章が、ぶっ飛んでいるぞ❢
8月2日『ズボンのベルトが無い❢』 ·
『病院記』
今日は8月2日の水曜日です。
今日はお久し振りの病院Dayです。
病院の診察と膀胱鏡の検査は、午後の2時からなので、朝は、他の雑用を片付けながら、並行で病院に行く準備をしていたのですが、服はlessonの時に着る衣装を持ち帰って来たのだけど、ズボンのベルトがなかったのだよ。
lessonの時に大汗をかいたので、取り敢えず、ズボンを洗濯機で洗った時に、ベルトをハズしたのだけど、椎名町にベルトを置いたままで、ハイツに服だけを戻したので、次に、その服を着る時には、代用のベルトをして、椎名町に行ったのです。
元々のベルトはハイツに戻す為に、楽譜を入れるリュックに入れていたので、一時的に、ハイツには全くベルトが無くなっていました。
大雨でびしょ濡れになった服を洗濯機で乾かして、ハイツに持ち帰ったのですが、その時には、ベルトがハイツには全く無い事に気づきませんでした。
と言う事で、病院に着て行く服のベルトが無い・・という事で、椎名町にlineを送っているのですが、返事が全く無いのですよ。
もはや、病院に行く時間なのですが、ベルトがなければ、着て行く服が無い・・と言う事なのですよ❢❢
困った❢❢
それに、兎に角、暑いのです。
練馬区の気温は もはや、35℃なのです。
出掛ける寸前になって、何とか、電話が来て、連絡が取れて、ベルトを持って来てくれる事になりました。
Gott sei Dank!(やれやれ❢)です。
殺人的な好天の中を、病院まで電車と歩きで、トボトボと歩いて行きました。
検査の結果は、2ヶ月の涙ぐましい抗癌治療の結果程の効果は無く、10月の2日に再入院で3日が手術と言う事になりました。
小さな塊がBCGの反応に拠るものか、癌の再発に拠るものかが、未だ分からないので、9月にもう一度検査をして、診断を確定するのですが、どちらにせよ取った方が良いので、手術は確定なのだそうです。
検査と診断が終わって病院を後にしたのは、もう4時近くでしたが、余りにも暑いので、喫茶店か、美味しそうな蕎麦屋で蕎麦でも食って、チョッと気分転換を兼ねた休憩をしたかったのですが、病院迄の道のりには、そんな小洒落たお店は無いので、諦めて、直帰する事にしました。(この所は、毎回、病院からは直帰しています。真面目な事・・というか、それだけの体力が無いのだよな~ぁ??)
ハイツに戻って来たら、ま~あ、いつもの事なのだけど、椅子に座ったままで、暫く、茫然自失をしていました。
ハタと気が付いて、我に返って、bedで仮眠をする事にしました。
夕方の6時半を過ぎた所なのですが、疲れ切ってベッドで仮眠をしていました。
強烈なドルのひと声で目が覚めたのですが、勿論、それは夢で、部屋の中は、静まり返っています。
頑張って起き出して、椎名町行きの準備を開始しました。
bikeで走ると、目の前に大きな満月が・・、と言うか、満月は昨晩だったようなのですが、大雨のtroubleで、気が付きませんでした。・・と言う事で雨天順延で今日が満月になりました。満月に向かって走る・・というのは、中々出来ない事なのだよな~ぁ??
明日も病院で、糖尿病内科の初診なので、朝の8時には病院で、転院の手続きを済ませておかなければなりません。
超、早い病院なのです。
大変だ❢❢早く寝なければ・・、と思ったのだけど、シッカリとドル・プリのお散歩に付き合いました。と言う事で、ハイツ着は、12時を過ぎてしまいました。
これから食料品を片付けたり、眠る準備をしたり・・、と、何かと雑用を熟さなければなりません。果たして、何時に眠れる事やら・・・??
8月3日『糖尿病科の初診の日です。連チャンでの病院行脚です。』 ·
今日は8月3日の木曜日です。
二日続けての順天堂行脚です。
今日は糖尿病科の転院してからの初診日になるので、その手続きもあって、9時からの診察の予定なのですが、8時半過ぎには病院での手続きを始める予定なので、8時チョッと過ぎにハイツを出発します。
それにしても、未だ8時になったばかりなのに、超、暑いのですよ❢
今日はどうやら、日中は、36℃を予定しているようです。
昨日に引き続いて、殺人的な気温になるようです。
その炎天下の中での病院行脚は、流石に、きついのです。
今日の病院は、初診という事で、ロング・ランの予定です。
先ずは、お定まりの血液検査と尿検査が本館1号館の2階で、あります。それが終わったら、棟を変えて、3号館の1階で、受付をして、泌尿器科に行きます。
そこで、診察があるのですが、9時から9時半の予定なのだけど、実際には、30分以上待たされて、診察は10時近くになりました。
診察が終わったら、看護師さんからの注射の打ち方のlectureがありました。
これまでの注射の薬が、Makerの品切れで、世界中に無い状態で、別の薬に変えざるを得なかったので、これまでの注射の打ち方と、これからの打ち方が全く変わってしまって、超、面倒くさくなってしまいました。
その説明を、看護師さんから丁寧にlectureを受けました。
本当ならば、それから、1時間以上も空いて、午後の12時から、栄養指導があるハズだったのですが、11時半に、早めに栄養指導のlectureがありました。
・・とは言っても、これまで、何回目の栄養指導かいな?・・と言う事で、耳タコなのですがね~~ぇ??
私に取っては、dietは半世紀の間、ありとあらゆる試行錯誤を繰り返して、挫折して来たのだから、「何を、今更!」の世界なのだけどね??
勿論、指導する側の先生も、その事は、了解済みで、この2,3年の指導という事で限定してくれたので、色々と疑問はあったのだけど、まあ、おとなしく聞いて起きました。
勿論、言いたい事は山のようにあったのだけどね??
栄養指導の人達は、皆、一様に「言われた通りにやらないから・・」と言うのだけど、俺の方は、「言われた通りにやっても、変わらないから・・」と言うのだよ。
勿論、1年span、2年spanもやった上での話なのだけどね~ぇ??それでも、食事制限がdietに繋がる・・と、信じている人達は、「言われた通りに、やらないから・・」になってしまうのだよ。
実際には、33歳ぐらいまでは高校生の頃から、全く体重は変わらなかったのだけど、食事も生活も変わらないのに、33歳を過ぎた頃から、徐々に、それこそ、マジに徐々に、少しづつ体重が増えて来たのだよ。5㌔、10㌔増えた時にも、民間のサプリは勿論、病院にも行って、色々とadviceを貰って、指導の元に、dietに励んだのだけど、その頃のdietは原始的で、「食わなきゃ痩せる」とか、「運動をしろ❢❢」に尽きたのだよな??
それで痩せたら、誰も苦労はしないのだよ。
病院の3号館の1階に処方薬局があって、わざわざ、薬局迄、薬を調合して貰いに行かなくても良いので、便利なので、そのまま、薬を貰う為に、手続きをしました。
受付の薬剤師の人が、やって来て、私は、2009年頃にこの薬局で薬を処方して貰っていたそうです。
そのお話は、ドクハラで、悩んだ頃の思い出なのです。
後、3ヶ月ぐらいで60歳になる・・と言う時に、大和成和で、冠動脈のbypass手術をして、約、5年近く、神奈川の病院迄2時間掛けて、通ったのだけど、「それは大変だ❢❢」という事で、紹介状を書いて貰って、出来たばかりの、近場で便利な順天堂大学病院に転院をしたのだけど、大混雑で待たされるのも、問題なのだけど、それ以上に、診察の度に、先生から、「血管の寿命は5年程度だ!」「あなたはもう、7年も経っているので、血管がもうボロボロだ❢❢」と、脅かされて、それに対して、「どうすれば良いのか??」と、私が質問しても、答えて貰えなくて、診察が終わると、一週間程、酷い欝になってしまいました。
その繰り返しで、とうとう我慢出来なくなってしまい、近所の循環器の病院に逃げ出してしまいました。
その頃に、通っていた薬局だよな~ぁ??
今の病院の対応からは、考えられなかった時代があったのだよ??
しかし、音楽界・・と、言っても、Classicに限った話なのだけど、未だに、パワハラと、権威主義的な考え方が主流であって、音楽家の上から目線は、一般の人達にも、有名な話なのだよ。
お客様に対して奉仕をしよう・・とか、音楽を楽しませようという姿勢は、未だに無いのだよな~ぁ??
音楽の世界は、医者の世界よりも、旧態然としていて、自浄作用が全く無いのだよな~ぁ??ひたすら、Pianoの技術を磨くのだけど、音楽が与える感動とは技術では無いのだけどね~ぇ??
幾ら説明しても、そこの所は日本人のweak pointになっているらしく、全く分からないのだよ。
昨日と同様に、練馬区の気温が36℃超えの、超、暑い中をテクテクと歩いて駅に向かって帰りました。
寄り道もしないでね??
まさに、熱中症ギリギリの状態だったよな??
病院から帰って来て、直ぐには、仮眠をする予定だったのだけど、汗をかいて体がベタベタして気持ちが悪かったので、椅子に座って、パソコンに向かって、今日の報告を色々と書いていたハズなのだけど、暫し、茫然自失していて、Facebookに再び、書こうと思って、Facebookを見たら、超、Shock❢・・で、何一つ、書いていなかったのだよ。
頭の中で色々と考えて、Facebookに入力した気になっていたのだけど、実際には、夢だったのだよな~ぁ??
歳を取ると、段々と、夢と現実の境が無くなって来るのだよな~ぁ??
いや、夢か現か??・・の世界なのだよ。
その全てが夢になった時には、幽くおなりあそばした時なのだろう・・よな~ぁ??
いや~ぁ、なんまいだ❢ なんまいだ❢❢ アブダカダブラ❢❢❢
椅子の上で、意識混濁状態で、2時間程経って、大分、体調が回復して来たので、頑張って、風呂に入って、体と髪の毛を洗って、少しスッキリとしたので、気分転換に今日の注射を試みたのだけど、看護師さんからlectureを受けた時と、一つだけ、行程が違っていて、「キャップを外したら、次に針の上に被さっているゴムを手で直接外す」・・という行程が、sampleを使ってlectureされた内容から抜け落ちていたのだよ。つまり、看護師さんが持って来たsampleの注射器には、針のガードのゴムが付いていなかったのだ。理由は、針は捨ててはいけないのだけど、針先をguardしているゴムのカバーは、ゴミ箱に捨てる所の実演をやっているのだよ。だから、ゴムのカバーは無かったのだ。(捨てる真似・・だけで、本当に捨ててはいけないのだよ。そこが間違えているのだ)
だから、カバーのゴムが被ったままで、針を打ってしまって、針を2個も無駄にしてしまった。
パンフを見ながら、Text通りにやったつもりだったのだけど、別のPageにちゃんと、書いてあったよな??大切な事なので、確認の為に、別のPageに丁寧に書いたつもりなのだろうけれど、manualとして見る場合には、順番に見て行くので、大切だから別のPageへ・・という見方はしないのだよ。
殆どの人達が俺と同世代なのだけど、他の患者さん達は分かるのかな??
8月4日日本の誤魔化しpedalの話 ·
今日は8月の4日の金曜日、baroque-konzertの前日で、お久し振りに、予定の入っていない日です。
(今日は・・、と言うのは、3日の深夜・・という事です。営業的には25時とか言うべきなのでしょうがね・・?)
今日は安息日であるハズなのですが、baroque-konzertの前日にも関わらず、未だVitaliのchaconneの譜面を弄っています。
とは言っても、流石に、もう、音を変えているのではなくて、譜面が読み易いように、音符の位置を調整しているのです。
譜面が読み易いように・・と言う意味は、Cembaloの場合には、Violinのmelodieの伴奏として、和音で演奏されます。
しかし、Organの場合には、Cembaloのように、縦に和音が配置される分けではなくて、Organのpartの場合には、それぞれの声部が旋律として横にmelodieのように、繋がって行きます。
日本人がbaroque時代の音楽を学ぶ上でのneckは、Pianoを専門的に学ぶ人達でも、melodieのlineを、melodieとして演奏出来る生徒は非常に少ないのです。
polyphony(複音楽)の勉強で、初歩の教材として、BachのinventionとSymphonieを勉強しますが、そのBachの曲を学んだ・・としても、BachがinventionとSymphonieを書いた当初の目的であるlegatissimoの歌う奏法を学んでいる生徒は皆無なのです。
それは、inventionを練習する上で、Pianoという楽器で練習をするので、legatoが聞き取れないのです。
そればかりか、子供達に指導をする先生ですら、Organのような音の持続する楽器で練習をした経験が無いので、だから、某国立音大の先生達ですら、旋律が繋がらなくて、ブチギレに弾いていて、それをなんの疑問にも思わないのです。
もっと、最悪な事は、そのブチギレのmelodieを誤魔化す為に、half-pedalを子供達に踏ませている指導者の多い事❢❢
concoursのようなproを目指す為の、音楽を学んでいる上では、最高の水準であるべき子供達の演奏ですら・・、否、その中でも、全国に進むtap-classの生徒達ですら、half-pedal(所謂、誤魔化しpedal)のon paradeなのですよ。
つまり、Organ特有の(というか、Cembaloも当然なのですが・・)音を指でlegatoで繋げるという、所謂、legatissimoの奏法が全く出来ていないのですよ。
つまり、Bachがinventionで書いていたlegatissimo奏法の習得・・というthemaが全く出来ていないのですよ。
Organが伴奏の場合には、基本的には強弱が出来ないので、声部の数で、強弱を表します。
それに一つ一つの音の強弱は、ornamentで、強拍や弱拍、或いは頂点の音等を表現します。
また、左手はcontinuoのpartを演奏する分けなので、基本的には3声部でも、4声部でも、右手のpartに書かれる事が多いのですが、実際に演奏する場合には、上のpartを、continuoと一緒に左手で演奏する事も多いのです。
だから、その場合には、右手のpartを減らして書く事が可能なのです。
そうすれば、複雑で読み取り難い多声部のpartを、少しだけ減らして書く事が出来ます。
多声部書法に慣れていない日本人の音楽家には、そういった配慮が必要になって来るのでしょうかね??
・・という意味で、昨晩は、ふと、思い付きで、右手のpartを左手側のcontinuoのpartに移す作業をしました。
・・という事で、(普段はそこまでの配慮はしないのですが、)今回のVitaliのchaconneのOrganの譜面では、そういった事に配慮をしてみました。(まあ、それが今日の徹夜の理由なのですよ。)
そういう事で、「お久し振りに、予定の無い日だ❢❢」・・という事なので、嬉しさも手伝って、深夜である事にも関わらず、安心してfinaleで楽譜を弄っていたのですが、finaleの入力の作業も一段落して、「そろそろ寝ようかな?」と思って、眠る準備をしながら、閉じたfinaleをもう一度開いて、chaconneのPageのlayoutを確認していたら、超、Shock❢❢で、徹夜で作業をして、見易く、弾き易く・・と、修正をしたハズの音符の変更が、何一つ、反映・・というか、保存されていなかったのですよ。
上書き保存が、全く出来なくなってしまっていたのです。
椎名町に送っていた、最終校訂版を開いて見たのですが、全く同じ状態でした。
control+saveで保存をして、更に終了する時には、fileの画面から上書き保存をしていたのにも、関わらず・・なのですよ。
fileの場所を色々と探して見たのですが、最終校訂版は見つかりませんでした。
「徹夜の作業が全く無駄になってしまった❢❢」「Ich hatte Pech❢❢=こんちくしょう・・ぐらいの意味かな??」・・と、その不遇を嘆き悲しみながら、「昨日、print outした楽譜に書き込んだ赤のcheckの訂正箇所を手掛かりに、もう一度、最初から作業をする他は無いよな??」と、人生を諦めて、finaleを新たに開き直すと、なんと、最初のfileのPageの下に、finaleで作業をした履歴が残っているではありませんか??
lineに添付をしたchaconneは、名前がbugった分けの分からない中国語のような漢字の羅列で表記されていて、開くと、やはり、旧稿のままでした。
後も、旧稿のままだったのですが、その中に「M:finale」という見たことも無いfileがあって、試しに開いて見たら、なんと、徹夜で作業をしたfileだったのですよ。
「これはシメた❢❢」と、大元のfileに上書きをして、保存をして、開き直したら、なんと、やっぱり、旧稿のままになっていました。
fileが書き込み禁止になっているようなのですが、全く身に覚えはありませんし、書き込み禁止の解除の方法も分かりません。
また、書き込み禁止のfileであるmessageも出て来ないのですよ。
「これは、fileが壊れてしまったのだよな??」・・という事で、まあ、取り敢えずは、別名で保存をして、元の書き込めなくなったfileは削除して起きました。
怖いので非常用に元の「M:finale」のfileは削除しない事にして起きました。
windows上のshort‐cutも削除して、もう一度新たにshort‐cutを作り直しました。
そうこうしていたら、なんと、朝の8時を過ぎていた・・という分けなのですよ。
いや~ぁ、これはもう、catastropheの世界だよな??
大急ぎで眠る事にします。zzzzz~❢❢
・・・という事で、今、起き出した所なのですが、もう夕方の4時を過ぎた所です。
勿論、一度、toilette-timeで11時半には目が覚めたのですが、直ぐにそのまま、寝たので、超、お久し振りに、爆睡出来たようです。善哉❢善哉❢
先ずはroutine作業からなのだけど、lineで先生達と明日の打ち合わせを同時進行でやっているので、中々、体重測定や、食事time迄には行かないのだよな??
ハイツのボッチ作業は、あっちこっちからの問い合わせ等に応える作業で、結構、忙しいのだよ。
同時に三っぐらいの作業を並行する事もあるのですよ。
今日はそれで、慌ただしく一日が終わってしまいました。定時の9時に椎名町にbikeで移動して、食事を済ませて、ドル・プリっ歩に付き合って、大急ぎで、ハイツに戻って来て、しかし、今日は冷蔵庫に収める食料品はありません。明日の出発は朝早くなるので、食べている時間は無いからです。
急いで寝なければならないのですが、bedに横になっていたら、又、鼻詰りが起きてしまって、諦めて、椅子に戻った所です。
そこで鼻が通るまで、待ちます。
Facebook等は書かないで、パソコンも閉じて、ただ、ひたすら、睡魔が訪れてくれる事を待ちます。
まあ、Sandmanでも良いけれど・・、Hypnosでも構わないけれど・・、日本では砂かけ婆・・なのかな??
8月4日やっと、baroque-konzertのprogramが出来ました。 ·
(会場でお渡しする分なので、一応は、時間通りです。)
今日の明日になりましたが、宣伝不足の為に、席が殆ど塞がっていないようなので、当日でも結構なので、お暇な方は、ぜひ、遊びに来てください。
『BiberのRosary Sonateのお話』
曲目は、いつもの通りに、超、rareでmaniacな、日本では殆ど演奏される事の無い、Heinrich Ignaz Franz von Biberの有名なRosarysonateを中心とした曲の演奏です。
BiberのRosarysonateや物真似Sonate(Sonata representativa)のようなBiberのViolinの曲の連続演奏が斉藤先生のlifeworkなのです。
scordatura(スコルダトゥラ)という特別な調弦法に拠る演奏なので、世界でも演奏の出来る人が、殆ど数える程しかいない・・と言う難曲なので、lifeworkとしての課題には充分過ぎる程の難曲なのですヨ。
lifeworkという事で、教室で指導を始めた頃から、公開演奏を続けているので、多分、次のbaroque-konzertでは、Rosarysonateの全19曲の完全制覇になる・・と思いましたが・・ネ。
『VitaliのchaconneのOrgan‐versionのお話』
Programの最後の曲であるVitaliのchaconneのoriginal版の演奏ですが、この曲は2016年の11月の23日に、千葉の鞘堂で、cembaloの伴奏で公開演奏をしました。
曲のTitleには「Realization」という聞き慣れない言葉が書いてあるのですが、元来は、「Realization of the continuo by Yoji Ashizuka 」と、なるハズなのですが、それではなんの事なのか、分からないと思われるので、簡単にRealizationとだけ、書いておきました。
baroque時代は、即興演奏の時代でありました。
例えば、Violinのsoloの曲の場合には、伴奏のpartは、通奏低音と呼ばれる低弦のpartの音符の上に、和音を表わす数字が書いてあって、CembaloやOrgan奏者や、guitarやLauteの奏者は、その数字を見て和音を即興で演奏しながら、伴奏をしました。
という事で、元来はCembaloやOrgan奏者が低弦の音符上の数字を見ながら即興で伴奏するのですが、やはり、専門的な知識が必要なので、こんにちの日本ではそういった勉強をしている音楽大学はありませんし、それを指導出来る先生達もいません。
仕方が無いので、不肖、私が右手のpartを作成しました。
数字を実際の音符にする事を、「Realization of the continuo by 某」と、言います。
前回の演奏会の為には、元々のchaconneは、organ伴奏の為に作曲をしていたのですが、 positive organ を、鞘堂迄、運ぶ事が困難だったので、已む無く、急遽、Cembalo伴奏のversionを作って演奏しました。
しかし、元々の曲は、chaconneというPolyphonisch(複音楽的)な曲の性格上、今回の positive organ の為に書いたversionの方が、曲の性格にはあっていると思っています。
・・という事で、2016年の11月の鞘堂コンサートの後では、いつの日か、元々のOrgan-versionのchaconneの公開の演奏で、revengeをしたいと狙っていたので、今回のbaroque-konzertのprogramに加えて貰いました。
また、一般的に知られているVitaliのchaconneの場合には、Violinのarpeggioで華やかに盛り上げた後は、最初のthemaを繰り返して華やかに終わるのですが、このoriginalのfassung(版)では、盛り上げた後は、だんだんと遅く、欝っぽいmelodieが繰り返えされて、静かに終わります。
まるで、人生を華やかに活躍した人が、恰も静かに死んで逝くようなimageです。
だから、現代に私達が耳にしている華やかなままで終わるchaconneとは、最後の部分が全く違っています。
このVitaliのchaconneを、Pianoの伴奏に手直しをしたのは、MendelssohnのViolin‐Concertoを初演した事もある、当時の名violinistであるFerdinand Davidが、彼の高弟達のvirtuositätな技術の習得の為に、Die Hohe Schule des Violinspielsという2巻になるViolin曲集を作って、数多くのbaroque時代のViolinの曲をPiano伴奏用に編曲した事によります。
こんにち、私達がよく知っている(聴かれている)baroqueの名曲は、その殆どが、このDie Hohe Schuleから抜粋された曲になります。
勿論、当然、Vitaliのchaconneも、このDavid版が原曲であり、それはCharlier版も、底本はFerdinand Davidの底本を使用して、そのVariationの順番を入れ替えたり、華やかに技術的に難しくしたり・・としただけなのです。
このDie Hohe Schule des ViolinspielsからのPiano伴奏のbaroqueの名曲の演奏は、斉藤先生の演奏で完結しています。
『BachのItalian‐Concertoのお話』
賛助出演では、baroque‐Violinの伴奏をして頂いた、山元香那子さんにCembaloの演奏をして貰います。
曲はBachのItalian‐Concertoです。
元来、この曲は、二段鍵盤のCembaloの為の曲なのですが、2段鍵盤のCembaloを、私の江古田の自宅から、運び込む事は、不可能なので、今回は、千葉教室に置いてある、Ruckers‐modelの1段2列のCembaloでの演奏になります。
教室でCembaloを制作を古典楽器センターの佐藤さんにお願いした理由なのですが、1段鍵盤を作って貰う事に拘ったのは、先生達が自分達で会場に運べる限界の重さだったからです。(2段鍵盤の場合には、運搬は業者にお願いしないと無理なので・・ネ??)
今回使用する1段鍵盤のCembaloは、古典楽器センターの佐藤さんの制作になるCembaloのStradivariと言われるJoannes RuckersのCembaloの復刻modelです。
『baroque‐pitchと古典調律のお話』
また、話は前後しますが、Biberでは、Cembaloは、baroque‐pitchと言う事で、A=418cycleのpitchで演奏します。
また、調律法はKirnbergerの第三調律という古典の調律をします。
baroque時代には、多くの古典調律法があって、Mozart等が愛したmeantone調律法等が有名なのですが、純正調を取る為の皺寄せが、AsとEsの音に寄せられているので、g mollのNapoliのchordが弾けません。Kirnbergerの第三調律は、平均律の調律に結構、近いので、何処かの音にWolf-ton が来る事はあまりありませんので、愛用させて貰っています。
『演奏開始時間のお話』
演奏時間のお話ですが、前回のsoireeでの演奏開始では、主婦の方達が、家庭での夕食の準備に間に合わない・・というclaimがあったので、少し、演奏開始時間を早めて、開演を夕方の4時に、終演を5時過ぎにしました。
それならば、演奏が終わってから、自宅に戻って食事の準備を始めても、間に合うのかな?・・という事で、あまり、開始されない時間になりました。
『参考までに:』
下のURLは「通奏低音とornament」についてのお話ですが、通奏低音=basso continuoを説明すると、結構、大変な説明になってしまうので、コンサートで、その解説をする事は時間的に難しいので、興味のある方は、homepageをご覧になってください。
また、この「通奏低音とornament」のPageでは、Biberについて、かなり多くのPageを割いています。
かなり、膨大な文章なのですが、実はこれでも半分近くの文章は、2018年9月29日のcatastrophe(homepagebuilderが勝手にupgradeを始めて、homepageの殆どの文章が失われてしまった・・という、catastropheです。)で失われて、頑張って、復刻した文章なのです。
興味がお有りの方は、ご覧ください。
http://ashizuka-s-oheya.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/tst...
村田 晟
近ければ行くんだけど・・・🌷
返信する
22週間
芦塚 陽二
有り難うございます。コンサート当日の演奏では無いのだけど、後日、You Tube用に(お客様を入れない形で・・)撮り直す予定なので、お待ちください。伴奏は教室の生徒になりますが・・
返信する
22週間
編集済み
8月5日『baroque-konzertの日なのです。』 ·
今日は8月の5日の土曜日の朝の8時を過ぎた所です。
いや~ぁ、今日もまたまた、pressure・・か?・・雑用がなかなか終わらない為なのか??・・それとも、鼻詰りか???・・で、今回も、とうとう、貫徹になってしまったのだよな~ぁ??
この所、毎回なのだよな~ぁ??
2日前の、お楽しみ会の前日も、眠れなくて、結局、徹夜になってしまったのだよ。
眠る迄の、rotationが上手く行かないのだよ。
困った事だ。
「起きなければならない」、という事が、私のPressureなのだよ❢
『強迫性障害』
しかし、これまで、前日にちゃんと眠っても、それから、次の日に、起きれなかった事は、一度もないのだけど、潜在的には、「起きれなかったらどうしよう?」ってPressureがあるのだよな?
或る意味では、強迫性障害なのだよな~ぁ??
Cembaloの部屋の壁には、形と大きさが微妙に違う無数のshoulderが掛かっているし、山のような鉛筆とボールペン等々と、部屋の電気を消したか??何度も確認をする為に、電気を点けてcheckをして、そのまま、忘れてしまう・・・のだよ??
まあ、強迫性の神経症は、確定なのだが、性格の問題なのだから、致し方はないのだよ。
『Interchangeを間違えた❢』
という事で、色々と、今日、出掛ける前の雑用をしていたら、あっという間に、もう、出発の時間になってしまった。
完徹のまま、猛暑の中を千葉に向かって出発したのだが、結構、断続渋滞があって、コンサートの打ち合わせをしながら、車を走らせていたら、なんとInterchangeと、出口を間違えてしまった❢
一つ、手前の出口で、出てしまったのだよな??
同じ出口での間違いで、これで2回目の間違いなのだよ❢
已む無く、一般道を次の高速の入り口に向かって走ったのも、前回と同じなのだよ。
15分以上のloss-timeをしたのだが、それでも、車の場合には、渋滞に巻き込まれると30分ぐらいの遅延は当たり前なので、その時間のゆとりは計算をしているので、時間通りに、新教室に到着をして、salonのエアコンを点けて、Cembaloの温度調整を始めた。
Cembaloが、温かいままに、調律をすると、部屋の温度が下がって来るに従って、pitchが狂ってしまうからなのだよ。
南花園教室は7月の28日からの合宿とお楽しみ会が終わった後で、先生達も疲れ切ったので、教室の合宿後の後片付けをしないままで、そのままにして、椎名町に帰ってしまったので、部屋の温度を下げながら、同時進行で、掃除機掛けを斉藤先生がしていた。
私はその間、暫し、事務室で休んでいて、やがて、大分、室温が収まって来たので、会場作りの椅子並べ・・と、video-cameraのsettingのlayout決めと、同時並行的に、Cembaloのtuningを始めた。
会場作りや、掃除等の作業を、3人だけでそういった単純作業をするのは、人数不足で非効率なのだが、斉藤先生も牧野先生も、生徒へのお手伝いは呼んでいないようなので、私が先生達に苦言を呈した。生徒達の意識を育てるchanceを逃したからである。
そもそも、これまでの色々な行事をやる時には、音楽の方面に進む生徒達が必然的に、お手伝いをしていたハズなのだ。
そのお手伝いに来る生徒達が、今は、一人もいないのだよ。
椅子を並べる作業やvideo-cameraのangleを決める作業も、俺と先生達、2人だけなのだよ。
・・とは言っても、仕事の流れは人海戦術ではないのだよ❢
作業自体は、私達が3人でやった方が、生徒達に手伝わせるのよりも、遥かに早いし、生徒達に説明している時間は、仕事が進まないので、結果的には非効率である。
先生達が自分達で、作業をするのならば、いちいち私が指示しなくても、率先して、私がやっていない所をドンドンやってくれるからなのだよ。
生徒達に仕事の説明をしていたら、時間ばかり掛かってこうは行かないのだよ❢
つまり、音楽の世界に進む生徒達を、helpで手伝わせるのは、先生達が手抜きをする為、楽をする為では無いのだよ❢
実際に、生徒達がproとして、演奏活動や社会活動等々を始める時には、自分達で、そういった作業が出来なければ、誰かをassistantに雇う事すら出来ないのだよ。
つまり、演奏会をやる本人が、演奏会の裏の作業の内容が分かっていなければ、人を雇っても、指示する事は出来ないからなのだよ。
そういった実際の、演奏会に必要な知識は、当然、音大では教えてくれないし、師事している先生が教えてくれる分けでもない。(先生達自身が、そういった作業を知らないからなのだよ。音楽大学の教授連中は、音楽界の事は全く知らない。音楽大学を卒業して、そのまま音楽大学に就職したのだから、音楽界に身を置いた事は無いのだよ。だから、彼らの音楽界へのapproachは、aquariumのように、外から見た世界に過ぎないのだよ。だから、よく、日本の音楽家は我儘だと言われるのだが、それは、我儘ではなくて、そういった社会的な活動の方法を知らない・・という事が引き起こす、無知に拠る所の我儘なのだよ❢)
音楽での、そういった現実的に動かなければならない・・術を覚える事は、学校教育のように、そういったcurriculumが存在する分けではない。
全ての会場、全ての企画で、少しづつ、変わって行くからなのだ。だから、そこは職人の世界と同じで、師匠に従って体験で覚えて行かなければならないのだが、日本の教育では、職人を育てる教育ですら、学校が牛耳っている傾向にある。
しかし、くどいようだが、現実の社会にはcurriculumは存在しないのだよ。
私はよく、音大からは、学ぶ事は何一つ無かった・・という話を口にする事がある。(勿論、小学校から大学迄の長いcurriculumも同様なのだが・・)
私が音楽大学に入学した時には、養父からは経済的には勘当状態で、入学して直ぐから、自活しなければならなかったのだよ。
当然、他の学生達と同様にバイトをしなければならなかったのだが、私がそこで、私自身に課した課題は、音楽関係・・それもClassicに限定して、勉強になる仕事以外は絶対にしない・・という事だったのだ。当時は未だ、コンビニのようなバイトはなかったので、男性ならば、配送係や女性ならば、食堂の配膳のような仕事しか無かったのだよ。他の学生達がそういったバイトをやっている時に、1年生の時から、大学の先生達のお手伝いや、音楽関係のProductionのお手伝い等をした。しかし、それらは不定期の仕事だったので、安定した収入を得る為に、大学の教授達から受験生を紹介して貰って、受験の指導のバイトをした。そうった色々なバイトをする事で、当時の東大の卒業生の初任給よりも、数倍の高収入を得る事が出来た。それに、音楽関係の色々な仕事を覚える事が出来たのだよ。
不思議な事は、どうして、誰もそういったバイトをしようとはしないのか??
その答えは簡単である。
そういった仕事を覚えるには、そういった仕事を出来るようになる迄の、とっつきがとても大変だからである。
バイトをする人達は、勉強をしなくても、簡単に出来る仕事をしようとする。
しかし、それは自分の大切な時間の切り売りに過ぎないのだよ。それで失うものは、非常に大きいのだけど、それを自覚する学生は皆無である。
目先の事しか、見えない・・からなのだよ。
私が音楽教室を作った時には、未だ、芸術とは、手に職を付ける事・・という考え方が残っていたので、発表会の前日や、終わってからも、生徒達が教室に来て、準備や後片付けを手伝ってくれた。
女の子達の多くは泊まり込みで、仕事を手伝ってくれたのだヨ❢❢
それが、今は、音楽は学校で学ぶ・・という考え方が主流になってしまった。
音楽を仕事にする為には、音大に行かなければならない・・という考え方が主流になってしまって、それ以上に、音楽は学校で学ぶもの・・という考え方が一般的になってしまった。
親達も、音楽大学で、授業やlessonで勉強するだけで、音楽家に成れる・・という錯覚を抱いてしまっているのだよ。
まあ、それは、別に音楽に限らず、他の就職に関しても同じで、日本独自の考え方なのだがね??
一般の会社に就職をしたとしても、上を目指す人達は、余暇を使って、自分の稼ぎの大半を、色々な技術の習得に掛けている。
ひたすらに営業だけを頑張っている社員とは大違いなのだよ。
音楽大学で学ぶだけが、音楽の学びである・・という大きな勘違いが、それが日本独自の考え方であって、今の日本の音楽家達の成長を阻害している根源だ・・という事が、誰にも分からないのだよ❢
私が音楽大学ではなくて、音楽教室を作る事を選んだ根本的な理由は、子供達がproの道に進めるか、否かは、基本的には、その子供達が小学校を卒業するまでに、音楽の基礎知識を充分に得れるか否かで、その生徒の将来が決まる・・という事なのだよ❢
日本中の音楽家達は、基礎力という事を、演奏する技術だと勘違いをしている。
演奏技術、所謂、Technikは、音楽を学ぶ上では、音楽の全体の基礎力の中の、10分の1程くらいの比重しか無いのだよ。
本当に、proとして必要な音楽の基礎的な技術は、technik以外の所にあるのだが、日本人の音楽家達はそれを知らない。
miserableな事であるよ。
小、中学生の時に、充分な基礎知識を習得する事無くて、proに道に、涙ぐましい根性だけで、進んだ人達には、私の言う所の「30の壁」が控えている。
「30の壁」とは、音楽家でも、33歳ぐらいまでの間は、技術力と若さと美貌と、生命力で、人々に持て囃される事がある。
しかし、33歳を越えると、その若さも美貌も、更に、技術力でさえも・・、否、生命力でさえも、衰えてしまうのだよ。
(事の次いでに言っておくと、医者はあまり知らないようだが、肥満には、食い過ぎに拠って起きる肥満と、内蔵の衰えに拠る肥満の2種類がある。全ての動物の寿命は、生殖能力が衰えた次点で、寿命も尽きるように出来ている。しかし、人間だけが、複雑な生活を指導する老人の存在が必要なので、生殖能力が衰えた後でも、それ迄と、同じぐらいの長さで生き続ける事が出来るのだよ。つまり、生物学的に言うと、人間の寿命は30歳で終わっているのだよ。だから、それ以降は経験上の知識として、生きて逝くのだよ。)
若さや美貌に群がる人々は、冷酷である。音楽に群がっている分けでは無いからなのだよ。
今までファンとして支えて来た音楽家の衰えを知った途端に、次の若い美しい、生命力のある若者達に乗り換えて、群がって行くのだよ❢
所謂、「30の壁」を乗り越えるには、technikではなくて、基礎力に拠る所の実力しか無いのだよ❢
(もっとも、不思議な事に、基礎力のある人達は、technikを兼ね備えているのだけどね~ぇ??それは、表現を追求していった時に、意図も簡単に、自然に身に付いた能力なのだけどね??)
昨日のFacebookでは、前日迄に、お客様が10人程しか集まっていない・・という事を先生から聞いて、慌てて、演奏会に来てくれる人達を募ったのだけど、今日、会場となる2階のsalonに、準備されていた椅子を並べて見たら、準備していた椅子の数は、僅か、20脚だった。(最低でも30脚は並べたいよな??)
という事で、当日の飛び込みが結構、あったので、18席は埋まっていた。
それに欠席者が1名いたので、準備したpipe椅子の数はギリギリだったのだよ。
当日の飛び込み参加の一人に、3歳から小学校を卒業するまで、指導をしていた生徒が、20年振りに訪ねて来た。
10月に彼の演奏会をするので、その宣伝の為に、教室を訪れたのだけど、会場に人が集まって来て、演奏開始までに、時間があったので、前座で本番で演奏する曲であるBachの無伴奏を数曲、演奏して貰った。
後は、売り込みの宣伝は、自分でやるように言ったので、お客様に色々と、10月の演奏会の説明をしていたようだ。
今、proとして、活躍をしているOB・OG達が、教室をそのように利用してくれるのは、とても嬉しい事だ。
勿論、お母様も来ていて、昔の生徒達と同窓会をやっていたよ。アハッ!
Organの方向を4Kのcameraで撮影して、もう一台の所謂、黒カメで、Cembaloとのコラボを撮影していたのだが、音声の録音のSwitchを入れるのを、忘れたそうだ。
video-cameraの電源は、私がonにしたので、問題は無かったのだけど、なんと、またまた、黒カメは、SDcardに動画が保存されていなかったのだよ。
ちゃんと、SDcardをmemoryにするように設定をしたのにも関わらず・・なのだよ。
またまた、多分、本体に入っているのだと思うのだが、本体のmemoryは初期化しておいたので、問題無く保存されるとは思うのだが、編集の作業がまたまた、一週間ぐらいは、遅れてしまうよな??
8月1日の瑞希のlessonの録画が音声だけしか無かったのだけど、今日のコンサートの次いでに、黒カメの本体に動画が残っていたdataを、SDcardに保存し直して、ハイツに持ち帰って来たので、今日中、という事で、You Tubeに(lesson‐videoなので、当然、限定公開で・・)uploadした。
lessonの風景のURLを、You Tubeに公開でupするのは今回が始めてです。
勿論、オケ練習の風景は、個人のlessonでは無いので、昔は、uploadをした事はありますが・・、今は、オケ練習でも公開はしなくなりました。嫌な世の中になって来たよね~ぇ??
https://www.youtube.com/watch?v=EeR-K1GMDcw
(そこまでの作業を、ハイツに戻ってからやり終わってしまった。)
前日の夜が貫徹なので、二日続けての作業は、流石に辛いのだが、体が汗で気持ち悪いので、風呂に入る準備の時間に、並行で、動画のパソコンへの取り込みの作業と、風呂に入って髪の毛を洗ったのですよ。今日は結構汗グッショリになったので、風呂に入らないと、とても眠れなかったのでね??
今日は、流石に疲れ切って、爆睡が出来た❢❢
善哉❢善哉❢
8月6日『一夜明けて・・』 ·
今日はbaroque-konzertから、一夜明けて、8月6日の日曜日なのです。
まあ、8月5日の深夜の27時と言った方が良いのかな?
しかし、体感的には、どうしても今日は月曜日の感じがするのだ。
つまり、baroque-konzertの日が日曜日だった気がしているので、ハイツに戻ってから、「テレビ番組の録画が出来ていない❢❢」と超、Shockを受けたぐらいなのだよ。
今日は未だ、土曜日の夜だったのだから、日曜日の分が録画されていないのは至極、当たり前の事だったのだが、思い込みが強くて、それに気付くのには、結構、時間が掛かった。(Alzheimerかいな??)
千葉から帰って来て、ハイツに到着したのは、なんとか、かろうじて12時前だったのだけど、(土曜日の深夜の話だよ❢・・・土曜日❢❢ 土曜日❢❢❢)Videoをパソコンに取り込んだり、汗をかいてしまった身体を風呂に浸かって髪の毛を洗ったり・・していたら、結構、時間が掛かってしまったのだよ❢
前日からの貫徹で、体力は、とうの昔に限界に達しているのだけど、流石に風呂に入らないと、安眠する事は出来ないからね??
折角の夏休みなのだけど、concoursの為にlessonが入って来て、夏休みとは無関係の個人lessonもあるので、夏休みとは言っても結構、仕事的には忙しいのだけど、それでも2,3日は自由時間があって、動画の編集の作業に専念出来る・・ハズなのだが、
肝心要のbaroque-konzertのsubのvideo‐camera(黒カメ)のdataが、SDcardの中には、全く何も入っていなかったのだよ。
黒カメ用のSDcardは、dataを保存する為に、一度、完全に初期化してあるのだが、初期化の時にも、dataの保存はSDcardにするように、確認をしていたハズなのだが、やはり、多分、お楽しみ会の時と同様に、camera本体に動画のdataが入ってしまっているのだよ。お楽しみ会の時には、瑞希ちゃんの自主練習の時のvideoは、ちゃんとSDcardに収まっていたのだけど、その次の2階でのlessonのvideoがSDcardには保存されないで、本体に入ってしまったのだよ。多分、defaultが本体側に設定されているのだ・・と思うのだが、defaultの設定が出て来ないので、分からないのだよ。
という事で、お楽しみ会の時と同様に、千葉に行った時に、黒カメをcheckして、dataが本体に残っていたら、SDcardに移して、東京に持って帰って来なければならないのだが、夏休み中でlessonが無いので、千葉の教室に行く事が無いので、dataを持って帰って来る事が出来ないので困ってしまっているのだよ。
今回のbaroque-konzertで、cameraを2台使った理由は、正面からのcameraでは、OrganとViolinを撮影するのは問題が無いのだが、左側に配置しているCembaloは、angleから顔が切れてしまうので、CembaloとViolinを中心にしたangleの為に、もう一台のcameraが必要になったのだよ。
もし、正面のcameraを誰かが担当して、cameraをPanをしたとしても、angleがCembaloやViolinに対して、斜め方向の位置になってしまい、頗る、不自然なのだよ。
だから、別のcameraで、CembaloとViolinを専用に撮影して、ちゃんと正面になるように配置したのだよ。
音声はどちら側のcameraで撮影しても、同じ音声になるように、音声だけを録音機で別に収録したハズなのに、Switchを入れるのを忘れてしまったって・・サ??
毎度の事ながら、何をやっているのだろう。
2台のcameraのSwitchは俺が入れたので、落としは無いのだけどね~ぇ??
下準備の進行表の紙に、それぞれの時間軸の欄の他に、checkの欄の□を作っていれば良いのにね??
その為に、遅れてしまう編集作業は膨大な時間の無駄になるのだけど、忙しさにかまけて落としを作るぐらいならば、check表は絶対に必要だと思うのだけどね~ぇ??
仕事や作業には、必ず、手順がある。
それを間違えると、大変なtime‐lossをしてしったり、今回のように、落としを作ってしまうのだよ。
私の作業はパソコンに頼る事が多いので、パソコンに仕事を任せる事が多いのだが、その作業の中には、一つの作業がパソコンを独占してしまって、パソコンで並行して作業をする事が出来無くなってしまう作業も結構、多いのだよ。
通常ならば、並行で他の作業の同時進行が可能なハズのpowerdirecterでも、作業の内容に拠っては、パソコンがbusyになってしまって、パソコンを独占してしまう場合があるのだよ。
その為に、他の作業に「遅れ」とかの、差し障りが出て来る場合も多いのだよ。
そういった場合には、色々な作業を効率的に、作業の順番を決めて行く事が非常に大切な、且つ、重要な事になるのだが、こういった事を、なかなか先生達が覚えてくれないのだよ。勤勉な人達は、「考える時間が勿体無い」と、思ってしまうのだよ。「そんな考える時間があったら、先に仕事を片付けた方が早い・・と思い込んでいるのだよ。そして、mistakeを繰り返したり、同じ仕事をloopさせたりしているのだよ❢❢
私は、それこそが、「時間の無駄」としか思えないのだけどね~ぇ??
You Tubeのuploadの場合でも、昔は複数の動画を同時にuploadする事が、You TubeのuploadのPageの中で出来たのだが、今は一つをuploadしている時には、You Tubeの別のuploadのPageは開かなくなってしまった。
(もっとも、同時にYou Tubeにuploadする事は、それなりの逃げ道はあるのだが、それを使ってuploadしたとしても、uploadに掛かる時間は全く変わらないので、作業効率は、2本、3本の動画をuploadしても、或いは、1個の動画を、一つづつuploadしたとしても、その作業効率には大差は無いのだよ。)
それに、あまり色々な作業を、同じに、computerにさせると、Hung Upする事もあるし、勿論、computerの動きも、その分、遅くなってしまう。
パソコンをfull稼働させたままに、並行で、他の仕事をすると、作業全体としては、結構な時短になるのだが、どの作業が終わったのか??というcheckが必要になるのだよ。
(作業自体は、パソコンの作業だけではなくて、他の機械を使用した色々な作業があるので、パソコンを離れなければならない作業も結構あるのだよ。)
そうった作業が終わったか、否かをcheckする事は難しいのだよ。
そのcheckの為に、ハイツには無数のtimerがある。
(・・これは仕事で必要に迫られて・・無数に持っているtimerなので、強迫性障害で集められたcollectionではない。)
お気に入りのtimerは、1個のtimerで、4っつ同時に、timerをset出来るし、最大99時間先までset出来る優れ物がある。
また、そのtimerは、同時に、時間の逆算も出来るので、countdown‐timerにもなる優れものだ。
勿論、普段はdigitalの時計としても使っている。
2日後、3日後まで、時計の表示をしていても、裏では、しっかりと、timerが作動しているからだ。
但し、2台、3台とtimerを同時期に使用していると、alarmが鳴っても、どのtimer(仕事)のalarmか分からない事が、玉にキズなのである。
特に、同じtimerが4個もの、timeを管理するのは、結構、紛らわしいのだ。timerの1から4までの作業を理解するには、結局の所、それぞれを、なんのtimerかを紙でmemoしておく必要があるからなのだよ。
だから、1台のtimerで4っつのalarmを管理する事が出来る、そんな便利なものがあっても、結局は、複数のtimerを使用する事が多い。
そのtimerを作業をしている場所に置いておく為である。
こうすれば、同時期に複数のtimerを使用しても、混乱を招く事はないし、紙でmemoる必要も無いからなのだよ。
alarmの鳴った場所の作業をcheckして行けば良いからである。
年回りなのだろうか(歳を取った・・という事なのだろうか??)この所は、昔の生徒達が教室を訪ねて来る事が多くなった。有朋自遠方来 不亦楽 まあ、少し意味は違うが・・
音楽教室なので、大半は音楽はamateurであり、且つ、女性であり、その人達の殆どが、産まれた子供を見せに来ているのだが、勿論、その中にはproとして、立派に活躍している人達も数多くいるのだよ。
proと言うのならば、私が帰国したばかりの頃は、生徒や弟子はいなかったので、当然、私の周りにはproの音楽家しかいなかったのだが、仲間内で付き合っていたpro達は、一緒に飲み食いをしても、proを続ける為の努力を垣間見せる事は無かった。
まあ、それが自然体だったのだよ。
(飲み食いをしている人達の中には、年上の日本の音楽界を支えている重鎮達も数多くいた。例えば、・・ ああ、それは止めておこう。逆に、名前を書かなかった人達から怒られそうだからなのだ。)
しかし、歳上にしても、歳下にしても、もう、殆どの飲み仲間達は、あちらの世界の住人なのだから、彼等から怒鳴られた・・としても、俺の耳には、もう届かないのだよ??
あれ??『俺は未だ生きているぞ!!』だって??
それは・・失礼しました。
「そう言っている輩がいる」・・としても、音楽教室を作ってからは、結構、疎遠になってしまっているからな??
あまりにも雲の上の人なので、てっきり、雲上人という事で、「あちらの世界の住人かな??」と思っていたのだよ❢ アハッ!)
音楽教室を作ってからは、音楽界の活動をしなくなってしまったので、proの演奏家とも、大学の教授連中とも、疎遠になってしまって、音楽界からは足を洗った状態になって、在野の生活が40年近くになってしまったのだよな??
その間に、多くの友人達や、知り合いの人達は、殆どが、みまかられてしまいました。
まあ、それとは、反対に、私の育てた生徒達の多くが、proとして音楽界で生活をするようになって来て、近頃は、再び、音楽界のpro達に接したり、遠目に見たりするようになって来て、音楽の教育者という立場で、現在の音楽家を観るようになって来て、音楽家を維持する為の努力が、あまりにも過酷である事に気付いて、改めて驚かされてしまうのだよ。
つまり、その努力が、
嗚呼、なんと無駄で、無意味な努力なのであろうか??と・・・
皆さん、努力する術を間違えているのだよ。
この話を蒸し返すと、またまた、基礎力の話に戻るので、ここではその話はpasする事にする。
今日は夕方の8時過ぎにmailが来て、急遽、昨日のbaroque-konzertの打ち上げに、北の誉に飲みに行く事にしました。
飲酒運転になってしまうので、bikeでの移動は出来ないので、お久し振りの、「電車での往復」だったので、結構、歩くのが大変でした。
alcoholを飲んで、帰路は流石に、更に、歩行困難になってしまいました。
本当ならば、Taxiを呼びたかったのだけど、飲み代は何時も私が払っているので、Taxi代が・・という感じかな??
まあ、実際には、Taxiを呼ぶ事が面倒くさかったのですよ❢❢
ただ、それだけ・・で、トボトボとの歩きにしたのです。
しかし、10歩、20歩も歩くと、下半身の神経に激痛が走って来て、腰が固まってしまいます。
Taxiの通らない道なので、已む無く、トボトボと・・・、恰も老人のように、一歩々々と、頑張って歩いて江古田ハイツまで、帰って来ました。
嗚呼、miserable❢❢
そして、ハイツに戻ってからは、またまた、(今度はpressureとは無関係の)摂眠障害なのですよ❢❢
なんとか、ならんかね??
8月8日今夜も眠れないのだよ。 ·
今日は8月8日の火曜日の深夜の4時15分なのです。
今夜も眠れないのだよ。
・・という事で、昨晩に引き続いて、alcoholを飲む事にしました。
昨晩は椎名町の赤提灯で、生bierをガブ飲みしてしまったけれど、今日は超、お久し振りに、いつもの白wineのMadonnaのausleseを飲んでいるのだよ。超、甘口で、トロトロのwineなのだよ。
これまでならば、このwineを飲んでいる時は、超、欝で、魂のcontrolが出来無い時に、私の鬱々Koncertの曲のon paradeを聴きながら、飲んでいるのが常なのだけど、今日は単なる摂眠障害なので、鬱々の曲は聴いていません。
でもハイツの夜は、超、静かで・・、お化けさえも遠慮して出て来ないので、古くなった蛍光灯の恰も耳鳴りのような音ではなくて、魂に心地よい音が欲しいので、「お楽しみ会やlessonのvideoでも聞こうかな??」とも思っているのだよ。
お楽しみ会やlessonのVideoを観ながら飲んでいたら、逆に、超、イライラして来て、それこそ、鬱々になったりして・・・
吽❢・・あり得るか?
まあ、wineを3杯飲んだ次点で、無事に入眠出来ました。
不思議な事に、最後迄、欝にはならなかったのだよ。
それで、睡眠時間は超、少ないのだけど、11時半には、bedから起き出して、仕事modeに入りました。
パソコンには色々と、質問のmailが溜まっていたので、聖徳太子とは違って、time lagがあるので、それぞれの質問に対しての対応を熟していたら、なんと、何もしないのに、もう、お昼の3時になっていました。
俺、飯・・未だ・・食っていないの・・だぞ❢❢
超、腹減った❢・・ぞなもし❢❢
3時からは、チョッと、時間が空きそうなので、今、急いで、食わないとな??
独居老人は何かと忙しいのですよ❢❢
パソコンの前で、椅子に座ったままで、走り回っています。(気分だけ・・ネ??)
明日は、今日よりも、もっと忙しくなる予定です。
外に出掛ける分けではないのだけど、Teleworkでネ??
それはそうと、今日はなんと立春なのだそうです。
明日からも猛暑日が続くそうなのだけど、暦の上では、残暑になるのだよね?
夜には、シンクの洗い物が溜まって来て、使える箸等がなくなってしまったので、久し振りにシンクの洗い物を洗って、次いでに洗濯物を干しました。チョッと前までは、洗い物を洗ったり、洗濯物を干したりすると、確実に腰痛が再発して動けなくなってしまったのですが、この所は、気を付けていると、なんとかなるようです。調子の良い時にはそういった家事する雑用までもこなせるようになって来ました。
8月8日『baroque時代の音楽表現から無伴奏に於ける音楽表現の約束事について』 ·
baroque以前のRenaissanceの時代から、曲のMotivの表情(Nuance)を表わすのには、微妙なtempoを変化させて表現する場合が多いのだが、それは当時の楽器的な特性から強弱だけでは、微妙なNuanceを表現する事が難しかった事にも拠る。
しかし、曲のmotivの表現に対するtempoの変化は、人間が会話をする時の自然な言葉のtempoの変化そのものであり、「問い」のtempoに対する「答え」のtempoの変化であり、人間の本来の本質的なtempo感覚に拠るものでもあると言える。
・・という事で、そのtempoの微妙な変化に拠る音楽表現法は、Baroque時代のみならず、古典派やロマン派の時代の音楽表現としての「質問と答え」のtempo感の違いにも、現れているのだ。
例えば、ChopinのMazurkaに見受けられる、1小節毎のtempoの変化のように、西洋音楽の表現法の中では、時代や国に関係無く、常に音楽に内在して来たのだ。
しかし、不思議な事に、日本の音楽家や音楽の指導者の場合には、音楽史の如何なる時代や国にも存在している、この微妙なtempoの変化の演奏を、・・・(baroque時代から古典派、ロマン派と受け継がれて来た、この「質問と答え」に於けるtempoの変化をさせる)・・と言う事をしない・・、否、それが必然である事さえ知らない人達の方が多くて、自らはMetronomの使用を忌み嫌いながら、tempoの揺れを極端に嫌う、という指導が日本中に罷り通っているのだよ。
だから、BeethovenやChopin等の曲の演奏が、生命力の無い、無機質な音楽表現となっているcaseがあまりにも多いのだよ。
それはそうと、この一文を起草したのは、Proとして活躍しているSoloist達が、baroque時代の曲を演奏する上で、当然、Proとして、知っておかなければならない基礎知識を知らないままに、Baroqueの音楽を演奏していた事に辟易してしまったからである。
また、Baroque時代の演奏形態の一つである無伴奏というgenreの音楽があるのだが、当然、このような無伴奏というgenreの曲にも、特有の演奏上の約束事がある。
それぞれの楽器のsoloの曲は、当然、伴奏のpartを持っているのだが、無伴奏(Ohne Begleitung)というgenreの曲では、soloの一つの音しか出せない楽器が、一つのmelodieの中で、continuoとなるBaßの音や和音、更には、duoのように、複数の楽器で演奏しているように、音楽表現をするのだ。
例えば、顔の中央で黒と白に分かれた仮面を付けて、恰も二人で会話をしているように、二人羽織ならぬ、一人二役の表現すらするのである。
しかし、残念ながら、この無伴奏というgenreの演奏法(演奏語法)は、未だに日本の音楽界では熟知されていない。
恰も無伴奏のように、演奏をしているのだが、それは大家の演奏を物真似しているのに過ぎず、意味が分かって、そのように演奏しているのではない。
無伴奏(Ohne Begleitung)の演奏語法は、ViolinやCello、或いはRecorderのような単体の音しか出せないmelodie楽器が通奏低音のBaßや内声の和音を表現する為の、語法であり、且つ、音楽表現組に於ける約束事である。
しかし、此等の音楽表現法を、更に複雑にしているのは、伴奏を持たない楽器特有の音楽表現法である・・と思われているこの無伴奏の表現法が、実はCembaloのような、伴奏を演奏する事が可能な楽器でも、普通に使用されているから、事はより複雑なものに、なってしまうのだよ。
例えば、BachのFranzösische Suitenの中の多くの曲は、この無伴奏のstyleで書かれているのだ。
だから、Bachの作品の中には、「伴奏を持つ無伴奏の曲」という分けの分からないgenreの曲が無数にあるのだよ。
つまり、無伴奏とは、無伴奏という音楽の形態(語法)で書かれた曲を言うのであって、その語法は全てのgenre(楽器の種類や曲の形態)を問わないのだよ。
(そうなると、Ohne Begleitung・・という定義自体が成り立たなくなってしまうのだよ。)
生徒達が無伴奏の曲を勉強する場合には・・、否、proの演奏家達が無伴奏の曲を演奏をする場合にも、その無伴奏特有の語法(約束事)を知らないままに、演奏している事があまりにも多いので、『Bachの無伴奏のViolinやCelloの曲に解説を書く』という誘惑に、これまでも、幾度となく襲われてしまった。
しかし、先程も述べたように、無伴奏というgenreの曲は、全ての楽器に対して、同じ語法で書かれているで、そのinterpretationを始めようと試みると、膨大な曲のinterpretationをしなければならないのだよ。
だから、論文等で、一つの無伴奏の曲の論文を書く・・という事は、所謂、象の鼻だけを研究して、象、全体の形をimageするような、無駄で無意味なapproachに過ぎないのだ。
無伴奏に於ける表現語法は、約束事に過ぎないので、全ての楽器に対して、genreを問わないのだよ。だから、物事は複雑怪奇なものになってしまうのだよ。
これまでは、何度と無く、その誘惑に打ち勝って来たのだが、今日は同じ状況下で、ふと、私のhomepageの中の『音楽よもやま話』というgenreであるとするならば、曲のinterpretationを含まないで、無伴奏というgenreの演奏の語法について書く事が出来るのではないか??・・という事に気がついた。
Bachの無伴奏を『音楽よもやま話』で書く等と言う事は、これまでは、恐れ多くて、思いも付かない事だったのだよ。
・・という事で、この文章は、homepageに向けてのmemorandumのPageになる予定なのだ。
っっz=善哉!善哉!
8月9日この所、全くテレビをつけなくなってしまったので ·
今日は8月9日の水曜日です。
この所、全くテレビをつけなくなってしまいましたので、今日が原爆の日で、父親の命日である事に全く気付きませんでした。
「この所・・・」と、言っても、昨日今日の話しではなくて、この一月以上・と言う意味です。
まあ、それでも、テレビは食事の時に、先生達と一緒にnews番組を見るのですが、今日はどのchannelも台風のnewsだけなのですよ。
勿論、一応、台風の情報でも、一度は、真面目に見るのですが、どこのchannelも同じnewsなので、飽きてしまうのですよ❢
「今日も長崎は雨風だった」という事で、台風のnews以外のchannelを探しています。
今日は、一日中、lineとTeleworkでのlessonDayで、外出をした分けではありませんでしたが、この所の睡眠不足もあって、lessonの途中でバテてしまいました。
一日中、Coolerの風を受けて、しかも、台風性の高温多湿の風と、慢性的な睡眠不足のdouble・Punchで、疲労が頂点に達したようです。
lessonが終わって、慌てて直ぐに、bedに潜り込んだのですが、変な夢を見て、中々眠れませんでした。
夢を見ているのに、眠れなかった・・と言うのは、それこそ、変な話し・・ですよね~ぇ?
夢を見ていると言う事を、自覚しているので、或る意味、「起きている」と言っても、良いのではないでしょうかね~ぇ?
気持ちの悪い、嫌な夢ではなくて、ただの日常的な夢だったのですが、その夢の妙な体感的なrealityが、それが夢である事を、分かっているのに、体感的には、現実の事であるような、錯覚に陥ってしまって、今の方が現実の世界ではないような気分になってしまったのですよ❢
つまり、今居る場所が彼岸であり、夢の世界が自分の現実界であるような、感じなのですよ。
これは、今日の夜のお話です。つまり、椎名町から帰って来て、今日はもう疲れたから寝よう・・と、思っているのに、眠れない。まあ、毎日、毎回の事だから、何を今更・・と言う事なのだけど、やはり、現実的にはキツい❢❢
今夜は鼻詰りも無く、欝でも無いので、単なる入眠障害という事は分かっているのだけど、それでも、眠れないものは、眠れないのだよ❢❢
てな事を言いながら、bedの上でHypnosと格闘していたら、なんとか、one‐coolだけは、眠れた。とは言っても、4時半頃には目が覚めてしまったのだけれど・・、それでも、全く眠れないのよりは良いのだ❢❢
8月10日睡眠不足でlessonをしていたら ·
今日は8月の10日の金曜日でした。
睡眠状態が芳しく無いままに、lessonをしていたら、(今日はTeleworkではなくて、対面の日です。)突然、非常に疲れて来て、夕方にlessonが終わった途端に、bedに直行して、爆睡してしまいました。
夜の食事の連絡のmailが来ていたのだけど、気が付かないで、眠っていました。
爆睡出来たから、元気いっぱい・・と、言いたい所なのですが、残念ながら、全く疲労は取れていません。
焼け石に水の状態でした。
予定の時間よりも、1時間遅れで、(しかし、一生懸命頑張って、準備をして・・)bikeを走らせて、椎名町に行きました。
勿論、疲れが溜まった状態なので、今日のドル・プリっ歩はpasです。
急いで、ハイツに戻ったのですが、出発が遅かったので、やっぱり、午前様になっていました。
椎名町に出発する直前に、斉藤先生から、限定公開のbaroque-konzertのCembaloが画面から切れていない(もう一台のsub‐cameraでCembalo側を撮影して、編集したversionなのです。)versionを見た・・とのmailが入っていて、場面転換の箇所で音声がダブっている・・との指摘を受けて、急遽、確認をしました。
音声は「音声の同期」で、二つの動画を重ねても、音声はズレないように、設定して作業をしたハズなのだけど、作業の過程で、「音声の同期」が、外れてしまっていたようで、折角のcommentが聴こえ辛くなっていました。
修正をする時には、一番最初の二つのcameraのdataの「音声の同期」から修正の作業をするのが一般的で、編集作業をやり直すのが常套なのですが、まあ、それも、行程が増えた分、超、面倒くさいので、動画の重なった部分だけを、片側のcameraの音声ノミを削除して、やっつけ仕事で、片付けてしまいました。
今の所、この動画を公に、公開にする予定は無いので、内々の動画・・と言う事で、それも有り・・にしておきます。
丁寧な作業よりも、時間を優先させる・・と言う事で・・ね??
8月11日『暗譜について』 ·
このひと月程の間に、全くの偶然なのですが、「暗譜が苦手なので、克服するには、どんな方法があるのか?」という相談を色々な人達から受けました。professionalな人達になればなる程、repertoryとしての曲目が必要になって、年齢との戦いになってしまうようです。つまり、音楽界で歳を取って、演奏会の頻度も多くなると、当然、曲のrepertoryも無数に増えて来ます。しかし、曲を覚える記憶力は、歳と共に薄れて行き、挙げ句、昔何度も演奏会で弾いたハズの曲でさえもが、歳と共に、恰も認知症のように、朧気になってしまう・・、記憶が定かで無くなってしまう・・という現象が起こって来るのですよ。
若い時程、速く覚えられなくなるし、折角、頑張って覚えても、直ぐに忘れてしまうのですよ。
何とか、歳に抗う方法は無いものか??という事なのでしょうかね??
一番、簡単な暗譜のコツは、普通に演奏出来る曲を、1曲ずつ、完璧に覚えてしまう事なのです。
覚えている曲を覚える・・と、言うと、何かしら、矛盾した事を言っているように思われるかも知れませんが、人間の記憶とは、実際には、思っている程、完璧に記憶出来ている分けではありません。
完璧に記憶している・・と思っていても、実際に、試しに演奏して、それを微細にcheckして見ると、結構、あちこちにボロが見つかります。
「自分で完璧に覚えている」・・と、思っている曲を演奏して、それを録音して、楽譜でcheckをして見ます。気が付かない場所に、うっかりミスや、覚え間違いを見つける事が出来るでしょう。
しかし、それが本当に完璧で、なんの問題もなければ、後、2,3回それを繰り返して、合格ならば、自分の演奏会のrepertoryにすれば良いのです。
それを繰り返して、自分の演奏可能なrepertory集を作るのです。repertory集が、或る程度出来上がった頃には、暗譜に対しての、不安は消えている事でしょう。
『暗譜の方法』を先生から事細かに学んだ経験のある人は、多分、極、稀な人だと思われます。
実際の暗譜の方法で一般的な考え方は、Bitに拠る記憶法でしょうかね??
「暗譜」というか、所謂、「記憶」のmechanismは、bit(ビット)に拠る記憶というのが一般的なのでしょうが、この方法には、忘却曲線と呼ばれる「忘却」との戦いがあります。
忘却曲線とは、時間に拠って忘れてしまう、指数関数的な曲線の事なのです。
「忘却とは忘れ去る事なり」・・ではないのですが、忘却は、覚えたその次点から、指数関数的に忘れて行くのです。
それを避けて、記憶を維持する為には、その日の夜に覚えた事を、次の日の朝にcheckをします。
それから二日後、次には一週間後にcheckをして、更にはひと月後にcheckをします。それから半年後と、その次は1年後とcheckをして行って、記憶を正確なものにしていきます。徐々に間隔を広げて行くのは、指数関数のpointに合わせて、記憶の確認をするからなのです。
これが日本での記憶法の一般的な方法論になります。
とても大変な作業ですよね??
日本の学校教育は、99.9%迄、記憶に拠るものです。
だから、良い成績を取る為には、確実に課題を記憶しなければ、なりません。
という事で、学校の勉強の他に、塾の勉強をして、塾から帰ったら家で更に勉強をして・・・と、結局、一日中勉強三昧に明け暮れなければ、ならないのですよ。
実に馬鹿げた人生です。
人間性を育てる教育は、何処に行ってしまったのだろうか??
それに、一般的な記憶術では、更に困った事には、記憶は、人は最大7つ迄(7Bit迄)しか覚えられない・・と言う心理学的な条件があります。
例えば:I am a boyというのを、Bitを単語として覚えると、I amで三っつで、a boyで4っつなので、覚えられる限界の7っつのbitに到達してしまいます。
だから、I amを一つのgroupにして覚えて、a boyを二つ目のgroupとすると、二つのbitで済むのです。
だから、英語の場合には、一つの文章(sentence)で覚えるのが良いとされる所以なのです。
こう言った記憶の限界を飛び越えるのが、作曲家達が持っている映像記憶の方法なのです。
この記憶法は学術的には殆ど解明されていません。
それは、その記憶法が出来る人が所謂、Genieの人達に限られているので、研究の対象としても、元々、Giftedであるので、心理学等の研究対象にならないからなのです。(心理学は、或る意味では、統計学であり、統計学である以上は、心理学では、特殊なものは研究の対象外になるからなのです。)
しかし、音楽の世界では、この記憶法は、結構、一般的な記憶法なのですよ。
Mozartは一瞬にしてsymphonyのⅠ楽章から4楽章の終楽章迄を聴く事が出来るとされましたが、勿論、音として聴いたら、スザまじい轟音となって、心を破壊してしまった事でしょう。
つまり、Mozartはsymphonyを音として聴いたのではなくて、音符として見たのに過ぎません。
同様に、Mozartの記憶としては、、バチカンのシスティーナ礼拝堂の門外不出の秘曲、ミゼレーレを一度、聞いただけで、覚えてしまい、礼拝堂を出てから、全てを書き出してしまったというepisodeが残っています。
しかし、これはlegendのお話ではなくて、その功績により、法王から、勲章を貰っているので、史実です。
多くのpianist達が、次の日の演奏会に曲を突然に頼まれた時には、その曲を頭の中で思い出し、記憶が完全である事を確かめて、演奏会に臨みます。その確かめた時間は、例えば、Wilhelm Kempffさんが、四国に渡るフェリーの上で、次の会場での演奏にBachの長大な大作であるDie Kunst der Fuge(フーガの技法)の演奏を依頼された時に、20分程、目を瞑って考えて、「大丈夫です。」と答えたという話があります。Die Kunst der Fugeは演奏時間、4時間を有する大曲です。音符を順番に思い出していたら、とても、20分では、暗譜の確認は出来ませんよね??
つまり、これも映像記憶なのですよ。
このお話は、私の師匠であるGenzmer先生や、他の演奏家達の時のお話でも実際に目にした、現実的なお話です。
また、世界的に有名なMartha Argerichは、Recordを一度聴くと演奏をPianoで再現出来た・・と言われています。
勿論、ConcertoのPianoのpartだけではなくて、orchestraのpartもPianoで演奏する事が出来た・・とされています。
私の師匠のGenzmer先生の場合には、授業の前日に奥さんとWest Side Storyの映画を見に行って来て、次の日の私達のlessonの時に、その音楽の解説をしてくれたのですが、Pianoでorchestraのpartを演奏しながら、Leonard Bernsteinの作曲技法を解説してくれました。勿論、始めて、West Side Storyが映画で公開された時のお話です。
Genzmer先生も一度聴いた音楽はPianoで再現出来るGenieを持っている・・という事なのです。
そういう風に、記憶には色々な記憶の方法があります。
私が主張している記憶に関しては、老人になると、記憶が衰えるのではなくて、物事に対する興味が失われるので、記憶が出来ない・・という私の主張があります。
確かに、記憶を司る脳の細胞は、老化に拠って衰えて死滅してしまいますが、記憶は思い出す事に拠って、未だ衰えていない新しい細胞に移す事が出来ます。
興味のある事は、何度と無く思い返すので、一つの細胞が老化で死滅したとしても、別の細胞に移し替えられて、記憶自体は消滅しないのです。
しかし、人間がこれまでも持っていた興味を失うと、それを思い返す事も無くなってしまいます。
そうすると、その細胞は死滅して、記憶も失われてしまいます。殆どの細胞が失われてしまい、どの細胞にも記憶が引き継がれて来なかった場合には、所謂、認知症で、自分自身が分からない・・という状態になってしまうのですよ。
よく勘違いをされる事は、Alzheimerは脳の病気であって、人間の生理現象とは違います。
よく勘違いされる事はその他にも、Rheumatismusと腱鞘炎を混同している人達がいます。Rheumatismusは血液の病気であって、国から難病の指定を受けている病気なのです。それに対して、腱鞘炎は、筋肉を不自然に使用する事に拠って・・、つまり、間違えた奏法から引き起こされる音楽の神様からの罰だと思ってください。音楽のrootsに従った正しい演奏法をする限り、腱鞘炎が引き起こされる事は絶対にありません。
何処かの国のViola奏者達が言うように、Violaを弾くと、腰痛になる・・と言う事は絶対にあり得無いのですよ。
それは、楽器の構え方を間違えているからに過ぎません。
昔、若い(小、中学生の)女の子達を指導した時のお話なのですが、「暗譜が全く出来ない」という生徒に、「あなた達は、私が知らない若いIdolに関しての知識は凄いよね??」と言います。「それだけのIdolの知識を記憶して、その人の事を、瞬時に言う事が出来るという事は『記憶が出来ない』・・のではなくて、興味がない・・と言う意味だよね??」と、問い詰めると、グウの鳴も、出なくなってしまいます。
それは当たっているからです。
人間は常に、頭の記憶容量がoverしないように、その重要度に合わせて、記憶を四捨五入しているのです。
だから、興味が無い事は覚えられない・・のは当たり前なのですよ。
また、人間が見ている・・と思い込んでいるのは、映像の中心部だけなのです。
中心から周りは、だんだんと映像は薄れて行って、記憶も当然、おぼろげになってしまいます。
楽譜を見る・・と言っても、訓練されていない状態では、その中心部を見ているだけで、全体を見ている分けではないのですよ。
Genzmer先生の授業の思い出のお話ですが、先生と、近現代の作曲家の作品をscoreを見て初見で演奏する事を授業中によくやらされました。
先生が弦のpartを弾いて、私達が管のpartを初見で演奏するのですが、先生は見開きのPageの右の一番上の小節に差し掛かるとPageをメクラせるのです。
弾いているPageは前のPageで、その最中に次のPageを覚えているのですよ。
流石に、私も、それは出来なくて、『もう少し猶予をください。』と先生にお願いした覚えがあります。『どれくらい??』『下の一段まで・・』と、言ったら、先生は困った顔をしていました。Piano譜の初見でも、左のPageの一番下の小節に来るとPageを捲るように指示されるのです。これは大変です。
気を取り直して・・・、人間は興味がある事は、覚えようとしなくても、覚える事が出来ます。
だから、音楽が好きな生徒は、音楽を暗譜する事も得意です。
「でも、私も音楽が好きなのだけど、暗譜は苦手だよ??」
「だって、あなたが好きなのは、音楽ではなくて、『演奏が上手だ』と、褒められる事でしょう??」「曲、そのものが好きな分けでは無いのだよ??」「本当に、曲を好きになったら、曲は自然に覚えられるハズだよ❢❢」
つまり、楽器を演奏する事が好きな事と、音楽を好きな事を、勘違いしている音楽家は結構多いのです。
多くのpianist達でも、Pianoの曲が好きな分けではなくて、曲の華やかさ、所謂、entertainment性が好きなのですよ。その曲の本質では無くて・・・
海外に在住している、自称pianistのお婆さんが、「やっと、HaydnやMozartのSonateから卒業する事が出来て、Chopin等の音楽が演奏出来る」と喜んだ・・というお話をテレビでしていたのを聴いて、その人がproのpianistとして認められなかった原因を見たきがしました。もし、自称でもpianistを名乗るのならば、baroqueや古典派の音楽の素晴らしさを感じられないのならば、ずぶの素人以下ですよね??
日本人は変な人が好きなのだよな??
ChopinはMozartの事を生涯尊敬して愛していたし、BrahmsはCouperinの全集を出版しているし、LisztはBach全集を出版しているし、Ravelは、自分の生徒達に対して「BeethovenのQuartettを研究しない」と、怒り捲くっていた話もあるのだよ。
歴代の偉大な作曲家達は、古人に対して、とても謙虚でrespectをしていたのだよ。
私はもっと過激で、BeyerやDiabelliに対しての、pianistの対応に、腹を立てているのだよ。Beethovenや、Schumannのような、或いはLisztのような大作曲家達が、初歩の教育教材を作ろうと試みて挫折しているのだよ??初歩のcurriculumを作り上げる事は、それ程難しい事なのだよ。分かるかな~ぁ??
Beyer教則本のcurriculumを知らなければ、それは無理か??アハッ!??
勿論、『暗譜が苦手』という相談を受けたら、その都度、或る程度、相手の人のお話に合わせて・・・、或いは、その人の演奏する楽器の種類や、その人の性格に合わせて、回答する内容を考慮しながら、お返事を差し上げているのですが、それは、その回答が無数にあるからであり、その前の段階で「譜面を覚える方法論」所謂、「記憶のmechanism」が、多種多様にあるからです。そこから、その人のtypeに合わせてbestと思われる回答を引き出しているからです。
私の基本的な回答・・というか、adviceとしては、『暗譜(記憶)は単なる習慣に過ぎない』と言う事を、常に力説しています。
私が苦手としているのは、数字の羅列なのですが、世の中には、数字を覚える事を得意としている人達が数多く見受けられます。
全くの無機質な数字の羅列であっても、その人達に取っては、意図も簡単に覚えてしまい、また、忘れる事も、非常に少ないのですよ。
つまり、暗譜を日常の習慣にしてしまえば、「暗譜が苦手だ」という恐怖心は自然に消えてしまいます。
私の場合には、中、高生の頃から、人の名前を覚えるのが苦手で、人と偶然あった時等には、大変失礼な思いをさせてしまいます。
・・とは言っても、思い出せないのは名前だけであり、顔は結構、正確に覚えています。
女優さん達の名前は絶対に、何度聞いても覚えられないのですが、顔は直ぐに思い出す事が出来るのですよ。勿論、顔は思い出せる分けなのだから、その人となりや、性格や関わり等々は、かなり正確に思い出す事が出来ます。それなのに、人の名前だけは思い出せないのですよ。
記憶のmechanismから言うと、私の記憶力は、映像の記憶は優れているけれど、文字の記憶は劣っている・・と言う事でしょうかね??
人は『覚える』という事に対しては、結構、色々と工夫を施しているようなのですが、『忘れる』という方法については、論じた文章はお目に掛かった事はありません。
私は、私が人の名前を覚えるのが苦手・・という特質を利用して、『忘れる』というmethodeを作りました。
仮に山田さんという人がいて、その人との関係を消滅させたい・・と思ったとします。要は、山田さんが思い出せなくなれば、良いだけなのですから、step1として、山田さんを山元さんと思い変えるようにします。(勿論、名前だけで良いのですよ。)次に、山元さんを山下さんに、次には、山下さんを川上さんに思い変えるようにして行きます。その内に、川村さんは誰だったか??思い出せなくなってしまいます。その頃には山田さんの存在は頭の中からは完全に消去されているのですよ。そういった人がいた事さえも・・
でも、記憶を曖昧にして、忘れて行く・・という事は、人はそれを無意識に結構日常的にやっているのですよ。
それが、音楽の勉強でも、否、学校の勉強でも、曖昧に覚える・・という事なのですよ。
楽譜でも、正確に覚えた記憶は忘れません。
しかし、曖昧に覚えた記憶は、直ぐに忘れてしまうのですよ。
つまり、「一生懸命、頑張って覚えたのに、忘れてしっまった❢❢」と嘆く人達の殆どが、曖昧に覚えたのに、過ぎないのです。正確性を欠く覚え方をしているのですよね??
楽譜の記憶、所謂、暗譜については、上記の問題が絡んで来るのです。
『映像を一瞬で覚える』・・という事が、映像記憶の方法なのですが、『音符を見て覚える』と言う事は、多くの人達には、理解が出来ない事のように思われるのかも知れませんが、それは楽譜が、無機質な黒の点の羅列、所謂、音符の羅列に目えるからではないのでしょうか?
これ等の音符達が活き活きとして、その存在を主張するのならば、その音符達を覚えるのは簡単な事になるとは思いませんか?
例えば、音符が、愛読している小説のPageだとすれば、覚えるのは簡単だと思えるかもしれません。
その為には、記憶の質問なのに、その回答は、score上で構造分析を指導します。
曲の作られた構造を分析する事が出来るようになれば、音符や音符で構成されたMotivは、意味を持って来て、音符に性格さえ産み出されて来ます。
その次点で、暗譜は頗る簡単になってしまいます。
当然、分析が上手く行かない所は、暗譜も上手く行きません。
という事で、質問が返って来るのです。「**小節目から**小節目までの、分析は??」と言う風に・・です。
絵画でも、古典的な絵画は、見ただけで、誰の描いた絵で、なんという名前の作品かが直ぐに分かると思います。
でも、抽象絵画や現代絵画は、難しく、現代絵画を好きな人達しか、判別が難しいように思えます。
また、その絵画の歴史に依らず、その絵画に隠されている意味が理解出来ると、絵に深い理解が出来てきます。
練習を暗譜でする癖を付ける・・とか、物忘れは無いか??という確認の作業を日常的にするようになると、日常の生活の中で、記憶の活性化を図る事が出来て、記憶が習慣付けされて、より簡単に記憶する事が出来て、しかも、忘れない・・という能力を身に付ける事が出来るようになります。
先程の矛盾したadviceの答えは、そういった理由に拠るのですよ。
本来ならば、記憶のmechanismを先に学んで、それから、記憶法を勉強した方が、効率的なのですが、この方法では、記憶というよりも、心理学的な基礎知識が必要になって、文字の読めない、音符しか読めない(否、音符すらも読めない)音楽家達のneckになってしまうので、敢えて、心理学的なapproachや、論文としてのapproachは避けるようにしました。
・・という事で、子供達には、『何故ならば』という、論理的な説明や解説を省いて、何時も、オケ練習の時に、私が言い続けているのに、ちっとも、子供達が、家でやってくれない・・記憶の習得法を、これからお話しする事にします。
暗譜のmechanismそのものについては、Home Pageに結構詳しく書いていますが、暗譜の種類と記憶法には、analog的なapproachと、映像をそのままに、記憶する、所謂、digital式の記憶法の二つがありますが、
殆どの人達は、練習を重ねる事で自然に覚える・・というanalog的記憶法に拠るので、暗譜をする事が難しく、しかも、忘れ易いのですよ。
勿論、映像をそのままに、覚える方法は、giftに拠るGenieであり、一般的には努力をしても、習得する事は出来ない・・とされています。
analog式の記憶法では、譜面を五線紙に書いて覚える・・という人達までいて、流石に、私は音大受験の時でさえも、一度も、楽譜を五線紙に書く・・という事は、やった事はありません。
Beyerの段階で、常に、暗譜をして先生に聴いて貰う生徒達は、暗譜が苦手の生徒はいません。
音楽=暗譜の癖が付いているからです。
要は、暗譜は単なる習慣(癖)に過ぎないからなのです。
また、絵画のように、実態の無い、音の世界の音楽の場合には、絵画のような一般的な映像を記憶する場合と違って、音楽形式という構造式を表わすものが存在するので、記憶法はもっと、簡単になります。(勿論、絵画の世界にも、構造式は存在します。Goldener Schnittとか、Spirale構造とか、色々な構造式があります。)
構造式が理解出来るようになると、暗譜は非常に楽になります。
例えば、ChopinのScherzoのような、20Page近く(或いは、それ以上)ある楽譜を生徒に渡す時には、生徒は「大変だ❢❢こんなに長い曲、譜読み出来るかな~ぁ??」と悩んでしまうのですが、私が、「この曲は、全く同じpassageが、何度も繰り返されるだけなんだよ。」と楽譜上で、同じ箇所をpickupして、「だから、実際には、6Page練習するだけで、この20Pageが弾けるのだよ❢❢」と説明すると、生徒は20Pageあったとしても、capacity内だ❢・・と安心して練習に励む事が出来ます。
勿論、同じpassageの繰り返しとなるPageにも、結構、反復されているphraseがあるので、もっと、練習を省略する事が出来るのですよ。
練習の省略・・という事は、勿論、暗譜の省略でもあるのです。同じ箇所は覚えなくても良いのです。
大切な所は、何処からが違う所なのか??・・その違いを理解する事なのです。(違いが分かる男の・・・)
同じAとAの繰り返しでもAが次に展開していく為には、曲が展開して変わって行く為のpoint、(私はそれをturning pointと呼んでいます。)を見つけて、そのpassageを印象的に演奏する必要があるのです。暗譜のコツはそういったkleinigkeit(細かい変化)を探し出す事なのです。
Mozartの曲のように、同じthemaがA1,A2,A3・・と繰り返される場合には、A1とA2の表現がどのように違うのか、その違いを演奏で表現するのです。
そうすると、暗譜は、より完全なものになるのですよ。
決して、同じAが、何度も、、繰り返されるから、同じに演奏すれば良い・・分けでは無いので、」音楽に深みを齎す事が出来ます。
その違いを弾き分ける事が出来るようになると、暗譜は完全なものになります。
(勿論、ここまでは、Pianoの前に座って勉強する事ではなくて、bedの上に寝転びながら、目を瞑って、頭の中で、その違いを作り上げて行けば良いのですよ。)
私が生徒達に、何時も言っている事は、「もし、舞台で暗譜で演奏するつもりならば、家での練習の時も、暗譜で練習をするように❢❢」という事です。
そう言うと、必ず、「それは、無理❢❢」という言葉が返って来ます。
勿論、楽譜を貰って直ぐに、全曲を暗譜で演奏するのは、特別な生徒だけで、多くの生徒達には無理かも知れません。
しかし、最初の1小節だけを、暗譜で練習するのは無理なのですか??
或いは、最初のone phraseだけを暗譜で演奏する事は無理なのですか??
先ずは、覚えられた所だけは、暗譜で練習するのは無理なのかな??
私が生徒達に課題に与える「抜き出し箇所」は、1小節か、1小節半ぐらいの長さに過ぎません。
1小節だけを暗譜するのは無理なのかな??・・という事なのですヨ❢❢
暗譜の苦手な人は、家で練習をする時でも、楽譜を常に、放しません。
楽譜にしがみついて、練習をするので、手の形や音に対して、その注意が行く事は、非常に少ないし、暗譜をしようとは思わないのですよ。
楽譜にしがみついて練習する事は、2重、3重の弊害を生み出す事になるのです。
「でも、暗譜が出来ないから、譜面を離す事は出来ない❢」という声が聞こえて来そうな気がします。
しかし、暗譜のコツは、暗譜で練習する事なのです。
それじゃあ、まるで、Paradoxのような、否、禅問答のような答えですよね?
また、暗譜で練習するコツは、・・これも日本流では、先ずは譜読みをして、それから指使いを決めて、強弱や音楽表現のnuanceを覚えて、・・・で、それから、最終的に暗譜の宿題に入るようです。
これでは、無駄な練習のon paradeで、中々、暗譜には入れません。
もしも、暗譜が苦手ならば、楽譜を貰ってから最初に暗譜をすれば良いのですよ。(それが、禅問答なんだってば❢❢)
教室では、譜読みがなかなか出来なくて・・、というか、練習に身が入らなくて、発表会直前の一週間で、何とか間に合わせる生徒達がいます。
その生徒達に私が何時も言っているadviceがあります。
「発表会直前の一週間で、必死に練習を間に合わせるのならば、それを楽譜を貰ってからの一週間で必死にやったら良いのでは??」というadviceです。
必死になる一週間・・そのものは変わらないし、練習の量も変わりません。
変わるのは、timingだけなのです。
それを実践した生徒達が何人かいました。
その生徒達は不思議な事に、見違えるように、上達したのだよ。
「練習量は変わらないのに、何故??」
つまり、最初の必死の練習が終わったら、そのNiveau(水準)でもlessonが受けられたからなのですよ。
まあ、教える側からすると、当たり前の事なのだけどね~ぇ??
日本流の指導の仕方では、①先ずは譜読みをして、②それから指使いを決めて、③強弱や音楽表現のnuanceを覚えて、・・・で、それから、最終的に④暗譜の宿題に入るようです。
ですから、当然、発表会に暗譜が間に合わない生徒がいたりします。
芦塚methodeは、基本的に「時短」のmethodeなので、暗譜に至るまでの過程を最短に設定します。
分かり易く言うと、①から④迄のlessonを、最初の譜読みのlessonと一緒にやってしまうのです。
つまり、抜き出し箇所として練習しなければならない箇所も、最初から練習を抜き出しで始めるのですよ。
楽譜を渡した次点でのlessonでは、楽譜上で留意しなければならない箇所の説明をします。
未だ、生徒が全然、曲を弾けない状態の時に、lessonをする事は非常に大切です。つまり、弾けない所を、どのように練習すれば弾けるようになるのか??というlessonなのだからね??
また、初級の場合には、先生が正しい指使いを書いたりして、詳しく説明しますが、中級や上級生達には、芦塚methodeには基本的なtheoryがあるので、子供達が自分で、楽譜上の指使いを正しく修正する事が出来ます。
先生は、その生徒の回答が論理的に正しいか、否かのcheckをします。
強弱に関しても、「そう、書いてあるから」ではなくて、何故、そこがforteでなければならないのか、或るいは、Pianoでなければならないのかを説明をします。
また、曲の構成を練習番号を付けながら、説明するのですが、中級や上級の生徒達には、それは自分達で、練習番号を付けて貰います。
何故ならば、練習番号は常に、誰が付けても同じ番号になるからなのです。
そういったPianoを使わない勉強では、(Pianoのある場所以外で、楽譜を読む勉強をすると、Pianoに向かう時には、純粋にPianoの練習に必要な、項目を練習するだけになります。)楽譜と色鉛筆、蛍光ペン等々が必要なだけど、最初のlessonには、PianoやViolinの楽器は必要は無いのですよ。
弾けない箇所や、暗譜の出来ない箇所は、その部分や、そのphraseを抜き出して練習します。
丸付き数字がその抜き出し箇所の部分になります。
つまり、暗譜で練習する箇所は、抜き出し箇所の、1小節だけで充分なのですよ。
その1小節を積み重ねて行けば、5小節、10小節と暗譜で練習出来るようになります。
日本の音楽家達は、演奏の技術を磨く事に、必死になります。
だから、日本人の音楽家達の演奏は、とてもtechnicalで、上手です。
しかし、演奏の内容は、それだけで・・、振り子の虎のように、中身は何も無いのですよ❢
技術に+する所の、基礎力が全く無いのです。
それなのに、prideだけは、異常に高い。
まるで、虎の皮を着た**のように、指先だけで、弾き捲くって、巧い気になっているのだよな~ぁ??
実力が無い人達程、prideが高いのだよ。
哀れなもんだ❢❢
勿論、音楽にはentertainment性がある事は認めます。
でも、そういった人達ばかりで、本当の本物を追求する芸術家が日本には皆無なのですよ。
困った事です。
日本にはClassicの将来は無いよな??
8月12日『Cembaloと音域について』 ·
鍵盤楽器の音域は、それぞれの楽器に拠って異なるが、基本は88鍵です。
例外的にはBösendorferのように、97鍵のPianoもあるようですが、あくまでも例外で、その追加された音が実際に使用される事は無いと思います。
手軽な電子楽器(所謂、Keyboard)では、61鍵が多いようですが、それはC2から始まって、C7までの5octaveで、切りが良いからです。(C4をMiddle Cとした場合です。)
古楽器の場合には、その鍵盤数、所謂、音域は、それぞれの楽器に拠って異なります。
基本的には、古楽器の場合には、受注生産なので、そのclientの注文で当然、音域も変わります。
古楽器の場合も、高音域に音が広がるのは、楽器を制作する上では、簡単なのですが、C2から更に下に下げるのは、弦長の関係で容易ではありません。1音下のkeyが増える毎に、指数関数的に楽器が、大きくなってしまうからです。
ですから古楽器を演奏する場合には、楽譜と実際の楽器の音域はあまり、問題はありません。
音域が足りなくなったら、演奏者がoctave上を弾いたりして、調節するのが普通(通例)なのです。
教室でも、子供達がCembaloや positive organ を演奏する事がありますが、一度も『音域が足りない』とclaimを受けた事はありません。それが当たり前の世界なので・・ね??
HändelのCembaloは、結構、大型で素晴らしい楽器なのですが、私の所有している Goujon‐modelのCembaloは、Händelの音域にも対応しているKoncert‐Cembaloで、昔は、I Musiciが日本で演奏会をする時に、全国に一緒についていった楽器なので、古いI Musiciの演奏が再放送される時は、若かりし頃の Goujon‐modelの勇姿をテレビ等で目にする事が出来ます。
Pianoのように、Pianoの鍵盤数が、88鍵と定められたのは、近現代のお話で、勿論、古典派の時代ではなくて、ロマン派の時代でも、88鍵を持たないPianoの方が多かったのですよ。
ちなみに、椎名町の事務所にあるuprightのpianoは、多分78鍵だと思います。18世紀の後半頃には61鍵、1800年頃には68鍵、1820年頃になると、73鍵、1830年頃には更に78鍵と増えていきました。
つまり、鍵盤の数は時代と共に、増えて行ったのです。
だから、音域には拘らない作曲家が多かったのです。
今回の私が制作したVitaliのChaconneのOrganのpartも、よく調べて見ると、2,3箇所は低い音が教室の positive organ の音域からはみ出している箇所がありました。
・・とは言っても、これから楽譜を作り変える気は毛頭ありません。
という事で、参考までに、教室所有の古楽器の音域表を作って見ました。
勿論、鍵盤楽器に限定して・・ですが・・・
意外や意外で、1段鍵盤のRuckers‐modelのConcerto‐Cembaloよりも、spinetの方が、音域が広いのですよ。
それを言うと、皆さん、びっくりしてしまいます。
楽器が小さいので、弾いている人達の多くが、錯覚に陥っています。「spinetはcompactなので、当然、音域も狭い」・・という、思い込みです。
実は音量もspinetの方が強いのです。
spinetは2台ともmodern‐spinetなので、撥弦の機能が少し違って、音がsharpなのですよ。だからbaroque‐orchestraのcontinuoのpartを弾いた時も、音がよく通ります。
spinetの音がよく聴こえる、所謂、recitativoの演奏です。
曲はLascia ch'io pianga(泣かせ給えや)Händelです。
https://www.youtube.com/watch?v=AYPKAdF77M0
8月12日調律のお話 ·
今日は8月の12日の土曜日です。
今日も相変わらずの猛暑日で、練馬区では35℃まで上がる予定です。
連日の猛暑日では、殺人的な暑さだよな~ぁ??(外界は・・・)
私はcoolerが嫌いなので、35℃でも除湿で間に合わせます。でも、ハイツのcoolerの除湿の温度設定は30℃迄しか無いので、35℃ともなると、温度差が5℃にもなって、超、寒いのですよ。
未だ、日本の気温が30℃を越す事が、非常に稀な時代であった、私が音大生だった頃の時代には、日本には未だ数台のCembaloしかありませんでした。
勿論、日本では、baroque時代の復刻のCembaloである、historischeのCembaloは未だ存在せず、 modern仕様のNeupertのKoncert‐Cembaloが唯一、NHKや、母校を含めて日本に数台あるぐらいでした。
baroque音楽と言っても、未だVivaldiの四季やPachelbelのcanonさえも、世には知られていなかった頃のお話です。
私は音楽大学に入学すると殆ど同時に、有志を募って、HändelやBachの作品を始めとして、色々なbaroqueの作曲家達のcantata等を自主公演しました。
また、その時に使用していた 音楽大学所有のNeupert社製の16、8,8,4feetの2段鍵盤のKoncert‐Cembaloを、私も弾きたかったので、Cembaloの先生に頼んで、Cembalo科を創設して、第一番目の生徒になりました。
私が創設したCembalo科に入る生徒の選別の為に、私が問題を作ったので、私が、Cembalo科の第一番目の生徒である事は至極当然で、勿論、test課題も私が作ったので、当然、満点でした。
日本の音楽大学を卒業と同時にMünchenに留学をしました。最初は、SwissのBaselの音楽大学に行くつもりだったのですが、憧れの先生が、Polandに帰国されて、しかも、Polandは、とても政情不安で、危険な国になってしまっていたからです。
急遽、留学先の国を変更してMünchenにしたのですよ。
Münchenでは、最初の下宿は、二畳程の、まるで、日本のweekly mansion(多分、和製英語)で、とてもとても、Pianoを持ち込む事は出来なかったので、深夜弾いていても、誰も気が付かない・・程、音の小さいReiseclavichordを購入して、練習をしました。
勿論、Clavichordは調律を自分でしなければならないのですが、未だ、その当時は、tuningの便利なグッズは、販売されていなくて、電子のMetronomすら、無かった時代なのです。
だから、超、便利な電子tunerのようなものが販売される迄は、自分の耳で調律をしなければなりませんでした。
私は、当然、調律を学んだ分けでも、誰かが私に調律の仕方を指導してくれた分けでも無いので、適当に、自己流のtuningをしていました。
演奏を公開したり、ensembleをしたり、する分けでは、無いので、それでも何の問題もありませんでした。
3度調律と5度調律を混ぜたようないい加減な調律で、なるべく純正の響きがするように調律をして、皺寄せを使わない音に集める・・という変則的な調律をしていました。
平均律というのは、半音の幅が全部の音で、均等では無い・・と言う事を、経験値として知りました。
一般的によく使用する調に対する和音が、なるべくpureに響くようにする・・という事が平均律である・・と、知りました。
・・という事で、例え、平均律の調律であったとしても、どの調をよりpureな響きにするか??・・で、どの音に皺寄せの音を持って行くか・・が決まります。(皺寄せの響き・・所謂、Wolfton です。)
日本に帰国しても、暫くの間は、電子tunerは勿論、電子Metronomさえも、発売されてはいませんでした。
だから、日本で、留学から持ち帰ってきたReiseclavichordをspinetに交換して貰った時も、調律は勿論、当然、自分の耳でのanalogの調律でした。
40歳近くになって、音楽教室を開いてからも、暫くの時代は、Metronomも、analogのままで、私としては、生徒達には、ドイツ製のWittnerのMetronomを推奨していました。
子供達の多くがMetronomを嫌って使用しない理由は日本製のMetronomが一様に、音がキンキンして耳障りだからだ・・という事に気が付いたからです。
(・・というか、私自身が、日本製のMetronomを忌み嫌っていたからです。)
親は半信半疑で、高いドイツ製のMetronomを買って、子供達が喜んでMetronomを使って練習をするようになった事を見て、驚いていました。「へ~ぇ??そうなんだ??」ってね??
但し、analogのMetronomは、理論的には、正確であるハズなのですが、実際には、振幅で往きと復りのtempoが微妙にズレていたりして、意外と不正確なのです。(勿論、電子Metronomでは、そのズレは全く無くて、正確極まりないのですがね~ぇ??)
Münchenで生活を始めたばかりの頃、楽器店に行って、WittnerのMetronomの小typeの物を全部出して貰いました。
店で、30個程のMetronomを一斉に、動かして、その精度を見たのですが、最初は、半信半疑だった店の店主が、私の実験を見て、「Metronomは正確なものだと思っていたのだが、こんなにズレるとは思わなかった❢❢」と驚いていました。
Metronomを60に合わせて、腕時計の秒針と合わせて、左右のズレと、1分経った時の秒針とのズレを計測します。勿論、30個の中で、本当に正確な1個をchoiceして買って帰りました。お店の人からは感謝されました。常識が覆った・・と言う事で・・
まあ、今は、普通に電子Metronomが販売されているので、Metronomはanalogの物を使用する事は少なくなってきましたが、流石に、生徒達に限っては、tunerは専用のtunerを買う事はありません。
tuningをする為の、標準pitchのAはMetronomに常備されているからです。それも、446~435、baroque‐pitchの515も常備されているMetronomが数多くあります。
色々なrhythmや、tempoを図る為のtapさえも、常備されているMetronomもあります。
でも、教室でCembaloのtuningをする為には、色々な古典調律が最初から入っているbaroque楽器用のtunerが売っているので、極めて楽だし、meantone調律や、Kirnbergerの第三調律等も、tunerで設定する事が出来るので、非常に楽です。
まあ、そうは言っても、Cembaloは、Violin等と同じで、演奏する度に調律をしなければならない楽器なので、spinetや1段鍵盤のRuckers-modelのCembaloや、ハイツの Goujon‐modelのCembaloを、私一人で調律するのは、結構、負担が大きいのだよ。
出来れば、Cembaloを弾く人が、tuningもやって欲しい・・と言う事で、昔から、生徒達には調律の仕方をlectureしているのだけど、全然やってくれないのだよな~ぁ。
コロナや入院、手術等で、ハイツの2段鍵盤のCembaloは長い間、tuningをやっていなかったので、兎に角、直ぐに狂ってしまって、調律が結構大変なのだよ。
鍵盤数も多いし、8’、8’、4”の3列をtuningする分けなので、結構、時間も掛かるのだよ。
それに体力も結構必要なのだよ。
体力とは言っても、力では無くて、集中力が体力を消耗させるのだ・・・と思われるのだけどね??
写真で、フェルトの布がCembaloに被さっているのは、調律をする時に、腕の脂が楽器に付く事を避ける為です。
長袖のYシャツで調律をすれば良いだけなのだけど、いちいち着替えるのが嫌なので、布で間に合わせています。
生徒達はCembaloの移動等で、Cembaloに触れる時には、手袋をして触れます。
勿論、演奏する時には、手袋は外しますけれど・・
金の枠は金箔を貼っています。非常に高価なものですが、手の脂で簡単にくすんでしまいます。
ですから、『お触り禁止』なのです。
写真は手の脂が付いてくすんだ枠なのですが、残念ながら、補修は出来ません。上から更に貼るだけです。
8月13日ドリーのお話 ·
今日は8月13日の日曜日の未だ午前4時なのですが、音取り(録音兼dress rehearsal)の為に千葉に行く日なのですが、前日の土曜日の12日のお昼過ぎから、疲れ出てしまって爆睡してしまい、夕食の時間まで眠っていたので、土曜日の一日が飛んでしまって、今日が日曜日の感じがしなくて、千葉行きの準備をする気にならないのですよ❢
まあ、頑張って、lessonの為に持って行く楽譜はなんとか準備したのですが、音取り(録音・録画)なので、色々と、それなりの準備が必要なのですが、頭の中に、音取りの行程が浮かんで来ないのですよ❢
諦めて、8時近く迄眠っていたので、未だ眠たくはないのですが、取り敢えずは、明日の為に、眠って仮眠を取る事にしました。
所謂、体内時計のResetの為です。
頑張って、仮眠をしたのですが、「疲れ切って不誠実なlessonをしてしまう」・・という妙にrealな夢を、立て続けに見てしまって、また、眠ろうとしたのですが、今度はいつもの鼻詰りで、眠れなくなってしまったので、気分転換に急遽、風呂に入る事にしました。
のんびりと風呂に入るのも乙なもんだよな??
風呂に入って、のんびりしていたら、やっぱり、忘れていた❢事を思い出しました。
予定の時間割に、Cembaloのtuningの時間を入れていない。
困った❢❢
手順は増えてしまうが、折角のドレ・リハなので、三脚にdolly(ドリー)を噛まして撮影しよう❢(写真は携帯用のdollyの写真です。)
一台は確実に南花園教室にあったのだが、もう一台のcamera用に、dollyがもう一台必要なのだよな~ぁ??
ハイツ用のdollyを持って行くとなると、bikeでdollyを持って行くのは、チョッと大変だよな~ぁ??
dollyは椎名町にも、予備が(と言うか、椎名町のlesson用に・・)一台はあったハズなのだが?
・・斉藤先生に聞いて見たのだけど、「見つからない」との返事が返って来た。
しかし、俺の記憶では、椎名町のlesson室の楽器のRackの一番上に楽器の上に乗っかっていたような記憶があるのだがね~ぇ??
・・という事をlineに書いて送ったら、「見つかった」と、返事がありました。(写真参照:)
椎名町のlesson室は、毎日の斉藤先生の居場所のハズなのだけど、なんで知らないの??ね~ぇ??
毎日、見ているハズなのにね~ぇ??
婆ちゃんが昔、何時も言っていましたよ。
「心ここに在らざれば視れども見えず」ってね??
それは心理学的にも証明されているのだよ。
30分のゆとりの時間を見て、12時の出発予定だったのだけど、Cembaloのtuningとvideo-cameraのsettingで、会場作りに1時間は掛かるのかいな??
・・だとすると、11時の出発になるぞい❢❢
俺のハイツでの衣装等の準備に、ゆとりの時間が無くなってしまうぞよ??
まあ、何時もの事なので、兎に角、頑張って、時間前には椎名町に到着するように、bikeで駆けつけたのだけど、後、チョッとで教室・・と言う所、突然、大雨になってしまいました。
まあ、なんだろうね~ぇ??
この雨も、単なる嫌がらせにしか思えないよな~ぁ??
8月13日『出版されている権威のある楽譜上のヘボいcontinuoのpart』 ·
7月21日のFacebookに、Bachの曲を演奏する時の日本人の誤魔化しpedalの話しを書いたのだが、Organの曲を弾く時には、声部の流れで弾かなければならないので、legato奏法は、もっと重要になる。
これが教会のようにacousticがある所ならば、ある程度までは、acousticで、legato奏法を誤魔化す事が可能だろうが、教室のように、acousticが全く無い一般のHall等の場合には、演奏技術上のlegato奏法は、絶対条件となる。
Organ奏法の場合が、pianoの奏法と著しく異なる点は、幾つかあるのだが、その中でも、最も重要なpointを3つ、上げるとすれば、その一つ目は、よりlegatissimoに演奏する為に、中声部の旋律を、両手の指で弾く技法の事だろう。
勿論、Pianoのtechnikでも、一つのmelodieやphraseを両手で弾く事はあるのだが、Organ奏法の場合(というか、Cembalo等の場合にも、Bach等のpolyphonicな演奏の場合)には、非常に頻繁に、両手で一つのmelodieを弾く。曰く、常時、この奏法は使用するのだ。
二番目のpointは、指をすり替える事で、音のlegatoを図る事だろうか?
勿論、指のすり替えは、Pianoでもorthodoxな弾き方であって、Pianoの初歩の教則本であるBeyerの教則本にも出て来る奏法なので、その奏法自体は決して珍しいものではない。
しかし、Organの場合には、legatissimoの演奏をする為に、煩雑に1音毎に指をすり替える事すらあるのだよ。
普通に指のすり替えをする所が、Pianoの奏法の場合とは根本的に異なって、legatissimoを演奏する為に、指替えを敢えてする必要の無い箇所でも指のすり替えをする事がある。
三番目のOrgan奏法は、和音を演奏する時に、共通する音をTieで結んで演奏する事なのだ。これは一般的にはorganistでも、やらない奏法ではあるのだが、それは、一般のorganistが教会等の、acousticの非常に良い(残響が長い)Hallで、演奏をする事が常であるからなのだ。
そういった、充分なacousticのあるPipeorgan専用のHallや教会等では、残響が長いので、丁寧なlegatissimoの奏法は必要無いのかも知れません。
しかし、Organ専用のHallでは無くて、acousticが短いHallでは、和音を弾き直すと、Organ特有の音の持続感が失われて、音の持続性が失われて、曲が乱暴な感じになってしまうのだよ。
また、Hallでは無くて、室内での演奏が主になるCembaloの場合には、このlegatissimo奏法は必須条件となるのだよ。
polyphonyの曲を演奏する時には、極、当たり前の演奏技法に過ぎないこれ等の演奏技法なのだが、日本のPianistでは、そういったlegatissimoの演奏技法が堪能な人は少なく、やはり、pedalで誤魔化して演奏している人達が未だに圧倒的に多いのだよ❢
この、これまでにも、100回も繰り返し話て来たお話を、またぞろ蒸し返しているのは、今日の「音取り」で、BiberやVitaliの曲をOrganで伴奏するからなのだ。
Organの場合には、Cembaloの場合とは違って、和音では無くて、声部という概念で曲を演奏するのだ。
Bachのinventionや平均律曲集で、本来ならば、学んで来たハズの、legatissimo奏法なのだが、日本のpianistやCembalistで、実際に出来ている人は、皆無といえるだろうか??
また、私が、今回の『VitaliのChaconneのOrgan‐version』を書くに至ったのは、一般に出版されているVitaliのChaconneのoriginalのUrtextの楽譜が、全て、Cembalo用に書かれていたからである。
随分以前にも、『Veracini Sonate Accacemiche Op 2Nr 12 d Passacaglia』という曲をOrgan用に書いたのだが、同様の理由で、Cembalo用の譜面しか出版されていなかったからである。
『Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d moll positive organ ‐version』
https://www.youtube.com/watch?v=q7wPEHaC0wM
動画は、昔の京成検見川教室での録画で、部屋が狭いので、Organ側のmicの位置がOrganに近すぎて、Organの音が強過ぎて、音割れが起きていたので、音声をViolin側の1台にして、音量を抑え気味にして、編集をし直したversionです。録音がHall等の舞台ならば、音量の問題は無かった・・と思いますが、狭い部屋の中では、どうしてもViolinよりも音が強くなってしまいます。
音量は、solo楽器から、15名から20名ぐらいまでのbaroque‐orchestraのcontinuoの音量に合わせて positive organ の音量を調整しています。
本来ならば、当然、periodの演奏として、baroque‐Violinで演奏をする予定でしたが、Organとの音量の関係で、baroque‐Violinでは音量が弱過ぎるので、baroque‐Violinとbaroque‐bowの使用を諦めて、modern‐Violinとmodern‐bowで演奏しています。
勿論、Organのbasso continuoのpartは、私が書いたものです。
一般的なbasso continuoとは違っていて、fugato等のpolyphonicなpassageが多用されているので、3声、4声のfugaを作曲するのは、結構難関でした。
このpositive organも、私が黒田Organの工房の人達に制作を依頼したOrganで、制作する上での基本的のideaも、当時、私が弟子達と教会を周って、cantataの演奏をしていた時に、「あったら良いのに・・??」という「あるある」の考えからideaを出して、制作した positive organ なのです。
また、後日、この『Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollの曲』は、教室を退会した生徒である愛ちゃんが、orchestraのmember不足の時に、毎回、都合の付く限り、オケに駆けつけて、演奏を手伝ってくれていたので、彼女が「私のsoloの曲が無い!」と言っていたので、このVeraciniの長大な曲を、彼女の為に、soloのViolinとConcerto Grossoのorchestra伴奏の形で編曲をししたものです。
しかし、発表会の当日は、彼女の病気で、突然の入院になったので、急遽、solo‐Violinを斉藤先生が代奏しています。
斉藤先生が演奏する1st.Violinのpartは、急遽、教室の見学にいらしていた、神戸の石川先生が代奏をされています。(そこに居るものは、誰でも・・の発想ですかね??)
『Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d moll orchestra‐version solo‐ViolinとConcerto Grossoのorchestra伴奏に拠る』
https://www.youtube.com/watch?v=ZPgiUcCqDDo
BiberのRosarysonateの場合にも、曲的には、Cembalo伴奏の方が良い曲と、Organ伴奏の曲の方が良い曲があるのだが、出版されている楽譜は全てがCembalo用にarrangeされている。(勿論、CD等の演奏では、Cembaloの伴奏とOrganの伴奏を奏き分けているversionの方が多いようだが・・・)
出版されている楽譜なのだが、当然、Cembalo用として書かれている楽譜の中にも、Organを意識して書かれたものもあるにはあるのだが、Organのcontinuoを書く場合のtheoryである所の『声部のcontrol』が全くなされていないのだよ。
つまり、権威のある出版社の版であっても、一つのphraseの中で、和音の数が変化してしまうのだ。
それでは一つのphraseの中で、伴奏がデコボコしてしまう。
「Cembaloの演奏では、それは可能だ❢❢」・・と言いたい所だが、やはり、Cembaloでも、和音のデコボコはよくは無いのだよ。
ましてや、「和音として」・・では無くて、「声部として」演奏するOrganの場合は、和音の質量のチグハグ差は、致命的なものになってしまうのだよ。
しかし、残念ながら、それは、Biberの楽譜だけの問題ではなくて、VivaldiやLocatelli 等のbaroque時代の作曲家達の、こんにち出版されている世界的に権威のある版ですら、そういったbasso continuoの楽器的な特性を踏まえた上のcontinuoの技法・・、どころでは無くて、まあ、数字付き低音に正しい和音が与えられていたら、まあ、良し・・とする段階なのだよ。
前回のお楽しみ会の時のVivaldiのLe Quattro StagioniのL’EstateのscoreのCembalo‐partに至っては、数字付き低音に与えられている和声が、そのharmonyの機能(和声学上の基本)を無視して、間違えた和音で、書かれているので、呆れてしまったのだよ。世界的な権威の版なのに、なんというていたらくなのだろうか??
多くのbaroqueの曲でcontinuoのpartが、ちゃんと作られている楽譜は、極めて稀なのだよ。
だから、今回も、Biberのcontinuoのpartを書き直したい欲求に駆られてしまい、練習当日迄は、楽譜を見ないように努めていたのだよ。
だって、楽譜を見てしまうと、ついつい手直ししたくなるのでね??
次には、baroque時代の楽器の強弱のお話なのだが、OrganやCembaloの場合には、音の(phraseの)強弱は、鍵盤で付けるのが一般的である。・・という事で、OrganやCembaloでは、2段鍵盤だけではなくて、大型のCembaloの場合でも、3段鍵盤を持つCembaloでさえもある。
勿論、1段鍵盤の場合も、stopに拠って、2列の音色を持つ事が多いのだが、基本的にはbaroque音楽の場合には、phraseでのstopでの強弱は付けない。
曲と曲の間に、少し時間を入れてstopの操作をするのが、本来の姿である。
勿論、historische‐Cembaloの場合は、registerが壊れる事もあるので、曲の途中でのstopの交換は、基本的にtabooである。
modern仕様のpedalで音色を変えるtypeのCembaloは、phraseの途中で音色を変えるのは可能なCembaloも開発されているのだが・・、可能ではあっても、正しいinterpretationにはならない。
positive organとは言っても、大型のものになると、2段鍵盤に更に足pedalの付いた positive organ もあるのだが、基本的には、8’、8’、4”に足pedalの16が一般的である。(16、8’,8’,4”に足pedalの32feetでは、もはや、 Monster‐Organで、positive organ とは言わないで、Pipeorganそのものである。)
小型の positive organ の場合の、1段鍵盤、2列の場合でも、stopの操作は、曲の途中では行わないで、その代わりに、和音の強弱を付ける時には、声部を増やしたり、減らしたりして音量を加減する。
stopで音量を調整するのでは無くて、声部を変える事で音量を加減するのだよ。(勿論、これはCembaloも同じで、orchestra等でechoを演奏する時には、1段鍵盤の場合には、和音を減らして演奏をするのだよ。
和音の中の音を一つ減らしても、一般のaudienceには聴き取れない・・とは思うのだが、そこは、聴き取れる人が聴き取れれば良いのだよ。)勿論、Cembaloや positive organ に強弱が必要な場合には、2段鍵盤のある教会等を会場に選ぶと良いのだよ。
Organの場合には、会場にOrganを持って行く・・という事は、現代になってからの話なので、基本的には、それは無いのだよ??
Europaの場合には、宮廷や教会には、Pipeorganは必ずと言って良い程、あったし、また、大きな教会には positive organ さえも、常備している教会さえもあったからね??
写真は、今は昔の京成検見川教室での、Veracini sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollの収録の風景である。
8月14日Scharwenkaのdress rehearsal ·
今日は8月の14日の月曜日で、朝の6時55分になった所です。
昨日の13日は、お盆のさなかではありますが、Probeを兼ねて、音取りとdress rehearsalをする事にしていたので、南花園教室迄出掛けました。
往路はお盆初日で断続の渋滞でしたが、まあ、時間的にはさして問題は無く、教室には、時間迄には到着する事が出来ました。
準備は、相変わらず、物が何処に置いてあるのかが、分からなくて、一つ一つを探すのに手間取ってしまい、予定してたtuningの時間が全く無くなってしまい、予定を20分程、tuningに食ってしまい、練習の開始の時間が、20分近くも遅れてしまいました。
勿論、tuningに時間が掛かった分けではありませんよ。
外は、台風性の雨が、何度も、激しく降ったり、小雨になったり、・・と繰り返していたのだけど、、まあ、室内に居ると分からんよね??
・・でも、室内とは言っても、雨が酷いと、湿度が高くなってしまうので、弦が狂うだけではなくて、気分も上がらなくて困ってしまいます。
普段の子供達のオケ練習の時・・ならば、湿度で気分が盛り上がらない時には、pitchを1cycleだけ上げて、444cycleで練習したりするのだけど、Probeなので、本番と同じpitchで演奏しなければならないので、pitchを上げて演奏する分けにはいかないので、困ってしまいます。
結局、Organ伴奏の3曲だけを先に収録しようと思っていたのですが、Organの3曲の収録も出来ずに、「baroque-konzertのやり直しの音取り録音」は、不完全なままで終わってしまい、time‐out・・、(この場合には、time-overが正解かな??)になってしまいました。
折角、頑張って、時間の無い中を、Cembaloを「Kirnbergerの第三調律」でtuningしたのですが、Biberは、Organ伴奏の2曲だけで、Cembalo伴奏の曲は、time‐outになってしまったので、折角、頑張った、Cembaloの「Kirnbergerの第三調律」のtuningも無駄になってしまいました。
もうチョッと、時間計算が出来るようにして、programを組んだ方が良いと思うのだけれどね~ぇ??(それとも、物の置き場所の整理と分類が出来るようにする・・か??)
・・という事で、瑞希ちゃんのdress rehearsalの時間も、少し、始まりの時間が遅れてしまいました。もっとも、終わりの時間は決めていないので、その為に、時間が無くなる・・という事はありません。
瑞希ちゃんの「音取り」の最初は、瑞希ちゃんの希望での、「 VieuxtempsのÉlégieの撮り直し」・・を先に、撮る予定だったのですが、1回、試演をしてみたら、「乗りが悪くて、調子が出ない」・・という事だったので、Scharwenkaのfantasia Sonateを先に撮る事にしました。
Scharwenkaは、流石に、弾き慣れているので、Take1~2ぐらい弾き直したら、spielbar(演奏感)の調子を取り戻して来たようですが、今回の趣旨は、rehearsalであって、あくまでもProbeなので、最初の1回目の「通し」だけを、rehearsal
としての「通し弾き」にして、後は、細かいlessonに入りました。
音楽は、舞台芸術なので、お相撲さんやathleteと同じで、一発勝負で決められなければなりません。
2回、3回と弾き直して、自分が出せるようでは、未だ、程遠いのです。
だから、当然、checkは、弾き直し無しの、この1回の演奏から課題を出して、lectureをしました。
https://www.youtube.com/watch?v=pli98eDQGng
dress rehearsalなのですが、舞台では、着ている衣装や、靴が演奏に微妙に影響する事があります。
音楽大学の入学試験やconcours等でも、音楽に素人の人達が、受験やconcoursで新調したDressを着て、演奏に支障が出て失敗してしまった・・というお話をよく聴きます。勿論、教室では、直前のlessonで、舞台と同じ衣装で同じ靴を履いてlessonをします。
当然、腕が上がらなかったり、靴でpedalが弾けなかったり、checkをして、手直しをして、本番に臨みます。
MilanoのscalaのOperaの日本公演のdress rehearsalを見る機会があったのですが、(勿論、招待者だけのrehearsal
ですが・・)衣装がかさ張って、舞台が狭かったので、Heroの人が舞台前列から、合唱の間を抜けて、舞台上の2階に上がるのが、間に合わなくて、演奏が中断してしまいました。打ち合わせ迄、戻ってしまったのですよ。
いや~あ??ドレ・リハは重要なのですよ。ね~ぇ??
折角の、Probeの為のdress rehearsalなのですが、伴奏のPianoの後ろの背景が白壁なのと、pipe椅子がPianoの下から覗いているので、瑞希ちゃんが素敵な本番の衣装を着ているのに、Pianoの後ろの背景が、普段のままで、全くの興ざめでした。
勿論、当初のHallのInteriorの予定では、背景も、深緑のCurtainと同じ色の布で、白壁を隠す予定ではありましたが、業者ではなくて、先生達の手作りなので、lessonやEventの間をぬっての作業なので、中々、そこまでは行かないのですよ。(元々のCurtainは、暗幕も兼ねての、ジュラルミンが縫い込まれている防音のCurtainなので、非常に高価でしたが、目隠しのCurtainは先生達の手作りで、同じ色の生地で作っているのです。)
公開のsalon‐Koncertが、後、2,3回、続けば、多分、背景のCurtainも、その内、何時かは完成するとは思いますがね~ぇ??
次のURLは、瑞希ちゃんのVieuxtempsのÉlégieの撮り直しの分です。
https://www.youtube.com/watch?v=auR9qLNtT1M
頑張って撮り直して、bestchoiceをuploadするつもり、だったのですが、Scharwenkaの後での収録だったので、流石の瑞希ちゃんも、energy切れになってしまい、今回の Vieuxtempsも、暫定、合格になってしまいました。
(まあ、また、その内に、取り直せば良いからね??)
lecture-lesson自体は、私に取っては、大した労力では無かったのですが、この所の猛暑と、日常生活のrotationの失敗で、私自身の体調管理の不行き届きで、超、疲れが酷くて、lessonが終わってからは、教室からの帰りを急ぐあまりに、大雨の中を、びしょ濡れになりながら、教室の駐車場のShatterを開けたのですが、車を出して、斉藤先生が荷物の積み込みをする頃のホンの一瞬の後には、雨は降っていませんでした。(なんだろうね~ぇ??この雨は、ほんとに・・??)
勿論、帰路の途中では、何度かsquall(スコール)並みの激しい雨に見舞われてしまいましたが・・。
千葉の教室に着て行ったlessonの衣装のシャツが、汗を吸わない生地だったので、lesson中に、汗疹が出来てしまいました。
椎名町で、非常用に置いておいた普段の寝間着みたいな、超薄手の上下に着替えてから、ドル・プリっ歩は流石にpasをして、早めにハイツに戻ったのですが、「風呂で汗を流したい」という切なる願望は、体力の限界で、叶えられないままに、中・一日で、本番がある瑞希ちゃんのtimelimitの為に、(Scharwenkaのfantasia SonateのⅠ・Ⅲ楽章と、瑞希ちゃん自身の希望で、撮り直しをした VieuxtempsのÉlégieだけは、)・・・無理をして、その日の内にuploadをしておきました。
これは、本番迄に、「中・一日」しか無い・・という時間との勝負なので、少々無理をしても、仕方がないのでね??
本番前の、最終checkは、とても大切ですからね。
そんなこんなで、パソコンに動画を取り込んで、編集してYou Tubeにuploadする作業をしながら、そのtimelagの時間を利用して仮眠をする・・というまるで団塊世代のようなHardな一夜でした。
朝の4時や、5時頃には、uploadも終了したので、勿論、それからは、爆睡してしまいましたがね??
やっと、風呂に入れたのは、次の日のお昼になってから・・でした。汗を流さないで寝てしまったので、しっかりと、新たな汗疹が出来ていたよ。
8月15日瑞希の本番 ·
今日は8月15日のお盆の最後の日ですが、近畿地方は台風の直撃で、テレビのnewsは台風一色になっています。
東京も台風性の雨が、断続的に降ったり、やんだり・・しています。
そろそろ、教室の夏休みも終わりに近づいているので、先生達は相次いで里帰りをする予定なのですが、私は、もはや、ふるさとは遠くにも無くなってしまったので、毎年の帰省もなくなってしまいました。
東京の・、それも、江古田の寓居であるハイツの部屋では、特に季節の行事的な事は何もありませんし、する事もありません。
というか、夏休みとは一切関係なく、毎日のroutineの日常を、淡々と繰り返しています。
まあ、しかし、そうは言っても、先生達は夏休みを利用しての里帰りをするようで、牧野先生は、今日お盆の為の里帰りの予定で、斉藤先生は明日の16日には里帰りの予定なのです。
しかし、夏休みらしいのは、その一日だけで、今日の15日は、瑞希ちゃんの本番の日なので、斉藤先生は演奏会場迄、譜めくり担当で出掛けています。
今日、当日のtimelyな演奏風景です。
https://www.youtube.com/watch?v=keLF78ZYMMI
勿論、殆どの生徒達は、今は、とても楽しい夏休みの最中なのでしょうが、私のように、1年中、夏休みの人間もいるし、又は、夏休みだからこそ、出来る事がある・・と言う事で、結構忙しく、この休みの期間を利用している人達もいます。
テレビ等では、国民総夏休みのように、報道されてしまいますが、一人一人の個人、個人の夏休みなのですよ。
テレビのように、1把一絡げ(十把一絡げという人もいますが・・)とは、行かないのが、現実なのですよね~ぇ??
テレビと言ったら、今は、近畿地方に台風が直撃しているようですが、皆様ご心配の事と思われますが、ご無事を御祈りしております。
東京も、台風性の激しい雨を断続的に繰り返していて、結構、bikeでびしょ濡れになったりしています。
8月16日『concours(コンクール)のお話です。』 ·
以前にも、concoursの功罪に付いて、お話をした事が何度もありますが、またぞろ、同じconcoursに付いてのthemaでのお話の蒸し返しです。
日本でも、あまたconcoursと呼ばれるもの、ある中で・・、地方のあまり知られていないconcoursや、企業主催で催されるconcoursから、全国大会を持つconcoursや、或いは全世界からの若者達を競わせる国際concours等、concoursには、色々なconcoursがあります。
また、concoursには、予め課題曲が数曲、決まっていて、その中から演奏して競うconcoursと、全くの自由課題のconcoursもあります。
当然、concoursも、その審査基準が曖昧で、全く信用がおけなくて、2,3回開催されただけで、潰れてしまったような、怪しげなconcoursもあります。(もっとも、主催は地方の新聞社であって、しっかりとしていて、また、その趣旨は地方の音楽の振興と、良かったのですが、怪しげ・・だったのは、審査員長が、その地方の音楽の有力者で、自分の生徒達や、弟子達の生徒達を優先して賞を取らせたからです。その批判が、公になってしまい、東京から審査員を雇ったのですが、もはや手遅れで、出場するKandidat(カンディダート・・concoursを受ける人の事をKandidatと、言うのだけど、日本語の訳語は無いよね??たまに「受験生」と言っている場合もあるようなのだけど、それは少し意味が違うよね?)は、その一門だけになってしまい、3年後には、自動消滅してしまいました。
日本では、あまたのconcoursのある中で、本当に正しく演奏を評価してくれるconcoursを探すのは容易ではありません。
何故、あまたのconcoursがあるのか??・・という事の意味は簡単明瞭で、主には、地域の文化の向上や音楽界の向上という看板が掲げられる事が多いのですが、まあ、本音は、主催者側の権威を得る為の手段に過ぎません。
・・という事で、信頼出来ない・・「concoursも、数撃ちゃ当る」というconcours漁りのKandidatが出没します。
concoursには入賞する事が目的ではなく、proになる事が目的の人達が数多くいますので、その人達は、子供の頃から何度、そのconcoursに入賞を果たした・・としても、大学を卒業する迄、同じconcoursを受け続けて、小学生部門、中学生部門、高校生部門と、全部の部門で入賞をしようと試みます。
あまたのconcoursのある中で、審査員が一人一人のKandidatの評価を書く・・という事は、実はconcoursとしては、大変珍しい事で、私としては、そう言ったConcoursは、とても信頼のおける、大変、良いconcoursだ・・と思っています。
実際には、そういったconcoursは数が少ないのが残念ですがね。
そう言ったconcoursで出す、審査員の評価のcommentは、KandidatのNiveau(水準)を評価するだけではなくて、審査員がKandidatを評価する時のCommentのNiveau(水準)で、その審査員のNiveau(この場合は力量かな??)を知る事が出来て、そのConcours自体のNiveau(水準)さえも判断する事が出来ます。
実際には一般的なconcoursの場合には、concours自体の評価や権威と、そのconcoursの審査基準や、審査の水準は、必ずしも整合する事はなく、寧ろ、音楽教育者とか学閥の間の政治的な理由がconcoursに於ける、Kandidatの評価の基準になったりします。
何処かの国の一番権威のある(・・あった)Concoursのように、Concoursを開催する前から、入賞者が決まっているような不思議なConcoursの方が一般的である国では、concoursに於ける審査基準を信用する事は全く出来ないのでね??
私も、München留学中に、その権威ある音楽concoursの作曲部門に私の交響曲の作品を送った事があります。
残念ながら、書類審査で、落選してしまったのですが、当時、そのconcoursの審査員長をしていた、私の師事していた作曲の教授であったPringsheim先生に、concoursに落選した旨を伝えたら、教授が「もし、一週間前に、お前の作品が私の所に届いていたら、1位に入賞させてやったのに・・❢❢」と、怒られてしまいました。concoursを受ける前に教授の許可が必要だったのですよ。アハッ!
その話を当時、N響の指揮者だった岩井裕之先生に、帝国ホテルで一緒に飲んでいる時に冗談交じりに話をしたら、「予選で、落ちる作品は、とても良い作品だよ❢N響で初演してやるから、1ヵ月で、part譜を書いて持って来なさい。」と言われてしまいました。
頑張って、必死で、orchestraのpart譜を書いたのですが、流石に、ひと月で書き上げるのは無理で、約束のappointmentをすっぽかしてしまいました。
orchestraのpart譜の作成に人を雇う事は、とても難しい時代だったし、勿論、notationのsoftであるfinaleは当然の事、パソコンも、videoも、携帯も無かった頃の時代なので、自分でpart譜を作る他は無かったのですよ。それは、難業、苦行に等しかったのですよ。
MünchenのGenzmer先生に、part譜が書けなかった話をしたら、Genzmer先生は、叱る分けでも、adviceをしてくれる分けでもなく、暫し、黙して考え込んでしまって、やがて、ポツリと、「Hindemith先生は、とても勤勉な先生で、『Mathis der Maler』(画家マチス)のorchestraの全てのpart譜をひと月で書いた事があるのだよ❢」と述懐していました。
勤勉なGenzmer先生が、「勤勉だ❢❢」と驚いた、Genzmer先生の師匠のHindemith先生の思い出だそうです。
私の若き頃の苦い思い出です。
もしも、ひと月で、part譜を書き上げる事が出来たら、私には、別の人生が待っていたかも??
輝かしい作曲家、芦塚陽二としての、未来が・・・???
・・いやあ、それは無いよな???
その時だけは、頑張って、まあ、何とかなったとしても、作曲家を続けられる程には、私は勤勉では無いからね~ぇ??
作曲家の人生なんて、正につまらないものです。
私が日本に帰って来たばかりの頃に、テレビ局から約一週間の密着取材の要請がありました。
作曲家の日常の生活のdocumentだってサ❢❢
勿論、丁重にお断りしました。
だって、作曲家の日常なんて、たった1小節のscoreを3ヶ月位掛かってorchestrationするのだよ??
その間、誰もいない部屋に独りだけ籠もって、机と向かい合ってその日一日を過ごすのだよ??
私も、作曲家を目指している時に、ひと月、誰とも合わず、会話もしない日常を過ごした事があります。恰も、独房に放置されて人の顔さえ見る事の無い、Jean Valjeanのようで、流石に、精神を病んでしまいました。
ましてや、一般的に知られているように、「作曲の構想をする時等は、Pianoに向かって」・・なんて、有り得ないのですよ。
まるで、白痴か痴呆になったかのように、寝転がったり、ボンヤリと立ちすくんだり、してその日を暮らすのです。
頭の中で全体の構想が出来たら、それを、画面に起こすのは超、早いのだけどね~ぇ。そこまでが、狂人の世界なのだよな~ぁ??
だから、玉突きをしながら、或いは、友人達と酒を飲み交わしながら、作曲をする・・というMozartやSchubertは驚異なのだよな~ぁ??作曲をしている時には、他の事は全く手が付かなくなるのだよ。食事も、水を飲む事さえも忘れているのだよ。
finaleを購入してからは、Pianoを全く使わなくなっただけではなくて、五線紙も全く使わなくなってしまいました。
20年以上も前に買って置いた五線紙が変色して、未だハイツに大量に残っていますよ。
今現在は、五線紙を使用する時は、和声の指導の時だけだったのだけど、今は、送られて来たpdfの映像の答案に、直接、Pen・Mouseで、パソコンの中で赤入れをしてしまうので、五線紙をprint outする事さえも、無くなってしまいました。
という事で、対面の和声のlessonの時にしか、五線紙は使わなくなってしまいました。(主に、和声のlessonはlineでやっていますので、対面式のlessonではありません。アハッ!)
concoursの話に戻って・・・
concoursに審査の基準となった評価のcommentを、Kandidatに表明するconcoursは、信頼の於けるconcoursと言えます。
しかし、まあ、そういった信頼の於けるconcoursでも、問題は多いのです。
先ずは、日本の審査員達の評価の言葉は、殆どの場合、日本語になっていなくて、理解不能な場合が多いから・・なのですよ。
だから、審査員の評価を読む時には、「審査員が何を言いたいのか?」を、ちゃんと理解、判断・判別して、それを正しい日本語にtransposeする必要があります。
それから、やっと、その評価が正しいか、否かを判断します。
しかし、問題はそれ以上に、実際には、単なる物理的な現象を演奏ミスと判別して、評価の対象にしている場合もあるし、審査員側のinterpretationの誤りの場合すらあります。
音楽には、論理的に『ねばならない』というinterpretationがあります。
感情論のぶつけ合いではなくて、作曲家の意図や時代考証、時代様式でそのように演奏をしなければならない・・という決まりがあるのです。
日本人の音楽家は、西洋音楽の歴史には、演奏様式も含まれる・・と言う事が分かっていません。
Europaのちゃんとした音楽家達は、そういったtheoryをきちんと守って演奏しています。
それがtraditionalだからなのですよ。
日本の古典芸能や古典文学にも、守らなければならないtheoryがあります。
そのtheoryを勉強不足で知らない・・としても、日本人である限り、おかしい・・と感じてしまいます。
外人さんのように、日本の古典を外から見て、見よう見真似をして、「それが非常に、正確だ❢❢」としても何かがおかしい・・と感じる事は、よくあると思います。
日本人がEuropaの音楽を見よう見真似で演奏しても、基本が出来ていないと、やはり、異邦人の音楽になってしまうのですよ。
怖い事です。
Pianoでは・・、弦楽器では・・、歌では・・、日本人特有の奇妙な表現が日本人にはあります。
しかし、そこの所は、日本人には分からないのですよ。
困った事には・・・
しかし、審査員がどんなに誤った解釈で、Kandidatの評価をしたとしても、それをKandidat側が、審査員にappealする事は出来ませんし、それでconcoursの評価が変わる事もありません。
concoursにはvideo審査等というのは、ありませんからね??
そう言った事も、込み込みでのConcoursなのですからね??
まあ、現実には、concoursなんて、そんなもんなのよ❢❢
concoursの中身を知れば、その信頼性はたかが知れているのだよ。
それに、日本では「concoursに入賞するとproになれる」というような、奇妙な神話があります。
・・という事で、proを目指す若者達は、死物狂い・・と言える程の熱意で、ありとあらゆるconcoursを受け続けます。
でも、残念ながら、それでproになれた人は殆ど、いないのですよ。それは、Chopin‐concoursでも、Tchaikovsky‐concoursでも同じです。
昔、そう言った世界でも名の知れたconcoursを受けて入賞した人達が今何をやっているか??という本が出版された事があって、興味深く購入しました。
本を見て、「驚いた」・・と言うか、或る程度は予測が付いていたのだけど、concoursのPreisträger(入賞者)達でproのpianistやviolinistになった人達は数えるしか、いなかったのですよ。大半の人達は大学の教授とかになってしまっているし、その中の多くの人達は音楽家である事さえも、捨て去っていたのですよ。或る意味、衝撃な本でしたがね??
何故、予測が付いたか??と言うと、Europaにはconcours‐pianistという言葉があるように、所謂、「重箱の隅をつつく」世界の延長には、人を感動させる音楽は無いのですよ。Olympicのように、技術美が、人を感動させる事はあっても、それは芸術が人を感動させる事とは違います。心に届く為の演奏では無いのですからね??
Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!(心から心へ至らん事を・・)というのは、彼の偉大な作品であるscoreに書かれていたBeethovenの言葉です。
でも、逆は、或る程度は、言えます。
「proになった人で、concoursを受けた経験のある人は、います。」程度ですがね~ぇ??
言い方を変えると、concoursを受けても、受けなくても・・、或いは、音大に入学しても、しなくても、或いは、音大を卒業しなくても、「proになる人達は、proになるのだ」・・という意味です。至極、当たり前の話なのですがね~ぇ??
親方日の丸は、日本人の個性なのだからね~ぇ??
でも、一般の人達で、proを目指す人達の殆どは、「どうすればproになれるのか??」という方法論を全く知りません。
知らないから、迷信を頼るのですよ。
では、どうすれば、確実にproになれるの??
その答えの前に、一つ、大きな疑問があります。
それは、日本人の音楽家の場合には、「proに成りたい」と、願っている人達が抱いているproという概念が、驚く程、具体性が無いのですよ。
つまり、『何を持って、proというのか??』という質問に答えられない人達が殆どなのです。
一言でいうと、『proの定義』なのですが、『proという定義』は人に拠って、驚く程、異なります。
演奏家として、名前が知られている・・という事を、「pro」と呼ぶのならば、世界的名演奏家も、或いは、音楽の歴史に名を残すような演奏家でも、proとは呼べないかも知れません。
proの人達は演奏活動の他にも、色々な仕事をしているからです。
私から見ると、とてもproとは呼べない自称proの人達も日本には数多く存在します。
(「日本では」・・と言う意味は、ドイツではpianistは国家試験に合格して国家資格を持っている人達だけをpianistと呼ぶからなのです。つまり、ドイツでは自称pianistはいないのですよ。・・と言いたい所なのですが、何処の国にも、変なpianistはいて、それを楽しむ・・変なドイツ人も居るからです。変なpianistの変な演奏を面白がって見るので、結構、満席なのですよ。私のドイツ人の友人が、「前日にその人の演奏会に行って来た」・・と言って、その人の演奏の真似をして、とても愉しそうに、笑い転げていました。例えば、譜面を見ながらPianoを演奏するのですが、Pageの最後に差し掛かると、Pianoを弾く手を休めて、Pageを捲ってから、おもむろに弾き始めるのだそうです。Münchenでは結構、有名なpianistなのですがね~ぇ??勿論、国家資格は持っていません。)
concoursを受けてproになるには、弊害の方が多い・・と言う事なのですが、では、concoursは、全くの無駄であるか??・・と言うと、そうでもありません。
それが必要か否かは、兎も角としても、concoursでしか、学べない事もあります。
それは、「重箱の隅をつつく」という勉強です。
しかし、「重箱の隅をつつく」という教科書的な勉強は、非常に危険な、演奏の本質、音楽の表現の本質を見失い易い・・練習法でもあるのです。
だから、Europaには、concours馬鹿とか、concours‐pianistとか言う言葉があります。
Münchenの国際concoursに私の日本の母校の先輩(私の中学・高校生の時のPianoの曲を初演してくれた先輩です。大学1年生の時の初演なので、中、高生の時の作品になります。初演してくれたお礼に、当時は非常に珍しくて高価であった熊の巨大なぬいぐるみをpresentしたのですが、後日、彼女から、「胸が真っ赤になって、チクチクして痛い❢❢」と文句を言われてしまいました。・・という事は毎晩、抱いて寝ている・・という意味だったのだよね?結構、嬉しかったのかな??)が決勝に残ったので(一位抜きの2位になったのですが・・ね)、予選の段階からconcoursを聴きに行った事があります。
超、有名な女流pianistの門下生の日本人の女の子が予選で落ちて泣き崩れていたりして、そのlegendなpianistが一生懸命に慰めている風景や、concoursの年齢ギリギリの男性が、concoursの課題曲と全く違うScarlattiのSonateを数曲、弾き始めて、まあ、巧い事、感動してしまうぐらいの上手さだったので、審査員の先生達も、審査の手を止めて聴き入っていたのですが、当然、課題曲ではないので、審査の対象にはなりませんでした。
「どうして、こんなに巧いのに、課題曲以外の曲を弾くの??」と、友人に聞いたら、Europaでも、有名なconcours荒らしの人で、concours‐pianistとしての地位しか築けなくて、proにはなれなかった人の末路なのだそうです。でも、それにしても、秀逸なScarlattiのSonateだったのだけどね~ぇ??
「充分に、proとして、通用するのでは??」と思ったのですが、でも、ドイツには、pro顔負けの、amateurの人達が居て、書斎全部が楽譜の棚で、その楽譜、全部を、いつでも弾ける・・というお医者さんがいたりして、兎に角、層が厚いのですよ。
生半可な努力ではproにはなれないのです。
Europaの音楽、所謂、西洋音楽は、明治時代の「音楽事始め」から、日本の政府の手に拠ってもたらされます。
音楽を取り込む基本は、日本の軍国主義のbackyardの為なのです。
だから、日本に音楽を取り込む為の方策として、家元制度を音楽の世界にも、導入しました。
所謂、親方日の丸の世界です。
orchestraは、軍隊よりも、統率が取れている世界なのです。
指揮者のチョッとした指先の動きにも、数百名の団員が瞬時に反応します。これは流石に、軍隊でも無理です。
日本の音楽家達は、proになる事は、演奏技術力、所謂、technikを磨く事で得られる・・と考えます。
当然、演奏技術の世界は、重箱の隅をつつく世界であり、所謂、concoursの世界に他なりません。
という事で殆どの音楽家達の大半が、音楽の表現や、音楽の本質を追求する事を見失って、entertainmentにばかりに偏って、Europaのtraditionalから、ドンドンと遠ざかって行きます。
つまり、偉大な作曲家達の心、本当の音楽の心を学ぼうとしないのです。
日本人の演奏家達の演奏は、本当に上手なのですが、それ以上に、音楽には何も無いのですよ。
虚ろで空虚な光り輝く音の反映に過ぎないのですよ。
それが、concoursからentertainmentへの日本人の音楽家達の弛まぬ努力の結果なのですよ。
日本に西洋音楽が入って来て、はや、百年以上の年月が流れてしまいました。
しかし、音楽のそのものは、未だに、明治時代の「音楽事始め」の時のまま・・なのですよ。
それから、一歩も進歩していないのです。
Miserere❢❢
哀号❢❢
8月16日15日は先生達が外出していたので·
今日は8月の16日の水曜日で、世間は多分、終戦記念日か、お盆明けの日(送り火の日)か、なのでしょうが、昨日のお盆の最後の日の15日は、先生達が皆出掛けていたので、夜は事務所での食事ではなくて、いつもの魚河岸で、生bierを飲みながらの寿司三昧になりました。
帰りは突然の激しい雨で、寿司屋に傘を借りてハイツに戻りました。(先生達は、ちゃんと、ポンチョを準備していました。)
・・という事なので、持ち帰りのお弁当が全く無くて、今日の朝食と昼食・・と言うか、いやさ、冷蔵庫には食料品が全く入っていないので、已む無く、外で外食をせざるを得ませんでした。
普段ならば、(ハイツの部屋を、来客の為に部屋の整理する事が難しい時に、接客室の代わりに使っている・・)行きつけの珈琲館にでも行って、昼定食でも食べる所・・なのでしょうが、結構、今日の体のconditionは、洋食だと体調にキツいので、私が音大に通っている頃から存在している・・音大生の頃からの時折行く事もある・・今は亡き江古田教室と、ハイツとの、丁度、中間地点にある、非常に、不味い蕎麦屋に行く事にしました。
未だ、江古田に教室が存在していた頃には、ハイツと江古田の教室の徒歩で5分ぐらいの距離を、殆ど毎日、往復していたのですが、この10年近くは・・、特にコロナ以降は、全く江古田のハイツの部屋に籠もって、外には出なくなってしまったので、結構、お久し振りの外出かも知れません。
まあ、蕎麦屋迄は、たまに行く事のある寿司屋の魚河岸や喫茶店の珈琲館とも、ほぼ、同じ距離かも知れませんが、駅を挟んで斜向い・・と、桜台方面へ直線の距離では、体感的に距離感が少し違うような気がします。
いや、それも、全くの気のせいなのでしょうが・・ねぇ??
まあ、それでも、帰りには、コンビニに寄って、夜食迄のつなぎの食材を買って来ましたがね。
サンドイッチ1個・・程度の場繋ぎに・・です。
夕方からは、流石にパソコンを前にして、何時の間にか、意識混濁をしてしまいました。
意識混濁・・つまり、意識が飛んでしまったので、慌てて、bedに入って仮眠をしました。
暫く、仮眠をしていて、偶然に頻尿のtoilette-timeで起きたtimingの時に、丁度、斉藤先生から、椎名町教室への帰宅時間の連絡があったのだけど、その直後には、「もう、椎名町の駅に到着した」とのlineが入って来ました。
どうなっているのだ・・??
已む無く、bedから起き出して、食事時間には、未だ間があるので、仕事modeに入っていたら、またまた、突然、食事の時間の連絡が入って来ました。(約束では、予定の時間の1時間前迄には、連絡を入れる事になっているのですがね??)
連絡には、相変わらずintervalの時間が入っていないので、大急ぎで、未だ食事の時に、食べ終わったままでシンクに入れっ放しになっているタッパー類を洗っていないので、そのタッパー類を洗う所から始めて、衣装を来て、持って行く荷物を準備する所迄が、椎名町への移動して、食事を食べる前にする準備の時間なのです。
シンクに溜まった洗い物なのですが、どっちみち、椎名町で先生達がちゃんと洗い直してくれるので、ハイツでは食べ物のカスを流水で洗い流して落とすぐらいの簡単な作業だけで、それをキャリーバッグに入れて、椎名町の教室迄、bikeに積んで行くのですが、その簡単な作業である所の「流水で洗って、キャリー・バッグに入れる」・・所までが、体調次第では、結構、手間取って、時間が掛かってしまうのですよ。
まあ、・・とは言っても、何とか頑張って、・・準備をして、bikeで椎名町に移動しました。
後は、routineの作業なので、割愛して、・・食事を終えて、ドル・プリっ歩もそこそこに、大急ぎでハイツに戻って来ました。
食材を冷蔵庫に入れながら、パソコンに文字の入力をしていたのですが、その作業をしながら、何時の間にか、またまた、眠ってしまっていました。
今日の体力は、もうとっくに、限界を越えてしまったようです。
未だ、熱くて冷蔵庫に入れられない食材は、諦めて、机の上に放置したままで、bedに入って仮眠をする事にしました。
おやすみなさい❢❢ ZZZZZZ❢❢❢
・・という事で、今は、深夜の2時を過ぎた所ですが、toilette-timeで目が覚めて、起き出して、その次いでに、睡魔で放り出したままになっていた、食材を冷蔵庫に仕舞って、書き掛けていた、パソコンへの文章の続きを書く事にしました。
次の睡魔が訪れる迄の、「場繋ぎ」ですが・・ね??
恙無く、2人目の睡魔が訪れて、それ・・で、次のtoilette-timeは朝の6時でした。(one‐coolにしては、結構、眠れたのかな??)
無事に、次の睡魔さんが来たようで、いつ眠ったのかも記憶がありません。
やっと、少し、元気が戻って来ました。
朝は、どんよりとした雲の中から太陽が強い光を出しています。
今日のハイツは、lesson‐dayです。
頑張って、少し部屋を、掃除と、整理をしないと・・・
斉藤先生がViolinのlessonの1時間前にハイツに来て、掃除機掛けをしてくれる事になりました。だから、出来る範囲で、整理だけをすれば良い事になって、助かりました。
善哉!善哉!
8月17日『友達Requestに関して・・』 ·
この所、また、友達依頼が来るようになりましたが、失礼のないように、友達依頼の受諾条件を今回もまた明記して起きます。
基本的には、対面での面識がある方と、信頼の於ける友人からのご紹介に限っての、友達受諾にしております。
一見さんは基本的にお断りしていますので、どうぞご了承ください。
よろしくお願いします。
芦塚陽二拝
8月18日『BiberのRozarySonateの撮り直しについてのお話し』 ·
今日は8月18日の土曜日のまもなく、お昼になる所です。
今日からは、夏休みが終わってlessonが始まります。
昨晩は、bedの中で、携帯を手にして、横になったままで、結構、頑張ってbaroque-konzertに付いての文章を書いたつもりだったのですが、いざ、起き出して、パソコンを開いて見てみたら、なんの文章も書かれていませんでした。
・・とは言っても、以前にも、結構、数多い状態で、そう言った・・、書いたつもりが、夢だった事があったので、頑張って、意識を持って、一生懸命に書いたつもりだったのですが、やっぱり、それも夢の中で、結局の所、何も、書かれていませんでした。超、Shock❢です。
・・という事で、気を取り直して・・・記憶を辿りながら、書き起こす事にしました。
この所、毎夜の入眠障害で、1日が丸々逆転しているようですが、しかし、私の仕事自体は、人との関わりの無いボッチ作業なので、・・・しかも、時間の制約を受けないnorma制なので、1日が逆転していたとしても、何の問題もありませんが、この所の昼夜逆転の為かどうかは分からないのですが、兎に角、この所、疲れが酷いのですよ。
(斉藤先生達も疲れが酷いと言っていたので、連日の猛暑日の所為かも知れませんよね~ぇ?)
『BiberのRosarysonateの撮り直しに付いて』
昼夜逆転なので、昨晩も、食事とドル・プリっ歩が終わって、ハイツに戻ってから、BiberのRozarySonateのcheckを始めました。
今回のVideoの編集作業は、斉藤先生のコンサートで自分が演奏した曲なので、斉藤先生本人が納得出来るように編集の作業も斉藤先生がする事にしました。
・・という事で昨晩は、BiberのRosarysonateの第6番c mollのvideoの編集が取り敢えずなのですが、終わったようなので、そのvideoのcheckの作業をハイツに戻ってから、深夜の作業と言う事で、頑張って、しました。
BiberのRosarysonateは、いつものように、baroque-konzertの時の動画を、そのままYou Tubeにuploadする予定だったのですが、伴奏者の、「非公開か、若しくは限定公開にして欲しい。」との要望があったので、ご要望に添って公開はしない事にしました。
しかし、BiberのRosarysonateは、斉藤先生の全16曲の完全制覇というlifeworkが掛かっているので、折角練習をして来た曲・・という事もあって、急遽、伴奏者を変更して、演奏を撮り直して、You Tubeにuploadをする事にしました。
・・でも、ただ単なる演奏の撮り直しでは、baroque-konzertの直ぐ後の焼き直しになってしまうので、あまり、演奏をする事にしては、意味をなさないので、今回のvideo撮りでは、付加価値を加える為に、曲の演奏上のconceptを変えて、baroque-konzertで斉藤先生が演奏をした、一般的なinterpretationの演奏とは異なった、私の独自の解釈に拠る、もう一捻りしたinterpretationでの演奏して貰う事にしました。
・・という事で、その変更されたinterpretationの伝達とlectureに手間取っていて、且つ又、急遽、伴奏をお願いした智子さんとの合わせの時間調整に手間取っていて、baroque-konzertで演奏した曲目の撮り直しをしているのに過ぎないのですが、私的には、簡単なinterpretationの変更なのですが、その表現演奏が、結構、難しくて、以外と時間が掛かってしまって、中々、録音の作業までに進まないので困っています。
その、BiberのRosarysonateは、それぞれの曲に聖母マリアの生涯に拠る物語詩と銅版画が与えられています。という事で、全16曲が、1曲、1曲、独立した曲として演奏されるのが、一般的でありますが、今回の演奏では、独自の解釈・・として、WagnerのLeitmotivのように、それぞれの曲の独立性に関係なく、全曲に共通するMotivでがあって、曲全体を統合している・・と言う私独自の解釈をしています。
今回のRosarysonateのコンサートの曲目の中から、そのLithiumとなるMotivの1例を上げるとすると、写真のように、第5番のA DurのPraeludiumの冒頭のphraseなのですが、恰も、Rembrandtの夜警に見受けるような真っ暗な(この夜警という名称は絵の具の劣化に寄って、暗くくすんだ色になった事に拠る名称であり、本当の色は明るく昼間の出陣の光景なのだそうです。・・これは困った。間違えた解釈のままのRembrandtの絵での、interpretationなのですが、)夜のとばりの中を、夜警に出発しようとするラッパの音が闇をつんざきます。
このラッパの音のthemaが、全16曲ある色々な曲の中で、Leitmotivとして、登場して来ます。
・・・という事で、新しいinterpretationでは、Leitmotivは、共通する一つのMotivとしてのtempoを設定しました。(恰もVivaldiの描写音楽としてのMotivの有り様のように・・です。)
当然、語りの部分は、お喋りをするように、お喋りのtempoに設定しました。
それで、曲はRembrandtの絵のように、非常に強い演奏表現が出来るようになりました。
また、gigueやsarabandeのような舞曲の場合には、baroque‐danceでは、2拍目を軸足として、より舞曲としての表現を出しています。Sarabandeでは、多くの演奏家達が、最初の4分音符を、Auftaktのように演奏していますが、それは根本的に誤りです。
次の付点4分音符がsyncopationで、拍頭のような気がしてしまうからです。しかしfoliaやChaconneにも共通したこの舞曲のstepでは、短い拍頭と長い2拍目が極めて特徴的なのです。
(最初の1拍目の音符をauftaktにして、長い付点の音符を拍頭にしてしまっては、foliaやsarabandeである意味がなくなってしまいます。
Chaconneやsarabandeに共通した2拍目に長い音符が来るstepではなくなってしまうという事なのですよ。)
一般的なinterpretationでは、Marienleben(マリアの生涯)と言う事で、宗教的な配慮から、Polyphonischな音楽として、tempoを揺らす事なく淡々と演奏するのが一般的で、組曲全体としても、感情を抑え込んだ、静的な表現で演奏するのが一般的な演奏表現なので、表情豊かな人間的な劇的な演奏表現は普通はしません。
しかし、それでも、少数派ではありますが、私と同様に音楽を劇的(dramatic)に演奏するgroupが居て、宗教的に淡々と演奏するgroupとは一線を画するようです。
まあ、これはinterpretation上の立場の違いなので、どちらでも構わないのですし、まあ、どちらの解釈でも良い演奏であればそれで良いのですがね~ぇ??
interpretationのお話なので、細かく説明し出すと、際限無くなってしまいますので、説明は省くとして、大きなÄnderung(変更)のpointは、その2点の変更で良いと思います。
しかし、このたった2点のinterpretationのÄnderungが、演奏上の決定的な違いを生み出して、非常に難しい事になってしまっているのですよ。
写真はBiberのRosarysonateの第5番の冒頭です。
大変美しい楽譜ですが、Violinのpartはscordaturaなので、解読不能です。
You Tubeは第5番です。
https://www.youtube.com/watch?v=PAUhvUvTYnQ
8月19日『飛んだ❢飛んだ❢❢曜日が飛んだ❢❢❢』 ·
『飛んだ❢飛んだ❢❢曜日が飛んだ❢❢❢』⇒『未確認生命体との永遠の戦い』⇒『大根葉の卵かけご飯』⇒『coolerの設定温度と老人の体感温度』⇒『馬鹿げたエコのお話』⇒『少子化の問題』
『飛んだ❢飛んだ❢❢曜日が飛んだ❢❢❢』
今は8月19日の午前3時半を過ぎた所です。
toilette-timeでbedから起き出して、その次いでに、明日のオケ練習とlessonの楽譜の準備と、温かくて冷蔵庫に入れられなかった食料品を冷蔵庫に入れながら、予定表のcheckをしている所です。
明日のオケ練習とlessonの為の楽譜の準備を・・・、あれれ・・?
パソコンの画面上の大きなanalog時計(パソコンの画面上の時計なので、本当はdigitalのanalog時計ですよね。)・・では、今日(25時)は土曜日・・と言う事になっているぞ?
何なんだ・・?? これは・・・???(写真参照:)
慌てて、「パソコンがBugってしまったのかな??」・・と思って、Bugの修正の為にパソコンを再起動しながら、携帯の待ち受け画面になっているanalog時計をcheckしたら、・・・なんということでしょう~❢❢ やっぱり、今日は土曜日なのだよな~ぁ??
昨日の18日が、てっきり、土曜日だと思って、1日を過ごしてしまったのだよな?
私としては、日がな一日中を眠ってしまって、1日が惰眠で、ぶっ飛んでしまった・・と思い込んでいたのだが、「一日中眠っていた」・・とは、逆に「眠れていなかった」・・・と言う事だったのだよナ・・?
その日の夜の食事や、ドル・プリっ歩も、異常に疲れていたので、お散歩は途中まで付き合って、後はpasしてしまったのだが、その異常な疲れの原因は、幾ら眠ても、疲れが取れなかったのではなくて、結局の所、睡眠不足で疲れていただけ・・だったのだよナ〜ぁ??
「な~んだ、成程・・!」と、納得してしまった。
もう一つの、一日がぶっ飛んだ原因なのだが、牧野先生がlessonで千葉に行って、「今日は千葉泊りだ」と連絡があったのだけど、「土曜日なので、routineでの千葉泊りなのだ」と、思い込んでしまっていたのだよ。
金曜日は椎名町に帰って来るのがroutineなので、その確認で「今日は千葉泊まりだ」という連絡を入れて来たのだが、それを土曜日の定形の千葉泊り・・だと思ってしまったのだよな??
深夜の3時に目が覚めた次いでに、昨晩、出来なかったオケ練習の楽譜の準備と食料品を冷蔵庫に入れる作業と、printerのトナーの交換の作業迄、超、忙しく働き蜂のように、やってしまったぞぃ?❢
なんだ、今日が土曜日ならば、未だ一日あるのだから、これからも、安心して・・ゆっくりと・眠れるではないか??
朝、起きた時に、「日にち」や「時間」、或いは「昼夜」を勘違いしてしまう事は、よくある事なのだが、小一時間程度でその間違いは是正されてしまうのだが、その勘違いが丸々一日、続いてしまって、次の日になって始めて気が付く・・と言う事は、流石に、初めての経験なのだよな~ぁ??
こうして、段々、ゆっくりと、認知症が近づいて来るのだよな~ぁ??
怖い❢ 怖い❢❢ 貞子よりも、怖いぞョ❢❢❢
『未確認生命体との永遠の戦い』
超、怖い❢❢・・と言えば、深夜の3時半に目が覚めた時に、シンクに溜まっていた洗い物を洗おうと思ったのだが、その時に1~2㍉ぐらいの大きさの(いつもゴキブリと呼んでいる)未確認生命体の物体が、数匹もシンクの中を走り回っていた。(1~2㍉なので、シバンムシと言うらしいのですが、私は虫は苦手なので、詳しくはありません。)
シンクには、食器類が多いので、ゴキ様専用のSprayは使えないので、所謂、中性洗剤の原液を、スポイト機能のあるSprayを使って、吹き掛けると、ゴキ様専用のsprayと同じぐらいの瞬殺が出来るのだよ。
1匹でも見た時には、中性洗剤で、確実に容赦なく、殺処分をする事にしている。
そうすると、後、暫くは、ゴキ様を見る事はなくなってしまうのだよ。(写真不掲載:)
『大根葉の卵かけご飯』
朝の10時半を過ぎて、ご近所の方からのお裾分けの大根葉を卵かけご飯に振り掛けて、食べながらのながら、ながらで、パソコンの作業をしていたのですが、一昨日の金曜日が一日、飛んでしまった事から、どうしても、今日が日曜日で、お昼の2時半からオケ練習が開始されるように思えてしまって、焦ってならないのだよな~ぁ??
作業をしながら、「後、2時間しか無い、急がねば・・」・・とか、無意識に思いながら、作業しているのだよ。
今日の話・・ではなくて、明日の予定なのにね??
一日が丸々ぶっ飛んでいるので、中々、感覚が戻りません。
いや~~ぁ、困った❢❢(写真参照:大根葉の卵かけご飯)
『coolerの設定温度と老人の体感温度』
それにしても、パソコンの部屋のcoolerが除湿にしても、寒いのだよ。
温度設定がcoolerも除湿も30℃迄しかないのだよ。
このcoolerを買った当時は、一夏の内でも、30℃を越す日にちは全く無かったのだが、やがて、(4,5年前ぐらいからは、)30℃越えの日が、1日、2日はあるようになって来ました。
だから、そう言った30℃越えの日には、已む無くcoolerを使用したのだが、それでも、そういった日は、一年に1日か、2日しか無かったのだよ。
だから、coolerを購入してからも、10年以上も、殆ど数える程しか、使った事は無いままであって、ましてや、Cembaloの部屋や寝室でcoolerを使用する事は、全く無かったのだよ。
しかし、この3,4年前から、突然、30℃越えの日が、何日も続くようになって来たのだよ。
だからcoolerを使用しないと、無理な日がやって来たと思ったら、今度は、所謂、猛暑日・・とか言う、35℃越えの日が続くようになってしまって、cooler無しでは生きて行けないような、日が続いているのだよな??
しかし、先程もお話をしたように、古いcoolerの設定温度は30℃迄か、せいぜい、31℃迄しか無いのだよ。
・・という事で、已む無く、今現在は、一日中、coolerの温度設定と格闘しているのだよ。
外界の温度が猛暑日の35℃超になったら、除湿の30℃でも、超、寒いのだよ。
今の新しいtypeのcoolerは椎名町のcoolerも千葉のcoolerも、外界の気温とプラマイで設定出来るから、「寒すぎる」と言う問題は起きないのだが、昔の古いtypeのcoolerは、外界の気温とのプラマイの設定の機能は無いのだよ。
という事で、coolerの設定温度は、30℃か、31℃迄の温度設定しか無いのだ。
練馬区の4時半現在の気温は35℃なのだが、政府の推奨する28℃の設定では超、寒い❢❢
限界の設定の30℃の除湿にしていたのだが、夕方の5時近くになって、やっと、肌寒いぐらいの温度になった。(設定温度が除湿の30℃のままでの話なのだが・・・)
やっぱり、体感温度で設定が出来るようにするのが、coolerの基本中の基本だよな??(±)1℃で充分なのだよ。
それを無視して、お昼間の35℃の状態で、coolerを政府の指定の温度である28℃に設定すると、堪えられない寒さになってしまうのだよ。
今は、同じ35℃でも、夕方の35℃なので、30℃の設定で、なんとか、なっているのだよな??
夕方の体感温度は、昼間と同じ温度でも、体感的には少しだけ、優しい。
ここまでは、coolerと温度設定の話だったのだが、これからは、体感温度のお話をする。
テレビ等の放送での解説を聴くと、「老人は体の感覚が鈍っているので、暑さを感じ難い」・・とされている。
まあ、敢えて、それを否定する気は無いのだが、それだけではない・・と言う事を気付いていない人達が多いのは困ったものだよ。
体感温度は、絶対的な温度ではなくて、その人の体調に結構、順応していて、若くて元気な人達は、体が燃焼しているので(代謝が良いので)、暑さ寒さを強く感じる事が出来るのだよ。
それを逆の言葉で言うと、暑さ寒さを感じる事は老人よりも少し弱い。(言葉尻りを捉えてしまうと、なんか逆説的に聴こえてしまうよな??)
立場を変えて、若者達や元気な老人の立場ではなくて、逆に、病人や体力の無くなってしまった老人の立場で考えると、paradox的ではなくて、当たり前の事として捉え易い。
つまり、老人や病人は、体の燃焼率が悪いので(代謝が悪いので)、暑さ寒さを感じる力も弱くなるのだよ。
それが、暑さや寒さに対して、鈍感になる・・という結果を産み出すのだよ。
凍死をする人間が、死の直前には体がポカポカと暖かく、感じてしまう事に似ているのだよな??
熱帯夜なのに、coolerも付けないで、結構、布団を重ねて掛けて、熱中症で死亡している老人が多いのは、体感温度が鈍く、実際の気温が35℃を越えていたとしても、体感温度では、寒く感じてしまうからなのだよ。(実際に、「感じる」という事だけではなくて、触って見ると、手足等の末梢の部分は、冷たく冷えているのだよ。
つまり、35℃越えの猛暑日であっても、体調が不良の状態では代謝不良で、体温が低くなっているので、結構、外の気温を、寒く感じてしまうのだよ。
だから、日頃から、汗をかくぐらいに運動をしている人は、老人であったとしても、気温を正しく感知する事が出来る。
まあ、病人の場合には、軽々に言う事は出来ないのだが、健康な老人に限って言うと、本当の意味での熱中症対策は、老人が正しく気温を体感出来るように、軽い運動を推奨する事だろうか??
政府やマスコミでは、老人にcoolerを使用するように、推奨しているのだが、それを中々、老人達がやってくれない原因は、(勿論、その最大の理由は経済的なものではあろうが、しかし、経済的な問題の無い老人達も結構、熱中症で死んでいるので、そればかりが原因ではないのだよ。)
つまり、気温を正しく認識出来ない老人に、幾らcoolerの使用を勧めても、本人達は、coolerを使用すると、寒いのだから、自主的にcoolerを使用してくれる事は無いのだよ。
coolerを使用して布団に入ったとしても、結構、体が寒く感じられてしまうので、折角のcoolerを消してしまうのだよ。
・・という事なので、coolerの使用を推奨するだけでは、老人の深夜の熱中症の対策にはならない・・という事を言っているのだけど、まあ、門外漢の俺が言う事じゃあ無いけれど・・ね~ぇ??
『馬鹿げたエコのお話』
プラスチックごみを減らす・・と言う問題で、政府・マスコミ一丸となって、レジ袋でごみを出す事を禁止して、日本では、90%以上の達成率を達成したのだけど、それに寄って日本のエコ率の達成は、2%にも満たないのだそうで、プラごみに関しての問題の解決・・としては、このレジ袋の対策は、殆ど意味をなさないのだそうです。(それを国民に言う側の為政者である政府が言うのかね~ぇ???)
レジ袋でごみを出す事を禁止にした真意は、レジ袋をごみ袋に変える事で、国民にエコに対する意識を持たせる事なのだそうな??
つまり、レジ袋を禁止にする事は啓蒙的な意味であって、エコとしては、効率が殆ど無い・・という事らしのだよ。
そういった事は、最初から政府の想定内の事で、あれだけ、大騒ぎをしたレジ袋騒動は、単なる意識操作に過ぎないのだそうな??(・・と、最初にレジ袋運動を提唱した政府の広報にも、ちゃんとその旨は、書いてあるのだそうな??)
俺は、それは知らなかったよな??
同様な事は、爪楊枝や割り箸を資源保護の為に禁止して、国民一同が、マイ箸を持ち歩くようになったのだが、実際には、森林を管理する人達に取っては、全くの迷惑な話であり、実際には、森を育てる為には、常に、森の間伐をしなければならなくて、その間伐された木材の利用や、建築資材として切り出された木材の建築に使われない端材を有効利用して、爪楊枝や割り箸を作っていたのだが、エコの為に、端材の需要がなくなってしまい、建築用に切り出した一本当りの木材の値段が高騰してしまい、結局、輸入の木材に負けてしまって、日本では、間伐が出来なくなってしまい、日本の森林保護が出来なくなってしまったのだそうな??
1本の木に対して、建築資材として部分、以外の用途が無くなれば、1本の木に対しての費用対効果、所謂、Running‐costは、それだけ高くなるからね??
結局、安い輸入の建築資材に、日本の森林業は、競争で負けてしまって、日本の森林を育てる為の、人材を育成する費用や森林を保護する為の伐採の費用が、自治体では、捻出出来なくなってしまったのだよ。
「エコだ❢」「エコだ❢❢」と言いながら、目先のエコの事しか見ないで、自分の首を絞めている・・・なんて、なんと、馬鹿げた事をやっているのだろうか??
これは、医療関係のマイナンバーカードも同じ事なのだよ。
医療の手続きをdigital化する事は、もはや、誰も、その事自体をとやかく言う事は無いのだよ。
医療制度のdigital化は、誰しも、やぶさかでは無いのだよ。
しかし、その手続・・と言うか、そのsoftが、余りにもanalog過ぎるのだよ。まるで、ど素人が見よう見真似で作ったようなsoftで、結局の所、要所、要所は、analogで手入力をしなければならないのだよ。
だから、その一番面倒くさい部分が、全てお役所や医療機関に丸投げされて、それを使用する人達が、膨大な時間と人手と労力を掛けて、手入力をしなければならない・・という、実に馬鹿げた事になってしまっているのだよ。
そういう事を大手の企業がやってしまうと、その企業は幾ら大手の企業であっても、(少なくともその部門に関しては・・)潰れてしまうだろう。
その程度の、似たようなprogramは、企業や、民間には人手も時間も労力も掛けなくても、既に実行している会社は普通にあるのだよ。
そこから超、安くsoftを買えば良いだけなのだ。
なんで、政府が自分のおぼつかない足と手で、1から作らないといけないのだよ??
素人の烏合の衆が幾ら、集まって、医療制度のsoftを作っても、ミスばかりで時間や労力を浪費するだけになる事は自明の理ではないか??
何故、そんな馬鹿げた事が起こってしまうのか??・・と言う事の理由は、明白な事なのだよ。
つまり、programを組む人材は医療制度に付いては、ズブの素人だし、医療機関に携わる人達はcomputerのprogrammingに関しては、ズブの素人に過ぎないのだよ。
例えば、医療制度に関しては、その病気に特化した診療や治療は大学病院等で非常に優れた先進的なTechnologyが発達して来た。
しかし、患者の立場から言うと、それが何の病気に拠るものか??が判断出来て、その専門の病院に行く事が出来る迄のhurdleが非常に高いのだよ。
まあ、その為の個人病院なのだ・・と言うのが一般的な見解なのだが、或る程度、歳を取ってしまうと、難解な病気でなかったとしても、複合的な、所謂、syndrome的な原因で、病気の判断が付き難くなってしまって、当然、町医者の手には負えなくなってしまうのだよ。
そこで、先進的な大学病院等では、どの科で診療を受けるかを判断する為の、総合的な診療科があって、そこで科を振り分けてくれるのだが、これが、未だ一般的ではないのだよな??
先程のマイナンバーカードの話に戻って、programmingをするcomputerの専門家と、医療制度に詳しい専門家を統合する為の、その両方を俯瞰出来る人材が必要で、そう言った部門がしっかりと機能を果たせば、保険証をdigital化する為の、Stressを無くする事は難しく無いのだよ。人材を選ぶ時に、利権が絡むから、ズブの素人を選んでしまうのだよ。まあ、戦争をする時に、家柄を優先して選んで、本当の実力者を無視した結果、家柄よりも能力を優先した国に破れてしまった某お家柄国の反省は、チッとも活かされていないのだよな~ぁ??
例え次いでに言うと、世界の音楽中の音楽家達に取っての、定番のnotationのsoftであるfinaleも、所詮は、Classicの音楽に関してはずぶの素人が作っているので、finaleで使用されている音楽用語は、翻訳が必要なぐらいに変なのだよ。
popularの音楽がナマジ出来るぐらいで、Classicの楽典の用語にはなっていないので、書いてある定義をいちいちClassicの用語に訳して使用しなければならないし、それ以上に問題なのは、notationで、超、常識的な事すら出来ない事の方が多いのだよ。
それでも、別に代用出来るsoftが無いので、出来ないsoftをどう使用したら、それらしくなるのか??と言う事を、だましだまし使用しているのが現状なのだよ。それに対抗するsoftも作られた事はあるのだが、所詮は、音楽に対して、素人が作っている事には変わらないので、結局の所は、未だにfinaleが最終的なsoftである事には変わらないのだよ。
そう言った、soft自体の問題とは別に、
日本では、何がなんでも、親方日の丸でなければならない・・という発想があって、それ自体がもう既に、analog思考なのだけどね~ぇ??
本当に使わないといけない所に、お金を掛けないで、利権と利害の集まった所にしか、お金を掛けようとはしないのだよ。
そういった、馬鹿げた事は、探して見ると、限りが無いのだよ。
そう言った事をcheckするのが、大学やマスコミの役割なのだけど、今のマスコミは、政府の御用達の商人に過ぎないのだから、お先真っ暗だよな??
まあ、寄らば大樹の陰、親方日の丸・・、それが日本の国民性なのだから、致し方は無いのだけれどね~ぇ??
それでも、親方日の丸の面々からは、「意識を育てる事は重要だ❢」・・と言う声が聴こえて来そうなのだが、今は、「自分の国だけが良ければそれで良い」・・という、鎖国の時代ではないのだよ。
情緒的、感情的な封建制度の中の意識で、世界を渡って行ける分けではないのだよ。
世界の中の日本・・という意識でなければ、生きて行けない時代、所謂、globalstandardの時代なのだよ。
話は、プラごみの話迄、戻ってしまうが、・・・そう言った意味でも、為政者は、票集めの、形ばかりのエコを育てる事よりも、本当の意味で、プラごみ全体を減らす為のエコに取り組んで、90%や、限りなく100%に近づける為の、対策にお金を使って、そう言った意味のあるエコに対しての、人々の意識を育てなければならないのだよ。
看板だけで、全く中身の無いエコなんでものはまっぴら御免なのだよ。
『少子化の問題』
少子化が全く止まらないので、政府は躍起になって、色々と援助を打ち出している。
しかし、未婚の男女は増え続けていて、少子化には歯止めが掛からないのだよ。何故、未婚の男女が増え続けるのか??
その理由はいとも簡単である。
要は、結婚や子育てに夢を見る事が出来ないからなのだよ。
苦労をして、他人と同居して、莫大なお金を子育ての為に稼がなければならない・・としたら、未来が見える、夢よりも、現実の生活を見てしまうシラケ世代の若者達が結婚を夢見る分けは無いのだよ。
少子化の対策には、幾らお金を掛けても、歯止めは出来ないと思うよ。
つまり、今の「現代の社会」は若者達に取っては、夢の無い世界に過ぎないのだよ。
子育て・・と言う事よりも、本人が生きて行く事すら、かったるい、所謂、自分が生きて行く事さえも、辛い世の中なのだよ。
何処かの国の為政者が、民は生かさず殺さず・・と言ったと言うが、今は正にその状態なのだよな~ぁ??
楽しみと言ったら、異性と語らう事ではなくて、Games等の独りで遊ぶ事で充分なのだよ。異性に媚び諂う事なく、自分だけの世界に没頭する事が出来るのだよ。
他人と関わる事が、超、面倒くさいのだよ。
だって、学校、塾、学校、塾で、他人と関わる事は、学校教育としてのcurriculumに過ぎず、本当の意味での人間関係を構築する事を学んだ分けではないのだよ。
単なる、授業の中の一つとしての付き合いに過ぎないのだよ。
そんな事で、本当の意味での、人間関係を築ける分けはなかろうにね~ぇ??
本当の少子化対策で必要な環境は、寛容の社会の人間関係を築く事で、それが、結果として、住みやすい環境を整える事になるのだよ。
社会が優しくなれば、人間関係は優しくなって、生きやすい社会になる。
生きやすい社会ならば、自然に夢が育って来る。
自然に子育ても、楽になる・・と言う事だよ。
実際には、それを現実的に具現化している村落もある。
辺鄙な地方の、何も特筆すべき物は無いド田舎に過ぎないのに、都会から子育て世代が集まって来る村が、日本には幾つもあるのだよ。
特筆すべき事が全く無いのに、それでも、子供達が集まって来るのだよ。それはどうして???
そこは一様に、人に優しいのだよ。
それがゆとりなのだよ。
それが人間に取って、本当に必要な環境であり、且つ、必要な社会・・なのだよ。
私も終の棲家は、そういった、のんびりとした村落に引っ越しをしたいよな??
仕事はnet環境さえあれば、何処ででも出来るからね??
8月24日昼夜逆転の日々が ·
今日は8月24日の木曜日で昼夜逆転のままのお昼の3時になった所です。
昼夜逆転のままで、パソコンの雑用を熟して来たのですが、流石にバテて意識が混濁して来たので、bedで休もうと思って、bedで横になって、寝る所までは寝たのですが、いつもの鼻詰まりで、息が出来なくなってしまって、已む無く諦めて、起き出す所なのです。
これもいつものように、椅子に座ったままで、あまり疲れは取れないとは思うのですが、座眠を、試みます。
勿論、bedで眠る事には、かないませんが、座眠でも、ある程度は、疲れは取れるのでネ?
・・・という事で、仮眠をして、またぞろパソコンの前に戻って・・と言う事を繰り返して、一日が過ぎて行きました。
木曜日は週一回の注射の日なのですが、未だ、注射をしていなかったので、急遽、頑張って注射をしました。
とても強い薬なので、暫くの間は、目の前がクラクラとなってしまうのですよ。
夜の9時を過ぎて、食事の時間になったので、椎名町に移動をして、食事をしたのですが、途中で、バテ込んで、眠りかけてしまいました。
日がな一日、惰眠を貪り繰り返したのにも拘らず、今日も、疲れが抜ける事はありませんでした。
今夜も、疲れが酷くて、とても、とても動けないので、ドル・プリっ歩はpassをして、急いで、ハイツに戻りました。
という事で、夜は未だ10時半なのですが、体調的には、今日はこれ以上動く事は、もう無理なのですよ❢
体調的にはもう無理なので、bedで「バタンキュ~❢」のハズなのだけど、これがbedに入っても眠れないのです。
強度の摂眠障害なので・・ネ??
上手く入眠出来るか否かは、鼻の調子によります。
鼻詰りが酷いと、当然、息が出来なくなってしまうので、入眠が出来なくなってしまいます。
鼻詰りにはならないように、毎回、汎ゆる方法を試しているのですがね~ぇ??
同じ方法が、上手く行く日と、全く効果が無い時があるのですヨ❢❢
鼻詰りは思った程ではなくて、無事、恙無く入眠出来ました。
routineの頻尿のtoilette-timeで目が覚めて、パソコンの前で座民をして、bedに行く事を繰り返して、今夜も、終わりました。
Morgen früh, wenn Gott will, wirst du wieder geweckt.
8月25日めちゃくちゃなrotation ·
今日は8月の25日の金曜日の午前9時半なのです。
昨晩は、2時半過ぎ迄、パソコンと格闘したのですが、その後は、さして問題なく入眠する事が出来ました。
朝の5時にはbedから起き出して、今日は通常は木曜日にあるlessonが今日に変更になったので、lessonの為に、人を部屋に入れる為の軽い整理と掃除をする予定だったのですが、なんと、またまた、椅子に座ったままで、値落ちしてしまいました。
午前9時半は、値落ちした後の朝の9時半なのですョ❢
bedから起き出して、6時迄は意識があったので、 two-coolを椅子に座ったままで、値落ちしていた・・と言う事なのだよな~ぁ??
それにしては、疲れが酷いままで、椅子から立ち上がる事が出来ないのだよ??
これは困った❢❢
lessonどころか、部屋の整理や掃除すら出来ないぞょ❢❢
という事で、またまたbedに戻って、眠ったので、次に起きたのが11時半になります。
いよいよtimelimitだよな~ぁ??
体調不良って、言っている暇は無くなってしまいました。
lessonが始まるので、その前に、頑張って、部屋の整理から、始めなくっちゃ❢❢
8月26日lessonが入っているのに、気が付かなかった ·
今日は8月26日の土曜日になったばかりの所なのですが、金曜日はlessonがお休みになったので、急遽、斉藤先生のBiberのRosarysonateのlessonと、powerdirecterの使い方のlectureをしました。
lessonのお休みの連絡は、金曜日になったばかりの頃に、lineで既に、入っていたのですが、lineに未読のcommentのmessageが出ていなかったので、次の日の朝になっても、全く気が付きませんでした。
・・という事で、無駄に焦り捲って、掃除と整理をしてしまいました。
まあ、掃除と整理に関しては、lessonがお休みでも、どっちみち、やらなければならなかった事なので、それはどうでも良い事なのですが、「焦り捲って」・・と言う事が、必要なかったのですよねぇ・・??
時間が出来たので、急遽、斉藤先生には、lecture‐lessonと、powerdirecterの使い方を、25日に千葉の南花園教室で収録をしたRosarysonateの第6番 c moll『オリーブ山のキリスト』の録音・録画のdataを使用して、実際の使用例として説明をしました。
・・・という事で、powerdirecterの使い方の実例としての第6番を、編集作業をしたので、そのまま、私のパソコンからYouTubeに、uploadしました。
lessonが終わって、食事の時間になったのですが、食事の準備をする時間が、無くなったのと、夏バテ気味なので、食事は、江古田の仕事でよく接客に使っている珈琲館のMenuで済ませる事にしました。
早い食事が終わったので、折角、BiberのRosarysonateをYou Tubeにuploadしたので、BiberのRosarysonateをgroupingする事にしました。
BiberのRosarysonate(Rosenkranz-Sonaten)は、斉藤先生のlifeworkの課題になっている曲なので、これまでも、全16曲の中のかなりの曲を演奏して来ています。
その中のかなりの数の演奏がdataのArchivの中から、既に、紛失してしまっているので、You Tubeに残っている演奏だけでも、改めて、纏めて、Title等を統一して再生リストで統合する事を思い付きました。
曲をgroupingするに当たっては、曲の統一性を持たせる為に、Titleとなっているrosárioの絵の表題とその曲の調性を書き加えたのですが、この作業が意外と面倒くさかったのだよな??
You TubeにuploadしたRosenkranz-Sonateを探し出して、再生リストに加える・・という単純作業なのですが、これも意外に時間が掛かってしまい、結局の所、日にちを跨ぐ大作業になってしまいました。
・・という事で、パソコンに向かって、作業をしていたら、妙に暑くなって来たので、エアコンを見たら、なんと、エアコンが何時の間にか、止まっていました。
「なんで・・?」と、リモコンを確認して見たら、リモコンはon になったままなのですよ。
先ず、第一の原因は、エアコンのリモコンがonのままなので、他のリモコンでの誤作動が考えられるのですが、今まででは、他のリモコンでの誤作動が起こった事は一度もなかったし、今日のパソコンでの仕事中に、何かのリモコンを操作した事もありません。
テレビさえもつけてはいなくて、パソコンの作業に専念していたのですがねぇ?
エアコンが自動で待機状態になる事はあるとしても、電源が切れる事はないハズなのですがネ?
不思議だ❢❢
理解不能です❢
パソコンの部屋がすっかり暑くなってしまったので、仕事を続ける気がなくなってしまって、座眠ではなくて、ちゃんと眠る為に、寝室に移動して、眠た事にしたのは良いのですが、眠りが浅かった所為なのか、妙にrealな夢をたくさん見てしまいました。
いつものように、「夢の内容をFacebookに書こうかな?」と思って、Facebookを開いて見たのだけど、よくよく考えてみたら、あまりにも、軽くて・・無意味な内容だったので、書く事が馬鹿馬鹿しく思えて来てしまいました。
・・とは、言っても、ここまで引っ張ってしまうと、ここでお話を切ってしまうと、気になってしまいますよね~ぇ?
サワリだけをお話しすると・・・
押入れの中で寝ていて、畳の上に落っこちたのですが、痛くもなくて、それから、仔犬のような可愛げな奇妙な生き物にまとわりつかれて、更に、寝ぼけたままで、家の2階から庭に転落して・・・と、夢はとりとめもなく、且つ、脈絡もなく進んで行きます。
まあ、書くだけ(思い出すだけ・・)無駄な感じだよな?
今は、土曜日の朝の9時半なのですが、睡眠時間が全く足りないので、そのまま眠りたいのですが、目が覚めてしまって、眠れそうにありません。
今日も、これからlessonが椎名町教室であるので、移動しなければならないのですが、体がすっかりとだらけてしまって、bedから起き上がる気力さえ、出ないのですよ❢
そうこう、ウダウダとしている間に、時間切れになってしまったので、頑張って、何とか、風呂に入って、楽譜の準備をして、椎名町に移動しました。
今日から日曜日にしていた生徒のlessonを、一人だけ遅くなってしまうので、土曜日の早い時間に移しました。・・とは言っても、ホンの小一時間程、早くなるだけなのですが、それでも、皆と一緒に帰れるのは良い事なのでね??
lessonの場所は基本的には椎名町の教室ですが、江古田でも可能なので、必要に応じてlessonの場所は変えて行きます。
今日のlessonは通常のcheck‐pointの確認とは別に、mainのlectureとしては、clip奏法とカナカナ奏法の演奏法の違いを説明しました。一般的に言う時には「音の立ち上がりの違い」とでも言うのかな?
本当は、もう一つのViolinの重要なtechnikである所謂、教室では「投げ弓」と呼んでいる(Wien‐bowと呼んでいる人もいたよな??)古い弓の奏法を指導したかったのだけど、カナカナbowのコツを指導する所迄で、時間切れになってしまったので・・。
折角、椎名町の教室に居るので、そのまま、食事をしてから帰ります。今夜はドルプリっ歩は行けるのかな?
微妙な所なのですがね?
やはり、lessonが終わってから、食事の準備の時間を待つのは、loss-timeだよな??
しかし、一度、ハイツに戻って出直すのも、超、無駄なloss-timeになってしまうのだよな??これはチョッと問題だよな??
食事が終わってから、BiberのRozaryのSonateの第9番の演奏法の違いのlectureを、譜面上で、しました。特に、continuoのpartを含めて、句読点になる位置を赤入れをして、演奏に反映させるように指示をしました。
結局の所、遅くなってしまったので、ドル・プリっ歩に急遽、付き合う事にしたのだけど、大回りのcourseをドルが歩き始めたので、途中から、プリだけを連れて、先に椎名町の教室に戻りました。それでも、結構な大回りcourseなので、汗をかいてしまいました。
ハイツに戻ったら、午前様だったのですが、汗で気持ちが悪るかったので、水風呂に入って、汗を流してから、寝る為の準備を始めました。先に寝る為の準備では、風呂に入って汗を流す事は出来ないと思ったからです。
後は恙無く、深夜のroutineのままです。
先ずは、先に取り敢えず、寝てしまってから、toilette-timeで起きた時に、持ち帰って来た食料品を冷蔵庫に仕舞う作業をしました。これも、何時ものroutineですよね~ぇ??
8月27日オケ練習が成り立たないので、急遽お休みに ·
今日は8月27日の日曜日で、8月最後の日曜日になります。夏休み明けが近づくと、中学生達は、学校行事や塾等で生徒達が忙しくなってしまうので、今日の3回オケは、元々、Quartettの人数しか、いないのに、欠席が多くて、オケ練習が成り立ちません。
オケ練習にならないのですよ。
・・という事なので、今日のオケ練習は、急遽、自主練習に切り替える事にしたので、私は突然のお休みになりました。
とは言っても、私の朝の起きる時間は、あまり変わりません。
私の仕事は、norma制なので、仕事に終わりはないからで、起きれば幾らでも、仕事は山のようにあるからです。
いつものように、朝の6時には起き出して、パソコンの作業を始めています。
昨日のlessonのvideoをYou Tubeに限定公開でupして、生徒が練習の時にcheckが出来るようにする事と、収録をした演奏の編集作業を、昨晩、SDcardで、持ち帰って来たので、それのcheckをこれからします。
結構、大変な神経戦の㍉単位の作業です。
神経(戦)と言えば、一昨日くらいから、左手の薬指が痛くなって来て、昨晩も薬を塗ってなんとか凌いでいたのですが、今日は更に酷くなって来て、パソコンのKeyboardのkeyを打つ事も難しくなって来ました。
関節の痛みのように見えるのですが、本来は神経の痛みなので、本当はロキソニンのような飲む痛み止めしか痛みを抑える効果はないのです。
薬を塗るのは気休めに過ぎないのですが、出来るならば、痛み止めの飲み薬は出来る限り、使いたくないのですよ。
医者からは、「辛抱しないで、飲むように❢」と、よく言われているのですが、耐性が出来るのが怖いのでね~ぇ。
今日は、痛みをこらえて、指を折り込んで、神経を伸ばす苦行をしました。
指先を折り込んで、激しい痛みをこらえながら、暫くの間、そのまま放置していると、やがて、少しづつ、痛みが引いて行きます。
少し、痛みが治まって来たのかな?
夜の食事の時間を間違えてしまった❢
1時間15分早かった❢
9時45分の食事の予定が8時半には椎名町に着いてしまった。
ハイツに戻って、仕事をするにはチョッと、時間が足りないし、ダラダラと食事を待つには、長過ぎる❢
椎名町には私の出来る仕事は無いし・・、また、二階に上がる体力も持ち合わせてはいない。
テレビも見るに耐え得る番組は皆無だし、マジに途方に暮れてしまうのだよな??
8月28日お久し振りの病院の日です。 ·
今日は8月28日の月曜日で、お久し振りの病院の日です。
糖尿病科の外来の診察の他に、1時からは、栄養指導もあります。
本当は一週間分の口にした食べ物を全て写真に撮る約束をしたのですが、それは超面倒くさかったので、1枚も写真を撮ってはいません。
はてさて、なんと弁解したものか?
今日の栄養指導は、牧野先生が一緒に行ってくれる事になりました。食事を作っているのは先生達なので、私が栄養指導を聞いても、意味が無いからです。
糖尿病科の外来が先にあるので、私は先に病院で、検査や診察をするので、牧野先生とは、お昼の1時からの栄養指導なので、その30分前の12時半の待ち合わせになります。
今は朝の8時を過ぎた所なのですが、起き出しても、体調が戻って来ないので、bedで横になって、体力が戻って来るのを待っている所なのですよ❢
頑張って、少しでも眠ろうと思ったのですが、(チョッとした言葉尻りから、Animeのstoryが思い浮かんでしまって・・)妄想が止まらなくなってしまい、眠るのを諦めてしまいました。
美少女キャラの冒険のAnimeなのですが、なんで、私がそのstoryの構成を考えるのだ・・??
不思議だ??
妄想は、妄想に過ぎないので、諦めて、起きて、雑用をする事にしました。
その次いでに、病院行きの準備を終わらせれば良いので・・・
それはそうと、病院行きの準備なのですが、外出用の半袖のポロシャツが汗を吸わない生地なので、着て行く服が無いのだよな??
後の綿の汗を吸うtypeの服は全部、普段用のポロシャツなのだよ。
下着を着て、その上に外出用の服を着れば良い・・とは言うのだけど、この猛暑の中を、2枚重ねで外を歩くのは、自殺もんだよな??
急遽、「買って来て❢」とは言っていたのだけど、なかなか、買って来てはくれないのだよ。
皆、実感が無いのだよな??
自分で、買いに行けば良いだけなのだが、勿論、体調が整えば、そうしたい・・のだけど、この猛暑日の中を外出するのは、私の現在の体調的には無理なのだよ。
それに、外出が出来るような気温になった・・とすると、外出用の新しいポロシャツはもう必要は無くなって、今、ある服の二枚重ねでも、充分、着れるようになるのだよ。
着て行く着物が・・、と悩んでいたのだけど、突然、思い付いたぞ❢
そうだ・・❢❢
今、普段、着ている紺のスエットのシャツを下着代わりに着て、その上に外出用のポロシャツを着て行って、病院が終わったら、上だけを、脱げば良いのだよ。
それならば、帰りの道だけでも楽になるのだ。
それは良い❢❢ 今日はこれで行こう❢❢
病院の診察は恙無く終わって、栄養指導になったのだけど、担当の先生が変わったので、宿題の一週間の口に入った物を写真に撮る話は、無くなってしまいました。
助かったゾイ❢❢
やはり、栄養指導の先生の言う事は、今迄の先生達と同じで、これまでも100回も試みて来た事と、全く同じadviceだったのだよな??
食い物を減らせば、痩せる・・と来たもんだよな??
それで痩せないから、ここまで来たのにね??
人間が歳を取って(この場合の歳を取る・・と言う意味は、老人になる・・という事ではありません。生殖年齢を過ぎる・・と言う意味です。地球上の全ての動物たちは、生殖年齢が過ぎると、速やかに、死んでしまいます。人類だけが、生殖年齢が終わっても、同じぐらいの年齢か、それ以上に生きて行く事が出来るのです。その理由は人類の生活が、全ての動物たちの中でも、極端に複雑になってしまっていて、その知識を伝達する老人が必要になったからなのです。だから、内蔵が衰えて、体力が無くなっても、生き続ける事が出来るのですよ。・・そういった・・)肥って行く理由は、もう、Facebook等に、何度も書いて、主張して来たのだけど、この20年、30年と、一般に認められる事は無かったのだよな??
まあ、後10年もすると、私の考え方の方が、一般的な常識的な考え方になって来て、それからは、栄養指導の考え方も変わって来ると思うよな??
私の場合も、食事の内容や量が全く変わらないのに、(勿論、生活の状況にも変わりは無いのに・・)33歳を過ぎた頃から、徐々に、肥り始めたのだよ。
つまり、体が余生状態に入ったのだよ。
だから、基礎代謝が歳と共に、衰えて行くのだよ。
食事を制限すると、その分、体の基礎代謝力が衰えるのだよ。
人間には、生存の為に必要なカロリーがある。
しかし、知識人がよく陥るのは、カロリーを減らす時に、体に必要な特定の栄養素迄、減ってしまう事なのだよ。カロリーを抑えたつもりが、必要な栄養素を取っていない事で、死に至ってしまうのだよ。
人間の体は全ての栄養素を満遍なく取って、なんぼのものなのだよ。
痩せる為に、カロリー制限をすれば、体は、それに対抗するために、基礎体力を落としてしまう。痩せるのではなくて、体力が落ちてしまうだけなのだよ。
つまり、権兵衛とカラスの、堂々巡りなのだよ。
「じゃあ、どうすれば痩せなくなるの??」
答えは簡単だよ。
内蔵を若返らせれば良いだけなのだよ。
内蔵が若返れば、寿命で命が尽きるその日迄、元気に働く事が出来るのだよ。
多分、120歳ぐらい迄は、元気に働けるのだよ。
それは、「夢みたいな話だ❢❢」と思われるかも知れないのだが、実は、そんなに未来の事ではないのだよ。
免疫療法というのは、昔々からよく言われているのだが、その免疫を作り出して、人間の体に影響を与える事が出来るようになったのは、遺伝子の事が分かって来た、この2,3年の話なのだよ。だから、今までは、怪しげな療法に過ぎなかった免疫療法を、大手の企業が率先して開発するようになって来たのだよ。
だから、人間に病や老化が無くなって、寿命が尽きる迄、元気に働けるようになる・・というのは、未来の話ではなくて、後、数年後の話なのだよ。
大学病院でも、大学全体ではなくて、特定の科・・単位ならば、そういった療法に切り替えている大学病院も、もう既に出始めているのだよ。(勿論、今通っている順天堂大学病院でも、そういった科がある。)
私が通っている科には、そういった兆しは全く無いので、已む無く、私の場合には、民間の大手の企業のアプリに頼っているのだけどね??
牧野先生が、「折角、練馬高野台迄来ているのだから、帰りに練馬で降りて、失効しているマイナンバーカードの手続きに行こう」と言ってくれたので、その内に気が向いたら、bikeで行くつもりだった練馬区の役所に、頑張って、多分、なかなか、行かないだろうから、病院の帰り掛けに、次いでに、役所に寄る事にした。
猛暑日の超、暑い中を、役所迄、歩いて手続きをしたのだけど、5年目の書き換えをしなかったので、passを忘れて、間違いのpasswordを入力したからではなくて、その前に期限切れで失効したのだそうな??
そんなの知るかよ??
マイナンバーカードって、終身じゃあ、なかったのかい??
手続きの必要なマイナンバーカードって、理解不能だよな??
もっと理解不能なのは、マイナンバーカードに紐付けされた役所毎に手続きが必要になる・・という事も、意味不明だよな??マイナンバーカードを頂点にして、一つの手続きで全てが完了するようにすれば良いだけなのに、そうはなっていないらしい。
役所の中の科毎に、手続きをやり直さなければならないのだよ。
これも日本のお役所仕事なのだよな??
超、analogではないか??
至る所にボロがある。
無駄だらけなのだよ。
紐付けがなっていないのだよな~ぁ??
analogをそのまま、digital化しただけじゃんか??
「馬鹿みたい??」・・て、区役所の入力担当の人に言ったら、「そう思う」と言っていた。
上からの丸投げなので、致し方は無いのだよな??
上の言う通りにしないと仕方が無いのだよ。
そこは理解出来るのだよ。
同じ情報を何度も書かされて、申し訳無さそうに、「これは何の署名で、これは何の署名です。」と一つ一つ、説明してくれた。「パソコンなのだから、一度入力をすれば、完結するハズだよな??」と言ったのだが、紐付け毎に、入力をし直さないと駄目なそうな??
実に馬鹿げているよな??
だから、ミスが起こるのだろうが❢❢
そのための、マイナンバーカードではなかったのかい??
呆れてしまった。
帰り道は、一瞬で練馬の駅に着いてしまった。
行きは、駅の出口でelevatorを探したので、間違えて、反対側の出口から出たらしい。
随分と、遠回りをしたらしいのだよな??
猛暑日の中を、随分と歩き周ったので、体力の限界・・という事で、練馬の駅の中で、とろろ蕎麦を食って帰った。
今日の始めての食事なのだが、夕方の4時は過ぎていたよ。
何とか、ハイツに辿り着いたら、取り敢えずは、Showerを浴びて、それから仮眠をした。
夜は、椎名町迄、頑張って行くか、どうするか、大分悩んだのだが、やはり、頑張って、bikeで椎名町に食事に行った。
でも、体力の限界で、11時前には、ハイツに戻って来た。
勿論、持ち帰って来た食料品を冷蔵庫に仕舞う所は出来ないままに、仮眠をした。
朝迄のtoilette-timeで、少しずつ、食料品を冷蔵庫に仕舞った。
まあ、今日はそんな所だろうか??
これだけ動いたら痩せそうなもんだが、そうは行かないのだよな??
そこがdietの面白い所だよ。
dietは、一筋縄では行かないのだよ。
8月28日『日伸ばしは、時の盗人』 ·
私は大学時代から、自分の怠け癖を恥じて、常に呵責に苦しんでいて、怠け癖を克服する事が私のlifeworkだったのですが、Genzmer先生のような勤勉な先生だと思える人も、Hindemith先生のような傑出した人物の前では、黙して語らず・・になってしまうのを、驚異の念で見ていました。
「とても、叶わなんワ❢❢」という事です。
・・という事で、師匠の勤勉さを学び取る為に、作曲Classの卒業年次に、師匠に、後、1年の追加でGenzmer‐Classicに置いて貰うようにお願いしたのですが、師匠からは、それは、大学で学ぶ事では無くて、現実の音楽界で掴み取る事だ・・と言われて、追い出されてしまいました。(平たく言えば、卒業したと言う事です。)
・・という事で、留学から日本に帰国したばかりの頃も、自分の怠け癖との戦いは、延々と続いていたのですよ。
しかし、或る日、或る時に、突然、天からの啓示のように、その疑問が解決したのですよ。
いや~~ぁ、不思議だ❢❢
同様の天からの啓示の体験は、音楽大学時代にも経験した事があります。
私の、音楽大学時代には、2つの疑問(解決出来ない疑問)があって、その一つは、「baroque音楽では、g mollの曲をなんでd mollで書くのだろうか??」という疑問と、「BeethovenのPianoSonateのOp.13のpatheticのⅠ楽章の最後に出て来る空白」が「何故、空白の小節が書かれているのか??」という素朴な疑問で、当時、手に入る楽典系の書物や、音楽通論系の本を片っ端から調べて見たのですが、とうとう、その答えを見つける事は出来ませんでした。
そういった疑問が、1年、2年と解けないままに、学生生活を送っていたのですが、大学の4年生になった或日、西武池袋駅のhomeを歩いていた時に、突然、頭に、パッと閃いたのですよ。
その疑問の解決が・・
問題にぶち当たって、延々と悩んでいたとしても、それが或る時に、天啓のように、突然、閃いて解決する事があります。
解決出来ない疑問を悩み続ける・・と言う事は、毎日、毎時間、悩み続ける分けではありません。
要は、心の片隅のarchiveに、保存して置く・・という事であって、忘れ去ってしまう・・という事では無いのです。
取りも直さず、普段に、何気なくやっていた、その事・・自体が、怠け者の私が勤勉な人達に負けないような自分になる為の最良の方法論であったのですよ。
そこの思い付きから、怠け者の私にも出来る『怠け者の仕事法』というmethodeを作り上げて、勤勉な人達には敵わない迄も、何とか、挫折する事無く、目的を達成出来るような方法論を確立しました。
所謂、『怠け者の仕事法』なのですが、そのmethodeは、意図も簡単な方法です。
その留意するべき点は、
「嫌ならやらない。」
「やる気が出る迄は、放置する」・・という単純明快な事だったのだよ。
それならば、私も、小学生の頃から、既にやっていた事なのだよ。飽きる迄、approachをして、飽きたら、又、興味が湧く迄、放置をする・・という事、・・・それを意識化、明文化させただけの事なのだよ。
・・という方法論を確立してからは、勤勉な人達に対してのcomplexは余り無くなりました。
・・というか、勤勉な人達の多くは、時間に対しては勤勉なのですが、その勤勉の内容は、単に努力を積み重ねるだけで、創意工夫が全く見受けられない、超、無駄な仕事法(勉強法)である事に気が付きました。
私が「時短」となる、最良の仕事の手順を幾ら、指導しても、それを面倒くさがって、やろうとはしないのですよ。
時間に対しては勤勉でも、その仕事の内容に関しては、ズボラなのですよ。
時間に対しての勤勉さと、内容の密度が伴えば、大変な仕事の密度(所謂、Niveau)を上げる事が出来るのだと、思うのですが、勤勉な人達には、そうは行かないのだよな??
唯、只管、努力に努力を重ねて、時間を無駄にしているのだよ。
私はそれを『日本型の学習法』と呼ぶ事にしました。
日本型の学習法から抜け出せない人達は、仕事(勉強)の優先度も、判断する事が出来ません。
timelimitの順で、仕事(勉強)を熟して行くだけなのです。
仕事(勉強)の優先度は、料理の優先度によく似ています。
料理の上手な人達は、料理が出来上がるtimingが、全ての料理が出来上がるtimingに合わせて、手順を決めて行きます。会席料理のように、料理の出て来る順番が決まっている場合でも゙、ちょうど食べ終わったtimingで、次の料理が運ばれて来なければなりません。つまり、そのtimingで出来上がるように料理しなければなりません。
「時短」に拠る仕事法も、「今、当面は必要は無い」と思われる仕事を先に熟して置くと、他の作業の手間が省ける・・という仕事が、結構、あります。
だから私は大きな仕事に入る前には、必ず、手順書を作ります。
手順書と言っても、何年も掛かる大仕事の場合には、ちゃんとした印刷した手順書を作りますが、その仕事だけで、完結する場合には、memo用紙にmemo書きする程度の場合もあります。
作業をする時に、必要な情報を予め、memo書きして置く事もあります。
そういった仕事に入る前の準備を、私は料理に例えて『下拵え』と呼んでいます。
昔々は、教室の発表会迄の作業のtimingの表を『から迄一覧』として、年間の作業一覧表を作らせました。
また、発表会の後では、発表会の演奏を、uploadするか否かには関係なく、纏めて、パソコンに保存するのですが、そのままの状態では、そのdataから必要なdataを取り出すには、大変な時間を浪費してしまいます。
その最たる理由は、videoのdataが、Video‐cameraの機能的な問題に拠って、細かく分断されて保存されるからなのです。
だから、作業に入る前には、その分断されたdataのchapterの数字を削除してしまわないように細心の注意をしながら、indexとなる情報を挿入して行きます。
一つの発表会に、4台のcameraと音声を使用しているので、結構、この作業自体が膨大な時間を必要とする作業になるのです。
しかし、この作業を怠ってしまうと、必要な動画を作成する時に、逆に、それ以上の膨大な時間を費やしてしまうのですよ。
パソコンにVideoのdataを取り込むその時点では、必要が未だない作業なのですが、その作業を必要とする時には、その作業をする時間はもう、無いのです。
つまり、そこを『当面、今は必要の無い作業だ・・』怠ってしまうと、必要になった時には、大変な時間と労力を要してしまうのですよ。
次は整理のお話しです。
部屋の整理が上手な人の場合には、とても美しく部屋が整理されているようなのに、必要な物が出て来ない・・というtypeの人達がいます。(片付けられない人は、論外の話なのですが・・)
西洋の映画等を見ていると、素晴らしく整理された書庫が、よく登場しますが、昔は本が非常に高価だったので、古くなって端が汚くなって来ると、本を裁断して、又、製本し直していたのですよ。そういった製本業という職業があったのです。(勿論、今でも有るには有るのですが、絶滅寸前の職業になってしまいました。)
多くの本を常時必要とする職業の人達の部屋は、膨大な本で埋め尽くされているのですが、決して、整理整頓された部屋とは言えません。
一見すると雑然としているように、見えるのですが、本の主には、何処に何の本があるのか・・は、頭の中では整理されているのですよ。
私は整理をする時には、必ず、それが必要となった時に、何という条件で探すのか??を考えるように指導します。
整理整頓の前に、先ずは分類をする事なのです。
自分がどういう手順で、探すのか??という事で、本や、物を仕舞うのです。
それが出来ない人は、一日中、何かを探しています。
つまり、人生の大半を、物を探す事で終わっているのですよ。
それこそ、人生の無駄です。
歳を取って、仕舞った場所を忘れた・・としても、正しく分類されていたら、思い出す事は出来なくても、探し出す事に困る事はありません。
・・歳を取って、人生のcountdownを意識するようになると、(上田敏ではないのだけど、)時間の無駄がとても許せなくなってしまいます。
勿論、他人がその人の時間をどう、looseに使おうと、私が知った事ではありません。
人のlooseさを、私が思い悩む・・事は無いのですが、人が、優先度を間違えて、今日出来る事を、明日に伸ばされてしまうと、今日の私の仕事が出来なくなってしまって、自分の残り時間に対しての価値を、人が意識してくれない事に対して、思い悩んでしまうのですよ。
若いと、次の日に回す事が出来るのだけど、私には、次の日が来るのかが不安なのですよ。
そこの所が、中々、周りの人達には、分かって貰えないのだよな??
私は焦ってしまうのだけど、人には私が何故、焦っているのかが、分からないのだよ。
人間に取っては、時間の価値は同様では無いのだよ。
でも、人間の寿命は、若いから・・と言って、長い人生が控えている・・とは限らないのだよ。
私の周りでも、私よりも随分と、若い人達が死んでいるのだからね~ぇ??
人生は、「Morgen früh, wenn Gott will,wirst du wieder geweckt.」なのだからね~ぇ??(Brahmsの子守唄より)
8月29日『BiberのRosarysonate No.1d moll『受胎告知』Continuo-Aussetzung von Yoji Ashizukaのrenewalと再uploadについて』 ·
今日は8月29日の火曜日の、今は夕方の7時になった所です。
今日は朝から、一日中ダラダラしていて、時間と曜日の感覚が狂ってしまっています。
今日が、水曜日のような感覚になっているのです。
まあ、実際の予定では、昨日の病院DayのリハビリDayなので、ダラダラしていたとしても、良心の呵責に苦しめられる必要は無いハズなのですが、曜日の感覚がなくなって、水曜日のような感覚になっているので、2日間もダラダラしているような気になってしまって、良心の呵責に苛まれているのですよ❢
でも、本当は今日はリハビリDayなので、良心の呵責に苛まれる必要は無いハズなのです。
なんとか頑張って、曜日の感覚を戻さないと、精神的によくありません❢
火曜日は椎名町での食事は無いので、原則、ハイツの部屋に引き篭もったままで、食事も月曜日に持ち帰って来た食料品を冷蔵庫から出して部屋で食事をします。
火曜日は原則としては、引き籠もりdayでもあるのです。
感覚的には水曜日なので、そろそろ、食事に出発する準備を始めないと・・と、言う事で、腰が落ち着かなくなってしまいます。
理屈では、今日は火曜日・・と言う事が、分かっていても、感覚的には分かっていない、という事で、そのGapに、困っています。
体調も戻り切っていないので、bedで仮眠をしたいのだけど、鼻詰りが酷くなってしまい、それも諦めて、起き出してしまいました。
いや~~ぁ、兎に角、ウダウダなのだよな~ぁ??
困った❢❢
2021年の3月の21日の南花園教室でのbaroque-konzertで、演奏をしたBiberのRosarysonate No.1d moll『受胎告知』の曲なのですが、実際の演奏会では、演奏の前に、baroque‐Violinの事についての説明や、 positive organについて、それにperiod instrumentsについての説明、等々をしたのですが、You Tubeにuploadする時には、その解説の所は削除して演奏のみにしてuploadしました。
今回、南花園教室での2回目のbaroque-konzertを開催したので、その時に演奏した曲目を、Koncertの演奏風景ではなくて、録音をし直して、You Tubeにuploadをする事にしました。
という事で、 positive organ伴奏のBiberのRosarysonateの撮り直しとuploadの作業に入ったのですが、その時に、「次いでに・・」なのですが、前回のKoncertの時の演奏を解説を削除しないで、commentの付いたままの演奏風景をuploadする事を思い付きました。
前回のuploadをした動画には、解説をしている場面が無かったので、已む無く、大元のvideoの映像から、もう一度、編集をし直す事にしたのですが、大元のvideoのdataに、一箇所、致命的な音飛びがあったので、全く使用していなかった2カメの音声を使って、音飛びの箇所を補正し直しました。
但し、音飛びだけではなくて、画像も少し飛んでいたのですが、それは流石に、修正は出来ませんでした。(そこの部分だけを、2カメの映像にするのは、チョッと、不自然なので・・ね?・)
https://www.youtube.com/watch?v=avZlg3-FSYQ
既にuploadしているvideoでは、逆に冒頭の部分に映像の飛びが見受けられたのですが、今回の、2箇所目の画像の飛びは見受けられないので、2箇所目の映像の飛びは、dataを保存している間に、起こったbugなのでしょうかね??
よく分からないのですが・・
baroque-konzertでの演奏風景の動画の次の動画は、今回(・・というか、今日)、新しくrenewal、改訂されたversionのパソコンの音源と譜面になります。
8月30日の水曜日です。 ·
今日は8月の30日の水曜日です。
後、1日でもう9月になります。
しかし、相変わらずの猛暑日が続いています。
今はお昼の1時になった所なのですが、朝は、昨日の体調不良が続いてしまって、パソコンの椅子に座ったままで、自失していました。
いや~~ぁ、超、Shockです。
そのまま、一日が終わってしまいました。
9月1日『今日もダラダラと一日を過ごしてしまいました。』 ·
今日は、なんとなんと、早いもので、もう、9月の1日です。
関東大震災から、100年目・・なのだそうで、世の中では色々と記念の行事が催うされているようです。
昨日の31日の木曜日は、対面のlessonと、Rosarysonateを2度も3度も編集し直したりして、食事timeを8時に・・、結構早い時間にして、ドル・プリっ歩も行く予定だったのですが、食事が終わった次点で、突然、energyが切れてしまい、お散歩をpasして、大急ぎでハイツに戻って来ました。
energy切れの原因は、単純に、夏バテの体調不良が原因・・という理由・・だけではなくて、一週間に1回の糖尿病の注射を、椎名町に出発する直前に打ったので、その相乗効果もあって、体調不良に拍車をかけてしまったようです。(糖尿病の薬は、以前の薬から、一週間に1回なので、結構、強い薬で、打つと暫くの間は、フラフラとします。)
何時もの事ながら、energy切れで、ハイツに帰って来たので、持ち帰りのお弁当類は机の上に置いたままで、取り敢えず、bedで横になりました。
それからtoilette-timeで起きる毎に、Rosarysonateの映像の訂正と、お弁当の片付けをしていたら、なんと・・なんと、何時の間にか、次の日の朝の7時になっていたのですよ。・・・寝ていたのか、起きていたのかが、よく分からない、最悪の睡眠状態です。
そう言った・・ダラダラの・・メリハリの無い・・起きて仕事をしているのか、椅子の上で座眠を貪っているのか・・日常の行動が、よく分からない日々が、この一週間以上も続いています。
その原因は、この所の猛暑日が続いている事に依る夏バテのように思われます。
(当世は、何事も、猛暑日に託つける事が、とても良い弁解法である事に気付きましたので・・。)
『powerdirecterのお話』
Rosenkranz-Sonateの第5番は、4回も、5回も・・と、You Tubeにuploadと削除を繰り返してしまいましたが、その理由なのですが・・・
今回からは、video-cameraの音声を、そのまま、You Tubeにuploadするのでは無くて、Recorderに依る高音質の録音をvideoの映像に同期させて、uploadする事に挑戦した事に依ります。(つまり、初挑戦なのですよ。)
また、映像はこれまでは、video-cameraを2台使用したとしても、それはangleを正面からの撮影と横からの撮影として、編集をしていたのですが、今回のRosarysonateでは、ViolinとOrganを個別に撮影して、画面上で合成する・・という事にchallengeをしました。
二つのcameraの画面を、一つの画面に統合する・・という事は、videoの編集の作業では、結構当たり前の作業で、powerdirecterにも、幾つかの、そういった遣り方が準備されています。
(高音質のRecorderを購入した)
しかし、Videoの音声自体は、元々、音楽に対応出来る音質ではないし、また動画にした時に、noiseが発生しやすいので、音楽の演奏の録音には基本的には向きません。
・・という事なので、今回は思い切って、高音質で録音する事が可能なRecorderを購入しました。
Video録画の時に、同時に音声も録音して、Videoの音声を、高音質の録音と同期させて、そのRecorderの音声だけを残して、noiseや音飛びがある、また音質的にも問題のある、Videoの音声を削除するという、超、面倒くさい作業を、今回のRosarysonateの録音・録画で、始めました。
まあ、音声を一つ加える事で、完全に一作業(一project)増えてしまいましたがね??
先程も言ったように、二つの画面を合成する方法はpowerdirecterの中に幾つかあるのですが、取り敢えずは、その中の三つの方法を、test・caseとして、どの方法が最善・最良であるかを、試して見る事にしました。
(multi画面のお話)
発表会のように、1回で録音・録画をして、撮り直しをしない場合では、Recorderの音声を映像に同期させてから、編集の作業をする事が出来るので、行程的にはとても楽なのですが、Studio録音のように、何度も撮り直しをする場合には、音声の同期の作業は、際限なく手順が増えてしまって、楽ではありません。
それにマルチカムデザイナー(MultiCamdesigner)のように、2画面を同期させてから、更に音声の同期をする事は、PowerDirectorでは、出来ないようなので、耳で音声を同期させるという、analog的な、とても難しく面倒くさい作業をしなければなりませんでした。
最初に作ったマルチカムデザイナーで統合した画面に、耳でanalog的に音声を同期させる方法と、クロマキー合成の方法等、それ以外の方法とを比較して、powerdirecterの中で、音声と映像を、理想の形に近づけるか??・・と言う課題に付いてを試行錯誤で繰り返して、これからの作業の手順の方法論を色々と試して見ました。
映像を編集するpowerdirecterと言うsoftについては、安い廉価版のsoftとしては、かなり良いsoftだと思います。
勿論、それ以上のsoftならば、もうpro仕様の、金額も20倍ぐらい高額の値段になってしまうsoftになるのですが、pro仕様では、逆に私達amateurでは、softを使い熟す事が出来ません。
powerdirecterでさえ、その機能を使い熟す事が出来ないままに、四苦八苦しているのですからね~ぇ??
powerdirecterの使い方の講習会や、netでの使い方の説明を見ては、いるのですが、その殆どが、powerdirecterの導入の初心者向で、powerdirecterの機能を説明するindex的なapproachは少ないようです。
それに、そういったチョッと、内容を深堀りしているsiteでは、使用する言葉が、実際のpowerdirecterの中の言葉と違っていて、その通りにやってみても、versionが違ってしまって、出来ない事の方が多いのですよ。
私達がよく口にするtrimmingですが、映像編集関係では、動画の長さを短くする場合に使います。
画像を切り取る場合にはcropという言葉になるのだそうです。
しかし、powerdirecterの解説書でも、或いはpowerdirecterの本体の中でも、その言葉が使用される事はありません。
Toolから、muskdesignerで、図形を選んでから、好みの大きさにするので、隅に解説者が説明をする場合等での使用を想定しているようなので、演奏者が違った場所で演奏する2画面の映像を、1画面で表示する場合は、MultiCamdesignerというそうです。MultiCamとは、迷彩服の事なので、何故、MultiCamdesignerと言うのかは、理解不能です。
・・と言う事で、2日掛かりで、調べてみた結果なのですが、今回のRosarysonateのような、ViolinとOrganの二画面を一つの画面に収める方法として、powerdirecterで可能な遣り方が通常の二画面をそのまま重ねる方法と、マルチカムデザイナーと、クロマキー合成との、三種類の方法で出来る事が分かりました。
勿論、帯び襷で、それぞれに問題がある事も分かりました。
なかなか、上手くは行かないものです。
まあ、その前に、言葉の定義の問題があって、powerdirecterが使いづらくなっているのは、専門用語を知らない・・という事が理由ではないのですよ。つまり、そのsoftで使用する独自の用語が逆にNecになっているのです。
(それはfinaleの場合でも同じ事で、netの解説に出て来る言葉や手順が、私の使用している現実のfinaleの言葉とは違っていて、調べても殆ど役には立たない事の方が多いのですよ。つまり、開いても、次に開く場所が出て来ないのです。)
powerdirecterのプラグインの中の色々なsoftは、使い方を覚えると色々と便利なものが多いように思えるのですが、そのindexが無いので、どのsoftで何が出来るか・・を、自分でcheckして行かなければなりません。
これを全部理解する事は、時間が掛かり過ぎて、現実的ではありません。
その一つ一つのsoft(・・というのか、アプリというのかは知りませんが・・)で、何が出来るのか??を知れば、どのsoftから、使い熟して行くのかの、優先度が出来るのですが、何が出来るのか?が分からない状態なのでは、approachのしようがありませんよね??
解説の本も2,3冊購入しているのですが、そのapproachが全くなっていないのですよ。パソコン関係の解説書は、その作業法が出来るようになってから、やっと意味が分かるのが殆どなのですよ。それでは解説書の意味はなさないのだよな??
パソコン関係の人達は、全く構成力が欠乏しているのですよね~ぇ??
analog思考なのですよ。
indexを作る時には、PowerDirectorの表示画面上の上のmenueに合わせindexを作れば、簡単で、楽だし、それから更に、どういう事が出来るのかを、ツリー構造で表示すれば、簡単に全部を解説する事が出来て、書く方だけではなくて、探す方も、楽なのですがね~ぇ??
『腰痛が・・』
・・てな事を書きながら、ふと横を見ると、昨日、持ち帰って来たお弁当のショルダーバッグがそのまま椅子の上に置いたままになっているではありませんか??
いや~~ぁ、忘れていた。
冷蔵庫に食品を仕舞う為に、慌てて、椅子から立ち上がろうとしたら、腰が痛くて、立ち上がれません。
こりゃ、大変だ❢❢
腰痛が起こったぞ❢❢
腰痛だけは、なんとか、回避しなければ・・??
取り敢えず、冷蔵庫に仕舞うものだけを、なんとか頑張ってしまってから、暫しの間、bedに戻って横になる事にしました。
・・と言う事で、暫くの間は、腰痛の治療に専念しよう❢❢❢
『血圧計が壊れた❢』
2時過ぎになって、toilette-timeの次いでに、体重と血圧を図ろうと思ったのですが、体礎体重を計って、次に血圧を図ろうとしたら、Errorが出て、測れません。
これは困った❢❢
・・という事で、電池を変えたり、色々と試して見たのですが、Errorが出たままです。
それは困った❢❢
・・と言う事で、取説をnetで探して、Errorの意味を見たら、「正しくカフを巻け」・・と表示されてしまいました。
「これはカフに問題があるのだよな??」と思って、カフを見ると、なんと、大きな穴が・・・
傷付けた穴では無くて、薄くなってしまって、自然に空いた穴でした。
Makerが修理してくれるか否かなのですが、この機種の前の機種が壊れた時に、この中古の機種を購入したのですが、最新の機種を購入しないのは、この10年、20年間の体礎体重と血圧のdataがWellnesslinkでパソコンに保存されているからなのです。
今は、そのWellnesslinkの体礎体重計や血圧計と連動する機器は、もう、殆ど作っていません。
・・という事で、前の血圧計が壊れた時にも、已む無く、中古の血圧計を購入しなけれなりませんでした。
修理に出しても、いつ戻って来るか・・が、分からないので、已む無く、またまた、中古の血圧計を注文しました。
中古でも、今は発売されていないので、Premierが付いているので、結構高いのよね??
壊れた方は、勿論、修理に出す予定です。
2台でだましだまし使って行く予定です。アハッ!
ドイツ製のBrownの髭剃りは、50年以上も経っても、未だ替刃が普通に売っているのですがね~ぇ??
昔の日本でも、物は大切に、修理をしながら、長く、永く使っていたのですがね~ぇ??
アメリカナイズ化されてからは、使い捨て・・を、経済の為に、良しとする風潮に代わってしまったようですよね??
衣装や道具類や、食料品等を、50年単位ぐらいで長く使用する癖のなる私にとっては、世知辛い世の中ですよ。
冷蔵庫の中には、博物館に寄贈出来るぐらいの賞味期限が切れて10年以上も経った食品が多数眠っていますよ。
いや~~ぁ、本当に物を大切にする事は良い事だ❢❢
『夜食とドル・プリっ歩』
斉藤先生が、生徒の楽器選びに出掛けていたので、食事を作る時間が無くなって、今日は西武のデパートは、ストでお休みなので、何処かのお店のお寿司をお持ち帰りして来ました。
だから、早めの8時からの食事timeになりました。
チョッとだけ、早めにドル・プリっ歩に出掛けたのですが、ドルがゴネて、「お散歩をしない」・・と駄々をこねたので、私がドルのリードを持って、お散歩をさせました。
私には、ワガママは通用しないので、ドルは、必死に歩く事・・
長崎公園の近く迄、歩いて行って、それから、反対方向に向きを変えて、教室の直ぐ側の公園に水を飲みに行きました。
斉藤先生は、プリの介護でいないので、お水を飲む道具が無いので、強制的に教室の方に、戻らせていたら、斉藤先生がチャリで、探しに出た所だったので、斉藤先生にドルを任せて、私はチャリで教室に戻りました。
この所、全く、お散歩が出来なかったのだけど、ドルに付合わされて、結構、早足で歩かされたのだよな~ぁ??
こういった突然の運動は体調に悪くて、困ってしまうよな??
ボンヤリと、テレビを見て、ドルの帰りを待っていたら、ドルっ歩から斉藤先生が帰って来たので、急いでハイツに戻る事にしました。
遣り残した作業が未だ少しだけ残っているので、それを片付けてから寝る事になるのでね??
『今日の満月』
今日の朝が満月だった筈なので、未だ一日は経っていないのですが、月は端っこが、結構、欠ッています。
でも、16夜は明日なのかな??
十六夜会は、8月だったのだよね??未だ続いているのかな??
一年毎に、人が少なくなって来たりして・・・
9月4日なんと!なんと!! 体調不良だ❢ 夏バテだ❢❢ 摂眠障害だ❢❢❢ ·
なんと!なんと!! 体調不良だ❢ 夏バテだ❢❢ 摂眠障害だ❢❢❢ と、大騒ぎをしている間に、もう、一瞬で、9月も4日の月曜日になってしまいました。
9月1日の土曜日・・辺りからは、ウダウダ感や、意識朦朧感が頂点に達して、日曜日のオケ練習なのですが、最悪のconditionになってしまいました。(出来れば、お休みにしたかったのだけどね~ぇ??)
まあ、発表会迄は、後、ひと月・・と言う事も、有るには有ったのですが、それに加えて、これまでの夏休み中のオケ練習は、夏休みというのに、逆に集まりが悪くて、オケ練習として成り立たくなくってしまって、私のlecture‐lessonは中止にして、自主練習にしたり、次のオケ練習も、欠席が多くて、Teleworkにしたりして、夏休み中の、私の千葉での対面のオケ練習は、無くなってしまい、やっと、夏休みが明けて、学校行事が定形に戻って、お久し振りに皆が揃う事になったので、私も、お久し振りに、千葉に行く事になりました。
『今週のボケ捲くりの1』
お久し振り・・って事でも無いのだろうけれど、その千葉に移動する時間の予約を土曜日の夜に携帯のtimerに設定したのだけど、車で移動する時間の設定を、間違えたままにしている事に、千葉に到着してからも、気が付きませんでした。
今回の3回オケのオケ練習の開始時間は、本当ならば、3時から練習開始の予定だったのだけど、何を勘違いしたのか、東京を出発する時間の予約を、2時のハイツ出発で、2時半の椎名町出発と言う事にしていたのだよな~ぁ??
3時半からの練習開始・・と思い込んでいたのだけど、それでも2時半の椎名町の出発だと、1時間のintervalしかないので、それでは車での移動は、不可能だよな~ぁ??
普段の予定時間ならば、移動時間は、椎名町から千葉の教室迄を1時間半と、ハイツから椎名町迄を30分の、合計2時間を予定しているのだよ。
だから、3時着の予定ならば、遅くても、1時には、ハイツを出発しなければならないのだよ。
だから、1時間遅れのハイツ出発なんて、あり得ないのだよ。
しかも、それも、千葉に着いて、斉藤先生に指摘されるまでは、全く気が付かなかったのだよな??
『ボケ捲くりの2』
ボケ捲くりは、それだけではなくて、それに加えて、日曜日の薬を朝に飲んで、次の薬として月曜日の薬を準備していたのに、間違えて、日曜日の夜に、月曜日の薬を日曜日の薬と勘違いして、飲んでしまったのだよ。
薬の飲み忘れは、たまにはあるのだが、流石に、間違えて2回飲んだ事は初めての経験なのだよ❢
まあ、ボケ捲くりも、いいところで、頂点を通り越しているよな~ぁ??
日曜日に薬を2回飲んだのだから、月曜日の薬を飲まないでおくか、それとも、今週の最後の薬を月曜日の薬の代わりに飲むか??・・の選択なのだが、まあ、常識的には、週末の薬を代わりに月曜日の薬として、飲むのが良いだろうな~ぁ??
『オケ練習について』
オケ練習や室内楽の練習は、一人でもお休みが出ると、練習が遅れてしまうので、オケ全体の遅れになってしまいます。
ましてや、室内楽の場合には各partが一人づつなので、絡みが成り立たなくなって、練習そのものが出来なくなってしまいます。
オケの人数が多かった時代には、オケをお休みしても、練習のvideoを見て、pointを自分で練習をする事で、オケの遅れを無くす・・という条件で、3回まではオケのお休みを認めていた事もあります。
しかし、オケのsolisteに関しては、オケ練習は、soloとオケの絡みが多いので、soloがお休みだと、オケ練習自体が上手く行きません。
・・というか、オケの方が、soloの生徒よりも良く出来ている事が多いので(soloのpartの方が、オケのpartよりも難しいのは当たり前なので・・)、soliste抜きで練習をしてしまうと、オケとsoloのlevel差が開いてしまって、練習にならないからなのです。もっと、上級生達になると、どうしても、練習が間に合わない、soloの難しいpassageは簡易versionで弾いて、お茶を濁して、オケに迷惑が掛からないようにする生徒もいますがね??
簡易versionで演奏する・・という事も、それなりのlevel(Niveau)が必要な事になるので、3回オケでも、上級生達でないと、無理なのですよ。
だから、今回の練習からは、新しい規約を追加して、原則として、soloがお休みの時には、オケの練習も自動的に省く・・という事に決めました。
勿論、この規約は3回オケからの規約なので、2回オケには適応はされません。
・・という事で、soloの生徒が、日曜日の練習が2回抜けたので、(・・勿論、とは言っても、本人の個人的なおサボりではなくて、学校行事のやむにやまれぬ事情・・という事は、教室としては、了解しているのですが・・、それはそうと、オケ練習が遅れてしまうのは、致し方の無い事です。)、Genzmerのconcertinoが、solisteの欠席の為に、二週間、練習が抜けているので、オケ練習の順番を入れ替えて、先ずは、Genzmerのconcertinoを自主練習にさせて、その出来具合をcheckして、促成で出来る可能性のある練習のpointを探して、そのpointを練習させてから、lessonに入りました。
自主練習にしたのは、オケ全体の遅れの状態を客観的に把握する為なのだけど、それ以上に・・私が、昼飯を食べる時間を作ったのだよ。
『それぞれの曲の練習のpoint』
そのGenzmerのconcertinoの練習のpoint・・なのだけど、powerfulでカッコ良い曲なので、ともすれば、全体的にrythmiqueに乱暴になる傾向があるので、弦楽器が歌い込むpassageを大切にするように留意させました。後は、強弱が無いので、もっと、強弱を意識するように注意をしました。
それだけで、随分と、演奏にメリハリが出て、曲の印象が変わったように思います。
現代曲なので、一人一人の技術力が必要な曲なので、「曲決め」の段階から、「難しいよ❢❢」と注意はしていたのだけど、改めて、難しさが理解出来た頃なのかな??
本番迄は、未だ、後、ひと月はあるので、頑張ってください。
BachのCembalo‐Concertoも、指揮抜きの弾き振りで演奏させて見たのですが、指揮が無いと、結構、tempoが不安定になってしまいました。
勿論、私が指揮をすると、tempoの不安定差は出なくなってしまいますが、それでは、分かって演奏している・・とは言えません。
練習に入る前に、tempoが不安定になる三っつの理由を説明をして、alla breveと3拍子とが繰り返されるのと、verschobene Taktの為に、拍頭がズレる理由を説明しました。
この三っつのpointが理解出来ると、tempoのズレは無くなります。
その他には、この曲には、あまりperiod奏法は出て来ないのですが、period奏法的には、syncopationを表現する為の、投げ弓が、やはり、未だ、完全ではありません。
baroqueや古典派の時代の奏法では、投げ弓が結構、難しいのかな??
HaydnのViolinConcertoは、楽器とpitchを除いたら、基本的に古典派のperiod奏法で演奏をしているのだけど、なかなか、上手に演奏出来ているようです。
orchestraの技術はなかなか、上がっています。
専科オケのlevelに近づいているようです。後は、solisteがどれだけ、頑張れるか??・・だよな??
Händel=Casadesusは、オケやsoloも超絶に難しかったのかな??
模範演奏となるproの演奏を、探しているのだけど、一つも上手な演奏に巡り合えません。
CasadesusはGenzmer先生よりも6歳歳上のpianist兼作曲家なので、その手法はBaroqueの技法ではなくて、近現代的な技法なので、結構難しいのだよ。・・というか、殊更に、難しくしている所があるよな??
作曲技法的には、Casadesusの書いた曲自体は、そんなに難しい技術は無いのだけどね~ぇ??
殊更に難しく、複雑に書かれているだけなので、私が作り直すとすれば、もっと、簡単に同じ事を表現出来るのだけれどね??
いつも言っているように、simple is bestなのだよ。
しかし、まあ、今回は曲を弄るのは、止めておこう❢
間違い探しと、管楽器をRecorderに変えただけでも、混乱の極みで、大変だったからなのでね~ぇ??
『日本の音楽教育について』
教室を開いて、そろそろ、50年にもなるのだけど、「日本の音楽界の現状をなんとかしたい」・・という願望は、風車に挑むDon Quixoteのようなものであり、実に無駄で、無意味な半生であったぞな??
日本人は元々、親方日の丸で、寄らば大樹の陰・・の人種なのですよ。
江戸時代から脈々と続く家元制度の家元が、音楽大学の教授に代わったに過ぎません。proとして一度も活躍をした事のない、現場を全く知らない人達が日本の頂点に立つという事とは、何処かの国のお役所とも似ていて、滑稽の極みです。
マイナンバーカードでも、現場を全く知らない役人や為政者達が現場の統率をする、・・・それで、昔の大戦に負けたのに、負けから学ぶ事が全く出来ていないのだよな??
Europaのように、自ら勝ち取った民主主義ではなくて、与えられた民主主義なので、日本には民主主義は無いのだよ。日本人が民主主義と思っているのは、モラル・ハラスメントの全体主義に過ぎないのだよ。常に全体の正義が罷り通ってしまうのだよ。
相変わらず、お役所仕事は無駄に繰り返されて、日本の音楽界も同様に、演奏家としての経験が一度も無い人達が日本の音楽界を牛耳っているのだよ。
そこでの常識を、信じている人達が、globalな世界に通用する分けは無いのは明らかなのだけど、井の中の蛙大海を知らず・・という格言は、未だに活きているのだよな~ぁ??
元来、作曲家という人種は、権力や寄らば大樹の陰を否定し、Identityを大切にして、権威や権力に反抗する人種なのだが(そういう意識が無いと、作曲家にはなれないのだが・・・Identityを持たない作曲家は、凡庸な作曲家とされて評価される事はないからなのだよ❢)、演奏家という人種は、寧ろ、作曲家とは立場が逆なのかも知れないよな~ぁ??
凡庸なPianistの方が評価されるのだよな??
何故ならば、一番、多い聴衆が存在する階層は、Brand嗜好の大衆の階層であり、親方日の丸の寄らば大樹の階層になるのだからなのだよ。
演奏家が、若くて美しい30歳までの年齢の壁を越した時には、当然、若くて美しい芸術家を求める場合には、当然、等の経ってしまった芸術家ではなくて、新しい若い美人に挿げ替えるだけである。
また、聴衆自身がそう言ったoberflächlichな芸術から、人生の艱難辛苦を語る芸術を求めるような年齢になった時には、そう言ったbrand志向的な芸術では、飽き足らなくなってしまって、本当の本物嗜好に代わって行くのだよ。
つまり、演奏家が歳を取って、若さや美しさを売りに出来なくなった時に、その演奏家に求められるものは、本当の心に響く音楽なのだよ。
でも、それは年齢ではないのだよ。
私は自分の音楽に、Entertainment性を求めた事は、一度もない❢私自身は、若い中学生や高校生の頃から、音楽に人生を求めて来たのだよ❢
しかし、若者達が幾ら真摯な音楽を求めて来たとしても、それが若さ故・・と言う事で認めて貰えないのが一般的なのだよな??私が、30歳ぐらいの時に、人々に音楽への主張をした時には、「芦塚先生は若いから・・」と否定されてしまった。しかし、50歳を過ぎて、全く同じ、主義主張を繰り返した時には、皆が、私の経験として拝聴してくれるのだよ。全く、同じ話をしているのにね~ぇ??面白いものだよな~ぁ??
例えば、私の鬱々コンサートである、ChaconneとLa Foliaの曲集であるPurcellやPachelbel、VitaliのChaconneやCorelli=GeminianiのLa Folia等は、日本のproのorchestraでの演奏会のrepertoryに取り上げられた事は無いのだよ。何故って??
演奏会で演奏するには、悲劇的過ぎるのだよ。
日本の音楽界の現実は、未だ、華やかなperformanceのlevelのEntertainmentの世界に始終しているから・・に、過ぎないからなのだよ。
まあ、曰く、日本の若者達は、行列の出来るお店で、充分、満足出来るのだよな~ぁ??
日本の音楽家達は、そう言った行列の出来るお店しか、求めないのだよ。
違いの分かる男の料理には、程遠いのだよな~ぁ??
だから、日本の演奏家達の演奏は上手なのだけど、全く中身が無いのだよ。(その「中身」の意味さえも、知っている演奏家は稀なのだよ。)
この50年間の長きに渡って、音楽への真摯なapproachを教えて来たハズなのだが、私から学ぶ事は、技術的なHow toに過ぎず、音楽の心を、私から学び取る生徒は皆無だったのだよな~ぁ??
生徒達が外で活躍するようになると、そこには、oberflächlichな音楽の世界しか無いのだよ。音楽を歴史として捉える事すら出来ない演奏家達の集団なのだ。
お釈迦様の教えの中に、宮殿を建てたい王様の話がある。棟梁に5階建て、10階建ての壮大な宮殿を建てる事を命令したのだよ。
棟梁が、王様の期待に応えるべく、基礎の地下を掘る工事を始めたら、王様が烈火の如く怒り捲くって、「私が必要なのは、5階建て、10階建ての宮殿で、地下ではない」と言って、棟梁が幾ら、10階建ての宮殿を建てる為には、地下深く掘り下げる事が必要だ・・と、説明しても、分からなかった・・という話がある。
日本の演奏家達は、技術を磨く事に必死になるのだが、音楽表現では、大した技術は必要無いのだよ。本当に、その曲を表現するのに必要な技術があるだけに過ぎないのだ。
音楽の基礎は全く別の次元にあるのだよ。
音楽は音を楽しむ・・と書くのだよ。
ViolinでもPianoでも、音楽を奏でる前提には、美しい音がなければならないのだが、こんにちの演奏家で美しい音を奏でる事の出来る演奏者はいったい、何人いるのだろうか??・・ねぇ??
音楽は言葉の無い哲学であり、且つ、宗教でもある。
けして、entertainmentだけの世界では無いのだよ。
それを言い続けているのに、理解して貰えないのだよな~ぁ??
だから、私の人生はDon Quixoteのような人生に過ぎなかったのだよ。
実につまらない人生なのだよな~ぁ??
人間の幸せというのは、自分の居場所に自分が居る時なのだ。
私の終の棲家は何処にあるのだろうか??
ああ、哀号❢❢
9月4日タイムリープ ·
今は9月の4日の月曜日の深夜です。
日曜日のオケ練習のVideoとlessonのVideoを、日曜日の深夜からパソコンに取り込んで、powerdirectorでchapterを統合して、YouTubeに限定公開でuploadする作業を、この2日間頑張ってやって、やっと夜の8時前になって、uploadの作業が終わって椎名町に食事に行こうと思って、時計を見ていて、ふと、今日が未だ月曜日の8時前である事に気が付きました。
体感的には、今日は、もう火曜日の夕方のような気がしていたのだけど、火曜日・・と言う事ならば、引き籠もりdayなので、椎名町に食事には行かないのだよな??
「2日間頑張った❢」・・と思ったのは、全くの勘違いで、未だ月曜日の一日だったのですよ❢
日曜日に千葉から帰ってから、疲れたらbedで寝て、toilette-timeで起き出して、起きた次いでに、パソコンの作業をして、また、疲れたてパソコンの椅子の上で座眠をしたら、急いで、bedに戻って眠って、夜間頻尿のtoilette-timeで目が覚めて・・・の、短いstanceの繰り返しで、日にち・・というか、時間の感覚がなくなってしまったのだよな?
なんとか、月曜日である事を確認したので・・、と言うか、食事の時間の連絡が入ったので、bikeで椎名町に移動をする次いでに、ガソリンを入れにstandに寄っていたら、突然、雨が降り出しました。
ハイツから出発する時に降っていたら、昨晩、椎名町からの帰りに突然の雨が降り出したので、着て帰って来たポンチョを、そのまま、着て椎名町に行けば良かったのだけど、ハイツを出発する時には、雨は降っていなかったのだよ。
椎名町行きの途中から、リュックからポンチョを出して、着るのはひと手間なので、濡れるままにして、bikeを走らせて来ました。
椎名町の教室に近づくに連れて、雨が酷くなって来てしまって、まあ、結構濡れたよな~ぁ??
椎名町には、着替えの予備が全くなかったので、已む無く、服を乾かす間の食事中は、上半身は裸で過ごしました。
前回迄は、予備の下着やTシャツを椎名町にもStockを置いていたのだけど、全部、無くなってしまったのでね~ぇ?
行きは晴れていて、途中から雨が降って来る・・というUnfairlichな状態がこの所、同じpatternで、繰り返されていたからね~ぇ?
9月5日今日は引き篭もりdayです。 ·
今日は9月5日の火曜日で、引き籠もりDayになります。
明日の水曜日は、恐怖の膀胱鏡検査の日で、ひと月後の10月の始めには、入院と手術と発表会が控えています。
今までは、なんとか手術と発表会のdouble-bookingを避けて、退院の翌日の発表会・・とかで、綱渡りを熟して来ましたが、今回はどうも、無理そうなのだよな~ぁ??
どうすんべ~ぇ??
10月だけではなくて、今月、9月も、ワクチンや、免許証の更新もあって、結構、忙しく慌ただしい月になります。
今から思い遣られるのだよな?
体力が保つかいな??
9月6日『昨日の夕方から、物が二つに見えるようになってしまった。』 ·
いや~~ぁ、後、小一時間でハイツを出発しなければならないのだけど、憂鬱だよな~ぁ??
準備の手間が必要以上に掛かっているのは、「行きたく無いsyndrome」なのだよな~ぁ??
最終準備開始の時間と出発の時間が迫っているのだが、動く気が起こらないのだよ。
てな事で、病院行きの準備をしないで、Rosarysonateの曲の表題を付ける作業をしているのだよな~ぁ??
それはそうと、この一週間というか、右目の芯が痛くて、困っていたのだが、昨日の夕方頃から、突然、物が二つに見えて困ってしまった。
脳梗塞かいな??
近場は、普通に見えるのだが、遠くなればなる程、分かれて見えて来るのだよ。
疲れ目ならば、一晩、爆睡出来れば治るのかな??と思ったのだが、一晩経っても治らない。これは困ったぞ❢❢
取り敢えずは、まあ、病院に行って、術前検査を熟さなければならないので、出来る所からやって行かないとな??
尿と血液の採血が終わって、何処へ行け、との指示が無いので、受診票を頼りに、心電図や、その他の検査を受けて、泌尿器科の診察に行ったら、レントゲン検査が未だだ❢❢と言う事で、また、1号館に逆戻りさせられたのだ❢❢
体調不良の折に、この移動はチョッとしんどいのだよ。
まあ、なんとか診察にこぎつけたのだけど、懸案の膀胱鏡の検査は無くて、入院の手続きをさせられた。
半年前にも、入院の手続きをしたので、「資料は、前のを使ってください」・・との事で、くれなかった。まあ、探せば済む事なのだけどね??
なんだかんだで、ハイツに辿り着いたのは、5時前になった。
6時半のlecture‐lesson迄は、時間があるので、朝のBiberのindex付けの続きをしていたのだが、Rosarysonateではなくて、八っつのSonateの第6番の曲にindexを付けようと思って、何気なく、facsimileの譜面を見て、驚いた。
Urtextの楽譜であるべき楽譜が、facsimileとは全く違うのだよ。
前奏の曲は1小節で書いてある小節を、2小節に分けて、書いてあるので、まあ、然程は問題は無い・・??のだが・・、と言っても、分からんよな??出版されている楽譜では、拍子はalla breveなのだが、4分の4拍子として書かれているのだが、facsimileのoriginalの譜面では、拍子のalla breveは同じなのだが、4分の8拍子で書かれているのだよ。つまり、4分の4拍子が同じ小節に二つ入っているのだよ。
まあ、実際の演奏では4分の4拍子で演奏するのだろうから、小節線を点線と実線で、違いを表示したよ。
まあ、introはそれで良いとして、問題はpassacagliaだよな??
出版されている楽譜では、拍子は3拍子になっていて、小節割は4分の3拍子なのだが、facsimileの楽譜では、同じ3拍子でも、2分音符の3拍子なのだ。
という事で、小節の割り振りが、全く違うのだよ。曲は付点2分音符の2拍子になっているので、出版されている楽譜では、付点2分音符を、4分の3拍子に変えて書いたのだよ。
原譜では、付点2分の2拍子で書かれているので、passacagliaのthema自体が、syncopationになっているのだよ。
出版されている楽譜のように、単純な4分の3拍子になっていては、全くの、恰もhemiolaのような、演奏効果が失われてしまうのではないか??
そりゃあ、無いよな??
超、SHOCKだよな??
それに、Continuo-Aussetzungが、まるで、なっていない。超、ヘボい極みだよ。和声の勉強をやり直した方が良いよな??
これは、Ashizuka‐versionを作らなければならなくなってしまった。
和声付けが下手なのには、理由があるのだよ。
それは、Biberの原譜に、continuoに数字が殆ど、書いて無いのだよな??たまに、6の数字が書いてあったりするのだが、殆ど焼け石の世界だよな??
Veraciniのpassacagliaも、全く数字が書かれていなかったのだけど、VitaliのChaconneの間違いだらけの数字よりは、書いていない方が良いのかな??
まあ、数字を付ける所から・・・、そこからかい??
えらいこっちゃ❢❢
曲も結構長いので、facsimileをfinaleにnotationするだけでも、2,3日は掛かるよな??
目が二重に見えるのさえ、なんとかなれば、もう少しは、頑張れるのだけどなぁ??
・・って、か??
9月7日ヘボいfinaleの話 ·
9月7日の木曜日の朝の7時を過ぎた所です。
昨晩から、諦めてBiberの八っつのSonateの第6番のfacsimile譜をfinaleに書き移す作業を始めました。
basso continuoとViolinのpartをパソコンのfinaleに書き写せば良いだけなのですが、Violin譜のscordaturaは、finaleには移す事が出来ません。
先ず、その変則的な調号が書けないのですよ。
書こうと思ったら、書けるのかも知れませんが、いずれにしても、手に負えません。
私が高校生の時に作った作曲noteも、所定の場所ではなくて、違った場所に書く調号や、右手と左手の拍子が違う曲もfinaleでは、書けないのです。
例えば、Chopinの waltzのように、3拍子と2拍子の曲を書いても、どちらかの拍子に結合されてしまうのです。
仕方がないので、任意の小節線を書いて、不必要な線を消す・・という途轍もなく無駄な作業をして、なんとかそういった小節線のずれた拍子を作り出して、お茶を濁しています。
今回は、小節線毎の独立した拍子の設定が、これまで出来ていたハズの設定の仕方では、出来なくて、とうとう諦めてしまいました。
多分、解決策としては、曲を別名で保存するのではなくて、全く新しい五線紙にコピペすれば良いだけだ・・と思うのですが、結構、大変な作業なので、今回はやりませんでした。
facsimileでは、曲は最初はalla breveの(実際には、4分の8拍子として書かれています。)勿論、出版されている楽譜ではalla breveの4分の4拍子として、書かれています。
但し、曲のいたる所が小節が不完全なのですよ。
その理由は、五線紙上で、段を改める時に、4拍子か8拍子かを勘違いしているだけなのです。
だから、Biberのoriginalの譜面では、書いているのは、8拍子なのだけど、実際に、Biberが弾いている時には、4拍子で弾いていたのだよな??・・と言う事は、大方の予測が付きます。
問題はpassacagliaのrhythmなのですが、これもoriginalの譜面では、3拍子という指定はあるのですが、分母の指定がありません。
楽譜を見ると、2分音符の3拍子になっているのですが、それでは全部の小節がsyncopationになってしまうので、本来ならば分母が付点2拍子の2拍取りになっているのです。
・・という事なので、出版されている楽譜では、拍の指定は無視して、1小節を二つに分けて、更に、分母を4分音符にして、3拍子として、書いています。
2小節が元来は1小節だったのを、2小節に小分けにしたので、cantus firmusのBaßのpartの活き活きとしたphrase感が、現代譜では無くなってしまっています。
当然、段の繰り下がる場所で、小節が足りなくなってしまう箇所が2箇所もあります。
これも、単なる、不注意に寄るものであり、意図は何もありません。
現代譜では無い譜面を書き起こすのだから、結構な手間です。
また、原譜や、出版されている譜面も、scordaturaで書かれているので、演奏していて、Violinの和音が分かりません。
だから、伴奏譜のsoloのpartに関しては、実音表記する事にしました。
一番、困る事は、Biberは、殆どのpassageにbasso continuoとなる数字を記していません。
continuoとViolinの譜面が出来上がったら、右手のpartを書く前に、数字起こしをしなければなりません。
数字が書き込めたら、次には、Organ譜にするか、Cembalo譜にするかを決めます。
それから、右手の書き込みを開始します。
まあ、下準備の長い事・・、下準備だけで、作業は終わってしまいそうです。
Cembaloの為の譜面ならば、そういった下準備が必要なのですが、 positive organのversionと決まったので、Polyphonischに作曲をする事になりました。
そうすると、continuoの数字は全く無駄になってしまいますので、basso continuoに数字を書く作業は、無くなってしまいました。
baroque時代の組曲の作曲では、kirchensonateであるか、kammersonataであるか、で、曲の様式が決まります。
しかし、極々稀に、そういった決まりを守らない作曲家がいて、困ってしまいます。
Biberのこの第6番の曲も、introductionを持って、次にpassacagliaが来るので、大規模なkirchensontaの形式であるハズなのですが、突然、場違いのgavotteが入って来ます。
gavotteは、当然、kammersonataに使用される舞曲なので、kirchensontaとは、場違いの哀愁を帯びた、coquetterieな旋律と諧謔性で出来ているので、それまでのkirchensontaのpassacaglia等の荘厳なimageとは、掛け離れてしまいます。
この不統一な感じを、どう、演奏で、表現して良いものやら・・
虞や虞や汝、如何せん・・ですな?
(確か、Veraciniも、passacagliaでそういった事をやっていたよな??)
9月8日『紛らわしいので、先に書いて起きますが、今日は8日の金曜日になった所です。』 ·
今日は9月13日の金曜日です。
なんて事を書いたのだが、9月の13日は水曜日だし、今日は一週間前の、6日の水曜日なのだよ。
13日の金曜日は10月のcalendarを見て、勘違いをしたという事だったのだよな??
・・てな事で、曜日の感覚が無くなっていたのだけど、この所、目の芯が痛いのが続いていたのだけど、5日の火曜日から、突然、目が二つに見えて来る症状が起こって、歩くのにも差し障るようになって来たのだよ。
水曜日の泌尿器科の病院行きは、二重に周りが見えてしまって、道を歩くのも、とても大変だったのだよな。
物が二重に見える原因は、疲れ目の酷い状態だと思われるので、安静に少し睡眠時間をタップリに取りたいのだけど、この所、結構、忙しいのだよ。
その忙しい最中に、木曜日の深夜から金曜日中は1日掛かりで、目が見えないのに、Biberの八っつのSonateの第6番のRealizationを2日掛かりで書き終えた。朝の6時かな?と思っていいたら、夕方の6時だと言うぐらいに、お久し振りで熱中していたソイ??
という事で、最後の方になって来たら、パソコンの画面すら見えなくなって来たゾイ??
この曲は、gavotteが入っているし、結構、Cembaloの方が良い曲もあるのだが、introがpolyphonicに書かれているし、超、長いorgelpunktが出て来るので、一応、Organ用にRealisationをしました。
https://www.youtube.com/watch?v=J3_iB1vUYJ0
パソコン音源です。
実際の演奏では、八つのSonateの第6番は、2006年9月23日東京大泉学園ゆめりあ・ホールでのコンサートで、斉藤先生と萩元先生が演奏しています。
当然、先生達の演奏なので、装飾と即興は、場所と雰囲気だけを指定して、後は、本人達に任せてやっています。
Cembaloのpartの即興も、結構、派手派手しくやっていたよな??
その当時は、未だnetもこんにち程は普及していなかったので、facsimileのoriginal譜を手に入れる事は出来ず、出版されている楽譜を定本にして、それをBaseにして、ornamentを作らせたのですが、今回は、斉藤先生のBiberの連続演奏をgroupingしている段階で、当時は、手に入らなかったfacsimileの譜面を手に入れて、楽譜の比較を始めたのですが、それで、超、驚いた事に、Urtextと思っていた(その版しか出版されていないので・・)版が、originalのfacsimile版とは似ても似つかない、近現代風の校訂版である事に気が付いて、超、Shockを受けてしまいました。
小節割が2小節が一つの小節になっているのを、短く分けて小節割をしたのは、未だ、許せるとしても、次のpassacagliaではそれが、melodieを分断してしまっていて、独特のsyncopationに寄るmelodieの交差が、現代の楽譜では表現出来なくなってしまっているのですよ。
それでは、period奏法どころではなくて、Biberの意図に添った、正しい演奏が出来なくなってしまいます。
という事で、急遽、「finale起こし=notation」を、・・という事で、facsimile版を底本にして、finaleにnotationをして、更に、basso continuoのRealizationを、新たにOrgan用のpartとして、作る事にしました。
作業自体は、楽しい作業なのですが、なにせ、目が見えなくて、パソコンの画面と結構、見にくいfacsimileの画面が見えないのですよ。
introはpolyphonicに始まるので、右手のpartは2声部の書法で書いたのですが、目が二重に見えるので、2声部では無くて、4声部の曲を書いているような気がしていました。
introは対位法的なpassageなので、結構、「声部の絡め合わせ」で、作曲が難しかったのかな??
まあ、一晩で終わったのだから、そうでも無いか??
「1日、2日、爆睡したら、視力も回復するかな??」・・と思ったのですが、三っ日目になるのに、全く良くなりません。
こりゃあ、マジに脳梗塞かいな??
否、パソコンの作業をしているので、目が結果的には、休まっていないのだよな??
テレビでも見て、目を休めるか??
・・ん???
9月9日『眼科に行った。』 ·
今日は9月の9日の土曜日です。
『眼科に行った。』
火曜日の夜からおかしくなった目を近所の病院に見て貰いに行きました。
自宅の江古田ハイツからは、超、近い、江古田駅の南口の前のビルに色々な診療所が入っていて、殆どの病気の診察が出来るようで助かっています。
眼科では、今日は、眼底検査等は時間が掛かるし、検査の後には、bike等の運転は出来ないので、取り敢えず、視力の検査だけをして、眼底検査等は月曜日に予約を入れました。
その検査が終わってから、最終的に診断がつくらしいので、後、2回は眼科に通う事になり、現在の症状の原因が判断出来るのは、後、2回の検査終了後になります。
『オケのmemberが足りない❢❢』
明日はrehearsal なのですが、物が二重に見えているので、車の運転はとても無理なので、明日は自宅からのTeleworkにします。
今日、rehearsal のsetting表が出来たけれど、最低の各part2人づつの人数でも、Violinが一人足りない事が判明しました。
誰か、当日だけでも弾いてくれる人は、いないのかな??
勿論、顎脚はありませんけどね??
『BiberのcontinuoのRealizationが終わって・・』
Biberの八っつのSonateの第6番なのですが、昨晩、20小節目の内声部のpartを全部、Chromatik(半音階)の進行にしたのだけど、今日1日、その半音階が、なんとなく・・これ見よがし・・の、あざとい感じに思えるのだよな~ぁ??
内声部のtechnicalな、完全なChromatikの進行を控えて、断続的に訥々と、たどたどしいChromatikの進行をさせた方が、音楽的には、自然に聴こえるのだよ??
・・という事で、折角作った完全なChromatik進行をやめて、辿々しく、全音程を混ぜて、technicalな「アザトさ」を無くしたのだよ。
幾ら、作曲技法的に優れていたとしても、それが辿々しくても、より自然に聴こえる方が、良いに決まっているからね~ぇ??
素朴さはtechnikの粋なのだよ。
この意味、分かるかな??
9月10日日曜日なのに、車の運転が出来ない。 ·
今日は9月10日の日曜日です。
火曜日の夕方から、突然、物が二重に見えるようになって来たのですが、これまでは手の届く範囲内では、物が二重に見える事はありませんでしたので、指でSwitch等に触れるのも、物を掴む事も、問題はありませんでしたし、パソコンの作業等に、差し障りが出る事も無かったのですが、昨晩からは、近場の物も二重に見えるようになって来て、遂にSwitchを押す時にも、物を掴もうとする時でも、手がズレてしまうようになってしまいました。
・・という事で、今日はパソコンの画面を見る事も出来なくなってしまったので、今日はオケのrehearsal なのですが、とても・・とても、車での移動は無理になってしまったので、オケのrehearsalとlessonは、ハイツの自宅からのTeleworkで、する事にしました。
明日も眼科に行って、眼底の検査をします。眼底検査では、目薬を30分起きに2回さして、それからの検査になって、その後、半日は、車やbike等の運転は出来ません。
椎名町に食事に行けるかが、微妙な所なのだよな??
まあ、明日の事はどうでも良いとして、先ずは今日の事だよな??
お昼の1時半頃迄は、なんとかパソコンでの作業をしていたのですが、どうにも目が見えないので、疲れが酷くて、諦めて、暫くの間、休む事にしました。
普段ならば、テレビでも見て休む所なのでしょうが、そのテレビの画面が二つになって見えないので致し方はありません。
何も見ない・・何もしない・・のならば、眠る他はありませんのでね??
目が覚めたら、な、な、な、なんと!3時50分を過ぎていました。
4時からのオケリハのTeleworkに間に合わないゾイ❢❢
と、思ったら、今日は急遽のお休みの生徒が多くて、オケのrehearsal 自体が出来なくなってしまった・・という連絡が入っていました。
今日、飛び入りで参加してくれるお姉さん達が居るので、オケの奏法の伝達だけはしておかなければなりません。
まあ、そこに私が必要か否かなのですが、一応、Teleworkは出来るように準備はしておこう、・・かな??、・・・かな??、・・・・かな??
9月11日目のズレが酷くなって ·
今日は9月11日の月曜日なのです。
目の具合はますます、酷くなって来て、パソコンの画面が二重に見えて、全く仕事になりません。普通に部屋の中を歩いていても、少しふらつくようになってしまいました。
それ以上に、今迄は、あまり気にならなかった物を掴むとか、触れるとかの何気ない動作が、距離感が不安定になって、出来なくなってしまいました。
それでも、なんとか、頑張って、パソコンの画面を凝視して、ChaconneのVideoの編集を虫食い作業で終わらした所です。終わらせた、とは言っても、全体の半分程度なのですがね~ぇ?道行きは長いのですよ?
今日は、3時過ぎから、眼科の眼底検査に行きます。
一日、物が見えづらくなってしまう・・と言う事で、bikeでの椎名町への移動が出来るか、否かが問題です。
昨晩は、夜、遅くから、マイナンバーカードのポイントを申し込む作業を牧野先生にやって貰ったのですが、携帯のmailのaddressで引っ掛かって、時間切れになってしまいました。(設定した携帯のmailが開かないのです。パソコンでは問題無く開くのに、携帯ではaccountを指定しても、そのmailが開かないのだよ。)
という事で、今夜、もう一度revengeする予定なのですが、椎名町にbikeで行けるかどうか・・なのですよ。
なんだかんだと、小一時間程掛かって、眼底検査が終わって、病院の外に出たのだけど、目が開かないのだよな??
太陽がいっぱい・・な、分けは無いのだけど、兎に角、、眩しくて、次いでに買い物をして帰ろうと思ったのだけど、商品が見えないのだよ。
これはbike処では無いよな??
大急ぎでハイツに戻って、パソコンすら出来ないので、已む無く、寝た❢❢
夕食予定の夜の10時前になった所ですが、目は焦点が定まらないままなので、今夜のbikeの移動は諦めました。晩の食事をチャリで配送してくれる、と言っていたのだけど、冷蔵庫には、食べ切れなかった食料品が余っていたので、その食料品でお茶を濁す事にしました。
多分、明日の一日は食料品が全くなくなってしまうと思うのですが、それは明日、改めて考える事にします。
今日、悩む事ではないと思いますのでね゙?
9月12日マイナンバーカード ·
今日、12日の火曜日で物が二つに見えるようになってから、丁度一週間が経ちます。
毎日、改善するどころか、悪化しているように見えるのですが、医者は、放っておけば治る、という感じで、診察態度には危機感はありません。メガネが出来れば、自然に治るという考え方のようです。
流石に、一晩寝たので、眼底検査の薬での、目が眩しくて物が見えない・・という状態は、なんとか解消したのですが、焦点が定まらないので、場所の位置が分からない・・と言う事は、相変わらず、そのままの状態です。
パソコンに向かう事が困難なので、テレビでもボンヤリと見ていたい所なのですが、テレビの画面も二重に見えて、映像がよく分からないので、テレビも息抜きにはならないので、bedで休む他はありませんでした。
今日は、10時半過ぎに牧野先生がお弁当をハイツに届けてくれました。
朝食は既に無くて、おかずが二皿程度、僅かに残っていたので、それでお昼と夕方の食事を、お茶を濁して、夜の12時過ぎ迄、何も食べ物が無いままに、凌いで来ました。
この所は、食事の量にも気を使っているのですが、やっぱり、逆で、段々と肥って来ているのですよ。栄養士の人の考えるように、食事の量を減らしても、体重は減らないのですよ。病院食でも同じだったのだけど、絶対に認め無いのだよな~ぁ??
それをやると、基礎体力との勝負になってしまう・・という事は何度も経験しているのだけどね??1200でも痩せないので、1000とか900とかの勝負になってしまって、挫折をした経験があるのだよ。少しでも、痩せる為には、少しでも体を動かす事に尽きるのだけど、それが出来ないから困っているのだよ。
前日に時間切れになって、そのままになっていたマイナンバーカードの手続きをやったのだけど、同じmail‐addressやpasswordや、ハイツの住所を何度も、何度も、書き込まなければならなくて、呆れてしまいました。
それでは、何の為のマイナンバーカードだろうね??
同じaddressやpasswordは一度入力すれば良い事にすれば、間違いや、手続きの煩雑さも無くなって、入力する方も手続きをする方も楽なのにね??
ほんとに、超、頭の悪い事だよな??
時短の根本は、programming自体の時短にもあるのに、programmingが時短出来ないようでは、パソコンを使う意味は無いのだけどね~ぇ??
Takashi Toyoda
5年前の元日の夜、突然天井がぐるぐる回り始め、寝て、翌朝救急病院にタクシーで向かう途中、センターラインが30cm離れた2本に見えました。医者は時間が経てば治ると言うだけでした。1週間ほどで元に戻りました。眼鏡の話は出ませんでした。
返信する
16週間
編集済み
芦塚 陽二
私としては、先ずは「脳梗塞ではないのかな??」と疑った分けなのですが、行きつけの大学病院では紹介状が無いと見て貰えないので、先ずは、眼科で見て貰ってから、紹介状を・・と思ったのですが、眼科では、脳梗塞に関しては、全く気にしていないようなのですが、日常生活では結構、困っています。病名も無いようです。
返信する
16週間
編集済み
9月13日アナログなマイナンバーカードの手続き ·
今日は9月13日の水曜日の朝の9時前なのだけど、朝の8時になった途端に、マイナンバーカードから携帯へのaccessがあって、cardとpasswordの確認とcardの確認をさせられた。
昨晩遅くに設定したからの確認だとは思うのだけど、ヒョッとして使う度に、確認させられるのかな??・・それでは大変だよな??
勿論、パソコンからの確認で、対面の確認では無いのだけど、それでも・・ね??
昨晩は夜の11時ぐらいから、1時前のtimelimit、ギリギリ迄掛かってcardの登録をしたのだが、同じmailのaddressとpasswordを何度も入力しなければならないのには、マジに辟易した。
何の為のdigital化か理解不能だよな~ぁ??
その内に、同じmail‐addressと同じpasswordなのに、認知出来なくなってしまって、passwordを変更しなければならなくなってしまったのだよ。勿論、変更して、同じmail‐addressと同じpasswordを入力したら、通ってしまった。
なんだろうね??
それじゃあ、digitalの意味をなさないじゃん❢❢
だから、bugが起こってしまうのだよ。
同じ単語は二度と入力しないのが、digital化の秘訣では無いのかな??
それなのに、郵便番号や住所迄も、2度、3度と同じ文言を入力しなければならないのだよ。
それに、パソコンでの入力に過ぎないのに、何故、timelimitがあるのだよ??パソコンなのだから、土日祝日年中無休で良いだろうが??
パソコン迄、深夜は休み・・なんて、正に、お役所仕事だよな~ぁ??
無駄に無駄を重ねて、兎に角、複雑怪奇にしているのだよ。
今日のmain‐Eventは眼科とlessonなのだ。
パソコンではchargeが出来ないので、外に出た次いでに、駅で、Suicaのchargeもしなければならないのだよな??
日常の仕事は別にあるので、今日も結構忙しいのだが、目は相変わらず、二重のままだ。
今は朝の9時11分である。
お出かけの準備開始迄は、未だ1時間半はあるのかな??
取り敢えずは少しだけ休むか??
・・と思って、timerをsetして、bedで寝たのだが、なんと、目が覚めたら12時も15分を過ぎていたゾイ❢❢
丸々、予約の時間を1時間寝過ごしてしまった、大幅の遅刻である。
超、Shockである。timerをsetして寝ても、timerの鳴る前には、必ず目が覚める私なので、timerで起きれなかった事に、超、Shockなのだよ。
慌てて、電話をして、正直に、寝過ごした事を言って、時間を変更して貰った。予約は3時半に変更された。
斉藤先生のお昼の12時から1時迄の、合わせのlecture‐lessonの時間が、眼科の予約時間とダブっていて、lessonをする事が出来なかったのだが、私の寝坊で、眼科に行けなかったので、急遽、45分だけ、lessonを見る時間が出来るようになったので、急遽のTelework‐lessonをする事にした。人生、万事、塞翁が馬である。
web-lessonでは、基本的には、演奏を聴いてから、問題箇所のcheckをします。
演奏中に、その演奏を中断させるのだが、web‐cameraの性質としては、弱い音は聞こえないように抑える性質があるので、演奏を途中で止める時には、こちらが幾ら大声を出しても、micでcutされてしまい、演奏している人に聞こえないのだ❢
幾ら大声で叫んでも、実際の演奏の音には敵わないので、こちらの音が相手に聞こえる事はないのだが、唯一、甲高い鋭い音はmicが拾うのだよ。
そこで、concours等では、審査の終わった演奏を途中で止める為の、hand‐bellを鳴らすのだよ。
hand‐bellの甲高い音ならば、どんなに演奏に熱中していたとしても、その中でも聴こえるのだよ。
私が趣味で持っているbellは、民族楽器に過ぎないのだが、lessonでの演奏を効率良く止める為のhand‐bellとしても、best‐itemsである。
今日のlecture‐lessonの曲は、生徒達のよく演奏する曲であり、斉藤先生も何度も演奏をして来た曲であるscenes de la csárdásの第3番である。
Hubayの、csárdásの情景として、gypsy音楽の形式を真似ているのだが、gypsy音楽の形式、所謂、csárdásの形式・・その物では無いので、省かれた部分に対しての演奏には、少し注意が必要となるのだよ。
1時just迄、lessonをして、3時半の眼科の予約を目指して、準備を開始する事にした。
ゆっくりと準備をして眼科に出掛けたのだが、今回は目の検査と物のズレを中心にして診て貰えて、やっと、順天堂の糖尿病の内科に紹介状を書いて貰う事になった。
一応、脳のCTscanをする為に、糖尿病の先生から脳外か何処かへ回して貰う予定なのだ。
・・・という事で、5時半には紹介状を取りに行く事になった。
これで、眼科に行った最初の予定通りになったのだよな。
次のlessonは、5時半からなので、多分、ゆとりを持ってlessonの準備に入れるだろうか??
以前、持ち帰って来たvideoでは、Take②が抜けているので、先にTake②を撮ってから、次のTakeに入らないといけないのだよ。
それを、忘れないように撮らなければ・・・
それ以降は、今日はTake⑥からのlectureになる。
この虫食いで、録音する方法は、私には非常に効率的だと思われたのだが、意外と出来ない・・という事に気が付いた。
丁寧にミス無く演奏しようとする姿勢は良いのだが、曲の流れで、前の部分から盛り上げて来たtempo感を、そのまま、継続出来ない事に気が付いたのだよ。
一つの盛り上げを一息に弾けば良さそうなのだが、VitaliのChaconneでは、themaの演奏が弾き終わったら、約、曲全体の半分近くを一気に弾き抜かなければならないのだよ。
それならば、通し撮りと同じ事になるのだよな??
録音の場合には、お客様が居る分けではないので、それは非常にpressureの掛かる事なのだよ❢
・・という事で、超長い一つの盛り上げの部分を、前半部分と後半の部分に、二つに分けて演奏するのだが、そうすると、tempo・・というか、高揚感の引き継ぎが非常に難しくなってしまうのだよ。
私の場合には、そういった抜き出し練習のコツは、普段のオケ練習や室内楽の練習で慣れているのだが、抜き出しの練習を、技術的な部分だけではなくて、演奏表現の一分として捉えていないと、女優さん達のように、どの場所からでも、その表現をする事は難しいのだよ❢
そういった、曲の途中からのaccelerandolや高揚感の音楽表現が、出来なくて、繋ぎ撮りのlectureを諦めてしまった。
Teleworkでも、netの環境で、timelagが無ければ、指揮をすれば良いだけなのだが、今の日本のnet環境では、time lagの無い演奏は、未だ無理である。
9月15日今日は電話-dayです。 ·
今日は9月も15日の金曜日なのだが、今日は1日、朝から電話dayなのです。
病院に電話をして、その指示で又、病院に電話をしているのだけど、朝から延々と電話をしているのに、掛からないのだよ。
まあ、何という膨大な時間を費やしているのだろうか??
許せない時間の損失なのだが、
今は夕方の4時半になる所なのだが、やっと、電話が通じて病院との話が全部終わった。
たった2件の病院への電話で、丸々一日費やした事になるのだよ。
(1日と言うか・・、正味は朝の8時から夕方の4時迄の8時間なのだがね?)たった、2件とは言っても、順天堂の場合には、電話を部署毎に回して掛け直したので、電話が通じた後でも、複数回の電話をしているのだけどね~ぇ??
勿論、電話の待ち時間には、他の作業をやって、時間を潰していたので、仕事としては、普通に捗ってはいるのだが・・??
それにしても、午前・午後と電話が通じ無かったのは、どうしてだろうか??それで、土日を挟む事になったので、丸々3日を損してしまったのだけど・・。
携帯のUSBの差し込みの調子が悪いので、殆どの充電器が使えない。普段に充電をしている寝室の充電器だけが、問題無く稼動するのだが、意味不明だよな~ぁ??「何故??」と、いう感じだよ。接点が、上手く行っていない感じだよな~ぁ??
9月16日目を休めていたのだが一向に ·
今は土曜日の22時22分なのですが、夜の8時に、椎名町に移動して、早めに食事とドル・プリっ歩を済ませて、ハイツに戻って来た所の22時の時間なのです。
気温は27℃と、30℃越えからは、大分涼しくはなって来たのですが、兎に角、ベタベタと体にまとわり付くような湿気が、不快で堪りません。
それに、昨晩の金曜日には、目の調子が少し良くて、1㍍から2㍍の範囲迄は、なんとか一つに見えていたので、「これからは、少しづつ良くなって来るのかな??」と思って、早めにbedに入って、頑張って睡眠を取って、目を休めていたのですが、今日は、朝から一転して、1㍍の半分の50㌢ですら、画像が二つに見えて困ってしまいました。
頑張って、早めに寝たので、目の筋肉が弛緩して、逆に焦点がズレてしまったのでしょうかね〜ぇ?
普通に歩く事もままならなくなってしまいました。
明日はrehearsalなのですが、車での移動が出来ないので、已む無くTeleworkでオケの指導をします。
対面のlessonとTeleworkでは、随分と、出来る事が限られて来るのですが、体調の問題なので、致し方はありません。
音楽の指導も、病院の診察も、基本は『communication力だ』と言う事が出来ると思います。
「何を、突然に・・?」と、思われるかも知れませんが、「物が二つに見える」と、私が説明した事が、「乱視で二つに見える・・事と、勘違いされたのかな?」と、思ってしまったからなのです。
この一週間の間に、3回も診察を受けて、その都度「何度も同じように物が二つに見える・・という事を、私なりに、何度も、説明をしたのですが、「物が二重に見えるという意味を、検査の人からも、医者からも、理解しては貰えなかったのかな?」という感じが、あったからなのです。
検査の人と医者が同じ検査をしているような気がしていたので、多分、検査の人からのorderで、確認の為の診察をしているようでしたがね??
一週間を過ぎて、3回目の同じ検査をしている時に、検査の人が途中で検査を中止して、医者の人にorderを出してから、やっと、二重に見える検査の道具が出て来たので、「やっと、私の言っている意味が、理解出来たのかな??」と、思いましたのでね~ぇ?
私としては、脳梗塞が一番怖いのですが、糖尿病の診察の予約までには、未だ、3週間はあったので、「脳のCT検査を受けるのに、紹介状が必要かな?」と、思ったから、先に眼科で検査を受けてから、眼科からCTのorderを順天堂にして貰おう・・と思ったのですが、眼科次いでに、車の免許の更新の為に、視力検査を受けて、メガネのcheckをしようと思ったのは、その次いで、だったのですがねぇ?
2回目の時には、「糖尿病が悪さをして、物が二つに見える事があるのだが、それは、2ヶ月も経つと、自然に治る事がある。」との説明を受けてはいたのだが、その為の処方薬も治療も必要は無いとの話だったのですが、「後、2ヶ月」という事は、発表会や手術を控えていて、結構、私的には、致命的なのだよな~ぁ??
脳梗塞の話も出なかったしね~ぇ??
折角、書いて貰った紹介状なのだけど、やっと、電話が通じて、紹介状の内容の説明をしたら、別の電話に誘導されて、その電話の対応では、患者が紹介状を通じてCTのorderをする事は出来ないので、病院の担当の先生から、大学病院に直接orderをするように言われてしまった。
注射の回数が予定の予約の日数迄には足りないので、次回の診察迄には、足りなくなってしまう・・という話をしただが、それは、別口の話で、これは糖尿病科に電話を回して貰って、薬を取りに行く予約が取れたので、火曜日の午後に薬だけ処方箋を貰いに行く事になった。電話一つでも、半日掛かりで、ああ、面倒くさいのだ❢❢
この、一週間、病院関係で、大騒ぎだゾイ❢❢
順天堂からの、CTのorderのお話を、その旨を近所の眼科に話を戻したら、小一時間程経って、聞いた事の無い眼科の病院から電話があって、江古田の眼科は、板橋の名前の違う眼科の病院の分院であって、本院の先生から、直接、順天堂にorderを出す・・という事になったのだそうな??
土日がお休みなので、月曜日以降のorderになる・・という事で、予約を入れる為の確認なのだそうだ❢
いやあ、こっちも上へ下への大事(おおごと)になっているのだよな~ぁ??
昔々の話しなのですが、未だ未だパソコンさえもなかった時代の中、高生の頃の話しなのですが、腹痛が起きて、珍しく病院に行った時に(誤解を招くと良くないので、敢えて、説明をしておくと、私の養父が医者なので、「病院に行く」・・と言う事は、大学病院に行く・・という事を意味します。)先生から「胃が痛いのは、どんなに痛いのですか?キリキリと刺すように痛いですか?ズンズンと響くように痛いですか?それとも・・・」と、腹痛の痛みの表現を、20個以上サラリと言われたので、「流石は、餅は餅屋だ❢」と、驚いてしまいました。
パソコンさえも無かった時代なので、その痛みの表現で、病気する場所や原因を特定する事が出来たのですよ。
音大生の頃は、東京の一人暮らしで、作曲家の職業病である慢性的な胃潰瘍に悩んでいた私も、市販の薬を、痛みの表情で使い分けていたので、その痛みの違いは良く理解出来ます。
慢性の胃潰瘍がピロリ菌に寄るものであって、一週間程度の抗生剤の治療で治ってしまう・・という事は、30年後の、1990年代になってからのお話です。
確かに、それ以降は、もう慢性の作曲家の職業病に苦しむ事はなくなってしまいました。
それに、作曲家もやめてしまったので、職業病・・という事も無くなった・・し・・・ね??
今の医者は、パソコンに頼り過ぎて、患者の表現力の弱さを、自らの力量で補う力が弱いように思えます。
パソコンに頼る・・と言う事は、一見すると、落としが無いように見えるのですが、実際には、医者の独特の言葉が羅列されていて、一般の人達が使う言葉とは掛け離れているからなのです。
逆の言い方をすると、一般の人達の言う説明を理解する力が弱い・・、つまり、所謂、聞き力が弱い・・という事です。
患者さんが、その病気になったから、始めて・・その痛みの表現を覚えて、その表現が出来るようになったのであって、その病気の初心者の時には、その病気の表現の仕方さえも、ままならないのですよ?
だから、未だ、病気の初心者で、病気の表現が出来ない時に、その病気の表現を教えてあげるのが町医者の役目だと思うのですがね~ぇ??
一介の老人には、乱視と斜視と錯視の違いは分からんのだよ。
昔は、個人的に、大学病院に直接行って、診て貰う事が出来たので、「何科に行けば良いのか??」の総合的な判断をする科があって、先ずは、そこで、「何科の診察を受けるか??」を決めて貰えば良かったのですが、町医者からの紹介状が無いと、大学病院では診て貰えなくなってしまいました。
・・という事は、町医者がその総合的な判断が出来なければならなくなってしまったのですよ。
そんな力量のある町医者って、居るのかな??
パソコンの時代になって、パソコンで、自分で、改めて病状を調べて見て、「こういう風に、医者に表現すれば分かって貰えるのかな?」と、気づかされる事がよくあるのですが、昔の本当に優秀な町医者は、そこの橋渡しが、上手だったのですよねぇ?
少なくとも、患者は自分の病状、症状を説明出来ない・・という前提に立っていたのだよな~ぁ??
自分の症状を診て、調べて、それが特定の表現に該当する・・という事が分かるのだよな??
音楽の場合には、演奏表現をする為の奏法があるのですが、同じ演奏表現の言葉であっても、人や流派に拠って、言葉の意味や解釈が変わってしまいます。
当然、その音楽表現も変わってしまうのです。
人はその流派の中でしか、物事を見ようとはしないので、そのgroupを逸脱しない限り、基本的には、言葉の問題は起き無いのですが、流派を越えた場合には、言葉の壁にぶつかって、いたずらな混乱を招いてしまいます。
Galamian(ガラミアン)の本の中に、Violinの演奏表現の言葉と流派に拠るその意味の違いを書いた一覧表があって、専門用語を使う事が、Proにとって、逆に混乱を招いてしまう事に気付いて、驚いてしまいました。
それからは弦楽器特有の演奏表現の言葉を使用する事を、全く止めてしまいました。
しかし、そういった言葉の定義の違いは、私達が、音楽のような情緒表現をする芸術というgenreなのだから・・・、起こり得る問題だと思っていたのですが、実際には、そうではなくて、汎ゆる、学問の世界に於いても、・・例えば、心理学のような学問の世界でも、流派に拠る言葉の定義の違いがあって、心理学学会という共通するgenreの学界での発表や会議が、流派を超えて開催されるのは困難である・・という事を聞き及びました。
実際の会議では、言葉尻の定義の違いだけが、討論の対象になってしまい、本題に入らぬままに、不毛の論争になって、討論が終わってしまう事が、よくあるのだそうです。
そういった近視眼的な思考が、学問や学術的な分野でも、音楽の世界と同じようにある事にすっかりと驚いてしまいました。
家元制度というのは、日本独自のものであると思っていたのですが、globalstandardな国際的な世界でさえも、形は違っても、家元制度自体は存在する事があると聞いて、流石に、驚いてしまいました。
まあ、それは・・もう既に、『人間の業(ゴウ)』というものかも知れませんよね~ぇ?
否、そこまで行くと、もう、仏教哲学のお話になってしまって、endlessの話になるので、終わりにしないとね??
いやさ、クワバラ・クワバラ❢❢
9月19日『カチンコの話』 ·
今は9月19日の午前7時45分を過ぎた所です。
今日は珍しく半合(所謂、90cc)の熱燗を飲んで、その勢いで寝て、toilette-timeに起き出した所なのです。
今日のmain‐eventは、お昼間の一番暑い時に、わざわざ電車に乗って、大学病院迄注射の薬を取りに行く・・という無駄な予定なのです。
元々ならば、渡された注射の薬は、8回分あるハズだったのですが、実際に打って見ると、7回分しか無かったので、注射の薬だけを、処方して貰う為だけに、お昼の1時半からの診察になるので、マジに一番暑い時に、炎天下を移動しなければなりません。
まあ、時間は病院が勝手に決めるので、こちらとしては、どうしようもないのですがね~ぇ?(薬を処方するのは、担当の女医さんでは無くて、薬を処方出来る看護師ですがね~ぇ??)それでも、時間が決まっていて、結構、待たされるのだよ。
と言う事で、今はお昼の1時半を過ぎて、診察の時間をただ待っているだけなのだが、この待ち時間が堪らんのよねぇ?
・・ただ、同じ薬を処方して貰うだけなのだが、超、無駄な時間だよな?
折角、無駄に、病院と薬局に行ったので、少しでも有益に時間を使う為に、保険証をマイナカードに変更した❢
・・という事で、保険証の代わりに初めてマイナカードを使った❢
会計を済ませてから、薬局に行って、注射の薬を出して貰ったのだが、何と、「針と針を拭く消毒用の綿が薬局では出せない」と言う事で、「病院に戻って、針と消毒綿を出して貰うように」と、言われたのだが、まあ、お昼の一番暑い時間に、体力的にも体調的にも、病院に戻るのは、とても無理だし、針と消毒用の綿は、ハイツに、後、4回分は、余っていたので、今週の木曜日の注射にはそれを使う事にして、来週の診察の時に、針と消毒綿の話をする事にした。勿論、自主的な決断なのだが、どっちみち、次の月曜日には、糖尿病科の診察があるのだから、針と消毒綿を貰うのは月曜日で良いからなのだ。
ハイツに戻る迄の体力を温存しなければならないので、無駄に、病院迄戻るのは、避けたのだよ。
『カチンコの話』
音楽の世界では、演奏の録音は、基本的には、演奏は通しの演奏なので、編集と言う程の・・編集の作業はありません。
コマ撮り、重ね撮りをするstudio録音では、2台、3台の録音機を使用して、繋ぎ撮りをする時には、録音をしたtapeを再生をしながら、別の録音機でアフレコするので、基本的には、コマ撮りはしません。
繋ぎ撮りになります。
しかし、こういった録音の技術は、非常に新しいもので、私の小学生の時代は片面、3分から4分しか録音出来ないSP・Recordと呼ばれる33回転のRecordしかありませんでした。
勿論、3分のrecordingをする分けなので、どんな長い曲でも、3分づつの録音になりました。録音の器械が2台、3台とあって、それを交互に回しながら録音すれば、演奏を中断しなくても良さそうなのですが、当時は、録音機自体も非常に高価な物で、録音studioに1台しか無いのが一般的でした。
また、録音技術も拙い物で、Recordが変わる毎にorchestraのpitchが変わってしまうぐらいのものでした。
後年になって、やっと、録音機が2台あるstudioが出来て、pitchが変わらない通しの演奏が出来るようになりましたが、それは非常に珍しい事でした。
録音も1回に3分しか出来ないのならば、当然、聴く側も3分起きに、Recordと針を交換しなければなりませんでした。
だから、Beethovenのsymfonyを聴く時には、3分起きに、針とRecordを交換して、ゼンマイのhandleを回わす、という作業を10回以上も、しなければならなかったのですよ。
中学生になった頃に、やっと、LP(Long Play)のRecordが登場して、20分から30分の通しの演奏を聴く事が出来るようになって、勿論、手回し式のゼンマイでは無くて、電気でTurntableを回転させる事が出来るようになりました。
その頃、始めて買ったRecordが、BeethovenのpatheticとmoonlightのPiano sonataや裏表に入ったWilhelm Kempffの演奏や、GrumiauxのMendelssohnのViolin‐Concertoでした。
電車の一区間が10円とか、ラーメンが一杯20円ぐらいの時代に、Record1枚、千円以上の値段だったので、中学生に取っては、天文学的な値段だったのですよ。片親の私達は、お小遣いとか言うものを貰う事は無かったので、お昼の食事代を一月程、我慢して、やっと買えたRecordなのですよ。
しかし、recordは卵と同じくらいに、その後の半世紀を安定した値段で推移しました。
その頃から、Recordで、30分から40分ぐらい掛かる曲すら、全曲の演奏を「通し」で、聴く事が出来るようになったのですよ。
それはそうと、今の人達の参考の為に、確認をして起きますが、「SP」という意味は「Long Play」の反対の言葉の、「short play」という意味ではありません。
「SP」の意味の元々の意味は、「standard play」という意味です
recordは、LP recordの時代になって、一般的にも普及して来たのですが、録音に関しては、未だ、Open Reel一種類で、cassette-tape‐recorderのような一般大衆に使用される録音機は、未だ発売されてはいませんでした。
私達が育った時代は、そういった自分が弾いた演奏を、録音する事が出来ない時代だったのですよ。
音大に受験をする直前に、一度、試験曲を従兄弟のOpen Reelで録音をして聴いた事があります。自分が思っていた演奏と、余りにも掛け離れていたので、超、Shockを受けました。
それで、已む無く、当時心酔していたHelmut WalchaのBachの演奏や、Wilhelm KempffのBeethovenの演奏に合わせて練習をして、copy練習をしました。
あくまでも受験の為の非常手段であり、それ以降のMünchenを受験する時にも、その演奏をcopyする方法は二度と、やった事はありません。
自分の演奏を聴いて確かめる・・という事が困難な時代でした。
勿論、スマホも携帯さえも、無い時代です。
パソコンさえも、無い時代です。
一般の人達から比べても、比較的に裕福な音大生や音楽家達に取っても、流石に、Open Reelは高嶺の花で、自分の音楽をOpen Reelのtapeで聴く事さえも、ままならない時代でした。
Open Reelで録音・再生をする事は非常にお金の掛かる高価な機材だったのですが、それ以上の問題点は、お金の問題は無くても、analogの音楽家に取っては、Open Reelの機械の操作は難しかったのですよ。
・・とは言っても、他には録音媒体が全く無い、つまりはOpen Reelしか無い時代なのです。
ですから、私の音大時代や留学時代の作品の録音は全部、Hallで録音したOpen Reelなのですよ。
今現在は、私は自分のOpen Reelを手放してしまって、手元には持っていません。
だから、昔の自分の作品を聴く事はもう、出来ないのですよ。(まあ、その内の幾つかの作品は、業者に頼んで、CDにするか、dataにして、保存してはいますがね?)
音楽の編集作業はコンサートの場合は、殆どが音声だけで、基本は編集の作業はありません。
勿論、今現在では、4k、8Kの映像とdigital録音が一般的になって来ましたが、それは、この4、5年の話しです。
家庭用のvideo-cameraの音声は、やはり、You Tube等の公開の演奏用には無理があります。
studio録音や、繋ぎ撮り、所謂、コマ撮りの撮影を得意とする音楽家のKarajanやGlenn Gould等の演奏家達を除いたら、殆どの人達が一発撮り専門だと思います。
Studioが借りる事は、今でも馬鹿高いので、個人的にそこで編集をする事は経済的に不可能だからです。
それに対して、映画の場合は、コマ撮りが一般的で、storyを追って録画する・・と言う事は基本的にはありません。
storyよりも、場所や状況を優先して撮影して、storyは後で、編集作業で揃えるのが普通です。
これもそうする理由は経済的な理由なのです。
音楽で言うと、さしずめ、Orchestraの場合を例に取ると、full編成の所だけを先に録音して、弦だけや、管楽器だけの所を別々に撮れば、結構安く撮れるのだけど、そういった録音をする人は、聞いた事が無いよな?
音楽は基本バラバラには撮らないようですよね~ぇ?
昔は、映像の編集と言っても、パソコンでの音声の同期は無かったので、音声の波形を見て、目視で二本のtapeを同期させていました。
映像と音声が重なる所をFilmを重ねて切ってTapeで貼る・・という作業をしていました。
そこで、今日のthemaである、「カチンコ」の登場です。
音楽の録音では使う事の無い「カチンコ」なのですが、このカチンコの本来の目的は、拍子木の音なのです。
拍子木にぶら下げられたdataには、sceneとTakeが書いてあります。
scene*を、Take※で、何回撮ったか??をコマ撮り毎に書いてFilmに写し込みます。
最後のRollの意味は、Filmの本数です。
映画の撮影には、何百本、何千本というFilmを使用します。
・・という事で、Rollの意味は、「何本目のFilmか??」のFilm番号を意味します。
この写真のカチンコは、おもちゃのカチンコなのですが、教室のコマ撮り用に、表示を書き換えた物なので、映画用のoriginalの表示のカチンコではありません。参考までに、購入した時のままのカチンコの写真をupしておきます。(書き込みの無い方です。)
「本番用意~❢❢」で、カチンコがパチン❢と鳴って、「action❢❢」と号令が掛かって、演技がstartします。
カチンコが鳴った状態で直ぐに演技を始めてしまうと、編集が出来なくなってしまいます。
tapeを編集する時には、audio trackのカチンコのカチンという音に合わせて、Filmを同期させます。
カチンコの音が、編集の目安になるのですよ。撮影終了の時には、終了のpose(ポゥズ)で、freeze(pause=ポーズ)したら、それから、カチンコが画面に入らない位置で、音だけをカチン・カチンと2度鳴らします。それが撮影終了の合図になります。
勿論、音声で同期(Synchro)させる為です。
しかし、此等のお話は全部映画の撮影の時の話で、音楽の録音・録画にはカチンコは使用しません。
教室での発表会の時には、業者のように、撮影する為のcameramanが居る分けではないので、cameraを四台と音声の録音で流しの撮影をします。
だから、Filmの数字(本数)では無くて、cameraの名前でcameraの撮影位置が分かるようになっています。
ですから、教室では、Rollは、Filmの数字では無くて、cameraの名前なのです。それぞれのcameraの性能に寄って、cameraの位置を決めています。
4K‐cameraは、wide画面に強いので、客席の後方から、舞台全景を撮影します。
黒カメはsoloのupの映像を撮影しています。
赤カメと白カメは舞台の上手と下手側からsoloの人のupの撮影をします。
映像は、編集の作業でcutするので、videoの音声は使用しません。Videoの音声はchapterが切れる毎に、noisが入ってしまうので、(音声がブツブツ切れてしまうからです。)音声は音声だけを録音したものを通しで使用します。
と言う事で、発表会で使用するのは、cameraが4台と音声録音用の録音機です。
基本的にはHallの録音機を使用しますが、教室から持って行く事もあります。
勿論、発表会やコンサートは流し撮りなので、一般的なコンサートでも、カチンコを使う事はありません。
Concerto‐Hallの録画・録音では無くて、studio録音の場合にも、コマ撮りはしないので、カチンコを、Classicの音楽家が使う事は基本的には、無いので、(今時の動画の編集softは、digitalで音声の同期をしてしまうので、それこそ、カチンコは、往年の遺物なのですが、)温故知新で、往年の撮影の練習の為におもちゃで、使い方の指導をする事にしました。
本物のカチンコはそれなりに、高いのでね?
こういう事を知っているのも、私達の世代だけになりつつあるのでね??
今は、指導しなくなってしまった音楽の過去の技術は、結構あります。
例えば、楽譜の書き方・・とか??Pianoのtouchの事とか、Violinの音の出し方とか、それこそ、basso continuoの付け方とか・・、まあ、今は昔の事なのだよな~ぁ??
9月20日帯状疱疹のワクチン ·
今日は未だ、9月の20日の深夜の11時半です。
夜の11時には椎名町から帰って来て、椅子に座って休憩をしている所なのです。
目が合わなくなってから、一週間以上経った事になりますが、目のズレは相変わらず・・のままです。
明日は、帯状疱疹のワクチンの接種の日なのですが、順天堂の脳外でCTの予約をする時間とdouble-bookingをしてしまいました。
予約は、こちらが決めるのではなくて、一方的に決まるので、うまく時間をズラしてやる他はありません。
糖尿病の注射の日でもあるのですが、それは帯状疱疹の注射が終わってからで良いでしょう。
今日はコロナと運転免許証の更新の手続きのハガキも着きました。
何かとせわしない・・よな??
尾籠な話になるのだが、明日の朝は9時前から、色々と病院関係の電話等をしなければならないので、少しでも早くに眠らなければならないのだが、こう言った時の常として、なんとなく、眠る気になれなくて、困っていたのだが、ふと便意を模様してtoiletteに行ったのだが、便秘という分けでも無いのに、突然の切れ痔でお久し振りの鮮血が出てしまって、下着類が血で汚れてしまった。多分、切れ痔の切れた場所が悪かったのだろうか??
血尿では無いので、心配は無いのだけど、まあ、色々あるのだよな~ぁ??
深夜なので、近所迷惑なのだが、已む無く、血が乾かない前に、洗濯機を回した。
まあ、多分、安眠を害する程には聞こえない・・とは思うのだが、ご近所様、ごめんなさい❢❢
非常事態なのでね??
・・てな事を、雑用を熟しながら、書いていたら、テレビが終わってしまった。
草木も眠る丑三つ時では無くて、丑四つ時である。
いや~あ、眠れぬ夜なのだが、目が二重に見えるのは、治らないので、テレビの録画している番組を見るのにも、結構、目の負担が大きいのだよな~あ?
それならば、音楽を聴けば良さそうな物なのだが、この所は音楽を聴く時は、仕事で音楽を聴く機会が多いので、今日の明日の為に、そんな仕事modeには入りたくは無いし、入眠の為には逆効果なのだよ。
ホンの少しだけは、なんとか仮眠が出来たので、順天堂と帯状疱疹のdouble-bookingなので、time lagを付けて両方の予定を熟そうと思って、9時よりも、少し早めに帯状疱疹ワクチンの接種に病院に行ったのだが、延々と40分も待たされて、結局、9時半になってからの診察になった。
そこで「今日は帯状疱疹の2回目の注射に来ました。」と言ったら、「問診票をお持ちですか?」と聴かれてしまった。
予約の紙にはそんな事は書いていないのだが、その書類が無いと注射は打てない・・と言われてしまった。
それならば、何で、40分前の受付の時に言わないのだよ。
無駄に40分も椅子に座って待っていて、余りにも、待ち時間が長いので、頭に来る直前だったのだよ。
発狂しそうな所を、老人の気長さで、なんとか抑えて、・・そんな事ならば、午前中のギリギリ迄、自分の仕事をしてから、改めて、病院に行く事にした。
つまり、「こっちの都合ので良い」と、言う事だからな??
病院とは、何で、そんなに不遜なのだろうか??
今時は大学病院ですら、持って来なければならない書類の確認は、paper上で、確認をするようになっているハズなのだが・・??
・・否、処方箋で、注射薬を出して、針や消毒綿を出さないのも、同じ・・ドジなのか??
帯状疱疹のワクチンを打ってから、そのまま、4階に上がって、脳外の紹介状を貰った❢
こちらの方は町医者と大学病院のsystemの違いなので、そのドタバタは理解出来るし、本院の先生迄を引っ張り出しての右往左往なので、その対応には理解出来る。但し、その対応をする迄に、唯の目の検査等だけで、一週間のlagが出来たのは、もしも本当に緊急事態ならば、その対応はマズいのではなかろうか??
そこには町医者の限界を感じる。
つまり、「意識不明や意識混濁にならないと、救急にはならない」・・と、昔々の音大時代に未だ住んでいたapartの直ぐ側に練馬病院があった頃に、歩いて救急に行った時に、医者に「歩いて来るのならば、救急にはならない」「朝の診療時間になってから来い❢」と診療を断られた事を思い出した。
その時には、未だ養父が存命だった頃なので、電話で、強い病院処方の痛み止めを、潰して、うがいをするような感じで飲んで、高熱と喉の痛みを止めた事を思い出す。なんとか、それで、夜を凌いで、朝に練馬病院の待合で並びながら、「この病院には二度と来るか??」と思っていたのだが、30年、40年後には、簡単な手術を引っ越した練馬病院で受ける事になったのだが、その信頼性は、相変わらずの無さだったのだよな??
今回のドタバタは、近所、所謂、近場を第一にした病院なので、信頼もヘッタクレも無い。帯状疱疹の注射の病院と眼科が、同じビルなので、助かる❢・・それだけなのだよ。
11時11分になって、今日の病院回りは終わった❢
ドタバタはあったのだが、まあ、3時間内に収まったから、良しとするか??
気分直しに、お茶して帰るか?
それはそうと、今日は注射の日だよな~ぁ?
ちょっとまずくね~ぇ?
やっと、ハイツに帰って来た。
11時47分で、8時45分に出発したので、丁度、3時間だ。まあ、お茶した時間も入ってはいるのだがね??
お茶・・と言えば、な、な、な、なんと!・・珈琲館ではナナコが使えたのだよ。
ナナコを使うのは、何年振りだろうか??
いや~あ、超、お久し振りだよな??
江古田のsevenが片っ端から撤退してしまったので、sevenに行く事が無くなってしまったのだよ。それでも、千葉の西友では、ナナコが使えたのだが、教室が引っ越してからは、西友routeを使わなくなってしまったので、ナナコも使う場所が無くなってしまったのだよ。
9月23日『BiberとBertaliのChaconneのお話』 ·
今は9月の23日の土曜日の朝の5時過ぎです。
雨は、昨晩程は、酷くはないのだけど、今もシトシトと降っています。
『一昨晩の21日の木曜日の夜の話しの続き・・です。』
一昨晩は、ハイツでのlessonが終わって、椎名町に食事とドル・プリっ歩に出発したのですが、途中で、お久し振りの、超、大雨と雷になってしまいました。
私の食欲も殆ど無かったし、ドル・プリも大雨と雷に恐れをなして、お散歩という雰囲気でも無かったので、早々と、11時前にはハイツにbikeで戻って来たのですが、Raincoatを通して、中まで、結構、ズブ濡れになってしまいました。
bikeでの道中は、雨が余りにも強いと、Rain-coatを着ていても、coatを通して、下着迄も、びしょ濡れになってしまうのです。
結構、雨で濡れた所は、寒かったゾイ❢❢
ハイツに到着して、寒いので、濡れている下着等を全て洗濯機に放り込んで、椅子に座り込んで、乾いたタオルで体を拭きながら、暫し、放心をしていました。
勿論、靴も濡れてしまったので、靴の乾燥機を引っ張り出して、timerを付けた所なのです。
景品で貰った安物の乾燥機なので、1日掛かりで乾かさないと、乾かないと思うよ。
cinderella-timeを過ぎて、ふと、我に立ち返って、慌てて、bedで寝たのだけど、雨に濡れて体温が下がってしまい、寒かったので、超、お久し振りにエアコンを付けないままに、寝たのだよ。
エアコンをつけないままに、bedで眠るのは、今年は、何ヶ月振りなのだろうか??
『ここからは22日の金曜日のお話です。』
だから、朝、起きた時の気分は、殆ど満足の行く睡眠時間が取れていないのにも拘らず、そんなには気分は、悪くは無いのだよ。
人工的な気温では無くて、自然のままの気温だったからだよな??
朝は、VitaliのChaconneのTelopの編集をして、お昼からは、lessonをして、日曜日のrehearsal には、已む無く、対面になって、千葉行きが確定したので、6時からのTeleworkのlessonが無くなって、8時頃には、椎名町に食事とドル・プリっ歩の為に、出発しました。
しかし、今にも雨が降り始めそうだったので、プリの義務だけに付き合って、大急ぎでハイツに戻った。
それでも11時前には戻れたのだよな??
『と言う事で、やっと今日の土曜日のお話になりました。』
・・と言う事で、超、忙しく、慌ただしく、土曜日の夜になったのだが、それにしても、明日はrehearsal なのだが、私は車を運転出来ないので、Teleworkで参加する予定だったのだが、助っ人の人達が全員参加する最初で最後の練習・・という事で、何が何でも、たっての希望・・と言う希望で、30年振り、40年振りに千葉迄、電車を乗り継いで、歩きで行く事になった。
足元さえも、全く見えない状態なので、杖を突いて、人とぶつからないで、歩きで、総武線で千葉に行く事になった。
冒険も冒険だよな??
電車の遠出と言ったら、2年前の川崎の病院に行く時に山手線を乗り継いで、1時間掛かって、何度か通ったのだが、最後には、homeで、体力の限界で、ひっくり返りそうになったので、それからは、車に変更して、もう既に、2年が経ってしまった。
順天堂は電車だが、乗っている時間は、僅か10分程度なので、寧ろ、光が丘病院のbikeよりも楽なぐらいだ。
今回の千葉行きは、帰りは先生達と一緒なので、なんとかなるとは思うのだが、行きは、独りなので、無事に辿り着けるか・・が心配だ。
とは言っても、私は、方向音痴では無いので、体力の話なのだよ。
着いて直ぐに、指揮をしなければならないのだが、その体力も、どうだかね??
来週の火曜日は脳梗塞のCTscanがあって、一週間後は、膀胱癌の入院と手術があるのだが、その体力も必要なのだがね~ぇ??
お構いなしに、忙しい・・のだよな??
『BiberとBertaliのChaconneのお話』
それはそうと、BiberのRosarysonateの再録の次いでに、斉藤先生から「BiberのChaconneの譜面を見つけたのだが、演奏可能か??」という質問をハイツに帰り掛けた時に受けた。
Rosarysonateの16番のpassacaglia in gの事かと思ったら、違ったらしい。
曲は、昔々You Tubeで聴いた事はあるのだが、imageとしては、記憶が定かでは無いので、ハイツに戻って聴き直す事にした。
periodの曲の場合には、単調だったり、難しかったりで、一般受けが全くしない曲が結構あるので、この単調なthemaの繰り返しの曲が、実際の演奏ではどうなるのか??・・という意味なのだよ。
You Tubeでも、VitaliのChaconneと検索すると、数限りなく、hitするのだが、それにViolinを「baroque‐Violin」と訂正すると、3個程しかhitしないのだよ。その3個の内の一つは斉藤先生のbaroque‐Koncertの時の演奏なので、世界shareでも、baroque‐Violinで、periodのChaconneの演奏は二つしかhitしない・・と言う事なのだよな??
実際のお話・・、昨晩には、偶然、Veraciniのsonate accacemiche Op.2Nr. 12 d mollのpassacagliaの演奏を聴いたばかりである。
曲が欝っぽいのと、ViolinとcontinuoのCelloとCembaloだけの演奏なので、曲が湿っぽくって、全く一般受けはしないので、自分の positive organ versionやstrings-orchestraのversionの演奏と比較して、なんと派手派手しいのだろうか??と、今更ながら、驚いてしまったのだよ。strings-orchestraの伴奏のpassacagliaは兎も角としても、 positive organ 伴奏のpassacagliaは、これはperiodの演奏なので、音量の関係でmodern‐Violinで演奏しているのだが、実際には、periodの演奏である事には変わりは無い。
・・という事で、BiberのChaconneを調べて行く中で、同一themaの曲で、なんと、Antonio BertaliのChaconneを見つけた。
それを調べて行く過程で、Antonio BertaliのChaconne in Dと、BiberのChaconneが調が違うだけで、全く同じ曲で有る事に気が付いたのだよ。
勿論、「同じ、Chaconneのthemaだから」と言ってしまえばそれまでなのだが、その理由を探している所なのだよ。
Antonio Bertaliは、(1605年5月 ヴェローナ 、1669年4月17日 ウィーン)は、オーストリアで活躍したバロック音楽のイタリア人作曲家、ヴァイオリニストなのに対して、
Heinrich Ignaz Franz von Biberは、(1644年8月12日受洗 - 1704年5月3日)は、オーストリアの作曲家でヴァイオリニストと言う事で、産まれも、国籍も違うのだよ。(Wikipedia)
Biberが成人になって、活躍し始めた頃には、Bertaliは、既に死亡しているので、originalはAntonio Bertaliの方である事は、明白である。
あとは、「何故、Biberという大作曲家が、そのAntonio BertaliのChaconneを、底本にしてChaconneのVariationを書いたのか??」という問題を調べているのだが、Chaconneやpassacagliaや、foliaは、thema上に自由にImprovisierenを繰り返すだけの曲であるので、作曲者もあって、無いものに等しいのだから、こんにちの私達の概念からは、逸脱しても致し方はない。
少なくとも、「・・in the Style of ・・・」では無いのだからね??
Antonio Bertaliのbest choiceの演奏は・・
https://www.youtube.com/watch?v=98NSgltPkWQ
なのだが、Biberのbest choiceとしては、
https://www.youtube.com/watch?v=ESOO29zAimg
がとても良い。
Chaconneのthemaは極めて単調であり、意味も無く演奏してしまうと、とんでもなくつまらない曲になってしまうのだが、この両方の演奏とも秀逸である。
ともすれば、単調に成りがちな音楽を、演奏技法だけで、盛り上げるのは、私達が、非常に学ぶべきpointであるのだよ。
あいも変わらず、2小節が1小節の、2分の3拍子になっているので、拍の感じ方が今とは違うのだよな??
斉藤先生が多分演奏をしたがる・・とは思うのだが、このbaroque独特の乗りは、baroque‐guitarやtiorbaの演奏は、Classicよりも、jazz系の人達の方が乗りが良いのかな??
そうすれば、gambaやKontrabassの乗りも良くなるハズだよな??
知り合いを探さないとな??
jazz系の人達とは付き合いが無いからな??
Chaconneは、同じcantus firmusを繰り返すだけなのだから、interpretationというよりは、bauplanに拠る、projectとしてのinterpretationの方がより良い企画が出来るのだよ。
つまり、映画のstoryを作る手法に似ているのだよな??
今までに、やった事のない演奏企画なので、結構、面白い。
あとは、memberが集まるか・・という問題をclearしなければならないのだけどねぇ~??
9月24日水のウオーマー ·
今日は正真正銘の9月の24日の日曜日のもう、朝の6時半を過ぎた所なのだ。
昨晩というか、なのだが、数十年振りの電車での千葉への移動と、お久し振りの対面のオケ練習なので、眠れなくなっては困る・・という事で、BiberやBertaliのChaconneの譜面をcheckしながら、珍しくbierを二缶も飲んだのだが、何時ものように、なんの効果も無く、今夜も全く眠れなくなってしまった。
この2,3日、帯状疱疹や糖尿病の注射で、風呂に入る事が出来ずに、Showerだけだったのを思い出して、気分転換に、髪の毛を洗いながら、湯船に浸かる事にした。
普段ならば、今日のような眠らなければならない時に、全く眠れない時の状態では、普通、欝になってしまうのだが、BiberとBertaliのChaconneのお蔭で、なにかしら、気分は楽しいのだよ。しかし、やっぱり眠れないのだ。
風呂に入って、湯船に浸かりながら、München時代やItaliaに初めて旅行をした時の事を思い出した。
日本人に取っては、憧れのEuropaなのだが、先ず一番に困る事は、Europaでは、水が飲めないのだよ。
必ず、水を沸かして、沸騰させてから飲むのだが、それは、カルキが強烈なので、沸騰させて、カルキを凝固させてからしか、Europaの水は飲めないのだよ。
だから、Restaurantで出て来る水は炭酸水で、とても飲めたものではないのだよ。
写真は一人用のtea cupの為の湯沸かし器なのだ。Cupの中に、電極を入れて、水を沸かすと一瞬で沸騰するのだ。
Europaの学生生活には無くてはならないものなのだよ。炊事場付きの下宿なんて、夢のまた夢だったのでね??(2年目からはRoomshareでMansionの一室を借りたので、自炊が出来るようになったのだけど・・)
次に困るのは、風呂なのだ。
Europaの風呂は風呂桶の外に水を流すと、大変な事になるのだよ。
床は防水ではないので、下に漏れてしまうからなのだ。
次に風呂にお湯を溜めるのだが、水がとても高価なので、お臍の位置ぐらいまでしか、お湯を溜めて貰えないのだよ。
体が冷えてしまうので、首迄、泡で包まれる映画を見るのだが、その泡が結構、高いので、私達のような貧乏留学生には、買う事が出来ない。
日本のように、風呂に入る前に、洗い場で、体を洗う・・という事が出来ないのだ。
湯船のお湯は貴重なので、流す事が出来ないのだよ。
少量のお湯で、体を洗って、そのまま、お湯を溜めて、最後にお湯を捨てる時に、軽くShowerで体を流すのだよ。
だから当然、日本のお風呂のような、スッキリ感は無いのだ。
日本ではHotel等の、Europa式の湯船だったとしても、体を洗う洗い場はあるので、Shampooや体を洗ってから、湯船に浸かる事が出来る。
これは、EuropaのHotelでは考えられない事だよ。
あとは、Italia等の安旅館の部屋には、部屋の中に、ビデが置いてある。
これを日本人がtoiletteと勘違いをして、よく、troubleが起きる。
このビデの習慣は、日本人の場合には無いので、已む無い事なのだが、今はどうなのだろうか??
日本の伊万里等の花器の大皿が、Franceの宮廷では、女性のお尻を洗う為に使われていて、日本の骨董品店で、Europaからの逆輸入の花器の大皿として売っていたので、それを見て、笑ってしまった。
私もBone chinaやMeißen等のtea cup等は、持ってはいるのだけど、流石に、Europa帰りの大皿は持っていない。
骨董品の店主は、知って・・売っているのか、知らないのか??敢えて聞かなかったのだけど・・
Europaの貴婦人のお尻を洗ったお皿が、日本の床の間に飾られるのは、乙なもんだよな??
楽しくなってしまうのだよ。
風呂あがりで、こんな事を書いていては駄目だよな~ぁ??
ちゃんと寝ないと、体力が持たないゾイ❢❢
帰りの途中で、ひっくり返ったりして・・
うん、今日は、ありゆるな❢❢
結局、一睡も出来ないままに、時間切れで、ハイツ出発してしまった。
駅を通り過ぎて、TAXiを捕まえる為に、千川通り迄歩いて行って、TAXiを待ったのだが、反対側に行くTAXiしか来なくて、15分殆ど、TAXiを捕まえるのに、時間が過ぎてしまった。
なんとか1台のTAXiを捕まえて、乗ったら、その後は、結構早かったので、3本は早い電車に乗れた。
という事で、予定よりも30分は早く到着出来るようだ。
車だと、同じ時間を走った・としても、全く疲れないのだが、やはり、電車は疲れてしまう❢
恙無く、lessonを済ませて、千葉からdirectにハイツにもどっだのは、もう11時を過ぎてしまっていた。
帰っても゙、冷蔵庫には何も入ってはいない。今日の夜食も、明日の朝の朝食もないのだよ。
それは困ったのだが、11時過ぎなのでは、お店がどこも開いていない。今日は日曜日なのだから、デパートの食品街も早く閉まってしまうのだよ。
まあ、それはそうと、ハイツには、11時過ぎに、なんとか到着した。
昨晩は一睡もしていない、完徹なのだが、それでも、やはり、眠れないのだよ。
lessonのVideoをパソコンに取り込みながら、Sandmanが来てくれるのを、待つ事にした。
それよりも、明日は病院なのだよ。(明後日も・・)
いよいよ、入院・手術前の一週間になって来たのだよ。
だから、病院通いが忙しくなるのだよ。
2日入院の3日手術の4日退院・・とは、行かないのだよな~ぁ??
困った❢❢困った❢❢❢
9月24日Chaconneの和声分析 ·
9月の23日の文章の中で、一番大切な事を言い忘れていたので、ここに書き足しておく事にします。
それは、BiberとBertaliとPachelbelのthemaなのだが、実は同じChaconneのthemaである・・と言う事なのです。
BiberはD Durで、BertaliはC Durなので、調や、拍子が違うのだが、それはbaroqueの古い書き方に因るものであり、現代の書き方に変えると、簡単な書き方になるのだよ。
彼(か)の有名なPachelbelのCanonなのだが、所謂、Canon‐Chordと言われているChord進行があって、Ⅰ⇒Ⅴ⇒Ⅵ⇒Ⅲ⇒Ⅳ⇒Ⅰ(注:⇒Ⅳ⇒Ⅴ)というSequenz進行をしているのだが、この和音の進行は、基本的には、BiberもBertaliも同じ和音の進行である。
注)蛇足ではあるのだが、Canon‐Chordというのは、最初の六つ迄の、Chord進行を言うのであって、最後のⅣ⇒Ⅴ(⇒Ⅰ)の進行は、付加された単なるkadenz(=終止句)であって、Canon‐Chordでは無い。
Canonとは言っても、それは、melodyが同じ音で、追いかけっこをしている(同度のCanon)のであって、和音を表す低音の動き、所謂、定旋律のthemaは、Chaconneそのものである。
だから、本来ならば、canonに拠るChaconneであると言えるのだよ。
Bertaliの場合には、冒頭の和音は、Ⅰ⇒Ⅴ⇒Ⅵで、次のⅤはkadenzの和音である。
Chaconneのthemaが非常に短かくて、2小節しか無いので、(写真の譜例では、4小節を掲載しているのだが、1~2小節と3~4小節は同じなので、実際には2小節のChaconneである。)、当然の事ながら、和音の進行も短い。(和音は5つしか無いのでね??)
それに対して、Biberの場合には、Ⅰ⇒Ⅴ⇒Ⅵ⇒Ⅲ⇒Ⅳで、次にⅤ⇒Ⅰとkadenzになるのだが、このⅤの和音をⅠ度の46の非和声音にして、解決のⅤに持って行くと、Canon‐Chordが、更にⅣ⇒Ⅰ⇒Ⅴと、endlessで続く事になる。(譜例の後半に46を使用したSequenzを掲載した。)
つまり、低音のmelody全体が、全部、Canon‐Chordになる分けなのだよ。
(演奏では実際に、その様に演奏している箇所もある。当然、演奏者達はそのCanon‐Chordを意識して演奏しているのだからね??)
曲自体のimageは、BertaliもBiberも、明るく楽しい感じの曲であって、音楽表現に関しては、あまり曲としては、変わらないのだが、作曲技法的には、やはり、40年、50年の落差はあって、Biberの技法の方がより複雑である。
(曲的にはsimpleな作曲のBertaliの方が、演奏者も楽に演奏しているようで、訴えかける力も大きいようなのだがね??
だからと言っても、曲の優劣を言及するのは、論外であるし、意味は無い❢❢曲の良し悪しは演奏者の力量にも因るのだから・・)
ちなみに、前回の作曲家の比較で、Pachelbelの産まれた年代が落ちていたので、確認の為に書いておくのだが、1653年9月1日(受洗) - 1706年3月9日(埋葬)で、バロック期のドイツの作曲家であるから、Biberよりも、更に9歳程若い。3人の内では、一番若いのだよ。
参考までに:譜例
bierとBertaliとPachelbelのChaconneのthemaの比較
9月25日今日は病院dayである。 ·
今日は9月の25日の月曜日で、病院dayである。
昨日の千葉行きに引き継いで、今日も電車で病院行脚をするのだ。
昨晩は、オケリハとlessonが立て込んでいたので、lessonが終わったのは、9時の直前であった。電車で帰るので、大急ぎで準備をして帰ろうと玄関の段差で靴を履こうとしたら、目が全く見えないせいで、よろけてしまって、右足首の外側の飛び出した部分の下を擦り剥いてしまいました。
転倒はしなかったので、不幸中の幸いなのですが、電車で帰る時に、歩くと靴のヘリに当たって、結構痛かったのだよ。
一日中、大汗をかいたので、お風呂に浸かって、汗を流したかったのだけど、擦り傷に滲みるので、お風呂はやめて、そのまま寝ようと思ったのだけど、またまた、眠れないのだよ。
昨晩は、貫徹だったのに、今夜も眠れないのだよ。
という事で、諦めて、パソコンにオケリハとlessonのvideoを取り込んで、lessonは人、別に動画を作って、限定公開でURLを送ったのだよ。
オケリハの編集は未だなのだけど、今日は病院dayなので、病院から帰って来て、余力が合ったら、その作業をする事にしよう。
今日の一番の重要な課題は、冷蔵庫の中に、何一つ、食料品が入っていない事なのだよ。
朝起き出して、珍しくお腹が空いているのだが、ハイツには、食い物が無いのだ。
目が見えない(見え難い)という事は、結構、差し障りがあるようで、fileを出そうと思ったら、親指の側面を別のfileで切ってしまった。
傷は大した事は無いのだが、結構、これが痛いのだよ。
これで二日続けてのpech!(踏んだり蹴ったり・・ぐらいの意味か??)である。
でも、病院に行く準備をしなければならないので、傷のcareをのんびりとしている暇は無いのだ。
椅子に座ったままで、(椅子から立ち上がる事は無いのだが、)結構、上半身だけは、せわしなく動き回っているのだよ。
手な事を書いている間に、timelimitが来てしまったので、大急ぎで、ハイツを飛び出した。
今日はお久し振りに、30℃に届かない、
9月25日職人と芸術家 ·
サラリーマンを続けて来た人が、退職を間近にして、再就職としてラーメン屋とか、蕎麦屋になる事が、よくある。
若い頃に、全国のお店を食べ歩いた経験を活かした趣味と実益を活かした職の選び方なのだ。
勿論、私自身は、その事自体は悪い事ではないと思っている。
ラーメン屋は兎も角として、蕎麦は私にとっても興味があるので、新しいお店を見つけたら、可能な限り、行って食して見る事にしている。
しかし、味がProと同じくらいに美味しくても、1、2年も経っと、いつの間にか、お店がなくなってしまうのには、閉口してしまう。
その前兆現象となるのが、自分勝手に、お店をお休みにする事なのだよ。
最初は、気に入った蕎麦が打てなかった・・とか、まことしやかな理由をこじつけてはいるのだが、所詮は甘えに過ぎないのだよ。
Proと芸術家は違う。
Proは、或る意味、職人であり、芸術家ではないからである。
proとはcustomerに対して、或る程度の水準の物を常に提供出来る人達の事を言うのであり、芸術家は、最高の水準の物を追求する人達の事を言うのだよ。(あくまでも、私の個人的な定義なのだけどね??)
Proの蕎麦屋は、成り立たっても、芸術家の蕎麦屋は成り立たないのだよ。
芸術としての蕎麦屋は、職業としての経営が成り立たないからである。
陶芸のように、その価値が天文学的な値段が付くのならば、芸術家としての生活は成り立つだろうが、一枚の蕎麦の値段が、天文学的である事は、現実社会では、非現実的であるからである。
実は音楽家、演奏家には、そういった芸術家Typeの人種は多いのだよ❢❢
Martha Argerichは、私の知っている、その典型の演奏家だなゃ❢
演奏会を当日の気分ですっぽかして、それがまた、天才である所以のように評価されてしまう。
それは、私には、我慢ならない事なのだよ❢❢
昔々、Martha Argerichのticketを貰った。
しかし、そのticketを、私は会場の外で、ticketが購入出来なくて困っていた見知らぬCoupleにタダでpresentしてしまった。
私も1枚しかticketが手に入らなかったので、一緒に行った友人の分のticketが取れなかったのでね??別に、飲みに行っても良かったのだよ。(有料にすれば良かったゾイ❢❢ 感謝されても、懐は膨れないのだよな~ぁ??飲み代にはなったかもね??)
私は、そういった情緒的、感情的な人種は、あまり好みではない。
自分が結構、感情に流され易い人間なので、そういった人種が傍に居ると、自分自身の心のControlが出来なくなってしまうからなのだよ。
それでなくても、病気で体力が衰えていると、当然、気分も萎えて来るからなのだよ。
欝な気分になると、体力を消耗してしまうのだよ❢❢
この無駄話は、病院の待合の時間の暇つぶしの時間潰しに、頑張って、あれやこれやと、携帯で、Facebookに書いているのだが、だからと言っても、待っている時間は、全く進まないのだよな❢
診察待ちの電子掲示板には、未だ俺の番号が表示されも、しないのだよ❢
他の科でも、30分遅れ、1時間遅れの表示がされているのだよ❢
この待ち時間を「人生の無駄❢」と言わずして、何と言うのだよ❢
(予定の時間の前から待っているので・・)予定の時間のギリギリ最後になって、やっと自分の診察の番になって、前回、貰えなかった針とアルコール綿を貰って、急いで、1号館に移動して、栄養指導の予定時間の15分前に着いた。
糖尿病の先生は、チョッと自信無さ気な先生で、手術前に、バイアスピリンを控えるのに、合わせて、「**の薬も控えた方が良い」と言っているので、「分かりました。」と答えたのだが、その控える薬の指示が何処にも書いていなかったのだよ。
明日からの薬なのだから、明確な指示が無いと、困るよな~ぁ??
また、病院に電話しなければならないのだよ。
・・否、明日は、脳外の診察で、病院には行くから、直接、糖尿病科で聞けば良いのかな??
なんとか、栄養指導の予約の時間に、ちょうど、ギリギリ前に着いたので、問題は無かったのだが、精神的には良くは無いよな?
栄養士の先生は、前回のadviceで、まあ、「少しは体重が改善されるか??」と思っていたようなのだが、こちとらは40年のVeteranのCareerなのだよ。
そうは問屋が卸さないのが、dietなのだよ。
病院に2,3ヶ月入院して、病院食しか食べていなかった時でも、体重は全く減らなかったのだから、何を今更・・という感じなのだが、それは栄養士に説明しても分からんよな??
栄養士は食事で体重を管理するのだから、体重が食事に関係しない・・と言っても、それは管理外の事なのだから、理解の範疇外の事だから・・ね??
それに、病院の先生に「生殖年齢が終わった生物は・・」なんて、講義を始めても、様にならないし・・ね??
免疫賦活剤がどうのこうのと言っても始まらないし・・ね??
まあ、今日は明日の病院の事のみを考えよう・・???
9月26日パスネットが無い ·
今日は9月26日の朝の6時になる所です。
今は、練馬区の気温は、なんと18℃です。エアコンを入れていないのに、肌寒いのですが、湿気は73%と、結構、あるので、肌に纏わり付くような、嫌な空気で、爽やかではありません。
今日も病院なのに、なんと、Suicaもパスネットもありません。
Suicaは夜の食事の時に、返して貰う予定だったのだけど、食事の時間になっても、病院疲れで、寝そびれてしまって、椎名町には、行かなかったので、返して貰えませんでした。
パスネットが無いのは不思議だ❢
パスネットは誰に渡したのだろう?
記憶さえも、無いのだよな〜ぁ?
今日の朝の出発は早いのだけど、今日も中々眠れないのだよ?
本当に困ったものだよ❢
Suicaの問題は、朝一の8時過ぎに、牧野先生がSuicaを届けてくれました。
これで、現金を持って行かなくても良いのだよな??
この所、毎日、病院に通っている感じなのですが、毎回、出発の時間が微妙に変わるので、段々と出発の時間を覚えられなくなって来たゾイ❢❢
前日の出発の時間とごっちゃになって来たのだよな??
今日のハイツの出発の時間は9時50分玄関発だよな❢❢
ちゃんと、意識していないと、また、忘れてしまうぞなもし❢❢
今日は初めての脳外なので、手続きからなので、1日掛かりを覚悟するように・・と、受付から言われています。
緊急だと、診察から、即、CTscanの可能性もあるからなのですよ。
明日は、今日の報告を、紹介状を書いた眼科に報告に行きます。
それと、今日からは、バイアスピリンを取り除きます。
あと、もう一種類の薬も除いた方が良いと言っていたのだけど、何処にも、その指示が書いていないので、今日、もう一度受付で確認をします。
いつも・・、と言うか、毎回と言うか、二度手間だよな~ぁ??
予定では、診察の15分前に受付をすれば良いという話しだったのだが、「それは無いよなぁ?」という事で、1時間前に受付を開始したのだが、受付が終わる迄に、なんと50分も掛かったよ❢
紹介状の受付だけで、40分も掛かったよ❢
診察の受付が10分掛かったので、なんと、予約の10分前だよ❢
とは言っても、それからの、待ち時間は、いつものように、長いのだよ❢
20分、30分はゆうに待つのだよな~ぁ?
やっと、診察が終わって、MRの検査を受ける事になったのだが、本来ならば、11月の予約になるのだが、10月3日に膀胱の手術があるので、無理やり強引にねじ込んで、29日にMRの検査を受ける事になりました。
手術のriskを避ける為なのだそうな?
その結果は、別の先生が見る、という事で、なんとか、今週中にねじ込んだそうなのだ。
まあ、あっちこっち飛び回って、12時前には、なんとか終わった。
勿論、もう一つの飲まない薬の名前も確認出来た。
「芦塚さんだから、口頭で・・」、とか、先生が言っていたらしいのだが、薬の指示は、口頭では、絶対に駄目だよな~あ?
私は、自分が書いたmemo書きでも、信用はしないよ?
必ず、書面でしか、確認はしないのだよ❢
そこは未だ若いよなぁ?
結局、受付で確認をしたのだけど、それも、私自身のmemo書きで、とうとう、印刷では薬の確認は出してくれなかった。
薬の指示は、俺の手書きだけなのだよ。
まあ、なんだろうね??
それはそうと、まあ、なんだかんだで、あちこち飛び回って、なんとか、12時前には、全てが終わった。
ギリギリだった。
そのまま、病院からdirectに江古田に戻って来たのだが、部屋が出た時のままなので、珈琲館で息抜きをして帰る事にした。
珍しく珈琲を飲んだのだが、竹炭で焙煎した珈琲というのがあったので、面白半分に飲んで見た。
意外と軽くて飲みやすかったゾイ❢❢
喫茶店で、軽く休んでから、ゆっくりと、ハイツに戻りました。
ハイツの自宅は、出掛けたままの状態なので、先ずは部屋の整理からなのだが、もう、疲れた・・❢❢
愚や❢愚や❢汝、如何せん❢❢(字の間違いは、ワザと・・です。)
とは言っても、汗で汚れてしまった、ズボンと上着を洗濯機に放り込んで、回す所迄は、やりました。
干すのは、一作業で、また、腰に来るよな~ぁ??
椅子に座ったままで、爆睡してしまって、足がオットマンのように乗っけている椅子から思いっきり落ちて、目が覚めた。
時計の針を見ると5時である。
パソコンでは17時になっていた。
しまった❢❢
寝過ごして、今日の、病院をすっぽかしてしまった❢
・・と大慌てだったのだけど、やがて、calendarを開いて、今日が未だ、火曜日のままであった事に気付いた。
お昼の12時過ぎに病院から戻って来て、椅子の上で仮眠をしてしまったのだから、未だ、火曜日のままなのだよ。
頭の中では、丸々、1日爆睡した・・と思ったのだよ。
いや~ぁ、びっくりしてしまった❢❢
ちゃんと、bedに入って寝直すか??
未だ、今日だったのだよな?
安心をした。
石やコンクリートで出来た、超、前衛的な現代のビル街のような、道路が迷路のように入り組んで、全く迷宮のような町の、しがみついて歩かなければならないようの、道とは言えない道を、しがみついて綱渡りのように彷徨っている夢を見た。
時折見る、同じ光景の夢なのだが、今回は迷って行き止まりになってしまった道を、別ルートで回避しようとしているのだが、回避が出来ないので困っている所で目が覚めた。唯、道を歩くだけのLabyrinthなのだが、しがみついて歩かなければならない程の、超、狭くて、高所の恐怖なのだよ。お化けの恐怖よりも、数段怖いのだよ。
目が覚めたのは、ちょうど、19時である。
左足の甲がお久し振りのこむら返りで痛い。
水分を補給しなければ・・と頑張ってtoiletteに行ってから、水を飲んだ。
こむら返りの薬を飲むか??痛みが収まるまで待つか??の二択で悩んで、freezeしているのだよ。
9月27日入院、手術迄に、体力が持つかな? ·
今は9月の27日の水曜日の朝の8時半を回った所です。
今日の病院の予定は、紹介状を書いて貰った眼科へ昨日の報告に行きます。
予約は時間が入っていないので、勝手な時間に行けるのですが、出来れば午前中に終わらせて起きたいので、自宅の雑用が終わったら、直ぐに出発する予定です。
・・と思っていたのですが、準備を終えて、玄関を出てcalendarの確認をしたら、ちゃんと予約の時間が入っていました。
折角、途中迄、出て来たので、「買い物だけを先に済ませようか?」とも思ったのですが、買い物と病院のdoubleで外出する程の気力が無かったので、折角、途中迄は歩いて来たのですが、部屋に引き返してしまいました。
時間も結構、早かったので、昨晩も余り眠れなかったのですが、部屋の整理をしていなかったので、朝一で、シンク周りを片付けました。
シンクが綺麗になって良いのですが、シンクの洗い物をすると、腰に来るのよね~ぇ??
それから、洗濯機で洗ったままになっていた、洗濯物を部屋干しなのですが、寝室に干しました。洗濯物を干すのは結構、腰に来るのよね~ぇ??
昨日から冷蔵庫には何も食料品が入っていないので、結構、腹が減っているのだが、眼科に行く次いでに、何か食おうと思っていたのだが、なんと、眼科の予約は3時15分からなので、それまでは、何も食えない・・と言う事なのだったよな??
いやあ~、昨日の昼からも、何も食べていないので、そろそろ、超、腹が減って来たのだよ??
だけど、その為だけに、外に出掛けるのはしんどいよな?
空の冷蔵庫を何度見ても、食料品が湧いて出て来る分けでは無いよな~ぁ??
デリバリーは不味くて食えないしね~ぇ??
あちこち、ひっくり返して、食料品を漁ったら、焼そばの乾麺を見つけました。
なんとか、それでお茶を濁す事にしました。
絶対的に睡眠時間が足りないので、bedで仮眠を試みたのだけど、結局、上手く行かないままに、病院に行く時間になってしまいました。
病院では、MRIの検査の日と診察日が決まった事の報告と、眼底血圧の検査だけをして、早めに終わりました。
病院からの帰り道で、古くなって壊れてしまった電卓を、100均で530円で購入して、Sevenでおにぎりとかサンドイッチを購入して、それからハイツに戻りました。
それから、bedに戻って、再仮眠を試みたのですが、今度はなんとか上手く行って、夕方の6時半過ぎ迄、爆睡出来ました。
rotation的には、夜の食事の時間の移動には、とても良いtimingだと思ったのですが、そうは上手くは行かないようで、夜の8時半からは、定形通りの食事の時間だったのですが、ちょうど、その時間になった頃から、突然、睡魔に襲われて、体が動かなくなってしまいました。
結局、10時過ぎ迄、爆睡してしまいました。椎名町に食事に行くのは諦めて、sevenで買ったお弁当を食べて、お茶を濁しました。
後は、斉藤先生の発表会の演奏の曲のlesson‐Videoを作ったのですが、やはり、その最中でも、椅子に座ったままで、意識混濁状態になってしまうので、諦めて、ちゃんとbedで眠る事にしました。
明日の木曜日は、超、珍しく、薬の注射以外には、何も予定が無い日なのですが、入院の準備が、未だ何一つ出来ていないよね?
金曜日はMRI検査と診察と、コロナの検体検査ががあって、一日掛かりの病院Dayだし、土曜日は、lessonが一日、入っているし、日曜日は、通常ならば、千葉でのオケのlessonで、一日掛かりだし、その次の月曜日は、入院で、火曜日が手術なのだよ❢❢
「入院、手術迄に、体力が持つかな?」てな感じだよな?
9月28日パソコンのハード・ディスク·
今日は9月28日の木曜日の朝の7時になる所です。
現在(朝の7時)の練馬区の気温は24℃だそうです。
今日はお久し振りに、注射以外には何も無い日なので、もう少し惰眠を漁っても良い日なのですが、toilette-timeで起き出してしまいました。
この所、毎日のように、惰眠をむさぼり繰り返してしまうのは、睡眠が浅い所為なのでしょうかね??
その、眠りが浅い所為なのか、実に変な夢を見ていたのですよ。
珍しく、山の中の超、豪邸に住んでいるのですが、downburstのように冷気が家を襲って来るので、ガラス戸の隙間を調べて、必死に対処している夢を見ていました。
だからと言っても、エアコンは点けないで、寝ていたので、寒くて見た夢では無いハズなのですがね~ぇ??
mainのパソコンの4テラのharddiscが、22年の発表会とオケ練習のVideoで、真っ赤っ赤になっていたので、8テラのharddiscを買って、mainのパソコンには、もうharddiscは取り付けられないので、subのパソコンに、8テラのharddiscを取り付けて、そのharddiscにmainのパソコンの真っ赤っ赤のharddiscのdataの、お引っ越しを始めました。
超高速のUSBcableで、ポートに2台のパソコンを接続して、subのパソコンに8テラのharddiscを接続して、4テラのharddiscから、お引っ越しの作業を始めました。
超高速でも、4テラのお引っ越しが完了するには、多分、これから一晩は掛かると思います。
その間は、パソコンは使用出来ません。パソコンの作業は、lineのやり取りぐらいの軽作業だけです。
今日のお昼間は、33℃にもなったそうです。
9月も、もう終わりというのに、いつまでも暑い日が続いています。
それと、明日は中秋の名月なのだそうです。
写真はお引っ越し中のパソコンです。
左側がmainのパソコンで、dataを右手のパソコンのharddiscに保存している所です。
cinderella-timeを過ぎて、午前様なので、29日になってしまいました。
病院に行く為の準備をしながら、満タン状態のパソコンのhard diskのお引っ越しの作業を続けています。
USBのcableが短いので、本体からではなくて、延長Cableから取っているので、半分ぐらいdataが移動した所で、突然、Bugってしまって、dataが移動しなくなってしまいました。
その後も何度もUSBの接続を試みたのですが、どうしても、2台同時にUSBポートを感知してくれません。
両方のパソコンを再起動して、見たのですが、状態が改善しないので、今回は取り敢えずは、半分迄、お引っ越しした所なのですが、そこで、一応、諦めて、19年の発表会のVideoの取り込みを始めました。約、12時間dataのお引っ越しをしました。
次には、19年の4月のVideoのdataをパソコンに取り込む作業をするのですが、必要な曲はVeraciniのChaconneのVideoなのです。
発表会の時のorchestraのVideo映像が、video-cameraの不具合で、斜めの画像になっていたり、色が変な色になってしまっていたり・・と、余りにも、映像的に、酷かったので、最初から映像を修正するつもりなので、今回、手術が終わったら、作業に取り掛かる予定なので、その為にパソコンにVideoのdataを取り込む作業なのですが・・ね~ぇ??
そのvideo‐dataの取り込みがまた、時間の掛かる事❢❢
今日の病院は貫徹になりそうな雰囲気だよな~ぁ??
まあ、お昼から、寝直せば良いだけなので・・・
発表会のVideoは本当は問題のVeraciniだけを取り込めば良いのですが、Blu-rayに焼く時に、mp4になって、発表会全体が、一つのfileになっているので、赤カメ、黒カメ等の全部のdataを取り込混なければならなくて、大変な時間が掛かってしまいます。
赤カメ、黒カメ、白カメを取り込んで、後、4Kのmainのcameraと父兄のvideoの二つを取り込む・・、という所で、あまりにも、時間が掛かり過ぎるので、やっぱり、挫折してしまい、またまた、2台のパソコンのUSBポートからの取り込みを始めました。
何度も再起動をしたので、今回は、簡単に取り込みが出来ました。
何故にパソコンが同期してくれないのかを、取説を何度も確認しても、両方のパソコンが同期しない理由が分からなかったのですが、何度もinstallする中で、偶然にどちらかのパソコンだけで設定をするだけで良くて、両方を設定したから、どちらがHostsパソコンかが分からなくなってしまった・・という所に原因があるのでは・・と思うに至りました。
subのパソコンを弄っては駄目だったのだよな~ぁ??
何処にも、それは書いて無かったゾイ❢❢
cableを接続するtimingで、1台目のパソコンを接続して、設定画面になって設定して、次のパソコンにcableを接続した時に、同じ設定画面が出て来るのですが、それを設定しては駄目だったのだよね?
そんな事は、何処にも書いて無かったゾイ❢❢
でも、理由が分かったら、同じ間違いはしないよな?
これから病院に出掛けます。
だから、午前中には、帰って来ません。
という事で、膨大な時間の掛かる、harddiscの取り込みをする事にします。
その方が、効率的なのです。
そろそろ、出発の準備が終わる時間だなヤ❢
急げや、急げ❢❢
予定の時間の2,3本前の電車に乗ったのですが、反対方向の電車で、超、レトロな昔風の電車が来てびっくりしました。
どうやら、ハリポタの電車らしいのですが、普段のブルーにハリポタのcharacterの描かれている電車とは全く違っていて、角張った電車自体の格好がレトロだったのですよ。
それから、電車に乗って、ドア付近の椅子に座ろうとしたら、凄い勢いで若者が走って来て私が座ろうとした席に座ってしまいました。
周りの椅子もがら空きだったので、斜向いの席に座ったのですが、私が座った途端に、遠くの別の席に座って、隣の女の子に話掛けていました。チョッと変な人だったのだよな~ぁ??
mailを打っていたら、いつの間にか居なくなってしまっていました。
女の子は知り合いでは無かったようで、そのまま座ったままでした。
9月29日今日は満月でしたが ·
同じ、29日の金曜日の夕方の6時です。
病院から帰って来て、流石に、バテ切ってしまって、bedで、爆睡してしまいました。
夢の中で、dataのtransposeが終わった夢を見ていて、「今日は朝の8時からdataのお引っ越しを始めたので、10時間掛かったのか?」と、bedに座ったままで、Video‐Deckのdigitalの時計を見ながら思っていました。
パソコンに部屋に行くと、未だ、2台のパソコンは、busyな状態のままで、後、2時間後には、24時間になるのだ・・としても、まだまだ、終わりそうにはありません。
パソコンのお引っ越しが、終わった・・と思ったのは、ただの夢でした。
それはそうと、目の覚める3分前には、順天堂大学から入院の確認の電話があったようですが、午前中は、病院だったので、携帯はマナーモードにしたままで、着信音の音声を切ったままだった事を、忘れていました。
電話があった事に気が付いて、折り返して、電話をしたのですが、音声案内が対応して、その案内には該当する電話番号は無く、通じませんでした。
留守電が入っていて、明日の朝の1番に電話をする旨のmessageが入っていたので、良しとする事にします。
というか、他に方法が無いのでね~ぇ?
今日は、7時半頃には、椎名町に食事に移動する事にします。
超、お久し振りダナや~ぁ??
そう言えば今夜の中秋の名月と満月は、分厚い雲に覆われてみえませんでした。残念❢❢
9月30日とうとう、9月も最後の日の ·
とうとう、9月も最後の日の30日になってしまいました。
明日からは10月になります。
今夜の中秋の名月で満月は、分厚い雲で見れませんでした。
仮眠をする度に、何度となく、パソコンのdataのtransposeが終わった夢を見るのですが、深夜の1時を過ぎた今現在も、延々とtransposeの作業が続いています。
今は深夜の3時になった所ですが、やっと、この二日間、延々と続いていた2台のパソコンのtransposeが終わりました。
流石、4tera(テラ))のdataの移動ともなると、丸々、二日間掛かったのだよな??
しかし、パソコンへの取り込みの作業は、終わった分けではありません。
2019年の4月の29日の発表会のVeraciniのvideoの4K-cameraと保護者からのvideoが未だ残っているので、後、4,5時間はvideoのdataの取り込みに、時間が必要なのだよ。
今回のvideoのdataのお引っ越しの作業とは、また、別の作業なのですが、Veraciniの発表会のvideoのdataを、hard diskに取り込んだら、そのhard diskが、真っ赤っかになってしまいました。
という事で、今は、真っ赤っかになってしまった、hard-diskを緊急避難的に、他の空きのあるhard-diskに保存しようと、したのですが、それでは、二度手間になってしまうので、急遽、暫定的なvideo-dataのお引っ越しを中止して、元のhard-diskに戻す作業をしています。
この作業だけでも、1,2時間は掛かるのだよな??
どっちみち、その内に、subのパソコンにvideoのdataを移動させるのだから、緊急避難的に別のhard diskに移動させるのはやめて、いきなり、subのパソコンに、直接、移動させる事にしました。
二件の発表会のvideoのdataを緊急避難させるのならば、同じhard diskに緊急避難させた方が、時短になって楽だ・・と思ったからなのです。しかし、やって見ると思いの外、時間が掛かって、パソコンがbusy状態になってしまいました。
発表会の二つ分だけなのですが、それぞれが4台のvideo-cameraでの撮影なので、それでも、結構、膨大なdata量になってしまいました。
という事で、2台のパソコンとも、3時間以上もtranspose中でbusyになってしまいました。
つまり、時短にはならなかったのですよ。
同じように、時間が掛かるのならば、2度手間にならないように、directにsubのパソコンに発表会のdataを移動させた方が、長期的に見ると、効率的である・・という事で、急遽、お引っ越しの作業を中止して、2台のパソコンを同期させて、subのパソコンに発表会のdataを移動させる作業を始めました。
(昨日、二日掛かりでお引っ越しをした発表会やオケ練習のdataとは、全く違った別の年のdataになります。)
mainのパソコンでは、dataのお引っ越しとpowerdirecterでの編集の作業が同時に出来るので、Veraciniの画像の修正の作業も並行で作業をしました。
午前中から順天堂と入院の打ち合わせを電話でしたのですが、保険で入れる部屋が取れなかった・・と言う事で、初めて、有料のお部屋に入院する事に、なってしまいました。
・・という事は、あまり、のんびり入院していると、部屋代が掛かるゾイな??
まあ、発表会もあるし、ね~ぇ??
そう、のんびりは出来ないよな~ぁ??
金曜日か土曜日には退院しないとね~ぇ??
お昼からは、パソコンの並行作業で、なんとか、VeraciniをYou Tubeにuploadしました。
勿論、dataのお引っ越し作業は延々と、続いています。
多分、今日1日は続くと思います。
夕方からはlessonと、結構、忙しいハズなのですが、お昼ぐらいからは、突然の欝に襲われてしまいました。
多分、入院と手術の単なるpressureに因る欝・・なのでしょうが、上手く心のcontrolが出来なくて、困っています。
という事で、lessonがpressureになってしまっています。
「感情的、情緒的にならないで、上手くlessonが出来るかな??」という不安なのだろうが、ね~ぇ??
欝が酷くなると、神経のSensorが過敏に反応するようになって、普段ならば何でも無いような事でも、過剰に反応してしまうのだよな??
どうでも良い事に目くじらを立ててしまうのだよ。
それは大人としては、良くない事なのだけど、欝が酷いと、そのcontrolが出来なくなってしまうのだよ。
そろそろ、timelimitで移動の時間なのだけど、未だ、服を着ていないのだよ。
まあ、頑張ってbikeで椎名町に移動して、室内楽のlessonとPianoのlessonをしました。
後は、食事だけをして、(ドル・プリっ歩は無しで・・)大急ぎでハイツに戻ったのだけど、それでも、10時は過ぎてしまったのだよ。
ハイツでは、パソコンがtransposeの作業をbusyでやっていて、まだまだ、終わりそうにありません。
明日も、バスと電車を乗り継いで、千葉に行く予定なので、今日は安静にしておく予定です。
10月1日明日の月曜日からは入院です。 ·
とうとう、10月の1日の日曜日になってしまいました。
今は朝の5時半で、toiletteに起きた所なのです。
パソコンは昨晩から延々と、お引っ越しの作業でbusyの状態です。
人間の方は、あいも変わらず、眠りが浅くて、熟睡した感がありません。
私が、寝ても、寝ても、疲れが残ってしまうのは、勿論、眠りが浅い所為なのですが、眠りが浅い原因は、頻尿でone‐coolの1時間半から2時間ぐらいしか眠れないからなのです。つまり、頻尿頻眠が1番の原因なのです。
一般的には、頻尿の原因は歳を取って、膀胱壁が固くなってしまって、尿量を溜められなくなるのが、その原因とされますが、私の場合には、チョッとその原因が違っていて、高校生の時の医療ミスが原因で、腎臓を゙一つ取ってしまった為と、冠動脈の手術等で、造影剤検査を何度もした事によって、腎機能が衰えてしまっているからなので、普通ならば、人間は、眠っていて体が休んでいる時には、腎臓も一緒に眠っていなければならないのですが、私の場合には、お昼間の働いている時間に、腎臓が充分に働く力が無いから、その分、本当ならば、人間は休んでいる時には、勿論、腎臓も休まなければならないのですが、起きている時に、充分に血液を浄化しなければならないのだけれど、それだけの、仕事が出来ないので、体が休んでいる時の夜に、腎臓さんだけが、頑張って、残業をしているからなのです。それが、私の場合の夜間頻尿の原因なのです。
本来ならば、二個あるハズの腎臓さんが一個で、24時間、頑張って働いているのですよ。そりゃあ、疲れるわサ❢❢
今日のオケ練習は発表会やconcours前の最後の練習、lessonになるので、今日は無理をしてでも、千葉に行く予定なのですが、今日は助っ人の人達は誰も来ないし、何時ものQuartettのmemberしか、居ないので、間違える所、弾けない所は、決まっているので、私のlectureは、あまり参考にはならないし、concours組も、だいたい出尽くしているので、確認だけなので、本当ならば、今日は、私が居る必要は、あまり無いのですよ。
皆の、精神的な安然の為に・・という事なのかな~あ。
それに、明日の月曜日は、朝の9時半からの入院なので、本当ならば、その準備と確認の作業があるので、結構、私としては、busyなので、あまり、千葉迄は行きたくはありません。
車ならば、然程は疲れ無いのだけど、目が全く治らないので、車の運転は絶対的に無理なので、致し方は無く、バスと電車を乗り継いで千葉迄、行かなければならないからなので、結構、疲れるからなのですよ。
車だと、時間も短縮出来るし、座ったままなので、楽なのだけどね~ぇ??
目に関しては、どの医者も、「放っておけば、その内、治る」としか言わない・・と言うか、放っとくしか無い・・と言う事なのか・・ねぇ・・??
パソコンは丸々一日busyなのですが、終わりそうにはありません。予定の時間通りにハイツを出発して、TAXiも結構普通に捉まったのですが、総武線の時間は、なんとギリギリでした。
それに、今日はホームが違っていたのですよ。2番線からではなくて、5番線からの出発だったのです。そんなの、知らんよ❢
出発時間の上の小さな丸付数字がホームを意味していたのだよな?
初めて知ったゾイ❢
10月2日入院初日です。 ·
今日は10月2日の月曜日の朝の5時になった所です。
つまり、入院の初日になった所です。
toiletに行って、風呂の準備をして、大急ぎで、bedに戻って、仮眠をした所なのですが、直ぐに目が覚めてしまいました。
暗い中で、video‐deckのdigitalの時計の数字を確認しようと思ったのですが、全く見えませんでした。
已む無く、起き出して、病院行きの準備をしようと思ったのですが、起き上がろうとしたら、お久し振りに足が攣ったのだよ。
痛い❢
これは困ったぞ。
出発の時間です。
薄雲で肌寒いくらいのとても素晴らしいお天気です。
絶好の入院日和です。
病院で着いて、入院の手続きを始めました。
自分の名前と生年月日を、際限なく、書かされてしまいました。
こういうの、digital化出来ないのかね~ぇ?
病室に入って、持って来た荷物を整理しなければなりません。
これが、意外と大変でした。歩きの移動や手続き等で結構、思ったよりも、バテていたようです。bedに座って安静にしていたら、麻酔科の先生に呼ばれました。
急いで、部屋を出ようとしたら、お茶を満杯にしたマグカップに触れてしまって、お茶を散乱させて、マグカップも割れてしまいました。目が見えないのと、ベッドと机の間隔が狭かったせいなので、看護士の人が直ぐにベッドをズラしてくれました。
一階の売店に行って、明日の手術の時に着るT字帯を買いに行ったのですが、大き目のサイズは、売り切れて、ありませんでした。手術は明日の朝一なので、今日中に届くように、発注しました。
売店の営業時間は夕方の7時なのですが、7時半には届くという事になりました。
明日の3日は朝の9時から手術です。
一日中bedで安静にしています。というか、動けません。という事で明日からは、Facebookや携帯は、2、3日、お休みです。
それはそうと、退院の次の日が発表会で、その次の日が、歯医者だったので、流石に、歯医者は25日の水曜日に変更しました。
幾ら俺でも、無理は無理なので・・・
夕方の5時半を過ぎました。
ハイツでは、滅多に見ない窓外の風景を見ています。
突然、時間の流れが遅くなってしまいました。
外の景色もそろそろ夜の風景になってしまいます。
断続的に色々な検査が入るので、時間をもて余す所迄は行きません。
パソコンが無いと、仕事にもならないので、気分が落ち着きません。
やっぱり、何かに没頭している方が良いよなぁ?
こういったやるべき事が無い時には、ぼんやりと、テレビでも見ていれば良いのですが、どのチャンネルでも、同じ内容の事を、同じCommentをしています。
流石は、右倣えの日本です。
皆が同じ事を言わないと、納得も安心も出来ない国民性です。
チョッとでも、違った事を言うと、総袋叩きになってしまいますので、誰も、何も言えないのですよね~ぇ?
阿保らしいよなぁ?
やってられないよなぁ~?
私にとっては、どうでも良い事なので、何の異見もないのですがね~ぇ?
ただ、せめて、こんな何も出来ない日には、少しでも面白い番組か、そうでなければ、馬鹿げた番組でもあって、気分転換が出来れば良いなあ?と思っているだけなのですがね~ぇ?
差額bedは何が違ったのか?・・なのだけど、前の人のbedとは、カーテンで仕切られていて、これまで通りなのだが、隣の人のbedとは、収納の棚で仕切られているので、その分だけ、個室感があるのだよな?
それだけで、差額bedなのだろうかな?
7時半よりも少し前なのだが、一階までT字帯を買いに行った。
10分程前だったのだが、もうちゃんと来ていて、無事に購入出来た。
少し疲れたので、仮眠をした。結構爆睡して、9時過ぎに目が覚めた。one coolギリギリってとこか?
ちょうど、夜の血糖値の測定に来たので、timing的にはバッチリだった。
後は、長い長い夜が待っているのだよ。
ハイツならば、やるべき事が山のようにあって、結構忙しいのだがね?
いよいよ、恐怖の2日間がやって来るのだよ。
夜の11時半です。目が覚めて、toiletに行って来た所なのですが、0時を迎えたら、色の付いていない水だけしか、飲んではいけない事になります。朝の7時に薬を飲むのですが、それが最後の水になります。術後は水も飲んではいけないので・・
10月3日いよいよ、手術の当日です。 ·
もうすぐ深夜の1時になります。
いよいよ、手術の当日です。
病院では、全く目が見えないので、メガネは掛けていません。
掛けると、映像の分離が酷くなって、ますます目の前が、分からなくなってしまうからです。
お昼間には、toiletに行って、帰り道を2度程、間違えてしまいました。
来た道を、toiletに戻って、最初からやり直して、なんとか、認知症老人にはならないで、済みました。
確かに、toilet迄の道は、複雑で込み入ってはいますが、方向感覚には強いハズの私が、なんで道に迷ったのか、不思議でした。
深夜になって、改めて、思い返して見て、その理由がやっと分かりました。
その分けは、目を開けて見ているのに、周りの景色が何も見えていなかったからなのです。
映像的には見えていても、物が全て二つに見えているので、場所の判断が全く出来なかったからなのです。
toiletがmainの通りではなくて、一通り、内側に引っ込んだ通りから、すぐにmainの通りに出てから、歩かなければならないのですが、それがよく分かっていなかったのですよ。
正しい行程は、toiletを出て、直ぐに右から左、更に左にと、行かなければならなかったのを、左、左と、歩いたからなのです。
「なんだ?」「簡単じゃん❢」と、思われるかも知れませんが、これには距離が含まれていません。
mainの通りの左から左は、結構な距離があります。
という事で、これを映像の記憶を無しに、再現するのは、やはり、極めて難しいのです。
特に私の場合は、映像に頼っている事の方が多いのですからね?
それにしても、小一時間起きに目が覚めて、toiletに行ってはいるのだが、眠りは浅いのだが、今日はそれでも、よく眠れるよ。
そうとうバテていたのだよな~ぁ?
というか、今日の小一時間起きの頻尿は、ハイツでは経験の無い程の頻尿です。
今は4時を過ぎた所なのですが、何回toiletに行ったのだろうか?
朝の5時半です。
熟睡が出来て、頻尿も頗る良好です。
そろそろ、手術の準備が開始されます。
7時からは、お水も飲めなくなります。
血圧や血糖、体温のcheckが終わって、術着に着替えて、8時頃からは、T字帯に着替えて、点滴が始まります。
それで、手術の準備が全て終わります。
後は、まな板の鯉なのだよ❢
若い女医さんがやって来て、点滴の注射を打ったのだけど、全く血管が見えないのに、指先の感覚だけで、一発で決めたよ❢凄い❢
8時20分です。T字帯に着替えて、呼び出しの掛かるのを待っている所です。
いよいよ、まな板の鯉が、料理されるのだよ❢
先生達が来て、手術後に、抗癌剤を膀胱にばら撒いておくので、という説明を受けた。同意書に署名をして、手術室
9時の手術開始で、10時頃には、手術自体は終る予定ですが、麻酔が覚めるまで・・とか、覚めた後でも経過観察をしたりとかで、病室に戻って来るのは、お昼頃になる予定だと思います。
それからは、一日中bedで安静にしておかなければなりません。
この一日中の安静が、結構、辛いのよね~ぇ?
腰には確実に来るし、ね~ぇ?寝返りが出来ないと、水も飲めないし、ね~ぇ?
という事で、今日一日と、明日くらい迄は、bedに縛り付けられているので、Facebookはお休みです。
bedで体を起こす事が出来るようになったら、Facebookを再開する予定です。
それまでは、サイチェン❢
と思ったのですが、8時間後なのですが、テレビを見たり、携帯を見たりしています。
超驚いた事は、手が皺だらけになってしまって、皺を摘んで引き寄せたら、戻らないのですよ❢
術野は狭いのですが、出血量は結構多いのだよな?
まあ、明日明後日には、元に戻ってしまうとは思いますがね?
疲れて、眠たいのですが、体の置き場所が無くて、眠れません。
腰痛が再発したのだよな?
困った事だよな?
それから後は、血が失われたせいなのか、兎に角、寒いのだよ❢勿論、布団には、くるまっているのですがねぇ?
それはそうと、6時に回診があって、腫瘍はすごく小さくて問題はなかったのでございます明日管を抜いて、土曜日に退院の予定だそうな?一日早くなったゾイ❢
寒い❢❢❢
夜の看護士になったtimingで、布団を持って来て貰って、腰痛用にタオルを入れて貰った。
これでなんとか夜を凌げるかなあ?
体温は、なんと5度1分だった。
寒いハズだよ?
凍死寸前だなゃ❢
絶飲食は然程辛くはないのだが、腰痛は困ってしまうよな?
bedに腰掛けられると楽なのだが?
横を向きたいのだが、左足が攣って来た❢
体中、管が付いていて、身動きがままならないので、腰痛が酷くて、眠れないのだが、それに、こむら返りの激痛では、踏んだり蹴ったりだよな?
勿論、看護士には言ったのだが、医者の処方無しでは、単なる痛み止めすら出せないのだよ。いや〜あ、夜は長いのだよ❢❢
更に点滴の針がズレて液が落ちなくなってしまった。看護士が頑張ってなんとかしようとしたのだが、結局無理で、当直の先生を呼んで来て、注射器を片手に試行錯誤して、やっと、開通した。大変だった。
石川 ちすみ
手術のご成功を心からお祈りして🙏お待ちしています。
返信する
13週間
石川 ちすみ
芦塚先生には、まだまだ教えていただきたいことがたくさんです!
返信する
13週間
芦塚 陽二
頑張ります❢
医者が・・・
返信する
13週間
村田 晟
万事全て上手く行きますように‼
返信する
13週間
芦塚 陽二
まあ、昔とは違って、安心感はあります。
10月4日術後です。 ·
長い長い永遠に終らない一日と思われた恐怖の10月の3日がやっと終わって、今は4日です。
絶飲食も夜になってからは、水だけはOKになったのですが、寝たままの状態なので、吸い飲みの代わりにストローで飲む事にしました。
管が付いた状態で腰痛と格闘したり、コップに水を入れる事もままならなくて、その一つ一つが大変な作業なのですよ。
普段、何気なく日常では熟している作業が、死にものぐるいでやらなければならない事になってしまうのですよ。
今日からは、朝食が出ました。
清拭が終わったら、(とは言っても、温かいタオルを貰って、自分で体を拭いただけなのだけど・・)点滴と管をぶら下げて、病室を歩きます。
術後の運動を始めます。
点滴を抜くのは今日の夜の予定だったのですが、看護師さんがサッサと点滴も抜いて、膀胱を洗う管も抜いてしまいました。
後は排尿の管だけになりました。
明日はその膀胱の管を抜く予定です。
それで一日、様子を見て、異常がなければ、土曜日の退院になります。
予定よりも一日早くなったのだよな?
それにしても、前回の入院でも驚いたし、今回も改めて驚いたのは、身長が6㌢も縮んだ事です。
頭の周りも縮んだようです。勿論、それは経年劣化であり、今回の病気とは全く関係はありません。
しかし、それは、私に取っては、結構、Shockな事だよな?
体に残っている管が一本だけになったので、とても楽になったのですが、それまでの疲れが一気に押し寄せて来て、少し歩くように言われているのですが、とてもそういった気にはなりません。
兎に角、今は寝ます❢
膀胱から管でビニールの袋に排尿しているので、頻尿にはならないので、one-coolのintervalが無いので、11時頃から食事や検査で起こされる以外は、寝続けています。今までの不眠が嘘のようです。
夕方の5時を過ぎた所ですが、今、回診が終わって、明日管を抜くってよ❢
看護師と話しが違うので、困ってしまうのだよ❢
血糖値は200を超すとインシュリンになるのだが、一度も超すてないので、薬は変わらないのだよ❢
なんと夜の9時半なのですが、夕食が終わってから、直ぐに寝てしまいました。マジに今日は一日中眠ってしまいました。こんなに眠れた事は、老人になってからは、一度もなかった事です。
まあ、その理由は、膀胱に尿管カテーテルが入っているから、尿意を模様さないからです。
純子斉藤
ファイト✊‼️
返信する
13週間
石川 ちすみ
先生、頑張ってください!
きっと明日はもっと良くなられていますね。
返信する
13週間
芦塚 陽二
10月5日そろそろ、病院疲れです。 ·
今は10月5日の木曜日の朝の4時20分です。昨日の爆睡が、今日も続いていて、今、目が覚めた所なのです。
頻尿がなければ、こんなにも眠れるのだな、と、驚いている所なのです。
今回の病室は窓側だったので、とても眺望が良く、もしも、目のトラブルがなかったら、結構、入院中の慰みにはなったかも知れません。
昨日からは、丸一日爆睡していたので、流石に、これ以上眠る気にもならず、多分、どんよりとした雲が、朝のトワイライト(morgendenmerung)を邪魔しているのだと思いながら、見るとはなく、外の景色の移り変わりを見ているのです。
朝の5時半になりました。
流石に、もうはっきりと、町の光景が広がっています。
朝だよ、朝だ❢
2日の入院で、もう4日目の朝だよ❢
流石に、病院疲れで、バテて来たよな?
午前8時45分なのだけど、尿管カテーテルの管が抜けました。
これで、シャワーが浴びれるぞ❢
10時55分に、toiletで術後の初排尿をして来ました。
尿の色をcheckして、簡易のエコーで残尿の検査をしました。
これで今日の予定は、シャワーだけに、なりました。
尿意が突然来るのと、一回の尿の量が手術前からすると、5分の1くらいの量に減ってしまいました。
まあ、徐々に戻るとは思いますが・・・
明日は退院の手続きが一日あります。
病院は第2と第4の土曜日がお休みなのですが、一日が日曜日だったので、7日は第1土曜日になるので、会計も、その日の内に出来ます。
後は、発表会だなゃ❢
11時半に血糖値の測定に来ました。
なんと201もあったそうで、インシュリンを・・とか言っていたのだけど、病院で管理された食事しか取っていないのに、120台から201まであるのは、理解不能だよな~ぁ?
1600カロリーと、同じに食べているハズなのにね~ぇ?
それに、ほんの小一時間前には、オゼンピックと言う糖尿の薬を打ったばかりなのですが、その後、直ぐにインシュリンを打ってもいいのかな?
まあ、医者がそういうのならば、そうする他はないよな?
それはそうと、食事の時間だと言うので、エラい夕食には、早いなぁ、と思ったら、なんと、未だ昼食だった。
結局の所、今日の予定は、シャワーだけなのです。
後はbedでゴロゴロしているだけで、仕事にならないので、イライラしています。
やっぱ、団塊の世代だよな~ぁ?
食事が6時で、シャワーが6時半と思っていたら、食事が6時20分に来た。Doublebookingだよな~ぁ?仕方がないので、10分で食事をして、シャワーに行った。まぁまぁ、綱渡りだったのだが、時間内には熟したゾイ❢❢
後は、歯を磨いて寝るだけだ❢
それはそうと。自然排尿となってから初日なのだが、尿意を模様してから、toiletに行く迄の廊下を歩いている間に、尿漏れを起こしてしまっているようです。
量的には、他の人に、バレる程の量ではないのだが、毎回のようなので、気になってしまうのだよ。
多分、これも明日には改善するのだろうが、よく「無意識に尿漏れが」・・と言う話しを聞くのだが、こういう事なのだろうかな?
もっとも、私の場合には、老人性の尿漏れとは違うのだがね?
尿管カテーテルを付けていたので、尿が出ないようにする筋肉が、少し馬鹿になっているのですよ。
村田 晟
無事に退院の運びとなって良かったですね🌺
返信する
13週間
芦塚 陽二
腫瘍も思った程ではなくて、手術も軽く済んだそうです。
返信する
13週間
石川 ちすみ
経過が順調で本当に良かったです✨
返信する
13週間
芦塚 陽二
有難う御座いました。色々とご心配をお掛けしました。
月曜日の発表会も頑張ります❢
返信する
13週間
純子斉藤
もうちょっとの辛抱です!土曜日退院のお迎えに行きますので、頑張ってください。
返信する
13週間
芦塚 陽二
いやぁ~、後、一日が長い❢
10月5日『芦塚methodのお話し』 ·
今はもう、40年以上も前の話しになるのですが、芦塚method研究会を立ち上げた時の初会合で、発起人である一人が、「芦塚methodとは、手抜きをして余暇を楽しく過ごす為のmethodではない」と、集まった色々な分野のElite達2、30人の人達に、厳しく叱咤して言っていたのを、懐かしく思い出していました。
普段ならば、忙しくて、そんな昔の事を思い出すゆとりはないからですが、病院に入院する事で、過去を思い出す事が出来ました。
人が、芦塚methodの説明を聴く時には、どうしても、自分に取って都合の良いように聞こうとする傾向があるのですよ。
だから、「勉強しなくて、遊んでいても、成績が上がる」・・とか練習しなくても、上手に弾けるようになると、勝手な解釈をされてしまうのですが、しかし、もっと困った事には、芦塚methodでは、それが可能なので、それが更に混乱を招いてしまうのですよ。
勉強をしなくても、成績が上がる事は、簡単な事で、勉強を好きにさせれば良いのですよ。
そうすれば、勉強を゙しても、しなくても、成績は上がります。
勉強を好きにさせるには、勉強の成績の勝敗を競わせるのは最悪の手段です。
良い成績の時には、勉強が好きになるかも知れませんが、成績が落ちた途端に勉強が嫌いになってしまいますし、受験と言う目標が終わった時点で、勉強して来た全てを忘れてしまうでしょう。
だって、受験と言う目標が終わったのだから、もう記憶をしておく必要はないのですからね?学校の勉強が人生の役に立たないのはそういった理由からなのですよ。
正しい勉強の方法
論は、その勉強の面白さを、解き明かして行く事なのです。
勉強の内容が良く分かって、面白さが理解出来るようになると、遊びの時間も、勉強が遊びになってしまうのです。
しかし、それを大人ではなくて、子供達に教えるには、指導する先生のかなりの力量が必要になって来ます。
かつまた、学業には、小さな子供の内から始めなければならい学業と、高校生や大学から学んでも、充分に間に合う勉強もあります。
医学等もそうですよね?
音楽の場合には、小学生の頃迄に学んだ基礎力が、その生徒の大人になってからの将来を決める・・と言っても過言ではないのです。
初歩のlevelの時に、問題なく学んだ生徒達は、小学生迄の頃の初歩のlevelの価値を感じる事はありません。
それは自分の才能だと勘違いしてしまうからなのです。
逆に、子供の頃に、どうしようもない駄目駄目先生に習った生徒は、中学生、高校生になっても、音楽大学に進める水準には、到達出来ません。
例え、結構名の売れている他の先生に付いたとしても、或る程度の成果しか上がらないでしょう。
夢を叶えるには、程遠い成長でしょう。
でも、それを、先生や親達は、自分の努力の足りなさとしてしまいます。
指導者の指導力の無さではなくて、あくまでも、自分の努力が足りなかったとされてしまい、自己嫌悪に囚われてしまいます。
それは、歳を取ってから音楽の道に進んだ人達も同じなのですが、そういった人達が、私達の教室のmethodを見学して、必ず言う言葉があります。
「最初に、こういう風に学べれば良かったのだが・・」・・とか、「教室を知っておけば良かった」と言います。
その意味は、「時既に遅し」と、いう意味なのですよね~ぇ?
でも、本当ならば、これから学んでも、決して遅くはないのですが、それが出来ないのは「間違えた事を学んで来たので、挫折に至った長い苦難の歴史を、また同じだけ繰り返さなければならないのだ」と、勘違いからなのです。
正しい方法を知らないので、それは致し方の無い事なのでしょうが、正しい方法を正しく学ぶコツは、「自分が学んで来た悪い方法を、如何に早く捨て去る事が出来るか?」という事なのですよ❢
不思議な事なのですが、悪い方法だと分かっていても、その方法を捨て去る事は、自分のIdentityが失われてしまうようで、新しい正しい方法を学びながらでも、悪い方法にしがみついてしまうのです。
言い方を変えると、自分の昔のやり方を捨て去る事が出来るのならば、いつでも、簡単に正しい方法を習得する事が出来ます。
正しい方法を身に付ける事が出来れば、演奏技術を向上させるのは、簡単な事なのですよ。これまでは弾けなかった曲でも、簡単に弾けるようになります。まるで夢のような、魔法もようなお話しなのですが、当たり前の話しなのですよ。
ですから、本当は初期指導の時、つまり、小学生くらいの時にこそ、本当に音楽全般の全てを知っていて、それを易しく解き明かす事の出来る大学教授のような先生の指導が必要なのですよ。
大学教授・・ではなくて、易しく解き明かす事の出来る・・恰も大学教授のような、です。大学教授にはそれだけの技術はありませんのでね?
とは言っても、日本の子供達のコンクールは、この所、非常に水準が上がって来ています。こんなに上手くて良いのだろうか?という水準を見せる生徒さえもいます。それだけ、若手の指導者の水準が上がって来たのだと、言えるでしょう。
しかし、やはり、日本のClassicの音楽は、何かが違うのですよ。
それだけの高い技術水準を持ってしても、30の壁を越えるProfessionalには、成れないのです。それは、求めているものが、究極的に違うからなのですよ。
日本のClassicの音楽は、日本人の為の西洋音楽なのですよ。
日本の音楽には、世界の音楽史にも稀な音楽があります。
それは、雅樂です。
お隣の韓国では、とうの昔に失われてしまった雅樂が、他所の国の日本で、冷凍保存されたように、完璧な姿で残っているのですよ❢
まあ、宮廷という一般からは隔絶された空間だからこそ、可能であったのかも知れません。
しかし、日本人が最も得意とする事は、他国の技術をcopyして、それを、自分達の都合のよいように改造するのが、一番得意な人種なのです。
音に対する日本人の感性は、Europa人の感性とは、基本的に異なります。
だからに日本人の演奏する音楽は、実に東洋的なのです。
しかし、日本人である演奏家達は、自分達が演奏が、東洋の独自の音楽である事には気付きません。
何故ならば、それがDNA的に自然に聞こえてしまうからなのです。だから、殆どの日本人の演奏家は、自分がEuropaの音楽を忠実に演奏していると、思い込んでいる人達が殆どなのです。
しかし、日本人の演奏する西洋の音楽を、西洋の感性で聴くと、実に変な、チャイナ風な、東洋的な音楽に聴こえます。
Violinは、胡弓のように聞こえるし、Celloは馬頭琴のように聞こえるのです。
それが日本人に取っては、自然な音なのだからです。Europaの人達の弾くViolinの音やCelloの音とは、全くその音の本質が違います。
でも正しくrootsから時代考証をしながら、時代毎の演奏法を研究すると、音楽には『ねばならない』、という演奏styleが、分かって来ます。
MozartはMozartの時代の演奏法を基準にして、インタープリテーションをすれば良いのです。
折角、留学をしているのに、そう言った勉強をしている日本人の音楽家は、殆ど皆無に等しく、只、只管technicを磨く事のみに心血をそそぐのですよ❢
Europaの音楽の場合には、歴史的な伝統があります。
だから、寧ろJazzやポピュラー音楽で人気をはくしているViolinistも、Jazzの中に、古いBaroque時代の演奏法を、取り入れたりと、rootsであるperiod奏法に対する、その知識が凄いのですよ❢
日本の音大の教授とは、比べものには、なりません。
日本人も、折角、Europaに留学をするのならば、そう言ったrootsまでも、きちんと勉強して来て欲しいのですがね~ぇ?
作曲家の私さえも、Baroqueや古典の音楽の奏法くらいは学んで来たのですがね~ぇ?
EuropaやAmericaでは、パールマンやシェーリング達のような超の付く一流のLegend Classの演奏家達が子供達にも音楽の指導を普通にしています。
日本では、子供達を指導する先生は、Proに成れなかった人達が、それしか出来ないからやる仕事と、音楽家達から蔑視されているのですが、外国では、一流になると、子供達やProを目指す学生達の指導を始めます。
そう言った所も、日本とは、教育に対して考え方が根本から違っているようですよね?
一般大学の教授達も早く、子供達の教育に目覚めるべきなのですよ。
それよりも前に、もっと勉強をしてからだけどね~ぇ?
これまでは、指導する側のお話しをして来ましたが、学ぶ側にも、色々な問題点があります。
その最たるものが、こんにちでは、何か、一つの道を極めようとすると、親や周りから、強烈な駄目出しが来る事のようです。
事なかれ主義の日本社会とでも言う事なのでしょうかね?
出る釘は打たれる、という事でしょうかね?
親は、子供が学校の成績は一番でないと、気が済まないのに、その道に没頭するのは、絶対に駄目なのですよ。
普通の人間である事を望んでいるのですよ。
成績が一番という事は、人の上に立って指導する立場になるのです。
どんな企業でも、どんな社会でも、それは変わりません。
だから、普通でいて一番になるという事はあり得ないのですよ。
いやぁ~、矛盾しているよな〜あ??
同じような、矛盾した事は、勤勉で努力型の人は、勉強をする事があまり上手ではありません。
勉強をする上で、集中力は欠かす事の出来ない事なのですが、集中力は俯瞰する力を奪ってしまう事がよくあるからなのです。
勤勉で努力型の人が陥りやすい事は、俯瞰が出来ない事なのですから、勉強をしながら、今の自分の勉強のやり方を俯瞰して見て、それが効率的であるか否かを判断する努力が必要なのです。
でも、私達が、子供の頃の昔々には、「一芸は人(自ら)を助く」と言う言葉があって、芸事を学ぶ事は、職業としての技術を学ぶ事でもあったのですよ。
だから、その道にのめり込んで、没頭するのは、将来のいざと言う時のために、結構許されていました。
ザレ句なのですが、芸事が身を助くる不幸は無し
今は、シングルマザーの経済的な問題が、教育にも深く影を落としていますが、もし、シングルマザーが男性に頼る事がなく、手に職を持っていたら、経済的な問題は、なくなって、子供達の学校の問題も、少なくなったと思います。子供の頃から、好きな事を、極める事が出来れば、それは、職に繋がって行ったハズなのですよ。
それが、いつの間にか、勉強❢勉強❢になってしまったのですよ。
それは、日本の社会がバブルで、有頂天になった頃から、企業の経営形体に特化した塾偏重の成績を上げる為だけの教育に変わってしまい、学問は知識の為ではなくて、問題を解くだけの無意味なものに、なってしまいました。
有名大学に合格して、一流企業に就職したら、最高の人生を送れる、等と言う、奇妙な常識が一般的に定着するようになってしまいました。
何故、それが奇妙なのか分かりますか?
だって、皆が一流の大学や企業を目指して、集中する・・という事は、競争も、最も激しいものになってしまう、という事なのではありませんか?
という事は、その競争に参加した殆どの人達が脱落するのですよ❢
それを前提にして、勉強するのだから、私としては理解に苦しむよな?
似たような事は音楽の世界でも、ありふれた事なのですよ❢
音楽界での一流音大に入って、コンクールで入賞して、海外に留学すると、Proになれる、という音楽を学ぶ人達の殆どの人が抱いている妄想と似ているよね~ぇ?
でも、そういったコースを辿ったとしても、それでProになれるのは、基本的にはいません。
もし、いたとしても、10年に1人だけだ・・と一般的には言われているのだよ?
しかし、もしも10年に1人ならば、二流、三流の音楽大学を卒業していても、否、音大に行かなくても、留学もしなくても、コンクールさえも、受けていない人でも、割合が、10年に一人の割合ならば、Proになっているのだよ?
一流音大やコンクールや留学等は、何処かの誰かに拠って作り出された妄想に過ぎません。
そんな電車に乗りさえすれば、誰もがProになれるようなコンビニエンスな道(一般的には王道と言いますがね~ぇ?)がある分けは無かろう、ってサ❢
アリストテレスの時代から、王道は無いと言うのが相場だよ❢
Proになる事は、そんなに簡単な事では、無いのだよ❢
しかし、まあ、Proの定義を下げてしまえば、Proになるのは、超、簡単です。
若くて、綺麗で、ある程度楽器が弾ければ、誰でもProには成れるのだよ。
Proの意味が違うからね?Professionalでは無くて、エンターティメントの世界ならば、それは、有り得るのだよ。
勿論、美人ではなくても、その個性を活かして、第一線で活躍している人達も多いのだよ。
そうしてエンターテイメントのProになった人達には、私の提唱する30歳の壁の問題が立ち塞がります❢
女性は勿論の事、男性にも、一般大衆の興味の対象が30歳を過ぎると、変わってしまうのです。エンターテイメントの華やかな世界ではなくて、本当の本物志向の人達からの評価になってしまうのです。
と言う事で、30歳の壁を越せる音楽家は日本では、致命的に少ないのだよ。
皆、30歳の壁で、音大の先生に落ち着くのだよ。ちょうど、音楽大学が姥捨山のようにね~ぇ?
話しを一般論に戻して、しかし、勉強一筋で、対人関係の一つも学ばないままに大人になってしまった大人・子供では、一流企業の厳しい仕事をこなせる分けは無く、30歳前後の自殺者が急増してしまいました。
自殺はしない迄も、部屋に引き籠もって、60歳、70歳を迎えている人達が急増して、社会問題になってしまっているのは、周知の事実なのです。
それ以上に社会的な問題にもならない落ちこぼれている人達の多い事、子供達の夢や希望は何処に消えてしまったのかね?
小学生の頃には、非常に少数派と言えども、将来の夢を語る子供もいたろうに、中学生ともなると、そういった生徒は皆無になってしまいます。
ああ、ミゼレーレ❢
有り難い事に、私の母も祖母も、子供達の成績には無頓着でした。赤点を取ろうが、一度も怒られた事は無く、県で漢文の試験を一番を取っても、褒められた事もありません。
徹底的な放任主義でしたので、自分の望むままの人生を送れたと思っています。
近親縁者達は、不思議な事に、成績の優秀な私の兄貴ではなくて、成績の悪い私が医者になるものと決めていたようなのですが、腎臓摘出の大手術をしてからは、近親縁者の人達も、私が医学部に進学する事は、諦めてしまいました。
とは、言っても、音楽に進む事を許した人は、いないのですがねぇ?
勝手に音楽大学に進んだのですよ。
当時の大学進学は、得てして皆、そんなものでしたよ❢
そこは親に感謝です❢
まあ、時代にも・・
でも、憧れて、頑張って入った音大だったのですが、そこで学んだ事は全く何もありませんでした。
音楽大学とは言っても、お嬢様のお稽古事の延長にしか、過ぎなかったのですよ。
そもそも、音楽は、学校で学ぶものではありません。
ちゃんとした師匠を探して、弟子入りをして、学ぶものだからです。音楽は職人の技なのです。料理教室を出たとしても、Proになれる分けは無いでしょう?
それが、こんにちでは、何でもかんでも、学校で学ぶものとされています。
学校で学ぶ事が簡単なのは、技術がmanual化されているからなのです。
しかし、芸術はmanual化出来ない所に、その本質が隠れているのです。
師匠の背中を見て学ぶものであって、権威に縋る事は、全ての作曲家が忌み嫌った事なのです。
そんな教育的な、社会的な、お話しをしたとしても、芦塚method自体は、そう言った社会問題をどうにかしようというmethodでは全くありません❢
個人個人が自分自身で、自分の人生をHappyにする為の、個人の夢を叶える為のmethodに過ぎないのです。
しかし、夢を叶える為には、夢の中で戯れていては、夢が叶えられる事はないでしょう。
夢を現実のものにする為には、それなりのProjectが必要になるのです。
確かに現実的には、教室で、芦塚methodが身に付いた生徒の多くは、pianoも学業も全て楽しく、ちょいちょいと熟していて、優等生をkeepしているようなのですが、それは芦塚methodの本意ではありません。
それは単に器用なだけなのですからね?
しかし、人間には、京楽するTypeと、人に奉仕するTypeの二つに分かれてしまいます。
だから、それはどうでも良い事なのですよ。
芦塚methodとは、一般的に行われている勉強や仕事の無駄を徹底的に省いて、最短のRootで最大の効率を上げる為のmethodなのです。
無駄を省くとは、日常的な全ての無駄を省く事は勿論の事、自分だけの無駄ではなくて、自分に関係する全ての無駄を省くという事なのです。
また、無駄を省く為には、パソコン等に任せられる時間や、外注の依託の方が、より水準が高い場合には、躊躇なく依託して、その時間を並行の作業に充てるようにします。
つまり、時短とは、一つの作業に対しての時短ではなくて、全ての作業が、時短になってこその効率と言えるのです。
本当のその道のauthority、Proに成れる人には、絶対的な条件があります。
それは人の目、他人の目ではなくて、自分の目だけで、正しく判断出来るという条件なのです。
それが出来るようになると、本当の本物を見る目が出来ます。
Brandsや行列の出来る店を信じているようでは、Proへの道程は程遠いのですよ。
当たり前の事ですがね~ぇ?
10月6日明日は退院の予定である。 ·
今は、10月6日の金曜日の深夜の1時半である。
いやぁ~、困った❢
昨日迄の惰眠が、嘘のように、全く、眠れないのだよ❢
勿論、2日間眠っていたので、寝過ぎもあるし、精神的なpressureもあるのだろうけれども、頻尿の所為もある。
ちょうど、テレビで眠る為の特集の番組がやっていたので、見るには見たのだが、何の役にも立たなかった。
面白かったのは林先生が、私と同じように、連載物の夢を見るという話しだった。
私だけなのか、と思っていたので、なんか安心した。
明け方近くなって来たら、流石にバテて寝てしまった。
珍しく・・というか初めて、看護士に検診の為に起こされてしまった。
8時半、最後の回診なのだが、顔を見ただけの回診であった。
「明日、退院だね?」で今日の予定は、終わりなのだ。
11時5分です。
血糖値が222と200超えで引っ掛かってしまいました。
これで2回目です。
また、インシュリンの注射だよな?
隣の人と看護師がとても良い天気だと話していて、Day‐roomから富士山が見えているという話しが小耳に入って来たので、早速、Day‐roomに行って写真を撮って来た。
まあ、目一杯のZoomでボケてしまっているけれど、安物の携帯では、これで充分なのだよね~ぇ?
本当ならば、山頂に冠雪が見えるらしいのだが、そこまでは行かんわサ❢デジカメならば、digital zoomが出来るから、冠雪も見えるのだけどな?
前回の入院の時にも、富士山が見える事は、知ってはいたのだが、連日、曇りか、雨だったので、とうとう入院中には富士山は見れなかったのだよ?
甚平さんは大きいサイズがあって、良いのだけど、歩く度にズボンがズリ落ちてしまうので困ってしまうのだ。
頻尿は、突然、襲って来るので、toilet迄の距離が問題なのだよ❢
間に合わなくて、ギリギリというよりも、微妙に漏れてしまう事があるので、尿意を模様す前に、行かなければならないのだ。
それが意外と難しいのだ❢
入院の差額のベッド代の概算が出た。まあ、予定通りなのだが、タオルや寝間着は、別なので、郵便で請求書が後日送られて来るのだよ。
それはそうと、顔や手が皺苦茶になっているのだが、体重等は変わっていないので不思議なのだ。脂肪分が極端になくなった感があるのだが、お腹周りや、足は全く変わっていないので、別に痩せた分けでもないらしいのだ。病院食を食べている割りには、血糖値が2回も高かったしね~ぇ?
夜、8時を過ぎて、血糖値を計ったら、なんと222もあった。食後なので致し方はないのだが、当然、インシュリンなのだが、もう医者はいないし、夜なので、注射は無しになった。
11時半なのだが、2㍑のペットボトルを飲み終わったので、Day‐room迄、水を買いに行った。
まだ12時前なのに、深夜の2時、3時のように、寝静まり返っている。今夜は穏やかな夜のようだ。
10月7日明日は退院の日です。 ·
やっと、10月7日の土曜日の深夜の0時になりました。
マジに静かな夜なのです。
非常に珍しく、緊急の患者がいないという事なのだよな~ぁ?
病院中が寝静まっています。
これからの予定なのですが、一晩寝たら、朝食を食べてから、10時の退院です。
いやぁ~、大変だったゾイ❢
というか、入院の思い出に浸っている余裕は無く、今日の土曜日と明日の日曜日は、緊急のlessonをする事になったのだ。
退院当日というのに、こき使われるよな??
それから更に、日曜日の深夜には、千葉に車で、移動する予定なのだ。お久し振りのニャンコ号の運転になるのだ。緊張するよな??
発表会が終わって、ハイツに戻ったら、入院手術の為に、中止になっていた全ての予定を、復活させなければならない。
最優先は、免許の更新かな?
ワクチンもコロナとインフルの両方が来ているし、教室の行事も確定事項なのだよな~ぁ?
大変だ❢
川崎の大動脈の予約のキャンセルと紹介状を書いて貰う連絡があったぞ❢
尿管カテーテルで、頻尿が無くなったので、熟睡出来るようになったので、喜んでいたのだが、カテーテルが取れたら、当然の事なのだが、頻尿も再発して、朝の3時半とか、4時頃に目が覚めてしまって、今度は眠れないのだよ。
夜の病院は、結構、怖いのだよ。
まあ、冗談はさておき、それにしても、もう朝の6時を過ぎたのに、まだ、病院は起きて来ない。
今日は、どう言う事なのか、静かなもんだよ。
今、6時を過ぎた頃になって、やっと、病室の明かりがついた。
のんびりしたもんだ。
今日は、重病の患者がいないという事だよな~ぁ?
それはそれで良いもんだ❢
朝の血糖値の測定があった。
161だった。
正常値ではないのだが、一応合格で、インスリンの注射は無いのだ。
考えて見れば、bedのシーツが1週間敷きっぱなしなのだよな~ぁ?一見、綺麗なままに見えるけれど、よく見ると、シーツのあちこちに、血の飛んだ後がある。掛け布団カバーにも、結構、血が付いてしまっているのだよな~ぁ??
いやぁ~、流石は、手術の後だよな~ぁ??
つわものどもの夢の後、だよな~ぁ?
8時4分だ。
食事が来た。食事も今日は非常に遅い。
後は通り一遍の回診があって、9時半には差額bed代の請求金額が出た。まあ、何も無いのだから、予定の金額のままなのだけど、ね~ぇ??
という事で、斉藤先生とは、10時の待ち合わせの予定なのだが、30分も部屋で待っているのも、辛いので、事務的に看護師と、checkを済ませて、9時半には部屋を出発して、本館の会計に行って、会計とテレビカードの清算を済ませた。
10時迄には、まだまだ、30分程の、時間が余ったので、待合室でlineのcheckや、その対応をしていたら、10時ギリギリに、斉藤先生のお迎えが到着した。
まあ、急いで駆け付けたので、大変なので、取り敢えずは、会計の横のRestaurantで、お茶を一杯だけ飲んで、病院を後にした。
本当ならば、お茶とお菓子になる所なのだが、退院初日からは、流石に、それは無いからね??
今日と明日は、斉藤先生は、発表会の準備で手一杯なので、「椎名町での食事な無し」と、いう事で、私はハイツに引き籠もる事にしたので、まん丸でお弁当をいっぱい買って来た。
二日分の弁当の買い出し・・なのだよ。
土曜日の予定は、まだまだ続きます。
continuo・・・
10月8日退院一日目 ·
今日は10月8日の日曜日の朝の3時半である。
夜間頻尿の、toiletteに起きたのだが、兎に角、寒い。
肌寒いのでは無くて、本当に寒いのだよ。
外は兎も角としても、室内で本当に寒いのは、10月としては、異常である。
という事で、携帯で練馬区の気温を調べてみたら、なんと、14℃で、体感温度は13度だそうな。そりゃあ、寒いわな~ぁ??
猛暑日から、一週間も経ずして・・、なので、体が付いて行かないのだよ。
布団を夏用から、合いの毛布に変えなければなるまい。
合いの毛布は、押入れには仕舞っていないので、直ぐに出せるので、問題は無いのだが、そこにある物を入れ替える・・という極めて単純な作業なのに、体調的に未だその簡単な作業が無理なのだ。
『ここからは昨日の土曜日の病院からの帰還の話しです。』
昨日の今頃は、退院の予定ではあったのだけど、未だ時間ではなくて、病院に入院中のまま・・だったのだけど、斉藤先生が、10時に、病院にお迎えに来てくれる予定だったのだが、退院の会計清算が、突然、9時過ぎに終わってしまって、病室に居る理由が無くなってしまいました。
ボンヤリと病室で待っているのも、なんか、しまらないので、サッサとrucksackを手に持って、病室を出て、nurse.の皆さんに挨拶を済ませて、病室を後にしました。
それから、1号館の会計に行って、会計とか清算とかを自動精算機で、9時半迄に済ませてしまって、それから、病院の待合で、斉藤先生の到着するのを待った。
斉藤先生は、予定の10時迄に、なんとかお迎えが到着出来たのだが、待合所の直ぐ側のRestaurantで、お茶を飲みながら、今日の予定を話たのだが、「今のお昼の食事・・、だけではなくて、今日の夜や、明日の1日は、食事を作るのはとても無理」(とどのつまり、発表会迄の、食事は無理)という話が出たので、大荷物のrucksackを背負ったままで、江古田駅南口出口の前のスーパーのまん丸で食料品(お弁当類)の買い出しをしてからハイツに帰った。
ハイツの部屋に戻って来たら、斉藤先生は、lessonの時間切れになったので、rucksackからの荷物を出して貰う所迄をやって貰って、後は、発表会の準備だけを手伝って貰って、それから斉藤先生は、大急ぎで椎名町に帰った。
発表会の当日迄は、斉藤先生とは顔を合わせる事が出来ない予定になるのだよな~ぁ??
まあ、長のお別れである。
そうは言っても、その前も、入院で、一週間は会っていないので、なにを今更・・という感じでもあるのだけど・・
それから、大急ぎで、入院の前に準備をする為に、散らかしたままの状態で、そのままになっていた部屋の整理を(ホンの少しだけ)して・・、それから、その勢いで、One coin(今は、値段が上がって江古田にはOne coinは無くなってしまって、1500円もするのだが・・)に、髪を切りに行って、そのまま、大急ぎでハイツに戻って、一週間放置していたので、動きが悪くなってしまったパソコンを色々と修理をして・・
そうこうしている内に夕方の5時になって、lessonの時間になってしまった。
lessonとは言っても、対面のlessonなのだよ。
「楽器を家に取りに帰らないで、学校からdirectならば、5時にはハイツに着く」・・という事なので、楽譜だけでのlessonをする事にした。
これまでの演奏のvideoが色々とあるので、その演奏をパソコンの大型monitorで比較対照しながら、演奏を目と耳で比較して、checkをするlessonだったので、逆に、パソコンmodeのハイツでのlessonは、頗る都合が良いのだ。
Pianoの蓋すら、一度も開ける事は無くて、恙なく、lessonは終わった。
演奏をしながらのlessonとは違って、客観的なlessonなので、俺の言っている事が、分かり易かったのでは・・と、思っているのだ。
・・とは言っても、明日の日曜日には、webで、Pianoとの合わせのlessonをするし、明後日の月曜日は、発表会なので、本番として演奏をするし、発表会が終わったら、直ぐに、concoursなので、lessonが出来るかどうかは分からないのだよ。
それだけの時間が取れるか否かなのだから、この所は、毎日、顔を合わせているのだよ。
勿論、lessonは、希望なので、希望があればするけれどね??
石川 ちすみ
ご退院おめでとうございます!そして、今日は発表会ですね。ご盛会をお祈りしています。
返信する
12週間
芦塚 陽二
有難うございます。無事に退院と発表会を熟す事が出来て、今日も明日のコンクールに備えて、生徒からlessonを頼まれて、なんとかやり過ごした所です。中々、暇になってくれません。
返信する
12週間
10月10日『発表会の次の日の朝(火曜日)のお話です。』 ·
今日は10月10日の火曜日の、今は朝の7時半を過ぎた所です。
昨晩の月曜日の発表会を終えて、千葉から東京に移動して、椎名町の教室から大雨の中をハイツの自宅に戻って来たのは、cinderella-timeの12時の5分前でした。(奇跡的に短い時間なのですが、少子高齢化で生徒数が極端に、壊滅的に減って、発表会自体がtwo-coolで終わってしまったからです。)
睡魔と戦いながら、なま物の後片付けと、SDcardをパソコンに取り込む作業をしながら、とうとう・・と言うか、当然の如くに、パソコンの椅子の上で寝落ちしてしまいました。
暫し、意識朦朧状態で、目が覚めたのだけど、食料品を冷蔵庫に仕舞うのは、とても無理・・と、諦めて、大慌てでbedに行って爆睡しました。
toilette-timeで目が覚めた時に、パソコンへのvideoの取り込み作業を追加しながら・・の、何時ものroutineを繰り返しました。
・・という事で、今日は10月10日の火曜日の朝の・・に続きます。
『powerdirecterの下準備の作業のお話です。』
朝の7時半からは、もう既に、小一時間程経った今・・なのですが、色々と、対応をしながら、昨日の発表会のvideoのdataを、やっと、半日掛かりでパソコンに取り込み終えた所なのです。
でも、dataをパソコンに取り込み終えただけで、編集作業の下準備の作業が全部、終わった分けではありません。
バラバラにrandomに分割されてしまったchapterに、何の曲が入っているのか・・を、分かるように、chapter毎に、曲のTitleを挿入しなければなりません。
その際、大切な事は、chapterの順番が変わらないように、書かれた数字を消さない事が肝心なのです。
更に数字の次のピリオド記号の前に、曲名、若しくは演奏者名を持って来なければなりませんが、記号が小さいので、目のtroubleで、パソコンの画面がよく見えない今の私の状態では、小さなピリオド記号の後にCursorがあっても、Cursorの位置がよく見えない事の方が多いのです。
曲目や演奏者名の挿入は、全部のchapterをやると、結構大変なので、実際には、これからの編集作業に必要なchapterだけに、挿入します。
まあ、それでも、いずれにせよ、細心の注意が必要になってしまいます。
編集の作業は4台のvideo-cameraと音声を使用するのですが、音声は、編集をしないので、powerdirecterの編集画面も、4kのmain-cameraと、upの黒カメと、下手、上手の4っつのcameraに分割します。それから、各、cameraの映像dataと音声のdataを、必要な箇所だけをtrimmingしてから、音声の同期をさせます。
同期は、本当に最後迄、同期が上手く行っているのか・・の確認が必要になります。
時々、映像と音声がズレてしまう事があるからです。
だから、音声の同期が終わったdataの最初の方と、最後の方の2箇所で、各、cameraの音声と画面のズレが無いか??・・の確認の作業をします。
同期が、上手く行っていたら、最終的に必要な画面にtrimmingをしてから、次に、各、cameraの音声だけを削除します。
その理由は、4台のcameraのdataが全部残ったままでの編集の作業は、powerdirecterが非常に重くなってしまって、ぶっ飛んでしまう公算が多くなってしまうからです。(powerdirecterの作業領域が重くなる分けなので、hard-diskの作業領域が少なくなって、powerdirecterの動きが悪くなる分けではありません。動きが悪い時には、hard-diskの問題もあります。)
video-cameraの音声のdataを全部削除すると、powerdirecterが、非常に軽くなって、サクサクと編集の作業が出来るからなのです。
それにvideo-cameraの音声を完成稿に使用すると、音割れが発生する事がよくあります。
音割れは、音声が強すぎる場合に起こるのか??・・と思ったのですが、音声を絞り込んでも、音割れが発生してしまう事もよくあるので、camera自体の録音が弱い事が原因の一つだと、思っています。
それに、video-cameraの音声dataを画面のtrimmingと一緒にcutすると、cutされた場所で、noiseが発生する事がよくあって、noiseを消す為の、手間暇が膨大に掛かってしまいます。
音声dataは、chapterには分割されないので、基本的にnoiseも発生しません。
音声録音器を使用しない以前の録画では、mainの4k-cameraと、正面の黒カメの音声が、画像のtrimmingの時にも、trimmingされないようにする事で、noiseの発生を防いでいましたが、1台のcameraだけでは、noiseや音飛びが出来てしまうので、subの音声として、黒カメの音声も使って、noiseや音飛びの修正をしていました。
(noiseの原因は音声の波形が上にある時に音声がcutされると、その音がnoiseとなるのだそうです。)だから、そのnoiseの位置で、音声が弱くなるようにして、その部分を別の音声で補強するのです。音飛びは、chapterの間で、音が無くなってしまう現象なのですが、その原因は自動的にchapterに分割されてしまう事で起こるようなので、dataをパソコンに取り込む作業以前の問題なので、如何せん、防ぎようがありません。その部分を他の音声録音と重ねて、音飛びが分からないように修正します。
勿論、音声の録音機器で音声のdataだけを録音する時には、その作業は必要は無くなります。
本来ならばcameraのangleや、Zoomの作業は、会場で録画の時に撮影するcameraで撮影担当の人の作業なのですが、人員不足の為に、会場で撮影を担当する人がいないので、cameraを定点cameraにして、powerdirecterの編集作業でangleの調整やZoom-upの作業をします。
しかし、powerdirecterでのzoom-upには、映像がボケてしまう・・という致命的な弱点があります。(camera本体でのzoom-upでは、映像のボケはあまり出ません。勿論、ボケる事はボケるのですが、powerdirecterでzoom-upする程は酷くはなりません。)
という事で、solisteのupの映像は、up専用のvideo-cameraを使用するのが常道なのですが、今回の発表会ではZoom用のcameraの設置位置をcenterから1㍍程、下手寄りにする予定だったのですが、直前にその確認をする事を忘れていて、私自身がcameraの設定場所を決めていたのに、コンセント(和製英語)の位置のどさくさで、すっかり頭の中から消えてしまっていました。
10月13日やっと、物が2つに見えるという事が治まって来ました ·
今日は10月の13日の金曜日です。
いやさ、Jasonの日だよな??
『やっと、物が二つに見える・・という症状が落ち着いて来ました。』
先月の9月の5日火曜日の夕方から、物が二つに見えるという複視状態になって、車の運転をする事はもとより、楽譜を見る事も、否、足元を見る事さえも出来ない状態になってしまい、千葉の教室の玄関の段差に躓いたり、椎名町の玄関の外への段差で、ひっくり返りそうになったり・・と、してしまいました。
この症状は、最悪の場合には、脳梗塞かも知れない。
その場合には、脳の手術も考えなければならない・・のだ・・と、危惧をして、大きな病院で脳のCTscanをして貰わなければならない・・いう事で、紹介状を書いて貰う為に、近所の眼科に行って、そこで、紹介状を書いて貰って、順天堂の脳外にMRIを緊急にねじ込んで貰いました。
散々、大騒ぎをして、MRIの検査を待ったのですが、その結果、結局の所、脳には異常は無く、「糖尿病が悪さをしているのだろう」・・という事に落ち着いて、自然治癒を待つ事になりました。
薬やリハビリ等の方法は、全く、無いのだそうです。
大山は鳴動したけれど、先ずは、一安心なのです。
しかし、だからといっても、物が二つに見えてしまう・・という事は治った分けではありません。
相変わらず、車の移動も、出来ないので、何十年振りか・・なのですが、2回も、電車で千葉への移動をしてしまいました。
物が二つに見えるという症状が起きてから、約、ひと月が経ちましたが、一昨日の10月9日の月曜日の発表会が終わって、一晩経った、(症状が起きてから、5週間目の10月10日の火曜日になって、) 目のズレが、突然、楽になって来ました。
(完全に治った分けではないのですが、或る程度迄、遠くの方も、そんなにはズレないで、見えるようになりました。)
勿論、未だ、物がズレて見えたり、眼球の両端が痛んだり・・は、するのですが、両目を開いたままでの、bikeの運転が出来るようになりました。(これまでは、片目でないと、運転が出来ませんでした。)
完治と迄は行かないまでも、大きな改善が見受けられた、と言う事です。
突然、良くなった理由は、「発表会のpressureが取れたから・・なのかな??」・・とも思ったのですが、pressureが原因ならば、concoursのpressureの方が大きいハズなので、pressureという理由に拠る目の異常では無いようです。
やはり、単に、糖尿病が悪さをしただけかも知れませんよね??
10日以降は、部屋の中での目線の届く範囲では、殆ど、二重に見える事は、・・・(少なく)なってきました。
少なく・・という意味は、未だに、右側を横目で見ると、ズレてしまうのです。
つまり、右目の右側を見る為の筋肉が炎症を起こしているようなのです。
しかし、正面を見る限りは、大分良くなって来たように思います。
ひと月以上も、目のズレで悩んだのだよな??
一時は、パソコンのmonitor画面すら見えなくなってしまったので、仕事をするのが、大変でした。
今日は運転免許の予約をしなければなりません❢❢※)
新宿まで、一人で歩いて行く事が、難しかったので、暫し保留にしていたのですよ。
そろそろ、免許更新のtimelimitの心配をしなければならない頃なので・・
※)電話がなんとか通じて、予約の申し込みをしようと思ったら、なんと、予約は無しで時間内に、受付迄、行けば良いのだそうです。
善哉❢善哉❢
10月13日『Dragonspeechが死んだ❢❢・・と思ったら、復活した。』 ·
今日は10月13日の金曜日です。
『Dragonspeechが死んだ❢❢・・と思ったら、復活した。』
Dragonspeechと言うのは、往年の音声認識softなのです。
音声認識のsoftというのは、文字通り、お喋りをすれば、それを文字起こしをしてくれるsoftなのですが、勿論、それだけではなくて、パソコンの操作も或る程度は、出来る・・という優れものなのです。
元々の、私の音声認識のsoftに対する願望(音声認識softはこのように有るべきである)は、私がKeyboardで文字を入力する事が苦手・・というか、非常に遅いので、Keyboardで文字の入力をしないでも、文章が打てたら良いのに・・??という、願望から、比較的に早いパソコンの98時代から、そう言った音声認識softを、求め、探していました。
人がパソコンを使用する時・・というか、パソコンと人間の付き合い方・・というか・・の理想形は、今現在のように、パソコンに色々とCommandを入力して答えを導き出すのではなくて、SF映画では、よく、おなじみの、人と会話するように、パソコンと普通に会話が出来る事が、computerとの接し方の理想形だと思いますが、未だ、程遠いようです。
ChatGPTのような文章作成softが、その打開となるAIsoftである事は否めませんが、自由にパソコンを音声だけで、使い熟すのは、未だ、程遠い事のように思われます。
その程遠い理由の一つが、パソコンが人間の喋る声を、その意味を含めて認識する事にあります。
言葉には、同音異義語と言うのがありますが、それを正しく認識するには、言葉の意味を或る程度、理解する必要があります。
今、現在の認識の方法は、一つの単語に対して、前の文節からの関係で、一番多い次の単語を予測して候補として提示しているだけなので、文章の内容を理解して、次の単語の候補を提示している分けではありません。
ですから、完全な予測変換機能としては、未だ未だ程遠いのですよ。そこにAIの技術が入って来ると、パソコンが文章の内容を或る程度は理解出来るようになります。
パソコンと人間の能力の違いは、人間は、膨大な記憶のdataを忘れる・・という事で、意識的にも、無意識的にも、取捨選択をしているのですが、パソコンの場合には、その必要はありません。記憶した情報を無限に記憶し、利用する事が出来ます。それは決定的な人間とパソコンの違いになって、あっという間に、人間が人類として成長する為に利用して来た60万年ぐらいの歴史を、ホンの10年程度で凌駕してしまいます。
所謂、2045年問題で、人間よりも、パソコンが知能を凌駕してしまう危険性です。パソコンが自らを成長させる事が出来るようになったら、人の手を離れて、成長を続けてしまうようになります。まるでSF映画のような話なのですが、これは現実の恐怖なのですよ。
まあ、32年後には、私は生存していないハズなので、その話は、後進の人達に譲るとして、・・当面の音声認識の機能としての期待は、現実的には、Keyboardの入力を速く、手軽に、音声だけで、入力する事が出来て、文章化出来る事が、取り敢えずの、今現在のパソコンの理想であります。
Keyboardの入力が、人よりも、非常に遅い私の場合には、Keyboardの入力の速度を、人並の速度にする為に、少しでも速く入力出来るように、単語登録を利用して、keyを打つ回数を少なくしました。
しかし、それにも限界があり、且又、長時間の文章の入力作業は、Rheumaの指には、結構な負担と痛みを覚えてしまいます。
そういう事もあって、私の場合には、音声認識のsoftを使う事が、当面の憧れで、これまでも色々な音声認識のsoftを購入して、認識率を試していたのですが、時代が進むに連れて、音声認識のsoftも、日常の会話文では、かなりの認識率が期待出来るようになって来たのですが、流石に、音楽論文のような専門的な文章では、殆どの単語が、認識して貰えません。
また、論文に限らず、長文での認識も、音声認識softは弱いようなのです。
という事で、そう言った専門の単語や、特別な専門家の人名の原語表記が出来る、また、誤変換をした文字をその場で削除出来る機能を持った音声認識soft・・と言う事で、そういった条件を備えたDragonspeechと言う音声認識softに辿り着いたのです。
しかし、一見すると、理想的とも思えるDragonspeechという音声認識softなのですが、不思議な事に、computerの気分なのか、日に寄っては、非常に良く認識出来るのに、次の日には、変換が全く出来なくなって、簡単な日常の文章さえも、変換が出来ない時があって、信頼性に余りにも欠けていて、結果としては、あまり、使い物にはなりませんでした。
それに専門用語なのですが、長時間を掛けて、originalの言葉を溜めていったのですが、それが、2度、3度とパソコンが故障する度に、失われてしまい、また、気長に単語の蓄積をしなければなりませんでした。
一応は、登録単語のback・upも出来るハズで、何度もback・upのfileからの復帰を試みたのですが、一度も成功はしませんでした。
一般的なKeyboard入力の場合には、パソコンは故障しても、パソコンに保存された私の単語登録の一覧は、失われる事は無いので、単語登録に関しては、積み上げは非常に上手く行っていますし、その登録された単語帳は、他のパソコンやnotePCにもcopyをして、私が使用する全部のパソコンを、私のKeyboardと同じ入力法になっているので、利便性が非常に高くなっています。
しかし、残念ながら、音声認識softの場合には、それが出来ないのですよ。(出来るハズなのですが、出来ないのです。)
そういった理由で、音声認識のsoftであるDragonspeechなのですが、使ったり、使わなかったり・・と、曖昧な関係が延々と、10年以上も続いていたのですが、2,3ヶ月前のお話なのですが、パソコンが「windows11にupgradeをしろ」と、余りにもうるさいので、別に、支障が無ければ、・・と、パソコンを一度、windows11にupgradeして見たのですが、結果、仕事に必要な色々な重要なsoftが使用出来なくなってしまったので、驚いて、慌てて、元のwindows10に戻そうと、試みたのですが、windows10に戻った後で、私の仕事に必要な重要なsoft類が、全部、パソコンで動作しなくなってしまい、また、再installも、出来なくなってしまったのです。3日3晩、非常に面倒くさい思いをして、再installを試みたのですが、遂に、諦めて、知り合いの業者に委託して、立ち上がらなくなったsoft類を、windows10で、立ち上がるようにして貰ったのですが、その時に、Dragonspeechも、全く、立ち上がらなくなっている事には、気付きませんでした。
その後、Dragonspeechが立ち上がらなくなっている事に気が付いて、再度、installを何度か試みたのですが、installさえも、出来ない状態になってしまっていました。
softの管理者も一転二転をして、問い合わせ先も不明になってしまったので、諦めてDragonspeechは、もう、捨ててしまう事にしました。
つまり、それだけ、頑張って再installしても、・・・或いは、もう一度、業者にお願いしてお金を払っても、・・それだけの、お金や時間を掛ける程の価値は、Dragonspeech程度の音声認識のsoftでは、無いからです。
・・とここ迄が、立ち上がらなくなってしまったDragonspeechのinstallを断念して、新しく別の、簡単なアプリをinstallしようと、思い立った迄のお話です。
音声認識softに関しては、lineやmail等の日常、使用する文章ぐらいは、携帯での音声認識で充分なのですが、論文を書くとなると、流石に、携帯の音声認識のsoftでは、対応が出来ません。
認識率は結構、高いのですが、専門的な用語では、その対応は、未だ難しいようです。
ましてや、パソコンで、専門分野の論文を音声認識のsoftで、入力するには、専門の用語が必要になるので、そこの所への配慮のある音声認識ソフトが必要なのですが、※) Dragonspeech以外に、そういった単語登録の出来るsoftが見つからないので・・ね??
※)医療関係の音声認識のsoftでは、AmiVoiceという音声認識softでも、専門のsoftが販売されています。
つまり、医療関係ならば、充分なneedがあるからなのです。
音楽関係もNeedsが有りそうなのですが、実際には音楽というと、Classic以外のgenreの方が、Needsが大きいので、結局の所、Classicの分野では、あまり、Needsはなさそうなのですよ。
という事で、専門用語のお話は諦めて、応急処置として、lineやmailに入力出来るように、windows11でも対応可能な音声認識だけの、安い簡易音声認識softを探して、Googleの認識機能を使用している・・というキャッチフレーズのVoiceCodeというsoftをnetで約8千円で、購入しました。
Googleの日本語入力には、論文の為の作曲者名等の単語登録をしているのですが、VoiceCodeでの音声認識は、Googleの単語登録とは無関係で、私のパソコンに入っている辞書とは無関係のCloudの話らしいです。
元々、windowsに入っていたハズの、Dragonspeechも、本来の音声認識softが立ち上がらなくなってしまっているし、その認識率も、非常に悪くなってしまっていたので、やはり、「安価でも専門のsoftの方が良い」というadviceを受けての購入になります。
明日か、明後日には、VoiceCodeのsoftが椎名町に到着する予定です。
・・と思ったら、予定の日の土曜日には、入荷出来無くて、次の日曜日も入荷が無くて、次の日の月曜日の入荷になってしまいました。
早速、期待をして購入したVoiceCodeを、大急ぎで、パソコンにinstallしたのですが、簡単にinstallが出来るハズが、音声のdriverと整合しないと言う事で、makerに何度もmailをして、やり取りをして、なんとか2日間掛かってinstallが出来ました。たかがinstallに2日間も掛かってしまったのですよ。超、腹が立つ❢❢
それから早速、音声認識のtestを始めて、超、Shockだったのは、①誤変換を修正出来ない②lineやmailに直接、入力出来ない③いちいち、コピペしないと、何も出来ない・・という、超、手間の掛かるsoftで、全く、意味の無い無駄な出費になってしまいました。
諦めきれないで、色々と、netで音声認識のアプリを探して見たのですが、結局の所、無料のsoftや、1万円台の音声認識softは、そういった事が全く出来なくて、やっぱり、なんとか使えるsoftは、DragonspeechとAmiVoiceの3万円弱を出さないと購入出来ないsoftしか無いという事が分かりました。
流石に、今更、Dragonspeechに3万弱払うのも気が引けてしまうので、部屋のゴミになっていた、AmiVoiceの2008を試しにinstallしてみたのですが、流石に、古過ぎて、installは出来たのですが、書き出しがlineにしか書き出せ無くて、しかも、認識率も余りよくはありませんでした。
残るは元々のDragonspeechなのですが、流石に、新しいDragonspeechに3万も払う気がしないので、Error-chordの401を配慮して、互換性modeでinstallをして見ました。
なんとか、互換性modeならば、installが出来ました。
「互換性modeでは、正しく認識率を上げる事が出来ない」・・というmessageがしつこく出るのですが、流石に、何もしていない真っ更の状態でも、認識率や誤変換に関しては、一番優れています。
それに、使い慣れているので、単語登録も、比較的に簡単に出来ると思いますので、暫くは、Dragonspeechに戻す事にします。
管理者権限にすると、Dragonspeechは立ち上がらなくなってしまいますし、installからやり直さないと、互換性modeを削除する事も出来ないので、超、messageがうるさいのだけど、暫くは諦めて、このままの状態で使用して見る事にします。
10月15日concoursのlessonの話 ·
今は10月の15日の日曜日になった所です。
一昨日の金曜日の深夜・・と言うか、昨日の14日の土曜日の午前中は、頻尿の為に、眠る事が出来ず、全くの睡眠不足だったので、頑張って、朝になっても、なんとか頑張って、「眠ろう」と何度もbedで入眠を試みたのだけど、とうとう、眠る事が出来ずに、そのまま、お昼の3時のlessonの時間になってしまいました。
(毎度の事なのですが、24時、25時がどの曜日になるのかで、日にちがズレてしまいます。本当は二日しか経っていないのに、曜日では3日の感覚になってしまうので、困ってしまいます。なんとか、良い日にちの数え方はないのでしょうかね??)
『concoursのlessonのお話』
concoursに生徒を出す場合には、通常のlessonの時間内では、とても、指導が出来ないので、先生に寄っては、concours迄の半年間を、週3回、或いは、1日起きのlessonをする先生が居たりします。
通常のlessonだけで、concoursに生徒を出す先生は皆無だと思われます。勿論、当然、one lesson代は派生するので、concoursを一つ受けるだけでも、生徒側に取っては、膨大なlesson代が掛かります。それにconcoursの場合には、楽器の良し悪しも、大きな評価になりますので、concoursに出場する事は、結構、膨大な投資になってしまいます。まあ、proを目指すには仕方の無い投資なのでしょうかね??
でも、私の場合には、教室を作ったばかりの、未だ若い時代から、今日まで、基本的はconcoursの為にlessonをする事はありませんでした。
発表会や通常の行事やlessonを、普通に熟せて・・の、concours出場というのが、私の場合の条件だからです。
勿論、concoursに出場する事が、特定のお金持ちのお嬢様達の特権であるかのような、風潮に反発を感じた事もあるからです。
ですから、私の場合には、concoursに出場する事を希望する生徒達の場合には、基本的なlessonの形を変えないままで、普段のlessonの中で、concoursを受けるように、させています。
勿論、concoursに間に合わない・・とかの理由で、追加のlessonの希望をする事があれば、別に、私としては、lessonを受ける事は、構いません。
否、基本的には、concoursとは無関係でも、私の時間の許す限り、追加のlessonは受け付けていますので、敢えて、concoursの為に・・とか言ったような条件がある分けでは、ありません。
まあ、concoursに間に合わないから・・という理由で、lessonを希望されれば、それはそれで、やぶさかでないのですが、練習が出来ても、出来なくても、或いは、concoursに間に合っても、間に合わなくても、本人の努力の問題と言う事で、「間にあっていないから・・」と言った理由での、私からのlessonを要求する事は、しません。
それは、本人の問題だし、私としても、追加のlessonをするのは、面倒くさいのでね??
今回の6日のconcoursの本番は、私の入院、手術とダブってしまったので、concours前のlessonは、全く出来ませんでした。
まあ、「何が何でも・・」と、いう事であれば、入院中も、携帯は通じていたので、web-lessonならば可能だったかも知れなかったのですが、流石に、そこまでは・・ね~ぇ??
退院の予定日よりも、一日早く、土曜日に退院をしたのですが、次の日の8日の日曜日は、今回の発表会の前日だったのですが、体調的に、とても、対面lessonをする為の千葉教室への移動は無理だったので、その代わりに、web-lessonをして、発表会に臨みました。
それが、8日の日曜日のweb-lessonです。
そして、9日の月曜日が、発表会当日になって、その中、二日をおいて、次の12日の木曜日が、concoursの当日になります。
発表会の次の日の10日の火曜日は、流石に、お久し振りの車の運転や、指揮とかで、体力の限界で、私としては、体調的に、lessonをするのはとても無理だったので、concoursの前日ではありましたが、本人の希望で、11日の水曜日に急遽、ハイツの自宅に来て貰って、lessonをする事になりました。
時間優先の為に、学校からの直接、私のハイツの自宅にlessonに来るので、楽器を持たないでのlessonになります。
私としては、「concoursの前日は、家で練習をする方が、時間的には有効かな??」とも思ったのですが、本人の希望なので、そちらを優先させました。
まあ、精神の安然の為のlesson・・と、言う意味でも良いのでね??
今日・・というか、昨日と言うか・・14日の土曜日のlessonは、concoursが終わった後でのlessonになります。
勿論、次のconcoursの為のlessonであり、当然、私の自宅の江古田のハイツでの対面のlessonです。
勿論、生徒は、学校からの直接来るので、前回、同様に、楽器は持って来ません。それに、ハイツのパソコンの大型のmonitorを見ながらの、concoursでの演奏の反省と、次のconcoursへのconceptを確認する為の、lessonなので、楽器は特に必要は無いのです。
次のconcours迄は、ひと月しか無いので、猶予の無い、急遽のlessonになります。
lessonの内容的には、木曜日のconcoursの後からの、中、二日と空けて・・の、lessonなので、前回のlessonで注意した所の確認と、concoursでの演奏の、所謂、上手く弾けた所と、弾けなかった所の確認が中心のlessonなので、concours当日のVideoを、何度も再生を繰り返しながらの、check-pointを確認しながらのlessonになります。
lesson自体としては、lessonの内容は、これまでも、何度もlectureして来た内容なので、演奏法としての解説は必要は無いので、時間的には、結構、smoothにlessonが進んで、前回と同様の2時間半のlessonで、timelimitの6時の30分前には、lessonを終わらせる事が出来ました。
(ちなみに、concoursでの演奏時間は、これまでの最短演奏時間の16:09秒でした。全楽章としては、結構速い時間ですかね??)
concours直後のlesson・・とは言っても、私的には、よくよく考えて見たら、昨日の土曜日のlessonは、未だ、病院を退院してから、1週間しか、経っていないtimingでのlessonになるので、結構、体力的には、大-hardな一週間になりました。
まあ、良く頑張っているよなあ??(・・俺がだよ❢❢)
『楽器無しのlessonに付いて』
「楽器無し」の楽譜だけでのlessonは、私的には、昔々から、普通にやって来た事なので、何の不思議も無いのですが、一般的には、楽器を持たないで、lessonをするという先生は、全く居ないようで、・・「そう言ったlessonが可能である」・・と言う事が、中々、音楽家の間でも、理解して貰えないようです。
Pianoのlessonをする時でも、Pianoの蓋を一度も開けないで、録音の音を聴くだけで、指使いの間違いの訂正や、音の粒のミスを一つ一つ、指摘する事は、一般的には、不思議・・というか、脅威らしいのですが、私的には、小学生の子供達にも、普通に、楽譜だけの説明で、指導する事は多いので、極々、普通なのだけどね~ぇ??
『lesson後記』
まあ、lessonの話はこれまでにして、日常の生活のお話に戻って、lessonが終わって、私のrotationである「食事に行く時間」は、いつもの通りの時間なので、今日も、lessonの後では、少し休んでから、食事とドルプリっ歩に、行く予定だったのですが、椎名町に移動して、食事が終わった頃に、突然、強烈な意識混濁状態に落ち行って、起きている事が辛くて、出来なくなってしまい、ドルプリっ歩を急遽、pasして、ハイツに大急ぎで戻りました。
多分、血糖値が急に上がったのだろう・・と思いますが、なにぶん、血糖値の検査kitを持っていないので、実際には何が理由なのかは分かり兼ねます。
ハイツに戻って来て、早速、bedで眠ろうと思って、bedに入る事は入ったのですが、嵌入便に悩まされて、bedで眠る事が出来なくなってしまいました。便意はあるのですが、toiletteに行っても、全く出ない状態が1日延々と、続いているのですよ。
嵌入便は、一般的には便秘をしないように、便通に気を付けていれば、ならない・・と言う話なのですが、実際には、1日に2回、便通があっても、嵌入便になって、排便が苦痛になってしまうのです。だから、便通の回数とは無関係なのですよ。
今回も、已む無く、非常手段で、無花果さんのお世話になって、なんとか、今日を凌ぐ事が出来ました。
・・という事で、なんとか無事に入眠が出来たのですが、いつもの、one‐coolの頻尿で、深夜の3時40分には、目が覚めてしまいました。
未だ暖かくて、冷蔵庫に仕舞え無かった食料品を、冷蔵庫に仕舞ったり、遣り残した雑用を片付けながら、bedに戻るtimingを見計らっています。
toiletteに行って、小一時間もしないのに、また、頻尿をもようしています。
外は静かなのに、雨音が時折、聴こえて来ます。
確認の為に、玄関を開けて見ると、結構、雨が激しく降っていました。
暑くなったり、寒くなったり、晴れたり曇ったり、激しい雨が降ったり・・と、まるで天変地異のon paradeですよね~ぇ??
それはそうと、昨日のlessonなのですが、なんと、ドルちゃんがハイツに付いて来たのですよ。
lessonなので、3時間、おとなしく待てるか、心配したのですが、問題無く、おとなしく待っていました。
TPOは良く理解出来るドルちゃんなのでね??
別にMansion自体の規約では、Pet禁止ではないのですが、住民で、結構うるさい老婆が居て、事実上はPet禁止の状態なのでね??東京はPetの嫌いな人達が多いよね??
生き物を飼う事は、子供達の情操の教育には、最高の手段なのにね~ぇ??
相変わらず、部屋の中は、静かなのですが、確認の為に、玄関を開けて見ると、結構、激しい雨が降っています。
今日は一日雨なのかな?
ドルプリっ歩が・・・
いや~ぁ、困った❢❢困った❢❢
今も激しい雨が降り続いています。
練馬区の気温は14℃で、体感温度は12℃だそうです。
これは寒いのだよ。
でも、ハイツの部屋の中は、全くの無音状態です。
これは困った❢❢
テレビを付けても、日曜日には面白いテレビは皆無だし、あまり、テレビの音は好きく無いしね~ぇ??
音楽・・??音楽は疲れた❢❢
10月17日『proを目指しても・・』 ·
今日は10月17日の火曜日です。
昨晩は、退院から九日目にしての飲み会を、いつもの飲み屋で、しました。
いつもの飲み屋・・というと、条件は、bikeに乗らないで済むように、江古田の飲み屋で、時間制限の無い魚河岸か、電車で椎名町迄行って、帰りも電車で帰るcourseかの二つしかありません。
先生達と飲む・・という条件では、飲む開始時間が遅くなってしまうので、お店が限られて来るからなのです。
今回の飲み会は、私の退院祝いや、発表会の打ち上げ、大学生の就職祝いと悩み相談を兼ねた飲み会です。
大学生ともなると、「音楽でproとしての生活をどうすればkeep出来るのか??」という事と、一般的な就職との狭間での悩みが多いのですが、そう言った生徒達に対しての私の回答・・と言うか、adviceは全員に対して、同じadviceなのですよ。
相談を受ける事は、それぞれの生徒達からは、個別に受けますが、それに対する、私の回答は不思議な事に、1種類しかありません。
学生が音楽でproを目指すとして、その可能性はproに成りたいのか、proを憧れるのか??の二択に過ぎないのですよ。
つまり、proを目指す人ならば、100%、proに成れるのですよ。
言い方を変えると、音大生が抱くproとは、何を持ってproと言うのか??の定義が、先ずは、曖昧なのですよ。
華やかに、音楽で演奏活動をする事だけがproと言うのならば、proの道は、超、簡単です。
そう言ったAgentと、契約をすれば、良いだけだからです。
華やかで、或る程度の収入も確約された音楽家人生が待っているでしょう。
しかし、そこには落とし穴があります。
それは、私が音大生の頃から、いつも言っている「30の壁」なのです。華やかで、若さを売りにした活動では、「30の壁」を越える事は出来ません。
殆どの人達が「30の壁」を前にして、女性ならば、結婚に‥、男性ならば大学の先生とかに、逃げてしまって、演奏活動は、そういった生活の合間に‥細々と・・になってしまいます。
でも、それからの人生の方が、長いのですがね~ぇ??それに気付く人は、殆どいません。
本当ならば、華やかな音楽活動には目も来れず、勉強三昧に勤しんで来た本格派の人達と、「30の壁」を堺にして、変わってしまうのですが、不思議な事に、今の日本には、この本格派の人達が居ないのですよ。
日本の音楽界には、本格派という概念が存在しないのだよね??
本当の本物を追求する音楽家が、日本には、居ないのだよ。
だから、三十路の壁を越した音楽家が存在しないのだよ??
まあ、そう言った絶望的な話をしても、しょうがないので、まあ、一般的にproになる場合のcoursを、紹介しよう。
私達が音大生の頃には、proを目指す場合には、そのcoursは、一つ、二つの僅かな道の可能性しか無かったのです。
proになる・・という事は、人に名前を覚えて貰うしかありません。その方法が、concoursであり、有名音大を卒業して、先輩諸氏からの現場からの引きを待つ・・という方法しかproを目指す道は無かったのですよ。
しかし、この半世紀の間には、Mediaの発達に拠って、proを目指す為の、ありとあらゆる方法論が出来て来ました。
しかし、一般のproを目指す音楽家達に取っては、旧態然とした、黴びの生えた道しか、知らない(信じられない)ようで、現実的には、多くの若者達が自分に合った方法論でproになっているのに、それを認められないのが、一般の現実なのですよ。
歳は、若くても、保守的な事は老人と変わらないのだよね~ぇ??
日本で言われているproに成る為の道、つまり、concoursに入賞して、有名音大に入学して、海外留学をして、帰国してproの道が歩める・・と言う妄想です。
しかし、proの道は、それ程、簡単な道ではありません。
その道を毎年、多くの若者達が歩んでいるのですが、その中で、proとして認められた人達は、10年間に1人の割合ぐらいしかいません。他の全ての人達は、2,3年もしない内に忘れ去られてしまいます。
しかし、10年間を単位として考えるのならば、concoursに入賞しなくても、音楽大学を卒業しなくても、海外留学をしなくても、proになっている人達は、常にその割合では居るのですよ。
つまり、coursを歩もうと、coursに外れようと、proになる割合は変わらないのが現実なのです。
proとアマの、それを分けるのは、別の要因だから、なのですよ。
私達の教室の生徒達は、音楽の技術的には、一般のproを目指す生徒達には遜色はありません。でも、巷の音楽教室の悲しさと言うか、音楽に向かう意識は、proを目指す一般の学生達とは、雲泥の差があります。
私が周りの反対を押し切って、・・と言うか、周囲の近親演者を含めて、勘当状態で音楽大学を受験した時には、その道で生活を立てる・・という事は必然だったのです。(つまり、勘当状態なので、生活の援助は期待出来なかったからなのですよ。)
だから、私は、「30の壁」という条件を自分自身にも付けました。つまり、33歳の時に、音楽で生活が出来ない場合には、キッパリと音楽の道を諦める・・という自分への課題でした。
現実的には、30歳になる前には、生活を安定させる事は出来ていたので、私の「30の壁」はありませんでしたがね??
よく、音楽家からの相談を受ける事があります。「音楽で、否、Classicで、生活をするのは不可能ですよね??」
それを、Classic・onlyで生きて来た私に聴くかね~ぇ??
生きて行けるか否かは、目の前にsampleがあるだろうが??
勘違いをして貰って困るのは、私は音楽教室の経営で生活をしているのでは無いのですよ。
音楽教室から、給料を貰った事は無いし、ほぼ、毎年と言っても良いぐらいに、音楽教室に投資をしているのですよ。
毎年、500万ぐらいの単位で・・ね??
私に取っては、音楽教室は、私の金食い虫なのですよ。
私に取っての、音楽教育はこう有るべき・・という姿の、趣味の世界なのですよ。
音楽教室が無ければ、私はもう少し優雅に暮らして行く事が出来るのですがね~ぇ??
まあ、そうは言っても、もう、蓄えも底を尽き始めました。
これ以上は、少し厳しいかな??
退院から九日目なのですが、この9日間にも、Facebookに書いた事や、全く書かなかった事等も含めて、実に色んな事がありました。
今日の、火曜日のmain‐eventは、練馬経由で、都庁まで行って、免許証を貰って来た事です。
認知症検査から始まった、懸案の半年間の大Projectが終わりました。
退院から10日目で、突然、新宿を歩いたので、流石にバテてしまって、膝と腰に来てしまいました。
青息吐息でハイツの部屋に戻って来たら、部屋が熱気で蒸れていたので、窓と玄関の扉を開けて、空気の入れ替えをしました。
風呂にも、入りたいのですが、未だそこまでの準備は出来ません。
・・もう少し、休んでからゆっくりと準備をする予定です。
・・という事で、暫し、仮眠をしたのですが、なんと、いつもの常設の夢を見て、爆睡してtoilette-timeで起きた・・と思ったら、なんと、40分しか眠れていなかったのですよ。
one‐coolも眠っていないのだよな??
まあ、しゃ~あないので、夜食を食べて、風呂を温めて、体を休める事にします。
今日は、運転免許の更新だけで、一日が終わってしまった。
滅茶苦茶だよな~ぁ??
疲れが出てしまったのか、今日は、またまた、複視がぶり返してしまった。新宿から帰る時には、電車での降りる駅の表示が読めなくなってしまいました。
10月18日『Händel=Ashizukaのpassacaglia in gのお話』 ·
今日は10月18日の水曜日の午前3時を過ぎた所です。所謂、丑三つ時なのです。
17日は、免許の更新しか出来ていないので、結構、体調と良心の呵責に責め苛まれていました。
・・という事で、深夜になって、Henri CasadesusのViola Concerto in the Style of Handel in B Minor の曲の批判の文章を書いていた時に、私のHändelのpassacagliaのarrangeを思い出してしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=joUKxFqQD70
まあ、最初は擬古典としてarrangeするつもりだったので、17年の4月の2日に発表会で演奏した時には、未だ、良心の呵責に悩まされる事は無かったのですが、このCasadesusのHändelのarrangeを見るに付けて、擬古典とは言っても、もう少しHändelの時代風に書いた方が良かったのでは・・と、悔恨の念が湧き上がって来て、昨晩のcinderella-timeになった辺りからは、無意識にも、昔、書いたfinaleのscoreを立ち上げていました。
You Tubeで、色々なorchestraの演奏を聴いて、私の理想とは程遠い事も、新しく手直しをする原動力となりました。
楽譜の手直しは、orchestrationを作り直す分けではないので、いとも簡単です。
私のarrangeでの、変な箇所は、基本的には、2箇所あって、その一つは、tremoloでした。
tremoloは、baroque時代には未だ無かったので、それが時代考証的におかしいのですよ。
tremoloが入っているだけで、古典派の末期の時代迄、音楽表現が飛んでしまいます。
それに加えて、音域が、3rd.position等の、近現代的には極々当たり前の音域だったのですが、baroque時代では、可能ならば、orchestraは、1st.position内に収まった方が、baroque風になります。orchestra奏者が、色々な宮廷の演奏者として、兼任していたからです。つまり、トラのrootsなのですよ。
と言う事で、初見で演奏出来る音域と言う事で、3rd.positionは、baroque時代では、高音域の表現になってしまいます。
留意点は、その2点と、orchestraが、4弦の和音を弾く所を、2弦、3弦迄にして、4弦の和音を演奏するのは、soliのみに限定しました。
それだけの変更で、baroque風に聴こえるのだから、面白いものです。
編成としては普通のConcerto Grossoの形態なのですが、Cembaloのpartがbasso continuoでは無くて、殆どsoloとして演奏をしているので、continuo Cembaloでは無くて、ConcertoのCembalo に加えて、Concerto Grossoで伴奏をする・・という演奏形態です。
この演奏形態も、baroque時代には、結構、ありふれた形態で、珍しい演奏形態ではありませんでした。
但し、Concerto Grossoという事はsoliにViolinのⅠとⅡのsoloとCelloが取られてしまうので、最低人数でも1st.からCelloに至る迄、各part、2名づつは必要になります。
2017年の4月2日の発表会での演奏では、1st.がsolo1+4名、2nd.がsolo1+3名、Violaが2名とCelloがcontinuo-Cello1名と2名、Kontrabassが1名にCembaloが1名の頗る変則的な14名の編成となっていますが、まあ、寄せ集めの編成なので、致し方はありません。
同じ、14名の編成ならば、baroque-orchestraとしては、1st.soloと2nd.soloにcontinuo-Celloと、soloのCembaloを加えて、各partが2名ずつの、1st.3,2nd.3,Viola2,Cello3,Kontrabass2とCembalo1の15名の編成がbalanceが良かったと思います。
という事は、このHändel=Ashizukaのpassacagliaを演奏するのは、最低15名の人数が必要になるのだよな~ぁ??
baroque時代ではorchestraのpartも一人づつ・・という可能性もあったので(soloがtuttiにも加わると、2名で演奏している事になるのですが、soloの伴奏がorchestraになると、soloの裏だけが、一人の演奏になってしまうので、伴奏をsoliにすると、可能性が出てきます。)
と言う事で、可能な限りの最低人数の編成は、soloとオケ・backの2名なので、1st.2,2nd.2Viola、1Cello2,Kontrabass1とcontinuoのCembaloが1名の所謂、9名の編成がbaroque-orchestraの必要最低人数です。(この話はVivaldiのa mollのVivaldi a moll Op.3Nr.6のお話に結構詳しく書いています。)
コロナ以降では、3回オケは、弦組がQuartettの人数(4名)しかいないので、次回にオケが組めるか??・・が定かではありません。Piano組はKontrabassとCembaloと色々な楽器を担当してくれてはいるのですが、学校教育のように、最初から年齢や技術でのgroup単位で育てていては、後進は育たないのですよ。
戦前の教育のように、飛び級が本当の教育ならば必要なのです。
それは、平等のはき違いなのですよ。
本当の意味の平等ならば、その人達の教科に対しての価値観で、groupをはかるべきなのです。EuropaやAmericaでは、小学生が飛び級で、大学の授業が受けられるのですが、日本では、未だ聞いた事がありませんよね??
申し込みを待つ迄も無く、3回オケ組が曲を演奏出来るだけのmemberがいないので、このHändelのpassacagliaを演奏する事は、人数的に不可能なのだよな~ぁ??
(・・てな事を毎回言っているのだがね??)
いや、マジ、今回は・・(・・とも、毎回言っているよなあ??)
今回の大きな違いは、いつもならば、俺がそれ(・・オケは無理って事)を言って、先生達が、それを(俺の意見を)無視してオケを強行しているのに対して、今回は俺は(オケは無理って事を)言っていないのに、先生達の方が、それを(オケは無理って)言っているのだよな??
楓ちゃんのRecorder Concertoの場合には、楓がrecorderのsoloを弾いても、CembaloとKontrabassはPiano組が担当出来るので、member的なriskが一番少ないのだよ。弦のpartが1人足りないだけなので、オケが出来る可能性がある・・という意味なのだよ。
昨晩・・と言うか、今日の早朝にarrangeをし直した3rd.versionのHändelのpassacagliaになります。(勿論、パソコン音源です。)
https://www.youtube.com/watch?v=9CzHk_w7r-E
10月18日『HändelのPassacagliaのorchestrationのこもごも』 ·
今は未だ、10月18日の水曜日の深夜の11時半を過ぎた所なのです。
昨日の火曜日(17日)は、免許の更新の為に、新宿迄、練馬回りの電車に乗って出掛けて、都庁の中を漫然と歩いて、バテるハズは無いのだけど、超、バテてしまい、その後の一日を、為す事も無く、漫然と過ごしてしまいました。
流石に、椅子に座ったままで、cinderella-timeがやって来た時には、一日中、何も出来なかった事を反省して、偶然にも、You Tubeで、Händelのpassacagliaの演奏を聴いて、orchestrationやtempo感等に、疑問を感じて、幾つかの演奏を聴いて見たのですが、納得の行く演奏に巡り会わなかったので、自分のarrangeの(2017年の4月の2日の発表会の)演奏を聴いて見たのですが、その自分の演奏も、やはり納得が行きませんでした。
当時の私のarrangeでは、同じHändelのsarabandeでも、前半部をbaroque調で、後半部は擬古典風に、arrangeをしていました。
まあ、Halvorsen(ハルボルセン)に限らず、多くの作曲家が、そういう風にarrangeをしていたからなのですがね~ぇ??
逆に、You Tubeでは、pro、アマを問わず、色々な演奏団体が、結構、HändelのPassacagliaを原曲に近いままのarrangeで演奏しているのにも関わらず、演奏の様式が現代のままの奏法なので、擬古典風に聴こえてしまう事を、残念に感じてしまいました。
逆に、擬古典の様式で書いた私のPassacagliaの方が、古式豊かに、古めかしく聴こえてしまうのは、面白いと思ったのだよな??
私自身も、HändelのPassacagliaを、Händel=Ashizukaの擬古典風では無くて、なるべく、HändelのCembaloのPassacagliaのimageに近づけたい・・と、いう欲求は、結構早い時期からあって、これまでも、finaleの楽譜上では、baroque風に書き直して、2nd.version(第2版)として、パソコン音源として、You Tube上にuploadしましたが(You Tubeのパソコン音源は削除しました。)、それを更に、今回は、baroqueのConcerto Grossoの形式に近づけて、更に、演奏技術的にも、より簡単に演奏出来るように、originalのHändelのCembaloの作品に近づける・・と言う作業を、今日、1日で・・試みました。
・・という事で、今日(18日の水曜日)の一日は、1日中、Händel=Ashizukaのpassacagliaのarrangeを弄っていましたが、元気溌剌の状態で作業が出来た分けではなくて、結構、強目の欝にも苛まれたままの状態でした❢❢
通常ならば、仕事modeで忙しい時には、欝にはならないのですが、今回は、仕事が欝の解消にはならなかったようです。
体の奥の方に、手術用のハサミか、わだかまりを置き忘れたままのような・・鈍痛のような感じなのですが、まあ、それが、人生の悲哀という事なのでしょうが、人生の悲哀と言っても、外に原因を求めるのは、・・・「何を今更」・・という事でもあるので、欝の原因は、今日は寧ろ、「体調的な理由なのかな??」とも思っています。
まあ、手術用のハサミで、思い出した事があるのだけど、午前中に川崎の病院から電話があって、紹介状を書いて貰う代金と郵送代に付いて・・なのだが、転院の理由が川崎の病院の都合でもあるし、原爆の保険証もあるので、郵送代を病院が面倒を見てくれて、ただにしてくれたのだよ。
100円でも10円でも請求をしていた頃の病院とは大違いダナや??随分、親切になって来たのだよな??
善哉❢善哉❢
欝であろうと、あるまいと、私の場合には、人生が何か変わる分けは無いのですが、もしも、あの時に、あの道を選んでいたら・・、てな事は、一度たりとも、考えた事は無いので、もし、Mephistoが私の前に現れて、「人生を変えてやる」と言ったとしても、別の人生を考える事は、多分、無いでしょう??
誤解の無いように、確認をしておくと、「私の人生に他の道が無い」・・という意味ではありません。
ヒョッとしたら、医者の道もあったかも知れないのだけど、私の場合には、例え、どのような人生を選んだとしても、この欝から逃れられる事は、ないのだ・・と言う意味なのですよ。
つまり、私の鬱は、産まれついての鬱なのだからです。
例え、医者になっても、音楽大学の教授になったとしても、私の欝からは、逃れられる事は無いのだよ。
それが私の人生ダナや??
まあ、損な人生ダナや~ぁ??
10月20日『音声読み上げ』 ·
今は10月20日の丑三つ刻です。(深夜の3時という事・・)
昨日は、超、珍しく、お出掛け衣装での外出だったので、ハイツから、直接の車の送迎ではあったのだけど、結構、衣装負けして、疲れてしまったので、夜食を早めの時間にして貰ったのだけど、椎名町で、食べている最中に、眠り出して、大慌てで、ハイツに戻りました。
10時前には、ハイツに戻ったのだけど、椅子に座ったままの、呆然自失状態で、いつものroutineのように、12時近くになってしまって、それから、ちゃんとbedに移動して寝直しました。
しかし、いつものtoilette-timeで、one‐coolの深夜の2時頃には目が覚めてしまったので、風呂に入って汗を流して、そのまま体を乾かしている所です。
勿論、又、頑張って、眠るつもりなのだけど、眠りを司る神々は、日本では砂掛け婆さんか、Europaでは、むくつけきSandmanのような男性や、いかつい神なので、妙齢の美女の女神様は、基本的にはEuropaや日本には、居ないのだよな??
時折、美女として描かれる事のあるHypnosも、基本的には男性なのだよ。
唯一の女性の女神様と言われている月の女神、 Hekátēも、片手に短剣を持って、亡霊達を支配し、妄想や夢遊病をもたらす恐ろしい女神様なのだよ。
・・という事で、日本でもEuropaでも、優しくbedで添い寝してくれるような女神様は、居ないのだよ。
「なんで・・??」・・とは言われてもね~ぇ??
アニメの世界ならば、居るのかも知れないのだけど・・
現実はそんな甘いモノでは無いのだよな??
アハッ!
文章を読むのが、目が疲れてしまったので、windowsの音声の読み上げを使ったのだが、defaultが男性の声だったので、女性3人の内から、一番おとなしい声にselectした。
選択肢は女性が3人だったのに対して、男性は1人だった。
欝が酷い時や、やる気が出ない時には、仕事・・そのものでは無くて、パソコンの作業が捗るように、パソコンの環境の整理や、現実の部屋の整頓等々、生活上の環境の整理整頓をします。
神経を使わないので、楽だからです。
料理教室ならば、差し詰め、下拵え・・とでも、言う所なのかな??
今迄は、右clickをしても、音声での読み上げは出て来なかったので、市販の無料softを入れて見たり・・していたのだけど、今回、Dragonspeechのtroubleで、windowsの音声関係の設定を弄っていたら、自動的に読み上げるnarratorの設定が出来るようになりました。
・・という事で、パソコンの音声認識と、音声の読み上げが出来るようにパソコンを変更したのだが、これも、欝対策の一環なのだよな❢❢
・・・と思っていたら、曲決めになって・・
10月23日『月曜日から日曜日迄の総括』 ·
何かさしたる理由があるわけではないが、漫然と時計の針が12時を越すのを待って、Facebookを書き始めた。
・・という事で、今は10月の23日の月曜日になったばかりの深夜0時なのだ。本来ならば日曜日の深夜の24時と言う所なのだろうが・・
今日までの一週間の総括としては、月曜日には退院祝いと発表会の打ち上げと、生徒の就職祝いを兼ねての飲み会や、運転免許の更新の為に、新宿の都庁迄、電車で、出掛けたり、渋谷迄、楽器を選びに出掛けたり・・と、結構、雑用のお出掛けで、忙しかったのだが、金曜日と土曜日も、いつものrotationならば、ハイツの自宅の部屋でのlesson-dayなのだが、生徒達、それぞれの都合で、二日間・・丸々と、お休みになってしまったので、本当ならば、超、お久し振りの、暇な安息日だったハズだったのだがな~ぁ??
本来ならば、発表会の終わった後の次の週は、先生達は、orchestraと室内楽の曲決めの為に、非常に忙しくて、(曲決めだけならば、それ程、大変では無いのだが、曲決めの前にはmember決めがあって、全員が同じthemaで練習が出来るように配慮しなければならないので、結構、組み合わせが難しいのだよ。)
それに前回ぐらいからは、orchestraの必要人数が(教室の生徒自体が)居ないので、本来ならば、orchestraに参加する生徒の技術levelとsoloを演奏する技術も配慮しなければならないのだが、参加する人数が限られているので、演奏出来る曲の選択肢は、全く、無いのだよ??
つまり、3回オケを申し込んだ生徒のlevelだけで、曲決めをしなければならないのだよ。
まあ、それは至難の業だよな??
曲を探して、選び抜いて決めるのでは無くて、memberが決まった時点で、曲が自ずから決まる事が多いのだよ。つまり、演奏不可能な曲を除くと選択肢はもう、殆ど無いのだよ。
曲が決まったら、生徒達の楽譜や教室に置く楽譜を準備しなければならないのだが、単純で誰でも出来る作業と思われがちなのだが、実は、ここからは、それが出来る人しかpart譜やscoreを作る事は出来ないのだよ。
copyをして、伝票を書くだけの作業と、思われるのかも知れないのだが、そこも、やはり、それなりの技術力が必要なのだよ。
例えば、学生が、就職が決まって、先ず、会社に行って、仕事を始める時には、会社としての或る程度の技術力が必要になります。
・・曰く、技術を(殆ど)必要としない仕事というのは、それこそ、コンビニや飲食店の接客の仕事しか無いと思います。(コンビニで働く人達は、コンビニの仕事も技術は必要だ❢・・と言うかも知れませんが、1日講習で、後は慣れ・・という仕事は、自分の時間を売っているだけであって、技術職ではありません。)
会社ならば、最初の仕事は、お茶汲みと電話番かも知れません.
お茶汲みと電話番ならば、誰にでも出来る仕事だと思われるかも知れませんが、実は、それは、接客の基本であって、結構、重要で、難しい仕事になります。お茶汲み⇒電話番⇒copyと仕事を覚えて行って、それから、初めて営業に出れるようになるのです。
その接客の仕方に拠っては、会社の運命を左右しかねない重要な仕事なのですよ。
同様に、教室でも、楽譜をcopyする作業は人海戦術でなんとかなりそうに思うので、忙しければ、保護者の人達を使って、先生達の手助けをさせても、良さそうなのですが、実際には失敗をすると、その分、教室の損失になるので、仕事としてのcopyを出来る人を育てるのは大変なのですよ。
以前も複数のインストラクター志望の生徒達が、scoreを50部、100部単位で、ミスをした事がありました。
ミスをした事よりも、それを隠していた事がShockでした。
ミスをした事は許せても、会社としては、そのミスを隠蔽する事は許せないのですが、学生・・と言う立場なので、それが分からないのです。今の子供達は社会から隔絶した温室の中のような所で育っているので、実社会と言う事を知りません。だから、「有名大学を卒業して一流の会社に入ったら、生涯、安定した生活が出来る」と言った、夢物語を信じてしまうのです。
その犠牲者が若年の自殺や引き籠もり、或いはneetなのですよ。
音楽教室で音楽を学ぶ事は、とても楽しくて、いつの間にか、技術力も上がって、あれよあれよと上手くなっていきます。
しかし、instructorを希望する場合には、これは就職の為の勉強であり、教室の仕事を手伝う事も、これは会社としての仕事になってしまうので、その作業には、責任が伴うのです。
仕事は、そのまま、お金に直結するからです。
私も、本来ならば、初見大会の前なので、日曜日には、新しい曲の演奏法の解説の為に、千葉に行くための準備をして・・というオケの準備の為に、結構、忙しいハズなのだけど、通常ならば、金曜日と土曜日にはlessonが入っていて、結構、忙しいのですよ。
しかし、今回は、金曜日は事前に、お休みの申し込みがあって、空いていたのですが、土曜日は、concoursに出場する生徒がいるので、頑張って、lessonをする予定だったのだけど、concoursに出る生徒が学校行事の為に、土曜日から日曜日も、ホボ一週間のお休みなので、折角、開けておいた金曜日も、土曜日も、突然の、お休みになってしまいました。
まあ、本人に取っては、学校行事なので、公休という意識なのだろうけれど、全国大会へ出場する生徒達は、将来をproとして活躍する事を夢見ている生徒達なのです。
本選から、全国大会迄のconcoursのintervalは、たった、ひと月しか無いので、1分、1秒を惜しむ、時間との戦いになります。
大切な事は、その1分、1秒を惜しむ・・というか、追い込まれる・・と言うか??の意識が有るか、否かなのですよ。
concoursで、入賞出来るか否かは、練習の量の問題という事ではなくて、寧ろ、concoursへの意識の問題なのだよ。
だからその意識を学校の行事等々で、一度外してしまうと、その意識が本人に戻る事は、基本的にはもう無いのだよ。
困った事に、意識が抜けた事は、周りには分かっても、本人には分かる事は無いので、意識が抜けて、演奏のNiveauが落ちたとしても、それを、本人が気付く事は無いのだよ。
周りの人達には、それが分かっても、本人だけは分からないのだよ。
でも、それは本人の意識の問題なので、それを、私がとやかく言う事でも無い。
(まあ、それなりには、私の出来る範囲では、adviceはしたのだけどね~ぇ??)
concoursは本当に「入賞したい❢❢」と思う人達だけが入賞出来るのだから、それ以上に、私が出来る事は、何も無いのだよ。
本当に入賞したい人が入賞出来る‥、と言うと、多分、誰でも、入賞出来るのだろうが、その夢が叶えられるか否かは、その人の音楽に対する意識・・所謂、motivationで決まるのだよ。
言い方を変えると、その人の音楽に求める価値で、曲のNiveauが決まるのだよ。
人生は、取捨選択である。
一つを得る為には、必ず、一つを失うのだが、それが幾ら説明しても、amateurの意識の人達には理解出来ないようだ。
勿論、proと呼ばれる人達の多くは、趣味に於いても、pro並のNiveauを持っている人達が多いのだが、それは、その人の持つ、たった一つのproとしてのNiveauが高いので、周りの知識や技能が引き上げられたからに過ぎないのだよ。
一芸に秀でようとすると、それに付随する色々な芸事がproの高みに到達するのだよ。
つまり、Everestの周りの名も無き山々は、付随しているのに、過ぎないのだが、その標高は、富士山よりも遥かに高いのだよ。CanadaのAlps群も然り・・なのだ。
一つを追求する事は、色々な事を、その為に追求しなければならないのだから・・なのだョ❢
結局の所、中、高生のconcoursを見ていると、その取捨選択が出来る受験生と、それが出来ない一般のamateurの子供達とが、分かれてしまうのだが、それは、本人の選択なのだから、指導する側としては、致し方は無いのだよ。
勿論、音楽の素晴らしさを幾らお話をしても、価値観の場所は、そこでは無いのだからね??
つまり、価値観の場所は、基本、proとamaの違いは、与える側と享受する側の違いなのだから・・ネ??
・・と言う事で、まあ、今回も「残念だよな??」と言う他は無いよな。
そういった事で、金曜日と、土曜日と日曜日の三日間が急遽、暇になった筈(❢❢❢)なのだが、吾輩の人生はそうは、甘くは無いのだョ❢
牧野先生の生徒が、「今回は、Recorder Concertoをやりたい」・・という事で、Recorder Concertoの選曲を頼まれてしまった。
曲決め・・曲探し・の為に、You Tubeで色々な作曲家達のRecorder Concertoの曲を聴いたのだが、まあ、どの曲も全て超絶技巧的な曲で、簡単な曲は一つも無かったのだよ。
以前、演奏をした、Vivaldiの「五色ヒワ」や「夜」は、超、簡単な曲だったのだよな~ぁ??
中にはsoprano Recorderの悶絶寸前の超絶技巧の演奏もあったりとして、そのrecorderを演奏する人達の層の厚さには改めて、驚かされてしまった。
私が先生達に、periodの演奏法を指導し始めた1990年の頃には、未だperiodの演奏団体は、Kuijkenの主催する団体ぐらいしか無かった頃の話なのだが、流石にKuijkenの演奏は、当時としては、走りではあっても、未だ完全なperiodには至っていなかったので、私がKuijkenの演奏を参考にする事は、無かったので、余り演奏を聴く事は無かったのだが、それから30猶予年も経った今では、多くの素晴らしい演奏家達や、演奏団体が育って来て、2000年頃の、早くてpowerfulなだけの、野狐的なperiod奏法を売り物にするeccentricな演奏団体は、随分と影を潜めて来て、やっと、私の提唱するorthodoxなstyle(本当の本物)の古楽器の演奏が主流になって来た事は、嬉しい限りである。
たった、僅か30年で、本当の本物の演奏が聴ける様になる・・と言う事は、Europaには、失われたハズの伝統が、やはり脈々とtraditionalとして、残っていたのだよな~ぁ??
音楽事始めから、既に150年も経とうとしているのに、間違えたままの珍妙な伝統に縛られているどこぞの国の音楽界とはエラい違いだよな~ぁ??
(まあ、国民性も絡んでいるのだから、仕方が無いか??)
曲決めの話に戻るのだが・・、
「今回のオケは、普段の練習から人数が足りないので、練習にならない・・ので、演奏出来る曲も限られている」・・と言う事で、殆ど、私が練習に参加して指導出来る事は無いのだろう・・と思って、比較的、melodieの美しい‥、なるべく超絶技巧では無い曲を選んで、scoreとpart譜をnetからdown loadして見た。
VivaldiのRecorder Concerto c moll RV.441である。
曲の最終的な決定権は、私ではなくて、直接、生徒を指導する先生が持っているのだが、牧野先生から、「この曲で良い」という決定のmailが来てから、改めてscoreを精査して見て、驚いたのだが、音の間違いは当然の事で、幾つかの訂正は覚悟していたのだが、それ以上に致命的で、scoreやpart譜をそのままでは、使用出来ないのだョ❢❢
先ずは、楽器の指定が変で、弦楽器のscoreであるハズの箇所が随所に、Baß Recorderの楽譜になっているのだよ。
これでは、生徒達に楽譜を配っても、その楽譜を見て演奏する事は出来ないのだよ。
慌てて、日曜日の曲の初見大会の為に、全楽章のfinaleへの入力と、楽譜の訂正の作業を、折角のお休みになった金曜日と土曜日の二日掛かりでやってしまった。
まあ、二日掛かり・・とは言っても、cinderella-timeを越しての、合わせて、18時間ぐらいの作業なのだが、結構、急いで作業をしたので、パソコンにしがみついてしまった形になってしまったので、結構、疲れたぞょな??
今週は、外にお出掛けをする機会が多かったので、普段、履きつけない靴下を履いて歩いたから、足が膿んで薄皮が剥がれて痛くなってしまった。
それに、昨日は指の腓返りで困ってしまった。
腓返りは、先生達には、この二日間の、Recorder Concertoのfinaleへの入力でのパソコンのKeyboardの打ち過ぎだと、思われてしまったのだが、実際には、finaleでは、Keyboard入力なのだが、この場合のkeyboardは鍵盤の事なので、パソコンのKeyboardの打ち過ぎは無い。
つまり、Rheumaに起因する腓返りなのだから、指とは関係無くって、左足の腓返りが左指に移っただけの話なのだよ。
まあ、左半身の腓返りが心臓に行った時には、心筋梗塞となるのだよな??
Mansionの玄関にはAIDがあるにはあるのだが、心筋梗塞の状態では、取りには行けないよな??
まあ、その時には、人生を諦めるしかないよな??
明日の月曜日は、1日が昼・夜、逆転のままで、朝一で、病院に行かなければならないのだが、それまでに眠れそうには無いよな??
体力が持つか、否か、が・・心配なのだよ。
まあ、明日の事は明日悩む事にするか??
9時45分にはハイツを出発しなければならないので、one‐coolでも仮眠が出来ると良いなあ??
10月23日『今日はお久し振りの練馬高野台行脚なのです。』 ·
昨晩の入眠不良の状態から、明け方頃になって、なんとか、one‐coolは仮眠が出来たので、朝の7時半に目が覚めた所です。
本当ならば、後、小一時間は仮眠をする事が出来るのだけど、体調を考えると、少しづつ慌てずに、のんびりと病院行きの準備をした方が楽だ・・と言う事なので、取り敢えずは、起き出す事にしました。
・・・と言う事で、病院行きの準備をする前に、先ずは、朝のroutineの作業である体重測定と血圧の計測を済ませました。
持って行く資料類は、昨晩から、以前にも準備が出来ているので、忘れ物はない・・と思ったのですが、何と、電車に乗ってから、定番のマスクをしてくるのを忘れてしまった事に気が付いた・・のだよ。
病院はマスク必需なのだからな~ぁ?
今日は、強迫性障害が無かったしな??
駅を降りて直ぐのコンビニで、マスクを買ったのだが、マスクを買うのは、これで2回目だよなぁ?
携帯とマスクは、要注意だよな~ぁ??
無事に病院に到着して、尿と血液検査は、恙無く終わって、診察迄、30分の時間が出来たので、病院の中のRestaurantで、新menueのミニの素うどんを食べた。
チョイ食いには、とても良いi-deaだ❢
値段も他の食い物が比較的に高価なので、Tac込みの350円はとても安く感じます。(まあ、私の高校時代はうどん一杯100円だったのだけどね~ぇ??
いつものように、診察開始時間は結構、待たされるのだが、特に、留意する事も無く、恙無く、診察は終わった。
血糖値の調整に使用する皮下注射のOzempicを0.25㍉から0.5㍉に増量する事になったのだが、以前使用していたtrulicityの皮下注射も、世界中で品薄になって、手に入らなくなってしまって、今回のOzempicの皮下注射薬に変わったのだが、品薄になる理由の一つが美容院で美容のために使用されるからなのだそうな??
確かに、血糖値を下げれば、痩せるわな??
この20年以上も、何をどうしても、何も変わらなかった体重が、この一週間で、超、痩せ始めているのだよ。
だから、0.5㍉なのだよ。
ヒョッとしたら、念願の3桁を脱する事が出来るかも・・知れないのだよな??
trulicityの皮下注射では、全く何も変わらなかったのだけど、このOzempicは私には合っているのかな??
10月23日 ·
食後のデザートで、メロンを切って、超、驚いてしまった❢
何と、メロンの種の中に、モヤシが育っている。
メロンの種の糸状の繊維にモヤシの根っこの繊維が絡んで同化しているのだよ。
勿論、メロンには、モヤシの種を入れたような穴の痕跡は全く無い❢
全くの普通のメロンで、たった今、スーパーで買って来て、切ったばかりなのだ❢
モヤシが育った所の果肉は、全くメロンの味がしないで、タダの水の味なのだよ。
メロンの甘みはもやしが吸ってしまっていて、極めて不味いのだ❢
モヤシから遠い所の果肉は、未だちゃんと、メロンの味が残っているのだがネ??
不可思議なのだが、なんとも、モヤシの状態がAlienのparasite状態で、頗る、気持ちが悪いので、半分食べたのだが、残りは捨てた❢
自分のお腹の中から、モヤシが育ってしまうのは、堪えられないのでね??
半世紀以上の(80年近い)人生で、こんな物を見たのは、初めての経験なのだよな❢
人生、未だ、未だ、未経験の事が、色々、あるよな?
Kaoru Koyanagi
キビワル~🥹だねぇ
返信する
10週間
芦塚 陽二
全く、気持ち悪いのだけど、どの状態でモヤシがメロンの中に入ったのだろうか??という事が不明です。
返信する
10週間
10月24日『今日の夢』 ·
今夜も眠ろうとすると、鼻詰まりとやらで、眠れないのだよ。
夜は結構冷える予定なので、真夏の超、薄手の羽毛布団を、同じく、超、薄手の毛布に交換した。
超、薄手ではあるのだが、軽くて、掛けているのが分からないような感触なのだが、超、温かいのだ。
風呂に入って体を温めてから、bedに入り直したのだが、不思議な事に、なんとか上手く行って、入眠する事が出来たようだ。
今回は夢見がちで深い睡眠は出来無かったのだが、toilette-timeも少なくて、通常からすると、かなり上手に入眠出来た方だよな。
朝は、9時過ぎに、toilette-timeで目が覚めたのだが、強烈な鼻詰りで、それから、眠るのは諦めて、パソコンの椅子に座って、鼻詰りが収まるのを待っている所なのだ。
・・暫くして、椅子の上に座っていたら、強烈な睡魔に襲われて来たので、急いでbedに戻って、爆睡した。
更にone-coolは熟睡する事が出来て、お昼過ぎに目が覚めたのだが、今日は格別の予定は無いので、体調が戻ったら、7環の東武東上線の手前の車の修理工場に、昨晩の深夜、壊れて動かなくなってしまって、預けて来たbikeの修理が出来ている頃なので、取りに行かなければならない・・・と思ったのだが、深夜の事なので、電話番号や店の名前すら、控えていない事に気が付いた。
これは困った❢
「地図を見て、お店を探さないと行けないよな?」・・と考えながら、bedから起き出そうとしながら・・・ふと、bikeは、Mansionの駐輪場の工事があるので、昨晩はMansionの玄関の前に置いて来たのだよな?・・という事を、思い出した❢
・・・「という事は、『bikeを東上線近くの自動車修理工場に預けて来た』というのは、先程見た夢の中の話しなのだよな~ぁ」と、気付いた❢
危うく、夢を本当の事と思い込んで、北区の東武東上線の陸橋の前、迄、bikeを取りに行く所だったよな?
危ない❢危ない❢❢
段々と、夢と現実の境界が、怪しくなっているぞ❢
これはマズいよな??
イチョウの葉のお茶でも飲むか??
10月25日今日は病院dayなのです。 ·
今日は10月の25日の水曜日です。
今日は病院dayなのです。
・・とは言っても、物が二つに見えるようになって、脳梗塞を疑って、MRIの検査を受ける為の紹介状の為に急遽行った眼科への事後報告と、歯科の定期のメンテなので・・所謂、日常的な、かかりつけ医的な定期の病院行脚なのです。
歯の定期のメンテは当然なのですが、眼科も、糖尿病があるので、定期に検査をしなければなりませんからね??
「近所の眼科で、定型の検査をして貰うように❢❢」という事は、8月の順天堂大学病院の糖尿病内科で、言われていたので、本当は、物が二つに見えるようになったから、眼科を訪れた分けではありません。
今迄掛かっていた眼科が、ドクハラ気味で、原爆も利かなくて、かかりつけ医的な眼科にはならないと、思ったから、netで、江古田ハイツの近場の眼科を探していたのですよ。
そうこうしている間に、物が二つに見えるように、なってしまったので、自宅から一番近場の眼科を探して行ったのに、過ぎないのです。
同じビル内にある糖尿病内科も同じ理由で、順天堂大学病院で、薬だけの処方になった時の為に、「スペアーの巷の病院を探しておくように」・・と言われていた事と、もう一つは、コロナとインフルの同時ワクチン接種が出来るから、選んだ自宅から超、近場の診療所だったのです。そこが偶然にも、糖尿病内科だったのですよ。
目が二つに見えるようになった9月の5日から、ひと月以上経った、発表会が終わった次の日辺りから、突然に、目の具合が改善して来て、(未だ完全に良くなった・・という分けではありませんが)疲れた時や、ふとした瞬間には、未だ、二つに見える事があるのですが、殆ど、日常生活には影響は無くなって来ました。
医者の言った通りに、約、ふた月・・で、状況は結構、改善されました。
眼科の医者からのお話では、後、もうひと月もすれば、目の具合も、完全復活出来るだろうと言う事でした。
大急ぎで、眼科から、ハイツに戻って、歯科に行く準備をして、歯をメンテに行ったのですが、歯は前回の7月のメンテから、随分、良くなっていました。
前回の7月は抗癌治療の最中で、副作用の血尿が酷くて、結局、8回の予定が、6回目でDoctor stopになってしまった時の状態だったので、歯の状態も、それなりの様子でした。
今回の手術は、病変部が極めて小さい事もあって、普段ならば、血尿が収まるのに、ひと月以上も掛かっていたのですが、今回は術後、二日くらいで、血尿も治まって、退院予定も、一日早く退院する事が出来たので、歯の状態も、中々良好でした。
次は術後のひと月目の検査と、腹部大動脈瘤の一年後の定期健診なのですが、これも川崎の病院に、順天堂大学病院に、紹介状を書いて貰ったので、私の定型の病院行脚を、順天堂大学で纏める事にします。情報が共有出来るから、利便性があるからなのです。
20年近く前に、大和成和病院から、近場の大学病院と言う事で、紹介状を貰って、循環器内科で診て貰ったのですが、毎回のドクハラで、辛抱が出来なくなって、逃げ出した時の病院とは、比べ物にならないぐらいに、どこの病院も患者に対しての対応が、(勿論、良い方に、)変わって来ました。昔はKarteだけを見て、患者を見ない医者が多かったのですが、今は、ちゃんと目を見て、診察をするようになりました。
いやあ、善哉!善哉!
10月25日Body-talk ·
人間の無意識の行動には、社会慣習上で身についた動きと、本能的な動きがあります。
日本では、「人は右、車は左」と、右側通行が、義務付けられているようなのですが、本能的には、人間は自分の心臓を守る為に、無意識には、左側を歩くようなので、日本の国内でも、多くの歩行者専用の道路では、左側通行になっている所が多いようです。特に病院等の内部では・・
別に、何の問題も無い只のお話なのですが、これが潜在意識的にinterpretationをすると、結構、面白いのですよ。
恋人と二人で歩く時には、「恋人が左側を歩くか?右側を歩くか?」で、その恋人との立ち位置が分かります。
立ち位置とは、どちらが上に立つか??・・という関係でもあります。
恋人が自分に対して、右側を歩く人の場合には、その恋人は庇われたいTypeの恋人で、左側を歩く場合には、相手を庇うTypeの恋人です。
これは、一般的な解釈とは反対の解釈になるので、結構、不思議に思われて、中々理解されない事かも知れません。
通常では、保護をする立場の人は、右側に立つ事が多いから、です。
保護する側が右側に立つ意味は、左側に心臓がある事と、利き手が通常は右手であるから、相手を庇う時には、左側に置いている方が、有利だからなのです。(左利きが、結構、忌み嫌われて、子供の内に慣習的に治してしまうのは、心臓のある左側を晒すのは、戦いに於いては不利だからなのです。)戦いでは、常に心臓を保護する必要があるからなのです。
群衆が歩く時に無意識に左側通行になるのも、心臓を庇う本能から来るのです。
ですから、左側を歩く恋人は、庇われたいと言う潜在的な気持ちのある恋人なので、それを知っていると、Typeの間違いは起きません。つまり、母性本能を求める男性には、Dateをする時に、左側を歩く女性とは、相性は良くない・・という事です。まあ、右側を歩く女性は日本では滅多には居ないとは思いますがね??
但し、この法則が通用するのは、日本だけであって、Europaでは、男性の立ち位置は決まっているので、この法則は、通用しません。
この或る意味、馬鹿げたお話は、人間の潜在意識を知るには、結構、単純な事を知っているだけで、本音が見えるのだ・・という事の例なのです。
私は、自分自身を内観する方法を工夫しているのですが、他人の潜在意識を知る事は、自分自身を知るよりも、もっと簡単なのです。
一番簡単な方法は、相手のお喋りの中に使用される副詞の使い方で、相手の本音を知る事が出来ます。
副詞は無意識に使用される事が多いからなのです。
その副詞が否定形であるか、肯定形であるか・・で、その文章全体の意味とは異なった表現になってしまうから、なのですよ。
10月26日今日は誕生日の ·
今年の私の誕生日は火曜日なので、斉藤先生は千葉泊りだし、牧野先生も帰りが遅いので、私は、ハイツの自宅で引き籠もりDayなので、椎名町から持ち帰って来た、お弁当を食べています。
毎週の火曜日のroutineなのです。
・・という事で、誕生日のお祝いは、水曜日の夜に順延して、お食事会をしました❣
手巻き寿司とカニさんと貝のお澄ましと茶碗蒸しの食事です。
今日のカニさんは、大当たりで、カニ味噌󠄀も、身もたっぷりで、とても美味しかったのです。
カニだけでも、結構、お腹いっぱいになるので、流石に足迄は、食べ切れませんでした。(ハイツにお持ち帰りにしました。)
それはそうと、食後のDezertで、メロンが出たのだけど、結構、おっかなびっくりで、確認したのだけど、異常はなくて、ちゃんと甘かったのだよ❢
メロンは、暫くは、Traumaが続きそうだなゃ❢
村田 晟
わっ!凄いご馳走!
良いなぁ~
返信する
10週間
芦塚 陽二
でも、手間の掛かっているのは、カニさんが20分ぐらいで、後は茶碗蒸しと貝のお吸い物、ぐらいかな??お刺身類は買い置きだし、すし酢は振り掛けるだけなので、そんなに手間は掛かっていません。でも、これだけ広がると豪華だよな??
10月26日Ozempicの量が ·
今日は10月の26日の木曜日です。
今日からはOzempic皮下注射が0.25㍉から0.5㍉に変更になります。
低血糖の症状を注意しながらの注射なのですが、それにしても、「低血糖になった事は無いのか??」と、医者から、よく聞かれるのだが、低血糖の症状が、どういう症状なのか??・・を、質問しても、なかなか教えて貰えないので、理解不能なので、改めてnetで調べて見ると、『吐き気、気分不快、不機嫌、発汗、動悸(心臓がどきどきする)、ふるえ、視覚の異常、意識障害、けいれんなどが起こることもあり、重症例では死に至ることもある』との話です。
なんか、漫然としていて、それじゃあ、分からんよな??
欝の症状があまりにも酷い時に、甘いお菓子を食べると、欝が治る場合があるのだけど、それは低血糖と関係があるのかな??
それとも、単なる気分的な物なのかな??
10月27日摂眠不良 ·
今は10月の27日の金曜日の朝の7時を過ぎた所です。
朝の6時頃には、パソコンの椅子の上で、完全に寝落ちしていたので、慌ててbedに行って、寝たのですが、bedで布団に入って寝た途端に、強烈な鼻詰まりと、鼻水で、(鼻詰りと鼻水が同時に来るかねぇ~??)息が出来なくなってしまって、諦めて、椅子に戻ってしまった所なのです。
寝落ちしてしまって、片付けられなかった昨夜の仕事を、どうせ、眠れないので、片付けてしまいました。
椅子に座ると、鼻水も鼻詰りも、一応は改善するのだけど、bedに戻ると、またまた、ぶり返して・・しまうのですよ。
それに、今日は、未だ朝の7時だというのに、とても、気温が高くなっているようです。
薄手の毛布では熱いようなので、超、薄手の羽毛布団に戻さなければなりません。
天気が良いのは良い事なのだけど、こうも、気温の寒暖差が酷いと、体が付いて行かないよな??
結局の所、お昼の12時過ぎ迄、パソコンの椅子の上で仮眠状態で、ちゃんとは、眠れませんでした。
12時を過ぎた頃に、なんとか、bedに横になれて、入眠出来たのですが、toilette-timeで目が覚めてしまって、なんと、one‐coolしか眠れていなくて、2時には、又、目が覚めてしまいました。
今日は一日、寝不足のままの日で、眠れない・・らしいのです。
今日は無理をしないように、パソコンを閉じます。
パソコンを開いたままにしていると、どうしても、仕事modeになってしまうからね??
次いでに、テレビや部屋の明かりも消して、未だ、夕方の5時半なのだけど、深夜modeにします。
・・とは言っても、公園では、未だ子供達が遊んでいる声が聞こえていますがね?
30分程、深夜modeで、頑張って入眠を試みたのですが、強烈な鼻水で息が出来なくなってしまって、疲れ切って入眠する事を諦めてしまいました。
やっぱり、パソコンの椅子の上でぼんやりしている他は無いようです。
結局の所、一日中眠れなかったので、8時半の椎名町の食事の予定の時間迄は、精神的にも、肉体的にも、持ちそうになかったので、少し早目に食事をしたい・・と言う事で、lineをしたのだけど、結局、8時半を過ぎて、9時になっても、既読にならなかったのだよな??
10時過ぎになって、ハイツで一昨日、椎名町から持ち帰って来て冷蔵庫に残っているチャーハンをお茶碗に移して、レンジをして食べる事にした。
『ここからは10月の28日の土曜日のお話です。』
それからまたまた、深夜の12時を過ぎて、1時半になる所なのですが、今夜もやっぱり眠れないのですよ?
練馬の気温はもう14℃になっています。
兎に角、寒いのだよ❢
超、薄手の軽い毛布では、結構、寒いのだよ❢
冬用の少し厚手の毛布も、出してはあるのだけど、面倒くさいので、この超薄手の毛布で、辛抱するつもりです。
深夜の3時半になった頃に、toilette-timeで、目が覚めました。
目が覚める直前迄は、いつもよく見る夢を、見ていました。
結構、うふふな・・楽しい夢なのだけど、定形のよく見る取るに足らぬ夢なのです。
toiletteに行って、そのまま、また布団に入って、眠るつもりだったのですが、風呂で体を温めてから寝ようという誘惑に襲われています。
・・と言う事で、深夜の4時前なのですが、急遽、風呂に入って髪の毛を洗いました。
もうすぐ4時半になる所なのですが、部屋を温めて、体を乾かしている所なのです。
これで、2回程、入眠に成功しているので、3回目は上手く行くのかな??
まあ、いつも泥鰌が居るとは限らないからな??
入眠するまで、小一時間以上も椅子に座ったままでいたのですが、bedに戻ると結構、上手く入眠する事が出来ました。
3匹目の泥鰌はいたのですよね??
善哉!善哉!
入眠直前にお茶とヨーグルトを結構、飲み食いしたし、夜食がチャーハンだったので、朝の10時半に、目が覚める直前には、胃が消化不良を起こして、吐く寸前でした。
実際には、起きてしまうと、胃の不快感はありませんでしたが、胃自体の調子は、あまり良くはありません。
この胃の消化不良の症状はガロールの領域なのだよな??
超、苦いガロールを飲んで様子を見る事にします。
仮眠をしている間に、斉藤先生が朝食を届けに来てくれたようです。
お昼の3時半からweb-lessonをしました。通常のlessonです。
今日は13夜だそうな。明日は満月だそうな。
携帯では、これが限界だなゃ❢
外はもう、真っ暗なのに、子供達が未だ、大勢遊んでいるのだよな??
何故だ??
10月29日『10月の28日の土曜日に、happyBirthdayの簡単な2台のViolinのversionを作るようにorderが斉藤先生からあった。』 ·
『寒い❢❢』
今は、10月29日の日曜日の朝の8時半になろうとする所です。
練馬区の今の気温は、13℃で、体感温度は、何と❢ 12℃❢❢・・だそうです。
春眠ではなくて、秋眠暁を覚えず、という所なのでしょうが、しかし、暁ではなくて、もうすっかり、朝が明けてしまっているのですがね~ぇ?
部屋の中は、肌寒くって、布団から出るのが、中々、おっくうになってしまいます。
・・なんて言うと、朝の5時からドル・プリっ歩に出掛けている斉藤先生に怒られてしまいそうですが、今日のオケ練習は、タダでさえ・・オケの人数が揃っていないのに、コロナで二人も休みになってしまったので、3回オケや室内楽の練習は自動的に消滅して、2回オケのgroupだけになってしまったので、2回オケを指導していない私の千葉への移動は、今日も、なくなってしまったのですよ❢
次回の3回オケを作る為にも、2回オケから、私も月一ぐらいは、千葉に行って、次世代の子供達を指導をしないと、後が育たないのかもね??
『病院のお話』
世間一般的には、コロナよりも、インフルの方が、関東地区では蔓延しているようなので、今週の木曜日には、私もコロナの7回目の接種と、インフルのワクチンの接種をします。
その前日の水曜日には、術後一月目の定時の検査があります。
病院dayは、殆ど10月で終わったので、11月は定期の検査があるだけで、病院回りはありませんが、本来ならば、川崎の腹部大動脈瘤の術後の一年検診があるハズだったのですが、他の科の診察が順天堂にお引っ越しをしたので、今回からは、腹部大動脈瘤の検査も順天堂に紹介状を書いて貰いましたので、11月中には、そのCTの検査が、多分、入ります。
まあ、約、半年間に及んだ病院dayは、事実上終わりました。
『happyBirthdayの編曲のお話』
今日のオケ練習は、出来なくなってしまったので、私は暇になったハズなのですが・・、今日は、オケ練習とお誕生日が重なったLuckyな生徒がいたので、今日は牧野先生の手作りのhappyBirthdayケーキtimeがあります。
いつもならば、私の編曲した「happyBirthday-Piano-quintetto」を演奏しながら・・のcake-timeなのですが、happyBirthday-quintettoを演奏する人数が足りないので、急遽、昨晩、二人だけで弾けるように、二重奏のone-chorusの初見versionを作らされました。(譜例:1)
いつもの悪い癖で、その作り上げたお誕生日melodieをthemaにして、2PageのチョッとlongのVariationを作ってしまいました。
結構、難しいかな??(譜例:2)
曲のimageをパソコンの音源で、uploadして起きましたので、実際に聞く事が出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=VncMncBjTIs
私の編曲した「happyBirthday-Piano-quintetto」も、簡単、short-versionと、発表会用のlong-versionがあります。
普段のお誕生日では、short-versionの方を演奏していますが、long-versionの方の演奏は、生の演奏は未だやっていません。
You Tubeにuploadした・・と、思っていたのですが、URLはありませんでした。
動画を直接貼り付けてしまったのだよね??
発表会用のlong-versionなので、格好良いのですが結構、Etudeっぽくて、難しいのですよ。
『web-lessonと楽器が鳴る・・というお話』
今日は、千葉には、行かない代わりに、webで個人lessonを入れる事にしました。
web‐lessonならば、コロナは関係ないのでね~ぇ?
いつでも、何処でもlessonが出来るからですよ❢
・・但し、webの音では、「楽器がちゃんと鳴っているのか?」のcheckは出来ません。上級生のlessonでは、「楽器がちゃんと鳴っているのか??」が、とても大切な課題になります。
しかし、「楽器がちゃんと鳴っているのか??」という課題では、楽器の微妙な音の鳴りは、webのMikeでは、拾えません。
それは対面のlessonで、実際の楽器の音を聴いてlessonをしないと無理なのですよ。
You Tube等が発達して、殆どの曲をnetで聴く事が出来るようになって来ましたが、やはり、生の音を聴くのと、CDやnet等の缶詰の音を聴くのでは、未だ致命的な違いがあるのですよ。
楽器特有の唸り(多分、倍音の事・・なのでしょうが・・)その音は、缶詰の音では再現出来ないのです。
人間の耳の力は、やっぱり、凄いのですよね??
『作音と調律のお話』
人間の音を聴く力・・と言うと、弦楽器の作音のお話があります。
作音とは楽器がちゃんと鳴るように楽器に倍音を覚えさせる事なのですが、この倍音が、中々、曲者なのですよ。
Pianoの調律等でも、一番問題になるのは、octaveのpitchなのです。教室で、教室の専属の調律師をしてくれていた人が亡くなってから、3年間の間、調律師を雇う事が出来ませんでした。
Pianoのtuningをするだけならば、私でもPianoの調律の道具は持っているし、Cembaloの調律は、常日頃、調律をしているからです。
今は、Kirnbergerの第三調律に凝っています。
以前はmeantone temperamentに凝っていたのですが、g mollのNapoliのchordが、あまり響きが良くないので、やめてしまいました。
調律の基本は、基本となるoctaveを、気に入った調律をして、そのoctaveを上下に広げて行く事です。
しかし、octaveを上下に広げる・・と言っても、実際のtuningでは、octave上の音は、tunerでのoctaveでは、難しいのですよ。
つまり、440cycleのoctave上の音は880cycleだと、思っている人達が結構多いのですが、実際の倍音上のpitchは、かなり♭な曖昧なpitchになります。
且又、PianoのAの440cycleのoctave上の音を、tunerのように、880に合わせると、かなり♭なimageになってしまいます。
全く同様の理由から、弦楽器を作音する時に、本来のoctaveに合わせてoctaveを作音して行くと、その楽器はかなり♭なoctaveになってしまいます。
その為に、作音という作業では、octaveで楽器が鳴ってしまっているpitchを、少しづつ、日数を掛けて、上のpitchに移動させるのですよ。
ちゃんと倍音が鳴っているような状態のままで、少しずつ、移動させるので、完全に目的のpitchでちゃんと鳴るように、安定させる迄には、ひと月程も掛かってしまいます。
440cycleのoctave上のpitchが880である場合を、私は閉ざされたoctaveと呼んでいます。
octave上の音が880よりも高くしたoctaveの事を、開かれたoctaveと呼んでいます。
Pianoの調律師を探す事が出来なかったのは、Concerto-調律師を探す事が難しかったからなのです。
整音が出来る調律師は結構いますが、octaveを広く調律出来るConcerto-調律師は、非常に少ないのですよ。
特に、弦楽器の場合をPianoでさせる場合には、octaveの乖離が一般的なPianoの場合よりも、結構大きいので、弦楽器の伴奏をする為のPianoの調律師探しには、困ってしまうのです。
『今日の満月のお話』
今日は満月なのですが、今日の雨模様の天気では、満月様は拝めそうにはありませんよね?
昨晩の満月モドキは、とても素晴らしかったので、今日の満月は、期待していたのですがね~ぇ?
秋を通り越した冬空が窓下(お天気なのだから、窓上かな??)に広がっています。
未だ、29日は、早朝の10時前なのですがね~ぇ??
と思っていたのですが、お昼間は未だ、薄曇りだったのですが、夜になったら、雲が無くなって、実に見事な満月になったのだそうです。
「・・そうです。」・・と言うのは、私は満月を見れなかったからです。
私が椎名町にbikeで往復した頃には、満月さんは中天に居たのだそうで、探したけれど、見つからなかったのですよ。
千葉から帰り道の先生達は、「本が読めるぐらいに、明るい❢❢」と驚いていたようなのですが、ねぇ~??
ちょうど、雲に隠れてしまったのだよな??
10月30日『happyBirthday Piano quintettoのお話』 ·
『short-cakeのお話』
教室の日曜日のオケ練習の時に、偶然、お誕生日と重なったLuckyな生徒がいた場合には、牧野先生が手作りで、cakeを焼いてオケの生徒達皆で、そのLuckyな生徒の、お誕生日のお祝いをします。
私も一緒に、cakeを御相伴しますが、私の場合には、市販のcakeは、バターの油分が強くて、甘過ぎるし、バニラ等の香料が強すぎるので、cakeを食べると、胃の調子が悪くなってしまい、食べれない事の方が多いのですが、超、例外的に、牧野先生のcakeは、甘さ控えめで、油分も少なく、香辛料も控え目で、さっぱりしているので、私も子供達と一緒に、美味しく食べる事が出来ます。
昔々、一度、牧野先生が、とても忙しくて、大変そうなので、それを見兼ねた保護者の人達が市販の千葉の超、有名店の豪華なcakeを準備してくれたのですが、子供達からの評判が頗る悪くて、それからは、どんなに忙しくても、牧野先生が前日からの泊まり込みの作業で、手作りでcakeを焼いています。
まあ、子供達の親達には、その違いは分からないのですがね~ぇ??
『味覚と感性』
その説明をすると、場違いなので、簡単に説明をすると、人間の感性は、生存本能の段階から、種の維持、生命に関する本能・・とpyramid構造で成り立っています。つまり、より上位の本能が磨かれると、下位の本能は、自然に向上するのです。
音楽の本能はかなりの上位に位置します。だから、音楽の技術力が向上すると、下位の味覚の本能は、自動的に鋭くなっていくのですよ。これが、市販の超有名店のshort-cakeを大した事は無い・・と感じてしまうのですよ。小学5年生になったばかりの女の子が、「お母さんのお味噌汁は不味い!」とケチを付けたので、お母さんが怒って、「そんなに言うのならば、自分で作ってご覧なさい❢❢」と言ったら、勝手にお味噌汁を作ったので、食べてみたら、「本当に美味しかったのですよ。」と、お母さんが言っていました。でも、合宿で、基本の料理の手伝いはさせるけれど、料理の味付け等の作業をさせる事も、指導する事も無いので、単純に味を覚えて、自分で再現させているだけなのですよ。
感性が育てば、味の違いを判別出来るようになるのです。音楽の表現よりも簡単だからですよ。
『happyBirthdayの曲のarrangement』
そのお誕生日会のお祝いに、生徒達が初見で、happyBirthdayの曲を演奏するのですが、オケ練習の参加者達のお誕生日会なので、一般的な歌を歌うのではなくて、室内楽での演奏が出来るように、随分、昔々に、私が、先生達に頼まれて、Pianoと弦楽四重奏くらいで演奏出来るように、簡単な室内楽の曲を作って、お誕生会の時には、その曲を、生徒達が初見で演奏をしてお友達のお祝いをしました。
HappyBirthdayのmelodyをthemaにして、3っつぐらいの変奏を持った短い室内楽の曲になります。
そこまでは、何の問題も無い、単純なお話なのですが、その続きがあります。
それは、私には、結構、悪い癖・・が、あって、簡単な曲を作った後では、発表会でも弾ける程度の、少し難しい、ちょっと長めのversionの曲を作ってしまいます。
つまり、簡単な曲のarrangeを頼まれると、必ず、難しい、長めの曲を作ってしまうのが、私の癖のようです。
これも、多分、私の、一種の強迫性障害なのかな?
長めで超絶に難しい曲の第一版の書き下ろしは、結構、近現代的なeccentric(エキセントリック)なimageの曲になってしまうようです。本職は現代の作曲家なので、結構、Genzmer-Chordと同じぐらいの、現代harmonyでの作曲になります。
しかし、それでは、生徒達が初見では演奏出来ないので、第二版、第三版とより簡単に、よりorthodox(オーソドックス)に、版を簡明に修正して行きます。
推敲を重ねて行く毎に、曲はorthodoxなCzernyのEtudeのようなstyleに近づいて行きます。
それには、明確な理由があります。
思い付くままに、近現代風に作った曲では、子供達に取っては、難解で、簡単には、演奏出来ないからなのですよ。
まあ、自分のeccentricなimageよりも、子供達がより簡単に演奏出来るようにする事が、そう言った場所を選ぶ曲では、優先されるからです。
こう言った曲は、私の作品・・としての曲ではありませんからね?
私自身が、作った事さえ忘れている事の方が多いのですからね~ぇ?
今回のHappyBirthday‐quintetは、発表会用というか、公開演奏会用というか・・なので、結構、演奏技術的には、難しいversionなので、初見の演奏では、とても無理なのと、お誕生日会用の曲なのですが、お誕生日会では演奏する機会もなくて、曲がお誕生日会用の曲なので、発表会等の公開での演奏の機会も全く無くて、実際の生の演奏は未だ一度も演奏していません。
・・という事なので、せめて、曲のimageだけでも・・・という事で、パソコンの音源で、曲をYouTubeにuploadしたつもりだったのですが、なんと、音源としては、作っていたのにも関わらず、You Tube等での公開はしていなかったので、その音源さえも見つからなくなってしまっていました。
まあ、私としては、すっかりとYouTubeにuploadしたつもりになっていたのですよ❢
・・という事で、今回、偶然にも、member不足の為に、2台のViolinの為の二重奏曲のhappyBirthdayの曲を作らされたので、その事に気が付きました。
という事で、このPianoと弦楽四重奏曲のhappyBirthday変奏曲を、You Tubeにuploadする事にしました。
まあ、何かの都合で、演奏の機会でもあれば、パソコンの音源なので、生の音の演奏と差し替えたいと思っていますが、今の所の演奏の予定はありません。
暫くは、パソコンの音源のままでしょうかね~ぇ??
パソコンの音源とは言っても、あくまでも、finaleで音符のcheckをする為ぐらいの、意味しかありませんので、生で演奏する音とはimageが全く違って聴こえてしまいます。
それが、室内楽の場合には、Orchestraの場合よりも、特に音のimageが、生の音とは、違ってしまいますが、まあ、音を確かめるぐらいの意味合いしか無いので、finaleの音源の場合には、「無いよりはマシかな?」・・という感じで、捉えてください。
本当には、このように聴こえる分けではありませんので・・ね??
10月30日『今は深夜・・というか、もうすぐ、火曜日の10月31日の、Twilightの4時半です。』 ·
な、な、な、なんと!・・29日の日曜日のお誕生日会は、オケ練習が終わっても、「演奏の報告も、cakeのお裾分けも無いのかな??」と、ふてくされていたら、お誕生日の生徒が、「皆が集まれる日の方が良い❢❢」と、申し出て来たので、順延になったのだそうです。まあ、可愛い事だよな??
「まあ、それにしても、連絡は、しろよな??」大急ぎで2重奏のhappyBirthdayを、作ってしまったジャん❢❢
・・という事で、少し時間が出来たので、昨晩、作ったばかりの二重奏曲の作曲上の少し弱い所の手直しをしました。
という事で、2台のViolinの為の「happyBirthday変奏曲」は、朝一で、全面改訂してしまいました。
勿論、Piano quintettoのversionは、昔のままなのだけで、何も変更はしていません。
昨日は、コロナで練習に参加出来た人数がいないので、二重奏の曲を書かされた・・という話し・・なのに、今は、先生達からは、「Piano-quintettoのversionの方が良い!!」とか、言って来ているのだよな??
お誕生日会を皆が集まった時にするのならば、quintetto-versionの方が、全員参加で演奏出来るので、良いと言う事なのだろうが、書かされた俺としては・・ね??複雑なものがあるのだよ。
まあ、それにしても、俺は、どっちでも良いけれどね??
先生達としては、全員でお祝い出来る難し-versionの方が、良いのだろうけれど、問題は弾けるか、否か・・なのだよな??
弦は、1st.と2nd.の冒頭と最後の後奏の16分音符のfigurationさえ弾ければ、後は難しい所は無いのだが、「聖しこの夜弦楽quintetto」でも、同じように、結構、分厚く書かれているので、melodieと伴奏の奏き分けが、とても大切になるのだよ。
その奏き分けが出来ないと、ごちゃごちゃとした、掴み所の無い曲になってしまうのだよ。ちゃんとAnalyseをして、全員が理解をして演奏する事が好ましいのだよ。
ただ、弾く・・という事ならば、難し-versionのPiano quintettoのversionでも、Pianoがちゃんと、弾ければ、弦は、問題無く、弾けるだろうって❢❢
・・って、言っていたら、「楽譜を見ないと分からない❢」と言われたので、急遽、part譜を作ってpdf.に変換して、先生達に送りました。
作曲をするだけならば、超、簡単なのだけど、part譜の作成とpdfの変換は、単純作業ではあるのだが、手間暇が掛かってとても大変でしたよ。quintettoなので、全く同じ作業を5回もしなければならなかったのだよ。
それに、拍子を変更させたら、譜面上の小節に対する音符の割り振りが、変になってしまって、一々、拍子記号の設定から、選択項目を増やす・・という項目をselectして、表示専用に別の拍子記号を使う・・という所にcheckを入れなければならないのだよ。
今迄は、そんな事をしなくても、自動的にちゃんと、小節に音符が割付が出来ていたのだが、何故、今回は・・??という事なのだよ。それを全部のpart譜に対して、やり直したのだよ。
一括変換で出来ないものかね??
defaultは一体何をしているのだよ??
・・と言う事で、折角の、お昼の休憩時間が無くなって、いきなり夕方になってしまいました。
それに、「楽譜を今日中に渡したい」・・と言う先生達の頼みなので、超、急いで、寝食を忘れて、作業をしていたので、夕方になって、体が急激に冷えて来て、急性の下痢になってしまいました。
これは困った❢❢
「下痢は、部屋の温度が急激に下がって来たのに、朝から、そのままの格好で、作業をしていたので、体を冷やしたのが原因だ❢」・・と言う事で、風呂を湧かしたままである事を、思い出して、湯船に浸かって、体を温める事にしました。
次いでに、髪の毛を洗って、暫し、風呂の中での、Relax-timeです。
『未だ未だ、10月30日の月曜日のお話の続き・・です。』
夕方からは、Christmas会の曲決めをしました。
今回のChristmas会は、模範演奏の伴奏をする人が居ないので、模範演奏が出来ません。
今、いるmemberで伴奏の出来る曲を探すか、伴奏者を探すかの二択なのだよな??
まあ、伴奏者に付いては、当日迄には、なんとかなるのかな??・・という事で、Halloweenでは無いのだけど、Saint-Saënsの死の舞踏(Dance Macabre)と言う曲を選曲しました。
最終的に決まった分けでも、無いのだけど、私の押しなのだけど、その押しの一番の理由は、なんと、Saint-Saëns自身の編曲なのですよ。
やはり、作曲者本人がarrangeをしているので、arrangeが超、上手いのですよ。
一見すると、難しそうに聴こえるのだけど、演奏は頗る、簡単なのですよ。(ViolinもPianoも・・です。Encore-repertoryには最高の曲だよな??)
orchestraのsoloでは、Violinの冒頭の減5度と完全5度が開放弦で弾けるように、scordaturaで書かれているそうなのですが、Violinのsoloのversionでは、後半部が弾けなくなってしまうので、scordaturaはありません。
orchestraでは、concertmasterは、どこで、tuningをやり直すのかな??
orchestraのscoreを見てみないと、分からんよな??
とても演奏効果に優れているので、前々から、模範演奏の曲目に上げていたのだけど、おさらい会のrotation的には、HalloweenでKoncertをやってしまうと、Christmas会迄のrotationが、かなり辛くなってしまいます。
前々会の時に、HalloweenのKoncertをやったのは、夏のおさらい会が、コロナで中止になったから、一番早い、Koncertの日がHalloweenだったからです。
その後は、夏休みのおさらい会は、恙無く開けているので、Halloween-Koncertの必要性はありませんでした。
・・という長ったらしい諸事情により、「Halloweenではないから・・」という理由で、これまでは、Saint-Saënsの死の舞踏は、programからは、却下されていたのだよ。
今回は、渋谷のHalloweenも中止になったし、「Halloween用の曲も、Christmas会で弾いても良いよな??」・・という事にしました。
10月31日変な夢を見た ·
今は10月31日の火曜日のお昼になったばかりです。
写真は、昨日の30日に椎名町の教室で採れた、Halloweenのゴーヤです。この寒空でも、未だ未だ、ゴーヤが、採れるようなのです。
この所、眠れない日々が続いているのだけど、その割には、睡眠が足りているのですよ。
まあ、老人の特徴とでもいうのかな??
いつ目が覚めて、何時から仕事を始めて、何時昼になったのか??・・さえも、意識がありません。
・・と思っていたら、とうとう、腰痛が起こってしまいました。
私の腰痛の最大の原因は、睡眠不足なのですよ。
意識的には、目が覚めた時には、充分に睡眠が足りてるように思っても、体は、結構、睡眠不足で、悲鳴を上げていたのだよね~ぇ??
仕方がないので、やっぱり寝直すとするか?
今は夕方の5時半になる所なのですが、外は既に真っ暗なのですが、この所、子供達の遊び声が結構、この真っ暗の中でも響いています。
腰痛対策の為に、惰眠を貪って、今、目が覚めた所なのですが、実に嫌な夢を見て、目が覚めてしまいました。
運転免許で、車線変更違反か何かの簡単な違反なのに、あきらかに意地悪をされて、膨大な金額を要求されている夢です。
多分、これぐらいだろうと、予測をして持って行った金額では、払い切れなかったので、その、理不尽極まりない事に怒り捲くって、建物から出て来た所で目が覚めました。
その運転の免許centerの建物も、権威の象徴を表していて、石造りの壮大な見た事もないような大きな建造物なのです。
広い敷地に膨大な宮殿のような階段があって、豪華なお城のような、免許更新centerなのですよ。まあ、権威を表した夢的な表現なのでしょうか?
まあ、夢は夢なのだから、起きたら忘れてしまえば良いだけなのですが、それが、上手く行かないのだよね~ぇ??
腰痛が今にも起こりそうなのと、夢見があまりにも酷かったので、眠り直す事にしました。
腰痛は、bedで体の節々を緩めるのが、一番なのです。
眠り直しをしながら、先程の夢の続きを見てしまいました。
しつこいよね?
免許証は無くては、日常生活的に困ってしまうから、やはり、明日は16万円の罰金を持って、払いに行かなければ・・なのだが、手続きの度の場所が駅が違っていて、最終的にお金を払う駅名が分からないし、行き方も分からないので、困ってしまったのだよ。
それに、途中で一緒になった若い女性の改造されたドイツの赤いスポーツカーの後ろの格好が、確かに豪奢なのだが、なんとも、元の車に対して、overな表現の感じだよな??・・と、同席になった婆さんと文句を言っているのだが、どういう事なのだ??
・・等々、bedで横になったままで、悩んでいたのだよ。
そこへ、神の言葉が・・・
明日は、術後ひと月目の検査があるのだよ。
朝、一で、練馬高野台迄、出掛けないとイケないのだよ。
それが、現実の話なのだよ。
・・という事で、夢から目が覚めたのだ。
なんだろうね~ぇ??
・・この夢は??
深層意識的には、何を悩んでいるのだろう??
理解不能だよな??
まあ、一昨日は、池袋で高齢者の運転する車が暴走をして、尊い人命が失われて、テレビで、超、高額の支払い命令が出た事がnewsの話題になっていたからで、今、この頃では、高齢者は免許を返納するのが、義務のような一般的な風潮になって来たので、今回の免許の更新も、結構、pressureだったのだよな??
認知症検査やなんやらで、色々と、ハードルを上げて、なんとか、免許の返納をさせるように、持ち込んでいるのだよな?
免許が欲しければ、それだけのハードルをclearしろ❢ってかいな?
しかし、相次ぐ、車の飛び出し事故の問題は、私が以前からFacebook等にも書いている車のaccel・pedalとbrake・pedalの位置関係にも、原因の一つがあるのだよ。
昔の車は、咄嗟の場合のbrake・pedalの位置は、accel・pedalの位置よりも、低い位置にありました。
つまり、咄嗟の場合の無意識に足を動かす場合には、左右の平行移動は出来ても、足を膝から上げて踏み直す・・と言うのは、2行程ぐらいの、無理な意識的な作業が必要なのです。
それで、咄嗟の場合の無意識の動きが必要な場合には、どうしてもその動きが、遅れてしまうのですよ。
それに、今の車では、左足で、brakeの操作出来ないように、brake・pedalの横に隔壁がありますが、car rallyのように、非常に早いbrakeの操作が必要な車の場合には、brake・pedalの横の隔壁は無くて、driverは常に、左足をbrake-pedalに置いたままで運転の操作をするのですよ。
経年劣化で、書い直しを已む無くされて、教室の車も3000ccから、営業車の2800CCにpower・downしてしまったので、幾ら、accelを吹かしても、駐車spaceの5㌢程度の段差を乗り上げる事が出来ません。
その為に、思い切り、accelを吹かして、強引に段差を乗り上げた瞬間にbrake・pedalを踏むのですが、その瞬間では、brakeがちゃんと効くように、brake・pedalを目一杯踏まなければなりません。
そのaccelからbrakeへの瞬間の移動が、分かっていても、超、難しいのですよ。
昔の3000CCのone・Boxのように、左足でbrakeを踏んでれば、楽だし、慌てる必要もないのですがね~ぇ??
同様な事は、免許更新の為の実技の試験の為に、今回は、産まれて始めての段差の乗り上げの試験があったのですが、使用する教習所の車が乗用車なので、accelのpedalの利きが、私の車とは違っていて、超、Vividなのですよ。
おっかなびっくり、チョッとずつ、accel・pedalを踏んで行ったら、ホンのチョッとの一瞬で、段差に乗る事が出来ました。
my・Carとはエラい違いの性能・・ダナや??
私の車では、幾ら踏み間違えても、車が飛び出す事はありません。
それに、今の時代ではAIの活用で、殆どの車に、10万円以内で、brake・pedalの踏み間違いを検知して、車が暴走しなくなるpartsを取り付ける事が出来ます。
それと同様に、追突事故を防ぐ、機能を持った車も、極、普通に販売されているのですよ。
高齢者になればなる程、一人で歩く事もままならなくなってしまいます。
それを、高齢者だから・・と言って、一律に、免許の返納を求めるのは、高齢化社会を前にして、高齢者の働き手が必要な時代になって来るのを見据えたら、論理性の無い、情緒的であり、感情的な、全くの、時代逆行的な意見である・・と言えます。
もう、事故を起こさない車は、現実に出来ているのですが、それが、車のmakerに対して、義務化されていないだけなのですよ。
政府は、何時の時代にも、makerに対しては、甘いからね??
11月の1日の水曜日になりました。
今日は術後ひと月目の検査と診察の日です。
今は深夜の1時なのですが、病院に行く為の衣装を除いては、準備がなんとか終わりました。
後は風呂なのだけど、明日は朝が早いので、入るのならば今なのだけど、流石に、その元気は無いのだよな~ぁ??
と思っていたのだけど、なんとか頑張って、風呂に入って髪の毛も洗いました。
やっとこれで、後は寝るだけなのだよな~ぁ??
11月1日変な夢を見た❢その2 ·
今は11月1日の水曜日の朝の5時になる所です。
今日は病院Dayなので、出来る限りは、早くは寝たのですが、あいも変わらず、眠りが浅い所為なのか、変な夢を見ていました。
見知らぬ町から、自分の家に帰る為に、アテもなく家と思われる方向を探しながら、移動をします。移動手段は、免許証がないので、棒高跳びのように棒を使って、地面に足をつける事なくて、空中を飛ぶように移動します。長い棒で、空中を飛ぶのですが、いやぁ~、その気持ちの良い事❢
見知らぬ土地や河川、山々をひとっ飛びなのですよ。
河川敷を飛んでいたら、大きな川の河口付近に、土造りの橋の橋脚だけが、点々と残っていて、橋自体(床版)は残っていません。両側には橋があったと思われる残骸が残っているだけの壮観な光景です。
暫し、見惚れてしまいました。
その橋の直ぐ側に、掘っ建て小屋のようなボロボロの小屋があって、中を覗いて見ると、人が住んでいる形跡があります。
小屋の中を見ると、ゴミの山から、VHSのlessonのtapeや、楽譜が散乱しています。つまり、そこには、昔々、私と一悶着あった、弟子の私との絆の処分場だったのだよね~ぇ??
その後の話は、超、面倒くさいので、疲れるので、省略します。
それはそうと、私は何処に行くつもりなのだろうか?
私の家を探して、あちらこちらを放浪しているようなのだが、家の方向さえ分からないのですよ。どこかに私の家があるハズなのだけど・・・
その途中で、目が覚めてしまいました。
それで、私は眠っていたのだろうか?
眠ったという意識はありません。
どちらかと言うと、このまま、完徹で病院に行って、診察が終わってから、改めて眠るというrotationなのかな?
それはそれで、結構キツいよなぁ?
背中というか、腰の辺りが寒いので、ちゃんと毛布が掛かっているのかを、確認したら、なんと、ちゃんと毛布は掛かっていました。何故、腰だけ寒いのだろうか?
腰痛になる前兆ではないのかな?
次のもう少し厚手の毛布と交換しなければならないのかな?
・・と思いながら、ふと思いついて、練馬区の温度を調べて見ました。
なんと、練馬区の現在の気温は12℃で、体感温度は11℃だそうです。
そりゃ、寒いわよね~ぇ?
腰を冷やさぬように、仰向けで眠る事にしました。
あくまでも、毛布を入れ替える手間を省く為の、応急処置としてですがねぇ?
仰向けで寝たら、腰は良くなったのですが、今度は鼻詰りで眠れなくなってしまいました。
困ったもんだよ❢❢
諦めて、toilette-timeには少し早いのだけど、起き出してしまいました。詰まった鼻のメンテをします。5時50分なのです。
朝は7時半には起き出して出発の準備を開始しなければなりません。後、1時間ぐらいしか無いのだよな~ぁ??
今は8時10分です。後、20分ぐらいには、出発しなければなりません。衣装の準備をしながら・・書いています。
11月1日病院行脚dayです。 ·
今は、8時45分で、20分早い電車で、練馬高野台駅に向かっている所です。まあ、なんと絶好の秋晴れの爽やかな天気なのでしょうか?
未だ、自宅を出たばかりなので、体調的にも良好で、睡眠不足の兆候は未だありません。
このまま、午前中を乗り切ってくれると良いのですが?
今日の病院のmain‐eventは、腹部大動脈の紹介状の提出なのです。
術後ひと月の検査は、定形の検査なので、大したeventでは、ありません。
やはり、尿検査と採血は時間が掛かって、30分近く掛かってしまいました。
でも、未だ9時半なので、チョッと時間潰しで、ミニのかけ蕎麦を一杯食べます。前回、ミニの素うどんを食べた相棒です。
10時からの、泌尿器科の診察が終わって、次の心臓血管外科の予約を待っている時に、待合室が結構暑くなって来たので、突然、ジャージの上を着て来た事に、気が付いたのだよ❢
朝は寒かったので、薄手の毛物ではなくて、厚手の服にしたのだが、ジャージの上とは気が付がなかった。
それならば、ジャージの下は、何処にあるのだろう?
散々待たされて、心臓血管外科の先生の予約は取れなかったので、紹介状共々出直しになりました。
予約の取れた18日の土曜日の朝9時半に予約を取って、その時に朝の9時迄に受付に紹介状を持って行くのだそうです。
病院のsystemが、よく分からんわ??
頑張って、駅迄歩いて、電車に乗って、なんとか、12時半にはハイツに辿り着きました。
まあ、睡眠不足の中、なんとか、保ったよな??
偉い❢❢偉い❢❢
お昼を食べて、1時です。
これから、少し寝ます。
流石に、夕方の5時迄、爆睡してしまいました。
窓下の公園は、児童公園のように超、うるさいのだ❢❢(児童公園なのだよ。)
部屋の中は、もう、夜の帳が下りているのだよ。
Keyboardのkeyも、全く見えないのだ。
明日のコロナとインフルのワクチンの問診票の問診の回答を書くのだが、いつも思うのだけど、既往症の病名はなんと難しいのだろうか??自分の既往症の病名を書けないのだよ。
腹部大動脈瘤とか、膀胱癌とか、冠動脈Stentとか、糖尿病とか・・、まあ、糖尿病ぐらいはなんとか書けるけれどね??
腎臓も無理かも??
なんとか、問診票を書き上げていたら、あちらこちらからlineが・・
返事を書きながら、問診票を書き上げていたら、timelimitになってしまった。
服の準備をしてbikeで移動なのだよ。
なんと忙しないのだよ??
11月2日江古田に学生が居なくなった ·
今は11月2日の木曜日の朝の10時になる所です。
強烈な鼻詰りで、口呼吸になってしまい、喉が痛くなって、目が覚めました。
昨日の1日は、殆ど徹夜状態で、病院に出掛けたので、お昼に、自宅に戻ってからは、energy切れで、爆睡してしまったので、昨晩は、またまた、rotationが狂って、夜は全く眠れなくなってしまいました。
結局の所、昨晩も眠れなかったのですが、明け方に「これでは、今日も仕事にならない❢」と言う事で、ムリヤリbedに入って、入眠を試みて、なんとか、仮眠をする事が出来ました。
それで、朝の10時に起きたのだけど、やっぱり、絶対睡眠時間が足りていないので、またまた、眠り直してしまいました。
惰眠を繰り返しているのです。
しかし、惰眠は惰眠に過ぎないので、幾ら、惰眠を積み重ねても、満足な睡眠が採れる分けではありません。
という事で、今はお昼の1時になった所ですすが、睡眠不足は続いているのです。
今日は、ワクチンの日で、2時半からインフルとコロナのワクチンの接種があります。
両方とも結構強い注射なので、打つと、暫くは、足元がふらついてしまいます。
それに、更に、今日は糖尿病の注射の日なので、少しでも時間をズラして、「夜に注射を打ちたい」と思っています。
この注射も結構、ふらついてしまう注射なので・・
今日は、超珍しく、斉藤先生が洗濯物を干しに来てくれる予定なので、溜まりに溜まった洗濯物を昨晩から洗っている所です。
「超、珍しく・・」と、言う意味は、近頃では、自分で洗濯物を干す事が出来たのですが、この1,2週間になって、突然、腰痛が再発して、またぞろ、洗濯物を干す事が出来なくなってしまったからです。
腰痛になると、立ったままでの作業が出来なくなってしまいます。勿論、ホンの一瞬の作業ならば、問題は無いのですが、例えば、シンクに溜まった洗い物を洗う・・とかいう或る程度、立ったままでの作業は、腰痛には禁忌なのです。
勿論、部屋の掃除機掛けや、toiletteの掃除等も・・です。
特にtoiletteの掃除は中腰になるので、腰痛の時の掃除は不可能になります。
toiletteの掃除の場合には、ホンの一瞬の作業でも命取りになってしまいます。
当然、腰痛が治れば、また、掃除は出来るのですがね~ぇ??
ワクチンの接種の為に、外出をしたので、その次いでに、お買い物とお茶をしました。
人と会う時に、接客用に使っていた駅前の珈琲館なのですが、コロナになってからは、私自身が、接客をする事が少なくなってしまったし、コロナの為に、外での接客自体が出来なくなって来たので、代わりに自宅で接客をする事が多くなったので、あまり、外でお茶をする事はしなくなりました。
仕事をしていて、気分転換の為に、自分からお茶をしに行くと言う事は、とても、金額的に、勿体無いのでしません。
だって、ティパック(=Tea Bag)1包のお茶が珈琲館では500円もするのだよ。
普段ならば、100包幾ら・・というティパックを飲んでいる私としては、バカバカしくて飲めたものじゃあないジャン❢❢
接客の為・・というのは、バカ高い紅茶を飲む為の、口実なのだよ。
勿論、ティパック(和製英語)自体はハイツの紅茶の方が普段の紅茶は、超、安い紅茶なのだけど、逆に、超、高級紅茶もあって、本当の紅茶が飲みたい時には、その高い紅茶を飲む時もあるからね??
外で外食と言えば、行きつけの蕎麦屋も、何軒か、あったハズなのですが、今では、一軒も残っていません。
蕎麦好きの私としては、寂しい限りです。
江古田周辺の蕎麦屋は全て無くなってしまい、飲み屋に代わってしまいました。
飲み屋だけではなくて、昔、よく行った本屋も画材屋も、お菓子屋さえも、なくなってしまいました。
江古田周辺の町から、人が集まって来ていた江古田の市場や、スーパーがなくなったのは、結構、Shockでした。
つまり、江古田の街、全体が寂びれてしまったのですよ。
江古田には、大学が3つもある、学生の町のハズなのですが、江古田の町にたむろする学生は、金曜日の夜に、どこかに飲みに出掛ける為に、駅の前に集まる学生しか、見た事はありません。
学生に、「どこで飲むのか??」という話しを聞いたら、「江古田では飲み食いする場所がないので、直接、池袋や他の目的地に集まる」・・のだそうです。
そういえば、学生が一番集まりそうな、ラーメン屋でも、あまり若者達の姿は見掛けなくて、サラリーマンだけなのだよな~ぁ?
安いを売りにしている焼き鳥屋等も、学生はあまり、いないのだよ。
基本的にはサラリーマンだけなのだよな??
特に、この3年間は、コロナで、大学が休校だったので、学生相手のお店は、大打撃を受けたのだよな?
学生で成り立っているような江古田の町にとっては、コロナは致命的だったのだよ。
でも、見ていると、町全体が寂びれて行くのは、江古田に限った事では無いように思えるのだよな?
他の町も、いや、国全体も、寂びれていっているのではないだろうか?
そういった不安に苛まれる事があるのだよ。
まあ、俺が国を憂えても、詮無い事なのだがね~ぇ?
私は、憂国の士では無く、一介の一般人に過ぎないのだからね~ぇ?
11月4日Scharwenkaについて ·
今日は11月4日の土曜日の朝の10時を過ぎた所である。
この所、全く同じroutineであるのだが、昨晩も11時前には、ハイツに戻って来たにも係わらず、全く眠れなくって、朝の7時、8時になって、やっと入眠が出来た所の「朝の10時・・」なのだ。
いつものように、toiletteを済ませて、パソコンの椅子に座った途端に寝落ちしてしまったので、慌ててbedに戻ったのだが、今度は、入眠が上手く行って、午後の1時を過ぎて、目が覚めた。
なんと、一回の睡眠で、 two-coolも眠れたのだよ❢❢
今日は急遽の4時からのlessonが入っているので、準備を入れると、3時迄・・というtimelimitがあるのだが、それまでは、自由に時間を使う事が出来るのだが、私としては、もうone‐coolは寝たい所なのだがね~ぇ??
そうも、行かないのかな??
恙無く、lessonを終えて、Christmas会に生徒達が演奏する曲を、ハイツの楽譜棚から出して、lectureの準備をしていたら、突然、体調が悪くなってしまったのだが、今迄には経験の無い症状で、それに対応する応急の薬が見当たらなかったので、已むを得ず、bedに横になって休む他はなかった。
体調は、かなり辛い状態だったのだが、小一時間程、安静にしていたら、落ち着いて来たので、頑張って、椎名町に移動した。
それはそうと、Scharwenkaという名前には聞き覚えがあったので、ハイツの楽譜を、Christmas会の楽譜を調べる次いでに、調べて見たら、なんと、ScharwenkaのPolish Danceという曲が以前、子供の発表会に使った譜面の中にあった。
しかし、よく見るとFranz Xaver Scharwenkaとなっている。
日本版のWikipediaで調べて見ると、そのPolish DanceのFranz Xaver Scharwenkaしか出て来ないのだよ。
瑞希が演奏しているLudwig Philipp Scharwenkaは、日本のWikipediaでは、出て来ないので、Europa-versionのWikipediaを調べると、やっと、Ludwig Philipp Scharwenkaが出て来るのだよ。
要するに、瑞希の演奏しているViola SonateのLudwig Philipp Scharwenkaは、有名な方の、Franz Xaver Scharwenkaの兄さんなのだが、Scharwenka兄弟の音楽は、結構、こんにちでは忘れ去られている。
しかし、Franz Xaver Scharwenkaの、Piano Concertoの4曲は、結構、有名な曲であり、 No. 1 in B flat minor, Op. 32は、とても、virtuositätな曲で、格好良い曲で、再認識され始めている曲なのだよ❢❢
今回のLudwig Philipp ScharwenkaのViolaのSonateも、数少ないViolaのrepertoryとしては、全く、知られていない曲なので、多くのViola奏者の人達に、多大の影響を与えているのでは、と、自負している。
また、特に、Mazurkaのような、所謂、Poland特有のrhythmが出て来るので、民族的なrhythmの難しさは、とても大変である。
11月4日『tempoの揺れと揺らし』 ·
1.単純な質問と答えの揺らし
音楽の起源は、言葉と密接に結び合っています。
音楽は人間が恐怖や恐れに対しての祈りの言葉に起源を求める人達がいます。
演奏という意味のplayと言う言葉は、同時に祈りという意味も兼ねています。
音楽が一つのMotivから、複数のMotivになった時には、そのMotivが会話になっている場合が殆どなのです。これは音楽の作曲上の基本なので、当然の事なのです。
音楽のthemaで、一番単純で多い形は、「質問と答え」のpatternです。=Motiv A+Motiv Bの形です。
次に多いのは、「質問+質問と答え」のpatternです。=Mtv A+Mtv A’+Mtv Bのpatternになります。
勿論、「質問が一つで、答えが2つ」の場合もよく見受けられます。=MtvA+Mtv(Atw)B+MtvB’です。同じ、Motivという単語を使うと紛らわしいので、本来はAntwortを略してAntとか、Atwとかの略語を使う事が多いです。
当然、会話と同様に、質問(Frage)と答え(Antwort)は、会話の速度感(tempo)が違います。
原則論では質問はゆっくりと・・回答は少し速めになります。
これは人間本来の会話に於ける表現になるので、音楽の情緒的な表現では無いので、時代考証はありません。
音楽史の中の、全ての時代に共通した本質的な項目になります。
rubatoのtempoは、Chopinの曲で初めて習ったという人達が多いようですが、rubato自体は、baroque時代以前から、あった演奏表現法なのです。
この文章のThemaである「質問と答え」の原則もrubatoの法則がちゃんと、生きているのですよ。(rubatoの原則とは、遅くなった分、次のpassageが速くなって、全体のtempo感が整合する・・という原則です。)
この音楽表現が出来ないと、音楽は死んでしまいます。
会話の中で、一番、短い会話とされるのは、次の会話です。
「?」「❢」
演劇の人達はこれを表現する事が出来ます。(この表現が、出来ないと演劇人とは呼べないからです。)
Chopinや多くの作曲家が口にする言葉は、「Operaを聴け❢❢」と言う言葉なのですが、多くの人達は、「Operaの中のAriaの演奏表現を聞くように❢❢」と言っているのかと、勘違いをしている人が多いようなのですが、そうではなくて、「音楽で会話をする技術を盗め❢❢」と言う意味なのですよ。
一つのphraseを会話をするように演奏をする・・という意味なのです。
また、これもいつも私が言っている事なのですが、音楽表現は客席の数でdynamikの幅が代わります。
つまり、30名ぐらいから100名ぐらいのSalon-Koncertと、1000人、2000人の大Hallでの演奏表現は違います。
(子供達に分かるように、左甚五郎の鐘楼の龍の彫り物のお話で、演奏表現の説明をしています。同時に、玉三郎さんの谷町の娘さんに対しての会話の話と・・)
2.より複雑な揺らしの例
日本人の音楽家が一番苦手とする演奏技術は、tempoの揺らしに尽きると思います。
日本人が最も苦手とするのは、3拍子の演奏法でしょうか??
また、8分の6拍子や8分の12拍子のような3拍子のbeatを持つ拍子も苦手です。
特に、waltzのようなrhythmや、3拍子を2拍子取りにする事も日本人には苦手とする事なのですが、別にShostakovichの第3waltzを引き合いに出さなくても、Vivaldiの多くのConcertoにも、2拍子取りの3拍子の曲は出て来ます。
指揮で言うと、one、 two、threeを2拍子のように、one、 two~、と2拍子のdown、upで指揮をする事です。
VivaldiのLe Quattro StagioniのL'Autunnoでも、3拍子のpassageと、ländlerのような舞曲のrhythmが交代で出て来るので、3拍子のpassageは3拍取りで、ländlerのpassageは2拍子取りで指揮をします。1拍目に対して、2,3拍が、少しswingしたような感じになります。舞曲の一つなので・・
baroque時代やもっと古いRenaissanceの時代のrhythmは、現代のrhythmよりも、もっと複雑でした。
こんにちでは、そう言った拍子の表記が出来ないので、2分の2拍子や4分の3拍子に、書き換えられてしまっています。(それでは、独特のsyncopationのrhythmが出ないのですがね~ぇ??)
Renaissanceの時代の当時は、音楽的に転調するのが難しかったので(調が無いので、転調は出来ないのですよ。)、その分、rhythmや拍子が、ヨリ複雑になってしまったのです。
9月23日のFacebookを参照の事:
3.速度の変化
『序破急』
曲の最後で終わりを表す為に、少し遅くするとか、曲の途中でTempoを遅くする・・とかいう、ritardandoやaccelerandolのお話ではありません。
例えば、雅楽の「序、破、急」のtempoの設定は、そのまま、ländlerや、Hungarian Rhapsody等のtempo設定に、或いは、大Variation等の音楽形式上の設定にそのまま、同じ様式として、使われています。
音楽理論はEuropaの物なので、東洋の序破急という言葉が出て来る事も、そう言った解釈もありませんが、舞曲というgenreで捉えると、洋の東西を問わず、同じdanceの形式が使用されているのですよ。アハッ!
『追い出し』
Operaや映画等では、全体のstoryが終わった後で、お口直しと言うか、我々は「追い出し」と呼んでいますが、最後に軽い速い曲で、日本昔話では「これでおしまい、どっとはらい❢❢」とかの言葉が入りますが、同じように、音楽の場合でも、追い出しの意味合いの曲が入りますが、私の場合も、長大なVivaldiの曲を全楽章、演奏する場合には、最後のabteilungに入った時に、Metronom-tempoを2個ぐらい上げて演奏をする事で、追い出しに入った事が分かるように演奏をします。
聴いているお客様に、終わりが近づいている事を教える為です。
音楽用語で書く時にはfinale-(Presto)と指定します。()内の速度標語は、色々と変わるようですが・・演奏は「追い出し」で、変わりません。
11月5日『Edwin York BowenのViola Sonate No.1 in c minor Op.18に付いて』 ·
次回の発表会の課題曲である「Edwin York BowenのViola SonateのNo 1 in C minor Op 18」なのだが、作曲者のBowenと言う名前は、非常に聞き慣れない名前なので、いつもの輸入楽譜専門の楽譜屋にorderをだそう・・と思ったら、作曲者の名前すら出て来なかったのだよ。
いつも楽譜を発注する輸入楽譜専門の楽譜屋は、2軒あって、その両方とものcatalogで調べても、作曲者の名前さえも、出て来なかったのだよ。
それで、已む無く、netで楽譜を探して、なんとかdown loadをする事が出来た。
どうやら、昔には出版された事はあるようなのだが、今は絶版になってしまったようだ。
このViola SonateのNo.1のc mollの作曲者であるEdwin York Bowenは、1884年2月22日に生まれて、1961年11月23日に死んだ、イギリスの作曲家である。
どのような曲をinterpretationする場合でも同じなのだが、曲をinterpretationする前には、作曲者の育って行った時代背景を理解する事が大切である。
どのような作曲者であっても、時代様式におおきな影響を受けるからで、その様式からはみ出したinterpretationは、時代錯誤になってしまうからである。
(その典型的な例が、Beethovenのinterpretationなのだよ。Beethovenの場合には、その音楽の作曲様式が非常に彼の時代よりも、先行していたし、それよりも、彼のimageがaufregung(感情過多な)typeとして認識されているので、こんにちでは、演奏法に関して迄も、ロマン派や、近現代的な演奏法で演奏される事の方が一般的になってしまっているのだよ。
まあ、そんな事を言えば、baroqueのsoloの音楽は、もっと、悲惨な時代考証を伴わない演奏をされているので、古典派以前の音楽に関しては、時代考証を伴わない演奏の方が一般的というか、普通なのだよな??
曰く、演奏家の業と言うのか、洋の東西を問わず、演奏家というのは、自分の演奏技術の粋を尽くして演奏をしようとするのが、結構、常なのである。
だから、その作曲者の時代には存在しなかった演奏技術を駆使してまで、曲をinterpretationしようとする傾向にある。
作曲家の立場としては、許せない事実なのだがね~ぇ??
いつも言っているように、関ヶ原の戦いに機関銃と戦車を出して戦うような代物では、私から言わせて貰うとlächerlich(笑止千万)に過ぎないのだがね~ぇ??)
一般には知られていない作曲家の曲をinterpretationする時には、模範となる演奏が存在しないので、自分でinterpretationをしなければならないのだが、その時に正しいinterpretationの手助けになるのが、その作曲家の生まれ育った時代背景となるのだ。
作曲者は同時代に育った時代をleadする作曲家の影響を受けるからである。
まかり間違っても、Bowenの育った時代には、戦車や携帯は無いのだよ。
・・と言う事で、Bowenの産まれた1884年前後の時代背景を見てみると、Sergei Sergeyevich Prokofievが1891年4月27日産まれで、7歳年下で、1953年3月5日に死亡した、当然、ロシアの作曲家であり、且つ
Sergei Vasil'evich Rachmaninovが、1873年4月1日に産まれて、なんと、Rakhmaninovの方が、11歳年上であり、1943年3月28日に没したロシア帝国出身の作曲家で、ピアニスト、指揮者でもあり、且つ又、Stravinskyが1882年6月17日の産まれであり、僅か2歳違いなのだよ。
1971年4月6日に死亡するので、大体、それぐらいの時代背景の作曲者である。
しかし、Bowenの作曲様式は、どちらかというと、後期ロマン派に属し、少し古い様式の作曲家であるので、このいずれの作曲家達の様式から見ても、少し古色蒼然とはしているのは、否めない事実である。
その為であるのか、生前には結構、名前の売れた事があって、音楽界にも認められた事のあるBowenなのだが、晩年は、時代に先行するcontemporaryな作曲家達に押されて、忘れ去られてしまうのだよ。
しかし、数少ないViolaのrepertoryとしては、とても優れた作品であり、後述のScharwenkaと同様に、Violaの貴重なrepertoryを成す作曲家であるのだが、残念ながら、こんにちでは日本のViolaの演奏家達には全く知られていない無名の作曲家の一人である。
(2023年11月5日の日曜日)
『Ludwig Philipp Scharwenkaについて』
同様に、今回の発表会とconcoursの課題曲として、pickupした作曲家であるLudwig Philipp Scharwenkaは、1847年のFebruaryの16日に誕生して、1917年のJulyの16日に死んだドイツの作曲家である。
しかし、Scharwenkaというと、弟のFranz Xaver Scharwenkaの方が、事実上は有名である。
まあ、蛇足なのだが、教室の発表会で子供が弾いた発表会repertoryのPolish Danceも、Franz Xaver Scharwenkaの作品であり、Philipp Scharwenkaの作品ではない。
兄弟なので、音楽活動の場所や時間もダブって来て、結構、ややこしいのだよ。
単純に今回のBowenと年の差を比較すると、37歳もScharwenkaの方が年上になってしまう。
約、40年の年の差は、様式的には、完全にひと時代の差になってしまうのだよ。
ちなみに、音楽史の時代区分は、作曲家の死に拠って分けられている事が多いのだが、私の場合には、楽器作成技術や、社会的な背景の歴史で、捉える事が多い。
音楽史で一番大きな技術改革や社会の移り変わり・・は、1800年前後なのだが、その時代背景は、貴族社会が没落して、petit-ブルの時代に代わって来て、演奏する場所が、宮殿の200席から500席ぐらいの小さなHallから、千、2千を収容出来る大きなHall、つまり、お金を出せば、一般大衆でも聴く事が出来る大Hallに代わって来たので、その広さに堪え得るような、楽器に対しての、大きな音量を要求されて来るようになったのだよ。
Hallが小さいと、小さなMimeで表情の表現が出来るのだが、大きなHallになると、舞台特有の、大きな表現が必要となるのだよ。
だから、上品で必要最低限の音楽表現で良かった古典派の時代の演奏表現から、大Hallで大人数のお客様に伝わるような、所謂、performance的なoverな表現が必要になって、楽器にも、音の美しさを犠牲にしても音量を求められるようになって来たのだよ。
それが、Pianoがsingle actionから、double actionへの機能の変化を遂げた事であり、弦楽器の場合には、Tourte bowの発明である。
言い方を変えると、Tourte bowが開発されたので、その弓の圧力の対応に、Stradivari等の天才的な名工の手に寄る楽器が、強い音が出るように、裏板には力木を入れて、竿を長くして、駒も高くして、所謂、Stradivariが思いも掛けなかったような、現代楽器に改造されてしまったのだよ。
それからは、逆に、元々の、何の手も加えられていない元々の楽器をbaroque楽器(period instruments)と呼ぶようになったのだよ。
演奏表現の技術もbaroqueから古典派の時代迄の、演奏技法とは全く代わってしまったのだよ。
音楽の歴史では、教会音楽の歴史から、調性のある音楽への革命が、第一番目のRenaissanceなのだろうが、古典派から、ロマン派の楽器の改革に伴う音楽の表現法の改革が、第2番目のRenaissanceと言えるだろう。
本来ならば、調の崩壊に寄る、contemporaryな現代の音楽が一般的になれば、第3のRenaissanceになるのだろうが、調が崩壊した音楽は、もう既に、音楽とは呼べず、 Klang Gestaltung(音の造形)と私は呼んでいる。まあ、平たく言うと、音のObjetなのだ。
それは既に、一般大衆の支持を失ってしまっていて、僅かな、maniacな人達の趣味の世界となってしまっているのだよ。
だから、私は、第3のRenaissanceは起きないのだ・・と予言する。
つまり、現代音楽を一般大衆が支持する事は永久に無いだろうよ。
話を戻して、
時代考証の為の、Scharwenkaの、一番近い産まれの作曲家は、ノルウェーの作曲家であるEdvard Hagerup Griegの1843年6月15日産まれで、1907年9月4日死亡である。
Johannes Brahmsは、1833年5月7日の産まれで、1897年4月3日に没するので、ScharwenkaはBrahmsよりも、14歳も年下である。
Richard Georg Straussは、1864年6月11日産まれの1949年9月8日死亡だし、Jean Sibeliusは、1865年12月8日産まれで1957年9月20日の死亡なので、それからすると、ひと時代、前の作曲家なので、時代考証は成立しない。
事実上ではBrahmsの1833年から、後期ロマン派と言うか、近現代の作曲家達が誕生する1870年代迄の40年間は、例外的なGriegを除いたら、作曲家の空白の期間となるのだよ。
40年間というと、音楽史的には、完全な、1時代区分になる・・大きな時代区分になってしまうのだよ。
この空白の40年は大きい。
Philipp ScharwenkaのViola Sonateは、時にはfantastic Sonateと呼ばれる事もあるのだが、それはⅠ楽章がfantasiaという指定があるからなのだ。
しかし、Sonateと言う割には、どの楽章もSonate形式は使用されていないので、曲全体がfantasiaで作曲されているとしても良いのだ。まあ、2楽章はMazurkaのrhythmが使用されているのだが、完全な舞曲として書かれているのではないので、Mazurkaでも無い。単にMazurkaのrhythmが使用されているのに過ぎない。
また、その2楽章の途中には、叫び声が出て来て、この曲の物語性を強調している。
恰も、中世の騎士物語(Roman)のようである。
私ならば、fantastic Sonateというよりは、romantic Sonate(騎士物語Sonate)と呼んだと思うよ。
(2023年11月6日の月曜日)
11月5日体調不良 ·
今日は11月の5日の日曜日のお昼の2時を過ぎた所である。
起きたのは、1時過ぎぐらいなのだが、toilette-timeに直行してから、そのまま、パソコンで、論文のPageの作業に入ってしまったので、小一時間程、時間がズレ込んでしまった。
昨晩は、あいも変わらず1日がズレたままの生活で、夜は、椎名町の食事中に疲れ切って帰って来たハズなのに、いつものように、全く眠れないままに、朝の7時まで、ウダウダとダラダラと過ごしてしまったのだが、それでも、不思議なぐらいに、そう言った自分を批判し、断罪する意識は無かったので、結構、助かったのだよ。まあ、その理由は、体調不良で、殆ど寝込んでいた状態だったのでね??
https://www.youtube.com/watch?v=1mSYtLEP8bM...
芦塚陽二作曲 2台のViolinの為の二重奏曲より 第2番
朝の7時ぐらいからは、結構、すんなりと眠れて、6時間ぐらいなので、three-coolは眠れたのだよ。
これはもはや、奇跡だ❢❢
だからといっても、熟睡感は無く、未だ、寝足り無いのだ。
・・と、思っていたのだが、ふと、気が付くと、またまた、椅子に座ったままで、寝落ちしていたのだよ。
それに、夕方からは、体調(気分)が悪くて、昨日の再来のように、胸が苦しくなって来たのだが、昨日と同じで、症状がわからないので、bedに戻って、安静にして、ちゃんと眠る事にしたのだ。
夢の中で病気を・・、というか、自分の体調を治している夢を、2度も立て続けに見た。
眠りと眠りの間のjoint部分が元凶なので、そこの部分を削除している夢なのだよ??
なんだ??・・そりゃあ??
その夢の中で、便意を模様して、慌ててbedから飛び起きて、toiletに直行した。(これは覚醒時の話)・・そのまま、暫しの間、toiletに座ったままで、半分、夢の続きを見ていたのだよ。
何年振りかの、実に気持ちの良い排便感であった。
若い頃は、排便も、排尿も、満足感と喜びを持った感覚だったのだよな~ぁ。体に溜まった不要な物を体から排出する開放感や、気持ち良さに包まれた感覚だったのだが、今、現在では、排尿や排便は、苦痛を伴ったものでしかないのだよ。
頻尿と排尿痛に苦しめられて、嵌入便は、毎日、毎回の悩みのタネなのだよ。まあ、それが老いというものかも知れないのだが・・
夜は、椎名町への移動の時間、ギリギリまで寝ていて、9時過ぎになって、シンクに溜まりに溜まっていた弁当箱を、弁当箱のshoulder2つに仕舞って、大急ぎで、bikeで椎名町に出発しました。
勿論、今日の証は、お粥は重湯で、当然、おかずは無しです。
お味噌汁は具無しならば、なんとか、飲む事が出来ました。
お粥と梅干しだけで、晩ご飯を済ませて、体調が限界になったので、急いで、ハイツに戻って来ました。
格別何も無い、非生産的な1日だったのだよな??
普段ならば、怠惰な自分に対して、良心の呵責に苛まれる所なのだが、「もはや、是迄か??」と思う程に、気分が悪かったので、丸々一日中、眠っていたのだが、流石に、その良心の呵責・・と言った物は無く、「よく生還したよな??」という安堵感の方が先に立っていたのだよ。
なにせ、2日間も、立て続けに、2回も同様な症状になったのだから、問題ではあるのだが、症状がよく分からないのだよ。
心臓なのか、胃なのか、胸全体が苦しくなってしまって、息が出来なくなってしまうぐらいで、命の危険さえも、感じてしまったのだが、自分の体の事なのに、どこの具合が悪いのかの判断が出来ないのだよ。
不定愁訴と言うには、症状が重すぎるのだよな??
不定愁訴ならば、症状の基本は精神的な物だろうが、この所の症状は、体調的な病気の症状なのだから・・ね??
11月6日再びマイナス・カードについて ·
今は11月の6日の月曜日のお昼の12時を過ぎた所である。
勿論、toilette-timeに起きた所なのだ。
昨晩も、いつものように、椎名町の食事中にEnergieが切れて、ドル・プリっ歩には行かないで、大急ぎでハイツに戻ったのだが、パソコンの椅子に座ったままで、これも又、いつものように、寝落ちしてしまって、朝の9時迄は、椅子の上で起きているのか、眠っているのかが、分からない状態のままだったのだよ。
やっと、ちゃんと、bedで眠れたのが9時からなので12時に起きた・・と言う事は、これも又、いつものように、 two-coolの3時間と言う事なのだ。
それに又、腹立たしい夢を見た事も同じなのだが、今回の夢は、多分、留学から帰って来た時の夢なのだろうが・・・、税関に荷物の引き換え証を持って、引取に行ったのだが、対応をした税関の若い女の子と意地悪な中年男性が、「引換証の他に、別の書類が必要だ」・・と言って、荷物を渡してくれないのだよ。
「その別の書類の事は、どこにも書いて無かった」と何度、主張しても、「必要だから」・・と、全く聴いてくれないのだよ。
税関が終わりの時間になって、已む無く、帰らなければならないのだが、諦め切れずに、未だ職員に噛み付いている夢なのだ。
東京から地方の実家に持って帰る為に、取り敢えずの持って来た荷物は、全部梱包してしまったのだが、必要な書類を探す為に、全部の梱包を解かなければならないのだが、それは大変な手間なのだよ。
そして、又、電車を乗り継いで、大変な時間を掛けて、税関迄、来ないとイケないのだよ。
単なる意地悪の為に、大変な労力を費やさなければならないのだ。
お役所仕事というのは、得てして、そう言ったものだよな??
まあ、・・とは言っても、これは夢の中のお話なのだが・・・
現実のお話としては、・・過日、マイナ・カードの為に、超、お久し振りに区役所に行ったのだが、そのお役所仕事の、面倒くささは、兎も角としても、対応は、昔々のお役所の対応とは、雲泥の差で、親切丁寧であった。
病院と同様に、接客は、改善されていたのだよ。
それに、職員自体も、マイナンバー・カードのsystemの拙さは、本人達がよく知っているようで、computerなのに、部署が違う為に、同じ住所を何度も入力しなければならない・・というパソコンにあるまじき設定は、不自然には思っているようなのだ。
computerの良い所は、一度、入力すると同じdataは2度と入力をする必要が無い・・と言う事のハズなのだが、systemを構成する人達、所謂、Programmerの頭が悪いのか??
それとも、Programmerにorderを出す、お役所側が悪いのか??何れにせよ、素人のprogrammingとしか、思え無いのだよな??
・・と言う事をウダウダと書いていて、又、bedで横になって寝たのだが、今度は、昨日と同様に、夜の8時直前に目が覚めた。
髪の毛が汚れてしまっていたので、風呂に入ってから、パソコンを開いた。
今日も仕事という仕事が出来ない、惰眠を貪るような日になってしまったのだが、意識的には、なんとか危機を脱した・・安静日・・という感じで、そんなには、罪悪感は無いのだよ。
まあ、仕事modeとしては、明日からだよな??
一日がめちゃめちゃなのだが、それがroutineなので、致し方はないのだよ。
結構、正確に繰り返しているので・・ね??
今日からはなんとか、普通食が食べれるようなのだが、やはり、少し軽めでないと、無理だよな??
今日は、遅い食事で10時からの食事の予定なのだが、まあ、頑張って行くか??
11月7日『SchubertのAve MariaとWalter ScottのLady of the Lakeとromanに付いてのお話』=『騎士物語のお話し』 ·
SchubertのAve Mariaの作曲上の由来の説明を、これまでも何度か、Facebook等に書いて来ましたが、今回、少し引っ掛かる事があって、もう少し詳しく説明をする事にしました。
Ave Mariaの曲の歌詞の出典は、中世スコットランドの伝説に題材を扱って、Sir Walter Scott, (1771年8月15日 - 1832年9月21日)が、冒険物語として書いた叙事詩である『湖上の麗人(Lady of the Lake)』(1810)の中からの抜粋された詩に、Schubertが作曲をしたものです。(作曲をした詩、自体はドイツ語訳の詩であり、Scott本人の詩ではありません。そこを説明すると複雑になって、長くなってしまうので、次回に譲ります。Scottって、Sirだったんだ❢知らなかった❢)
それよりも、1810年という年代は、結構重要な年代で、SchumannやChopinの産まれた歳であり、BeethovenやWeberが活躍していた時代なのです。
Walter ScottはBeethovenと殆ど同じ時代の人なのかな?
当然、Schubertも同じ時代に活躍した作曲家になります。音楽に関しても、色々な楽器が、現代の楽器に変わって行く過渡期の時代でもあります。
このAve Mariaが有名になって、曲が独り立ちして来たので、後世の人達に「Schubertが宗教的な意味合いで、このAve Mariaを書いた」と、誤解されてしまいました。
しかし、この曲は、Walter Scottの騎士物語の中の、有名な『湖上の麗人』全71曲からの一曲なので、Schubertの《歌曲集『湖上の麗人』》(Liederzyklus vom Fräulein vom See)の曲集の中の一曲に過ぎないのです。
(ドイツ語のFräuleinという言葉は、英語のLadyと同じ意味だったのだよね~ぇ? 日常的に使う言葉なので、元々の意味を、忘れていたよ❢ 日本語では、「いとやんごとなき」・・と表現するのかな?淑女とか、麗人では、多分、違うのだろうよな??Lady Ellenだと、Ellen王女になるのだろうよな??淑女とか麗人では貴族だからね??もう、一階級上なのだよ。)
そこまでは、何の問題も無いのだが、私が小学生になる前に、貸本屋で借りて読んだWalter Scottの『湖上の麗人』と、Gioachino Antonio Rossini, (1792年2月29日 - 1868年11月13日)の書いたOperaのstoryのあまりの違いには、困ってしまった。
全くの別の物語なのだよ。
私が小学生になる前に読んだWalter Scottの騎士物語では、お姫様であるエレナが、魔法使いのマリンにお城から誘拐されて、湖上に浮かぶ島のお城に囚われるのだよ。(アサー王の師匠であるマリンが悪い魔法使いになっているのだよな??)
そのお城の窓に差し込む月明かりに向かって、エレナが愛するマリア様に、この窮地から救い出してくれるように祈りを捧げる場面の時のお祈りの言葉が、彼の有名なAve Maria・・なのだよ。
勿論、その後のStoryでは、若き騎士が現れて、魔法使いマリンを征伐してHappy end(和製英語)となります。
勿論、Walter Scottは、Ellenを、「Lady of the Lake」と表現しているのだから、当然、Ellen王女になるのだよ。
淑女とか麗人では無いのだよ。
でも、Rossiniが、1819年に作曲したオペラ・セリア、『La donna del lago』では、王と副将とその娘と、反乱軍の首領とその将校と、複雑な人間関係があって、勿論、その娘であるエレナが反乱軍の将校を愛する・・という、お定まりのstoryになっているのだよ。
王様と諍をして、逃れる為に洞窟に身を潜めている父親とエレナが、マリア様に救いを祈る場面なのだよ。
RossiniのOperaで、困ったのは、結構、その当時の貴族と革命軍の闘士の恋を描いた、当時としては、現実的なRomeo and Julietのstoryで、どこにも騎士物語の要素が無いのだよ。
まあ、NapoleonのWien進行の時代背景の時代なのだから、その時代背景で描くと、仕方が無いのだけどね??
勿論、エレナは貴族の娘なので、Ladyにはならないので、当然、淑女、若しくは麗人になるのだよ。
ありおりはべりいまそかり・・の話なので、本当は、どうでも良いのだけど・・・
中世の時代には、数々の騎士物語が書かれていて、一つのgenreを形成しているのだよ。
このLady of the Lakeも、元は、中世ウエールズの詩に拠るものです。
起源を辿れば13世紀以前にも遡る事が出来ます。
まあ、曰く、アサー王伝説の一つなのですよ。
だから、アサー王の師匠である魔法使いマリンや、聖剣Excaliburが登場するlegendなのだよ。
だからWalter Scottは、多くの騎士物語を書いた作家の中の一人に過ぎないのだ、・・と言う事で『Lady of the Lake』も、こんにち
John Ronald Reuel Tolkien,(1892年1月3日 - 1973年9月2日)が書いて、映画化された三部作である、(2001年12月19日、ロード・オブ・ザ・リングが公開されて、二つの塔 2002年12月18日の公開王の帰還が2003年12月17日に公開されたのだが、)『Lady of the Lake』も、『The Lord of the Rings(指輪物語)』同様に、色々な作家に拠って書き連ねられた一つのstoryに過ぎないのだ。
(WagnerのDer Ring des Nibelungenは遥かに古く、且つ、超、有名である。まあ、Storyも全く違うしネ?)
チョッと笑えるのは、今のアニメブームの中のgenreの一つにも、定番の騎士物語がある。所謂、転生物(語)とされるgenreである。phantasie世界に転生する物語で、
魔法使いと勇者とお姫様のone-patternなアニメの作品群(genre)である。
その殆どの作品群の背景が中世Europaなのも、貴族物語の定番のtraditionalで、・・笑える。
この騎士物語の、もう一つの共通項は、現代社会から転生して勇者になる・・という定番なのだよ。これが時代背景を作っているのだよな??
中世の騎士物語は、当然、主人公は同じ時代の若者なので、身分の高い騎士ではなくて、身分の低い一般の貧しい貧民からの立身出世の物語になるのだよ。
RossiniのOperaのStoryも、時代背景的には、貴族と民衆の革命の時代なので、その時代の時代背景で書かれているのだよ。
だから、貴族の娘と革命の闘志の設定になるのだよ。
・・という事で、現代の騎士物語は、Gameオタクの若者が、そのGameの世界の中に入る、という設定になるのだよ。
騎士物語の定番としては、何も変わってはいないのだよね??
次には、Romanの言葉の意味なのだが、ドイツ旅行の時のtouring-courseでは、romantic街道を巡るtouring-courseがあるのだが、そのromanの意味は、夢や理想を追い求める心情や、そのような物語性・情緒という事ではない。
roman・・、所謂、騎士物語の事を指すのだよ。
だから、騎士物語の舞台として登場するような中世のお城巡りという意味なのだよ。
回り回って、恋をするような気分になる事はあったとしても、romanの元々の意味には、そう言った意味は無いのだ。
romanという言葉には、小説、特に、長編小説を意味する事がある。
romanticとは、日本的な解釈とは違って、感情的、理想的に物事をとらえる事、夢や冒険などへの強い憧れを持つ事・・とされている。
だから、日本での一般的な意味である恋愛的な意味、所謂、浪漫・・という意味でのromanceと、本来のromanは、大きく意味が異なるのだよ。
Romanという言葉が使われる時には、日本人の場合には、その事を強く意識しなければなりません。
11月8日前日のお話とlessonでの ·
今日は11月の8日の水曜日のお昼の11時を過ぎた所なのですが、何をどうしたのか??この所のウダウダdayが続いていて、自責の念に囚われていたのですが、突然、昨日の夕方から、今迄、徹夜で、『SchubertのAve MariaとWalter ScottのLady of the Lakeとromanに付いてのお話』=『騎士物語のお話し』と、『tempoの揺れと揺らし』の2つの文章を、一気に書き上げてしまいました。
・・とは言っても、今日は、突然のlessonが飛び込んで来たので、1時からは、lessonをしなければなりません。
lessonをする事自体は、やぶさかではないのですが、なにせ、徹夜で、書いていたので、今更の事だけど、体力が保つか、否か、・・自信が無いのだよな??
one‐coolだけでも寝たい所なのだが、その時間は、もう既に無いよな??
それに、今日は食い物が全く無いのだよ。
昨晩は火曜日だったので、椎名町からの弁当が無かったので、昨晩迄しか弁当が無かったのだ。それに、お腹の具合が悪かったので、お粥にしたので、弁当が少なかったのだよ❢
いやあ、「腹減った!」よな~ぁ??
口休めの甘い物も全く無いし・・ねぇ??
lessonが予定よりも、チョッと長引いたので、椎名町に移動する前に、仮眠をしようと思ったのだけど、その時間がありませんでした。
いつもの8時半の食事に間に合うようにbikeを走らせたのだけど、結構、寒かったのだよな??
食事を終えたら、やっぱり、energy切れで、ドル・プリっ歩は抜きで、超急いで、ハイツに戻りました。
いつものように、椅子に座ったままで、茫然自失をしてしまいました。
と、いう事で、今日はここ迄かな??
11月9日緩慢なる彼岸への旅路 ·
今日は11月9日の゙木曜日の朝の6時半になる所です。
昨晩は、やはりパソコンの椅子でぼんやりとしていたのですが、意を決して、2時にはbedに入りました。
前の晩が徹夜だったのにも関わらず、なかなか寝付けなくて、やっと眠っても、直ぐに目が覚めてしまう、という状態でした。
この所、このroutineが続いているので、毎回、同じ事を書いているようなのです。
晴耕雨読ではないけれども、疲れたら眠って・目が覚めたら起きるという、毎日で、一日が24時間なのだ、という事を忘れてしまいそうな日を送っているのだよ。
勿論、体調や体力も、この所は、極端に落ちて来ていて、ホンの少し、歩く事も、ままならないのだよ。
ホンのひと月前は、体の調子も良くて、歩くのを増やして、体調をコロナよりも前の状態迄、戻したいと思っていたのだがねぇ?
今夜は右足先の中指から小指迄の付け根の部分が痛い。
神経的なズンと来る痛さなのだよ。
こむら返りのキリキリとした痛さとは違って、またこむら返りは、右側に来た事はないので、全く違った原因なのだよ。
多分、Rheumaの痛みなのだよな??
左手小指の付け根部分の痛さはホボ慢性化しているのだよな??
酷くなると、両指が全く曲がらなくなってしまって、物を握れなく、摑めなくなってしまうのだが、そうなると、握ったハズの物をポロポロと落としてしまうのだが、それを不注意で落とした・・と、勘違いされて、怒られてしまう。
意識して持っても、物が摑めなくなってしまうのだが、それは、なかなか、理解して貰えないのだよな??
勿論、それに加えて、老人性の皮膚の乾きで、Pianoの鍵盤を弾いていても、黒鍵に指が乗らないのだよ。
ツルン・・と、黒鍵から滑り落ちてしまうのだよ。
鍵盤から指が落っこちる分けなのだから、当然、箸を掴んでも、ポロリと指先から滑り落ちてしまうのだよ。
緩慢なる彼岸への旅路・・とでも言うのだろうか??
一歩、又、一歩と歩んで逝くのだ。
11月10日『Christmas会のViolinとPianoの曲のorder』 ·
昼夜逆転と体調不良が続いているのだけど、今日は、斉藤先生からのChristmas会で演奏するViolinの伴奏を書いて欲しい・・というorderがありました。
簡単で、短い曲の依頼なので、簡単に済みそうな仕事でしたが、体調の所為もあって、且つ又、斉藤先生から送って貰った、melodyのfinaleの楽譜のfileが開かない・・というtroubleもあって、お昼には、orderが出ていたのだけど、fileが開く迄には、夜まで掛かってしまい、Pianoの伴奏付けの作業に取り掛かるのが、結局の所、夜遅くなってしまいました。
order通りの伴奏のimageにすると、演奏が技術的に難しくなってしまうし、曲のimageのままに書くと、polyphony(複音楽)の弦楽三重奏で書いてしまうと、orderとは変わってしまうし・・で、ご希望の子供でも、簡単な演奏が出来る曲として、楽譜に書き上げるまでには、結構、時間が掛かってしまいました。
・・・とは言っても、作曲している時間はホンの一瞬なのですが・・ネ??
斉藤先生からのorderの元のmailです。
「クリスマス会用初級Violin曲がほしいのですが、以下のメロディーに伴奏つくっていただけませんか?(まきびと ひつじとのmelodyのtwo-chorusです。)
易しめのきれいなロマンチックな感じがいいです。
凝りすぎて難しくなっちゃわないようにお願いします。」
しかし、伴奏を作る場合には、melodieの音型で、或る程度、伴奏の型が決まってしまうので、ご希望に添えるかは、melodie次第なのだよ。
それに「易しめで、綺麗でromanticな・・」と、いうのは、結構内容的には、矛盾しているのだよな??
それは、簡単でsimpleな伴奏では、Ⅰ・Ⅳ・Ⅴの主要三和音ぐらいしか、使えないので、勿論、そのorderのままに、伴奏を付けると、kinderei(幼稚)な、つまらない伴奏になってしまいます。
文科省系のarrangeのorderの場合には、よくそういった事を、求められる事があります。
Clientとなる子供達や、指導をする先生達が、「単純で、primitiveでないと、分からない、理解出来ない」と、いう前提のorderなので、全く音楽の理論を知らない・・という前提の場合には、それでも、理解出来る範囲・・という事なので、ⅠⅣⅤの基本の主要三和音で伴奏を書くように、指示されてしまいます。
だから、simpleなprimitiveなmelodyに、何度聞いても飽きないような伴奏を付けるのは、結構、難題なのです。
そう言った条件を無視して、自己満足のままに、書きたいように、書いてしまうと、どうしてもcontemporaryな理解不能なimageの曲になってしまいます。
あまりにも、melodieがsimpleで、primitiveな場合には、imageを描く事が難しいので、私の場合にはtheory通りに、感情の赴くままに、contemporaryな伴奏の曲を先に書いて、それから、徐々に、simpleでkinderei(幼稚)になってしまう限界ぎりぎり迄、einfach(単純)に、近づけて行く・・という作業をします。
deformerをし過ぎると、eccentricなcontemporaryな曲になってしまうし、einfachにし過ぎると、primitive(単調)でkinderei(幼稚)な曲になってしまうので、その限界のぎりぎり迄、蛇に足を描かないように、注意を払いながら・・元のprimitiveなimageに戻す作業をします。
11月11日「まきびとひつじを」 ·
前のPageの楽譜の冒頭のintroの和音の調性が分かり難くかったので、更に1小節を追加して、調性をもう少し分かり易くしました。
既存の単純なmelodieに、和音を付ける事に拠って、本来ならば、調性感が出るのですが、contemporaryな書法の場合には、浮遊する調性・・所謂、調の崩壊をさせています。
美しい三和音の連結のハズが、melodieを演奏する事を困難にさせているのです。
「何の為に・・??」
勿論、絶対音感訓練の為です。
それと、You Tubeにuploadした曲の開始よりも前の冒頭の部分に、lineの通知音が入ってしまったので、削除してuploadをし直しました。(動画の編集作業をやっている最中にlineが入って来たのだけど、それがnoiseになって入ってしまいました。)
次いでに、繰り返しの部分のmelodieの不自然な箇所は、最初のmelodie、one cours目の元のchorusをそのまま繰り返す事にしました。
「まきびとひつじを」のmelodieのお題を頂いて、第2改定の譜面です。
https://www.youtube.com/watch?v=KzrOQe0f7bA
このversionはdéformerする前の、元々のversionを、upload用に少しだけ、改定した物です。
1回目と2回目のchorusが、小節数が違っているので、「歌詞の関係なのかな?」とは、思っていたのだけど、「何かおかしいよな??」と、思い直して、最初のchorusの繰り返しにして、作り直して見ました。
このorthodoxーversionは、多分、第3改定版になるのでしょうが、調性が不安定な第1版や、第2版に対して、調・・という概念に、一番、orthodoxな伴奏である、一般的な調性になるように、改定しています。
つまり、contemporaryな伴奏から、orthodoxな伴奏への改定なのです。
通常のChristmas会等での演奏の為に・・です。
「orthodoxな調性の第3改定版」
https://www.youtube.com/watch?v=WUQJKk69pV4
これで終わりかな??・・と思ったら、斉藤先生が、後半のchorusが無い・・とのclaimが入ったので、更に、後半のchorusを付け加えました。
斉藤先生から貰ったmelodieのsampleはone-chorusと後半のchorusノミで、本来ならば、a+a+b(+a)となる所を、いきなり、a+bとなっている楽譜だったので、唐突な感じが否めないので、敢えて、a+aにして、bを省略したのですが、どうしても、bのphraseが欲しい・・との事で、「曲が長くなって、(特に伴奏を弾く子供の)負担になるのでは??」と、疑問を呈したのですが、「同じ繰り返しなので、負担にはならない」との回答だったのだけど、「soloの子供は兎も角として、伴奏の音型は毎回変わるので、結構、小さい子供が伴奏する場合には負担になるのでは??」と、質問をしたのだけど、「問題はない!」との事だったので、更にbの部分8小節を追加しました。
melodieはaabの2つのmelodieを弾けば良いのですが、Pianoの伴奏はそれぞれのStollenの伴奏の音型が異なっているので、子供に取っては、結構、難しくなります。
https://www.youtube.com/watch?v=lnP7EhX40tk
『絶対音感のお話』
私達の教室で学んでいる生徒達の殆どが、いつの間にか、絶対音感という訓練を受けていないのに、orchestraや室内楽に参加している生徒達の殆ど全員が絶対音感を持っています。
一般的には絶対音感は音楽を学ぶ人達の2万人に1人の割合(Americaでは・・)とされているので、これは異常な%になります。それに、特に聴音のclassや、楽典のclassでlessonを受けた生徒達でない生徒達も絶対音感を持っている事は、一般的には理解不能な事になってしまいます。
しかし、orchestraや室内楽の参加者達に取っては、全員が絶対音感を持っているので、「絶対音感は、音楽を学ぶ生徒は普通にあるものだ❢❢」と、勘違いをしている節があります。
「絶対音感とは、giftの一つとされていて、2万人に一人の割合しか持っていないのだよ。」と、幾ら言っても、誰も信じてくれません。
豚に真珠家・・馬の耳に念仏・・という感じなのかな??
絶対音感を身に付ける為に、名古屋や京都等の地方都市から東京迄、延々と通ってlessonを受けている人達が結構居るのは、驚きです。
教室では、通常のPianoや、Violinのlessonの中でも、充分に絶対音感が身に付いているのにね??
また、絶対音感を持っている・・と言われている人に於いても
、そのpitchの認知度には、大きな差があります。
つまり、なんとなくCとかAとかの音を当てる事が出来る・・という音感から、その音の10分の1cycleの違いを見ている生徒とか・・で、そのpitchの認知度が大きく変わってしまいます。
『作音楽器に付いて』
Pianoや、管楽器のように、鍵盤やtone-holeを押すと、その音が出るような楽器に対して、音、所謂、pitchを自分で作る楽器の事を作音楽器と言います。
当然、作音楽器は、自分で楽器のpitchを取らなければならないので、ホボ全員が絶対音感の持ち主であるようなimageですが、音楽家の間の通念では、弦楽器の生徒達は音感が悪い・・というのが通説なのです。
その理由の根本的な原因となるのは、弦楽器の生徒達が音を取る時に、そのpitchを探す事にその根本的原因があるのです。
多くの弦楽器奏者達が、音を取った瞬間に、pitchを正しいpitchにズラす・・という演奏をしています。amateurの人達には分からない程度の素早い、修正なのですが、我々、餅屋には、その修正を聞き取る事が出来ます。
勿論、正しいpitchの取り方は、型でpitchを取ると良いのですよ。
『絶対音感と絶対和音感』
弦楽器の先生達は、生徒が間違えたpitchで演奏すると、Pianoを弾いて、その音に合わせて練習するように指導します。
これは大変な間違いで、それでは、正しいpitchが身に付く事はありません。
Pianoの調律が狂っている・・という意味ではありません。
そもそも、Pianoが正確に調律されていたとしても、その音に合わせて練習する事は、無意味なのですよ。
・・というか、日本を代表するorchestraのconcertmasterでさえも、生徒達にPianoでpitchを合わせるように、lessonで指導をしているのですよ。
こりゃあ、まいったよな??
平均律調律法と言えども、調律師に拠って、音のpitchが違います。
標準のoctaveをtunerで合わせたとしても、それから付随するoctaveは、例えば、A=440のoctave上の音のpitchは、880ではありません。何故ならば、pitchはoctave上がる毎に、広くなって行くからなのです。勿論、その逆も然りで、440のoctave下の音は、220cycleでは無いのですよ。その音の広がりは、調律師の感覚に拠るもので、数値化されたものではありません。
その他に、私達の場合には、baroque音楽の為に、Cembalo等を古典調律法という調律法でtuningします。
その調律法は結構、無数にあるのですが、代表的なtuning法としては、meantone調律法や、今、私が個人的に好んで使用しているKirnbergerの第三調律等があります。(チョッと、高性能のKeyboardやtunerでは、それらの古典調律法が8種類ぐらいは、最初から入っています。
また、orchestraの演奏で一番、orthodoxに使用されているのは、pure-3度、harmonyです。時折、それを純正調と呼ぶ人達もいますが、純正調とは根本的に意味が違います。
また、pure-3度は、長調と短調では、同じ和音でもpitchが変わってしまいます。
正しく耳を育てる・・という事は、この微妙なpitchを聞き分ける事が出来るようになる・・という事なのです。
Pianoを学ぶだけでは、こう言った耳を育てる事は出来ません。
Pianoの専科の生徒達でorchestraに参加する生徒達(orchestraの参加は技術levelではなくて、希望者なのです。)は、任意でKontrabassを学びます。
Pianoの生徒達が一番苦手なBassführungを学ぶ為です。
basso continuo(通奏低音)の時代・・とは言わなくても、音楽はBaß(低音)の上に成り立っています。
音楽は通常、Baßと言う土台の上に、melodieと和音を司る背景の3っつで構成されています。(これは、無伴奏というgenreの曲でも同じなのです。曲の演奏形態とは関係無く、音楽としての構造としてOhne Begleitung、所謂、無伴奏という演奏形態の曲にも、その3っつの構造式と、質問と答えの対話が、存在しているのです。)
弦楽器の無伴奏の曲を指導する時に、よく感じる事なのですが、慣習上で、そういう風に弾いているのにも、係わらず、そう言った原則上の演奏をする為に、そういう風に弾かれているのだ・・と言う事を、分かっていない弦楽器の先生があまりにも多過ぎます。
11月12日『ひと月振りの車での千葉教室への移動』 ·
今日は11月の12日の日曜日の朝の10時過ぎです。
今の練馬区の気温は7℃だそうで、超、寒いのです。
流石に、寝室のBedの掛け布団も、合いの薄手の毛布から、冬用の厚手の毛布に交換しました。
今日は夕方の4時からの、3回オケなので、それに間に合うように、出発する事にしました。
物が2つに見えるようになってしまってから、2ヶ月と一週間が経ちます。
その間は、車の運転が出来なくなってしまっていたので、この2ヶ月の間は、発表会と、発表会二週間前のオケリハの2回だけ、車で千葉に移動したので、その移動した時から数えても、一月振りの車の運転になります。
超、お久し振りの車での移動なのだよな??
(勿論、その間は、慣れない電車での移動はあったのですがね~ぇ?)
結構、朝は早くに、目が覚めたので、千葉行きの出発時間迄には、未だ結構、時間があったので、もう少し、仮眠をしようと思ったけれども、bedに横になっても、全く眠れなかったので、出発の予定の時間よりも、1時間半も前に、ハイツを出発する事にしました。
超、寒かったので、真冬に着るDownの上下を着て出発しました。
流石に、そこまでの防寒をしている人達はいなかったのだけど、bikeで走るには、ちょうど良かったのですよ。
『お誕生日会のお話』
時間よりも、早めに出発した・・と言う事で、私が指導するオケの曲の練習開始時間よりも2時間も前に千葉の教室に到着したので、お誕生日会のcake-timeから、参加してcakeをお相伴しました。
お誕生日会は、オケ参加者の全ての生徒達のお誕生日をお祝いする分けではありません。
もし、そうしたら、毎回のオケ練習にお誕生日会をしなければならないからで、それはとても無理だからです。
・・という事なので、お誕生日会は、偶然にお誕生日とオケの練習日が重なった時のlucky‐dayとしてのみ・・しています。
牧野先生の手作りのcakeと生徒達のHappyBirthdayの曲の演奏で、いつの頃からか、自然発生的に、始まったのですが、元々は、夏と冬の合宿中にお誕生日と重なってしまった生徒は、家庭でお誕生日を祝って貰えないので、代わりに合宿に参加したお友達と一緒にお誕生日をしたのが、始まりだったようです。
その時に、演奏する私の編曲のhappyBirthdayの曲なのですが、その時の演奏する生徒の為に、編成別(人数別と演奏技術別)に、たくさんのarrangeの曲があるのですが、この所は、もう少しshortで簡単なPiano-quintetto-versionの曲を演奏しているようなのですが、今回は、急遽、これまでは一度も演奏した事の無い、演奏会用のVersionで演奏する事になりました。
通常ならば、お誕生日の当日に、初見で楽譜を見ながら演奏するのですが、彼女のhappyBirthday会の直前に、複数の生徒が、コロナやインフルで、オケ練習に参加出来なくなってしまったので、彼女から、「皆が参加出来る日まで、お誕生日会を伸ばして・・・」と、頼んで来たので、お誕生会をコロナ開けまで、順延する事にしました。
『happyBirthday-Piano-quintettoのお話』
お誕生会迄の時間が出来たので、急遽、演奏する曲を、いつもの初見で演奏する予定の短いpiano‐quintet‐Versionの曲から、未だ一度も演奏した事の無い、難しくて、長い、演奏会用のhappyBirthdayのVersionで、演奏する事にしたようです。
まあ、「練習をして・・」と、言っても、オケ練習の間に、そんなに、ゆとりの時間がある分けでは無いので、先週の日曜日に、楽譜渡しと、一度だけの初見練習をして曲のimageを作って、今日のお誕生日会の本番の演奏になりました。
また、練習には、私が立ち会った分けでも、練習のvideoを見て、checkをした分けでも無いので、私の書いたimageとは違っている所も、まま、あるのだけど、この曲の音は、これまではパソコン音源でしか、聴いた事が無かった曲なので、生音で聴く事は、やっぱり、良い事で、とても愉しかったのだよな??
『手作りのcakeのお話』
cakeは、いつもは、普通の果物のshort‐cakeなのですが、お誕生日の生徒からのrequestで、抹茶のcakeというrequestだったので、spongeからcreamまで、抹茶で作ったようです。
これまでのお誕生日会では、初めてのshort‐cakeのrecipeでした。
小さな子供達には、チョッとだけadultな味だったので、食べれない子供もいたのだけれど、私にとっては、「もう少し、抹茶の味がしても良かったのかな?」とは思ったのだけど、やはり、主役は子供達なので、大人の味では、困りますよね?
勿論、軽めで美味しかったのですよ。
写真だけで、残念ですよね??
今回は、人数が少なかったので、spongeは、二つしか、焼かなかったので、味やcakeのvariationは無理だったようです。
『お誕生日会の動画のお話』
お誕生日piano‐quintetや、quartetやpiano‐trio等、色々なVersionのお誕生日の曲がありますが、お誕生日自体が個人的な行事なので、教室としては、YouTube等で、一般公開した事はありません。
だから、色々なVersionのお誕生日の曲も、教室だけの演奏で、一般公開をした事はありません。
Needsとすれば、結構、一般からの需要は多いと思いますがね~ぇ?
という事で、short-versionのPiano-quintetto-versionのhappyBirthdayの曲の演奏なのですが、近場の演奏では、直ぐ以前にも、お誕生日会はあったのですが、その時も、先生のお誕生日会だったので、uploadはしませんでした。
オケ練習等の動画は、原則、練習に参加した人達だけが見れる限定公開で、一般公開はしていないので、お誕生会も、これまでは、一般公開は原則としてしていませんが、今回は、お誕生日会の雰囲気を、オケ練習に参加していない教室の生徒達にも、或いは、保護者の人達にも、お伝えする為と、それから更に、私のlong-versionのhappyBirthday-Piano-quintettoの曲の生音の演奏をお伝えする為に、との二つの理由から、公開する事にしました。(・・とは言っても、このFacebook上の、・・このPageでの公開なので、You Tube上の一般公開ではありませんので、事実上は、You Tubeとしては、限定公開と同じ事になるのでしょうかね?? まあ、一般公開にはなりませんよね??)
保護者の方が撮影して戴いた写真と動画からのuploadです。
(cake食べた人は、是非に、感想でも書いてよね??)
『追記』
happyBirthday-Piano-quintettoの冒頭のpizzicatoの和音が頂いた動画では、切れていたので、教室のvideo-cameraで撮影した冒頭部分を足して編集し直しました。
純子斉藤
この曲は出版したら売れそう🎵需要が必ずあるし、、、誕生日主役は、「こんな豪華でしたっけ?」と、驚いてました。
返信する
6週間
11月13日嫌な夢を見た ·
今は11月13日の月曜日の朝の5時を迎える時なのだ。
今、目覚めたのだが、しかし、未だやっとone‐coolの仮眠をしたに、過ぎない。
嫌な夢を見て目覚めたのだよ。
江古田の旧居に居た頃の夢なのだが、部屋を大家に出て行くように言われて、荷物を纏めている夢なのだよ。
どうやら、住居の事は、私には、Traumaになっているようなのだ。
勿論、今の住まいである江古田ハイツは自宅であって、借家では無いのだが、ただ、駅から30秒の地の利で便利だから買っただけなので、江古田ハイツが、終の棲家だ・・と思った事は一度も無い。あくまでも寓居に過ぎないのだよ。
後の教室は、全部賃貸なのだから、相変わらず、終の棲家とは言えず、何時でも大家の感情で、追い出される可能性はあるのだよ。
昨日は発表会が終わってから、一月振りに、車で千葉へ移動して、オケ練習と室内楽とlessonと、次いでにお誕生日会に参加したので、夜は、流石に、over‐work気味になってしまいました。
・・と言う事で、椎名町で食事だけをなんとか済ませてから、頑張って、ハイツに戻って来て、ウダウダと椅子の上に座ったまま、動けなくて、意識朦朧と仮眠をしていたのだけど、まあ、それで、何時間仮眠をしていたとしても、たかが、椅子に座ったままの仮眠なのだからね~ぇ、仮眠で、睡眠が充分に取れる分けではありませんよ??
one‐coolで目が覚めて、いつものroutineである日曜日のオケ練習とお誕生日会と、lessonの動画の編集作業を始めました。
それは日曜日の深夜から月曜日の早朝迄の事です。
・・とは言っても、月曜日に体調不良で、動けなくなって、働け無くなってしまう事は、お定まりの事だし、videoの編集作業や、保存用にBlu-rayに焼く作業は、結構、その一つ一つの作業に時間が掛かってしまうので、幾らパソコンがbusyな状態の時の並行作業としても、仕事が出来なくなってしまうのは、いつもの事なのです。
動画が大きくなると、2時間、3時間のintervalでパソコンのbusyな時間が出来てしまうので、裏作業としての並行作業が無い場合には、bedで仮眠をする事にしています。
と言う事なので、日曜日のover‐workで、体調不良になってしまった月曜日は、Rehabili-dayなので、パソコンの作業としては、膨大な時間が掛かってしまう作業としては、日曜日のオケ練習や室内楽の練習と、lessonのvideoや、その他の動画を個別に編集するには、月曜日のRehabili-dayは、最良のtimingなのですよ。
ハイツに戻った時には、動けなくなって、そのまま、意識混濁状態で眠りコケてしまったのですが、やっぱり、one‐coolだけの睡眠時間で、起き出してしまいました。
・・と言う事で、並行作業で、パソコンの作業をしながら、お茶を飲んでいたら、突然、吐き気がして来て、気分が悪くなってしまったので、慌ててパソコンの作業を中止して、bedに戻って、寝ました。
over‐workが、胃に来た、Stress性の胃痛なので、寝れば治るのだよ。
・・と言う事で、11月13日の月曜日という一日のお昼間の時間が飛んで・・今は13日の夜の8時になろうとする所なのです。
今日も、椎名町で先生達と食事をする予定なので、bikeで移動しなければならないのだけど・・、その前に、bikeにガソリンを入れなければならないので、遠回りを余儀なくされるのだが、兎に角、寒いよな??
なんと、練馬区の気温は9℃、体感温度は7℃だそうです。
お久し振りにテレビを付けたら、今日は、今年、最低の気温なのだそうです。
東京では今日は、木枯らし1号が吹いたそうです。
でも、お腹の不快感は爆睡したお蔭で、なんとか収まったようです。
体調的には、椎名町迄は食べに行けるようにはなったのだけど、bikeでの移動は、今日も真冬支度だよな??
downの上下の厳重装備でなのだよ。
11月15日『音量と音圧』 ·
音楽でDynamic、(所謂、音量)とは、音の強さの事である。
通常はforteをf、Pianoをpと表記される。
しかし、今日のthemaは、音量の楽典的な知識の解説では無い。
音楽を家庭で聴く場合には、You TubeやDVD等で演奏を聴く場合には、音量は家庭のspeakerで調整された音量で、聴く分けなのだが、今回のthemaはそう言った事では無くて、所謂、音圧と言う聞き慣れない言葉がthemaである。
You TubeやDVDでは、音はspeakerを通して聴く分けなので、この音圧を聴ける事は無い。
何故ならば、音圧はspeakerを通す場合には、基本的には、noiseとして処理されてしまうからである。
音圧はpureなsoundには存在し難く、生音でしか聴く事の出来ない音になるのだ。
それが、「どんなヘタな演奏でも、生の演奏の方が良い」という人達の理由になるのだ。演奏会場で聴く音と、speakerを通した音では、音の質感が異なってしまうのだよ。
Pianoや弦楽器の場合でも、音の軽い演奏者と音が重い演奏者がいるのだが、それは音色の問題もあるかも知れないが、音圧の場合が多いのだよ。(つまり、軽やかな音(この場合は、音色)の演奏者が意外にも重たい音で演奏している場合が、良くあるのだ。)
勿論、音圧とは倍音に拠って産み出される音の重厚感なのだが、その倍音が上に響く場合と、下に響く場合があって、重い音圧の場合には、主に下の倍音が多いのだ。
勿論、倍音は通常の状態では上下、満遍なく鳴るのだが、proの演奏者ともなると、意識的に高音域や低音域を鳴らす事が出来る。
その音圧の違いは速度×重量で弾き出す事が出来るのだ。
Pianoのlessonでは、音圧を云々する事は稀なのだが、弦楽器の場合には、一番低い弦を深い音で滔々と、朗々と演奏する場合には、音圧を加えた独特の音で演奏する事があって、全ての弦楽器奏者は、そう言った音を出せなければならない。(しかしながら、そう言った音(奏法)に名前がある分けでは無い。)
勿論、Pianoでも、そう言った奏法を求めている場合は良くある。
そう言った音圧のある音が出せるか否かは、演奏者の技量次第なのだが・・・
11月16日下水が使えない ·
今日は11月の16日の木曜日の朝の11時になった所である。
今日は、何処かの部屋の工事の為に、シンクや洗面所、風呂場の水等の共有の下水管が、朝の9時から夕方の4時迄、全く使用出来ないのだよ。
なんとか、toiletteの排水だけは出来るようなので、ハイツから避難をする迄はないのだよな??
それならば、昼夜逆転の私としては、9時から4時迄眠っていれば、何の問題も無いハズなのだが、困った事に、お昼の12時から2時迄の間に、郵便物の再配送があるのだよ。(いつもの事なのだが、部屋に居るのに、不在になってしまうのだよ。)
呼び鈴を鳴らしても、doorをknockしても、音が隣の部屋に聞こえないらしいのだよ。
だから、普段のlessonの時には、鍵を開けていて、生徒達が勝手にdoorを開けて入って来れるようにしているのだよ。
不用心と思われるかも知れないが、玄関に人が入ると、明かりが自動で点灯するので、分かるのだ。
・・と言う事で、いつものように、昼夜逆転のままで、朝の9時頃からは、眠たくなってしまったのだけど、この状態で眠ると、多分、携帯のaramでも、起きれなくなってしまうのだ。
一度はbedで、眠ろうと思ったのだが、何処かの部屋の工事のトンカチの音が、玄関のknockの音に聞こえてしまって、bedから起き出してしまった。
なんとも、紛らわしいのだよ❢❢
諦めて、摂眠障害の私が、睡魔と戦う・・という珍妙な時間を過ごしているのだ。
お昼の1時45分に郵便の再配送がやっと到着しました。
2時の直前なのだけど、まあ、これで、やっと眠れるかな??
夕方の5時を過ぎた所なのだけど、もう既に外は真っ暗なのだけど、公園の街灯の下では、相変わらず、子供達が遊んでいます。
この所、毎日なので、もう驚かなくなってしまったけれどね??
水回りの使用禁止時間も過ぎたので、これでやっと、普通に過ごす事が出来るのかな??
cinderella-timeの直前の11時45分に目が覚めました。
・・とは言っても、 two-coolの3時間弱眠れたに過ぎません。
という事は、またぞろ、昼夜逆転のpatternが始まるのだよな~ぁ?
11月18日memo ·
①休符の音価
②連符の音価ラベルのチガーヌの間違い
楽典物語に追記する
Facebookでは、譜例の音符が書けない(挿入出来ない)ので、wordの方が良いのか??
11月18日『芸術家とprofessional』 ·
このthemaは、これまでも何度と無く同じ解説をして来たのだが、日本の音楽界は、兎も角としても、一般大衆の音楽に対する意識さえも、微動だにしないのは、徳川家康が作り上げた日本の封建社会の頑丈さに驚く限りであるよ。
家康が封建社会を作り上げる迄は、下剋上の社会で、力を持つ者が人の上に立つ事の出来る社会だったので、Europaの社会とも大差は無い封建時代だったのだよ。
家康が作り上げた封建社会がこんにち迄も、断固として日本の社会に残っている事は、驚くべき事なのだよな??
封建社会では為政者の頂点に君臨する人は、当然、世襲で長男が家督を相続するのだよ。
しかし、その長男が優れた統治能力を持っている事は無い。家康が考えたのは、愚鈍な長男でも、封建制度を維持出来るような機能なのだよ。
それは家元制度の世襲にも、全く同じように用いられていて、能力の無い愚鈍な家元であっても、ちゃんと体制が維持出来るようになっているのだよ。
僅かたかが150年に過ぎない西洋音楽の世界でも、その家元制度が成り立っていて、歴史あるお茶や生花の教室と同じように、体制で、日本社会を牛耳っているのは、lächerlichである。
まあ、洋の東西を問わず、社会というのは、混沌と統一を繰り返すのもであるのだが、人間は安定志向があるので、形があれば、それに従じる傾向があるのだよ。ナチス下のドイツのように、或いは、軍国主義の日本のように、大本営発表を信じて、聖戦を信じて、神風のような愚行を信じたのだよ。
作り込んでいく
『Niveauについて』
11月18日『やりたい事、やれる事、出来る事』 ·
『教育の在り方』
多くの人には、「やりたい事」があるように思われるのだけど、この事には世代間Gapがあって、こんにちの若者達に取っては、「やりたい事」を探すのは難しい事のようです。
若者達に「なにをやりたいの?・」と、尋ねても、「分からない❢❢」という答えしか、返ってきませんし、その若者達に取っての「やりたい事」とは、「Game」とか、「遊びに行きたい」とか、「食べたい」という事だけなのですよ。
でも、「何故、今の若者がそうなのか??」・・という事なのですが、本当は「そういう風に子供達を教育をした」・・のに過ぎないのですよ。
私達の幼少の頃には、遊びの道具は何もありませんでした。
gameもなければ、携帯すら無い時代です。
私達の時代には、塾さえも無かったのですよ。
お金持ちの人達が家庭教師を雇っていただけです。
まあ、受験に落ちた生徒達の予備校・・というのは、ボチボチ、チラホラ、東京のような受験生の集中する都市にはあったようですがね??
在校生の為の塾は未だ無かったのですよ。
家庭にはテレビすら無い時代に、お稽古事を出来る子供達は相当裕福な家庭の子供達でした。
ViolinやPianoを学んでいる・・というのは、特権階級の話だったのですよ。
だから、「「やりたい事」が出来るようになりたい。」というのは、一つの願望でした。
でも、今は子供達が望む前に、その全てが与えられています。
「やりたくてPianoを学ぶ」と言うよりも、教養の一貫として、「望むと望まないとに関わらず、Pianoを学んでいる」のに過ぎません。
だから、当然、「やりたい事」と言っても、趣味の延長線上の人達が殆どで、人生の目標としての「やりたい事」として、努力邁進している人は、数える程のホンの少数の若者にしか過ぎない・・と言う事が言えるのです。
今の若者達の大多数に見受けられる、私達とは相容れない考え方があります。
それは、音楽等の趣味が、「好きな事だから仕事にしたく無い」という現代の若者達の考え方です。
嫌な仕事で生活をして、仕事を離れた時に、好きな音楽をやる・・という不可思議な考え方です。
「音楽が仕事になれば、楽しくなくなる」・・という考え方です。
それは確かに一理はあります。
私も作曲を職業としてしまうと、自分の書きたい曲が書けなくなってしまう・・という事で、作曲家という仕事は、選択しませんでした。
しかし、「この日本に私の求める音楽的な環境がなければ、私の周りだけでも良いので、作れば良い」・・という考え方で、音楽教室を始めたのですよ。
だから、音楽教室での、演奏活動は私の個人的な財産で運営活動をしています。
楽器を揃えるのも、楽譜を揃えるのも、音楽教室の営業では無理なのですよ。
だから、教室のオケ・室内楽の指導や演奏は、私の個人的な趣味の世界に過ぎないのですよ。
それは、個人でorchestraをやっている日本国中の先生達も多分同じだと思います。
教室のorchestraは、私の個人的な「やりたい事」に過ぎないのですよ。
それは「やりたい事」のお話しですが、現実の社会では、大人に近づくに従って、社会的に働く必要が出て来ます。
「やりたい事」ではなくて、「やらねばならない事」です。
まあ、その一番の理由が、「お金が欲しいから・・」という事なのでしょうが、そのお金を得る為に、殆どの若者達が「やれる事」を探しているのですが、現実的には、「誰にでも出来る事」は、人生のたつきの糧には成り得ません。
どのような仕事でも、ある程度の経験と技能が必要になるのです。
経験を要しない仕事は、そこに居れば良いという仕事になります。
誰でも良い仕事なので、基本的には時間の切り売りの仕事になります。(今は、セルフレジと呼ばるものがあちこちに見受けられるようになって来たので、「そこに居れば良い」という仕事も、これからは、少なくなって来ると思われます。)
時間の切り売り・・所謂、バイトと呼ばれるものが、そう言った仕事になります。
もしも、音楽が好きで、将来の人生を音楽と繋がって生きて行きたければ、大学時代のバイトも、音楽に関係をするバイトをすれば良いのですが、そういった場所が見つからないという事を聞くので・・それならば、という事で、「教室でバイトする事も出来るよ❢❢」と誘っているのですが、実際に、教室にバイトに来た生徒は皆無で一人もいません。何故か、やっぱり、皆、コンビニや、レジのバイトを優先して、教室のバイトはしてくれないのですよ。
私の場合には、音大に進学した時点で、勘当をされて、仕送りを絶たれてしまったので、入学早々、バイトの口を探さなければなりませんでした。
バイトの為に、音楽の勉強をする為の時間が失われてしまうのは、予測出来たので、その時に、私が自身に科した課題は、『音楽に関係するバイトのみのバイトをして、音楽とは無関係のバイトは幾ら実入りが良くても、絶対にしない。』という事でした。
折角、入学した憧れの音楽大学は、お嬢様芸事の現実味のない授業だけで、現実社会の音楽としては、大学の授業の中では、殆ど学ぶ事はありませんでした。
音楽界で必要な技術や知識は音楽大学では学ぶ事が出来なかったのですよ。
ですが、その音楽関係のバイトでは、音楽に携わる者としての汎ゆる知識と経験を得る事が出来ました。
私に取っては、音楽の道に進みたいと思う学生達が何で音楽関係のバイトをしないのか、不思議でなりませんでした。
一般の大学生ならば、建築方面に進む学生達は建築の作業場に、車の設計を目指す人達ならば、修理工場にバイトに行く事は、結構ありふれた事なのだけど、音楽に関しては、演奏会場の「もぎり」すら、バイトに行った音楽家はいないのだよな~ぁ??
音楽にチョッとだけでも関係のあるバイトという事ならば、精々、snackでのPianoの弾き語り・・で、接客もさせられた・・と泣いている女の子がいるぐらいなのだよ。
私の場合には、音楽関係のバイトを始めてから、2,3ヶ月も経つと、当時の東大の卒業生の初任給の、6倍くらいは、稼いでいました。
私が音大生だった頃の東大生の初任給は、1万2千円くらいでした。その当時には、私は、毎月7万はくらいは稼いでいたので、万今の東大生の初任給が22万円くらいだとすると、単純計算をすると、132万円になります。
「何故、そんなに実入り良いのか??」という事なのですが、それは、「誰もは出来ない仕事」だからなのですよ。
勿論、一つ一つのバイトでは、そんな収入は無いのですが、受験生の全ての教科を指導したり、先輩諸氏の院へのReportや、短期から学部への編入の試験のReportの手伝いや、教授の先生から招待状を貰って、演奏会に行って、先生の代わりに批評を書いたり、演奏会のmemberを集めたり、映画で吹き替えでPianoを弾ける長い髪の女の子を紹介したり、兎に角、何でも、来た仕事は全て熟しました。その結果が、毎月の収入なのですよ。
その話をすると、「芦塚さんだから出来るのだよ❢❢」と、周りの人達には言われます。
しかし、でも、よく、考えて見てください。
私は、音楽大学に入学する1年前までは、音楽の世界とは無関係の医学部に進む為の勉強をしていたのですよ。それ迄は、高校でも、一応、医学部を目指すclassに入っていたのですよ。
つまり、私に取っては、一年前迄は、音楽は全くの門外漢だったのですよ。
音楽大学を受験すると言う事は、PianoはCzerny50番以上を弾き熟して、ChopinのEtudeを演奏するlevelでなければなりません。
何せ、作曲科の受験生は極めて少数なので、Piano科の学生と同じ試験場で受験しなければならないのですよ。
それに作曲の試験もあります。作曲だから・・と言っても、Pianoで音を探す分けには行かないのですよ。つまり、絶対音感は必須の条件になります。
それを「1年で克服しろ❢❢」と、言う事なのだよな??
それを、最後の3ヶ月は、毎日、toiletteにも行かないで、12時間のPianoの練習と、それからの和声学や対位法の勉強で、なんとか熟したのですよ。一緒に受験した女の子は、お父さんが芸大の作曲科の教授でお兄さんが芸大の作曲科に在学中で、その妹だったのだけど、8月の夏休みに初めて上京して作曲の先生に個人的にlessonを受けた時に、一緒に居た受験生の一人で、私の答案を覗き込んで「なんだ、未だそんな所をやっているの??」と、嘲った態度でした。12月になって、受験の為に、上京をして、また、その女の子と一緒になったのですが、彼女が「今、何処をやっているの??」と聞いて来たので、「なんだ、未だ、そんな所をやっているのか??」と言い返しました。半年後のrevengeです。
(心が狭いよね??)
勿論、大学の作曲科の試験に合格したのは、20名中、私一人で、彼女は、またまた、浪人確定で、音楽をやめてしまったのかな??その後、名前を聞く事は無かったので・・
憧れの音楽大学に入学は出来たのだけど、大学は、女性の匂いでムンムンとして、慣れるのに、3ヶ月近く掛かってしまいました。
男性の学生は兎も角としても、女性達は、音楽で生活をしようと言う所の、音大生は一人もいませんし、大学の教授連中も、そういった指導は誰もしていませんでした。
夢が破れて、音楽大学に絶望感を感じるのには、半年も掛からなかったのだよ。
それ以上に、音楽大学に進学するのならば、・・という事で、仕送りを絶たれていたので、先ずは、東京で生活をしなければなりませんでした。
音楽界で生きて行く為の、バイトという事なのだから、「音楽に関係するバイトのみを・・」という条件でバイトを始めたのだけど、その仕事の内容ややり方を教えてくれる先生方や、先輩諸氏は、一人もいなかったのですよ。(まあ、当たり前の話ですけれどね~ぇ??)
全く未踏の大海に独りっきりで、乗り出したのですよ。
「やれる事」を指導してくれる、音楽教室の先生は、私の場合にはたった一人もいなかったのですよ。
だから、音楽関係のバイトを始めた最初の3ヶ月は、超、死物狂いだったのですよ。
私が留学から帰って来て、東京に住み始めた頃に、母校から仕事が舞い込んで来ました。
文部省からの仕事で、その仕事が出来る先生が九州の音大の教授になって転勤してしまったので、私に代わりに矢が立ったのですよ。
音大の教授連中が出来ない仕事なので、寧ろ、音楽の世界・・というよりは、物理の法則の世界なので、結構、難しくて、原稿料が、(本当は一つだけの注文だったのだけど、書ける人がいなかったので、2つ分の注文になったので・・)特別手当も入れて、5万円でした。
本当は、私以外の人達は、超有名大学の教授連中なのですが、それでも、稿料は一律2万円なのですよ。
と言うか、政府がお金を払う事自体が、超、珍しいのですからね??
私の場合には、特別に、1万上乗せ・・と言う事は、凄い事らしいのですよ。
でも、私は、その原稿を書く為に、資料代として、20万も使ったのですよ。
その話を笑い話として、母に話していたら、広島の大学の学長をやっていた先生が実家に見えられた時に、「そんな非効率な事をして・・」と母が言ったら、先生から、「本を出す、という事は、名誉であって、それぐらいは当たり前です。」と怒られていました。
私の話では、納得しないのに、学長先生のお話ならば、納得するのかよ??
という事で、私は大変な思いをして、音楽で、お金を稼げるようになったのだから、生徒達には、そう言った方法を教室のバイトとして、手取り足取り指導してあげよう・・と、思っているのですが、こんなにも条件が良いのに、誰もそれを求めないのは、何故か、分かりますか??
その理由は周りの誰一人もやっている人がいないからなのですよ。
アハッ!
簡単に「出来る事」は誰もがやります。
でも、誰もが出来る事ならば、あなたである必要は無いのですよ。そう言った簡単な理屈が一般の人達には、全く分からないのだよ。
人生は長い冒険の旅である・・という事が誰も分かっていなくて、集団で、旅をする事が安心だと信じているのだよ。
個体数が増えすぎたネズミは、集団自殺をする・という事も知らないで・・ね??
だって、勉強をして名門高校大学に入学して、超、有名企業に入社する事が、人生の勝ち組だとすれば、入社した後も、超、éliteの中で、競争を続けて行かなければならない・・という、人生の関ケ原を一生続ける・・という事になるのだよね??
それって、休む暇が一時も無い、一番辛い人生を選択している事になるのでは、ないのかな??
だから、その競争に負けた人達が引き篭もりやneetになってしまうのだよ。
引き篭もりやneetにさえもなれない人は、自殺する他は無いのだよ。だって、それ迄の人生を全て否定される分けなのだからね??
自分自身にpowerが未だ残っている子供達は、家庭内暴力や学校で暴れ捲くるのだけどね~ぇ??
まあ、このお話も、この半世紀、延々と繰り返しお話、している事なのだけどね~ぇ??
葬儀場でバイトを始めたお母さんが、余りにも20代の後半の若者達の自殺が多いのに驚いて、「子供に進学の事を云々する事は、やめてしまった。」と言っていました。
「幾ら、有名企業に入社出来ても、自殺されては親としては・・たまらないからね??」という事だそうです。
それを身近に目の当りに見た人は分かるのだけどね~ぇ??
幾ら、お話をしても、結果は、周りの人達と同じ轍を踏むのですよ。
それが見える人は、最初から、同じ轍は踏まないのだよ。
補遺:
Instagramは基本見る事はないのだが、仕事modeに入るのが嫌だったので、何気なくInstagramを見た。
殆どが動物のかわいい動画だったのだが、リホームのCMも結構あって、見てみたのだが、見ていてふと気づいた事がある。
リホームで利便性を求めれば求める程、つまり、機能的で、美しい住まいを求めれば、求める程に、使い手は、限定的になって、生活の自由さが無くなってしまう・・という事なのだよ。
美しい家からは、自由な発想の子供達は成長しない・・という事なのだよな??
子供達の成長は、駄目と失敗と、挫折の積み重ねから産み出されるのだよ。
駄目や失敗、挫折と言うものは、乗り越えるべきものであり、その乗り越えを学ぶと人生に怖い物はなくなるのだよ。
真の意味での、強い心が育つのだよ。
完璧な教育から産み出されるものは、何も無いのだよ。
型通りにやったら、成功する・・という、在りもしない現実を信じる事になってしまうのだよ。
それが一流大学であり、有名企業なのだよ。
挫折や駄目、失敗は、対人関係で起きるのだよ。
完璧な教育では、その人間関係は無いのだよ。
独りだけの孤独な社会活動になってしまうのだよ。
だから、それが現代の若者達の人間性の無い空虚な心を産み出しているのだよ。
大人はそれが分からないのだよ。
見えないのだよ。
それは、短慮と言って、実につまらない事なのだがね??
だから、現実社会に悲観した若者達の非婚率に繋がっているし、少子化に歯止めが利かないのだよ。
全ての動物達の中でも人間だけが、飛び抜けて高齢なのは、社会が複雑で、それを指導する経験者が必要なのだからだよ。
殆どの動物達は生殖年齢が終わったら、直ぐに死んでしまうのだよ。人間だけは、生殖年齢が終わっても、ホボ、同じ位の年齢を生きながらえるのだよ。それだけ、社会が複雑になってしまった・・という事なのだ。
折角、長寿になった老人を施設やhomeに閉じ込めてしまうのならば、老人は必要の無い存在になってしまうのだよ。
そうすると、不思議な事に人間の平均寿命は、一瞬で減って行くのだよ。
自然の摂理とは恐ろしいものなのだよ。
よく、人間の事を観察しているのだよ。
地球上の人口が爆発しそうになると、コロナが蔓延して、プーチンやトランプが誕生して、世界の人口を減らそうとするのだよ。
それは必然的になのだよ。
(ここで、Carl OrffのCarmina Buranaの冒頭を鳴らして・・
O Fortuna, velut luna statu variabilis)
11月18日今日は病院dayです。 ·
今日は11月18日の土曜日の朝の8時間です。
今日は病院dayなので、いつもよりも、軽い、薄着の合いくらいの衣装で出掛けました。
昨日の雨が何処に消えたのか?・・今日はとても良い天気で、合いの衣装でも、チョッとだけ、肌寒いくらいで、気にはならない気温です。
今は、朝の8時半です。
川崎の病院から、紹介状を貰って、順天堂大学病院に転院して、初めての腹部大動脈瘤の定期の診察になります。
本当は、2号館の受付で、受付を済ませるのだけど、指示書とは違っていて、先ずは、紹介状を1号館2階の総合受付に提出して、そこで、呼ばれるのを待っている所なのです。
そんなに人がごった返している分けでは無いのだけど、暫し待って、やっと、呼ばれて、次には3号館1階の心臓血管外科の受付に行くように指示されました。
長い環状8号線上の渡り廊下を渡って、3号館の1階の受付に書類を提出したら、そこで1号館1階のCT検査に行くように・・、と指示されました。
・・という事で、またまた、2階の長い渡り廊下を渡って、1号館の1階に行って、CT検査の受付を済ませて、今は1号館1階のCT検査室の前で、順番を待っている所です。
CT検査は、どうやら、割り込みで検査をするらしく、超、待たされて、診察時間の終わりのギリギリの時間になって、やっと、CT検査が終わりました。
腹部大動脈の診察の時間は、元々は9時半から10時迄の予定だったのですよ。
それから、またまた、3号館の1階の、いつもの糖尿病科の診察と同じ場所で、心臓血管外科の診察を待っている所なのですが、診察をしている様子は、ありません。
これは何時まで待たされるのか、分からないよなぁ?
今は、10時41分です。
診察室の入り口の表示板に60分遅れの表示が出ました。
・・とは言っても、もう既に1時間10分遅れなのだけどねぇ~?
1時間半遅れの、11時直前になんとか診察があって、診察結果は、前回と同様と言う事で、1年後の経過観察をする事になりました。
診察が終わったので、またまた、1号館の2階の総合受付で会計をして、2号館のescalatorで、朝の8時半には入館した病院を、12時前には出ました。
1号館と2号館、3号館は、広い道路上(環状8号線311から443に入った所)の渡り廊下で結ばれていて、結構、距離があるのだよ。
写真は順天堂大学病院のhomepageからの写真です。
左側の巨大ビルが1号館で、環8の上に渡り廊下があって、右手側に2号館と3号館の建物があります。
だから、体調が悪い時には、1号館2階の総合受付や、血液検査を済ませて、3号館の1階や地下1階迄の移動は、結構、距離があって、体力を消耗するので、必要最低限の移動にして欲しい所なのだが、orderはそれぞれの受付で出るらしいのだよ。
computerの時代になにをやっているのかね??
なんとか12時には江古田ハイツに到着したのだが、流石に、茫然自失をしてしまって、小一時間、椅子の上で、意識混濁をしていたのだが、突然、猛烈な疲労感に襲われて、Bedに慌てて、入った所です。とは言っても、軽い食事をしたり、lineのcheckをしたり・・と、雑用を済ませながらの話なのだけどね??
爆睡をして、夜になった所・・と思ったのだけど、one‐coolの4時直前だったのだよ。
未だ、外は明るいままの、時間だったのだ。
まあ、今日は順天堂の病院行脚で終わってしまった。
病院からの書類や、その他の整理の作業迄は、体力、体調的に、無理なので、そのままにして、今日の営業は終了する事にした。
まあ、病院dayと言う事で、1日終わるのだよ。
体調、体力優先という事で・・・
それはそうと、朝早くの電車の車窓から、遠くの北西の方面に、普段は見えない高い山並みが見えました。
多分、湿度の関係で普段見えない山並みが見えたのだと思います。
病院から戻って、江古田のハイツの自宅からも、その山並みが、朝の光景よりも、ハッキリと見えたのだけど、多分携帯での撮影はとても無理・・と言う事で、使わなくってしまっていたデジカメを引っ張り出して、ハイツの廊下からZoom Inして撮影して見ました。
うん、ハイツからは、初めて見る光景なのだよ。
Googleの地図を出して、その方角の山並みを探しているのだが、何処にも、その山が見当たらないのだが・・、なんと言う山なのだろうか??江古田ハイツから真北から0.8℃という北西の方角なのだが・・
山の頂には冠雪をしているよな??
栃木、宇都宮方面なのだろうか??
そんな高い山はあったのかな??
夜の8時に椎名町に行って食事を食べました。
椎名町で、食事をする前のハイツでパソコンに向かっている時から、突然、お腹の具合が悪くなって来たので、斉藤先生に、今日の晩ご飯は、軽いオカズとお粥をorderしました。
だから、食事をおっかなびっくり気を付けながら、食べて・・、しかし、やっぱり、食べ終わったら、急性の下痢になってしまいました。
慌てて、ハイツに帰って、椅子に座って、安静にしていたのだけど、ちょうど、1時間後になって、また、下痢を繰り返しました。
それから更に・・・
今日は一晩、下痢のようです。
数回、下痢を繰り返して、収まって来たので、bedに入って、爆睡しました。one‐cool目にtoilette-timeに起きたけれども、そのまま、無事に眠る事が出来ました。
11月19日『Christmas会のmainとなる曲の曲決め』 ·
今は、11月の19日の日曜日の朝の5時になった所です。
昨晩は、疲労困憊している所に、急性の下痢が加わって、12時過ぎには、体力の限界で、爆睡したのですが、 two-cool爆睡して、toilette-timeで、目が覚めて、もう一度、入眠を試みた所なのだけど、流石に、今回は、鼻水が酷くなって、息が出来なくなって、眠れなくなってしまったので、已む無く、起きてしまいました。
諦めて、今日のオケ練習と、Christmas会の練習と、昨日、ハイツで出来なかった瑞希の個人lessonの用意をして、更に、月曜日が糖尿病科の診察日なので、その用意もしなければなりません。
日曜日の夜は、ハイツに辿り着く事が精一杯なので、帰って来てからの次の日の病院詣での準備は、無理だからなのですよ。
な、な、な、なんと!昨晩の急性の下痢で、この30年間で最低の体重を計測しました。体脂肪も40%台から、39%になりました。29年も前に大和成和病院で、心臓のBypass手術をして以来の数字です。
太祖体脂肪計で計測を開始してからの30年間で初めての数字です。
まあ、何か食えば、元に戻るのは当然なのだけど、ホンの一瞬でも、歓喜に浸ろうではないか??
Oh❢❢ Freude❢❢
『Christmas会の曲決め』
昨日は、夕方からお腹の具合が悪くなってしまったので、早くハイツに戻ろうと思ったのですが、Christmas会(12月17日の日曜日)迄の、練習回数が限られているので、「これ以上、曲決めを伸ばすのは無理で、もう、timelimit」・・という事で、已む無く、体調不良を我慢して、曲決めを始めました。
何せ、タダでさえ、orchestraのmemberが最低必要人数さえも、全く居ない・・と言う事なのだけど、通常の発表会では、OB・OGと大学生達の助っ人でなんとか凌いで来たのだけど、Christmas会だけは、頼みの綱の大学生達の助っ人も、大学の行事とdouble-bookingで、全く期待出来無いので、例年、Christmas会だけは、純粋に教室に在籍中の生徒だけでの演奏になります。
コロナの3年間の余波で、下の年齢の生徒達が全く育って無い・・と言うよりは、オケに参加する生徒が、居ない・・と言う事で、コロナ明けからの生徒達だけになるので、技術的に3回オケ組には、3年分・・程遠いのですよ。
・・ってな、泣き言を言っていないで、早く育てれば良いだけなのですよね~ぇ??
教室にオケを創った時から、教室外の生徒達も参加可能なのですが、公のオケとは違って、個人の教室のオケともなると、やはり、参加者は、あまりいません。確かに3回オケともなると、日曜日が全部塞がってしまいますし※)、練習のNiveauも非常に高くなります。その為に、2回オケを創ったのですがね~ぇ??
※)3回オケの練習は、当然、月3回なのですが、月4週の内の3回は、練習日なのですが、残りの1週も、希望参加の自主練習日になっているので、月5回、日曜日がある時だけ、お休みになります。
しかし、発表会の直前ともなると、その貴重なお休みdayも自主練習で潰れる事が多いようです。(生徒達に取っては、日曜日に家にいるのは嫌なようなので・・ね??)
・・と言う事で、オケ組のmember不足に対しての、私の代案としては、「continuoのsolo組を3回オケのmemberが演奏して、オケを2回オケから選抜memberを入れて、次世代を育てる」・・という考えで、オケが非常に簡単な Manfredini を候補に推薦しました。
しかし、どう言う分けか、この ManfrediniのChristmas Concertoは、毎回、先生達からは、却下されてしまいます。
斉藤先生の案としては、私の『「聖しこの夜」の主題に拠る弦楽五重奏曲』を希望していたのだけど、演奏技術的に難しいのか、これまでの演奏でも、一度も模範演奏となる演奏が無い・・と言う事で、急遽の今回のmemberでは、無理・・という事で、「 Manfredini のChristmas Concerto」を、今回も、再度、私の第一候補の曲として、提出しました。
Manfredini のChristmas Concertoは、曲の長さ的には、以前、自治会館のChristmas会で、演奏をした、TorelliのChristmas Concertoとホボ同じ長さなのだけど、演奏技術的には、 Manfredini の曲の方が、より簡単になります。TorelliのChristmas Concertoもrevengeしたいのだけどね~ぇ??
それよりも、先ずは、未だ演奏していない曲を優先すべきだよね??
勿論、 Manfredini のChristmas Concertoは、Concerto Grossoの編成なので、今回も当然、member不足で却下されたのだけど、You Tubeを参考にしたら、最低人数の演奏団体の場合には、soloとcontinuo-soliと各part1名ずつで、しかも、オケにはCelloが省かれて、Kontrabass1名だけの、都合、8名の編成でした。
・・と言う事なので、今回のChristmas会の参加予定者から、continuoのsolo組を4名と、オケ組を2回オケ組から演奏出来る水準に達した生徒達を引っ張って来ると、なんとかなるのでは・・と言う事で、再度、 Manfrediniを提出したのだけどね??
また、別の演奏団体の場合には、2nd.soloがRecorderになっていたので、面白い編成なのだけど、実際に、part譜を見て確認をして見ると、低音の音域が多くて、F#迄使用されているので、F#やG等の低い音が出せるかが問題なのだよな~ぁ??
曲の演奏技術的には、そんなには難しくは無いのだけど、音域的に演奏可能か??・・が問題なのだよ。
反対に高音域に関しては、何の問題も無いのだけど・・ね~ぇ??
(但し、この場合には、Cembaloを担当する生徒が居なくなってしまうのだけどね??)
2nd.のpartをRecorderで演奏する・・という事は、Ⅱ・Ⅲ楽章をtenor-Recorderに持ち替えると良い・・という事に気付きました。
まあ、当たり前・・と言えば、当たり前なのだけど、2nd.をRecorderで演奏する・・という事自体が当たり前では無いので、一瞬には、思いつかなかったのだよな??
11月19日『Christmas会のopeningの曲の選曲に付いて』 ·
今は、11月19日の日曜日の夕方の3時半です。
千葉の教室に移動して、lesson開始の時間を待っている所なのです。
今度のChristmas会の人形劇用の台本を見ていて、牧野先生から、Christmas会のopeningでの、一番大切な「清しこの夜」のquartetのarrangeの曲が、私のarrangeではなくて、市販の楽譜を使用しての演奏だ・・という事を聞いて、超、Shockを受けてしまいました。
『売りカルのお話』
Christmas Songの超有名な曲、諸人とJingle Bellの3曲のSetなので、私が昔々、売りカル※)用にarrangeをした、弦楽四重奏曲用の楽譜が元々はあるハズだし、教室のChristmas会用にも、何度となくarrangeをさせられているハズなので、当然、それを使用していると思ったからです。
※)売りカル・・と言っても、業界用語なので、一般の人達には、何の事なのか、分からないよね??
売りカルとは、bridalやpartyにQuartettで演奏をする女性達のQuartettの事です。
勿論、productionに属していて、営業活動をしています。
都響や日フィルの連中の、proオケのmemberのバイト仕事での二股の仕事ですがね~ぇ??
日本に帰って来て、東京に住み始めたばかりの頃に、毎週の日曜日に、proの女の子達を集めて、私のViolinやViolaの練習を兼ねて、HaydnやBeethovenのQuartettを練習して、次いでに、proの連中に、室内楽の演奏法の指導をしていました。
だから、ちゃんとした室内楽の演奏が出来るproの女性だけのQuartettとして、5,6年近くも、bridalやpartyの業界を彼女達が、独占していたのですよ。
私に取っては、上前を跳ねるだけのお荷物の仕事だったので、4,5年経った頃には、売りカルの権利を、演奏してくれる女の子に、楽譜共々渡して、私は、早々と逃げてしまいました。
元々は、売りカルを営業していた女の子が、病気で故郷に帰ってしまったので、一時的に私が面倒を見ただけだったので・・ね??
若い女の子達も、営業を続けている中で、30歳の壁を越して、productionの社長が、「次世代の売りカルのmemberを育ててくれないか?」と、花園教室迄、訪ねて来ましたが、教室を作ったばかりだったので、丁重にお断りして、売りカルからは、全く手を引きました。
ちょうど、その同じ頃に、某国立音大の卒業生達が、productionを通さないで、非常に安い金額で、売りカルの営業を始めたので、売りカル自体が、値崩れを始めてしまい、そんなに儲からない、オケ・ウーマンの副業にはならなくなって来たのですよ。
安く売る事が、結果として自分自身の首を締める事になる・・という事は、お嬢様達には理解出来なかったようですがね??
私はその前に手を引いたので、私には被害は無かったのですがね~ぇ??(お嬢様達の趣味的な副業は、困ったものです。)
売りカル用のarrangeされた曲は、未だパソコンさえも無かった時代のarrangeなので、全部の曲が手書き譜だし、scoreさえも無いので、ダンボールの中に肥やしとして保存されていて、教室としては、存在し無い楽譜になっているのだよ。先生達の記憶にさえ無いのだよな??
教室を開設したばかりの頃は、教室の先生達も、営業の経験として、売りカルをした事があります。勿論、productionからの依頼である事には変わらないのですが、教室の先生達は、私が室内楽の技術を指導していたので、音大では室内楽の本当の技術は学べないので、先生達の室内楽は、とても評判が良くて、行って演奏をすると、必ずrepeatされたのですが、曲が、easy listeningのrepertoryなので、慣れてしまうと、勉強にはならないし、教室での指導も忙しくなってしまったので、いつの間にか、売りカルは、やめてしまいました。
『Christmas会の曲の話に戻して・・・』
今日の日曜日のオケ練習では、今回のChristmas会の曲を、初めて今回のmemberで、初見練習をして見ました。
毎年、人形劇の台本が新しくなるので、その都度、演奏する曲目が変わるからです。
今回の練習の時に、改めて、ちゃんと市販のarrangeの曲を聞いて見たら、one‐chorusだけのarrangeで、まぁまぁ、それなりには悪くない編曲なので、今回も、そのarrangeを使用しても良い事にしました。
先生達は誰も、私がChristmas会用の弦楽四重奏曲のarrangeをした・・という事を覚えていないようなので、今更、探させるのは面倒くさいからです。
それに、もう、Christmas会までは、時間も無いしねぇ??
それに、「聖しこの夜」のlong-versionの曲は、弦楽五重奏で、もう既に作っていて、何度もChristmas会では演奏しているので、これから更に、逆に、簡易Versionを作る必要は無いからです。
(ハイツに戻って、パソコンのfinaleをcheckしてみたのですが、確かに、弦楽四重奏曲の聖しこの夜や、諸人こぞりて等のarrangeは無かったのだけど、色んな編成でのChristmas会用の曲は、沢山書いていたよ。
Christmasにしか、弾かないのに、勿体無いよなぁ?)
『 ManfrediniのWeihnachts-Concertoの初見練習』
2019年の12月の22日の自治会館での、TorelliのWeihnachts-Concertoの演奏の後でも、何度も、 ManfrediniのWeihnachts-ConcertoをChristmas会で演奏したい・・と、先生達に申し出たのですが、その都度、「memberがいない」と言う事と、「生徒達に、それだけの技術が無い」・・と言う事で、却下されて来ました。
今回は、牧野先生から、「Christmas会に出演するmemberが不足していて、Christmas会でのmainの曲が無い」と言う事と、斉藤先生からの、私の「『聖しこの夜』の弦楽五重奏は演奏可能か??」という相談がありました。
しかし、私の「聖しこの夜」は、色々なmemberでm数回演奏をしているのだけど、一度も上手く演奏が出来た事は無いので、今のmemberで、しかも、練習の回数も4回しか無くて、演奏の成果に全く、期待出来ないので、この『聖しこ・・』の演奏は無理・・と却下しました。
折角のこの機会なので、「是非に、 Manfrediniを・・」と推薦しました。
オケをmainに持って来るのは、Quartettのmemberさえも、おぼつかないので、不可能と言う事だったのですが、You Tubeを聴いていて、ふと、思い付いた代案は、orthodoxなConcerto Grossoの編成では、1st.と2nd.のsoli組と、basso continuoのCelloとCembaloのsolo組4名と、各、partが1名ずつの、最低人数だとしても、Quartett+Kontrabassの5名、都合、9名が必要になります。
オケ組が各、1名ずつ・・というのは、tuttiのpassageが、 Manfrediniの場合には、soloと同じmelodieを演奏するからです。オケとsoliが別のpartを演奏する場合には、各partの必要人数は各2名ずつになります。例外的にViolaとCello・Kontrabassを1名ずつでも可です。その場合には、オケの最低必要人数が7名になります。
実際にChristmas会に申し込んでいる人数は、3回オケのmemberでは、先生達を含めて、Violin3名、Cello1名、KontrabassかCembaloの2名と、未だ不明がViolinとKontrabassの1名ずつです。
2回オケからは、Violin3名の参加可能です。希望参加なので・・
solo組の1st.Violinを斉藤先生で、2nd.soloを瑞希ちゃんが演奏すれば、Celloを牧野先生が担当したとして、Cembaloの他に、orchestraのmemberが必要になるので、編成的には、今の教室のmemberでは、絶対的に不可能と思われます。
しかし、2nd.soloをRecorderの持ち替えにすると、なんとか、member不足でも、演奏する事が可能になります。
Recorderの演奏の技術的な問題は、VivaldiのRecorder Concertoのc mollよりも、遥かに簡単なのですが、音域が低いので、Violinとの音量のbalanceが問題になります。
それで、soloⅡが確保出来たとして、後は、continuo-celloが一人に、オケcelloを無しにして、Kontrabassだけで、Baßを演奏すると、なんとか8名で演奏可能になります。
勿論、それでも、オケの最低必要人数には足りないのですが、「member不足を嘆いていても詮無い事なのだ」・・と言う事で、前々回ぐらいから、2回オケのmemberを、3回オケに養成するように・・とは言っているのですが、2回オケの子供達の3回オケとのgapがNecになって、実現しませんでした。
「2回オケの2回の練習でも、3回オケに参加出来るようなキャパで組めば良い」・・と、いつも言っているのですが、それが今の2回オケのmemberからは、想像出来ないようです。
・・という事で、今回は、外部からのmemberを募る事はChristmas会では無理なので、2回オケからの希望の参加者を選抜して、Christmas会のオケに入れる事にしました。
という事で、なんとか、Violaを除いては、memberが決定しました。
まあ、要は、楓ちゃんがRecorderで2nd.soloを弾きたいか??・・で、決まるのですが、Recorderでは負担が大きいようならば、Cembaloに行って、斉藤先生が2nd.soloを弾けば良いだけです。
という事で、memberの問題はViolaだけになりました。
このViolaのpartは、演奏は簡単なので、指を回す必要は無いのですが、伸ばし放しや、曲の入りが非常に難しいので、scoreをちゃんと読める人である必要があります。
教室を創設したばかりの頃には、未だ、児童orchestraという考え方は無かったので、子供達の中で上手な生徒を抜粋してsoloを演奏させて、先輩諸氏達大人の弟子達のorchestra伴奏で、子供達が演奏をしていました。(教室を作ったばかりの頃なので、マジに児童しか居なかったのですよ。)
だから、未だ、指が回っていた頃なので、私がViolaでオケのmemberに入って、都響や日フィルのmemberである私の生徒達を使って、オケbackで演奏をしていました。(勿論、当時の演奏はYou Tubeにuploadされています。)
ですから、この ManfrediniのWeihnachts-Concertoも、Violaのpartを作曲者本人が演奏しながら、指揮をしたのかも知れません。
弾く事自体は難しく無いので、子供でも、練習を積めば、演奏可能かも知れないのですがね~ぇ??
入りがね~ぇ??
『 ManfrediniのWeihnachts-Concertoのpastoraleのtempo設定』
長年の念願叶って、やっと ManfrediniのChristmas Concerto In C, Op. 3, No. 12の初の初見練習をする事が出来ました。
事前に、You Tubeで色々な演奏団体の演奏を聴いて見たのですが、超、驚いた事には、CorelliのChristmas Concerto にしても、TorelliのChristmas Concerto にしても、所謂、pastoraleのtempoは、8分の12拍子で、同じパストラーレのtempoなのですが、どう言う分けか、この Manfrediniのpastoraleのtempoだけは、約、半数の演奏団体のtempo設定が非常に遅いtempoだったのですよ。
というか、ぴったりとTempoに嵌った演奏の方が、非常に少なかったのですよ❢
これは驚きです。
pastoraleは基本的には、幼子イエスへの子守唄なので、Berceuseと同じtempoでなくてはいけません。
それよりも遅いと、逆にイライラしてしまいます。
揺り籠(cradle)がゆらゆらと揺れるように、心地よく演奏しなければならないのですよ。
『Concerto Grossoについて』
勿論、曲の演奏の設定は、他のWeihnachts-Concertoと同じで、Concerto Grossoの形を取っています。
斉藤先生にConcerto Grossoと言う言葉の説明をするように、言われたので、普段ならば、飛ばしてしまう言葉の確認なのですが、Concerto GrossoのGrossoの意味は、英語ではgrowthで、日本語では、さしずめ「大きい」と言う意味になるのでしょうか??
つまり、大協奏曲と言う意味になります。
大協奏曲と言うと、色々と妄想が膨らんでしまいますが、しかし、Concertoの編成は、orchestraにsolo群が入った形で、solo+continuo-Cembaloと低弦のcello(若しくはviola da gamba)が入った形が一般的です。
こんにちでは、更に、tiorbaが加えられている演奏団体も多いようです。(tiorbaに更にguitarさえも加わった演奏も良く見受けます。)
それらが一般的なConcertoの編成なのですが、Concerto Grossoは、soloに更にsoloⅡが加わった、所謂、triosonateの伴奏にorchestraが加わった、Concertoの形式になります。
このTrioSonate・・という考え方が、非常に重要なのです。
baroque音楽の時代は基本、複音楽の時代なのですから、triosonateの編成の形式が、所謂、交唱が活かされるので、一般的な形式でした。
だから、多くのConcerto Grossoが多くの作曲家の手に拠って書かれる事になります。
殆どのChristmas Concertoは、このConcerto Grossoの編成の形式で書かれています。
勿論、交唱の為に・・です。
melodieが交唱をする・・と言う事は、取りも直さず、それが複音楽(polyphony)であると言う意味になります。
所謂、TrioSonateである交唱を持った形式と、交唱を持たないsoloの形式(所謂、Concerto)である・・という違いになります。
『baroque時代の音楽形式について』
勿論、baroque時代のorchestraの曲が全て、Concerto Grossoの形式で書かれている分けではありません。
baroque時代の音楽形式は、triosonateでも基本は2つの形式、所謂、kirchensonta(教会Sonate)の形式と、kammersonata(室内Sonate)の形式に分かれていて、kirchensontaの場合にはpolyphony(複音楽)の形を取って、「緩急緩急」の楽章で書かれる事が多かったのです。
それに対してkammersonataの場合は、曲の殆どが舞曲で構成されていて、kirchensontaは真逆に「急緩急緩」と書かれる事が多かったのです。勿論、音楽はpolyphonyの様式ではなくて、soloと伴奏のConcertoの様式になります。
勿論、楽章は、4楽章という意味ではなくて、必要に応じて、楽章は増減されました。
また、Weihnachts-Concertoの場合にも、pastoraleが置かれる位置も、違っていて、色々な作曲家、それぞれにpastoraleの楽章が変わってしまいます。
例えば、Corelliの場合には、最終楽章にpastoraleが来て、
Torelliの場合には、短い前奏の後にpastoraleが来ます。
TorelliのWeihnachts-Concertoではpastoraleの位置が定まっていません。人に寄って、pastoraleの演奏場所が違うようです。
私も、短い前奏の後にpastoraleを持って来ました。
但し、それがorthodoxである・・という事ではありません。
あくまでも、私の解釈では・・という事になります。
Christmas Concertoは、当然、教会で演奏される事を想定して書かれているので、基本的には、kirchensontaの形式を取ります。
つまり、複音楽的な書法になります。(当然、pastoraleは舞曲としての意味合いはありません。あくまでも、幼子イエスの安然の為のBerceuseとしての意味なのですから・・)
『 ManfrediniのWeihnachts-Concertoの演奏上の問題点』
Francesco Onofrio ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、3楽章の形式です。
pastoraleから始まるのですが、この曲全体は、演奏技術的には、簡単なのですが、落とし穴的に、pastoraleには、超、難しいrhythmのpassageが繰り返し出て来ます。
このpassageは、非常に速いtempoの、Ⅲ楽章のthemaになっているので、多くのprofessionalの演奏団体が、このMotivで、コケてしまっているのですよ。
非常にゆっくりとしたpastoraleのtempoの中に、突然、Ⅲ楽章の速いMotivが入って来るので、proとあろう演奏者達が、Ⅲ楽章のthemaと整合性を取ろうとして、理解不能、演奏不能に陥っているのですよ。
写真参照:(演奏不能に陥っているのは、orchestraのmemberではありません。soliste達です。実になんでも無いpassageなのですがね~ぇ??まあ、baroque時代にはあまり出て来ないrhythmなのではあるけれど、ね~ぇ??それでもproでしょう??)私だったら、「そりゃあ、ないよ❢❢そりゃあ、ないよ❢❢」で、問題は解決だよな??
それと、無理にⅢ楽章のthemaと整合性を取らなくても、Ⅰ楽章のpastoraleのtempoのままで、rhythmだけsyncopationのrhythmで演奏すれば何の問題も無いのですがね~ぇ??
gigue等では、結構、こんなrhythmもしょっちゅう出て来るのだけど、pastoraleの中で出て来たので、panicになったのだよな~ぁ??
まあ、全く、同様のrhythmはVivaldiのRecorder Concertoのc mollのⅠ楽章の中にも出て来ます。(写真2、参照:)
子供達は何気なく弾いているのだけどね??
この程度のsyncopationのrhythmならば・・ね~ぇ??
今回のオケ練習では、3回オケ初めての、初歩の生徒達もいるので、pastoraleのままでの、syncopationのrhythmの予備練習を作って起きました。普段は面倒くさくてやらないのだけど、今回は練習回数も2回しか無いからね??
(楽譜3)
二番目の問題点は、phrasierungの問題です。
手に入れた楽譜には、最初からphrasierungが書かれていて、それに従って演奏をする演奏団体も多いようなのですが、phrasierung的には正しくはありません。
私と同じphrasierungを取って演奏する団体もあるようなのですが、同じMotivが2回繰り返されるのを、forteとPianoのcontrastとして演奏をすれば良いのですが、それも、演奏団体で異なるようです。score上のinterpretationの違いは、あまりここで書く必要は無いでしょうから、以下は省きます。
後、1箇所は、Ⅲ楽章の一番最後のpassageです。
曲がfade-outして来て、最後に伸ばし放しのpassageが3小節も続きます。
殆どの演奏団体は前の長いdecrescendoから、そのまま、fade-outします。でも、観客の人達は、それではいつこの曲が終わったのかが、分からなくて、拍手のtimingが困ってしまいます。
最初はオドオドとまばらに、やがて、拍手喝采となります。
う~ん、これは、チョッと、やっぱり、なんか??・・・問題だよな~ぁ??
という事で、伸ばし放しの最後の3小節前迄をfade-outにして、いつものbaroqueの最後の和音のpatternで、3小節を「膨らまし」にする事にします。
それで問題は解決なのですが、そういう風に演奏している演奏団体は皆無です。
・・と言う事ならば、また、批判・・続出かな??(とは言っても、一度も、批判が出た事は無いのだけれど・・)
いやあ、こういう事をウダウダと書いていたら、なんと、病院に出発する時間だ❢❢
急いで準備しないと・・・
いやあ、今日も絶好の病院日和だなや❢❢
11月20日『病院行脚』 ·
今日は11月20日の月曜日で、今は朝の10時半になる所です。
日曜日は、Over‐workで、ハイツへの帰りも遅くなってしまうので、今日の月曜日は、基本的には、Rehabili-dayなので、部屋で安静にしながら、日曜日の動画の編集作業をしているのですが、今日は、糖尿病内科の診察日なので、朝早くに起き出して、病院行きの準備をして、今は、もう、電車の中です。
診察の時間よりも30分早く、検体検査の為に、病院に到着するように見計らって、ハイツを出発するのですが、病院に入ったら、直ぐに、2号館の2階で、マイナcardの受付をして、次に、1号館2会の総合受付で、cardで受付を済ませてから、同じ階で、尿検査と血液検査の定型の検査を受けた。
検体検査が意外と空いていて、普段ならば、採尿を済ませてからも、採血を、超、待って、診察の時間ギリギリに、やっと、採血が終わるのに、採尿をしていたら、もう既に、採血の順番が過ぎていたのだよ。
慌てて採血をして、直ぐに終わってしまった。
検尿、採血の時間が、30分は巻く事が出来たので、Restaurantで、ミニの素蕎麦を食べて、時間の調整をする事にした。
Restaurantには、11時迄にinをすれば、morning-timeのsetで、ミニの蕎麦が、350円で、食べれるのでね??
ゆっくりと、お蕎麦を食べたのだが、それでも、たった15分ズラせただけであった。
15分前には、使用済みの針と注射薬の器具を病院に戻して、診察室の前に到着したのだが、結構、人が待っていて、椅子に座る事が出来なかった。
90分待ちの診察室もあったりして、結構、混んでいた。
主治医の糖尿病内科の部屋の前でも、結構、人が待っていて、最低でも3人は、私の前に、いたのだよな?
・・と言う事は、最低でも、30分は待つよなぁ?
これは、全く、無駄な時間だよな?
11時半から12時迄の、予約の時間を大分、overして、なんとか診察が終わって、1号館の2階に戻って、会計を終えて、調剤薬局に行ったのだが、そこでも、20分以上も、待たされているのだよ❢
結局、皮下注射薬のOzempicは、調剤薬局には在庫がなくて、いつ入荷するのか分からないので、「どうしたら良いのか??」と判断を仰がれてしまった。
私の前に8人の人が待っているらしいのだが、確実に何時、入荷するのかは、分からないのだそうな??
そんな事を言われても、私が判断する事ではないので、調剤薬局から、主治医に電話をして貰う事にした。
結果、入荷したら、椎名町教室に、送って貰う事になった。
ハイツでは、またまた荷物が戻ってしまうからね??
・・という事で、最初は超、smoothに進んでいたのに、結局は、なんだかんだで、遅くなってしまって、2時の直前になって、やっと、色々と、終わって、帰りの電車の中である。
江古田の駅から、超不味い、いつもの蕎麦屋に寄って、いつもの、冷たいとろろ蕎麦を食べて、ハイツに戻った。
one cushion(和製英語)を置く為なのだけど、何かしら効果はあったのかな??
ハイツに戻ったら、結構、バテていたので、bedで3時頃から、4時間近く、爆睡してしまった。
という事で、夜の7時半である。
目が覚めるには、覚めたのだけど、結構、体がしんどいよな~ぁ??
Rehabili-dayがRehabilitationにならなかったからね??
まあ、しょう無いか??
今夜の椎名町へのお食事timeは、結構、しんどいよな??
11月20日『オケ練習の時にsolisteが演奏する為の簡易versionの譜面』 ·
11月の20日の月曜日の深夜から21日の丑三つ時に懸けて、急遽、VivaldiのRecorder ConcertoのRecorderの練習法兼、オケ合わせ用のsoloの譜面作成※)と、ManfrediniのConcerto Grosso fatto per la notte di nataleのⅡⅢ楽章の2nd.soloのpartが、音域が低すぎて、alto-Recorderでは、演奏不能なので、tenor-Recorderに持ち替える事を思い付いて、rental可の教室用のRecorderのcheckをしました。
※)オケ合わせ用のsoloの譜面作成・・とは意味が分かりませんよね??
Concertoのsoloのpartでは、演奏者の技巧をひけらかす為に‥と言うか、華やかに演奏する為に、非常に速い速度で演奏しなければならないpassageが、結構、いっぱい出て来ます。
基本的には、幾ら練習であったとしても、solisteの演奏が間に合わないから・・と言って、そのpassageをorchestraが遅く演奏する事はありません。
一般的には、solisteが、tempoを変えないで、演奏出来る・・と言う事が、オケ合わせの常識なのですからね。
という事なので、一般のJunior-orchestraの場合でも、solisteとorchestraが合わせるのは、本番の直前であって、曲が出来ていない状態での合わせをする事はありません。
これは、弦楽器や管楽器をPianoで伴奏する場合でも同じです。
solisteと伴奏者がそれぞれ、各自、問題無く演奏が出来るようになってから、初めて合わせをします。
だから一般的には、練習1回、本番前の会場での1回の合わせと、本番になります。これが通常の伴奏合わせの「one-set」になります。
それ以上の合わせを希望する場合は、勿論、伴奏者に対しての、追加料金が派生します。
私のconceptでは、子供達の場合には、曲を細部に渡って理解させる為には、未だ曲が演奏出来ない未熟な状態から、一緒に伴奏をさせます。(勿論、proと・・ではなくて、子供同士で・・です。)
Pianoを演奏する生徒達は、tempo感や音量に対する意識が、全くありません。それは、Pianoが、一人orchestraであって、唯我独尊の世界で、自己満足の世界に居るからです。
だから、tempoが微妙に揺れていても、強弱がめちゃくちゃでも、本人が気が付く事は無いのですよ。
それは、音量にしても、tempoの「揺れ」にしても、比較対照する物が無いから、分からないのですよ。
音楽の道に進まなくても、或る程度、Pianoを専門的に勉強している生徒達には、必ず、orchestraでKontrabass等の弦楽器を副科として、指導して演奏させます。
(勿論、完全な趣味として、Pianoを学んでいる生徒達にそう言った事を求める事はありません。だって、正しいtempo感や相対的な音量の問題は、趣味の人達には必要は無いからです。)
弦楽器の生徒達も自分の曲が伴奏出来るぐらいのlevel迄のPianoの技術指導や、伴奏合わせをさせます。
音大で弦楽器や管楽器を学ぶ学生達は、自分の曲が伴奏が入った時の音楽を、CDやYou Tubeでしか、知る事はありません。
しかし、それでは、シュークリームの皮だけを食べる事と同じですよね~ぇ??それでは本当の音楽とは言えないのですよ。
伴奏合わせや室内楽等の、ensembleの教育をする事で、独りよがりに陥りがちな、Pianoの演奏を、本来の演奏に変える事が出来ます。写真を撮る時に、コインやタバコを横に置いて撮るのと同じですよ。比較対照する物があると、本来の自分の姿が見えるのです。
音楽技術の場合には、それをrivalと言います。ライバルは親友以上に大切なのですよ。勿論、向上を目指す人達だけの話ですがね~ぇ??
これは、Pianoの場合なのですが、orchestraの場合も同じなのです。
教室の月の2回オケと3回オケでは、全く最初の練習から練習のconceptが違います。
2回オケの場合には、曲決めが終わって楽譜渡しから、演奏する生徒達の技術力に合わせて、ゆっくりしたtempoから、練習を始める事があり、且つ又、練習に際して、演奏技術が追いつかない箇所は、ゆっくりとしたtempoで、丁寧に練習させます。
つまり、曲の本来のtempoよりも、演奏技術の方を優先して練習をします。
しかし、3回オケの練習では、初見練習の時から、orchestraを演奏する人達の為に、曲のtempo感を維持する為に、in-tempoで練習をします。
・・とは言っても、勿論、練習の無理の無いように、in-tempoの中での、tempoの・・速い、遅い・・はあるのですが、曲のimageを阻害する迄には遅いtempoでの練習はしません。
・・という事で、超絶技巧的なvirtuositätを要求されるsoloのpartの演奏は、練習が完成する迄には、楽譜通りに演奏する事は出来ません。
その為に、練習用の簡単なversionを作らせて、練習をするのですが、それが問題で、殆どの場合には、その簡単な作業が生徒達が出来ないのですよ。
極、稀には、私が、練習用のversionを一分だけ、作って、「以下同文で弾いといて・・」と言う事もありますが、以下同文で演奏出来る生徒は、皆無に近い状態です。
と言う事で、今回のRecorder Concertoは、練習に入る段階で、私が、その練習用versionを作成しました。
勿論、その簡単な練習用のversionが、速い速度の練習の為の基礎になる為の練習で、すなわち、基本の練習の一つになるような、
物でなければなりません。
唯単に、より遅い音価である・・と言う分けでは、駄目なのですよ。幾つかの練習用のversionを演奏する内に、fingeringの練習になっているように作成しなければなりません。
教室の先生になる事を希望する音大生には、orchestraの練習風景を見学するように、言っているのですが、orchestraの練習を見ても、そこで何を見るのか、何を学ぶのか??・・は、皆目分からないようです。
lessonに見学に来た先生も、「普通のlessonを普通にしているだけですよね~ぇ??」と不思議がっているだけでした。
所謂、「見ても見えず、聴けども聞こえず❢❢」なのですよね~ぇ??
已む無く、指導の内容を詳しく説明すると、次の言葉は、「先生達は、子供の教育に命を懸けているのですよね~ぇ」と返って来ました。
おい、おい、命を懸けない仕事なんて、ある分けは無いのだよ❢❢
仕事は趣味では無いのだよ❢❢
だから、「結婚する迄の繋ぎ」・・と揶揄されるのだよ❢❢
11月21日『Rehabili-dayと Manfrediniのmember決めの話』 ·
『Rehabili-dayのお話』
今日は11月21日の火曜日の朝の5時半です。
bedの中で、毛布に包まっていても、寒いので、携帯で練馬区の気温を見ると、6℃で、体感温度は5℃なのだそうです。
寒い分けだ。
急いでtoilette-timeだけを済ませて、またbedに戻りました。
朝の8時半を過ぎた所です。
bedで安眠をしていたのですが、尿意を模様して、またまたtoiletteに駆け込みました。
でも、朝からは、one‐cool以上には眠れたのかな??
昨日の月曜日は、本来ならば、日曜日のオケ練習からの安息日なのだが、順天堂の糖尿病内科の定期の検査と診察があって、病院dayになってしまったので、今日の火曜日はRehabili-dayの順延日になってしまったのだよ。
だから、本来ならば、月曜日にしているハズの、日曜日のオケ練習の練習のvideoの編集や、オケ練習やlessonの反省videoの作成が、病院行脚の疲れで、全く出来ていないので、その作業も、月曜日の深夜からの作業になってしまった。
『VivaldiのRecorder Concerto c moll RV.441の話』
日曜日のオケ練習では、(まあ、初見練習同様なので、)VivaldiのRecorder Concertoは、virtuositätなRecorderのsoloのpassageがあって、かなり速い指回しがあるので、勿論、当然、弾けなかったので、その練習の為にと、普段のオケ練習でも演奏出来るように、solo-partの練習譜と簡易versionの譜面を作って見た。
楓ちゃんも16分音符迄は、弾けるので、16分音符のtoriolen(3連符)の箇所を簡易versionで演奏すれば、普段のオケ練習は困らない事になる。(譜例は、Facebookの前のPageに掲載している。)
まあ、昨晩から、toilette-timeの度に、少しずつ、書き込んで行ったのだよ。patternに過ぎないので、次の日のお昼前には出来上がっていたよな。
『 Manfrediniのmember決めの話』
それに ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、日曜日のオケ練習では、マジに楽譜渡しと初見の練習なのだ。
私自身が、未だscoreを貰っていないので、今回の曲の演奏上のconceptの説明も、練習上でのpointの説明も、出来ないのだよ。
・・と言う事で、仕方がないので、通り一遍のConcerto Grossoの説明をして、お茶を濁す事にした。
(ここまでは日曜日のオケ練習の時の話なのだが・・)
一応、日曜日のオケ練習では、全体的なarticulationやphrasierungの説明をしたのだが、scoreを貰って、楽譜に書かれているphrasierungやarticulationに納得が行かなくて、You Tubeでの色々な演奏を聴いて見たのだが、それも、色々と納得が行かなくて、已む無く、書き込んだ自分のinterpretationの赤入れを、更に、訂正しながら、新しいinterpretationを作った。
You Tubeの多くの演奏とは全く違った解釈なのだけど、まあ、いつもの事なので、自分の解釈を貫くだけだよな??
ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、Concerto Grossoなので、Violinのsoloが2名必要になる。
教室の3回オケに参加するmemberは、やっと、QuartettにKontrabassをプラスした人数に過ぎないので、backにorchestraを1名ずつ配置したとしても、memberが足りないのだよ。
まあ、いつもの事なので、何を・・か、今更、なのだが・・、Christmas会は、年の瀬の開催日時なので、OB・OGや大学生の助っ人も、毎年、Christmas会に関しては、皆無であり、純粋に、教室に在籍している生徒達と先生だけの演奏になるのだよ。
・・と言う事で、今居るmemberだけで、Concerto Grossoの演奏が出来るように、memberの構成を考えなければならないのだが、教室の生徒達は、全員、楽器の持ち替えが出来るので、その可能性は大きい。
Concertoのsoliとbasso continuoのgroupの4名は、必須なので、致し方ないのだが、2nd.ViolinをRecorderに持ち替える事と、オケ組のcelloを省いてKontrabass1本にする事で、orchestraへの光明が見えて来た。CembaloかKontrabassを弾く予定の楓ちゃんが2nd.soloに回れれば、Violinが一人分助かるからだ。
Celloもcontinuo-Celloと、オケCelloの二人が必要なのだが、必須のcontinuo-Cello一人だけにして、オケはKontrabassのみにすると、ここでも一人、省く事が出来るので、残りのKontrabass2名の内の一人をCembalo(若しくはOrgan)に回せば良い。
という事で、mainのsoli組とオケ組のmainのmemberは出来た。
次には、orchestraなのだが、Christmas会に限らず、3回オケのmemberが増える事は有り得ないのだから、次のgroupの2回オケから、3回オケへ子供達を育てない限り、member不足は続くのだよ。
その事は、この2,3年、その事を私が言い続けているのだが、2回オケの生徒達の、技術や意識levelが育っていない事を理由に却下されて来たのだよ。
通常のrotationならば、2回オケの生徒達で、3回オケに技術的に可能な生徒達が、1曲、2曲と曲数を徐々にcapacityを増やして行って、3回オケの正規のmemberになるのだよ。
今回のChristmas会迄には、19日の日曜日の初回の練習を入れても、4回のオケ練習しか無いのだよ。まあ、その内の2回に参加出来れば、なんとかなる・・という考え方なのだがね??
2回オケから、3回オケへのお試しsetとしては、 ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、Christmas会迄の練習の回数が、非常に少ない事や、Concerto Grosso自体が、orchestraは教会に所属している村の人達でも演奏出来るように、非常に簡単に作られているので、Vivaldi-orchestraへの導入としては、理想的な曲なのだよ。
勿論、あくまでも、 Manfrediniの参加は、希望参加である事には変わらないのだけど・・・ね??
・・という事で、Violaのpartを除いては、memberは、なんとかなったのかな??
Violaのpartは、弾く事自体は簡単なのだが、入りや伸ばしが難しい。
最悪の場合・・というか、本番迄にViolaが見つからなかった場合には、俺が指揮振りをする他は無いのかな??
baroque-Violaでも持って行くか??
『鼻詰りと引き篭もりdayのお話』
どうしても、bedで寝ていると、強烈な鼻詰りで、息が出来なくなってしまう。
toiletteに行ってから、直ぐにbedに戻ろうとしても、結局、鼻詰りで眠れなくなってしまうのだよ。
この、鼻詰りを取ってから、bedに戻るのが入眠する為の効率が良いのだよ。
と言う事で、toiletteを済ませてからは、鼻詰りが収まる迄の間、パソコンの椅子に座って、安静にしているのだよ。
シンクの弁当箱のような洗い物は立ったままで、やる軽作業なので、安静にする事にはならないのだよ。
・・と言う事で、パソコンでの簡単な作業は、安静時の軽作業になるのだ。
今日の火曜日は一日中、Rehabili-dayなので、軽い作業と、疲れたらbedで横になる・・という病人としての一日を過ごすのだよ。
それに、火曜日の今夜は、所謂、引き篭もりdayなので、夜の食事は、定形のハイツでのボッチの食事になるのだ。
移動と時間の制限が無いので、Rehabili-dayには、持って来い・・の日なのだ。
11月22日『糖尿病の皮下注射薬が手に入らない』 ·
今は、11月22日の水曜日の朝の9時半になる所なのです。
9時頃に眠ったのに、小一時間程ではなくて、30分も眠れないままに、目が覚めてしまいました。
鼻詰まりが酷くて息が出来ないので、普段ならば、起き出して、パソコンの前の椅子に座る所なのですが、寒いので、Bedの中でウダウダしていたら、更に、小一時間程が過ぎて、10時50分になってしまいました。
仮眠にしては、眠れていないし、起きていたには、意識が飛んでしまっています。
布団の中で、一生懸命携帯に入力しているのに、起きて見たら、何も打っていなかったというpatternと同じです。
まぁまぁ、もう11時を過ぎてしまったから、頑張って起き出しますかね~ぇ??
今日は、病院dayと言うか、近所の眼科に、眼底血圧の検査に行きます。
物が2つに見えるのは、治ったので、糖尿病の検査の一貫からの目の検査です。
まあ、目の検査は、今は月一程度のintervalなのですが、HbA1c-NGの値が下がると、糖尿病外来も合わせて、ふた月に1度ぐらいで良くなるそうです。(HbA1c-NGの値とは、飲食に関係しない、2,3ヶ月という長期の血糖値の値なのだそうです。)
肥満との戦いは、33歳の壁を過ぎた頃から、徐々に肥って来て、これまで、ありとあらゆる努力をしたし、病院の指導でも、色々と試みて来たのですが、全て、無駄な努力でした。
光が丘の病院で、血糖値の改善の為に、trulicity(トルリシティ)の皮下注射をするようになっても、血糖値自体は、何一つ、改善される事はなくて、食事の量を制限するだけの無駄な努力の積み重ねでした。
その後、色々な病院巡りを一本に統括する為に、順天堂大学病院に転院したのですが、今回はそのtrulicityの注射薬が世界的に手に入り難くなったので、急遽、Ozempic(オゼンピック)という皮下注射薬に変更する事になりました。
不思議な事に、注射薬が、Ozempicに変わった途端に、体重が減り始めたのですよ。
勿論、HbA1c-NGの値も、Ozempicに変わってからは、順調に改善して来ています。(・・とは言っても、唯単に値が下がり始めただけで、未だ高い事は変わりないのだけどね~ぇ??)
それにしても、体感的にも、初めて、薬が体質に合った・・という感じです。
でも、今回、月曜日に病院に行って、新たに、今月分のOzempicを処方して貰ったのですが、なんと、調剤薬局にOzempicの在庫が無くて、8人の人達が、入荷を待っている状態だそうです。
trulicityに継いで、Ozempicも、痩せ薬として、世界中の美容科で処方されているのだそうで、その為に、糖尿病の注射楽が品薄になってしまっているのだそうです。
いやあ、困ったもんだよ。
まあ、売れて、在庫が無いのだから、その内に、増産体制が整うのだろうけれど、それ迄は、チョッと問題だよな~ぁ??
1本の注射薬が4回分のひと月分なので、後、2週間で、注射薬が無くなるのだよな~ぁ??
それ迄に、入荷出来るのかな??
入荷次第、椎名町に送って来る事にはなっているのだが・・??
眼科での定期健診を受けた次いでに、ココカラに寄って、嵌入便用の緩下剤を探して貰おうと、ココカラの薬剤師さんに相談しました。
結果は、嵌入便専用の緩下剤は皆無で、対応のしょうが無いのだそうです。
確かに、順天堂で、嵌入便の相談をした時も、下剤の処方はしてくれなかったしねぇ。
チョッとShockだよな?
無花果浣腸しか方法は無いのかな??
11月22日『頻尿と夜間頻尿』 ·
これからの話しは、医学的な根拠のある話しではなくて、あくまでも私自身の人生での体験に拠る感想に過ぎない。医者の見解とは、当然、違っていたとしても、その責任は一切負わない。あくまでも私の個人的な見解に過ぎないので、この文章を読む物好きな人は、その旨を、あらかじめ了承して欲しい。
頻尿は歳を取って、膀胱壁が固くなると、膀胱に尿を溜める事が出来なくなって、頻尿が起きるとされている。
この場合の特徴は、頻尿は昼夜を問わない・・と言う事と、尿を澑める事が出来ないので尿量が少ない・・と言う事になる。
昼間は尿意が少なく、夜間だけの頻尿で、尿量も或る程度ある場合には、頻尿の原因が膀胱壁が固くなった事ではなくて、寧ろ、腎臓の機能障害の方に原因がある事が多いようだ。
昼間は体を動かしているので、体力的に腎臓に迄は、energyが行かないので、夜の睡眠時に他の臓器が休んでいる時に、必死に腎臓が一日分の血液を洗浄する作業をしているのだよ。
だからといっても、昼間に腎臓が休んでいる分けではないのだから、まあ、頻尿にしても、夜間頻尿にしても、結局の所、腎臓自体は一日中、休み無く働いている分けなので、日常的に、超、慢性的な疲労感に襲われているのだよ。
つまり、人が休んでいても、一日中寝ていたとしても、慢性的な疲労感は、拭えないのだよ。
私は、今年の10月の2日に膀胱癌の手術を受けて、それから2日、3日の間、bedに横になって、膀胱に管を入れた状態で、排尿を管でしていた。
管で排尿をしているので、尿意が全く無い状態の2日間だったので、恰もまるで、昏睡状態のように、爆睡していたのだよ。
つまり、尿意が起きないので、頻尿にならないのだよ。
という事で、この数年間の頻尿から開放されて、膀胱の溜まる限界が無い状態で爆睡する事が出来たのだよ。
とどのつまりは、私の場合の睡眠不足は、頻尿の所為であると言う事が分かったのだよ。
膀胱癌の手術が終わって、退院してからの話しなのだが、手術前迄は、1時間起きの夜間頻尿timeだったのが、3時間から、4時間のtoilette-timeも出来るようになった。
とは言っても、睡眠そのものの質は、余り良くはなくて、慢性的な疲労感は、術後も継続したままである。
しかしながら、今迄の、5回も繰り返された膀胱の癌細胞の摘出の手術でも、頻尿に関しては、無関係であって、その解決は無かったのだが、今回は、頻尿に関しても、今までとは、全く違った良い結果を齎したのだよ。
ヒョッとしたら、抗癌治療の成果かも知れないよなぁ?
まあ、希望的な感想かも知れないけれどね~ぇ?
11月23日『baroque時代の演奏法』 ·
「baroque時代のConcertoやConcerto Grossoを演奏する場合には、演奏法の時代考証を何処までするか??」と言うのは、結構、難しい物がある。
その例を幾つかあげて見よう。
『baroque音楽とpitchに付いて』
period奏法や、period instrumentsに特化して演奏をする場合には、現代の我々の知識とは違って、古典的な演奏技法が、現代人に取っては、eccentricに映る事があるからである。
特に、子供達に演奏の指導をする場合には、一般的なbaroque音楽への常識が、例え間違えた常識であったとしても、わざと、その常識に添って指導をする場合があるのだよ。
例えば、教室でorchestraに参加している生徒達の殆どが、絶対音感を持っているので、楽譜を見て、baroqueのpitchで演奏する事は出来ない。
何故ならば、baroque-pitchの場合には、pitchが半音近く下がってしまうからで、楽譜を見て演奏すると、音が分からなくなってしまうからなのだよ。
baroque音楽を勉強する絶対音感を持つ生徒達に取っては、このpitchの問題は非常にneckになるのだよ。
・・と言う事で、baroque楽器を使用しながらでも、pitchだけはmodern-pitchで演奏する事もある。
殆どの生徒達は楽譜を暗譜した上で、音だけで演奏をする生徒も多いのだが、生徒がbaroque-pitchで演奏する事が無理ならば・・という事で・・PachelbelのChaconneでは、原調のf mollを第1稿では、e mollにtransposeをした。
しかし、生徒からの「原調のf mollの方が好きだ❢❢」という、申し出に寄って、第3稿では、原調のf mollに戻している。(調を変更する・・という事は、使用出来る和音も変更しなければならないので、arrangeをする立場としては、結構、大変なのだよ。)
baroque-pitchと言うと、今は、A=440cycleの半音下のGisの音=415cycleをbaroque-pitchのAとしている演奏団体が多い。(教室の標準pitchは、演奏会用pitchよりも、1cycle高い443cycleなので※)、baroque-pitchも418cycleになる。)
※)所謂、国際標準pitchの440cycleで、演奏をしているproのorchestraは皆無であって、日本のKoncert-HallでもPianoの調律は、基本的には442cycleの演奏会用pitchであるハズである。
教育会館等の教育系のHallでは、非常に例外的に440のpitchを取っているのだが、これは頗る例外的なcaseである。
それに、日本の演奏会用pitchの442cycleなのだが、日本の殆どのHallでは、基本的には443で調律してある。
それは演奏会では、時間と伴に、楽器のpitchが上がって行く傾向があるので、上がりの少ないPiano等は442ではなくて、443cycleにtuningしておく方が無難であるからだ。
仮にPianoが442cycleで調律されていたとしても、楽器を443でtuningしても、聴く側は、solo-pitchとして聴いてしまうので、殆ど差し支えが無いのだよ。
それに、Europaの殆どのorchestraは、444cycleというpitchが主流で、極端なorchestraでは、447cycleを取るorchestraもある。
演奏会用のpitchの442cycleは、日本の教育音楽界での一般的なpitchであって、現実のorchestraのpitchは、演奏会ではそれよりも高い。
現代の演奏会用(pitchmodern-pitch)とbaroque-pitchを、演奏会の度に変更するのは、Cembaloに取っては、非常に好ましくない事である。
また、不思議な事に、その基準となるpitchは、普通、演奏会用のpitchの442cycleではなくて、今はKoncertでは使用されない標準pitchの440cycleのpitchを基準としているのだよ。
これ等の問題は、Cembaloを調律をする際に、標準pitchである440cycleと、演奏会pitchである442cycleと、baroqueのpitchを頻繁に調律し直す事になってしまう。
そうすると、pitchが安定しない※)だけではなくて、楽器にも非常な負担を強いる事になるのだ。
※)Cembaloに限らず、全ての弦楽器では、常に正しいpitchでtuningをする癖を付けると、楽器がそのpitchを覚えてくれて、簡単にtuning出来るし、また、pitchの狂いも少なくなって来るのだよ。
弦楽器の場合でも、tuningの下手な生徒の楽器は、演奏中にも狂って来るし、中々、pitchが定まらないので、tuningに時間が掛かってしまう。
それにもまして、Heinrich Ignaz Franz von BiberのRosenkranz-Sonaten(薔薇の冠のSonate)のように、曲毎に異なった調弦をしなければならない(所謂、scordaturaの)曲では、Violinを数台準備して、あまり極端なpitchの変化をさせないように、留意する演奏家も多い程である。
そこで、Cembaloの製作者がCembaloが傷まないように、便宜上で考案したのがslide鍵盤である。
鍵盤を半音下にズラす事に寄って、Gisの音をbaroque-pitchのAとしたのだよ。
しかし、これでは、弦楽器は緩み過ぎて良い音はしないので、あまり良い解決法とは言えないのだよ。
教室のCembaloのように、子供達の演奏は443cycleで、先生達のperiod instrumentsに拠る演奏では、baroque-pitchで演奏をする・・という風に、普段からpitchを変更しなければならない場合は、兎も角としても、日本のbaroque専門の演奏団体が、Cembaloのtuningを415cycleにして、演奏していたのには、驚いてしまった。baroque-pitchを415cycleと勘違いしていたのだよ❢❢
これも、無知から来るのだよな~ぁ??
Recorder等もEuropaでは435cycleぐらいのRecordの方が一般的に販売されているので、415のRecorderが、実際に売られているのかは、私は知らない。つい2,3年前に、購入した、Querflöte(traverso)が、baroque-pitchの415だった記憶があるのだけどね??
まあ、今の日本ではどうなっているのかは知らないけれど、私が音大生の時代も、Recorderと言えば、435cycleが主流であったので、私が所有している木のRecorderもその殆どが435cycleである。当然、baroque-Violinや、gambaやbaroque-Cello等も、それくらいのpitchの方が安定して良い音が出るのだよ。
『baroque音楽とsenza vibratoの問題』
一般的には、「baroque時代の演奏家達はvibratoが出来なかった」・・とされていて、また音楽の専門家であるはずのproの音楽家達さえも、そういう風に勘違いをしている音楽家達が多いのは、あまりの無知蒙昧に辟易してしまう。
baroque時代の演奏家達は、あくまでも、vibratoをしなかった分けであって、出来なかった分けではない。
その理由は、純性の和音の響きを出す為に・・という理由である。
baroque時代は、平均律の調律よりも純正調の調律の方が一般的であった・・というか、それも間違いで、平均律という調律法は未だ存在していなかったのだよ。
多くの人達が勘違いをしているBachのWohltemperirte Klavier曲集、(所謂、平均律曲集なのだが、)殆どの人達が、「Bachが平均律の調律の為に、作曲をした」・・と勘違いをしているのだが、Bachの時代には、残念ながら、現代の平均律の調律法は未だ存在しては無いのだよ。
24の調のPraeludiumとfugaの為に、書かれているのだが、Cembaloは、frame(枠組み)が、木で出来ているので、弦楽器と同じように、天候に左右され易く、非常に狂い易いので、曲を弾く都度に、その調にあった調律で調律をしていたのだよ。
人妻に恋をして、自殺をしてしまうGoetheのDie Leiden des jungen Werthers(若きウェルテルの悩み)でも、若きWertherがCharlotteの家に、Pianoの調律をしに行く所から始まるのだよ。
つまり、proの音楽家でなくても、或る程度Pianoが弾ける知識層ならば、tuningは出来て当たり前の時代だったのだよ。
曲の調毎に、ちゃんと調律をする・・、そう言った意味での、Wohltemperirte(完全に調律されたKlavierの為の・・)と言う言葉だったのだよ。
現代の色々な調性の曲を演奏する場合と同じように、発表会や演奏会等で、曲毎に、調律をする時間が無い場合や、色々な調性の曲を続けて演奏しなければならない時には、今は私は、Kirnbergerの第三調律を好んで使用している。
以前は、meantoneの調律を少し崩した調律法をしていたのだけど、純正調としては、meantone調律の方が、調に嵌ると美しいのだが、通常では、meantoneの調律はEsとAsの音にWolf-toneが出て、非常に、汚い響きになるので、特定の調性の場合にしか使えない。又、同じ調性内であったとしても、Ⅲの和音等は、とんでもない響きになってしまう。PachelbelのⅠ⇒Ⅴ⇒Ⅵ⇒Ⅲ⇒Ⅳ⇒ⅠのCanon-Chordの進行なんて、とんでもない話なのだよ。
その点、Kirnbergerの第三調律は、平均律に近い響きがあるので、汎用性がある。
baroqueの時代には、3度の和音の純正の響きを活かす為に、古典調律法と言われる調律法が無数にあって、それぞれの作曲家が自分好みの調律法を使用していたのだよ。
勿論、Bachも然りであり、Werckmeisterの調律法を好んで使用したとされている。
現代の平均律で調律をするようになったのは、ロマン派の時代以降に入ってからの話だよ。
純正の和音を響かせる為には、vibratoが入ると、純性の響きは失われるのだよ。
だから、純性の和音を利かせたい場所では、vibratoは絶対的にtabooなのだよ。
Karl Richterが彼の合唱団の団員を募集する時には、音大生は不採用で、一般のamateurの人達のみをchorusに求めたのは、音大生の発声法の場合には、不自然なvibratoが入るので、Bachを歌う事にふさわしくない・・と判断したから・・という話は有名な話であるし、まあ、私のMünchen時代に、Richter本人からも、そう聴いたのだけどね~ぇ??
(これから先はぶっ飛んでしまったので、改めて書き直した文章です。)
『装飾音(ornament)のお話』
先ず最初には、baroque時代と現代の装飾音(ornament)の弾き方の違いを述べなければなるまい。
装飾音(ornament)の定義なのだが、装飾音には、音符に付随した飾りのような装飾音と、音符の間に挿入されたepisodeやkadenzを含めた装飾音がある。
音符の間に挿入された装飾音、所謂、ornamentは、この ManfrediniのWeihnachts-Concertoの場合には、Ⅱ楽章の最後のPhrygia終止と、Ⅲ楽章の間に、episodeを演奏している。
その譜例をupしておいた。勿論、楽譜として書かれている分けではないので、演奏者が即興で演奏するのが一般的なのだよ。
しかし、ここで、問題とするのは、音符に付随した装飾音の話である。
音符に付随した・・と言っても、音符の前に置かれる長、短の前打音や、音符自体に付随するtrillやturnの場合や、音符を演奏した後に入る後打音(Nachschlag)と呼ばれる物もある。
『前打音(vorschlag)』
先ずは、その中の前打音のお話である。
baroque時代や古典派の時代の装飾音(ornament)には、大きく長前打音(appoggiatura)と短前打音(acciaccatura)と呼ばれる装飾音がある。
「何故、長前打音と、短前打音があるのか??」という理由なのだが、長前打音と短前打音では意味が全く違うのだが、一般的には、紛らわしい事には、短前打音でも打ち消し線(slash=スラッシュ)(ドイツ語では、Schrägstrich=Strich)を書く場合は稀なのだよ。
だから、slashが書かれていないから、長前打音である・・とは、言えないのだよ。
長前打音、所謂、appoggiaturaは、装飾音では無い・・と言ったら、驚かれるとは思うのだが、それは至極当然な理屈である。
長前打音の意味は、(baroque時代はbasso continuoの時代と呼ばれるように、低弦上に付けられた和音を表す数字上に、melodieを演奏したのだが、)拍頭に非和声音が来ると、数字上の和音が成り立たなくなるので、それが非和声音である事を表す為に、非和声音を長前打音で表記する事にしたのだ。
当然、演奏者は前打音(acciaccatura)として書かれている音を、非和声音として演奏して、和音は前打音の解決音を見て、伴奏である和音を演奏したのだよ。
あくまでも、melodieの拍頭の非和声音を、前打音として、表記しただけなので、装飾音ではないmelodie音なので、音の長さは短前打音(acciaccaturaのように)短くはしないのだよ。
それを間違えたままにrecordingしてしまった、哀れな例がある。
私の所有しているRecordなのだが、Wilhelm KempffがMozartのTurkish March(トルコ行進曲)を演奏する時に、冒頭のappoggiaturaを、短い装飾音のacciaccaturaとして弾いていたのには、驚かされてしまった。
非常に恥ずかしいlächerlichな事だ。
しかし、当時は、未だperiod奏法の時代考証が確立していなかった時代なので、致し方はないのかも知れないのだが、やっぱり、歴史認識が出来ていないのだから、無知は恥だよな❢❢
『短前打音のお話』
今回のVivaldiのRecorder Concerto c moll RV.441の冒頭のthemaにも出て来るような、短前打音(acciaccatura)なのだが、短前打音は装飾音なので、演奏は引っ掛けで、短くaccent気味に演奏するのだが、その際に、留意すべき事は、装飾音の音が拍頭に合わなければならない・・と言う事なのだよ。
basso continuoの時代では、非和声音は、その和音の中に含まれるのだから、短前打音であっても、装飾音を小節(拍)よりも前に出して演奏しては、非和声音の和音が変わってしまい、非和声音にならない場合すらあるからである。
Mozartの譜例でも分かるように、拍頭に軽いaccent(弦楽器の場合にはvibrato・accentを付けて演奏して、次の実音は弱拍で、抜きの弱い音になるのだよ。とても、優美で美しい響きがするのだよ。
装飾音とは、あくまでも飾りの音なので、日本流の強く厳しい衝撃的な音では、音楽的に興醒めで、Mozartでは無いのだよ。
短前打音は、軽ろやかな優美なaccentを意味するのだよ。
『書かれたschleiferのお話』
baroque時代のschleiferは、鍵盤楽器等のlegatissimoが出来ない楽器の場合に、legatissimoを表現する為に用いる記号である。
装飾音の記号として書く作曲家と、音符の演奏譜として書く作曲家に分かれる。
Bachの場合には、3度の和音では、slashを用いたり、melodieでは、schleiferの記号を使用したりする(譜例:参照)、が、Vivaldiは、基本的には、schleiferを音符として書いている。
多くの演奏団体の場合には、突然出て来る32分音符を強調して、その音だけを、強くして演奏しているのだが、schleiferはlegatissimoを表しているのだから、拍頭に軽いaccentを付けて、猫撫で声のように、「にゃ~お~❢」という感じで演奏するのが正解である。
「にゃ~お~」とは、猫撫で声の甘えるような、coquettishな感じに弾く事が肝心なのだよ。
『拍頭やsyncopationを表す為のsf』
余談なのだが、BeethovenのStreich-Quartettのc mollの冒頭のpassageで、sf(sforzando)が繰り返し、phraseの頭に出て来るのだが、それを一般的にはclip・accentで、非常に強く激情的に演奏するgroupが多い(・・と言うか殆どな)のだが、Beethovenの時代の場合には、時代考証的にも、phraseの頭を表す軽いaccentの意味しか無いのだよ。
Beethovenを演奏する人達は、Beethovenを近代音楽の祖として、結構、現代的な奏法で演奏するのが一般的である。
時代の先駆者としての位置付けなのだろうか??
しかし、Beethovenの逸話を聴くと、必ずしも、そうであったとは思えない節があるのだよ。
Beethovenが、当時の技術の最先端のPianoである、double actionのPianoの試奏を頼まれた時に、演奏を拒否して、「Pianoがdouble actionになったら、もうPianoの曲は作曲しない。」とまで言っている。つまり、音量は出るのだけど、重いtouchのcontrolの利かないdouble actionのPianoよりも、音量は小さくても、軽いtouchで、繊細なcontrolの出来るsingle actionのforte-pianoの方を好んだのだよ。
だから、Beethovenという人間のimageとは、反していても、やっぱり、Beethovenは、古典派の時代の作曲家なのだよ。
同様に、弦楽器についても、勿論、1800年ぐらい迄は、未だ、弦楽器の弓もbaroquebowのままであって、現代棒(modern・bow=所謂、Tourte bow)が一般的になるのは、未だ未だ先の時代の話だったのだよ。
だから、Beethovenの時代には、未だclip・accentは存在しないのだよ。
だから、BeethovenのStreich-Quartettのsfを極めて強く演奏するのは、時代考証的には正しくは無いのだよ。いつも同じ jokeになってしまうのだが、恰も、関ヶ原の戦いに、戦車と機関銃が出て来るようなものだ。
幾ら、Beethovenが時代に先行した作曲家であったとしても、 comicでは有り得るかもしれないが、seriousでは、有り得ないのだよ。本当は、これもlächerlichなのだけどね~ぇ??
日本人の場合には、短前打音を非常に鋭く強く短く演奏するので、短前打音が出て来る度に、興醒めになってしまう。
rococoのCouperinやRameauの音楽は当然としても、Chopinの音楽迄も、短く鋭く演奏されては、lacherlichを通り越して、もう、既に、miserableなのだよな~ぁ??
美しい華やかな優しい短前打音は弾けないのかね~ぇ??
『pastoraleのtempo感』
You Tubeの色々な演奏団体の演奏を聴いて見て、 ManfrediniのWeihnachts-Concertoのpastoraleは、他の作曲家のWeihnachts-Concertoのpastoraleのtempoは、正確で正しいのに、 Manfrediniのpastoraleに限っては、非常に遅く演奏する団体が多くて、驚いてしまったのだよ。
pastoraleは、幼兒イエスの為のBerceuseなのだから、cradle(揺り籠)が揺れるように演奏しなければならないのだよ。
他の曲のpastoraleでは、問題は無いのだが、 Manfrediniに限っては、ちゃんとしたtempoで演奏出来ている演奏団体は、非常に少ないように思えたのだが、その理由の一つが、Cello・Kontrabassの低弦が、12拍子の揺れるような、軽やかなrhythmが弾けていない事にその原因があるように思えたのだ。
pastoraleが、非常に遅く感じてしまうorchestraは、Cello・Kontrabassのpartが、Violin族に比べて、遅れ気味の演奏をしているのだよ。
低弦が遅れて聴こえるのは、日本のorchestraの特徴なのだが、globalな世界のproのperiod instrumentsの演奏団体でさえも、低弦が遅れて演奏しているのは、驚きである。
確かに、低弦楽器になると、弦の立ち上がりが遅い事は已むを得ない事なのだが、それがorchestra全体で、遅れて聴こえる迄に、遅いのは問題であるよ。
勿論、その理由は現代低弦楽器に比べて、古楽器の場合には、konsonanz(共鳴音)の関係で、発弦が遅い所為ではあるのだが・・、その分、早目に弾けば良いだけなのだからね??
『continuoの鍵盤楽器に付いて』
Weihnachts-Concertoは、基本的には教会で演奏される事を前提にして作曲されました。
という事で、作曲技法的には、basso continuoでは、Organの為のContinuo-Aussetzungが、常道です。
当然、pastoraleを除いては、polyphonyの様式で作曲されています。
それに、pastoraleも曲のimageの関係で、持続音が多く出て来ます。bagpipeのimitationというよりは、曲の安定性を維持する為です。
・・という事で、continuoの楽器はCembaloではなくて、 positive organ のcontinuoになります。
まあ、当然の事なのですが、Europaでも、 positive organを持っている教会は限られているので、演奏会場での、Cembaloでの演奏が多いのは、残念ですが致し方はありません。
教会の、Pipeorganで、 positiveだけの音栓にしたとしても、Pipeorganの音量では、幾ら音量を抑えても、baroque編成のkammerorchestraに対しては、音量が強すぎるので・・已むを得ない処置ではあるのでしょうが・・
positive organを所有している教会は非常に少ないので・・(音量の問題だけなので、肺の弁をpositive用に、増やす事は出来なかったのでしょうかね~ぇ??)
11月25日車検でした ·
今は11月25日の土曜日の朝の1時半を過ぎた所です。
昨晩は12時前には、bedに入って寝たのですが、ちょうど、one‐coolで、尿意を模様して目が覚めた所なのです。
bedから起きてtoiletteに行こう・・と思ったら、左足首が強烈に痙ってしまって、bedの中で七転八倒をしてしまいました。
なんとかbedに腰を掛ける所迄は出来て、toiletteに直行するか、こむら返りの薬を飲むか・・の二択を迫られてしまいました。
勿論、もう、限界だったので、toiletteを優先して、左足首の痛みは堪える事にしました。
toiletteをなんとか済ませてから、歩いて行って、薬を飲んでから、いつもの椅子に座って、薬が効いて来るのを待っていたのですが、1時50分頃になって、やっと、痛みは治まって来ました。
まあ、20分間は、痛みを堪えていた事になるのかな?
痛みは、傷の痛みではなくて、神経の痛みなので、痛みを堪えるというのは、結構、辛いものがあるのだがね~ぇ?
左足首の痛み自体は、この2日間ぐらいの間に、時折、歩く時に不具合を感じていたのですが、お久し振りの腓返りで、自分自身でも驚いています。(・・・と、ここまでは、25日の土曜日のお話です。)
(ここからは、23日の木曜日のお話です。)
もう、2日も前の事になりますが、23日の木曜日の勤労感謝の日は、休日というのに、車の車検だったので、ドルを連れて、車を車検に出してから、帰りはゆっくりと、お散歩をしながら、トボトボと椎名町の事務所迄、歩いて帰って来ました。
(いつもならば、チャリに乗って帰るのですが、尾骨が痛いので、今回は歩きにしました。)その時にも、左足首には不具合は感じていました。
(ここからは、更に24日の金曜日のお話になります。)
次の日の24日の金曜日の夕方の4時過ぎからは、車を取りに、またまたドルと一緒にお散歩をしながら、トヨタ迄、ポタポタと歩いて行ったのですが、やはり、左足首の不具合を感じながらのお散歩でした。
・・という事で、椎名町に戻ってからは、車検の為に、車の後部座席の荷台をlesson室に片付けていたのを、車に戻す作業をしていたら、(・・していたのは、斉藤先生で、私は歩けないので、椅子に座ったままでしたがネ??)
やっと、それ等の作業が終わったのが、夕方の6時近くになってしまったので、ハイツに戻って、またまた食事に椎名町に来るのも非効率だし、今から食事を作るのも大変なので、教室の近場の椎名町駅付近で外食をする事にしました。
しかし、目的のお店が、今日は休日だったので、臨時休業で、他の美味しそうなお店も、あまりにも高いので、たかが夕食の為に、そんなにお金を出すのも、気が引けてしまったので、サミットのお弁当にしてしまいました。(同じサミットでも、東長崎のサミットは、年齢層が若いので、お弁当は肉と油系なのだけど、椎名町は老人の町なので、サミットはbalanceの良い油の少ないお弁当も多いのですよ。まあ、その分、割高ではあるのだけどね??)
同じ、スーパーでも、江古田のマルマンは、7時過ぎにはお弁当類は、殆ど無くなってしまいます。椎名町のサミットは深夜の1時迄の営業なので、9時頃でもお弁当が残っています。
という事で今日は、トヨタ迄の歩きに継いで、椎名町の駅までのドル・プリのお散歩course迄も、歩いてしまったのだよ。
ドルのウダウダが無い分、早かったのだけど、それでも、結構、時間が掛かったよな??
コロナからの、3,4年間は、外出禁止で、近所の買い物さえも禁止なので、部屋から一歩も出なかったので、コロナ後の今も、精々、病院に行くぐらいの歩きしかしていなかったので、今回は、突然、無理をして、長距離を歩いた事になるのだよな~ぁ??
流石に、体が悲鳴を上げていたよ。
9時を過ぎて、サミットのお弁当を食べ終わって、帰る準備をしていたら、牧野先生からSaint-Saënsの「動物の謝肉祭からのカッコウの2台のPianoを演奏場所の都合で、1台か、連弾か・・に、変更は出来ないか?」との問い合わせがあったので、斉藤先生がハイツに持ち帰るお弁当を準備する迄の間に、scoreに、一人で弾く場合と、連弾の場合の弾き方のcheckをしていたら、結局の所、10時を過ぎてしまいました。
結果的には、ハイツに到着したのは、11時過ぎの、いつもの時間になってしまったのだよな~ぁ??
それでも、結構、歩いて肉体的にも疲れたので、勿論、弁当はそのままにして、12時前には入眠してしまいました。
・・で、腓返りのお話に続きます。
それはそうと、23日は、プリの15歳のお誕生日だったので、プリの為にお誕生日のお祝いをしました。
ワンちゃんの年齢を、人間の年齢に比較換算すると、人間の7倍の年齢になるのだそうなので、単純に計算すると、今年で、105歳という事になるのだよな??
確かに、歴代の教室のシーズちゃんの中でも、最長寿なのだよな~ぁ??
昔、ノン・ママが死んだ時には、プリも、「もう、寿命かな??」と思えるぐらいに、元気が無くなってしまったのだけど、若くてcoquettishなドルに翻弄されたお蔭で、すっかりと元気になりました。
でも、今年は、一時は、足の腱が断裂して、全く歩けなくなってしまって、介護用のカート迄、購入したのだけど、近頃はまた、自分で走けるようになりました。
医者に拠ると、腱は再生出来ないので、別の筋肉を上手に使って歩いているのだそうです。
結構、凄い事なのだそうですョ。
流石に、元気モリモリのドルのウダウダ散歩迄には、付き合え無くなってしまったのだけど、toiletteだけは、ちゃんと歩いて、お散歩をして、済ませて来るようには、なりました。
目も耳も足腰も弱くなったのだけど、匂いだけは、未だに、ちゃんと分かるようで、大好物のレバーを切っていると、「くれ❢くれ❢」と結構、うるさいのですよ。
認知症っぽいのだけど、食欲だけは、未だ未だ、あるようなので、もう暫くは頑張ってくれるようです。
・・てな事を、深夜に、ウダウダと書いていたら、なんとなく、朝の5時半ぐらいになってしまった・・という感覚なのだけど、未だ、丑三つ時の2時半なのだよな~ぁ??
絶対的に睡眠時間が足りていないので、ちゃんと寝直さなければ、ならないのだが、腓返りが怖くて、bedに入るのを、二の足を踏んでいるのだよ。
それに、居間のガスのヒーターを全開で点けているのに、全然、部屋が温かくならないのだよ。
携帯で、練馬区の気温を見ると、8℃で体感温度は6℃なのだ。
そりゃあ、寒いわさな~ぁ??
東京の昨日との温度差は、なんと11℃だそうです。
体が温度差に付いて行かない病気が流行っているのだそうですョ。
俺もそう思うョ??
魚の大量死や、色々と社会現象まで、起こっているのだよ。
私も結構、長く生きて来たのだが、こんなのは初めてだよな~ぁ??
明日の朝の練馬区の気温は5℃だそうですよ。
真冬じゃん❢❢
一週間前は、未だ半袖でも良かったのだよな~ぁ??
12月の2日は2℃だと言っているぞ❢❢
体感温度はどうなるのだ??
てな事を書いていたら、lessonの時間になってしまった。
ちゃんと真面目に準備を開始しよう。
これきって~とっぴんぱらりのぷう~❢❢
11月26日 Manfrediniの演奏法の伝達 ·
日曜日の朝の1時を過ぎた所です。
土曜日の夜は、夜食の後のドル・プリっ歩に付き合ってしまって、11時頃にはハイツに戻ったのだけど、そのまま、videoの編集をしていたら、椅子の上で爆睡をしてしまいました。
目がさめたら、1時を過ぎていたので、曜日を確認したら、日曜日なのだよ。
12時からのオケの合わせなので、千葉行きが遅れてしまった・・と大慌てで、急いでtoiletteに行って、服を着替えようと思って、ふと、気が付いたら、1時は1時でも、深夜の1時でした。
焦ったよな??
椅子の上でone‐cool・・仮眠をしただけだったのだよ。
いやあ、お粗末さまでした❢❢
じゃあ、安心してちゃんと寝るか??
それから、 two-coolは眠って、7時過ぎには目が覚めたのですが、今日は、お昼の12時から・・と、rotation的には、早いrotationなので、9時には起き出して、出発の為の準備を開始しなければなりません。
という事なので、もう、one‐cool眠るのは無理・・と言う事で、起き出して準備を開始しました。早ければ、早いままに出発すれば良いからです。
前日の土曜日のlessonのvideoの編集も、前日の夜からパソコンはbusyのままで、継続していたので、その作業も並行でやりながらの準備になったので、出発の時間は予定の30分前ぐらいになってしまいました。
まあ、ちょうど良い時間です。
今日の千葉の練習開始の時間が早いのは、Christmas会用の人形劇の音楽を練習する事と、 ManfrediniのWeihnachts-Concertoのarticulationの変更の伝達や、Pianoとの合わせのlessonが2つ入っていて、VivaldiのRecorder Concerto c moll RV.441のⅡⅢ楽章のrecorderの音域のcheckをして、tenor・recorderを使用可能か、のcheckをする為なのです。
打ち合わせや、曲のcheckが入ってしまったので、video-cameraのswichを入れるのを、再三に忘れてしまったようで、練習風景のvideoが、Christmas会の人形劇の曲の練習は全く入っていなかったし、 recorder concertoや Manfrediniのcheck事項は、曲が半分しか録画出来ていなかったので、伝達も半分しか出来ていなくなってしまいました。
11月26日『向上心について』 ·
芸術家であろうと、professional(職人)であろうと、人間の成長は「これで良い❢」と思った時点で止まってしまうのだよ。
自分の心の中に、「これで良い」という潜在意識が産まれてしまうと、それからは、幾ら練習をしても、勉強をしても、成長をする事はない。
限界の無い成長は、成長する事への渇望から産み出される。
渇望の無い所に成長は無い。
限界の無い成長というのは、技術の世界には存在しない。
人間の技術は歳と伴に失われる技術も多々あるのだよ。
但し、技術が失われたとしても、それ以上のものが成長をするのだ。
それが表現力なのだよ。
表現力は経験に寄る物が多いのだ。
渇望すれば、年齢には関係なく、それだけ成長するのだよ。
日本の音楽教育では、proになる事の勉強を楽器の演奏技術の習得だけに限定して勉強をしているのだよ。
だから、演奏技術がその人の限界値を越した時には、伸び悩みが起きてしまう。
つまり、演奏表現があって、演奏技術があれば、伸び悩みは無いのだが、その逆は成り立たないのだよ。
演奏技術があっても、演奏表現がなければ、その技術が活かされる事は無いのだよ。
技術を持っていても、使う術が無いのだ。
音楽表現に必要な技術であれば、それを学ぶ事は容易いのだよ。
日本の音楽教育の世界では、23、4ぐらいの年齢迄で、演奏技術の習得はホボ終了するのだよ。
後はその技術levelの中で小手先業の演奏をするのに過ぎない。
それが所謂、30の壁である。
今は、私達が音大生であった頃よりも、平均寿命も伸びて、年齢に対して若いので、30の壁は、35歳から40歳、近く迄は、伸びているのかも知れないのだが、それでも、確実に壁はやって来るのだよ。
日本の演奏家で30の壁を越せる音楽家は殆どいない。
それが摂理なのだよな??
壁にぶち当たって、自分の限界を感じた時には、女性ならば、結婚や子育て・・と言う理由で逃げる事は出来るかも知れないが、男性の場合には、そう言った逃げ口は無い。
逃げる為の大義名分が無いのだから、大学の先生となって、逃げる他は無い。
演奏家と大学の先生の二足の草鞋を履く音楽家の多い事。
EuropaやAmericaにも、演奏家と教育者の二足の草鞋を履く人達は結構多いのだが、教育に対しての価値感が日本人の場合とは、違って、教育にも価値を見出して、命を掛けているのだから、その場合には「逃げ」・・にはならないのだが、日本人の演奏家の場合には、教育に対しては価値は持っていないので、単なる逃げに過ぎないのだよ。
演奏技術にしても、演奏表現にしても、その伸び方は均等に伸びるのではなくて、等比級数的に伸びるのだよ。
つまり、1合目は5㌔、10㌔ぐらいの距離が、9合目にもなると、8㍍ぐらいの距離になってしまうのだよ。
Everestの登頂でも、最後の8㍍で挫折する事が多いのだよ。
一般の人達に取っては、最後の8㍍であったとしても、登る人達に取っては、麓の5㌔、10㌔よりも遠い8㍍なのだよ。
一般の人間の場合には、人と同じ事をする事が安心の材料となるのだよ。
それは、自身で決断をする力が無いからなのだがね??
つまり、自分で物の価値が判断出来ないから、brand品で価値を判断するのだよ。brand品は、企業がその経済的な価値を作り出しているのだよ。もしも、その企業が潰れたら、その商品の経済的価値は一瞬で無くなってしまうのだがね??
それは宝石であっても、弦楽器の鑑定書であっても同じなのだよ。
価値なんて、あって、無いにも等しいのだよ。
人が有名塾に行くから、有名高校や大学に行くから、そして一流企業に入社するから・・と、まるで、Royal roadがあるかのように行動するのだ。
しかし、群れれば、競争率は、当然、高くなる。
また、それが正しい道である・・という保証は無いのだよ。
増えすぎたネズミは、集団自殺をするのだが、不思議な事に多くのネズミはそれに従う。
それも、自然の摂理なのだよな。前の行列に従えば、多分、死ぬであろう事を朧気ながら、分かっているのに、集団には逆らえないのだよ。それがプーチンであり、2000年間も続いているイスラエルとパレスチナの問題なのだよ。それが所謂、genocideという言葉になるのだよ。宗教戦争という事なのだよ。
11月27日睡眠不足です。 ·
今日は11月27日の月曜日です。
昨晩から、昨日のオケ練習とChristmas会とlessonのVideoの編集作業をしていたのですが、パソコンに取り込む時や、編集作業して終わった時、更にYouTubeにuploadする時の待ち時間には、並行で出来る作業をするのですが、それでも3時間程度の待ち時間では、仕事が余ってしまって、椅子に座ったままで、寝落ちをしてしまう事があります。
今も寝落ちしてしまって、目が覚めた所なのです。
今直ぐに、やらなければならない仕事はないので、取り敢えずは、Bedで眠る事にします。
今は午後の1時になる所なのですが、上手に寝付けなかったので、仮眠としても、上手くは出来ていません。
小一時間も゙眠れてはいないのかな?
今日はRehabili-dayなので、時間に制限は無いハズなのだけど、もう、そろそろ起き出して平常の作業に入ろうかな??
3時になる所です。
やっぱり、またまた、寝落ちしてしまいました。慌ててBedに戻って、眠り直す所です
再び目が覚めて、夕方の4時45分です。
尿意を模様して目が覚めたので、toiletteに起きて行きます。
窓の外は、もうすっかりと薄暗くなっているのですが、子供達が遊んでいる声がうるさいのだよ。もう暫くは続きそうだよな??
東の空にはポッカリと満月と思しき物体が・・浮かんでいます。
6時16分が満月だそうで、Biber・・・失礼、Beaver-Moonだそうです。昨日の気温は、6.3℃だったのに、今日の今の気温は、練馬区では13℃だそうで、温かくなったのですが、やっぱり、夜には6℃迄、下がってしまうそうです。
連日寒いよね??
パソコンは未だ、busy状態なのですよ。・・というか、You Tubeへのuploadが、未だ始まってもいないのですよ。
日曜日からの作業なのだけど、火曜日のお昼過ぎ迄は掛かるのかな??それとも火曜日一日中もbusyなのかな??
いずれにしても、大変な作業だよな??
夕方の五時を過ぎた所です。
uploadしている動画三本の内、瑞希ちゃんのlesson風景の動画だけがやっと、uploadが終わりました。勿論、限定公開なのだけど、見る事が出来るようになりました。
オケ練習の動画や、他のlesson-videoは未だupload中です。
やっぱり、今日中は無理だよな??
11月28日『頻眠のintervalのお話』 ·
11月の28日の火曜日の夕方の5時半過ぎに、lessonが終わって、遅い昼食をしていたら、いつの間にか、椅子の上で、意識混濁になってしまっていました。
我に返ると、7時半になる所でした。
食事の時間を省くと、小一時間は眠っていた事になります。
慌ててBedに入って、ちゃんと眠る事にしました。
9時過ぎに、toilette-timeで目が覚めました。
次いでに、シンクに放り出していた、お弁当類の後片付けと、紅茶をポットに作り置きしておきました。
今日は火曜日のボッチdayなので、椎名町への移動はありません。このまま、また、bedで眠る予定なのです。
シンク周りを片付けているだけなのに、結構、冷えて来たので、Gas-fan-heaterを点けて、寒さを凌いでいるのですが、明日の朝の7時には3℃の予定だそうです。
3℃かよ???
今は未だ12℃(体感温度は10℃)あるらしいのですが、体の芯から冷えてくる寒さのようです。一晩で10℃も下がるのだよな??
その後も、1時間起きに、目が覚めて、toiletと雑用を繰り返しました。one‐coolに満たない睡眠を何回繰り返しても、疲れや朦朧感が取れる事はありません。ホンのチョッとした体調の回復に過ぎないのだけど、病床日記ではないので、省略します。
Facebookに、唯、くどくどと頻眠のintervalの時間を、書いているのは、頻眠の時間のintervalが、小一時間程度なのか、2時間のintervalなのか、3時間超のintervalなのかは、その日の体調を知る上では、非常に重要な事なのだからです❢
睡眠時間という事では、one‐coolの睡眠時間は、一般的には、non-REM(ノンレム)睡眠の関係で、90分くらいと言われています。
REM(れむ)睡眠は、脳が活発に働いていて、記憶の整理や定着が行われます。REM睡眠中は目がぴくぴく活発に動くので、Rapid Eye Movement(急速眼球運動)、略して、REM(レム)睡眠と呼ばれています。
私の場合には、非常に睡眠が浅くREM睡眠が多いので、1回の睡眠時間が45分くらいから、1時間ぐらいが多いのですが、それでは、仮眠・・と言うのにも時間が足りなくて、先程も書いたように、幾ら短時間のREM睡眠を繰り返しても、疲れが取れる事はありません。
だから、私も、1時間半(90分)から、2時間(120分)くらいの間、眠れた事を、one‐coolとしています。
但し、one‐coolを一回だけ眠れた・・という事は、かろうじての最低の睡眠時間が取れた・・という事に過ぎません。それだけでは、絶対的に睡眠時間が足りないのですよ。
だから、当然、小一時間の睡眠が、何回、出来ても、眠れた事にはならないのですよ。
基本的には、一回の睡眠で、two-cool眠れる・・という事が(3時間くらい睡眠が取れた)・・という事が「眠れた」という事になります。
総合的に、何時間眠る事が出来たとしても、睡眠の満足感は、一回の絶対の睡眠時間で決まります。
頻眠を何回続けても、満足な睡眠を得れる事はありませんし、疲労感が取れる事はありません。
頻眠を幾ら足しても、一回の満足な睡眠には、程遠いのですよ。
あくまでも、one‐coolの深く長い睡眠時間が必要があって、それで、その日の体調が決まるのです。
結構、頻眠を細かく書いているのは、そう言った体調を理解し、管理する必要性があって、そう言った意味で、病床日記のようなMemoを取る必要があるからなのです。
ある程度の睡眠が取れた、という事は、その日の体調が良かった、という意味でもあり、同時に、勿論、次の日の体調も、当然良くなるからなのです。
頻眠や頻尿は、体調不良と迄は行かない場合でも、最低、体力が弱っているという意味もあって、当然、体力が衰えると、鬱さえも引きお越します。
頻眠の原因が、鼻詰まり等の原因ならば、対応のしようがありますが、しかし、原因が体力が無い場合や、鬱が原因の場合には、為す術がありません。
ジッと安静にして、堪えて待つ他はないのですよ❢
例え、頻眠を繰り返していても、その頻眠の間に、一回でも、 two-coolの睡眠が取れた場合には、結構、その1日が、動く事が出来るようになります。
でも、殆どの場合には、残念ながら、ほぼ同じ時間の頻眠を繰り返すだけなのですがね?
それは、体調的なものなので、致し方がありません。
それはそうと、今は11月29日の水曜日の朝の7時を過ぎた所なのですが、練馬区の気温は、4℃だそうです。
3℃迄は行かなかったようなのですが、充分に寒いのだよ。
急いで、Gas-fan-heaterを点けて、部屋を温めている所なのだけど、3℃、4℃という気温はGas-fan-heater一台では、チョッと辛いものがあるよな??
今日はお昼の2時頃に、16℃迄は上がる予定なのだけど、寒い1日になりそうなのだけど、まあ、良い天気なのだよ。
昨日の大雨が嘘のように、晴れ渡っているのだけどね~ぇ??
今日は一日中、頻眠を繰り返して、体も動かなくて、睡眠不足の所為で、腰痛さえも起きています。
昨日からは、全く想像もつかない、体調不良の一日なのですよ❢❢
今は夕方の5時半なのですが、toilet‐timeでBedから起き出した所です。未だ、体調不良と腰痛が取れません。
同様に6時半です。つまり、相変わらず1時間単位の頻眠を繰り返しているのですよ。だから、体調不良と腰痛が全然治りません。
今日は、超、駄目な日です。
11月30日『dietのお話』 ·
今は11月の30日の木曜日の朝の5時半である。
toilette-timeに起き出した所なのだよ。
5時半に目が覚めるのは頻尿時のroutineなのだ。
寒い❢❢
練馬区の今の気温は5℃なのだそうだ。
体感温度は4℃らしい。
泣いても笑っても明日は12月なのだよ。
なんと慌ただしい1年であったのだろうか??
今年1年の感想よりも、乾燥の為に喉が痛い。
勿論、鼻詰りの為に口呼吸になった為だが
まあ、それでも体調的には、一昨日や昨日よりは、少しは楽になったのだよな??
体調不良が2日間も続いていると思ったら、なんと、今日は体重が、103.20から、94.00まで落ちていて、40.8であったBMIが37.2迄も下がっている。僅か3日で9.2㌔も体重が減ったのだよ。
私と肥満に付いてのお話なのだけど、私は高校生の時に体重が55㌔になってからは、33歳になるまでは、全く体重は変わらなかったのだが、それから少しづつ肥り始めて、100㌔を越したのは、45歳ぐらいだったのだから、それからの事なのだから、100㌔を切るのは、実に30年振りの記録なのだよな??
勿論、その間、出来る限りのありとあらゆるDietを試みたのだが、その全てに挫折してしまったのだよ。(その中には、病院に2ヶ月間の長期間入院して治療するのも含まれているのだが、最初の1週間で5㌔痩せただけで、後は全く体重の変化はなかったのだよ。)
10年殆ど前には、体重が、135㌔という、あり得ない危険な数字に迄なってしまい、流石に命の危険を感じてしまった。
体重が135㌔ともなると、dietの基本である食事制限と運動の両輪の片方である運動が禁止されてしまうのだよ。つまり、dietが食事制限Onlyになってしまうのだよ。
10年前の当時は、母の認知症と介護施設への往復と、死を迎えて、故郷の家の後始末という、面倒くさい残務整理の、急遽の帰省の車の旅で、疲労困憊になってしまい、四日市のlesson迄は、なんとか気力で熟したのだが、四日市を出発して、中国道の山奥で、旅の途中であるのにも関わらず、寝込んでしまった。
二日、三日三晩、寝込んでから、東京に戻る事も考えたのだが、流石に、それは出来ず、体に無理を言わせながら、必死に帰省を果たしたのだが、勿論、辿り着いた実家でも何の仕事も出来なかったのだよ。
流石にその時には、異常に痩せてしまったので、それをChanceにして、一年間を掛けて、135㌔の体重を、120㌔から115㌔迄の間に戻したのだよ。
それから更に、長い年月を掛けて、現在の102から107くらいの体重にして、その体重をなんとか、keepしているのだよ。
食事制限でも痩せないのに、痩せる方法は、体調不良で、痩せたのを利用して、その体重をkeepする・・という最悪の方法なのだよ。
Dietは、基本的には、食事制限と運動なのだが、33歳の壁を越した肥満には、それは無意味な事なのだよ??
人間の体は危機には対応出来るようにはなっているのだが、人類の歴史には、飽食の時代は無かったのだから、人間の体には、肥満に対応する遺伝子は存在しないのだよ。
だから、生命を維持する食事が得れない場合には、体を省エネにしてしまうのだよ。生きて行くのに、必要最低限の㌍は約750kcalなのだが、そこまで、栄養の量を抑えてしまうと、病人と同じになってしまって、動けなくなってしまうのだよ。
現在の医者や栄養士の人達には、それが分からないのだよな。
食事制限と運動の事しか言わないのだよ。
中年を過ぎた肥満の原因は、内臓の機能が衰える事が原因で、食べたものを、energyに変える事が出来ない事に原因があるのだよ。だから、食事の量を減らすと、体が生命の維持に必要な代謝の量を減らしてしまうのだよ。
それがイタチごっこになってしまって、私もある時には、食事の量を1000㌍迄減らしてしまって、流石に命の危険を感じてしまったのだよ。勿論、それでも体重は減る事はなかったのだよ。
それでも、栄養士の人や医者は、「無意識に何かを食べている」としか言わないのだよ。遂に、頭に来て、一月の食べた物を全て、デジカメに撮って、print outして提出したら、「こう言った食事をしていたら、絶対に痩せますよ。」と言われてしまった。それで痩せないから、そこに居るのにね~ぇ??
全ての動物は、生殖をして子孫を残したら、使命が終わって、寿命が尽きるのだよ。しかし、高度な社会生活を営む動物は、それを若い者達に伝達する為に、子孫を残す使命を終えても、生命を持続させるのだ。
人類は、非常に複雑な社会構造をしているので、生殖年齢と同じぐらいの余命を持っているのだよ。動物としての役割は終わったけれど、社会的な知識を伝達する為に、命を存続しているのに、過ぎないのだ。だから、余命に過ぎないのだよ。
内臓の力は飢饉や天災等で食料が無くなると、直ぐに死んで、無駄な食料を使わなくても良いように、異常気象だけでも、死んでしまうように、設定されているのだよ。だから、老人ホームや養護施設に居れられて、必要とされなくなった、老人は、直ぐに寿命が尽きてしまうのだよ。だから、これからは、老人の寿命は短くなるハズなのだよ。頭の良い自治体は、老人ホームと幼稚園を併設していて、子供と老人が一緒に会話出来るような施設を作っている。それは、自然な姿である。
共働きが一般的になった今、子供を面倒を見る施設に金を払う事は負担に過ぎない。昔は、老人が子供の面倒を見ていたもんだよ。(私は子供の面倒を見るのはまっぴらごめんだけどね??)
私が昔から主張して来た、肥満の原因は、やっと、この1,2年で、一般の研究でも、言われるようになって来て、免疫力を回復する事が肥満の対策に繫がる・・という事も、言われるようになって来たのだが、流石に、一般の話なのだから、病院では、未だ通用はしない。
サプリが私と同じ主張をし出してからの1年程前から、高価ではあるのだが、市販の免疫力を高めるサプリを購入して試しているのだが、以前に販売されていた昔々の免疫力のサプリとは、確かに、効果が違うようで、ホンの少しではあるのだが、体力の回復には役に立っているように、思われるのだよ。
それに、今迄注射をしていた、trulicityという糖尿病の薬が手に入らなくなったので、Ozempicという新しい薬に変えた途端に、体重が減りだしたのだよ。前の注射薬では、何の変化も無かったのに、多分、薬が体に合ったのだろうか??
それにもまして、今回は、たった3日で9㌔も痩せてしまった・・という事なのだが、但し、それは、あくまでも体調不良の所為なだけなので、体調が少しだけ戻って来れば、またまた、100㌔超に戻るだけなのだよ。
所詮は、束の間の夢なのだよ。
芦塚 陽二
またまた、commentを開いたままに、他の設定を見ていたら、元の文章がぶっ飛んでしまった。編集履歴を開いたのだが、編集履歴自体が開かないのだよ。
いつもの事なのだが、まあ、腹が立つよな~ぁ??
返信する
5週間
編集済み
12月1日師走だ❢❢ ·
な、な、な、なんと!
今日は12月の1日の金曜日、所謂、師走である。
5月、6月から下半期は、抗癌治療や手術やconcoursや免許の更新等と、なんと、忙しかったのだろうか??
今年の半年は、あれよあれよ、と言っている間に、「じゃあね~ぇ❢」と、一気に過ぎてしまった。
(勿論、Janet' lawの洒落なのだけど)
30日の木曜日のお話に戻るけれど、木曜日はOzempicの皮下注射の日である。
0.5㍉を注射して、多分0.25㍉ぐらいか、それよりも少しすくないぐらいの量が余った。気泡が残っているので、それよりも、チョッと少なくなってしまうのだが、注射薬は未だ着かない。
来週迄に、着かなかったら、この0.25㍉弱でお茶を濁さなければならないのだよな??
糖尿病に取っては命綱となる皮下注射の薬なのだが、美容整形で無くなってしまう・・というのは、如何なものか??
12月4日『これから先は・・』 ·
師走に入ったら・・と思ったら、あっという間に、もう4日になりました。
11月の30日に94㌔迄痩せた体重は、あっという間に、痩せる前の体重に戻りました。
今日は、月曜日で、日曜日のオケ練習のRehabili-dayなので、一日中ウダウダとして、bedとパソコンの前を行ったり来たりする予定だったのだけど、なんと、一日中、パソコンの椅子に座ったままで、時間だけが、あっという間に過ぎ去って行きました。
今の練馬区の気温は6℃で、体感温度は5℃だそうですが、豊島区の気温は8℃で、2℃も高いようです。
今日の最低気温は2℃だそうです。
寒いよね??
Christmas会の準備なのだけど、lineで一日中同じ話をしているのだけど、もう以前からも同じ話を何度も繰り返しているのに、全く分かってくれないのだよな❢❢
まあ、以前も、諦めて、「勝手にすれば??」と投げた記憶があるのだが・・、今回も、全く同じ話を繰り返して、そろそろ、「好きにすれば??」となってしまっているのだよな??
ハイツには、speakerとmic端子のあるmonitorの出来るspeakerが無いので、bluetoothのEarphone-Micのcheckが出来ないのだ。
そこで、行き詰まってしまった。
『これから先は尾籠な話になってしまいますので、悪しからず』
・・と言う事で、遅い食事timeの後で、深夜の1時迄、説明をして、更に、ハイツに戻ってから丑三つ時の3時迄、lineでの説明をして、それからbedに入ったのだが、これから先は尾籠な話になってしまうのだが、体調管理には必要な情報なので、致し方は無いのだよ。
ハイツに戻った時には、cinderella-timeを過ぎてしまったので、便秘が中・3日になって、4日目になってしまった。
便意はあるのだが、全く便通がない・・という状態で4日目を迎えたので、これは流石に不味い・・と言う事で、無花果浣腸をして強制的に排便をしたのだが、「良く、そんな物が肛門を出る事が出来たナ?」と思える程の超巨大嵌入便が出た。
勿論、水洗トイレの排出能力を越したsizeであるのだが、嵌入便なので、水の中でも、柔らかくならないのだよ。バケツに満タンの水で、toiletteの排水と一緒に流そうとしているのだが、とても、流れ無いのだよ。一晩が過ぎても、水を吸わないのだよ。
これは最悪のpatternだよな~ぁ??
12月5日『 Manfrediniの練習の課題』 ·
師走に入ったら・・と思ったら、あっという間に、もう5日になりました。
今日は、一日中曇り空で、お昼間の気温も10℃には届かない体感温度は8℃のままの、冬空でした。
今日は火曜日で、引き篭もりdayで、事実上のRehabili-dayでした。
・・という事なので、日曜日の深夜から、月曜日はオケ練習とlessonのvideoの編集とYou Tubeへのuploadの作業で1日が終わりました。
火曜日は引き篭もりdayなので、checkを兼ねて、練習で上手く行かなかった箇所の練習の課題出しをしました。
・・という事で・・・
『Ⅰ楽章』
Ⅰ楽章の練習のpointは3つである。
先ず、第一点は、pastoraleのrhythmが重く引っ張る感じになるのは、melodieを歌い込むからであり、基本は余韻で弾く奏法が出来ていないからである。
Baßのpartが遅れる原因も、余韻で弾く奏法が出来るようになれば、tempoの遅れは治る。
しかし、konsonanzに寄る頭に軽いaccentを入れて、後を余韻で弓の力を抜いて弾く奏法は、日本人のDNAには含まれていない奏法なので、それが出来る生徒は、上級生のみであって、今は教室でも、演奏出来る生徒は、非常に少ないのだよ。
pastoraleは8分の12拍子なので、大きな2拍子で演奏しなければなりません。
日本人の場合には、こう言った舞曲風のrythmiqueなrhythmであっても、引っ張って演奏してしまって、大きな2拍子の感覚が表現出来ません。
それが、日本人の場合の重くなる原因なのだけどね~ぇ??
まあ、日本には舞曲が無い・・という所為もあるのだけれどね??
第二点は、15小節目から17小節目に出て来る(33小節目から34小節目にも出て来る)、syncopationのrhythmなのだが、これはsoliの二人にしか出て来ないrhythmなので、soliが出来るようになればよいだけである。
練習法は各自に渡しているし、Facebookにuploadしている。
(譜例:参照)
しかし、これも不思議な事に世界のperiodのorchestraで演奏をしているproの演奏家達の演奏でも、rhythmが崩れて、びっこを引いてしまっているのだよ。
いとも簡単なrhythmなのに、それが出来ないのは不思議な事なのだがね??
amateurならば、いざ知らず、proの演奏家の人達が出来ないのは、いただけない。
勿論、その理由は、Ⅲ楽章のthemaがこのsyncopationのrhythmであるという事で、Ⅲ楽章のthemaのimageを引きずってしまうからなのだがね??
Ⅰ楽章はpastoraleなのだから、Ⅲ楽章の早い3拍子のrhythmが持ち込める事は無いのだが、それを「なんとかせにゃあかん」・・と言う事で、無理やりに、Ⅲ楽章のimageで、swingさせようとして、自滅しているのだよ。
Ⅲ楽章と同じMotivでも、pastoraleのtempoでは、こう言った優しいimageになる・・と、考えれば問題は起きないのだけどね??
第三点は、baroque時代の音楽に共通の方法論であるのにも関わらず、殆どのorchestraでも、留意されていない演奏法なのだが、fとpと、基準となるmfを弓の接弦位置で表現する事である。
世界のperiodのorchestraの殆どが、弓圧だけで、Dynamischを表現しているのだよ。
古いtypeのbaroque-bowでは、弓圧でforteやPianoを表現する事は、gut stringや短いbaroque-bowの関係で、無理があるのだよ。
だから、一番、primitiveな接弦位置でDynamicを表現するのだよ。
勿論、pがspitzeで演奏をして、基準となるmfはmitteで演奏をする。fは当然、froschで演奏すると良いのだ。
つまり、弓の圧力でDynamicを表現する必要は無いのだよ。
この時代には、弓圧を掛け過ぎるのは、時代考証には正しくは無い。
未だ、弓や弦が、強い弓圧には堪えられない時代であるからなのだよ。
Ⅱ楽章
Ⅱ楽章の特徴は、2回も出て来るPhrygiakadenz(フィリギア終止)です。
1回目は5小節3拍目から6小節のⅤ度のdominanteに対してで・・、2回目は、最後の小節の前の小節の4拍目から最後の小節の3拍目に対しての半終止です。
最後のPhrygia終止にepisodeを入れた所で、orchestraの人達が、指揮を見ないようになってしまって、殆ど全員がsoloのkadenzに合わせて入るようになってしまって、練習になりませんでした。
最初の練習の時にsolo抜きで練習すれば良かっただけなのですが、以前のgroupでは、指揮を見れない・・という事は無かったので、私が、「2,3回、練習すれば、出来る」・・と思い込んでしまったのですよ。
3拍目が終わりの拍になる・・という事が、takt上で理解出来なかったのですよネ。(3拍目の指揮を見れないので、3拍目をtheoryとは真逆のdownのtaktにしなければ、ならなかったのです。
半終止の和音なので、1拍目と感じてしまっているのです。
proの指揮を見ても、殆どの指揮者が、拍頭として指揮をしていました。
amateurではなくて、proでも、やっぱ、そうなのだよな~ぁ??驚き・・だよな??)
無駄な練習をしてしまった。
現実は、そうは、甘くは無かったのだよな~ぁ??
やっぱり、コツコツと、初心から、一歩一歩なのだよな~ぁ??
初心に戻るという事は、やっぱり、難しいのだよな。
『Sequenzのmelodieについて』
19小節目から22小節目n3拍目迄は、VivaldiやPergolesiのStabat MaterやCorelliのtriosonate等にも、全く同じpassageが使用されているbaroque時代の定番の陳腐なSequenz進行なのだけど、大家さえも、その定型の演奏をしているのだが、はやり、それはそれで美しい。
『quint-Zyklus(Ⅴ度圏)について』
Ⅱ楽章の13小節目からは、Chromatikのquint-Zyklusで、aのⅤの7から、dのvの7,Gの7,Cの7と続く。
Ⅰ楽章やⅢ楽章もquint-Zyklusは多用されているのだが、Diatonikなquint-Zyklusなので、Chromatikなquint-ZyklusはⅡ楽章だけである。
Ⅰ楽章には、基本的にはquint-Zyklusは使用されていないのだが、それでも、20小節目の3,4拍にquint-Zyklusの断片が出て来る。
非常に速いpassageで、3拍目と4拍目に、fis⇒h⇒e⇒a⇒dと5度圏が繰り返されるのだよ。
(譜例:参照)
暗示(suggest)でも言おうか??
Ⅲ楽章
Ⅲ楽章は、冒頭からsyncopationのrhythmで始まるのだが、これがproのsoliste達の皆さん達ですら、rhythmが狂ってしまっている。tempoがびっこを引いているのだよ。
その理由は、最初の16分音符を、auftaktで感じているから・・なのだよ。
だから、tuttiからのsoliの入りが、1beat早く入ってしまうのだよ。soloⅡが2小節目で入って来れないのも同様の理由である。
Ⅰ楽章の15小節目からのrhythmと全く同じなのだが、Ⅰ楽章でも、このsyncopationのrhythmが出来無いのだよ。「お~い、ど(ぅ)した~」で、良いのだがね??
rhythmの感じ方が間違えている・・という事自体が分かっていないのかもね??一度でも、基本のrhythmを練習してみたら、そう言った間違いはしなかっただろうに~ねぇ??
(譜例参照)
2つ目のpointは、最後の小節の「膨らまし」の奏法である。
殆どのperiodの演奏団体の場合には、Ⅰ楽章、最後のpassageをfの後の繰り返しをpからのdecrescendoで、消えていくように演奏をしているので、お客様がいつ終わったのかが分からなくて、拍手のtimingを逃して、珍妙な感じになているのだけど、2回目のfade-outはそのままにして、最後の伸ばしっ放しの和音の3小節を「膨らまし」で演奏すると、良いのだよ。
たった1っの演奏団体だけが、遠慮がちにホンの少し、「膨らまし奏法」で終わっていたのだが、まあ、それくらいが限界なのかな??
Ⅲ楽章では、結構、煩雑にDiatonikのquint-Zyklusが出て来る。
先ずは16小節目から21小節迄と、25小節目から30小節目迄である。
後はritornelloのrepriseになってしまうのだが、98小節目から103小節目迄と、106小節目から111小節目迄である。
Ⅲ楽章のDiatonik(全音階的)のquint-Zyklusは、quint-Zyklusとしての演奏法がある。
聴いている人達が、「ああ、quint-ZyklusのSequenzなのだよな??」という、安心感を得れるような定番の演奏法なのだよ。
現実的には、Diatonik上のquint-Zyklusでは、和声があるので、本来的には音の力関係があるのだが、Chromatik(半音階的)のquint-Zyklusの場合には、その関係は、無くなってしまうのだよ。5度圏には調が存在しなくなってしまうからなのだよ。
WagnerのTristan-Chordは、baroque時代からちゃんと、存在したのだよ。
『Musikalische Formen』
形式はsoliから始まる単純な変形されたritornelloの形式であり、調の配列もCを基準とした8小節と属調のGの8小節の16小節を単位とした基本通りの形式である。homepageならば、表を作って、示す所なのだが、非常にsimpleに作られているので、そこまでも無いので、割愛する事にした。Concerto Grossoの形式としては、最初のtuttiを省いて、ripieno-soloから始まっているのに過ぎません。
『総括』
TorelliのWeihnachts-Concertoとホボ同じ長さの、8分半程度の小品なのだが、 Manfrediniの場合には、全体のMotiv等が統一されているので、曲の統一性を出して演奏するともっと良いと思われるのだが、未だ、模範となる演奏は、interpretation的には無い。
それに、baroque音楽の難しさは、polyphonicに曲が作られている事にある。
特に、kirchensontaの場合は、恰もTrioSonateのように、1st.と2nd.が交唱で出来ているので、1st.と2nd.が交互に歌わなければならず、また、violaを含む低弦のpartもcontinuoのpartと、themaを歌い込むmelodieの奏き分けをしなければならないので、orchestraの上手下手は、優れたsolisteではなくて、オケ全体の技術的なbalanceに掛かっているのだよ。
だから、一般的には、弦楽orchestraはviolaを含む低弦が上手なorchestraは優秀なorchestraであり、fullorchestraでもhornが上手なorchestraは上手いorchestraである・・とされている。
特にbaroque-orchestraの場合には、純正のharmonyとmelodieが整合しない場合がよくあるので、和音を活かす為に、vibratoを取った演奏の場合には、melodieを活かすと和音が濁ってしまう場合すらあるのだよ。
それに、vibratoをしない場合には、内声のpartがよく目立ってしまうので、古典以降の曲を演奏するよりも、遥かに難しくなってしまうのだよ。
concoursの場合にも、非常に上手な学生達のKandidatが集まる年と、そうでない年が交互にやって来るのだよ。
教室の場合も当然そうなのだが、非常に優秀な生徒がreaderとなっている期と、次のreaderがorchestraを引っ張って行く期の間には、当然、結構、長い端境期がある。
しかし、教室のオケで、それがあまり目立たないのは、readerとなる特別な生徒が抜けても、他のorchestraのmemberの技術levelの粒が揃っていれば、不思議な事に、orchestraは下手には聴こえないのだよ。
逆に、非常に優れたreaderが、居たとしても、orchestra全体の技術levelの差が酷い場合には、orchestraは下手に聴こえてしまうのだよ。これはオケを育てている時の、面白い現象なのだ。
amateur-orchestraの場合の技術levelは、生徒達のorchestraに対するmotivationで決まるのだよ。
演奏の技術はあったとしても、個人のmotivationの低い生徒が一人でも、そのpartに居ると、part全体が下手になってしまうのだよ。
「orchestraは、軍隊よりも統率が出来ている」・・と言われる所以なのだよな。指揮者の棒に一振りで、オケ全体が一糸乱れず動くのだから、軍隊の指揮官としては、羨ましい限りだろう・・て。
Torelliや ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、Europaでは、基本的には教会で演奏される事の方が多い。という事でbasso continuoは、Pipeorganでの伴奏になる場合が多いのだよ。
しかし、Cembaloの伴奏の場合と、Organの伴奏の場合では、basso continuoのRealisationは全く違うのだよ。
Organの場合には、声部で音量が決まるので、基本的に同じ音量のpassageが続く場合には声部を同じにしなければなりません。
という事で、基本的には上2声部の手法で書いています。
Organの場合には、なるべく同じ音をTieで繋ぐようにします。特に、第7音に響き込む場合には、繋留音を使用します。
(譜例:参照)
音階進行を基本として、無駄な跳躍進行を避けます。
そう言った所がOrgan的な書法でしょうかね??
12月5日『genocide』 ·
イスラエルがガザ地区の全域を空爆した・・というnewsをテレビでやっていた。とは言っても、政治的な話しをするつもりは、全くないのだが、流石に、聞いていると、老人も子供達も、無差別に攻撃をするgenocideなのだよな~ぁ??
まあ、モーセからの2千年前からの宗教戦争ではあるのだが、宗教戦争は、相手の信仰心を否定してしまうので、どうしても、genocideになってしまうのだよな~ぁ??魔女裁判のように・・ねぇ??
暴力や力で、相手の考え方を否定して、問題を解決しようとする事は、文明人のやる事では無いのだがね~ぇ??
動物ですら、異種の子供を受け入れる動物は多いのだよ。犬の子供を育てる猫や、狼に育てられた少女すらいるという話だ。
それが人間同士のハズなのだが、宗教の違いという事で、悪意しか持てないのだよ。
攻撃的な感情は、人間の脳の中にある特定の部位に寄るものである事は知られている。
暴力の根源は支配欲である。支配欲は、人間の本能の一つであり、力に寄る支配は、根源的な満足感を産み出す。
より大きな個を持つ事が、より小さな個に対して、隷属させる事が出来るのだよ。
支配者は隷属させる事が正義だと考えるのだよ。
支配欲は、支配する側にとっては、保護と思っているのだよ。
他者から自分の側の人間を庇護しているのだ・・というのが、為政者の考え方なのだよ。
そう言った個の支配の力でのぶつかり合いが、戦争なのだよ。
この支配欲は、動物達にも見受けられる本能になるのだよ。
隷属のposeをすれば、動物でも支配関係が成り立ったものとみなすのだが、その隷属さえも許さないのが、所謂、非人間的な・・、と言うか、動物さえも犯す事の無い、genocideになるのだよ。
原爆や水爆のようなそこに居る全ての生物を抹殺する道具もgenocideに過ぎないのだよ。それを使用する事を認めた全ての人達もgenocideに加担した責務を負うのだよ。
genocideは、種の存続を掛けた弱肉強食の世界ではなくて、全ての種を滅亡させる悪魔の所業に過ぎない。最悪のgenocideは、自分自身をも否定してしまう。
種の多様化は、地球上の生命を存続させる為の業なのだよ。
淘汰は、その種の中でのより強い種を産み出す為の進化に過ぎないのだよ。
だから、淘汰にはgenocideは無いのだよ。
12月7日『Ozempicが2週間遅れでやっと届いた』 ·
今日は、もう、早、12月の7日の木曜日である。
「師走になった❢❢」と、言ったばかりなのですが、あっと言う間に、第一週目が終わってしまったのだよ。
今日は昨日の曇天から一転して、爽やかな快晴である。
現在の時間は11時なのだが、練馬区の気温は13℃である。小春日和と言った所なのだろうか??
『皮下注射の話』
今日のmain-eventは、Ozempicの皮下注射である。
一昨日に届いたらしいのだが、火曜日は奏き分けdayなので、昨晩、なんとか、受け取ったのだよ。
辛うじてギリギリのsafeである。
足りなくなってしまったOzempicには、気泡も入れて※)、0.25㍉と思われる量が残っているのだが、0.5㍉を注射するには、足りないのだよ。非常に品薄で、勿体無くても、捨てるのが常道なのだろうな??
※)気泡を抜く為には、空打ちしなければならないので、0.25㍉の内の0.05㍉ぐらいは捨てる形になってしまうのだよ。だから、0.25㍉ぐらいが残っていたとしても、実際には0.20㍉ぐらいしか注射出来ないのだよ。勿体無い話だよな??
いつもの箇所に皮下注射をしようと思って、下着を捲くり上げたら、いつも注射する脇腹の3寸程下に、8㌢平方の赤黒い皮下出血の痕があった。
普段、注射する位置ではないので、何が原因でついたのか、不思議だ。
『Rheumatismusの話』
この1週間は左手の中指と薬指の関節が熱を持って、結構痛くて、酷い時には、人差し指の関節迄も痛くなって、パソコンのKeyboardを打つのが、困難になってしまいました。
已むを得ず、携帯で入力しようと思ったのだけど、基本的には携帯での入力は得意ではないので、逆に時間が掛かってしまって、やめてしまいました。
パソコンでの入力が出来なくなってしまった、という事は、紙の仕事を全くしていないので、仕事が何一つ出来なくなってしまった、という事なのですよ❢
20年近く前から、Rheumaで、指が強張って来て、手が広がらなくなってしまったので、pianoを弾く事が出来なくなってしまったので、ハイツでPianoを練習する事は全くありませんし、鍵盤に触れる事もありません。
パソコンのKeyboardの場合には、指を広げる事は無いので、Rheumaには、あまり関係が無かったのだけど、関節痛が酷くなってしまったので、Keyboardを打つ事も難しくなってしまいました。
そう言った理由もあって、この一週間程は、程んど、仕事をしていません。
そろそろ、自虐的になって来る頃かな??
Christmas会用に発注購入した荷物が届き始めています。そのcheckや取り付けの作業が一仕事あります。
明後日の練習の後が思い遣られるよなぁ?
12月9日『指揮の見方』
・・・という事で、その明後日の土曜日の朝の9時になった所です。
今日も快晴の空で、今の練馬区の気温は12℃ですが、朝晩は5℃迄は下がるようです。
明日の日曜日のオケ練習は、伴奏の生徒の都合で、お昼の12時迄には千葉の教室に移動する予定なのですが、午前中の早い出発になるので、前日からの入眠のrotationが大変なのです。
それに、lessonが終わってから、シャンデリアの取り付けになるので、体調、体力的にも、大変です。梯子に登っての作業になるので、目眩が心配なのだよ。
『指揮の見方』
テレビのコント番組を見ていた時・・、とはいっても、云十年も前の話なのだが、学生コーラスで、新参の後輩が指揮をしていた時に、先輩諸氏のコーラスから「おい❢指揮者❢❢遅れているぞ❢❢❢」と声が掛かる・・というコントなのだが、実際にも、子供達のorchestraでは、指揮を見れない生徒達が多数を占めると、全体がズレてしまう・・という悲惨な状態が産まれて来るのだよ。
それを回避する為に、遅れたPartに、指揮を合わせるという事も、小さな子供を指揮する時には、よくあります。
小Hallの舞台でも、下手側と上手側で演奏する場合には、耳で合わせるとズレてしまう。
写真①は実際のViolinの二重奏曲の演奏の例なのだが、耳で相手の音を聴いて、合わせようとすると、音ズレが起きてしまうのだよ。
この演奏の場合には、お互いがeinsatzをして、拍がズレないように調整しているのだよ。(つまり、目でtimingを合わせているのだよ。)
一般的なorchestraの場合でも、通常の場合には、お互いがズレないように、なるべく、くっついて耳で聴いても最小限のズレで済むように、centerに寄って、演奏をするのだよ。
orchestraの左右がズレてしまう・・という事は、どんな曲を演奏している場合でも、起こり得る事なのだが、オケ慣れしていない生徒達が多い場合に、よく起きる。また、どんなにVeteranであったとしても、soliste-typeの生徒の場合は、(指揮を見ようとしない、或いは、指揮に合わせようとする意識が希薄なので、)上手な生徒でも、オケのズレを引き起こす事がよくある。
また、PachelbelのCanonの場合なのだが、3声部のCanonと通奏低音といったmelodieが3本という構造上、お互いの旋律が独立をしているので、非常にズレやすい構造をしているのだよ。
だから、このPachelbelのCanonのオケの配置は、一般的には、お互いがズレないように、1st.2nd.3rd.Cello+Kb.という順列に、しかも、密集して、並ぶ場合が多いのだが、それでは、Canonの追い掛をする(交唱をする)という立体的な音楽の構造は失われてしまい、あくまでも、1st.Violinを主とした和声音楽として聴いているのだよ。
しかし、それでは、baroque時代の音楽の演奏形態としては、基本的に音楽の聞かせ方が、間違えている・・としか言えないのだよ。
なぜならば、baroque音楽は、複音楽なのだから、聴衆の耳に、複音楽として、聴きやすいように、orchestraの配列を考えるべきである。
ちなみに、baroque時代の一番一般的な室内楽であったTrioSonateの演奏でも、現代では、1st.solo、2nd.solo、continuoのCello(若しくはgamba)と並んで、その後ろにCembaloが配置される事が一般的である。
しかし、そういった、順列に並ぶorchestraの配置が確立したのは、第二次世界大戦の後である事を、知ろうとする人は極めて少ない。それまでのorchestraの並び方は、今日、所謂、baroque並び・・と称される並び方が一般的であったのだよ。
それを現代の並び方に変えたのは、Stokowskiであり、Stokowski-shiftと呼ばれているのだよ。
それぞれの旋律が追い掛けッコをしているのが、分かり易いように、教室ではお互いが一番遠くに配列される並び方をしている。
つまり、1st.3rd.Cello+Kb.2nd.の配列である。
ちなみに、先程のTrioSonateの並び方でも、教室の場合には、1st.Violinと2nd.Violinの間に、continuoのCelloを挟んで並ばせる。
音楽の立体感を出す為である。
orchestraの場合でも、baroque並びの場合には、舞台では1st.の下手側と、2nd.の上手側では、一番遠い位置に立っている分けなので、お互いのmelodieを聴いて、演奏すると、0.01秒ぐらいの遅れが生じてしまう。
ゆったりとした4分音符ぐらいの動きならば、気にならないかも知れないのだが、速い32分音符ぐらいのpassageともなると、音符の2,3個分はズレてしまうのだよ。
教室のthema曲でもあるCanonでも、指揮を見れないとorchestraとしては合わせる事は出来ないのだよ。(若しくは、1st.のconcertmasterと2nd.のpart-readerが、eye contactで合わせる場合もあるのだよ。)
本来ならば、Canonには、演奏上の振り付けを付けているので、順番に並べて演奏させると、NHKの教育番組のピタゴラスイッチのアルゴリズム体操のように、振りがズレて移動して行くので、非常に面白いのだが、振り付けは拍頭を決める意味もあるのだよ。
振りのrhythmが合えば、指揮を見なくても、beatがズレる事は無いのだ。
生徒達が拍子に乗って演奏している時には、指揮は必要はない。
演奏上で音楽がズレる事は無いからである。
実にやる事もなくて、手持ち無沙汰である。
指揮台の上で、performance的に踊りを踊っている指揮者もよく見受けられる。concertmasterを始めとして、誰も指揮棒を見てはいない。そこまでも、作り込まれているからなので、安心して聴いている事が出来る。
指揮を見れないamateurの場合には、soloのmelodieや、1st.に、無意識に合わせてしまおうとするのだよ。
指揮には、原則となる約束事がある。
それは、拍頭の1拍目は、必ずdownのtaktである。downとは言っても、真ん中に垂直に落とすdown-motionである。
それと、何拍子であるかには関わらず、最後の拍はauftakt(up)になるのだよ。
今回の ManfrediniのPhrygia終止は、曲が3拍目で終わって、breathをしてから、4拍目から始まるのだが、次の小節の拍頭にschleiferが来ているので、1拍目の拍頭が、事実上は無いのだよ❢
だから、無意識に間違えた下の譜例の譜面のように、beatを感じて弾いているのだよ❢
それに加えて、orchestraの人達も終止の和音が3拍目に来る・・というのが、理解出来ないのだよ。
だから、幾ら、3拍目のeinsatzを強く送っても、誰一人として、拍通りには、入って来ないのだよ。(他のproのperiodのorchestraを見ていたら、3拍目をdown-swingしていたよ。やっぱり、proのorchestraと言えども、3拍目でkadenzの終わりの音を演奏するのは怖いらしい。)
・・という事で、明日のオケ練習では、諦めて、theoryを崩して、3拍目をdownのtaktにする事にしたよ。
theory通りでは無いのだけれど、安全策を取って・・、という事なのだけどね~ぇ??
(譜例参照)
こう言った事は、教室のsoloの連中は、言葉で説明するだけで、ミスに気付くのだが、proでもよく同様の間違いをする事があるのだ。
「proならば・・」と思うかも知れないのだが、実は、演奏の技術と、指揮を見る技術は、全く、別の技術になるのだよ。
幾ら、proとして演奏活動を長年していたとしても、orchestraとの合わせが、全くの初歩の人達は、指揮を見て合わせる力量が無いのだよ。
だから、私は、昔々、頼まれて、2台のPianoを使って、指揮者とオケPianoとsolisteとの合わせのlessonをしていた事がある。
勿論、Pianoが勝手に走らないように、指揮を見るpointを指導するのが目的なのだが、同時に音量のcheckもある。
楽譜に書かれたf、Pはorchestraと合わせた時の絶対音量では無いからである。我儘なpianistが、「ここはPと書いてあるから・・」と言って、指揮者の忠告を聞かないで、Pのままに演奏をして、orchestraに埋没してしまった例をよく見受ける。
オケがPで演奏すれば良いと思うかも知れないのだが、100名近い人数が居るorchestraで、一人一人がpianissimoで弾いたとしても、それが100人近くになると、結構な音量になってしまうのだよ。
baroque時代にはripieno-soloという方法もあるのだけどね~ぇ??
HaydnやMozartの時代になると、もうそう言った演奏法は無いのでね??
12月10日『日本人独特の後押し奏法』
日本の音楽を勉強する人だけと言う分けではなくて、日本人のProと呼ばれている人達にも、多く見受けられている日本独特の奏法なのですが、Europaの人達が珍妙な奏法と感じてしまう奏法に「後押し 奏法」をあげる事が出来ます。
この癖の付いている人達は、多分、某国立音大の教授で、昔の大御所の先生の門下生であるという事が言えるのでしょうがね~ぇ??
Berlinphilのconcertmasterで、violinの指導者としても、著名なSchwalbé先生が「日本人に取って、絶対に治癒する事の無いAIDS奏法なのだ❢」と、半分諦め顔で仰っていました。
まあ、AIDS自体は、時と共に、大分、治るようにはなって来たのですが、このAIDS奏法に関しては、未だに、日本国中に蔓延しているのですよ。
非常に困った事なのですが、その蔓延する理由の一つが、家元制度である・・という理由とは他に、日本人の持つ独自のDNAなのでしょうか?、日本人には、普通に聴こえてしまって、外人さん達が、何がおかしいと言うのかが、分からないのですよ。
分からなければ、治る事は無いのは、当たり前なのですよねぇ??
困った事です。
Europaの家は石造りで、風土も、乾燥した大地に人々が暮らしています。
だから、Europaの音の基本は、Jodelにも見受けられるように、echoとkonsonanz(残響・共鳴)で出来ています。
すべてのClassicの音楽がkonsonanzで成り立っているのです。
それに対して、日本の場合は、高温多湿で、木と紙で出来た家なので、殆ど残響はありません。
それに、もっと問題なのは、良し悪しは別として、日本人はnoiseを心象として、心地良く聴く風潮があるのです。
世界の国の中で、古い苔むした池に、蛙が飛び込んだ音がしても、それを幽玄と感じる国民は世界の何処にもいないのですよ。
木の葉ズレの音や、もがりぶえの音は、多くの日本人に独特の心象を与えるのですが、西洋人には、どうでしょうかね??
これは、或る意味では、日本人の音に対する優れた一面かも知れませんが、その反面、日本人のPianoのpedalの多用に寄って引き起こされる音の濁り・・に対しては、proのpianistの人達と言えども、驚く程に、鈍感です。
また、同様の日本人にしか見受けられない音への感性は、抑え付けた音に対しての問題です。
日本人はその押さえつけた音を、心を込めた・・と見做しますが、Europa人の場合には、堪えられない抑圧された音になってしまうのです。
また、Pianoの場合でも、鍵盤の底までも叩き付けた乱暴な割れた音を、しっかりとした音・・と勘違いをしているので、日本人のpianistの音は、歪んで汚いのが、一般的なのですよ。
そう言った、強引に音に力を込めて、押さえ付けた音は、演歌や民謡等に、よく見受けられる唄い方なので、日本人としては、「変だ❢」とは思わないのですが、Europa人に取っては、堪えられない音なのですよ❢
日本人の好むそう言った演奏は、Europa人の感覚からすると、実に珍妙な演奏なのですがね~ぇ?
そう言えば、この間は、歌舞伎と初音ミクが共演していたのだけど、まあ、それは面白かったのだけど、日本風のPianoの演奏styleには、私には付いて行けませんがね~ぇ??
まあ、そういった誤った日本独自の演奏法は、色々な演奏法があって、日本の音楽界にも蔓延しているのですが、その大きな原因は、日本の音楽界が家元制度に寄って成り立っているからであり、1人の先生の思い込みに寄って、その門下生たちに共通したEuropaではあり得ない演奏法の誤りが、日本の音楽界の主流になってしまったのですよ。
まあ、先程の後押し奏法も、演歌や民謡の小節(こぶし)の唄い方とでも言うのでしょうかね??
period instruments(ペリオード楽器)には、それに近い奏法があるにはあるのですが、それは、全く、似て非なるものなのですよ。
一見すると、後押し奏法にも見えるperiodの奏法なのですが、その理由は明確にあります。
それは、魂柱を持たない古い楽器、所謂、古楽器ではguitar(ギター)のように、共鳴箱の中で、音を増幅させて行きます。
その為に、音が共鳴して音量が上がるまでには、時間差が出ます。
viola d’amore(ビオダラモーレ)のような楽器から、gamba(ガンバ)のような大きな楽器になるによって、音量の時間差が大きくなってしまいます。
Renaissanceのviola da gamba(ビオラ・ダ・ガンバ)の曲を聴くと、そういった共鳴して拠る時間差の音を聴く事がよくあります。
baroque時代からは、弦楽器には、魂柱と呼ばれるものが出来て、弦の振動を、駒から響板に直接伝えるようになって、この共鳴に依る音量の遅れはなくなってしまいましたが、自然な共鳴に拠る「膨らまし」として、演奏法としては、残りました。
それは、baroque時代に至っても、未だ、gamba等とのensembleをする機会があって、gambaの演奏法 を真似る必要があったからなのです。流石に、古典派の時代になると、その影響は無くなって来ましたがね??
それに、baroque時代の弦楽器では、こんにちのような、強い音楽表現はなかったので、弓圧で強い音量を出す必要は無かったのですよ。
Hallと言っても、現代の小Hallぐらいの大きさのHallなので、音量としては、魂柱があるかないかの違いは、未だ、然程の違いはありませんでしたからね?
12月11日『日曜日から月曜日の朝に掛けて』
今は12月の11日の月曜日の朝の6時半を過ぎた所です。
勿論、toilet‐timeなので、また寝る予定なのですがね?
先ずは昨日の日曜日の1日からのお話ですが、この所は、暫し、昼夜逆転の生活を続けていたのですが、日曜日はconcoursを受ける生徒の伴奏をする先輩の都合で、伴奏合わせのlessonが3時迄になったので、お昼の休憩中に2階のSalonで、rehearsalをして、そのまま、一階のGroundの部屋で、2回オケの練習とは並行で、lessonをする事にしたので、私も、12時のお昼休み迄には、千葉に移動しなければならなくなってしまいました。
・・という事なので、one‐cool、眠れたか、否かの曖昧な睡眠不足の状態のままに、時間切れで、大急ぎで、千葉に出発しました。
伴奏合わせのlessonの後には、(並行の2回オケの後には、)人形劇の練習が入っていたのですが、私は、今回は人形劇の演奏の指揮には参加しないので※)、事務室で、携帯でFacebookに、 Manfrediniの演奏法と、その理由の説明のお話を書いていました。
※)指揮をしない事にしたのは、オケの人数が少なくて、室内楽にもならない人数もいないのと、それに、場所が狭くて、指揮をするSpaceもなかったからです。
・・という事で、人形劇の練習の時間中には、私は事務室で一人で、Facebookを書いていました。
私は携帯の文字入力は苦手なのですが、まあ、時間潰しを兼ねているので、それなりに入力に熱中していたら、生徒が「 Manfrediniの時間ですよ❢」と、呼びに来ました。
『 Manfrediniの練習について』
今回の Manfrediniの練習は、演奏上の留意点の説明をしたのですが、お休みの人達が多いので、通常のように、練習をするのではなくて、check-pointの練習だけをして、通り一遍の通し練習だけでお茶を濁しました。
https://www.youtube.com/watch?v=uBHlrpgHA-A
今日が最後の練習で、来週の日曜日が本番なので、今日の練習が事実上のrehearsal を兼ねているのですが、今日、最終的に説明をする留意事項を、本番で初めて来る生徒達に「どのように伝達するか??」が、問題なのですよ。
いきなり、指揮をして演奏を始めても、その約束事が分かっていないと、演奏が出来る事はありません。
特に、Ⅰ楽章のpastoraleの独特の演奏法は、1点支持で、弓圧を加えない演奏法なので、弓に任せて演奏しなければ、表現出来ないbaroque特有の演奏なのですが、いきなり、本番で、何の説明も無しに、演奏する事では、そのbaroque時代、独特の演奏表現が出来ません。
いつ、その説明を、本番だけの助っ人(トラ)にするか、が、時間的に難しいので、本番を前にして、今から悩んでしまっています。特に今回の楽譜では、pastoraleのcradle(揺り籠)の揺れるような大きな2拍子のtempo感を出す為の、拍(強と弱)を表す為には、現代の演奏法では大きな2拍子になる音符に軽いvibrato-accentを付けて演奏するのですが、baroque-Violinの場合には、accent-vibratoを、素早いtrillerで表現します。拍頭の1拍目と3拍目にtrillが付いていますが、それは、cradle(揺り籠)で揺れるようなimageを表現する為のaccent-vibratoの意味になるのですよ。
後のⅡ・Ⅲ楽章の練習も、pointの説明と通り一遍の練習で、終わりの時間を、20分程、撒いてしまいました。
特に、Ⅱ楽章のPhrygia終止の指揮を見る練習は、とても大切です。当日の練習風景のvideoです。Ⅱ楽章のみ・・ですが。
https://www.youtube.com/watch?v=QYm9lHOei4Y
Ⅰ楽章とⅢ楽章のthemaが、soliの人達にだけ、出て来るのですが、8分の6拍子の4分音符と8分音符のrhythmがsyncopationになったに過ぎないのですが、どうしても、それがauftaktに感じられてしまうようなので、私の書いた8分の6拍子のsyncopationの練習譜で、rhythmの感じを、体感するように、しなければなりません。
VivaldiのRecorder Concertoは3回オケの曲なので、未だ時間があるし、今日は、オケのmemberの殆どの人達がお休みだったので、soloの生徒のrecorderのcheck-pointの確認だけにして、合宿の時に丁寧に練習する事・・として、今日の練習は、終わりにしてしまいました。
『chandelleの取り付け作業』
今回の練習を、早目に切り上げたのは、今日のmain-eventである、chandelle(シャンデリア)の取り付けの作業をする為なのです。
この教室を借りてから、mainの吊り下げる明かりが、応急処置での昭和レトロの香りのする貧弱な蛍光灯だったので、これまでも、気にはなっていたのですが、「chandelleを取り付ける」とは言っても、本格的な本物のchandelleは高価で、とてもそんな予算は捻出出来ないし、また、chandelle自体も、非常に重いので、業者の取り付けの工事が必要になります。
という事で、これまでも、何度か、提案をしていて、却下になっていた、素人でも取り付ける事の可能な荷重、5㌔以内の簡易なchandelleを、今回は、私のゴリ押しで、購入する事にしました。
素人が取り付ける事の可能なchandelleは、室内の天井に簡単に取り付ける事が出来るように、耐荷重を軽くする為に、プラスチック製のcrystal glassで出来ている事が多いのですが、netで調べて行くと、唯一、アクリルでは無い、本物のcrystal glassで、耐荷重ギリギリの4.8㌔のchandelleを見つけたので、発注しました。(一般で素人が取り付ける事の出来る耐荷重は5㌔迄なのですよ。)
salonの斜め天井で、loftのある天井なので、天井迄が高いので、梯子に乗っての作業になります。
事前に発注していた斜め天井への取り付けadapterが、適合機種では無かったので、天井に取り付ける作業が、超、大変な作業になってしまいました。
私も、少しは梯子の作業も手伝ったのですが、流石に、耐荷重の事もあるし、歳を取ってしまうと、何かとふらつくので、先生達にお任せの形になってしまいました。
それにもまして、crystal glassを、chandelleに取り付けるチマチマ作業の面倒くさい事、牧野先生が悲鳴を上げていました。
『東京への移動』
思いの外、時間を取られてしまったので、ドル・プリっ歩をこれ以上待たせるのはとても無理なので、そのまま、千葉の教室でお散歩を済ませてからの、遅い椎名町への帰りになってしまいました。それから、なんやかんやと、椎名町で片付けていたら、ハイツへの到着は、深夜の1時半を過ぎていました。
今日一日、one‐coolだけの睡眠で、ここ迄、居眠り運転もしないで、よく頑張った・・と、思います。
でも、concoursのlesson-videoや、 Manfrediniの練習風景のvideoのSDcardを、video-cameraから抜いて来るのを忘れたそうなので、concoursとChristmas会迄の時間が殆ど無いので、途中で「引き返そうか??」とも思ったのですが、これ以上遅くなるのは、得策ではない・・と言う事で、月曜日の今日の深夜に牧野先生が持って帰って来てくれる事を期待する事にします。
『猫チグラ』
ちなみに、全く私の個人的な趣味で、昔、「買いたいな?」と、思っていた猫チグラの廉価Versionがあったので、衝動買いをしてしまいました。
新潟地方の民芸品で、本物は、コシヒカリ等の収穫した後の藁を紐に編んで作った物なのですが、今は高価なので、超安い鉄で形を整えたImitationの猫チグラを見つけて、購入しました。(猫チグラとか猫つぐらとか言うようです。多分、つづらの訛った言葉なのでしょうかね??)
ドルは、自分では、猫だと思っているので、「喜んで入ってくれる」と、思ったのですが、何かしら、恐がって入ろうとはしません。いつも超、ビビリで、怖がりなので、新しい物には、極端に警戒するのですよ。
プリは、興味を示さない・・と思っていたのですが、いつの間にか、プリが入っていました。
不思議だ??興味は無いハズなのに、何故だろう?
『あいも変わらない入眠のドタバタ』
ハイツにやっとこさっとこ、到着して、直ぐに、Bedに入って眠ったのですが、one‐cool眠れたか、否かのtimingで、toilette-timeに起き出して、また、Bedに戻って、眠ろうと思ったのですが、toiletに行っただけなのに、膝から下が冷えて、凍えてしまって、寒くて眠れなくなってしまいました。
今の練馬区の気温は10℃もあるので、凍えるハズはないのですが、腰から下が冷えてしまっているのは、血の巡りが悪くなっているのかなぁ??
困った❢
アンカを出すのも、面倒くさいし、体全体が冷えて来ているので、ここは、Gas-fan-heaterで、体全体を温める他はあるまい❢❢
・・という事で、椅子に座って体を温めながら、お風呂を沸かして、お風呂に浸かって、体を温めました。
「これで、なんとか眠れるよな?」と思ったのですが、そうは、上手くは行かなかったようです。
今度は、イライラして、精神的に眠れなくなってしまいました。
今日は、Christmas会用のGlinkaの伴奏合わせの初で、最後のlessonが、夕方の5時から入っているので、その前の、4時には部屋の準備をしなければなりません。
自分の時間は、bedから起き出してからは、4時迄しか無いのですよ。
そう思うと、時間の制約で、結構忙しいのだよな?
伴奏合わせとは言っても、concoursの為の伴奏合わせではないのです。concoursの伴奏合わせは、昨日の日曜日のお昼にした伴奏合わせが、最後の合わせの練習になります。後は一週間後の本番になってしまいます。
今日の合わせのlectureは、concours用のScharwenkaのSonateではなくて、Christmas会用のGlinkaのSonateの伴奏合わせなのですが、Christmas会迄の日にちが無いので、一回切りしか伴奏合わせが、出来ない、貴重な時間なのです。
瑞希ちゃんは、高校のtestの真っ最中なのだそうですが、testが終わってから・・とか、concoursが終わってから・・とかでは、その時間が全く無いので、例え、test中であっても、致し方はありません。
testの勉強よりも、練習を優先するようになった事は、意識が育って来た・・と言う事なので、とても素晴らしい事なのです。
proになる・・という事は、その意識を、1年、365日、持ち続ける事が出来るようになる・・と言う事なのですがね~ぇ??
concoursとは、そういった意識と意識のぶつかり合いなのですよ。どんなに、優れた指導者に師事したとしても、本人の意識の優劣で、concoursの合否が決まるのは当然の事なのですよ。
そこに美味しい話は無いのだよ。
後はプラス、『音』かな??
美しい音が出せると良いな~ぁ??
幾ら、カッコが良くても、音が汚いと戴けません。
まあ、外国人の場合なのだけど、proと呼ばれる人達の音は、音色は色々とあるけれども、一重に音が美しいのだよ。
だから、逆に言うと、音が美しい事が、proの条件かも知れないのだよね??
12月12日『江古田ハイツのceiling light』
今日は12月の12日、火曜日のお昼の12時・・と言いたい所だけど、朝の7時半を過ぎた所です。(何故、「お昼の12時、と言いたい所・・なのか??」・・と言うと、疲れが溜まっているから、チョッと長時間、爆睡したいのですよ。)
昨日は、丸1日、曇り空だったのですが、夕方のlessonが終わった頃からは、結構、寒くなって来ました。
それはそうと、この所、lessonの度に、パソコンの部屋が暗いのが気になって、lessonを受けている生徒達にも確認をすると、確かに暗いのだそうです。
・・という事なのでceiling light(シーリングライト)をledに交換しようと思って、機種を色々と調べていたのだけど、昨日は思い切って、脚立を出して、今のceiling lightの取り付け部分の確認を、しました。
結果は、超、Shockで、蛍光灯は、天井に直に取り付けてあって、工事の必要な古いTypeの蛍光灯でした。
取り付け部分だけを外注に頼んで、気にいったceiling lightをnetで購入するか、それとも、業者に一括で頼むかの二択になってしまいました。
そろそろ年の瀬になって来たので、工事に来て貰う日にちを決めるのも、難しいのですよ。
近場に電気屋があるにはあるのだけど、直ぐ傍の和菓子屋と同様に、故あって、絶縁しているので、頼みたくは無いのだよな??
それに、近場に頼むと、工事費等が高いので、netで工事依頼を出した方が、格安なのだよ。
この所、お弁当類が、冷蔵庫に食べないままに、溜まりに溜まっていたので、冷蔵庫の整理しながら、月曜日の遅い夕食に出掛けました。
冷蔵庫のお弁当類は、未だ、食べれる状態なのだけど、これ以上冷蔵庫で保存しても、腐らせるだけなので、一度、椎名町に持って帰る事にしました。
どうせ新しいお弁当を持って帰って来るので、古いお弁当を食べる事はないからです。
lessonが終わった頃の夕方からは、突然、超、寒くなって来ました。
月曜日は、いつも、先生達の帰りが遅いので、超、遅い食事timeなのですが、その時間に合わせて、downの上下を着込んで、椎名町に出発しました。
千葉に忘れて来た日曜日の練習のvideoから、人形劇の部分を椎名町のパソコンに保存しながらのtimingで、食器を洗っている人と、パソコンでdubbingをする人と、私も、それぞれに分かれて、作業をしていたら、早、12時を過ぎてしまいました。
急いで、ハイツに戻ろうと思って、椎名町の玄関を出たら、外は、結構、冷たい雨が降っていました。
downの上下を着ているので、そのままbikeで江古田に戻りましたが、結構、濡れてしまったので、風呂に入って体を温めようと思ったのですが、沸かすのには結構、時間が掛かるので、諦めて、直で、bedに入って寝ました。(とは言っても、お弁当類を冷蔵庫に入れる作業と、SDcardのdataをパソコンに取り込む作業の開始迄は、並行でやらなければなりません。
・・で、朝の7時です。
toilette-timeに起き出した所なのですが、多分、口呼吸をしていたのでしょうか、喉が痛いのだよ。
これは大変だ❢❢
・・と言う事で、喉のsprayをして、常備薬の風邪薬を飲みました。
常備薬を飲むコツは、風邪をひく前に飲む事なのですよ。
風邪をひいてしまったら、医者に薬を処方して貰う方が良いのです。風邪をひかないようにするのが、常備薬なのだからね??
今、風邪をひいてしまっては、困るのでね??
今も練馬区では、体感8℃の冷たい雨が降っているようです。
鬱陶しい鬱々とした曇天です。
Gas-fan-heaterで、部屋が温まらないのだよな~ぁ??
設定温度を上げるか??
yoghurtはオリゴ糖と牛乳を加えて、3,4回目なのだけど、今回がそろそろ限界なので、これを飲み切ったら、入れ物は捨てます。
色が悪くなって来たので、美味しいけれど・・限界なのですよ。
兎にも角にも、今、風邪を引いたら大変なので、パソコンの作業が一段落した10時半からは、大急ぎでBedに戻って、爆睡しました。
10時半ぐらいに寝て、ちょうどone‐coolの12時を過ぎた所でtoilette-timeで、目が覚めました。
喉の痛みも、熱っぽさも、無事に消えていました。
・・という事で、Rehabili-dayらしく、今日一日は、おとなしくパソコンの作業をします。
concoursの後、中、2日でChristmas会なのだよね??
結構、忙しいのだよ。
色々と画策をしているのだけど、ふと気が付くと、もう、夜の8時を過ぎてしまいました。
あ~あ、朝食を食べるのを忘れていました。
お久し振りに強烈な空腹感が私に訴えかけています。
「超、腹減った!」「めしだ❢❢めしをくれ❢❢」
ん??それ、プリじゃん??
12月13日ガスが止まった
今は12月の13日の水曜日の深夜の1時半を過ぎた所です。
昨晩の夜の10時過ぎ迄は、パソコンに向かっての仕事をしていた・・と思っていたのだけど、気が付いたら椅子に座ったままで、爆睡していて、腰に来ていたので、慌てて、bedに行って寝たのだけど、toilette-timeで、目が覚めて、遣りかけたままの仕事を片付けようと、Gas-fan-heaterを点けたら、errorの表示がされて、点かないのですよ。2度、3度試しても、同様だったので、ふと思い付いて、gas・焜炉を点けようとしたら、やはり、火が出ません。gasが止まっているのだよな??
と、超、寒い中を、外に出て寒風の中を、gasの再復帰をしました。
とは言っても、ハイツは、玄関の扉だけではなくて、gasの器具さえもrenewalされているので、新しいgasの器具では、初めての再復帰の作業だったのだよ。
まあ、使い方は、前の古い機種とは、あまり変わってはいなくて、なんとか分かったけれどね~ぇ??
再復帰迄、switchを押したまま、文字盤の数字が0になるのを、待つのは、超、寒かったのだよな~ぁ??
何せ、こちとら、深夜で、寝間着姿・・なのだからね??
なんとか、gasが復帰して、本来の作業に戻れたのだけど、無駄な作業だったよ。
gasが止まった理由は、超、寒かったので、heat shockを防ぐ為に、Gas-fan-heaterを最低の温度設定にして、点けっ放しで寝た所為なのだ。
部屋の温度が下がって、heat‐Shockを起こさないように、配慮したつもりが、逆に、超、寒い思いをしてしまった。
深夜の1時半ぐらいからは、2時間程起きていたのだけど、椅子の上に座ったままで、また、爆睡していたので、bedでちゃんと寝る・・という事を、2度、3度、してしまった。頻眠、頻尿なのだが、8時過ぎぐらいまで、繰り返したので、結構、眠れたのではないのかな??
しかし、それにしては、睡眠時間が合わないので、one‐coolの1時半が、正味、小一時間になっているのかな??
浅い、短い睡眠を繰り返しても、疲れは取れないのだけどね~ぇ??それが分かっていても、頻眠、頻尿を防ぐ方法はないので、致し方はないのですよね~ぇ?
朝の9時を過ぎた所である。
超、腹が減った!
幾ら寝ても、疲れは取れないし、動かなくても腹は減る。
お昼の1時からと、6時からも、lessonなのだから、そろそろ、rotationを考えて動かないとね??
睡眠不足では、体力が持たなくなってしまうのでね??
12月14日突然欝になった
今は、12月の14日の木曜日のcinderella-timeの12時を過ぎた45分です。
シーリングライトのledを取り付けるので為の天井のフックを取り付ける工事の見積もりを、netで業者に問い合わせていたのですが、珍しく鬱が酷くなって来たので、雑用をやめて、テレビをぼんやりと見ていたのですが、いつの間にか、椅子に座ったままで、爆睡していました。
昨晩の13日の金曜日には、lessonを終えて、8時頃に、椎名町に食事に行く為に、シンクでお弁当のタッパー等を洗っている辺りから、どういう分けか理由は不明なのですが、突然、欝になって来ました。
椎名町で、ご飯を食べ終わった頃には、鬱が段々と酷くなって来たので、ドル・プリっ歩をPasして、大急ぎで江古田に戻りました。
鬱対策の為に、ぼんやりと、見るではなくくだらないテレビを見ていたら、いつの間にか、椅子に座ったままで、爆睡していました。
ふと、我に返って、慌てて、Bedで寝ました。
まあ、今日も、そんな一日です。
というか、朝から夕方の7時頃迄は、 真面目に働いたのだよな?
だから、結構、normaは果たしたのだよ❢(・・と、自己弁護をしておく)
それはそうと、J-comからlineで、「銀行からのcreditの引き落としがCancelされたので、引き落とし先の変更届けの書類を送るので、書き込んで投函するように」・・とのlineが来ていました。
これは流石に、詐欺のlineだろう・・と言う事で、lineを削除したら、次の日には、、分厚い書類の束の入った封筒が、自宅の郵便受けに、届いていました。
封筒を開けて見ると、どうも、本物のような気もするのですが、「引き落としが出来なくなったので・・」という事なので、creditを解約した覚えも無いし、creditの使用起源も問題は無いので、理解不能になってしまいました。
・・という事なので、次の日には、問題のJ-comのmy pageから、chatを申し込んで、どう言う事なのかを直接、質問をしました。
まあ、結果は、来年からの手続きで、更新の書類を送れば良いとの事で、椎名町で深夜遅くに書類を書き上げて、bikeでの帰り道で投函しました。
(なんで、椎名町で書いたのか・・という事は、私のpocket moneyの入出金用のお財布口座が、教室開設以来、教室の口座とごっちゃになっていて、「教室の入出金は教室の口座でするように」と、30年間言い続けているのですが、未だに、ごっちゃになったままで、通帳や判子が椎名町にあるからなのですよ。本来ならば、私のお財布口座なので、通帳や判子はハイツにあるべきなのですがね~ぇ??)
12月15日『音楽の情緒表現の技術について』
12月の15日の金曜日の深夜の2時前です。
(深夜の2時・・というのは、毎回、困ってしまいます。明け方と言うと、朝になるので、4時、5時からなので、2時とは言わないので、テレビ局風に言うと26時と言えば良いだけなのですが、それも一般的ではないのでね~ぇ??)
昨日の木曜日の朝からは欝は治った・・と思っていたのだけれど、遅い食事(夜の10時)の後になって、また、欝が段々と起きて来た。(木曜日の夜食が遅いのは、先生達の帰りが遅いセイなので、毎週の事なのですがねぇ?)
それからも、結構、雑用を済ませたので、帰りが、深夜の12時になったので、慌てて、散歩をPasして、江古田に帰って来たのだが、それからは、どっぷりと鬱状態になったままで、椅子に座った状態で、何をする分けでもなく、椅子に座ったままで、無意味にぼんやりとしていました。
本当ならば、お酒でも飲んで、気分を晴らしたい所だったのですが、一杯のお酒を飲む気力さえもなくて、かったるくて何一つ出来なかったのですよ。
椅子から立ち上がりさえすれば、なんとかなったのかも知れませんが、それさえも、ままならなかったのですよね~ぇ?
そんな欝状態です、・・というか、それが欝状態なのですよ。
『音楽の情緒表現の技術について』
音楽の情緒表現は、基本的には指導出来ない事とされています。
情緒表現と言えば、唯一、演奏に強弱のdynamism(ダイナミズム)を付ける事ぐらいなのでしょうかねぇ?
それ以上の感情表現は、洋の東西を問わずして、音楽の演奏表現としては、理論的には、指導する事は出来ない事であり、その表現は、演奏家の個々の性格や人間性に寄って引き起こされる感情表現に過ぎず、演奏表現が出来るという事は、産まれ付いての才能(Genie)である・・とされているようです。
しかし、それは、これまでの音楽界の演奏家の人達のinterpretationが、楽曲をAnalyseするだけで、演奏に結び付ける事がなされてなかったからに過ぎません。
Europaの音楽は、その生い立ちから自然な表現法を伴って来たのです。
音楽は、或る意味では、言葉のない意思の伝達法である・・と言えます。
音楽の作曲法の歴史の中で、例えば、melodyを作る場合の一番primitiveな例として上げると、一つのphraseは、質問と答えという2つのMotivから成り立っています。
質問は問いかけなので、少し早目に演奏されれば、回答は少し遅めに演奏されます。
恰も、rubatoの原則のように・・です。
(勿論、その逆のstyleもあります。問いかけが速くて、答えは説得するように、ゆっくりと確実に・・というpatternです。)
その問いかけの手法は時代と共に、より、複雑になっていきます。
orthodoxな例としては、問い1、問い1’に対して、答え2となる例です。(1+1、2)つまり、a+a、2Bというpatternで、Bogenformという、Europaの音楽の歴史では、ありふれた形式なのですが、日本で出版されている音楽の理論書では、書かれている事はありません。(音楽の理論書では、Europaの音楽理論の手法として非常に一般的な手法だとしても、書かれていない作曲技法は結構あります。)
そういったThemaの対話の手法は、更に、ロマン派の時代になって来ると、複雑差を増して、問い1に答え、問い2に答え、問い3に答え・・のように、一つのthemaにMotivが積み重なって、作曲される事が多くなります。(または、一つ一つの答えを省略して、問い1、問い2、問い3に対して、少し長めの答え、という持って行き方もあります。)
しかしながら、その演奏法は、Rubatoの原則に準じるのです。
それだけ、音楽が複雑になって来て、その表現力を増して来るのですが、Rubatoの原則は、変わりません。
そしてそれは、近現代の音楽になっても、その法則は変わらないのですよ。
音楽を自然な感情で表現しようとすると、そう言った法則に従わなければなりません。
極稀に、それこそ、10年に一人ぐらいの割合で、そう言った法則を自然に産まれ付いたままに、持っているGenieがいます。
そう言った人が本当の演奏家に成れるか否かは、実は定かではありません。
技術を追求して、情緒の無い音楽を演奏する多くの人達と同様に、そう言った天賦の才を持ったGenieも、人生の情緒を学ぶ事がなければ、音楽表現は、虚ろな表面的なものになってしまうのです。
多くの音楽家は技術を学びひけらかす事で、自己満足の世界に落ち込んでいます。自分自身が、天才であるかのように錯覚をしているのです。しかし、それは、表面的なentertainmentの世界に居るのに過ぎません。そこから導き出される世界は、空虚な移ろい逝く虚しい世界に過ぎないのです。
音楽を勉強する・・という事は、作曲家の書いた曲の僅かな糸口を道標にして、作曲家の本当の意図を正しく探す事なのです。
その手助けになるのが、歴史認識なのです。
例えば、Beethovenの時代は、未だ、single actionのforte-pianoの楽器でした。Beethovenが現代の機能を持った、double actionのPianoの試奏を頼まれた時には、「こう言ったPianoを弾かなければならないとしたら、私は二度とPianoの曲は書かない!」と言わしめた・・という話が残っています。だから、Chopinのsingle actionのPleyelPianoは当然の事なのですが、Beethovenもforte-pianoの作曲家なのですよ。勿論、Beethovenの弦楽器も同様に、所謂、period instrumentsの時代なのですよ。
だから、当然、interpretationも古典派のinterpretationになるのです。
だから、そういった誤解が、日本の音楽教育に於いては、音楽を学ぶ場合には、技術のみを学ぶ事しか出来ず、且つ、過度の音楽表現は、個人的な表現であり、そういった演奏表現を伴う演奏は、忌むべきものである・・と、されてきました。
・・であるから、多くの日本人の演奏家の演奏を見ると、情緒表現の無い、無味乾燥な技術だけをひけらかす演奏が一般的であり、音楽の情緒的な表現は、その演奏家の天賦の才とされているようです。
しかし、本当は、音楽表現も、正しく学ぶ事が出来る音楽理論の一つに過ぎません。
私が音大時代に、受験生のpianoを指導していたのですが、Beethovenのpiano‐Sonataを指導していた時に、受験生の生徒が、「先生(私)の解釈と、全く同じように演奏をしているRecordを見つけた❢」と、喜び勇んで、lessonにやって来ました。二人で楽譜を見ながらcheckをしていったのですが、私の解釈と全く同じで、驚いてしまいました。
その演奏家は、往年の大家であるSchnabel(シュナーベル)です。
しかし、Schnabelの当時の評価は、eccentricな珍妙な演奏表現をする情緒的、且つ、感情的な演奏表現をする演奏家として評価されていました。・・というか、今でも、そういった評価が主流なのですよ。
しかし、interpretationが、私と全く同じである、という事は、とどのつまり、解釈が情緒的感情的な解釈ではなくて、頗る、論理的である・・と、いう事ができます。
そうでないと、同じinterpretationにはならないからなのです。
しかし、そのBeethovenが意図した演奏表現を、情緒的な解釈ではなくて、論理的に、且つ、当時の時代の演奏様式(forte-pianoの奏法)を加味した上でのinterpretationを、出来る演奏家や指導者は、日本では皆無と言う事が出来るでしょう。
まあ、こう言った事は、私が音楽の教育に携わった時から、半世紀に渡って、お話している事なので、「何を今更・」という感があるのですが、残念ながら、半世紀も前から・・ではなくて、日本に西洋の音楽が入って来て150年間、何一つ、変わっていないのですよ。
しかし、演奏家や指導者が、音楽の技術面だけを指導して、音楽の総合的なinterpretationを指導出来ないのは、最初は日本の指導者達だけだと思っていたのだが、よくよく観察して見ると、Europaの演奏の指導者達にも、よく見受ける事が出来るのだ・・と改めて、思い知らされる事が多いのですよ。
それで、潰れて行った生徒達も結構いるのでね??
12月16日『ceiling lightの話、Glinkaのお話、Helicobacter pyloriのよもやま話』
今は12月の16日の土曜日の深夜の4時になろうとする所です。
昨日の15日の金曜日は、夕方の4時から5時までには、椎名町で、Saint-SaënsのDanse macabre(死の舞踏)の伴奏合わせがあって、そのcheckに私も椎名町に行ったのですが、それからの事で、伴奏合わせが終わった後で、一度、江古田に戻って、3時間後の8時過ぎに、再び、椎名町に食事とドル・プリっ歩に来るのも、大変で、それに時間の無駄だし、斉藤先生も、Christmas会のprogramの印刷とかで、超、忙しいので、そのままに、椎名町駅のSummitで、お弁当を買って、各自勝手な時間に、夜食を済ませる事にしました。
そういう事に決めたので、Summit迄は、bikeで、お弁当を買いに一緒に行って、そのまま、Summitからハイツに戻ったので、6時頃にはハイツに帰って来る事が出来ました。
お弁当は、取り敢えず冷蔵庫に収めて、夜食の時間迄は、私も仕事を熟す事にしました。
『ceiling lightのお話』
ハイツに戻ってからは、パソコンを開いて、ceiling lightの取り付け業者を最終的に決める作業をしたのですが、・・・netで業者紹介のsiteを見つけて、基本料金が一番安い業者を見つけた所迄は良かったのですが、それから、色々な作業が一つ加わる毎に、つまり、一手間が増える毎に、作業料金が追加されるようなのです。
そこまでは、当然とは思いますが、ハイツでの作業の内容は、だいたい分かっているので、写真を添付して、追加の料金を問い合わせたのだけど、追加料金が発生した段階での業者の比較は、紹介のsiteでは出来ないようなので、結構、意味の無い、ヘボい紹介siteでした。
基本料金の比較Siteであり、それから、色んな作業を追加した時には、幾らになるのか?の比較が、結構、重要な比較になるので、それが出来ないSiteでは、結構、無意味なSiteになってしまうのだよなぁ??
外注する作業内容は、天井に取り付けフックを取り付けるだけの作業なのだけど、その前に、今、天井にくっついている蛍光灯を取り外す作業も3000円ぐらいの別料金で取るし、取り付けフックを取り付ける料金も加算されるようですが、購入済みのceiling lightをフックに取り付けるだけでも、2000円が請求されるのだよ。
それはチョッと、ないよな~ぁ?
結構、言い値、放題だよな??
勿論、ceiling lightの取り付けと、古い蛍光灯の処分は自分でやる事にしたのだけど、ね~ぇ??
それって、有料の作業じゃあ無いと思うのだけどねぇ?
自分でも出来る簡単な作業なのだけどねぇ?
そこまでも、業者にやらせると、結構良い値段になってしまうのだよな??
私達、昭和世代に取っては、そういった作業は、自分でやる事の出来る簡単な作業なのだけどね~ぇ??
それを、有料とはねぇ?
Pro意識、というか、Proとしての矜持がね〜ぇ?
勿論、フックを天井に取り付ける作業は、法定では、自分ではやっては行けない事になっているので、業者に委託する事は、致し方はないのだがね??
手続きを済ませて、日にちを決めて、それを片付けながら、その並行で、他の雑用を片付けたり、その間にお弁当を食べたりしました。
そして、「今日は少し早めに眠ろうか」・・と思い、bedに入って入眠を試みたのですが、鼻詰りが酷くなって、2時間程、頑張って見たのですが、とうとう、諦めてbedから起き出して、パソコンの作業を始めてしまいました。再び眠気が戻って来るまでの時間潰しの作業です。
『Glinkaのお話』
日曜日がChristmas会なので、今日は、Christmas会の前日になるのですが、GlinkaのSonateは、直前迄はコンクールの練習に追われていたので、一度しか合わせていないので、伴奏の先生の好意で、仕事先の王子から瑞希のlesson時間迄に急遽、駆け付けて頂く事になりました。
という事なので、今日の5時からChristmas会で演奏するGlinkaの合わせの練習をする事になりました。
GlinkaのSonateの楽譜を初めて見た時には、Ⅰ楽章の楽譜はちゃんとした印刷用の音符で書かれているのですが、Ⅱ楽章の楽譜は、印刷用の音符と、細い手書きのままの音符が混在していて、どういう事なのか、疑問だったのだけど、Breitkopf版の楽譜の何処にも、そのようになった理由が書いて無かったのですよ。
それに、全楽章・・というのに、Ⅰ、Ⅱ楽章しかありません。
YouTubeで、模範的な演奏を探している時に、一つの演奏のTitleだけにunfinishedというTitleを見つけました。
不思議に思って、netで更に詳しく調べてみたら、それに付いての細かい解説が書いてあるSiteを見つけました。
それに拠ると、完全に完成していたのは、Ⅰ楽章だけで、Ⅱ楽章は途中迄書かれていて、Ⅲ楽章とⅣ楽章の構想はあったようなのだけど、断片だけしか残っていない・・という事なのだそうで、その為に、unvollendetSonate(unfinished、未完成Sonate)と呼ばれる事もあるそうです。
曲が完成すると、結構、壮大な曲になる予定だったのだけど、残念ですよね??
Ⅱ楽章の未完成部分は、誰かの手に寄って補筆されて、一応、演奏可能な状態迄、持って来たようなのですが、その完成度に関しては、色々と物議を醸す事もあるそうです。
という事で、YouTubeでは、Ⅰ楽章しか、演奏しない奏者もいるようなのです。
Glinkaさんは、あまりお目にかかる事のない作曲家なのですが、時代的には、ChopinやMendelssohnやSchumann等よりも、6歳近く上の世代の作曲家で、TchaikovskyやRimsky-KorsakovやCesarius-Benjaminus Cuiよりも、一世代前の作曲家になります。
それなのに、ロシア5人組に入れられる事が多いのですが、それは、いち早く、民族主義的な音楽を目指したからに過ぎません。
Tchaikovskyはロシア5人組に入れられる事を毛嫌いしていたと言われていますし、ロシア5人組と言う区別は、音楽史的には、難しい分類のようです。
一部の人達が5人組を主張していたに過ぎないようなので、音楽史的に分類するのは、無理があるようなのですが・・、私はそこには、言う事は、持っていないのし、そもそもロシア5人組に、あまり興味が無いのでねぇ??
Christmas会が終わって、Glinkaの演奏も終わったのですが、You Tubeで公開予定だったのですが、伴奏者の希望で、Christmas会でのGlinkaのSonateの演奏は、限定公開になりました。
という事なので、このPageからも、link出来るようにしておきます。
23年12月の17日、千葉市花見川区南花園教室2Fでの、Christmas会での演奏風景です。
https://www.youtube.com/watch?v=aPYi24IWUC0
『Helicobacter pyloriのお話』
一晩の間もBedの中で悶々として、今は、もう朝の5時になる所なのですが、やっと朝になって、眠れない原因が分かりました。
胃が消化不良を起こしていて、胃酸が上がって来たようです。
とは言っても、夜遅く、何か食べた覚えは無いので、多分、神経性の胃酸のようなのです。
昔々、大学時代に胃潰瘍で入退院を繰り返した頃には、普段の生活の中でも、胃酸が出て、医者に胃酸を出さないように言われて、困ってしまった事があります。
医者からは、「胃酸が出るのは、精神的な緊張感の問題なので、気を楽にして、生活するように❢❢」とのadviceなのですが、私としては、毎日を、緊張して過ごしている気は全く無いのだけどね~ぇ??
それに、当時は、胃潰瘍は、作曲家の職業病と思っていたのでね??私の周りを作曲を生業にする人達は、皆、胃潰瘍持ちだったのですよ。
1990年代の後半に、(私の50代頃に、)Helicobacter pylori(ピロリ菌)が見つかって、私もちょうど他の病気で長期入院中だったので、折角の入院中の次いでに、Helicobacter pyloriの駆除をしたら、それからは、作曲家の職業病である胃潰瘍にはならなくなってしまったのですがね~ぇ??
それがぶり返して来たという事は、多分、心を痛める重圧な案件があるのだよな~ぁ??
知らんけど??
ちなみに、Helicobacter pyloriのHelicoはヘリコプターのヘリコなので、ピロリ菌の鞭毛がヘリコプターのように回転をして動くからそういう名前なのだよ。
それまでは、一般的には人間の胃酸の中で生きている菌は居ない・・とされていたのが、胃壁の中からピロリ菌が見つかったのが、2000年を迎える直前の年だったのだよ。それから胃潰瘍の治療が出来るようになったのだ。
確か、それでノーベル賞を取ったのかな??記憶は定かでは無いのだが・・
・・と言う事で、また、ピロリ菌が再発したのかな??
思い当たるフシは全くないのだが・・・
12月17日『Christmas会後記』
今日の12月17日の日曜日は、Christmas会の日です。
1部、2部は、サンタさん役以外には、私の出番はないので、「たかだかPresent渡しの為の、5分、10分の為に、4時間も待てないよな?」という事で、私自身の体調の事も加味して、Pianistの先生と一緒に、3時過ぎ頃の千葉inを目指して椎名町を出発する予定だったのですが、Pianistの先生が、急遽。直接、千葉に行く事になったので、12時のサンタのPresent渡しの出番に間に合うように、椎名町を出発する事にしました。
(サンタさんがpresentを渡している所の写真です。)
昨晩は、one‐coolしか、寝ていないのだけど、今日だけは、気力で、頑張る事にしました。
(とは言っても、明日の月曜日は順天堂大学の糖尿病内科の診察があるので、またまた、次の日の朝も、早くからの外出になります。)
車の移動の道中は、天気はすこぶる快晴で、高速の途中の千住新橋の辺りから、運転席の横の車窓には、山の全てが冠雪した富士山が、大きく見えて、驚いてしまいました。
富士山が、こんなに美しく見えたのは、お久し振りの事なのですよ❢
これが上りではなくて、下りだったら、Frontガラスの前に、富士山の冠雪したPanoramaが広がって、もっと素晴らしい光景だったのにね??
小春日和の良き日なのだよ。
予定の時間通りの11時チョッと過ぎには、千葉の教室には到着したのですが、車庫のシャッターが開いていなかったので、普段ならば、先生達を呼んで、シャッターを開けて貰う所なのですが、もう既に、Christmas会が始まっているようなので、仕方なく、自分で、車を降りて、shutter(シャッター)を開ける・・と言う面倒くさい作業をしなければなりませんでした。
「そんな事は普通だろう」と思われるかも知れませんが、教室の車は営業車なので、椅子の高さが非常に高いので、車の乗り降りが、大変なのですよ❢
車に乗るには、車によじ登らなければならないのですからね~ぇ?
もう少し痩せていたら、足場に足を掛けて、二段階で椅子に乗る事が出来たのでしょうが、私の場合には、足を入れ替える事が出来ないので、一回で、車に登らなければならないのですよ。
だから、殆どBouldering状態で、車に乗るのですよ❢
(・・という事で、駐車場では、車の乗り降りには、足台を使っています。)
それにしても、Christmas会の1部と2部は、私は、present渡しのサンタ役、以外には、何もやる事が無いので、流石に4時間ともなると、暇だよな~ぁ?しかし、事務室は生徒の荷物と楽器で溢れかえっていて、とても、カウチを置くspaceも無いし、子供達が出入りをするので、眠る事も出来ないのだよ。事務室で、仮眠も出来ずに4時間は、流石に無いよな~ぁ??
『 ManfrediniのWeihnachts-Concertoのこもごも』
第3部の開始が ManfrediniのWeihnachts-Concertoなのですが、本番で、初顔合わせの助っ人の人達に、「Facebookやgroup-lineに書いていた注意事項や変更点をちゃんと読んでくれたのか??」と、質問をしたら、読んだ人は皆無でした。
まあ、「多分、そうだろうなぁ?」とは、思っていたので、想定内の話なのだよ??
そういう事で、「演奏の変更の伝達が全く出来ていない」と、いう事なので、それでは、演奏が出来ないので、ちょうど、舞台では、演奏する場所が狭くて、その場所を作っるのに手間取ったり、tuningに時間が掛かったり、・・と、演奏開始の時間が遅れていたので、それを幸いに便乗して、お客様に、 Concerto Grossoの説明や、baroque-bowの演奏法、period奏法の簡単な説明をして、曲の紹介と演奏の変更の説明を同時にして、時間を稼ぎました。
(baroque-bowを持って、急遽、baroqueのperiod奏法の説明をしている写真です。)
助っ人さん達は、当日、会場で、「1回ぐらいは合わせの練習がある」と思っていたようなのですが、勿論、一回でも合わせが出来れば、良いのですが、お客様の入れ替えも合わせると、時間が、ギチギチで、足りないぐらいなので、致し方はありません。
・・で、演奏前に、事前に説明をした結果は、「上手く演奏出来たか??」・・って??
勿論、練習で出来なかった所は、やっぱり、出来ませんでした。
・・・と言うか、これまでには、一度もなかった、指揮に対しての、入りの間違いもあったりして、これまでのChristmas会、だけではなくて、発表会も含めても、オケの演奏としては、これまでの最低の水準の演奏でした。
特にⅠ楽章の15小節目から20小節目迄の小節は、何でも無いsyncopationのrhythmは、soli組も・・だけど、今迄は、何の問題の無かった、continuo組が見事にrhythmを見失っていて、そのまま、次のtuttiの入りも1st.から遅れて入って来るハズのオケが、誰も入って来れませんでした。
その箇所(15小節目から20小節目に掛けて)も、何度も練習をして、確認が出来ていたハズの所なのだけど、やはり、本番では、物の見事に落ちてしまいました。
色々なミスもあったけれども、今回、特に今迄のオケと大きく違ったミスは、「指揮を全く見れなくなってしまった」・・と言う事に尽きます。
という事で、Motivの付点4分音符のrhythmのMotivで、付点8分音符と16分音符と8分音符のMotivのrhythmなのだけど、最後の8分音符でrhythmが遅れて行く癖が、練習の時には、Woodblockを鳴らしながら、練習をしたので、指揮を見て、そのrhythmに付いて行く事が出来なかったのだよ。
特に日本人の場合には、舞曲のrhythm感が無いので、8分音符でrhythmが止まってしまって、遅れて行くのだよ。skipというimageが分かっていないのだよ。
曲の終わりでも、指揮の棒が、未だ動いているのに、オケは勝手に終わってしまっています。
とどのつまり、それは、「誰も指揮を見ていない」と言う事の裏返しなのですよ。
solo組も、themaで、syncopationの指揮を無視して、auftaktで先に、飛び出してしまう・・という、ていたらくです。
あれだけ、練習の度に、何度も遣り直したのにも関わらず・・、或いは、その練習用の為の楽譜迄、作ってあげたのに、やっぱり、落っこちてしまったのだよナァ??
何でも無いsyncopationのrhythmなのだけど、syncopationを、auftaktに聴いてしまうのだよね~ぇ??
だから、proオケが落ちるのだよな~ぁ??
簡単なrhythmなのだけど、ね~ぇ??
4分音符と8分音符の流れるようなrhythmが、syncopationになった途端に、流れが狂ってしまう・・という錯覚に陥っているのだよ。
まあ、proとしては、理解不能だよな??
Ⅲ楽章の入りも、「syncopationをauftaktに聴いてしまう」と言う事で、指揮がauf・taktのaufの状態の時に、入ってしまい、指揮のtaktの方をズラさなければなりませんでした。振り直して、拍頭を調整したのだよ。
指揮を見る事が、超、下手になった、その理由なのだけど、敢えて、理由を上げるとすれば、・・・
コロナの3年間のオケ練習は、Teleworkだったので、映像と音声の時間差の為に、指揮に合わせて練習をする事が出来ませんでした。その訓練が今の生徒達には、落ちてしまったのだよな??
コロナの3年間のBlankは、子供達にとって、大きかったのだよな~ぁ?
それに、オケだけではなくて、solo組の模範演奏組の演奏も、これまでになく不出来だったので、教室の行事の雰囲気を伝える為に、毎回、You Tubeにuploadしている模範演奏組の演奏風景のuploadを、「今回の出来では・・?」と、流石に躊躇してしまいました。
しかし、それはそうと、演奏後も、結構、皆は楽しそうで、Christmas会自体の雰囲気は、とっても、良かったのですよ。
・・・という事で、私的には、Christmas会の雰囲気を喜ぶべきか、それとも、演奏の不出来を嘆くべきか、結構、複雑な気分で、悩んでしまいました?
まあ、今回の出来は、そんなもんなので、何時か、Chanceがあれば、mainの曲だけでも、撮り直しをしたい所なのですが、多分、それは、もう時間的には、無理だろうなぁ?
そうでなくても、撮り直しの曲が溜まってしまって来たからね~ぇ??
『Christmas会を終えてからの帰路について・・』
Christmas会が終わったら、勿論、lessonと、冬の合宿があるので、教室の後片付けは、最優先にしなければならないのですが、暫しの、お客様との歓談が終わって、時間が経過してしまったので、先生達は疲労困憊で、Christmas会の後始末は、全く、手を付けないで、そのままに放置して、取り敢えずは、椎名町に、ドルプリのご機嫌伺いに、大急ぎで戻る事にしました。
道すがら、高速道路の掲示板に、箱崎が事故渋滞とのmessageが出ていたので、急遽、王子回りで、帰りました。(「それがどうした?」・・という事だけど、まあ、疲れているのに、遠回りをした、という意味です。)
椎名町に戻ってからは、夜食は、流石に作る元気はなくて、今日のChristmas会で子供達に出したカレーの余りを食べて、お開きにする事にしました。
『ハイツに戻って来て・・』
それから、大急ぎでハイツにbikeで戻ったのですが、夜は、超、寒くなって来たので、部屋に入って、gas-fan-heaterを点けたのですが、部屋がなかなか温まらなくて、困ってしまい、heaterに、かぶり付きで温まっていたら、いつの間にか、椅子に座ったままで、爆睡していました。
元々、睡眠不足だった上に、疲労困憊していたのでね~ぇ?
大慌てで、Bedで寝ようと思ったのですが、部屋が温まらなくて、寒くて、椅子を離れる事が出来ませんでした。
しかし、明日は朝から病院の診察の為の外出があるので、これ以上のウダウダは出来ません。
頑張って、思い切って、椅子から離れて、眠る準備を始めました。
bedに入ったら、二日間の疲労困憊なので、直ぐに眠れる、と思ったのですが、不思議な事に、足先が凍るように、冷えて来て、眠れなくなってしまいました。
睡眠不足なのに、目が冴えてしまっているのですよ。
何かに、緊張しているようなのですが、何に緊張しているのかが分からないのですよ❢
多分、今日の演奏の出来が、不満足だったので、YouTubeにuploadするのは、全て、やめたので、SDcardをハイツに持って帰るのも、やめてしまったので、いつものroutineではないから・・なのかな?
いつもならば、パソコンに今日の演奏の動画を取り込む作業をしながら、Bedで休んでいる所なのだからねぇ?
という事をウダウダと書いている間にも、病院に行く時間が近づいて来ます。
せめて、one‐coolの仮眠でも出来ると良いのですがねぇ?
・・てな事を、Bedの中で、ウダウダと書いていたら、足先が、冷たく冷え切って来ました。
これは眠れない時の最悪のpatternです。
頑張って、アンカを出さなければなりません。
布団から頑張って出て、アンカを探すか?
アンカは、比較的に簡単に、見つかったのですが、アンカが温まる間を、heaterにかぶりついていたら、色々と準備する時間になってしまいました。アンカを温めた事自体が無駄になってしまいました。
Bedで眠るのは、諦めて、取り敢えずは、病院に行く準備をして、「眠るのは、病院から帰った後にするか?」・・という事で、諦めて、病院行きの準備をする事にしました。
まあ、ここからは、月曜日のrotationなのだよな??
次のPageに移ります。
12月18日『病院行脚』
今は12月の18日の月曜日の朝の10時になろうとする所です。
今日も昨日に引き続き、とても晴れ渡った良い天気です。
今から順天堂の糖尿病内科の診察を受けに、ハイツを出発する所です。
昨日のChristmas会は、one‐coolの睡眠時間だけで、1日、頑張ってしまいましたが、その緊張が収まらないのか、病院に行くpressureなのか、昨晩はもっと状態が悪くて、一睡も出来ないままに病院に行く事になってしまいました。
まあ、・・とは言っても、病院から帰ったら、それから爆睡したら良いので、眠る時間がズレるだけなのですがね~ぇ??
今日の月曜日は基本的にはRehabili-dayなのでね??
予定の1本前の電車に乗って、恙無く、検体検査を済ませて、今は診察の順番を待っている所です。
この待ち時間が、超、長いのだよね~ぇ?
昔は、この病院の待ち時間が堪えられなかったのだけど、今は携帯という強い見方がいるので、待合の時間でも、仕事を続ける事が出来るので、だいぶ楽です。
診察の時間になって、診察自体はまあ、いつもの話を繰り返すだけなのだが、今回の問題は、注射薬のOzempicが、美容整形に処方される為に、世界中で買い占められて、何処の薬局でも、手に入らなくなっているので、安全の為に、別の薬を処方する事になって、その選択が、帯び襷で、色々と難しいらしいのだが、まあ、取り敢えず、Ozempicの問題が解決する迄の応急処置・・、という事で、錠剤に変わったのだ。
薬局でも、小一時間程、待ってから、薬を貰って帰路についた。
道中、途中で、左足首が痛くなって歩くのが難しくなって来たのだが、江古田駅近くになってからは、左足の膝・・迄もが、痛んで全く歩けなくなってしまう一歩手前であった。
多分、杖を突いても歩けない状態だろうか??(松葉杖の状態だよな??)
つまり、なんとか、かろうじて、ハイツに辿り着いた・・、という感じだったのだよ。
ハイツでは、病院から戻ったら、即、bedで眠る予定だったのだが、非常に疲れ過ぎているハズなのだから、即、Bedに入って眠らなければならないのだが、またまた、眠れないのだよ。
不眠症も三日目になってしまったのだよ。
その3日間、one‐coolの仮眠しか、していないのだよ。
これは、1週間、寝込んでしまう最悪のpatternだよな??
でも、合宿開けでも、予定が結構、詰まっているので、bedで寝込む暇は無いのだがね~ぇ?
31日から、新年の4日ぐらいならば寝込んでも良いのだけどな〜ぁ?
いや、違った❢❢
教室の休日を利用して、音取りをする予定が入っていたよなぁ?
私の休日は、先生達や生徒がBusyの時が、休日なのだったよな?
アハッ❢❢
『相変わらずの Manfrediniのお話』
今回のChristmas会のManfrediniのWeinacht-concertは、練習の成果が全く出ず、オケの入りが致命的にズレたりもして、余り・・と言うか、非常に・・出来が良くなかったので、YouTubeへのuploadは、今回はしないつもり・・だったのですが、折角、Christmas会なので、その雰囲気のimageを伝える物が全くないという事も、教室の営業活動としては、少々、問題なので、私のpride的には、自分を諦めて、営業優先で、You Tubeにuploadする事にしました。
Facebookには、これまでも、延々と・・、練習のcomceptや、何でも無い所の、演奏の難しさ等を、折に触れて書いて来たので、肝心要のGoalであるChristmas会の演奏がないと、Goalのないwanderung(徒歩旅行)のような、尻切れトンボになってしまいますからね?
それはそうと、明日のお昼には、ceiling lightの取り付けhookの工事に業者が来ます。
それまでには、工事が出来るように、場所を作って、開けておかなければなりません。
ceiling lightの位置は、ちょうど、私の作業をするパソコンの真上で、その横には、食事をするTableがある所なので、その場所を整理する事は、私の一日の生存を脅かす要の場所になるのですよ。
いやぁ~、困った❢
ハイツは、古事記小屋同然の状態なので※)、本当は誰も入れたくないのだけど、東京はlesson室が無くなってしまったので、致し方が無いのだよ。
※)パソコンの誤変換なのだけど、なんとなく、気に行ってしまったので・・
江古田教室が無くなってからは、grandpianoを置く場所が無くなったので、東京教室としては、結構、致命的だったのだよな〜ぁ?
今でも、grandpianoの置ける部屋を、探しては・・いるのだけどね~ぇ??
べらぼうにふっかけられるのだよ。
One-Roomでも良いので、grandPianoとCembaloが置けて、ensembleが出来る部屋が、私の住まいの近場に欲しいのだよ。
もしも、人が住むSpaceがあるのならば、そこに引っ越しても良いけれどね~ぇ??
12月19日『ceiling lightの取り付けhookの取り付け作業の話』『 ManfrediniのWeihnachts-Concerto Concerto Grosso Op.3 Nr.12』『おかしくなった曜日の感覚』
『ceiling lightの取り付けhookの取り付け作業の話』
12月19日の火曜日の2時半を過ぎた頃なのですが、今日はceiling lightの取り付けhookの取り付け工事の日なのですが、時間になっても、時間を過ぎても、工事の人が来ないのだよ?
12時から2時半迄、仕事を中断して、工事の人が来るのを待っているのに、来ないのだ❢
すっぽかされたのかな??
流石に、これは初めての事なのだよな?
工事の業者に、「電話でもするか?」という事で、siteで電話番号を知らべて見たのだが、電話番号が出て来ないのだよ。
chatで済ませるだけらしい。
次いでに予約の時間を確認してみたら、私の申込みの時間は12時から2時半だったのだが、業者からの返事は、なんと、12時から15時と書いてあった。
それには、全く、気が付がなかった。
「それでは、後、20分程の3時迄は、待つとするか??」と、思い直して、3時迄は待つ事にした。
なんと15時の5分前に、業者は、やって来て、作業を8分で終わらせて、そそくさと帰って行った。
予定よりも、3分遅れ・・と、いう事だよな?
帰る時には、元々の古い蛍光灯の本体を、蛍光灯の玉を除いては持って帰ってくれた。
無料回収の日迄、椎名町に持って行かなくてもよくなったので、助かった。
それはそうと、「よく、こんな古い蛍光灯を・・」と感心されてしまった。
そう言えば、ハイツを購入してから、一度も蛍光灯の本体の交換はしていないからな?? それだけでも、30年以上は経っている事になるのだよな~ぁ??
近頃、耳鳴りが酷くなって来たのだけど、その半分は、蛍光灯のnoiseの音だったのだよ??
ceiling lightの換え時のtimingは・・もう何年も前でなければならなかったのだよ??
歳を取ると、環境を新しくする事が億劫になってしまうのだよなぁ??
業者が帰ってから、直ぐに、脚立を出して来て、10分近く掛かって、3段階の設置でceiling lightを取り付けた。
時間が掛かり過ぎているように思われるかも知れないのだが、取り付けadapterを最初に取り付けて、それから、本体の取り付けをして、最後にcoverを取り付ける・・と言う風に、一つ一つの作業が煩雑なのだよ。
簡単な作業ではあるのだが、落下防止の為に、一つづつの作業に、確認する為の行程が必要で、その確認作業のひと手間暇が別にあるのだよ。
それを確認する為に、一々、脚立から降りて、手順書を確認しながらの作業なのだ。
しかし、作業自体は簡単な作業なのだよ。
一番、難しかったのは、脚立の上で立つ事かな??
歳を取ると、安定感が無くなってしまうのでね??
脚立から、落っこちると、命ものだからね~ぇ??
ceiling lightの大きさが、3分の1程、小さくなって、明るさは倍ぐらいになった。
しかし、調光が色々と出来過ぎて、明るさだけではなくて、色やその他の選択肢が、色々とあり過ぎて、使い方を慣れる迄は、一苦労はありそうだ。
今は取り敢えず、目が慣れるように電球色で仕事をしているのだが、そろそろ、外が暗くなって来たので、部屋の照明を、明るくしないとな??
明るさに慣れる為に、久し振りの電球色にしていたのだが、昭和時代の欝になりそうな雰囲気で、とてもnostalgicで、良いのだよ。
それに、いきなり、明るくし過ぎると、目が疲れてしまうからね??
チョッと、暗いぐらいの方が、目が疲れないで良いのだよ。
『 ManfrediniのWeihnachts-Concerto Concerto Grosso Op.3 Nr.12』
12時から15時迄の間には、業者が中々来ないので、待っている間に、 ManfrediniのWeihnachts-Concertoの動画の編集作業を終わらせて、次いでに、You Tubeへのuploadの作業も完了しました。
ここにもlinkを貼っておく事にします。
ウダウダの解説のお話を聴きたく無い人は、青い数字をclickすると、演奏開始の所迄、映像が飛びます。
芦塚音楽教室千葉市花見川区南花園芦塚音楽教室2FSalonでの、2023年12月の17日のChristmas会での演奏です。
『おかしくなった曜日の感覚』
今日は、火曜日なのですが、どうしても、水曜日のような気がして、無意識に、食事に行く準備を始めてしまいます。
何度も、「今日は火曜日」・・と、確認をしているのですがねぇ?? Alzheimerの初期症状かいな??
それとも、この所、延々と、外出していたので、今日も外に出たいのかね??
外は、今は、もう7℃で、寒いのだけどね~ぇ??
・・でも、ふと、これは、rotationではないのかな??と、思い付いて、Facebookで、過去の火曜日を見てみると、いつも同じように、火曜日なのに、椎名町に行きそうになっているのだよ。
・・という事は、毎週の曜日のrotationが上手く機能していないのだよな??
色々と細かく調べて見ると、月曜日が、何らかの予定でbusyになる日が多くて、火曜日が事実上のRehabili-dayになっている事が多いのだよ。
その一番の原因は、糖尿病内科の診察日が月曜日だからなのだ。
勿論、それ以外の理由で、月曜日がbusyになる日が多いのだ。
今回も、日曜日はChristmas会で、次の日がRehabili-dayのハズなのに、朝、早くから、順天堂の大学病院に行って、検査や処方で歩き回っているのだよ。
本当ならば、前の二日間に渡って、殆ど、眠れていないのだから、月曜日はRehabili-dayで、一日中、爆睡していなければならない日なのだ。
2日間の、semi徹夜続きで、バテバテなのに、病院から帰って来ても、眠れないのだよ。
体はbusyを継続しているのだよ。
・・という事で、時間を自由に使える火曜日が、胎内時計的には、月曜日になってしまうのだよな??
それが、火曜日に「食事に椎名町に移動しなければ・・」と、勘違いをしてしまう元になっているのだよ。
12月20日『洗濯物のお話』『ceiling lightのリモコン』『眼科の検査』
『洗濯物のお話』
今日は12月の20日の水曜日の朝の9時を過ぎた所なのだけど、当然、toilette-timeで目が覚めたのだが、あまりにも寒くて、起きるか否かを、布団の中で暫し悩んでいた所なのだよ。
アンカがbedから落ちて、足でなんとか、布団の中に戻そうと試みたのだが、全く上手く行かないので、諦めて、起き出して、アンカを布団に戻した次いでに、なんとか、toiletteに行ったのだ。
洗濯機の洗濯槽が、もう満杯で、汚れた服が入らないので、昨晩、洗濯機を回して、洗い終えた洗濯物をカゴに入れる所迄は、やっていた事を思い出した。
後は、カゴの中の洗濯物を、物干しに干すだけで良いのだが、その作業は、私には鬼門となる作業で、立ったままでの作業は、腰痛を引き起こしてしまうので、原則としては、洗濯物を干す作業だけは、先生達にお願いしているのだよ。
・・・という事なのだけど、発表会が終わってから、Christmas会迄を前にして、ホボ、一月以上も、洗濯物が洗濯機の中に放置されてきたので、これ以上は、洗濯機に洗濯物が入らなくなって来たので、已む無く、腰痛の再発する危険性を承知の上で、洗濯物を物干し竿に干す作業をする事にした。
次の洗濯物を洗濯機に放り込む為に・・である。
腰痛が起こらないように、細心の注意を払いながら・・の作業なのだよ。
なんとか無事に洗濯物を干す事が出来て、次の洗濯物を洗濯機に入れて、回す事が出来た。
未だ、9時台なのだから、午前中迄に、時間を掛けて、気長に、腰に相談しながら、干せれば良いだけなのでね??
『ceiling lightのリモコン』
それはそうと、(パソコンの部屋というか、食堂と言うか、台所と言うか、Pianoの部屋と言うか、つまり、一日の大半をこの部屋で過ごすので、居間と言った方がしっくり来るのかな??・・まあ、前置きはそれくらいにして、今、変えたばかりの)ceiling lightを点けようと、リモコンを操作したのだが、何度やっても、点かない。
「これはもう、壊れてしまったのかな??」と、思ったのだが、ふと、「無意識に、壁のswitchで、明かりを消したのではないのかな??」と思い直して、壁のswitchを点けたら、なんと、点いたのだよ。
どうやら、寝ぼけていて、無意識に壁のswitchで明かりを消したらしい。
リモコンに慣れるのには、もう少し時間が掛かるのかな??
それはそうと、switchをOffの状態だと、リモコンで操作しても当然、明かりは点かないのだけど、switchがOnの状態で、リモコンをOffにしても、switchでOn-Offが出来る事が分かった。それは結構便利なのだよ。リモコンで明かりをOffにして外出をして、帰って来て、switchを(On-)Off-Onにすると、リモコンを使わなくても、明かりが点灯するのだよ。リモコンで明かりを消した分けなので、switchはOnの状態になっているので、OffにしてからOnにすると、リモコンとは無関係に明かりが点灯するのだよ。
(つまり、真っ暗な中でリモコンを探さなくても良い・・という事なのだよ。居間の入口のdoorの横に、switchがあるので、外出から帰って来た時には、とても便利な機能なのだよ。)
『眼科の検査』
今日はお昼の3時過ぎから、眼科の検診の日なのだよ。
直ぐ近所の眼科の病院なのだけど、順天堂の糖尿病科からの指示での通院なのだよ。
定期の検査で、瞳孔が閉じなくなる目薬を注す日なので、それからは、パソコンの作業も、bikeの運転も、今日一日は、出来なくなってしまう予定なのだよ。
目薬を点して、30分程経ってからの眼底検査で、それからの診察になるのだよ。
それから、半日ぐらいは、光が眩しくて、目が開かないので、ハイツに戻る・・という何でも無い事が大変なのだよ。
折角、駅迄出掛けるのだから、何か次いでに、買い物に、お店を回ってから帰る・・という事は、出来ないのだよな~ぁ??
今はお昼の2時半を過ぎた所です。
そろそろ、病院の予約の時間になる所です。
病院に行く準備をしなければ・・
胎内時計では、今は深夜の2時の感覚です。
起きて歩くのが辛い❢❢
とは言っていても、予約は予約なのだから、頑張って動くしか無いのだよ。
眼科の病院に行くと、routineの検査があります。
視力検査とDoubleの眼底検査です。ホボ、一月起きの検査なので、そんな必要はあるのかな??・・と思ってしまうのだけど、まあ、それが病院なのだよな~ぁ??
恙無く、病院での診察が終わって、ちょうど1時間でハイツに帰って来ました。
今日は薬を使っての検査があったのだけど、薄曇りだったので、なんとか、眩しくなく、普通に歩いて帰れました。
前回は、快晴だったので、眩しくて、全く歩けなかったのですよ。
これからのrotationなのだけど、通常の検査が月1回と、薬を使った検査が3ヶ月起きにあるそうです。
まあ、歳を取ると、何かと・・大変だよねぇ??
一つ一つの病院詣では、大変・・と言う事は無いとしても、色々な検査がそれぞれの科であると、月に纏めると、結構、忙しい事になってしまうのだよな??
極々、偶にしか病院に行かなかった昔が、懐かしいのだよ。
まあ、それが、老いる・・と言う事なのだろうけれど、ね~ぇ??
それはそうと、部屋に戻って、「いざ、仕事をしよう❢」と思ったら、パソコンのmonitor画面が全く見えないのだよ。
・・と言う事は、気休めに見ているくだらないテレビも、全く、見れないという事だよな??
それは困ったぞぃ??
今日の仕事が・・・保留になってしまうのだよな???
・・と言うよりも、時間を潰す事すら、出来なくなってしまったのだよ。
諦めて、椅子に座ったままで、目を瞑って、仮眠をした。
まあ、折角買ったceiling lightなのだから、目に合わせて、少し照明を落としておこう。
薄暗い方が、目に楽だよな??
ceiling lightが新しくなって、色調の調節や、明るさの調節が出来るようになった事は、素晴らしい。時代の進歩だなや??
私の子供の頃は、裸電球の時代だったのだよ。
そうだ❢❢ 裸電球用の傘があったのだよ。
今の子供達には、分からんだろうな??否、親達にも・・・
(・・と言う事で、ご親切にも、写真を添付しました。当時は、未だアクリルは無かったので、傘は磨りガラスで出来ています。)
今日の夕食は、定時の8時半からでした。
8時過ぎに、bikeで移動したのだけど、流石に、その時間はもう、目も正常に見えるようになっていました。
食事を終えて、この所のroutineになっている、ドル・プリの食事作りを終えて、お散歩は何時ものように、passして、ハイツに戻って来ました。今日は、カボチャと人参と、ブロッコリーの芯を細かく包丁で切る所迄の、作業をしました。
私がtableの上で、切る作業を始めると、ドルが、こっそりと部屋から逃げ出します。
一度も怖い思いはした事は無いハズなのですが、ドルちゃんは、超、怖がりなのでね??
多分、昔、カボチャを切る時に、普通の包丁で切って、切れなかったので、包丁をHammerで叩いて切ったので、その音が怖かったのでしょうかね??
今は、長崎の実家から持って帰って来た本刃の包丁で切っているので、サクッと音もしないで、切れているのだけど、tableの上にまな板を出した途端に、スゴスゴと、玄関に避難してしまうのだよね~ぇ??
2ヶ月程、部屋の整理が出来ていないので、汚部屋というか、乞食小屋似‥、と言うよりは、マジに断捨離をしないと、無理なのだよな??
私自身の荷物は、然程は無いのだけど、母親の個人的な荷物が多過ぎるのだよ。個人を偲ぶ・・と言う事で、中々、処分が出来ないのだよ。
12月20日『放下著(ほうげじゃく)』
それが、古い悪習であるという事が分かっていても、それを捨てて、より良い事に置き換える・・という事は、人に取っては、それ程簡単な事ではありません。
それが悪習であったとしても、それを捨てるという事は、殆どの人達が、自分自身を失くしてしまうような気がして、怖くて出来ないからなのです。
簡単な話・・小さな入れ物には、古い物がいっぱい詰まっていると、新しい物はもう入らないのだよ。
・・だから、色々な欲しい物や必要な物があっても、古い物を捨てない限り、持ち帰る事は出来ないのだ。
子供の内では、入れ物の中には、未だ少ししか、物が入っていないから、色々な物を沢山詰め込む事が出来るのだが、歳を取るに従って、無駄な物でいっぱいになってしまっているのだよ❢
・・だから、それが必要な物だと分かっていても、入れ物から、必要の無い物を捨てない限り、入らないのだよ・・という事が分かっていても、なんとか、捨てないで入れようとするのだよ。
もう、それは、・・人間の業と言うものかも知れない。
・・って、人の事ならば言えるけれど、ハイツの自宅を見ていると、段々と乞食小屋になってしまっているのだよな??
結局の所、私自身も、断捨離が出来ていないのだよな??
自分なりには、頑張って捨てているつもりなのだけどね~ぇ??
それに、私の場合には、欝もあるし・・ネ??
潜在意識の中に「捉われる」と言う気持ちがなければ、欝にはならないのだよな??
分かってはいるのだけど、その潜在意識を探しても、欝の理由が見つからない時もあるのだ。
そういう時には、流石に、抗鬱剤が欲しくなる時もあるのだよ。
と言う事で、近所に出来たばかりの心療内科を尋ねて見たのだけど、処方される薬が私には合わなくて、病院に行く事を断念してしまった。(最初に処方してくれた、軽い薬で良かったのだけど、なんども、そう言っているのに、強い薬しか出してくれないのだよ。調剤薬局の先生のadviceで、病院に行くのを諦めてしまったのだよ。)
今は欝のpatternを幾つかに分類して、それなりに、対応しているのだよ。
ちょうど、鼻詰りの時のように・・ね??
鬱の中で、もっとも、軽い鬱は、気分がなんとなく乗って来ない、なんとなく落ち込んでいる、という鬱です。
まあ、それぐらいの鬱ならば、何も対応しないままに、過す事が多いのでしょうかねぇ?
強い鬱の状態には、大きく二つの状態があります。
暴れ回ったり、物を壊したりしてしまう発狂性の鬱と、自分自身を否定して自殺衝動に駆られてしまう鬱です。
この二つの鬱状態の時には、それから逃れる方法はありません。
唯一の方法は眠る事なのですが、勿論、そんな鬱状態では、眠る事は難しいのです。
唯、ひたすら、鬱の収まるのを、堪えて待つ他はありません。
鬱の原因なのですが、それが人生の有り様のように、漠然とした原因でも、原因が何かしらある場合には、対処の方法はあります。
しかし、私の場合には、その原因が分からない場合が多いのです。体調がすこぶる良い時ですら、突然、鬱に襲われる事があるのですから。
私の鬱は、私が物心が付いた頃からありました。所謂、生来の鬱なのですよ。
一般的には小学生の自殺の数は少なく、中、高になってから、突然、その数字が増えるようなのですが、実際には小学生の統計の場合には、親や学校、警察等も、子供が自殺をした事を否定する傾向にあるので、その統計はあてにはなりません。
私の場合には、中、高生の頃の鬱が危険な鬱でした。未だ人生の価値や、命の大切さを自覚出来ていなかったからなのです。
高校生の頃に、大病をして、一年間のblankを余儀なくされましたが、或る意味では、その大病に寄っての入院生活が、私の人生を決めたのかも知れません。
結果、optimismとpessimismが混在するよく分からない性格が培われてしまいました。
12月21日『Exe chairのnet注文が出来なかった❢❢』
今は、12月の21日の木曜日の朝なのだが、昨晩の話である。
昼夜逆転の毎日で、千葉のオケ練習に行く時にも、眠れないままに、車で移動する事が多い。
・・と言う事で、千葉教室の事務室で、待ち時間等に仮眠が出来ると良い・・というのが、昔からの願望である。
・・と言う事で、折りたたみのカウチを買って、入院直後の発表会等には、控室に持ち込んで、降り番の時には仮眠を出来るようにしていたのだが、流石に、千葉教室の事務室にカウチを準備する事は、大仰で難しい。
それに、折り畳みのpipe式なので、結構、気持ち良い分けではない。あくまでも簡易bedなのだよ。
・・と言う事で、ハイツのExe chair(多分、和製英語)は、普段は自宅で、パソコン用の椅子(Office Chair)として使っているのだが、Ottomanを引き出すと、簡易bedにもなる優れ物なので、千葉の事務室にも、是非に、欲しいのだが、中々、許可が降りないのだよ。
事務室の部屋が狭くなる・・という理由で、これまでは却下されて来たのだが、流石に、こう、オケ練習の度に、私の降り番が多いと、却下も出来なくなってしまって、買う事を許されたのだよ。
購入するにあたっての留意点は、商品に付いては、横幅と耐荷重の二点である。
gaming chairで、手頃な値段で、耐荷重が150㌔の優れ物があって、しかも、揺り椅子の機能迄、付いていたのだが、かなりしっかりとした大型の椅子になってしまうので、泣く泣く諦めざるを得なかった。大き過ぎて、ハイツにも入らないのだよな??
事務室に置いても、圧迫感が無いExe chairにしないと、使い手が困るので、それも考慮して、商品を決めたのだよ。
耐荷重の問題は、私がchoiceした椅子と、全く同じ椅子で倍の値段の椅子があったのだが、多分、布の生地とか、色々な所が高級になっているのだろうが、checkしてみたら、なんと、耐荷重だけが80㌔と、逆に落ちていたのだよ。同じ機種でより高価なのだから、耐荷重も増えていそうなのだが、そうでも無いらしいのだよ。
私に取っては、select条件の中の第一条件が耐荷重なのだが、作るmaker側に取っては、耐荷重が書いてないExe chairもあったりするので、条件的には、然程の重きはおいて無いらしいのだよ。
netでも、耐荷重を検索条件にselectする事は出来ないしね??
次の問題点は、大型の荷物なので、配送先の千葉に先生達が居て、荷物を受け取れる日が指定出来る・・という条件の場合だけが、購入出来る条件なのだよ。
それに、場所の指定も・・ね??
東京から車で運ぶのは、とても、無理なので・・ね??
・・という事で、netの色々なExe chairの商品の中から、bestchoiceを選び出した・・までは良いのだが、購入する段階になって、配送日と配送先をselectする事が出来ず、行き詰まってしまった。
bestchoiceのExe chairは楽天なのだが、商品の購入のPageに入っても、配送先の変更と、配送日時の変更が出来ないのだよ。
直接、Shopに電話で問い合わせようと思ったのだが、Shopのsiteに入れないのだよ。siteのPageには、変更が出来るようにはなっているのだが、そのPageを開いても、変更のボタンが出て来ないのだよ。
諦めて、第二希望の商品に変更して、Amazonでの注文にした。
配送先の変更は、何でも無く出来たのだが、こちらも、配送日の変更が出来ない。
Shopに問い合わせも出来ないので、結局の所、両方とも、購入するのを、諦めてしまった。
両方とも、翌日配送だけしか開かないのだよ。
配送日の指定が出来ないのだ。
これまでは、普通に出来ていたのに、出来ないのだよ。
私の個人的な考えなのだけど、・・・多分、年末年始の配送になるので、配送業者に、そこまでのゆとりが無い所為なのだろうけれど、それならば、そうと、siteに、書くべきだよな??
配送日指定のボタンを削除するのならば、その手間と一緒に、削除の理由も書くべきだよな??
なんとか、今回の合宿に間に合わせようと、netの注文に、無駄に時間を浪費してしまったので、腹が立ってしまったよ。
後は、2日、3日経つと、配送日が予定の日になるので、そこらで注文を出す方法もあるのだが、そこまでするか??
まあ、その時に、覚えていて、しかも、機嫌が直っていたら・・と、言う事にしよう。
後日談なのだが、木曜日、金曜日と、買い物カゴから注文を開いて、配送日のcheckをした。一日毎に配送日が変わるので、土曜日になって、やっと、配送日が月曜日になったので、注文を確定させた。まあ、面倒くさかったのだよな?
12月21日『12月21日から22日迄、オケの曲探しと冬至についてのお話』と、追記で『Hennry PurcellのAbdelazer物語に付いてのお話』
17日にChristmas会が終わって、次の日が病院の検診だったので、超、慌ただしく、曜日が過ぎてしまい、気が付いたら、もう、21日の木曜日になっていました。
Facebookに書いたように、2ヶ月近くも、部屋の掃除や洗濯物を放置してしまっていたのですが、今日は、超、珍しく斉藤先生から、「部屋の掃除に行こうか??」とlineがありました。
勿論、二つ返事で、お願いしました。
通常の場合には、洗濯機を回す所迄は、私がやるのですが、干す作業は、斉藤先生にお願いしています。勿論、その理由は腰痛の為です。立ち仕事が腰痛に来るので、シンクの洗い物とかは短時間しか出来ません。時折は、椅子に座ったままで、洗い物を済ませる事があります。手が体よりも上に行く事があるので、水が逆流して困る事があります。
『オケの曲探しのお話』
また、牧野先生からは、「発表会のオケのmainの曲が無いので、どうするのか??」と聞いて来たので、曲探しを始めました。
曲探し・・とは言っても、memberが少ないので、演奏出来る曲が非常に少ないので、曲を探す手間も、必要も無くって、或る程度は自動で決まってしまうのですがね~ぇ??
コロナと少子高齢化以降、延々と、「オケのmemberがいなくて曲が探せない❢❢」と、言い続けているのですが、「2回オケからmemberを引っ張って来るように」・・とも、言っているのですが、2回オケから、3回オケに参加するのは、とても大変なので、これまでは、斉藤先生からのダメ出しが出て、実現しませんでした。
今回の ManfrediniのWeihnachts-Concertoは、発表会からChristmas会迄の2ヶ月間の、short・Courseなので、「体験のChanceとしては良いのでは??」という事で、今回、希望者を入れる事にしてみました。
まあ、それなりには、なんとかなったのでは??
『冬至こもごものお話』
・・・てな事を書きながら、未だ、12月21日の夕方の6時半を過ぎた所なのですが、急激に温度が下がって来ました。
明け方には0℃になる予定なのですが、未だ6時というのに、もうすっかり冷えて来ています。
こんなに冷えたのでは、椎名町へのbikeでの移動が大変だよな??
もう、革の手袋の上から指が悴むようになって来たし、頬も切れるように痛くなって来ました。明日は冬至だ。
そういう季節になったのだよな~ぁ??
定時の8時半に椎名町への移動して、ドル・プリのご飯になるカボチャを切って、今日は珍しく、お散歩にも(ホンのチョッとなのですが・・)付き合って、bikeでハイツに戻りました。
なんとか、12時、ギリギリの前近くには、ハイツに到着しました。
今は12月の22日の金曜日の朝の3時になる所なのですが、もう、すっかりと、冷え切って、延々と明日の朝日が登るまでに、0℃のままなのですよ。
明日の金曜日はlessonが入っているので、Rehabili-dayではありません。
それに22日は冬至だそうなのですが、冬至とは、1年の内で、一番夜が長い日なのだそうだが、部屋に閉じこもっていると、それを体感出来る事はない。
まあ、ゆず湯に入る風習やカボチャを食べる風習等も、教室としては、あまり関係はないのだが、カボチャの写真は、冬至とは関係なく、人間とドル・プリの食事の為に、毎回私が切っている風景なのだよ。
カボチャを切り分けるのは、結構難しいので、代わりに私が切っているのだよな。
今回は日曜日のオケ練習はお休みなのですが、次の月曜日からは3日間の冬の合宿の予定です。
3ヶ月前の10月に歯医者に行って、その時の予約なのですが、合宿と歯医者とのdouble-bookingをしてしまいました。
・・と言う事なので、昨日は、歯医者の予約を変更しようと思って電話をしたのですが、木曜日は休診日で、電話が通じませんでした。
その後で、先生から、lineが入って来て、25日と26日の合宿は私は千葉に行かない事になりました。
結果・・・all right❢❢で、歯医者の予約を変更しなくて良かったのですよ。
それに、27日の最終日は、3回オケの練習の予定だったのですが、memberの集まりが悪かったので、私の方から、練習をcancelする事にしました。
当日に来る人達だけでensembleが出来ないのならば、個人へのlessonでも、lectureが可能だったからで、わざわざ千葉に行く必要はないからです。
追記で『Abdelazer物語のお話』
オケの曲も新曲を今日、決めたのでね??
その伝達もあるので、個人のlessonでも良いので・・ネ??
「曲決め」は、memberが3回オケのgroupだけならば、技術的な面でも、DvorakのStreich‐Orchestraの曲を課題にしたかったのですが、今回のconceptは、2回オケからのmemberを、三回オケに参加させてあげたかったので、3回オケの連中には、簡単なのかも知れませんが、手堅く、
『Henry Purcell - Abdelazer, or The Moor's Revenge Suite, Z. 570(パーセルのアブダラザール、ムーア人の復讐)』という組曲に決めました。楽譜も、私の個人所有のArchivに、随分前から在る楽譜なので、その為に、楽譜を購入する一手間は必要無いので、楽なので・・
曲は、小さな短い曲が集まって出来ていて、9曲のsetで、演奏時間は、約10分程を予定しています。実際のProの演奏時間は14分以上と、長いのですが、それは各曲が反復する為なので、無駄な反復を避ければ、当然、演奏時間は10分弱の短い演奏時間になるからです。
本当は、9曲のsetではなくて、10曲のsetなのですが、10曲目が歌が入るので、一般的には、歌が入る前の9曲目を終曲にしていて、10曲目は割愛しているようです。
今回の発表会では、私も10曲目を省いて、演奏する予定です。
曲本来は、9曲目は終曲ではないので、9曲目で終わるのは尻窄みなのですが、今の所は、総てのproの演奏団体がその様に演奏しているようです。
私の場合には、少し華やかなgigueを終曲に持って来るか否かを思案中です。
『Französische overture(フランス風序曲)のお話』
この曲は多くのperiodの演奏団体から演奏されていますが、冒頭のoverture(序曲)の演奏は、総ての演奏が、全く違っていて、混乱をしているようです。
それはこの序曲をOuverture nach Französicher Art(所謂、フランス風序曲)として演奏するか否か選択になるからなのです。
Händelのmsiaのovertureにも見られるように、Französische overture(フランス風序曲)は、非常に遅いtempoで、鋭いskipのrhythmで演奏されます。
baroque時代の舞曲の演奏様式では、譜面は書かれた近似値に過ぎず、慣例的に当時のdanceのstepのrhythmに基づいて演奏されるのが慣例でした。
Hennry PurcellのChaconne in gを、Benjamin Brittenが、当時の演奏様式に従って書き直した譜面をBritten版として、著作権を取っていたので、私が怒り捲くったお話は、結構、色々な場所でお話しています。
当時の演奏様式に従って慣習的、慣例的に演奏すれば、必然的にBritten版の演奏になってしまうから、Britten版が著作権を取れる事は有り得ないからです。
「イギリスの誇る大作曲家のする事ではないのだよな??」という話です。
ちなみに、このHennry PurcellのAbdelazerのscoreは、CembaloのpartがRealizationされている楽譜が2種類あったのですが、その一つはCembaloのpartがPiano-versionとして書かれていたので、論外でした。
もう一つのちゃんとCembalo用の楽譜になっている、楽譜を購入したのですが、そのovertureのCembaloのpartを演奏するのは、手の広さから不可能である事が、楽譜を貰ってから判明しました。
こう言った間違いは、continuoの数字付きの譜面から、実際のCembalo譜に書き直す時に、楽器を全く使用しないで、楽譜上で和声学として、書いてしまうからなのです。
私もcontinuoの譜面をRealizationする時には、楽器を使用しなで、直接、パソコン上で書くので、実際の演奏では、指使いが困難になってしまう事があります。(一応は、手に収まるように・・とか、指使いが楽なように・・という所までは、楽譜上でも配慮はしているのですが・・・ね~ぇ??)
もしも、演奏困難な箇所が見つかったら、その都度、その場で、修正をするようにしているのですが、このarrangerは、一度も自分の書いたCembaloの譜面を弾かないままに出版してしまったようです。理論家のよくやるmistakeなのですよ。
フランス風序曲として、書かれている楽譜を、当時の演奏様式での演奏styleに書き直す事と、Cembaloを手の届く範囲内で、演奏可能な譜面に直す・・という2つの作業を、しなければならなくなってしまいましたが、まあ、古典の曲を、出版されている楽譜のままで、生徒に渡せる事は非常に稀なので、何時ものroutine作業という事で、まあ、「冬休み」・・と言うか、「正月休みの私の課題」の一つにしますか??
(・・と言う事なのですが、12月の26日の夕方迄には、この超、面倒くさい作業を、完全に終わらせてしまいました。相変わらず、作業が早いのだ。Cembaloの生徒に、出来れば合宿中に楽譜を渡しておけば良いので、合宿に間に合わせように、急遽、の最優先の作業にしました。)
まあ、französische overtureのrhythmの演奏法を比較対照してuploadして起きます。
2番目の鋭いrhythmが一般的だと思われますが、1番目の比較的に優しいskipのrhythmの演奏も見受けられるようです。
楽譜通り(記譜された通り)の、französische overtureのrhythmでは無い演奏も見受けられるようですが、まあ、それは時代考証の無い論外のinterpretationでしょうかね??
音源も作成して起きました。
https://www.youtube.com/watch?v=qeBzcvUAp14
4小節目、3,4拍に、納得の行かない和音が出て来るので、他のperiodの演奏団体の演奏を聴いて見たのですが、やはり、楽譜上の和音を訂正して演奏しているようなので、私も追従して、4小節目のViolaのmelodieを訂正しました。(12月26日の火曜日の訂正です。)
その第2曲目のrondoはBenjamin Brittenの有名な「青少年のための管弦楽入門-purcellの主題による変奏曲とfuga」の主題として親しまれていて、Cembalo用の原曲や、recorder・ensembleの曲として、教室でもよく演奏されている曲になります。
勿論、初心者には、楽譜通りに演奏をさせているのですが、上級生達の演奏では、古式豊かにornamentをふんだんに取り入れて演奏をしています。
参考までに、中学生の演奏しているPurcellのrondoです。
https://www.youtube.com/watch?v=vWn68s1v-4I
勿論、ornamentは私の制作になります。高校生ぐらいになると、自分でornamentを作って演奏させています。
『Abdelazer物語について』
Abdelazerとはアフリカ北西部・フェスの女王の名前です。
(以下、Wikipediaからの抜粋)
イギリスの女性劇作家・小説家であるアフラ・ベーン(1640-89)の劇作品「Abdelazer、若しくは、ムーア人の復讐」に付けられた音楽です。
『あらすじ』
アフリカ北西部・フェスの君主であった父をスペイン国王によって殺され、幼くしてその庇護下に入ったアブデラザールは、 やがて策略をめぐらせてスペイン王家に対する復讐を果たそうとする。
彼女は次々と邪魔者を排除し、ついにはスペイン国王の座にまで就こうとするが、最後には腹心の部下に裏切られ非業の死を遂げる。
12月23日『寒い❢❢』
今は12月の23日の土曜日の深夜の2時を過ぎた所です。
今現在でも既に、練馬区の気温は1℃で、体感温度は0℃なのですが、今日はこれからもっと冷えて、明け方には-1℃になる予定なのですよ。ヒェ(冷ぇ)~❢❢
Gas-fan-heaterの温度が設定の温度迄、上がらないので、今日は、布団に入って、もう眠る事にします。
toilette-timeで布団から出た時の、heat shock(勿論、和製英語ですが・・)が心配なのですが、Gasの点けっ放しも心配なので、やっぱり、消して寝る事にします。
部屋の中が冷え切ってしまうよなぁ?
布団に入って、アンカの上に両方の足先を乗っけているのですが、足先が温まらないのですよ。
毛布から出ている手が、死人の手のように冷たいのです。
あまりにも、寒いので、今の時間の練馬区の気温を調べて見ると、な、な、な、なんと、今現在である明け方の5時の練馬区の気温は、-2℃だったのですよ❢
そりゃあ、無いよなぁ?
昔の練馬区では、あり得ない温度なのだよ?
heat shockの予防に、エアコンでも、点けた方が良いのかな〜ぁ?でも、そうすると、喉をやられるし、ねぇ?
痛し痒しなのだよな?
なんだ?なんだ?
今度は、アンカの上に乗っけている足の指がこむら返りになって来たぞ❢❢
体全体が、寒さに対して、拒否反応をしているようなのだ❢
諦めてエアコンから、暖房を入れるとするか?
変な夢を見ていました。
古い知り合いに連れられて、大きなgroupの集まりに連れて行かれたのですが、適当な少人数のgroupに分かれて、その場でザコ寝をしていました。
私を連れて来たハズの知り合いともはぐれてしまったし、人をが多過ぎて、私の寝場所も無いし、ここは私の居場所では無いので、帰ろうと思ったのですが、家の鍵がありません。
知り合いが鍵を持っているハズなのですが、人が多過ぎて探せないのです。
会場を出る事が出来て、出口を見つけて、道路に出さえすれば、お金は持っているので、タクシーを捕まえて、家に帰る事は出来ます。
しかし、肝心の鍵がないのですよ。
なんとか、知り合いを探さなければ・・。
暗くて広い会場を、人を踏みつけないように、気を付けながら、人と場所が探して、彷徨っている夢でした。
こういう夢を、徒然無い夢と言うのですよね~ぇ?
どうしてなのか、分からないのだけれど、心が不安になってしまうのですよ。
行き場のない、拠り所の無い感情に襲われてしまうのですよ。
アンカの上の足先の指がこむら返りを起こしてから、体の何処そこかに力が入ると、その場所が、引き攣ってしまうようです。
全身に、こむら返りが起こっている・・と言う事なのだよな?
・・と思っていたら、今度は、強烈な鼻詰りと鼻水に襲われてしまいました。
運命の女神は、徹底的に布団で眠らせない・・という事だよな??
諦めて、布団から起き出して、パソコンの部屋で、Gas-fan-heaterとエアコンのdoubleで、部屋を温めて、Exe chairで仮眠を取る事にしました。
布団の中で、全く、眠れなくて悶々とするよりは、息が楽に出来るだけ、マシなので・・ね??
窮窮窮の所、何をか窮せん・・という所だよな??
暖房の温度が中々上がって来ないから、Gas-fan-heaterとエアコンを同時に点けて強制的に部屋を温めました。
それから、Exe chairに座って、体をrelaxさせました。
結構、直ぐに鼻詰まりは解消して、呼吸も楽になりました。
暫くしたら、睡気が襲って来たので、大急ぎで、Bedに戻って、眠りました。文章で書くと結構短い時間のようなのですが、実際には、2,3時間は経っているのですよ。
仮眠ではありますが、今度は、ちゃんと眠る事が出来ました。
今度の夢は、青春時代の頃の私の喉に癌が見つかって、医者が、嬉々として手術の日程を決めている所の夢を見ました。
toiletteにBedから起き出す度に、腰痛が酷いのですよ❢
暫くして、体に力が戻って来ると、腰痛は治まって来るのですがね~ぇ?
本格的な腰痛になる前の危険な状態なのですよね~ぇ?
なんとか、その状態をclearしないとね~ぇ?
12月24日今日は日曜日のChristmasのEveです。
今日は12月の24日の日曜日のChristmasのEveです。
神奈川迄、priviaを貰いに行くのですが、この所眠りが足りないので、朝から、何度も、小刻みに仮眠をしているのだけど、上手く眠れないのだよな??
今日も結構印象的な夢を見たのだが、忘れてしまって、思い出せないのだ。
driveは中央道を使って往復、2時間程の行程で、お久し振りのドルプリを連れての、driveになりました。
Eveの日の日曜日だったので、大渋滞が予想されたので、前日、Jasracの渋滞情報を調べてみると、なんと、24日のChristmasEveは、寧ろ、交通量は少ない・・との、予報だったのだよ。
実際、当日の道路状況は、Jasracの予報通りに渋滞は無くて、快適なdriveだったのだよ。
driveを終えて、椎名町に戻って来てからは、日頃の睡眠不足が体調に現われて来て、意識混濁状態になって来たので、急いで、ハイツに戻って、Bedで仮眠をしました。
仮眠と言っても、眠れた分けではないのだけど、Bedに横になっているだけだったのだけども、少しは、体が楽になりました。
殆ど眠れない日々が続いているので、気持ちの上では、ちゃんと眠らないと、体に影響が出てしまう・・というpressureがあったので、それが増々のpressureの原因にもなっていたのですが、bedで体を休めるだけでも、少しはマシなので、幾分は楽になって来たようです。
夕方からは、超、気温が下がって来たのですが、頑張って起き出して、椎名町にbikeで移動しました。
夕食には、牧野先生がChristmasのroast‐Chickenのピラフ詰めを作ってくれました。
表面の皮がコンガリといい色になる迄は結構時間が掛かりました。
大きなchickenを解体するのは、当然、私の役で、超、熱いchickenをpart毎に、解体して行きました。
当然の写真なのですが、撮るのを忘れてしまいました。
熱いので、chickenに手を触れないで、knifeとforkだけで、切り分けるのは、結構大変だったのですよ。
写真どころでは、ありませんでした。アハッ!
普通に夕食を取っただけなのですが、時間が思いの外、経ってしまって、cinderella-timeの前になってしまったので、ドル・プリっ歩はpassして、急いで、ハイツに戻りました。
12時のjustに自室に戻って来ました。
超、慌ただしいChristmasのEveだったのだよな??
今日の日曜日はオケ練習がお休みだったので、月曜日の体重測定では、体重が減少したままでした。
普段ならば、日曜日は市販のお弁当を食べるので、次の月曜日には、体重がたった1日で、非常に肥ってしまいます。
月曜日が体重の最大値で、それから、普段の食生活なので、徐々に痩せて来て、土曜日が最低の体重になります。
今回は、1日普段の食事だったので、月曜日も、痩せたままでした。
このまま、順調に痩せて行けば、三桁から二桁になるのも夢ではありませんよね。
市販のお弁当が如何にdietに悪いかの実例でした。アハッ!
12月25日『合宿のお話』
今日は12月の25日の月曜日の朝の7時を過ぎた所です。
勿論、世間ではChristmas当日なのですが、教室としては、冬の合宿の初日になります。
通常であれば、合宿には私も車を出して、指導のお手伝いをするのですが、参加者が少ないのと、お泊りの希望者も今回は例外的に少なくて、合宿最終日の27日に予定していた、3回オケの新曲の演奏法のlecture等も、3回オケの参加希望者が非常に少なかったので、私の一存で、中止にしてしまいました。
その代わりに、26日の火曜日の最後に先生達と当日の参加の唯一の生徒と3人に、Teleworkでのlecture-lessonをしました。曲の大雑把なstoryと演奏上の留意点と、französische overtureの演奏法についての説明をしました。
3回オケの28日の合宿の希望者が非常に少なかったので、曲のstory解説や、interpretationの説明を、オケ練習毎に、2回も、3回も繰り返して説明しなければ、ならないのは、非効率・・というよりも、人生の無駄だ❢❢・・と思ったからなのです。
私自身がやり遂げないといけない仕事も山積みしているので、効率の悪い仕事は、後回しにするのが、私の建前なので・・ね??
・・という事なので、今年の冬の合宿は、お泊り無しで、しかも、二日間の日程で終了する事になり、私の千葉へのニャンコ号での移動も無くなってしまいました。
一頃は、合宿が、3日間では終わり切らなくて、合宿が一週間も続いた時もありました。
一通り、曲目を熟すだけで、大変だったのですよ。
少子高齢化とコロナと、インフルの所為で、教室も危機的に小さくなってしまいました。
・・とは言っても、大手企業の音楽教室さえも、潰れて縮小しているのが当たり前の時代なので、教育関係の仕事としては極々普通の事かも知れませんがね??
『exe chairのお話』
合宿初日の今日は、私としては、長年、私が希望していた、Exe chairが新教室に配送される日でもあります。
先生達はドル・プリっ歩を済ませてからの千葉への移動になるので、午前中に配送された場合には、玄関前に、置き配の指定をしています。
組み立ての作業は、一人でも可能らしいのですが、結構、重たいので、二人で組み立てる方が楽らしいのですが、私は今回の合宿には、千葉には行かない事になったので、手伝う事は出来ません。(千葉に行ったとしても、多分、手伝わないので、同じだとは思うのですがね~ぇ??)
いずれにしても、これで、教室での指導の空き時間に、事務室で仮眠をする事が可能になりました。善哉!善哉!
摂眠障害からの睡眠不足のままに、オケの指導をする事が多いので、カウチにもなるExe chairは、私に取っては、とても良くって、救世主でもあるのですよ。
・・と思っていたら、荷物が12時に来て、不在で戻ってしまったのですよ。斉藤先生が12時10分に到着したらしいので、その10分差で受け取れなかったのですよ。それに、「不在の時には、玄関前に置き配にしてくれ」と、置き配指定にしていたのですが、配送業者には伝わっていなかったようです。
まあ、netで明日の再配達をorderしてのですが、置き配可にしていたのに、無駄な再配達です。
今日の月曜日には、今年最後の病院詣で・・と、いうか??・・歯のメンテがあります。(私的には歯のメンテは、病院通いには入れていないのですがね??)
『12月の下旬のお話』
仕事収め・・というのは、事実上は私には無いので、年内ギリギリ迄は、lesson等の予定が詰まっているのだけど、未だに、正月に向けての買い物等は全くしていません。
昔々の学生時代には、正月に帰省しないで、東京に居た時に、正月三ガ日、近所のスーパーや池袋のデパートも含めて、全てお休みだったので、二日目、三日目には、食い物のStockが全く無くなって、餓死しかけた覚えがあります。
当時は、24時間営業で年中無休のコンビニも無かったし、乾麺類も食い尽くして、酷い状態だったのですよ。
頼みの綱の学校の友達は、なんと、全員、里帰りをしていたので、友達の下宿に転がり込んで、食べさせて貰うという事も出来なかったのですよ。
最後の一日等は、「マジに餓死するか??」と思ったネ??
今は、正月自体が無くなって来た感がありますよね??
仮に、総てのお店が休みになっても、自販機という強い味方があるし・・ネ??
餓死はしないのだよ。
12月27日今夜は満月だそうです。
今日は12月27日の水曜日の朝の7時過ぎになった所です。
下の写真は一日早い26日に携帯で撮ったものなのですが、一々デジカメを引っ張り出して撮影するのも面倒くさいので、取り敢えず、手元の携帯で撮った写真なのです。
携帯でここまでもZoom出来るのも驚きなのですが、本当はもう少しzoom-upが出来ます。でも、手持ちではブレてしまって、写真のピントがあいません。(ピントが合う、は英語ではin focusと言うそうです。)
27日の水曜日は一日が全くぶっ飛んでしまいました。
夜の食事時間からのbikeでの移動を除いたら、お昼間の一日が全く抜けてしまったのですよ。
昼夜逆転の極みになってしまいました。
・・とは言っても、この所、毎日の話なのですがね~ぇ?
「眠れない」と言う事が、結構Pressureになっていて、疲れたままの状態が続いているので、慢性疲労に拠る、軽い鬱が続いています。勿論、慢性疲労で仕事が捗らない為の欝なのです。
しかし、欝の原因には別の要因もあります。
その要因は、嵌入便なのです。
聞き慣れない単語なのですが、所謂、「糞詰まり」です。
極端な糞詰まり、所謂、便秘解消の為に、下剤を病院の先生や薬局の薬剤師に相談したのですが、通常の便秘に対する下剤は幾つもあるのですが、嵌入便に対しての下剤は、こんにち未だ存在していないのだそうです。「為す術はない」と処方を断られてしまいました。
一般的な便秘の場合の便秘対策の一番は、規則正しい毎日の排便なのでしょうが、嵌入便の場合には、1日に2回、3回の排便を試みても、糞詰まり状態になってしまいます。
それはそれは、苦しくて、結構、辛いのですよ。副産物として、切れ痔をしてしまいます。
唯一の排便法は、浣腸なのでしょうが、浣腸をしても、排便痛に苦しむ事の方が多いのです。
まあ、便秘にはこれまでも悩んで来た方なのですが、嵌入便になったのは、多分、今年からなのではないでしょうかね?
勿論、予兆は、数年前からあったのですが、ね~ぇ??
これ程・・とは、思わなかったのだよな~ぁ??
まあ、歳を取ると色々とあるのだよな~ぁ??
12月30日『入眠障害』
な、な、な、なんと!今日は12月30日、大晦日の一日前の日です。後、一日で今年も終わりなのだよ。
一年の過ぎ去るのは、なんと、早いのだろうか??
昨晩は早い時間に椎名町から帰って来て、比較的に早い時間に寝たのだけど、one‐cool目の1時過ぎには目が覚めてしまいました。
意識的には、何かしら、もう夕方の7時か8時のような気がして、何度も確認してしまいました。
完全に体内時計が狂ってしまったのだよな~ぁ??
やり残した雑用を熟して、今は、3時半を過ぎた所ですが、2回目の睡眠を試みている所なのですよ。
two-cool目の睡眠をclearして、朝の6時半過ぎに起きた所なのです。勿論、toilet‐timeなのです。
3回目になりました。
中々、入眠が出来ずに、Bedの中で悶々としていたのですが、今度は強烈な鼻詰まりで、息が出来なくなって来ました。
・・という事で、已む無く、Bedから起き出して、定形の作業をしようと思ったのですが、寒くて、未だBedから離れる事が出来ませんでした。
つまりは、未だBedの中でウダウダとしているのですよ。
今日はお昼の2時から、予定が入っているので、予定の1時間前に目を覚まして、時間に遅れないようにbedから起きだそうと、必死に頑張って起きたら、いつの間にか、その1時間が過ぎていたのだよ❢
1時間前の目覚ましのaramの音は聞こえなかったのだよ❢
予定の時間になってしまったのだが、準備をしようにも、体が全く動かないのだよ❢
諦めて、携帯での入力は諦めて、パソコンで、行けない旨だけを伝えて、Bedで休む事にした。
4回目の入眠なのだ。
今度は入眠が上手く行って、 two-coolを一気に眠る事が出来て、今は夕方の5時だ。
なんとか、bedから離れる事が出来たよ。
左足の裏が痒い。掻いても搔いても痒みが止まらないのだよ。
今日もまるまる一日中、疲れて、tripして終わってしまった。
断片的にしか、一日が存在しないのだ。
12月31日『今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を・・・』
今は、12月31日の日曜日の大晦日の朝の5時過ぎです。
眠れぬ夜を・・と、言いたい所ですが、椅子の上や、Bedの中で、眠たり起きたりを、繰り返しているので、疲れる事を除いたら、睡眠不足とは、言い難いのですよ。
「今日の睡眠時間の合計は?」と、聞かれても、困ってしまいますからね?
今は、なんと、夕方の3時半を過ぎた頃なのですよ。
朝の9時、10時を過ぎた頃から、改めて、bedで眠ったので、今度は4-cool程の6時間近く眠れたのではないのかな?
それならば完璧だよな??
疲れが取れた感が無いので、自身でも半信半疑なのだけど、ね~ぇ??
Takashi Toyoda
こちらこそ有難うございます。行く歳も来る歳もまたわが旅路。
返信する
1週間